Dジェネシス ダンジョンができて三年

000 プロローグ 三年前. (2015年)


この日、ネバダのグルーム・レイクでは、アメリカが威信をかけて建設した巨大な加速器が稼働していた。
地下150メートルに建設された、グルームレイクとボールド山にまたがる周囲百20キロの大型加速器、LHCが余剰次元の確認を行うべく出力を上げていた。
衝突エネルギーがLHCを遥かに超えたところで、数多くの粒子を衝突させたことが、計測器を通してメモリに記録され、結果がモニタに表示された。

「……マイクロブラックホールの生成を、確認しました!」

一斉にあがる歓声が、新しい理論が証明された瞬間を象徴していた。

「タイラー博士、やりましたね!」

この実験の責任者だった、セオドア=ナナセ=タイラー博士に、まわりの科学者が握手を求めて足早に近づいてくる。

「やったな! テッド!」
「やめろよ、そのしゃべり出しそうなぬいぐるみみたいな呼び方は」

タイラーが笑いながら彼の手を握る。栄光の時間だった。

それを尊敬の眼差しで見つめていた若い科学者は、ひとしきり興奮を共有した後、ふとモニタに目を向けた。
実験成功後もコンピューターは自分に与えられた仕事を淡々とこなしていた。
フェムトセカントで積み上がるその情報は、プログラムに従って適切に処理され……信じがたい結果をモニタに映し出していた。

「な、タイラー博士!」

彼が思わずあげた、悲鳴に近い呼びかけは、まわりの注目を集めるのに充分だった。

「どうしました?」
「マ、マイクロブラックホールが……消滅していません!」

そんな馬鹿な。そこにいた誰もがそう思った。
理論が正しければ、ホーキング輻射によって、一瞬で蒸発してなくなるはずだ。生成に使われた質量は、たかだか陽子の質量に過ぎない。

「空間でいくつかのマイクロブラックホールが高速に運動しています! まるで……まるで、何かの力場に囚われているみたいだ……」

、、、、、、、、、

最初は量子レベルの空間の歪みに過ぎなかった。
刹那の時間の中で発生した歪みを、それは、望みを叶えるための千載一遇のチャンスだと捕らえた。
そうして、それは、その歪みをつかまえると慎重にエネルギーを加え、拡大していった。

、、、、、、、、、

『固定された力場に、なにか巨大な質量が……なんだ、これは?!』

スピーカーから、誰かの悲鳴のような声が上がると同時に、モニターが白い光に覆われ、暗転して映像は終了した。

「それで全部かね?」

チェスターバリーの見事なスリーピースに身を包んだ、神経質そうな男が、足を組み直してそう尋ねた。

「はっ、グルーム・レイク空軍基地で行われた加速器実験の地上コントロールで記録された映像はこれだけです」
「つまり地上コントロールは無事なんだな? 電力供給用に建設された原発も」

男の頭には、スリーマイルのトラブルがよぎっていた。いかにネバダとはいえ、あれの二の舞は御免だ。

「地上には大きな影響は出ていません。連絡が取れなくなったのは、加速器が設置されていた地下のみで、原発は無事です」
「発生したマイクロブラックホールは?」
「わかりません。が、それがどうであれ、拡大して地球を飲み込むなどと言うことは考えられません」

男はそれを聞いて、安心するように頷いた。

「地下への救出は?」
「最初は基地の隊員で行われました」
「エレベーター類は完全に停止して動かなかったため、ボールド山の西側にあるポイントスリーの非常階段を利用して侵入したのですが……」

報告者は、モニタに静止画を映し出した。

「……なんだね、これは? ハリウッドの新作か何かか?」

そこには、青みがかった肌をした、恐ろしい顔の人型の何かが映っていた。

「身長は十フィート以上あります。突入した部隊が、最初に出会った生命体です」

もしもそれがファンタジー映画だったら、きっとトロルやオーガと呼ばれていたに違いない。

「反射的に発砲した先頭の二名が犠牲になりました。GAU-5A ASDWでは豆鉄砲のようなもので、M855A1弾は、まるで効果がなかったそうです」
「彼らは、フォボスとダイモスの間で瞬間移動装置の実験でも行っていたのか?」

唖然とした男は、若かりし頃夢中で遊んでいたゲームの設定を思わず口走ったが、すぐに首を振って、今できるいくつかのことを指示した。

、、、、、、、、、

その有機体は、確かになにかの知的活動を行っているようだった。
微弱で複雑な電流を絶えず発生させていた器官は、それに、様々なことを示唆した。
刹那と永遠の間《はざま》で、それは喜びにうちふるえると、莫大なリソースを解放した。自らの望みを叶えるために。

この日、ネバダのグルーム・レイクの地下百五十メートルに、後にザ・リングと呼ばれるようになる最初のダンジョンが誕生した。


# 第1章 こうして俺たちは会社を辞めた

001 碑文 現在 ネバダ 9月某日


九月の終わりのネバダの日中は、いまだに二十五度を超えていて、暑く乾燥した風が吹いている。

とある政府の研究所では、所長のアーロン=エインズワースが大きな声を上げていた。

「なんだと?! ダンジョン=パッセージ説が証明された?」
「いえ、証明と言いますか」

その、あまりの剣幕に、情報を携えてきた連絡官は、腰の引けた説明を行った。

丁度、一ヶ月ほど前、ロシアのオビ川流域、スルグトとニジネヴァルトフスクの間にあるダンジョンで、ある特殊なスキルオーブが見つかった。
そのオーブに封じられたスキルの名前は『異界言語理解』だった。

オーブはさっそくモスクワの研究所宛てに送られようとしたが、折悪しく、悪天候で飛行機が離陸できず、オーブは、その生存時間ギリギリで、たまたまそばにいたDカード保持者に使われた。

「それで、そのスキル取得者の名前は公開されているのか? 学術系だから隠すわけにもいかんだろう」
「はい。発表された論文によりますと、イグナート=セヴェルニーと言うことです」

アーロンの知る限り、ロシアのダンジョン研究者にそんな名前の男はいなかった。

「こちらが、その発表内容――世界中のダンジョンから発見された碑文の部分翻訳――になります」

連絡官に渡されたメモリカードを、タブレットのスロットに挿入すると、自分のパスコードを入力して、すぐにファイルを開いた。
そこに書かれていた内容は衝撃的だった。

それによると、ダンジョンは異世界との通路であり、テラフォーミングのツールだという。

針のように穿たれたダンジョンは、繋がった世界を都合良く変革するためのツールとして作用する。
内部からあふれ出す魔物の群れは、繋がった世界に無いかも知れない『魔素』と呼ばれる物質を作り出すための手段として使われる。
まさにテラフォーミングといえるだろう。

そして128層を越えるダンジョンは、繋がった世界へと渡る『通路』となるらしい。

「真実だとしたら、衝撃的だな」
「はい」

だが、まだその言葉を理解できることになっているものは、イグナート=セヴェルニーただ一人だ。
仮に本当に碑文が読めていたとしても、翻訳したと彼が主張している内容は誰にも検証できないのだ。
彼が自分の妄想を紙の上に再現していないと証明することが出来るのは、現時点では天におわす神その人くらいだろう。

「内容の検証を行うためには、同じスキルオーブをもう一つ手に入れて、別の人間が読んでみるしかありません」
「それをドロップしたモンスターは、国内でも確認されているのか?」
「ドロップモンスターは公表されていません。が、発見されたダンジョンは、キリヤス=クリエガンダンジョンと呼ばれる、リカ・クリエガンがオビ川に繋がる位置にあるダンジョンで、攻略された範囲のモンスターは国際ダンジョン条約に基づいて公開されていますので、総当たりで調べれば」
「あまりに迂遠だがやむを得んか」

アーロンは、窓から日が薄れゆくネバダの風景を眺めた。

九月の終わりのネバダの夕暮れは、急激に降下していく気温と共に訪れる。
思わず身を震わせたのは、その冷気のせいだろうか。そうでなければ、足の下、わずか百二十メートル先にある何かの力のせいだったのかもしれない。

そうして夜が訪れた。


002 芳村 圭吾 新国立競技場青山口付近 9月27日 (木曜日)


「ちっ、雨かよ」

路肩に止めた車の運転席に座って、フロントガラスを叩き始めた雨を見ながら、俺はそう呟いた。

『それで、うまくやったのか?』

ハンズフリーの電話の向こうから、不機嫌そうな声が聞こえる。声の主は、榎木義武。一応俺の上司にあたる。
今回も自分の差配のミスで怒らせたクライアントに、下っ端である俺に謝罪に向かわせるなんて……誠意を疑われても仕方がない。

第一俺は、いろんな部署で便利に使われているとはいえ、一応研究職なんだぞ。営業の仕事だろ、これ。

「いえ。……取引は打ち切るそうです」
『なんだと?! お前、どんな謝り方したんだよ!』

重大なインシデントに、下っ端送りこんでりゃそうなるに決まってるだろ。お前アホか。
と言ってやりたい。すんごく言ってやりたい。

「申し訳ありません」
『もうしわけない? つまりお前のミスってことだな。ほんと使えねぇ野郎だな。もういい。重要な取引先をなくしたんだから、減給は確実、ボーナスはゼロだと思ってろ』

はぁ? そもそもこのミスにおれは無関係だろ? あんたの差配じゃないのかよ!
流石に文句を言おうとしたら、向こうから接続が切られた。

「……はぁ」

なんだかもう無茶苦茶だ。減給? ボーナスなし? 意味わかんねえ。
成功したら俺の力。失敗したらお前のミス。って、そんなやつがなんで上の職にいるわけ?

「……って、そんなヤツだから出世するのか」

プロフィールだけみれば凄い経歴が並ぶわけだもんな。

「はぁ。死にたい気分だ。社に戻りたくない……」

ルーフを叩く雨の音が強くなる。俺は、車のエンジンをかけ、ワイパーのスイッチを入れた。
それと同時に、車のラジオから流れ始めた音楽が、突然とぎれる。

「ん?」

『速報です。アメリカで、とうとう、中深度ダンジョンが攻略されたそうです』
『おおー』

そのニュースにスタジオがどよめいている。どうやら、ブレイキングニュースが伝えられるらしい。

「中深度ダンジョンか。きっとなにか凄いアイテムがあったんだろうな」

ダンジョンが世界に現れてから、すでに三年。当初の混乱は収まり、ダンジョン探索も、少し危険な場所に行く釣り程度には浸透していた。
魔物を倒すというと、なんだかヤバそうな感じがするが、行為そのものは、釣りや狩りと大差ない。多かれ少なかれ、どちらにも命の危険はあるだろう。

俺もダンジョンにでも潜って、冒険ってやつでストレスを発散してみるかな。なんて考えながら、俺は車を発進させた。

このあたり――明治神宮外苑周辺――は、オリンピック関連の建築物も多く、今も大きな建物がいくつか建てられ始めているところだった。
雨は、幾分勢いを増して、車のルーフを叩く水の音が車内に響く。

『ダンジョンが広がってから三年目、ついにって感じですよね。本日はダンジョン研究家の吉田はるきさんをお迎えしています。吉田さん、よろしくお願いします』

吉田はるきね。
最近よく聞く名前だけど、研究家ってところがうさんくさいよな。ダンジョンランクもはっきりしないし。ちゃんと潜ってんのかね。

『よろしくお願いします』
『場所なんですが、エリア36。コロラド州デンバーのマウントエバンスにあるサミットレイクで発見された、通称エバンスダンジョンで、階層は31層だったそうです。いかがですか、吉田さん』
『二十層までの浅深度ダンジョンですら、踏破されたものは数えるほどしかありませんから、これは快挙といえるでしょう』

『なるほどー。ところで、中深度ダンジョンと言うのは、どういったものなんですか?』
『はい。いままで発見されているダンジョンは、全世界で大体八十個くらいなんですが、それらを、便宜上、浅深度/中深度/深深度の三つに分類しています』
『大深度というのは聞いたことがありますが、そうではないんですね』
『はい。国土交通省用語の大深度地下は、それまでの地下利用に関する概念なので、ダンジョンの分類に向きませんでした。そのため、誤解の生じないよう新しい概念が作られたのです』
『なるほど』
『それらは階層数で定義されていて、21層未満を浅深度、80層未満を中深度、それ以上を深深度ダンジョンと言っています』

噂では各国の軍が潜った結果、小火器が役に立たなくなる境界で決められた、なんて話もあるけどな。

『では、エバンスダンジョンは中深度と言っても、それほど深いものではないんですね』
『いえ、あくまでも便宜上の分類ですから、それもはっきりとしたことは言えないのです。そもそも定義通りの深深度ダンジョンは、まだ確認されていません』
『どういうことですか?』

『例えば東京ですと、自衛隊の対策部隊が、代々木ダンジョンの21層に到達しています。ですから代々木は中深度以上なのは確実なのですが――』
『実際の階層数は、降りてみないことにはわからない、と?』
『そうです。実際に降りてみて21層以上があれば中深度ということはわかりますが、そもそもそこまで攻略が進んでいるダンジョンがそれほど多くありません。まして八十層ともなると、誰も到達したことがないため、その階層が存在するのかどうかもわかりません』
『なるほど。そうすると実はダンジョンは31層までしかないということも?』
『誰かが32層に到達するまで、可能性としてはあり得ます』

『しかし、国内のダンジョンは、浅深度が五、それ以上が四と発表されています。これはなぜわかるのです?』
『それはあくまでも推定です。現在ではダンジョンができるときに発生する、ダンジョン震と呼ばれる特殊な揺れを観測することで、そのダンジョンが占めている地下の深さ――JDA日本ダンジョン協会ではダンジョン深度と呼んでメートルで表記されます――を推定することができるようになっています』
『それは凄い』

『地震大国だった日本では、ダンジョンが現れた当時からハイネットやジオネットがすでに整備されていましたから、それらの記録と突き合わせることで、既知のダンジョンでおおまかなところが推定されています』
『ただ、ダンジョンの中というのは不思議な空間になっているそうで、占有している深さと階層数の間に厳密な関連があるのかどうかも、実はわかっていません。占有されている領域が深ければ、階層も多いんじゃないか程度の認識ですね』
『そうだったんですね』
『そこで得られたダンジョン深度と、国内で踏破されたふたつの浅深度ダンジョンの階層を比較して、他のダンジョンの階層数を推定したものが、先に仰られた推定になっているわけです』

『よくわかりました。ところで、エバンスダンジョンの最下層では、なんでもいくつかのスキルオーブがドロップしたそうですよ。内容は残念ながら発表されていませんが』
『ダンジョンから得られる産物の中では、一番分かり易い夢のアイテムですからね』

「スキルオーブか……」

ダンジョンが現れたとき、世界は大騒ぎになった。何しろ中にはファンタジーの世界さながらのモンスターが徘徊していたのだから。
しかし、それだけなら、人間の社会にとって、危険な肉食獣が潜むタイガや熱帯雨林のような場所がわずかに増えただけに過ぎない。

真に世界を震撼させたのは、そこから得られた三つのアイテム――カードとポーションとスキルオーブだった。

最初に発見されたダンジョンカード――通称Dカードは、そのオーバーテクノロジーさで、科学者界隈を賑わした。

とはいえ、直接俺たちの生活に対して、大きなインパクトがあったわけではない。
魔物を初めて倒したとき、その人間の名前やいろいろな情報が書かれたカードがドロップした――
現象としては、単にそれだけのことに過ぎなかったからだ。
今でも、エクスプローラのスキル確認程度にしか使われていないが、当時はさらに不思議なものだという印象しかなかった。

裏面上部に小さく刻まれた十四文字の文字列に使われている奇妙な文字が、文献学界隈で少しだけ話題になったが、解読など出来るはずもなく文字の種類だけが収集された。
その文字列が、後に、ザ・リングから見つかった、表示が変化するタブレット状の板の表面に書かれていた文字列と一致することが分かったとき、再び世間の話題に上った程度だった。

だが次に発見されたポーションは違う。

初めてドロップしたポーションは、下半身を切断されて瀕死だった軍人の上にドロップし、偶然使われたことで世界にセンセーションを巻き起こした。
その効果は現代医学をあざ笑うかのように、彼の下半身を接続し、絶対に避けられないはずの「死」そのものから生還させた。

その事実だけで、政府や軍はおろか、世界の名だたる企業が率先してダンジョンに人を送り込み始めたのだ。
以降発見された様々なアイテムによって、ダンジョンは特殊な資源の鉱山のような存在として認知されていった。

そんな中、最初のスキルオーブが発見される。
一言で言うとそれは、人類を次の位階に導くような、そんなアイテムだった。

それを使用した人物は、なんと、魔法が使えるようになったのだ。

空想の世界を現実にする。それがスキルオーブだった。
現在ではそれが遺伝するのかどうかが真剣に議論されている。
最先端にいる軍人などは、探索前に遺伝子マップを登録しているらしい。オーブ使用後と比較するためだろう。

もし、最初のオーブ使用者が、その後すぐに子供を作っていれば、そろそろその子が生まれるはずだが、そんなニュースは報じられていない。
あまり民主的ではない国では、人工授精で量産しているという噂もあった。

いずれにしろ、そんなアイテムが出回って、しかも犯罪などに利用されたりしたら、世界の秩序は崩壊しかねない。
それを恐れた執政者たちは、迅速に│世界ダンジョン協会《WDA》を立ち上げて、ダンジョン産のアイテムを管理しようとした。

しかし、結局、スキルオーブ自体は、管理することができなかった。

最初に各地から集められたスキルオーブが、厳重に保管されていたにもかかわらず、その倉庫から消え失せるという事件が発生したのだ。

職員の横流しや不正が疑われたが、数が少ないとはいえ、世界中で断続的に起こったそれは、全てを人為的な行為に帰するのは難しかった。
そうして観察の結果、スキルオーブはこの世に現れてから、きっかり二十三時間五十六分四秒で消滅することが確認されることになる。
それは、現場以外での流通が、極めて難しいことを意味していた。

法的にもスキルオーブの取り扱いは紛糾した。
稀少すぎて経済的価値がまるで定まっていない上、二十四時間後には必ずゼロになる。そういうスキルオーブを、単体で財産と呼ぶかどうかは議論の分かれるところだったのだ。
さまざまな解釈が試みられたが、現在では、スキルオーブは支配可能性が不完全であるため動産にあたらず、その無償使用は贈与や譲渡とはみなされないというところに落ち着いている。

仮にスキルオーブを有体物とみなしたところで、全てのスキルオーブは天然物、つまり所有者のいない動産だ。
Aがそれを手に入れたとしても、その所有を主張しなければ、所有者のない動産のままなのだ。それをBに渡したところで、所有者のない動産を渡しただけであって、Aは単に、動産を物理的に移動させるための手段に過ぎない。
どんなルートを通ったとしても、中間にいた人達が全員所有を宣言しなければ、最終的に使用した者の所有と見なすしかないわけだ。

もちろんその中間で売買が発生した場合は、ダンジョン税が課せられる。

そうして世界はスキルオーブの管理に失敗したが、結局、世界の秩序は崩壊しなかった。

スキルオーブの数は極めて少なかったし、管理者が把握していないオーブの使用者は更に少なかった。
もちろん、オーブの力を利用した犯罪は、犯罪として認識されず表に出てこなかっただけかも知れないが、そんな犯罪はオーブ出現以前から存在していただろうし、結果として何も変わったようには見えなかったのだ。

そんなオーブだが、カードを出現させていない人間には使用できなかった。オーブの恩恵を受けようと思えば、一度は魔物を倒す必要があるのだ。
その結果、弱い魔物を倒すツアーが頻繁に行われるようになった。

スキルオーブを得る確率がどんなに低かったとしても、チャンスが一日しかないのであれば、あらかじめ用意しておくにしくはない。
そう考える人は結構多かった。特に先進国では。

ダンジョンが出来た当初は、どの政府も後手後手の対応で混乱していたが、一年も経つうちには法や管理体制が整備され、各ダンジョンは政府とWDA世界ダンジョン協会によってなんとか管理できる状態になった。

「発見すれば一攫千金も夢じゃないとはいえ、あれは一般人には回ってこないよな」

ネットの中では、アイテムボックスが発見されたとか、転移魔法があるだとか、そんな噂が飛び交っていたが、オーブ使用者の情報は隠匿される傾向が強いし、信憑性は低かった。
もっとも、隠匿が法で決まっているわけではなく、本人が自分で公開するのだとしたら、それは自由だ。結果、少し不自由になったとしても、注目されることは確かだろう。

そうして、芸能界ではDg48なんてグループまでが生まれてきた。「推し」にスキルオーブを提供すると、そのスキルオーブが消える時間まで二人でデートまがいのことができるらしい。
節操がないといえばその通り、握手券商売もここまで来たかと揶揄されたが、これが図太く生きるということなのだろう。

「見習いたいよ、まったく。おっと」

信号が青に変わり、アクセルを開けて車をスタートさせたそのとき、道路からタイヤが離れるような感覚が腰に伝わってきて、車が弾むような動きをした。

「な、なんだこりゃ?!」

交差点を走っていた車が、あちこちでぶつかって跳ね返っている。

「や、やべっ!」

無理矢理ハンドルを切って、道路から、何かの工事現場へと突っ込んだところで、前輪を取られてスピンした。
深い地割れができていて、そこにタイヤを取られたようだ。こうなってしまっては、アクセルを戻して止まるのを待つしかない。

くるんときれいに一回転した車の横に、何か小さな影が現れてたような気がしたが、すでに車の挙動は制御の外だ。車の腹にドンという大きな音が響いた瞬間冷や汗が一気に吹き出した。そうして、鉄筋を大量に詰んだ大きなトレーラーにぶつかる寸前、車はようやく停止した。

「今の、まさか、子供じゃないよな……」

結構派手に当たっていたし、もしも巻き込んでいたとしたら、擦り傷程度ですむはずがない。会社のことと言い踏んだり蹴ったりだ。
俺は、いそいでドアを開けて、雨の中に飛び出すと、ぶつかったものを探した。
雨脚は更に強まっていて、水煙の中よく見えなかったが、少し先にあるトレーラーの側に黒い何かが倒れていた。

「おい、大丈夫か!」

慌てて、その影に駆け寄って、手をさしのべようとしたところで、それの異様さに気がついた。
映像では何度も見たことがあったが、生で見るのは初めてだ。それはどう見ても人ではなかった。

「ゴ、ゴブリン?」

そう呟いた俺の目の前で、ゴブリンらしきものは、黒い粒子に還元された。
そうしてそこには、くすんだ銀色をした、一枚のカードが残されていた。

、、、、、、
エリア12 / 芳村 圭吾
ランク 99,726,438
、、、、、、

ダンジョンカード――それは人が、初めて魔物を倒したとき必ずドロップするカードだ。

どうやって所有者の名前や記載されている内容を取得するのか、分からないことだらけのカードで、一時は稀少な金属ではと噂もされたが、結局ありふれた素材だったらしい。

エリアは、そのダンジョンカードが発現した場所を表している。
ダンジョンカードの情報から帰納的に推測された結果、西経110−120度辺りをエリア1として、以降、地球の自転方向に経度十度の幅で、エリア番号が増加していき、エリア36で一回りすると考えられていた。

ところが、近年カナダのポンド・インレットでイヌイットの男がエリア0のカードを取得したことにより、極圏がエリア0として設定されているのではないかと言われている。
いずれにしても東経139度台の東京は、エリア12の東の端っこにあたるわけだ。

「ランク 99,726,438 か」

ランクは倒した魔物から得た何か――便宜上ゲームに模して「経験値」と呼ばれていたが――で全人類を並べた順位と言われている。
俺は今初めてゴブリンを倒したから、世界中でゴブリン一匹よりも多く魔物を倒したことのある人が、九千九百万人以上いるってことだ。
人類の七十分の一がすでに魔物と接触しているってのは、多いんだか少ないんだかさっぱり分からない数字だ。
そんなことをぼんやり考えながら、俺は深く息を吐いて呟いた。

「なにはともあれ、子供じゃなくてよかった」

そのカードを拾って見ながら、俺は安心したように力を抜いて、後ろのトレーラーにもたれかかった。
交差点の方からは、混乱の声と煙が上がっている。どうやら、今のは大きな地震だったようだ。

「うちのアパート、大丈夫だったかな」

なにしろ築五十年は経とうかという二階建てのボロアパートだ。大きな地震で潰れたって全然おかしくない。
すでに全身はびしょ濡れだ。会社に戻っても着替えすらないし、一旦家に戻って――
そう考えたとき、ずるりと後ろに体が滑り、地面に尻餅をついた。

「いてっ! 何だ?」

そう言って振り返った俺の目には、後ろに向かって下がっていく鉄筋を満載したトレーラーの姿が映っていた。

「ええ?!」

それが下がっていく、その先には、先の地震でできたのか、大きく深い亀裂が広がっていた。
どうやら、きわどいバランスで止まっていたトレーラーに、俺が最後の一押しを加えたようだった。
幸いトレーラーはそのまま地割れに半分のまれて停止したが、積んであった大量の鉄筋――非常に太く長い――は、そのまま穴の中へと、すべり落ちていった。

「いや、これ、自然に、地割れに飲まれたんだよね? 俺関係ないよね? 弁償とか絶対無理――」

俺は冷や汗をかきながらそれを見ていた。
どうせ頭の天辺から足の先まで雨でぐしょぐしょなのだ。今更冷や汗くらいどうってことないさと我ながら訳の分からないことを考えていたが、いつまで経っても鉄筋がぶつかる音が聞こえてこなかった。

落ちたこと自体がなにかの間違いなんじゃ、と、地割れの脇をまわって近づいたとき、地の底から不気味な声のようなものが響いて来て、ぐらりと揺り返しが襲ってきた。

「なっ!」

そうして、体の中から何かに突き上げられるような感じが連続で起こり、それが終わると、目の前に虹色の綺麗な珠、オーブが現れた。
それを見た俺は、思わず頭の中で落下距離を計算して逃避した。直径四センチで、十メートルくらいの鉄が自由落下したとすると、丁度十五秒くらいは経っていたから。……千メートルは越えている。

「鉄筋が縦に落ちたんじゃ、それでも終端速度には到達しそうにないな」

意味もなくそう呟いた俺の目の前には、それでもオーブが浮かんでいた。


003 鳴瀬 美晴 JDA日本ダンジョン協会本部


「まいったな……これ、何て報告すれば良いんだろ?」

鳴瀬美晴は困っていた。

ここ、JDA、日本ダンジョン協会のダンジョン管理課監視セクションでは、日本におけるダンジョンの生成や攻略状況などを主に取り扱っている。
新しいダンジョンは、それほど頻繁ではないにしろ、エリア毎に年一つ程度の頻度で生まれると言われている。
もっとも日本のように全国規模で高精度の地震計が設置されているような国はほとんどないため、まだ見つかっていないダンジョンは多数あると推測されていた。

先もそれらしい反応があったのだが――

「起こったとおり、報告すればいいんだよ」
「ふ、ふうらいさん!」

顔を上げるとそこには、美晴の上司がいた。ふうらい かける、二十九歳。監視セクションの係長だ。
若くして額が後退しかかっている神経質そうな男だった。

「迷うようなことなら、なおさらだ。勝手な憶測を盛り込まれたりすると、混乱するだろう?」
「はあ」

確かにそれはその通りなのだが、この結果は――
そのまま報告したら正気を疑われそうな内容に、美晴は躊躇していた。

「なんだ、もったいつけるな。一体何がどうしたっていうんだ?」
「いえ、あの……じゃあ、計測通りに報告します!」
「だから、最初からそうしろと言ってるだろ」

もう、知るか。後のことは上司に押しつけよう。そう決めた美晴は、立て板に水のごとくしゃべり始めた。

「ひとよん:さんふたに、新国立競技場付近にダンジョンが発生したと思われる揺れをキャッチしました」
「代々木のすぐ側か?!」

代々木ダンジョンは、三年前、NHK放送センターと、代々木競技場の第2体育の間にできたダンジョンだ。

「直線で一キロくらい、ですかね?」
「そんな近くに? 規模は?」
「あー、えーっと……深深度です」
「なんだと?」
「計測が確かなら、深度は千四百メートル以上あります」
「千四百メートル?!」

代々木ダンジョンのダンジョン深度は二百八十メートルだ。そのざっと五倍。世界でも屈指の深度であることは間違いないだろう。

「まて、それなら大江戸線が大変なことになっているんじゃ……すぐに、関係各所に連絡を!」

都心部に発生するダンジョンは、地下のインフラを破壊する。三年前、代々木ダンジョンが生まれたとき、千代田線の代々木公園・原宿間が切断されて、大事故になりかけた。
今は平日午後の早い時間だ、そんな時間に、地下鉄の線路が突然無くなっていたりしたら、それは大惨事になるだろう。しかし――

「あ、いえ、青山門付近なので、おそらく無事でしょう」

ダンジョンが実際に占有している空間は、直径数メートルからせいぜいが十数メートルの円柱状をしていることは研究の結果明らかになっていた。
ダンジョン震は、その針が打ち込まれたときの衝撃で、消滅震は、針が抜けたときの衝撃であることがわかっている。
青山門からなら、大江戸線のルートまで二百メートル弱はある。計測が正しければ、どこにも被害は出ていないはずだ。

「とはいえ、報告は必要だ。入り口の封鎖も行わなければならないし、建設中の競技場への影響は避けられないな。オリンピック委員会へも――」
「待って下さい」
「なんだ?」

このクソ忙しい事態に、といういらつきを隠しもせずに、そう問われた。

「それが、その……もう、ないんです」
「なにが?」
「ですからダンジョンが」

上司は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていた。さっきデータを見たときの自分の顔もこんなんだったろうな、と思いながら、美晴は次に来る嵐に身構えていた。

「都内に現れた深深度ダンジョンが……」

上司はちらりと自分の腕時計を見た。

「一時間で消滅? って、何かの冗談か?」

冗談なら許さないぞという意志のこもった薄い笑いを浮かべながらそう言う上司を見ながら、やっぱりこうなったかと、美晴は肩を落とした。

「ですから報告を迷っていたわけです。とにかく、ひとよん:さんふたに新国立競技場青山門付近に発生した深深度ダンジョンは、ひとごう:ふたまる現在、すでに消滅しました。デンバーと非常によく似た消滅震も記録されています。発生のわずか数分後に」

デンバーでも最後のモンスターを倒したあと、全員が地上に帰還してしばらくすると消滅震が記録され、以降、そこには崩れた穴の痕跡のようなものだけが残されていたと報告されていた。
踏破された浅深度ダンジョンでも類似の現象が報告されている。

「誰かが、深深度ダンジョンを、現れて数分で攻略したって、そういいたいのか?」
「わかりません。わかりませんけど、都民の平和もオリンピックへのスケジュールも守られた。それでいいんじゃないでしょうか」

唖然とする上司に向かって、美晴はそれっぽい台詞をでっち上げ、それ以上話せることはないと頭を下げた。
報告を聞いた上司は、美晴に向かってまじめな顔をして聞いた。

「それで、課長になんて報告したらいいと思う?」


004 未登録スキルと世界1位


本日はここまで。

オーブを掴んでバッグに入れると、俺はすぐにその場を立ち去った。
なにしろトレーラが斜めに半分土に埋まっているのだ。穴はいつの間にか無くなっていたが、亀裂はトレーラーを飲み込んだまま残っていた。

すでに全身ぐしょぐしょだったし、スキルオーブをあちこち持ち歩くのも嫌だったから、すぐに会社に早退の連絡を入れた。
電話の向こうで、榎木課長が俺を罵倒していたが、はい、はい、と機械的に相づちを打って電話を切った。

そうして一時間後。俺は自分の部屋で、シャワーから出ると、年中ベッドの横に置いてある、コタツの前に腰掛けていた。

「さてさて、これ、いくらくらいになるんだろうな」

オーブに触れると、その名称が分かる。
その下にある謎の数字――オーブカウントと呼ばれていた――は、どうやら発見からの経過時間を表しているらしく、数値が1436になったあたりで消滅することがすでに知られていた。

「メイキング / 0074 ね。五月の王ってのは、なんか凄そうだな。農業関係かな?」

俺はノートパソコンを立ち上げると、日本ダンジョン協会のオーブ購入リストにアクセスして、メイキングと入力してみた。が、結果は「なし」だった。

オーブ購入リストは、さまざまな会社や組織や個人が、特定のオーブをいくらで購入したいという希望を記したリストで、発見者はそれに応募することで日本ダンジョン協会を介した取引が行われる。

なにしろ一日しか猶予がないのだ。
いつ発見されるのかもわからないし、普通の店のように並んでいる商品を選んで購入する、なんてことは不可能だった。もちろんオークションを行う時間もないため、購入希望者との直接対話による売買が普通だった。

「仕方ない。じゃ、どんな機能かだけでもチェックして――」

そう呟いた俺は、日本ダンジョン協会のスキルデータベースにアクセスして、メイキングを検索した。
が、検索結果はやはり「なし」だった。

「おいおい、未登録スキルなのか? これ」

日本ダンジョン協会のデータベースは当然世界ダンジョン協会に繋がっている。つまり世界中で今まで見つかったことがないスキルだってことだ。
機能がはっきりしない未登録スキルは、販売チャンネルがほぼない。何しろ値段が付けられないからだ。調べている時間や交渉する時間も当然、ない。

「まいったな……せっかく一攫千金をゲットして、会社も辞められると思ったのに」

俺はがっくりと肩を落として、明日の出社後に巻き込まれる面倒事を想像した。
あまりの鬱な想像に、おもわず頭を左右に振って、お湯を沸かすために台所へと立った。
コンロにヤカンをかけながら、気分を変えようと、少し良いお茶を戸棚から取り出した。

「星野村の玉露は、最高ですってね」

少し沸騰させた後、コンロから下ろして、お湯の温度が下がるのを待っているあいだ、もう一度机の上のオーブに目をやった。

「やっぱり自分で使うしか、ないか」

やめの玉露を丁寧に入れて、カップに注いでコタツまで持って行くと、まずはそれを一口飲んだ。

「ん? なんかいつもより旨味が強く感じるけど……なんかしたっけ?」

ま、うまいのならいいか、と特に深く考えず、オーブを手にとった。

「やっぱりここはお約束だよな」

俺はそう呟くと、小さく叫びながらオーブを使った。

「おれは人間を辞めるぞ!」

それは不思議な感覚だった。何かが体にしみ通ってくるような、体が一度バラバラにされて、再構成されていくような――気味は悪かったが気分は悪くなかった。

「ん……」

俺は、目を開くと、手を握ったり開いたりしながら、その感触を確かめた。
特に何かが変わった、といった感じはしない。

世界が劇的に変わって見えるかもと考えていた俺は、少し落胆した。

「ま、Hと同じで、経験してしまえば、どってことないのかもな。……スキルってどうやって使うんだ?」

困ったときのインターネットだ。
スキルを使ったヤツの体験談を検索した。もちろんそれが、嘘かホントかは判断のしようがないが。

「なんだかなぁ。どれを読んでも、要約すれば『なんとなくわかる』だよ。なんとなく。なんとなくねぇ……」

目を閉じたり、腕を組んだり、残った茶を飲んだりしたが、結果は――

「……さっぱりわからん」

だった。

もしかして、取得に失敗した? そう考えた俺は、Dカードのことを思い出した。
確か、Dカードには、取得スキルが記載されるはずだ。

「って、カード何処に置いたっけな。確か、はいてたズボンのポケットに……」

脱衣場のカゴからそれを取り出すと、ポケットをあさって、くすんだ銀色のカードを取り出した。

「お、あった、あった。さて、スキルはっと……」

、、、、、、
エリア 12 / 芳村 ランク 1
メイキング
、、、、、、

「お、ちゃんと追加されて……」

俺は余りのことに、カードを二度見直した。

「は?」

両方の目の目頭を、右手の親指と人差し指でもみほぐしたあと、もう一度カードを見ても結果は変わらなかった。

「ら、らんく、いち?」

そこにはランク1の文字が燦然と輝いていた。

「待て待て待て待て、九千九百万くらいだったろ、確か?!」

しかし何度見直したところで、1位は1位だ。
仮定通り、モンスターを倒して得た経験値による順位だとすると……

「鉄筋を落とした後、しばらくして聞こえてきた、あの不気味な声、か?」

それ以外に心当たりはない。
帰りの車で、いつの間にかなにかを轢いたりしていない限り。

俺はふと気がついて顔を上げた。

「1位って強いよな?」

ダンジョンがこの世界に登場してから、すでに三年。
軍の連中なら、最初からそこに潜らされていたはずだ。今は一般の探索者もいるけれど、おそらく上位の連中は大抵軍か警察関係だろう。
三年の経験をごぼう抜き?

とはいえ実感はまるでなかった。

「だけど、強くなったって感じは全然しないんだよな。別段、ドアノブをひねりつぶせるわけでもないし」

力一杯玄関のノブを握りしめてみたが、別になにも起こりはしなかった。

「なら、魔法か? ――って、あれはスキルだったっけ。関係なさそうだな……」

その日、俺は、いつまでもパソコンに向かって無駄な検索を繰り返していた。


005 同時通訳チャット ワールドランクリスト《World Dungeon Association ランクing List》


ランク エリア CC ネーム
1 12 *
2 22 RU Dmitrij
3 1 US Simon
4 14 CN Huang
5 1 US Mason
6 26 GB William
7 1 US Joshua
8 1 US Natalie
9 2 *
10 25 FR Victor
11 24 DE Edgar
12 26 GB Tobias
13 25 FR Thierry
14 24 IT Ettore
15 25 FR Quentin
16 24 DE Heinz
17 11 *
18 13 JP Iori
19 24 DE Gordon
...

US「を見たか?」
RU「ああ、ロシアの英雄、ドミトリー=ネルニコフが2位になってた。ワールドランクリスト公開以来初めてじゃないか?」
GB「で、トップのヤツは?」
US「それが、未登録らしい」
RU「は? キングサーモンか、キャンベルの魔女が首位?」
US「いや、エリア2の匿名が9位に、11の匿名が17位にいるから、それは違うはず」
DE「俺、1位が変わる前の順位と比べてみたんだけどさ」
GB「GJ」
DE「少なくとも200位までには、該当しそうなやつがいないんだ」
GB「は?」
FR「報告! トリプルまでに該当者なし」
US「おま、それどうやって調べたんだよ」
FR「いや、エリア12って、日本を除くとロシアにもインドネシアにも、大きな都市がないんだよ。せいぜいがオーストラリアのアデレードくらいでさ」
FR「日本だけは福岡から東京まで含まれているから人数も多いんだけど、早期に管理体制が確立した国だから、初期エクスプローラのほぼ全員が自衛隊関係で登録されているのさ」
FR「だから、エリア12の匿名エクスプローラって、トリプルまでにはほとんどいないんだよ。その人数を拾って追いかけたけど、変化がなかった」
US「まてまてまて。それじゃ、このMr.Xは、フォース以降の順位から突然現れたってことか?」
JP「まさにフォースの覚醒か?」
US「誰がうまいこと言えと。フィフス以降かもしれないだろ」
JP「いや、流石にそれは……」
FR「とりあえず、キャッシュが残っている範囲でずっと後ろまで追いかけてみるぜ」
GB「頑張れ」
DE「なにか大きなダンジョンの攻略でもあったのか?」
GB「最近じゃデンバーだろ」
US「あれは、サイモンチームの仕事だろ」
GB「じゃ、それについていった誰か」
US「バカ言え、そいつがフォース以降の領域から、一緒に行ったサイモン達を抜き去るのか? 無理があるにも程がある」
GB「じゃあ、こいつは何をやって、一気に首位に?」
US「…………」
DE「…………」
JP「…………」
RU「……誰にも知られてない、深い階層があるダンジョンを一人で攻略した、とか?」
GB「世界ダンジョン協会の管理が行き渡っている現在じゃそんなこと不可能だろ。大体一日で踏破したのでもない限り、順位は徐々に上がることになるし」
US「きっとクリプトン星の出身なんだよ」
DE「いや、M78星雲かもしれないぞ」
GB「ブルーウォーターを使うのか? それとも3分しか戦えない体なのか?」
JP「うちの国の文化に詳しいようで、涙が出るよ」
...
... 略
...
FR「Hi.シクススまで調べてみたよ」
US「乙」
... 略
GB「乙」
DE「結果は?」
FR「該当しそうな人物は……いなかった」
GB「100万人以内に、いない?」
FR「シクススになると急激に民間人が増えるから、最後の方はエリア12の未登録者の人数比較が主体になるんだ。だから絶対とは言えないけれど、これ以上詰めるのは無理」
DE「ミステリー?」
US「三年も経ってから突然彗星のごとく現れた無名の男、ってちょっと格好いいな」
GB「ポリコレ!」
FR「ポリコレ!」
US「ああ、はいはい。男→人物」
...
... 略


006 三好梓 9月28日 (金曜日)


「や、やべぇ……」

俺は駅から会社のビルまでの、短い距離を、必死で走っていた。
夕べ遅くまでネットの情報を漁っていたから、つい寝坊してしまったのだ。

「はぁはぁはぁ……」

どうにかこうにかギリギリでタイムカードを押した時、後ろから声をかけられた。

「芳村君」
「あ、榎木さん、おはようございます」

クール、クールだ。何もなかったかのようにスルーだ。

「キミ、ちょっと会議室まで来てくれるかな」
「あ、はい」

デスヨネー。

「先輩、なにかあったんですか?」

隣の席の三好が、心配そうに小声で聞いてきた。
三好梓、二十二歳。こいつは、うちの新人で、俺が新人教育係をやった関係で、結構懐いてくれている。
ナチュラルなグラデーションボブに纏めた小柄な可愛らしい系美人で、くるくる動く小動物が側にいる感じだ。
数学、特に数値解析方面が優秀で、開発部のホープ的な位置づけだが、ワインマニアな所だけが玉に瑕だ。

「榎木さん、昨日からぴりぴりしてて、誰も近づけない感じだったんですよ」
「昨日、誰かがミスった取引先へ、どういうわけか謝りに行かされて、何が何だか分からないうちに取引を打ち切られたと思ったら、榎木に俺のせいにされた」
「はい? 意味が分からないんですけど……」
「心配するな、俺にもわからん」
「……先輩。大丈夫なんですか?」
「さあ。それもわからん」

「おい、芳村!」

会議室から呼ぶ声が聞こえる。すでに君がとれてるくらいイラってるのか。

「おっと、呼んでるから行ってくる」
「あ、はい。なんていうか、頑張って下さいね」

なんだか微妙に応援されて、俺は会議室へと向かった。

、、、、、、、、、

「はぁ〜」

どさりと自分の席に腰掛けると、深いため息をついた。
もういつまでもいつまでもねちねちねちねちと、お前暇なのかよと思わず言いそうになったくらい午前中一杯陰険に罵倒された。
同じ事をいつまでも繰り返すくらいなら、さっさと仕事させたほうがマシなんじゃないの? と何度言いそうになったことか。
もう、やってらんねー。ホント辞めてやる。

「お疲れさまです」
「まったくだよ。大体俺は、本来研究/開発職だぞ。なんで営業みたいな真似までさせられているんだよ」
「まあまあ、先輩、ご飯に行きましょうよ」
「何はなくても腹は減るってか。……そうだな、いくか」


数分後、俺たちは、少し離れた場所にある、イタリアンに座っていた。
この店、少し高いが、その分会社の人間に会うことはほぼないし、聞かれたくない話をするときは丁度良いのだ。

「辞めるって……先輩の気が短すぎるんじゃないですか? 今回だって部長に嘆願しても良かったんじゃ……」

三好が、ストロッツアプレティをフォークで刺しながらそう言った。白ワインで煮た山羊のラグーソースだ。

「いや、もう榎木のケツをふく仕事はいやだ。限界だ」
「ケツをふくとか言わないでくださいよ」

三好が顔をしかめてそう言った。
確かにラグーソースはなんというか、そう言うものに似ていると言えば、言えなくもない気がしないでもない。

「わりっ」

俺は、カチョエペペをくるくるとフォークで巻き取りながら、そう言った。

「でも、もしもそれで辞めたら自己都合退職になっちゃいますから、失業保険が降りるの三ヶ月後ですよ?」
「いや、おまえ、28の社会人に三ヶ月分くらいの貯金は……あれ? あったかな?」
「知りませんよ」

三好が呆れたように言う。

「それより午後はどうするんです?」
「なんかもう面倒になっちゃったし、どうせ金曜だし、辞めるつもりだし、このまま帰っちゃおうかな」
「私物、どうするんです?」
「うーん。三好、纏めて俺んちまで持ってきてくれない?」
「ええ? どれが私物かわかりませんよ!」
「それもそうか。じゃあ、週明けにまとめて有給とって、退職届をたたきつけたら、ささっと纏めるか」

「先輩、本当に辞めちゃうんですか?」

三好がフォークを置いて上目遣いにそう言った。
ショートボブの片方がはらりと落ちて、ちょっとドキっとした。

「う。三好、そういう攻撃、何処で覚えたわけ?」
「ふっふっふ、女のたしなみですよ、たしなみ。でも先輩が辞めちゃうと、今のプロジェクトどうなるんですかねぇ……」

窓の外には、微かに葉が色づきかけた街路樹が風に吹かれて、ひっそりと秋の気配を漂わせ始めていた。

「さあ。榎木がなんとかするんじゃね?」
「絶対無理だと思います。ああ、無茶振りが来たら、私も辞めちゃおうかなぁ」
「おいおい、辞めるって、あてはあるのか?」
「大学の時の先輩が、ガッコの産学連携本部で医療計測系のベンチャー作ってまして。何度かそこに誘われたことがあるんです」
「……おまえ、なんでうちの会社にきたのさ」

今時、総合化学メーカーは割とじり貧だ。利益率もいまいちよろしくない。

そうこうしているうちに、セコンドの皿が運ばれてきた。今日は仔羊らしい。
ピンク色の肉がとても美味しそうだ。今の季節らしく、トランペットやジロールが添えてあった。

「私のことより先輩ですよ。会社を辞めて、どうされるんですか?」
「うーん。とりあえずダンジョンに潜ろうと思ってる」
「は?」

なんだよそのアホの子顔は。だがまあ、驚くよな。俺だって驚くと思う。

「知らない? ダンジョン」
「いや、知ってますけど……なんですかいきなり? 素材研究をやめて、素材をとりに行くってことですか? そんな人でしたっけ?」

まあ、ずっとコンピューター使う系の仕事ばっかりだったし、アクティブな感じはしないよな。
あ、でも三好にはちょっと自慢したい気がする。こいつなら黙っていてくれそうだし。

「失礼だな。三好、ダンジョンカードって知ってるか?」
「持ってますよ」
「へ?」
「大学の時に誘われて、何度か代々木に行きました。最初はカード取得ツアーでしたけど」
「なんで?」
「オーブのこともありますけど。まあファッションみたいなものですかね?」

ファッションでダンジョンとは、イマドキの大学生はどうなってんだ。

「ランクは?」
「さあ。よく覚えていませんけど。九千万台だったと思います」

「ふっふっふ。実は俺も持っている」
「まあ、そうでしょうね。でないとダンジョンへ行くなんて発想にならないでしょうし」

三好の持つペルスヴァルの9.47が、抵抗なく仔羊の肉に沈んでいく。
肉汁が一杯に詰まっているように見える、ピンク色をした切断面は、それを一滴もこぼすことなく、口元へ運ばれた。

「三好、ここから先は誰にも内緒だぞ? 喋らないと誓え」
「なにに誓うんです?」
「ん? そういわれればそうだな。あれ? 神さま?」
「そんなもんいませんし」
「まあいいか。とにかく内緒だ」

「このアニョーに誓います。食べかけの」
「なんだかいきなり安っぽくなった気がする」
「え、このランチセット結構しますよ。センパイノオゴリデスヨネ?」
「ああ、失業しようかって男にタカるとは、なんと心ない後輩だろう」
「ゴチニナリマース。で、なんなんですか?」
「アニェッロの誓いを忘れるなよ。因みにイタリア料理だからイタリア語にしてみました」

そう言うと、三好は少しふくれながら、呆れたように言った。

「先輩は、そういうところが女性にもてない原因だと思います」
「やかましいわ。ちっ、これを見て驚け!」

そういって俺は、三好の前に、自分のダンジョンカードをぱちりと音を立てて置いた。

「Dカードじゃないですか。一体なんだって言うんで……はいいいい?!!!」

三好は思わず声を上げて、慌ててまわりを見回した。
一瞬いくつかの席からこちらに視線が飛んできたが、すぐに興味を無くしたように食事に戻っていった。

「こ、これ、なんですか? 偽造カード?」

三好は、ぐっと体を乗り出して、小声で囁いた。

「あほか。そんなもの作ってどうすんだよ」
「えーっと、後輩を驚かせる?」
「しょぼい」
「だってこれ、ランク1って書いてありますよ?」
「凄かろ?」
「確かに先輩の名前が書いてありますし、カードも何となく本物っぽいですし……ちょっと待って下さい」

三好はスマホを取り出して、何処かにアクセスした。

「ほんとだ。ワールドランクリストの1位が、エリア12の匿名探索者になってる……」

そう言って、表示されたリストを見せてくれた。

「偽物だと思ったのかよ」
「いや、そりゃそうでしょ。だってブラックの星みたいな先輩の勤務スケジュールのどこにダンジョンへ行く暇があるって言うんですか?」
「ブラックの星ってな……まあ、そんな時間がなかったのは確かだけど」
「どんな卑怯なワザを……」
「いや、お前、俺をなんだと思ってるんだ」
「三年前から毎日業務で潜っている、軍のトップエンドを差し置いて1位ですよ? 卑怯なワザでも使わないと、絶対に無理だと思うんですけど」
「まあ、いろいろな。てか黙ってろよ」
「言ったって誰も信じてくれませんって」
「……そりゃそうか」

そう呟いたところで、ドルチェが運ばれてきた。
ここのスペシャリテになっている、モンブラン、いや、モンテ・ビアンコか。もちろん栗だ。
甘さはガッツリあるが、べたつかない。やはりスイーツにはある程度の甘さが必要だと思う。

「しかもスキルまでありますよ! まあ、1位なら当然か……で、メイキング? 五月の王って、なんだかジャガイモみたいですね。どんなスキルなんです?」
「しらん」
「は?」

三好は本日二度目のアホの子顔を晒した。

「三好、スキルってどうやって使うのか知ってるのか?」
「持ってないから知りませんよ」
「だよな」
「でも、使った人のブログは見たことがあります。えーっと確か……カードのスキル名を押さえて、その名前を吟じる、だったかな。慣れるまではそうやって発動の練習をするんだそうです」
「へえ。そうなのか。わかった。やってみる」
「やってみるって、使ったこと無いんですか?」
「ん? ああまあ。黙ってろよ」

俺はスキルについても念を押した。
三好は、それで1位って、1位って……とぶつぶつ言っていたが、まあいい。

俺はDカードのスキルを名を押さえると、小さな声で言われたとおりにやってみた。

「スキル名を押さえて吟じる、ね」

「メイキング」
「…………」

これ、なんだか厨二病みたいで、結構恥ずかしいな。

「なんだか十四歳の病みたいで、ちょっと照れますね」
「だー! お前が言うな!! 黙ってろ!」
「いや、先輩。効果が分からないスキルをこんなところで発動させて、攻撃魔法だったりしたらどうするつもりですか」

む、それはそうか。
とにかく試したくなるのは、研究職の良くないクセだな。いや、俺だけかもしれないが。

「確かに」
「でも、先輩が『メイキング』って呟くのったら……ぷぷっ」
「う、うるさいやい」

お前が教えてくれたんだろうが。

「だけど、それでダンジョンだったんですね。まあ1位ならべらぼうに稼げるでしょうけど」
「そうなの?」
「エリア2のキングサーモンさんなんて、自家用ジェットで世界中飛び回ってますよ」
「誰、それ?」
「先輩が1位になるまでは、唯一シングルの匿名探索者だった人です。現在ランク9位ですね」
「匿名なのに名前バレしてるのか?」
「このくらい上位になると、有名人ばかりですから。ランキングリストのエリア情報から身バレするんですよ」
「なるほど。この場合だとエリア2のトップエクスプローラだってことで、ばれるわけか」
「ですね」

ダンジョン産の流通可能な最重要アイテムはポーションだ。
しかし、軍産はほとんどが自家消費か、国家の戦略物資になるから一般に出回らない。
それらは大抵民間の探索者が提供することになり、彼らにはかなりの高額が支払われているらしかった。

俺もワンチャンあるかな?

「先輩、先輩。いまちょっとコメント欄も見たんですが、突然現れた1位なのに、エリア12には該当者がいないから、ネットの中は大騒ぎになってますよ」
「マジで? エリア12って有名人がいないの?」
「日本は日本ダンジョン協会の管理下に置かれた時期が早かったですから、勝手にダンジョンに突撃した人達がほぼいないんですよ。だからトップグループは全て自衛隊で占められていて、民間のエクスプローラは、ずーっと下がって、上位グループでもフォースくらいみたいです」
「千番台?」
「そうです。トリプル後半に時々ランクインするかどうかってところですね」
「ロシアやインドネシア、あとオーストラリアもあるだろ?」
「エリア12の日本以外の国は、場所的にあんまり人口がいないので」
「ははぁ……」

「先輩」

三好が突然改まって背筋を伸ばした。

「なんだ?」
「私が会社辞めたら、雇って下さい」
「はい?」
「だって、これから先輩はダンジョンに潜って生計を立てるんですよね?」
「まあ、たぶん。他にあてもないしな」
「だけど、有名になりたくないんでしょう?」

三好が薄く笑ってそう言った。こいつは俺のことを意外とよく見てるからなぁ。

「……まあ、そうだな」
「じゃあ、エージェントがいるじゃないですか」
「エージェント?」
「日本ダンジョン協会に知られることは仕方ないとして、取得物を自分で売るためには日本ダンジョン協会発行の商業ライセンスがいるんですよ」
「へー」
「で、それで売買すると、商業ライセンスから身バレします。これは避けられません」
「ああ、特定商取引に関する法律とかあるもんな」
「だから、私が商業ライセンスをとって、先輩の取得物を販売すれば――」
「ライセンスからたどれるのは、三好までってことか」
「ですです。敏腕マネージャ兼エージェント。しかしてその実態は!」
「実態は?」
「先輩に寄生してピンハネする気満々の近江商人です!」
「お前な……」

しかしこいつなら秘密は守ってくれそうだし、結構付き合いやすいし、良いアイデアかも知れないな。

「わかった。考えとく」
「先輩!」
「でもまだどうなるかわからないだろ。我慢できる間は退職するな。俺もすぐに活動できるってわけじゃないし。講習も受けなきゃいけないみたいだしな」

ダンジョンに出入りするには、探索者登録をして講習を受ける必要があるらしい。
そこで管理用の探索者カードが発行され、そのカードが探索者証となるということだった。
それってDカードの意味はなんなんだろう?

「……ちょっと待って下さい」

三好がエスプレッソのカップに指をかけたまま、不思議そうな顔をしてそう言った。

「ん?」
「なんでDカードを持っているのに、探索者登録がまだなんです?」
「……あー、野良ゴブリンを倒した、とか?」
「とかってなんですか、とかって。大体、野良ゴブリンってなんですか。そこらの路地裏をゴブリンが歩いていたら怖いですよ! 怪しい……」
「まあ、いいじゃん。そのうち話すよ。ほら、昼休みが終わっちまう」
「……約束ですからね」
「ああ」
「じゃ、ご馳走様でした!」

三好はそう言って、最後のマカロン――いや、バーチ・ディ・ダーマか――をぱくんと口に入れて、エスプレッソを飲み干した。


007 メイキング


「メイキング?」

ライディングウェアと言うには細すぎるレザーパンツを履いて、グリーンのハイネックニットを着たやせた男が、度の入っていないメガネのブリッジを右手の中指で上げながらそう言った。

「はい」

日本ダンジョン協会のスキルデータベースの管理チームは、常に検索ワードを収集している。
誰かが、日本であらたなスキルオーブを入手した場合、通常は日本ダンジョン協会のデータベースへ照合するからだ。

「また、適当な名前で検索したんじゃないの?」
「だと思うんですが、その一件しか検索されていないんです。そういう好奇心による検索だと普通はいくつか検索しませんか?」
「まあそうだな」
「やっぱ、会員制にして、探索者IDでログインさせた方がいいんじゃないですかね。IPと時間だけじゃ個人の特定も大変ですし」
「おいおい、怖いこと言うなぁ。個人の特定は法律的に微妙な所だからね」
「おっと、そうでした」
「一応、チェック対象スキルリストに掲載しておいてくれる。もし所有者がいたとしたら、Dカードのチェックでわかるでしょ。未知スキルの情報はできるだけ集めておく必要があるから」
「了解」

そうして、メイキングは、一般公開はされていない、監視対象スキルリストに掲載された。

、、、、、、、、、

三好との食事の後、しばらくして早退した俺は、近くの公園のベンチに座って、ずっとスキル名を吟じていた。

「メイキング」

いや、これ、やっぱり厨二病みたいで、恥ずかしいって。
なんか向こうを歩く人達がこっちを見てくすくす笑ってるような気がしてきた。

「くっそー……メイキング」

あー、うさんくさいって思われてるだろうなー。
子供でも遊んでいたりしたら、もう立派な不審者じゃないかな。幸いもう夜だし誰もいないけど。

「め、メイキング」

もう夜は寒いし、不届きなカップルもいない……と思いたい。
ぬぬぬ。雑音を払いたまへ、清めたまへ……

「メイキング」

世界の雑音をシャットアウトして、それを繰り返しているうちに、だんだん言葉の意味が飽和していき、その意味が失われていく。
そうして、真っ白な状態で、ただの音としてその言葉を呟いた、ような気がした。

「メイキング」

その瞬間、目の前に半透明のタブレットが展開した。

「ええ?!」

突然声を上げて立ち上がる、どう見ても不審者然とした俺に、近くを歩いていた女性が早足で駆け出した。
うっ、失礼な……とはいえ、これは。

展開したまま、公園を出て、繁華街に立ってみる。
特に誰にも気にされない。角を曲がるときコンビニのビルに表示が埋まっていくのを見る限り、これ、他人からは見えてないし、物理的に空間を占有していないのか。

俺はもう一度公園のベンチに戻ると、その表示を細かく調べ始めた、それは、まさに古いRPGのキャラ作成画面によく似ていた。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / SP 1200.03

HP 23.80
MP 23.80

力 9 (+)
生命力10 (+)
知力 13 (+)
俊敏 8 (+)
器用 11 (+)
運 9 (+)
、、、、、、

メイキングって、もしかして、making か! 誰だよ、May King とか言ったやつは!
てか、国語審議会様の基準なら、メーキングだろうが! はぁはぁはぁ。

閑話休題。
UI自体は、一般的なゲーム然としていて、それほど難解なところはなさそうだ。
試しに力の+を一回押してみる。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1199.03

HP 24.80 [23.80 → 24.80]
MP 23.80

力 10 (+) [9 → 10]
生命力 10 (+)
知力 13 (+)
俊敏 8 (+)
器用 11 (+)
運 9 (+)
、、、、、、

まあ、そうなるよな。
要は ステータスポイントを各ステータスに割り振って、結果としてHPとMPが何らかの計算式に基づいて増えていく、と、そういうわけだ。
ステータスポイント、ステータスポイントはたぶん魔物を倒したら手にはいるのだろう。ランキングのベースはこの値なのかもな。
マイナスボタンがないので、一度割り振ったらそれで終了か。

これで強くなると言う理屈はわかるけれど、じゃあ、メイキングのない人達は一体どうなっているんだろう?
全員にこの画面があるとは思えない。もしそうなら、ステータス画面自体がよく知られているはずだし、各パラメータの検証が出回っているはずだ。

ま、考えても結論が出ないことはとりあえず横に置いておいて、後は、各値の関係がどうなっているのかの検証だな。
特に危険なスキルってわけでもなさそうだし、あとは自宅でやるか。ちょっと楽しくなってきたぞ。

、、、、、、、、、

思考するときは手書き派だ。
俺は自宅に帰り、シャワーを浴びて、途中で買った明太子のおにぎりを囓りながら検証を進めた。
そうして、今、無意識にシャーペンでソニックを決めながら、自分の書いた表を眺めている。

鼻息荒く検証に臨んだ割に、それはものすごく単純な構造をしていた。

各パラメータ毎に、HP、MPに加えるための値を算出する係数が存在していて、それをかけてHPやMPに加えるだけ。
実験から帰納的に得られた係数は次の通りだった。表の左側がHP係数で、右側がMP係数だ。

力 1.0 0.0
生命力 1.4 0.0
知力 0.0 1.6
俊敏 0.1 0.1
器用 0.0 0.2
運 0.0 0.0

調査終了後、俺のパラメータはこうなっている。
俊敏以外は、変化がない部分があったので、つい5回も押しちゃったぜ。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1173.03

HP 36.00
MP 33.00

力 14 (+)
生命力 15 (+)
知力 18 (+)
俊敏 10 (+)
器用 16 (+)
運 14 (+)
、、、、、、

「しかし、これって、人間の能力の数値化だよな……」

もし、元の力が9の俺が、力を90にしたら、力は十倍になるのかな?
うわー、パンチ力とか測定しながら力を一ずつ上げていきてぇ!(←研究者の性)

もし、生理学的な計測とかまでやったら、ダンジョンによって強化されるパラメータが計れたりしないかな?
しかし、そんな設備……まてよ? そういえば三好が……

『大学の時の先輩が、ガッコの産学連携本部で医療計測系のベンチャー作ってまして。一度そこに誘われたことがあるんです』

丁度明日は土曜日だった。まだ22時前だ。俺はその場で三好に電話していた。

、、、、、、、、、

「こんちはー」
「よう。よくきたな」

翌朝九時に三好が俺の家のドアを叩いた。
会社ではあまりみない、可愛らしい恰好だ。

「先輩、良いところにお住まいですね」
「場所だけはな。建物は、築五十年オーバーのボロアパートだ」
「むしろこの場所にそんなアパートが残っていたことのほうが驚きです」

このアパートは、代々木八幡よりの元代々木に建っている。
確かに場所だけは悪くなかった。

「今日はどうした? 可愛い恰好じゃん」
「え? だって、モリーユでご馳走してくれるんでしょう?」
「そんなこと言ったか?!」
「モリーユでご馳走してくれるなら行きますって言ったら、どこでもいいからすぐ来いっていいましたー。一応星付きだし、ちゃんとした恰好をしてきました」
「おう。そんなことを……俺のバカ」

モリーユは近所にあるフレンチで、フランスで修行してきたシェフが八幡で開いた、キノコ大好きなお店だ。
そういえば、そろそろキノコのブイヨンが美味しくなる季節だな。乾燥ものの独特の風味も悪くはないが、生のものはまた格別なのだ。もっとも、今の安月給では、そんなに頻繁にはいけないわけだが。

「わかったよ……」

俺は仕方なく当日予約のメールを書いた。満席であることを祈りつつ。

「やったー。それで、メイキングの謎が解けたんですって?」
「ああ、まあな。で、これなんだけどな」

寝室のコタツの上に散らばっているメモ書きを、三好が集めて眺めていた。
床に座ると、スカートしわになるぞ。

「先輩。これってもしかして、人間の能力の数値化ですか?」
「まあ、そうなのかな。ダンジョンで強化されるパラメータの値」
「メイキングって、パラメータを数値化するスキルなんですか?!」

驚いたように三好が詰めよってくる。何をそんなに興奮してるんだ?

「ま、まあ、本来そう言う使い方をするものじゃなさそうだけどな。ちょっと面白そうだったから」
「面白そうって……先輩、これって国家機密レベルの話じゃないですか?」
「なんだよいきなり。計算式自体は凄く単純だぞ? 中学生レベルだ」

はぁ……とわざとらしく三好がため息をつく。

「先輩。それは数値を量れるスキルがあってこそ、でしょ?」

それは確かにそのとおりだ。数値化されていない状態で調べようとしても、まったく分からなかった自信がある。

「それに、この係数系の概念は、スキルオーブ界に変革を起こしますよ」
「なにそれ?」
「昨日連絡を貰ってから、オーブについて詳しく調べてみたんですよ」

そういって、三好は持ってきたバッグからモバイルノートを取り出すと、日本ダンジョン協会のデータベースを呼びだした。
世の中はタブレットだが、俺たちの仕事はノートのほうが圧倒的に効率がいい。ふたりともモバイルノートの愛好者だ。
三好はタブレットもバリバリ使うけどね。

どうやら、オーブの中には、効果のよく分からないものが結構あるらしい。
実際に使ってみても、いまひとつ実感がわかなくて、スキルも増えたりしないものだ。それらはハズレオーブと言われていた。
その中のひとつに、xHP+系と呼ばれるオーブ群があった。

「でもこの概念があればわかるんです。例えばこの――」

三好がデータベースの検索結果を指さした。

「俊敏xHP+1 とか、俊敏xHP+2 ってのは――」
「俊敏のHP補正係数を増加させるのか」
「検証してみなければわかりませんけど、もし、+1で、先輩の言う係数が0.1増えるとしたら……」
「普通の人の俊敏では、HPが1か2増えるだけだから実感として気がつかない」
「そういうことです。数値化って凄いですよね」

いや、でもパラメータが伸びてきたら全然違うことになるんじゃないのか? 0.1 と 0.2 じゃ二倍だぞ?

「それでですね。重要なポイントは、このハズレオーブ群って、安いんですよ」

表示を見ると、大体が数十万円ってところだった。それでも充分高いのは、オーブの希少性というやつだろう。
将来に備えて、今のうちに独占使用しておくって手はあるか。お金があれば、だけどな。

「もちろんどのみち保存できませんから、在庫があるわけでもないですし。単に知られると価値が上がるってだけですけどね」

そう言って、三好はデータベースからログオフした。そうして俺の書いたメモを指さしながら、ぼそりと呟いた。

「それにこれ、計測できたらものすごくお金になりますよ」

俺もそう思う。
各国の政府機関や民間の法人は確実に、フリーのダンジョンエクスプローラだって、かなりの人数が購入するだろう。

「さすがは近江商人。実は三好を呼んだのはそのことなんだ」
「ほほう。詳しく聞きましょう」

「お前さ、昨日、大学のベンチャーで医療計測系の会社の偉い人に知り合いがいるとか言ってたろ?」
「はい、鳴瀬 翠さんっていう、研究室で可愛がっていただいた先輩が作った会社なんです」

「で、だな。俺のメイキングは、ステータスに値を割り振ることが出来る、というのが本来の能力なんだ」
「え? キャラメイクできるってことですか?!」
「まあそうだ」
「信じられませんが、それなら一個人の情報とはいえ、すでに計測対象は存在しているわけですよね? じゃあ、あとはそれに合うようにセンサーを選んだり、数値を調整するだけで計測の基盤がでそろう?」
「まあな。だが、そもそも何を測定すればいいのかすらわからんのだ。そこで――」
「翠先輩のところの計測機器で総合的に計測して、各パラメータを後付けで推論するってことですか」
「どうだ」
「どうだって言われても。面白そうですけど、生理的な値は、体調や個人差で結構な幅がありますよ?」
「そこらへんの補正は、三好の専門だろ」

こいつは、数値解析の専門家だ。

「そうですけど……結局、先輩のパラメータを一上げる毎に、いろんな検査をやって数値を集めて、後で付き合わせて何か違うか確認しようってことでしょう?」
「まあそうだな」
「例えば、本当にパラメータによって生理的な変化が起こると仮定しますと、例えば、力が一上がって、計測可能なレベルで血中の何かの濃度が変化したりしたら、百もあがればホメオスタシスがブッこわれて死んじゃいませんか?」

ダンジョン探索の最先端にいる軍人達が、異常に筋肉ムキムキになったりしていないことは確かだ。
もし筋肉量がそれほど増えていないのに力が倍になったりするのなら、何かの生理的な変化が起こっている可能性は充分にある。
だから、三好が心配しているような問題が起きる可能性は確かにある。

「そこは少しずつやるから。あまりに変化が激しいなら、しばらく置いてもいいしな」
「まあそれなら連絡はしてみますが……先輩、スキルのことは内緒ですよね?」
「できれば」
「断続的に、総合的な検査をするなんて、何て説明しましょうかね」
「うーん。新開発のクスリの検査とか」
「治験の許可も取らずにいきなり臨床試験なんかやったら、手が後ろに回りますよ」
「なにか特殊なアイテムの検査で、人体への影響を把握したい、とかかな?」
「それだと相手先に大きなメリットがないですから、検査費は取られるとおもいますよ。例えば計測器の共同開発なんてところまで行けば別でしょうけど」
「今の段階でそれをするとスキルの説明が必要になる、か」

そもそも、まだ計測できるかどうかすらわからないから、共同開発もくそもないんだけどな。

「ま、それは先の話だ。何にも変わらないなんて結果が出るかも知れないし」
「まあそうですね。一応翠先輩には連絡してみます」

そう言って、三好は、メールを書いて送信していた。相変わらずフットワークの軽いヤツだ。

「――それで、もしうまくいったらな」
「はい?」
「いや、その計測器とかがものになりそうだったらさ、三好が売りだせばいいさ。特許を取得すれば結構稼げそうだろ」
「そうですね。そのときは先輩と一緒に登録しておきます。でもこれ、検証はそうとう揉めるとおもいますよ。なにしろベースになる理論がオープンにできませんから」
「外部から見たらあくまでも帰納的な結果として存在する製品だもんなぁ」
「温度計とかもそんな感じですし、自然科学はほとんどが観察の結果帰納的に作られたようなものですから、最終的には受け入れられるとおもいますけど」
「だといいな」

「それより先輩! もうお昼ですよ、お昼! どっか行きましょう」
「お、お手柔らかにな。モリーユ当日予約通っちゃったし」

俺の端末には、予約OKのメールが到着していて、財布のピンチを象徴するかのように点滅していた。


008 講習会 9月30日 (日曜日)


翌、日曜日の朝は、夕べの俺の財布を暗示するかのような冷たい雨が降っていた。
傘を開いて市ヶ谷駅を出ようとすると、誰かが俺の肩を叩いた。

「先輩!」

そこには三好が、にっこり笑って立っていた。

「で、お前は何でここにいるわけ?」
「だって、先輩が、今日講習を受けるって言うから、私も一応受け直しておこうかなって」
「なんでだよ」
「先輩のエージェントを拝命したからには、昨日のトランペットとシャントレルとジロールくらいのお返しはしなくちゃと」
「キノコだけに奮起《フンギ》するって?」
「うわー、オヤジギャグですね! あ、痛っ。叩かないで下さいよー。じゃあメヒカリの分も頑張ります! ほくほくで美味しかったですよね。フレンチのシェフって、なんでみんなフライ巧いんですかね?」
「そう言えばそうだな。なんでだろ?」

なんてテキトーなことを言い合いながら市ヶ谷橋を渡って左折すると、遠目に日本ダンジョン協会本部が見えてくる。

「いつみても変なビルですよね、あれ」

三好が、透明な傘ごしに日本ダンジョン協会の本部を見上げながら、小首をかしげて失礼なことを言った。

日本ダンジョン協会は、市ヶ谷にある自衛隊東京地方協力本部との連係を考えて、住友市ヶ谷ビルを買い上げて利用していた。
いろいろとリフォームはされたらしいが、あの変な、もとへ、個性的な形はそのままなのだった。
市ヶ谷駅から靖国通り沿いに歩いて見上げるその勇姿は、あたかもメカデザイナーがやっつけでデザインした、船か何かに変形するロボットの艦橋部分といった様相を呈している。

「そういえば、あれからみどり先輩の返事が来たんです」
「へぇ、なんだって?」
「一応、全検査医療カプセルの開発は一段落していて、実働させることはできるそうなんですけど」
「ど?」
「検査概要を提出したら、検査一回で二百万くらいかかるって」
「高っ! パラメータ六種に対して、各二ずつアップで五回計測したら……六千万かよっ!」
「そんなお金、逆さに振ってもでませんよ」
「銀行は……って、貸してくれるわけないか」
「共同開発にはしたくないですよね?」
「ん? いや、別にそんなことはないけれど、今の状態じゃ、単に俺の能力が相手の開発に使われるだけになっちゃうだろうからなぁ。そこは対等になるためにもソフトウェアの利権は握りたいだろ?」
「まあそうですよね。はぁ……儲かりそうな予感がしたんだけどなー」

確かに能力の数値化は儲かると思う。
ステータスオープンとか叫んでみたいやつは、一杯いるに違いないし。
しかし、カネ、カネか……

「どうしました?」
「あ、いや、その話は一応保留にしておいてくれ」
「それは大丈夫だと思いますが」

三好はきょとんとしていた。

「いや、三好も言ってたろ? もしかして、ダンジョンで稼げるかも知れないじゃないか」
「短期間で六千万も稼げるなら、余計なことをしないでそれに集中した方がいいと思いますけど」
「そこはそれ、研究者にとってのロマンってやつがあるだろ?」
「まあ、それはわかりますけど」

ロマンじゃ飯は食えませんからねぇと苦笑し合った俺たちは、そのままロボットに乗り込むと、すぐに受付へと向かった。

「すみません。ダンジョンライセンスの申し込みに来たのですが」
「はい。もうすぐ午前の部が始まりますので、この申込書に記入した後、そのまま2層の大会議室で講習を受けていただくことが可能です」
「それでライセンスが発行されるのですか?」
「民間の方でしたら、講習の後、書類上の審査がありますが、問題なければ後日世界ダンジョン協会ライセンスカードが郵送されます」
「審査というのは?」
「はい。オーブのことがありますから犯罪歴があると審査に通らない可能性があります。あとは年齢や持病の有無ですが、特になにもなければ大丈夫ですよ」
「Dカードの呈示はなしですか?」
「はい。通常、申し込み時点では、Dカードをお持ちでない方のほうが多いですから」
「なるほど」

それは大変好都合。

「もし国外等ですでにDカードを取得されている場合は、呈示することで上位ランクのカードを発行することができます」

世界ダンジョン協会ライセンスは、設立過程で担当者の誰かが暴走したらしく、Dカードのランクとは別に、貢献度に応じてランク分けされていた。
初心者はGからスタートで、Aの上にSがあるらしい。ゲームで育った世代が現場の上にも下にも行き渡った現代ならではだ。
ランクは武器や防具の購入制限や、特殊なダンジョンの入場制限、それに企業がエクスプローラを雇う場合の、支払いの目安などに使われている。

「あとは取得したライセンスカードの呈示で、各地のパブリックなダンジョンへは出入りできます」
「Dカードは?」
「実力を計るためには便利ですが、人の管理という意味ではあまり役に立たないのです。なにしろ成り立ちも動作もよくわかっていませんから」
「ではDカードを呈示する必要があることって、あまりないんですか?」
「そうですね。パーティ募集で、ランキングやスキルの証明に使うくらいでしょうか」
「よくわかりました。ありがとうございます」

、、、、、、、、、

講習は、手続きやダンジョンに入る方法、それに装備などの概要を実際に即してわかりやすく解説するものだった。
その後、ガイドを見ながらのフリー質問タイムが取られていた。

「ダンジョンって、入るのにお金っていらないんだ」

俺たちの前に座っていた、現代風の可愛い系美人が、ガイドを見ながらそういった。

「その代わり、ダンジョン産アイテムには十%の日本ダンジョン協会管理費がかかるみたいだよ。あと、ダンジョン税が十%」

もう一人の少しボーイッシュなところのあるすらっとした正統派美人が実際にかかるお金について説明する。
どうやら二人で来ているようだ。

「二割も持ってく〜?」
「何いってんの、公営ギャンブルだと思えば、少しはお得でしょ」

うんまあ、競輪・競艇は二十五%。競馬も平均すればそのくらいだしね。テラ銭。

「ギャンブル扱いなの? まあ、あんま変わらないか」
「そうね。掛け金は自分の命だけど」

それを聞いて、三好が思わず吹き出した。
それを聞いて、前のふたりが思わず振り返る。

「ごめんなさい。あんまり格好良くて似合ってたから」

二人は顔を見合わせると、もう一度三好の方を見た。

「ばかにしてる?」
「とんでもない。おもわず『命は誰もが持っている武器だが、惜しがれば武器にはならんよ』って突っ込みそうになって、我慢したら吹き出しちゃったの」

ボーイッシュな方が、ふと顔を緩めると「チャールズ・ゴードン?」って聞いた。

「まあね。だけどそれじゃみんな死んじゃうか」

三好と彼女は笑顔を見せたが、俺と可愛い方はちんぷんかんぷんだ。

「なになに? 全然分かんないんだけど?」
「はいはーい。俺も分かりません」

「マフディー戦争を題材にした映画の台詞よ。私は御劔。あなたは?」
「うわ。名前までカッコイイし。私は三好。で、こっちの男性が芳村。よろしくね」
「斎藤でーす。日曜日の講習に二人で来てるんですか? デートにダンジョンって、センス酷くない?」

可愛い方が興味津々で俺たちを見比べる。

「いや、会社の同僚だし。別にダンジョンデートの準備じゃないから」

キミらの関係の方がよっぽど聞きたいよ、と思いながら俺は顔の前で手を振った。

「会社って。じゃあ、どこか大手のダンジョン関連部署の尖兵さん?」

せ、尖兵?

「いや、ただの研究職」
「なーんだ」
「なんだってことないでしょ。研究職の人ならダンジョンについてきっと詳しいよ?」

斎藤さんがつまらなそうにそう言うと、御劔さんがフォローしてくれた。

「そっか。じゃあ、今度ダンジョンについて教えて下さいね!」
「はいはい」

あざとく小首をかしげる斎藤さんに適当な返事をすると、そのまましばらく笑顔で固まっていた。

「…………」
「?」

「はるちゃん。私、魅力無かった?」

斎藤さんが御劔さんに問いかける。はるナントカって名前なのか。
御劔さんは額に手を当てて首を横に振った。

「いや、今のは相手が悪いかな」

悪いって、俺?

「えーっと、何の話?」
「あそこで普通男の人は、名刺とかくれません?」

斎藤さんがぷくっとふくれて、そう言った。

え、そういうもんなの? そんなルールがあるわけ??
助けを求めるように三好に視線を送ると、曖昧な顔で返された。あれは「知らんがな」のサインだ。

「まあまあ、そういう朴念仁もいるんだって。昔はKYと呼んでたって、うちの爺ちゃんが言ってた」
「誰がKYだ、誰が。てか朴念仁の方が古そうだけど」
「流行はすぐに劣化して、ものすごく過去に見えるようになるから」
「はあ」

お、そろそろフリーな質問タイムも終了かな。
講師が立ち上がって、シメの挨拶を始めた。
前の席の二人も、目で挨拶した後、前を向いて座り直した。

そうして、雨の講習会は終了した。

、、、、、、、、、

「先輩、お昼食べて帰ります?」

びくっ。デンジャラスタイムがやってきた、のか?

「そうだな。でも昨日の今日だからなぁ……」
「じゃあ、あっさりと、ラーメンなんかいかがです?」
「ラーメンのどこらへんがあっさりなのか、俺には理解できんが、それだと塩か? この辺で塩って言ったら、ドゥエイタか?」

ドゥエイタは、ラーメンの形をしたイタリアンを食べさせるお店で、モツァレラチーズが浮いてたり、トマトで埋まってたりする変なお店だ。

「いえ、もっと中華なそばーって感じ、キボーです」
「じゃ、ニボシでスッキリ、大ヨシか」

大ヨシは、市ヶ谷田町にある、ふつーの中華そば屋さん(ラーメン屋ではない)。
人気ラーメン店のセカンドブランドだけれど、ストレートな煮干し醤油でシンプルなおいしさだ。

「そうですね。あんまチャーシュー沢山って気分じゃないし、味玉中華にしようっと。昼間っから、ワンタン皿でビールもいいですよね!」
「おまえな……」

その後大ヨシで、三好は本当にビールを注文しやがった。しかも中瓶て、おっさんか、お前は。ま、だから気楽につきあえるとも言えるが……

「だけど、えらく容姿の整ったペアだったな。名刺がどうとか言ってから……お水方面の人かな?」

ぞぞぞーっと昔ながらの中華そばっぽい麺をすすりながら、そう言った。

「そっち方面にダンジョンへ潜るインセンティブはないでしょう。あまりスレてなかったから、芸能かファッション方面じゃないですかね? まわりの視線もちらちらとあったみたいだし」
「俺たちそっち方面はとんと疎いからなぁ。有名な人なら悪いことしたな」
「先輩と一緒にしないで下さい。私は人並みですー」

お前が知ってる芸能人は、ちょっと古い映画俳優くらいだろうがと突っ込みたかったが、ここはぐっと我慢した。
余計なことは言わないのが、人と上手く付き合うコツだよ?

「だけど芸能やファッション方面だって、ダンジョンとはあんまり関係ないだろ?」
「そうですか? 最近では、ほら、ダンジョンアイドルなんてのもいるじゃないですか」
「あー、あれな。一日デートでオーブ一個って、なんというボッタク商法」
「まったく、見習いたいですね」
「ええ?」
「だって、払う方はそれで満足なんでしょう?」
「まあ、そうかも」
「で、貰う方はボッタクで、うはうは」
「うん」
「両方大満足で、win-winですよ!」
「まあ、そう言われれば」
「って、ぐあいに納得させられちゃうから気をつけて下さいよね。先輩、詭弁と広告に激弱ですから」
「ぶほっ……」

思わず麺を吹き出しちゃったぜ。心当たりがありまくるだけに、反論のひとつも出来やしない。
「なにも足さない。なにも引かない」の古いポスターひとつでウィスキーを買っちゃうくらいには広告に弱い。
いや、カッコイイでしょ、このコピー。

「趣味と依存症を同じレベルで語ってどうするんですか。それが通るんなら、ヤクの売人だってウィンウィンってことですよ」

そらそうだな。しかし、その発言はいろいろと物議を醸すからやめとけと言いたい。

「例えば素早い動きってのは、行動の最適化なしでは語れないと思うんです」
「そうだな」
「つまり、昨日のステータスで言うと、俊敏が上がるってことは行動も最適化されていくってことじゃないかと思うんです」
「それはそうだろうな」
「器用だと、おそらく体の可動範囲が広がったり、体の制御の精度が上がるはずです」

いろんなワザを繰り出すためには、当然その必要が生まれるだろう。

「その可能性はあるな」
「それに、ダンジョンで強化されるってことは、人間として色々強化されるってことですから。いまじゃ、スポーツ選手のダンジョン合宿とか普通にあるらしいですよ」
「マジかよ」

そう言われれば、高地キャンプみたいなものなのかもしれないが……あんな経験値じゃ効果が出るのが遅いんじゃないの?
それともなんとかブートキャンプよろしく、高レベルモンスター相手にハードな合宿を行うのかね?

「だから、芸能やファッションモデル方面も、ダンジョンのご利益はあると思いますよ」
「ふーん」

「そういや、俺、週明けには一度潜ってみようと思ってるんだけど、三好はどうする?」
「会社サボってですか? まあ、有休を取っても良いですけど……ふたりで同じ日に有休を取ると、なにか誤解されそうですよね」

おま、なに赤くなってるんだよ。

「お、俺は退職するし、まあ大丈夫だろ」
「でも明日は無理でしょう? ライセンスカードとか届くんですか?」
「あ、そうか。二営業日とか言ってたような気がしたから――」
「なら、念のために、木曜日にしませんか?」
「オッケー。で、武器とか防具とかどうする?」
「一応カタログも見たんですけど……」

うん。気持ちはよく分かるぞ。
武器も防具も高額なのだ。最低でもン十万円から、上は億なんて商品も存在している。

「高いだろ」
「そう! 高すぎますよねっ! なんであんな値段なんですか! 大体、剣道でもやってればともかく、剣なんか使えませんよ!」
「一応日本ダンジョン協会預かりで、ダンジョンの中だけで使う銃が、資格を取れば使えるらしいぞ。高いし下層では役に立たないから、意外と人気がないけどな」
「銃なんて訓練してもいないのにあたりませんよ」

「お前、学生の時はどうしてたの?」
「レンタルです」
「……そんなものまであるのか」
「まあ、ツアーみたいなものでしたから」

「実際、ハンマーかナタ、あとは斧あたりが無難だろうな」
「そうですね。片手の使いやすいハンマーが良いですよ」
「お? 何かプランがあるのか? やっぱり初心者御用達、2層のゴブリン?」
「実は、1層のスライムで試してみたいことがあるんです」
「はあ?」

代々木の1層の主たるモンスターはスライムだ。ところがこのモンスター、すこぶる人気がない。
倒しづらい、経験値が低い、ドロップがでない、いいところがないのだ。
しかもだだっ広い代々木ダンジョンの2層への階段は、1層へ降りた階段のすぐ近くにある。結局、ほとんどの探索者は2層を目指すわけだ。

予想外の対象モンスターに少し驚いていた俺が我に返ったときには、皿に残った最後のワンタン争奪戦に敗れていた。


009 初めてのダンジョン 10月4日 (木曜日)


翌週の前半は散々だった。

会社に退職届を出そうとすると、次々と偉い人が出てきて引き留めようとするのだ。
しかも残されたプロジェクトの面々のことを考えないのか、だと。アホか。
大体辞めようとされてから引き留めるくらいなら、最初から待遇をまともにしておけばいいんだ。

「今回の君のミスについては聞いているが、特にそれを咎めるつもりはない」

人事の人がそう言ったが、俺は唖然とするしかなかった

「私は何もミスなどしておりませんが。営業が起こしたトラブルに、何故か謝りに行かされて、先方が取引を打ち切っただけです。謝罪にきたのが無関係な下っ端では誠意を疑われても当然だとは思いますが」
「……そんな話は聞いていない」
「聞いていないと言われましても。それは御社の問題では」

要約すると『そもそも、俺はもう榎木のケツを拭きたくないんだよ』という内容を、これでもかと婉曲に訴えた。

結果、辞職願は一旦保留されたが、給与締め日までの有給は認められた。

、、、、、、、、、

そうして訪れた木曜日。
俺は大手を振って、代々木ダンジョンへ向かおうとしていた。

「おー、光り輝くライセンス。押しも押されぬGランク。なんだか無駄に格好いいな、これ」
「なんでドベのGランクが、押しも押されぬなんですか?」
「後ろに誰もいないから」
「はあ……」

普通のラノベじゃ、ランクに応じて違う素材のカードだったりすることが多いが、世界ダンジョン協会のライセンスは、ありふれたプラスティックのICカードだった。
ただ、偽造防止にホログラムが埋め込まれていたり、ランク表示のデザインが凝っていたりで、やたらカッコイイのだ。

「漫画・アニメが文化の国は、カード一枚にしても凝ってるねぇ」

三好は同封されていた、エクスプローラガイドを懐かしそうにめくっている。
これまたなにかのゲームの説明書のような作りで、ファンタジーな雰囲気満載だ。もっと役所っぽい無味乾燥のドキュメントかと思ってた。
書いてあることは、常識的な内容ばかりだけれどな。

「んじゃまあ、行きますか」
「了解」

俺たちは、早朝のアパートを出て、一路代々木ダンジョンへと向かった。

、、、、、、、、、

代々木はかなり広いダンジョンだけど、攻略済みの21層までは割と詳細な情報が出そろっている。

細かいマップがちゃんと公式サイトに載っているし、ダンジョンビューで内部も見られたりする。ストリートビューのダンジョン版だ。
全方位カメラを被って歩いている探索者を見かけることも多いらしい。

「道路の上と違って、上下する徒歩だし、障害物を避けるときなんかは画角もかわるだろうに、うまくトレースして重ねてるよな、あれ」
「ドローンとか使ってるんじゃないんですね」
「モンスターに壊されるんだってさ」

代々木ダンジョンの、ダンジョン物語のページに書いてあった。

「もういっそのこと、カメラをあちこちに埋め込んで、リアルタイム監視とかやればどうですかね?」
「なにか空間的な断絶があって、電波届かないんだってさ」
「断絶?」

自分の体がバラバラになるのを想像したのか、三好が自分の体を抱きしめて身震いした。

「通過する物体に影響はないんだと」
「はあ、ダンジョンが不思議なのは今更ですけど。なら、体が通り抜けられるんですから、有線なら」
「モンスターの餌になるんだってさ」

特にスライムによる被害が凄いらしい。最初に持ち込んだケーブルは一日と持たなかったそうだ。
そんな話をしながら、俺たちは、入り口で受付をすませて代々木ダンジョン1層へと降り立った。

大抵の探索者達は、2層への下り階段に向かう最短ルートを歩いていく。
1層はスライムと、たまにゴブリンといった感じで、まるで美味しくないのだ。あと、2層への下り階段が、入り口のすぐそばにあるのも1層不人気の原因だった。
そんな人の流れを横目に見ながら、俺たちは1層の奧に向かおうとしていた。

「とりあえず初回だし、倒すことに慣れるところからかな」
「ねえねえ、先輩。スライムの経験値チェックをしましょう」
「なんで?」
「そりゃあもう、今のトレンドは数値化ですよ。あとで情報として売りましょう!」
「なんのトレンドだよ。大体それって、どうやって計測したのか聞かれないか?」
「新技術で、計測器を開発したーとか」
「詐欺じゃん! それにそれなら計測器を売れっていわれるだろ」
「人身売買はちょっと難しいですね」
「計測器って、俺?!」
「スキルを使った商売だって世の中にはそれなりにあるんですから、全然詐欺じゃありませんよ。もちろん方法の公開はできませんが、情報の正しさは世界中の研究者が証明してくれますって」

なんという他力本願。
しかし、同ジャンルの研究者たるもの、他人の理論の後追い検証をするのは性ってものか。

「お、いたいた」

そうしているうちに、第一村人ならぬ、第一モンスターを発見した。
道の隅でぷるぷるしている。スライムだ。

「動きも遅いし、フィクションみたいに、いきなり飛びかかってきたり、何かを噴出したりすることもないらしいけど、武器があまり通用しないらしいぞ」

俺たちに魔法はないし、スライム主体なら、火炎放射器でも持ってくれば良かったか? そんなもん持ってないけど。そういや、スプレー缶に火を付けて噴出して燃やしてる動画があったっけ。

「そうですね。スライムって、ほとんど全部水のようなもので出来ていて、切っても叩いても効果が薄いんだそうです」

三好はバックパックを下ろすと、なにかボトルのようなものをいくつか取り出した。

「体の何処かにあるコアを壊せば死ぬそうなんですけど、一センチくらいの球が何処にあるのか見つけるのは大変ですし、面倒な割にドロップはないそうですし、倒しても倒しても、ちっとも強くなった気がしないそうですよ」
「いいところないじゃん」
「ですね。それで、みんな心折れて他へ行くわけです」
「いや、それ、俺等も途中で心折れるんじゃないの?」
「そこで秘密兵器の実験です」
「ほう」

三好はすくっと立ち上がると、左手を腰《こし》に当て、右手で、エアメガネのブリッジをくいっと押し上げて言った。

「いいですか? ほとんど液体のスライムが形を保ってるってことは、スライムの内と外では界面自由エネルギーが不安定化して、表面積の最小化が起こっていると思われます」
「おお? 三好先生?」

そういって、すぐ先にいるスライムを指さした。
表面積の最小化が起こると球に近づく。たしかにぷるぷるっとしているな。とはいえ――

「ファンタジーの世界に俺たちの科学を持ち込んでも良いことない気がするけどな」

実際、銃を初めとする小火器程度の兵器は、十層あたりまでしか効果がないらしい。以降、徐々に通用しなくなり、二十層ではほとんど通用しないと聞いた。
中深度攻略が難しい理由だ。

火薬兵器の場合、モンスターを倒して得られる人間の成長分が、攻撃力にまるで反映されないのもひとつの理由のようだが……

「物理特性は適用できると思いますよ。で、そういう状態で形を保っているのなら、界面自由エネルギーを下げてやれば形を保てなくなるはずです」

界面活性剤か。

「石けん水でもかけてみるのか?」
「そうですね。とりあえず、陰イオンタイプと陽イオンタイプ、両性タイプに非イオンタイプを用意しました」

そう言って三好は、ヘルメットに付いたカメラのスイッチを入れた。
どうやら映像も記録するらしい。

「何か起こったら、防御のほう、よろしくお願いします」
「ああ。しかしこれでか?」

俺は取り出した三十センチのフライパンを、ブンと振った。

「先輩、武器防具は高いんですから。それにそれ総チタンですよ? 固いし軽いし、腐食にも強い。熱伝導率も低いから、少しの炎でも平気。中華鍋型だから、丸みで攻撃も逸らせる。そこらへんの盾よりずっと優秀だと思いますよ?」
「熱伝導率が悪いチタンでフライパンを作る意味がわかんねーよ」
「保温性ですかね?」

三好も頭をひねっている。

「まあいいや。準備は出来たぞ」

俺はフライパンを持って、スライムの前で身構えた。

「じゃいきまーす。まずは陰イオンタイプですね。ドデシルベンゼンスルホン酸ナトリウム、発射!」
「魔法の呪文と大差ないな」

三好が握ったボトルは、陰イオンタイプらしい界面活性剤を噴射した。
それが命中したスライムは、表面を波打たせてフルフルと震えただけだった。

「あんまり効果はなさそうだな」
「そうですね。Gには結構効くみたいなんですけどね、ママレモン」

残念そうにタブレットにメモをする。

「では続きまして、陽イオンタイプです!」
「陰イオンタイプと混ぜて使うと、界面活性効果が落ちるんじゃなかったか?」
「いいんです、いいんです。洗うわけにはいきませんし、どうせ暇つぶしみたいな実験ですし」
「暇つぶしなのかよ!?」

しかし効果は劇的だった。

三好が噴射した、陽イオンタイプの界面活性剤がスライムに命中したとたん、パンとスライムがはじけ飛んだのだ。

「は? なんだこれ? エイリアンのよだれかなにかか?」
「主成分は、塩化ベンゼトニウムです」
「おお、なんか強そう」
「ですよね? でも一般に売られるときは、マキロンって呼ばれます」
「消毒液の?」
「はい」
「スライムって、マキロンに弱いわけ?」
「みたいですね」
「あー、第一三共の株買っとこうか?」
「世に知られても、大した需要はないと思いますよ」

そう言いながら三好は、大きめの先切り金づちを取り出すと、転がっていたコアを叩いた。
割れたコアは黒い粒子に還元された。

「これで、スライムは敵じゃなくなりました!」
「無視していれば、最初から敵じゃないけどな」
「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因だと思います」

三好は俺にハンマーと、マキロンもどき入りのボトルを渡してきた。

「先輩のスキルって、経験値も数値化するんですよね?」
「経験値っていうか、各ステータスに加える値みたいなのが数値化される」
「じゃ、それが経験値と便宜上呼ばれているものであると仮定しましょう」
「うす」

俺たちは、てくてくと歩いていく。現在ダンジョンに罠は確認されていないから、モンスターにさえ気をつけておけば、ダンジョン内の移動は気楽なものだった。

「第二モンスター発見」
「メイキング」

そう呟いていつもの画面を表示した。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1173.03

HP 36.00
MP 33.00

力 14 (+)
生命力 15 (+)
知力 18 (+)
俊敏 10 (+)
器用 16 (+)
運 14 (+)
、、、、、、

「それじゃ、やるぞ?」
「はい」
「ほとばしれ! 塩化ナントカニウム!」
「先輩……それいります?」

ブシュっと音を立てて、マキロンもどきが噴出し、スライムが破裂する。

「ワザの名前を叫ぶのは、我が国の伝統だ」

後は、転がった球を叩くだけの簡単なお仕事です。

ゴンっ。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1173.03 → 1173.05

HP 36.00
MP 33.00

力 14 (+)
生命力 15 (+)
知力 18 (+)
俊敏 10 (+)
器用 16 (+)
運 14 (+)
、、、、、、

「どうです?」
「うーんとな、増分は、0.02 だな」
「0.02っと……」

三好がタブレットの表計算ソフトに入力した。

「じゃ、次行きましょう!」

そうして俺たちは、タブレットの電池がやばくなるまでスライムを叩き続けた。

、、、、、、、、、

俺と三好は、そのまま俺のアパートに戻ってきた。
三好は早速、持って帰ったデータを、ノートPCへ転送して統計処理しようと……してないな。

「どした?」
「統計処理なんかするまでもないんです。見ればわかりますよ」

そういって三好がタブレットを渡してきた。

1 0.020
2 0.010
3 0.007
4 0.005
5 0.004
6 0.003
7 0.003
8 0.003
9 0.002
10 0.002
11 0.002
12 0.002
 ...
70 0.002
71 0.001
72 0.002

結局72匹もスライムを倒したのか。
で、取得したステータスポイントが…… 0.182?

「って、いくらスライムとはいえ、七十二匹も倒してこれかよ」
「みんながスルーするわけです」

三好は台所で、先日買ってきて用意しておいた五Lのポリタンクで何か作業をしながらこたえた。

「でも最初は……って、ん? これ、最初の十匹は、倒した数で割られてないか?」
「そうなんです。どうも倒せば倒すほど経験値が倒した数で割られていって、十匹目からはずっと十分の一みたいです」
「ずっと0.02のままなら、1.44のSPが入るはずなのにな」
「ん? SPってなんですか?」
「ああ、言ってなかったっけ? 今俺たちが便宜上経験値と呼んでいるものは、SPって表示されるんだ」
「んー。ステータスポイント、とかですかね?」
「かもな」
「じゃ、今後はステータスポイントで」
「了解。しかし、本来なら1.44ポイント入るはずなのに 0.182はいくらなんでも格差がありすぎる」
「ゲームって強くなると経験値効率が落ちるものなんじゃないですか?」
「レベルが上がっていくと、次のレベルになるまでの必要経験値が大きくなっていくだけで、同じモンスターを倒したときの経験値は同じだな、普通」
「まあ、その方が自然ですよね。じゃあ今のところ――」

三好はふたつの仮説を示した。

仮説一。連続して倒すと減る。
仮説二。本来のステータスポイントは十匹以上倒したときの値で、最初の十匹はボーナス。

「一は途中で他のモンスターが出ないと検証できないな」
「1層でもゴブリンがでますよ?」
「ポップするのは、2層へ降りる階段の周辺だけみたいだぞ。で、出たら誰かにすぐ狩られる」
「じゃあ、可能ならチェックしておいてください」
「ん? 三好は?」
「明日は、先日申し込んでおいた、商業ライセンスの取得講習会があるんです。めざせ近江商人!ですから」
「あざーす。でも仕事は?」
「ふっふっふ。有給全然消化してなかったですからね。モク・キン連休で」
「よく許可が出たな」
「いま、先輩のおかげでプロジェクトが止まってますからね。いまなら下っ端は取り放題ですよ」
「いや、俺のおかげって……」

榎木のおかげだと思うんだけどなぁ。
ま、それはいい。俺はこういうコツコツした作業は嫌いじゃないし、しばらく代々木に通って……あれ?

「なあ、71番って、なんで少ないんだ?」
「ああ、それですね。ほら、偶然私が蹴飛ばした石が当たったやつじゃないかと思うんです」
「なるほど。二人で攻撃したから半分になってるのか。均等とはすごいな」
「すごいんですか?」
「だって、戦闘への貢献度とは無関係に、参加者数で単純に頭割りされるってことだろ? 横殴りし放題だな」

他人の戦闘中に、偶然のフリをして、ちょっとその辺の小石をぶつけるだけでいいのだ。

「……それって、あれですね」
「ん?」
「数値化されたら大騒ぎになりますね」

そうか。今は数値化されていないから、誰もそんなことになってるなんて思いもしないわけだ。
このことが公開されたら……殺伐とした狩り場が生まれそうだな。

「三好ー」
「はい」
「発表しないほうがいいことが相当ありそうだから、公開するときは相談しよう」
「わかりました」

それにしても、最初期の探索者達がほとんど毎日潜っているとすると、すでに千百日くらいは冒険してることになる。
スライムでこれなんだから、もし一日平均一ポイント以上のステータスポイントを得ていたら、すでに結構なポイントが貯まってるわけで、俺が首位なのはおかしい。

って、ことは0.182でも普通なのか?

「で、お前、さっきからなにやってんの?」
「私はしばらく会社とかありますからね。エイリアンのよだれを作っておきました。五L容器で五つありますから、しばらくは持つでしょう?」
「お、助かる」

そのとき俺は、スライムといえど一日に七十二匹も一人で倒すのは異常だということを知らなかった。
さらに、普通は大勢でパーティを組んで潜っていると言うことも、今ひとつ分かっていなかった。


010 伝説現る 10月5日 (金曜日)


「さて、今日も元気にスライムを惨殺しますかね」

俺は、人の流れを無視して、1層の奧へと向かっていった。
特に防具も身につけず、リュックだけを背負って、すたすたと1層の奧に向かう俺を、2層へ向かう連中が奇異な目で見ていたことには、まるで気付かなかった。

少し階段から離れれば、誰もいないだけあって、スライムは豊富にいる。

「なんとかビーム!」

すでにニウムがビームになっていたが、どうせ誰も気にしない。

「ハンマーアタック!」

ひねりもクソもないが、どうせ誰も……あれ?
倒したスライムのステータスポイントは、0.02だった。んん? 不思議に思いながらも、次のスライムを倒すと、0.01。

仮説一 毎日リセットされる
仮説二 ダンジョンに入る度にリセットされる。

すぐに仮説を検証するために、俺は急いで外へ出た。そして、再び入ダン手続きをするともう一度ダンジョンへと戻った。
そうして最初に倒したスライムの経験値は、0.02だった。

興奮した俺は、そのまま2層へ降りる階段付近まで歩いていった。がスライム以外はみつからない。
仕方がないのでそのまま2層と降りていこうとして、はたと気がついた。

「そういや、俺、防具もないし、武器もハンマーひとつだし。ナントカビームはスライム以外に通用しないよな……」

今日のところは、スライムで検証できるモデルの作成に注力しておくか。

「ふ、戦場《ここ》じゃ、冷静さをなくしたヤツからいなくなるのさ」

なんて台詞を呟きながら、またまた1層の奧を目指して歩き始める俺を、2層に降りていく連中が奇妙なものを見る目で見ていたような気がしたが、たぶん気のせいだろう。

それから十四回、出たり入ったりを繰り返したが、うち一回は0.01だった。
そのときは、ダンジョンの入り口を出てすぐのところから、ダンジョン内に引き返したのだ。
それからの五回は、その仮説の検証だ。でてしばらく時間を空けたり、少しずつ距離を離していったり……

結果、どうやらダンジョンが影響を及ぼす範囲から出なければならないってことが判明した。
ダンジョンの入り口から、入ダン受付までの通路の丁度半分くらいの位置に、その境界があるようだった。特に時間は関係なさそうだった。

検証に満足した俺が、もう一度、ダンジョンに入ろうとしたとき、知らない声に呼び止められた。

「あの……失礼ですが」

そこには日本ダンジョン協会の制服を着た、小柄で整った顔立ちの女性が立っていた。

、、、、、、、、、

「は? 自殺?」
「ええ、そうなんです」

女性は、日本ダンジョン協会の鳴瀬と名乗った。
彼女に、代々木ダンジョンの代々木ダンジョンカフェ(もちろん代々木ダンジョンカフェだ)に連れて行かれた俺は、そこで予想もしなかった話を聞かされた。

「なんの装備も身につけず、ダンジョンに入って、すぐに出てきて、また入るを繰り返している男性がいると通報がありまして」
「はあ」
「もしかしたら、ダンジョン内で自殺しようとしていて、でも思い切れず、を繰り返しているのではないかと」

彼女は、ライセンスカードを俺に返しながらそう言った。
街中にいるような普段着で、ダンジョンの入り口付近を行ったり来たりしていれば、確かにそう見えてもおかしくないかも知れない。

「それはまた、なんというか……お手数をおかけしました」

俺は素直に頭を下げた。

「いえ、そうでなければいいんです」

鳴瀬さんは笑って、カフェオレを一口飲むと、まっすぐに俺を見た。

「それで、芳村さんは一体なにを?」

自殺じゃないなら、一体何をしていたのかは、確かに興味があるだろう。

「あ、いえ。ちょっとした検証でして」
「どんな検証です?」
「あ、あー。その辺りはまだ公開できないもので。すみません」
「公開できない? どこかの企業の方ですか?」
「いえ。研究職なのは確かですけれども……なにか公開する義務とかがあるんでしょうか?」
「いえ、そんなことはありません。ただ、何も知らない人が見ると誤解をするかも知れないので、簡単な装備は身につけられた方がいいかもしれませんね。一応受付には伝えておきますけど」
「はい。気をつけます」

ここで、装備って高いんですよね、とは言えないよな。

「代々木ダンジョンには、アウトレット商品を取り扱っているショップもありますから、よろしければどうぞ」
「あ、わかりました。ありがとうございます」
「では私はこれで」

そう言って立ち上がると、ぐぐっと俺に近寄ってきて、いい笑顔で

「公開できるようになったら、ちゃあんと教えて下さいね」

と念を押して代々木ダンジョンカフェから出て行った。

「鳴瀬さんか。なんか時々迫力のある人だったな」

ついでに今日の記録メモを整理しようと手帳を開いてみると、昨日と合わせてどうやら九九匹目を倒したところだったらしい。
時計を見ると、三時にもなっていなかった。

なんだか切りが悪く感じたので、もう少しだけ潜って帰ろう。そう思って席を立ったことが、次の騒動への引き金だった。

、、、、、、、、、

「ほい。百匹目!」

俺は百匹目――たぶんステータスポイント 0.02を取得する――のスライムコアに向かってハンマーを振り下ろした。

その瞬間、メイキング画面に何かの一覧が表示された。

「は?」

そこには、百匹目のスライムを倒したからスキルを選べと言った内容が表示されていた。

スキルには固有の機能がいくつか存在していて、その機能を解放するためには、何らかの条件を満たさなければならないということは今でも知られていた。
メイキングの初期機能はステータスの割り振りだったが、ここにきてスライムを百匹倒したことで新たな機能の解放が起こったようだった。

しかし、その内容が……

「なんだ、これ」

、、、、、、
スキルオーブ 物理耐性 一億分の一
スキルオーブ  水魔法 六億分の一
スキルオーブ  超回復 十二億分の一
スキルオーブ  収納庫 七十億分の一
スキルオーブ  保管庫 百億分の一
、、、、、、

そこには、いかにもスライムが持っていそうな能力が羅列されていた。

もしかして、スライムが落とす可能性があるスキルオーブのリスト、なのか?
俺は必死になってその内容をメモした。

おそらく右の数字は出現確率だろう。
そうだとすると、ものすごく稀少なのは、どう見ても最後の保管庫だ。文字通り桁がまるで違う。
数字を信じるなら、スライムを千億匹倒して、一度発生するかどうかってところだ。

収納と保管の何が違うのかはよくわからない。レアリティが高ければ有用と言えるかどうかもわからない。それはおそらく、スライムがその機能を持っていることがレアっていう意味だろうからだ。

「ま、それでもレアリティの高いのを選んじゃうのが、欲深いゲーマーの性ってもんだよな」

そう呟いて、俺は保管庫をタップした。
目の前にオーブが出現する。それは、最初にメイキングを得たときと同じ現象だった。

俺は急いで、それをバックパックにしまい込んだ。誰にも見られてはいないと思うが、念のためだ。

問題はこの機能の発生条件だ。
すぐに101匹目のスライムを探して倒してみたが、単に0.01ステータスポイントを得ただけだった。

仮説を立てようにも可能性がありすぎる。俺はすぐに撤収して三好にメールを送信しておいた。

、、、、、、、、、

夕方、ドアをノックする音が聞こえて、玄関に出ると、そこには三好が息を切らせながら立っていて、開口一番こういった。

「で、本当にスキルオーブが出たんですか?」
「まあ、落ち着けよ。とにかく入れ」

三好はいつものコタツに座ると、瞳をキラキラさせながらこちらを見ている。
俺は苦笑いしながら、黙ってオーブを取り出した。

「へー、これがスキルオーブなんですね」

三好がそれをおそるおそるつついた。

「わっ、オーブってこんな風に認識されるんですね! これが発見してからの時間の表示かぁ。便利だけど地味に焦らせるみたいで趣味が悪いですよね」

ついでに説明も書いておいてくれればいいのになぁ、なんてぼやいている彼女を尻目に、俺はお茶を入れていた。

三好は、すぐにノートPCを開いて、日本ダンジョン協会のデータベースに接続したらしく「保管庫」を検索していた。

「やっぱり未登録ですね」
「ドロップ確率が千億分の一じゃなぁ」
「いっせんおくぶんのいち? なんですそれ」
「ほら」

、、、、、、
スキルオーブ 物理耐性 一億分の一
スキルオーブ  水魔法 六億分の一
スキルオーブ  超回復 十二億分の一
スキルオーブ  収納庫 七十億分の一
スキルオーブ  保管庫 百億分の一
、、、、、、

俺は昨日メモしたオーブ一覧を三好に渡して、新しく発現したメイキングの機能について説明した。
呆然とそれを聞いていた彼女は、ため息をついて言った。

「はぁ。場合によってはこれだけで世界がひっくり返りますね」
「可能性がありすぎて、はっきりしないことが多すぎる。まだ検証はこれからだよ」

「スキルの発生条件が、同一種の数なのか連続の数なのか、単に討伐したモンスターの数なのか。マジックナンバーにしたって、今後も百匹単位なのか、なにか別の数列なのか、もしかしたら百匹目だけの特典なのか……確かに分からないことだらけですね」
「マジックナンバーの捜索なんて、あまりに漠然としすぎて論理的な検証のしようもないしな。とりあえず後百匹連続でスライムを倒してみる」
「そうですね。その後はゴブリンを連続で百匹狩ってみるとかですか?」
「まあ、その辺かな。うまくすれば検査の資金も出るだろ?」

「スライムのオーブリストの中なら、水魔法に値段が付きそうですよ。他は全部未登録スキルですね」

すばやく他のオーブを検索した三好がそう言った。

「へー、物理耐性が未登録って、ちょっと意外だな」
「えーっと水魔法のオーブは……八千万くらいですね」
「八千万!?」
「それも買い手の言い値ですから。時間さえあれば何処まで上がるか。軍が絡めば安い戦闘機一機分くらいになってもおかしくないですよね。費用対効果を考えれば」

そのスキルの機能にどんなものがあるかは分からないが、場合によってはミサイルディフェンス網なんかを骨抜きに出来たりするかも知れないわけだし、どんな金額になってもおかしくはないか。

「税金は?」
「世界ダンジョン協会商業ライセンスによる売買は、ダンジョン税に統一されていますから十%ですね」
「え、なにそれ、税率低くないか?」
「他にも日本ダンジョン協会管理費が十%かかりますし。累進になってないのは振興策の一環でしょうね。それに株と違って繰越控除みたいなのもありませんし」
「繰り越しって、対象はなんだよ?」
「命じゃないですか」
「……そりゃ、繰り越しようがないな」

そんな話をしながら、三好は、コタツの上のオーブをつついていた。

「ねえ、先輩」
「ん?」
「ずっと考えていたんですけど、これって、やっぱり……」

そう。実は俺もそう思っていた。

「ああ、フィクションの定番。絶対の存在。アイテムボックスだろ。たぶん」

三好がため息をついて、ベッドに背をもたせかけた。

「同じリストに収納庫ってのがあるみたいですから、どちらかがそれなのは間違いなさそうですけど。だけどこのリスト……公開されたら、スライムの乱獲が起こるんじゃないですか?」

それまでゴミだと思われていたスライムが、幻のアイテムボックスを含む5種類のオーブをドロップすることが分かったのだ。

「とはいえ、一番確率が高い物理耐性でも一億分の一だからなぁ……」
「だから乱獲されるんじゃないですか」
「し、しかしスライムは倒すのが面倒だから、放置されているわけだろ?」
「代々木の1層なら、ダンジョン中にガソリンをまいて火を付けるような輩が出ても驚きませんけど」
「な、なるほど……」

代々木の1層は、三年間放置され続けた結果、圧倒的な密度のスライムを誇っている。

なにしろ誰も積極的に狩ろうとしないのだ。特に天敵もいそうにないし、言ってみればスライム天国だ。範囲攻撃の魔法でも持っていた日には、一度に数百匹を狩れる場所があってもおかしくない。

「しばらく公開するのは控えよう」
「賛成です。どうやって調べたのかも説明できませんし。スライム溶解液はどうします?」
「この情報が公開されたらバカ売れするだろうけど、そうでなきゃスライムを狩るヤツなんていないし。それもしばらくは様子を見るか」
「わかりました」

「で、これ、どうする?」

俺は、テーブルの上のスキルオーブを指さした。

「どうする、といいますと?」
「三好、使うか? フィクションの世界じゃ、商人御用達だろ?」
「でも、もし想像通りのスキルだとしたら、ダンジョンに行く先輩のほうが必要なんじゃないかと思うのですが」
「かもしれないが……スキルって複数取得できるのか? 前のが消えたりしないか?」
「できないって報告はないみたいですけれど、なにしろ先例が少ないですからなんとも……」

もしもスキルの取得数に制限があったら、メイキングも宝の持ち腐れってことになる。
オーブが選べる以上、上書きを確認するUIくらいはついていると思いたいけどね。

「しかし冷静に考えてみると、ラノベみたいな中世レベルの世界ならともかく、現代日本でアイテムボックスなんてそんなに必要ない気もするな」
「そうですね。持てない荷物は大抵誰かが運んでくれるし。災害対策もすぐ自衛隊が来てくれるし。便利に使いそうなのは強盗か、そうでなきゃ密……輸?」

「おい、なんだか、これ、凄くヤバイスキルな気がしてきたぞ」
「ちょっと前に話題になった、消費税目当ての金密輸なんかやりたい放題じゃないですか? 一回800万どころじゃないのでは……」

しかもスキルを持っていることが知られたら、疑われ放題?

「このまま放置で、闇に葬るとか?」
「それはそれで、もったいないですよ……」

実際の効果も確かめていないというのに、俺たちは二人してテーブルの上の珠を挟んで呻り続けていた。


011 掲示板 【広すぎて】代々ダン 1296【迷いそう】


431:名もない探索者
今日さ、昼過ぎ頃、なんだか変なオッサン見なかったか?

432:名もない探索者
いたいた。まるっきり街中のカッコしたヤツだろ? 結構若かったぜ? 大学生くらいか?

433:名もない探索者
ああ、あの自殺騒ぎの

434:名もない探索者
自殺ぅ? そんなことになってたのか?

435:名もない探索者
なんか、普段着で、ダンジョンにちょっと入っちゃ、すぐに出てを繰り返してたから、自殺で死にきれない男じゃないかって通報されたみたいだぞ?
日本ダンジョン協会の本部から人が来てた。

436:名もない探索者
あ、メイタンそれできてたのか。

437:名もない探索者
メイタンってだれだよw

438:名もない探索者
日本ダンジョン協会ダンジョン管理課の人気職員、鳴瀬美晴。慶應の二回生のときミスになって、女子アナか? と噂されていたが、まさかの日本ダンジョン協会入り。

439:名もない探索者
何でそんなに詳しい。ストーカーか?

440:名もない探索者
当時有名だったし。経歴は日本ダンジョン協会ダンジョン管理課の去年の新人のコーナーに書いてあるぞ。

441:名もない探索者
そいつかな? 代々木ダンジョンカフェで親しそうに話してた。もしかして知り合いだったんじゃないの?

442:名もない探索者
まじかよ。でも鳴タンはフレンドリーだから、優しく諭してたのかも。

443:名もない探索者
おれ、明日、普段着で出たり入ったりしよう!

444:名もない探索者
迷惑だからやめろ(w

445:名もない探索者
そういや、ワールドランクリストの1位、突然エリア12になってたろ。

446:名もない探索者
俺じゃないことだけは確かだな。

447:名もない探索者
俺も違うな。

448:名もない探索者
残念ながら俺も違う。

449:名もない探索者
今、代々ダンのトップって誰よ?

450:名もない探索者
朝霞か、市ヶ谷か、船橋の連中だろ。

451:名もない探索者
ランク1の話なんだから、自衛隊以外でだろJK。

452:名もない探索者
そうそう。
大体自衛隊のトップは伊織ちゃんだっての。

453:名もない探索者
カゲロウの連中は? 十九層あたりをうろうろしてるって聞いたけど。

454:名もない探索者
渋チーが二十層に行ったとか聞いたが。

455:名もない探索者
こういっちゃなんだが、全然ランク1って感じがしないな。

456:名もない探索者
エリア12はロシアもオーストラリアも有名プレイヤーはいないしなぁ。

457:名もない探索者
ワールドランクリストのコメント欄みてると、シクススにも当該者がいないとか言ってたぞ、フランスのやつが。

458:名もない探索者
こういっちゃなんだが日本にもいない。

459:名もない探索者
つまりいきなり出てきたわけで、誰も知らないのに関係者と親しいヤツとか怪しいよな。

460:名もない探索者
つまり自殺野郎が!

461:名もない探索者
おお!

462:名もない探索者
ランク1なら普段着で入っても平気ってか?

463:名もない探索者
いや、おまえら。ニュービーが見たら信じるからヤメロ。タイムリーな話題だしな。

464:名もない探索者
アイアイ


012 再会 10月6日 (土曜日)


今日も今日とて代々木ダンジョン1層だ。相も変わらず誰もいない。

日本一の参加者数を誇る代々木ダンジョンだけれど、1層は本当に過疎地だった。
もちろん今の俺にとって、それはとても都合が良かったわけだが。

ぽよよんとした可愛いやつを見つけては、シュッと吹いてバンと叩く。今日の作業もそれの繰り返しだ。

「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」
「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」

こないだユーチューブでみた、薬師丸ひろ子の古いシャンプーのCMと同じメロディーなのは、単に語呂が良かったからだ。
なんでそんな古いアイドルを知っているかというと、父親が薬師丸ひろ子のファンだったそうで、うちに古いCD(!)があったのだ。

不思議な声質と音域の狭さに作曲家が七転八倒している様が見える、淡々としたメロディラインがクセになるとかなんとか、よくわからないことを言っていた気がする。

ゲシュタルト崩壊を起こしそうなくらいその歌を口ずさみながら、賽の河原に石を積む気分で、倒した数だけ記録していった。
ステータスポイントは確認だけして記録はしていない。初日の予想通りだったからだ。

「はぁ、これで五十七匹目っと」

手帳に正の字を書き加えながら、腰を伸ばした。

スライムは天井を這っていることがある。下を獲物が通ると、降ってきて捕食するらしい。まさにスライムボムだな。
張り付くと剥がれず、叩いても切っても効果が薄い。火であぶれば多少は効果があるが、くっつかれた人間も大火傷する。時折そんな事故が起こるそうだ。

そう聞いて、なるべくライトが届かないほど天井の高い場所は避けるようにしていた。

「まあ、襲われても、ナントカビーム一発で外れるとは思うんだけど……」

自分の体で実験するのは、さすがに御免被りたい。

なお、マキロンもどきについてはまだ公開していない。
例のオーブリストの件で、乱獲が発生したとき人が殺到する原因になりそうだったからだ。

そのとき、通路の先から、微かな叫び声が聞こえたような気がした。

「なんだ?」

そう言って耳を澄ませると、確かに道の奧から誰かが叫んでいるような声が聞こえる。
俺は、その声に向かって駆け出した。

、、、、、、、、、

「は、早く、早くとって! やだ、何、これ!!」
「やってる! やってるけど! なんで外れないの?!」

少し先にあった小さな広場のような空間で、初心者防具セットを身につけた二人組のパーティが、上から降ってきたスライムに絡まれていた。

代々木1層のスライムは、頭をすっぽり覆われて窒息死でもさせられない限り、取り込まれたからと言って、目に見えるような速度で溶けていくわけではない。
しかし、長時間くっつかれていたら危険だった。

小さい方の女の子が首筋から胸あたりまで包まれていて、大きい方の女の子がそれを掴んで取り除こうとしているけれど、自分の手もスライムに埋まってうまくいかないようだった。

なお、残念ながら服だけ溶けたりはしない。

「大丈夫か?!」

俺はそう叫んで駆け寄った。

「あ、助けて! 助けて下さい!!」

背の高い方の女の子が必死にこちらを見て叫んだ。
俺は、腰のベルトからボトルを引き抜いて、くっついていたスライム向かって、その液体を噴出した。ワザ名を叫びながら。

「くらえ! 塩化なんとかニウム!」

一応お約束だからな。
相変わらずその効果は劇的だった。マキロンもどきを吹き付けられたスライムは、瞬時にはじけて消えたように見えただろう。

「え?!」

スライムを外そうと奮闘していた女の子は、あまりのことに驚いたように固まった。

「ほら、大丈夫か?」

俺はそう言って、泣きじゃくっている小さい方の女の子に、バックパックから未使用の綺麗なタオルを出して渡した。

「あ、ありがとう、ごじゃいます」

彼女はそれを受け取ると、顔と、くっつかれていたところを拭きながら、ふとこちらを見ていった。

「あ、あれ? 研究職の人?」
「あん?」

よく見ると、その顔には見覚えがあった。

「えーっと……斎藤さん? だっけ? 奇遇だね」

そう言うと、背の高い方の、なんだったかカッコイイ名字だった女の子が、俺の顔を見て、驚いたように言った。

「本当だ! 三好さんにくっついていた、えーっと、なんてったっけかな」
「芳村だよ。……御劔さん、だっけ?」

「はい。助けてくれてありがとうございます。だけど、その液体、人にかかっても大丈夫なんですか?」

なにしろあれだけ何も出来なかったスライムがはじけ飛んだんだから、人体に影響があってもおかしくないと思うだろう。

「目に入ったり、飲んだりしなければ大丈夫。消毒液みたいなものだから。心配なら水で洗う?」

そう言って、俺はバックパックから2リットルのペットボトルを取り出した。

「ありがとうございます。一応それで拭かせて下さい」

そういってタオルを水で湿らせると、斎藤さんの首筋にあてて、

「あの、ちょっと向こうを向いておいていただければ……」

と恥ずかしそうに言った。

「あ、すみません。気が利かなくて」

俺は慌てて、広場の方に向いて、一応スライムの警戒をした。

後ろで衣擦れの音がして、小さく「ちょっと赤くなってるだけだし、大丈夫」とか「つめたーい」とかいろんな声が聞こえてくる。

ぬう。意外と破壊力あるな、これ。

、、、、、、、、、

講習で一緒だった女性二人組は、ボーイッシュで背が高く正統派美人なほうが、御劔遥。
かわいい系で、モテそうな方が、斎藤涼子だと名乗った。

「子だよ? 今時、子! んもう。結婚しても変わらないんだよ?!」

と妙な部分に憤慨しながらだったけれど。
ふたりは、一応新人のモデルと俳優で、事務所が同じなんだとか。
三好のプロファイリング、侮りがたし。

「でも、さすが研究職の人だね」

すっかり立ち直った斎藤さんが、感心したようにそう言った。

「叩いても引っ張っても、全然倒せなかったのに、霧吹き一発でやっつけちゃうなんて。それ、秘密兵器?」
「まあ、そんなもん」

俺は苦笑いをしてそう言った。

「それって市販されているんですか? 調べたときはそんなもの見つからなかったんですが」

御劔さんは、助けて以降、丁寧語で接してくる。

「いや、うちで、何日か前に作ったものだから、まだ市販はされていないよ」
「そうですか」

御劔さんは残念そうにうつむいた。
そういう顔につい絆されちゃうところが、広告に弱いとつっこまれる所以なのだが、まあ性分だしなぁ。

「えーっと、何か事情があるなら、わけてあげてもいいけど」
「ほんとうですか?」

ぱっと上げた顔は、熱を帯びていて、酷く子供っぽく、そうして真剣な眼差しだった。

「もう、はるちゃんのほうが女優に向いてるんじゃない?」

私は名刺ももらえなかったのにーと、斎藤さんがふくれている。
なるほど、斎藤さんのほうが女優で、御劔さんのほうがモデルだったのか。

まあ、どちらかというと御劔さんの方が好みなのは確かだ。
中性的で二度お得そうとかじゃないぞ。正統派の美人のほうが好きなだけだ。
昔、三好にそう言ったら、くう集合のげんを選ぶのに好みもクソもありませんよと、鼻で笑われたけどな。

「ダンジョンで経験を積んだら、オーラが出るってほんとうですか?」
「は?」

オーラ? 磁力線に沿って降下したプラズマが、酸素や窒素の原子を励起することで光ると言われている、あれ? って、それはオーロラや。
そんな風に真顔で聞かれて、俺は、一人突っ込みをするくらい面食らった。

彼女の瞳は真剣だ。ここは、何か……何か答えなくては。

「はるちゃんはさ、今、境界にいるんだよ」
「境界?」

岩に腰掛けて、まじめな顔でそんな話を切り出してきた斎藤さんは、逆に急に大人びて見えた。

「そう。境界っていいよね。あいまいで。私は好き」
「大人と子供の境目も、宇宙と地球の境目も。モラトリアムな場所は、一見何かを決めなくちゃいけないようにみえるけれど、それが終わるまでは何も決めなくても許される。だから居心地が良いのかな」

こいつ、こっちが本性か。

「だけどそうじゃない人もいるんだな、これが」

御劔さんは、グラビアモデルだそうだ。

一応、昔からグラビアに力を入れているK談社の、少年誌や青年誌に登場できるところまでは行ったらしいけれど、読者投票ではどうしても遅れをとってしまう。
スレンダーで中性的な容姿は、グラビアには不向きだよな。

「御劔さんのプロポーションや容姿、それに身長なら、異性より同性にアピールする、ファッション方面の方が向いてるんじゃないの?」
「そうそう。研究職さん、わかってるじゃん。それで転向しようとしているわけなんだけど、いきなりは難しいでしょ?」
「まあ、簡単じゃないんだろうね」

よくしらないけどな。

「ちょっと前から、モグラ女子なんて言葉もあるくらいだから、一応事務所にもコネはあるわけ」
「それで営業すると、コンポジットにもブックにも問題は無いんだけれど、面接で、なにか少し足りないって、最終で落とされることが多いんだ」

「コンポジットとかブックとかって?」
「コンポジットは、名刺みたいな資料ね。仕事履歴とか体のサイズとか。ブックは、まあ自分写真集みたいなものよ」
「へー」

「で、『少し足りない』って言われ続けたら、一体何が? って思うよね」
「まあ」
「で、はるちゃんはクソまじめだから、どこかのバカなやつが言った、ちょっとオーラが、みたいな軽口を真に受けちゃったわけ」

「オーラなんて、風格が出てから身についたような気になるものじゃないの?」
「でしょー? 大体そんなもん体から出てるわけないじゃん」

それはそうだ。どんな凄い俳優だろうと、体から人の心を虜にする電磁波みたいなのが出てたりしたら大変だ。
もしかしたら、スキルオーブの中に「魅了」とか「カリスマ」とかいうスキルがあるかもしれないってことは否定できないが。

「俺たちの立場で言えば、例えば動作の最適化が出来ているかどうか、なんてことがオーラに関係するのかな、なんて思うけど」
「どういうことです?」

斎藤さんと俺の話をただ聞いていた御劔さんが突然食いついてきた。

「つまり、体を使って何かを表現する時――」
「ポーズとかですか?」
「そうだね。他にも、女優なら感情を表す目線とか、表情とか、モデルなら服のシルエットをもっとも美しく見せる歩き方とか」
「ふんふん」
「まあ、そういうことを考えていると思うんだ」
「はい」

「ただ、その意図した通りに体が動くかというと、そう言うわけには行かない」
「人間は、机の上のコップひとつを取るためにも、体のセンサーから得られる情報をフィードバックしながら目的を達成するよう、体を制御するわけだね」
「はい」
「動作の最適化って言うのは、端的に言うと、考えたとおりに少しのズレもなく体が動くってことかな」
「ズレ……」
「人間の感覚は、細かいところに対してとても鋭敏にできているから、僅かなズレが気になるのかも知れないね」
「……動作の最適化」

「モンスターを倒して得られる不思議な効果には、力を強くしたりする以外に、素早さや体のコントロール力を伸ばす効果もあるんだ」
「つまりモンスターを倒せば、その力を得られると言うことですか?」
「普通の訓練でも良いと思うけどね」
「それじゃ届かない場所があるんです」

そうだ。掛け金が自分の命だって言ってたのは、この娘だったっけ。
あれ、本気だったのか。

「ま、そういうわけで、ちょっと大きいオーディションが2ヶ月弱くらい先にあるのよ」

斎藤さんが事情の説明を追加した。

「それを目指して特訓するって言うから、何かと思ったら、まさかダンジョンでモンスター退治とはね」

顔に傷でも付いたら、オーディションどころじゃなくて、仕事生命自体が終了じゃない。なんてぶつぶつ言っている。
それでも付き合う斎藤さんは、実はちょっといいやつなのかもと思った。

二ヶ月か……
袖すり合うも多生の縁。俺はちょっとだけ協力してあげたい気分になっていた。

「これから俺が言うことは、バカみたいな話に聞こえるかも知れないけれど、試してみる?」
「はい!」

そうして俺は、ダンジョン境界の場所を教えた。ああ、これも境界だな、なんて考えながら。

「まずダンジョンに入ったら、近くに人がいない、スライムの多そうな場所へ行く」
「はい」

そうして俺達はダンジョンに入ると、2層へ向かう人の流れを無視して、すぐに広間があるルートへ入った。スライムはすぐに見つかる。

「で、しゅっと吹いたら……」

俺は実際にスライムに液を噴射して、コアの状態にすると、それを素早く軽く叩いて破壊した。

「こんな感じでコアを叩いて壊す」
「はい」
「ここで重要なのは、力を入れず。なるべく素早く正確に叩くことを心がけて」

行動が適切なステータスを作り上げるなら、そうすることで俊敏や器用に優先的に割り振られるんじゃないかな、なんて漠然と考えたわけだ。

御劔さんは、真剣にそれを聞きながら頷いた。

「それから、最後に、これが一番重要なことなんだけど」

御劔さんは、なんだろうと、不思議そうな顔で俺を見た。

「一匹倒したら、すぐに、さっきの場所の一歩先くらいまで移動して、それから戻ってきて、次のスライムを同じように倒すんだ。近くにいても、連続して倒さないように」

二人は「?」な顔をしている。そうだよなぁ。俺だってこんなことを言われたらそうなるよ。でも二ヶ月で効果が出るようにするためにはこれしかないと思うんだよ。

「時間の無駄にしか思えないんだけど、それ、なんか意味あるの?」

横から斎藤さんが突っ込んできた。
あるよ! 連続して十匹倒したら、たった0.059になるステータスポイントが、これをやることで 0.2 になるんだよ! 効率三倍以上なんだよ!

しかしそんなことを言うわけにはいかず、結局出てきた言葉が――

「け、研究職、甘くみんな」

だった。
斎藤さんはしばらく俺を睨んでいたけれど、ふと目をそらすと、

「はるちゃん、この男、ちょー鈍いけど、研究職としては優秀そう……な、気がする」
「大丈夫。言われたとおりやるよ」

このことは、いろいろと守秘義務に抵触するから誰にも言っちゃダメだよと、口止めをして、満タンのなんとかニウム入りのボトルを二本と、予備のハンマーを2つ渡した。

「なんで二セット?」

斎藤さんが不思議そうにそう言った。

「どうせ、斎藤さんも付き合うんでしょ」

そう言うと、悔しそうに、少し頬を赤らめた。

「ただ、お互いの倒すスライムに、石のかけらひとつとばしちゃダメだから。必ず一人で倒すように」
「わかった」
「それと、ボトルが空になったら、電話くれれば渡せるようにしておくから」

そう言って、斎藤さんにプライベートな名刺を渡すと、「やっと名刺を貰えたよ」と言って悪戯っぽく笑った。

、、、、、、、、、

その後、数匹分討伐に付き合った。

「いや〜、これ、楽」

斎藤さんが、嬉しそうにボトルを掲げてそう言った。

「くれぐれも人に見られないように」
「わかってるって。でも移動がメンドいね、これ」

一匹倒す度に、入り口を出てダンジョン境界まで移動するのだ。短距離とはいえ、確かに面倒だろう。だがこれが重要なのだ。

「くれぐれも、手抜きしないで、さっきの所まで戻るように」
「わかってますって。でも、これで効果がなかったら、後でたっぷりクレームつけに行くから」
「うはっ」

なんという恐ろしいことを。

「だ、大丈夫そうだね。じゃ、あとは繰り返しだから」
「ありがとうございました」

御劔さんが、丁寧にお辞儀した。基本的に所作は綺麗なんだよな、このこ。

「最後に、倒したスライムの数だけは控えておいてくれるかな」
「? はい、わかりました」
「ま、それくらいならね」

そういって俺は、彼女たちの健闘を祈りながら引き上げた。
予備のハンマーも渡してしまったため、装備がなくなってしまったからだ。


013 オーブ再び 10月7日 (日曜日)


今日も今日とて代々木ダンジョン1層だ。相も変わらず誰もいない。
三好は土日も商業ライセンスの講習だ。ほんと、お疲れ様と言いたい。

俺はと言えば、いつもよりずっと奧へと移動していた。もしかしたら、あの二人が入り口付近で頑張ってるかも知れないからだ。

「邪魔しちゃ悪いし、ぽよん♪ シュッ♪ バン♪ っと。三十一匹目!」

四十一匹目で、丁度トータルが、二百匹になる。そこで何かが起こるといいなぁ、と期待しているわけだ。

次のスライムを、ぽよん♪ シュッ♪ バン♪ しながら、

「しかし、ほんと代々木ダンジョンって広いよな」

と、代々木の広さに思いをはせていた。

確か、自衛隊の初期調査で、ざっとマップが作られたときは、半径五キロくらいの円状だったらしい。五キロって言うと、北は馬場の手前だし、南は武蔵小山くらいか。

西だと永福町あたりで、東は……そういや山の手のこの辺って五キロちょっとしかないはずだから。新橋くらいまであるってことか。

実際に東京の地下を占有していたら、地下鉄崩壊どころじゃないよな、これは。

黙々と、ぽよん♪ シュッ♪ バン♪ を繰り返しながらそんなことを考えていると、突然先日と同じメニューが開いた。
手元の正の字を見ると、ちゃんと四十一匹目だった。

「来た!」

、、、、、、
スキルオーブ 物理耐性 一億分の一
スキルオーブ  水魔法 六億分の一
スキルオーブ  超回復 十二億分の一
スキルオーブ  収納庫 七十億分の一
スキルオーブ  保管庫 百億分の一 85,998,741
、、、、、、

そこに表示された内容は、昨日とほとんど同じだったが、保管庫だけはグレーアウトしていた。
右側に何かの数字が表示され、今もカウントダウンされている。
俺は素早くその数値をメモした。

なんだろうこれ。
保管庫が選択できない以上、一度取得したオーブは選べないか、そうでなければ――

「クールタイム……か?」

クールタイムは、一度なにかの機能を使ったとき、次に使えるようになるまでにかかる時間だ。
どこかにリアルタイム性のあるゲームにはよくある仕様だ。

まあ、それは後で考えよう。今はこないだ三好と話し合った実験だ。
俺は「水魔法」をタップした。
いつものように目の前に現れた珠を、俺は「保管庫」にしまいこんだ。

結局、保管庫はメイキングの消失も覚悟して俺が使用した。

三好の「先輩が言うラノベみたいに、時間が経過しないなんてトンデモだったら、スキルオーブも保管できるんじゃないでしょうか?」という台詞が決め手だった。

オーブが出回らないのは、その希少性もさることながら、二十三時間五十六分四秒の壁が大きい。
一生に一度の幸運を、現金に換えたいという探索者も多いはずだが、絶対の壁に阻まれて、当たりを付けられずに、涙を飲んだものも多いだろう。

「ま、今考えても無駄か」

おそらく百匹単位でこのスキルは発動する。なら、今のうちに出来るだけ多くのオーブを貯めておこう。いつかスライムの乱獲が始まるかもしれないし。

「実際、こないだからスライム乱獲チームは三名になったしな」

しかし二ヶ月後か。

人間の最初のステータスって、成人した時点で各項目が大体十くらいに思える。サンプルは俺。

いくらスライムが0.02とはいえ、一日十匹も倒せば、五日でステータス一分だろ? 二ヶ月あったら十は上がる。それを人間の経験二十数年分って考えると、あれ? 二十数年分……?

しかも、この誰もいない上にスライムがうじゃうじゃしている代々木なら、「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」で、一日百匹も無理じゃない……

一日にステータスが2もあがる? それって、五十日で百って、人生二百年分?……ちょっとまて。ばれたらやばくないか、それ。

え? 俺、もしかして拙いことを教えたんじゃ……

「いやいやいやいや、出たり入ったりしなきゃだめだし、いくらまじめなやつらでも、そんなわけないよな!」

そう韜晦した俺は、頭が真っ白になるまで、「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」を無心で繰り返した。

、、、、、、、、、

「三好ー、お前、明日は仕事だろ? こんなところに居ていいの?」

うちのコタツに座って、三好がパスタをクルクルとフォークに巻き付けながら、今日のメモを眺めていた。

7時頃突然、お腹減りましたーとやってきて、仕方なくパスタを茹でて出したわけだが、時計はすでに8時に近づいている。

「先輩、保管庫をゲットしたのって、3時くらいでしたっけ?」
「ん? 確か、鳴瀬さんとの話が終わって時間を確認したのが、3時前だったから、そのくらいだ」
「んー」

三好が俺のメモを眺めていた。

こいつの頭の中はどうなってるのかよくわからないが、パターンの検出や計算の分野では、まごうかたなき天才の一人だった。
俺には意味のない数字の羅列にしか見えないデータから、意味のあるパターンを見つけ出していく。

「今日の水魔法も同じくらいの時間ですか?」
「たしかそんくらいか、もうちょっと前のはずだ」

「これが、先輩の言うとおりクールタイムなんだとしたら、出現確率の逆数を一億で割った日数みたいですね。しかも秒表記」
「つまり?」
「保管庫が次に取得できるのは千日――あ、今は九九八日か――後ってことですね」

三年に一度しか手に入らないスキル、ね。
もっとも普通に探していたら、一千万人が毎日十匹狩り続けて、見つけられるのは三年に一人ってところなんだけどな。

そう考えると、意外といけそうな気もするが、スライムがそんなにいるとは思えない。

「じゃあ、水魔法は――」
「六日後、のはずです」

「もし、明日の3時を過ぎても、保管庫の中のオーブが消えなければ、一大流通革命だな」
「その検証で、ヘタをしたら八千万を棒に振るかもしれない先輩も先輩ですけどね」
「失業中なのになぁ」
「まったくですよ」

最後のパスタを口に入れると、南アルプスの天然水に、サンガリアの超炭酸を半分加えた、超お安いなんちゃって微炭酸ミネラルウォーターを飲み干した。

「ご馳走様でした。先輩料理もいけるんですね」
「一人暮らしが長いからな」
「はー、さみしい……」
「大きなお世話だ」

「だけど、この検証が成功して、保管庫がおおっぴらになったら、先輩は世界中の政府や組織から狙われることになるんですよね」

いや、お前。何をさらっと、ハリウッド映画のストーリーみたいな話をしてんの。

「そうして私は大金持ちに……ああ、美味しいご飯食べ放題」
「三好、三好、お前目が¥になってるぞ」

「もう、私も退職したいですー! 何ですかあのプロジェクト。先輩がいないと、なーんにも進まないんですよ?!」
「榎木はどうしたんだよ」
「あんなの、居ないほうがましですよ。あーもう、思い出しただけでイライラします!」
「わ、わかった、俺が悪かった。だけど今のうちじゃ、給料を出すとか無理だぞ?」
「明日、もしそのオーブが消えなかったら、辞めてもいいですか?」

うーん。まあ、もしマジックナンバーの検証結果が誤っていたとしても、当座の資金には困らなくなるか……検査費は未だに無理だが。

「そんなに辞めたいのか?」
「こっちのほうが、面白そうなんですもん」
「わかった、もし消えなかったら、な」
「よろしくおねがいします」

こないだやった実験じゃ、買って来たハーゲンダッツのバニラは一時間経ってもカチカチのままだった。だから少しは希望があるのだ。それを食べる三好を見ながら、時計やスマホを入れればすぐ分かったんじゃないのと思わないでもなかったが。

それでも、ダンジョン産の不思議アイテムにそのルールが適用されるかどうかは、実際にやってみなければわからない。

その時俺の携帯が振動した。

「ん? 電話? だれだろう」

どうやら非通知の番号らしく、番号は表示されていなかった。
不思議に思いながら、振動しているスマホを取り上げて、電話を取った。

「はい」
「こんばんは、御劔です。芳村さんですか?」
「ああ。非通知だから誰かと思いましたよ」
「あれ? そうでしたか。すみません。今度からは186でかけます」
「いえいえ、それでどうされました?」
「あの、ボトルがそろそろ無くなりそうなので、譲っていただければと思いまして」

え、もう使い切りそうなのか。

「分かりました。いつが良いですか?」
「明日でも大丈夫でしょうか」
「構いませんよ。場所は代々木で? 時間はどうします?」
「はい、それで結構です。できれば午前中、入ダン前がありがたいのですが……」
「了解です。では、十時に代々ダンの代々木ダンジョンカフェでお待ちしています」
「ありがとうございます。それで、料金は……」
「少々お待ち下さい」

そういえば、あのボトルっていくらで作ってるんだ?

「なあ三好」
「なんです?」
「あのナントカビームのボトルって、コストどのくらいなんだ?」
「あ、あれですか? たぶん三千円くらいじゃないですかね?」
「三千円? マキロンって、一本500円くらいしなかったか? あのボトル、1リットルくらい入りそうだけど……」
「富士フイルム和光純薬のファーストグレードなら、500グラムで二万円もしないですから」
「よくわからんが、まあ損しないんならいいんだ」

「お待たせしました。一本三千円だそうです」
「わかりました。できれば数本分いただけると助かります」
「了解です。では」
「はい、お休みなさい」

「先輩、あれ、誰かに売ったんですか?」
「成り行きでな。講習会の時、俺達の前にいた二人のこと、覚えてるか?」
「ああ、あの『美人』二人組」
「なんだかトゲを感じた気もするけど、そう。実は彼女たちとさ――」

俺は三好に先日のことを詳しく話した。

「はー、相変わらず先輩は甘いですよね」
「そうか? ちゃんと口止めはしといたし、なんか、けなげじゃん。ただなぁ、ちょっと後悔もしてるんだよ」
「なんです?」
「いや、俺、大変なことをしちゃったんじゃないかと、スライム叩きながら考えちゃってさ」

そうして、「ぽよん♪ シュッ♪ バン♪」で、二ヶ月後どうなるのかの考察を三好に話してみた。

「今頃何を言ってるんですか、とも思いますけど……多分大丈夫なんじゃないでしょうか?」
「なんで?」
「先輩と違って、数値で客観的に見ることができませんから」
「いや、ほら、ヘタするとランキング上位に入っちゃうかも、だし」
「いくら上がるって言っても、二ヶ月でトリプルまでは無理でしょう? フォースくらいなら、それなりにエリア12の匿名エクスプローラもいますから、そう派手に目立ったりはしないんじゃないかと」
「そうか……そうかもな!」

そのとき俺たちは、人類全体の千位というものが、どのくらい注目を浴びるものなのかよくわかっていなかった。

しかも、早期から管理されていた日本が主体になっている、エリア12の匿名エクスプローラの上位ランカーに、国がどんなに注目していたのかも、よく分かっていなかったのだ。


014 掲示板 【広すぎて】代々ダン 1299【迷いそう】


251:名もない探索者
なあなあ、最近、入り口を出たり入ったりしてる、二人組の女の子、見かけねぇ?

252:名もない探索者
あ、いるいる。初心者装備のやつだろ? 目出し帽とフェイスガードの。

253:名もない探索者
そうそう、それ。
あれさ、最初はフェイスガードなしで、普通にスキーメットみたいなのだけだったんだけど、遥っぽかったんだよね。

254:名もない探索者
誰だそれ?

255:名もない探索者
遥って、グラビアアイドルの? こないだマグジンに載ってた?

256:名もない探索者
マジかよ。勘違いじゃなくて?

257:名もない探索者
いや、流石に違うんじゃないの? そんな仕事のやつが、ダンジョンに潜ってどうするんだよ。
怪我して傷でも残ったら、仕事パーじゃん。

258:名もない探索者
まあ、そうなんだけどさ。
でもなかなか可愛い子っぽかったから、何してるのかちょっと見てたんだよ。

259:名もない探索者
うわっ、ストーカー?

260:名もない探索者
やべぇヤツが!

261:名もない探索者
ダンジョン内では、やめとけよ。

262:名もない探索者
ちげーよ!
もし入ろうかどうしようか迷ってるとか、なにか困ってるとかだったら、力になってあげようとか、あるだろ?!
下心なんてちょっとしかないっての。

263:名もない探索者
あるのか、下心。

264:名もない探索者
だめじゃん。

265:名もない探索者
ちょっとくらいはあってもいいだろ?! まあ、それで追いかけたんだよ。

266:名もない探索者
で、押し倒したのか?

267:名もない探索者
それが、2層ルート方向と全然違う方向へ、凄い速度で走っていくわけ。

268:名もない探索者
そりゃ、ついてきているのがばれて、逃げられたんじゃね?

269:名もない探索者
そりゃ、ストーキングされたと思ったら逃げるだろ。
ダンジョンの中なんて、暗い夜道と変わりないしな。

270:名もない探索者
おまいら、容赦ないな。

271:名もない探索者
まあまあ。それで見失ったのか?

272:名もない探索者
まあ。後ろちらちら気にしてたし。追いかけたら犯罪者扱いされそうだったから。

273:名もない探索者
うわ、根性無し!

274:名もない探索者
そんな根性はいらねぇ!

275:名もない探索者
2層方向に向かわないって言えば、例の自殺騒ぎ装備無し野郎もいたな。最近流行ってんの?

276:名もない探索者
いたいた。今でも時々見かけるぞ。普通の服でバックパックだけだから、受付周辺だと凄く浮いてて目立つんだよ。

277:名もない探索者
そんな流行はきいたことない。

278:名もない探索者
でも2層まわりで見たこと無いぞ? 初心者ったら最初は大体その辺で見かけるだろ。

279:名もない探索者
いや、まて。

280:名もない探索者
なんだよ?

281:名もない探索者
それって、もしかして逢い引きなんじゃね?

282:名もない探索者
はぁ?

283:名もない探索者
天才現る。

284:名もない探索者
いや、考えてみたら、大した脅威も人の目もない代々木ダンジョンの1層は、人目を忍ぶ逢瀬にはいいかもしれん。
隠しカメラはスライムが処理してくれるしな。

285:名もない探索者
グラビアアイドルが、恋人とダンジョンの中でデート?
って、それ、どんな物語なんだよw

286:名もない探索者
大体女の子のほう、二人組だろ?

287:名もない探索者
そこは付き添いとか。

288:名もない探索者
マネージャとか。

289:名もない探索者
3Pとか。

290:名もない探索者
ヤメロw

291:名もない探索者
しかもしょっちゅう出入りしてるって、どんだけ早いんだwww

292:名もない探索者
いや、お前等下品すぎる。
まあ、変わった逢瀬なのは確かだな。

293:名もない探索者
逢瀬は確定なのかよwww


015 パーティ結成 10月26日 (金曜日)


突然 ランク 1 になってから、一ヶ月が過ぎた。

あれから、ひたすら1層の奥地でスライムを狩り続けた結果、保管庫の中には結構な数のスキルオーブが集まっている。

、、、、、、
 収納庫×1
 超回復×2
 水魔法×4
物理耐性×5
、、、、、、

おかげで俺は正式に退職できたし、三好も退職願いを提出したらしい。
引き留め工作は、俺の時とは比べものにならないくらい強力だったようで、狭い部屋で圧迫面接よろしくやられて怖かったとか言っていた。

当面は水魔法の売却益で、俺と三好の二人くらいはなんとかなるだろう。

三好は商業ライセンスをとったあと、ついでに会社の設立も検討したらしい。

「先輩の名前を隠して取引をするのって、現代日本ではすっごい難しいことが判明しました」

難しいのは利益の配分らしい。

現代日本では、とにかく何をどうやろうと、利益が移動すると税金が到るところで発生して、名前バレするかベラボーな税金を取られるということだ。

株式会社を設立して、非上場で株主名簿をつくって配当とすれば、名簿を閲覧できるのは株主か債権者だけだし、税率も二十%ちょっと……と思ったら大間違いで、
非上場の大口の場合、総合課税扱いされて、配当は超累進課税の所得税+住民税となるのだ。つまり五十五%だね。

「タックスヘイヴンを利用したくなる人の気持ちがほんとよくわかりました!」

他の国に会社を設立して、通販の取引もそこで行うというのも考えたらしいのだが、流石小心者の三好。「なんかこう、後ろめたい気がして」という理由で中止したらしい。

「そこで、ですね。パーティ制度を利用することにしました」

パーティ制度は、グループでダンジョン探索をしたとき、収益をパーティに共有するための制度だ。

本来は、パーティ全体で、高額な武器や防具を購入してそれを分配するために使われることが想定されている。詳しいことはよくわからないが、パーティ全体で、ひとつのダンジョン法人みたいな立ち位置になるらしい。

パーティメンバーリストは、パーティ作成者が管理していて、いわゆる株主名簿と同じような扱いになっているようだった。

「いや、もうホント大変でした。税理士さんに聞いてもよくわからないんですよ」

三好は憤慨するように言った。

「できるだけ税金を節約するために、知恵を絞らないといけないような税制は間違ってる気がするんですよね。それって、バカからは取っても良いと思ってるってことじゃないですか」
「まあ、歴史的事情とか、その時点における整合性とかあるんじゃないか?」
「というより、その時々でやりたいことを税制の面から後押ししたいけれど、以前と真逆の要求がでちゃったから、なんとか整合性を取るためにひねり出しました、みたいな構造がいっぱいあるんです」

「文系の人達が考える論理は、最終的な整合性が担保されるなら、支離滅裂で非論理的な構造も許容するみたいなイメージでした。税金は誰でも計算できるようシンプルな構造にしないとダメだと思いましたね」
「そしたら税理士が困るかもな」

「ファーストフードですらバラバラに注文したものをセットに纏めて、最も支払いが少ない状態にしてくれるんですよ? 税務署はやる気がないか、ぼったくる気満々だとしか思えません」
「まあ、国家の財政は、ものすごい赤字だからなぁ」

パーティ作成にも、意外とお金がかかるみたいで、貯金がー、貯金がーと唸っていた。
仕方がないので三十万ずつ出し合って、法定費用と実印なんかの作成費用にあてた。

貯金がどんどん目減りしていくので、すぐにオーブ販売用のサイトを立ち上げるらしい。

「売れるのは確実ですし、今は持ち出しだらけでも、ギリギリでなんとかなりそうです」

とは三好の弁。いや、お手数をおかけします。

パーティの住所は、今のところ三好のマンションだが、実働は俺の家のダイニングが占領されていた。儲かったら引っ越しましょうとか言ってたが、今は、別に困ってないからいいかと軽く考えていた。

パーティ名は、ダンジョンパワーズ。
なんともベタでいい加減な名前が決まったのは、ワインでべろんべろんに酔っぱらった明け方近くで、そのままリターンキーを押して提出した三好が悪いと言える。

本人は結構気に入っていたようだが。

まあ、そんなこんなで、リーダーは三好、メンバーは俺、以上終了(涙)という体制で、俺たちは船出することになったのだ。

# 第2章 Dパワーズ始動

016 常識外れのオークション 11月1日 (木曜日)


今日も今日とてスライムを狩りに代々ダンへ。

Dパワーズを結成してから、水魔法を一個と物理耐性を二個追加していた。
さらに、今日にも、もう一つ水魔法を追加できそうだと気合いを入れていたら、受付前で突然声をかけられた。

「芳村さん!」
「あ、鳴瀬さん、こんにちは」

鳴瀬さんとは、自殺騒動の時に知り合って以来、パーティ設立時に、いろいろと便宜を図ってもらって親しくなった。もちろんそんなことを面と向かって言ったことはないけれど、綺麗で頭が良くて素敵な人だ。

俺が三好が前面に出ているDパワーズのメンバーだと知っているのは、関係者を除けば、鳴瀬さんくらいだろう。

「こんにちは。今、ちょっとよろしいですか?」
「え? あ、はい」

鳴瀬さんに引っ張られるように、いつものカフェに連れて行かれ、カップを持って席に着いたとたん、前置きなしで切り出された。

「昨日、Dパワーズさんが、販売サイトを立ち上げられましたね」

そうか、三好、ついに公開したのか。

「近日とは聞いてましたが、昨日でしたか。手続きはきちんとしていますし、特に問題はないはずですが、なにかありましたか?」
「あれは、来年のエイプリルフール用のサイトが、間違って公開されたとかじゃないんですね?」

うん。気持ちはすごくわかる。俺でもそう思うだろう。

「ええ。本物の販売サイトですよ。一部オークション形式になるとは言っていましたが」
「そうですか。それで、商品なのですが……」
「はい」
「実は日本ダンジョン協会にも、詐欺なんじゃないかという問い合わせが相次いでおりまして」
「とんでもない」

「オーブが発見から一日で消えて無くなることは、ご存じですよね?」
「もちろんです」

「では、その辺はご存じの上で、あのサイトが作られていて、それは冗談でも詐欺でもないと」
「はい」

まだ確認していないが、そのサイトでは、現在スキルオーブしか販売されていないはずだ。

多分イニシャルでは水魔法が三個。後は物理耐性が一個ってところか。
何しろ物理耐性は未知スキルだ。名前から効果は想像できても、その詳細はわからないだろう。
きっと世界ダンジョン協会の関連組織が落札するはずだ。まずはお試しってところだな。

超回復と収納庫はおそらく販売されていないだろう。

「あの……もしかしたら、ですが」
「はい」
「オーブを保存する方法を発見されたのですか?」

鳴瀬さんの、あまりにド直球な質問に、思わず笑みが引きつった。

「それは、お答えしづらいですね」

もしもそんな方法が確立されたとしたら、大騒ぎどころの話じゃない。日本ダンジョン協会はおろか、日本政府が情報の開示を求めてくるかもしれない。

大部分の日本人は、自分が高額宝くじに当選したことを公開したくないであろうことは明らかだ。探索者であってもそれは変わらない。
現場で我々に接している鳴瀬さんは、当然そのことを理解していた。

「もし仮にそんな方法があったとしてですね」
「はい」
「特許を出願されたり、それをお売りになる可能性は……」
「仮に、の話ですよね?」
「はい」
「たぶんないと思います。三好ですから」

鳴瀬さんは、やっぱり、といった顔でぐったりと椅子にもたれかかった。

「あの、たぶん一千億円くらい出すところもあるとおもいますけど……」
「凄い大金で足が震えますけど、たった二人のパーティに、そんなお金は抱えきれませんよ」

自分でも、心にもないことを言ってるなあと思ったが、まあいいか。

一千億は魅力的だが、保存機器は俺自身。それなりのお金+自由のほうがずっとマシだ。

しかし、このことが広まったら、いろんなところから大量のパーティ応募が来そうだな。主にスパイが目的の。新メンバーとか、三好のヤツどうするつもりなんだろう。

「あの、例えばですけど」
「はい」
「日本ダンジョン協会が、オーブの保管をお願いしたら、引き受けていただけるでしょうか?」

俺は少し考えた。
ここでYESと答えてしまえば、その技術があることを証明してしまう。
しかしNOというと、いろいろと探りを入れられて面倒になるだろう。

「いくつかの条件が満たされれば、もしかしたら、とだけ」
「わかりました。近々上司がお邪魔させていただくかも知れませんが――」
「できればお世話になっている鳴瀬さんが、そのまま窓口になっていただければ助かります。条件に加えても良いですよ」
「ありがとうございます。検討させていただきます」

そうして鳴瀬さんは日本ダンジョン協会に帰っていった。
事態がすぐにでも動き出しそうな勢いだったため、俺もダンジョンに潜るのを辞めて、そのまま自宅へと向かった。

、、、、、、、、、

「あれ? 早くないですか?」

ドアを開けると、きょとんとした顔で、ドリッパーの前でまるで自分の家のように三好が振り返った。

すでに俺のアパートのダイニングエリアは、三好の手によって魔改造され、すっかり小さな事務所っぽくなっていた。
俺のプライベートエリアは、奧の寝室だけになってしまったが、そこすらコタツは時々三好に占領されているようだ。ワンDKの悲哀だ。

部屋には、独特の良い香りが広がっている。

最近三好が好んでいる、なんだっけ、パナマのなんだか昔のシューティングゲームみたいな名前のナントカ農園だか、トチロー探してる女海賊みたいな名前のホニャララ農園だかの、カンザシ挿してそうな名前の種類の豆だったはずだ。

この品種は焙煎の時間管理がとても難しいらしく、熟練の職人にき豆から煎ってもらうのだそうだ。
こいつの食に関する執着はちょっと引きそうになるレベルだ。

ただし、出てくるものは確かに美味い。

「おれにも一杯」
「ほーい」

すぐに三好は、新しいドリップを用意し始めた。

「とうとう売りに出したんだって?」
「何処で聞いたんです? 耳が早いですね」
「ダンジョンの受付で鳴瀬さんに捕まった」
「はー。うちに直接来ないのは、やっぱり先輩に会いたいからですかね?」

なに言ってるんだこいつ。

「おまえ、登録した場所(自宅とも言う)にいないじゃん。それはともかく、詐欺じゃないかって問い合わせが日本ダンジョン協会に殺到してるってよ」
「ははぁ」

無理もない。何も知らなきゃ、俺だってきっとそう思う。

「まあ、その辺は説明しておいたんだけど……」
「どうしました?」
「その過程でどうしても、な。あの人腹芸とかナシに、いきなり剛速球をぶち込んでくるから、まいるよな」

そう言って、さっきのやりとりを三好に説明した。

「だけど、先輩。こんな商売を始めたら、遅かれ早かれ、みんなその結論に到達すると思いますよ。詐欺じゃないなら他に考えようがありません」
「凄いエクスプローラ網を作り上げて、毎日オーブを狙ってる、とか」
「無理がありすぎます」
「だな」

「で、あずかる条件って、どうするつもりなんです?」
「そうだな。まず窓口は鳴瀬さんで」

「やっぱり、そういう関係だったんですね。彼女、元慶應のミスらしいですよ?」
「いやいやいやいや、腹芸の巧いめんどくさい野郎が来たら嫌だろ? 榎木みたいな」
「あー、懐かしいですね、その名前。あの会社どうなったんですかね?」
「しらん。後は残り時間だな。最低四時間程度は欲しいな」

「オーブカウント 1200未満ってところですね」
「そうだ。後は手数料か?」
「そら、がっぽりですよ、旦那」
「さすがは、近江商人」

「んー。売価の二十%くらいでどうですかね? 十%が実費で、十%が手数料、とかいって」
「20%? 五千万なら一千万が保管料ってことか? ボッタクじゃないか?」
「ちょっとしたレストランに行けば、消費税とサービス料で二十%くらいは平気で取られますからね。普通じゃないですか? 株式の売買益にかかる税だって、商業ライセンスで取られる税と手数料だって二十%ですよ?」

「なんだか逆恨みの波動を感じるぞ」

「気・の・せ・い・です。それとも預かり業務だと期間に応じた方が良いですかね?」
「まあなあ、売るために預けているとは限らないし、うちから出したものを十万で売って、二万だけ料金を払った後、高額で転売して勝った気になるバカとか出そうだしなぁ」
「そんな取引先は出禁ですよ、出禁。なにしろ世界でうちしかないサービスですからね。強気で行きますよ!」

「とはいえ、やはりオーブの価値と預かる期間を聞いて、後は応相談とかが無難だろ?」
「そうですね。料金ってどうやって算定すればいいですかね?」
「一日百万とか?」
「なんというドンブリ」
「まあ、先方と話しあって、希望を聞いてみれば良いんじゃね? それで徐々に相場が作られるだろ」
「了解でーす」

ドリップが終わったコーヒーを、三好がこぽこぽとついでくれる。

「どうぞ」
「さんきゅー」

独特な香りを嗅ぎながら、それを一口、口に含んだ。
透明感のある酸味が広がり、その後甘いコクが舌の上に押し寄せてくるようで確かにうまい。

こだわれば違いも生まれると言うことか。

「それで、オーブは売れたのか?」
「一応値段は付いたみたいですよ? 信憑性を出すために、最初の二日は忘れていたように見せかけてIDを表示させています」
「個人サイトならではだが、酷いな」
「最後の一日はIDを非表示にしますから。特定されて喜ぶ落札者も少ないでしょうしね」
「結局オークション形式にしたのか?」
「まあ、ものが少ないですからね。それに、これを扱えるのは、今のところ世界中でうちだけですよ! サザビーズやクリスティーズだって取り扱えません!」

そらまあ、時間が来たら消えて無くなるからな。

「とりあえず三個の水魔法を、六千万円から。入札されたら十分の時間延長ありで始めました。さっき見たら一億八百万円でしたよ」
「は? 八千万とかいってなかったか?」
「それは今までのシステムで、買い手が単独で付けた金額ですし。売り手が出るまで、いつ手にはいるのかもわからないですからね。ここなら必ず手に入る。その差ですね」

まあ、水魔法がどんなものか知らないけれど、すごい攻撃魔法が使えるなら、軍としては戦闘機より高額でもお釣りが来るだろうしなぁ……

「リミットは?」
「一応三日です」
「そりゃすごい。一日しか保たないオーブを落札する時間が、三日」
「世界が震撼しますね」

するかな……するかもな。

「んで、落札後はどうするって?」
「手渡しです。宅配とか無理ですし。符丁を発行します。符丁の暗号化はお互いの公開鍵で。使用者に日本ダンジョン協会の貸し会議室あたりに来て貰って、そこで暗号化したデータを貰って、こちらの秘密鍵で復号できたら、振り込みを確認してから、引き渡すことになります」
「まあ、妥当か。直接以外の引き渡しは、俺達の手を離れたあとの生存時間が保証できないもんな」

一応最低保障時間は、商品説明部分に書いてあるらしい。

「いくらになるのかな、楽しみですねぇ」

三好は落札価格を想像してニヤニヤしながら、珈琲を飲み干した。
近江商人はそれでいいだろうけれど、俺は販売した後のことが心配だよ。いっそしばらくほとぼりを冷ましに国外へでも逃亡するかな。

「そうだな。これが一段落したら、今年の冬はバカンスで外国にでも行くか? 社員旅行っぽく」
「いいですね! 私、マチュ・ピチュとかアンコールワットとか行ってみたいんですよ」
「何という辺境体質。食べ物なら、フランスとかイタリアとか、いまならスペインとかじゃないの?」
「ああ、それもいいなぁ……」
「ま、トラタヌにならないよう頑張ろう」
「はーい」

しかしこの後、海外旅行など夢の又夢になってしまうなどと言うことは、神ならぬ俺たちの身では想像することもできなかったのだ。


017 掲示板 【なにそれ?】Dパワーズ 1【詐欺なの?】


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-2932
突然現れたダンジョンパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。
詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレ 930 あたりで。

2:名もない探索者
あれってマジなの?

3:名もない探索者
詐欺に決まってるじゃん。三日も期間があるって、どうやってオーブを維持するんだよ?

4:名もない探索者
三日後に取ってくるとか?

5:名もない探索者
それこそあり得ないだろ。確実にオーブを落とすモンスターか場所でもあるんならともかく。

6:名もない探索者
いやだけど、結構な機関が入札してたぞ。

7:名もない探索者
なんでわかる? 》》6

8:名もない探索者
あれ、入札するときに使ってるのは、世界ダンジョン協会ライセンスIDなんだよ。検索してみ?

9:名もない探索者
げぇっ、防衛省だの、警察庁だのがいる!

十:名もない探索者
ええ、なりすましじゃないの?

11:名もない探索者
それは無理。入力の時、世界ダンジョン協会への認証が行われる。

12:名もない探索者
まじかよ、やってみたわけ?

13:名もない探索者
実はやってみた。

14:名もない探索者
六千万円所有者なのかよ!

15:名もない探索者
いや、商業ライセンス持ちで、顧客がいるなら、六千万は余裕で黒字になるレベル。

16:名もない探索者
確かに。

17:名もない探索者
どの機関もダメ元ってことじゃないの?

18:名もない探索者
そうかもしれないけどさ。こんだけ話題になってるんだから、日本ダンジョン協会も直接調べたとおもうぞ。
それでもBANされないってことは……

19:名もない探索者
まあ、本物の可能性が高い。だけどさ、これ、本物だとしたら何処で仕入れてきたんだ?

20:名もない探索者
Dパワーズの謎
1.稀少なオーブを何処で仕入れてきたのか
2.二十三時間56分4秒の壁はどうなったのか

21:名もない探索者
》》20
1はともかく2は、オーブを保存する方法を開発した、とかじゃないの? というか、それ以外考えられないんだけど。

22:名もない探索者
そんなことが可能なのか?

23:名もない探索者
サイトに書かれている責任者のライセンスID見る限りだと、結構昔なんだよね、ID取得。

24:名もない探索者
でも全然聞いたことないな。

25:名もない探索者
IDでググってもDパワーズ関連以外はなにも引っかからない。

26:名もない探索者
会社の住所とか連絡先は?

27:名もない探索者
書かれてない。

28:名もない探索者
え、それって、特定商取引に関する法律違反なんじゃないの?

29:名もない探索者
ダンジョン関連商業ライセンスは、ライセンスが明示されていれば、記述する必要がないんですよ。

30:名もない探索者
まあ、販売物が稀少で高価すぎるから、強盗に襲われかねないもんな。

31:名もない探索者
なるほど。そういうことなのか。

32:名もない探索者
いずれにしても三日後が楽しみだよな。
落札したら、落札者が何か発表するだろ。

33:名もない探索者
いや、落札者も知られたくないだろうから、なにも発表しないとおもうぞ。

…………


018 サイモン=ガーシュウィン 11月2日 (金曜日)


「サイモン? 何やってるんだ?」

寝起きで腹をぼりぼり掻きながら、チームの拠点になっている家の2層から居間へと、アッシュブロンドで背の高い細身の男が降りて来た。

「ああ、ジョシュアか、早いな。いや、エバンスの時、メイソンが吹っ飛ばされただろ?」
「ああ、この先あんなのがうじゃじゃいるかと思うと、うんざりしちまうな。うちのガードのメイソンがあのザマじゃ、誰にもどうにもならんだろうしな」
「まあな。それで、なんとかならないかと、色々検討していたんだが……」

ノートパソコンの画面じっと見ているサイモンに、異変を感じたジョシュアが聞いた。

「どうした?」
「お前、これ、どう思う?」

サイモンが見せた画面は、Dパワーズの英語サイトだった。

「なんだこれ?……スキルオーブのオークションだと? しかも落札期限が三日? どこのバカが作ったサイトなんだ? 詐欺にしたってお粗末すぎる」

ジョシュアの意見は、実にまっとうなものだった。

スキルオーブが、一日で消滅することは誰だって知っている。またその希少性も。
狙って揃えることなど不可能であることも、誰もが知っているのだ。

「開設から一日が経ったが、まだ閉鎖されていない。それに入札に名前を連ねている連中は、日本の防衛省に警察庁、他にもダンジョン攻略に力を入れている大企業どもだぜ」

もしもそれが詐欺だとしたら、日本ダンジョン協会がすぐに閉鎖させるはずだ。
しかもそんな大物連中がこぞって入札している?

「……もしかして、その連中は、スキルオーブの保存方法を見つけたのか?」

確かに信じがたい。
とはいえ、人類は進歩する。その可能性は常にあるのだ。

しかしこのサイトは、民間人が単独で運営しているように見えた。

「もし、その方法が発見されていたとしても、今の段階じゃ、こいつ個人の技術ってことなんじゃないかな」
「おい、それが本当なら、今すぐ引き抜くべきだろ! 空母なんかより、ずっと価値があるだろうが」
「このサイトを見た世界中の連中がそう思ってるだろうよ。日本だってバカじゃないんだ。そう簡単に引き抜けるもんか」

今頃全世界のダンジョン関係者の間じゃ、ケンケンゴウゴウ大騒ぎだろう。
しかし、現時点ではこれが本物かどうかは誰にも分からない。個人を特定しようにも、分かるのは開設者の世界ダンジョン協会ライセンスIDだけだ。

とりあえず様子見、みんなそう思っているはずだ。

「ま、それはいい。問題はこれだ」

そう言ってサイモンが指さしたところには、『物理耐性』という文字があった。

「物理耐性? そんなスキルあったか?」
「問い合わせてみた。お前の言うとおりないそうだ」
「未知スキルか?!」

サイモンは強く頷いて言った。

「これが、これからメイソンに必要になりそうな気がしないか?」

サイモンは液晶画面をコンコンと人差し指の先で叩いた。

「期限が三日のオークションに、未知スキル? クレイジーだ。この祭りを始めたヤツは、自分のやってることの意味が分かってるのかね?」
「さあな。とにかく俺は、これに入札してみる。カネが足りなくなりそうだから、チームの連中にパーティ口座の使用許可を取っておいてくれ」
「なんだよ、そんなに高額になりそうなのか?」
「まあ、相手が相手だから」

そうして現在の入札者を見せた。それはサイモン同様、よく知られているIDだった。

「ファン・チュインシーかよ」

ファンは世界ダンジョン協会ランキング4位。中国のトップエクスプローラだ。

「落札したら、しばらく代々木に行こう。突然現れた世界ランク1位のヤツと無関係とは思えないしな」
「メイソンはまだ無理だろう」
「ジャパンで休暇も、たまにはいいだろ」
「休暇だ? こんな時にか?」

あのオーブのせいで、政府に関わるアメリカ中のエクスプローラは全員がこき使われている。
しかし、サイモンはその台詞に笑みを返しただけだった。

「はぁ……言い出したらきかねーから。わかった、みんなには連絡しておく」
「頼むよ」

そう言ってサイモンはパソコン画面に目を戻した。


019 なに、この落札価格?! 11月4日 (日曜日)


シャワーを浴びて、目を覚まし、風呂から出たところで突然玄関のドアが開いて、三好が飛び込んできた。
俺は慌ててバスタオルで体を覆った。

「いや、事務所然としてきたとはいえ、ここは俺の家なんだが……合い鍵は仕方ないとしても、ノックくらいしろよ」
「せせせせ、先輩! それどころじゃないんですよ!」
「それどころってなぁ……」
「ほら、みて、みて、これ!」

差し出されたスマホを見ると、それはDパワーズの販売サイトだった。

そういえば今日の日本時間0時が〆切りだっけ。
そこにはオーブの最終落札価格が表示されていた。
えーっと……

「二億!? って、凄いな、予想の三倍じゃん」
「先輩、桁。桁、間違ってるから!」
「ん?……イチジュウヒャクセン……はぁ? にじゅうよんおくはっせんにひゃくまんえん?」

2,482,000,000円
2,643,000,000円
2,562,000,000円

そこに表示されている、三個の水魔法オーブには、それぞれ二十四億円を越える値段が付いていた。

「しかも三個とも落札者が同じ……って、政府関連IDか」

世界ダンジョン協会IDは4ブロックからなるIDで、左端のブロックは、種別+エリアID+国IDというフォーマットになっている。
Pで始まるのはパーソナル、つまり個人のIDを意味していて、Cが会社組織、Gが政府関連、Dが世界ダンジョン協会関連組織を意味していた。
例えば、日本ダンジョン協会の個人でエリア12のコードは、P12JP-... となるわけだ。

「防衛省ですね」

なんとまあ。
そりゃ、戦闘機がメンテ込みとはいえ一機百億円時代だから、それに匹敵するような戦士が作れるなら、もしかしたら安いのかも知れないけど……

「それより、こっちですよ!」

三好が指さした場所には物理耐性の落札価格があった。

3,547,000,000円

「さんじゅうごおく?」

未知スキルだというのに名前だけでこの価格。しかも、IDが個人だ。一体どこの大富豪だよ……

「フィルタが変換してくれるくらい有名なIDですよ。ほら。サイモン・ガシュウィンさんですね」
「有名? どっかの大富豪か? 確かにどっかで聞いたような……」
「なにいってんですか、この人ですよ、この人」

三好がワールドランクリストの世界ランク三位の所を指さした。

「エバンスダンジョン攻略チームのリーダーじゃねーか! ガーシュウィンっていうのか」

なにもかもが予想外の事ばかりで、俺は、どかりとダイニングの椅子に腰を下ろすと深く息を吐いた。

「税引き後で、八十九億8720万円の儲けですけど、どうします?」
「基本、仕入れはエイリアンのよだれ代くらいなものだもんな。で、どうするって言われても、次はお前のみどり先輩のところで検査だろ?」

そういうと三好はくすりと笑った。

「先輩って……結構凄いですよね」
「なにが?」
「だって、文無しのピンチから、一転百億円近い資産家ですよ? 頭がパーになってもおかしくないでしょう?」
「何言ってんだ、それはパーティのカネだろ。俺は変わらずピーピーだ」

従業員が会社の金を自由に出来るはずがない。

「メンバーは、私と先輩だけですから、これ、半分は確実に先輩のお金です」
「そう言われてもな。別に何をするわけでもないし……あ、そうだ。会社の場所だけはちゃんとした場所に移した方が良いな」

いつまでも俺の部屋じゃ困るよ。主に俺が。

「そんなのビル毎買えますよ」
「あ、それはいいな。ちょっと秘密基地みたいで、そそる」

「子供ですか……あ、そうだ。先輩のパーティカードが出来てますから、お渡ししておきますね」

それは、マットなカーボンブラックをベースに金色の文字でパーティIDとメンバーIDが小さく刻まれたICカードだった。
なかなかシンプルでカッコイイ。

「Dカードに、世界ダンジョン協会のライセンスカードに、パーティカードか。これって纏められないの?」
「Dカードは人智の及ばないアイテムですし、パーティは変動しますからね。それにライセンスカードと統一したら、使用時に身バレしますよ?」

パーティIDは単なる連番だが、ライセンスカードと統一したら、世界ダンジョン協会のIDと紐づけ出来ちゃうわけだ。

「人に言えない企みは、手間と時間がかかるねえって?」

俺はパーティカードをもてあそびながら、ふと気になったことを聞いてみた。

「ところで、これ、月いくら使っていいの?」
「先輩も私も月給じゃありませんよ?」
「ほへ?」
「そのカードは法人のキャッシュカードに法人のクレジットカードが合体したみたいなものです。基本的に世界ダンジョン協会の発行なので、クレカ部分はアメックスみたいですが、審査は今回の入金後になります。で、利用の上限/下限はありません」
「つまり?」
「お金は、口座にあるだけ引き出せます。クレカの限度額は設定されてないので。テキトーに使って下さい」
「いや、それって、まずいだろ」
「どうせ税引き後ですし、二人しかいませんし。まあ、なにか大きな買い物をするときは相談することにしましょう。一千万くらいなら自由に使っていいってことにしておきましょう」
「いや、貯金したいんだけど」
「私もそう思ったんですけど、そのカード自体が銀行の口座ですから貯金しているようなものなんですよ」
「ああ、そうか……」

そこで俺たちはお互いに吹き出した。

「小市民ここに極まれりって感じだな」
「小市民だから仕方ないですよ。後の細かい処理はこちらでやっておきますから、先輩はダンジョンでもりもり稼いで下さい!」
「よろしくー。いや、エージェントがいるのって、楽でいいな」
「でしょ? 近江商人も寄生しがいがあって嬉しいです」

そうして俺たちはもう一度笑い合った。

「だけど、家賃や月々の支払いなんかがあるから、個人の資産もないと困らないか?」
「日本ダンジョン協会経由でパーティ口座に入金されるとき、パーティ登録されているメンバーの世界ダンジョン協会カードと連動している口座へ分割することができるので、そのシステムを利用して、当面は自動分割で一%を振り込むようにしてあります。直接現金を下ろして他の口座へ入金すると税務署に怒られる可能性があるのでやめて下さい」

ああ、税引き後のお金をパーティと個人に分けるわけか。そりゃ当然あるだろう。
だけど……

「一%? 俺、月十万以上かかるけど、大丈夫かな?」
「先輩。一%って、最初のオーブの入金だけで九千万円弱ですよ? しかも税引き後です」
「え……俺、月収九千万なの?」

今月はそうですね、と三好が笑う。
それを聞いて、なんというか、ちょっと目眩がしたが、このことは忘れよう。とにかく支払いに困ることはなさそうだ。大事なのはそこだけだ。

「それで、受け渡しの日程は決まってるのか?」
「防衛省のものは明日ですね」
「早っ! 準備とか大丈夫なのか?」
「ふっふっふ。カッコイイ、チタン製の箱を作りましたよ! 密度の高い絹のベルベットの内敷で、ほら」

三好が台所に積まれたダンボールから取り出して見せてくれた箱は、ちょうどオーブが入るサイズで、内部はほとんど黒に近いダークブルーと彩度低めのクリムゾンの絹のベルベットで埋められていた。
蓋の内側と、箱の底には、対になる怪しげな魔法陣が刻まれている。

「そこのダンボール、箱だったのか。しかし、なんだか高そうだな」
「ええ、そりゃあもう。特注ですし、一ロット百個で、一個十二万円です」
「箱が十二万!? そりゃ凄い」
「支払いがオーブ売買の後じゃなかったら、絶対に買えません」

「で、この魔法陣はなんなんだ?」
「ハッタリですよ、ハッタリ。これ、いろんな線が数学的に面白い値になるように作ったんです。どこかの研究機関が、この魔法陣をまじめな顔で解析しているのを想像したら吹き出しません?」
「お前……趣味悪いぞ」
「いや〜。で、先輩には、受け渡し直前に、これにオーブを入れて貰いたいわけです」
「了解。場所は?」
「日本ダンジョン協会の貸し会議室を十一時から押さえてあります。あ、それで思い出しました」
「なんだ?」
「先日日本ダンジョン協会から連絡があって、私たちに会いたいってことです」
「保存の件かな」
「でしょうね」
「受け渡し日時は決まってましたので、ついでに明日の午後から日本ダンジョン協会本部で会うってことにしてあります。先輩も来ますか?」

そうだな。いくら身バレしたくないと言っても、日本ダンジョン協会本部じゃパーティメンバーは知られてるだろうし、そんくらいはいいか。
三好一人だと心配だしな。

「じゃあ、一応、パーティメンバーってことで同席するよ」
「了解です」
「よし、じゃあ、明日に備えて寝るか」
「まだ朝ですよ」

三好が呆れたように言った。

「仕方ないな、なら、ダンジョンにでも行ってくるかな」
「私は会社の事務と、あといくつか不動産で住居やビルを見てきます。どの辺が良いですか?」
「そうだなぁ、この辺にも愛着があるし、代々木まで近いし。この辺で良いんじゃない?」
「了解です」

、、、、、、、、、

昼頃からちょっとだけダンジョンに潜った俺が、戻ってきて自宅のドアを開けると、そこにはダイニングのテーブルに突っ伏した三好がいた。

「せんぱあい」
「どうした?」
「ビルって高いんだか安いんだかわかりません」
「なんだそりゃ」

どうやら、三好は事務所と住む場所を決めるために、ネットで検索して当たりを付けた後、不動産屋をまわりまくったんだとか。

「ビルって、凄い巨大なものとか、銀座からとかを除けば、二億から十億くらいで大体買えちゃうんですけど、大抵テナントが入ってるんですよね」
「まあそうだろうな」

新築でもなきゃ、テナントの入っていないビルに価値はないだろう。

「で、色々みてるともう疲れちゃって……最後のほうは、ビルを一杯購入して、あとは不動産収入で生きていけばいいんじゃないの? なんて思うようになるんです。怖いですね」

「それで、もうセキュリティのしっかりしたオフィスビルのフロアでいいやと思ったわけですよ」
「そうだな。自社ビルの意味は秘密基地っぽくてカッコイイっていう、ただそれだけだったし」
「で、今度はそれを調べたんです。そしたら、セキュリティのしっかりしているビルは、300平米だの500平米だのって、一体何人雇えば良いんだよ、みたいなフロアばっかりなんです」

「百坪のフロアのまんなかで、二人でぽつんと仕事をするってのは、それはそれでカッコイイような淋しいような」
「先輩がダンジョンに出かけたら、私一人ですよ? 絶対無理、って思いました」

百坪の事務所の真ん中に二個だけ机があってひとりで仕事をするのか……確かにキツい。というか百坪意味ないな。

「それで、もう疲れたので、この裏にある、ちょっと大きなお家を買ってきました」
「買ってきた?」
「仮押さえですけど。土地は40平米あるので、ちょっとお高いですが、もとは変わった形式の二世帯住宅で、1層が共通、2層に2LDKが二つあります。片方は私が、片方は先輩が住むことにしました」
「いや、まて。しましたって、おい」
「1層は事務所ですね。1LDKで、十六帖の洋室+LDKです。リビングは三十畳以上あって広いですから充分事務所になりますよ。玄関は三つ、ちゃんと個別に分かれてます」
「はあ」
「もうここで良いです。疲れたんです。もう部屋は見たくなーい!」

三好がダイニングテーブルに突っ伏したまま、足をばたばたとさせている。

「わ、わかったわかった。じゃあ、引っ越し屋を頼むか?」

「先輩、どうしても持って行きたい思い入れのある家具とかありますか?」
「いや、うちの家具は基本的に、ぼろいコタツとベッドとハンガーだけだし、そんなものはないけど……」
「じゃあ、全部購入します。社宅扱いなのでそのほうがいいんですよ」
「じゃ、家具を買いにいくのか?」

がばっと顔を上げた三好が、酷くまじめな顔をして切り出した。

「先輩。私、世の中にコーディネーターなんて言う人達がなんでいるのか分からなかったんですが、今度のことではっきりわかりました」
「なにが?」
「何かを決めるとか選ぶとか、現代では物も情報も溢れすぎていて、ものすごおおおおおく大変なんです!」
「お、おお」
「だから、もう丸投げ! イメージだけ伝えたら後は全部丸投げで、コーディネートして貰って、こちらはちょっと文句を言うだけ! なんて素敵な世界!!」
「お、おお」
「というわけで、ネットで調べたら、そういう職種の人がちゃんといました。凄いですね。全部丸投げしてきましたから、先輩は上がってきた案を見て、好きに文句を言ってください」
「お、おお」
「はー、やっぱり研究職っていいですよねー。私と対象。その2つだけなんですよ? 余計なことはしばらく考えたくありません」

近江商人さんは近江商人さんでいろいろと苦労が多いようなのであった。
しかたがないので、午後の早い時間から買い物に出て、その日は三好の慰労会を行ったのだった。


020 防衛省との取引 11月5日 (月曜日)


そうして迎えた次の日は、アホみたいに良い天気だった。

「こう、どこまでも見渡せるくらい空が青いと、なんだか自分が小さな虫になったみたいな気がしますね」

昨日、あれから行った三好の慰労会で、ワインをしこたま飲んで酔っぱらった三好が、まぶしそうに目をすがめてそんなことを言った。

お前のそれは、ただの飲みすぎだ。

「ピンクの頭とピンクの斑点に彩られた、光沢のある黒い虫か?」
「うちのオフィス?は2層ですけどねー」
「なら、下の花壇までつれていった僕のお守りで、友達だ。2層に上がってくるのを待ってるよ。18層よりはずっと近い」
「下に花壇、ないですけどね」

三好はさりげなくチャンドラーごっこに付き合ってくれるいいやつだ。

「残念ながらここも17層までしかない」
「いや、先輩、それはもういいですから」

日本ダンジョン協会の変なビルを見上げながら、そう言った俺を、呆れたように遮った三好は、足早にロビーへ入って3層を目指した。

、、、、、、、、、

「では、こちらを」

精悍な、制服を着た三十代くらいに見える寺沢と名乗った男が、メモリカードを差し出した。
三好はそれを受け取ると、モバイルノートのカードリーダーに差し込んで、素早く符丁を確認した。

「確認しました。ものはこちらになります」

そういって、三つのチタン製の蓋を開けて、オーブを見せた。

「ご確認下さい」

そういって、日本ダンジョン協会の立会人――鳴瀬さんだ――に向かって、箱を並べた。
ここで直接相手に確認させたりはしない。何しろオーブは触れて使ってしまえばそれまでなのだ。なにをどう抗議しようと、ものは戻ってこない。
だから、立会人が内容を保証して、振り込みを確認後にオーブを渡すのが通常の流れだ。

鳴瀬さんは神妙な顔で、三つのオーブに順番にふれた。

「確認しました。日本ダンジョン協会はこれを水魔法のスキルオーブだと保証します。オーブカウントは……すべて60未満」

その言葉を聞いた瞬間、相手方から小さなどよめきが聞こえた。
信じられないと言った空気が、その場に広がる。

「確認しても?」
「お振り込み後にお願いします。お金は取り戻せても、オーブの使用を無かったことにはできませんから」

三好がそう言うと、しっかりした人だと笑いながら、精悍な男が、支払い端末を操作した。

「ご確認下さい」

世界ダンジョン協会ライセンスで行うダンジョン関係の取引は、必ず管理機関――国内なら日本ダンジョン協会だ――を通して行われる。支払われたお金は、日本ダンジョン協会管理費とダンジョン税を引かれて、相手先のライセンスに紐づけられた口座へと入金されるのだ。税金の取りっぱぐれはない。

「確かに確認いたしました」

そう言って三好は、三つの箱を並べて相手に差し出した。

「どうぞご使用下さい」

さっそく寺沢と名乗った男が、それに触れて頷いた。

「確かに」
「ではこれで、取引は終了です。みなさまありがとうございました」

そう鳴瀬さんが宣言すると、室内は弛緩した空気に包まれた。

「それで、三好さん」
「はい」
「どうやって三個もの指定通りのオーブを、一時間以内にダンジョンからここへ? 時間内に運べそうなのは戦闘機でも使わなければ代々木だけだが……」

寺沢と名乗った男は、心底不思議そうに聞いてきた。

「企業秘密です」

と三好が微笑む。

「まあそうでしょうな」

男は腕を組んで難しそうな顔をした。
面倒なことになりそうな空気を感じた俺は、鳴瀬さんに話しかけた。

「では、次は日本ダンジョン協会さんとの打ち合わせですね?」
「あ、はい」

それに寺沢と名乗った男が割り込んだ。

「お待ちを。今少し話があります。君」

そういって寺沢氏は、隣に座って、一言も発していない背広姿の男に話を振った。
それはこれと言って特徴のない男だった。

「始めまして。私のことは、田中とでもおよび下さい」
「はあ」
「私の所属を明かすことは出来ませんが、この席には、関係省庁の命をうけて座っています」

なんだそれ?

「つまり政府の偉い人ですか?」

俺は三好よりも先に話しかけた。
彼はそれに直接答えず、書類を差し出して、衝撃的な内容を告げた。

「三好梓、芳村圭吾の両名につきましては、ただ今をもって、海外渡航等の自粛要請が出されました」
「はい?」

渡された書類を確認すると、ダンジョン庁長官・外務大臣・国家公安委員長の連名になっていた。
いや、ちょっとまて。いくらなんでもメンバーが大げさすぎる。

「えーっと、何が何だかわからないのですが……」
「先日、Dパワーズで行われたスキルオーブのオークションをうけて、現在世界中の諜報機関が活性化しています」
「はい?」
「つまり、あなたたちが渡航すると、国家の安全保障に重大な問題が生じる可能性があるのです」
「いや、そんな大げさな。って、ヨーロッパやアメリカへも?」
「だめです」
「そんな、馬鹿な」
「もし、どうしても必要がある場合は、こちらまでご連絡下さい。警備部から人員が派遣されます」

そういって、名前とナンバーだけが書かれたカードが渡された。

「ええ? いや、私は民間人ですけど……」

警備部は、一般にVIPの警備を行う部署だ。しかし田中と名乗った男はそれには答えなかった。

「勧告は必ず守られるものと信じております。では、私はこれで」

一方的に要件を告げて立ち上がった男は、寺沢と名乗った男に黙礼して部屋を出て行った。

「えーっと、今のは?」

何が何だかわからなくて、残っていた寺沢氏に尋ねたが、答えはすげないものだった。

「私が関知することではありません。上から頼まれて同席を許しただけですので」
「はあ」
「それでは私もこれで。良い取引が出来てよかった。またなにかありましたらよろしくお願いします」

そう言って彼は三好に手を差し出した。

「こちらこそ。お買い上げありがとうございました」

三好はそう言ってその手を握った。握手をすませると、寺沢氏も足早に部屋を出て行った。

「結局、ここでは使わなかったな」
「そうですね。でも市ヶ谷本部はすぐそこですし。時間もたっぷり残ってましたから」
「まあな」

「それより先輩」
「ん?」
「ヨーロッパに美味しいものを食べに行く計画が……」
「SPに囲まれながら行きたいか?」
「ううう。さよなら、私のアンコールワット」

よよよと泣き真似をしながら、三好が会議室のテーブルに突っ伏した。

「えーっと。皆さん?」
「あ、鳴瀬さんもお疲れ様でした」
「あ、お疲れ様でした」

「考えてみれば凄いですよね」
「なにがです?」

鳴瀬さんが不思議そうな顔をして、頭をかしげた。

「鳴瀬さん、今しがたの三十分で、七億六千万以上稼いだんですよ?」
「は?」

「うーん、手数料収入って美味しいですね」
「いえ、しかしそれは私のお金というわけじゃ……」
「こんなに稼いでるんですから、ボーナスがっぽり貰って下さい」
「はぁ……ところで、午後まで時間がありますから、お昼ご飯にでも行きませんか?」

そう話題を変えた鳴瀬さんに、三好はがばっと顔を上げて、元気に言った。

「はい! 南島亭ですか?」
「あのな……」

南島亭は四谷にある、とても男らしいフレンチを出す、ちょっとクセになるお店だ。おみやげも一杯くれる。
一応ランチもあることはあるのだが、おとこらしくグランメニューもオーダーできる。三好と一緒にいくと、大変、大変危険なお店だ。

「そんなカネはない」
「え? お金はさっき稼ぎましたけど」
「あ、そうか……だが時間がない」

三好はちらっと自分のノートの時間表示をみたらしく、つまらなそうに頷いた。

「日本ダンジョン協会の裏にある『すらがわ』でいいだろ」
「先輩、すらがわ好きですよね」
「実に普通で安心できる。まあまあお財布に優しいし、近いところも良い。後、ビルの名前とロゴが諸星先生のような雰囲気で大変よろしい」
「なんですそれ?」

ビルの名前が妖怪ハンターの主人公の名字と同じで、しかもそのロゴがカタカナで明朝体なんだけれど、ちょっとゆがんでいて大変味があるのだ。主にホノクライ世界方向に。
近くの人は是非行ってみてほしい。すらがわ全く関係ないけど。

「えーっと……」

申し訳なさそうに鳴瀬さんが言った。

「あの、よろしければ、うちの社食で」

日本ダンジョン協会の社食は、職員が一緒でないと入れない。
なかなか美味しいという噂だったが、俺たちは利用したことがなかった。
俺と三好は顔を見合わせると、コクコクと頷いた。

、、、、、、、、、

「日本ダンジョン協会ってずるいですよね」

食事を終えた後、三好が廊下を歩きながら憤っていた。

「あーんなボリュームのあるトンカツ定食が、たった500円ですよ? ヤスウマの牛丼ですかっての」
「割とうまかったな」
「割とじゃないですよ。世界ダンジョン協会ライセンスで一般のエクスプローラにも解放して欲しいです。週三で通いますよ!」
「いや、うちからだと電車代で足が出るだろ」

八幡から市ヶ谷は小田原線と総武線を使えば290円、カードを使うなら278円だ。往復で556円。トンカツが千円は高いとは言えないが週三に値するかは微妙なところだ。

「あ、そうか」

ついさっき億万長者になった女とは思えない発言に、鳴瀬さんもくすくす笑っていた。

「鳴瀬さん。日本ダンジョン協会とのミーティングって、誰が相手なんですか?」
「私の上司の上司あたりだと思いますけど……私もちゃんとは聞いてないんですよね」
「へー。どんな人です?」
「斎賀さんと仰るダンジョン管理課の課長で、話の分かる方ですよ」
「どんな話になるにしろ、それならよかった」

そういって、俺たちが会議室への扉を開けると、そこには六十くらいのオッサンが座っていた。


021 日本ダンジョン協会との取引、のち、まつ田 11月5日 (月曜日)


「瑞穂常務?!」

鳴瀬さんが驚いたように言った。常務って偉い人だよね。
その瑞穂常務は、開口一番こう言った。

「一億でどうかね?」
「は?」

俺と三好は何のことだか分からずに、唖然としていた。

「一億だよ。君たちにとっては大金だろう?」

まあ、そういわれればその通りだが、一体何を言ってるんだ、このオッサン?
鳴瀬さんが横で真っ青になっている。

「常務。彼らに一億は多すぎますよ。一千万でも充分でしょう」

隣に座っていた、年の割に少し額が後退している神経質そうな男が言った。

「そうか? なら一千万だな。すぐに経理で受け取れるようにしておくから、今すぐ――」
「あ、あの、瑞穂常務!」

鳴瀬さんが必死の形相で割り込んだ。

ペーペーに話を遮られた常務は、すこし憮然としていた。
その顔を見て、子供の頃防波堤で釣り上げた、膨らんだハリセンボンを思い出した。

「なにかね」
「斎賀課長はどうなさったんです? 本日の打ち合わせは課長の担当だと伺っていたのですが」
「彼には別の用事を言いつけておいた。オーブ保存技術の買い取りだろう? 色々煩雑な手続きなど不要だ。私が執行して買い上げればいいだけだからな」

それを聞いて鳴瀬さんは絶句している。

「ああ、余り時間がないんだ。さっさと手続きして――」
「すみません。何か勘違いをなさっているようなのですが」

俺は慇懃に割り込んだ。

「勘違い?」

瑞穂常務は、道ばたでそこに存在していてはいけないものを見つけたような雰囲気で、いぶかしげに俺を見た。

「はい。我々に日本ダンジョン協会に売るような技術はありません。なにしろ一般人ですし」
「なんだと? どうやったかは知らんが、きみらはオーブ保存の技術を売りに来たんだろう?」
「え? どうしてそんなお話に?」

俺は驚いたような顔をして、瑞穂常務と、隣の神経質そうな男を見た。

「先ほど防衛省の連中と取引をしていたんじゃないのか?」

瑞穂常務の台詞に、俺はさりげなく突っ込みを入れる。

「どうしてそのことをご存じで? 貸し会議室で行われた取引の内容が漏れていたりしたら拙いんじゃないですか?」
「あ。いや、ロビーで防衛省の連中を見かけたからな。勘違いならいい」
「はあ」

「しかしキミらのところで、オーブを売りに出していたではないか」
「そうですね。なんとか落札されたものがそろって、安心しました」
「なんとか?」
「はい。もしも揃わなかったら詐欺師扱いをされるところです。取得と輸送には大変苦労しました」
「ではオーブの保存は?」
「そんな技術が開発されたのですか? さすがは日本ダンジョン協会ですね。いつ公表されるんです?」

俺は驚いたような顔で、両手を広げて、本当に聞きたいと言う姿勢をアピールした。

「……ふうらい君。これはどういうことかね?」
「え? いえ、課長の話では……一体どうなっているんだ? 鳴瀬くん!」
「ええ? いったい何の話でしょう? よくわからないのですが?」

ふうらいと呼ばれた男に話を振られた鳴瀬さんは、わたわたと慌てながらそう言った。

「ふうらい! 後でワシの部屋へ来い!」

ぐっと拳を握りしめて、顔を赤くしたハリセンボンは、吐き捨てるようにそう言うと、会議室から音を立てて出て行った。

「じ、常務!」

そういって風来とやらも、その後を追っていった。

「なんです、今の寸劇は?」
「えー、ふうらいは、お恥ずかしながら私の直属の上司です……今日の打ち合わせは、本来、その上の斎賀課長と担当の私ですすめるはずだったのですが」

なるほど、やっと話が見えてきた。

「ああ、次期社長――日本ダンジョン協会なら協会長か、の争いかなにかがあって、ここらで一発大きな手柄を立てることで、それを有利に進めようと目論んだ常務派の暴走ってところでしょうか?」
「どうしてわかるんです?」
「シマコー読んでたから」
「漫画ですか!」

三好がそう言って、俺の後頭部にチョップを入れた。

鳴瀬さんがちらりと時計を見る。打ち合わせの開始時間を少し過ぎていた。

「あ、あの、私ちょっと課長を捜してきます。少々お待ちいただいても?」
「いいですよ。どうせ、今日の予定はこれで終わりだし」

俺がそういうと、彼女はぺこりと頭を下げて、小走りに会議室を出て行った。

「先輩。鳴瀬さんには優しいですよね」
「三好にも優しいだろ? 昨日の慰労会の買い出しの時、さりげなくバタール・モンラッシェを俺のカードで買ってたろ?」

三好はぎくりとなって、ギギギギと音を立ててこちらを振り向いた。

「なんだよ、あの値段。俺は、明細を見てひっくり返ったぞ?」
「あ、あはは。アンリ・クレールが引退して、畑をジラルダンに売り飛ばした年のワインですよ? やる気があるんだかないんだかわからない年なので、つい試したくなりますよね? バタールとしては滅茶苦茶安いし、ちょーお買い得ですよ?」
「ほう」
「だってだって、飲んでみたかったけど、お財布にお金がなかったんですもーん。先輩、私の慰労会だっていいましたー」
「そう言うとき、大人はあきらめるという選択をするんだ」

「先輩。世界には一期一会が溢れているんですよ?」

いいことを言ったつもりなのか、ちょっとふんぞり返っている。
俺はため息をつきながら言った。

「今後は、一期一会をぜんぶゲットできる立場になれてよかったな」
「それはそれでなんというか、悩む楽しみがないと味気ないというか……第一、あのお金って、全部先輩の稼ぎじゃないですか」
「いや、俺じゃカネにするのは無理。エイリアンのよだれもそうだし、そこは三好のおかげだよ」
「……先輩」

三好が感激した小動物よろしく、ウルウルとした目でこっちを見ている。

「先輩、いつもそんなだったら、きっとモテますよ」
「だからお前は一言多いんだっつーの!」

三好の頭にチョップを喰らわせた瞬間、会議室のドアが開いて、鳴瀬さんが入ってきた。

「お、お待たせしまし……た?」

頭を抱えてうずくまっている三好を見て、何事? といった曖昧な笑顔を浮かべる。

「いや、どうも。うちの常務がろくでもないことをしたようで申し訳ない」

そう言って鳴瀬さんの後ろから現れたのは、がっしりとした体型だが、やや背の低い男だった。一目見たときの印象は、四角形、だ。

「斎賀です。よろしく」
「芳村です。こちらこそ。あそこでうずくまっているのが三好。うちのリーダーです」

そういって握手を交わすと、お互いに席に着いた。

「さっそくですが、オーブ預かりの件です」

どうやら斎賀課長という人は、てきぱきと物事を進めるタイプのようだ。
ビジネスでの付き合いは、こういうタイプが楽でいい。

「現在の、例えば代々木から産出したオーブがどうなっているかご存じですか?」
「いえ、詳しいことは。待機リストがありますから、それを見ておいて、買い手がいるなら急いで持ち帰ってきて連絡するか、そのまま自分達で使うかくらいしか思いつきませんね」

斎賀課長は頷きながら付け加えた。

「それ以外ですと、日本ダンジョン協会が直接買い上げる場合があります。この場合、超高額にはなりにくいのですが、腐ってもオーブですのでかなりの金額になります。お金が目的のエクスプローラは、それでもいいと考えることが多いようです」
「なるほど」
「そういったオーブが日本ダンジョン協会全体だと、年にそれなりの数産出します。いくら稀少とはいえ、代々木だけでも、年に四個くらいは見つかりますから」

そこで言葉を切ると斎賀課長は、悪戯っぽく笑って付け加えた。

「もちろん、今回、Dパワーズさんが売られたものが代々木産だとすると、それどころじゃない数が産出することになりますけれどね」
「あ、あははは」

「問題はこれらの販売先です」

斎賀課長は、鳴瀬さんが入れた珈琲を一口飲んだ。
ボタンを押せば出てくる珈琲マシンのものにしては、まあまあいける。
日本茶党の俺が、最近珈琲ばかり飲まされているのは少なからず三好のせいだ。

「急いで販売するために、どうしても買い手優位になるところがあります。じっくりオークションが行われたときどうなるかは、今回Dパワーズさんが証明したとおりです」

そこで一息置いた斎賀課長は、効果的だと思われるタイミングで次の言葉を継いだ。

「我々の希望としては、このオーブをオークションにかけたり、必要な時に利用したいのです」

ふーん。かけたいという要求を伝えるだけか。
鳴瀬さんの口添えもありそうだけれど、この課長は、俺たちのことをそれなりに理解しているな。
俺は、三好を見た。三好は静かに頷いた。

「いくつか質問があります」
「なんでしょう」

「まずそういったオーブですが、オーブカウント1200未満で、ここか代々木まで持ち込めますでしょうか?」

オーブカウント1200未満というのは、オーブが発現してから20時間以内という意味だ。

「可能だと思います。地上まで十時間と考えても、東京まで十時間の距離はそうとう広いですから」
「最悪1260くらいまで対応できますが、それ以降だとちょっと困難があるかもしれません」

「それから、そちらが必要になる、少なくとも48時間前にはご連絡をいただけますでしょうか」
「それも可能だと思いますが、なぜです?」

「なに簡単なことですよ。お預かりしたオーブは消えてしまう前にこちらで何かに利用させていただきます」

俺はとっさに思いついたデタラメを説明し始めた。
もう、建前上はとことんしらを切ってしまえ。

「え?」
「そして、必要なときに『偶然』見つけてお届けします。その際の保証オーブカウントは、いただいたもののカウント+60くらいで。どんなに神さまに愛されていたとしても、見つけるのにそれくらいは必要でしょう?」

斎賀課長は、一瞬何を言ってるんだこいつという顔をしたが、すぐにその意図を理解した。

「もちろん、偶然見つからなかった場合は、ちゃんと賠償しますから」
「了解しました。後は料金ですね。この件に関しては、比較するサービスがありませんから、そちらの言い値に近いものがありますが」

課長は降参するように両手を上げてそう言った。

「日本ダンジョン協会にとっては、輸送経費を加えても、今まで以上の利益が上がるわけですし。その利益の範囲内なら、なんでも頷くことになると思いますよ。メリットはそこだけではありませんから」

そりゃそうだ。
オーブが取引の材料として使用できるようになるのだ。
政治的にも軍事的にもその影響は計り知れないだろう。

「一個、基本一億。売却する場合は、売却金額の三割と比較して多い方を適用。あ、通常のオークションにかける場合は、うちのサイトを利用して下さい。もっともオークションにかけないもののほうが多くなりそうな気もしますけれど」
「ふむ……わかりました。大丈夫でしょう」

ふっかけたのに即決された。
今回の売り上げを見れば楽勝の金額ではあるけれど、これから先も続くとは限らない。リスクを平気で取る男なのか?

試してみるかな。

「それと最後に重要な点をひとつ」
「なんでしょう」

「技術的な問題で、三好と私が同時にいないと目的を達成できません。もしどちらかが死んだ場合は、お預かりしているオーブが全て失われる可能性があります。そのリスクだけは受け入れて下さい」
「なるほど」
「ただ、三年後にはこの問題を解決できる予定です」
「三年後?」
「あくまでも可能性です。ただ、この期間を縮めることは、どんなに投資しても不可能ですので、そこは御理解下さい」
「まるでわかりませんが、三年がなにかのマジックワードになっていることだけはわかりました。了解です」

「こちらからお話できることはそのくらいです。後はそちらで、これを受け入れるかどうかですが――」
「もちろん受け入れさせていただくことになると思います。後日契約書を作成してお持ちしますのでご確認下さい」

まじかよ。オーブが無駄に失われる可能性も充分以上にあるのに即決って、一体どうなってるんだ?
課長に、そんな権限があるとは思えないんだが……

「ありがとうございます。あまり小さな文字で沢山書いてある契約書は読むのが大変ですので、今のお話の内容を簡潔に纏めた契約書をご用意いただければと思います」

俺は念を押しておいた。

「この事業は、法的な領域にあるわけではなく、あくまでも人的な問題であることを、ご理解していただければ幸いです」
「……わかりました。それで、こちら側の窓口ですが」

斎賀課長が思い出したように付け加えた。

「鳴瀬」
「はい?」
「後で人事部からも正式な通達があると思うが、君は本日をもって、Dパワーズの専任管理監に任命された。課長補佐待遇で自由裁量勤務だそうだ。同期の出世頭だな。おめでとう」
「え……ええ?!」

驚く鳴瀬さんを見ながら、三好がすまし顔で言う。

「三十分で七億以上稼ぐんですから当然ですよね」
「根に持ってますね?」
「高額な税金サクシャーは敵です」

「ははは。では、後のことについては、担当の鳴瀬とお話し下さい。私はこれで」

そう言って、斎賀課長は礼をして出て行った。

「仕事のできそうな人だよなぁ」
「そうですねぇ。四角いけど」

三好のあまりな台詞に、全員が吹き出した。

「ところで、鳴瀬さん。専任管理監ってなんです?」
「よくわかりませんけど、Dパワーズの便宜を図る人、ですかね?」
「会社で何をするんです?」
「自由裁量勤務だと自分の席にいる必要もないですし、Dパワーズに出向して、その秘密をスパイするのが仕事じゃないでしょうか」
「いや、スパイって……」

「事務所は新しくなるので、来られても大丈夫ですけど……あ、そうだ、デザイナーのプランを見にいかなきゃだった! 予定ありましたよ、先輩!」
「なんだか、すごくお忙しそうなんですね」
「まあ、そうですね。そうだ、鳴瀬さん」
「はい?」
「しばらくしたら、次のオーブを売りに出しますから、またよろしくお願いします」
「……え? また?」
「ええ、まあ。発売までは内緒ですよ?」

鳴瀬さんは呆れたようにため息をついたが、あきらめたように頷いた。
いや、あなた、スパイが仕事なら頷いちゃだめでしょ。

、、、、、、、、、

その日の午後は、事務所のデザインをお願いしていた青山のお店に行って、担当にいろいろ聞かれることになった。

どうやら、三好が予算に制限を付けなかったみたいで、仕事を引き受けたデザイナーはものすごくやる気になっていたが、俺たちの要求はと言えば、ベッドと椅子にいいものをくらいで、特殊な贅沢と言えば、三好が1層の一部にセラーを並べたことくらいだ。

あとは使いやすければなんでもいいという、なんとも気の抜けるクライアントだったろう。提案すれどもすれども、糠に釘とはまさにこのことだ。

とくに強い要求がない俺たちみたいなクライアントは、もしかしたら最低のクライアントなのかもしれない。

それでもさすがはプロらしく、二人の家も事務所のスペースもきちんとしたコンセプトの元にまとめ上げられていった。

注文した家具の到着に五日くらいかかるということなので、余裕を見て、十一月十二日に入居することにして、店を出た。

「十日にサイモンさんの受け取りがありますけど、なんとか一段落した感じですね」
「ああ。引っ越しするまでは、ぼちぼちダンジョンへ潜りながらゆっくりしようぜ」
「その間に例の検査をしましょうよ。私、コンピュータの手配と回線の手続きを終えたら、やることなくなっちゃいますし」
「なんだ、またいろいろやってんな」
「まあ、半分趣味みたいなものですよ」

根津美術館のあたりから、表参道の駅を目指して、ふらふらと歩いていく。

空は大分赤くなりかかっている。
左手にある時計屋の前で信号待ちのために足を止めると、向かいの老舗ブラッスリーの窓越しに、グラスをあわせる人達の楽しげな様子がうかがえた。

「あのね、先輩」
「んー?」
「さっき、自分のカードでATMにいったら、残高が六千万とかあるんですよ」
「へー」
「へーって、先輩の口座も同じですからね」
「ああ、例の一%か」
「ですです。でね、ここで何にもしないことに決めても、一生遊んで暮らせると思いますけど、先輩どうします?」

そうか、パーティ口座には六十億くらいのお金が振り込まれたんだっけ。

「三好は、そうしたいのか?」
「いえ、先輩はどうなのかなーって思って。一ヶ月前までブラックっぽい職場で、ヒーヒー言ってたんですよ? 私たち」

そういやそうだな。榎木とか、もう遠い過去みたいな気がするけれど、あれはたった一ヶ月前の話なのか。
遊んで暮らすってのも悪くはないが……一日中ネトゲで引きこもるのにも、そのうち飽きそうだ。

「そんな人生はつまんなそうだろ?」
「ですよね!」

信号が青に変わり、人が一斉に動き始めると、三好も元気に横断歩道を渡っていった。

「そういや、三好って実家はなにやってんの?」
「サラリーマンと専業主婦の、普通の家ですよ。兄もいますから、自由なもんです。先輩は?」
「うちはもう両親とも亡くなってるし、兄妹もいないからなぁ。高校出てから親戚とも没交渉だし」
「ええ? 先輩、ぼっち体質?」
「失敬な。まあ、せっかく出世?したんだし、両親に仕送りでもしてやれば?」
「うーん。正直なところを話したりしたら、全員だめな人になりそうなので、しばらくはやめときます。世の中、先輩みたいな人ばっかりじゃないんですからね」

プラダブティックの入った変なビルを横目で見ながら、なんだかディスられてるような褒められてるような、びみょーな気分だ。

「まあいいや。そろそろ腹減ったな。なんか食べて帰るか?」
「え? 先輩のオゴリですか?」
「おまえな。一応今日から富豪だろ」
「あ、そうでした。でも、青山の美味しいお店は、ほとんど全部反対方向ですよ?」
「そうなの?」

「あ、じゃあ、お寿司にしませんか?」
「いいけど」
「まつ田が近くにありますよ。そこのコムデギャルソンを左に折れたらすぐです」
「すげー裏路地っぽいけど、こんなところに?」
「先輩、この辺りは、結構流行っているお店だらけなんですよ」
「へー。青山とか表参道の人って隠れ家っぽいの好きそうだもんなぁ」
「偏見です」

電話をすると席を用意していただけるとのこと。
三好の弁によると、予約が取りにくいお店も当日に電話すると意外と席があったりするらしい。キャンセルが出たりするんだろうな。

「ラッキーでしたね」と三好に言われながら辿り着いたビルは、日本ダンジョン協会にも負けないくらいみょーな飛び出た部分がある変なビルだった。

そのビルの地下でいただいた、酸味のきいたふわりと解《ほど》ける寿司は確かに美味しかったが、数時間後に来た明細を見て、めまいがしたことに変わりはない。
三好のバカタレは、小さく舌を出していやがった。

そうしてまつ田は、Dパワーズのカードが初めて使われた記念すべきお店になったのだ。


022 検査 11月7日 (水曜日)


「ここ?」
「です」

そこは江戸川沿いの河川敷にある、大きなコンテナのような形状をした、ただの四角い倉庫のような白い建物?だった。
外観は、まるで高架下にあるバイクの預かり所みたいにシンプルだ。

「みどり先輩のご自宅の町工場があった場所だそうですよ」
「へー。医療計測系って言うから、もっと郊外のおしゃれな建物を想像してたよ」

「大きなお世話だ」
「あ、みどり先輩、お久しぶりですー!」
「梓ちゃーん。よくきたねー。かいぐりかいぐり」

みどり先輩は、前髪をサイドに流して額を出した、印象的なワンレンボブの、目鼻立ちがはっきりしたメガネ美人だった。
白衣なのはお約束だろう。ただ、どっかで見たような気が……

「で、計測って、何を測るんだ?」
「それなんですけど、メールでもお伝えしたとおり、とにかく測れるものは全部計測して欲しいんです」
「またすごくアバウトだな……全部となると、酷くコストがかかるぞ? まけてやりたいが、うちもピーピーで、今にも倒れそうだからな」
「倒れそうって、先輩。融資を受けたんじゃ?」
「日本の銀行は、担保がないと金を貸してくれねぇ! 投資してもらおうにも、まともなベンチャーキャピタルひとつありゃしない!」

俺はそれを聞いて思わず吹き出した。
「おー、おー、溜まってますねぇ」

「梓。あの失礼な男は?」
「あ、今日の測定の対象者です」

「芳村です。よろしく」
「鳴瀬だ。梓に手を出してないだろうな」
「鳴瀬?」
「そうだが?」

あ、ああ! そうか、日本ダンジョン協会の鳴瀬さんに似てるんだ。

「あの、もしかしたらですが、日本ダンジョン協会にご親戚の方がいらっしゃったり……」
「美晴のことか? なら姉だ」

それを聞いて声を上げたのは三好だった。

「ええ?! あ、そう言えば似てる気がする!」

お前は、どっちもよく知ってるクセに、いままで気がつかなかったのかよ。

「とはいえ、大学を出た後はほとんど会っていないな。知り合いなのか?」
「知り合いもなにも……」

現在うちのパーティの専任管理監になっていて、大変お世話になっていることを話した。

「ふーん。世間は狭いな」
「まったくです」
「それじゃ、中で契約後、さっそく計測に入ろう」
「よろしくお願いします」

、、、、、、、、、

「計測は全項目、回数は――」
「とりあえず三十回ですね」
「三十回!……って、それだけで、ざっと6千万はかかるぞ?」
「これで先輩の会社の資金繰りも復活?」
「バカいえ、試薬だのコンピューターの利用料だの検査費用を支払ったらほとんど残らない。まあテストできるだけありがたいと言えばありがたいが」

それにしたって高すぎる。俺はつい興味本位で聞いてみた。

「しかし実用化されたとして、一回二百万の検査なんて需要があるんですか?」
「製品化されたらコストは下がるし、なにより全種類の検査なんて普通しないからな。それに一番の理由は」
「理由は?」
「保険がきく」

俺は即座に納得した。

「ともかく、検査費用の支払いは問題ありませんよ。な、三好」
「はい、大丈夫です」
「梓のいる会社ってそんなに儲けてるのか」
「いえ、これは会社じゃなくて……」
「ん?」
「私と芳村さん個人の支出ですね」
「ええ?!」
「まあ、研究開発費みたいなものです」

それを聞いたみどりさんは、心の底からうらやましそうに、「梓、うちに来なくて正解だったな。はあ、うらやましい」と言った。

その後、壁に奇妙なグリッドが沢山埋め込まれた小さな部屋へと連れて行かれた。
中央のポッドにパンツだけで横になると、体にいろんなケーブルが取り付けられた。

「一回の計測毎に血液の採取があるから、腕がちくっとするかもしれないが気にするな」
「わかりました」
「あとで、計測されたときの感想を聞かせてくれ」
「レポートにして提出しますよ」
「それは助かる。計測料金はまからないけどな」

「こちらで合図したら一回の計測を行って下さい。合図の方法は?」
「音声が繋がってる」
「わかりました」

ポッドの中で一人になった後、俺は、こっそりとメイキングを起動した。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1178.307

HP 36.00
MP 33.00

力 14(+)
生命力 15 (+)
知力 18 (+)
俊敏 10 (+)
器用 16 (+)
運 14 (+)
、、、、、、

「結果は必ず計測順に提出して下さい」
『時間がうってあるから大丈夫だ』
「それでは初回、お願いします」
『了解。開始する』

右腕にちくりとした痛みを感じたこと以外、特に大きな違和感は感じない。ゴウンゴウンとCTが回るような音がややうるさいくらいだ。
数分後、計測終了の連絡が来た。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1178.307 → 1176.307

HP 36.00 → 38.00
MP 33.00

力 14 (+) → 16
生命力 15 (+)
知力 18 (+)
俊敏 10 (+)
器用 16 (+)
運 14 (+)
、、、、、、

とりあえず、二刻みで上昇させる予定だ。まずは力から。

「お願いします」
『二回目の計測を開始する』

そうして、三十回の計測を終える頃には二時間以上が経過していた。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1178.307 → 1118.307

HP 36.00 → 61
MP 33.00 → 52

力 14 (+) → 24
生命力 15 (+) → 25
知力 18 (+) → 28
俊敏 10 (+) → 20
器用 16 (+) → 26
運 14 (+) → 24
、、、、、、

、、、、、、、、、

「おつかれさまー」

「それで、計測された感想は?」
「後でレポートを送りますけど、血液を採る場所が近いのか、いくら細い針でも少しはれる感じですね」
「普通は、連続で三十回も検査したりしないからなぁ。で、これが検査結果だ」

そう言って、みどりさんは一枚のメモリカードを三好に渡した。
三好はさっそくそれを読み込んで、中身をチェックしている。

「え? もう結果が出るんですか?」
「それが売りのひとつだからな」

「それで、なにかおかしな点はありましたか?」
「いや、生理学的な値から自動で問題を検出するシステムは、とくになにも――中島君」
「はい」

中島と呼ばれた男が、向こうの机から紙の束をもってやってきた。
今時紙とは珍しい男だ。

「生理学的な値は、三十回ともおかしなところはありませんね。そもそも三十回の意味もよく分からないのですが、時間経過に伴うなにかの計測ですか?」
「いや、まあ、そのようなものです」
「ですが脳波が少し……」
「脳波?」

「はい。計測が進むにつれて、脳波の基礎律動が、僅かとはいえ全体的に速波化しています」
「速波化? 徐波化じゃなくてか?」
「速波化です。脳波律動の周波数は視床ニューロンの膜電位水準に依存していますが、視覚の入力による覚醒度の上昇とは比較にならないレベルで入力が増加している感じですね」
「しかも時間経過にしたがって、六段階に速波化する場所が変わっていってます」

六段階? いや、それって……

「えーっと、何を言っているのか分からないのですけど」
「ここは医学的所見を述べる場所じゃないから、ただ起こった事実だけを話題にしているんだ、が」
「が?」
「あんたに精神疾患があるかもなぁ、程度の話だよ」
「程度って……」
「大抵は徐波化、つまり遅い波になることが多いから、一概には言えないが」
「てんかんの場合とは波形も違いますしね」
「はあ」

「あとはこれといって……あ! 生理的な現象とは関係ないのですが」
「なんです?」

「なんというか、奇妙な電磁波の揺らぎが観測されているんですが」
「電磁波ぁ? そんなモンいつ観測したんだ?」
「いや、計測できるものは全部と言うことでしたから、ミニマムグリッドで計測しました」
「ミニマムグリッドというのは?」
「ここだと、大体三センチ単位のグリッドですね」

「なんていいますか、まるで何かのエネルギーを持ったフィールドが発生しているような」
「どこから?」
「わかりません。もしかしたら、オーラってやつですかね」

そういって中島氏は笑ったが、それは意外と核心を突いていたのかも知れなかった。

、、、、、、、、、

帰りの電車の中で、タブレットで数値を眺めていた三好が、ふと顔を上げて言った。

「もしかして、ダンジョンによる強化って、外骨格みたいなものなんですかね?」

確かに全力でパンチしたとき、パンチの威力だけが上がるなら、こぶしは傷つくはずだが、そんなことはないらしい。
細胞が強化されたと考えることも出来るが、何かのフィールドで体が覆われて、それが外骨格のように働くと考えても現象は説明できるわけだ。

「生理的な値には、ほとんど変化がないんですよ。これで細胞が強化されたと言うのはちょっと」

仮に出力が二倍になるような強化が行われれば、エネルギーの消費が二倍になるか、利用効率が二倍になるはずだが、生物の体でそんなことが起これば、絶対に生理的な数値の変動を伴うはずだ。

「あとは脳波の変動だな。六段階って、絶対にステータスの数だろ」
「ですよね」
「てことは、魔物討伐による身体の強化ってのは、じつはESPみたいに、脳が引き起こす謎のフィールドみたいなものによるってことか」
「まあ、今回の計測を信じるなら、そういうことですね」

そうしてまた、三好は思考の海に潜っていった。


023 パトリオットエクスプレス(特別便) 11月9日 (金曜日)


「ひゅー、ここが日本か」

ブラウンヘアをクルーカットにした、均整のとれた体つきの男が、パトリオットエクスプレスから降り立つと、感慨深そうにそう言った。
ユーモアに溢れているように見えるブラウンの瞳が人なつこさを感じさせる。

「いや、基地内はアメリカじゃねーの? サイモン」

アッシュブロンドで背の高い細身の男が、揚げ足を取る。
少しこずるい印象の男が、ジョシュア=リッチ。サイモンチームの優秀な斥候だ。

「フジヤマ・ゲイシャ・テンプーラは?」

首から下げたストラップで、左腕のアームホルダーを吊った、頑丈そうな体つきの大柄なメイソンが、パッセンジャーエントリーを少しかがんで通過した。

「お前、古いぜ。いまはコウベビーフだろ。コウベは近いのか?」

肉好きのサイモンが、チームサイモン紅一点のナタリーに聞いた。

「あなたたちね……フジヤマはもっと西。ゲイシャの京都も、ビーフの神戸も関西よ。だからずーーーっと西。ここは横田でしょ」

サイモンは、残念そうに口をへの字に曲げながら、肩をすくめて言った。

「それは残念。しかし、ネバダよりは涼しいな。日本って蒸し暑い国じゃ無かったか?」
「それは夏の間だけね」

「だけどよぉ、サイモン」

ジョシュアが不安そうに切り出した。

「なんだ?」
「ほんとに、こんなことしてていいのかよ? 上の連中、例のオーブを探せと、今にも頭の天辺で湯を沸かしそうな勢いだったぜ?」
「あんなアホなプランに乗れるかよ。あんなに行き当たりばったりじゃ、三十年経っても見つかるもんか」

アメリカのダンジョン探索チームには、最優先でキリヤス=クリエガンダンジョンに棲息するモンスターの内、米国国内で確認されているモンスターからオーブを採集するように指令が下っていた。

「例の異界言語理解でしょ? 指定されたモンスターだけでも二十種類以上いるからねぇ」
「俺たちが発見するオーブの数は、ひたすら潜っていたとしても、年に二から三個がせいぜいだ。ダンジョン探索チームがどのくらいあるのかは知らないが、こんな方法で見つかる可能性は、まずないな」
「いや、それにしたって、潜ってなけりゃゼロだって言われるだろ?」

「心配するな。その件もあって、わざわざ日本まで来たんだよ」
「なんだって?」

「例のサイト見ただろ?」
「ああ、あのインクレディブルなオークションだろ」
「そう。お前、あんなに同じオーブを揃えられるか?」
「無理だな」

ジョシュアは即答した。

「俺にも出来ないさ。つまり、そこには狙ったオーブを取得する手段があると、そう思わないか?」
「……なるほど。オーブの保存ばかりに目がいきがちだが、ものが無ければ保存もくそもないってことか」
「その通り」

「ま、難しいことはいいさ。さっさと行こうぜ」

右手で腹を押さえたメイソンが、早く飯を食わせろと言わんばかりのゼスチャーでそう言った。
それを聞いたジョシュアとサイモンが、顔を合わせて肩をすくめる。

「日本ダンジョン協会へ出かけるのは明日でしょう? 今日はどうするの?」

ナタリーが尋ねた。

「とりあえずホテルまで移動する」
「基地の宿舎じゃないんだ。ホテルってどこの?」
「新宿だ。一応休暇だしな。パークハイアットを予約した」
「ヒュー。リーダーったら、太っ腹っ」
「オーブに比べりゃ安いもんだ」

そうして四人は、基地司令に挨拶するために、司令室へと歩き出した。

、、、、、、、、、

基地司令でもあるマーティネス中将は、苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。
問題児どもが、今日のエクスプレスで来日すると報告を受けたからだ。

「確かにヤツラは有能なのだ……」

先日のエバンスダンジョンの例を上げるまでもなく、人類で最も深い階層まで到達し、アメリカの権威を知らしめている。
それはアポロ計画にも匹敵するような快挙ではある。あるのだが……

「あの人間性がな……」

マーティネス中将は、腕を組んで天井を仰いだ。

サイモンチームが起こしたトラブルは非常に多い。

言ってみれば、とあるビルをテロリストから守るのに、ビルそのものを更地にしてしまうようなヤツラなのだ。それを咎めたものもいたらしいが、「我々はただの道具ですから」と、あたかも使うやつが悪いかのような言いぐさだ。

付いたあだ名がHESPERときた。制限事項なしの命令は、マスドライバーを打ち出しかねないってわけだ。

悪いことに、ダンジョン攻略部隊は、大統領直属だ。ドイツAやCIAなどの情報部からの出向者も多い。こちらに直接の命令権はないのだ。

そのとき静かな部屋にノックの音が響いた。

「入れ」
「失礼します!」

どこのバックパッカーだよと思うような恰好の四人が、司令官室へ入ってきて敬礼した。

「サイモン・ガーシュイン中尉他三名。ただいま到着しましたのでご挨拶に参りました」
「あ、ああ、ご苦労。それで、今回の訪日の目的は?」
「休暇であります」
「ほう、休暇ね」

サイモン中尉が、スキルオーブを落札したと言うところまでは報告を受けている。
彼らがそれを受け取りに来たのは間違いないだろうが、実際の所、それだけで済むはずがない。

「それで『休暇』はいつまでだったかな?」
「は。当面は一ヶ月程の予定ですが、その先は状況次第となります」

状況次第と来たか。

「君たちが、滞在している間の便宜は図るように言われている。何かあったら、私の秘書に連絡してくれたまえ」
「お心遣い感謝します! では失礼します」

と、彼らは敬礼して退室していった。

「ダンジョン=パッセージ説が本当なら、彼らは地球の英雄だが……」

頼むから、俺の任期中に、日本との間に軋轢を作らないでくれよ。

第5空軍司令官と在日米軍司令官を兼任している中将は、そのことを神に祈った。


024 掲示板 【神か?】Dパワーズ 57【詐欺か?】


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-0199
突然現れたDパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。
詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレは 930 あたりで。

...

11:名もない探索者
20億オーバーって、嘘みたいな数字になってるんだが、結局誰が落札したんだ?

12:名もない探索者
二日目の後半でID非表示になったから不明。

13:名もない探索者
なんで?!

14:名もない探索者
いや、普通、オークションって落札者公開しないから。表示されてたほうがどうかしてる。

15:名もない探索者
高額だもんなぁ。

16:名もない探索者
最初表示されてたのは、システムのミス?

17:名もない探索者
ミスのような顔をして、実は故意なんじゃないか?
入札者に大組織がいたから、本物かも?って感じがあったけど、もしわからなかったら、ただうさんくさいで終わっていたかもしれんし。

18:名もない探索者
だけどさ、今までオーブって希少性の割に取引が難しくて、水魔法なんかも買い取り希望リストに載ってる価格は、たった8000万だぜ? それが、オークションにかけることさえできれば、夢の億万長者になれるって証明されたようなもんだな。

19:名もない探索者
それはそうだが、その「オークションにかける」ってところが最大のネックだったわけで。

20:名もない探索者
いや、だからさ、頼んじゃえば良いんじゃないの? Dパワーズへ。

21:名もない探索者
おまえ、天才か。》 20

22:名もない探索者
だけど、どうやって頼むんだよ。というかそれ以前に、本当に保存できるのか?

23:名もない探索者
できなきゃ、こんなオークションは成立しないんじゃないの?

24:名もない探索者
それは分かんないぞ?
ここまでのすべてが、そう思うやつらを対象にしてオーブをかすめ取るための、壮大な詐欺の仕込みかもしれん。

25:名もない探索者
詐欺の仕込みに、存在していないオーブを、仲間が落札しているわけか。
本当にそうだったら凄いな。だって、全部で100億近いぜ?

26:名もない探索者
映画化決定?
もっとも、受け渡しは日本ダンジョン協会が仲介するから、ものがないとバレるだろうけどな。

27:名もない探索者
おい! おまいら! 新宿にサイモンチームが居たぞ?!

28:名もない探索者
は? サイモン? エバンスクリアした? 見間違いじゃネーの?

29:名もない探索者
つ写真

30:名もない探索者
おま、それ盗撮だろ。

31:名もない探索者
いや、すげーフレンドリーにファンと一緒に撮影してたぞ。

32:名もない探索者
写真みた。マジだwww

33:名もない探索者
マジで? だけど、なんでこのスレに書く。

34:名もない探索者
いや、こんなにタイムリーな来日って、これ関係な気がしないか?

35:名もない探索者
あー

36:名もない探索者
あー

37:名もない探索者
可能性はあるな。

38:名もない探索者
代々木にも、潜りに来るかな?

39:名もない探索者
なんかしばらくいるみたいなことを言ってたらしいから、たぶん来ると思われ。

40:名もない探索者
おおー! 色紙用意しとこ。


025 サイモンとのやりとり 11月10 (土曜日)


「お二人は、英語は大丈夫ですか?」

日本ダンジョン協会の廊下を歩きながら、鳴瀬さんに聞かれた。

今日の相手は、サイモン=ガーシュウィンだ。世界3位のオーラを見てみたい気もするが、相手がアメリカ人だってことをさっきまで忘れていた。

まあ、ただの取引だし、なんとかなるだろ。

「論文英語なら、まあなんとか」
「私も、人並みには。でもきっともうダメかな?」
「使わないと錆びるよな」
「ですよねー」

「そういうわけで、取引の細かいニュアンスの部分には不安が残りますので、その場合は鳴瀬さん、お願いします」
「承りました」

ドアを開けると、そこにはおそらく世界ナンバー1のダンジョン探索チームが待っていた。

"Hi there. I'm Simon Gershwin."

均整のとれた体つきの、いかにも軍人ですというクルーカットな男が、それと同時に手を挙げた。

"Hi. Mr.Simon. It's my pleasure to meet you. I'm Azusa MIYOSHI. Let me confirm the ID of this transaction."
"You got it."

彼は、彼の秘密鍵で暗号化された符丁の入ったメモリカードを差し出した。
三好はそれを受け取ると、自分のモバイルノートに差し込んで、彼の公開鍵で展開し、符丁が正しいことを確認した。


(おお、三好、やるじゃん)
(無駄な会話をしないのが、英語が出来ないことをごまかすコツです)

『確かに。では、こちらをご確認下さい』

そういって、三好はチタン製の蓋を開けて、オーブを見せると、前回と同様、日本ダンジョン協会の立会人に向かって差し出した。

鳴瀬さんは神妙な顔で、そのオーブに触れて、内容を確認した。

『確認しました。日本ダンジョン協会はこれを物理耐性のスキルオーブだと保証します。オーブカウントは、60未満です』
『60未満だと?』

サイモンの隣に座っていた、背の高いアッシュブロンドの男が、驚いたように言った。
みんなここで驚くよな。

『間違いありません』

鳴瀬さんが頷きながらそう答えた。

『どうぞ、お振り込みを』

三好がそう言うと、サイモンが手元の支払い端末を操作した。

『確認してくれ』
『確かに。振り込みを確認しました』

件の手数料と税金で、実際に振り込まれるのは、二十八億3760万円 だ。
三好は、そのまま、サイモンの目の前に先のケースを差し出した。

『どうぞ』

サイモンはそれに軽く触れると、僅かに頷いて言った。

『確かに』

そうして鳴瀬さんが、取引の終了を宣言した。

『ではこれで、取引は終了です。みなさまありがとうございました』

俺は三好に目で合図を送り、そそくさと会議室から退室しようと席を立った。
しかし、それを遮るように後ろから声がかかった。
くっ、俺たちは回り込まれてしまった!ってやつだ。

『ちょっとまってくれ』
『なんです?』
『いや、少し話がしたいんだ』
『あー、私、英語、少し、できない』

「何ですか、先輩、そのいい加減な英語は」
「いや、英語ができないほうがごまかせそうだろ?」

「あら、それなら大丈夫よ。私は十二歳まで横須賀で育ったから」

げっ。

「私はナタリー。よろしくね」

ブロンド碧眼で、日本人が考える典型的なコーカソイドの特徴なのに、日本育ちとか反則だろ。

「はあ……」
「ま、ここはあきらめたほうが良さそうですね」

三好が、そういって、もう一度会議室の椅子を引いてくれた。
仕方なく俺たちがそこに座ると、鳴瀬さんが、コーヒーマシンのボタンを押して、会議室内に香ばしいコーヒーの香りが漂い始めた。

『それで、どういった御用ですか?』
『なんだ、巧いじゃないか』
『論文英語ですけどね』
『意味が通じれば充分だ。で、君たち、いったいどうやったんだ?』
『なんのことです?』

「どうやって、カウント60未満でこのオーブをここまで持ってきたのかって聞いたのよ」

ナタリーがちゃんと日本語でフォローしてくる。
分からないふりはできないってことですかね。

『あー、偶然、一時間ほど前に手に入れることができたんですよ』
『偶然?』
『ええ、そりゃあもう。詐欺にならなくてよかった』

『じゃ、この、いかにも何かありそうな魔法陣はなんなんだい? あ、僕はジョシュアだ。よろしくね』

ジョシュアと名乗った、アッシュブロンドの背の高い男は、オーブの蓋の裏を見ながらそう聞いてきた。

『んー、雰囲気ですかね?』

俺は何事もないような顔で、肩をすくめながらそう答えた。

『雰囲気』
『そう。メイドインジャパンは細かいところにもこだわるものなんですよ』

その後も、彼らは主に代々木ダンジョンに関する雑談に混ぜて、いろんな質問をしてきた。
しばらく東京にいて、代々木ダンジョンにも潜ってみたいから案内を頼めないかと言われたときは、俺たちは1層しか潜ったことがないので無理だと断った。

『1層だけ?』
『2層へ降りる階段までは行きましたけどね』
『キミはどのくらい潜ってるんだ?』
『一ヶ月未満ですよ』
『それでどうやって……いや、わかった。他を当たってみるよ』

どうやってオーブを、と言いかけたんだろうな。

案内は自衛隊じゃなければ、カゲロウとか、渋チーとか呼ばれるチームがあるみたいだから、その辺に頼めばいいだろう。みんな喜んで案内してくれると思う。

ふと話がとぎれたところで、三好がうまく割り込んできた。

『では、話題も尽きませんが、そろそろ次がありますのでこの辺で失礼します』
『ああ、またいずれ会うこともあるだろう。そのときはよろしくな』
『こちらこそ。今日はお話しできて光栄でした』

営業スマイル全開でサイモン達と握手した三好と俺が、退室しようとドアを開けたタイミングで、サイモンが再び声を掛けてきた。

『すまない、あと一つだけ』

あんたはLAPDの殺人課の警部補か。

『最近エリア12のエクスプローラが、世界ダンジョン協会世界ランク1位になったんだが――』

俺はドアを開けたまま振り返って答えた。

『らしいですね。それが?』
『――君たちの知り合い?』

このオヤジ、全然目が笑ってねぇ。

『まさか』

そう言って肩をすくめると、そのまま会議室を出て扉を閉めた。


026 異界言語理解 11月10 (土曜日)


「失礼します」

Dパワーズとサイモンの取引の仲介をした翌日、日本ダンジョン協会オフィスに連絡のために戻ってきた鳴瀬は、斎賀課長に会議室へと呼び出された。

「斎賀課長、それでどういったお話でしょうか?」
「まあ、そう構えるな」

いや、いきなり呼び出されたら何事かって思うよね、と考えながら、指し示された椅子に座った。

「鳴瀬。お前、なぜDパワーズに専任が着いたのか、わかるか」
「凄い利益を叩き出すパーティに恩を売る、と言いたいところですが、実際は、オーブ保存技術を初めとする未知の技術の調査、といったところでしょうか」
「まあ、それもなくはない」
「他にも?」

「お前、ダンジョン=パッセージ説を知っているか」
「え? ええ、まあ一応。トンデモ本で読んだことはありますが」
「先日、あれの証拠がロシアから発表された」
「……は?」
「まだ、公になっていないから喋るなよ」
「はい……」
「しかし、とある事情があって世界中の関連機関はそれを検証できない。説得力はある。しかし、言っていることが本当かどうかはわからない。現状、そう言ったところだ」
「はぁ」

「時に、Dパワーズは、あれだけの数のオーブを売りに出しているにもかかわらず、その出所が全く分かっていない」
「消去法的に代々木でしかあり得ないと思いますが、芳村さんに下の階層に降りる気配はありませんし、三好さんに到っては、ダンジョンに潜っているという様子すらありません。一番可能性が高いのが、誰かからの買い取りです」

「そうだな。つまり、現象だけを見るなら、どこからともなくオーブを都合出来て、それを適切なタイミングで提供できるなんらかの方法がある。と考える以外ないことになる」
「そう……かもしれません」

「そこで、先の検証だ」
「?」

そう言われても、鳴瀬には課長が何が言いたいのかまるでわからなかった。

「検証には、とあるスキルオーブが必要だ」
「まさか」
「そう。そのオーブ――異界言語理解、を彼らに都合して貰えないだろうか、という話だ」

異界言語理解。
最近ロシアのキリヤス=クリエガンダンジョンでドロップしたそのオーブは、利用者にダンジョン産の異界言語で書かれている碑文を読む力を与えるものだそうだ。
それを手に入れた研究所は、早速知られている碑文の一部を翻訳して発表した。

「センセーショナルな内容だったんですか?」
「世界中の国が目の色を変える程度にはな。しかし他の研究者には、そもそもその内容を検証できない」

翻訳内容と碑文を付き合わせて、解読を試みてもいるが、そもそも単語が1:1に対応しているわけでもなければ知られていない名詞も数多くある。
かの国が訳文を正しく公開したのかどうか、なにか伏せられている情報がないのか、そう言った事柄に関しては検証不可能な状態らしい。

「二個目のオーブが見つかったとき、もしも内容がデタラメだったら国際的な信用をなくすだろうから、完全にデタラメということはないだろう。しかし、なにか重要な情報を伏せて利を得ようとしている可能性は充分以上にある。なにしろ発表された翻訳は碑文の一部だったそうだ」
「なんだか、面倒ですね」

国家の思惑が絡んだ瞬間、世界はあっという間に複雑化していく。

「それで、どのモンスターがドロップするんですか?」
「分かっていない」
「は?」
「それでも、未登録オーブをあれほどほいほいと見つけてくる彼らなら、可能性があると思わないか?」
「それをなんとなく誘導しろと?」
「まあ、そうだ」
「そんな無茶苦茶な……」

Dパワーズには何か秘密がある。それは確かだ。

それなりに受け入れられているような気もするから、少しくらいは信頼もあるかもしれない。
しかしいきなりこのオーダー。もし引き受けてしまえば、オーブを取得する方法や保存する方法があると証明するようなものなのだ。

「……理由を聞かれたら喋っても良いんですか?」
「んー、そこは仕方がないか。口止めはしておけよ」
「わかりました。でも期待しないで下さいよ?」
「いや、期待はするさ」

鳴瀬はそれを聞いて大きくため息をついた。

「……それで、条件はどうするんです?」

何しろさっきの話が本当なら、世界中の国家が喉から手が出るほど欲しがっているオーブなのだ。
先のオークションにでもかけたりしたら、どのくらいの価格が付くか見当も付かないが、途方もないという事だけは確実だろう。

「条件は……お友達のお願いって事で、なんとかならんか?」
「なるわけないでしょう!」

実に日本人的でありがちな手段だが、ビジネスの世界でそんなものが通用するはずがない。
しかも途方もないビッグビジネスなのだ。

「だよなぁ……だが、この案件が達成されたときに得られるであろう適正な金額は、日本ダンジョン協会の年間予算でも無理だろう。端的に言えば払えんな」
「家を注文して建てさせた後に、お金がありませんごめんなさい、なんて言っても許して貰えないと思いますけど」
「まあな……ま、その件は上に掛け合って国に用意させるしかないだろう。当面は、経費+適価で買い取るって感じで進めておいてくれ」
「わかりました。でも適価が用意できなかったら、日本ダンジョン協会の信用は地に落ちますよ」
「その場合は、例のオークションにでもかければ元だけは取れるさ、確実に」

そんなことをしたら、命が危ない案件なんじゃないのと思ったが、その言葉は飲み込んだ。なにしろオーブが見つからない可能性のほうが遥かに高いのだ。

斎賀は立ち上がってブラインドに指を引っかけて表を眺めると、さりげなく言った。

「それにな、どこの誰だか分からない、エリア12の世界ランク1位の影が、あそこにちらつく気がしないか?」
「未知の三人目、ですか?」

がしゃっと音を立ててブラインドを元に戻すと、鳴瀬の方を振り返った。

「そういえば、USDA、アメリカダンジョン協会から連絡が来てな」
「はい」
「明日からしばらくサイモンチームが代々木に潜るそうだ」
「はい?」
「対抗したのかどうかはしらんが、習志野から君津二尉のチームも潜ると連絡があった」
「君津って、伊織さんですか?」

君津伊織は、世界ランク一八位。日本のエースエクスプローラだ。

「そうだ。明日から代々木は最上位エクスプローラのそろい踏みだ。管理課も忙しくなるな」
「私もお手伝いに……」
「君はDパワーズに張り付いていろ。この一ヶ月で、きっと何かが起こる。『異界言語理解』の件はよろしく頼む」

そういうと斎賀は会議室を出て行った。
残された鳴瀬は思わず呟いた。

「よろしく頼むって言われても……なぁ」


027 事務所の引っ越しと探索依頼 11月12日 (月曜日)


そうして、十二日。俺たちは新しい事務所へと引っ越した。

「うわあ、なんだこれ……」

2層にある自分の部屋の玄関の扉を開けた俺は、思わずそう呟いた。

「北欧風ですね」

と、ちらりと覗いて行った三好が言った。

たしかにシンプルに纏めて欲しいとは言った。
そして言葉通りにシンプルで家具も少なめ、確かにきれいに纏められている。

「しかしなぁ……」

俺はダイニングテーブルの上から下がっている蓑虫《みのむし》みたいなライトを見ながら、あまりにオサレな空間に尻込みしていた。どうにも落ち着かない。

「ま、住めば都か」

その一言であきらめた俺は、少ない持ち物の整理を始めた。

リビングの壁一面に設置されている重厚な本棚は、分厚くて重たい専門書で埋まればかっこよさそうだ。専門書あんまり持ってないけれど。

持ってきた荷物が少なすぎて、三十分もしないうちに整理が終わってしまった俺は、玄関を出て1層の事務所へと足を運んだ。

「1層は、三好の趣味の部屋みたいだな」
「へへへ。いいでしょう」

ダイニングにはユーロカーヴのレヴェラシオンが三台並んでいた。中身はまだ……あれ? ちょっと埋まってるな。

「自分の部屋のダイニングに置くのかと思ってたよ」
「自分の部屋でそんなガバガバ飲みませんよ!」

つまり、事務所のダイニングで飲む気なんかい! とは突っ込まないのがうまくやるコツだ。そのはずだ。

すでに事務所然としているリビング側を覗くと、奧にあるL字型をした三好の大きなデスクの上には、30インチクラスのモニタが三台並んで、すでにメモ用紙が散乱していた。
隣には、どうやら俺のデスクっぽいものが置かれていたので、その椅子に腰掛けてみた。
うん、いいね。

「先輩、荷物の整理は終わったんですか?」
「ああ、服と本くらいしかないしな」
「え? 食器とか細かいものは?」
「前の家」
「前のって……向こうのアパートはどうするんです?」
「面倒だから、しばらく放置」
「うわー、金満ですね!」

まあ、確かに。
いかに面倒でも、以前なら必死ですぐに引き払っていただろう。
いかにボロとは言え、家賃は特段安くもないのだ。いや、もちろんまわりに比べれば安いのだが。

これも心の余裕のなせる業?

「単にグータラだと思います」

はい。その通りです。

「そういう三好はどうしてるんだよ」
「私はもう引っ越しましたよ?」
「は? 何にもしてないような気がするんだが」
「完全お委せお引っ越し便を頼みました。なにもしなくても、あーら不思議。勝手に梱包されて、運ばれて、あっという間に元通りの部屋に復元されるんですよ。いやー、コーディネーターと言い、世の中にはいろんな魔法があるんですね」
「そんな便利なものが……知らなかった」

「世界はお金持ちに甘いんですよ。目から鱗がぽろぽろです」
「ちっ。まあ、おいおい移動させて、綺麗になったら引き払うよ」
「これはずっと維持しちゃうヤツですね」
「うっせ」

そんなやりとりをしていたら、玄関の呼び鈴が鳴った。
三好がパソコンの画面をちらりと確認すると、「鳴瀬さんです」と言った。

「あ、お引っ越しおめでとうございます。これ、お祝いです」

鳴瀬さんは大きな胡蝶蘭の鉢植えを抱えていた。大輪四十個クラスの結構大きなやつだ。普通は配送して貰いそうなものだけど。
しかし胡蝶蘭って育てるの難しいんじゃなかったっけなどと考えながら、お礼を言って受け取った。

、、、、、、、、、

「あの、お引っ越しが一段落したところで、専任管理監としてお願いが」

引越祝いの挨拶もすませ、コンビニの蕎麦も一応お気持ちで食べた後、珈琲を入れて雑談をしている最中に、突然居住まいを正して、そう切り出された。

いつになく緊張しているように見えた鳴瀬さんを見て、三好がフランクに答える。

「なんです改まって? いいですよ、できることでしたら」
「あ、あの。とあるオーブを探していただきたいんです」
「オーブを、探す?」

俺と三好は、顔を見合わせた。
一体どういうことだろう?

「どんなモンスターがドロップするんです?」
「わかりません」
「え?」

「えーっと、代々木でドロップするんですよね?」
「それもわかりません」
「ええ……」

「そのオーブ『異界言語理解』は、世界でたった一個、ロシアのキリヤス=クリエガンダンジョンでドロップしました。ただしどのモンスターからドロップしたのかは公開されていないんです」

異界言語理解とはまた、すごい名前のスキルオーブだな。

「それで、なんでそのオーブが必要なんですか?」

鳴瀬さんはため息をひとつつくと、極秘事項なのですがと口止めをした後話し始めた。

「つまり、そのスキルの効果でダンジョン碑文の翻訳が行われたけれど、その翻訳の内容に嘘がないかどうかは現時点ではわからないということですか」
「そうです。その検証のために、世界中の国がそのオーブを探しています」

「先輩、ちょー儲かりそうですよ!」

近江商人が目を¥にして、飛び上がった。

「え? 仮に手に入ったとして、オークションに出しちゃって良いものなの?」
「あ、そうか……」

「私としましては日本ダンジョン協会に譲っていただけると大変助かるのですが……」
「自由経済って、そういう点では縛りが多くて大変ですよね」

俺は笑いながら、そう言った。

「そのキリヤスダンジョンでしたっけ? の、モンスター構成はわかりますよね。それは代々木にも?」

鳴瀬さんは頷いた。

代々木は非常に広くて、モンスターの多様性については世界でも屈指のダンジョンだ。ひとつのフロアの中に、いくつかの環境セクションがあるフロアも確認されている。
フロアボスだけでなく、各セクションのボスみたいなモンスターまで存在していた。

「ほとんどは確認されています」

そういって、キリヤスダンジョンにいるモンスターの一覧を渡してくれた。
俺は三好とそのリストを追いかけた。

「言語理解ってことは、なにか喋りそうな知性のあるモンスターですかね?」
「バンパイアみたいなタイプか?」
「そうそう、そんなの」

因みにバンパイアは今のところ見つかっていない。
まあ、そう言う可能性もあるだろうが……

「たぶんこれだな」

と俺は一匹のモンスターを指さした。

ブラッドクランシャーマン。
ゴートマンのように社会性の高いモンスターは、特定の地域でクランを作っていることがある。そのクランの中で、魔法を操る職業の代表格だ。

三好が不思議そうな顔で聞いた。

「なんでわかるんです?」
「不思議だと思わないか?」
「なにがですか?」

「鳴瀬さん、モンスターの名前は誰が付けてるんです?」
「一般的なものは、発見者や国が適当に付けたものを、世界ダンジョン協会が正式名称として発表します。ただし、素材アイテムがドロップした場合は、大抵名称が書かれていますので、その名称に修正されますね」
「そこですよ」
「?」

「大抵のモンスターは、地球の神話や、それを引いたゲームの世界などから名前が付けられているように見えます」
「はい、概ね」
「アイテムに付いていた正式な名称は、言ってみればダンジョンが指定したものです。にも関わらず、いままでドロップしたオーブは、大抵がそのモンスターが落としてもおかしくない範囲の効果を持っていた」
「そう、ですね」
「どうしてそのモンスターが落としそうだと、我々が考えるオーブがちゃんと落ちるんでしょうね?」

俺はスライムのドロップ可能性があるオーブを見て、とても不思議に思っていた。
それはまるで、日本人がドロップアイテムを決めたかのようなラインナップだったからだ。

異世界?から来た、スライムと名前を付けられた未知の生物が、どうして日本のゲームのスライムと、名前を付けられたときにはまるで知られていないはずの性質まで一致しているのだろう?

「このゲームをデザインしたやつは、地球の文化をよく理解しています。非常に詳しいと言っても良い」

鳴瀬さんは唖然とした顔で聞いていた。

「そこで、考えられる可能性は3つ」

俺は三本目の指を立てた。

「一つ目は、たんなる偶然」

確率的にはありえないけどな。

「二つ目は、プラトン言うところのイデアの存在」

それにしたって、名称が一致するというのはどうだろう。
ダンジョンカードはネイティブ言語で表示される。だからモンスターの名称も認識の上で置換されている、と考えることはできるかもしれないが。

「そうして、三つ目は、ダンジョンのデザインをしたのは地球人だという可能性でしょうか」

「そんな馬鹿な……」
「そうですか? そう考えるのが一番しっくり来るんですけどね」

俺は冗談っぽく笑いながら、珈琲を口にした。

「ともかくそう考えた場合、地球の神話、とくにケルトあたりでは、言葉や文字を操ることは、それ自体が魔法と同義です」
「社会性のあるモンスターの中で魔法を操るものは、言葉や文字に関わるスキルを持っているってことですか?」

三好が核心を突く。

「そう。リストを見る限りクランを作るほどに社会性のあるモンスターは、ゴートマン系だけだ」

鳴瀬さんは代々木のモンスターリストを取り出した。

「残念ながらブラッドクランは代々木にはありませんが、ムーンクランがあります」

ゴートマン系ムーンクラン。代々木十四層の奧、これまた十五層への階段とは反対方向の、いかにも過疎りそうな場所にあるセクションだ。

「でも先輩。同一クランにシャーマンがそんな沢山いますか?」
「そこだよな。でも、いなくなったらすぐに他の個体がシャーマンに変異するんじゃないかと思うんだ」
「根拠ないですよ?」
「まあな。でも自然界では結構あるだろ、そういうの」

「あとは、14層まで行ったり来たりするのって、すごい時間がかかりそうですよね」

それには鳴瀬さんが答えてくれた。

「標準的な直行ルートだと二日ですね」

「どっかに拠点を作るしかないな」
「エクスペディションスタイルですか?」

エクスペディションスタイルは、登山用語から来た言葉だ。
ダンジョンの中にベースキャンプを作り、そこからいくつか層を降りる度にキャンプを設営して、複数のサポート隊員がキャンプ間で物資を運搬し、冒険を支える方法だ。

対して、少人数のパーティだけで攻略する方法が、アドベンチャラースタイルだ。

「いや、アドベンチャラースタイルで行くことになるとおもう」
「え? 本当に?」

驚いたように言う鳴瀬さんに向かうと、適当にごまかした。

「まあ、お願いは了解しました。ちょっと探してみますよ」
「あの……無理はしないで下さいね」
「もちろんです。グータラ生きていけるのが一番ですから。ではちょっと準備がありますので、今日はこの辺で」
「わかりました。一応課長への報告もありますので、私は一旦日本ダンジョン協会に戻ります」
「さっきのシャーマン予想については、まだ報告しないで下さい。面倒が増えると嫌なので」
「わかりました。一応お引き受けいただいたことだけ伝えさせていただきます」
「余り期待しないように言っておいて下さいね」
「お疲れ様ー」

俺たち二人は、日本ダンジョン協会に戻っていく鳴瀬さんを見送った。
携帯で報告すればいいだけのような気もするが、何かあるのかも知れない。

「先輩、本当に行くんですか? 14層。私たちまだ二層に降りたこともありませんよ?」
「まあ、なんとかなるんじゃないかな」
「あ、そういえば先輩の世界ランクって1位だったんですよね。全然そんな感じがしないから、すっかり忘れてましたけど」
「失礼なヤツだな。もっとも、俺もそんな感じはしないけど」

俺たちは顔を見あわせて吹き出した。

「まあ、やばそうならすぐに逃げ帰ろう。それでさ――」

俺は三好にあるものの調達を頼んだ。三好は驚いた顔をしたが、探しておきますと請け負ってくれた。

「後な……」

俺は目の前に四つのオーブを取り出した。収納庫、超回復、水魔法、物理耐性だ。

「先輩、これ……」
「まあ、どうせ収納庫と超回復は試して見なきゃだしな。収納庫はともかく超回復は11月の半ばにもう一つ追加できるし、俺には保管庫があるから、これは三好が使っとけ」
「わかりました。残りは――」
「その四個を除けば、超回復が二個と水魔法が三個。物理耐性が七個だな」
「物理耐性はヘタすると毎日一個とれますからねぇ」
「三好と俺で一個ずつ。自分達で使う分だけ残しておけば、後は全部売ってもいいよ。段々値段も下がるだろう」
「分かりました。じゃ、次のオークションには、物理耐性三個、それに超回復一個を出しておきましょう」
「月二回、四個ずつか。悪くないな」
「いや、先輩。去年の代々木ダンジョンから出たオーブは、公称四個ですから」

あ、そう言えばあの四角い人が何かそんなことを言っていたような……

「と、ともかく、14層に行くんなら使っとけ。あと使用レポートもよろしくな」
「スキル取得の最大数テストみたいになってきましたね」

三好は引きつった笑いを浮かべながら、収納庫に触れた。

「初めて使うときは『おれは人間を辞めるぞ!』って言うのがルールだぞ」
「何、言ってんですか、やめませんよ」

触れていたオーブが、光になって拡散し、触れていた部分からまとわりつくように三好の体に吸い込まれていった。
オーブの使用を外から見たのは初めてだったが、こんな風に見えるのか。

「で、どうだ?」
「んー、なんか体が再構築されたような、変な感じです」

そうそう。そんな感じだった。

「先輩も準備するでしょう?」
「そうだな」

そう言って俺は自分の物理耐性と水魔法、それに超回復を取り出した。

「急に取得しすぎて、頭がバーン!ってなったりしないかな」
「スキャナーズですか! やめて下さいよ、部屋が汚れますから」
「そこかよ!」

そうして俺たちは、残りのオーブを取り込んだ。
幸い頭は破裂しなかった。

、、、、、、、、、

「げっ。あれは……」

まだ時間があったから、取得したばかりのスキルの確認をしようと代々木までやってきた俺は、ちょうど向こうを歩いているサイモン達を見つけてしまった。
何でこんな時間にサイモンが、ここに? 潜るにしても、もっと早い時間なんじゃ……

『ふーん、ここが代々木か。随分きれいに開発されてるな』
『都心のど真ん中にあるダンジョンだからね。浅い階は娯楽色も強いらしいよ』

サイモンが感心するように言うと、ナタリーが代々木のパンフレットを開きながら答えた。

「おい、あれ、サイモンチームじゃないのか?」
「ええ? え? 本物? ファルコンインダストリーのサイモンモデルじゃなくて、オリジナル?」

そんな話を俺の隣にいた二人組が、それなりの声量で話したために、サイモンがこちらを振り返りやがった。カクテルパーティ効果ってやつだ。

『お? 芳村じゃないか!』

サイモンのやつは、軍人とは思えないくらいフレンドリーだ。
右手をブンブンと振ってこちらに向かってくる。となりの二人が驚いたような顔をしてこちらを見ている。ヤメロ、目立つだろ!

『や、やあ、サイモンこないだぶり』

近づいてきたサイモンは、俺の恰好を見ると開口一番こういった。

『芳村。あんたその恰好でダンジョンに潜るのか?』
『ああ、いつもこの恰好だ』
『クレイジー。あんた、命はいらないのか?』
『いるよ! 死にそうなところには行かないから大丈夫なんだよ!』

サイモンは呆れたように、『ダンジョンじゃ、何が起こるかわからないだろう?』というが、何が起こるか分からないような場所には行かないんだって。

そんなやりとりをしていると、入り口付近がざわついた。
そこには「凛とした」という言葉を体現するような女性がこちらに向かって歩いてきていた。

君津伊織。
習志野駐屯地所属の二尉で、ダンジョン探索では、押しも押されもせぬ日本のエースだ。

近づいてくる彼女を見て、サイモンが焦ったように言った。
『やべ。そういやあんた等、またオーブを売りに出したそうだな。かなり興味があるが、今はサヨナラだ』
『俺はイオリが苦手なんだよ』とウィンクしながら手を振って去っていった。なんともお茶目なヤツだ。

「ずいぶん親しそうだったけど、あなたサイモンの知り合いなの?」

そのすぐ後に、俺の所まで来た君津二尉が、話しかけてきた。知り合いだけど、アメリカのスパイじゃないですよー。

「ええ、まあ。伊織さんですよね。今日は頑張って下さい」

そう声を掛けて逃げようとしたら、「あなた、その恰好でダンジョンに潜るの?」と回り込まれてしまった。Oh……

それを向こうから見ていたサイモンが、ほらみろと言った顔で笑いながら、サムズアップしてダンジョンへ降りていったのがむかついた。


028 掲示板 【いったいどこから?】Dパワーズ 69【仕入れてくるのか?】 11月13日 (火曜日)


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-0914
突然現れたDパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。
詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレは 930 あたりで。

2:名もない探索者
乙。IDがオークションw

3:名もない探索者
乙。おいおい、前回からまだ2週間しかたってないのに、またオーブが出品されたぞ。
いったい何処から仕入れてるんだ??

なんでだよ、41ならともかく14で? 》 2

4:名もない探索者
しかも超回復? 日本ダンジョン協会のデータベースに載ってないんだが。

5:名もない探索者
また未知オーブ?

6:名もない探索者
キングダムハーツのナンバー14はシオンだろ 》 3

7:名もない探索者
オーブってさ、代々ダンクラスでも年に4個だぜ? 2週間毎に4個ずつは、いくらなんでも異常。
最初の4個を集めた期間はわからないけれど、2週で4個でも常識を逸脱している。

8:名もない探索者
オークションやってる時点で今更だけどな。あと、闇市とか?

わかりにくすぎるwww 》 6

9:名もない探索者
そんなものがどこにあるんだよ。

十:名もない探索者
日本ダンジョン協会の裏組織があるとか
7D∀みたいな。

11:名もない探索者
格好いいな、セブンディターンエー。

12:名もない探索者
仕入れるったって、サイモンチームクラスでも2週で4個は無理だろ。2ヶ月一個でも難しい。
セブンディターンエーカコイイ。

13:名もない探索者
コピペみたいなスキルがあるとか。

14:名もない探索者
どこのラノベだよ。

15:名もない探索者
錬金術かも知れないぞ

16:名もない探索者
サイモンチームクラスが、10チームくらいで必死こけばなんとか。

17:名もない探索者
その数字がすでに不可能だってことを証明してる。
》 16

18:名もない探索者
Dパワーズで不思議なのは、これだけ稀少なオーブが惜しげもなく出てくるのに、稀少とはいえ、はるかに多く出回っているはずのポーション類を初めとするダンジョン産アイテムがひとつも売りに出されないこと。

19:名もない探索者
それなら他でもできるし、オーブに比べればカネにならないからじゃね?

20:名もない探索者
唯一無二の販売チャンネルだからな。
仮にオーブを手に入れることができても、まず真似できない。

21:名もない探索者
世界中のどんな組織でも、今のところ無理だな。

22:名もない探索者
そろそろ、アメリカやロシアや中国やイスラエルあたりの諜報機関が秘密を探りに来るんじゃないの?

23:名もない探索者
映画の見過ぎ。

24:名もない探索者
いや、そうかな? 前回の件ですでに動いていそうだが。

25:名もない探索者
事実は小説よりっていうもんな。

26:名もない探索者
大体、あのオークション以降、代々木はスーパースターだらけだぜ?

27:名もない探索者
サイモンのことか?

28:名もない探索者
あ、俺も見た! 本物はオーラが違った。

29:名もない探索者
それだけじゃないぞ。代々ダンスレみたら、昨日、習志野のチームIがいたらしい。

30:名もない探索者
イオリたんか!

31:名もない探索者
オイ、お前ら脱線しすぎ。

32:名もない探索者
まあ、関係者の死体が出ないことを祈ろう。

33:名もない探索者
洒落になってねぇ……


029 スキルの検証 11月15日 (木曜日)


「あれ? 先輩早いですね」

1層の事務所のドアを開けたら、すでに三好が朝飯を食っていた。
というか、俺たち自分の部屋のダイニングをほとんど使ってない気がするな。

「ベッドが変わったら、あまりの寝心地の良さに即オチしたんだよ」
「それで早く目が覚めたと」
「いえーす」
「朝ご飯食べます? オムレツですけど」
「ああ、サンキュー」

三好はトーストをセットすると、手早くベーコンを焼いてオムレツを作りはじめた。

俺はダイニングテーブルに座ってぼーっとそれを見ていた。
なんかちょっと新婚みたいじゃないか? なんてことは考えてませんよ。ホントに。
その朝飯を食べながら、おれは三好に聞いてみた。

「さて、三好くん」
「なんでしょう」
「収納庫、使ってみたか?」
「はい。なんていうか、手品みたいなスキルでした」

そういうと三好はテーブルの上のコーヒーカップを、一瞬で消して、又元に戻した。

「先輩の保管庫と違って、時間は止まらないみたいなんですが、ちょっと面白い効果がありました」

そう言って三好は、ストップウォッチを二個取り出すと、同時にスタートさせた。
自分で実験をするために百円ショップで買ってきたらしい。

「で、こっちを収納します」

片方のストップウォッチが消える。

「一分お待ち下さい」

そうして一分後に取り出されたストップウォッチは、収納しなかったものと比べて三十秒遅れていた。

「二分の一遅延か」
「冷静に考えたら凄いんですけど、たぶん実用上はほとんど意味がありませんよね」
「いやいや、賞味期限が倍になるってバカにならない気がするけどな」
「完全停止の保管庫に比べたら、管理がややこしくなるだけだと思いますよ?」
「それは保管庫を見たからだろ。単独なら収納庫でもすごいよ。オーブだって二日保つぞ?」
「あー、なるほど。現代なら、二日あれば地球の何処にでも運べる可能性がありますね」
「まあな、しかしそれより俺が知りたいのは容量限界なんだよ」

対象が大きさなのか重さなのか、なにが入って、なにが入らないのか。

「以前、保管庫に何が入って、何が入らないのか試してみたんだ」
「はい」
「で、ファンタジーの定番アイテムボックスと同じで、生き物は入らないだろうなと思っていたんだが……」
「え? 入ったんですか?」
「入った。だが、人間は入らなかった。ちなみに三好で試しました」
「ええ?! 先輩酷い!」
「いや、もし人間が入ったら、自分を入れたらどうなるのかって問題が発生するから、入らないだろうなとは思ってたんだよ」
「で、犬も猫もダメだったんだが、コオロギは入ったんだ」

三好が首をかしげながら言った。

「それって鍵は一定以上の知性、でしょうか?」
「ほ乳類がNGなのかもしれないけどな。そこらへんははっきりとはわからない。因みに魚は入った」

「知性だったら、寝ている私は入るかも知れませんよ?」
「中で目を覚ましたらどうなるのかわからなくて、試すのが怖いけど、たぶん入らないだろうな」
「それ以前に、時間が止まってるんだから目は覚まさないと思いますけど……神経系の複雑さとかでしょうか?」

「もっと形而上的な、意識、みたいなものが関係しているような気がするんだ」
「つっこんだら面白そうな領域ですね」
「面白いだけで役には立ちそうにないけどな。それはともかく、長さの方は、相当長いものも入った。とりあえず入らなかった長さはなかったから、制限は質量なんじゃないかと思うわけだ」
「重さはエネルギーですからね」

「で、結論から言うと、保管庫の格納重量は、大体十トン以上二十トン未満だった」
「どうやって調べたんですか?」
「夜中に路線バスの駐車場へ行って試しました」
「なんですそれ?」

「日本の大型路線バスは、大抵三菱ふそうのエアロスター系が使われてるんだ。で、この車、大体十トンなわけ」
「それで夜中にずらーっと並んでいる路線バスを、分銅の錘みたいに使って試したんですか?」
「そう。一台は入ったけど二台目は入らなかった」
「みつかったら、どうするんですか、まったく」

三好が呆れたようにいって、最後のパンを口に放り込んだ。

なかなか美味いマーマレードは、確かに手作りだが、実は近所のパン屋が作っているヤツだと言うことを俺は知っている。三好は食べるのは好きだが意外とグータラで、自分の好きな物を探す努力は怠らないが、それを作り出す努力は怠りまくりなのだ。

「誰もバスが消えるなんて思わないって。でな、イメージ的に保管庫は小容量時間停止で、収納庫は大容量時間遅延って気がするわけだ」
「今度試してみます。私も路線バスの駐車場ですか?」
「20台くらい並んでたから、試すにはいいよな。後で場所教える」
「了解」

「ま、そういうわけなんで、ベースキャンプを作るための物資が十トンを越えてくると、俺には持てないかもってことなんだ」
「ベースキャンプを作るための物資ってなんです?」
「コンテナの中に、生活できる空間をあらかじめ作っておいて、それを取り出して使おうかと思ってたんだけど」
「それはまた凄い発想ですね。グータラだけど」
「やかましいわ。ところが水回りとか考えてると、閉じたコンテナ内って凄く大変そうなんだよ」
「先輩は野性っぽい生活を、少しは経験した方が良いと思います。それで、こないだ言ってた注文になるわけですか」

そう、おれは三好にキャンピングカーを買って貰うように頼んだのだ。

「で、買えたか?」
「一応国内の有名ビルダーに、有り物のボディで頼んでおいたんですけど、やはりどんなに急いでも十一月二十一日になるそうです。」
「まあ、仕方ないか。じゃ、件のオーブ探索はそれからだな。それまでは地道にスライムキラーをやっとくよ」
「そろそろ『スライムの怨敵』なんて称号が生えませんかね」
「いや、いらないから、その称号。てか、称号なんて生えるの?」
「ふたつ名は聞きますけど……称号は。もっとも、もし表示されたとしても、スキルと称号の区別が付くかどうかはわかりませんね」

まあ、Dカードにはスキル名が並ぶだけだもんな。

「だけど、寝ている間にスライムに食べられちゃったりしませんかね?」
「代々ダンで有線がNGだったのは、どこに引くにしても1層のスライムエリアでケーブルが寸断されたからだろ。下層にスライムはあんまりいないみたいだし、さすがに一晩くらいは平気じゃないか?」
「後はモンスターに襲われたときの問題ですかね。車のボディじゃ紙ですよ」
「だよなぁ。チタンの箱にでも入れたいけど」
「とりあえず、板を張りつけて強化をするようには伝えておきました」
「マッドマックスかよ!」
「車検が通らないかもと仰ってましたけど、まともに走らなくてもいいんですよね?」
「まあね。後は水か」

「水魔法ってどうだった?」
「水、いくらでもつくれましたよ。ダバダバ出ます」
「飲用水にできそうだったか?」
「えーっとですね。一言で言うと純水でした。飲めますけど、美味しくはありませんね。あといつ使えなくなるかわかりません」
「魔法だもんなぁ……一応ミネラルウォーターを箱で買っておくか」
「サマゾンで百ケースくらい注文しておきます」
「1.2トン+αくらいか。了解」

「後は食料」
「先輩の保管庫なら、お弁当千食分くらいつっこんどけばいいんじゃないでしょうか」
「一体何日潜る気だよ」
「オーブが見つかるまでじゃないんですか?」
「いやだよ、そんなの。とりあえず七日から十日かな」
「それでシャーマン百匹は無理じゃないですか?」
「それなんだけど、全部ムーンクランなんだから、百匹目にシャーマンを倒せば良いんじゃないかと考えてるんだけど」
「ダメだったら?」
「すごすごと帰ってくる」
「流石先輩です」

笑いながら、三好が後片付けを始めた。
弁当、弁当ねぇ……とりあえずデパ地下行って、総菜をあるだけ買い占めてくるかな。できたてがあると良いな。


030 性急な落札者 11月16日 (金曜日)


「ふあー、おはよー」

今日は第二回オークションの落札日だ。
昨夜の日本時間0時が〆切りだったが、どうなったのか気になったので、早朝から事務所へ降りてみたのだが、すでに三好が何かしているらしく灯りがついていた。

「あ、おはよーございます」
「なんだ三好、早いな。徹夜なの?」
「ええ、まあ。ちょっと例のステータス計測のコードを。乗ってたので」
「おーおー、前職場のことを笑えないな」
「全部身になるところが違いますよ」
「まあ、そうか」

三好は作業の手を止めて、珈琲を入れ始めた。

「それで、先輩。潜る前にステータスって上げますか?」

ああ、そうか。よく考えたら前回の検査以降、全くステータスを触っていない。
もっとも、『ぽよん♪ シュッ♪ バン♪』にステータスが必要なところってないから気にしていなかった。

「そうだな。その方が良いかもな」
「なら、十刻みで百くらいまで計測しておきませんか?」

値が大きくなったら、計測値がどう変化していくのか。確かに興味はある。

「八回で六カ所。四八回計測か? まあ、二度と計測できないからなぁ。やっとくか?」
「基礎データは多いほどいいですからね。お願いします!」
「四八回っていうと大体一億か? うーん、こないだから金銭感覚がおかしくなってきてるなぁ、俺たち」
「まあ、資金のほうは何とかなるんじゃないかと」
「そうだな。俺はしばらくスライムと戯れてるから、スキルのチェックもやっとけよ」
「了解です」

三好が手早くメールしている。鳴瀬先輩のところだな。

「それで、先輩」
「あー?」
「私、みどり先輩の会社に投資したいんですけど」
「投資?」

三好が言うには、こないだ得られたデータから、必要になりそうな計測値とかを抽出してみたので、それを元に実験用デバイスを作成したいとのことだった。

「デバイスだけ?」
「はい。後はそれを使って、先輩を測定して、値が丁度になるように調整するんです」

AIが向いている気がするジャンルではあるが、何しろ、数値がはっきり分かっているのは俺一人だ。だから多数の人間を計測して、AIにパターンを喰わせても意味がない。

コードは当面ヒューリスティックな調整に頼らざるを得ない。とりあえず三好のセンスに期待だな。

「それは良いけど、そんな機器を開発したら、あっという間にコピーされそうだな」
「それで、端末部分は単なるセンサーと表示パネルと、通信部分で構成しようと思うんです」
「ゴーグルやサマゾンの音声認識方式か?」
「そうです。計測したデータをセンターに送信して、結果だけを受け取って表示します」

それならソフトウェア部分を解析することは出来ない。
いろんな値を与えて、結果から帰納的に類推することは可能だろうが、不正なアクセスはカットしちゃえばいいしな。

「どっかのクラウドでも借りるのか?」
「それだと漏れちゃう可能性がありますし。フロントの送受信部分や前計算はサマゾンSWSとかでやって、最終的な結果計算だけは事務所にコンピュータを置いてやろうかなって」
「回線って大丈夫なのか?」
「最初はそんなにアクセスがあるわけじゃないですし、帯域も不要ですから。民生用のギガビットや十ギガビットの回線を十本くらい引いておけば平気じゃないですか?」
「テストみたいなもんだしな」
「軌道に乗って、利益が出るならちゃんとした専用回線を契約すればいいですよ」
「そうだな」

「それに、このしくみだと擬装も出来ますしね」
「擬装?」
「先輩……わかってます? これを一般に販売したら、先輩も測られちゃうんですよ」

ああ! そうか! しかも元だけに、最高の精度で表示されるじゃないか!

「げっ。全然考えてなかった……しかし個人の認識とか可能なのか?」
「データは先輩がベースですし。他の人はともかく先輩だけは認識できるんじゃないかと思いますけど」
「なら、よろしくー。形状は、やっぱりメガネタイプか?」
「なんですかそれは、スカウターですか」
「正解。カッコイイだろ?」

「そうかもしれませんけど、隠しスキャンし放題ですよ、それ」
「表示精度を落として、総合値みたいな表示にしちゃえば、いいんじゃね? オモチャ扱いでさ」
「オモチャですか? 人類を一律数値化しちゃう器具ですからねぇ……便利かもしれませんが、差別に繋がらないといいんですけど」
「……確かに『戦闘力…たったの5か…ゴミめ…』って言われるのは嫌だな」
「絶対その遊び、流行りますよ?」

確かに流行るだろう。俺もやる、絶対。

「……やっぱり、スカウター型のオモチャはやめとこう」
「ですね。精度の出る固定設置タイプと、簡易表示の出来るスピードガンタイプで良いんじゃないでしょうか。データ通信もwi-fiとデータ通信用のSIMで」
「こなれてるしな。安く出来そうだ」

しかし、投資か。

「投資したいってことは、融資じゃないんだろ? 増資だと、みどりさんのところの株式がどうなってるのかわからないと難しいぞ。VCがどうとか言ってたからその気はあるのかもしれないが」
「確か、全然増資してないので、額面一万円で千株だと思います」
「株主が、みどりさん一人なら簡単だが、大学や研究室がステークホルダーになってると、株式比率でもめる可能性もある。現在の仕事とさほど接点がないから、別途合弁会社を作ったほうがいいかもな」

「うーん。その辺含めて、ちょっとみどり先輩と相談してみます。いくらくらい使っても良いですか?」
「当面十億くらいなら平気だろ。とはいえ、先に今回の数値化に関するセンサーだけ組み込んだ廉価な機器の開発を優先するのが条件かな」
「了解です。後で相談してみます」

「頼むわ。じゃ、その資金稼ぎにダンジョン通いを続けますか……あ、資金と言えば落札はどうなった?」

そうだよ。それを確認しに早起きして来たんだった。

「地味にしか思えない物理耐性は、思いの外、人気ですね」

三個の物理耐性は、二十四億2200万円、二十六億5800万円、二十八億5500万円 だった。
価格はともかく、落札者が凄い。アメリカのサイモンと中国のファン、そして、イギリスのウィリアムだ。世界ランク3位と4位と6位ですよ。
5位と7位と8位はサイモンチームだから、こいつ等が受け取りに来たら、代々木に2位のドミトリを除いて1から8位が勢揃いするのだ。

もちろん各国の軍事予算なのだろうが、まさにシングルの競演だ。

「上位陣だし、全員それが必要に思えるような状況を経験してるんだろ。ところで、同じスキルを二個使ったらどうなるんだろうな?」
「試してみますか?」

試してトラブルになるのも嫌だな。誰か第3者で試したいところだが……いかんいかん。人体実験はマッドなサイエンティストな発想だ。

「ま、まあ、そのうち、必要に迫られたらな」

そこで、三好のスマホがピロリとなった。

「みどり先輩、起きてるんですねぇ……」

三好はそれを読むと、俺に報告した。

「四十八回もやるには試薬が足りないそうです。発注して十九日はどうかということです」
「月曜か。OKって返事をしておいて」
「了解です。あ、それで超回復なんですが……」
「どした?」
「これ、誰が入札してるんでしょうね?」

超回復の落札価格は……五十五億4300万円 ?!

「IDは?」
「普通に検索してもヒットしません。競り合ったのは非個人のIDでしたが、落札したIDはパーソナルカテゴリーです。代理人ですかね?」
「つまり、著名な軍人じゃなくて、ダンジョン攻略機関や会社組織でもないってことか?」
「そうです。もっとも代理人ならわかりませんが」
「もうID非公開になってるんだから、落札代理人を立てる意味はないだろ」

「私、ちょっとヤな予感がするんですよね」
「どんな」
「これって、名前が超回復じゃないですか。しかも未登録スキルで効果は不明」
「だから?」
「なんか、凄い難病の身内がいるお金持ちとかが入札してるんじゃ……と思うわけですよ」
「それって効果がなかったら」
「逆恨みされそうですよね。しかもそう言う人って、権力もありそうだし」

そういわれると確かにそんな気もする。

「そういや、超回復ってどんな機能だったんだ?」
「表面的なことしかわかりません。でも体の調子はいいですよ。徹夜してもほとんど疲れを感じません」
「それヤバいクスリみたいじゃん」

「それに……」

そういって三好は、机の引き出しからカッターナイフを取り出すと、おもむろに指の先を傷つけた。

「おい!」
「まあ、見てて下さい」

すぐに、ティッシュで血を拭うと、指の先は綺麗になっていて、切ったはずの傷は痕跡すらなかった。

「ええ?!」
「昨日、車を避けて路肩の看板からでてる釘に腕を引っかけたとき気がついたんですよ。大きな怪我だとどうなるかわかりませんが……なんだか段々人類から離れて行ってるような気がしますね」
「……人類を次の位階に連れていくようなアイテム、か」

一般にスキルオーブに使われている形容が思わず口をついて出た。

「それにその人凄く急いでいるっぽくて、受け取り指定日が今日なんですよ」
「今日?! これからか?」

もし東京在住じゃなければ、落札前から東京に来てたってことだ。気合いの入り方が違う。
使うやつが死にかけてるとかじゃないだろうな……

「そうです。約束は十時ですね」
「信じられん。十分延長で長引いたらどうする気だったんだ。って、あと三時間くらいしかないじゃん!」

俺たちは市ヶ谷へと向かうべく、急いで準備を行った。


031 願い(前編) 11月16日 (金曜日)


「こちらが、オーブを落札された、アーメッド様です」

完全にアングロ・サクソン系白人に見える、執事然とした中年の細身の男が、隣に立っている高価そうなスーツに身を包んだ、フルフェイスに近い立派な口ひげをたたえた四十位の男を紹介した。

アーメッドと紹介された男は、俺たちに向かって静かに黙礼した。
側には、車いすに座った、オペラ座の怪人を彷彿とさせるマスクを付けた女性がうつむき加減で控えていた。

三好の勘は当たってるかもな。そう考えながらも俺は首をひねった。
なぜなら、単に外傷だというだけなら、こんなギャンブルみたいなオーブを使わなくてもポーションで事足りるはずだからだ。

オーブを販売する手続き自体は、鳴瀬さんを日本ダンジョン協会の保証人に、いつも通りつつがなく終了した。
だが、鳴瀬さんが取引終了の宣言を行ったのを合図に、執事然とした男が、突然話しかけてきた。

「あなたたちにもう一つお願いがあるそうです」
「お願い?」

俺は訝しんで、鳴瀬さんを見た。
鳴瀬さんは、何も知らないとばかりに首を横に振って、話を引き取った。

「申しわけありませんが、オーブの売買取引自体は終了しています。何か問題がありましたでしょうか?」

執事然とした男は、アーメッドと早口でなにかやりとりを始めた。

(三好、あれは何語なんだ?)
(ヒンディじゃないかと思うんですけど……なんか違う気もします)

「マラーティー語」

それまで黙って座っていた車いすの女性がそう言った。

「え、日本語がおわかりになるのですか?」
「少し」

そう言った後、英語で『英語のほうが得意だけど』と言った。

素早くゴグった三好が、「マラーティー語は、インドの公用語のひとつで九千万人くらい話者がいるそうです」と教えてくれた。
英語はインドの準公用語だから、日本語より英語のほうが得意なのは当然か。

『私は日本語のほうが得意ですよ』と英語で答えておいた。

「でしょうね」
「それで、あれは何を揉めてるんです?」
「ダンジョン。連れていって欲しい」
「は?」

意味が通じなかったと思ったのか、彼女は英語で言い直した。

『父は、あなたたちに、私をダンジョンへ連れていって欲しいのよ』

なんだと?

「三好、今ダンジョンへ連れていって欲しいと聞こえたんだが……」
「残念ながら、私にもそう聞こえました」

満足に動けなさそうな怪我人をダンジョンに連れていく?
そんなの軍にでも頼んだほうがずっとマシだし安全なんじゃないの?

『何故です?』
『簡単よ。私はダンジョンカードを持っていないから』

その言葉に俺たちは絶句した。

アーメッドが超回復のオーブを彼女に使おうとしていることは、ほぼ間違いないだろう。
だが、使用対象者がDカードを持っていない?

『ちょ、ちょっと待って下さい』

俺は三好を部屋の隅へと連れていった。執事然とした男とアーメッドと鳴瀬さんは、まだいろいろとやりとりしている。

(三好、どう思う?)
(いきなり言われて、Dカードを二四時間以内に彼女に取得させるのは、常識で考えれば不可能です)
(だよな)
(それをいきなりこの場で切り出してくるからには、なにかしら意図がありそうですね)
(あの執事風の男、どうにも偉そうに見えるんだよな)
(そうですね。たぶん、なんですけど)
(なんだ?)
(アメリカかイギリスのエージェントくさくないですか?)
(マラーティー語とやらを話せるんなら、イギリス関係か?)
(ありえます。ほら、オーブ保存の技術について、私たちってなにも肯定していないじゃないですか)
(偶然と言い張ってるからな)
(何を他人事みたいに)

(すでにオーブカウントは確認されていますから、ここでこの件をひきうけて、二十四時間以上経ってからオーブを引き渡すと、保存できる事実が確定するってことじゃないでしょうか)

なるほど。賢いんだかあざといんだか分からないが、目的を達成するなら良い方法かも知れない。
もちろん雇い主っぽいアーメッド氏にそのことを話しているかどうかはわからないが。

(いっそのこと、このオーブは向こうで消滅してもらって、もう一個売りつけるか?)
(え? 先日先輩が使ったのが最後だったような……)
(クールタイムは十二日だから、もうゲットできるはずだぞ)
(それもありなんですかねぇ。だけど彼女にDカードが取得できますか?)

三好がちらりと車いすの女の子を見て言った。

Dカードは、初めてモンスターを倒したときに得られるカードだ。
このカードの取得には、たったひとつだけルールがあった。
それは、モンスターを独力で倒す、という縛りだ。

一時期流行った取得ツアーで、その条件は徹底的に検証された。

そういったツアーでは、主に銃器を使って、比較的遠距離からモンスターを倒させる業者が多かったが、その際、弾を込めるのが別人だっただけでNGになった。もちろん銃を他人が支えてもNGだ。
罠類は、設置から起動まで一人の人間が行わなければNGだった上に時間制限まであった。
対象モンスターが他者に攻撃をしただけでNGになるため、ヘイトを集めて養殖することもできなかった。

銃や弾丸を作ったのは別人だが、そこは道具として許されるらしい。

一見厳しそうに見える制限だったが、健常者にはそれほど大きな壁にはならなかった。ダンジョンには弱いモンスターもいるからだ。
しかし彼女は……

俺は彼女の所へ戻って直接聞いてみた。

『君はどこが悪いんだ?』

あまりにストレートな問いに、彼女は一瞬きょとんとしていたが、すぐに答えてくれた。

『右半身ね。右手は上腕から先が、左手は前腕部が義手。足も右足は膝の上からないわ。左足は大丈夫。顔は左側が残っていただけラッキー』
『事故?』
『まあね』
『このオーブが買えるなら、ポーションを手に入れられるだろ?』
『ポーションはすでに安定している体を修復しないんですって』
『昔の事故なのか。残酷だがもう一度腕を落としてポーションを使えば……』
『手足を繋ぐくらいならともかく、何もないところからにょきにょき生えてくるようなポーションは、仮に存在していたとしても民間人には回ってこないわよ』

世の中には金を出せば買えるものと、そうでないものがある。
存在しないものは、どんなに金を出しても買えるはずがない。

センセーショナルだった、最初の上級ポーションの使用だって、あくまでも修復だ。
体の大部分は存在していて、モンスターの顎で切断された部分を修復して繋いだだけなのだ。下半身全体が生えたわけではない。

『そう言えば、君、名前は? 俺は芳村圭吾だ』
『アーシャ。皮肉でしょ?』
『なにが?』
『希望って意味なの』

その言いぐさを聞いて俺は決心した。

「なあ、三好」
「なんです?」
「俺は、彼女をダンジョンに連れて行ってやりたいと思うんだ」
「まあ、先輩ならそうですよね。美人に甘いですし」

美人? そう言われれば顔の左半分は整っている。
ちょっと、カトリーナ・カイフの若い頃を彷彿とさせる容貌だ。ハーフなのかな。

俺たちの話を聞いていた彼女が、驚いたようにこちらを振り仰いだ。

「で、どうやって彼女にモンスターを?」
「太くて長めのストローと、ソールに厚い鉄板を張りつけたブーツでいけるだろ」
「はぁ……しかたありませんね。さっそく手配しておきます」

そう言って三好は、何処かに電話をかけるために、こっそりと部屋を出ていった。

『本当に引き受ける気なの? インド軍にもイギリス軍にも断られたのに?』

イギリス軍? なるほどね。
だがまあ普通は断るだろう。ヘタをしたら彼女の命はないし、それどころかまわりの命すら危ない。
なにしろ対象モンスターを他人が取り押さえているわけにはいかないのだ。もちろん麻酔など論外だ。

『まあ、俺達に任せておきなよ。藁より多少はましだから』
『そう』

俺は彼女の笑顔を初めて見た気がした。
さてと。問題は時間だな。

『ただし、ほとんど時間がないから、これから俺の言うことには、必ず従って欲しい』
『裸になって足を開けって言われても?』
『……そうだ。もっともそんな楽しいことを要求したら、あそこで話している人達に殺されるだろうから言えないけどね。残念ながら』
『わかった、ケーゴに任せる』
『助かるよ』

俺は、鳴瀬さんに歩み寄って尋ねた。

「それで、どうなってるんです?」
「あ、芳村さん。それが、どうも彼女を連れてダンジョンに行って欲しいそうなのです。それ自体は取引と何の関係もないので強要できないと説明しても、頼みます一辺倒で」
「わかりました」

「シュリ・アーメッド」

敬称だってすぐ検索できる、ゴーグル様々だな。

アーメッドさんは、僅かに眉をあげた。

「芳村さん。お話は私が――」

執事然とした細身の男が割り込んできたが、俺は無碍にそれを切り捨てた。

「取引は終わったので、あなたの仕事はここまでです。あとはアーメッドさんと直接話しますから。お疲れ様でした」
「は? いえ、そんなわけには」
「鳴瀬さん、隣の小会議室を使えますか?」
「え? ええ、すぐに」

日本ダンジョン協会の小会議室は、すべて盗聴防止に電波を遮断する部屋になっていると以前鳴瀬さんから聞いた。
録音の場合は防ぎようがないが、携帯でだって可能なので、それは仕方がないとあきらめた。そうされないことを祈ろう。

『では、アーメッドさん、行きましょう』

そういって、俺はアーシャの車いすを押しながら、強引に隣の部屋へと移動した。
鳴瀬さんが入り口で、通訳の男を遮って、後ろ手にドアを閉めた。
そうして、部屋には、俺と、アーメッド親子の三人が残された。

『お嬢さんのDカードを取得するためにダンジョンに連れていって欲しいということですが――』
『そうです』

アーメッドさんは初めて直接口を開いた。

『それがどれほど困難なことかは、おわかりですよね?』
『取引のオプションなどとは考えていません。新規の依頼で――』
『あの通訳の方がどこの方かは存じませんが、そういう問題ではないこともおわかりですね?』

『……わかっている』

そのとき、アーメッド氏はビジネスマンから父親の顔になった様な気がした。

『結論から言うと、我々はお嬢さんにDカードを取得させることにしました』
『本当か?!』
『ただしそれが二四時間、いや、もう二二時間くらいか、内に出来るかどうかは保証できません』
『だろうな』
『もしその場合、あなたが高額の支払いをされたオーブそのものは無駄になりますが――』
『なぜ? あなた方はオーブの保存技術を開発したのでは?』
『通訳の方から、その話を?』
『……そうだ』
『そんな都合の良い技術は、たぶんどこにもありませんよ』
『しかし、オーブカウントは、確かに60未満だった』
『それは偶然です』

俺は、口に立てた人差し指を当てて、そう言った。

『偶然』
『そうです、偶然です。神さまもたまには仕事をする』

そういうと、娘のほうが微かに口角をあげた。

『時間の件は全力を尽くしますが、もし間に合わなかったとしても、すぐにもう一つ入手する予定があることはお伝えしておきます』
『なんだと?』
『もちろんただでお譲りするわけにはいきませんが』
『それは、そうだろう。で、Dカード取得の依頼料はいくらだ?』
『そうですね。各国の軍にも断られたはずの、このミッションインポッシブル……結構なお値段になるかと思いますが』
『構わん』
『では、お嬢様が無事Dカードを取得されたら、お嬢様と一緒にお食事をするというのはいかがです? もちろんあなたのオゴリで』

アーメッドさんは、何かを聞き間違えたのかと、眉をひそめた。

『……なにかのジャパニーズジョークかね?』
『とんでもありません。あ、ヒンドゥー教徒の方ってベジタリアンでしたっけ?』
『いろいろだ。うちは緩くて魚はかまわん。肉も害獣は許されている。たまにはね』

さすがヒンドゥー教。あまりに懐が深すぎて、どんな戒律なのか一言で言えないだけのことはある。
「ではそれで」と俺は右手を差し出した。
彼は少し逡巡した後、その手をとると、力強く握りかえした。これで契約は成立だ。

ドアを出ると、通訳の姿が見えなかった。
三好が早速報告してくる。

「先輩。代々木の会議スペースをひとつ借り切って、着替えや装備をそこに運ばせてます。三時間程で揃います」
「人を乗せる背負子もひとつ用意しておいてくれ。レスキュー用のやつがあるだろう」
「了解です。先輩背負うんですか?」
「車いすに何がくっついてるかわからないしな。それにダンジョン内を車いすで移動するのは難しいだろう」

「なんだかスパイ映画みたいになってきて、ワクワクしますね」
「そんな派手な活動は願いさげなんだけどなぁ……」
「ぐーたらは遠くなりにけりですね」
「なんだそのいまさら気がついたような台詞は」
「いや、知ってましたけど」
「なら、詠嘆じゃないな。過去になったことだけを言いたいなら『遠くなりき』だろ」

「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因なんですって」

三好は、空気よめとばかりにふくれて、おれの足にケリを入れた。

、、、、、、、、、

三時間後、俺たちは代々木ダンジョンのレンタル会議室にいた。

アーメッドさんはついてきたがったが、VIP用の別室で待機して貰っている。
最後までボディガードを付けたそうだったが、はっきり言って邪魔なので断った。

『それじゃアーシャ。義手も義足も、身につけているものは全部はずして、こちらの用意したものに着替えて下さい』
『え? え? 下着も?』
『全部です』
『足を開けと命じられるのと変わらないよお』と、彼女が頬を赤くして下を向いた。

「じゃ、三好、後は頼んだ」
「それは良いですけどー。足を開けってなんですか?」
「あー、よくわからんな。気になるなら彼女に聞け」
「ほー」

部屋を出て扉を閉めた俺は、そこで待っていた鳴瀬さんに面倒なお願いを追加した。

「じゃ、鳴瀬さん。俺たちが入った後、五分間は誰も入らないように、入り口を閉鎖して下さい」
「え? それじゃ、ダンジョン封鎖ですよ?」
「入り口のチェッカーの調子が悪いとかなんとか、適当にお願いします」
「ああ、職権乱用も甚だしい気が……」
「危険回避活動だから合法ですよ。他国の連中がついてくると、いろいろと面倒が起こるかもしれませんから」
「はぁ、仕方ありません……」
「ありがとうございます」
「一応検索してみましたが、外国籍のエクスプローラは、ここ三時間で入ダンしていません。その前ですと、いくつかのグループが入っていますけど」
「了解」

流石は鳴瀬さん、手回しがいい。

突然のダンジョンこうが決まったのは三時間前だ。
いくらイギリスの諜報機関が優秀でも、そう簡単に日本人の協力者を動かすのは難しいだろう。

会議室の扉がガチャリと開くと、三好が顔を覗かせた。

「準備できましたー」
「よし、行くか!」

俺は早速、レスキュー用の背負子に彼女を背負うと、三好と三人で代々木ダンジョンを降りていった。


032 願い(後編)


『へぇ、ダンジョンの中って、こんな感じなのね』
『まあね。さっきも言ったけど、この中で見たことについては他言無用だから』
『わかってる』

数分で俺たちは、細長い直線の通路のどん詰まりを少し曲がった位置に到達した。
お、いるいる。
三好は早速、ぷるるんとしたモンスターの前に、タゲを取らないよう注意深く分厚いクッションシートを広げていた。

『じゃ、そこに降りて、このストローでその液を吸い上げて、スライムに向かって強く吹きかけて』
『え? それだけ?』
『まあそうだ。少しなら大丈夫だけど、内容物を飲んだり目に入れたりしないように』

霧吹きも考えたのだが、それを準備するところが銃の弾込めとみなされる可能性がある。
俺達はもっとも原始的で確実な方法を選択した。少しくらいなら口に入っても問題ないだろうしな。

「三好は、そっちの角からルートを監視しててくれ」
「了解ー」

ゴーグルを付けたアーシャはシートの上に仰向けに寝ると、片足で蹴ってずりずりとスライムに近づいた。
俺は、何かあったとき、フォローするためにそばに控えていた。

『はあはあ。良いわよ、ストローを頂戴』

俺は黙って、彼女に長めのストローをくわえさせた。
ここから先は、全て彼女が一人で行わなければならない。

彼女は液をストローに吸い上げると、鼻で大きく息を吸ってから、勢いよくストローに息を吹き込んだ。
押し出された「エイリアンのよだれ」は、見事にスライムに命中した。そうしてその瞬間スライムははじけて消えて、コアがころりと転がった。
アーシャは仰向けで呆然とそれを見ていた。

『なにこれ?』
『凄いだろ? 俺たちは"エイリアンのよだれ"と呼んでいる』
『酷い名前』

アーシャが吹き出した。

『あとは、そこに転がっているコア――まるいガラス玉みたいなヤツだ。を、履いているブーツの底で、思いっきりひっぱたくんだ』
『了解』

そういうとアーシャはずるずると体を回して座る体勢に移行した。
おれはさりげなくバックパックを置いて、それを補助した。体に触れてるわけじゃなし、ささえてることにはならないだろう。
そうして彼女は左足で狙いを付けると、座ったまま思い切り足を振り下ろした。
ブーツの底に張りつけた鉄板が、コアにぶつかったが、完全には破壊されていないようだった。

「先輩。向こうの角を誰かが回ってきました」

『もう一度!』
『うん!』

再び勢いを付けて振り下ろされた足は、正確にコアを捉え、そうしてコアは砕け散った。
件の黒い光のようなものが溢れて消えると、そこには鈍い銀色のカードが残された。

『おめでとう』

それを拾って、彼女に見せる。

『あ、ありがとう。これでオーブが使えるの?』
『そうだよ』

そういうとアーシャは、俺の首に腕を回して、なんどもありがとうと囁いた。

『おい、大丈夫か?』

後ろからネイティブの英語が聞こえてきた。

『何か用ですか?』

三好がそれに答えている。

『いや、誰かがいたから確認に来ただけだ。なんなら俺たちがエスコートしてやろうか?』

そう言ってこちらを覗いた軽そうな男が『おや、なんだかお取り込み中みたいだな?』と口にした。

『いや、ありがたいが、俺たちはもう引き上げるところだ。自分の冒険に集中してくれ』

俺は、彼女の腰を抱いて、レスキュー用の背負子に座らせると、ひょいとそれを担ぎ上げた。
三好は手早くシートとストローを片付けている。

『何だ、怪我でもしたのか?』
『いや。まあ気にしなくても良いよ。じゃあな』

そう言って、俺と三好は足早に、二人の外国人から離れていった。

「どうやらつけてきますよ?」
「まあそうだろうな。そうだ三好、あれを」

俺がそう言うと、三好はポーチからひとつのオーブを取り出した。
それは彼女の父親から預かってきたオーブだった。

『オーブはダンジョンの中で使ったほうが効きが良いっていう俗説があるんだ。試してみるか?』

彼女は少し考えたが、すぐに小さく頷いて、三好が差し出すそれを手首から先がない左手で触った。
そうして深く息を吸い、そうして目を閉じた。

その瞬間オーブは光となって消え、光は彼女の体にまとわりつき始めた。

『んっ……ああっ』

アーシャが思わず上げた声は、その場を見ていない者を誤解させるのに充分な、あえぎめいた声だった。
俺は焦って素早く横道に走り込むと、彼女を下ろして、三好と経過を観察した。

『あっ……ああっ、ああっ』

身もだえする彼女を見ながら自然と顔が赤くなる。
三好の肘鉄に右の脇腹をえぐられて思わず涙目になったところで、それは起こった。

彼女の体の欠損部分がもりもりと盛り上がり、手や足の形をなしていく。右半身の、服に覆われていない部分が薄く発光していた。

『ああっ……』

一際大きなあえぎをあげた彼女は、額に玉のような汗を浮かべたまま、ぐったりと俺の胸に寄りかかった。

「せ、せんぱい。これって……」

アーシャのマスクがずれて、ぽとりと地面に落ちる。
豊かな黒髪がこぼれ落ち、後には、以前思った通り、カトリーナ・カイフの若い頃を彷彿とさせる美女が、荒い呼吸と共にそこにいた。

「オーブって……凄いですね」
「凄いな」

呆然とそれを見ていた俺たちに、誰かの足音が聞こえてくる。例の二人に違いない。
俺は三好に目で合図すると、アーシャを抱き上げて移動し始めた。

「あ、背負子おきっぱなしだ」
「あれにはなんにも残ってませんから、大丈夫ですよ。むしろ調査してくれる間、時間が稼げるんじゃないですか?」

彼女を抱えているにもかかわらず、おれの腕はほとんど疲れたりしなかった。
先日検査の時に十ポイントが追加された力の力であることは言うまでもないだろう。

これ、残りポイントを全部振ったら、本当に人間辞めちゃうんじゃないの? とちょっと不安になった。

、、、、、、、、、

代々木ダンジョンのVIPルームで、アーメッドは呆然として、立ち上がることも出来なかった。
ドアを開けて入ってきたのは、出会った頃の妻によく似た顔立ちの、どこにもキズのない玉のような女性だったからだ。

彼女が何を言ったのか、俺たちにはわからなかったが、「ピタ」と聞こえた。きっと「パパ」って意味だろう。

アーシャはソファーから立ち上がれないアーメッドに駆け寄ると、抱きついて二人で泣き合っている。
俺たちは目配せしあうと、そっと静かに部屋を出た。

「お疲れ様でした」

鳴瀬さんがそう言った。

「五分後に、英国籍の二人がダンジョンに入っていきましたけど、大丈夫でしたか?」
「来た来た。会いましたよー。なんか、軽そうな人でしたね」
「ストーカーっぽくつけられたくらいで、特に実害はありませんでしたから」

「でも、先輩。あの広い代々木ですよ? 五分遅れで入って、よく私たちの居場所がわかりましたよね?」
「あの辺は人がいないからな。イギリスさんには、何かダンジョン内で人を探す秘密兵器でもあるんじゃないか?」
「おー。Qが居るんですかね?」
「さあな。ところで、原作にQはいないんだぞ。Q課は出てくるけどな」
「だから先輩は、そういうところが女性にもてない原因なんですって」

ふくれた三好は、当てつけなのかとんでもないことを言い出した。

「ま、ダンジョンの中ではもててたみたいですけどね」
「え、なにかあったんですか?」
「先輩ったら、アーシャさんをお姫様だっこですよ!」
「キャーっ」

いや、キミたちね……

「それはともかく、芳村さん」
「はい?」

鳴瀬さんは、いきなり仕事モードに突入した。

「アーシャさんの体のことですけど、あれが超回復の効果なんですか?」
「それはわかりませんけど、使ったとたんにああなったのは確かです」
「使用時の状況は――」
「ああ、世界ダンジョン協会データベースの、オーブ効果の説明ですか?」
「はい」
「……あれって公開しないほうがいいんじゃないですか? もしも現象だけを公開したら、人類の欲望を大いに刺激すると思いますけど」

俺はアーシャ達のいる部屋の中を透視するように見て、そう言った。

ポーションが公開されたとき、世界はパニックとも言える狂乱状態に陥った。
このことを公開すれば、超回復の出現には、それ以上のインパクトがあることは間違いないだろう。

「不死?」

鳴瀬さんが思わず不穏なことを呟いた。
三好は慌ててそれをごまかした。

「そんな大層な! ちょっと、疲れにくくなるくらいですよ? 徹夜しても一晩くらい平気です」
「え?」
「それから小さな怪我はすぐ治ります。機能報告としてはそれくらいにしておいたほうが――」
「ちょっと待って下さい」
「?」
「もしかして、三好さんも使われたんですか?!」
「あ」

おう。三好。脇が甘い。
俺は額に手を当てて、天を仰いだ。

「……ええまあ。販売するのに実験は必要じゃないですか」

あ、バカ……

「って、ことは、他の未登録オーブも?!」
「ぜ、全部ってわけじゃ……ないですよ?」

つっこまれた三好の目が泳いでいる。アホか、こいつは。

「ま、まあそれはともかくですね。まだ、はっきりとした効果は分かってないんですから、焦らない方がよろしいかと」

無理に割り込んだ俺を横目で見ながら、鳴瀬さんは頷いた。

「そもそも超回復の効果が、どの程度続くのかわかりません。それに、一度大きく回復したら、その機能が失われる可能性だってあります」

回復というのはどこからかエネルギーを持ってきて行われるわけだ。
それが無限に続くなんてことは、常識的に考えればありえない。ダンジョンに常識が通用するかどうかはともかく。

「蜥蜴の尻尾だって、一度切ってしまえば長い間使えるようにはなりません。生物として、そう簡単に不老や不死が得られるとは思えませんし……って、まてよ?」
「どうしました?」
「今、アーシャのDカードってどんな表記になってるんだ?」

俺は三好に向かってそう尋ねた。

「あ! そういえば、私が拾ったままだ。でもこれ、本人の許可無く見てもいいんですか?」
「内容は全部知ってるんだから問題ないだろ。緊急ってことで目をつぶれ」
「わかりました。これです」

、、、、、、
エリア 12 / アーシャ・アーメッド・ジェイン
ランク 99,728,765

[超回復]
、、、、、、

「スキルって日本語表示されるんですか?」

三好がカードを見て不思議そうに言うと鳴瀬さんが解説してくれた。

「Dカードのスキル表示は、見る人のネイティブの言語で見えるんです」
「ええ? なんでです?」
「分かっていません」
「光だけで知覚しているわけじゃないんだろ……それはともかく」

「スキル名に括弧がついていて、色が薄くなってますね」
「なんだかまるで、現在は使用できないって言ってるように見えます」
「実際そうなのかもな。時間が経ったら回復して使えるようになるのか、もう二度と使えないのか、そこは分からないが」

「あとでアーメッドさんたちに説明しておいたほうがいいですよね」
「そうだな。どっかのアホな国が、スキルの効果を確かめようとするかもしれないからな」
「先輩、それって……」
「ま、ただの可能性だよ」

誘拐されて、実験材料よろしく切り刻まれる、なんてことは考えたくない。
そういえば、もしもばれたら、三好にもその危険があるのか……はあ、ぐーたら生活がどんどん遠ざかる気がする……


033 アメリカ・中国・イギリス そして招待状


目が覚めたら、日はとっくの昔に高く昇っていた。
シャワーを浴びていると、ぐうとお腹の音がする。ざっと身だしなみを整えて、事務所のある1層へと降りていった。

「おはよー」
「おそよーございます。もう11時過ぎですよ」
「いや、昨日は大変だったし……」
「でしたねぇ……」

あの後、部屋を出てきたアーメッドのおっさんは、サンキューサンキューの連続で、無理矢理銀座へと連れて行かれたあげくに、娘が生まれ変わった記念だとか言って、六丁目あたりを梯子して歩きやがった。
それでも、銀座は割と早いから助かった。

ヒンドゥって酒飲んで良いのかって聞いたら、確かに禁酒の町もあるが、全体としてはみんな割と飲むんだだと。うーん自由だ。

「んで、今日は?」
「オーブの受け渡しが三件ありますから、ダンジョンはお休みして下さい」
「あとちょっとで、超回復がゲットできるはずだから、早い時間に終わったら少しだけ潜ってくる。そっちはどうなってるんだ?」
「一応、コードは形になっていますよ」
「了解。まあどうせそっちはちんぷんかんぷんだからまかせるよ」
「ちんぷんかんぷんって、前の会社じゃ似たようなことをしてたじゃないですか」
「もう忘れました」
「さいで」

ダイニングを廻って、キッチンへと足を踏み入れ、冷蔵庫からエヴィアンを……って、硝子瓶になってるぞ。……シャテルドン?

「三好ー。このシャテルドンってのは水か?」
「あー、そうですよ。どうぞ」

ふーんとスクリューキャップを開けると、グラスについでごくりとのんだ。おっとこれは……微炭酸ってやつか? さっぱりしてて美味しいな。

「俺は、オムレツでも焼こうかと思うんだけど、三好も食べるか?」
「どうせすぐお昼ですよ。市ヶ谷で食べませんか?」
「あー、そうか、それもあるか。どこで?」
「鳴瀬さんがこちらに顔を出したら、拉致って社食って考えてたんですが、いらっしゃいませんねぇ」
「昨日は大騒ぎだったからなぁ。報告書で死んでるんじゃないの?」
「何が何だかわからないうちに、不死問題まで飛び出しましたからね」

まあ超回復で不死は流石にないだろうが、そのうち不死なんてスキルオーブも登場しそうなくらい、スキルオーブはなんでもありだな。

「三好、電話してみてくれよ。問題なければ日本ダンジョン協会の社食で会おう的な」
「了解です」
「じゃ、俺は出かける準備をしてくる」
「はーい」

グラスの水を飲み干して、食洗機に突っ込むと、瓶を冷蔵庫に戻して着替えに戻った。

、、、、、、、、、

その日の午後の取引は、ファン、サイモン、ウィリアムの順だった。

世界ランキング4位のファン氏は、なんというか寡黙、かつ、せっかちな男だった。
取引が終わった瞬間、自分でオーブを使ったかと思ったら、調子を確認するように、右手を閉じたり開いたりすることを繰り返した。
そうして、いきなり「シャオ ホウチェン」とか言って出て行った。

「シャオ ホウチェン、ですかね?」
「俺に中国語を聞くな」

、、、、、、、、、

サイモンは、先日会ったときからずっと代々木で肩慣らしをしていたそうだ。

どこまで潜ったのか聞いたら、一日ちょっとで17層まで行って、一日で引き返してきたとか。流石にトップパーティは、アドベンチャラースタイルでも他と一線を画している。
肩慣らしって、もっとこう、違うよね?

『昨日はなにやら大変だったらしいな』
『耳が早いですね』
『なにをとぼけてるんだ? 今や代々木は諜報戦の最前線になってるだろうが。ブリテンとチャイナまで来てるじゃねぇか』
『いや、我々はそんな世界と無関係ですので』
『いや……それは無理だろ』

と、呆れたような顔をされた。

『だが、代々木は生物相も幅広くて面白いな。特定の資源を探すなら、世界でも屈指の便利なダンジョンだ。それに誰でも入れるパブリックな場所なのがいい。日本ならではだな』
『脇の甘い、日本ならではでしょう?』

そう言うとサイモンは苦笑して立ち上がった。

『それでも人類のことを考えるなら、これが正解さ』

そういって会議室を出て行った。

「やっぱり、ああいうことを考えてるんですね」
「基本は自国の利益だろうが、地球が滅びれば自国もクソもないからな。パッセージ説が本物なら、余計にそういうことも考えるだろ」

ダンジョンを最下層まで降りたら、異世界に繋がっている?
地球空洞説かよと言わんばかりのトンデモ理論……だった、はずなんだがなぁ。

「ですよねぇ」
「ま、俺たちは俺たちに出来ることをしていればいいってことさ」
「世界を相手に近江商人ですね!」
「そうだな。で、最後は?」
「因縁のイギリスです」
「あの執事男、現れると思うか?」
「いや、流石にそれはないんじゃないかと」

、、、、、、、、、

我々の予想に反して、執事男がドアを開けて入ってきて驚いた。

『英語なら別に通訳は要りませんよ?』

と言うと、苦笑を返された。

『日本のキツネは尻尾を隠すのが巧い』
『泥の船に乗せられないよう、気をつけてはいます』

あれは狸だっけと思い返していると、その後ろから、いかにも軍人然とした男が現れた。サイモンのような緩さを感じさせない男だった。
イギリスだけはSASの下にDCUと呼ばれるダンジョン攻略部隊が作られた。そのため、隊員は全員軍の精鋭だということだ。
そして、どうやら彼がウィリアムらしい。

取引自体は、とくに滞ることなく行われた。
オーブカウント60未満の所で、執事男が顔をしかめたのが印象的だったが、取引終了後は、特に何事もなく握手をして別れた。それが逆に、不気味だった。

「いやー、先輩。緊張しましたね」
「まったくだ。まさか露骨に顔を出すとはね」
「何を考えてるんでしょう?」
「さあ? 宣戦布告?」
「やめてくださいよ」

それを聞いて、鳴瀬さんも顔をしかめた。

「まったくですよ。芳村さんって、事なかれなのか、好戦的なのか、よくわからないところがありますよね」
「とんでもない、グータラ平和主義ですよ」
「グータラなのは間違いありません。でもここのところは、ちゃんと仕事してますね、昨日とか」
「ちょっと働き過ぎ?」
「それはどうでしょう?」

そのとき、会議室のドアがノックされた。

「どうぞ?」

そうして開いたドアから、アーシャが入ってきた。

「ケーゴ!」

おもむろに抱きつかれた俺は、ものすごく焦った。スゲー嬉しいが、これは慣れん。

『アーシャ、どうしたんだ?』
「約束、果たしに来た」
「約束?」

俺と三好は顔を見合わせた。

『酷い。忘れたわけ?』

そういって、アーシャはDカードを取得するときに呈示した報酬について話した。

「先輩、なんという格好つけ」

それを初めて聞いた三好が呆れて、日本文化、主に漫画・アニメの摂取しすぎじゃないですか?と突っ込みを入れてきた。
あれ、言ってなかったっけかな?

「いや、あのときはちょっとした軽口のつもりで……」
「ジョークだったですか?!」
「あ、いや、そんなことない、かな」

アーシャは俺の手を取ると、招待状らしいものを渡してくれた。

『招待状です。席があるので、最大六人まで誰か誘っても大丈夫だそうですよ』
『わかった。じゃあ、楽しみにしてる』
『はい! それでは明日!』

そう言ってアーシャは会議室を出て行った。

「せわしないな」
「この後、なにか日本ダンジョン協会で聞き取りみたいなのがあるみたいです」
「聞き取り?」

やっぱり例の件だろうなぁ。無理がないといいけど。

「ところで先輩。その招待状、見せて下さいよ」
「ん? ほれ」
「開けて良いですか?」
「うん」

三好は招待状を取り出して目をおとすと、すぐに大きく目を見開いた。

「せ、先輩。これ、場所が……ないとうですよ?」
「ないとう?」
「アークヒルズサウスタワーのお寿司屋さんです」
「ああ、ヒンドゥだから。彼女のうちは、魚はOKらしいぞ」

「いや、そう言う問題じゃなくてですね……先輩に分かり易く言うと、東京に三軒しかない、タイヤ会社が星3つ付けたお寿司屋さんなんです」
「よく知らないんだけど、そう言うお店って突然貸し切りにできるもんなの?」
「だからですよ。予約者とかどうしたんでしょう? まさか追い出し……十八日?!」
「なんだよ」
「十八日って明日ですよ!」
「だから?」
「日曜日は、ないとう休みなんですよ」
「ああ、それで貸し切りにできたのか」

「いや、待ってくださいよ。飛び込みでお店の休みに営業させるって、アーメッドさんって何者なんですか、先輩?」
「さあ?」
「鳴瀬さん?」
「お客様のプライバシーに関することは守秘義務の範疇です」

鳴瀬さんは、すました顔でそう言った。

「まあそれはともかく、他人の金で寿司食べ放題だぞ? 三好的には嬉しいだろ」
「もちろんですよ! あ、鳴瀬さんも行きますよね?」
「え? 私ですか? いいんですか?」
「そりゃ、職権乱用しまくりで、イギリスのパーティを足止めしたじゃないですか」
「あ、あれは――そうですね。日曜日ですし、ご相伴にあずからせていただきます」
「これで三人か……ま、いいか。三好、誰か誘いたい人がいたらひとりくらい大丈夫だぞ」
「突然だとみどり先輩くらいしか……あ、そうだ、鳴瀬さんって、みどり先輩のお姉さんなんですって?」
「みどりって、医療機械の会社を立ち上げた?」
「そう。それです!」
「三好さんとなにか関係があるんですか?」
「いま一緒にとあるものを開発しようとしてるんですよ! 楽しみにしていて下さい」
「こら、三好。まだみどりさんにもまともに話してないんだから、口外するなよ」
「えー? 聞きたいです! こういうのが専任スパイの役割じゃないですか」
「いや、スパイって……まあもうちょっとお待ち下さい」
「えー?」
「三好、みどりさんの口止めしとけよ。姉ちゃんが探りに来るぞって」
「了解です」
「ええー??」

その日は結局、女子の世間話で日が暮れたのだった。


034 御劔遥の成長 11月18日 (日曜日)


翌日は何の変哲もない、秋晴れの日だった。
お誘いは夜からだったし、俺は、昨日達成し損ねた超回復をゲットしに代々木ダンジョンへとやってきた。

「芳村さん!」

エントランスホールで突然呼びかけられて振り返ると、目出し帽にフェイスガードのすらりとした女性が駆け寄ってきたと思ったらハグされて、まわりが少しだけざわめいた。
は? は? なにごと?? え……もしかして。

「み、御劔……さん?」
「はい! 私、受かったんです!」

受かったって、前に言ってたコンペかなにかだっけ? ともあれ、ドラマの撮影じゃあるまいし、こんな場所でこんな体勢は目立って仕方がない。
俺は、彼女を連れてそそくさとその場を後にし、いつも鳴瀬さんに連れて行かれる代々木ダンジョンカフェの目立たない席へと向かった。

「まあ、これでも飲んで落ち着いて下さい」

そういって、カフェオレのカップを彼女の前に差し出した。

「ありがとうございます」

そう言って彼女が、目出し帽を脱ぐと、透け感のある前髪をサイドに流したショートカットの髪がさらりと落ちてきた。
右手でちょいちょいと前髪を直している姿は、以前にも増して洗練されていて目を引いた。

「ふー。目出し帽って便利ですけど、汗をかいちゃうから、お化粧はできませんね」
「そういや、しらなかったけど、御劔さんって有名人なんでしょ? こんなところで顔出して大丈夫?」
「そんなの。駆け出しもいいとこですから、誰も気にしませんって」

けらけら笑っている姿すら上品に見える。
これは、もしかして、ヤバいくらいステータスアップしてるんじゃ……

「受かったって、前に言ってたモデルのオーディション?」
「はい。芳村さんのおかげです!」
「いや、御劔さんの頑張りでしょ。あれから随分潜られていたみたいですけど」
「それなんですけど……」

そう言って彼女が取り出したのは、Dカードだった。

ライセンスカードは普通に目にするが、Dカードを見せるのは、相手を信頼している場合だけだ。
取得直後ならともかく、若い男女なら恋人だと思われてもおかしくないだろう。

その瞬間、まわりからざわっという波動が聞こえてきたような気さえした。
しかし、まわりが気になったのも、カードを見るまでだった。

――ランキング986位。

「たった6週間です。しかも1層しか行っていないのに、です」

御劔さんは顔を寄せて囁いた。

「芳村さんが、何かしたんですよね」

そういって彼女が差し出してきたのは、前にお願いしていたスライムの討伐数だった。

一日平均百十八匹。凄いな、適当にやってた俺よりずっと多いぞ。しかも入り口へ戻りながらか。
一匹五分として一時間に十二匹。一日十時間近く潜っていたってことか。
潜った日数は四十二日。ほとんど毎日だけど……

「こんなに潜って仕事、大丈夫だったの?」
「コンペまでは特訓の日々と言うことで、どうしても避けられないもの以外は受けないようにして貰ってたんです」
「へー」

一日の平均獲得ステータスポイントは、2.36ポイントだ。それを四十二日間。トータルで、99.12ポイント か。
つまり、大体100ポイントくらいからトリプルになれるのか。

考えてみれば俺が二千匹近くスライムを倒して手に入れたポイントは、わずか五ポイントだ。連続して倒す限りそんなものなのかも知れないな。

しかし、もしもこのポイントが、ほとんど俊敏や器用に振られているとすれば、すでに超人の域だ。たぶん自分の体をミリ単位で制御できるだろう。
そうしたら、あとはもうイメージだけだもんな。

「まあ、確かにコツは教えたかもしれないけど、こんなに早く結果が出たのは御劔さんの頑張りだから」
「お約束通り、私、涼子ちゃん以外、誰にも話していませんから」
「わかってる。……おめでとう」

そういうと、思わず感極まったのか、彼女は少し涙ぐんで、テーブルの上の俺の手を握った。

「で、その、斎藤さんは?」

突然のことに焦ったおれは、思わず話題を変えた。

「なんだか演技が滅茶苦茶上達したみたいですよ。最近はすっかり売れっ子になっちゃって、今ではあんまり付き合って貰えません」
「え、じゃあ、一人で潜ってたの? 危ないよ」
「じゃあ、芳村さん、付き合って貰えますか?」
「え? 俺? ええっと。まあ、時間があえば」
「約束ですよ?」
「あ、ああ」

斎藤さんも同じくらいの討伐数で、三十日くらいは潜ったらしい。それだと71ポイントくらいか。
それがもし器用中心に振られているとしたら、彼女も確実に普通の人じゃなくなってるな。

「斎藤さんもそうだけど、御劔さんも、このカードは人に見せない方が良い」
「わかってます」

Dカードを見せ合うのは恋人みたいによっぽど親しい人くらいですよ、と彼女が笑った。

「いや、そう言う人にも、できれば見せない方が良い」
「え? はい」

俺の真剣な様子に、彼女も居住まいを正した。

「それで、あの。何となくなんですが」
「?」
「……現在のランク1位は、突然現れた、エリア12の民間人なんだそうです」
「みたいだね」
「それってもしかして……」

俺たちは静かに見つめ合っていた。
カフェ内の喧噪が、波の音のように聞こえる。

「私、今の仕事が始まっても、出来るだけ代々木に来ようと思います」
「うん」
「あの。連絡先交換してくれますか?」

そう言って交換した番号は、三好と鳴瀬さんに次いで、三人目の女子の番号だった。

「メールしますね。それじゃあ」

そういって、席を立とうとした彼女の手を思わずとって引き留めた。反射的な行動だった。

「あ、あの、御劔さん。実は今日これからうちの事務所関係で小さなパーティがあるんだけど、一緒に行かないか?」
「え?」
「三好が言うには、なんでもアークヒルズのないとうってお店らしいんだけど。お寿司、大丈夫?」
「ええ、ヘルシーですし。でも、私が行ってもいいんですか?」
「今となっては、立派なうちの関係者だし。よかったら斎藤さんも」
「わかりました。でも涼子ちゃんは遅くまでドラマの撮影だとか言ってましたから。後で聞いたら悔しがりますね」

御劔さんはいたずらっぽく笑った。

「5時からだけど、どこかへ迎えに行こうか?」
「じゃあ、うちの近くの……戸栗美術館ってご存じですか?」
「え、渋谷の?」
「はい」
「松濤じゃん!」
「あ、いえ、安い賃貸のマンションですから」
「シエ竹尾の通りだよね」
「はい。よくご存じですね」
「三好が食いしんぼだからレストランにだけは詳しくなるんだ」

「それじゃあ、4時に戸栗美術館の前でいいかな?」
「あそこは車で停車して待ったり出来ませんから……」
「じゃあ、うちを出るときに電話するよ。一キロちょっとしかないから車だと五分位かな」
「考えてみたら、凄く近いんですね」
「そうだね」
「わかりました。それでお願いします。では、また後程」

そういって席を立った彼女の背中を見送りながら、メールって……イマドキのコにしちゃ珍しいよな、なんて考えていた。

、、、、、、、、、

それから急いで十二匹だけスライムを倒して、超回復を手に入れた俺は、そのまま事務所へと引き返した。

時間がタイトだから、ハイヤーをスポットで借りてみた。当日でもわりとOKみたいだ。すぐに検索、ビバ、インターネット。
三好にも一緒に乗って行くかと聞いたら、みどり先輩を誘ったから、そっちと合流するそうだ。

「女の子を誘って、ハイヤーでお出迎えって、先輩もやりますね」
「いや、たまたまだから」

「でもあの二人、なんだか凄く躍進してるんですねぇ」
「だな。彼女たちがまじめだってこともあったけど、ダンジョンブートキャンプの効果はちょっと凄いな」
「経験値の取得ルールって、どこでどうやって公開するか、難しいですね」
「まったくだ。難しいことだらけだよ」

「ところで服はどうします?」
「鉄板のスマートカジュアルで良いだろ。日本のレストランは、上から下までスマートカジュアルで困ることなんかないよ」
「男性はいいですよねぇ。スラックスはいて、襟付きシャツにジャケットさえ羽織っておけば、大抵通りますし。その点女はスマートエレンガンスだと浮いちゃうこともありますから。セミフォーマルだと下で困りますし」
「今日は寿司だし、会場は小さいし、フレンドリーな雰囲気だろうからカジュアルでも大丈夫だろ?」
「飛び込みで、ないとうを休日に貸し切りにしちゃう人ですよ? 常識が違うでしょうし、一応準備を……」
「庶民はいろいろと辛いねぇ」
「本当ですよ。みどり先輩が白衣でこないか、それだけが心配です」
「……ありそうだな。しかしあのオッサンなら喜びそうな気がするけどな」

三好は、なにかのケースを取り出して、包装していた。

「なに、それ?」
「お祝いですよ。元気になった」
「あ、そうか。御劔さんや斎藤さんのお祝いもいるかな?」
「まあそちらは、先輩がお気持ちで」
「?」

「先輩。アーメッドさんは、私たちが売りだしたオーブに五十五億円払ったんですよ?」
「……そういやそうだ。じゃあ、それは?」
「お嬢様達の御用達。永遠の憧れ。ハリーウィンストンのサンフラワー。センタールビーのピアスですよ。お値段なんと二百万円」
「うおっ、すげぇ……」

しかしピアス?

「なぁ、超回復って、ピアスの穴、あけられるわけ?」
「そう、それなんですよ。だけど丁度不活性ぽい感じでしたし、今のうちなら……ってもくろみもあるんですよ」
「ああ、将来活性化したらあけられなくなるかも知れないから促すわけか。だけど、活性化したら閉じちゃうんじゃないの?」
「それは大丈夫っぽいですよ」
「なぜ?」
「私のピアス穴、そのままですから」

まじかよ。遺伝情報から再現するのかと思ってたけど、そういうわけでもないのか?

「うーん。わけがわからん」
「先輩言ってたじゃないですか」
「ん?」
「何か形而上的な、意識みたいなものが関係しているような気がするって」
「ああ、保管庫の件か」
「そうです。あれ、案外当たってるんじゃないかと思うんです」
「だから、ピアス穴もってことか」
「はい」

そのとき俺は、大変不謹慎なことを思いついた。
しかし、科学を嗜むものとして、やはり疑問は明らかにしなければなるまい。死して屍拾うものなしなのだ。

「なあ、三好」
「なんです?」
「俺は、個人的に、非常に気になることがあるんだ」
「なにか凄く嫌な予感がしますが、一応聞いておきましょう」
「処女……ごはっ!」

その瞬間、三好の手元から飛来したタブレットが俺の額を直撃していた。

「先輩はちょっとデリカシーというものを覚えた方が良いですよ」

はい。ずびばせんでじた。

「ともかく彼女は、思春期の頃事故にあって、以来ずっとオペラ座の怪人だったわけです」
「そうだな」
「おしゃれを楽しむ余裕なんか全然無かったと思うんです」
「うん」
「だから、これからは自由におしゃれできるんですよっていう意味で贈るんですよ。お値段もこの辺がお手頃で、気を遣わせなくていいですし。もっと凄いのは彼氏に買って貰うということで」

二百万のピアスが、お手頃なのかよ! お前等の常識はどうなってんだよ!
これだからセレブは! セレブは! まあいいけど……五十五億も貰ったし。

「だけどまさかパンチも付けるってわけには行かないだろ?」
「あのパパリンなら、ちゃんとした医療機関であけると思いますよ。しかし、プレゼントをすぐに身につけられないのは寂しい! ふっふっふ、抜かりはありません。同一デザインのミニペンダント付きです!」
「ペンダント?」

「今日って、絶対、首元がスッキリあいた装いだと思うんですよね」
「なんで?」
「今まで隠さなきゃいけなかったことの反動ですよ。あんなに美人なんですから、もう絶対です」

こいつの洞察力は、ある意味凄いと思う。良く当たってるし。

「だから、先輩、ちゃんと付けてあげて下さいね」
「俺?!」
「パパに付けて貰うって言うのは、年齢的にちょっと……かといって、あとは全部女性ですよ?」

そういやそうだ。おお、考えてみたらハーレムっぽいぞ?

「ま、こうやって色々恩を売っておけば……じゅるり」
「おい、こら、近江商人」
「いえいえ、今度はノオジェあたりを貸し切ってくれるかもしれないじゃないですか」

ノオジェは化粧品メーカーが銀座で出しているレストランだ。リニューアルオープンして、円形フロアの外周をサービスが動き回るという、少しせわしないフロアデザインになったが、それでも日本を代表するフレンチであることに間違いはない。
貸し切る? まあ俺たちでは絶対に無理ですね。わかります。

「そうだ。先輩。全然話は変わるんですけど」
「なんだ?」
「収納庫ですけど、あの駐車場にある20台……全部入っちゃいました」

は? 全部?

「す、凄いな。二百トンはいけるってことか……限界が見えないな」
「あれ、出すときは、多少離れていても、ある程度思った通りの位置に出せるんですね。面白かったです」
「……お前、バスでレゴとかしてないだろうな」
「え? ええ? し、シテナイデスヨ」

三好の目が泳いでいるが、ここで突っ込んでも犯罪者が増えるだけで良いことはない。
ミナイフリミナイフリ。

「後は電車かタンカーか……そんなに入るんじゃ密輸どころの騒ぎじゃないし、なにか対策が見つかるまで、収納のオーブは集めるだけで、売るのはやめとくか」
「それが良いかもしれません」

話すべきことも話したし、なんだか時間がぽっかり空いた感じだ。
ハイヤーの時間まで、まだ四時間弱ある。

「よし」
「どうしたんです?」
「まだ昼だから、ちょっと出かけてくる」
「御劔さんのお気持ち用ですか?」
「なんでわかる? お前はエスパーか?」
「まあ、話の流れで。先輩単純ですし」
「くっ……まあいいか。で、何が良いと思う?」

俺は自慢じゃないが、野暮の自覚がある。
モデルの女の子に送るプレゼントなんて分かるはずがないのだ。えっへん。

「そこで他人に振りますか。専属になったお祝いのジュエリーですよねぇ。ショートの正統派美人だし、ファッションモデルをやるならメインは服だから、ピアスならシンプルに一粒真珠がいいんじゃないでしょうか。大粒なら存在感もありますし、結構ノーブルですし」
「なるほど。真珠って何処で買うんだ?」
「先輩……ミキモトとかが無難じゃないですか? 銀座四丁目に本店がありますよ」
「よし、大粒、シンプル、ミキモト、だな。流石エージェント」
「はぁ……滑らないように頑張って下さい」

そうして俺は、慣れない世界へと旅立ったのだった。おそらく勇者になるのは無理だろうけれど。


035 ないとう 11月18日 (日曜日)


アークヒルズサウスタワーに入って、1層へ。春水堂《チュンスイタン》の角で丁度下から上がってきた三好達と合流した。

「ああ! みどりさんが白衣じゃない?!」
「ですよねっ」

三好が拳を握って賛同してくれる。

「なんだ、お前、理系メガネ白衣女子萌えだったのか?」
「いえ、違います」
「そこでいきなり素になるなよ!」

みどりさんと俺がアホなやりとりをしているあいだに、三好は、俺の隣にいる御劔さんにお祝いの挨拶をしていた。

「あ、御劔さんこんにちはー。オーディション合格おめでとうございます」
「ありがとうございます。今日はずうずうしくもついてきちゃいました」
「先輩が誘ったんでしょ? 柄にもなくナンパなんかしちゃって」
「ちがっ! 対スライムチームの仲間としてだな!」
「ほらほら、行きますよ」

くっ、スルーされた。
まるで行き止まりに見える場所へ進むと、実は突き当たりの手前に左へ入る通路がある。入り口の自動ドアをくぐれば、すぐに会場だ。
しかし、関係ない人は絶対に通らないロケーションだよな、ここ。

『おお! 芳村、三好、良くきてくれた。お前達は我が家の恩人だ!』

角までいったところで、店の前にいたアーメッドさんが、こちらに気付いてハグしてきた。
このオッサン、結構力が強くて苦しい。

『私達だけではありませんよ。日本ダンジョン協会の鳴瀬さんには、陰に日向に手厚いサポートを頂きましたし』
『もちろんだ。きめ細かなフォローには感謝している。それで、そちらの美しいお嬢さん達は?』
『こちらが、鳴瀬さんの妹さんで、みどりさん。医療機械の開発会社をやっています。今うちと一緒に時々仕事をして貰ってるんです』
『ベンチャーのオーナーなのかね?』
『そうです』
『始めまして、鳴瀬みどりと申します。今日は直接呼ばれてもいないのにお邪魔させていただいて恐縮です』
『いや、あなたの姉さんにはとてもお世話になった。楽しんで下さい』
『ありがとうございます』

こうしてみてると、みどりさんってデキル女って感じが半端ないな。スーツ姿もカッコイイし。

「いつもあれだとみどり先輩も格好いいんですけどねぇ」
「いや、お前、身も蓋もないことを言うなよ。俺もそう思ったけど」

『それで、こちらが御劔遥さんです。来年から、fiversity ブランドの専属モデルになる新進気鋭のモデルさんです』
『始めまして。まだ、英語がうまくない。すみません』
『それはおめでとう。英語は大丈夫。ちゃんとわかるよ。芳村君の彼女なのかね?』
『だと嬉しいんですが。残念ながら彼女もうちの関係者ですよ』

そのとき御劔さんの頬に、少し赤みが差した気がした。

『ほう、ダンジョンに潜るのかい?』
『はい、少し』
『それは仕事の役に立つ?』
『とても』
『なるほど、関係者のようだ』

アーメッドさんは笑って、店の入り口から店内に入っていった。
店内はL字型のカウンターのみで、結構狭かった。別室もあるみたいだが、もちろん今日は使われない。

『ケーゴ!』
『アーシャ。今日はご招待ありがとう』

「はい、先輩。これ」
「お。了解」

俺は三好からうけとったジュエリーの箱を、彼女に差し出した。
アーシャの服は三好の見立て通りだった。流石だ。

『アーシャ、全快のお祝い。俺たちから』
『え? ありがとう! 開けても?』
『もちろん』
『わあっ、素敵なピアス! 今すぐ付けられないのは残念だけど』
『ちゃんとした医療機関であけて貰うと良いよ。今日のところは、こちらのペンダントで我慢していただきたい』
『あら、付けていただけるのかしら?』
『仰せのままに』

(先輩、いつから英語でそんな言い回しが出来るようになったんですか?)
(昨日ネットで覚えた。間違ってないか?)
(定型句ですから、大丈夫ですよ)

アーシャが向こうを向いて、髪を軽くかき上げたところで、ペンダントのチェーンを回して、フックをかけた。
髪を下ろして振り返った彼女の胸元で、ダイヤに縁取られた小さな赤いルビーが美しく輝いていた。

『うん、とてもよく似合うよ』
『ありがとう。大切にする!』

そうして俺たちは席につくと、大いに食事を楽しんだ。

みどりさんが「うまっ、アンキモすげぇ、うまっ」といっておかわりしながら、日本酒をきゅっと飲んでいたのが印象的だ。左党だったのか。

「アンコウの肝は十二月頃から肥大するんですけど、ここのところ、早い時期からとれる事が多いんですよ。これは美味しくなった走りのものです」

とご主人が説明していた。
鳴瀬@日本ダンジョン協会さんは、完全にそれを見ないふりで、三好やアーメッドさんと話をしている。

俺は、アーシャと御劔さんに挟まれて、楽しい時間を過ごしていた。
二人の会話は、外国人が日本語を使って、日本人が英語を使う奇妙なシチュエーションだったけど、意外とあるあるなのだ。

「ケーゴ、これ、美味しい。ほら」
『アーシャ、それはあーんというポーズで、意味、親しい』
「したしい? so good! Do I have to say 'earn'?」
『私、見せる。手本』
「はい、芳村さん。あーん」
「ちょ、まっ」

「せ、先輩がもてている」
「あれはオモチャにされているって感じですけど」

良い感じにアルコールも入ってますしね、と言って、鳴瀬さんはくいっとぐい呑みを呷った。
姉の方もイケるくちだったのか。

「それでも、片やボリウッド女優もかくやと言わんばかりの美女で、片やブランドに抜擢された新進気鋭のファッションモデルですよ!」
「改めてそう言われると、凄い気がしますね」
「フォーカスし放題です!」

三好が不穏なことを言う。
こいつの恐ろしいところは、何処までが本気でどこからが冗談なのか、よく分からないってところだ。

、、、、、、、、、

『今日はご馳走様でした』
『ケーゴ』
『アーシャも元気でね』

そういうとアーシャは、こちらに近寄ってきて、俺をハグした。
え、インドって、身体的接触ってありだっけ?? と焦っていると、フイと離れた彼女が『いつかまた、ね』と言った。

『うん。また』

と、すぐにまた会える友達同士のような、挨拶をした。

『いまや世界は、会おうと思えばいつでも会える程度には狭いさ』

そういって笑うアーメッドさんの笑顔はちょっと怖かった。これが親バカパワーというものか。

『今後、何か困ったことがあったら私に連絡してくれ。必ず力になろう』
『ありがとうございます』

そう言ってやたらと豪華な名刺をもらい、ことさら力の入った握手(痛い)を交わした後、アーメッドさんたちと手を振って別れた。

みどり先輩は、三好のところに泊まるそうなので、一緒にハイヤーに乗り込んだ。

途中、御劔さんを下ろすところで、用意していたプレゼントを渡した。
大きな一粒の真珠のピアスをお願いしたら、店員が選んでくれたのは、少しモダンなデザインの、Mをベースにしたものだった。

少しの酔いも手伝って、感極まった御劔さんは、ハイヤーを降りたところで、俺にキスをしてくれた。もちろん頬だったのだけれど。

「おーおー、デビュー前にフォーカスされちゃいますよ?」

と別れた後のハイヤーの中で三好に囃された。

「無名の人間を張るほど暇じゃないだろ」

と冷静なフリをして見せたが、俺はちょっと、舞い上がっていた。


036 検査再び 11月19日 (月曜日)


そうして翌日、再びやってきました、鳴瀬秘密研究所。

「だれが秘密研究所だ。マッドな研究者は――」
「ああ、もういらっしゃったんですね」

そう言って、プリンタ用紙の束を引きずった男が現れた。確か、中島とか言ったっけ。

「もう今日はオーラの秘密に迫れるかと、ドキドキで、よく眠れませんでしたよ!」
「――いないぞ、たぶん」

眉間を押さえながら鳴瀬所長がそう言った。

「で、今回も項目は前回と同じですか?」
「ええ、計測は全項目でお願いします」

「そういえば、前回のレポートはよく書けていた。ありがとう。しかし、今回は四十三回だ? お前等本当に酔狂だな」
「検査費で約一億ですからね」

中島氏が顔を振って感慨深げに言った。

「うちも潤沢な予算が欲しいです」
「さ、さあ、早速始めるぞ。時間がないからな!」

鳴瀬所長が目を泳がせながら、中島氏の話を打ち切ると、前回の計測器に俺を押し込んだ。

俺は早速メイキングを展開した。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1118.856

HP 61.00
MP 52.00

力 24 (+)
生命力 25 (+)
知力 28 (+)
俊敏 20 (+)
器用 26 (+)
運 24 (+)
、、、、、、

とりあえず、ステータスを丸めるか。
代々木でずっとスライムを二千匹くらい倒してたが、連続で倒したから、一ヶ月の取得ポイントは五ポイントとかだった。
これだと一年で60ポイントくらいか? すると三年で180ポイント。

トップエンドのエクスプローラのステータスが、平均的に振られていたとしたら、30ポイント平均くらいだろう。ばらつきがあったとしてもせいぜいが60ポイントくらいのはずだ。根拠はないが。
モンスターの経験値も深いところに行くほど増えるだろうから、倍くらいになっていたとしても 60ポイント平均で、上が120ポイントくらいか。

三好と相談した結果、どれかを一気に上げるよりも全体をまんべんなく上げて測りたいらしかった。
どれかを突出してあげる人間はほぼいないはずだからだろう。まあ、予定では百までだから、そのくらいまでは平均的に上げても問題ないか。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 1085.856

HP 75.00
MP 57.00

力 30 (+)
生命力 30 (+)
知力 30 (+)
俊敏 30 (+)
器用 30 (+)
運 30 (+)
、、、、、、

「お願いします」
「よし、一発目計測するぞ」

右腕にちくりとした痛みを感じると、前回と同じく、ゴウンゴウンとCTが動くような音が聞こえてきた。
数分後、計測終了の連絡が来た。
五分で一回を終わらせても四時間かかる長丁場だ。俺は淡々と機械的に作業を進めていった。

そしてそれは、力を100ポイントにしたときに起こった。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 715.856

HP 235.00
MP 171.00

力 (-) 100 (+)
生命力 90 (+)
知力 90 (+)
俊敏 90 (+)
器用 90 (+)
運 90 (+)
、、、、、、

「はい?」

ステータスが100を越えた力にマイナスマークが追加されたのだ。

「どうかしたのか?」

思わず上げた声に、鳴瀬所長が反応した。

「あ、なんでもありません。ちょっと待ってて下さい」

しかし、これは……もしかしてポイントを戻せるのか? もしもそうなら、一点特化で大ポイントをふって遊べるわけだが……
ゲームじゃ大抵、2ポイント使って1ポイント戻せるみたいなペナルティがあったりするんだよなぁ。

俺はおそるおそる(−)を押した。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 715.856

HP 234.00
MP 171.00

力 (-) 99 (+) [1]
生命力 90 (+)
知力 90 (+)
俊敏 90 (+)
器用 90 (+)
運 90 (+)
、、、、、、

結論から言うと、ステータスポイントが戻されたりはしなかった。

どうやら、ステータス内で、使用するポイントを決められる機能のようだ。
今のところいまいち使い道がわからないが、すごくステータスが伸びて、人外パワーになったとき、手加減するための機能なのかも知れない。
あとはステータスの擬装とかだろうか? 見る人もいないのにそんな機能があっても仕方がないから、そういうものを見られるスキルがあるということだろうか?

擬装した結果、もしも、ポイントを割り振っていない時と同じ状態になるのなら、三好のテストには非常に都合が良いが……ま、今は余計なことをしないほうがいいだろう。
俺はポイントを戻して、「次お願いします」と言った。

そうして5時間後、俺のステータスはこうなっていた。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 665.856

HP 250.00
MP 190.00

力 (-) 100 (+)
生命力 (-) 100 (+)
知力 (-) 100 (+)
俊敏 (-) 100 (+)
器用 (-) 100 (+)
運 (-) 100 (+)
、、、、、、

「先輩、お疲れ様」
「さすがに、四十三回は結構きついな」

計測器を出た俺は、大きく伸びをしてそう言った。

「お疲れさん。結果がそろうのにもう少し時間が掛かるから、これでも飲んで待っていてくれ」

そう言って、鳴瀬所長が大振りのマグカップに入ったコーヒーを渡してくれた。

「ありがとうございます」

そう言って俺はそのカップを受け取って、力を入れた瞬間――持ち手が粉々になった。

「は?」

割れたんじゃなくて、何かで押しつぶしたかのように粉々になったのだ。
当然、マグカップは中身をぶちまけながら床へ。

「うわっ、す、すみません!」
「おいおい、大丈夫か? 火傷とかしてないか? もし掛かったようなら、洗面所はそこだ」
「あ、ありがとうございます」

俺は後片付けを三好に任せて洗面所に飛び込んだ。
水を流しながら、俺はおそるおそるポケットから十円玉を取り出すと、親指と人差し指でゆっくりとそれを摘んだ。
十円玉は、なんの抵抗もなくまるでゴムで出来ているかのように二つに折れた。

「うそだろ……加減が全然分からないぞ」

力の影響がこれだけ出てるなら、ちょっと走ったつもりが瞬間移動に見えたり、ちょっとなでたつもりで犬の頭が吹っ飛んだりしかねない。
トッププレイヤーは長いことかけて徐々に身体能力が上がるから、体のほうがそれに慣れて制御できるわけか。

「マイナスの意味が、やっとわかったぜ」

そう呟いて俺は、少し強くなった程度までパラメータを低下させた。

、、、、、、
ネーム 芳村 圭吾
ランク 1 / ステータスポイント 665.856

HP 75.00
MP 57.00

力 (-) 30 (+) [70]
生命力 (-) 30 (+) [70]
知力 (-) 30 (+) [70]
俊敏 (-) 30 (+) [70]
器用 (-) 30 (+) [70]
運 (-) 100 (+)
、、、、、、

運と知力は影響ないだろうとは思ったが、水魔法でやらかしそうなので、知力も下げておいた。
流石に運は大丈夫だろう。

そう思ったとき、俺の携帯が振動した。慌ててそれを取り出すと、相手は御劔さんだった。

「御劔さん?」

俺はとりあえずボタンを押して通話を開始した。

「はい。芳村です」
「あ、芳村さんですか、御劔です」
「夕べはどうも。どうしたんですか?」
「あ、あの、そのことですけど……」

彼女の話を聞くと、本当は昨日のお礼を言いたかったんだけど、あんなことしちゃったからなんだか恥ずかしくて、連絡できなかったんだそうだ。
でも、今、なんだかよくわからないけど、どうしても掛けなきゃって気持ちになったんだそうだ。それって、もしかして運のせいか?

「それで、やはりダンジョンでの特訓が作用しているんだと思うんですが、今、技術の部分を教えていただいてる先生に、記憶をなくした一流モデルみたいだって言われました」

ああ、技術を学んでいないだけで、体は教えられたとおりに完璧に動くんだから、そうなるのかもしれないな。

「それで、思ったよりも進みが早いので、年内一杯、週五予定のレッスンが、週3になったんです」
「では仕事を始められるんですか?」
「いえ、具体的な活動は来年からですし、結構時間ができますから、こないだお約束したダンジョンに一緒に行ってもらいたいなと思いまして……」

え、これってデートのお誘い? 場所はダンジョンだから、ロマンティックのカケラもないけど。

「大丈夫ですよ。二十二日から数日留守にしますけど、それを除けば十二月の予定はまだ入っていませんから。お休みの日を教えていただければ、こちらで予定を調整してお知らせします」
「ありがとうございます! じゃ後でお休みの日をメールしますね。お忙しいところすみませんでした」
「はい。それではまた」

そうして電話を切ったが、洗面所の鏡に映る男の顔は、サプライズでプレゼントを貰った子供みたいににやけていた。
もちろん、三好に散々突っ込まれた。

三好はと言えば、鳴瀬所長となにやらデバイス開発の話をしたようだった。

能力の数値化がもたらす功罪は表裏一体だろう。社会がそれをどう受け入れるのかはわからない。
ともあれ研究者は出来ることをやるだけだ。その先は運用する人達が考えればいいことだからな。


037 a sequel / とある社交パーティで


「あの美しい女性は誰だい? 見たことがないな」

柔らかなクリーム色のドレスのラインが、少女から女に変わる一瞬の美しさを見事に表現し、そのアンバランスな魅力が危ういところで保たれていた。
ルビーをあしらったピアスとペンダントが華やかな笑顔をひきたてている。

「ああ、あれはアーメッド氏のお嬢さんだ」
「アーメッド? というと、ムンバイの? あそこのお嬢さんと言えば……なんというかタブーじゃなかったのか? 兄妹がいたとは知らなかったな」
「いや、その当人らしい」
「なんだって?」

「先日、日本に行って、戻ってきたときにはああなっていたんだそうだ。こっちの社交界じゃ、その奇跡の噂で持ちきりだよ」
「知らなかったな。腕の良い整形外科医でもいたのかい?」
「なくなった手足を作り出せる医者がいるとしたら、そいつは悪魔と契約してるに違いない」
「移植……か?」
「あんなにそろった美しい手足を見つけるのは難しいどころではないだろうし、顔はもっと不可能だ。そんなことができるのならとっくに実行していたろう。仮にそうだとしても回復が早すぎる。一年はリハビリが必要だ」
「じゃ、ポーションか?」
「以前試したときはダメだったらしい」
「つまりはどういうことなんだ?」

「日本で魔法使いにあったんだよ」

二人が話している場に、立派な口ひげをたたえた男が割り込んだ。
アーメッド=ラフール=ジェイン。インド有数の大富豪だ。

「アーメッドさん?! これは失礼しました」
「いや、今は何処に行っても、その話ばかりだからね」

アーメッドはおかしそうに笑った。特に気にしてはいないようだ。

「それにしても魔法使いとは、何かの比喩ですか?」
「いや、他に形容する言葉がない、というだけかな。とても信じられない一日だったよ」
「一日? お嬢さんは一日で回復されたんですか?」
「体はね」
「信じがたい」
「まったくだね。心の方は、その僅か二日後に……まあ、あのピアスとペンダントのおかげかな」

陽光に時折光るそのアクセサリーは、確かにいいものだったが、ハイジュエリーではなく、普通のコレクションのデザインだった。

「ハリーウィンストンですか……確かにいいものですが、アーメッドさんなら一点もののハイジュエリーでも簡単に用意できるでしょう?」
「まあね。だけど、魔法がかかったアクセサリーには、別の価値があるのさ」

彼はそう言って笑うと、手を振って、次のゲストに向かって歩いていった。

「どう思う?」
「日本に行って、魔法使いにあえば失った手足や美貌がとりもどせる。ついでに魔法のかかったジュエリーで心のケアも万全だ、ってことだろ」
「そのままじゃないか」
「だから、そのままなんだろ。他に形容のしようがないから魔法なんだろ」
「そんなことが出来るなら、体や美貌を損なった、元一線級の連中が大挙して日本に押し寄せかねないな。スポーツしかりモデルやアクトレスしかり、あとは軍人もそうか」

彼らの話を隣で黙って聞いていた、小柄な男が、その話に割って入った。

「実は、面白い噂があるんだ」
「なんだい?」

「アーメッド氏が訪日する前、日本で奇妙なオークションが開かれたんだ」
「オークション? クリスティーズかい?」
「いや、メジャーなオークションハウスじゃないから、特殊な業界以外の人間にはほとんど知られていない」
「なんだ、ずいぶんもったいぶるじゃないか」

「開催された回数は、いまだ僅かに二回だけ、取引された商品はどちらも四点だけだったが――」
「が?」
「売り上げはざっと二億ドルだ」

「ちょっとまってくれよ。一点2500万ドルもする商品が、メジャーでないオークションハウスで行われたのかい? 良く落札されたね」
「その商品は、世界中のオークションハウスにとっても、垂涎の的なんだ。ただし、どんなオークションハウスもそれを取り扱うことができなかった」
「どうして?」
「この世界に現れた瞬間から、わずか二十三時間五十六分四秒後に消えて無くなるからさ」
「まさか」
「そう。そのオークションハウス――というより個人の売買サイトみたいなものなんだが――は、スキルオーブを取り扱ったんだ。しかも落札期間は三日間だ」
「そんな馬鹿な……」

「当然誰もが詐欺だと思った。だが、そのサイトは世界ダンジョン協会ライセンスで運営されていて、今でも閉鎖されていない」
「つまり、正常な商取引が行われているってことかい?」
「世界ダンジョン協会を信じるならね」

「余り知られていないと言っていたけど、もしそれが事実なら、オーブを買える世界中の金持ちが大挙して押し寄せるんじゃないか?」
「まあね。今は、ミリタリー関係者が落札しているんだろうし、大半は様子見ってところだね」
「とても信じられない」
「まったくだ」

「話が面白くなるのはここからなんだ」
「なんだって? もうお腹いっぱいだよ」
「まあまあ。少し前に行われた二回目のオークションで、ひとつの未登録スキルが販売されたんだ」
「それで?」
「その名称が『超回復』。落札されたのは、アーメッド氏が訪日した二日後だ。どう思う?」

最初に話していたふたりは顔を見合わせた。
その後、背の高い方の男が、割り込んできた小柄な男に向かって言った。

「話としては凄く面白いよ。だけど、その娘さんが事故にあったのはダンジョンが現れる前だろ?」
「そうだ」
「Dカードはどうするのさ。あれの条件は、独力でモンスターを倒すこと、だろ?」
「そうなんだよ。そこがこの話の弱点なんだ」

小柄な男は悔しそうに言った。
両腕と片足がなく、何年も車いすの上で過ごした人間が、ダンジョンに入って独力でモンスターを倒す?
人の体は海水に浮く。ドーバーを泳いで渡れと言われる方が現実的だ。

「きっと日本の魔法使いのチームがどうにかしたんだろうさ」
「なかなか夢のある話だった。そういえば――」

そうして、話題は、EUを離脱するイギリスのごたごたへと移っていった。

# 第3章 異界言語理解

038 準備 11月21日 (水曜日)


「先輩。キャンピングカーが納車されるそうです。結局チタンの板はビルダーに付けて貰いました」
「当面はそれで凌ぐとして、キャンピングカーのビルダーでもいいんだけどさ、1LDKくらいの広さのダンジョンハウスをどっかが作ってくれないかな」
「過酷なダンジョンで、キャンピングカーじゃ、いつまでも持ちそうにないですもんね。完全な密封や循環系が必要なら宇宙関係企業でしょうか」
「そこまでは期待していないけど……ダンジョン内で普通のテント暮らしとか俺達には無理そうだしなぁ……」
「現代の便利さに浸りきった、軟弱な我々には無理だと思います」
「待て。軟弱だからじゃないぞ? 二人だからだ。見張りが二人組なら寝られないだろ?」
「まあ、そう言うことにしておきます。でも、そう考えると、軍の人って凄いですね」

まったくだ。
日本の自衛隊は、エクスペディションスタイルで代々木へ潜っていったらしいが、サイモン達は、純然たるアドベンチャラースタイルでアタックしているらしい。
いろいろ軍のハイテクアイテムがあるんだろうが、それでも基本は見張り&探索者用寝袋だろう。すげぇぜ。

「一応途中まではトレーラーで運んで貰って、途中からうちの前庭まで自走で納車して貰えるそうです」
「公道走れるんだ?」
「フロントの板は後付けで、納車後に付けてくれるそうですから。でもそれ以降は無理だと思います」

車検はともかく前が見えないんじゃ運転はできないだろうな。
拠点として使うだけだから、別に困らないが。

「ところで、武器や防具はどうします? 2層以降は、さすがにないと拙くないですか?」
「ないと目立ちそうだもんな。親切な探索者がいちいち意見してくるのも、数が増えると面倒だし」

「どうせ高価な防具でも完全には守りきれないんだから、超回復と生命力を信じて動きやすさ重視で。御劔さん達が最初に使ってた、初心者装備でいいよ」
「私たち、ランクもGですから、妥当ですよね。で、武器は? ここは格好良く聖剣シリーズとか使います?」

三好がネットで武器を検索しながら笑っている。

「なんだそれ」
「あるんですよ、ゲーム会社が武器メーカーとタイアップして作ったようなのが」
「どう聞いてもネタ装備だろ、それ。それに剣なんて使えないって」
「近づくのがイヤなら、やっぱり飛び道具ですかね?」
「あ、相手の飛び道具を避けるのに盾は欲しいな」
「チタンのフライパンじゃだめですか」
「さすがにちょっとな」

確かにあれは、スペックだけを見るなら高CPだが、保護面積が狭いからな。

「さすがにそう言ったものは、ダンジョン施設のショップじゃないと買えないですけど……」

三好がすばやくパソコンを操作して、よさそうな盾を絞り込んだ。

「ブンカーシールドとかありましたけど、180キロあります」
「それはさすがにいらん」
「アメリカのSWATで使われてる、プロテック・タクティカルのパーソナル・バリスティック・シールドが十キロ弱、もっと小さくて良ければ、LBA社のL10−Sミニシールドとかあります。アラミド繊維で作られてて、3.2キロだそうです。体は全部隠れませんけど」
「とりあえず、とっさの攻撃を防ぎたいだけだから、そのミニシールドでいいよ。予備で2個くらい」
「了解です」

三好がさくさくポチッていく。
武器はなぁ。ぽよん♪ シュッ♪ バン♪ じゃダメだろうしなぁ。

「それで、武器はやはり飛び道具か?」

しかしスリングショットにしろ弓にしろ、なにかの反動で与える力にステータスは乗せづらい。誰にも引けないようなものがあるのならともかく。
火器ならそれはなおさらだ。

魔法主体というのもひとつの手だが、MPというパラメータがある以上、完全に依存するのはかなり不安だ。
それに、魔法無効のモンスターとか定番だしな。

「十四層のムーンクラン周辺は、渓谷っぽい場所のようですし……鉄球でも投げますか?」

直接投擲かー

「兵庫にF辺精工さんって金属球の専門加工会社さんがあるんですよ」
「流石日本、なんでもあるな」
「直径0.3ミリから100ミリくらいの球を、いろんな素材で作ってくれるんです。八センチで二キロ、六センチで850グラムくらいですね」
「じゃ、八センチと六センチを百個ずつ頼んでみるか? いろいろ試してみよう」
「二キロの鉄球を全力で投げたら、普通の人は肩を壊すと思いますけど」
「そこはステータスの力でゴリ押そう。あと、投げるんなら、やっぱり斧だろ」
「トマホークってやつですか?」
「そうそう。ちょっと重めのが良いから、ブローニングのショックンアートマホークを百本くらい」
「なんだかもう軍隊の発注みたいになってますね」
「オーノー」
「言うと思いました」

冷たい目で俺を非難しながら、三好は注文を確定させた。

「在庫あるみたいですから、大体明日届くと思います」
「了解。後はルートだな」

持ってるオーブを確かめておきたいモンスターが途中にいるなら、それも狩っておきたい。

「夢のスキルと言えば、テレポートとリザレクションですか?」
「後、肉体強化系も地味に便利っぽいぞ」
「あまり犯罪に利用されなさそうで、高額で売れそうなのは、医療に応用が利くタイプですけど」
「回復系か……」

ヒールにキュアにディスカース。あ、最後のは違うか。

「ダンジョンから連絡が出来るツールとかもあると便利だよな」
「量子テレポーテーションを利用した通信手段を研究しているところがあるそうですよ」
「次元?が違っても有効なのかね?」
「量子エンタングルメントをダンジョンで確認する実験は準備されているそうです」
「へー。早く実用化するといいな」

一応そう言ってはみたけれど、凄そうという以外、何を言っているのかさっぱりわからん。

「その前にダンジョン素材でなんとかなりそうな気もするんですけど」
「そのココロは?」

三好が代々木ダンジョンの階層マップを表示して、九層をタップした。

「これです」

 そこに表示されたのは、コロニアルワームと呼ばれるモンスターだ。

「聞かないな」

次の層に降りる階段までの、いわゆるメインルートから外れた場所にいるモンスターを狩りに行くには、何らかの動機付けが必要だ。
そういうものがなかったり、支払うものに対して得るものがあまりに少なかったりするモンスターは、基本的に放置される傾向にある。
こいつも放置されているモンスターのひとつらしい。

「あまりにも鬱陶しいので放置されているモンスターですね」
「鬱陶しい?」
「コロニアルワームは、小さな群体と、大きな本体から構成されているモンスターです」

最初に接敵した自衛隊の部隊は、本体を巣だと思ったそうだ。

「群体側のワームは、積極的にいろいろなものを襲って食べるというか、呑み込むんですが、太さが変わったりしないんです」
「ツチノコみたいにならないってことか」
「はい。そして、自衛隊が本隊を倒したとき、刃物で本隊の体を割いたそうなんですが、光になって消える前に、群体が飲み込んだと思われる物体がこぼれ出たそうなんです」

ダンジョンのモンスターは倒すと消えてなくなってしまう。だから完全に満足な調査は行えないだろうが、奇しくも本体を攻撃したとき、それが死ぬ前に中身が出たってことか……

「ダンジョン産でないものは、そのままそこに残されていたそうですよ」
「まるで宝箱だな」

「だから、群体の部分と、本体の部分が、内部で繋がってるんじゃないかと思うんです」
「なんというファンタジー。胃袋みたいなものを共有しているってことか」
「そうです。そしたら、その胃袋と群体側の器官で、同じ空間を共有できたりしませんかね?」
「ありえる。ありえるが……アイテムは捕まえたモンスターを解剖して取り出すってわけには行かないからなぁ」
「そうですね。それに……」

三好が再生した動画は、極めてグロで、ものすごくビビッた。
群体が通路の壁を覆うように這って移動してくるありさまは、映画スクワームのラスト付近の家の中の映像のようだ。

「げぇ……」
「そりゃ、誰もここに向かいませんよね」
「まったくだ。強力な範囲魔法でも手に入れないと、近づく気にもならない」
「ほんとですよ。まだ食べられたくはありません」

洒落にならん。

「単なる魔法スキルなら、結構候補が居るんですけどねぇ」

11層のレッサーサラマンドラ、17層のカマイタチ、13−14層のグレートデスマーナあたりを次々と指さしていく。

「デスマーナってなんだ?」
「言ってみればモグラですね。ロシアデスマンっていう大きなモグラと似ているそうですよ。太い尻尾と尖った鼻が特徴です」

それは尻尾を入れなくても一メートルはある、鼠のようなモグラのようなモンスターだった。

「こんなのがうろうろしてるのかよ。トマホークくらいじゃ、まったく通用しないんじゃないの?」
「これを刃物でどうにかしようとするなら、何か物理的に刃渡りがある武器が必要ですよね」

 刃渡りか。やっぱ剣がいるってか?

「そういえば、私、バスを出し入れしてて思ったんですけど」
「うん?」
「物を出す時って、ある程度出す位置や向きを決められるじゃないですか」
「そうだな」
「あれって、ものすごく重く尖ったものを相手の上に出したり出来ませんかね? 素早く動くものにはダメでしょうけど」
「質量兵器か……それは一考の余地があるな」

「魔法だって、出した後も位置が維持できるのなら、水の玉を相手の頭にあわせて出し続けるとかしたら、窒息しませんか?」
「モンスターって呼吸してるのか?」
「わかりません。けど、もしも例のパッセージ説が本当だとしたら、深いダンジョンは向こうの世界と繋がっているんですよね? なら、気圧の違いや空気を構成する気体のバランスの違いが大問題になりそうなものなんですけど、三年経った今でも、そんなことは起こっていません」
「むこうとこっちで気圧も空気の成分も同じってことか? だから生物?も酸素呼吸をしている?」
「そうでなければ、やはり空間自体は断絶していて、テレポートみたいな機能で繋がってるのかもしれませんけど」

ダンジョンの中と外では電波が届かない。各フロア同士も同様だ。
そもそも現実に地下を占有していることはあり得ないサイズなのだ。別空間だとしか思えない。

「大体おかしいと思いませんか? 先輩」
「なにが?」
「モンスターが徘徊する異界との接点? そんな場所に多くの人が侵入してるんですよ? 未知の病原体とかいないんですかね? 検疫とかありませんよね? 防疫とかどうなってるんです?」

確かに。
同じ地球ですら、他国とのやりとりに検疫は実施されている。なのにダンジョンでは俺の知る限りそんなことは行われていなかった。
一応公開されるまでの間に、危険な細菌や生物はモンスター以外発見されなかったということだが……

「異世界の細菌は酸素で死滅する、なんてことも考えられますけど。モンスターは生きてますし」
「そう言う話は、俺たちがここで考えていても結論はでないな。まあ、質量兵器のアイデアはよかった。一トンくらいの杭でも用意するか?」

あんまり重いと、保管庫では持ちきれない。

「尖らせるなら百キロくらいのものも使い勝手がいいかもしれません。ダンジョンの高さが無制限にあるなら、市販品で一番面白いのは五センチくらいの太さがある鉄筋ですかね」

もっとも使用する空間の方に、それを運用する高さがないんですけどと、三好が苦笑しながら言った。
鉄筋か……そういえば、あのとき落ちた鉄筋が、この変な運命の始まりだったな。あれは一体、何に当たったんだろう。

「加速度が付けられたら便利なんだけどな」
「あ、それ、出来そうな気がします。後で練習してみます。しかし流石にトン級の鋳造ってことになると特注ですよね。3Dで設計図作って見積もりとってみますが、今回は間に合いませんね」

加速度って付けられそうなのかよ。
俺も、ピンポン球とかで練習してみるか。できるなら、力より知力や器用をあげた方が良いのかな?
その辺もあとで検討してみよう。

「ああ、よろしくな」

そこで呼び鈴が鳴らされた。

「あ、来たんじゃないですか?」

画面を確認して門を開けると、表のスペースに車が入ってくる気配がした。

、、、、、、、、、

納車されたキャンピングカーは、結構でかかった。

「いや、三好、凝りすぎだろ……」

室内に入って、内部を見た俺は、思わずそう呟いた。
ベースはドリーバーデン25ftらしいが、窓が全部潰されていて光が漏れないようになっている。
ダイネットと奧のベッドには大きなモニタがぶら下がっていて、周囲の監視カメラの映像が表示されていた。

「ダンジョン内では、騒音もよくないでしょうから、電源は全部燃料電池ですよ。超高コストです!」

なんだか三好が嬉しそうだ。新しい技術は使ってて楽しいもんな。

「PEFC、固体高分子形燃料電池とDMFC、直接メタノール燃料電池の併用です。念のためにたくさん積んでおきましたけど、ファンの音がうるさそうだったので、いろいろと工夫がしてあります」

確かに大した音は聞こえない。

どうせ食事は全部保管庫の中だ、本格的な料理の必要はほぼ無いからか、キッチン部分はとても簡略化されていた。

三好はいろいろと説明してくれていたが、俺はと言えば、アメリカンな内装なのになんでドリーバーデンなんだろうと下らないことを考えていた。
オールドアメリカンとイギリス風は似たようなものだと言われればそうなのかもしれない。

いずれにしてもこれでおおまかな準備は終了だ。
明日注文したものが届けば、そのままダンジョンに潜ることになるだろう。
初めての冒険らしい冒険に、俺はちょっとワクワクしていた。


039 探索の始まり 11月22日 (木曜日)


「それじゃ、三好、準備はいいか?」
「大丈夫ですよー。先輩こそ、ちゃんとご飯は持ってるんでしょうね?」
「大丈夫だ。たっぷり仕入れた。じゃ、いくか」
「はい」

初心者装備とはいえ、初めてのまともな装備だ。なんとなく身が引き締まる思いがする。
俺達は、それなりにやる気に満ちながら、代々木の地下へと降りていった。

手ぶらだと目立つので、とりあえずLBAのミニシールド装備して、ブローニングのトマホークを腰に下げておいた。

いつもとは違う人の流れに乗って、二層への階段を目指す。
最大の目的地は、十四層のムーンクランだが、各階のモンスターの経験値測定も重要な作業だ。

各階の過疎地域や環境は、三好と一緒に綿密に予想した。
メットにセットしたアクションカメラや深度センサーも常時作動しているらしい。
深度センサーは自動でダンジョンの3Dマップを作成するものだそうだ。日本ダンジョン協会が提供しているダンジョンビューのオリジナル版らしい。どうせ行ったことのある場所をマッピングするんだからそのついでらしい。

バッテリーは三好が山ほど買い込んでいた。情報には計り知れない価値がありますからね、とのことだ。それは正論とは言え、保管庫や収納庫がなければ、ほとんど不可能な言ってみれば戯言だ。その点、俺達にその心配はなかった。

「初心者さんですか?」
「あ、はい」

三人組のパーティの男が、俺たちに話しかけてきた。装備を見てそう思ったのだろう。

異世界ものやVRMMOものなら、ここで強盗を疑うところだが、代々木でその手の事件はほとんど発生していない。
日本人の気質もあるだろうが、ダンジョン利用者は完全に個人情報を日本ダンジョン協会に把握されているから、匿名犯罪は起こしにくかった。
ここで初心者を襲って何かを得たところで、現代日本じゃほとんど割に合わない。リターンに比べて、リスクが大きすぎるのだ。

吉田と名乗ったその男は、二層へ向かう道中で、いろいろと初心者の狩り場などについて教えてくれた。

「あと、その防具だと五層より先には降りない方が良いですよ」

五層から現れ始めるボア系と呼ばれるモンスター群の突進が、初心者装備では受け止めきれないそうだ。

五層はアマチュアのファン層とプロ層を分けているフロアだ。

代々木では四層までのモンスターは、所謂「通常アイテム」と呼ばれる、モンスターを倒すと高確率で得られるアイテムをドロップしない。
つまり、代々木ダンジョンで生計を立てるものは、必ず五層以降へ降りる必要があった。
逆に言うと、プロ層とアマチュア層は、その縛りで分離されているため、探索への姿勢の違いで起きるいざこざも抑制されていた。

「わかりました。ありがとうございます」

丁度二層へ降りる螺旋階段で、お礼を言って別れた。
そうして俺たちは、初めて二層へと降りたった。

「知ってはいましたけど、なんだか不思議な光景ですよね……」

ダンジョンに、空があったっていいじゃないか。
つい昔の芸術家の台詞が頭をかすめる。もっとも、顔と違って、どんなものにも空はないが。あ、中身をなくせばカラは作れるか。

そこにはダンジョンの中とは思えない空と、草原や丘や森があった。この傾向は九層まで続くらしい。
振り返ると、俺達が出てきた階段の入り口は、少し急な壁を持つ丘の中腹に口を開けていた。中を覗いても緩やかなカーブを描く上り階段の先は見えない。普通なら丘の天辺を突き抜けているだろうが、丘の上に天に昇る螺旋階段は無かった。

「確かに不思議だ」

気を取り直して前を向いた。

二層に棲息しているのは、ゴブリン・コボルト・オークなどの定番人型系モンスターに、ウルフなどの獣系が主体だ。

「とりあえず、二層のゴブリンとコボルトか」

ふたりで作ったマップを確認しながら、俺たちは過疎エリアに向かって歩き出した。

二層の過疎エリアは、単に三層へと降りる階段に向かうルートとは逆方向だというだけだ。
一層ほどではないが、二層も下層に降りる階段が比較的近距離にあるため、逆方向は過疎率が高い。
当然奥地へ行けば行くほど過疎っている。

俺は人のいない場所まで移動すると、全ステータスを本来の値に戻して、走ってみた。

「う、うぉっ!」
「ちょっ! 先輩! 何処行くんですか! 待って下さいよ!」

体が羽根のように軽く凄い速度で移動できるが、知覚自体は、まるで時間を引き延ばしたようで、体の制御は容易だった。

「凄いな、ステータス」

代々木ダンジョンの既知のエリアに罠は確認されていない。というか、世界中のダンジョンで罠が見つかった例はない。
理由はわからないが、そのあたりがフィクションと少し違うところだ。

もっとも、罠があるほうが謎だと思う。一体誰が仕掛けてるって言うんだよ。
普通の屋敷を調べていたら、絵の裏にボタンがあって、押すと別の部屋で壁が開いて銃弾が見つかる、なんて、リアルだったら作ったやつは頭がおかしいとしか思えない。

そういうわけで、環境セクションの構造にもよるが、結構な早さで移動してもそれほど問題にはならなかった。
角を曲がったときモンスターとぶつかって恋に落ちるかも知れない可能性が多少高くなる程度だ。

もっとも、三好がついて来るのは無理だろう。

「先輩。そんなに高速で移動するなら、私を担いでいって下さいよ」

いや、緊急でもないのに無理だから。まあ、普通に歩こうか。
数分進んだところで、まっすぐな通路の奧に、小さな人影のようなものを見つけて立ち止まった。

「第一ゴブリン発見?」
「ですね。まずは経験値の確認をしましょう」
「了解」

俺はメイキングを展開すると、鉄球を取り出した。

アイテムボックスから出すと同時に加速させるワザだが、俺には出来なかった。

三好は自在に使いこなしていたから、収納庫ならできて保管庫にはできないのかもしれない。
取り出す際に内部で加速させているんだとしたら、保管庫は時間の経過が0だから、加速させることなど出来るはずがない。

もちろん俺と三好の才能の差だという可能性はある。もしそうなら、ちょっと泣ける。
というわけで、俺は六センチの鉄球を取り出すと、ただそれを投げつけた。

指からボールが離れた瞬間、パンという音と共に、ゴブリンらしきものの頭がなくなっていた。

「は?」
「おおー」

俺は一瞬唖然としたが、これが、力/俊敏/器用 オール100 のパワーなのだろう。考えてみれば31層をクリアした男達よりも高いステータスなのだ。おそらく、ではあるが。

ゴブリンの経験値は0.03だった。スライムよりちょっとだけ多い。

次に遭遇したゴブリンには、ウォーターランスと名付けられた水魔法を使ってみた。鉄球には限りがあるし、森エリアでは回収が面倒だったからだ。

魔法のスキルオーブにはローマ数字の付いたものと、無印がある。
数字の付いたものは、ナンバーズと呼ばれていて、その番号に対応した魔法が最初から使える反面、他の魔法を覚えない。
無印は経験や訓練などよって、ナンバーズと同等の魔法やオリジナルの魔法を身につけることが出来るが、修得の難易度が高いということだ。

スライムから出たオーブは無印だった。
俺たちはすでに知られているナンバーズの魔法を参考に、クリエイトウォーターとウォーターランスっぽい魔法を身につけていた。

この水魔法は、初期状態で、一本の槍を作るのにMPを一消費した。
効果は鉄球ほどではなかったが、一撃でゴブリンを葬り去ることに変わりはなかった。

「こりゃ楽でいいや」

以降、俺はウォーターランスを使いまくった。火魔法と違って、森にダメージを与える可能性がないのがいい。
ラノベの世界なら使い続けていると効果が強化されたりするのが定番だが、ゲームの世界では使い続けても大抵効果は変わらない。
現実がどちら寄りなのかという興味もあったのだ。

ステータスはフルセットしてあるので、現在の最大MPは190だ。メイキングで確認したところによるとMPは一時間で知力と同じ値が回復するようだった。
もっともこれが普通なのか、超回復の力なのかはわからない。細かいことは三好が考えるだろう。
俺はひたすら数値を記録した。案の定二匹目のゴブリンのステータスポイントは、0.015だった。

ゴブリンたちは事前の調査の通り、まとまって棲息していた。

しかも過疎エリアだけに、間引かれる頻度も低いらしく、二時間もたつころには百匹が近づいてきていた。
途中、ウルフを何匹か倒している。こちらもウォーターランスで瞬殺だった。さすがは知力100だ。

最初のウルフの経験値は0.03。ゴブリンと同じだ。すでにゴブリンの経験値は、0.003になっていたので、件の匹数による経験値減少問題は種類別に計算されると言うことだろう。
そうして、九十一匹目のゴブリンを倒したとき、それは起こった。

「え?」
「どうしたんですか?」

、、、、、、
スキルオーブ 器用xHP+1 五百万分の一
スキルオーブ   早産 一千万分の一
スキルオーブ   早熟 八億分の一
スキルオーブ   促成 十二億分の一
スキルオーブ   早世 二十億分の一
、、、、、、

ダンジョンに潜る前に、モンスターを倒した数の下ふた桁は、ぴったり00にセットしておいたはずだ。
因みにウルフは九匹を倒していた。

「一種類百匹目じゃなくて、モンスターを倒した数百匹目で発動するのか……」

このことは非常に重要だ。
なんといってもムーンクランシャーマンを百匹倒さなくて良いというだけで、朗報なのは間違いない。

「それって、うまく調整すれば、ボスのオーブも取り放題じゃないですか!」

目が¥マークになった三好が、白鳥の湖を踊っている。そりゃそうかもしれないが、まずはボスを倒せないとだめだろ。
それはともかく、このオーブ、なにかこうヤバそうなのが並んでいる。ていうか「早世」ってなんだよ! 年寄りが使ったらどうなるんだよ?!

俺はオーブを読み上げて、三好に伝えた。

「促成と早世は未登録スキルですね」

どうやら、スタンドアローンのスキルデータベースを持ち込んでいるようだ。

ゴブリンは大抵の人が倒すモンスターだ。
カード所有者が一億人くらい居るわけだから、ひとりが十二匹たおせば、確率的には促成が一つ手に入りそうなものだけど……

「カードを手に入れるためだけに倒した人が相当数いて、後はすぐにゴブリンを卒業しちゃうんじゃないですか。売れる素材がないですから」
「だよなぁ」

俺だって、ゴブリンを永遠に狩り続けるのは嫌だもんな。経験値はほとんどスライムと変わらない上に、ドロップアイテムも聞いたことがない。

「ゴブリンは、ドロップアイテムじゃなくて、巣に集めてあるアイテムを狙うのが主流らしいですよ」
「え、なにそれ?」

今までも巣らしいところは結構あったが、そんなもの、探したことがなかった。

「ドロップアイテムと違って、探さないと見つかりませんからね。GTBって呼ばれてるそうです」
「Goblin's Treasure Box かよ。全くしらなかった。早く言えよ」
「探すのに時間が掛かる割に、それほど大したものは入っていないそうですから。最高でランク一のポーションだそうです。さっさと進んだほうがいいかなと思いまして」
「それでもちょっとした宝探しだな」
「ですね」

デートで宝箱探しってのもいいかもな。

「ゴブリンを倒して歩くデートはお薦めしませんよ。普通の女性なら引かれます」
「何故分かった!」
「先輩は、女の子のことを考えると、鼻の穴が膨らむんですよ」
「マジで?!」

どうでしょう? と三好には躱された。本当だったらいかんな。

器用xHP+1 はいわゆるハズレスキルだが、以前三好と話した感じでは、将来的に重要になりそうなものだ。
しかもドロップ確率が五百万分の一だ。世界中で結構な数がドロップしているだろう。

「早産は、子供を早く生むスキルですね。あまりの名称に最初は豚に使われたそうです」

人間以外でもモンスターを倒しさえすれば、カードが現れるそうだ。ただし、野生の状態ではカードも紛失してしまうだろう。
なお、名前がないからか、名前もランキングも表示されないらしい。名前の付いたペットに使うとどうなるのかは気になるところだ。

カードを取得した動物は、当然のようにオーブを使えるようになるそうだ。どうやってオーブを使用するのかはわからないが、豚の場合は食べさせたらしい。
使用されたことはオーブの使用効果で目に見えるし、カードがあればカードにも記載される。動物の場合もそれで取得を確認できるようだった。

早産を使われた豚は、妊娠後、わずか十二日で出産した。そして、このスキルの凄みは、その子供が全て正常な子豚だったことだ。
つまりこのスキルは、妊娠期間を約十分の一にするスキルだったのだ。ただし親の方はそれなりに衰弱するらしい。通常と比べて、時間あたり十倍のエネルギーを使うからだと予想されている。
現在では、動物を使った、スキルの遺伝を調べる実験に、活用されているらしかった。

「早熟は、今までに二つしか見つかっていないそうです。どうやらダンジョンでの成長速度が非常に速くなるらしいですけど……」
「名前だけ見たら、すぐに頭打ちになりそうだよな」

十で神童十五でサイシ二十過ぎればただの人ってやつだ。

「しかし、人間には使いづらいオーブばっかりだな、これ」

結局安心して使えそうなのは、xHP+1しかないありさまだ。

「まあ、とりあえずはレアリティで押さえておくか。しかし、ワセはなぁ……暗殺アイテムかっての」

ワセ――取得確率は二十億分の一――は、どう見ても寿命を縮めるスキルだとしか思えない。早産を参考にするなら十分の一か?
しかしそれだとデメリットしかないわけで、暗殺に使うにしても時間がかかりすぎるだろう。
たぶん何かそれに見合うメリットが――天才になるとか?――あるのかもしれないが、試す方法がなかった。もちろん自分で使うなんてお断りだ。

「ここは促成にしておくか」

そうして俺は、「促成」を手に入れた。

、、、、、、、、、

ゴブリンはまだまだ尽きないし、MPも一時間で100は回復するから、もう二時間程狩り続けた。
充分データを取ったらしい三好も、ちまちまとウォーターランスで倒している。加速鉄球なら一撃だが、いかんせん玉を消費するからだ。

「鉄球と違って、いまいち快感が……」

なんて言う、ちょっと危ない人になっているぞ。

そうして、あらかじめ見つけておいたコボルトを、丁度百匹目になるタイミングで倒した。

、、、、、、
スキルオーブ 俊敏xHP+1 二千万分の一
スキルオーブ  俊敏+1 五千万分の一
スキルオーブ 生命探知 十二億分の一
スキルオーブ 交換錬金 百六十億分の一
、、、、、、

「交換錬金以外は知られていますね」

残りのスキルは既知のようだ。生命探知はここでは激レアだが、主にウルフ系列の上位種がドロップするらしい。

「コボルトは、コバルトの語源にもなっていますから、錬金っていうのもわからないでもないですけど……交換ってなんでしょうね?」
「何か対価を要求されそうだよな……実に寓話っぽく」

160億分の一は確かにレアだが……

「しかし、コボルトやゴブリンのオーブは、どれも罠感満載だな」
「悪戯好きな妖精のサガですかね?」

危険すぎて売ることもできそうにないし、試すのも嫌だ。鑑定を手に入れたらまたこよう。
俺たちは大人しく、生命探知を手に入れた。

「とりあえず、取得できるオーブも分かったし、先へ進むか?」
「そうですね。ウルフとかは下でも出ますし、代々木の二から四層は少しずつ相手が強くなったり出現頻度が変わるだけで、種類はほぼ同じですからとりあえず五層を目指しましょう」
「よし、いくか」

「先輩、その前に誰もいないこのへんでご飯にしましょうよー。お腹減りましたー」
「まあそうか。じゃ、出すか? あれ」
「ふっふっふー、移動拠点車ドリーちゃんのデビューですよ!」

三好は少し広い場所で、拠点車を取り出した。
俺たちはそれに乗り込むと、デパ地下総菜とお弁当を取り出して、お昼ご飯にしたのだった。


040 ハウンドオブヘカテ 11月22日 (木曜日)


ご飯を食べて少し休んだ俺達は、一気に五層を目指した。
浅い階層ならいつでも来れるし、いますぐ真剣に調べることもないだろう。

敵は、人目のないところではウォーターランス、そうでもなさそうなところでは鉄球でさくっと片付けつつ最短距離を走破した。

そうして五層に降り立った俺たちは、思った以上に注目を浴びる自分達に、今更ながらに気がついた。
五層からはボア系やオークなども登場し始める。そのため、初心者装備丸出しのエクスプローラは、さすがにここにはいなかったのだ。

階段を下りたあたりには、大抵そこを拠点とするエクスプローラたちがいる。
そう言ったヤツラにじろじろと見られていたのだった。

「うう。先輩、意外と目立ちますね、私たち」
「装備を隠すマントでも持ってくれば良かったな」

五層から八層は森系だ。
二層から四層にも森はあるが、こちらはより深い森になっている。あちこちには洞窟も点在していて、人型系モンスターの拠点になっていたりするようだ。

「オークやフォレストウルフ、それにワイルドボアが新登場ですね。夜には、ナイトウルフやチャーチグリムも出るみたいですよ」

三好がタブレットを見ながら説明してくれた。

深層を目指すチームは、八層で夜を過ごすことが多いらしい。
十層がアンデッドフロアで、かつ、十一層への階段が遠い。十一層は溶岩フロアで環境が悪く、それ以降へ進むのは、一日では遠すぎるのだ。
そして、ひとつ前の九層には、オーガやコロニアルワームがいるため、思わぬ襲撃を受けかねない。消去法で八層が選ばれるわけだ。

また、この三年の間に、エクスペディションスタイルのチームが持ち込んだ機材が、その場所に集められ、臨時の拠点ぽいものが作られているという理由もあった。

とはいえ、そろそろ夜が来る。この層からは戻るのも進むのも難しい時間帯だった。
階段の付近では、いくつかのチームが夜を過ごす準備をしていた。

この階層で夜を待つグループの目的は、チャーチグリムと呼ばれる、五から九層に夜の間だけ出現する黒い体に赤い目をした犬型の魔物だ。
初めはヘルハウンドと勘違いされていたこの魔物は、かなりの高確率でポーションそっくりな同化薬と呼ばれている赤い液体をドロップする。
触れても単に「ポーション」としか表示されなかったこの液体は、もちろんそれを使っても、怪我が治ったりはしないし、当初はまるで効果が分からず、偽ヒールポーションと揶揄されていた。

その効果が分かったのは偶然だった。

代々ダンの十層は、広大な墓地のあるアンデッド層だ。非常に面倒で、十一層への階段も当初はなかなか見つからなかった。
そんなとき、とあるチームのメンバーがゾンビに囓られた腕を治療するために、慌てて偽ヒールポーションを使ってしまったのだ。
もちろん腕の傷は治らない。間違いに気がついたメンバーは、急いで本物のヒールポーションを使用して事なきを得たが、問題なのはその後だった。
ゾンビやスケルトンといった低級のアンデッドは、彼をまるで仲間であるかのように無視したのだ。もっとも夜になると、その効果が薄れることも確かめられていた。

以来、このヘルハウンドそっくりのモンスターは、十層の墓守という意味でチャーチグリムと呼ばれるようになる。
これのおかげで十層は、今までのような地獄のフロアから、単なる通路と化した。無傷で通り抜けられるようになったのだ。

十一層以降へ赴く探索者は、まず夜の五−九層でチャーチグリムを狩って、同化薬を手に入れるのがセオリーだ。当然五層の入り口が一番安全で、八層の出口が一番ポジションとしては楽だった。そのため、大抵はこのどちらかで狩られているようだった。

俺たちは、階段付近で野営の準備をしている探索者の目から逃れるように、そっと階段付近を離れて、過疎地方向へと移動した。

しばらく行った先に小川が流れていた。
川幅は四メートルほどで、さほど深くもない。俺は三好を抱えてひょいとその川を飛び越した。

「先輩。二層でも思いましたけど、ステータスの上昇効果ってハンパじゃないですね」
「まあな。あの重い三好が、げふっ……」

後ろからレバーに右フックをたたき込んだ三好が「雉も鳴かずば打たれまいに」と呟いた。おま、それ、たぶん字が違う。
俺がうずくまった先に、丁度良さそうな開けた場所があったので、三好は、辺りに人がいないことを確認してから、拠点車を取り出した。

、、、、、、、、、

「はー、疲れましたね」

室内に入って監視装置の電源を入れた三好は、モニタに映し出される周囲の様子を確認すると、そそくさとシャワールームへと入っていった。
ドリーの外周は全てチタン板で覆われているので、内からは外が見えない。それをあちこちに設置された監視カメラで補っていた。

俺は取り出したお茶を飲みながら、見るともなくモニタを眺めていると、がちゃりと音がして三好がシャワールームから出てきた。

「先輩、シャワーをどうぞ。あ、あと私にもなにか食べ物を出しておいて下さいね!」
「うーっす」

俺はテーブルの上にいくつかの弁当と菓子、それに飲み物を並べると、シャワールームの方へ歩いて……行こうとして足を止めた。

「悲鳴?」

三好はコンソールの前に飛び込むと、集音マイクの感度を上げた。
監視カメラの映像に小さな閃光が煌めくと、また同じような声が聞こえた。

「確かに、遠吠えと悲鳴です。先輩、どうします?」
「義を見てせざるは勇無きなりってな」

三好は、はぁ、とため息をつくと、できるだけこっから誘導しますとイヤープラグを投げて寄越した。

「それ、つっこんどいてください」
「OK」

俺はそう答えると、三好が誘導する方向に向かって駆けだした。
しばらく行って、川を渡ると、唐突に濃い霧が現れた。そこから先は別の世界だと言わんばかりに不自然だ。

「三好、霧が見えるか?」
「見えますけど、これは霧って言うより闇ですね。黒いですよ。中はちょっと……ドローン飛ばします」

ドローンまで積んでるのかよ。この辺は空飛ぶモンスターはいないはずだから大丈夫か、なんて考えながら霧の中へと踏み込むと、時折吠える獣の声や、誰かが上げる威嚇の叫びや、そして悲鳴が段々と大きくなっていった。

、、、、、、、、、

「なんだよ! こいつら、チャーチグリムじゃないのか?!」

二.五メートルくらいのポールアームを持った男が、それを横に振って相手を下がらせている。
その狼然とした魔物は黒く大きな体躯をしていたが、少し下がった闇の中では、体が闇の中に溶け込んだように見えなくなり、赤い目と口だけが、その存在を主張していた。

「わからん! 基本チャーチグリムは、単体で現れるはずだが……くそっ」

そう答えた大柄な男は、連係して襲ってくる黒い魔物に、両手で持った剣をたたきつけた。

「ヘル、ハウンドなら連係してくるって聞いたけど……」

男達の後ろで、重傷を負って気絶したらしい小柄な男を止血しながら、悲鳴を上げていた女が少し落ち着きを取り戻して言った。

「あいつらが出るのは八層からだろ?! だがこいつらが本当にヘルハウンドなら……バーゲストがいるのか?!」
「そ、そういえば、いつの間にか出ていたこの霧……」

闘っていた男達は顔を見合わせた。

「おい、三代。翔太を置いていけ」
「は? 一体なにを……」

三代と呼ばれた女は、唖然としてそう言った。

「本当にバーゲストなら、ヘルハウンドは9体だ。俺たちじゃ倒すどころか逃げられるかも怪しい」
「だから、な……」

ヘルハウンド達は、人間達の葛藤を楽しむかのように、攻撃を控えて遠巻きにしていた。赤く割れた口は、まるで闇が笑っているかのように見えた。

「ば、馬鹿なことを! 弟を見捨てて逃げろって言うの?!」
「一緒にくたばりたいなら、勝手にしろ!」

そういうと男達はそのまま駆けだした。

「あ、待って! 待ってよ!!」

女は思わず膝立ちして叫んだが、男達は振り返らなかった。

後ろからは、複数の低い呻りが聞こえてくる。
女は悔しげに唇を噛みしめると、右手でトリガーレスタイプのリリーサーを握りしめ、コンパウンドボウに矢をつがえた。
そうして、振り返りざま襲ってくるヘルハウンドの目を狙ってリリースした。
ヘルハウンドがあげたキャインという声が、僅かな満足感を女に与えたが、同時に襲ってきている残り三匹のヘルハウンドの顎門《あぎと》は、数秒でこの体に届くだろう。

女はあきらめたように目を閉じた。

次の瞬間、ぐしゃりと言う音が響いたが、痛みはいつまでも襲ってこなかった。
女がおそるおそる開けた瞳には、すぐそこに立っているド初心者装備の男の背中が映し出されていた。

「立って歩けるか?」

男は振り返りもせずにそう尋ねた。

、、、、、、、、、

まったくトラブルって言うのはどうしてこう、次から次へとやってくるんだ。
俺の運は結構高いはずなんだけどな。ちょっとは仕事しろと言いたい。

「立って歩けるか?」

そう聞いた俺に女は、腕に酷い怪我を負って気絶している男を見て、彼が起きれば、と言った。

「さっさと起こせ。そして、あっちの方向に小川がある。それを渡りきるまで走れ」

そう言って俺は、俺が来た方向を指し示した。
バーゲストは流れる水を越えられない。ここまで地球におもねったデザインなんだ、きっとそうに違いない。

「あなたは?」
「まあ、こいつ等をどうにかしなきゃな」
「手伝いは――」
「邪魔だ」

女は一瞬鼻白んだが、まわりに散らばっている頭のないヘルハウンドの死体を見てすぐに頷いた。
なかなか判断の早い賢い女性らしい。とはいえ、何でこいつらの死体は消えないんだ?

取り出した何かを素早く嗅がせると、男は呻きながら意識をとりもどした。
女が男に何かを話している。男は頷くとすぐに立ち上がった。どうやら足は無事のようだ。

「行け」

俺は、その方向を指し示した。
女は、男と二人でそちらに向かって走り始めた。

それを追おうとした四匹は、全てがウォーターランスの餌食になった。
このレベルの敵にも通用することに安心しながら、俺は冷静に数値を三好に伝えていた。

「先輩、余裕ありそうですね」
「まあ、魔法が通用したからな」
「上から見ると、その先にでっかい何かがいますよ」
「たぶん、バーゲストだ。鎖を引きずるような音が聞こえる」

ヘルハウンドの気配が無くなると、正面から聞こえていた鎖を引きずるような音が大きくなり、すぐそこにある暗闇から、不気味なうなり声が轟いた。
それと同時に九つの魔法陣が現れ、九匹のヘルハウンドが召喚された。

「お? これはもしかして、ラッキーか?」
「はい?」

それをみた俺には、きっと三好が宿っていたに違いない。

こいつ等を召喚しているモンスターは、過去の例から考えてもバーゲストの一種に違いないが、何度も召喚したりするところ見ると、特別な個体である可能性が高い。
生命探知を取得してから、倒したモンスターの数が六九なのは間違いないから、さっきの奴らを助けるために倒した七を加えて七十六。
つまり後二十三匹雑魚を倒した後、その特別なやつを倒せば――

「これはちょっと頑張っちゃいましょうかね」

両手にトマホークを握りしめると、九匹のヘルハウンドに向かって、次々とウォーターランスを発射した。
それは、ヘルハウンドが俺のところに到達する前に、その頭を消し飛ばし続けた。あと、14匹!

次の九匹が同じ運命をたどると、バーゲストは、うなりを上げて突進してきた。
闇に浮かぶ赤い目の位置が高い。体高三メートル以上は確実にありそうだ。

「てか、おい! あと五匹なんだよ!! 召喚しろよ!」

どっかにナイトウルフやオークでも歩いてないかと思ったが、この濃い霧はどうやらこいつのテリトリーらしく、一匹のモンスターも見かけなかった。

俺のそばを、強靱な力を秘めた爪が通り過ぎていく。
スローモーションに見えるからまだいいが、それにはかなりのスリルがあった。

俺は右手に持ったトマホークで、右の後ろ足を力一杯切り裂いた。
大きく悲鳴をあげたバーゲストは、足を引きずりながら、再びお供の召喚を行った。

百匹の順番が、倒した順番であることを祈りながら、襲ってくる五匹を始末して、のこりを軽いステップで交わす。
そうしてバーゲストの真正面に転がりでた俺は、頭に向かって、八センチ鉄球を連続して投げつけた。

三個目の鉄球が下顎から頭を貫通したように見えたとき、バーゲストの巨体が大きな音を立てて倒れた。

「あ、あれ?」

だが、オーブ選択ウィンドウが開かない。

「も、もしかして、攻撃した順番だったのかー?!」

思わずがっくりと膝を落とした俺に、四匹のヘルハウンドが近づく。
くそっ、もう何でもいいやと投げやりになった時、倒れたバーゲストからうなり声が上がるのを聞いた。

「まだ生きてたんかい!」

ヘルハウンドを躱しながら、速攻でウォーターランスを何本か打ち込むと、四本目で目の前にいつものリストが浮かび上がった。
それをみた俺は、思わず残りの四匹のことを忘れて息を呑んだ。

、、、、、、
スキルオーブ 異界言語理解 千分の一
スキルオーブ  闇魔法(Y) 二百万分の一
、、、、、、

選ぶ間もなく襲ってきた四匹を慌ててウォーターランスで倒そうとした瞬間、瞬時に霧が晴れると同時に、襲ってきたヘルハウンドが消失した。
召喚主が倒されると、召喚モンスターも消えてなくなるということだろうか?

「先輩? 霧が晴れましたけど、大丈夫ですか?」
「三好、バーゲストのオーブなんだがな――」

それを説明しようとしたした俺の目の前に、虹色の綺麗なオーブが現れた。

「は?」

メイキングの取得リストは閉じていない。つまりこれは純然たるドロップだということだ。
驚いてそれに触れると、そこには確かに『異界言語理解』と書かれたオーブが浮かんでいた。ごめんよ、俺の運。君はちゃんと仕事をしている。

「先輩? 今のなんです?」
「なんだ、カメラも生きてるのか。バーゲストはどうやらオーブをドロップしたぞ」
「え? なんです、なんです?」
「聞いて驚け、異界言語理解、だ」
「はぁ?」

流石の三好も驚いたか。
リストによれば、異界言語理解は、なんと千分の一だ。通常のモンスターではない特殊なボス系モンスターに、比較的高確率で仕込まれている可能性が高い。
まるで、それを設定した誰かが、人類に碑文を読んでくれと言わんばかりだ。いずれはある程度の数がドロップするに違いない。

「今のうちに高額で売り飛ばすか、闇魔法を手に入れるか、か」
「先輩。じゃあオーブリストにもあるんですか? 異界言語理解」
「ご名答。確率千分の一だってよ」
「他に何があるか知りませんけど、それを取得して下さい。絶対です」
「どうして? すでに一個は確保したぞ?」
「先輩。世界にそのスキル持ちが二人しかいないと、必ず水掛け論になりますよ」

なるほど。三好の言うことは確かに正しい。
バーゲストの能力から考えて、闇魔法(Y)は霧の空間かヘルハウンドの召喚だろう。
どちらも普通のバーゲストが使う魔法だから、レアじゃないバーゲストが持っている可能性は高い。

「それを取らなかったら、締めますよ?」
「え、なにそれ、フラグ?」

俺は笑いながら、異界言語理解を選択した。
手を滑らせることもなく、俺は二個目の『異界言語理解』を手に入れた。

その瞬間、俺の目の前にはいくつかのアイテムがドロップしていた。
何処で倒しても、必ず自分のまわりにアイテムが現れるのは、オーブと同じことのようだ。
触れればその名称が分かることも、オーブと同じだった。

ヒールポーション(5)×2
キュアポーション(7)
牙:ヘルハウンド×8
皮:ヘルハウンド×3
舌:ヘルハウンド
魔結晶:ヘルハウンド×8
皮:ハウンドオブヘカテ
角:ハウンドオブヘカテ×3
魔結晶:ハウンドオブヘカテ

「これが素材アイテムか。初めて見た。けど、異界のモンスターが『ヘカテ』とはね……」

何とも言えない気分で、それらを保管庫に収納した。


041 三代絵里 11月22日 (木曜日)


日間・週間・月間1位だそうで、これも読んで下さっている皆様のおかげです。
ご感想も沢山頂いて嬉しいのですが、個別にご返信するのがやや難しい量ですので、この場でお礼申し上げます。ありがとうございました。

今後の展開ですが、4章から世界のダンジョン攻略が加速して、主人公たちも腹をくくるようです。
お楽しみに。


「あ、大丈夫でしたか?!」

小川の向こうから、コンパウンドボウを構えていた女性が声をかけてきた。

「え? ああ、まあなんとか」

俺は曖昧に笑うと、小川で手を洗った。

「それで、彼の容態は?」

川を飛び越して近づいてみれば、一緒にいた男の腕は、随分酷い状態のようで、脂汗を浮かべながら横になっていた。

「一応止血だけはしたんですが……薬も道具もないので」

そう言って彼女は心配そうに、男を見ていた。彼氏なのかね?

しかし困ったな。五層の入り口付近にいる連中の所まで送って別れるつもりだったんだが……かといって、このまま拠点車に連れて行くのもためらわれる。
一応、三好が用意した普通の救急セットもあるにはあるが、どうやら右の前腕をごっそりヘルハウンドに持って行かれてるっぽい。
医者ならすぐに肘の先で腕を落として治療しかねない大けがだ。普通の救急セットで間に合うとはとても思えなかった。

「……仕方ない」
「え?」

三好、すまん。

「使いますか、これ?」

俺はバックパックからを装って、さっき手に入れたポーションを取り出した。
それに触れた女は、思わず声を上げていた。

「え? ええ?! ヒールポーション?! しかもランク5!!」

しまった、ポーションのランクなんかチェックしていない。ランク5って凄いのか?
「ランク5!」と三好が叫ぶ声がイヤープラグ型のデバイスから聞こえてくる。

「こ、これ……でも……」

彼女はポーションと、男を交互に見ながら、葛藤していた。

「早く使わないと拙いんじゃないですか?」

俺がそう言うと彼女は覚悟を決めたような顔をした。

「ありがとうございます。必ずお支払いします」

そう言って、男に駆け寄ると、ポーションを少しずつのませている。

あー、やっぱり飲むものなんだ。患部にかけてもいいのかな? なんて考えていると、大きなあくびがひとつ出た。
超回復を持っていても、緊張や集中をしていないと眠気は襲ってくるようだ。そうでなきゃ不眠症になるからだろう。

相も変わらずダンジョンアイテムの効果は劇的だった。
アーシャの超回復の時ほどではないにしろ、筋肉はおろか、骨まで欠けていた前腕の内側が、みるみる盛り上がって元に戻っていく様はまさに圧巻と言える。

ポーションを全て飲み終わる頃には、男は完全に回復していた。

「え? あれ? 姉ちゃん?」

もうろうとしていた男は、意識がはっきりすると、不思議そうに自分の腕を眺めて言った。
なんだ、姉弟だったのか。

「翔太!」

女は涙を浮かべて弟に抱きついた。仲いいな。

「一体何が……俺の腕……ついてる」
「あの人が……」

そう言って彼女はあったことを弟に説明していた。

「ランク5?!」

黙って話を聞いていた弟が、驚いたような声を上げると、俺の方を厳しい眼差しで射貫いてきた。
え? ここは感謝される場面じゃないの?

「俺は助けてくれなんて言ってねぇし。別に大した怪我もしてなかったし」
「し、翔太?」

は? いきなりなにを言い出すんだ、こいつ?

「大体ポーションを使ったなんて証拠はないし」
「ちょっと、あなた! 何を言い出すの!」

うんまあ、そうかも。厳密に言えばあるのかも知れないけれど、俺はしらん。

「ご、ごめんなさい。うちの弟、錯乱しちゃってて」
「謝ることなんかないよ! 姉ちゃんは騙されてるんだ!」

はい?

「そのヒヒジジイは、ランク1でも充分なところにランク5なんてポーションを持ち出して、姉ちゃんを借金漬けにして自由にしようと目論んでるんだよ!」
「翔太!」

おお! それは初耳、お釈迦様も吃驚だぜ。ああ、もう面倒くせぇな。
イヤープラグからは、「一応録画してありますけど」といいながら、三好が肩をふるわせて笑いをこらえている雰囲気が、ありありと伝わってくる。

「あの、もういいですから。そっちへ行くとすぐに四層への上り階段です。何組かのチームが野営してますから、そこで朝まで過ごして帰られるといいですよ」
「え?」
「いや、ですから……」
「ほっとけよ! いいって言ってんだからさ! いくぜ、姉ちゃん。そういや、坂井と当麻は?」

ああ、あの逃げ出したやつらか。

「逃げたみたいですから、同じ場所に居るんじゃないですか?」
「なら、すぐに行こうぜ!」

お前達姉弟を餌にして逃げたヤツラだけどな。それを知っている姉の方は、とても複雑な顔をしていた。

「これ、私の連絡先です。必ずお支払いしますので……失礼ですがお名前を」
「別に名乗るほどのことでは。文字通り犬にでも噛まれたと思って忘れますよ」
「そんな……」

泣きそうな顔を向けてきた彼女は、基本的に善人なんだろう。
別に優しくすることだって出来ただろうが、ヒヒジジイ扱いされたら多少は腹も立つ。彼女のせいではないってことは、よく分かっているけれども。

「なにやってんだよ、姉ちゃん! 早く行こうぜ!」
「大丈夫。きついことを言って申し訳ない。ほら、行ってください。きっとまたどこかで会えますよ」
「すみません。できれば連絡を下さいね」

そういって、彼女は弟の後を追いかけていった。

「三代絵里、ね」

俺は貰った連絡先を仕舞いながら、拠点車へ向かい、彼女たちとは反対の方向へと歩いていった。


042 アイテムの確認 11月22日 (木曜日)


「先輩、めっちゃ面白かったです!」

ドリーに帰ると、三好が目をきらきらさせて出迎えてくれた。
モニタ越しに見れば、結構なアクションムービーだろうが、俺はもうシャワー浴びてメシ喰って寝たい……

「先輩、ところでヒールポーションランク5の値段って知ってます?」
「あー、よく知らん」

でしょうね、と三好が面白そうに笑って、冷たい水を渡してくれた。

「ヒールポーションのランク1は円だと百万から二百万くらいです」
「へー」

安くはないが、プロの探索者にとって、特にべらぼうに高価というわけではなさそうだ。
ごくりと水を一口飲む。よく冷えていて、体に染み渡る感じがする。思ったよりも疲れているのかな。

三好の説明によると、ポーションのランクと効能は以下のような感じらしい。

ランク1は大体、単純骨折が修復される程度らしい。いわゆるテニスエルボーや野球肘くらいまではきれいに治る。腱の断裂も修復するらしい。
ランク2になると、複雑骨折や眼球の損傷、割かれたお腹などをきれいに修復する。
ランク3は、広範囲にわたる火傷や、きれいに切断された体がくっつく。
ランク4は、ぐしゃぐしゃに潰された手足が元に戻る。
ランク5は、半分欠損していても元に戻る。
ランク6は、9割欠損が元に戻る
ランク7は、失われていても48時間以内なら元に戻る
ランク8から10は未発見。

そうすると、アーシャの場合は8以上のランクが必要だったわけで、見つかってないんじゃ買えるはずがないよな。

「それぞれにランクの価格は、ランク1の相場を基準にして、後は大体ドロップの稀少性によって計算されています。具体的には、大体、ひとつ前のランクの価格xそのランクです」
「つまり、ランク1が百万なら、ランク2は百万×2で二百万。ランク3は、二百万×3で六百万ってことか?」
「そうです。もっとも高ランク品は数が少ないので実際の取引価格はバラバラですけどね」

つまりは、ランク1の価格x当該ランクの階乗かよ……

「それってランク1が百万だとしたら、5は……」
「一億二千万ですね」
「おう……」

そりゃ、あの姉弟が驚くのも無理はない。

「大体ランク5なんて、一般にはなかなか出回りませ――」

おれは静かに今回手に入れたアイテムをテーブルの上に取り出した。

、、、、、、
 ヒールポーション(5)
 キュアポーション(7)
 牙:ヘルハウンド×8
 皮:ヘルハウンド×3
 舌:ヘルハウンド
 魔結晶:ヘルハウンド×8
 皮:ハウンドオブヘカテ
 角:ハウンドオブヘカテ×3
 魔結晶:ハウンドオブヘカテ
、、、、、、

「――先輩、まさかこれ?」
「今さっきの成果物」
「ドロップ率がおかしい気がするんですけど……」

そう言って三好は、ごそごそとアイテムに触れながら、内容を確認していた。

「運のせいかもな」

7、淡い黄緑色をしたポーションらしきものに触れたとき、三好は思わず顔を上げた。

「先輩! こ、これ。このキュアポーション、ランク7ですよ?!」

俺にはその価値がいまいち実感できないが、さっきの話がそのまま適用されるなら、7の階乗は5040だ。
まあ驚くと言えば、驚くか。

「なに落ち着いてるんですか。キュアポーションは病気の治療に使われるポーションですが、ランク7だと大抵の不治の病は全快するんですよ?」
「なんだって?」
「白血病はおろか、認知症を完治した報告例があります」

俺は水を吹き出しかけた。認知症って病気扱いなのか?

「神経細胞の回復なんて、どちらかというとヒールポーションの領域じゃないのか?」

第一失われた記憶ってどうなるんだよ?
ハードウェアが元に戻っただけでどうにかなるもんなのか?

「そうなんですよね。だから、その辺も先輩が言ってた『意識』の問題なのかも知れません」
「それって、認知症が神経細胞の『ケガ』だっていう認識を持てば、ランク6くらいで全快しちゃうかも知れないってことか?」
「ありそうですねぇ。その実験をやれるところは少ないというか、ほぼないと思いますが」

なにしろ高ランクポーションは、それを欲する人の列で埋まっている。
どうなるかわからない実験に使えるような状況ではないらしい。

「ランク4までのキュアポーションは比較的安価に流通しています。4でも難病のうちいくつかは完治するようです」

全体の出現バランスはヒールポーションとそれほど違いはないが、必要になるのは主に一般人で、エクスプローラに大きな需要のあるヒールポーションとは需要構造が異なっているため、少し安いそうだ。

「安価?」
「ランク4で、最低1920万ですね」
「それの何処が安価なんだよ?」

俺は呆れながらそう尋ねた。
ヒールポーションと同じ計算式なら、ランク1が八十万位だ。

「実際に難治の治療に使われている金額。つまり保険から支払われている金額に比べたら遥かに安価な場合が多いんです。厚生労働省が保険支出の圧縮に、分配組織の設立を検討しているくらいです」

ものすごく治療に金がかかる病気を、さっさとポーションで直して支出を圧縮するってことか。そういや、白血病のキムリアなんかアメリカなら成功報酬とはいえ四十七万五千ドル。日本だと治っても治らなくても三千三百万ちょっとだもんな。二千万なら安いのか……

健康保険の高額療養費制度を利用すれば、患者が払うのは自己負担限度額だけ。限度額適用認定証を利用すれば、一時支払いも不要だ。ウインウインの関係と言えばその通りだが……

「それ、薬を開発している企業にとっちゃ、ガンなんじゃないの?」
「まだ流通量が少ないですから問題視されていませんが、流通量が増えたりしたら死活問題ですからね。そんな組織は作らせない可能性もありますね」

ポーションを大量に流通させたりしたら、命を狙われかねないってことか。

「現在完治が極めて難しい、または、不治と呼ばれる病気は、ランク5以上から効き始めるんですが、ドロップするモンスターの難易度が跳ね上がるため、めったに流通しません」
「もっとも、このクラスの病になると、薬を開発しても患者が少なすぎて利益が出ませんから、人類に貢献するという意味では素晴らしいものがありますけど、出資者はいないでしょうね」
「つまりランク5より先は、流通したとしても、それほど薬の開発に影響を与えないってことか?」
「おそらく。で、現在のランク7キュアポーションの価値ですが――ざっと四十億3200万ですね」

流通しないので、確率から計算しただけの価格ですが、と付け足された。とはいえ――

「誰が買うんだよ、そんな薬」
「遺産配分を決めないまま、急性で認知症になっちゃった大富豪とかですかね」
「なるほど……って、じゃあランク7ヒールポーションも?」
「五十億ちょっとくらいです」
「マジデスカ」
「エクスプローラは財産ですからね。死んでしまえば与えたスキルオーブもパー。各国のトップエクスプローラは絶対に死なせてはいけない国有財産とみなされていると思いますよ」

それでも危険なダンジョン内に送り込まなければいけないんだもんなぁ。
沈むのが前提の軍艦に、保険は掛けられないか。

「取り替えのきかない機材を保護するのに、五十億くらい安いって?」
「メンテナンス込みなら、戦闘機一機分以下ですからね」
「ゆがんでる気がする」
「実際、取得はそれくらい大変でコストもかかるみたいですよ。本来こんなにほいほいドロップするようなものでは……」

エクスペディションスタイルで、なんども潜ってゲットするわけだしなぁ。たしかにそうなのかもしれない。

「じゃあ俺が――」
「先輩が社会正義に目覚めるのは勝手ですが、一人で頑張ったところで、中間業者がぼろ儲けするだけです。決して価格は下がりませんよ。供給が全然足りないんですから」
「――だよな」

アイテムはオーブとは違って、時間制限が緩い。
つまりはそこに中間業者が暗躍する――じゃなくて商売するチャンスが生まれるわけだ。

「言っておきますが、手に入れられない人達に配って歩くのもお薦めしません」
「なんで?」
「あいつは貰えたのに、俺は貰えない。それが我慢できない『俺』が世の中には大勢いるからですよ」

全員に配るのは無理だ。
だからそこには命の選別がある。恨まれるのは当然か。

「先輩も見たでしょ、さっきの男の子。ああいうのが……まあ普通とはいいませんが、沢山いると思って下さい」
「はあ。ままならないねぇ」
「消耗する美術品や宝石だと思えば腹も立ちません」

さすが三好、割り切ってらっしゃる。

「で、牙や皮や角はともかく、舌とか魔結晶ってなんに使うんだ?」
「魔結晶は、超高エネルギーの結晶らしいですよ」
「なんだそれ。意味わからん。石油の代わりにでもするのかよ?」
「それなり以上のモンスターからは、時々産出するアイテムで、一般にはあまり知られていませんが、化石燃料の少ない国は超注目しているそうです。付いた名前がクリーンなプルトニウム」
「そんなにか?!」

ダンジョンが出現して以来、世界は日単位で変貌を遂げている。
そのうち人類は石油のようにダンジョンに依存して生きるようになるかも知れないな。というか、なりかかってるのか。

「実用化には、いろいろと壁があるそうですが……中でもこれは、今のところの最高品質のひとつでしょうね」

怪しく輝くハウンドオブヘカテの魔結晶は、サイズもそれなりに大きく、ソフトボールくらいあった。
ヘルハウンドの方は、二センチもない。

「で、舌は?」
「わかりません。そうとうなレア素材だとは思いますが――あ、ヒットしました。って、ええ?」
「どうした?」
「あの……食材だそうです」
「魔物を喰うのかよ!」

タンパク質の構造だとか、遺伝子の問題だとか、言いたいことは山ほどあるが、地球上にいない生物の体を喰うってどうなの?
遺伝子組み換え食品の危険性がどうとか言ってるのとは、レベルが違うんじゃないの??

「検疫とか、食の安全性とかどうなってんだ?」
「ダンジョンの防疫と同じで意味が分かりません。ただ……」
「ただ?」
「美味しいそうですよ。じゅるり」
「いや、あのな……」

確かにうまいは正義かもしれん。
ある日突然人間じゃなくなる危険があるのかもしれなかったとしても。

「あとですね」
「ん?」
「ダンジョン産の食品を食べると、様々な能力が向上する傾向があるそうです」
「……なんだと?」

また、ステータス関係か?
何かに手を出すことで、能力に差ができるのなら、人は競争のために同じものに手を出さざるを得ない。相手国が核兵器を持てば、自国も持たねばならないのと同じ理屈だ。
ステータスの上昇は確かに人類を進歩させるかも知れないが……それってダンジョンへの依存はそのまま深まることになる。

「いきなりできたダンジョンが、いきなりなくなったりしない、なんて、どうして思えるんだと思う?」
「空が落ちてくる心配をするよりも、今の利益をむさぼるほうが、企業として重要で、かつ健全だからですよ」
「空が落ちてくることを防ぐ何かを作っても、落ちてくるかどうかもわからなきゃ、買い手がいないってわけか」
「そういうことです」

はぁー、とは思うが、所詮我々一般人が考えても詮ないことだな。

「ま、その辺は偉い人に任せておくしかないか。で、念願の異界言語理解を手に入れたわけだが……これってどうする?」
「どうするって、売るしかないでしょう。使いますか?」

「世界の命運を分ける鍵になるなんて、絶対にイヤだね」
「ですよね。まあ、一個は売りに出してみたい気もしますが……アメリカとロシアがどこまでも競り合いそうな気がしません?」
「それなんだけどな。高額なのは今のうちだけだぞ」

俺は、イレギュラーなレアモンスターが持っていたオーブのドロップ率のことを話した。

「確かに先輩の言うとおり、碑文を読んでくれと言わんばかりのドロップ率ですね……」

三好は首をかしげながらそう言った。

まあ、問題は「誰が」そう考えているのかってことだな。

奇妙に地球文化にマッチするダンジョン内のルール、荒唐無稽に思えるパッセージ説の肯定、依存性のある麻薬のように広がるダンジョンの影響。
実は地球人全員が生まれたときから管理されてて、この世は全部仮想空間でマトリックス的なものだと言われても、今なら納得しちゃいそうだよ。そのうちスミスに襲われるに違いない。

さしずめメイキングを得た俺は、大統領の暴走を止めるために暗殺を決意するクリストファー=ウォーケンの役所ってか?

「いずれにしても勝手にオークションに出すのは、あまりに義理を欠く気がしますし。あ、アイテムは一応先輩が持っていてください。時間経過の影響がわかりませんから、念のため」
「わかった。じゃ、俺はシャワー浴びてメシ喰って寝る」

「了解です。私は今日のデータを整理してから寝ます」

そこにあるのは、今回のダンジョン行で録画した動画データや、作成された3Dマップデータや、モンスターの経験値を初めとするパラメータ群だ。

「これって、実は世界中の研究者がよだれを垂らしまくるくらい、価値のある情報なんですよね……」
「盗まれることを気にするんなら、パソコンごと収納しておけよ。使うときだけ出せばいいだろ」
「なるほど! でもずっとデッパな気も……」
「ずっと徹夜するのかよ、まったく。じゃあ、事務所にSECOMでも入れるか?」
「もし何かが来るとして、民間の警備会社でどうにかなるようなところが来ますかね? 一応レーザー盗聴対策なんかは施してありますけど」

そう言えば、そんな話をしていたっけ。事務所の改装費用がやたらとかかってたもんな。
本来は目立たないのが一番なんだが……最近ちょっと、それは無理かもなぁと思い始めた。なんというか、乗ったトロッコにブレーキがないことを、坂道を下り始めてから気付いた感じだ。

「とにかく重要なものはワンパッケージにまとめて、いざとなったら収納して逃げろ」
「ですね。セーフルームでも作りますかねぇ。先輩が助けに来てくれる時間を稼げるような」
「俺は、どっかの国と闘うのは嫌だぞ」
「え、助けに来てくれないんですか?」
「う……いや、行きそうな気がする」

そこが先輩のダメなところで、素敵なところですよ、と三好が笑った。


043 探索行の報告と特訓の約束 11月23日 (金曜日)


翌日の午前の遅めの時間、俺たちは探索を切り上げて、一旦地上に戻ることにした。
探索したのは正味一日。しかも初心者層をやっと越えた第五層までしか潜っていない。

「でもまあ、目的は達成したわけですし、いいんじゃないですかね?」
「そうだな」

何もかも無視して、時には三好を抱えてダッシュした結果、その日の2時10分頃には地上に戻っていた。

「お疲れー」
「お疲れ様です。で、これから先輩は?」
「まあちょっと鳴瀬さんにつなぎを取ってみるよ」
「手に入れたって言っちゃだめですよ?」
「それくらい分かってる。保存の言質を取られるからな」
「ぴんぽーん。じゃ私は帰って数字君と戯れますかね。なんだかドロップの確率にルールがありそうなんですよ」
「へー。じゃ、俺も一旦着替えに帰るかな」
「じゃあ、行きますか」
「おー」

、、、、、、、、、

自宅でシャワーを浴びて着替えをすませた俺は、鳴瀬さんに電話して、渋谷駅のハチ公前に呼びだした。急いで出てきた彼女は、俺の話を聞いて思わず目を丸くした。

「え? 例のものが手に入る? 本当ですか?!」
「ええまあ。たぶん、ですけど」

そうして、俺たちは、駅から東急本店に向かって、雑踏を歩きながら話し始めた。結局こういう方法が一番盗聴しづらいからだ。
この件に関してはしらを切る余地がほとんどない分、日本ダンジョン協会の会議室も信用できない。
瑞穂常務の件もあるしな。

「でもまさかこんなに早く……探索に行かれたのは昨日では?」
「まあ、そこはチーム努力と言いますか」

渋谷駅前スクランブル交差点の信号が青になる。
人の流れに逆らわず交差点を斜めに渡り、井の頭通り沿いに歩き始めた。相変わらずの人混みだ。

「チーム努力って……」

鳴瀬さんはあっけにとられた顔をしていた。

なにしろ、世界中のダンジョン関連機関や諜報機関が全力を傾けて二ヶ月、発見するヒントすら得られなかったものを、たった二人で構成されたひとつのパーティが、依頼からわずか十日、それどころか探索したのはたった二日で、手に入れられるメドが立ったと報告したのだ。
通常なら報告どころか正気を疑うレベルだ。

「それで、結局どんなモンスターがドロップするんですか? 以前仰っていたクランのシャーマン?」
「いえ、それはまだ検証していません」
「え? ではどうやってメドを……」
「そうですね……言ってみれば運ですかね?」

西武渋谷店に掲げられた、なんだかよく分からないポップを横目に、俺も分かったような分からないような曖昧な返事をした。どんな論理も運を否定することはできはしない。未来は不定なのだ。最強の言い訳だ。もっとも、肯定することも難しいが。

「はあ」
「それで、仮に見つかったとして、どうすれば? オークションに出してもいいんですか?」

鳴瀬さんは困ったような顔をして即答しなかった。
俺たちには、一体だれが日本ダンジョン協会にこの話を持ち込んで、それがどうして俺たちのところに回ってきたのか、詳しいことは何ひとつわからない。
分かっているのは、世界がこれを欲しがっているということだけだ。

西武の角を左に折れて、かに道楽の看板を見上げると、いつでも蟹が食べたくなる法則は正しいと思う。また、広告に弱いと突っ込まれるけどなと、内心頭を掻きながら、少しふっかけてみた。

「三好は、確実に十億ドル以上の値が付きます、何て言っていましたが……」
「私の一存では決められません。持ち帰っても?」
「構いませんが、手に入れた、ではなく、あくまでも手に入るかも、ですからね? そこで、手に入れたらどうすればいいのかという問い合わせです」
「わかりました」

巨大な無印良品の看板が、頭の上を通り過ぎ、改装されたアップルストアの前で立ち止まった俺は、斜め後ろを歩いていた鳴瀬さんを振り返った。

「後はもくろみ通り見つかるよう、神さまにでも祈っておいて下さい」

顔を上げれば、東京山手教会の十字架が、ヘブライ語で神の平和を謳いつつ、静かに俺たちを見下ろしていた。

、、、、、、、、、

「と、いうわけなんですが、どうすればよろしいでしょうか」

日本ダンジョン協会に戻った鳴瀬は、斎賀課長を捕まえると、有無を言わさず市ヶ谷の街に引っ張り出した。
靖国通りを足早に歩いて、市ヶ谷橋を渡り始める頃、さっきの話を切り出した。

「鳴瀬が話をしてから、たったの十日。探索に出てから、わずか一日で戻ってきたかと思ったら、このありさまか。なかなか凄い話だな」

斎賀は、そういうと、橋の欄干に体を預けた。
普通に聞いたら、ヨタ話の類にしか思えない。だが、相手は得体の知れないDパワーズだ。

「で、わざわざここまで引っ張り出した訳は?」
「この件に関して、芳村さんは、日本ダンジョン協会も自衛隊も信じていないようでした」

斎賀はそれを聞いて頷いた。

三好梓とパーティを組んでいる、ただのGランク。しかも、世界ダンジョン協会IDを取得してから二ヶ月も経っていない。
調べた限り、彼女との接点は、少し前まで勤めていた会社の同僚だというくらいで、特段優秀でも無能でもないと調査書が物語っていた。

だが、紙の上にない何かがありそうな気もした。

「そうだな。出所が分かった段階で、いろんな所から手が伸びてくるのは確実だ」
「それで、オークションを許可していいんですか?」
「仮に許可したとして、彼らはそれをオークションにかけるかな?」

それがトラブルを招き寄せることは確実だ。
報告書を読む限り、彼女たちにそれを防ぐ力はないと思えた。

「それはわかりませんが……そもそもこれは、一体誰からの依頼なんです? 課長のお話には見つけてからどうするのかの指示がありませんでした」

少し間をおいた後、鳴瀬は静かに話し始めた。

「以前の話では、まるでDパワーズに専任をつけたのは、このオーブを探索させるためだったと仰らんばかりでしたし……」

欄干にもたれかかっている斎賀を振り返る。

「誰の指示にしろ、これがオークションにかけられるとすると、もしロシアが何らかの理由で伏せた情報があったりしたら、十億ドルが百億ドルでも落札に来かねませんよ? 庭先で取引したほうが絶対にお得です」

そして空を仰ぐと、力なく続けた。

「かといって、どうにか庭先で取引したとしても、十億ドルを超えかねない案件です。明確な指示がなければ、下っ端の我々では動きようがありません」

鳴瀬の言うことはいちいちもっともだった。

斎賀とて、確信があって依頼したわけではなく、いろんな手段を模索して、そのうちのひとつが、何かのヒントにでも辿り着ければ儲けものだ、程度の気持ちだったのだ。
世界中の政府機関が二ヶ月にわたって、なんの結果も出せなかった案件を、エクスプローラになったばかりのニュービーを含むパーティが、わずか十日で形にするなんて、誰が想像するだろう。

「わかった。だが、これは俺の所でも決められん。上に持って行くしかないが……」

果たして何処へ持って行けばいいのか。下手なところに話を通せば全てが崩壊しかねない。

「念のために言っておきますが、Dパワーズの関与はここだけの話にしておいて下さい」
「わかってる。彼らにへそを曲げられたら、千載一遇のチャンスすらパーになりかねん」

「日本の自由主義が、『国家のため』の一言で踏みにじられるのを見るのはイヤですからね?」
「そうならないように黙ってるよ」
「お願いします。あと、せめて期間を決めていただかないと、話の持って行きようがありません」
「そうだな、とはいえ、もう金曜日も終業だ」
「例え日曜日だったとしても、アメリカなら二時間で動くと思いますけど」

全くその通りだなと苦笑しながら、斎賀は言った。

「週明け、二十六日には回答する。それまでは、申し訳ないが保留しておいてくれ」
「努力します」

目の前では元江戸城の外堀が、夕日をうけて茜に輝いていた。
週末の終業時間からとんでもなく忙しくなりそうな事態に、斎賀は大きなため息をひとつついた。

、、、、、、、、、

あまりに早く第一回Dパワーズ探検隊が終了してしまった俺は、もう一つの約束を履行すべく電話をしていた。

「うん、そう。例の用事が二日で終わっちゃったから、明日からの土日に用がなければ付き合うけど」
「大丈夫です! お願いします!」
「都合が良い日は?」
「連休です! だからどっちも……だめですか?」
「いいけど。それならどちらかはGTB探しで遊ばないか?」
「GTB探し、ですか?」
「そう。もしゴブリンに抵抗がなければ、だけど」
「わかりました。じゃあ、土曜日は特訓に付き合っていただいて、日曜日はGTBを探しましょう」
「了解。なら土曜日はいつもの装備で、代々木に……9時くらい?」
「はい。楽しみにしてます! それでは明日」

俺は彼女が接続を切ったことを確認してから、スマホをタップして通話を終了した。

「御劔さんですか?」
「ああ、以前約束していた特訓の付き合い」
「週末にデートとか、まるでリア充みたいですよ、先輩!」

三好が大仰に驚いたポーズをとった。

「デートじゃないけどな。それで、三好はどうなんだよ?」
「毎日寂しく、数字ちゃんとお話です。なんだか悟りが開けちゃいそうですよ」
「それはそれは、お疲れ様です」
「むーっ」

「それでなんかわかったのか?」
「先輩のアイテムのドロップ率は計算しました」
「へー、それでどうだった?」
「サンプルが少なすぎて何とも言えないんですが、現象からみれば、標準ドロップが存在する魔物のアイテムドロップ率は25から50%くらいですね」

それが、高いのか低いのかさっぱりわからなかった。
なにしろちゃんとした統計はどこにもないらしく、比較対象が見つからなかったそうだ。

「あと、魔結晶ですけど、こちらも二十五%くらいなんですけど、モンスターによってばらつきがある感じです。ただ、これだと、運値の関与がどうなってるのかわかりませんね」

比較対象のサンプルがないんだもんな。それは今後の課題か。

「なにしろ三十匹くらいのヘルハウンドしか対象がないもんな」
「三十四匹でした。サンプル数がなさ過ぎて確証がないのはその通りです」

まあ、そのうちもう少し分かるようになるだろう。

「お疲れ様です。ほんじゃ、また、モリーユにでもいくか?」
「お。先輩のオゴリですよね!」
「いや、お前、オゴリどころか、毎日モリーユで三食くっても全然平気な身分になってるだろ。朝はやってないけど」

最近ずっと会社のカードだったから、先日たまたま自分のカードでATMを使ったら、残高が二億円くらいあって思わず二度見した。
そういや個人口座に一%ずつ振り込まれるとか言ってたっけ。だから、三好の口座にも同じだけ入金されているはずだ。
まだ会社をやめて二ヶ月経ってないってのになぁ……

「それはそれで味気ないというか。第一お店が困りますよ。色々メニューを変えないとですし」
「そういうもん?」

「それに最大の問題はですね」
「ん?」
「太りますよ、絶対」
「あーわかる。で、行くのか?」
「行きますよ。いつです?」
「そうだなぁ、日曜日とか……やってるよな?」
「大丈夫です。確か月曜ですよ、お休み。でも日曜日ってデートじゃないんですか?」
「だからデートじゃないって。久しぶりだし、御劔さんもつれてくるよ」

「デートのディナーに、他の女が待ってるとか、最悪です……」
「だから違うっての」
「先輩は、そういうところが女性にもてない原因だと思います」

三好に呆れるように言われたが、そう言う関係でもないし問題ないだろ。
というわけで、三人の予約を入れておいた。


044 デート?(スライム虐めともいう) 11月24日 (土曜日)


そうしてやってきた土曜日。

待ち合わせの代々木ダンジョンカフェに行ってみると、いつもの目立たない隅の席で御劔さんが小さく手を振っていた。
正統派美人の可愛らしい振る舞いというのは、なかなか破壊力がある。
勘違いしてふやけそうな顔をなんとか引き締めて席へと向かった。

「おまたせ」
「いえ、私もさっき来たところです。なにか飲まれますか?」

御劔さんのカフェオレは、もうほとんど残っていなかった。

「いや、よかったらすぐに行こうか」
「はいっ!」

この日のため、というわけじゃないけれど、俺は生命探知のオーブを使用していた。

基本的にパッシブに近い機能のようで、ダンジョンに降りてそれを意識すると、生命探知はすぐに仕事を開始した。なんというか、近くにいる人間やモンスターの位置が漠然とわかるのだ。

「こっちだ」

そう言って、彼女を誘導すると、いつもよりもはるかに早くスライムを見つけだした。

「今日は特訓だから、最高記録を狙ってみないか?」
「はい! 楽しそうです!」

この姿勢が、彼女の凄いところなのかもなぁ。
その後は、ダッシュで入口まで戻って、俺の生命探知でスライムを見つける、を黙々と繰り返した。

あまりのテンポに、彼女に付き合っただけの俺ですら、悟りが開けそうだった。

お昼ご飯を食べるのも忘れて叩き続けた結果、平均一時間に五十匹、六時間ちょっとで三百匹を記録した。
三百と言えば、今日一日で六ポイントアップだ。

付き合った俺も、百五十五匹という最高記録を更新した。
ただ、一緒に入り口を出ると目立つので、ずっとダンジョンの中で待機していたため、リセットの恩恵は受けられなかったが。

「はー、流石に疲れましたね」
「三百匹って、多分世界記録だよ」
「スライムを探す時間にほとんどロスが無かったですから。だけど、なんであんなにすぐ見つけられたんでしょう。芳村さんってやっぱり凄いんですね」
「たまたまさ」

そう言ったとき、彼女のお腹が、可愛くくぅ〜っと音を立てた。
彼女は顔を赤くしてうつむいた。

丁度4時前くらいの時間で、ランチの時間のとっくに終わっているし、ディナーの時間には全然早かった。やってるところと言えば――

「あー、そういえばお昼も食べてないや。よかったら代々木ダンジョンカフェで、何か食べて帰ろうか?」
「はい!」

そうして俺たちは、代々木ダンジョンカフェでパスタセットを食べた後、明日の約束を確認して別れた。

、、、、、、、、、

「ただいまー」
「おお、リア充さまがお帰りになられましたよ」
「うっせ。そうそう、三好。今日凄い経験をしたぞ」
「なんですか。ダンジョンの中でキスしたとか、そう言う話は受け付けませんよ」
「ちげーよ! 生命探知のおかげもあって、超高効率プレイだったんだけどさ。おかげで俺も百五十五匹を倒したわけ」
「それで?」
「当然オーブの選択が出るだろ? 彼女に隠れてこそっとゲットしたんだけど、二回目の時、クールタイムが切れているものがなくて、取得できるオーブがなかったんだ。そしたらさ」
「な、なにかのシークレットが?!」

目を¥にした三好が食いついてくる。

「いや、選択ウィンドウ自体が出なかった。結構経ってから過ぎてたことに気がついたんだ」
「全然うれしくも面白くもない情報をありがとうございました。しかも単にチャンスを一回棒に振っただけという」
「いいだろ、新体験なんだから! あと、代々木ダンジョンカフェのパスタセットは、毒にも薬にもならないフツーとしか言いようのない味だった」
「それは、ナイスな情報です」
「そうかぁ?」

「しかし表示されない、ですか。『賢いプレイヤーっていうものはいつも何かを拾って持てるように少しは考えとくもんだぜ!』って、言われるのかと思いました」
「お前、歳いくつだよ」


045 デート?(ゴブリンの巣荒しともいう) 11月25日 (日曜日)


翌日、待ち合わせの代々木ダンジョンカフェに行ってみると、いつもの目立たない隅の席で小さく手を振っている御劔さんの隣に、なんと斎藤さんが座っていた。

「斎藤さん、お久しぶり」
「ほんと、久しぶり。こないだのお寿司の話聞いたよ? ああ、私も行きたかった!」
「撮影だったんだろ。なにか、忙しくなってるって聞いた」
「そう。役だけは来るようになったのよ、役だけは」

斎藤さんは両腕を上げて憤慨したようにテーブルを叩いた。
が、全く音はしなかった。いわゆるパントマイムというやつだ。

「いやー、ダンジョンって凄いね」

注文した飲み物が一通りそろうと、斎藤さんは紅茶を一口飲んで、そう切り出した。

「最初は、仕方なくはるちゃんに付き合ってたんだけど、この子すんごいまじめじゃない? もう黙々と狩ってるわけ。遠く離れたら危ないし意味ないし、それにつられて私も黙々と狩るしかなかったんだけど……」

斎藤さんが隣の御劔さんを見る。
御劔さんは、照れたようにポリポリと頬を掻いていた。

「ちょうど二週間くらい経った頃かな、端役のオーディションがあってさ」
「行ってみたらなんか、思い通りに体が動くわけ。一体何?! って感じだった。もう驚いちゃって。あとはずーっと、はるちゃんと一緒に黙々とダンジョン通いの日々よ」

端役とはいえ、結構な倍率の役所だったが、あっさりと通過して、以降はその監督のツテで噂が広まったのか、続々とオファーが舞い込むようになったらしい。

「そのうち、台本も一度ですんなりと頭に入ってくるようになるし、ダンジョンって、なにか頭が良くなる成分でも出てるんじゃない?」

うん、御劔さんのことを注意しながら狩っていたから、知力がアップしたんだな、それは。

「たださ――」
「ん?」
「主役がないんだよねー。やっぱ、知名度がないから」
「それはまだこれからだろ?」
「だと良いんだけど……名バイプレイヤーになるのは歳くってからでいいの! 若いときは主役! 主役が欲しいの!」

がたりと椅子を動かすと、俺の隣に座って、右腕をとって胸を押しつけてきた。
なに、この、ハニートラップ。

「だからぁ〜芳村さん、エンジェルになってよぉ〜」
「エンジェル?」

「映画なんかの出資者のことですよ」

御劔さんが、斎藤さんを引っぺがしながらそう言った。

「俺にそんなカネはないぞ。パンピーだし」
「パンピーが、ちょっとあっただけのはるちゃんに、あんな凄い真珠を貢ぐわけ?」

テーブルの上に肘をついて、手の甲で顎を支えた斎藤さんが、ジト目でこちらを睨んでいる。

「貢ぐって……いや、あれはほら、一応、弟子が何かを成し遂げたお祝いだし」
「桁、間違ってるでしょ、桁。Mコレクションのピアス一体いくらすると思ってんの! 私、結構頑張ってるのに何にも貰ってないし」

いや、そういえばあんまり急いでたから、値段を見てないな。
注文して、ものを確認して、カード渡して、サインしただけだ。

「わかった。なにか主役が決まったら、可愛い弟子に、ちゃんと貢ぐよ」
「ほんと?! 約束だからね!」

花のような笑顔を浮かべて喜ぶ斎藤さんだが、どこからどこまでが演技なのかと考えると、結構恐ろしいものがある。

「しかし、相変わらず欲望に忠実なヤツ」

そう言う俺に、斎藤さんは、ふふんと鼻を鳴らして答えた。

「欲望に忠実なのは悪いことじゃないわよ。とくにこの世界ではね。譲り合いの精神なんか発揮してたら、絶対役なんか回ってこないんだから。幸運の女神に後ろ髪はないのよ!」

「ただし普段のイメージは真逆で。ほほほ」

突然おしとやかそうな雰囲気で、科《しな》を作ってみせた斎藤さんに、呆れると言うよりも感心した。

「なにかこう、ますますバイタリティに溢れてるね」
「涼子、最近忙しすぎて、ちょっと溜まってるから」
「なーにーがー溜まってるって? いいわよねぇ遥は。優しくして貰ってるってわけ?」
「ええっ?」

御劔さんは頬に手を当てて顔を赤くする。いや、そこで赤くなると逆効果だって。

「するって、なにをだよ」
「溜まらなくなることよ」

へへーん、当たり前でしょって顔をして斎藤さんが指摘する。
人気女優への階段に足をかけた女が、オープンな場所で、そんな下品なこと言ってちゃだめだろ、ったく。

「そうだ。一応今日の探索が終わったら、食事に誘おうと思ってたんだけど、斎藤さんも来る?」
「夜? 時間は大丈夫だけど、邪魔して良いわけ?」
「別に。三好も来るし」
「ああ、三好さんがいたかー」

斎藤さんは残念なものを見るように、俺と御劔さんを見比べた。

「三好がどうかした?」
「いいえ、別にー。奢ってくれるんでしょ? もちろん行く行くー」

斎藤さんは、もう一度俺の腕をとってくっついてきた。
だから、フォーカスされたらどーすんのさ。

俺はその場でお店に連絡して、席をひとつ増やせるかどうか聞いてみた。
ラッキーなことに大丈夫のようだった。

「でも芳村さんって、結構良物件よね?」
「なんだよ、それ」
「だって、草食っぽくて浮気しなさそうだし、結構お金持ちっぽいし、ルックスもまあまあでしょ? 研究職侮りがたしってやつね」

なんと、値踏みされてしまいましたよ。
いや、ちゃんとお肉は食べたいよ? 機会と相手がどちらもないだけで。……言ってて泣きたくなってきたぞ。

「理系男子は磨けば光るんだよ。ただ、磨かれることがほとんどないだけで」
「へー。じゃあ私も誰か素材の良さそうな人を紹介して貰って、磨いてみようかな?」

なにか、恐ろしいことを言い出したので、俺は残っていた珈琲を一息に飲んで席を立った。

「じゃあそろそろいこうか」

そうして、俺たち三人は代々ダンに降りていった。

、、、、、、、、、

俺たちはいつもと違って、2層へと向かった。
こいつら、経験がゼロでもフォースのトップエンドとトリプルだからな。ゴブリン程度は余裕のはずだ。

「ふたりともゴブリンは初めてだろ? 人型だし、抵抗があるなら無理するなよ」
「まあ、とりあえずやってみる。で殴ればいいわけ?」

俺はバッグからふたつのコンパウンドボウを取り出した。
昔から器用ベースは弓と相場が決まっている。本当は御劔さんと二人で二本だったのだが、斎藤さんが交じったので俺は近場でガードだな。後、魔法。

「え? 弓? 私、使ったこと無いよ?」
「私は一応弓道の経験がありますけど、アーチェリーの道具は初めてです」
「まあまあ、きみたちは、一層のスライムで充分実力が付いてるから。使い方さえ覚えれば、初めてでもあたるはず」

ステータスってそう言うもんだからね。

「ほんとにー?」
「ホント、ホント。じゃ、撃ち方を教えるから」
「はい」

和弓と違って弓は左側へつがえること。引くのは顎までで後ろまで引かないこと。
後はリリーサーの使い方を説明して終了。高器用を信じて、トリガーレスのクリッカー付きにしてある。

「かちっと言うところまで引いたら、狙いを付けて、もう少しテンションをかけるとリリースされるから」

あの三代とかいう女が使っていたのを見て、興味を持って調べたのが役に立ったな。

「んじゃ、ちょっと試してみよう」

生命探知は、明確にゴブリンと人間を区別する。
俺は人のいない方向にいる、はぐれっぽいゴブリンの場所へと彼女たちを導いた。

「あ、いたいた。撃っても良いの?」
「どうぞ」
「ん、しょ……」

そう言って斎藤さんが引いた弓は、すでにサマになっていた。
シュっという音と共に矢がリリースされ、見事に先にいるゴブリンを打ち抜いて、倒れたそれはすぐに黒い光となって消えた。

「おみごと。大丈夫そうか?」
「んー、遠距離だし、死体が残るわけじゃないから実感がないけど、たぶん」

その後御劔さんも試し打ちをして成功させた。
その状況だけでは、どちらが高器用なのかはわからなかった。

「よし、ふたりとも大丈夫そうだから、GTBの探索を始めよう。といっても俺もやったことないんだけどさ」
「あ、私、一応調べてきました!」
「それは助かる。とりあえず、巣と思われる場所へ行こう」

俺は生命探知を働かせて近くの巣だと思われる場所へと向かった。

「だけど芳村さん。すたすた歩いてるけど、よく知ってるね? もしかして今日のために下見でもしたの?」

うりうりーと言わんばかりの勢いで、俺の脇腹を肘で突いてくる。

「ほらほら、油断してないで。あの角を曲がったら、20匹くらいのコミュニティがあるから。相手が五メートルくらいに近づいてきたら、俺が倒すから心配しないで落ち着いて射て」
「わかりました」
「頼むよー」
「俺に当てないでね」

二人は矢をつがえると、その角を曲がった。

矢はほとんど音もなく、ゴブリンコミュニティを襲っている。
途中数匹がこちらに走り寄ってきたけれど、俺がウォーターランスで始末した。

初めてそれをみたとき、ふたりとも少し驚いていたようだったが、そのまま最後まで弓を射続けた。

「はい、おつかれー」

俺は矢を拾う振りをしながら、保管庫から新品の矢に差し替えて、二人のクイーバーへとセットした。

「結構当たるもんだね。今度から趣味を聞かれたらアーチェリーって答えようかな」
「涼子ったら」
「ほら、なにかカッコイイじゃない?」

「で、ここが巣だと思うんだけど。GTBってどうやって探すんだ?」
「あ、普通に箱に入っていたり、岩で蓋をした空間に隠されていたりするそうですよ」
「へー」

「あ、はるちゃん! これじゃない?」

奧でごそごそとしていた斎藤さんが、岩の奧にある空洞をコンコンと叩くことで見つけていた。

「これどうやって開けるのかな?」

御劔さんが首をかしげる。

「そりゃ、こういうときのために男の人がいるんだから」

斎藤さんは相変わらずだが、裏表が無くて逆に好感を抱いてしまうから不思議だ。性格なんだろうなぁ。

「はいはい。微力を尽くしますよ」

一応フルパワーではないが、危険に対処する程度には数値を上げてある。もちろん運は100のままだ。きっと幸運が訪れる。

コンコンと岩自体を確認すると、縁に手をかけて、一気に引き上げた。

「おおー。ひょろく見えるのに意外と力があるんだねー」
「うっせ」
「あ、なにかあります」

そういって御劔さんが取り出したのは、二本のポーション(1)だった。
ランク1のポーションは意外と小さい。鉛筆より一回り太いくらいで、長さ五センチ程の円筒状だ。尖端のポッチをぽきっと折れば、粘度のほとんど無い中身がさらさらと流れ出す仕組みだ。

「うわっ。それって大当たり?」
「たしかに。結構低確率らしいぞ。なにしろ購入したら一本大体百万円だ」
「ええ?!」
「ランク1は一番下のランクだとはいえ、単純骨折や腱の断裂なんかは瞬時に回復するし、顔や体のケガは、よっぽど滅茶苦茶になってない限り傷も残さず綺麗に治るから、ふたりの職業なら、お守りに持っておくと良いよ」
「え、貰っちゃっていいんですか?」
「初めてのトロフィーは、幸運の女神様達に進呈しましょ。あとで持っておけるようペンダントに加工してあげる」
「ありがとうございます!」

残りは、日本の硬貨が何枚かと、錆びた剣が一本入っていた。

「さて、昼過ぎまで、いくつか攻略しますか」
「ふふふ。百万円かー。あと十本くらい見つからないかな」
「そんなに見つかるなら、みんなゴブリンを狩ってるだろ」
「そりゃそうだね」

そうして俺たちは次の巣を目指した。

、、、、、、、、、

「それで結局?」
「ポーションは、結局その後一本しか見つからなかった」
「でも全部で三本ですよね? 二層でしょ? すごくないですか?」

俺たちはモリーユのカウンターに座って四人でディナーを食べていた。
いつものとおり、キノコのブイヨンから始まったコースは、セップやシャントレルやジロールをあしらった美味しい皿が続いていた。

そうしてさりげなく出された、何の変哲もない一皿。

「え、これ。三好……さん?」

おれは思わず三好を見た。
そこには卵の上に山と削られた、薄い皮状のものが、ほとんど経験したことのない芳香をたてていた。しかも――

「白、ですか?」

俺は思わず丁寧語で聞いてしまった。

「季節ですからね、先輩。ほら、ゲストも美しい女性ばかりですし」
「うそつけ、お前が食べたかっただけだろ!」
「さて、ここはワインも慎重に選ぶ必要が――」
「人の話を聞けよ、まったく」

その掛け合いを見て御劔さんが笑った。

「白トリュフって同じピエモンテのバローロとか聞きますけど」

「あ、それは大嘘なので気にしないで下さい。きっと高いワインを売りたいだけですよ」
「人の好みもあるだろ。一蹴するなよ」
「まあ、自分のお金ですからねぇ。そこは自由で良いと思いますが……やっぱりミネラリーできりっとした白だと思いますよ? 変わったところでは、サン・ジョセフのマルサンヌとか」
「フランス語に聞こえる」
「ローヌですね。いや、ホントにあうんですって。今度試してみましょう」
「いや、もう今年の白トリュフはこれで食べおさめ。お財布的に」
「ぶー」

「んー、初めて来たけど、美味しー」

斎藤さんは、頬を押さえてご満悦だ。
ほんとこいつは、誰からも愛される女優にむいてるよ。性格が。

「この見た目のショボイ茸が、海老とマッチしてて美味しいねぇ」
「ショボイ言うな。まあたしかにシャントレルはあまり見た目が良くないけどな」
「芳村さんみたい?」
「先輩はそこまでひょろくはないですかね」

「お前ら、今日のスポンサーは誰なのか言って見ろ」
「ステキナヨシムラサマデス」
「ラブリーナセンパイデス」
「良し」

そんなやりとりを眺めながら、御劔さんは、少しだけ甘みの感じられるオイリーなアルザスの白を飲みながら幸せそうに笑っていた。

後日俺は、丈夫なアクリル製の円筒にポーション(1)を差し込んで作ったペンダントトップに、三ミリのディアスキンの革紐をあしらった、少しプリミティブなアクセサリーに見える『お守り』を三つ作った。
そうしてそれを三人に送った。弟子の無事を祈る師匠の気持ちだ。
三好には必要ない気もするけれど、一応贈った。

なお、コンパウンドボウは、予想通り斎藤さんに奪われた。
本人は貸してと言っていたが、絶対戻ってきそうになかったので、二人に贈呈した。
ジャイアンか。


046 注文しといてそれはないでしょう 11月26日 (月曜日)


「十層ですか?」
「ああ。そろそろ三好も自分で身を守れた方が良いと思うけれど、すぐにステータスを上げるってのは難しいだろ?」

一緒に潜って闘っていても、一度ダンジョンに入ってしまえば、得られる経験値は陰険仕様で下がっていく。
それに、あのスペシャルっぽいハウンドオブヘカテですら、1.02ポイントしかなかったのだ。御劔方式のいかに効率的なことか。

もっとも、一層がスライム層で、しかも過疎という、まるで代々木のためにあるようなテクニックだけどな。

「そうですね。御劔さんみたいにまじめにやれば、一ヶ月でトリプルでしたっけ?」
「生命探知を利用したら一日三百、六ポイントもゲットできたぞ。三十日で百八十だからトリプルでもそこそこ上へ行けるんじゃないか?」
「無理。絶対無理です」

その方法を聞いて、毎回入り口へのダッシュを繰り返すことを想像した三好は、そのあまりの過酷さに思わず頭を振った。
大体御劔さんのあれは、トリプルまで駆け上がった身体能力上昇の恩恵もあるだろうからな。
確かにいきなりは辛いか。

「そうか。まあ、そっちはおいおいやるとして――」
「やるんですか?!」
「死にたくないだろ?」
「ううう」

超回復と水魔法、それに物理耐性まである三好は、根性なしステータスの割には強いと思う。
だが、相手が殺しに来たときどうなのかといえば、基本はただの女の子に過ぎないのだ。即死させられないよう、少しでもステータスは上げておいた方が良いはずだ。

「それはさておき、今回狙うのはこの二種だ」

そう言って、俺は十層のモンスターの内、バーゲストとモノアイを指し示した。

「バーゲストは先輩がこの間倒した、ハウンドオブヘカテの元ですよね」
「そう。あいつは、闇魔法(Y)を持ってた」
「6? そりゃ未登録スキルですね」

「たぶん、召喚だ。ヘルハウンドの」
「ええ?! 召喚魔法なんて、まだ報告されたことがないと思いますよ」
「それはいまさらだろ。それに、これなら本体が多少ひ弱でも、近接はOKだろ?」
「まあ、そうかもしれませんが、サイモンさんみたいなのが一杯いたら無理じゃないですか?」
「それでも逃げるための時間くらいは稼げるさ」
「根拠はなさそうですけどね。で、モノアイは?」

俺はにやりと笑って三好を見た。

「そいつ、絶対『鑑定』を持ってそうだと思わないか?」

そう。アイテムボックスと並んで、異世界転生スキルの定番、鑑定だ。

「鑑定ねぇ……」

あんまり乗り気じゃなさそうな三好に、ちょっとガソリンを注いでみた。

「それがあると、ステータスが数値で確認できるかも知れないぞ?」
「?! 先輩! 絶対、とってきてください!」
「いや、お前も行くんだろ……手に入るかは、持ってたら、だけどな」
「ええ〜私も行くんですかぁ? 十層ってモンスターの数、多いんじゃないんですか? しかも臭そう」

以前は十一層に向かうルート上はそうでも無かったらしいが、同化薬が知られてからは、それを使ってスルーするのが十層のセオリーになっている。
もしそうだとしたら、うじゃうじゃいるに違いない。

「一層のスライムみたいなものですか」
「まあそうだ。しかも、アンデッドは人間によってくるらしいから」
「それ、大丈夫なんですか?」

三好が嫌そうな顔をする。
まあ、ゾンビが好きな女子は少ないだろう。ゾンビ映画が好きな女子はそれなりにいるかも知れないが。

「スケルトンとゾンビは、昼夜関係なく出現するらしいから、それで数を稼ぐ。タイミングをあわせて、昼はモノアイ、夜はバーゲスト狙い、だな」
「水魔法が効きますかね?」
「知力が100あるから、無効じゃなければ威力で押し切れるんじゃ……とは思ってるんだが」
「私は?」
「ダメなら鉄球で」
「了解です。スケルトンなんかはそのほうが効果的っぽいですよね」
「弾切れにならなきゃな」

それを聞いて三好が不敵に笑った。

「収納庫に、充分な容量があるってわかったので、F辺精工さんから一万個単位で購入しました! 八センチなら二十トンですよ!」

ふそうのバス二台分ならへっちゃらです、なんて胸を張っている。
俺なら五百個がせいぜいだが、そこはわけて貰えばいいか。

「ふっふっふ、任せて下さい。まあダメだったら先に十一層のレッサーサラマンドラで火魔法を取得すると良いんじゃないでしょうか。修得できるかどうかはわかりませんけど」
「なんとなくそれっぽいよな。じゃ、早速行くか。物資はこないだのやつがまるまる残ってるし」
「え、今からですか? だめですよ。だって今日ですよ? 日本ダンジョン協会から回答があるのって」
「あ、そうか。ちなみに日本ダンジョン協会には二個あるって伝えてないから」
「ええ? 鳴瀬さんにもですか?」
「まあそうだな」
「それを知ったら、泣いちゃいますよ?」

「いずれにしろ、異界言語理解はそのうち広がる。なにしろダンジョンがそれを意図している節があるからな。なら、毟れるときに毟るのが――」
「近江商人ってモンですね」
「正解」

ニシシシとふたりで黒い笑いを漏らす。いかんな、最近ちょっと近江商人に影響されている気がする。
ごほんと咳払いをして改まった俺は、「まあ、落札させた後で、鳴瀬さんにあげればいいだろ。一個」とさりげなく発言した。

二カ国が別のことを言ったとき、どちらが正しいかを判定するための重要な一個を押しつける。
これで、世界の命運は君のものだ、ってなもんです。拮抗した二大政党に挟まれた少数政党っぽくうまく振る舞って、キャスティングボートを握り続けて欲しいものです。うんうん。

「それはまたなんというか、豪気と言うよりイジワルですね。ま、二回のオークションで二十四億も稼いだんですからそのくらいは我慢して貰いましょう」

いや、三好、それは別に鳴瀬さんのものになったわけじゃ、と思った瞬間、呼び鈴が鳴った。

「噂をすればってやつですかね」

三好は玄関の映像をパソコンで確認すると、門の鍵をアンロックして、どうぞ。と言った。

、、、、、、、、、

神妙な顔をして入ってきた鳴瀬さんは、開口一番頭を下げた。

「すみません!」
「いや、ちょっと待って下さい。突然謝られても、何のことだか……」

頭を上げた鳴瀬さんは、非常にすまなそうにしながら言った。

「結論から言うと、もし、それが手に入った場合でも、それを買い取る予算はないそうです」

俺は結構驚いた。取得を放棄するかのような結論は予想していなかったのだ。
予想最低価格くらいに値切ってくるものだとばかり思っていたのだが、まさかの、国益を投げ出すような結論に、本当に国のトップの連中が話をしたのかどうか疑問に感じた。

「それはまた……思い切った結論ですね。とても自衛隊や政府や公安のトップの意見だとは思えませんけど」

鳴瀬さんは言いにくそうにもじもじしていた。さらに何かがあるのだろうか。

「他になにか言われたんですか? 別に鳴瀬さんの意見じゃないんですから、はっきり言って下さって結構ですよ」

そう言うと、彼女はあきらめたような顔をして、話し始めた。

「それで――国を思う日本国民なら、無償で国家に貢献して欲しい、と」

おおー、資本主義の根幹を揺るがす発言キター! いや、こっちは結構あるかもと思ってました!

「誰ですかそんなアホなことを言ったのは」
「直接的には、うちの瑞穂常務です」

瑞穂常務って……あの一千万円で買い取ってやるからはやくしろの爺さんか。
こんなワールド級の懸案に、なんでたかが日本ダンジョン協会の常務が関わってんだ?

「なんで、あのバカが知ってるんです?」

おっと、三好、容赦ないな。まあ、俺もあいつはバカだと思うが……

「斎賀が上に上げた後、日本ダンジョン協会内で、ダンジョン庁や財務省の代表が集まった局長級の会議があったらしいんですが、そこに常務も出席なされたそうで」

「局長級? 官僚サイドの話なら事務次官か、最低でも次官級じゃないですか、この話。なんで局長級?」
「それが、常務が自分の知り合いに声を掛けて旗を振ったとか」

なんだそれ。バカだとは思っていたが、そこまで認識が足りない人だとは思わなかった。よく常務になれたな。

「で、その場でイイカッコをしたら、これ幸いと他の省庁が乗っかったと」
「まあ、そう言うことだと思います」

しかし、この案件を単なる局長程度が判断して良いのか我が国。しかも公安すら関係してないし、後で某田中に教えてやろう。

「お話はよく分かりました。我々としては日本に買い取って欲しかったのですが、仕方ありませんね。――三好」
「なんです?」
「もうオークションにかけちまえ」
「え? いいんですか?」

「そんな会議を無警戒に開いたんじゃ、とっくの昔に漏れてるよ。すでに俺たちには多数の監視がくっついててもおかしくないぞ。とても世界のパワーバランスがかかった事態に対応する態度とは思えん」
「すみません」
「いや、鳴瀬さんのせいじゃないし。あと、三好」
「なんです?」
「オークションにかけたら、落札まで身柄をかわすぞ」

二十四時間、硬軟混ざったアプローチが来続けたらたまらない。相手は多数だろうが、こっちは二人。疲れはててイヤになることは確実で、そう言う戦法が得意な国もあるからな。

「おお?! なんか盛り上がってきましたね!」
「お前がそう言う性格で助かるよ」

とはいえ、どこかに旅行に行くのは追跡されそうな気がするし、ばれても逃げ切れそうな……

「ダンジョンの中が一番安全かもなぁ……」
「なら、ついでにさっきのプランを実行に移しましょう」
「だな」

「あの、そんなことをしたら、オーブを採りに潜ったと思われませんか?」と、鳴瀬さんが心配そうに言った。
「だからこそ、オーブを持っていない国は、俺達が何処に行くのかを確認するまでは、俺達に危害を加えられないでしょう?」

所謂ひとつの抑止力だな。
オーブを持っている国は、この限りではないけれど、トップエクスプローラが来日していないから、さすがにダンジョン内では2線級しかいないと思いたい。

「鳴瀬さんも、今回のことで、日本ダンジョン協会に居づらくなったらうちに来て貰って構いませんよ」
「え? ぷぷぷ、プロポーズですか?!」
「……違うし」
「先輩、そこは顎クイですよ」

俺は囃す三好を無視して続けた。

「三好だって、どうせみどりさんとの事業が立ち上がったら法人を作るつもりだろ」
「あれは、ダンジョン税というわけにはいきませんからね」
「そしたら信用のおけるスタッフが必要だ」
「それはそうですね。相手先のお姉さんですから適任かも知れません。高給優遇ですよ。資本はたっぷりありますし」
「まあ、立ち上がったら、だけどな」
「私はすでに確信してますけどね」

「わかりました。一応頭に入れておきます」

そういった鳴瀬さんの返事を合図に、俺は手をパンと叩いて三好に言った。

「よし、この際オークションの開始は、サンクスギビングにかぶせようぜ。Dパワーズから世界への贈り物、ってやつだ」
「はい?」
「ん? 次の木曜日だろ? 感謝祭」

アメリカのサンクスギビングは十一月の第四木曜日だ。
そのとき、鳴瀬さんが、非常に言いにくそうな顔をして言った。

「あのー、芳村さん。今月は一日が木曜日だったので……」

な、まさか……

「先輩、第四木曜日は先週です」
「Oh! Noooo!」
「外人ぶってもごまかせませんよ」
「くっ、じゃあモーリタニアがフランスから独立した記念だ!」
「アメリカ関係ないです」
「なら、ローハイドの放送開始記念! 超アメリカっぽいだろ、ブルース・ブラザーズとか見る限り」
「はいはい、もうなんでもいいです。二十八日ですね」

ちっ、ライトがデスノートを拾った日記念とかにしておけばよかったか。アメリカ関係ないけど。

「とにかく了解です。派手にバラまいときます」
「で、それが終わったら」

「ダンジョンに逃げ込むんですね。準備にちょっと贅沢しても良いですか?」
「好きなだけ使え」
「先輩、今の台詞はちょっとモテるかも知れませんよ」
「そんな女にモテても嬉しくないから」

とはいえ、女の子のいるお店で豪遊するのは楽しいらしい。接待に使うくらいだもんな。行ったことないけど。

「落札までの煩わしさはダンジョンで躱せるかもしれないが、一番ヤバイのは――」
「受け渡し先に向かう道中、ですね」

俺はその台詞に頷いた。

受け渡しに向かう道中、俺達は必ずオーブを持っている。奪うにしろ、受け渡せなくするにしろ、そこが一番確実だ。
アスファルトジャングルのチェイスは、アクションドラマの白眉だしな。
俺たちは、笑ってげんこつをぶつけ合った。

「あのー、それって、東京が争奪戦の舞台になるってことですからね。なにとぞ穏便に、穏便に、お願いしますよ」

調子に乗っていたら、横から不安そうな鳴瀬さんに突っ込まれた。


047 波紋 11月27日 (火曜日)


そのニュースは、瞬時に世界を駆けめぐり、各国のダンジョン研究機関で物議を醸していた。

ネヴァダにあるアメリカダンジョン研究所所長のアーロン=エインズワースは、ダンジョン省の要請を受けて、ワシントンD.C.へと降り立った。

ダンジョン省は、国土安全保障省の次に設置された、最新で十六番目の省だ。
緊急の創設だったため、現在は内務省本館の一部を間借りしていた。

「ダンジョンも資源ってわけだ」

車は、ジョージワシントンメモリアルパークウェイから、インターステート395へ入る細い連絡道を抜けて、ポトマック川にかかる橋へと入った。

この橋の名前の元になった銀行監査官は、二人の女性を救った見返りに自らの命を支払った。その結果得たものは、フランスの伯爵から奪った橋の名前だけなのだ。

我々は危うい境界の上に立っている。彼は誰よりもそのことをよく理解していた。
しかし、そこで人類の盾になるのだけはまっぴらだった。支払うものが自分の命だというのなら、なおさらだ。

12番ストリートに入り、やがてスミソニアン駅に近づくと、立体交差した道路のせいで、光と闇が交互に訪れる。
それはまるでハルマゲドンで闘う天使と悪魔の軍勢のぶつかり合いのようだった。

そうして最後の光の中、そこにはふたつの博物館の高い壁に挟まれたまっすぐな道路が現れる。
上り坂と徐々に低くなる塀の競演による錯視が、まるで、お前の行く末に逃げ道はないと言っているようだった。

錯視を逃れてすぐに左折すれば、左手にワシントン記念塔が、右手遠くにホワイトハウスが見えてくる。
ここは政治の中枢だ。だが、世界が書き換えられるその時には、最も辺境になるだろう。

すぐ先に、第二師団の記念碑に掲げられた半旗が翻っていた。
ドイツの進軍を阻止するパリ防衛戦の象徴である炎の剣が、今、まさに我々には必要とされているのかも知れない。

少し感傷的すぎるなと頭を振ったアーロンを乗せた車は、US-50から、18番ストリートNWに入り、やがて左手にピンクがかった四角い建物が見えてきた。
そう、そこが終点だ。

、、、、、、、、、

「それで、これを売りに出したのは、一体どこのどいつだ?」

ダンジョン省、初代長官のカーティス=ピーター=ハサウェイは、挨拶もそこそこに、そう切り出した。
アーロンは、感情を交えず端的に報告した。

「日本ダンジョン協会のライセンスコードです」
「日本ダンジョン協会? オーブのオークションなど聞いたことがない。そんなことが可能になったのかね? 報告を受けてはいないようだが」
「私が知る限り、見つかって二十四時間以内に広報され、二十四時間以内にビッダーを集め、二十四時間以内に落札させて取引を成立させ、二十四時間以内に引き渡して使用させることができるなら可能です」

長官は、そんなことは分かっていると言わんばかりに、怒りを押し込めつつ、机の上をペンの尻で何度か叩いた。

「そのサイトによると、入札開始はここの時間で十一月二十八日の0時だ。まだ一日ある。しかも、ビッドする期間は二日間だそうだが?」
「落札者が受け取りを指定した日に『偶然』手に入れれば可能です」
「それはつまり不可能だということかね?」

アーロンはそれには答えず、ただ肩をすくめただけだった。

「質問を変えよう。我が国でも同じことができるかね?」
「できません」

アーロンは即答した。

「君の報告と所見を聞こう」

アーロンは、あらかじめ纏めておいた報告書を提出して、説明を始めた。

すでにそのサイトでは、サイモン中尉がふたつのオーブを落札し、実際に受け取った報告を受けていること。したがって、詐欺ではないこと。
明確な方法はわからないが、取引相手は「偶然」手に入ったと発言したこと。そのサイトではすでに二種類の未登録スキルが販売されたこと。

「以上をもちまして、そのサイトの関係者は、オーブを保存する技術を有しているか、オーブを発見したり取得する特殊な技術を有しているか――」

アーロンはそこで少し言葉を切った。言うべきかどうか迷ったからだ。だが結局付け加えた。

「そうでなければ、神に愛されているのだと愚考します」

それを聞いたカーティスは、僅かに顔をゆがめたが、結局何も言わなかった。
アーロンは、EUから伝わってきた、インドの富豪が出会ったらしい魔法使いの話については、多分に社交界の尾ひれが付いていそうだったので、報告に含めなかった。

「……そんな技術が本当にあるとしたら、日本に圧力をかけて、手に入れるわけにはいかんのか?」
「それは国務省かホワイトハウスへ仰って下さい。ただ、私見ですが――」
「なんだね?」
「二回のオークションを経ても日本政府に動きがありません。政府は無関係である可能性が高いのではないでしょうか」

ふむ、とカーティスは考え込んだ。

「それで、どうしますか?」
「どうとは?」
「オーブ自体は、世界のバランスをとるためにも絶対に必要なものです。すでにご存じだと思いますが、現在碑文を解読できるのはロシアだけです」
「我々は、翻訳内容が嘘かどうかもわからない。真実を知るのは彼の国だけ。と、そういうことだろう?」
「その通りです」

「可能なら落札したいが、エスティメートはどうなっている?」
「エスティメートは呈示されていません」
「ない?」
「はい。実際に必要としている国の予算を考えると、十億ドルが最低ラインだと思われます」
「なんだと?」
「権益を維持したいロシアと、それをなんとかしたいEUや我が国が競り合えば、百億ドルを越えても驚かないでしょう」
「我が国の国防予算の1.4%で世界のバランスがとれるなら安いものだと言うことか?」
「空母二隻で世界のバランスを取り戻せるなら、実際そういうことでしょう」

壁に掛けられた時計の針が、音を立てずになめらかに進んでいく。

「話を総合すると、関係者を拉致して協力させるのが最も簡単そうだな」

あまりの発言に、さすがのアーロンも感情を漏らした。

「そんなこと……社会が許しますか?」
「世界の利益がぶつかり合う最前線では、法も倫理もクソの役にもたたんよ。そこにあるのは力だけだ。民衆が知りさえしなければ、なべて世は事も無し、だ」

「とはいえ、自由民主主義の守護者たる我々に、そんなことはできんがね」

さすがに拙いと思ったのか、おどけたように言ってごまかしたカーティスの本音は、絶対に前者だとアーロンは直感した。
しかし、上司を追い詰めるような発言はしなかった。それが社会で成功するための唯一のメソッドだからだ。

「サイモン中尉と言えば、あれはどうして未だにダンジョン省に所属していない?」

DAD、ダンジョン攻略局は、最初に作られた大統領直属の組織で、ペンタゴンはもとより、司法省管轄のDEAやFBIからもスタッフが招集されている。
ダンジョン省は、昨年、主にダンジョンを資源として取り扱うために作られた省だったため実働部隊に乏しかったが、ダンジョン攻略局の省を横断するような権限をそのままにダンジョン省へ移管させるわけにはいかず、当面別組織のままになっていた。

「攻略と管理の棲み分けでしょう」
「彼はまだ日本にいるのかね?」
「表向きはエバンスダンジョン攻略後の休暇扱いになっていますが、独自に件のオークショニストに接触しているようで、今は代々木に潜っています」
「代々木は素晴らしい鉱山だが、資源を他国にも掘らせ放題とは、日本という国は寛大だな」

カーティスは、なにかを蔑むような笑みを浮かべたが、すぐに顔を引き締めた。

「しかし、まさかとは思うが」
「なんです?」
「サイモン中尉は取得したオーブを、そのオークショニストに横流ししたりしてないだろうな?」

アーロンは、まさか、と言う言葉を飲み込んだ。
可能性としてはゼロではないし、ダンジョン攻略局に所属している連中は、一癖も二癖もある連中ばかりだったからだ。
もっとも世界ダンジョン協会の管理機構をごまかせるとは思えなかった。

「ご心配なら、軍の内部査察部を動かされては?」
「ペンタゴンに借りを作るのは、よくない」

カーティスはにやりと笑った。

「そろそろ我々の実働部隊も活動を始める時じゃないかね?」

その顔が、アーロンには不吉なトカゲの顔にしか見えなかった。

「入札はダンジョン省の部局にやらせよう。この件に関して、君は任を外れてよろしい」
「了解しました」

そう言うと、アーロンは目礼をして出て行った。


048 逃避的探索行 11月27日 (火曜日)


俺は、自称田中に連絡を入れると、日本ダンジョン協会で行われた会議の顛末をざっと話して、日本国が権利を放棄したので件のオーブをオークションに掛けたことを報告した。
もらった電話番号が初めて役に立った瞬間だ。

「な、なんてことを……」
「ま、そういうわけなんで、後はよろしくお願いします」

受話器の向こうで、あの田中が慌てている。
俺たちの渡航を有無を言わせず禁止したんだから、これくらいのお返しは許されるだろう。

「ちょ、ちょっと待って下さい。どうしてそんなことになってるんですか?」
「それは先ほど述べた各省庁にお問い合わせ下さい。そうだ、二十六日以降の各国の入国者も調べた方が良いですよ」

落札後、取引場所までは各国の草刈り場になりますからね、と脅しをかけて通話を終了すると、携帯の電源を切って保管庫に放り込んだ。

、、、、、、、、、

日本時間の十一月二十六日。
三好がサイトを公開して、あちこちへネタをばらまくと、世界は素早く反応した。

一般には公開されていないはずの、Dパワーズの事務所の電話は永遠かと思えるほどに鳴り続け、俺たちは電話線を引っこ抜いて対応した。
アイテムやオーブ以外の重要なものは、すべて三好の収納の中だ。

俺たちは、前回ほとんど消耗しなかった装備をそのまま利用して、代々木ダンジョンへと逃げ込んだ。
緊急の連絡方法は、鳴瀬さんだけに教えておいた。

そうして、ダンジョンに降り立った俺たちは、そのまま探索者もモンスターも全てを無視&回避して八層まで最短距離で駆け下りた。生命探知様々だ。

前回の教訓を生かした俺たちは、モロ初心者な装備を隠すため、体に巻き付けるマントを用意していた。
マントって意外と暖かいんだなと、ちゃんと存在していた効用に驚いた。風にはためかせるための小道具だと思ってました。

「先輩。後ろ、何かついてきてませんか?」

背面カメラの映像に、時々ちらちらと人が映り込んでいるらしい。

俺たちは生命探知を利用して、普通と違うルートを進んでいるが、それに寄り添うように進んでくる4つのグループがあるようだった。
それぞれがバラバラで、お互いを認識しているのかどうかさえ分からない動きだが、俺たちの移動にきっちり付いてくるんだから結構な手練れたちなのだろう。

「四グループだな」
「普通に考えて、代々木に集まってきていた、アメリカ、中国、イギリス、とあとはやっぱ日本ですかね?」
「だけどサイモン達じゃない感じだぞ」

あいつら一桁の集まりだから生命探知から感じるパワーもハンパないのだ。何度か試したから間違いない。

「他もそれほど凄い感じはしないなぁ」
「じゃ、きっと斥候部隊とかですかね。お金と人手があるところはいいですよねぇ」

角を曲がった瞬間、俺は生命探知で追っ手をマークすると、ひょいと三好を抱えて、ステータス任せでスピードを上げた。

「ぐぇ……うう。撒くんですか?」
「まあ、完全には無理だろうけど、尾行を確定させようと思ってな」

後続を振り切って辿り着いた、九層へと降りる階段の周辺は、空堀と土塁で覆われていて、たしかに拠点っぽい仕上がりになっていた。
追っ手は、どうやら俺たちを見失ったようだ。生命探知の範囲から外れていた。

流石に宿屋は無かったが、屋台で食べ物なんかを売っていたりするのは、ちょっとフィクションっぽくて面白かった。
屋台の兄ちゃんの説明によると、二チーム・二日交替制で営業しているのだとか。八層前後まで来られるエクスプローラはそれなりにいて、意外と金になるらしい。

やっぱ、探索者と言えばこれでしょ? と差し出されたのは串焼き肉だ。オークなのか? と聞いたら、実はただの豚らしい。

八層にはオークもいるが、オーク肉のドロップ率はそれほど高くないし、そのまま上に持ち帰ったほうが遥かに利益になるらしかった。
それでも串焼き一本が千円もするのは、やはり場所柄か。おれは三好の分もあわせて千円札2枚で支払いを済ませた。

商業ライセンス以外の探索者同士の取引は、世界ダンジョン協会カード同士によるダイレクト支払いか現金だ。
前者は世界ダンジョン協会カードに結びついている口座からの自動引き落としだが、十万円以下の取引に限られていて、一回百円の税+手数料が送信側から引き落とされる。
ATM利用料と大差ないから便利と言えば便利なのだが、取引そのものは硝子張りになるからプライバシーはないも同然だ。
なおダンジョン内での取引は、入り口を出た時点で清算されるらしい。オンラインにできないもんな。

「絶対焼き過ぎなんですけど、やっぱ、気分ですかね。意外と美味しい気がします」

そんな失礼なことをいいながら、はむはむと三好が豚串を頬張っていた。

もう午後も結構遅く、おやつの時間を過ぎたあたりだ。
俺たちは、串を返して礼を言うと、そのまま九層へと降りる階段に向かっていった。

八層の屋台の兄ちゃんには、マントの隙間から覗く初心者装備を見られたからか、その装備で降りるわけ? と呆れた顔をされてしまった。

、、、、、、、、、

「B08。こちら十八。八層へ到達した。送れ」
「こちらB08。目標は今九層へと降りた。送れ」
「B08。うそだろ? いくら何でも早過ぎる。送れ」
「確かだ。初心者装備の男女一組。女の方は、間違いなく三好梓《ターゲット》だ。送れ」

串焼きを売っていた男が、屋台から離れた影で、小さなイヤープラグ型のヘッドセットで話をしていた。

「了解。急ぎ追いかける。なお同業が多数混じっている模様。そちらも注意されたし。終わり」

串焼きを売っていた男は、イヤープラグをはずして立ち上がると、ふたりが降りていった階段の方を眺めた。

「うちの斥候チームがまるまる一フロア分も差を付けられるって……一体、あいつら何者なんだ?」

、、、、、、、、、

九層に降りたところは、ジャングルと言うより極相林だった。しかも日本風だ。ブナのような大きな木がかなりの間隔を空けて伸びていた。

生命探知にいくつかの魔物が引っかかる。猪や熊系だろう。資料によると、フォレストウルフやオーガまで出るらしい。
現在カウントの下二桁は六十六のはずだ。あと三十三匹はなんでもかまわない。

夜は忌み嫌われている十層で過ごすのも面白いな、などと考えながら、俺たちは十層へと降りる階段に向かって歩いていった。

途中、三好が鉄球をガンガン飛ばしていろいろ確認していた。MPを使わない分収納庫を利用した攻撃のほうが気軽に使えるようだった。球数もたんまりあるんだろう。

このフロアにはそれなりに人がいる。コロニアルワームさえ避ければ、オーガもキングボアも獲物としては美味しいらしい。もちろんそれらを倒せるのなら、だが。
だから、魔法よりも鉄球のほうが都合が良かった。見た目はスリングっぽいからごまかしやすいのだ。

他の探索者をそっと覗いてみたところ、大体四から六人くらいのパーティが多いようだった。
前衛が足止めをして、中衛が槍やハンマーで攻撃、後衛がコンポジットボウやクロスボウ、そして銃を用いて闘うのがセオリーのようだ。

「自衛隊は、ブンカーシールドなんかをがっちり並べて、小銃で一斉射撃だって聞きましたよ」
「八九式かな?」
「噂によると、豊和工業が一九式を持ち込んだとかいう話ですけど」

ダンジョン内で後継機実験……まあ、ありうるか。

初心者装備の俺たちは、できるだけ人目を回避しつつ、十層へと降りる階段までやってきた。
そろそろ日が暮れる時間だった。

比較的まともな拠点が、八層と九層をつなぐ階段の八層側にあるため、探索者が夜を過ごすのは、そのあたりに集中する。つまりここには誰もいなかった。

俺たちは日が暮れる事を気にもせず、十層へと降りていった。


そこは一面に広がる西洋風の墓地だった。

十一層へ降りる階段とは反対の方向へ移動して、しばらく行くと、うめき声が聞こえてきた。
そうして、墓のあちこちからゾンビが現れる。

「先輩! 臭いですよ?!」
「え、マジか?」

なんと腐臭がする。
当たり前だと言えば当たり前なのだが、死ねば消えて無くなる癖にどうなってるんだろう。
とりあえずウォーターランスを撃ってみた。周辺に探索者の反応はなく、どうせ誰も見ていない。

頭に当たったものは一撃で倒せたが、不幸にも足にあたったものは、下半身が吹き飛んでも上半身を引きずって向かってきた。

「バイオなハザードかよ!」

道幅はあまり広くなく、道ギリギリまで墓石が林立しているため、ずるずると這ってこられると、対象が見づらく非常に面倒だった。

因みに生命探知には極めて小さな反応しか現れない。言ってみればステルスだ。
集中すればわからなくはないのだが、これはなかなか厄介だ。

「三好、その先にある、丘の上を拠点にしようぜ!」
「了解」

日はもう沈み掛けている。
俺たちは魔法と鉄球をばらまきながら、少し先にある丘の上に駆け上がり、周辺のモンスターを駆逐すると、素早くキャンピングカーを取り出して、中に入ってドアを閉めた。
後部ラダーは取っ払ってあるから、これで一種の要塞だ。タイヤを潰されたところで、俺たちには関係ないしな。

「ふー。100の単位まで、あと三か」

三好が監視モニターを起動する。外はもう暗いが、モニタは割と鮮明だ。

「なんだそれ、赤外線か?」
「可視光増幅です。ゾンビって熱ないですよね? たぶん」
「さあなぁ。わかんないが、見えるならなんでもいいか。ていうか、十層の夜って光源があるのか」

ふと見るとダンジョンのくせに星が瞬いている。ウェアウルフとかがいるとしたら、月もあるのかもしれない。
それに墓地のあちこちには、時々揺らめく松明のような物まであるようだ。謎だ。

「まあまあ先輩。とりあえずご飯にしましょうよ」

時折聞こえるチタンカバーを叩く音を無視して、俺たちは弁当とお茶を取り出して食事を始めた。
今回は、三好が近所のお弁当屋さんに纏めて発注したものを買った。
ちょっと贅沢がこれだと聞いたときには呆れたが、食いしん坊推奨だけあって、なかなか美味い。

そうこうするうち、徐々にカバーを叩く音が減ってきた。
アンデッドが生者の何に反応するのかはわからないが、車中に引っ込んでいると、それほどこちらへ向かってくるものは居ないようだった。

「お?」

少し離れた位置から遠吠えが聞こえたかと思うと、辺りに霧が立ちこめ始め、鎖を引きずるような音が聞こえてきた。

「バーゲスト、だな」
「百メートルくらい先ですね。上には何も居ませんから大丈夫ですよ」

と三好が天井を指さした。

「あ、先輩。これ、使ってみます?」

そういって三好がごてごてと何かがくっついているヘルメットを渡してきた。

「おま、これ……暗視装置か?」
「AN/PVSー15だそうです。アメリカ特殊作戦軍御用達の現行品だそうですよ」
「そういうのって買えるわけ?」
「普通にネットで売ってました」
「はー、凄い時代だな」

俺はざっとガイドを見て、それを身につけると、静かに車の前方へ移動して、本来ならバンクベッドがある場所へと飛び乗った。スカイルーフのあった場所に扉が付けられていて、そこから車の上へと出られるようになっているのだ。
ルーフからそっと頭を出した俺は、慎重に辺りをうかがった。

「おお、すげー、意外とよく見えるんだな、これ」

霧は段々濃くなっていくが、ハウンドオブヘカテの纏っていた闇のような濃さのものとは違っていて、普通の霧のように見えた。
そうして低いうなり声と共に、それが姿を現した。
まだ、お供は呼び出されていないようだった。

俺はその辺のゾンビに向けて、素早くウォーターランスを発射して、二体を倒すと、すぐに全力でバーゲストに向かってウォーターランスを放った。
おれに気がついたバーゲストは、ヘルハウンドを召喚しようとしたが、魔法陣が描かれた瞬間、ウォーターランスに貫かれた。

、、、、、、
スキルオーブ     生命探知 五千万分の一
スキルオーブ    闇魔法(U) 一億分の一
スキルオーブ    闇魔法(Y) 二億八千万分の一
スキルオーブ 状態異常耐性(2) 五億分の一
スキルオーブ   病気耐性(4) 七億分の一
、、、、、、

俺はその内容を素早く三好に伝えて、当初の予定通り闇魔法(Y)を取得すると、ルーフから車内に引っ込んだ。

「闇魔法のYが召喚だとすると、Uは霧ですかね?」
「わからん。逆かも知れないし。もしも霧だったりしたら、あいつ等がそれを消すのを見たことがないから、死ぬまでパッシブでそれを纏い続けるなんて可能性もある」
「それはイヤですね。じゃ、これは保留っと。状態異常耐性は、毒、麻痺、病気、睡眠、魅了の全耐性らしいですよ。アラビア数値はレベルです」
「そりゃ凄い。2とはいえ将来的には欲しいかもな」
「病気耐性は、状態異常の中の病気専用の耐性でしょうね。でも4は凄そうですね。インフルエンザに罹らなくなるとかですかね?」
「それはそれで、凄いが……まあ、未知のオーブの事をあれこれ考えても仕方ない。鑑定が手に入ればわかるだろ」

そう言って俺は、三好の前に、闇魔法(Y)を取り出した。

「じゃあ、これも、念のため鑑定を手に入れてから使うか」
「霧を纏う美女になるのも悪くはありませんが、消せなかったりしたら買い物にも行けません」
「店の中が霧で美女美女ってか?」
「先輩、オッサン臭い」
「さーて、カウント稼いでくるかな」

俺はそそくさと、次のオーブカウントのための数を稼ぎに腰を浮かせた。

ルーフの上から顔を覗かせると、次から次へとゾンビとスケルトンの波がやってくる。闇の中、彼らには生者がトーチのように見えているに違いない。
それらをウォーターランスでしとめ、時々出てくるアイテムを収納するだけの簡単なお仕事です。

そのとき俺は調子に乗って油断していた。
MPの回復よりも攻撃するほうが多いため、MPは徐々に減っていく。半分を切りそうなタイミングで、そろそろ打ち切るかと頭を下げた瞬間、後頭部をかすめるように何かが飛んできた。

「うぉっ!」

思わず伏せて周囲を探ると、少し離れた位置に弓を持ったスケルトンが立っていた。

「スケルトンアーチャーなんかいるのかよ!」

資料には、スケルトンとしか書いてなかったが、この調子じゃ、メイジなんかも居るんじゃないだろうな?
俺がウォーターランスで追撃しようとしたそのとき、スケルトンアーチャーの頭がはじけ飛んだ。

「うぇ?」
「先輩、油断してると危ないですよー」

って、三好かよ。一体どうやって……
と考えている間に、次々と、モンスターの頭がはぜていく。どうやらモニタを見ながら鉄球を撃ちだしているようだった。車の中から。

「いや、お前、それは反則だろ」

射出系魔法の発動基点は、基本的に自分のそばだ。だから車の中からモニタを見ながら魔法を使うなんてことは出来ない。

だが収納庫利用の鉄球射出は違うようだ。そういや、バスで容量を確認したときに『あれ、出すときは、ある程度、離れていても思った通りの位置に出せるんですね。面白かったです』なんて言ってたっけ。
下二桁も八十四になったし、後は三好に任せることにして、俺はそそくさと車の中に引っ込むとルーフのドアを閉じた。

「はー、あの矢が当たっていたら、かなりやばかったな」
「ヘルメット、役に立ちましたね」

もしかしたら、生命力パワーではじき返せるのかも知れないが、テストをしてみる気にはならなかった。
三好のヤツは人の話に相づちを打ちながら、監視カメラの映像を見て次々とゾンビやスケルトンを打ち倒していた。てか、よくモニタ越しに空間を把握できるもんだな。

「それ、十層で拠点があったらやりたい放題だな」
「でへへへ。誉めてもいいんですよ?」

、、、、、、
ヒールポーション(1)×2
魔結晶:バーゲスト
魔結晶:スケルトン×12
牙:バーゲスト
骨:スケルトン×28
、、、、、、

あんなに倒したにもかかわらず、アイテムのドロップは意外と少なかった。って、ゾンビってなにも落とさないのか?

「三好も、いつまでもシューティングゲームで遊んでないで、いい加減切りの良いところで休めよ」
「分かってますって」

パソコンから目をそらさず返事をする三好に、俺は、肩をすくめながらシャワールームへと向かった。


049 さまよえる館(前編) 11月27日 (火曜日)


それはシャワーを浴びた後、シューティングゲームに夢中になっている三好を横目に見ながらソファーに寝そべって、そろそろ寝るかなと思い始めた頃に起こった。

「先輩!」

三好の焦ったような声に、飛び起きた俺は、彼女の側に駆け寄った。

「どうした?」
「あ、あれ」

三好が指さす先のモニタには、どう考えても今までそこにあったとは思えないものが映っていた。

「……洋館?」

丘の下。たしかにさっきまでは墓場だったはずの場所に、中世の貴族の館のような洋館がたたずみ。周辺からアンデッドが消えていた。

「なんだ、あれ? 三好、何かしたのか?」

三好はフルフルと首を振ると、単に敵を倒してただけですけど、と言って原因の検証を始めたようだった。

「時間制か、何か特殊なモンスターを倒したか、そうでなければモンスターを倒した数だとか」

後は俺たち自身が別の場所に飛ばされたという可能性もあるが……

「周囲の地形は、あれが出るまでと完全に一致してますから、その可能性は薄いですね」
「じゃあ、幻覚とか」
「マップ作成用の超音波センサーにも反応してますよ」

つまり、突然現れたあれは、物理的にそこにあるわけだ。

「うーん。出現時間や月齢にも何か特殊な値はないですし、登場する最後に倒したのはゾンビみたいですけど、特に特殊な個体って感じはしないですね」

録画された監視カメラの映像を巻き戻しながら三好が言った。

「数だというなら……今日私が十層で倒したゾンビの数が373体目に出現したってことくらいでしょうか」

373体目? ていうか、そんなに倒してたのかよ! そんなにいたこともにも驚くけどな。

「それって、なにか特別な数字なのか? 666とかみたいに」
「うーん……373は回文素数ですね」
「なにそれ?」
「前から呼んでも後ろから呼んでも同じ数になる素数です」
「だけど、そんな数いっぱいあるだろ?」

11だって101だって131だってそうだ。

「373は、小さい方から数えて13番目の回文素数ですね。先輩の言う地球の文化的っぽくないですか?」
「……んじゃ、さしずめここはゴルゴタの丘か?」

「確かにスケルトンは一杯いました」と言って、三好は笑った。

ゴルゴタはアラム語由来のギリシャ語で「頭蓋骨」だ。
ゴルゴタの丘に、Gランクの俺。うーん、俺のアーマライトが火を噴くぜ……って、この言い回しは下品すぎる。

「墓場の洋館と来れば、相手はヴァンパイアの一族なんてのが定番だが……」

しかしそんなモンスターはいままで見つかっていない。ウェアウルフはいるらしいが、人の姿にはならないようだ。
この世界に犬神明は存在しないのだ。まだ。

「で、どうします? あれがいつまであそこにあるのかもわかりませんけど」

ゾンビを一日に373体倒すと現れる、かもしれない館、ね。
しかもお誘いを受けたかのように、周囲からモンスターが消えてしまうとか……

「十字架はおろか、銀の玉も聖水もニンニクすらもないけれど、ここまで来たら行ってみるしかないか?」
「ですよね!」

、、、、、、、、、

俺達は入念に準備をした後、拠点車を出て、それを仕舞った。戻ってこれるかどうか分からないからだ。
あたりにアンデッドの姿はなかった。

丘を降りて館に向かうと、少し錆びた風合いの、複雑な花と蔦のようなモチーフが刻まれた、両開きの鉄の門が俺たちを出迎えた。
門柱には奇妙な文字のようなものが描かれている。

「楔形文字……っぽいけど、違うな。象形文字、とも言えないか……」
「ソラホトに出てきそうな文字ですね」
「なにそれ?」
「現代の高校生がタイムスリップしてヒッタイト王国のタワナアンナになるお話です」
「へー。ヒッタイトあたりの文字ってことか? あ、下にアラビア数字も書かれてら」
「滅茶苦茶な組み合わせですね」

門柱の文字の下に小さく、1000000000000066600000000000001 と書かれている。なんだこれ?

「また素数ですね」
「え? これ、素数なの?」
「クリフォード・ピックオーバーって人が、ベルフェゴール素数と名前を付けた一部では有名な素数です。666を十三個のゼロが挟んでいる、回文素数ですよ」
「ベルフェゴールか……」

ベルフェゴールはデモノロジーじゃ地獄の七人の王子のひとりだ。人が何かを発見するのを助けてくれるという。

「ここに何か重要なものがあるってことのアナロジー?」
「わかりません。全部がフレーバーテキストみたいに、ただの雰囲気なのかもしれませんけど。良くできてることだけは確かですね」

割り切れない世界に素数。
何かがありそうな場所にベルフェゴール。
そして666と13のオンパレード。

「三好がオーブのパッケージに刻んだ魔法陣みたいなものだとすると、ダンジョンメーカーは、宗教学にも数学にも造詣が深そうじゃないか」

動画にも記録されているはずだが、念のために、スマホでも撮影しておいた。
門に手をかけて軽く押しただけで、微かにこすれるような高い音を立てて、それは開いた。自ら訪問者を招き入れるように。

「こういうとき、キーって音がするのはお約束なんですかね?」
「不気味な静けさと、薄い霧もパッケージしてな」

気分はヘルハウスのオープニングだ。

広い前庭の先にあるのは、尖塔を伴った二階建ての大きな洋館だ。それは、圧倒的に非現実的な存在感でそこに建っていた。

見上げただけでわかる。これはあれだ。
正気を失い、闇を内に抱きながらひっそりと「立って」いるそれだ。"and whatever walked there, walked alone." だ。

屋敷の扉を開き中を覗いた瞬間、ガコーンなんて、キューブリック版シャイニングの効果音が聞こえてくるに違いない。

「先輩、これ……」
「ああ」

引き返すべきだ。
内なる俺はそう叫んでいた。

チャーチにベラスコが棲んでいたり、糧にされた後、写真になって暖炉の上に飾られたりする、絶対にそういう類だ。
ただなぁ……

「スーダラ節は正義ってことだな」

そう呟くと俺は前庭に足を踏み入れた。わかっちゃいるけどやめられないのだ。

「……だと思いました」

三好は、あきらめたようにため息をついて、後に続いた。

その瞬間、尖塔の上で大きな黒い鳥が翼を広げて、鋭い声を上げた。
二階の角毎に陣取っている、翼を持ったクロヒョウのような像が生を得て、一斉にこちらを振り返る。

「あれがガーゴイルで、地球ナイズされているとしたら、屋敷へ入ろうとするものを攻撃してくるとかか? 尖塔の上は、大鴉?」
「そのうちきっと、"ネバーモア!" って啼きますよって、先輩、それよりあの軒先なんですけど……」

三好が気味悪そうにそう告げる。軒先?

二階の軒先には、多数の丸いものが蠢いていた。注意して見ると、それは目だった。それがクロヒョウの顔と同様、全てがこちらを注視するように視線を向けているのだ。

「げっ、気持ちわりぃ……けど、もしかしてあれがモノアイか?」
「ふよふよと単体で飛んでるんじゃありませんでしたっけ? あれは何というか、群体っぽいですよ。ねとっとした感じですし」
「気をつけろよ。あれが襲ってきたら逃げるぞ」
「どこへです?」

どこへ? 屋敷の中は未知数だし、ローズレッドよろしく喰われるのは勘弁だ。かといって門の外へ逃げても追いかけてこられたら、逃げ切れるかどうかわからない。

「そういや、逃げる場所がないな」
「先輩……」

三好が残念な子を見る目つきで睨んでくる。

「あー、とりあえず外だな。門の外」

逃げながら攻撃してれば、いずれは逃げ切れる……といいなぁ。

「……了解」

屋根の上から降り注ぐ数多の視線にびくつきながら、俺たちはついに屋敷の玄関まで数メートルの位置へと近づいた。

「なあ、三好」
「はい?」
「中世に自動ドアってあったのかな?」
「古くは、紀元前のエジプトでヘロンが作ったって話がありますよ」
「そうか」

そこでは屋敷正面の両開きの扉が、音もなく大きく開いて、俺たちの入場を待っていた。
いや、やっぱりこれは引き返したほうが……と門の方を見ると、いつの間にか尖塔にいたはずの大きな黒い鳥が門柱に舞い降りて、羽根繕いをしていた。
大きな白目のない漆黒の眼球に、球状にゆがんだ世界が映り込んでいるのが見える気がした。
そのとき、大きな声でその鳥が啼いた。

"ネバーモア!"

「だ、そうだ。このチャンスを逃すなってことかな?」
「先輩。私、引き返したら襲われそうな……気がするんですが」
「奇遇だな、俺もそう思う」

しかしいつまでもここで緊張していても始まらない。俺達は頭上に気を配りながら、その屋敷へと足を踏み入れた。


050 さまよえる館(後編)


そこはただのガランとした広い部屋だった。

「普通こういう大邸宅の玄関を入ったら、そこはエントランスホールで、二階へ上がるダブルサーキュラー階段とかあるんじゃないですかね?」
「サーキュラー階段ってなんだ?」
「ぐるって廻るようなデザインの階段です」
「あー、映画に出てくる大豪邸にありそうなやつか」

俺はまわりを見回した。

それは何の変哲もない、石造りで天井の高い部屋だった。ただし広い。三十メートルx三十メートルくらいはありそうだ。
壁には、書架が据え付けられ、入り口からはよく見えないが、びっしりと本が詰まっているようにも思えた。

部屋の四隅には、いかにも中央に進むと動き始めますよと言わんばかりの彫像がすえられている。ノートルダム寺院のグロテスクのようなデザインだ。

「あれもガーゴイルの一種かな?」
「ゲームなら部屋の真ん中に行くと動き始めそうですよね。ここはやはりあらかじめ壊しておきましょうか?」
「普通、動き始めるまでは破壊不能アイテムじゃないか?」
「試すのはタダですよ」

三好がそう言ったとたん、四隅の彫像が吹き飛んだ。あの威力は、二キロバージョンだな

「あれ? もしかして、ただの大理石像だったのかも……」

そう三好がテヘッった瞬間、後ろの扉が激しい音を立ててしまった。

「あっちゃー、もしかして怒らせましたかね?」
「他人の家に入って、いきなり玄関で彫像をぶちこわしたら、普通怒ると思うぞ」

まわりを警戒しながら入り口の方へ下がると、部屋の中央に三つの魔法陣が現れ、何かがそこからはい上がってきた。

「スケルタル・エクスキューショナー?!」

代々木ではおそらく初発見だろう。巨大な剣を引きずって歩く大型のスケルトンだ。
普段の動きはそうでもないが、攻撃時はその剣を振り回して突撃してくるらしい。

「先手必勝ってヤツだな」

俺はいつものようにウォーターランスを発動して、三体のモンスターを砕いた……つもりだった。

「おお?!」

高速で発射された水の槍は、モンスターの前にある不可視のバリアのようなもので遮られ、霧散させられた。

「先輩、鉄球をお願いします!」

俺は八センチの鉄球を取り出すと、全力で一番手前のモンスターに投擲した。
ガンという大きな音と共に、モンスターがのけぞる。これも耐えるのかよ! ただ、魔法よりは効果がありそうだ。

繰り返してやればいいかと、もう一度投擲する。その鉄球が当たると同時に、そいつの膝が砕けた。

「へ?」
「二カ所以上に同時攻撃すると、抗力が分散するみたいですね!」

俺が頭に対して投擲した瞬間に、膝を狙って鉄球を射出したらしい三好が言った。

「やるじゃん三好! 俺の後ろに隠れてなければ、格好いいぞ」
「何言ってんですか。盾は先輩が持ってるんですから、これでいいんです!」

まあ、そうかも知れないが、それじゃ他のヤツにも……

「ああ!! し、しまったー!?」
「え?! どうしたんです!?」

突然声を上げた俺に、驚いたような顔で三好が尋ねた。

「いや、せっかくボスっぽいモンスターなのに、雑魚のお供がいないから数が合わせられないんだよ!」
「……先輩、意外と余裕ですね」

他のモンスターにも、鉄球を飛ばして牽制しながら、三好が呆れたように言った。
結構固くて、とどめを刺すのに時間が掛かったが、三好と連係して数分で相手の機動力を削いだ後、力業で排除したのだった。

、、、、、、
ヒールポーション(3)×2
魔結晶:バロウワイト×2
シミターオブデザーツ
、、、、、、

「今のモンスター、スケルタル・エクスキューショナーじゃなくて、バロウワイトらしいぞ」
「今度はトールキンですか? なかなか博識ですよね、ダンジョン君は。じゃあ、さしずめこの館は墳墓で、その剣はフロドの剣ですかね?」

三好が指さしたところに落ちていたのは、鞘のないシミターで、柄には深い蒼の宝石が埋め込まれていた。

「武器のドロップなんて初めて見たな。エクスプローラガイドに付いていた武器カタログにもなかったし……フロドの剣ってことは、つらぬき丸?」
「それはビルボに貰った剣です。塚山丘陵で手に入れた剣は、アングマールの魔王に折られたっきり、裂け谷で修理依頼を忘れられて、つらぬき丸に居場所を奪われた可哀想な剣ですよ」
「いや、可哀想て……」

"Scimitar of Deserts" かな? 塚山なら砂だらけの印象だからおかしくはないけど、ここは館だしなぁ。

「先輩、あれ!」

俺が全てのアイテムを拾い終わると同時に、部屋の中央に何かが現れた。

「碑文?」

現れた台座の上には、随分立派な装飾が施された本のページのようなものが置かれていた。そうして、台座には、門柱にあったのと似たような文字で何かが書かれていた。
俺はスマホでそれを撮影した後、台座の中央に置かれた本のページのようなものをまじまじと眺めた。

「……よめん」
「そりゃそうでしょう。それだけじゃなくて、まわりの書架に置かれた本にもちょっと興味がわきますよね」

てくてくと三好が書架に近づいていく。

「あんまりウロウロするなよ、罠とかあるかも知れない――」

そう言いながら、碑文を取り上げた瞬間だった。

カラーン、カラーンと尖塔の鐘の音が鳴り響き、部屋の空間自体がゆがみ始めるような奇妙な感覚に襲われた。

「三好!」

そう叫ぶと同時に、俺達は、入り口に向かって走り出した。

、、、、、、、、、

幸い入り口のドアに鍵は掛かっていなかった。
開けたとたんに、異次元の何かが現れて吸い込まれたりもしなかった。

転がるようにして前庭に出た俺達に、門柱にいた大鴉と屋根の上にいたガーゴイルが一斉に飛びかかってくる。
正面から来る大鴉を手に持った鉄球で迎撃すると、俺は三好を先に行かせて、しんがりで盾を構えつつ、ウォーターランスを打ちまくった。

ガーゴイルは翼や足や頭が欠けても、そのままの勢いで突っ込んできたが、高ステータスにものを言わせて、体捌きと盾でたたき落とす。
三好も逃げながら援護をくれたようで、いくつかの個体は目の前で吹き飛んでいた。

「先輩!」

すべてのガーゴイルを迎撃し終えて、一瞬安堵していた俺に、三好が形をなくしていく館の二階を指さして注意を促した。
そこには、軒からぼとぼとと落ちていく大量の眼球があった。地面に落ちた眼球は、そのまま這いずるようにこちらに向かって移動してくる。

「げっ、ちょ、まっ」

俺は思わず後退り、先頭に何発かウォーターランスをぶち込むと、門に向かって駆けだした。
目の隅にはメイキングのオーブ選択画面が出ていたが、それどころではなかった。あんな数の目玉に埋もれるのは絶対に嫌だ。

尖塔の鐘はなり続け、その音に溶けるように館は形を無くしていく。
門までの地面が柔らかくなって、走りにくくなり、後ろの目玉軍団のプレッシャーがふくれあがる。

俺達はもがくようにして走り続け、鉄の門を出た。
その瞬間、鐘の音が突然止んで、後ろに迫っていたプレッシャーがきれいさっぱり消え去った。

「は?」

驚いて振り返ると、そこにはいくつかのアイテムが落ちていただけで、他には何もなかったかのように、夜の墓場が広がっているだけだった。

、、、、、、
ヒールポーション(1)
ヒールポーション(2)
羽:ムニン
魔結晶:ムニン
魔結晶:ガーゴイル×2
黒曜石:ガーゴイル×3
水晶:アイボール
、、、、、、

俺は思わず尻餅をついて、その場に座り込んだ。
分からないことだらけだが、とりあえず助かったことだけは確からしい。

「先輩、あれって何だったんでしょうか?」
「さあな。だが、酷い目にあった甲斐はあったようだぞ」

、、、、、、
スキルオーブ 恐怖 四千万分の一
スキルオーブ 監視 三億分の一
スキルオーブ 鑑定 七億分の一
、、、、、、

恐怖だの監視だのにも興味はあるが、ともかく目的の鑑定は手に入ったのだ。


051 鑑定(前編) 11月28日 (水曜日)


俺達は急いで最初の丘の上に拠点車を配置すると、ぽつぽつと丘を登ってくるアンデッド達を無視して車の中へと駆け込んだ。

「はぁ。なんだかもう、すげー疲れたな……」
「探索ってやっぱり命がけなんですねー。ちょっと実感しました」

俺は防具類を脱ぎ捨てると、どさりとダイネットのソファーへ沈み込んだ。

「館が消えたのは、やっぱり、碑文を取得したからかな?」
「かも知れませんけど……録画の時間を確認してみないと正確なところはわかりませんが、鐘は11時59分頃鳴り始め、館が消えて無くなったのが0時丁度くらいなんです」
「登場した日の間だけ存在するってことか? ご丁寧にローカル時間で」
「その可能性もあると思います」

俺はのろのろと冷蔵庫をあけて缶ビールを二本取り出すと、自分と三好の前に置いた。

「今なら、少しくらい許されると思わないか?」
「ちょっと危機感足りなさそうな気もしますけど、賛成です」

俺達はプシュっという音を立てて、カンのタブを引っ張ると、何となく乾杯して、ごくごくと一気にそれを飲んだ。
緊張で喉がカラカラだったようで、それはまるで、夏の焼け付くグラウンドで口にした溶けかけた氷が入ったヤカンの水のように、体に染み渡った。

「「は〜っ」」

そうしてやっと世界に笑顔が戻ってきた。

「ま、死にそうな目にはあったが、とりあえず目的は達成したぞ」

そう言って俺は、三好の前に鑑定のオーブを取り出した。

三好はそれにおそるおそる触れると、そのままいきなり大声を上げた。

「おれは人間を辞めるぞー!」
「ぶっ」

いきなりの台詞に俺がビールを吹き出すと、オーブはいつものように光になって拡散し、触れていた部分からまとわりつくように三好の体に吸い込まれていった。

「ちょっ、言えって言ったの先輩ですよっ!?」

吹き出した影響で、顔にかかった泡を拭いながら、むーっと唇を尖らせている。

「わるいわるい。いきなりだったから」
「むー」

俺はもうひとつのオーブを取り出した。

「じゃ、次はこれだな」

それは闇魔法(Y)だった。

「霧かもってやつですね?」
「だから、鑑定してみろよ」
「あ、そうですね! でもどうやって?」
「しらん。わかったら教えてくれ」
「んー?」

三好はオーブを見つめながら、いろいろぶつぶつ呟いたりしている。

「ついでだから、今回取得したアイテム類も置いとくぞ」

俺は、魔結晶やポーションを除く素材系アイテムを取り出した。

、、、、、、
羽:ムニン
黒曜石:ガーゴイル
水晶:アイボール
シミターオブデザーツ
、、、、、、

あの大鴉、レイブンじゃなくてムニンだったのか。
北欧神話出身のくせに、Nevermore!って啼くとは、なんという芸達者。
しかし幻のような館で『記憶』とはまた、洒落たことだな。

「あ、これ。可哀想剣ですね」
「可哀想剣って……」

どうみてもペルシアあたりの剣にしか見えないシミターを、三好が手に取った。

「せめて砂漠の剣とか言ってやれよ」
「あっ」

三好が思わずあげた声に、俺は彼女を振り返った。

「どうした?」
「先輩。鑑定の使い方が分かりました!」
「やったじゃん。それで、どう使うんだ?」
「これなんだろう? と考えて、見るだけです」

「は? それだけ?」
「みたいです。さっきから、『ディテクト!』とか『オブサーブ!』とか『ディスカバー!』とか言ってた自分がバカみたいです……」

まあ、言いたくなる気持ちはわかる。

「それでですね。これ、砂漠の剣じゃないですよ」
「え?」
「複数形ですし、報いの剣ですね」
「desertにそんな意味が……」
「実はそう書いてあります」

三好は舌を出しながらそう言うと、机の上のメモに内容を書き出した。

、、、、、、
報いの剣 Scimitar of Deserts

Damage +40%
Attack Speed +5%
5% Chance to Blind on Hit.
20% Reflect Physical Damage.

災いを為すものは、災いによって滅びさる。
報いは、汝に災いを為す者に降りかかるだろう。
、、、、、、

「おお? しかしこのフレーバーテキストみたいなのはなんだ?」
「まんまフレーバーテキストですかね? そう書いてあるんですよ」

「誰が書いてるんだろうな……で、肝心のステータスは見えるようになったのか?」
「それなんですけど、一応表示はされました。だけど、これ……」

そう言って三好は一連の数値を書き出した。

、、、、、、
芳村 圭吾 11.3 / 4.6 / 4 / 1 / 15 / 1 / 9 / 0
、、、、、、

「先輩は、こんな感じです」
「なんだこれ?」
「でもって、私を見ると全部が0なんです」
「はぁ?」

このとき俺のステータスは、ダンジョン仕様だ。

、、、、、、
HP 250.00
MP 190.00

力 100
生命力 100
知力 100
俊敏 100
器用 100
運 100
、、、、、、

次に平常時の全ステータス30で、鑑定させてみた。

、、、、、、
芳村 圭吾 9.9 / 26.1 / 6 / 3 / 13 / 8 / 4 / 0
、、、、、、

やっぱり意味の分からない数値だった。

「先輩、これ、なんですかね?」
「よし、検証だ!」

理系人間は大抵検証が大好きだ。もう0時も過ぎて疲れているはずなのに、奇妙な値が出ただけで、このありさまだ。超回復が仕事をしてなかったら、絶対寝オチしている。
保管庫からいくつかのサンドイッチとコーヒーを取り出すと、俺のステータスを1から順番に上げて検証を始めた。

、、、、、、、、、

「なるほどー。これはすぐには分かりませんね」

ヒントはあった。
三好が自分のステータスを確認すると、全ての数値は0になるのだ。

俺たちは初め、自分のステータスは確認できない仕様なのだと思っていた。
だが実際は、鑑定を使用する人間のステータスを除数とした剰余が表示されていたのだ。

フィクションでよくある、自分よりもレベルの高いもののステータスを鑑定できないというアレに近い。
だから自分自身を鑑定すると、全てが0になるのだ。
俺のステータスを非常に小さな値、例えば全部を1にすれば、正しく鑑定できるのがその証拠だった。

これを利用して、三好のステータスも正確にわかった。

、、、、、、
HP 21.70
MP 30.90

力 8
生命力 9
知力 17
俊敏 11
器用 13
運 10
、、、、、、

「なんかショボイですね」
「成人の平均は10くらいっぽいから、結構イケてるんじゃないか? ソースは俺。最初の頃の」
「そうですか?」
「しかし、単純な剰余か……ステータス表示デバイスができたら、鑑定と実測で、すぐにアルゴリズムがばれちゃうんじゃね?」
「実測値はデバイスの精度でばらつくでしょうし、鑑定は稀少ですから大丈夫じゃないですかね? まあ、いつかは解析されるでしょうから、そこは適当なところで特許を申請するとか」

と三好は気楽に言った。

「そういや、三好、スキルは?」
「今のところ表示されないみたいです。良かったですね」

「まったくだな。じゃ、闇魔法(Y)をチェックしようぜ?」

そう言って、俺はもう一度オーブを取り出した。


052 鑑定(後編) 11月2日8 (水曜日)


、、、、、、
スキルオーブ 闇魔法(Y)

ヘルハウンドを召喚する。
召喚最大数は、知力 / 4。

地獄の扉を開いて眷属を呼び出せば、地上は闇の楽園と化すだろう。
、、、、、、

「ちゃんと、ヘルハウンドの召喚ですけど……」
「このフレーバーテキスト、ホント誰が書いてるんだろうな」

俺は三好が書き出した物を見て苦笑いした。どこのカードゲームだよ、まったく。

「今の三好なら四匹呼べるわけか。まあ、とりあえず使ってみろよ。なるべく早くテストしたいし」
「うちの事務所の番犬ちゃんになりますかね?」
「ヘルハウンドの番犬は、たぶん世界初だな」

名前を付けたらどうなるんですかね? 何て言いながら、三好はオーブに触れると、いつもの台詞を呟いた。

「おれは人間を以下略!」

オーブの光が三好の体に吸い込まれると、彼女は突然右掌を天に向かって突き上げながら言った。

「サモン! カヴァス!」
「おいおい」

呆れたように言った俺をあざ笑うかのように、広いとは言えない車内の床に、直径が三メートルはありそうな魔法陣が広がった。

「な、なんだあ?!」

そこから出てきたのは、明らかに普通よりも大きなヘルハウンドだった。
いや、これ、ヘルハウンドなのか? どう少なめに見ても体高は1.5メートルくらいあるし、体長も三メートルは軽く越えていそうだ。ベンガル虎かよ……

「うわー、ホントに出た!」

もふもふーとか言いながら鼻面に顔をこすりつける三好。いや、口の位置が三好の頭とあんま変わんないんですけど……
狼のような精悍なフォルムで、闇にとけ込みそうなマットな質感の巨大な黒犬……あれ? ヘルハウンドみたいに目が赤くないぞ? 金色に近い色合いだ。

「ところで、三好、カヴァスってなんだ?」
「アーサー王様ご一行の犬の名前ですよ。先輩に召喚って言われてから、ずっと考えてたんです。あと三匹なら、残りはアイスレムとグレイシックとドゥルトウィンですね!」
「覚えられん。ポチ、ハチ、シロ、タロでいいだろ」
「何を言ってるんですか先輩。シロとかあり得ませんって。名は体を表すんですよ? ほら、見て下さい、この立派な体躯を!」
「立派なのは認めるが、それ、連れて歩けるか? ベンガル虎と変わらんぞ?」
「大丈夫ですよ、ファンタジーな生き物なんですから、きっと小さくなれるに違いありません」

三好が、ニコニコしながら、パンパンとカヴァスの体を叩いてそう言った。

カヴァスは、額から汗をたらりと流しているような顔をして、どーすんだ? と言った瞳で俺を見つめる。
俺が、頑張れ、と視線で返事を返してやると、クゥっと小さく呻りながら、体を小さく丸めようとして失敗していた。
うん、まあそうだよな。いかにレア種っぽくても、ヘルハウンドにそんな機能は装備されていないだろう。

「きゃー、可愛いですー」

小さく丸まろうとして失敗したカヴァスに三好がダイブした。お前、犬派だったのか。

「で、三好。それ、消せるのか?」

広いとは言え、キャンピングカーの中だ。カヴァスの巨体が邪魔で、もはや誰もどこにも移動できなかった。そもそもこいつ、入り口から出られないだろう。

「どうなんでしょう?」

三好がもう一度ポーズを取りながら言った。

「リリース!」

シーンとした空気が部屋の中に流れ、カヴァスは再び汗を垂らしている……ように見えた。

「戻りませんね……」
「なるほど、地獄の扉を開いて眷属を呼び出したら最後、戻せないから、地上が闇の楽園になるってことだったのか」

バーゲストが、召喚したヘルハウンドを帰還させる意味はないもんなぁ……

「ええ?! せせせ、先輩! どうしますか?!」
「いや、どうしますかって言われてもな……」

バーゲストの事を考えると、こいつを殺しても死体は消えないだろう。この場合は三好が死ぬか、再召喚するまでは。
そもそもそんな方法を三好が許すわけ無いけどな。

まてよ? ヘルハウンドなら闇魔法が使えるよな? 確か闇魔法には……

「お前、ハイディングシャドーが使えるんじゃないの?」

カヴァスはそれを聞いて俺の方を振り返ると、コクコクと頷いた。もはやモンスターには見えんな。

「じゃ、それで、三好の影に潜れるんだろ?」

それを聞いた瞬間、カヴァスの体は三好の影に溶けるようにして消えてしまった。

「「おおっ!」」

俺と三好が同時に声を上げると、ひょこっと、影からカヴァスが頭だけを出して、「どう?」って感じで首をかしげた。

「カヴァス、すごい!」

三好は、跪くと、カヴァスの頭をぽんぽんと叩いて、ハムのサンドイッチを食べさせていた。
いや、確かに犬の躾はそんな風にするんだろうけど、そもそもそいつ言葉を理解してるみたいじゃん。躾、必要あるか? あと、ヘルハウンドがサンドイッチなんか食べるのか?
もういろいろと疑問だらけだったが、本人達が楽しそうなのでいいか、と追求をあきらめた。

「じゃあ、呼ぶまで隠れててね? 大丈夫?」

コクコクと頷いたカヴァスは、そのまま影の中に沈んでいった。

「はー、可愛いですねー」
「いや、いいけどさ。外でヘルハウンドにあったとき、同じことをしたら喰われるからな」
「やだなあ、先輩。それくらい分かってますよ。子供じゃないんですから」

本当かよとは思ったが、決して口に出してはいけない。それが巧くやるコツだ(何を?)

「他のも召喚してみます?」
「いや、まて。それは外でやるべきだろ」

もっと大きいのが出てきたりしたら、圧死する。

「えー、でも夜のアンデッド層ですよ? ドアを開けたらとたんにワラワラですよ?」
「……テストは明日にしようぜ」
「ですね」

「後は、最後に手に入れた本のページっぽいヤツだな」

俺はそれを取り出すと、三好の前に置いた。

「これは、さまよえるものたちの書っていう本の断片のようですね」

、、、、、、
さまよえるものたちの書(断章 一) The book of wanderers (fragment 1)

ダンジョンの深淵に触れる本のオリジナル。
さまよえる館に安置されている。

オリジナルは一冊しか存在せず、ダンジョン碑文はこの書らの写本にあたる。
そのため、内容にバリエーションが存在している。

その叡智に触れるものは、狂気に支配されるだろう。
、、、、、、

「なんとまあ。クトゥルフ的な」
「残念ながら、鑑定では書いてある内容まではわからないっぽいです。さっきのがさまよえる館なんですかね?」
「だろうな。断章は特定のモンスターを373体倒すことで、そのフロアに出現するってことなのかもな」

言うのは簡単だが、一日で373体を討伐するのは相当難しい、はずだ。
代々木でも一層とか十層とかの、過疎地かつほとんど討伐されていないエリア以外で、通常の方法では、なかなか困難だろう。

「オリジナルが一冊しか存在しないってことは……」
「同じモンスターを狩っても、館が出現しないか、したとしてもあの部屋には何もないってことだろうな、おそらく」

「これって報告……必要ですよね?」
「そりゃするけどさ。出現条件とか、消える条件とか、まるっきり推測だし。詳しいことはどうするかな……あの台座の文字のこともあるしな」
「あ、ソラホト文字」
「もうそれでいいよ。あれの翻訳、どうするかな。碑文の文字と違うことは分かるけど、俺達には何語なのかもわからないからなぁ……」
「私たち文系にコネがないですからね。鳴瀬さんに聞いてみたらどうです?」
「それしかないか」

そこで大きなあくびが出た。
気を抜けば超回復も睡眠を欲するようだ。もっとも、そうでなけりゃ、単なる不眠症だもんな。

「じゃ、もう寝ようぜ。どうせ数日は狩り三昧だ」
「各国のエースは、今頃どうしてるんでしょうね?」
「そりゃ適当なフロアでモンスターを狩りつつ、俺達の目的フロアが分かったら、そこのモンスターを狩りつくす勢いで探索するんじゃないか?」
「あの尾行チームが要ですか?」
「そう。なにしろ異界言語理解をオークションにかけてから潜ったんだから、それを取りに行くと思われてるのは確実だもんな」
「ですよね」
「だから、最後は……最下層へ降りて攻略を進めて貰うという手もあるけど、戻るのが面倒くさいから、九層あたりで姿を見せて、みんなでコロニアルワームを狩って貰おう」
「ヒドっ」
「笑いながら言っても説得力はなーい。まあ、明日はこの辺でスケルトンを狩りまくって、低ランクのポーションでも乱獲しておこうぜ。あると便利そうだし」
「わかりました」
「じゃ、三好が奧のベッドを使えよ。お休み」
「はい。お休みなさい」


053 報告 11月28日 (水曜日)


「以上が、ここしばらくのDパワーズに関する報告です」

日本ダンジョン協会の小会議室で、鳴瀬美晴は、斎賀課長に向かって、最近のDパワーズの行動とサポート内容について報告していた。

「とりあえずはご苦労だった。鳴瀬が彼らに関わってから、彼らが日本ダンジョン協会にもたらした利益は手数料だけで二十四億七千万円だ。営業レディとしてはブッチ切りもブッチ切り。ヘタをすれば桁が三つ違うな」

それは別に私の力では……とも思ったが、特になにもコメントしなかった。実力でもラッキーでも結果は結果だ。大人の仕事はそう言うものだ。
斎賀は、手元の報告書をぱたんと閉じると、態度を崩して、世間話をするように足を組んだ。

「いま、中国のファンとイギリスのウィリアムがオーブのために来日してるだろう?」
「え、まだ帰国してなかったんですか?」
「それどころか、先日、イギリスからチームウィリアムが、中国からチームファンが丸ごと来日した」
「え?」
「しばらく代々木を貸してくれとのことだ」
「各国にもそれぞれ攻略中のダンジョンがあるでしょう?」
「そうだな」
「じゃ、なんでそれを放り出してまで代々木に集合するんです?」
「そりゃお前、あのオークションのせいに決まってるだろ」

異界言語理解。
そのオーブのオークションが日本で行われていて、受け渡しは市ヶ谷なのだ。産出ダンジョンは代々木に決まってる。

「さらに、フランスからはチームヴィクトールが、ドイツからはチームエドガーがサポートチームごと参加を申請してきた。アメリカも増員するそうだぞ」
「サイモンさんのサポートチームですか?」
「いや、それが、ダンジョン省の職員が何人か来るらしい」
「DoD、ダンジョン省ですか?」
「そうだ」

サイモンが所属しているのは、DAD、ダンジョン攻略局のはずだ。
これは、最初に作られた大統領直属の組織で、ペンタゴンはもとより、司法省管轄のDEAやFBIからもスタッフが招集されて作られた部門らしい。

ダンジョン省は、昨年、主にダンジョンを資源として取り扱うために作られた省だ。
とはいえ、ダンジョン攻略局の省を横断するような権限をそのままにダンジョン攻略局へ移管させるわけにはいかなかったため、ダンジョン攻略局には独立した実働部隊が存在している。
つまりダンジョン攻略に関しては、異なる命令系統の組織が2つ存在することになっていた。

「ダンジョン攻略局とダンジョン攻略局の確執ですかね?」
「さあな。そこは権限外だ。アメリカの内情を覗くつもりはないさ」

「まあ、そういうわけで、代々木を巡る世界情勢とやらは、いきなり怒濤の展開に突入したわけだ」
「代々木ダンジョンの関連宿泊施設に、そんなキャパありませんよ?」
「それはすでに伝えてある。幸い新宿周辺にはホテルも多い。各国の大使館が適当にやるだろう」

「ロシアのドミトリーとイタリアのエットーレを除いた、トップ20の軍人が全員ひとつのダンジョンに集合ですか?」

斎賀は、キィと音を立てて背もたれに体を預けなおした。

「こんな状態になったのは、ダンジョンが世界に広がって以来初めての出来事だろう」
「キリヤス=クリエガンダンジョンはクローズドなんですか?」

最初に見つかったダンジョンが分かってるのだから、全員そこに行っていないのには理由があるはずだ。

「そうだ。もっとも代々木みたいに完全にオープンなダンジョンのほうが珍しいんだがな。で、Dパワーズの連中、昨日ダンジョンに入っただろう?」
「はい。適当にオークションが終わる頃までには戻ってくるそうです」
「このタイミングでダンジョンに入れば、誰がどう考えても、オーブを取りに行ったと思われるだろ?」
「まあ、それは」
「入ダンリストを見る限り、各国の斥候チームが、彼らを追いかけてインしている」

ロシアがいたら暗殺も疑うレベルだがね、と斎賀課長は笑えない冗談を飛ばした。

「あいつらが、何を考えているのかわからないが、今回の受け渡しは十二月二日が指定されている。十二月一日の彼らの居場所を掴むのは、世界中の諜報機関の最優先事項だろうよ」

代々木は広く、モンスターのバリエーションも豊富だ。しらみつぶしにした場合、相当の労力が必要になる。
Dパワーズがいるフロアだけに絞れるなら、圧倒的に手間を減らせるはずだ。

「しかも、どうやら、警備部の連中はインした後、あいつらを見失ったらしいぞ。うちに探りを入れてきた」
「え? 監視対象だったんですか?」
「ガード対象だ。うちからもお前がくっついてるだろ」

そんな意識はあまりなかっただけに美晴は驚いていた。
大体自分に彼らを保護するような力はない。

「各拠点に極秘スタッフがいるはずの警備部ですらこの有様なんだ、各国の斥候連中も見失っている可能性が高い。今頃現場は大あわてだろうな」

斎賀は面白そうに口元をゆがめた。

「で、連絡は取れるのか?」

美晴は、一瞬迷ったが、正直に報告することにした。

「ええ、まあ、緊急時は一応」
「ならいい」

徐々に短くなっていく晩秋の日が、空を赤く染め始める時間が近づいていた。

、、、、、、、、、

「鐘の音?」

八層で豚串を売っている男が、今下から上がってきたばかりの細マッチョの男に聞き返した。

「ああ、八層に戻り損ねて、九層の下り階段でキャンプをしていた連中が聞いたそうだ」
「なんだそりゃ、どこの間抜けだ?」

細マッチョな男は苦笑いしながら、串を囓った。

「まあ、九層のフロアはいつコロニアルワームに出くわすか分からないしな、日が暮れた後は特に」

下が十層じゃ、日が落ちた後に上がってくるやつもいないだろうから、階段でキャンプもわからなくはないか。
うまく寝られるかどうかは疑問だが。

「そいつ等が言うには、丁度日付が変わる頃、見張りの連中の耳に、微かに鐘の音が聞こえてきたそうだ」

そう言って、ホグホグと、二つ目の肉を口に入れた。

「それがどうやら下かららしく、一体何が起こったのかと、興味を引かれて階段を降りたそうだ」
「好奇心が猫を殺す典型だな」

二つ目の肉をごくりと飲み込んだ男は、全くだと言って笑った。

「それで、おそるおそる階段を下りてみたら、十一層へ向かう階段方向とは逆の方から、教会の尖塔にあるような鐘の音が派手に鳴り響いていたらしい」
「十層に教会なんかあったか? 墓だらけなのは確かだが……」
「俺も聞いたことは無いぜ。ま、それで連中、なにか特別なイベントが起こったんじゃないかとは思ったそうだが……」
「ま、気持ちはわかるよ」

例え同化薬を持っていたとしても、日が落ちた後の十層を歩くのはイヤだ。それは全ての探索者に共通の意見だろう。

「そうこうしているうちに、鐘の音は、突然打ち切られるように消えたそうだ」
「鳴り終わったんじゃなくて?」
「らしいぜ」
「ふーん。お宝でも出たんなら良かったんだが」
「音だけじゃな」

そう言って笑った男は、食べ終えた串を、ゴミ箱代わりにおいてあるバケツに放り込んで、去っていった。

その話が終わった瞬間移動し始めた、アングロサクソン系の男がいたことを、屋台の店主は見逃さなかった。

「アメリカか、イギリスか……」

九層へと消えていくその男の姿を、隠しカメラが捉えていた。


054 【世界への贈り物】Dパワーズ 108【異界言語理解】


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-3321
突然現れたダンジョンパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。
詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレ 930 あたりで。

…………

143:名もない探索者
おまいら、見たか? 初値が付いたぞ!

144:名もない探索者
みた。e-bayだったら、オークションが取り消されるレベル。

145:名もない探索者
世界への贈り物、なんて煽ってたけど、蓋を開けてみたら対象はたった一個のオーブだろ?
しかも6万円って、いままでより遥かに安いじゃん? 俺でも買えるレベル。

146:名もない探索者
なんと。俺も記念に入札してみようかな。

147:名もない探索者
》145
絶対不可能だと思うが、もしも入札できるのなら、お前は大富豪間違いなし。
)つ [単位]

148:名もない探索者
?円だろ? 》 147

149:名もない探索者
147が言いたいのは、そこじゃないだろw
いいからよく見ろ、今回の単位は……

150:名もない探索者
……百万円!?

151:名もない探索者
なんだってー?!(AA略

152:名もない探索者
え、じゃああれ、60億円?

153:名もない探索者
落ち着いて計算しろwww 》》 152

154:名もない探索者
え? 一・十・百……なんじゃこりゃーーー! オーブ一個が600億円?!

155:名もない探索者
言われて気がついた。
だが、何でこんなことになってるんだ?

156:名もない探索者
ダンジョン関連の専門サイトに記事があったぞ。
このオーブは九月頃ロシアで発見されたもので、使用者は各地のダンジョンで発見された謎の文字で書かれた碑文が読めるようになるんだと。
で、世界で一個しか見つかってない。

157:名もない探索者
え? じゃあ、そいつの翻訳が唯一なわけ?

158:名もない探索者
そう。嘘を書こうが、なにかを省略しようが、誰にも検証不可能な上、碑文にはなにかセンセーショナルなことが書かれている可能性が高い。

159:名もない探索者
なんでわかる? 》 158

160:名もない探索者
2ヶ月以上経つのに、内容が、まったく一般公開されてない。
そしてその内容が関係各所に配布されたからこそ、オクでバカみたいな競り合いが起きてると考えられる。
ちなみに、その一個を持ってる国はロシアな。

161:名もない探索者
検証したいってことか。
なら、国家クラスが入札していることは確実だな。

162:名もない探索者
えー、そんな重要なオーブなら、なんで日本に売らずにオークションなんかしてるわけ?
政府に持って行くのが筋じゃないの?

163:名もない探索者
このクラスだと日本ダンジョン協会だって干渉するだろうし、国家としても、ものすごい外交カードになったろうから、庭先取引の持ちかけだってすると思うけどなJK。

164:名もない探索者
値段が折り合わなかったとか。

165:名もない探索者
担当者が162みたいなヤツだったら、俺も売らんな。

166:名もない探索者
なんでだよ 》 165

167:名もない探索者
日本に売るのが当たり前、みたいな態度で来られたらイラっとするだろ。

168:名もない探索者
そうそう。それにそう言う態度だと、呈示された価格も激安っぽいだろ? それどころか、国家のために寄付しろとか言い出しかねん。

169:名もない探索者
おい! すでに890億円になってるぞ。

170:名もない探索者
マジ?

171:名もない探索者
うわ、マジだよ。はぇえ……

172:名もない探索者
すげぇなぁ。こいつは、もう一生遊んで暮らせるだろ。

173:名もない探索者
Dパワーズは、過去二回のオクのバイヤーズプレミアムで、とっくに一生遊んで暮らせるレベル。たぶん。

174:名もない探索者
あのオーブの採集力だぜ? メンバーが数百人いるかも知れないだろう。》 173
しかしこれ、もし明日、同じものが手に入ったら、落札者大損なのでは。

175:名もない探索者
同じものが手にはいるのが、明日か一年後か100年後かもわからないからな。》 174
その間、情報の根幹を他国だけが握っているなんて安全保障上の脅威だろ。

176:名もない探索者
アメリカなんか、そのために毎年70兆円近く使ってるんだもんな。

177:名もない探索者
なら、このへんなんか全然小手調べなわけ?

178:名もない探索者
ま、そうだろう。EUが国際連合を組んで落札なんて可能性もある。

179:名もない探索者
それくらいなら世界連合を組んで、安く落札すればいいんじゃ……

180:名もない探索者
それができないのが、今の地球の状況ってことなんだろ。業が深いねぇ。

180:名もない探索者
ところで。今回のオカジオシステムってなに?
岡塩さんが作ったシステム?

181:名もない探索者
いままでは締め切り時間が来ても、入札から十分の延長が行われてただろ?
資金が膨大にあって、絶対にそれを手に入れなければならないとき、それだといつまでも落札が確定しない可能性があるのさ。

182:名もない探索者
まあ、最低入札単位ずつ上乗せすれば、一時間で6回。144回更新すれば一日引っ張れるもんなぁ。

183:名もない探索者
そ。今回はなぜか受け取りが12月2日って決まってるから、それだと困るんだろ。
締め切り時間を過ぎた場合、最高価格が分からないようになって、延長時間も落札価格更新後、12秒なんだと。

184:名もない探索者
つまりその12秒の間に最高価格を上回る金額を呈示をしないと落札が決まっちゃうし、いくらか分からないから狙って上乗せもできないってこと?

185:名もない探索者
そう。だから時間を過ぎてから一気に積み上がる可能性もあるわけ。

186:名もない探索者
ははぁ、それで、オカジオか。occasioみたいだな。

187:名もない探索者
なにそれ?

188:名もない探索者
ggった。ラテン語だな。機会とかチャンスとか、そう言う意味っぽい。
やるな 》 186

189:名もない探索者
表記を英語にしたら、occasioって書いてあったんだよw
てか、なんで12秒? 切りが良いような悪いような。

190:名もない探索者
気分?

191:名もない探索者
1モルの化学的ジョーク?

192:名もない探索者
なんぞそれ。》 191

193:名もない探索者
12グラムの炭素12に含まれる原子の数が1モル。
炭素の元素記号はCで、13進数以上なら、12の表記はCだ。

194:名もない探索者
おおー。だが、いくらなんでもひねりすぎだろ。

195:名もない探索者
それ、つい先日、フランスであった第26回国際度量衡総会でキログラム原器に依存しない定義に変更されたぞ。
タイムリーだな。》》 193

196:名もない探索者
え、マジすか? 》 195

197:名もない探索者
おまえら、何故そんなに詳しいw

198:名もない探索者
数学的なジョークなんじゃね?
最小の過剰数だし。

199:名もない探索者
なにそれ?

200:名もない探索者
過剰数についてはggr。
過ぎた時間分は過剰って言うジョークじゃないかと思うんだ。

201:名もない探索者
よし、それに決定。

202:名もない探索者
決定なのかよ!


055 アルスルズ 11月28日(水曜日)


その日、朝食を終えた俺たちは、拠点車の前で残りのヘルハウンドを召喚した。

「サモン! アイスレム!」だの、「サモン! グレイシック!」だの、「サモン! ドゥルトウィン!」だの、いう度に、大きな魔法陣が展開して、カヴァス同様巨大と言って良い体躯を持ったヘルハウンド?達が召喚されたのだった。
試しに五匹目も呼んでみたが、さすがになにも起こらなかった。

「先輩は、召喚を取らないんですか?」
「バーゲストの闇魔法(Y)はクールタイムが三日だからな。だいたい、俺に生き物係は無理だ。サボテンを腐らせたことがあるのはちょっとした自慢なんだ」
「何の自慢ですか、それ。世話と言えば、この子達、何を食べるんですかね?」

そうなんだよな。昨日カヴァスは人間様の食料を食べていたが、ダンジョン内で日常的にそんなものは手に入らないだろう。

ここでまたタンパク質の構造がーとか、分解酵素がーとか言ったことを考え始めるときりがない。
なにしろダンジョン産の肉が食べられるのだ。こっちの食べ物が消化できてもなんにもおかしな所はないだろう。たまには人も喰われるわけだし。ぶるぶる。

「たまにダンジョンにでも放しておけば、餌なんか用意しなくてもいいんじゃないの?」

と生き物係失格の俺が言うと、それを聞きつけたカヴァスが、てけてけと歩いてきて、俺の前でブンブンと顔を横に振った。

「え? お前等、何か喰うの?」

コクコク。

「そう言えば、昨日、サンドイッチとかを美味しそうに食べてましたよね」

コクコク。

「え? それって生きるのに必要な、栄養素を取り込むためにってこと?」

そういうと、カヴァスは遠い目をして明後日の方を向いていた。

「……単に、美味しいからたまに食べたいとか言う、嗜好品的な何かじゃないだろうな」

ますます目をそらすカヴァスの額に、幻の汗が見えるようだ。

「もー、先輩ったら。いいじゃないですか。カヴァス達だって、たまには美味しいものが食べたいんですよ!」

さささっと三好の横に移動してお座りしたカヴァスが、金色の目をきらきらさせて、コクコクと頷いていた。

「まあ、いいけどさ。お前等ちゃんと三好のガードとして働けよ」
「「「「がう」」」」

しかし召喚モンスターね。
日本ダンジョン協会で何か登録とかあるんだろうか。鑑札があるのかとか、予防注射はどうなってんだとか、また鳴瀬さんに聞かなきゃいけないことが増えるなぁ。
あとは死んだらどうなるのかとか……再召喚で復活するのかどうか興味はあるが、故意に試したら三好が怒りそうだしなぁ。ま、いずれわかるか。


昼間の十層は、ほとんどが徘徊しているゾンビかスケルトンが相手の単調なフロアだ。単に数が多いだけで。
数の多さは、普通の探索者にとってはガンだろうが、俺達にとってはちょっと的が増えるだけの美味しいルーティンだった。

「ところで、尾行さんはどうなったんですかね?」
「さあなぁ。今のところ生命探知には引っかからないな。というか、近くに探索者は独りもいない」
「流石地獄の十層って言われるだけのことはありますね」

アンデッドが津波のように押し寄せてくる上に、ドロップも大して美味しくないこの階層は、墓場だらけな事も相まって地獄と呼ばれているのだ。

相変わらずゾンビは何も落とさなかったが、スケルトンは、やはり二十五分の一くらいの確率で、ポーション(1)を落とすようだった。

「ドロップアイテムなんですけど、落としたモンスターはすべて、ステータスポイントが0.04を越えていますね」

そういわれれば、ゴブリン・ウルフ・コボルト・スライムなんかは、あれだけ倒しても何もドロップしていない。
代々木の四層までが初心者層だのアミューズメント層だの言われているのはそれが原因だ。
ドロップがないんじゃ、プロとして活動するのは不可能だ。GTBだけを狙うわけにも行かないだろう。

「確かにそうだ。ステータスポイント0.04になにかの壁があるのかもな」
「なら、私はドロップのないゾンビを中心に倒しますから、スケルトンは先輩がお願いします」
「了解」
「アルスルズも遠目はゾンビを中心でお願いね」

三好がそういうと、まわりや影の中から、それに応える吠え声が聞こえてきた。

召喚した四匹を纏めて呼ぶときはアルスルズらしい。
なんでアーサーズじゃないのかと聞いたけど、キルッフの親戚はアルスル王なんですよとかなんとか、よく分からないことを言っていたから、そういうものだと理解した。
アーサーズよりもアルスルズのほうが少しだけ格好いい気もするしな。

、、、、、、、、、

十層の敵の数は多い。しばらく狩っているだけですぐにオーブチョイスがやってきた。
今回はスケルトンだ。

、、、、、、
スキルオーブ 生命探知   二千万分の一
スキルオーブ 魔法耐性(1)七億分の一
スキルオーブ   不死   十二億分の一
、、、、、、

魔法耐性は既知のスキルだ。
スキルオーブやアイテムにくっついている数値は、アラビア数字がレベルで、ローマ数字が種類と言うことになっているから、これは全魔法耐性の一番弱い物だろう。
ウォーターランスの効きが少し悪いのはこれが原因か。

それはともかく……『不死』? ナンデスカソレハ?

「これがあれば、徐福さんも大手を振って帰国できますね」

三好が棒読みでそんなことを言う。

「いや、まてまてまてまて。エルダーリッチやノーライフキングならともかく、スケルトンだぞ? これは絶対罠だろ。不死と書いてアンデッドと読むとかそういう……」

当然のように不死は未登録スキルだった。
しかし、今の我々には鑑定があるのだ! レアリティにしたがって、不死をゲットしてみた。

「ほれ、三好。頼む」
「了解です」

それなりに襲ってくるまわりのアンデッドは、アルスルズがサクサク倒していた。
流石はヘルハウンド、経験値だけでもスケルトンの倍近いだけのことは……って、こいつら、ぶつかればスケルトンは砕け、足を振ればゾンビがふたつになっている。

ノーマルのヘルハウンド、こんなに強かったっけ?

「うぇ……」

鑑定をした三好が思わず声を上げた。

、、、、、、
スキルオーブ 不死

永久《とこしえ》に死することのない体を得る。
アンデッド化(スケルトン)

理を犯すものは、相応の報いを受けることになるだろう。
、、、、、、

「これは……酷いですね」
「つまり、不死にはなるが、アンデッド――この場合スケルトンか――に、なっちまうってことか」
「注意喚起が必要ですよね?」
「だが、どうやって調べたんだって、突っ込まれるぞ?」

放っておいても、このオーブがドロップすることはまずない。何しろドロップ率は十二億分の一なのだ。
だが、起こる可能性がある事柄は、必ず起こるとも言える。

「早産と同じで、豚に使ってみた、くらいしかないでしょう」

実際に使ってみたらどうなるのかはわからないが、ドロップ確率が低すぎて追試も難しいだろうから、それでいいか。

「当面こいつは保管庫の肥やしだな」

俺はそう言って、不死のオーブを保管した。

、、、、、、、、、

その後も俺達は、生命探知に探索者が引っかからないのを良いことに、大いにアンデッドを殲滅して歩いた。

昨日は注意していた、見通しの悪い墓石からの攻撃や、潜んでいるゾンビのヒドゥンアタックなども、三好の番犬衆の力によって気にする必要が無くなったため、さらに効率が上がっている。
すぐにスケルトンのオーブをコンプリートして、順調にポーション類もゲットしていた。

スケルトンの373匹討伐も試してみたかったが、残念ながらゾンビに比べて数が少な目のスケルトンは、なかなかその数に届かなかった。

「こうしてみると、同一種の一日373匹討伐って、そうとう難しくないか?」
「ですよねー。なにかこう同じ魔物を集めるようなアプローチを講じるか、後は深夜の0時から二十四時間ぶっ通しで狩り続けるとかですかね」

なんとういうブラック臭。
食虫植物系のモンスターがいれば、そいつがモンスターを集めるスキルオーブやアイテムをドロップしそうな気もするが……

「結局、すぐに試せそうなのは、一層のスライムくらいだな」
「ですよね。奥の方でやれば」

このあいだ御劔さんが六時間で三百の大記録を打ち立てたから、スライムなら入り口に戻らずに叩きまくればいけそうな気がした。

、、、、、、、、、

ゾンビの方はスケルトンよりも多いため、三好は順調に数を稼いでいる。鉄球+収納の力が猛威を振るっていた。
十層の殲滅力は、俺なんかよりもずっと上だ。なんといっても、収納庫からの物の出し入れは、見た目にMPを消費しない。

「何度も繰り返していれば消費するのかも知れないですけど、自然回復分でまかなえちゃう感じですね」

というわけで、MP回復のタイミングを見計らうまでもなく、手当たり次第という感じだった。
今までの弱点だった近接も、近づく前に四匹のお付きが始末してしまうので、鉄球が切れるか、ユニークでも出てこなければ十層では無双出来るだろう。

「問題は価格と硬さですね」
「価格?」
「先輩。平気で使ってますけど六センチは六千円くらいで、八センチなら一万二千円ですからね」
「はぁ? い、意外と高いんだな」

鉄球ってそんなするのかよ。なるべく回収しないと、ポーションだけじゃヘタしたら赤字になりかねない。

「小さいのは安いんですけど、大きいのは圧造でも手間なんですかね? 削り出しだと二万を超えてましたからそれよりはましですけど……四角い鋼材をカットして貰うというのも考えたんですけど、鋼材って柔らかいんですよ。表面の固いヤツには通用しないかもしれません」

なら、鉄球の元をカットだけして売ってもらえばとも思ったが、そう言う商品はないのだそうだ。

「だから、低精度の2.5センチも試しに使ってみてます。こっちは一個二百円ですから。ゾンビなら三つくらい纏めてぶつければ、大粒の散弾を使ったショットガンで撃ったみたいになりました」

それは収納庫ならではだな。流石に二.五センチを手で投げるのは難しい。
指ではじくとかできないかな。指弾ってやつ。

思い立ったが吉日で、早速やってはみたのだが、威力はともかく狙った場所に当たらなかった。
練習が必要だな、これは。

「それで、先輩。次のオーブですけど……」
「次? フィクション的には、アイテムボックス・鑑定と来たから、次は回復魔法だと思うんだが……持ってそうなモンスターがいないんだよ。ホイミスライムとかいないか?」
「スクエニに聞いて下さい。でも持っているかもしれないモンスターならいるかもしれません」
「ん? なんだ?」

「先輩、言語理解のオーブの時のクラン系の話覚えてます? シャーマンがいるならプリーストがいてもおかしくないと思うんですけど」
「モンスターの原始宗教って、未発達の自然崇拝だろ? 超自然的なものと交信したような気になって熱狂するシャーマンならともかく、神に仕える聖職者という意味でのプリーストは発達しないんじゃないかな」
「ならもっと宗教から離れて、聖なるモンスターって方向ですかね?」
「そうだな。ユニコーンとか、いれば持っていそうな気がする」
「戻ったら、世界ダンジョン協会のモンスターデータベースを見てみます。なら今回は近場で、十一層のレッサー・サラマンドラを見てきますか?」
「よし、そうするか」

俺達は討伐数の下二桁を調整しながら、十一層へと向かっていった。

、、、、、、、、、

十一層はいわゆる火山地帯だ。
気温は一気に上がり、あちこちから噴煙が上がっていた。

「ふと思ったんだけどさ」
「なんです?」
「火魔法なんかいるかな?」

それを聞いた三好は肘を抱えるポーズで腕を組むと、ジト目でこちらを見た。

「な、なんだよ」
「先輩、暑いのがイヤならイヤとはっきり言った方が……」
「それは違うぞ、三好。第一、火を付けるだけなら、ライターでもチャッカマンでもいいだろう?」

「先輩、水魔法、使いまくってたじゃないですか」
「まあ、便利だからな」
「水魔法無効の敵がでたらどうするんです?」
「逃げる」

三好が呆れたような顔をするのと、直径五十センチくらいの火の玉が飛んでくるのが同時だった。

「おわっ!」

思わず三好の頭を掴んで、地面に伏せ、火の玉が飛んで来た方向に、無照準でウォーターランスを数本打ち込んだ。

「な、なんですか?!」
「いや、何かが火の玉を撃ったんだと思うんだが、一体どこから?」

三好の影から四匹のヘルハウンドがするりと抜け出すと、カヴァスが前方へとダッシュして、岩の塊をペシリと踏みつぶした。

「GYOWAAAANN!」

その瞬間、岩に見えたものがくねるように暴れ出した。
それは全長1.5メートルくらいある岩で覆われた大山椒魚のような姿をしていた。

「あれが、レッサー・サラマンドラか?」
「写真で見たのは、擬態をといた後の姿だったんですね」

擬態している間は、よっぽど注意しない限り生命探知にも引っかからないようだった。
そのとき、突然ブツンという音がしてカヴァスが押さえていた尻尾が切れた。そうして、本体は素早く逃げ出した。

「うわっ、カナヘビみたいなやつだな!」
「先輩! 尻尾はレアアイテムですよ! 早く倒して下さい!」

切れた尻尾は、放っておくと、いずれ黒い光に還元されてしまう。
尻尾を手に入れるためには、自切させた後、尻尾が消える前に倒す必要があるのだそうだ。

それを聞いて、俺がウォーターランスを放つ前に、素早く逃げようとしている尻尾のないサラマンドラの頭を、追いかけたドゥルトウィンがかみつぶした。

「キター!」

三好の前に尻尾:レッサー・サラマンドラが表示される。

「なんでも、漢方の超高級素材らしいですよ!」
「ロクジョウみたいなもんか」

三好がドゥルトウィンの頭をなでていた。

「ていうか、俺が倒さないと目的が達成できないんじゃないの?」
「まあまあ先輩。尻尾がゲットできたんですから! アルスルズは次のサラマンドラを見つけてね」
「「「「がう」」」」

ヘルハウンド達の鼻は、俺の生命探知よりも優秀らしく、簡単にレッサー・サラマンドラの擬態を暴いた。
今度はアイスレムが、その頭を踏んづけている。ファイヤーボールが飛んでこない所を見ると、あれは魔法と言うよりブレスの一種なのかもしれなかった。

今度こそ、ウォータランスでしとめると、いつものオーブ選択画面が表示された。

、、、、、、
スキルオーブ  火魔法 四千万分の一
スキルオーブ   自切 二億分の一
スキルオーブ   再生 二十億分の一
スキルオーブ 極炎魔法 百七十億分の一
、、、、、、

目的の火魔法はともかく、自切だの再生だの、物騒なことこの上ない。

「自切って、人間に尻尾はないよな」
「男の人だったら、似たようなものが……」
「おい!」

阿部定は勘弁して欲しい、しかも自分でとか……ないわー。

「でもって、再生で生えてくるんでしょうか?」
「あのな……」
「やだなあ、先輩。髪ですよ、髪。ながーい友達ですよ」
「ああ、はいはい」

こいつも昔のCMウォッチャーだったか。youtube様々だ。
そのうち、ミエルミエルとか言い出しかねない。

しかし、もしも髪に関わらず、失われた部分が再生するというなら、超回復にもまけない福音だ。しかも超回復よりもずっとクールタイムが短いし。

「でも、これってたぶん、自切と再生でペアスキルですよね」
「俺もそう思う。自切で失った部位を再生するスキルなんじゃないか」

なんでも再生するスキルにしては、それを落とすモンスターに、所謂納得感が足りない気がするし、取得確率も高すぎる気がする。

「プラナリアなんて名前のモンスターがいれば、本当の再生もあるかもしれませんけど」
「体を2つにしたら、両方自分になるような再生はお断りだろ」
「人間だって、クローンで似たようなことをやってると思いますけど」

まあ、そう言われれば確かにそうか。
俺は黙って、極炎魔法のオーブを取得した。

「それじゃ、人間辞めますよっと」

お約束の台詞と共に、右手をはい上がる光が俺の中にとけ込む。

「極炎魔法って、なんだかえげつない感じがしますよね」
「ローマ数字付きじゃない上に、未知スキルだからな。地道にイメージで探していくしかないか」
「厨二再び、ですね!」

メイキングを呟いていた頃の俺を思い出したのか、三好がクスクスと笑っている。

「やかましいわ。それにまったくヒントがない訳じゃないだろ。こいつは絶対あるはずだ」

それは、堕した天使と重罪人で満たされた、永劫の炎に赤熱した環状の城塞。
しかしてその炎は、青く白く、全ての物を瞬時に焼き尽くす慈悲の輝き――

俺はダンテをイメージしつつ、静かに右手を突き出して、その名前を叫んだ。

「インフェルノ!」

瞬間、目の前が真っ白に輝いて、体の中からなにかが大量に抜ける感じがした。

「ぬな?!」

砕けそうになる腰を必死でこらえつつ、視力の戻った目に映る、あまりの光景に間抜けな声を上げた。

「先輩、これ……」

そこにはなにもなかった。
岩も草も、もしかしたらそこにいたはずのモンスターも。
マグマも蒸気も噴煙も。

そこにはただ、白く細かい粉のようなもので覆われた、黒くガラス状に固まった平坦な地面があるだけだった。
それがかなりの広範囲に広がっていた。

ステータスを確認するとMPは100くらい減っていた。

「あー、これ、封印かな?」
「……この場所を誰かに見られたら、ドラゴンでも暴れたのかと思われますよ、きっと」

そういった三好は「逃げましょう」と、その影からおそるおそる顔をのぞかせる四匹の犬を連れたまま、すたすたと引き返していった。

「あ、おい、待てよ!」

俺は慌てて三好を追いかけた。

結局その日倒したゾンビは373匹を越えていたが、予想通り館は出現しなかった。


056 二人目の異界翻訳者 11月30日 (金曜日)


何日かをダンジョン内で過ごした俺達は、落札終了日に地上へと戻ってきた。

そこで、早速最終落札価格をチェックした俺は、思わず声を上げた。

「4161億4200万?!」

いや、上げるでしょ。なにこれ。

「標準財政規模で言うと、丁度三重県とか群馬県と同じくらいですよ。純粋な予算で言っても、島根県を上回って、佐賀県レベルです」

そうなのか。意外と地方自治体の予算って多いんだな。――って、そうじゃないだろ!

「流石近江商人、落ちついてんなぁ。俺はガクブルだぞ?」
「先輩。これがもしも従来の入札ルールだったら、百億ドルを越えていたかもしれないんですよ?」

ああ、そういや今回は特殊な方法だったんだっけ。

「最後に乗っかってたのは二千億千万でした。相手方は+一億、+十億、+百億、+千億したところで、十二秒が経過したみたいですね」

つまり相手にはもっとビッドする気持ちがあったというわけか。

「それに、我々庶民にとったら、百億も千億も変わりませんて。どっちも『すごく大金』くらいの認識しかありませんから、現実感がないんです」

まあ、そういわれれば確かにそうだ。

「で、結局どこが落札したんだ?」
「落札者は……これ、たぶんダンジョン攻略局ですね。不思議なのはダンジョン省も競ってたってことなんですけど……」

アメリカダンジョン協会じゃなくて、ダンジョン攻略局。しかも同じアメリカなのにダンジョン省と競ってるって……仲が悪いのか?

「NATO加盟国や日本の政府筋と思われるIDは、途中でぴたっと競りが止まってますから、そのときアメリカと内々になにかやりとりがあったんじゃないでしょうか」
「各国で連係して落札する、とかか?」
「いかに国家といえ、年末に、予定になかった巨額の支出は難しいでしょう」
「問題はどこの国がオーブを使って、他の国にその情報が正しく渡されるかどうか、だけど」
「そのあたりは軍事同盟も似たような葛藤があるでしょうから、なにかうまくやってるんでしょう」

ま、俺達がそれを気にしても意味はないか。
そうして、世紀のオークションは幕を閉じたのだった。表向きは。

「しかし、三好。これ、どうするよ? 百億ドルとは行かなくても、ちょっと一パーティで得るには大金過ぎるだろ」

今更とは言え、前面に出てる三好のことが心配だ。
今は世界ダンジョン協会IDしか表に出ていないけれど、これだけ派手に活動して、落札者が各国の代表みたいな有様じゃ、リークは絶対避けられないだろう。

個人が大金を得ると、変な輩が涌いてくるらしいからなぁ……

「ステータス計測器の工場でも作りますか?」
「一旦行き渡ったら需要はそこで頭打ちの商品だし、その後転用できる商材もない状態で、大きな生産力を持った工場は不要だろ」
「まあそうですね。ある程度の工業力は必要だと思いますけど……なら寄付か、基金でも作るとかでしょうか」
「基金?」
「うちなら、ダンジョン探索者のための何かですかね?」
「基金か……四千億だもんなぁ……」
「先輩、先輩。普通の商人は、仕入れを行い、それを販売して利益を得るんですよ。オークショニアのバイヤーズプレミアムは、こんな金額だとせいぜい十%くらいのものです」

それを聞いて俺は目から鱗が落ちた。
自分達の立場で考えるから全額なのであって、普通の感覚だと、うちのパーティの取り分は十%くらいなのか。
金額にインパクトがありすぎて、思いもしなかったよ、そんなこと。

「十%でも充分に多いし、ちょっと考えてみるよ、その辺」
「わかりました」

三好がそう返事をしたとき、日本ダンジョン協会の鳴瀬さんから三好のプライベートな端末に連絡が入った。
きっと出口を出た時の記録をチェックしてたんだな。週末の夜だってのに、仕事熱心なことだ。

「あ、三好さんですか? お疲れ様です、鳴瀬です」
「はい、どうしました?」

鳴瀬さんによると、落札価格があまりに高額なので、受け渡しまで日本ダンジョン協会から人を派遣しましょうかということだった。
日本ダンジョン協会が信用できないと言うわけではないが、外はともかく、敷地内の警備は断った。現在うちの事務所の敷地には四匹の番犬が、あちこちの影に潜んでいてヤバいのだ。

あいつら、どこか普通のヘルハウンドと違っていて、ハイディングシャドーだけでなく、なんというか、要求されたことを満たすための魔法を使いはじめたのだ。
例えば――

「いい? アルスルズ。侵入者を捕まえるのと、私の護衛がお前達の仕事よ」
「「「「がうっ」」」」

――というやりとりがあって以来、こいつらは足下に闇の穴を空けて牢獄へと陥れるシャドウピットや、麻痺や睡眠の状態異常を伴う闇のロープで対象を縛り上げるシャドウバインドや、影を渡って移動するような魔法まで使い始めた。

どこの国の人かは知らないが、戻ってきたとたんに三人の犠牲者が出た。
面倒に関わりたくなかった俺達は、そのまま闇の檻の中でお休みになって頂いて、明日にでも某田中氏にそのまま引き渡すつもりだ。もちろん、その後のことは関知しない。
「これで警備は万全ですよね!」と三好は喜んでいるが、俺は、いつか普通のセールスマンだとか宗教の勧誘だとかが犠牲になるんじゃないかと内心戦々恐々としていた。

それとこいつら、どうやら魔結晶がお好みらしく、三好が調べていたスケルトンの魔結晶をおねだりしてせしめ、実に美味そうに囓っていた。
俺達の食品が嗜好品なのは分かっているが、餌が魔結晶だったりしたら鼻血ものだ。何しろカネで買おうにも売っている場所も在庫も僅少だからだ。毎日取りに行くというのは勘弁して頂きたい。
ご褒美のおやつ程度の位置づけであって欲しいものだ。

そうこうしている間に、三好が通話を終了した。

「んでなんだって?」
「派遣は中止するけれど、鳴瀬さんは今からいらっしゃるそうです」
「今から?」

俺は事務所の時計を見上げた。時刻は9時を過ぎている。

「仕事熱心な人だなぁ……」
「とはいえ、日本ダンジョン協会にしてみれば、四百億円のお仕事ですからね」

そうか。日本ダンジョン協会の手数料は十%だもんな、って、四百億の手数料? いや、それ多すぎない? 今、ちょっと理不尽を感じたよ……バイヤーズプレミアムは棚に上げるけどさ。

「それにしても、鳴瀬さんはビジネスのためにわざわざ週末の夜遅く、相手先を訪ねるようなタイプじゃないと思うんだけど」
「先輩、鈍いんだか鋭いんだかよくわかりませんね」

単に心配したんでしょうと三好は言った。俺もそう思う。

「だけど、丁度良かったじゃないですか」
「なにが?」
「例のソラホト文字ですよ」
「ああ、なるほど」

ここでついでに聞いてみればいいわけか。

、、、、、、、、、

「古典ヘブライ語にアラム語が交じった文章が、古ヘブライ文字かフェニキア文字で書かれたものだそうです」

あれからすぐにやって来た鳴瀬さんは、ソラホト文字の写真データを見ると、すぐに友人のツテをたどって、同志社の神学部の人に辿り着いた。
聖書関連の語学に関しては、国内でも有数の学部なんだそうだ。古いヘブライ語やアラム語の授業まであるらしい。

紹介された人も、日本ダンジョン協会からの依頼に興奮して翻訳してくれたらしくて、すぐに返事があった。とはいえもう11時なのだが……

「なんですそれ、ややこしいですね」
「ヘブライ文字はもともとアラム文字から派生したんですが、そのアラム文字はフェニキア文字を拝借していたため、まあ、大体フェニキア文字と同じだそうです」
「また、古ヘブライ文字というのは、ヘブライ文字が使われる前にヘブライ語を書くのに使われていた文字で、こちらもほぼフェニキア文字と同じなんだそうです」
「ああ、だから混ぜても書けるのか」
「はい。それで、古典ヘブライ語というのは語彙が少ないそうで、問題の文章は、単語がアラム語とゴッチャになっているそうです」

「しかし、なんで古典ヘブライ語なんだろう?」
「神の言語、だからじゃないですか?」

三好がこともなげに言った。

「厨二病かよ」
「随分高度な厨二病ですけどね」

「神は天にいまし、そしてネットの中へ。ついにはダンジョンに住まわれるってか?」

俺は、上を指さし、パソコンを指さし、そして最後は足下を指さしてそう言った。

「翻訳してくれた彼は、まるで当時の文献に触れたAIが、古典ヘブライ語もアラム語も同じ言語だと考えて学習したみたいだって言ってました」

「それで、肝心の意味は?」
「台座部分は、凄く迂遠な言い回しになっているんですけど、要約すると『さまよえるものよ、真のグリモアの叡智に触れよ』のようです」
「門柱は?」
「さまよえる館、だそうです」

『真の』って部分は、The book of wanderersのオリジナルという意味だろう。
しかし、叡智に触れるためには、どうしたって翻訳する必要があるよな。一体なにが書かれているんだろう。

「それで……このお屋敷は一体なんですか? まさか、これが代々ダンの中に? 私が知る限り報告されたことがないのですが……」

俺と三好は顔を見あわせたが、すぐに今回遭遇した事件について話し始めた。

「つまり、一定の条件を満たすことで、そのフロアに『さまよえる館』が出現して、その日が終わるまで存在し続ける、というわけですか?」
「あくまでも推測ですけど」

「それで、その館ですけど……」
「ああ、それは見ていただいた方が早いですね」

そういって、俺は、事務所のブラインドを全て下ろすと、三好が編集した動画データの入ったメモリカードを取り出して、応接にある七十インチモニタへと出力した。

「これは……」
「館に入るところからですね。映像はメットにくっついているアクションカメラのものです」

音声は取り除いてある。いや、自分のびびってる台詞が入ってると恥ずかしいでしょ。

、、、、、、、、、

(先輩。ブラインドを下ろした後、すぐに二人ほど捕縛したそうです)
(まあ、中でなにが行われているのか気になるだろう。しかしゴキブリほいほいだな)
(後でまた、魔結晶がいりますかね?)
(せめてスケルトンのやつにしておいてくれ。あ、後、例の箱も頼む)
(了解です)

鳴瀬さんが映像を見終わったのは、もうすぐ日が変わる頃だった。
食い入るように見ていた緊張をほぐすように、深々とソファーにもたれかかると、大きく長く息を吐き出し、天を仰いだ。

それを見て三好がコーヒーを入れ始めた。

「どうしました?」
「どうしたじゃありませんよ。なんですかこれ?」
「ああ、最後はグロイですよね、あの目玉」
「違います! いや、まあ、それもそうなんですが……」

鳴瀬さんは何かを考えるように目を閉じる。
しばらくして目を開くと、おもむろに聞いてきた。

「それで、これ、何処まで報告するおつもりなんでしょうか」
「何処までって言われても。我々は管理監殿に報告したわけですから、何処までもここまでもありませんよ?」
「え? あ、そ、そうですよね! じゃあ、この件は全部上にあげていいわけですね」
「もちろんです」

俺がうさんくさい笑顔でにっこり笑うと、同時に三好が彼女にコーヒーを差し出した。

「どうぞ」
「あ。ありがとうございます」

彼女が一口飲むのを待って、俺はパンと手を叩いた。

「さて、ここまでで管理監のお仕事はおしまいです」

それを聞いた鳴瀬さんの肩が、ぴくりと動いた。

「ところで鳴瀬さん」
「はい?」

警戒するように彼女が返事をする。

「日本ダンジョン協会職員って、定期的にDカードのチェックとかされますか?」
「いえ? ランキングリストに使われている、世界ダンジョン協会本部にあるザ・リングから出たタブレット状の道具は別として、Dカードはそもそも管理することができませんから、通常の管理には世界ダンジョン協会カードが使われます。一般的な場所でDカードが必要になるのは、パーティに所属するときのスキルの証明くらいでしょうか」

よし、以前講習会の時に聞いたとおりだな。

「わかりました。じゃあ、鳴瀬さん」
「なんでしょう?」
「これを使ってみませんか?」

俺は、悪魔のような笑みを浮かべて、異界言語理解のオーブが入った、件のチタンケースを取り出した。

「え、これって……Dパワーズさんで使われているスキルオーブのケースですよね? 使うって……」

俺が目でケースを開けるように促すと、彼女はおそるおそる蓋を開いた。
そうして出てきたオーブを確認するように、それに触れた瞬間、ピキっと音を立てて固まった。

三好が唇に人差し指を当てて、大声を出さないようにとサインを送る。
レーザーを初めとする盗聴対策は、三好がしつこいほどにやっているが、不要な大声はどこから漏れるか分からない。

「こここ、これ……」

俺はゆっくりと頷いた。

「これを……」

俺は頷く。

「使う……?」

もひとつ頷く。

「ま、待って下さい! どうして私なんです?!」
「いや、だって、ほら。どうせ受け渡しまで持ちませんし、これ」

常識的に考えればその通りだ。なにしろ受け渡しは 十二月二日の日が昇ってからだが、現在は 十二月一日の0時頃なのだ。

「それにしたって、芳村さんでも、三好さんでもいいじゃないですか!」

その台詞に俺は静かに首を横に振った。

「さっきのフェニキア文字の内容を見てもそうですけど、我々はすぐにでも碑文やグリモアの内容を知る必要があると思うんです」

鳴瀬さんはこくりと頷いた。

「多数の碑文やそれに類する情報に触れることを考えれば、我々の中では鳴瀬さんが適任なんですよ」

なにしろ彼女は日本ダンジョン協会の職員だ。しかも今や現場では結構偉いポジションにいる。一般探索者の我々よりも多くの情報に触れられるに違いなかった。
もちろん世界ダンジョン協会によって碑文は公開されているが、より早く、一次情報に近いデータに触れられるのは職員の特権だろう。
俺達じゃ、何処に何が公開されているのかすら分からない自信がある。

「それは、そうかもしれませんが……」
「別に機密になってる情報をスパイしろと言ってるわけではありません。公開データのなるべく一次情報に近いところに、なるべく早く触れて、正しく翻訳することが目的なのです。ただ、読めることは隠したほうがいいと思いますけど」

もし、知られたら誘拐されかねない。
鳴瀬さんはごくりとつばを飲み込んだ。

「それにしたって、研究者とかにもっと適任の方が……」

俺は頭を振ってそれを否定した。

「それだと囲い込まれます。このプロジェクトには、自由な立場で翻訳できて、かつ、それを行っていることを秘匿できる人物が必要なんです」
「プロジェクト?」

鳴瀬さんが、首をかしげた。

俺はダンジョンの中で三好と作ったプロジェクトの素案を取り出して、彼女に渡した。
それを見た彼女は、驚いたように呟いた。

「碑文……翻訳サービス、ですか?」

そう、それは匿名のサイトをひとつ立ち上げて、公開された碑文を翻訳、公開する企画だ。
掲載されているのは公開されている碑文の単なる訳文だから、問題になる理由がない。碑文に著作権ないしな。
デタラメだと非難される可能性は高いかもしれないが。

そのドキュメントに最後まで目を通した鳴瀬さんは、思わず吹き出していた。

「何です、このサイト名」
「いいでしょう、それ」

そこには『ヒブンリークス』と書かれていた。どこかの機密漏洩サイトのパクリだ。
そうして横文字での表記は、heaven leaks。駄洒落に関しては日本語を知らないと意味不明だろうが、神さまの領域から漏れるというのも悪くない。それに、欧米じゃ、謎日本語はクールってことになってるから、これでいいのだ。
日本だとオヤジギャクだと言われかねないが。

「しかし何度聞いても、厨二っぽいですよね、それ」
「狙ってるんだから、いいんだよ」

「仮にこんなサイトを作ったとしても、翻訳内容を、誰も真に受けないでしょう?」

面白いとは思いますけど、と鳴瀬さんが首をかしげた。

「オカルトっぽいトンデモサイトなんて山ほどあるし、それを理由にサイトが閉鎖されることなんてないでしょう?」
「それはそうですが」
「それに我々は、サーバーとドメインを管理しているだけで、内容には関知していませんと言い張ります。日本新聞協会が編集権声明を1948年に出してますから、それにまるっと乗っかるわけです」

まあ実態は見え見えかも知れませんけどねと笑うと、鳴瀬さんは眉間を押さえて、はぁとため息をついた。

「それに、内容ですが……」
「はい?」
「まず、そこに書かれていることが真実だと確実に分かる組織が二つあります」

オーブを持っている二団体だ。

「この二団体が嘘を書いたり、情報を隠蔽したりすることに対する抑止力になると思うんです」

世界にそれがばれたときの反動があるからな。

「それともうひとつ」
「なんでしょう?」

「今、ダンジョン碑文って、大抵世界ダンジョン協会に提出され、公開されていますよね?」
「はい」
「でもね。今後各国が異界言語理解を持つようになったとき、このままだと隠蔽されますよ」

ダンジョンがそう望んでいる以上、遅かれ早かれ碑文が読める者の数は増えるはずだ。
そうしてその内容を知るものが有利になればなるほど、新しく発見される碑文は国内で隠され、公開されなくなる可能性が上がる。

「それは、わかります。異界言語理解が大量に出回ることは、ちょっと信じられませんけど」
「いずれにしても、異界言語理解が普及していない現時点なら、その翻訳を公開してしまうことで、自国で労力を掛けて翻訳するよりも、公開してその情報を得ようとする流れができあがると思うんですよ」

経済の相互依存みたいなものだ。
すでに必要なものがあって、それが広く使われ、適切なコストで調達できるなら、自分のところでコストを掛けて類似品を作り出す必要はないのだ。
昨今は、中国の大手企業の例もあるから、国防が絡むとちょっと怪しいのだが、まあ大抵はそうだ。

「それに、信憑性に関しても、翻訳の中に誰にも知られておらず、かつ誰でも確認できる情報があれば、書かれている内容が真実だと証明できると思います。碑文やグリモアの中には必ずそれがあると、俺は信じています」

ダンジョン製作者が誰なのかわからないが、ここまでお膳立てしてるんだ。そう言う内容が無いはずがない。

こいつの根幹には、地球のRPG的な要素が含まれている。それは絶対だ。
そして、それによって、ダンジョン探索への興味をかき立て、実益で縛り、ダンジョンへの依存度を上げようとしている。
妄想に聞こえるかも知れないが、実際、そうとしか思えないのだ。

「というわけで、それ。どうぞ」

鳴瀬さんはじっとオーブを見ていたが、あきらめたように目を閉じると、右手でそれに触れた。
そうして生まれた光は鳴瀬さんの腕からはい上がって体の中に吸い込まれていった。世界で二人目の異界翻訳者の誕生だ。

「人間を辞めるぞって、いいませんでしたよ!?」

とぼけたように三好がそう言って、皆の笑いを誘っていた。

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