Dジェネシス ダンジョンができて三年

第4章 ヒブンリークス heaven leaks

057 早朝の訪問客 12月
1日 (土曜日)


「おはようございます」
「あー、おはよー」

寝ぼけまなこで階段を下りると、事務所のダイニングでは、すでにふたりが朝食を食べていた。

「早いですね」

鳴瀬さんにそう言うと、彼女は口の中のパンをコーヒーで流し込んで、「代々木に行って、着替えないといけませんから」と答えた。


こういう時のために、日本ダンジョン協会のロッカーに着替えが一着はおいてあるそうだ。
代々ダン内では制服だしな。

「あれ? 今日もご出勤ですか?」
「この週末は、どこかのパーティのおかげで休出ですよ?」

と笑いながら突っ込まれた。ああそうか、十二月二日に受け渡しって言っちゃったもんな。
ただ、日曜で人が少ない方がトラブルになりにくいかなと思っただけなんだが……

「お二人はどうされるんですか?」
「んー、どうすっかなぁ」

ダイニングのテーブルに腰を下ろすと、三好が飲み物とトーストを用意してくれた。

「やることがないなら、まじめに探索して下さい。Dパワーズのみなさんは、最近オーブハンターとか言われてますよ。日本ダンジョン協会にも結構な数の紹介依頼が、毎日毎日、届いているそうです」

「え? それ、応対するのイヤですよ!?」

「通常、日本ダンジョン協会は、外部の人間を、公開を希望しない探索者に直接つないだりしないので、大丈夫ですよ」

「日本ダンジョン協会が仲立ちしないと、お金にならないもんねー」
「まあ、そういう側面もあります」

平静を装うように、バターとマーマレードが塗られたパンをかじってごまかしているが、一応図星だ。

だが、俺は「通常」ってところが怖いなと思った。例外的な措置があり得ると言うことだからだ。


それに昨今じゃ、三好の顔も売れてきた。俺達は別にここへ隠れながら帰ってきている訳じゃない。

オークションを公開した時点であった、電話攻勢だって……あ、もしかして、ケーブル引っこ抜いたままじゃないか?


「いいんですよ。登録のために引いた電話ですし。連絡は携帯ですむでしょ? そっちにも電話が掛かってくるようになったら、片っ端から着拒しますから」

「留守電にしとけば?」
「どうせ聞かないんなら、最初から繋がらない方が面倒がありません。大事な連絡なら携帯にきますし」


そもそもあんな本数聞いていたら、一日がそれで終わっちゃいますよと憤慨しながら言った。
俺は、それもそうかと思いながら、鳴瀬さんに注意を促した。

「昨日の件ですけど、碑文の写真資料等を持ち出せるなら、翻訳はここ以外では行わないほうが良いと思います。ここだと一応警備がいますから」

「警備?」
「それについての詳しい話は、また後日。お聞きしたいこともありますし」

アルスルズの処遇についてなんだが、異界言語理解の受け渡しが終わるまではバタバタしそうだからな。

鳴瀬さんは、首をかしげながらも頷いた。

「わかりました。写真自体は機密でもなんでもありませんから大丈夫です」

「それと、多分目玉になると思われる資料があるので、それだけは、今晩でも明日でも、とにかく早めに翻訳していただきたいんです」

「目玉資料? って、まさか、あのビデオに映っていた……」
「はい。さまよえる館のグリモア。『The book of wanderers』の断章です」


正式名称を伝えるのは問題ない。何しろ他のアイテムと同様、触れると名称が分かるのだ。The book of wanderers (fragment 1)と。
だがこれで、内容が前書きだったりしたら拍子抜けだな。

鳴瀬さんがなにかを言いかけたとき、事務所の呼び鈴が鳴った。

「あ。今朝、某田中さんに連絡をしておきましたから、彼じゃないですか? それにしても早いですけど」


そういって、パソコンのモニタを覗いた三好が驚いたように言った。

「某田中さんと……サイモンさん?」
「なんだ、その組み合わせは?」

三好に門を開けて貰うと、俺は立ち上がって、玄関へと向かった。

、、、、、、、、、

「おはようございます。早朝からすみません」

某田中さんがそう言った。

「おはようございます。どうしてお二人がご一緒に?」
「一緒に来たわけではありません。門のところで偶然一緒になっただけです」
「はぁ」

『よう、芳村。例のあれ、落札したのはうちだろ? それでうちのボスから様子を見にいけと言われてね』

『なんのことだかわかりませんが、オークションの件なら受け渡しは明日だと聞いていますよ』
『そりゃそうだろうが……』

『失礼』

と、そこで某田中さんが割り込んで来た。

『こちらの用は喫緊《きっきん》でね。そちらは後にして貰えるかな』
『お、おう。悪かったな』

某田中氏は、時々なんだか凄く圧力?がある人だ。見た目は何処にでもいそうなオジサンなんだけど。


「三好、裏で田中さんにお渡しして」
「了解でーす」

「じゃ、そちらから裏にお回り下さい。全部で五名になってますけど、お一人で大丈夫ですか?」

「では、車を裏に回しても?」

門のところに止まっている大型のワゴンを目で示しながらそう言った。

「どうぞ」

そういうと、彼はワゴンに合図をして、家の裏手へと歩いていった。

『なんだか妙に迫力のある男だな。一体誰なんだ?』
『知りません』
『なんだって?』
『政府の偉い人っぽいですが……詳しいことは』
『相変わらず脇の甘いヤツラだなぁ……』
『日本人は平和ボケしてますから』
『それにしちゃ、なんだかやばそうな雰囲気がビンビンするんだが……』

サイモンは家のまわりの植え込みあたりを見回してそう言った。
流石はトップエクスプローラ、勘も鋭い。

『気のせいじゃないですか? それで今日は、ただ様子を見に来ただけ?』
『いや、明日のための護衛ってやつかな。なんだかうちの上の方がぴりぴりしててな』

ダンジョン攻略局は、大統領直属の組織だ。上って、大統領しかいないんじゃないの?

『上ってプレジデント?』
『ま、そういうことだ。輸送中に横取りされちゃたまらんということだろ』
『輸送もなにも、符丁を見るまで落札者が誰かはわかりませんし、受け渡しだって二十四時間以上ありますからね。現在、ここにはなにもありませんよ?』


そう言うとサイモンがじっとこちらを見下ろしてくる。
背が高いから、どうしても見下ろされちゃうんだよな。

『ま、そう言うことにしておくか。というわけで、今日一日は、まわりでうろうろしてるけれど気にするな』

『はぁ? そういわれても、俺達、出かけますよ?』
『ま、ボディガードだとでも思って無視しとけ』
『ボディガードが襲ってきたりしません?』
『HAHAHA。ナイスジョークだ!』

バンバンと俺の肩を叩きながらそう言った。
痛い、痛いよ、サイモン君。君のステータスは人類最高レベルなんだから、遠慮しろよ!

『まあ、わかりましたけど……俺達は普通に生活しますから』
『OK。じゃまた後でな』

サイモンはそう言って引き返していった。
むー。厄介だな。

「今のは、サイモン=ガーシュウィンでは?」
「うわっ」

いつの間にか、某田中さんがすぐ側に立っていた。気配がないよ、この人。

「吃驚させないで下さいよ。そうです、ダンジョン攻略局のトップエクスプローラですよ」
「これは失礼。しかし何故彼が? お知り合いですか?」
「IDを調べれば分かると思いますが、うちがやってるオークションでオーブを落札したことがあるんです。その受け渡しで会ったくらいですよ」


「ほう。また、彼がオーブを都合してきているのかと思いましたよ」
「まさか。それならダンジョン攻略局に提出するでしょ。ごまかそうにも、ダンジョン関連アイテムによる金の流れは、世界ダンジョン協会に完全にオープンになってますから」

「確かに。Dパワーズさんからサイモンさん関連へ金が流れればすぐにわかります」

「でしょ。それであの五人は?」
「どこかの情報部でしょうが……一体どうやって捕えたのですか?」
「まあ、油断してるところを、びしっと。ですかね」
「びしっとね。流石探索者さんといったところですか。Gランクとは、とても思えません」

探るような目つきでそう言われる。

「たまたまですよ、たまたま。というか、うちってガードされているのかと思ってましたけど、そうでもなかったんですね」


それを聞いて、某田中さんは、ぴくりと眉を上げて「ふむ」とだけ唸った。
え、もしかしてガードしてたとか? でもって、そいつらを全員行動不能にした連中だったとか? やべ、地雷踏んだ?


そのとき玄関の扉が開いて、鳴瀬さんが出てきた。

「芳村さん、私はこれで。また後で伺います」
「あ、お疲れさまでした」

鳴瀬さんはそういうと、田中氏に軽く目礼して門の方へと歩いていった。

「早朝から、日本ダンジョン協会の職員がなにを?」
「彼女はうちの専任管理監ですから。夕べまでの探索の情報を纏めてらっしゃったみたいですよ」

「ほう。それはそれは。では我々もこれで。また何かありましたらご連絡下さい」
「あ、はい。よろしくお願いします」

俺はエントランスの前に立ったまま、彼らのワゴンが門を出て行くのを見送った。

「どの人も、なんというか一筋縄では行かない人ばっかりですねぇ」と三好が顔を出す。
「まったくだ。まわりのビルも、世界中の情報機関だらけに見えてきたぞ」
「おお、ぶるぶる、怖い怖い。狙撃とかされたらどうします?」
「アルスルズで対応できるかな?」

そう聞いた瞬間、どこからか「ウォン」という返事が聞こえた気がした。

「任せとけ、だそうですよ」

三好が笑いながら言う。

「心強いねぇ」
「だから、魔結晶よろしく、だそうです」
「おお、ぶるぶる、怖い怖い」

早めに彼らの好物料理を見つけないと、魔結晶をとりにいかされるハメになるな。
主従が逆転して、アルスルズのサーヴァントになるのも時間の問題だ。
買い取りでも始めようかな。

「三好。魔結晶って取引されてるのか?」
「どうでしょう。いかにクリーンなプルトニウムなんて名前が付いていても、まだエネルギーが取り出せたわけじゃないですからね」


どうやらエネルギーを取り出す速度をうまく制御できないらしい。
取り出し始めると、一瞬で加速して、瞬間的にそのエネルギーを放出してしまうということだ。

「それって、大爆発するってことなんじゃ……」
「ところが、瞬間的に放出されたエネルギーは熱にも光にもならずに別の何かになるらしいです」

「別の何か? なんだそれ。エネルギーじゃないのか?」

ダンジョン物理学は、意味不明だな。

「宇宙の起源は、エネルギーから素粒子ができたって言いますけどね」
「どんだけの大エネルギーなんだよ」

俺は苦笑した。

「じゃあ、まだ大きな市場はないわけか。一応相場を調べておいてくれるか?」
「了解です。まさかペットのご褒美にそれを買っているとは、誰も思わないでしょうね」
「まったくだ」

俺達は笑いながら事務所に引き返した。

さて、今日はどうしよう。

そのとき俺は、ダンジョンに潜って尾行を引き連れ、九層でうろうろしちゃおうかな。
などと酷いことを考えていた。


058 パーティ 12月
1日 (土曜日)


十二月一日。
それは、オーブをゲットするならこの日しかないはずの一日だ。

早朝からイベント盛りだくさんだったこの日、俺は、ダンジョンへと入り、生命探知で紐が付いていることを確認すると、振り切らない程度の速度で九層へと降りて、コロニアルワームエリアへ移動した。


そこから、全力で移動して彼らを撒くと、しばらくそこで過ごしてから、地上へと足を向けた。
振り切られた彼らは、九層の上りと下り階段に人を配しているはずだ。もちろんチェックされているだろうが、気にせずまっすぐ地上へと戻った。

あたかも九層で目的を達成したかのように。

各国のエクスプローラ諸氏には、少しだけ苦労して貰おう。みな高レベルなんだから、九層あたりで怪我をすることはないだろう。ちょっとした意趣返しってやつだ。


「ただいまー」

事務所のドアを開けたとたん、顔を僅かに上気させて興奮したような鳴瀬さんが駆け寄ってきた。


「芳村さん! こここ、これ! これっ!!」

そこには例の館で手に入れた、断章の写しが握られていた。

「どうしました?」
「これ、大変なんです!!」

鳴瀬さんは、あれから各国の公開データベースにある碑文写真とプロパティ(出現ダンジョンとかフロアとか、採集者とかだ)をできるだけメモリカードにダウンロードしたらしい。

それからうちの事務所へ来て、翻訳を始めようとしたとき、三好からこの写しを預かったんだそうだ。


急ぎと言われていたこともあって、先にそれを翻訳してみたら――

「これ、パーティの組み方について書かれていたんです!」
「パーティって……単に名前とIDを所定の書式にまとめて、日本ダンジョン協会に提出するだけじゃ?」

「ちちち、違うんです!」

そこに書かれていたのはダンジョンのシステムとしてのパーティの組み方らしい。
そして当然のように、パーティを組んだときの効果についても書かれていた。

Dカードを利用してパーティを組むと――

・ステータスに+五%の補正がかかる
・メンバーの位置が、離れていてもなんとなくわかる
・メンバーのヘルス(たぶんHPやMPなんかだ)がわかる

・メンバー同士で念話のようなものが使え、意思が伝えられる。距離は二十メートル。
・登録メンバーの経験値分割割合はリーダーが決められる。

――などの特権が与えられると言うことだった。

「二十メートルってなんだと思う? また、なにかの十三番目か?」

俺が三好にそう言うと、彼女はすぐにパソコンでそれを調べた。

「もしそうだとしたら、たぶんハーシャッド数ですね」
「なんだそれ?」
「各桁の数字の和が、元の数の約数になる自然数だそうです。20なら
2+0=2は、
20の約数になるわけですね。20は13番目のハーシャッド数です」

「それに何の意味が?」
「インドの数学者が考えた数で、ハーシャッドは、サンスクリット語で『喜びを与える』という意味らしいですよ」

「なるほど。念話はパーティに喜びを与えるってことか。相も変わらずあざといな」

「いや、あの、突っ込むところは、そこじゃないと思うんですけど……」

俺達のやりとりを見て、呆れたように鳴瀬さんが言った。

「じゃ、試してみますか」

そう言って立ち上がると、鳴瀬さんに表を見られないように注意して、Dカードを取り出した。

パーティを組むには、Dカードが必要だ。
そして、それをメンバーにしたいもののDカードと触れ合わせ、リーダーになるものが「アドミット」と念じる、ただそれだけだった。

そして、その瞬間、三好との間に、なにか不思議な繋がりが出来たような気がした。

「うまく……いったのかな?」
(いったみたいですよ?)

と三好から思念による会話が届いた。
驚いて三好を見た後、鳴瀬さんの方を向いて尋ねた。

「今の聞こえましたか?」
「え?『うまく、いったのかな?』ってやつですか?」

どうやらメンバー外には聞こえない仕様のようだ。これは確かに便利かも知れない。

「いえ。どうやら成功しているようです」
「わ、私も試して貰っていいですか?」
「いいですよ」

そう言って、今度は鳴瀬さんのDカードに触れながら「アドミット」と念じた。

(どうです?)
「わわっ! 今のが念話ですか?」
「のようです」

その瞬間、鳴瀬さんが少し不安な顔をした。
「え、でも考えていることが全部伝わったりしたら……」

「先輩のエロい考えが筒抜けに!」
「う、嘘つけ! 大体そんなこと、考えてないし! それに三好のお腹空いたって意識も流れてきてないから!」

「何で分かるんですか! やっぱり垂れ流しなのでは……」

(今考えてたこと、伝わりましたか?)
突然鳴瀬さんにそう聞かれて、おれたちは思わず振り返った。

「「え? いや、なにも」」
「うーん。どうやら、明示的に会話をするつもりになったときだけ送られるみたいですね、これ。すごいなぁ」


鳴瀬さんが一人で冷静にチェックしていた。ぐぬぬ、俺達アホみたいじゃないか。

「だけど先輩。これ、なんでコマンドが英語なんでしょうね?」

そう言われれば確かにそうだ。
通常Dカードの表示は、ネイティブ言語で行われる。なのにキーワードは大抵英語だし、鑑定した名称にも英語の表記が併記されていた。


「……ダンジョン製作者のオリジナル言語が英語、だとか?」
「そんな馬鹿な」と鳴瀬さんが思わず口にした。ダンジョンを英語ネイティブが作ったとか言ったら、そりゃ正気を疑われるレベルだろう。


「世界一話者が多い言語だからかもしれませんよ?」

と三好。そのほうが無難だな。だが……

「それだと中国語になるんじゃないか?」
「あー、そうかもしれません」
「そういえば、エリア1ってどこだっけ?」

「西経110から120度なので、ほとんど北米の西の端近くですね。ロスやラスベガス、カナダならカルガリやエドモントンあたりが含まれます」


さすがは日本ダンジョン協会職員。

「なら、そこが震源地だからなのかもしれないぞ?」
「だけど最近、極圏がエリア0とかになってませんでしたっけ?」
「はい。カナダで、イヌイットの男性がエリア0のカードを取得したそうです」
「そうなのか。しかしなにか理由がありそうな気がするんだよな……」
「それは今考えても結論がでないと思いますよ」
「まあ、そうだな。って、お前が振ったんだろうが!」
「てへっ」

「あと、最後の経験値分割割合ってなんでしょう?」
「言葉から想像するなら、パーティを組んでいる間に得た経験値を、メンバに割り振るときその割合を決められると言うことでしょうね」

「経験値! やっぱりあったんですね! それにステータスも!」

ダンジョンの効果にステータス+5%ってのがあるんだから、そりゃあると思うだろうな。

ランキングの存在から考えて、便宜上あることになっている経験値だが、実際にその存在が証明されていたわけではなかった。

何しろ人間は経験を積む生き物だ。段々強くなるにしても、いわゆる経験としての上積みなのか、それとも経験値的なものを得ることによる上積みなのかは議論の分かれるところだ。

ただ、トップエクスプローラの非常識な強さは、経験としての上積みで成せるようなものではないため、間接的にあるだろうと考えられていた。


「だけどこれ、どうやって使うんだ?」

メイキングのように、操作画面のようなものが現れるわけでもない。

「あ、それは断章に書いてありました。Dカードの裏面を使うらしいですよ」
「裏面?」

自分のDカードをひっくり返してみると、そこには確かに、パーティメンバの一覧が並んでいた。

そして、それを、鳴瀬さんがのぞき込んでいた。

(うわっ、やばっ!)

と、そう考えたとたん、「え、なにがですか?」と鳴瀬さんに不思議そうにされた。おっと、念話かよ……

もちろん ランク 1 やスキル群を見られそうだったからなのだが、幸い見えていたのは裏面だ。


「あ、いえ。急に顔が近くに来たので、ちょっと焦ったというか」

どこかのサッカー選手かよ、と自分でも思いながら、下手な言い訳をした。

「先輩は、そういうところ、おこちゃまですから」

と三好が知ったような顔でフォローしてくれる。

「あ、はぁ……」と鳴瀬さんがちょっと赤くなった。
「ま、まあ、それはともかく、ちゃんとDカードの裏面に、パーティメンバのリストが書かれていました」

「あ、私のにも表示されています。パーティに所属しているメンバのリスト。名前の後ろにある 33.3 とかいうのが比率でしょうか……」と鳴瀬さん。

一番上にあるリーダー、この場合は俺なのだが。その横には分配比率が書かれていない。
鳴瀬さんの説明によると、メンバの分配比率を決定すると、残りがリーダーの取り分になるようだった。

分割比率の変更は、自分のカード上でメンバの名前に触れながら、20%と考えればその数値が反映される。

単に等分と考えると、分割比率がリセットされた。

「大体分かりましたから、解散しますね」

ヘタに念話が発動して、よろしくないことを伝えたら問題だ。慣れるまでは注意が必要だな。

解散もパーティへの追加と同様、Dカードに触れながら「ディスミス」と念じるだけだった。
個人の場合はその名前に触れながら、全体の場合は、リスト全体に触れながら行えばOKだった。

触れると不思議なことに、どの人物が選択されているのかがわかる便利仕様だった。

「あとは、パーティの上限人数と――」
「あ、それは断章にありました。八人だそうです」
「八人か。なんか普通だな」

十三より小さいからなにかの十三番目もたぶんあり得ない。減ったり増えたりする数列でない限り。


「きっとDカードの裏面の名前表示エリアが8行しかないからですね」と三好が笑ったが、本当にそうなのかもしれない。


「なら、後は、パーティのメンバになっている人が、パーティに加入したまま自分のパーティを作ったらどうなるのか、ですかね」

「丁度三人いるから、それもやってみておくか」

テストは二回。
最初は、三好が鳴瀬さんをメンバにしてパーティを組んだ後、俺のパーティに参加する。
二回目は、俺が三好をパーティメンバにした後、三好が鳴瀬さんをパーティメンバにする。

結論から言うと、どちらも出来た。
そうしてパーティメンバがパーティを持っているとき、親パーティのカードにはメンバの名前に続いて
P2が表示され、メンバのDカードには自分の名前の前にR1が表示された。


「対象はパーティ(Party)を組んでいるって意味ですかね?」

「たぶんな。親(Parent)の可能性もあるかもしれないが」

「2ってなんです?」
「そいつを入れて、二人のメンバがぶら下がってるってこと、かな」
「じゃあ、R1は……Relationship 1、でしょうか」
「そうだな。所属しているパーティの、パーティ階層中の位置じゃないか?」

もう一人いればもっとちゃんとした検証ができるんだろうが、いずれにしても、子パーティが結成できるということに間違いはない。

この場合経験値の割り振りがどうなるのかとか、孫パーティが作れるのかとか、ここでは検証できないことも数多くあった。

もっとも、数値が階層数だとすれば、孫パーティが作れる可能性は高い。

「親子関係をずらっと並べて……クランでも作成するんですかね?」

なるほど、その可能性はある。
パーティ同士が親子関係を持つことで、無限に大きなクランを作成できるわけだ。
今回の断章と同様、どこかにクランについて書かれた碑文や断章もあるかもしれない。

「これ、大発見ですよね?! すぐにまとめて報告を――」
「いや、鳴瀬さん。ちょっと待って下さい」
「え?」

すぐに報告されると、どこでその情報を得たのかが問題になる。
まさか、グリモアの断章を読みましたというわけにはいかないのだ。
それにこれは――

「ヒブンリークスの情報が正しいことの証明に使いたいんです」

誰にも知られていなくて、誰でもすぐに検証できる。
それはまさに、サイトの信憑性を担保するために用意されたかのような内容だった。


059 掲示板 【広すぎて】代々ダン 1356【迷いそう】


182:名もない探索者
おい! 日本ダンジョン協会の代々ダン情報局見たか?!

183:名もない探索者
ダンジョン情報のページ? 昔は見てたけど、今はあんまり。ちょっとマンネリ気味だし、ぱっとしたニュースないだろ?


184:名もない探索者
いや、あの動画なに? 何かの映画のトレーラー? どっかに小さく「広告」って書いてあるんじゃね?


185:名もない探索者
え、何か面白いものが上がってるのか?
動画ってなんだよ。

186:名もない探索者
いいから見てこい。必見だぞ。

187:名もない探索者
見た見た! SUGEEEEよ! 》 182
あれなんだ? やっぱり十層?

188:名もない探索者
なに、そんなにか? よし、俺も見てくる!

189:名もない探索者
館に近づく最初のシーンで、まわりが墓っぽかったから十層だとは思うが 》 187
先月の中頃から君津二尉を始めとして、世界中のトップエクスプローラ達が代々木で目撃されているから、二十一層以降の新層なのかもしれん。


190:名もない探索者
「さまよえる館」って字幕が出るところ、門柱の変な数字がカッケー。というかダンジョンを題材にしたフィクションにしか見えん。


191:名もない探索者
それな 》 190
門を入ったところの、屋根の上からこっちを向くガーゴイルっぽいのとか、もうね。
こっちみんな!

192:名もない探索者
あれでよく先へ進む気になったよなぁ

193:名もない探索者
下層に向かう探索者って、頭のネジが外れてるようなやつ、多いから。

194:名もない探索者
お前モナー

195:名もない探索者
あのでっかい鴉みたいなの、雰囲気あるよね。

196:名もない探索者
ドアが開いて、焦ったみたいに門の方を振り返ったら、門柱では羽根繕いしてるとこな。
わざわざアップに編集してて笑った。

197:名もない探索者
ああ、あそこ画素が荒いのはそのせいかw

198:名もない探索者
見てきた! すげえ! 音がないのがちょっと残念だな。

199:名もない探索者
きっと悲鳴とかが入りまくってるからだろう。ラストの所とか。

200:名もない探索者
部屋の中にちらっと出てたモンスターって、スケルタル・エクスキューショナー?
十層でそんなの見つかってないぞ。 》 189

201:名もない探索者
そもそもこんな館自体、見つかってないから

202:名もない探索者
なあなあ、俺の知り合いがさ、先月の27日の深夜、十層で鐘の音が鳴り響くのを聞いたとか言ってたんだよ。

俺等みんな空耳だろなんてバカにしてたんだけど、これと関係あるかな?

203:名もない探索者
マジ?

204:名もない探索者
最後、いきなり部屋の中空を見上げるところ、鐘が鳴り出したと想像してみると、そんな風にみえなくもない。


205:名もない探索者
部屋がぐにょーんてなるところな。

206:名もない探索者
それ以前に、そいつ深夜の十層で何してたんだよ。
そんな行動、ありえないだろJK。

207:名もない探索者
八層に戻り損ねて、九層と十層の間の階段で野営してたらしい。

208:名もない探索者
なんというダメチーム感。

209:名もない探索者
まあ、そう言ってやるなよ。それで、その鐘はなんだったわけ? 見にいったんだろ?

2十:名もない探索者
俺もそう聞いたら、夜の十層が歩けるわけねーだろと怒られた。

211:名もない探索者
……まあ、しょうがないな。

212:名もない探索者
しょうがないね。

213:名もない探索者
最後襲ってくるガーゴイルとかが吹き飛んでるんだけど、あれってどうなってんの?

214:名もない探索者
撮影者の仲間が、銃撃とかしてるんじゃないか?

215:名もない探索者
じゃあ、やっぱり自衛隊の部隊なのかな。

216:名もない探索者
伊織ちゃん、サイコー!

217:名もない探索者
最後の方は、まさにパニック映画だ。
リアルうしとらの婢妖。夢に出る。

218:名もない探索者
グロなのか?!

219:名もない探索者
まあそれなりに。どっちかというとホラーだけどな。

220:名もない探索者
部屋の中の台座みたいな部分になにがあったのか気になるよな。

221:名もない探索者
ああ、あの「さまよえるものよ、真のグリモアの叡智に触れよ」ってやつ?

222:名もない探索者
文書はもっと長い感じがしたが……

223:名もない探索者
字幕だし、要約でしょ。
碑文と違って地球の言語みたいだから、誰か翻訳してくれるはず。

224:名もない探索者
さまよえるものって、俺等のことかな?

225:さまよえる探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-0192
さまよえる探索者、に変えてみた。

226:さまよえる探索者
さまよえる館の情報ページが公開されてるぞ!
乙 》 225

227:名もない探索者
え、マジ?

228:さまよえる探索者
って、なんだよこれ、出現条件が、一日に同一モンスターを373体倒すこと?

できるのか、そんなこと??

229:さまよえる探索者
一層のスライムなら……

230:さまよえる探索者
スライムは意外と面倒だぞ。そりゃ数はいるだろうが 》 229
一匹倒すのに、ヘタすると5分くらいかかる。
一時間に12匹。20時間で
240匹……合掌。

231:さまよえる探索者
どうやら、映像の館は、ゾンビを373体倒したときに登場したらしい。


232:さまよえる探索者
なにそれ?! そっちの方がホラーじゃん!

233:さまよえる探索者
ゲーセンのゲームかよ……チームI、すげぇなぁ。

234:さまよえる探索者
すっかり伊織ちゃんのチームになってるし。

235:さまよえる探索者
だって、他に考えられないだろ。渋チーか?

236:さまよえる探索者
そんなチームが十層なんかウロウロしてるかなぁ……

237:さまよえる探索者
存在できるのはその日のうちだけ「か?」、って、東スポかよw
十層とは限らない 》 236

238:さまよえる探索者
そんだけはっきりとはわからないってことだろう。
後追いで調査する奴が……いないだろうなぁ。

239:さまよえる探索者
したくても無理。
ゾンビだから十層じゃねーの? 》 237

240:さまよえる探索者
伊織ちゃんの次報に期待しよう!

241:さまよえる探索者
んだんだ。


060 オーブの移送は命がけ? 12月
2日 (日曜日)


オーブ受け渡し当日、俺達は代々木八幡から小田急で新宿へと向かった。

「先輩。車のほうが良くないですか?」
「日本で大々的にテロを起こすならともかく、そうでなければ人の多い大量輸送機関のほうが安全な気がしないか?」


小田急は新宿までずっと住宅街で、大騒ぎを起こさずに襲えるような場所はない。そもそも小田急に乗るかどうかも分からないんだから、事前になにか大がかりなことを仕込む時間はなかっただろう。


「そういえば、鳴瀬さん。さっそく館の情報を公開したみたいですね」
「そうだな。ちゃんと俺達が出ているところはカットしてくれてたじゃないか」
「あれは私が編集したんですー」
「あ、そうなの?」

道理できれいに俺達が出ているところがカットされていたはずだ。
そのまま出すと、編集段階で身バレするしな。

「ボランティアですよ。えっへん」
「お疲れ様です」

日本ダンジョン協会のお迎えは断ったままだ。お迎えが入れ替わるなんて定番中の定番だし、アルスルズやステータス任せの逃亡に、警護の人間がいると邪魔だからだ。

ダンジョン攻略局あたりは、ひょっとして何処かで見ているかも知れないが……

「新宿からはどうします? 普通なら総武線か新宿線ですけど」
「乗り換えに便利なのは総武線だから、そっちに乗ろう。改札を出たらすぐそこだ」
「ええ……そんな理由で?」
「外国人の多い新宿駅を、長い距離歩きたくないだろ? それに地下鉄は逃げ場がないから」

地下はヤバイ。爆破されたら生き埋めだし、前後を押さえられたら側道でもないかぎり逃げようがない。

さすがに爆破はないと思うが、なんとなく地上の方が安心できる気がする。

総武線のホームに上がると、俺達は、後ろから四両目を目指しつつゆっくりと歩いた。

「二両ほど後ろ、三人組の外国人がいるな」
「新宿ですよ? そんなの大勢いますって」
「観光客特有のうわついた感じがないし、空き座席を確認するでもなくこっちと同じ速度で歩いてるだろ。まあ、見てろ」


ことさらにゆっくりと歩いた俺達は、電車が発車する寸前に、後ろから四両目の車両に飛び込んだ。

もちろんそのままドアが閉まって発車するのは映画の中だけの話だ。
新宿駅なら、ホームを監視している駅員が、その様子を見逃すはずがなかった。締まりかけたドアはもう一度開いて、再度時間をおいてから閉じた。


「後ろの人達、移動してきますかね?」
「新宿の乗車率を舐めちゃいけない。車内移動とかほぼ無理だろ」

ギュウギュウとは言わないが、それなりに混んでいて、車内を歩いて移動するのは無理そうだ。

「それにこの電車、きっと四谷の手前で事故が起こるぜ?」
「どうしてわかるんです?」

昨日ストリートビューで今日のルートを確認してみた。
車内の誰かを襲って持ち物を奪うという観点で、だ。

総武線の新宿−市ヶ谷間には、両側が木々に覆われ、まわりから電車が視認しにくくなる箇所が一カ所だけ存在する。


「襲ってくるなら、外濠公園だからな」

電車はゆっくりとスタートした。

「サイモンさん達って、もしかして今日もついてきてるんでしょうか?」
「ダンジョン攻略局の関係者が何処かにいてもおかしくはないが……サイモン達は受け取り側の護衛に行ってるんじゃないか?」


まあ、不確かなものをアテにするのはよろしくない。

電車が首都高4号新宿線と併走し始めた頃、車内アナウンスが千駄ヶ谷を告げた。

「次は〜千駄ヶ谷〜、千駄ヶ谷〜」

「三好、降りる準備」
「え?」

車内アナウンスのコールが終わり、電車の速度が少しずつ遅くなっていく。

「いいか、階段を下りて、ダッシュで改札を抜けたら、右へ曲がれ。そしたら、すぐエクセルシオールカフェがあるから、その先を右に曲がって、ガードをくぐるんだ」

「だ、ダッシュですか? 自慢じゃないですが、体力にはあまり自信が……」
「まさかヘルハウンドにまたがるわけにはいかないだろ?」
「そりゃまあ、そうなんですけど」

停車してドアが開いた瞬間、俺達は飛び出して、目の前にある下り階段を駆け下りた。
PASMOをかざして、改札を駆け抜けた瞬間、三好が音を上げた。


「せ、先輩! もうムリ!」

それを聞いた俺は、ステータスに任せて、三好をひょいと荷物のように小脇に抱えると、エクセルシオールカフェの前を駆け抜けた。

何でもかんでも写真に撮る輩が、硝子の向こうから撮影してなきゃいいんだけどな。へたすりゃ誘拐の現行犯に見えかねない。


「ひ、ヒド! ここはお姫様だっこじゃないんですか!?」
「やかましい、舌を噛むから、黙ってろ!」
「んぐぐっ」

すぐに右折すると、中央緩行線の八幡前ガードだ。
幸いガード下に人気《ひとけ》はない。ここなら撮影される恐れもなさそうだ。

人混みの中での生命探知スキルはマーキングでもしていない限り意味はない。このスキルは種の区別は出来ても、敵と味方を区別しないからだ。

だから、このスキルが仕事をする場所に向かおうと最初から考えていた。

中央緩行線の八幡前ガードの出口の右側は、新宿御苑だ。
ただし、その場所は、三から四メートルは高さがある石垣の上に、二メートル近い鉄柵が張り巡らされている。


俺は三好を抱えたまま、石垣を駆け上がった。

ここの石垣は、しばらく行くと整然と積み上げられたものになるが、ガードを出てすぐのところは、自然石風の凸凹が顕著なのだ。苔で滑りさえしなければ、今のステータスで駆け上がるくらい、わけはない。

そしてそのまま、高さ制限バーと呼ばれる黄色に黒の縞々が書かれた鉄骨へ足をかけると、一気に二メートル近い鉄柵を跳び越して御苑の森の中に飛び込んだ。


「せ、先輩、どっかのアクションスターですか?!」
「ステータス様々ってやつだな。いくら訓練された軍人でも、おいそれとはついて来れないはずだ」


千駄ヶ谷駅は、新宿御苑に隣接しているが、現在そちら側へ出る手段はない。
つまり、追いかけてこようとした場合、改札を出た後、俺達が来た反対方向へ走るか、俺達を追いかけて、このずっと先の坂の上で二メートルの鉄柵を跳び越えるか、さらに先の千駄ヶ谷門から正規に入るしかないはずだ。


千駄ヶ谷門は遠すぎる。通常は二番めの選択肢しかないだろうが、飛び越えた場所は御苑内の桜園地の端の森だ。観光客が入れるような場所ではない。

ここに入ってくるやつがいれば、そいつが俺達にとっての危険人物だ。

「確かにすごいんですけど、御苑って入場料がいったような……」
「うぐっ……」

三好が冷静に突っ込んできた。
確かにいる。二百円だ。緊急避難ということで、許して貰おう。

「それに、出るときもチケットがいりますよ?」
「マジで?!」
「前言撤回します。スターはスターでも、ントマン付きですね」

スタントマンかよ! しかし超一流の裏方は格好いい気がするな。

「誰が超一流って言ったんですか」

三好がテレながらふくれてる。貴様ツンデレだな?

しかたない、大木戸門の左側の柵を跳び越えるしかないか。駐車場側は警備員が一杯だけど、素早く飛べばごまかせないかな?

そんなことを考えつつ、下の池に出た。そこには、カメラを抱えている人の群れが……なんじゃこりゃ。俺は思わず、三好を下ろした。


「下の池って、楓の名所ですよ。今はベストシーズンですね」

くそっ、なんてこったい。
確かに美しく色づいた大きな楓が、水面にその姿を映している。通路には三脚が林立していて、カメラを持っていない人を探す方が早かった。


そのとき、桜園地の向こう側、人の入らないエリアに反応があった。

「やっぱり、誰かが追いかけてきてるぞ」
「いやー、スリル、ありますねー」
「のんきなヤツだな。番犬連中はちゃんとガードに付いてるのか?」
「先輩の影にドゥルトウィンが。私の影に、カヴァスとアイスレムが。グレイシックは事務所でお留守番です」


俺の影にもいるのかよ。頼むぞ犬っころども。嗜好品の餌分は働け。
狙撃も防げると豪語してたからな。そう言うレベルの襲撃になったら、そこに期待するしかない。


バラ花壇の横を通って、大木戸門方面へ抜けると、左手に大温室が見えてくる。

「どうやら、洋らん展をやってるみたいですね」

三好が指さした大温室には、「第三十回 新宿御苑洋らん展」の表示があった。どうやら最終日だ。

温室の人混みはこのせいか! なんと間の悪い。まあ、裏手なら誰も見てないだろう(希望的観測)。硝子越しに目撃されそうな気もするが。


まったく全員が映像記録の手段を持ち歩いているなんて、なんとも困った時代だな。

「よし、仕方ない」
「待って下さい!」

三好が強行突破しようとする俺を止めると、てくてくと大木戸門へと歩いていった。

「すみませーん。私たち、チケット間違って捨てちゃったみたいで、なくしちゃったんですけど、出ても良いですか?」


と、ニコニコしながらそう言った。

「ん? 仕方ないな。次から気をつけてね」
「はい、ありがとうございます。楓がとてもきれいでした、また来ますね」
「はい、ありがとう」

好々爺然と崩れた笑みで、受付のお爺さんが俺達を見送ってくれた。
なんというコミュ力。

「凄いな、お前」
「入る時ならともかく、出る時なんてあんなもんですよ。こんなに警備員だらけの場所で強行突破なんてアホですか、先輩は」

「ぐぬぬ」
「後ろの人達はどうするんでしょうね?」

三好が笑いながら、そういった。
そういや、ついてこないな?

、、、、、、、、、

「見失った?」

なんと勘の良い連中だ。
車両越しにちらりと我々の姿を確認すると、すぐに千駄ヶ谷で電車を降りて、そのまま新宿御苑へ逃げ込まれたらしいが、どうやって、御苑へ入ったのかすらわからないだと?

ガードを出たところで、突然御苑に駆け上がったことは確かだが、階段があるのかと駆け寄っても、そこには崖しかなかったらしい。


何かのスキルを持っているという情報はなかったが、あれだけのオーブを売りに出しているのだ、自分で使っていてもおかしくはないか。


御苑内でも、どこかのチャチャが入ったらしい。
本格的な争いにはならなかったようだが……うちと同じようなチームを派遣している国があっても不思議はない。


さて、御苑の北側に抜けたとすれば、車か、丸ノ内線だ。
この連中なら、さらにそのまま北へ抜けて新宿線を利用する可能性や、もう一度千駄ヶ谷駅へ戻って、次の電車に乗り込む可能性もあるか……


外濠公園に配置していた連中は、半分を四谷駅へ、半分を市ヶ谷方面へ向かわせた。
紛争地帯ならもっと派手にやってもいいんだが、ここでは縛りが多すぎる。せいぜいが事故に見せかけたアタックくらいだ。


ルートの可能性が多すぎる。もはや最悪の準備をするべきか……
情報によると、どちらかを手に掛けさえすれば、オーブの存在は保証されないという。

男は仕方ないというように肩をすくめると、ドミール五番町ビルと、グランドヒル市ヶ谷に特殊なメンバーを派遣した。


、、、、、、、、、

「それでこれからどうするんですか、先輩。丸ノ内線で四谷に出るか、そのまま北へ向かって、新宿線?」

「新宿一丁目交差点を渡って、新宿通りか、外苑西通りで流してるタクシーを拾おう」

予定された場所なら仕込みもあり得るが、こんだけ意表を突いた後の流しなら、そうそう仕込みは行えないだろう。


「わかりました」

そういって、交差点を駆けていった三好が、速攻でタクシーを捕まえていた。

いわゆるドアがスライドするタイプの、JPNTAXIだ。
スライドドアの開閉が遅く交通量が多い通りだとプレッシャーがかかるとか、窓が開かないとか色々言われているあれだ。

しかし広い空間は、なかなか快適だった。

「靖国通りへ出て、日本ダンジョン協会市ヶ谷本部までお願いします」
「承知しました」

行き先を告げると、車は滑るように動き始め、何事もなく外苑西通りを北に進んで、富久町西の交差点で靖国通りに入った。


「一段落ですかね?」
「そうだな。靖国通りに入ってしまえば、さすがに大きなアクションを起こしたりはしないと思うけど……」


俺はふと不安になった。

「なんです?」
「いや、どのルートを通ったとしても、結局俺達の目的地は同じだろ?」
「そうですね」
「なら、もしも振り切られたとしたら、後は日本ダンジョン協会の周辺で待ちかまえるんじゃないか?」

「ええ? 防衛省の目と鼻の先ですよ?」

防衛省の正門を通り過ぎ、外堀通りへ三百メートルの標識を越えた時、緩やかに左へと曲がる道路の中央よりの対向車線を、大きなトレーラーがスピードを上げて走ってくるのが見えた。

なんだか嫌な予感がした俺は、三好に目線で合図を送った。

その瞬間、まるでタイヤがパンクしてハンドルを取られたかのように、急に右によれたトレーラーは、あっという間に横転して、コンテナ部分がこちらに向かって滑り出した。

遠心力で振り回されたそれは、東へと向かう3車線を完全に塞いで突っ込んできた。

右は対向車、左は境界ブロックと柵で逃げ道はない。
運転手はパニックになってブレーキを踏もうとした。

「止まるな! 直進しろ!」

そう叫んで、ドゥルトウィンに影からアクセルを踏ませると、タクシーは急に速度を上げて、コンテナに突っ込んで行く。


「ええ?! うわあ!」

突然のことに運転手が叫び声を上げて目を瞑った。
横滑りしてくるコンテナにぶつかる寸前、コンテナの影から何かが飛び出した。カヴァスだ。

コンテナは、カヴァスに乗り上げるように、はじかれて、丁度タクシー一台が通過する短い間だけ、くるくると宙を舞い、その直後に落下した。

映画なら確実にトリプルアクションでスローになるシーンだ。

グワシャーン!と凄い音を響かせたコンテナは、ゴロゴロと転がりながら都バスの防衛省前停留所を薙ぎ倒すと、そのまま道路沿いに滑って、防衛省の正門付近で止まったようだった。


「た、助かったんですか?」

運転手が呆然とした顔でそう言った。

(ナイスだ、三好)
(後で、魔結晶ですね)
(うっ。了解)

呆然とする運転手を尻目に、そのまま惰性とクリープ現象で進んでいた車は、ホテルグランドヒル市ヶ谷の直前で停止した。

本来ここは横断禁止だが、後ろの大事故で、どうせ後続車はいない。

「お釣りは結構です」

そういって諭吉様を置いた俺達は、急いで車を降りて道路を渡った。日本ダンジョン協会は文字通り目の前だ。


「先輩、今の事故って……」

足早に入り口に向かって歩きながら、後ろを振り返りつつ、流石に少し青ざめた顔で三好が言った。


「こないだ日本ダンジョン協会で話しただろ?」
「なんでしたっけ?」
「ほら、俺か三好のどちらかが欠けたら預かっていたものは保証できないってやつ」
「ああ、確かにそんなハッタリをカマしてましたね……まさか」
「じゃないかと思うわけよ」

あの情報が漏れていたとしたら、最悪奪えないなら、俺達のどちらかを消してしまえば闇に葬れる的な発想に到ってもおかしくはない。


「先輩、ここって、日本ですよね?」
「まあ、トレーラーがパンク?したのは偶然かも知れないし、全部俺達の妄想かも知れないからな」


もっとも、こんなにタイミング良く靖国通りをトレーラーが走ってくるのもどうかと思うけれど。一体どこにものを運ぼうってんだよ。

まっすぐ行けば新宿のど真ん中で、そのまま進むと、八王子や大月だぞ。コンテナなら、川崎や横浜方面だろ。


パトカーや救急車のサイレンの音が聞こえてくる。
流石は日本の救急車両、初動が早いと感心しながら、日本ダンジョン協会の入り口方向へ曲がろうとした瞬間、小さなターンという音と共に、三好の頭の横に五センチくらいの黒い円が生まれたかと思うと、すぐに消えた。


「アイスレム!」

その瞬間、三好がワンコに指示をする。

「って、今の……」

狙撃されたのか? その弾をカヴァスあたりがカットしたのか?
本来ならすぐにでも遮蔽物のところまで駆けるべきなのだが、そんな訓練などされていない俺達は、思わず道路を渡ったところにあるホテルの屋上に目をやった。


とはいえ、もしも影を渡った先に、狙撃した誰かがいるのだとしたら、今頃はきっと事務所に侵入しようとした連中と同じ目にあっているはずだ。


「三好、大丈夫か?」
「まさか本当に……アルスルズが任せとけって自信満々だったのは、伊達じゃありませんでしたね。とはいえ、狙われたって実感はまるでないんですが」


弾も見てないし、ただ音がしただけですから、と笑った。
確かに海外の乱射事件の映像を見ても、人が逃げ出し始めるのは、誰かが倒れてからが圧倒的に多い。

とはいえ、ショックであることに代わりはないだろう。

俺は三好の肩を抱いて、日本ダンジョン協会のロビーへと入っていった。


061 三人目の異界翻訳者 12月
2日 (日曜日)


「あ、三好さん!」

俺達の姿を見つけた鳴瀬さんが駆け寄ってくる。

「なんだか表が大騒ぎになっているようですが、大丈夫でしたか?」
「まあ、無事です。一応」

ここで「狙撃されました」なんて言っても、無駄に大騒ぎになるだけだ。
もしも対象者が捕えられていれば、そこから先は某田中氏に任せるのが一番だろう。

とにかく取引をすませたい。オーブをダンジョン攻略局に渡してしまえば、また平穏な日常が訪れると、そう思いたい。


『おにいさん、オーブの人?』

そのとき鳴瀬さんの後ろにいた、中学生くらいに見える女の子に話しかけられた。

『そうだよ。芳村って言うんだ。そういう君はダンジョン攻略局の関係者?』

そう問い返すと、その子はニコっと笑って、『モニカ=クラーク です。よろしく』と挨拶した。


ダンジョン攻略局の関係者がここにいることは、オーブの受け渡しがあるんだから、驚くに当たらない。

しかし、この子は何だ? なんでこんな幼い子供がこの場にいるんだ? ってまさか……

「先輩。四十代の研究者と、十代の研究者。家族に遺伝的な病歴がなければ、四千億円のオーブをどちらに使います?」


オーブの使用は、どんなに手間と金を掛けようが、使用者が死んだらそれまでだ。
より長く――その考えはわからないでもないが……

「いや、だって……どうみても中学生くらいだぞ?」
「あちらには、あちらの事情ってものがあるんですよ。私たちが口出しするような話ではありません」


それはまったく三好の言うとおりだった。
しかし、鳴瀬さんのようにこっそり使うならともかく、今、このオーブを使うということは、一生籠の鳥になると宣言することに等しい。


『よう、芳村』

俺が彼女に何かを言おうと、口を開きかけたとき、表の状況を確かめに行っていたらしいサイモンが、ロビーの自動ドアを開けて、片手をあげた。


『なんだかハリウッド顔負けの、奇跡のような立ち回りだったって?』

たぶんさっきのコンテナをくぐったアクションの事だろう。

『なぜそれを?』

そう聞いたとき、サイモンの後ろにいた、アッシュブロンドで背の高い細身の男が、サムズアップした。

ジョシュア=リッチ。サイモンチームの斥候だ。

『ああ、やっぱりこちらにも付いていてくれたんですか』
『まったく役に立たなかったけどな』

御苑で追いかけてきた連中とごたごたしたおかげで、そのまま俺達を見失ったそうだ。それであの連中、すぐに追いすがって来なかったんだな。

その足で、市ヶ谷まで来てみれば、トレーラーが飛んでくるところに出くわして、唖然としたということだった。


ガード対象を見失うとか失態もいいところだが、ステータスで抜きんでていたとしても、彼らはボディガードの専門家じゃない。

意外とアメリカも人材不足なのかもな。

『それにずいぶんと引っかき回してくれたそうじゃないか?』

サイモンが渋面を作ろうとして失敗していた。

『なんの話です?』
『ナインスフロアだよ』

それは九層の件だった。
なんでも各国の探索者チームは、九層のコロニアルワームセクションで、酷い目にあったらしい。


『うちもダンジョン攻略局のチームがあんたを追いかけていたらしくてな。強さはさほどでもなかったそうだが……あのルックスと数はトラウマものだったらしいぜ?』


サイモンがくっくっくと笑いをかみ殺しながらそう言うと、後ろでジョシュアが大げさに肩をすくめた。


『それで、コロニアルワームはなにかアイテムを落としましたか?』

三好がそう尋ねると、サイモンが目を光らせた。

『それはつまり、あいつが何か重要なアイテムをドロップするってことなのか?』
『え、ただの興味ですけど……どうしてそんな話に?』
『そりゃアズサが興味を示したからさ』
『はい?』
『おいおい。あんたは現在、世界で2番目にホットなエクスプローラなんだぜ?』

サイモンによると、三好は、もともとオーブのオークションで世界中の注目を集めていたが、今回の異界言語理解の販売で、世界一有名な商業ライセンス持ちになったそうだ。

世界ダンジョン協会商業ライセンスランキングがあったら、ブッチ切りの1位だ、なんて言っている。


『世界中が血眼になって探していたオーブを、あっさり見つけてくるあんたの手腕に、商人連中はおろか軍や政治家までが注目してるのさ』

『偶然なんですけどねー』
『なわけないだろ』

サイモンは三好の意見を一蹴した。
余り突っ込まれるのも面白くないので、俺はさりげなく話題を変えた。

『三好が二番目なら、一番は? エバンスをクリアした、チームサイモン?』
『残念。俺達はすでに三番手以下だな。まさかエバンスのクリアが、一瞬で霞まされるとは思わなかったぜ』

『じゃあ?』
『決まってるだろ? 彗星のように現れた、世界ランク1位の誰かさんだ』

げっ、やぶ蛇。

『だが、こいつのことは何も分かっていない。代々木でも随分あれこれ尋ねてみたが、話をしたエクスプローラの誰もこいつのことを知らないどころか、予想すらつけられなかった』

『そりゃ、代々木にいないってだけでは?』
『そうかな? まあ、そうかもな。ともかく日本ダンジョン協会の連中も、エクスプローラ連中も、誰もこいつの正体を知らないみたいだったぜ? ついたあだ名が、ザ・ファントム。Mr.Xってのもあったが、男とは限らないからな」


ああ、見かけ倒し(phantom)ってのは当たってる。


「先輩。キングサーモンと、どっちがカッコイイですかね? ザ・ファントム」

三好が笑いをこらえながら、そう言った。知るかっ!

『ま、そういうわけで、アズサはすでに世界のレジェンドだ。 ナンバー1のオーブハンターだと思われてるからな』


もっともナンバー2はいないんだがなとサイモンは笑った。
それって、世界唯一のオーブハンターってことかい。

『いずれにしても、最近のエリア12は話題に事欠かない』

そんな下らない俺達のやりとりを、モニカは興味深げな顔で、黙って聞いていた。

『そういや、サイモン。彼女は?』
『あー……ここで隠しても意味はないか。彼女がオーブの使用者、らしい』

想像通りの答えに、俺は少々憤慨した。
この際、社会正義がどうのなどという矮小で勘違いした庶民の正論を振りかざしたりはしないが、もしも彼女が騙されているのなら、言いたいことくらい、ある。


『その意味わかってるでしょう?』
『芳村が何を言いたいのかはわかる。だが、それは俺のあずかり知らない領域だ』

流石は軍人だ。
俺は腰を落として、彼女と目線をあわせてから尋ねた。

『なあ、モニカ』
『はい』
『君は、君が使うオーブのことを知っているのか?』
『もちろんです』
『君は、そのオーブを使うことに同意しているのか? どんな種類の圧力とも関係なく、自分の判断で?』

『人が社会の中で生きていくのに、そう言った類の圧力から完全に逃れることはできません。どんな自由も、なんらかのルールがあることで、そのすばらしさを享受できるんです』


モニカはそうして、少し大人びた微笑みを見せた。

『なあ、サイモン。この子、実は三十とかいうオチは?』
『しらん。が、MITに九歳で入学、齢十四になる直前に、最短でPh.D.を取得したキャリアの持ち主だとさ』


なんとまあ。
しかし、知的成長と心の成長は別の話だ。

『いいかい。人の心は論理では説明できないことがままあるんだ』
『はい』
『いまは覚悟していても、そのうちやりきれなくなるかも知れない』
『はい』

俺は彼女の目を見ながら、何を言えばいいのか逡巡した。だから、ただ思いついたことを笑みを浮かべてから言った。


『でも大丈夫。君が大人になる頃、君はいまよりもずっと自由になるよ』

なにしろ異界言語理解はダンジョンが広めようとしているからな。

何の根拠もなさそうな俺の言葉を、彼女は真剣な顔をして聞いていた。
その彼女に顔を近づけると、俺はそっと、他の人に聞こえないように、三好に聞いていたURLを教えた。


『今年のクリスマスの夜、そのサイトにアクセスしてごらん。ただし、それまでは内緒だ』
『わかりました! 秘密の呪文ですね!』

今度は子供らしく笑った彼女が、嬉しそうにそう言った。

『秘密の呪文?』
『サイモンさんが、あなたは魔法使いだと』

げっ、サイモン。何を知ってるんだ、あいつ……
このとき俺は、アーシャのせいで、インドーヨーロッパ方面の社交界で、日本の魔法使いが話題になっていたなんてまったく知らなかったのだ。


「先輩。Yesロリータ, Noタッチですよ」

「あのな。そんな趣味はないから」

、、、、、、、、、

オーブの取引自体は、すぐに滞りなく終わった。

モニカはその場でオーブを使用した。そして、先方の大人が持ち込んだ資料を見て、何かを話し合っていた。

本当に内容が分かるようになったのかを確認したんだろう。

「先輩、先輩」
「なんだ?」
「さっき、鳴瀬さんに聞いたんですが、私の商業ライセンス、ランクが上がったとかで、新しいカードを貰いました」

「そらまぁ、レジェンドだし?」
「やめて下さいよ」
「で、一気に2段階アップくらいしたか?」
「それがですね……」

三好がそっと出してきた世界ダンジョン協会ライセンスカードは、なにか俺の持っているプラスティックのカードとちょっと違っていた。

黒一色でぱっと見た目にも重厚感がある。そこに燦然と輝く、パール仕様のSの文字が……

「7階級特進かよ!」
「いや、それ、なんだか死んだみたいでイヤです。せめてスキップとか昇進とか言ってくださいよ」


世界ダンジョン協会のランク区分は、実力がどうとかじゃなくて、あくまでも各国のDAに対する貢献度でランク分けされる。

商業ランクなら、どんな商品を取り扱ったかや、日本ダンジョン協会に納めた手数料が大きなウェイトを占めているんだろう。

なにしろ、たった一回の取引で日本ダンジョン協会は四百億も持って行ったのだ。考えてみたら酷いよな。


「たぶんこれは、あれですよ」
「あれ?」
「各地の規制されたダンジョンへの入場制限のクリアってやつですよ」

世界ダンジョン協会のランク区分は、武器や防具の購入制限や、規制されたダンジョンの入場制限、それに企業がエクスプローラを雇う場合の支払いの目安などに使われる。


「なるほど、オーブハンターか?」
「ですです」

俺達は、基本気楽にのんびり生きて、好きな研究をしたいだけだ。
偉い人達に追い立てられて、いろんなオーブを採りに行かされるとか、絶対ムリ。

「そういう話は、基本断ろうな」
「了解です」

『Hi 芳村。三好』

部屋の向こう側では、未だにモニカがまわりの人間達と何かを話している。
暇をもてあましたのか、サイモンが話しかけてきた。

『あいつらは、そろそろ引き上げるが、俺達はちょっと本格的に代々木をアタックすることにしたから、もうしばらくはよろしくな』


ええ? 本国に帰って、まじめに仕事しろよ!
あ、そうだ。

『護衛は横田までですか?』
『ん? まあそうだが』
『実は……』

俺はサイモンを部屋の隅に連れていって、小声で、三好が狙撃された話をした。

『なんだと?! ……もしや、あのトレーラーも?』
『そこは断言できませんが、疑いはあります』
『それで犯人は?』
『狙撃したほうは、たぶん拘束したと思うんですが、横田に入るまでは、少し気をつけたほうがいいと思います』

『わかった。情報提供に感謝する』

そう言って、サイモンは、廊下へ出ていった。どこかへ携帯で連絡するんだろう。この部屋は電波を通さない。


、、、、、、、、、

『芳村さん。いろいろとありがとうございました』

モニカが、会議室を出たところで、俺に手を差し出してそう言った。
俺はその手を握りながら、『ああ、何かあったらいつでも連絡してくれ』と、連絡先を彼女に教えた。

できれば彼女には幸せになって欲しい。その名前の通りに、何かに殉じて生きる必要なんてないんだから。


どうやら、帰りは、防衛省からヘリで横田に飛ぶらしい。国家権力使いまくりだな。
って、日本とEUも協力してたんだっけ、確か。

最後にサイモンが軽口を叩きに来た。

『あんた、イイヤツだな。少しお節介のようだが』

モニカを目で指しながら、サイモンが言った。

『そんなんじゃない』

俺はただ、できるだけ自分が思うとおりに生きようとしているだけだ。だから行動に無駄や矛盾が多いのは仕方がない。ブラックな職場のトラウマは伊達じゃないのだ。


『まあせいぜい気をつけな。ダンジョンじゃイイやつから死んでいく』
『あなたが生きてるんだから、まだまだ大丈夫ですよ』

そう言って、俺達は別れを告げた。

「終わりましたね」
「ああ、終わったな」

俺と三好は、肩の力を抜いて、彼女たちがロビーを出て行くのを見送っていた。
街路樹は鮮やかに色づき、冬の始まりを告げていた。

モニカは、SPに囲まれながら、表のリムジンに乗り込んだ。防衛省までは、僅かに一分だ。
正門をトレーラーのコンテナが塞いでいたりしなければ。


062 碑文の内容 12月
5日 (水曜日)


パーティ情報が明らかになってからの鳴瀬さんの翻訳作業には鬼気迫るものがあった。やはり新事実への好奇心が大きなモチベーションになっているのだろう。

しかも、自由裁量勤務が認められていたから、朝から晩までどころか、朝から朝まで、うちの事務所にこもって作業している。


異界言語理解は、その名の通り異界の言葉で書かれた内容を理解するというスキルだった。重要なポイントは、異界言語翻訳ではないってところだ。

存在しない概念や、異なる文化、ゲーム的な概念やルールを地球の言語で記すためには、それなりの知識や訓練が必要になるわけだ。


鳴瀬さんは、現在公開されている碑文を、凄い勢いで翻訳していた。何しろダンジョンに関する知識はすでに充分あるのだ。理解できない概念がとても少ない彼女の翻訳速度には、素晴らしいものがあった。


日本ダンジョン協会に行かなくて良いのかと聞いたら、「先日四百億も稼いだじゃないですか。十年くらいさぼっても許されます!」なんて無茶苦茶を言っていた。

この人も段々三好とかに染まってきたんじゃと、少し心配したが、日々の報告は入れているようだった。


ま、今はこちらの作業が最優先事項ってことだろう。
実際公開することを考えれば、これはダンジョン管理課の業務と言ってもいい作業だ。

たった二日で、うちの事務所の1層にある十六畳のレストルームは、鳴瀬仮眠室になっていた。
仕方がないので、三好が、少しいいソファーベッドを搬入したようだ。

事務所内にあたるわけだが、「重要なものにはすべてパスが掛かってますから、スパイが一人で事務所にいても平気ですよ」と三好は笑っていた。

本当に重要なものは、すべて一台のノートに突っ込まれていて、資料類もまとめて収納庫の中に仕舞われているに違いない。

何しろデタラメに放り込んでも、取り出すときはちゃんとリスト化されているのだ。便利この上なかった。


できあがった翻訳は、三好がサイトに登録していった。

ただし、碑文に使われている文字のフォントは存在しなかったので、資料として掲載可能な碑文写真と、碑文
ID、それに翻訳文を並べたものになった。
当面は日本語だが、公開前に英訳しようと考えているそうだ。公開予定日は、先日モニカに教えたとおり、今年のクリスマスだ。


サンクスギビングには失敗したが、宗教行事にかこつけるのは、俺もダンジョンもおんなじだな。


翻訳が進むにつれて、発見されている碑文は、2種類の本の断片のように思われた。

片方は、The book of wanderers であり。その実態は、ダンジョンの解説書だった。

ダンジョンシステムの説明を初めとして、そこには、ダンジョンの特徴やその驚くべき性質などが、断片的に記されていた。


同じ物事の内容が、碑文によって微妙に異なったりしているのは、整合性を取らずにそのまま翻訳した。そこから先をすりあわせるのは研究者の仕事だからだ。

いくら写本扱いとは言え、碑文の製作者は、ちょっと凝りすぎじゃないだろうか。

The book of wanderers に属しそうにないと思われた碑文には、奇妙な歴史のようなものが刻まれていた。


「これって、例のフレーバーテキストみたいなもんなんですかね?」

三好が翻訳の一覧のうち、どう見てもダンジョンの解説書では「ない」ものを取り出して、意味のある順に並べようとして、挫折していた。


「もしかしたら、ダンジョンの先の世界の自己紹介なのかも知れないぞ?」
「それを知って貰いたいなら、こんな迂遠なことをしなくても、普通に本を差し出せばいいと思うんですけど……」

「徐々に碑文が集まっていくほうが、長く研究者や探索者の興味をひきつけられるだろ」
「それはそうですけど……まあ、その辺は考えるだけ無駄でしょうから、その他分類で、発見された順に並べておくことにします」


そう言うと、三好は、思考を切り替えるように、椅子から立ち上がって伸びをした。

「休憩するか」
「ですね」

三好がダイニングで、コーヒーの準備を始めた。

「そういや、先日テレビのニュースで、例のトレーラーの事故をやってましたよ」

あのトレーラの運転手は、救急隊員によって救出されたが、そのときはすでに心臓麻痺で亡くなっていたそうだ。結局、あれは、運転中の突然死による事故として処理された。


「世界って、陰謀に満ちてるって気がしてきました……」
「平和にのんびり生きたいよな」
「ですねぇ……」

「平和にのんびり生きたい方にはお気の毒なんですが……ちょっと無理かも知れません」

話に割り込んだ鳴瀬さんが、控えめに差し出してきたのは、RU22-0012 の翻訳だった。


碑文IDは、発見した国+エリア - ID の形をしている。

つまり、これは、エリア22(モスクワのあるエリアだ)でロシアが発見した十二番目の碑文だった。


そこには、全探索者が、目の色を変えるかも知れない内容が書かれていた。
それはおそらく、ロシアが伏せたに違いない部分だった。
なぜなら、もしもこれが公開されていたとしたら、トップエクスプローラの全員が代々木に集まることは無かったはずだからだ。


事実、世界2位のロシアのエクスプローラは来日していない。

「ダンジョンの二十層から七十九層には、無限の鉱物資源が配置され、それ以降には……ね」

もっとも現時点では、大量に持ち出すこと自体が難しいだろうから、事実上産出量は制限されるだろうが、レアメタルや貴金属なら世界の趨勢をひっくり返しかねない。また、鉱物資源というからには、宝石も含まれる可能性があった。


「八十層以降には……まででとぎれていて、その先はこの碑文には書かれていないんですが」
「きっとミスリルだのオリハルコンだのがあるんでしょう」

俺はちゃかすように言ったが、可能性は高いと思っている。
ダンジョンは、より深部へと人類を誘っている。だからその先には探索するモチベーションを保たせるご褒美が用意されているはずだ。


「どのフロアで何が産出するのかは、ダンジョンによって異なるような記述があるんですが、五十層だけは明示されていて……金、だそうです」


世界中のダンジョンの五十層から金が産出する? しかも無尽蔵に?

「それが知られたら金が暴落しそうだな」
「先輩。ダンジョンから、何千トンもの質量を持ち出すのは大変だと思いますよ?」

現在金の年間産出量は3千トンくらいだ。ダンジョン内、しかも五十層という下層からそれを持ち出すのは確かに大変だろう。


「しかも、そう簡単には、手に入れられなさそうなんです」

そう言って鳴瀬さんが、翻訳文書をスクロールした。碑文には、その採掘方法も記されていたのだ。


「土に関わるモンスターが落とす、マイニングというオーブを使用することで、二十層以降のモンスターが鉱物資源をドロップするようになる、ねぇ……」


ドロップする鉱物資源は、原則一フロアで固定であり、モンスターの種類は関係がないらしい。

「マイニングは、現在の所、未知スキルですね」
「土に関わるモンスターか……マイニングの利用方法から考えて二十層までにいるのかな」
「代々木ですぐに思いつくのは、十三層のグレートデスマーナでしょうか」
「グレートデスマーナか、まあ、土には関係あるよな」

モグラだけど。

「ストレートに、ノームとか、ゲノーモスとか、グノームとか、グノーメとか、ついでにドワーフとか、そんなのがいればな……」

「あれ? 先輩。ゲノーモスは代々木にいたはずですよ」

俺の投げやりな台詞を聞いて、三好が言った。

「マジ?」
「たしか……」

「十八層です」と、鳴瀬さんが補足した。

「急峻な山岳層です。ゲノーモスは山岳の洞窟に住んでいるモンスターですが、十八層はほとんどが険しい山脈か、面倒な地下洞窟で、無限に広がっているように見える山裾も相まって、探索者に敬遠されています」

「そりゃ、ビンゴっぽいな」

「行きますか?」と三好が目を輝かせた。無限の鉱物資源だもんな。夢はある。

「いえ、ちょっと待って下さい。実は、もうひとつあるんです」

鳴瀬さんが再び気の毒そうに差し出してきた資料には、BF26-0003と書かれていた。


「BFって?」
「ブルキナファソです」
「なんだか強そうな恐竜の名前みたいですよね」

ブルキナファソは、西アフリカにある国で、北部に、数年前から続く干ばつで食糧危機に陥っているサヘル地域(サハラ砂漠の南の縁にある、乾燥地域のこと)を抱えている。

日本の援助も広がっていて、あのあたりでは比較的身近な国と言えるかも知れないそうだ。

その碑文は、ブルキナファソ北部ウダラン州最大の街ゴロム・ゴロムの北東三十キロくらいの位置にある、ダーコアイとよばれる広大な池の南に出来た、通称ダーコアイダンジョンから収集されたらしい。


「よくそんな場所のダンジョンが見つかったもんだな」
「最初は、バードライフ・インターナショナルの会員が見つけたそうです」
「なにそれ?」

早速三好が検索した情報によると、バードライフ・インターナショナルは、鳥類保護を目的とした世界最大級の国際環境NGOらしい。

ダーコアイは、そのあたりの鳥類の宝庫で、様々な環境保護プログラムが2000年以降適用されているそうだ。


そして、その資料は、RU22-0012以上に衝撃的だった。


「食料?!」

「碑文を信じるなら、ダンジョンの浅層、二層から二十層には、先の鉱物資源と同様、食料が配置されているそうです」


もしもそれが碑文の間違いでなければ、サヘル地域の食糧危機が解決する可能性がある。それどころか、農業が難しい地域の貧困問題や、ひいては世界の人口問題すら解決する可能性があるかもしれない。


「人類全体にとってみれば、鉱物産出どころの騒ぎじゃないな」
「問題は、その条件なんですが……」
「どうせ、またハーベストとかいうオーブが必要なんじゃないですか?」と三好が冗談めかして言った。


しかし、翻訳の先に書いてある条件は違った。

「探索者の数?」

そう、食料ドロップのトリガは、探索者全体の数だったのだ。

「探索者の数が五億人を超えると、食料がドロップするようになるそうです」

ダンジョンの発生から三年経った現在、その探索者数は一億人弱だ。
一見ずっと先のように思えるが……

「もしもこの情報が公になったら、人口爆発で将来の食糧需要に悩んでいる国が、国家の事業として探索者を登録させかねません」


中国はその筆頭だ。
食料の確保は指導部の最優先課題だろう。国民に強制登録させてもおかしくなかった。

「アジア・アフリカ地域だけで、母数は五十億以上だからな、五億人くらい一瞬で届くかもしれん」

「だけど、先輩。飢餓地域はそれで良いかもしれませんが、そうでない地域は、生産者や流通の混乱を招きませんか?」


現在の地球に飢餓地域がある一因に、生産食料の偏在があることは明らかだ。
もっとも、流通や価格等を考えればやむを得ないことではあるのだけれど。

「食料は売っても大した金額にならないから、ほとんどが飢餓地域の自家消費みたいなものだろう。そうでない地域は積極的にそれを狩るメリットがないんじゃないか?」


しかし三好は首を振った。

「先輩。ダンジョン産の食材で能力の向上が見られる話、しませんでしたっけ?」

おお! そういえば。

「ダンジョン産の作物で、もし本当に能力が向上したりしたら、飢餓地域以外の地域でも大量に狩られはじめますよ。なにしろ二層で得られるんですから」

「うーん。それって、高付加価値食品として、既存の食品と棲み分けないかな?」

もちろん産出量によるとは思うが、ダンジョンの広さは、世界の広さに比べれば微々たるものだ。いくらなんでも、人類全体で消費されている食料の大部分を置き換えるような量の食料が産出するとは思えない。


既存の食品が売れなくなって値を下げると言うより、ダンジョン産の作物が、高付加価値食品として、現在の食品とは別の市場になりそうな気がする。


もしかしたらそのせいで、飢餓地域からダンジョン食材の輸出が行われてしまうかも知れないが、それは通常の食料とバーターされることを祈ろう。


「はー……こういうの見てると、来年から世界は大きく変わりそうな気がしますね」
「いまなら先物を売りまくって大もうけできるかも知れないぞ?」

冗談めかしてそう言ったが、実態はどうあれ、この情報のインパクトは大きい。
穀物系先物の価格は、一時的には安値を付けるはずだ。

冷静になれば、それに大きな影響を与えるほどの産出量をいきなり上げられるはずがない。
言ってみれば、探索者の家の庭に、家族が食べるための畑が作られた程度の意味しかないからだ。初めのうちは。


「取引履歴を調べられたら、世界中から糾弾されそうだから、やめときます」

そりゃそうか。
インサイダーとは言えない気がするが、Dパワーズが関与しているリークスのせいで相場が動いたとき、三好の名前でそれをやってたら、間違いなく糾弾されるだろう。


「これって今すぐ公開……しても信じて貰えませんよね」

鳴瀬さんの気持ちはよくわかる。けれども碑文情報の公開は現在とてもデリケートな問題で、最初に得る信用がとても重要だ。


「残念ながら。パーティ情報をテコにして、少なくとも世界中で追試して貰える程度の信用を得てからでないと、無視されて終わりですね」


鳴瀬さんは、仕方なさそうに頷いた。

「しかしあれだな。そのうち、『スネッフェルス山の頂にある火口の中を降りていけば、地球の中心にたどり着くことができる』なんて書いてある碑文が見つかりそうな勢いだな」


あまりに様々なことが掘り起こされる碑文情報を見渡して、俺は冗談交じりにそう言った。

「エリア28のスナイフェルスヨークトルには、実際にダンジョンがありますよ。確か観光用に公開されていたはずです」

「リアル地底旅行かよ」

きっと産出する鉱物は、水晶やダイヤモンドに違いない。
ダンジョン設計者のあまりの周到さに、俺は舌を巻いたのだった。


063 未知なるゲノーモスを夢に求めたら
12月10日 (月曜日
)


エクスプローラ五億人達成に関して、今、出来ることは、なにもない。
だから、俺達は、マイニングを確認しようと決めた。

前日の土日は、御劔さん達の特訓に付き合った。
三好のやつは、ダンジョンデートとか最悪っぽくないですかと突っ込んでいたが、デートじゃないから。


今回は土曜日に斎藤さんが参加してきた。どうやら、コンパウンドボウにハマっているらしく、三層に数多く出るウルフを狩りに行ってみたかったらしい。

特訓としては一層のスライムがベストなんだが、単なるストレス発散、アミューズメントのつもりで付き合った。

狩りとはいえ、死体の残らない魔物相手だと、生き物を殺すことに対する嫌悪感はあまりない。まさにゲーム感覚と言っていいだろう。


下二桁00匹目はウルフだった。
、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 俊敏xHP+1 七百万分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ  超感覚 五億分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 危険察知 二十億分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 生命探知 二百四十二億分の一
、、、、、、
流石ウルフ。生命探知を持っているが、激レアだ。
こちらはコボルトで月二・三個はいけそうだったので、危険察知をゲットした。

「GTBっぽいものもないし、なんにも出ないから、すぐ飽きちゃうね」

とは斎藤さんのお言葉。
しばらくしたら、食料を落とすようになるのだろうが、現時点では何のトロフィーも残さない四層までのモンスター討伐が、冒険心を飽きさせるのは仕方がない。ゲームみたいに得点が表示される訳でもないしな。


続く日曜日は、御劔さんと二人で修行僧のようにスライムを倒して歩いた。
来年になれば彼女はメジャーになるだろう。こんな付き合いも今年限りかな、なんて考えながら、ご飯を食べて、クリスマスの約束をして別れた。とはいえ現在の彼女のお休みは、週末なので二十三日の約束なのだが。


そうして訪れた週明けの十日。

その日俺は、「よし、未知なるゲノーモスを夢に求めるか!」と、気合いを入れてダンジョンに入った。


並大抵の者には辿り着けず、はてしないダンジョンの階段を下りた先にある、それ。ダンジョンを通過した先にある異界もこれと同じだな。

なら、最下層にある神殿の先には、古い神々が封印されていたりするのだろうか?

「先輩、それ、『ス』しか合ってませんし。それに、辿り着いたら発狂しちゃうとかはイヤですよ」

「イヤだな」

問答無用で、SAN値がゼロになるのは、やはり避けたい。

出かける前に、鳴瀬さんにはアルスルズを紹介しておいた。
そうしないと、事務所の警備で鉢合わせたとき、大騒ぎになるだろうからだ。

余りのことに、陸に上がった金魚のように口をパクパクさせていたが、最後には、モフモフを楽しむ余裕もでてきたようだった。


鑑札や検疫については、世界ダンジョン協会に規定そのものがなかった。
今までにサモナーもテイマーも現れていないからだ。

ペットとしての区への届け出についてだが、特定動物リストにも特定外来生物等一覧にも掲載されているはずがないので、それらが適用されることは無かった。つまりは、単に犬として届け出て、鑑札の交付を受けて狂犬病予防注射を受けるしかないのだが、こちらのルールは「生後九十一日以上の犬を飼い始めたとき、三十日以内に登録する」というものだ。


アルスルズは、召喚した日が誕生日だとすると(いいのかそれで)、まったくこのルールに抵触しなかった。そもそも狂犬病予防注射がどういう影響を与えるのかも、まるでわからない。


「しかたないので、このまま様子を見ましょう」というのが鳴瀬さんの判断だった。

規定がない以上、何処かの研究機関が実験動物扱いする可能性などもあったが、個人の財産に対してそんなことを日本で行うことは難しかった。飼い主が、譲らなければ良いだけの話だ。

ビバ、ジャパン。

結局、三年前からずっと、ダンジョンに関しては常に後追いで、問題が起こる度にそれに対処するしかないのが実情だった。

鳴瀬さんには、一匹は大抵事務所の敷地内でガードしているから、安心して翻訳するよう伝えて、俺達はダンジョンへと出かけていった。


「それじゃあ、パーティのテストと行くか」
「了解」

ダンジョンシステムとしてのパーティは、まだ発表されていない。
クリスマスのヒブンリークスオープン時、その信憑性を担保するのに使われるからだ。

だから最初に試したとき以来、今のところ誰ともパーティを結成していなかった。
今回はそのテストも兼ねていた。

俺は、三好とDカードを触れ合わせると、「アドミット」と念じた。

特に視覚や聴覚に刺激を与えるようなイベントは発生しないが、相変わらず相手との間に不思議なリンクが出来たような感じがした。


「この『繋がった感』が、パーティ加入を報せるUIなんですかね?」

自分のDカードの裏を見ながら三好がそう言った。
Dカードの裏にはパーティメンバのリストが表示される。だから、パーティ加入の確認はそちらでも出来た。


十層までは勝手知ったる道のりだ。今晩は、比較的安全な十層で休むつもりだった。
なにしろ、拠点車をひっくり返すようなモンスターはいないし、それを見とがめる探索者もいない。

しかも、三好にとっては天国のようなフロアなのだ。

「もう一回373匹を目指しちゃいますよ!」

「あれなぁ……もしも翌日の0時まで消えないってルールだったりしたら、門を出てもずっと追いかけられるってことか?」


もしも探索者がいたら、最悪のトレインで、最悪のMPKになりかねない。
しかもゲームと違って、復活はないのだ。

「……入るにしても、二十三時の終わりの方ですね」

そんな話をしながら最短距離をぶらぶらと歩いて、十層へと降りる階段に到着したのは六時間ほど経過したときだった。


、、、、、、、、、

一般的に嫌われている十層だが、実際検証にはとても向いていた。

標準ドロップアイテムを落とすモンスターが、結構な数涌き続け、しかもわざわざ近寄ってきてくれるのだ。

モンスターの種類も比較的偏っているため、同一のモンスターを数多く倒すことも容易だ。

今回は、標準ドロップアイテムのドロップ率や、魔結晶のドロップ率に運が与える影響を検証する予定だった。


俺達は、十一層への階段とは逆の方向で、十層への階段からは充分に遠い、相変わらず誰もいない場所に拠点車を出して、それに乗り込んだ。


「ふー。下二桁のためにモンスターの数を数えるのだけが大変だな。カメラ映像から倒した数のカウントとかできないものかな?」

「便利そうな認識APIは全部クラウド上ですから、ダンジョン内では使えませんよ。モンスターの認識は学習させれば可能でしょうけど、倒したかどうかを判断するのはちょっと無理じゃないでしょうか」


命中したモンスターは識別できるだろうが、それが倒れても、本当にとどめを刺したのかどうかは消えるまでわからない。

もしも、カメラの画角からはずれてしまったときに消えたりしたら、生きていて移動したのか、討伐されて消えたのか区別がつかないわけだ。


「しかたない、地道にカウントしますかね」

俺はそう言って立ち上がると、バンクベッドへと移動した。

「じゃ、とりあえず、お互いにスケルトンを百体ずつ倒して、骨の取得数を調査しよう」
「OKです」

「あ、その前に今の三好の運を確認しておこうぜ」

三好のステータスの調査は多少面倒だが、要するに、三好が俺を鑑定して、結果が0になる最小の値を見つければいいだけだ。すでに以前の三好のステータスは分かっているから、そのときの値から、一ずつ上げていけば比較的簡単にその値を見つけることが出来る。


準備のために、俺はメイキングを立ち上げた。

「ん……んん?!」

、、、、、、
 ネーム 芳村 圭吾
 RANK 1 / ステータスポイント 673.86
 HP 250.00
 MP 190.00

 力 (-) 100 (+)
 生命力 (-) 100 (+)
 知力 (-) 100 (+)
 俊敏 (-) 100 (+)
 器用 (-) 100 (+)
 運 (-) 100 (+)
、、、、、、
 》 三好 梓

そこに表示された俺のステータスの下に、『三好 梓』の名前があった。
これって、もしかして……

俺はおそるおそる、三好の名前をタップした。

、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 2.863
 HP 21.70
 MP 32.50

 力 (-)
style='mso-spacerun:yes'>
8 (+)
 生命力 (-)
style='mso-spacerun:yes'>
9 (+)
 知力 (-) 18 (+)
 俊敏 (-) 11 (+)
 器用 (-) 13 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

するとそこには、予想した通りの表示が現れた。

「み、三好、これ」

俺はその画面を指さした。が、三好にそれが見えるはずはない。

「なんです? 何かあったんですか?」
「あ、いや……三好がいままでに得たステータスポイントっていくつだっけ?」
「? 確か……4.86くらいです」

三好は自分のパソコンの記録を呼びだしてそう言った。
画面には、ステータスポイント 2.863とある。つまり自然にステータスポイントに割り振られているのは、得ているポイントの
50%くらいだということだ。

「なんです先輩? 気になりますね」
「いや、実はな……」

俺はメイキングに三好の名前が表示されていることについて話した。そうしてそれをタップしたとき何が起こったのかも。


要するに、これは、パーティメンバのステータスをいじれる機能なのだ。

「マジですか?!」
「マジっぽい」

三好は目を輝かせたが、すぐに正気に戻った。

「だけど先輩。取得したステータスポイントは行動に応じて自然にステータスに割り振られているわけですよね?」

「たぶんな」

俺の時は自然な割り振りが発生しなかったが、あれはメイキングを取得していたせいだろう。
取得するまでに少し時間があったことを考えると、ステータスポイントが自然にステータスに加えられるのは、それを得てしばらくしてからに違いない。


摂取した栄養素が、体を作るのに時間が掛かるようなものだろうか。

「以前先輩が言ってたステータスエディタの機能だと、すでに振られているステータスは元のステータスポイントに戻せないんでしょう? なら、ここで編集可能になっても意味なくないですか?」

「いや、それがな……」

実際に三好のステータスポイントは、2.863残っていること、なので、自然に割り振られたステータスポイントは2ポイントであることを説明した。


「それって、自然にステータスポイントが割り振られるのは、取得したステータスポイントのほぼ
50%ってことですか?」
「この例だけ見ればな。もしかしたら、残り半分は長い時間を掛けてステータス化されるのかもしれないが」

「それって……先輩とパーティを組めば、取得しているステータスポイントの50%は、好きなステータスに割り振り放題ってことですか?!」


三好が再び興奮したように、そう言った。

「ま、まあ、そうだな」
「先輩!!」

「いや、まて三好。これをカネにしたり、よく知らない探索者のために使うのは無理だろ」

なにしろ俺とパーティを組まなければいけないのだ。それだけで中々にハードルが高い。
自然に組めるのは、三好を除けば、御劔さんと斎藤さん、それに鳴瀬さんくらいだ。

知らない人に、「やあ、君。ボクとパーティを組まないか?」なんて言えるはずがない。
もしも興味を示されたとしても、とりあえず能力確認にDカードを見せろと言われるのが関の山だ。


三好は少し考えてから言った。

「そこは持って行き方次第じゃないですかね?」
「どんな風に?」

「そうですね。例えば、ダンジョンブートキャンプだとか言って、先輩とパーティを組んで、数日間ナゾの活動をするわけですよ。以前話してた、基金と絡めてもいいですよね」

「謎の活動?」
「そこは何でもいいんですよ、死にそうな目にさえあえば。それで、終了時に少しだけステータスポイントを希望の所へ追加してあげれば、あーら不思議、ブートキャンプに参加すると思い通りの成長が! 一度に上げないで少しずつ何度も上げるのが肝です」


「死にそうな目って、お前な……」
「人間、楽するよりも、努力に努力を重ねた後に得た力の方が納得できるでしょう?」

どちらか選べと言われたら、絶対に前者だが、確かに後者の方が納得感はあるだろう。

「まあ、それは。だけど、それでも、効果が確認されたりしたら世界中から申し込みが殺到しないか?」


俺は、それなりに自由を満喫したいのだ。

「んー、参加者は、一年間代々木の最下層『確認』に力を貸さなければいけない、とかの条件を付けるのはどうでしょう」

「攻略じゃないのか?」
「いきなりエバンスみたいに代々木がなくなったら困る人が大勢いそうですし。先がどうなってるのか予測が付かないから、攻略までは踏み込まないほうが……」


「だけど、毎日そればっかりやらされる未来はイヤだぞ」
「最初に先輩とパーティを組んで貰った後、訓練自体は別の人を雇えばいいんじゃないですか?」


ハートマン軍曹役がやりたいなら別ですけど、と三好が笑った。
少し憧れはあるが、あれを演じるメンタリティは……ムリだな。大体、修了生に殺されるフラグにしか思えん。


「それに、訓練中にモンスターを倒す部分があれば、経験値は先輩が総取りすれば丸儲けですよ?」

「え、それって酷くないか?」
「報酬ですよ、報酬。どうせ一人あたりは大した数字になりません」

昔よく話題に上った、銀行利息の一円未満の部分をかき集めて横領して大もうけみたいな感じか。


「それに、積極的に開催したほうが、参加者を制御・選別できて楽ですよ」

なるほど。参加者をこちらで恣意的に抽選する訳か。

「代々木攻略という名目があれば、積極的にダンジョンに入っているベテランを優遇してもおかしくないですし。初心者に参加されても効果はゼロですから」


余剰ポイントの割り振りが主たる目的だから、そもそも余剰ポイントのない探索者じゃ、効果を得ようがないわけだ。


「それでも偉い人のごり押しで、伸びしろゼロの探索者が押し込まれたら? 効果は期待できないぞ」

「いざとなったら、『鑑定』を公開してもいいと思ってるんです」
「え?」

確かに、応募してきたものに向かって、「君には今伸びしろがないから無理」的な話をするのに、「私は鑑定を持ってますから」というのは有無を言わせない説得力にはなるだろう。なにしろそれを否定する手段はないのだ。


「一応Dパワーズのフロントマンで、がっつり報酬も頂いてますから。名前が売れるのは今更ですしね」


すでに、世界唯一のオーブハンターとか言われてるんじゃなぁ……三好のIDが古いもので助かったよ。ぽっと出だったりしたら、もっと騒ぎが大きかっただろう。


最初のイタリアンで話したとおりの展開とは言え、身の危険が増すかも知れないのは複雑だが、今では狙撃さえ防ぐ犬っころ達もいるし、脅威を上回る有用性があればお目こぼしをいただけるというのもデューク東郷が証明している。漫画だけど。


「そしたら、世界中からの鑑定依頼で、きっとがっぽりですよ! それにスカウターが開発できた理由にも出来て一石二鳥ですね!」


おどけたように三好は言うが、こいつ特有の強がりなのはわかっている。

「わかったよ」

おれは苦笑いしながらそう言った。
他の鑑定持ちが現れたらどうするんだよとか、言いたいことは沢山あるが、私的な組織が私的に行うキャンプなら、私的に抽選しても文句を言われる筋合いはもともとないからな。


「だけど、本当に動き出すのは、子パーティのメンバにメイキングが作用するかどうか確かめてからだな」

「同時募集人数にも関わりますしね」
「できなきゃ最大六人だ」
「7人じゃないんですか?」
「教官と念話ができないと不便だろ」
「あー」

キャンプの間、俺が地上にいてもパーティが維持できるのかどうかとか、他にも調べることは沢山あるが、それはまた後の話だ。


「ともかくその話は地上に戻って、知り合いでテストしてからだ。今回はマイニングが目的だしな」

「了解です」

、、、、、、、、、

その日は、一日、運とドロップ率の考察を行った。
俺と三好の運は丁度十倍。検証には丁度良かった。

その結果、標準ドロップアイテム(スケルトンの骨なのだが)のドロップ率は運と余り関係がなく、概ね
25%前後だった。

「骨は先輩も私も変わらない感じですが、魔結晶はすごい差が付きましたね」

魔結晶は、大体標準ドロップアイテムのドロップ率に、運100を掛けたくらいの率だった。つまり三好が俺の十分の一だったのだ。


「123体倒して三個はちょっとへこみますね」


特殊ドロップ(この場合はヒールポーション(1))は、まったく計算出来なかった。なにしろ三好にはドロップしていないのだ。


「ヒールポーション(1)は先輩が三個で私が0ですから、なんらかの運の関与はありそうですけど……」


討伐数は、どちらも125で止めてある。百じゃないのは単に止められなかったからだ。

スケルトンは過去にも討伐数が結構あるので、そこも含めて次の仮説を立てた。

・モンスターには基本ドロップ率 BDR(
class=SpellE>BaseDropRate)がある。今のところ
0.25くらいだ。
・モンスターには特殊ドロップ率 RDR(
class=SpellE>RareDropRate)がある。今のところ
0.02くらいだ。
・標準ドロップ品は、運にほとんど依存せず、BDRのまま。

・特殊ドロップ品は、RDR*(運/100)くらいのドロップ率になる(暫定)

・魔結晶は、BDR*(運/100)くらいのドロップ率になる


「って、ところでしょうか」

「そうだな。後はいろんな人のデータが集まると良いんだが……自分が倒したモンスターの数を種類別にまじめに記録してくれる人なんて、あんまりいそうにないもんなぁ」

「ですねぇ。私たちだって、数値化というモチベーションがあるからやってますけど、たった2種類が混じっただけでも、結構めんどくさいですもん」


一層ならスライムだけだったのでそうでもないが、十層はゾンビとスケルトンが混じっている。それぞれ別に計測するのは、かなり面倒だった。

メイキングが倒したモンスターの履歴でも表示してくれれば良かったのだが、そんな機能はなかった。残念。


「世界ダンジョン協会が基本ドロップ率すら計測してないのは、エクスプローラに何匹倒しましたか、なんて聞くのが無理だったからだと思いますよ」


確かにそうだ。

無い物ねだりを諦めた俺達は、すぐに眠りの階段を下りていった。


064 ファーストクイーン 12月
11日 (火曜日)


「「うわー」」

十八層に降りた俺達は、その風景に圧倒された。
黒っぽい大地の上に大きな岩がゴロゴロと転がる荒涼とした風景が広がり、鋭く切り立った崖の下には、何処までも雲海が広がっていた。


「まさか、あの雲海の下までダンジョンが広がってるんじゃないだろうな」
「見た目、何十キロもありそうですけど」
「この層のマップってどうなってるんだ?」
「それが、完成していません」

下り階段を見つけるために、この位置から螺旋状に調査されていたが、下り階段の発見と共に調査隊は下層へと移り、その外側はほとんど調査されていないらしい。

足下遥かに広がる雲海と、その下に降りていけそうな崩れた斜面を見ながら、俺はため息をついた。


「なるほど、気持ちはわかる」

見た目、果てが見えないもん。見通しが良いだけに、余計くじけそうになるだろう。

上を見上げると、鋭く尖った氷食尖峰(ひょうしょくせんぽう
)がそこにあった。
いくつかのピークが並び立ち、一際大きなピークは、アルミニウムの穴に水銀を入れて立ち上がらせたアマルガムのように迫り上がっていた。


俺は、足下の黒い岩を、こつんとつま先で蹴飛ばした。

「玄武岩か」

三好がこくんと頷くと、上を見上げながら「確かにケニア山ですね、あれは」と言った。

最初にこの地を探検した自衛隊の部隊にクライマーがいた。彼はこの山を見て、バティアン峰だと言ったらしい。その後の山頂付近の調査は、その隊員が中心になったということだ。


「雲海の下はあまり調査されていないのに、より面倒くさそうな山頂方向の調査が行き届いているのは、それが原因か」

「もしも探索中に抜け出して登頂していたり、その罰が28日間の謹慎だったりしたら伝説なんですけどね」

「なんだそれ?」

ケニア山のいくつかあるピークの内、レナナ峰の初登頂は、第二次世界大戦中に三人のイタリア人によって成し遂げられたが、彼らはイギリス軍の捕虜だったそうだ。

それがあろうことか脱走して山を登り、下山後に収容所に戻ったのだとか。その結果28日間独房に入れられたんだとか。


「俺たちは天使じゃない、かよ」
「まあ、脱走したけど戻っちゃうところはその通りです。正直、あの映画は、ちょっと許せませんけど」

「なんでよ。1955判は良い感じのクリスマス映画じゃん。『素晴らしき哉、人生!』や『三十四丁目の奇蹟』よりも、俺は好きだぞ?」

「いいですか、先輩。クリスマスディナーの後、後ですよ? ディケムの1888がほとんど全部! 四分の三以上残ってるんですよ?! あの時点でもたぶん三十年物! 主人公と同じ歳ですから」


それを聞いた俺は、呆れながら言った。

「お前はちょっと映画を見る視点を変えた方が良いぞ」

戦争の犬たちを見て、クリストファー・ウォーケンがパクられるグレンフィデックを気にするやつはいても、ラストの兵士達が飲んでいるシャンパーニュの銘柄を気にするのはこいつだけだ。

映画の感想が「意外とまともなグラスで飲んでますよね。普通ラッパとかしちゃう場面な気がしますけど」だからな。


それにしても、脱走して登山とは物好きな。
もちろんここでそんなことをやったら、すぐに魔物にかこまれて命を落としかねないが。

「それにしても、なんで山頂付近が空欄になってるんだ?」

俺は手元のマップを見ながらそう言った。
そこまで行ったら登頂するのがクライマーの性なんじゃないかと思うんだけど……マップの山頂部分には進入禁止エリアのマークが付いているだけで、空欄だった。


「鳴瀬さんから頂いた資料だと、山頂に何かいるらしいです」
「何か?」

そう言って、三好はタブレットを取り出して、該当資料を見せてくれた。
そこでは、最初に登頂を目指した自衛隊員三名のうち、ふたりが、そのエリアに入ったとたん二階級昇任していた。


「これって……こないだのヘカテみたいなユニークか?」
「かもしれません。伝承だと神さまですね」

なにしろキリンヤガですから、と、三好がうそぶいた。
ケニア山を、原住民のキクユ人達はキリンヤガと呼んでいる。意味はずばり「神の山」だ。マイク=レズニックの小説で読んだことがある。


「山頂には、エンカイっていう太陽の神さまが、黄金の椅子に座っているそうですよ」
「神さまねぇ……」

「しかもエンカイは、地元の言葉だと、ンガイですよ。先輩、ニャル様が出そうですよ?」
「もしもそこが、ウィスコンシン州の北部の森ならな」

ンガイは、ニャルラトテップが拠点にしていた森の名前でウィスコンシン州の北部にあったとされている。

もちろんエンカイとは何の関係もない。

「このダンジョン、語呂遊びが洒落になりませんからね」

確かにそうかもしれない。ウィザードリィの昔から、洋ゲーのRPGは言葉遊びだらけだもんな。


「もし十八層にニャル様が出たら、逃げ帰って布団を被って、もう二度とダンジョン様には逆らわないようにするよ」


俺は笑いながらそう言うと、バティアンを見上げた。

「冗談はともかく、洞窟は、あのピーク、通称バティアンの麓にあるらしいですよ」
「よし、そんな恐ろしげなものが潜んでいる山頂の探検は、どこかの誰かにまかせておいて、俺達はこそこそと麓に挑むぞ」

「なーんか、フラグっぽいですけどね」

三好の嫌な台詞を合図に、俺達はゲノーモス達の待つ地下洞窟へと歩き始めた。

、、、、、、、、、

「しかし、ホントにここにも探索者がいないな。鳴瀬さんの言ったとおりだ」
「一層といい、十層といい……最近すっかり、人気のない層ばかりに縁がある感じです」
「そこは、ラッキーだと思おうぜ」

アルプスアイベックスのようなモンスターや、歩く高山植物みたいなモンスターを倒しながら、俺達は、二時間ほどで地下洞窟の入り口だと思われる場所へと辿り着いた。

幸いこの層でも、俺達の攻撃手段はそのまま通用した。

その場所は、少し大きめのガマの入り口のような場所だった。
もっと大きな入り口があるのかと思っていたが、意外ともいえるサイズに俺は驚いていた。

「こんな洞窟、よく見つけたもんだな」
「というか、よく入ろうと思いましたよね、ここへ」
「さっきのクライマー隊員みたいに、ケイビング大好きなケイブマニアとかがいたのかもな」
「日本ケイビング連盟とか、日本洞窟学会とかあるらしいですからねぇ」
「マジデスカ」
「ダンジョンが出来たとき、クローズアップされてましたよ」
「そうか、ダンジョンも洞窟っちゃー、洞窟なのか」

ダンジョンが出来る以前から、いろんな大学に、探検部だの地底研究部だの、果ては洞窟研究会などと言う組織まであったみたいだからな。

もっとも最後のは山口大学だから、本来は秋芳洞の研究会だったんだろう。ダンジョンが出来たときに、そういった専門家?たちがマスコミにかり出されていたっけ。


ヘッドライトをつけたヘルメットを被って入り口をくぐると、そこは、結構細い、溶岩洞窟っぽい場所だった。


「巨大な溶岩樹型ですかね、これ」

ああ、そういえば玄武岩質だ。
玄武岩質の溶岩は粘性が低い。だから、この山が活火山だった頃に出来たんだとしたら、その可能性は高いだろう。


「奧にはツチグモがいて、非時《ときじく》の花が咲いていそうだ」

諸星先生の、稗田礼二郎のシリーズには、富士の溶岩樹型を通って、非時《ときじく》の花を見つけちゃう話があるのだ。

しかし、道はまさにそんな感じだった。しばらく先で洞窟が広がるまでは。

視界が開けたとき、俺はぽかんとそれを見ていた。

「三好……すまん。これはどう見ても……人工洞窟だ」
「ですよね」

突然広がった空間で、俺達は、出会ったものの、あまりの荘厳さに開いた口がふさがらなかった。

それは、明らかに人為的に作られた地下の神殿前の広場だったのだ。

そこここに点在している水晶のような物質と、光を発する地衣類のようなもののおかげで、地下だというのに薄ぼんやりと明るかった。


「先輩、あの石、放射線を発してたりしませんよね」

たしかに、キュリー夫人の伝記にある、精製されたラジウムが青い光を放つシーンを彷彿とさせる光景だ。


「いや、ラジウムはあんなに明るくないと思うぞ」

注意勧告も出ていないし、超回復を信じて触ってみたが、とくに火傷もおこりそうにない。
ただの淡い光だと考えてもよさそうだった。

見上げれば、重く重厚な石柱を軽快に見せる細かな装飾。尖頭アーチや、フライングバットレス様のものも散見される。

時代が混じっているようだが、全体的に見れば、ゴシック様式に近いだろうか。

「先輩。ゲノーモスって、モンスターなんですよね?」
「そうだな」
「だけどこれ、文化的な活動に見えますよ」

確かに建築物?そのものはその通りだが、それをゲノーモスが作ったかどうかは分からない。
ダンジョンがフレーバーテキストのごとく、地下に荘厳な神殿を作り上げ、単にそこに棲みついたのがゲノーモスであっただけ、という可能性も大いにあるだろう。


そのとき神殿の向こうで蠢くいくつもの影が現れた。

「先輩、下二桁は?」
「あと、七!」
「了解」

俺は神殿の向こう側から駆けてくる子供のように小さなシルエットに向けてウォーターランスを撃ち始めた。

三好はアルスルズを影から出して、周辺のガードをさせながら、鉄球をばらまいている。三頭しかいないのは、一頭は事務所で留守番だからだ。


すぐに一回目のオーブチョイスがやってきた。

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ マイニング 一万分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 器用
style='mso-spacerun:yes'>





百万分の一


style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 暗視
style='mso-spacerun:yes'>





八百万分の一


style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 地魔法
style='mso-spacerun:yes'>



九千万分の一

、、、、、、

よっし、予定通りだ! 俺は思わずガッツポーズを取った。
しかし、一万分の一? こんなの誰かがゲットしていてもおかしくも何ともないぞ?

「こんな地下にまでやってくる、探索者自体が少なかったんじゃないですか! それより先輩、まじめにやって下さい!」


地下洞窟のゲノーモスは、まるで無限に涌いてくるようだった。

「なんか、こういうゲーム、昔見たような……」

そうだ、ファーストクイーンだ。俺達が生まれるずっと前のゲームのはずだが、そのゴチャキャラシステムもかくやと言わんばかりの勢いで、神殿の向こうからゲノーモスが大量に涌いていた。


二回目のオーブチョイスが訪れた頃、奧のゲノーモスが、立ち止まって何かをもごもごと呟きはじめた。

そのたびに、どこからか石つぶてが飛んで来た。

「やばいぞ、三好。ちょっと下がれ!」
「り、了解!」

三好を俺の後ろに下がらせて、両手に盾を取り出すと、飛礫《つぶて》をガードしながらまわりを見回した。

入り口の方に撤退しようとしたが、すでにそちらにもゲノーモスの群れが回り込んでいる。

「撤退しかないが……」
「逃げられるような場所は、あそこしかありませんね」

そう言って、三好が神殿方向を指さした。
ぐずぐすしていたら、そちらもゲノーモスで埋まってしまって、大量の群れの中で孤立するかも知れない。それは絶対に避けたかった。


「しかたがない、神殿へ待避だ!」

盾を収納した俺は、三好を抱えると、荘厳な作りの神殿に向かって全力で駆けだした。

後ろで大暴れしている三匹に向かって、「囲まれる前に引き上げて!」と三好が叫んでいる。
いかにヘルハウンドとはいえ、あれだけの物量に囲まれたら潰される。適当なところで、さっさと逃げろよ、お前たち。


ゲノーモスの包囲は、俺達を包むように縮まっていたが、俺が神殿の階段を駆け上がる方が早かった。


外見はゴシック様式に見えたが、内部はギリシアやエジプト風に柱が多用されていた。

後ろから追いすがってくるゲノーモスの群れを尻目に、俺は正面の扉のある場所へと飛び込むと、力任せにそれを閉じた。


大きな音を立てて厚い扉がしまると、部屋は完全に闇に包まれた。どうやらヘッドライトは石つぶてにやられたようだった。表から何かが扉に当たる音がドンドンと聞こえてきたが、しばらくすると、それも聞こえなくなった。


あたりを見回せば、闇の中に三対の金色の瞳が浮かんでいた。どうやら全員逃げ切ったようだ。

「先輩、静かになりましたけど」

残念ながら生命探知は、沢山の生き物がそこに留まっていることを示していた。

「だめだな。大勢残ってるみたいだ」
「大勢いるなら、ここからでたらめに鉄球を撃ちまくってみますか?」
「いや、変に刺激してドアを壊されでもしたら事だしな。それは最後の手段ってことにしておこう」


そう言っておれは、保管庫の中から、LEDカンテラを取り出してスイッチを入れた。
LEDだけに千ルーメン程度のそれは、後ろの空間を克明に照らし出すには力不足だった。

俺は三好に予備のヘッドライトを渡して、自分もそれを身につけた。

俺達の前には、細い回廊が、ずっと先まで続いていた。

「アイスレム。この先に何かがいないか、少し見てきてくれる?」

三好がそうお願いすると、こくりと頷いたアイスレムがてくてくと回廊を進んでいった。
流石ヘルハウンド、きっと夜目が利くのだろう。

「さて、扉の向こうに行けないんだとしたら、奧に向かってみるしかないか」

俺は、小さなLEDランタンを紐で括って、ドゥルトウィンの首に結びつけると、そのまま先行してもらうことにした。

しばらく俺の影でガードをしてくれていた関係で、三匹の中では一番俺と仲が良い犬なのだ。

日没までにはまだ時間があるだろうが、午後ももう大分遅い時間になっている。
俺達は準備を整えると、先行したアイスレムを追いかけて奧へ向かって歩き始めた。


065 山上の神 12月
11日 (火曜日)


回廊をしばらく進むと、部屋のような空間に突き当たった。
かなりの広さがあるその部屋には、大きな柱が整然と部屋中に立っていた。

「まるでアモン神殿の多柱室ですね」

それはエジプト王の権力の肥大化と共に拡大されていった、多柱室の集大成だ。

整然と並ぶ柱の影が、俺達が移動する度に揺れ動き、奇妙な生き物のように踊った。
ただし、生命探知に反応はない。アルスルズの鼻にも何も引っかからないようだった。

「もしもこの神殿が、エジプトの神殿と同じ構造なら――」
「なら?」
「この先はいずれ聖所にいたります」
「聖所ってなんだ?」
「さあ? 聖なる場所ってことでしょうけど……神の山《キリンヤガ》の地下神殿にある聖なる場所ですよ? 今から期待に身が震えますね」


三好がことさらおどけたようにそう言った。

「俺は今にも、ちびりそうだよ」と、俺は苦笑でそれに答えた。

周囲を一回りしてみたが、この部屋にも側道はなく、道は奧へ続く一本しかなかった。
俺はちらりと時計を見た。
不思議なことに昼夜があるフロアは、外と時間が一致しているのだ。

「日没まで一時間もなさそうだ。まあ、行けるところまで行ってみるか」

、、、、、、、、、

それからしばらく歩いたが、やはりモンスターはいなかった。流石は聖なる場所ということだろうか。


いくつかの柱廊と中庭を通り過ぎ、どん詰まりにあった、産道のように細い道を、身をかがめながら数メートル進んだ先にその部屋はあった。


「ここが聖所か?」

それは八畳間よりも少し大きい、四メートル四方くらいの八角形の部屋だった。

「意味的には子宮に当たる部分ですよね」

三好は興味深そうに、辺りを調べていたが、その部屋には何もなかった。
隠されていた奇妙な魔法陣以外は。

「うぉ?!」

ふたりでその部屋へ入ってしばらくした後、隠されていた魔法陣が発動した。続いて、気持ち悪い浮遊感に襲われた。

それはまさに――

「スカイツリーのエレベーターですね」
「それって、行き先は……」

俺は思わず上を見た。

「フラグってのは、偉大ですねぇ……」

三好が諦めたようにそう言った。

「もし、上で待ってるのがエンカイだとしたら――」
「?」

「マサイ族出身のナオミさんという文化人類学者が八三年に上梓した本に、マサイ族から聞き取った話を纏めた本があるんですが、エンカイはそこに登場するんです」


なるほど。彼を知り己を知れば百戦│殆《あや》うからずってやつだな。一戦で充分だけど。

「彼には、オラパっていう奥さんがいて、最初は仲良しなんですけど、彼女がちょっとしたミスをしたとき、エンカイが暴力を振るうんです」


三好は、"in just the same way women are beaten by their husbands."っていう一節を見て、ああ、マサイ族も男が女を殴る社会なんだなぁと思いました、なんて暢気に感想を述べていた。

いや、だからなんなんだよ。

「だけど、オラパさんも超短気な人で、エンカイに向かって反撃します。そのときエンカイは額に酷い傷を負うんです」


四角い灰皿でも投げつけられたかな。
続けて三好は、さらにその反撃で、オラパさんは片目を引き抜かれるんですけどね、と怖いことを言った。それが月のクレーターなのだそうだ。オラパとは月のことらしい。


「エンカイはその傷を恥じて、強く輝くことで人に見られないようにしたそうで、それが太陽なわけです」

「なるほど。いまだに太陽が輝いてるってことは、傷は癒えていない。つまり、額がアキレスの踵かもって話だな?」


「いえ。オラパ(
class=SpellE>olapa)の
class=SpellE>olなんですが、これって実は――」

「実は?」

弱点じゃないのか? いったい何の話なんだ?

「――男性を表す接頭辞なんだそうです! つまりBL!! いやー、マサイ族にもBLがあるんですかね?」

「しるか!」

まったく。まじめに聞いてた俺が、バカみたいじゃないか。
しかし、男の奥さんと夫婦げんかして、額を割られたからって目を引っこ抜くのか……酷い絵面《えづら》だ。


ん? マサイ?

「いや、ちょっとまて、三好。マサイ族の山ったら、キリマンジャロじゃないのか?」

彼らの生活圏は、ケニアとタンザニアのちょうど境目だ。神が宿るほどの高山ったら、キリマンジャロしかない。


「あ、エンカイはマサイ語で、ンガイがキクユ語です。キリマンジャロとケニア山の上にいるのは、同じ神さまらしいですよ」


なるほど。まあ、近い地域の神話あるあるか。

「とにかく額を狙えばいいんだな」
「神話がそのまま反映されていれば、ですけどね」

その可能性は高い。ダンジョン内の他の事象がそう告げている。
すると、おちゃらけた空気を脱ぎ捨てた三好が、真剣な顔をして言った。

「二階級を飛び越えた自衛隊員は、エリアに入った瞬間にやられたそうです。エリアの手前で命拾いをした人は、目の前で何が起こったのか理解できなかったと述懐しています。何がいるにしろ、先手を取るべきです」

「了解。ああ、下二桁が……」
「先輩、もし僕《しもべ》がいたとしても、欲を出しちゃだめですよ」
「近江商人にそれを言われるとは……心配するな、命が一番大切だ」

永遠とも思える数分が経過して、上昇速度が落ちたような気がすると、すぐに冷たい空気が上から流れ込んできた。

見上げれば小さな穴の先に、赤く色づいた空が見えた。どうやらそろそろ日没らしい。

生命探知は、そこに何かがいると、ド派手な警告を鳴らし続けている。

三好は一頭づつ三頭の犬を首だけ呼び出し、ランタンをはずして、戦闘準備万端だ。
てか、身につけたものごと影に潜れるのか。知らなかった。

エレベーターが終点へと到着する。

そろそろ沈もうとしている太陽で、半逆光になった位置にそれはいた。
金色に輝く椅子に、ほおづえをついてゆったりと座るシルエットが、少しだけ顔を上げた気配がした。あれがエンカイか?


到着するやいなや、すかさず三好が、そのシルエットに向かって鉄球を放った。

次の瞬間に起こったことは、俊敏100の俺でも、それをギリギリ目で追うのが精一杯だった。

三好には、まったく認識できなかっただろう。おそらく初めてそれを見た自衛隊員のように。

それは、三好の撃ちだした鉄球を左手を軽く振るだけで弾くと、次の瞬間には三好の前まで移動して、振り上げた拳を振り下ろしていたのだ。


「三好!」

風前の灯火と化した三好の命を救ったのは、その拳と彼女の間に割り込んだ、黒い塊だった。

三好はそれに押されて、後ろへと突き飛ばされた。
身をひねった黒い塊は、それでも擦っただけの拳に吹き飛ばされて、派手に転がった後はぴくりとも動かなかった。

振り下ろされた拳は、そのまま地面に激突し、大きな音と共に、直径一メートルくらいあるクレーターを作った。


それを見た俺は、すばやくメイキングを起動して、自分の俊敏にステータスポイントを100追加した。

今のままじゃ瞬殺されかねない。

「アイスレム!」

そういって黒い塊に駆け寄ろうとした三好に、エンカイが追い打ちを掛けようとしている。
俺は数本のウォーターランスをエンカイ向けて撃ち出すと、それを上回る速度でその横腹に力一杯蹴りを入れた。

ウォーターランスは、エンカイに当たって霧散した。

効果があるのか無いのか、いまいち分からなかったが、ヘイトはこちらに移ったようで、エンカイはこちらを振り返ると、そのまま拳を突き出してきた。

アイスレムやクレーターの状況を見る限り、アラミドの盾で受け流せるようなシロモノじゃなさそうだ。

ただ、俊敏100の時は、ギリギリ目で追うのが精一杯だったその攻撃は、俊敏
200の今なら、早めのスローモーションになっていた。ステータス様々だ。

俺はその攻撃をするりと躱すと、そのまま後ろへ回り込み、近距離から力一杯エンカイの延髄に向かって鉄球を投げつけた。


ゴキャっと派手な音がした割に、エンカイは少しよろけただけだった。
すぐに立ち直ると、首をコキコキと慣らして調子を見ている。

その隙に撃った、極炎魔法のフレイムランスは、ウォーターランスと同様エンカイに当たって霧散した。

ダンジョンが作り上げたコピーとはいえ、流石は神様。魔法の耐性がべらぼうに高そうだ。

俺はさらに力に100を加えると、八センチ鉄球を握りしめて真正面から突っ込んだ。

仮にも相手は神さまだ。戦闘を長引かせて、範囲に効果がある魔法でも使われたら対処のしようがない。


とにかく額だ、そこに賭けよう。

「うぉおおおお!」

戦闘中に大声を上げるのはバカのやることだと思っていた。だが、今は自然にその声があふれ出す。

鬨《とき》の声とか雄叫びとか、魂のプリミティブな部分に触れる何かがそこにはあった。

突っ込んでくる俺を狙いすましたように、エンカイの右ストレートが突き出される。
俺はそれを左手で、自分の右側に受け流し、全力で右手の掌底を、鉄球付きでエンカイの額へとカウンター気味に打ち込んだ。


衝撃でエンカイの顎が上がって、僅かに足が浮いた。。

スローモーションになった時間の中、俺はその勢いを利用して上に飛び、のけぞったエンカイと目があった瞬間、全力でその額をめがけて、鉄球を投げ下ろした。

その後を十数発の鉄球が追いかけたのは、チャンスだとみた三好の仕業か。足が浮いていたエンカイは、なすすべもなくその全てを自らの額で受け止めた。


遅れて俺の耳に、何かが潰れるような音か聞こえ、背中から地面に落ちたエンカイは、何度かバウンドした後動かなくなった。

その瞬間、雲海の向こうに沈んだ太陽の、最後の残照が静かに消えて、エンカイの体が黒い光に還元された。


「太陽神の死と夜の訪れって、なかなか詩的なシチュエーションですね」

息を荒げる俺の元へ、三好が三頭の僕《しもべ》を引き連れて近づいてきた。
どうやら、アイスレムは助かったらしい。ポーションを振りかけていたもんな。

「それって、明日の朝になったら復活するってことか?」

俺はエンカイが消えた地面を見つめながらそう言った。

「神話あるあるですよね」と三好は力なく笑った。

まったくもって冗談じゃない。

俺達はエンカイのドロップらしきものを集めると、ざっと山頂を調べてから、自衛隊が作成したマップに従って、すばやく頂上を後にした。



066 ダンジョンの可能性 12月
11日 (火曜日)


その後、俺達は、山頂からしばらく下りたところにある、ちょっとした山の隙間の広場で、ドリーを取り出して野営を始めた。

山腹の開けた場所に設置すると、アイベックスのようなモンスターに激突されて、あっというまに崖下に転落、なんてことが起こるかも知れないからだ。


俺は早速、エンカイがドロップしたアイテムを取り出して、三好に鑑定を依頼した。

「うわっ、流石神さま。サスカミです」

、、、、、、
 ンガイの腕輪
style='mso-spacerun:yes'>
Bangle of Ngai

 俊敏 +50%
 MP
style='mso-spacerun:yes'>
+50%
 Magic Damage Reduced by 80%
 90% Damage Taken Goes to MP
 Auto Adjust

 ンガイが自らを護るために創造した腕輪。
、、、、、、
、、、、、、
 ンガイの指輪
style='mso-spacerun:yes'>
Ring of Ngai

 All Status +20%
 Auto Adjust

 ンガイが自らを護るために創造した指輪。
、、、、、、

三好が書き出した情報を見ると、ゲームなら結構な壊れ性能だった。魔法のダメージを80%カット? あのバカみたいな魔法耐性はこの腕輪のせいだったのか。

もっともダメージの90%をMPに振り分けるのは諸刃の剣だな。


「リングは先輩向きですね。私じゃ十が十二になっても嬉しくも何ともないですから」
「なら、腕輪は三好が使えよ。少しは死ににくくなるだろうし」
「了解です。でもデザインがおそろいっぽくて、ちょっと誤解を招きそうですね」

そんな軽口を叩きながら、三好が腕輪に左腕を通すと、一瞬でサイズが変化して、彼女の左手首に落ち着いた。


「おおー。これがオートアジャスト機能ですか。凄いですね」

俺も指輪をつまみ上げた。
オートアジャストでどの指にもフィットするんだろうけど、右手に付けると邪魔になりそうだ。なので、左手の一番邪魔にならない小指をチョイスした。


「先輩、男性のピンキーリングは、ちょっとチャラくないですか?」
「え、そうなの? てか、別にピンクじゃないだろ、これ」

その指輪は、精緻な民族的文様に彩られた、やや幅広の物だった。

「ピンキーリングっていうのは小指に付ける指輪のことですよ。まあ、セクシーだとかオシャレだとか言う人もいますけど……」

「ああ、はいはい。ただしイケメンに限るってやつね。いいんだよ、一番邪魔にならない指にしただけだから」


そのときはそう言ったが、左手の小指、実はそれが、恋人くれくれサインであるなどと、誰が想像しただろうか。

ファッション業界は、意味不明な縛りが多すぎる。

俺は、指輪の効果をチェックするためにメイキングを開いた。

、、、、、、
 ネーム 芳村 圭吾
 RANK 1 / ステータスポイント 523.448
 HP 432.00
 MP 240.00

 力 (-) 200 (+) (240)
 生命力 (-) 100 (+) (120)
 知力 (-) 100 (+) (120)
 俊敏 (-) 200 (+) (240)
 器用 (-) 100 (+) (120)
 運 (-) 100 (+) (120)
、、、、、、
 》 三好 梓

「おお、ちゃんと二十%増しになってるっぽい」
「先輩、私は?」

、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 50.937
 HP 22.25
 MP 33.05 (49.575)

 力 (-) 8 (+)
 生命力 (-) 9 (+)
 知力 (-) 18 (+)
 俊敏 (-) 11 (+) (16.5)
 器用 (-) 13 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

「ちゃんと適用されて……んん?」
「どうしました?」

「お前、余剰ステータスポイントが、50.937 になってるぞ」

「うっそ。それってやっぱり神さまのせいですかね?」

だろうな。

ゲノーモスの経験値は初回で0.13だ。三好も百やそこらは倒しているだろうが、それでもたった、
1.551にしかならない。
ゲノーモスの数は曖昧だが、そのほかのモンスターは正確に討伐数が記録されている。
そこから逆算すると、大体四十五ポイントくらい増えているようだ。

「はー、サスカミ。先輩と二人分だとすると九十ポイントですよ。登場層×五ですね。神さま係数ですかね、五」

「しらんよ。それはともかくだな。お前、何を伸ばしたい?」

全ポイントを好きなように出来るのは今だけだ。
数日経てば、半分は自然にステータスに変わるだろう。

「そうですねー。やっぱ知力?」

代わる代わる首だけ影からだした、アルスルズの口に、カラアゲを放り込みながら三好が言った。


「四十加えたら、あと十匹召喚できるとか考えてないだろうな」
「何故それを……」
「わからいでか」

つか、あと十匹も召喚してどうするんだよ、ご褒美の魔結晶の消費量が跳ね上がって死ねるだろ。


「もっと、こう。運とかあげた方が良いんじゃないか?」
「んー、そっちは先輩に任せますよ。今の値が検証には丁度良い感じですし。普通の人のドロップ率も推し量れるでしょ?」


それもそうか。

「力や生命力を多少上げても、エンカイみたいなのが出てきたら、瞬殺には違いないですもん。あんまり均等もどうかなと思うわけですよ」

「んじゃ、せめて攻撃を避けられるように、俊敏は上げといたほうがよくないか?」
「知力-俊敏スタイルですか」

三好は少し考えていたが、思いついたように言った。

「ところでアルスルズって強くなるんですかね?」

それは俺も知りたい。
エンカイには擦っただけでやられていたが、ゲノーモスは普通にかみ殺していた。
経験値的に言えば、ゲノーモスはヘルハウンドの二倍だ。

「そいつら、最初っから全然普通のヘルハウンドじゃなかった気がするけど……鑑定できないのか?」

「やってみたんですけど、分かるのは今の状態くらいでした」

現在のHP/MPっぽいもののパーセンテージみたいな表記らしい。絶対値じゃないと強さは測れないか。

だがもしも強化されないのだとしたら、この先、なんの役にも立たなくなる階層がやってくることは間違いないだろう。


「ゲームの世界なら、主人のパラメータによって強化されたり、普通に経験値取得で強化されたり、後はイベントや、特殊なアイテムで強化されたり、かな」

「魔結晶を食べさせると強化されるとかですか?」
「そんな感じだ。魔結晶かどうかはわからないが。というか、本人に聞いてみれば?」
「あ、そうですね!」

そういうと、早速三好はカヴァスにいろいろと質問をしていた。
いや、おまえ、ステータスの割り振りはどうするんだよ。

仕方がないので、俺はぼんやりと表の様子をモニタで眺めながら、明日以降のことを考えていた。

鳴瀬さんには、十二月十日から十二月十四日までは潜っているかも知れないから、自由に事務所を使って良いと伝えてある。


「ま、事務所の庭には、グレイシックがいるからな。事務所内にいる間はほぼ大丈……」

そう言いかけた俺の目の前の影から、ヒョイとヘルハウンドの頭が飛び出して、呼んだ? とばかりに首をかしげた。


「なっ……おい、三好。これ、グレイシックなのか?」

実は俺には四匹の見分けがほとんどつかない。俺に懐いているのがドゥルトウィンだろうくらいしかわからないのだ。

三好がこちらを向いて、「そうですよ」と言った。

「いやいやいやいや、グレイシックって事務所で留守番だろ? え、じゃあ鳴瀬さん今無防備なの?」

「いえ、今はアイスレムが庭にいると思いますよ」
「はぁ?」

アイスレムはさっき三好をかばって殴られていたはずだ。混乱する俺に、三好が説明をしてくれた。

それによると、事務所の警備はどうやら適当なローテーションで行われているらしい。

「まて。それじゃなにか? こいつ等の影に潜って移動する力って、ダンジョンの中と外でも有効なのか?」

「ある程度以上離れたときは、お互いを目標に入れ替わることで移動するみたいですから、完全フリーとは行きませんけど、まあそうですね」


そうでないと、一匹だけ留守番なんて、嫌がって誰も言うことを聞いてくれませんよ、と三好が笑った。

それは、まあ、わからないでもないが……

「いや、三好。それってダンジョン中と外で連絡が取れるってことなのでは……」
「え? でもこの子達、しゃべれる訳じゃないですよ?」
「そいつら、カンテラ付けたまま影に潜ってただろ。それって、手紙を身につけさせればそれが届くし、ビデオデバイスを身につけさせればビデオメールが届くってことだろ!?」

「ああ、かもしれません。もっとも、入れ替わりが、身につけたアイテムごと出来るかどうかはやってみないとわかりませんけど」


もしもそれが可能なら、あるのかどうかもわからないドロップ目当てに、コロニアルワームを狩らなくていいじゃん! こいつ等、もしかして凄くないか?


「お前等、使えるなぁ」

グレイシックは嬉しそうにハッハッと舌を出していたが、俺が何もくれないことが分かると、影から首を出したまま三好の方へとすり寄って行った。現金なヤツ。


、、、、、、、、、

三好がカヴァスから聞き取った内容は、非常に曖昧だったが、指針にはなった。

・主の(たぶん)MPの増加に連動してステータスが増える
・魔結晶の摂取によって、ステータスとスキルが増える
・戦闘によっても成長するかも

らしかった。

「なら、やっぱり知力中心ですね」
「それはいいけど、大量に召喚するのは面倒が増えそうだから、やめとけ」

なにしろ一旦出しちゃえば、引っ込めることができないのだ。沢山いるなら一匹くらい研究に寄付してくれとか言うやつが、絶対に出る。

あと、四匹でも混乱するんだから、十匹とか絶対覚えられん。

「そうですねー。そうだ、先輩と一緒に行動するとき、今のままだとキツイことがあるので、俊敏も上げて下さい」

「移動問題か。人目のあるところで抱えて走るのも難しいしなぁ……じゃ、とりあえず、俊敏を20に、知力を40に増加……させたぞ。何か違うか?」


、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 19.937
 HP 23.60
 MP 69.60 (104.4)

 力 (-) 8 (+)
 生命力 (-) 9 (+)
 知力 (-) 40 (+)
 俊敏 (-) 20 (+) (30)
 器用 (-) 13 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

「おお? なんか体が軽いかも知れませんよ?」
「腕輪の力で一気に三倍近くになってるからな。あんまり調子乗ってると、壁にぶつかるぞ」

俺は最初に100にしたとき、あまりの移動速度に壁に激突した。

生命力も上げてたから大過なかったけど、三好の生命力は一般人なみだ。トマトケチャップになるのは見たくない。


「先輩じゃあるまいし、そんなヘマはしませんよ」
「さいですか。あ、後、鑑定で少しでも分かり易くなるように、力や生命力も10にしとくか」

「それはいいかもしれません」

三好は自分のパラメータが書き出された紙を見ながら言った。

「じゃ、力と生命力を10にして、あとは、知力を50、残りを器用で、すぐに1ポイント溜まりそうだから、そしたらそれを加えていずれは器用を20にしてください」

「了解」

結局三好の現在のステータスはこうなった。
()内はアイテムの補正後の値だ。

、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 0.937
 HP 27.00
 MP 86.80 (130.2)

 力 (-) 10 (+)
 生命力 (-) 10 (+)
 知力 (-) 50 (+)
 俊敏 (-) 20 (+) (30)
 器用 (-) 19 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

HPがひじょーに心許ないが、腕輪の機能でダメージの九割はMPが吸収してくれるから大丈夫だろう。


「これでアルスルズが強化できるといいな」
「はい」

「そうだ、アイテムと言えば……おまえ、椅子をがめてただろ」
「あははー、バレましたか。ドロップアイテムじゃないアイテムはゲットできるのか、と思いまして」

「いや、あんなでかい物、バレないわけないだろ! 鑑定はしたのか」
「収納するときしました。名前は、the throne of Ngai。本当に黄金でしたよ? 重すぎてここじゃ出せませんけど」


、、、、、、
 ンガイの玉座
style='mso-spacerun:yes'>
the throne of Ngai

 ンガイの黄金で出来た椅子。

 Regenerate HP +200%
 Regenerate MP +200%

 玉座に座らんとするものは、相応しき力を見せよ。
 さもなくば、玉座はそのものを拒絶する。
、、、、、、

「ンガイの玉座ときたか。確かに百キロくらいはありそうだったが……」
「先輩、金の比重は19.3くらいですよ。ざっくり
20と考えても、百キロったら、五千センチ3しかありません」

「じゃ、もしも、全部が純金で出来ているんだとしたら、百キロじゃ、椅子の脚一本分にしかならないのか」

「ですです。だから多分、六百キロくらいありますよ、あれ」

「しかし二四Kの椅子に座ったら、足が曲がったり、背もたれが曲がったりしそうだけどな」
「そこがンガイの黄金と記されている所以なのでは」

「で、このフレーバーテキストは?」
「そんな事が書いてあっただけなので、なんとも……ンガイ以外が座ったら呪われそうですよね」

「ツタンカーメンのマスクかよ」

俺達は目を見あわせて、今のところ座るのは辞めておこうと心で誓い合った。
HP/MPの回復速度二倍は場合によっては便利そうだが。

「山頂で取得したアイテムはこんなもんだな」
「あ、私はもう一つあるんです」

そう言って三好は、収納から一本の木らしきものを取り出した。

「なんだそれ?」
「ムフフ」

三好はニヤニヤしながらそう言った。

「いや、そんな悪巧み丸出しの、気持ち悪い笑いはいいから」
「気持ち悪いって失礼ですね。これはムフフなんですってば」
「むふふ?」

「ブラキラエナ・フイレンシス。通称ムフフと呼ばれる木なんですよ。スワヒリ語らしいですけど」

「相変わらず、魔法の呪文にしか聞こえん」
「本来は、低地乾燥林に生える木なんですが、低緯度のケニア山同様、この辺にも生えていました」


ムフフは非常に硬い木で、重機が乗っかるような床材に使われたりもするらしい。

「で、それが?」
「先輩。ダンジョンのモンスターって、倒せば消えちゃうから持って帰れませんよね?」
「そうだな」
「なら、ダンジョン内にある木とか石とか、持って帰れるんですかね?」

そういわれると、そんなことは考えたことがなかった。
ダンジョン行のあと、埃っぽくなった服は、地上に上がっても埃っぽいままだ。そう考えると、持って帰れると考えて良いだろう。


「持って帰れるんじゃないか?」
「なら、持って帰った後、切った木はどうなるんでしょうね?」

俺は三好が言いたいことが何となく分かった。

モンスターならリポップする。だが、ダンジョン内の移動可能なアイテムや植物は?
壁は破壊不能かも知れないが、そこに生えている植物は切り倒せるのだ。なら、そこにある植物はリポップするのか? 持ち上げられる石ころは?


「常識的に考えたら、そのままだろう」
「でも、たぶん誰も検証したことがありません」

きっかけは三好が作った3Dマップ作成ツールだったらしい。

二層以降へ降りるようになった後、いつも通る道で、3Dマップ上に形作られる植物の形状がいつも同じだったのだ。

もちろん誰もなんにもしていない可能性はある。だけど本当に誰も枝を折ったりしないのだろうか。なにかの手慰みに。


「いや、しかし、切り倒した木が、ある日突然復活したら目立つだろう。そんな話、聞いたことがないぞ」

「それは、この三年で調査した人がいないだけかも知れないじゃないですか。大体先輩、誰も手入れしているとは思えない下草が、三年間で伸びたり枯れたりしてなさそうな理由はなんです?」


それは確かにその通りだ。森林層の通路の草が伸びて邪魔になったから刈ろう、なんて話は聞いたことがない。


同じ疑問は、ボス戦で召喚されるお供にだってある。
倒されたハウンドオブヘカテのお供達は、再召喚されるかボスが死ぬまで消えなかった。それなら、その倒したヘルハウンドを、だれかが地上へ持って帰ったら、持ち帰れるのだろうか?

決着を付けず、相手を倒さず、延々とヘカテの相手をする探索者がいれば、そのまま地上で解剖などの調査を行うことができるのか?


ダンジョンは、ドロップアイテムを持ち帰ることを人類に許可している。だが、それがどこまで許されるのかということは、あまり調べられていない。


「もし復活するとしたら、なにかいいことがあるか?」

ダンジョン内には大きな木も多いが、それを木材資源として利用するほどではない。
せいぜいが一品物の家具を作るくらいだろう。社会に対して大きな影響力があるとは思えない。

「食料ドロップの話があったじゃないですか」
「? ああ」
「あれ自体は、飢餓地域にとって素晴らしいことだと思うんですよ」

探索者の数って言う壁はありますけどね、と三好が肩をすくめた。

「それを聞いて思いついたんですが、ダンジョンって、その内部にいろいろな環境が存在してますよね」

「代々木にも溶岩層(十一層)とか氷雪層(十九から二十層)とかあるもんな」
「農業が不可能な寒冷地や乾燥地にあるダンジョンでも、その中には、農業に適した環境を持った層があると思うんです」


代々木で言えば、二層から四層の草原や林の層だな。

「もしそこで、広く農業を行うことができたとしたらどうでしょう。仮に、植えた麦とかが普通に育ったとして、ダンジョンはそれを持ち帰ることを許すでしょうか?」

「普通に生えてる木を持ち帰れるんなら、そこで育った麦も収穫できるかもしれないってことか?」

「そうです」

しかし、仮にそれが可能だとしても、それなりに広いと言われてる代々木ですら半径5キロ程度なのだ。大規模な農業は無理だろう。


「そこですよ、先輩。だからこの実験の結果がとても重要なんです」

そこまで言われて、俺は三好の言いたいことを理解した。

「もしダンジョンが、その中に生えている植物を切り取られる前の状態にリポップさせたりしたら……」

「そうです。そして、もし種から育てた穀物が、最初からダンジョンにある植物だと認識されたりしたら」

「無限に収穫できるかもしれない、魔法の畑が生まれるってことか!」
「凄いですよね」

凄い。確かに大発見だ。だが、ちょっとまて。

「しかし、それとンガイの玉座は関係ないだろう」

「何を言ってるんですか、先輩! もしもあれが黄金で出来ていて、ンガイの復活と共にリポップするとしたら、黄金、おかわりし放題ですよ! 五十層なんて無視ですよ!」

「その案には、絶対に避けて通れない、命に関わる大問題があるだろ!」

あんなのと毎日戦うとか、どこの戦闘狂だよ!

「てへへ。まあ、そうですね」
「まったく。あとは、ンガイの復活が、実は椅子の上で行われるなんてことがないことを祈っとけ」


あ、それは考慮していませんでした……と三好がちょっと焦っていた。

、、、、、、、、、

明けて十二日と十三日、俺達は、ひたすらゲノーモスを狩り続けた。
マイニングは、その検証をいろいろな人や国にやらせるためにも、ある程度の個数が必要だったからだ。


なお、ンガイは玉座の上に復活しなかった。
あの産道の奧にある、聖所で復活するのだろう。たぶん。

神殿前の広間に入らず、洞窟への入り口付近から、アルスルズを囮につり出して攻撃していれば、特に危険らしい危険はなかった。

石つぶての防御には、なんと重ねた布団が有効だった。凄いぞ布団。火を使う魔物がいないのが幸いだった。


狩っても狩ってもゲノーモスは尽きなかった。
それはまるで、マイニングを取らせるための手段なのではと疑ってしまうくらい、いつまでも涌き続けていた。


結局十一日から十三日の三日間で、俺達は、七個のマイニングと、地魔法・暗視・器用を一つずつゲットして、十八層を離れることにした。


そして、翌十四日。俺達はマイニングを使用して二十層へと降り立った。
RU22-0012の内容を検証するためだ。


代々木の十九層と二十層は、氷雪層だ。
登場するモンスターは、イエティ、アボミナブル、アイスクロウラー、そしてスノーアルミラージと言ったところだ。

そして、二十層では、そのどれもが、銀色のインゴットをドロップした。対象金属は――

「バナジウムですね」

鑑定を使った三好がそう言った。大きさは大体113ミリ
×52ミリの金地金サイズ。ただし厚みが三倍くらいある。
バナジウムの比重は金の三分の一未満だ。つまりは一キロのインゴットなのだろう。

確率は、三好が33%、俺が100%で、どのモンスターもほぼ同じだった。こちらも運に関わりがあるようだ。


それだけ確認した俺達は、そそくさと地上へと帰還した。今代々木のこのあたりにいるのは各国のトップエンドに違いない。

こんな場所で、サイモン達と鉢合わせするのは御免なのだった。


067 Dファクター 12月
15日 (土曜日)


昨夜十層まで戻った俺達は、そこで一泊した後、早朝に出発して、午前中のうちに地上へと帰還した。


「ただいまー」
「あ、お帰りなさい。どうでした?」

すっかり事務所に馴染んでいる鳴瀬さんが、まるで昔からここで働いているみたいな自然さで、俺達を出迎えてくれた。


「ばっちり確かめてきましたよ」
「え? マイニングを手に入れられたんですか?」

いとも簡単そうに、未知スキルを手に入れてくる俺達に、鳴瀬さんは訝るような顔をした。

「ええ、まあ、なんとか」

俺達は、ゲノーモスがマイニングをドロップすることや、二十層でその効果を確認したことなどを報告した。


「しかも使われたんですか!? 大丈夫でしたか!?」

未知のスキルの使用には危険が伴う。

今の俺達には鑑定があるからそうでもないが、鑑定を手に入れる前から、名前だけ見て平気で使ってたような気がするな。

超回復なんて、不死と同様、体がスライム状になっちゃう罠だったとしてもおかしくなかった。

初心者の蛮勇? いいや、純粋な科学的好奇心ですよ。

歴史上なにかを確かめるのに、自分の体を使うことは、多くの科学者がやってきた。科学者の前に「クレージーな」と付く場合がほとんどだが。

どうしても試したいことがあり、自分でその結果を確信している場合、その科学者はリスクテイカーとなりがちだ。

自分自身を使う限り、ヘルシンキ宣言にも抵触しない。

1956年、心臓カテーテルによってノーベル生理学・医学賞を受賞したヴェルナー・フォルスマンは、研修医時代に、自分の左腕の大静脈から右心房へと尿カテーテルを挿入してみた。

その実験のせいで病院は解雇されたが、三十年後にノーベル賞を受賞することになる。

近いところでは、ダンジョンが現れた年に、マイケル・スミスが、自分自身を実験台にした研究を行っている。

蜂に刺されたとき、どこが一番痛いのかを検証したのだ。
一番痛かったのは鼻の穴だったそうだが、彼はそれで、名誉ある生理学・昆虫学賞を受賞して十兆の金を誇らしげに受け取った。

例えそれがイグノーベル賞で2015年のジンバブエドルだったとしても。

なお、1993年にノーベル化学賞を受賞したカナダ人とは、もちろん別人だ。


今にして思えば思慮が足りなかったかも知れないが、考えても結論のでない事柄は実際に試すしかないのだ。


「ええ。鉱物ドロップ以外の影響は、特にないようですよ」

鳴瀬さんは安心したように息を吐いたが、次の瞬間「ドロップも確かめられたんですか?」と驚いていた。


「二十層だけですけどね」

俺はバックパックからを装って、バナジウムのインゴットを取り出した。
流石に保管や収納のことは話していないからだ。

「二十層でドロップするのはバナジウムでした」
「バナジウム!?」

バナジウムは、俺達が勤めていた化学系の領域でも使われるレアメタルだが、需要の大半は、製鋼添加剤としての利用だろう。

価格は一キロで一万円弱くらいだったはずだ。金なら一グラムで五千円弱するんだから、文字通り桁が違う。


「? 確かに高騰していますけど、それほど高価とも言えないでしょう?」
「先輩、それは純度の低いものの話ですよ。ダンジョンのやることですから、これって最低でもフォーナインクラスのインゴットだと思いませんか?」


フォーナインは99.99%ということだ。4Nと書いたりもする。

古いオーディオマニアなら、スピーカーケーブルに6Nだの7Nだののケーブルを使っていたはずだ。

ダンジョンのドロップアイテムで、名称がバナジウムだと書かれているのだから、ヘタをすれば100%バナジウムのインゴットだろう。


「そうだな。もしかしたら、100%の可能性もあるかもな」

「でしょ。現実に、そんな金属バナジウムありませんて」

バナジウムは地球上にそこそこ存在している資源だが、なにしろ鉱床の品位が低い。
しかも、高純度金属バナジウムを得るための効率の良い画期的な手法は確立されていない。純度を上げれば上げるほど高価になるそうだ。


「99.7%から99.9%でも、一キロで八万円から十一万円くらいの差があるんです」

「へー。意外とするんだな」
「トン単位の仕入れ価格ですよ。小売りだったら関東化学の4Nキューブなんか、百グラムで十万円もしますからね」


キロ百万は凄いな。一ドロップならヒールポーション(1)と同じくらいだ。て言うか、十倍は酷くないか?

それでも金には遠く及ばないが。

「価格はともかく、資源としては、南アフリカと中国とロシアに偏在してますから、安定供給や安全保障という観点からは大ニュースじゃないですか」


ああ、そう言う観点もあるか。確かに国家としては重要だろう。

「しかし、所詮は一キロのインゴットですからね。需要を大きく満たすのは難しくないですか?」


「前の会社にあったちょっと前の資料だと、金属バナジウムの年間需要は千トンくらいだそうですよ。需要の中心であるフェロバナジウムはもちろん除いてですが」

「それを全部をモンスターでまかなおうとしたら、金属バナジウム分だけで三百万体討伐する必要があるぞ?」


それを聞いて鳴瀬さんが不思議な顔をした。

「え? それって計算が……」
「普通だと、ドロップ率が三体に一個くらいなんです」と三好が補足した。

さすがに一日八千二百体以上狩るのはなぁ……百チームで挑んでも、一チーム平均八十二体の討伐は辛そうだ。あの層、寒いし。


「代々木だけでまかなおうとしたらそうですけど、日本には結構ダンジョンがありますから」と鳴瀬さんが言った。


そう言えば、それも結構な謎なんだよな。

世界中にある三六だか三七だかのエリアの内、発見されているものが八十くらいとされているが、日本には踏破された超浅深度のものも含めれば九個のダンジョンが存在する。

レアメタルよろしく、偏在には理由があるはずだが、現時点ではよく分かっていない。
他の国には人跡未踏の場所が多く、単に見つかっていないだけとも考えられているが、それにしても偏りすぎだと思う。


とはいえ、二十層でバナジウムが産出するのは代々木だけだろうが、他のダンジョンの別の層にあるかも知れないのは確かだ。


「ともかく、RU22-0012の内容は証明されたわけですよね」

「少なくとも二十層は」

そのとき三好の携帯が振動した。
「あ、ちょっとすみません。みどり先輩っぽいです」と言って、ダイニングの方へと離れていった。


「それで、やっぱり公開はクリスマスですか?」

鳴瀬さんは上司への報告のタイミングがあるから、気が気じゃないだろう。

「準備が終わるのがそのくらいですからね。ただ、そう焦らなくても、マイニングは代々木なら結構な個数が得られると思いますよ」


なにしろ一万分の一なのだ。オーブの出現率としては群を抜いて高い。その上、あの無限涌きだ。

高レベルの魔法持ちなら楽勝だろう。あの場所なら強力な銃器も持ち込めそうだしな。

「どうしてわかるんです?」
「今回も、三日でゲットできましたからね」

「それはDパワーズさんだけ……いえ、わかりました。そういえば、こっちも、大体整理が終わりましたよ」


鳴瀬さんが資料の詰まったタブレットを渡してくれた。

それによると、現在碑文は266枚が報告されていて、うち
161枚がダンジョンマニュアルっぽい物で、82枚が歴史書っぽい物、そうして残り
23枚が意味不明な物だそうだ。
そして、内容的にダブっていると思われるものが、40%くらいあるらしい。


「266枚って、思ったよりも多いですね」

「平均すると、毎年一つのダンジョンから一枚発見される位なんですけどね」

ああ、そうか。毎年八十枚でも三年で240枚なのか。


「そう言われると、なんだか少ないような気がしてきました」
「実際は、深層に行くほど発見頻度が上がっているので、今後はペースが上がるかも知れません」


被りも増えて混乱するかも知れませんけど、と鳴瀬さんが肩をすくめた。
碑文の発見は、モンスタードロップもあるそうだが、そのフロアの何処かに隠されていたり、山岳地帯の地面に、ただ落ちていたといったようなものもあるそうだ。


「翻訳したもののプロパティを見る限り、エリアボスに準じるような特殊な個体周辺から得られたものが重要な要素であることが多いようです」


RU22-0012はエリアボスで、BF26-0003はヘカテのように突然現れたユニーク個体周辺で発見されたそうだ。

前者は鉱石ドロップ、後者は食料ドロップの情報が書かれていた碑文だ。

「これなんかもそうですね」

と鳴瀬さんが、あるページを表示した。そこには、GB26-0007 と書かれていた。


「これはマン島のダンジョンから出たものなのですが、なんとダンジョンのセーフエリアについて書かれていました」


そこにはダンジョン内の32層以降に発生する、セーフエリアと、セーフ層について書かれていた。


「セーフ層って、一層全体がセーフエリアって事ですかね?」
「そのようです」
「先輩。そんな層が見つかったら、街が出来ますよ、絶対」

電話が終わったのか、三好が会話に戻ってきた。

「みどりさんなんだって?」
「例の機器の話です。とりあえず明日見に行きます」

俺はそれに頷くと、セーフエリアの話に戻った。

「ダンジョン内の土地利用に関する問題が再燃しそうですよね。鳴瀬さん、今のうちにルールを整備しておいた方が良いですよ」


鳴瀬さんはこくりと頷くと、「内々に上げてみます」と言った。

他にもダンジョン=パッセージ説を裏打ちした、US01-0001や、ダンジョンの役割について書かれていた、
AU10-0003など重要な碑文は枚挙にいとまがなかった。

それらにざっと目を通すうち、現実にはあまり聞き慣れない単語が、何度も登場していることに気がついた。


「魔素ってなんだ?」
「フィクション的には魔力の素、ですかね?」

三好が即答したが、この単語は、異界言語理解を得た鳴瀬さんが、こちらの概念に置き換えた言葉だ。

だから鳴瀬さんの語彙が多分に関係しているはずだ。

「いや、鳴瀬さんのイメージを伺いたいんです」
「そうですねぇ……なにか、ダンジョンの力を具現化するための要素、と言った感じでしょうか」


アトムとかエレメントでも良いかと思ったんですけど、誤解されそうでと付け加えた。
ダンジョンの力を具現化する要素、ね。dungeon atom.略してダンアム。うーん、人気のあったロボットアニメみたいだ。


「ダンジョンの力を具現化するのなら、factorが良くないですか?
D-factor。ラテン語の語源は『行為者』ですよ」
「いいな、それ。採用」
「あ、でも、今年の夏に発表された、Psychological Review に載ってますよ、
D Factor」

三好が検索したそれは、コペンハーゲン大とウルム大とコブレンツ=ランダウ大の合同研究チームが発表した研究で、ダークな性格特性に共通の因子のことだそうだ。
Dark Factorなんだろう。

「略語が被る事なんて普通にあるだろ。ATMなんか酷いもんだぞ?」
「まあそうですけどね」

「それで、AU10-0003によると、どうやらダンジョンはその魔素
――Dファクターですか? を拡散するためのツールのようです」
「え、それって大丈夫なんですか?」

三好が不安そうな顔をして聞いた。

「Dファクターが存在するとして、ですね。それ自体が人体に与える影響は、公衆衛生という観点から言うと特に問題は起こっていません」


それはエクスプローラー全体の健康診断からもたらされた情報だ。
そうでない人と比べたとき、病気の罹患率に有意な差はなかったらしい。

「つまり、公衆衛生以外の観点から言うと、問題があるわけですね」
「問題というか……芳村さんは、レベルが上がるとかステータスだとか、そう言うものについて、どう思われます?」


「それは、探索者の強化とも言える現象について、レベルやステータスが関係していると思うか、という意味でしたら思いますよ。問題はそれですか?」

「はい。とはいえ、エクスプローラーが特に攻撃的であるとか、精神的な影響を受けているという証拠はありませんでした。それは単に力が強くなったとか、体力が付いたとかそういうことだったのですが――」

「度合いが飛びぬけていた」

鳴瀬さんは大きく頷いた。

「今や、ランキング上位の人達は、簡単に陸上競技の世界記録を塗り替えます」

確かにそうだろう。
俊敏-200の今なら、百メートルを九秒どころか、たぶん二秒以下で走破出来そうな気がする。気をつけないと化け物扱いされかねない。


「ダンジョン内外で起こる不可思議な現象が、そのDファクターのせいだとしたら、スキルオーブもポーション類も、それなしでは何も起こらないってことなのかもな」


もしもそうだとしたら、ポーションの化学分析を必死でやったところで現象が解明できるはずがない。

なにしろ現象を起こす本体は、その中にはないか、あっても化学的な成分ではたぶんないからだ。


「じゃ、スキルオーブやポーションをダンジョンの中で使うと効果が大きいって言うのは……」
「あながちデマでもなさそうだ」

実際、アーシャの時の効果は凄かった。Dファクターの濃度は、ダンジョン内の方が遥かに高いからだろう。

三年で、世界にあまねく行き渡ったとはいえ、ダンジョンから遠く離れた場所で、しかもDカードを所有していない人間に適用するポーションの効果は、それに比べればずっと低いのかも知れなかった。


「モンスターはDファクターで出来ていて、倒すとそれが拡散するそうです。倒したときに出る黒い光がDファクターなんだとか……」と鳴瀬さんは続ける。


そういえば、スキルオーブを使ったときも、光が体の中に入っていく。

「ステータスは、体の中に取り込んだDファクターの量や、それをうまく使うための何か、なのかもなぁ……」


俺は、パンと手を叩いた。

「要するにDファクターとかいう謎の物質があって、ダンジョンの向こうじゃそれが当たり前に利用されているんだろう。だから繋がった世界にそれがないと向こうの人?が困るから、ダンジョンを作ってDファクターをばらまいて環境を整備しようとしている、ってことなんだろう」

「そんなことが出来るんなら、一気にどかんとばらまくことも出来そうなものですけど。なんでこんなに迂遠なことをしてるんですかね?」

「原住民と共存しようとしてるのかもな。なにしろ、いろいろな特典まで付けて、人類をダンジョンに依存させようとしているように見えるからなぁ……滅ぼす気ならこんな面倒なことはしないと思うぞ。たぶんだけど」

「先輩。滅ぼす気があろうと無かろうと、こんなことが現実に出来る何かに、人類がたてつけると思います?」

「全然」
「ですよねぇ」

つまりすべては、向こう側の胸先三寸なのだ。

「ま、俺達はダンジョン様の言うとおり、地道にそれを攻略して、ファーストコンタクトを待つしかないな」

「なんで、向こうからこちらに歩いてこないんでしょうね?」
「シャイなんだろ」

俺は冗談めかしてそう言ったが、鳴瀬さんの顔色は晴れなかった。

「これを見た人類がどんな反応を起こすのか……各国がロシアの情報を一般公開しない理由がちょっとだけわかりました」


「そんなのを公開しちゃっていいんですかね?」
「重要な判断を下さなければならないときは、それが正確な情報なら、どんなに酷い情報でも、ないよりあったほうがいいのさ」


俺は、そう言って、タブレットを置いた。


068 農業試験への遠い道のりと新たなトラブル?
12月15日 (土曜日
)


「それで、鳴瀬さん。うちからもちょっと、ご相談があるんですが」
「え?」

鳴瀬さんはそれを聞いて、眉をひそめると同時に少し身構えた。
なにしろ最近の相談は、異界言語翻訳者になれだの、ヘルハウンドの鑑札がどうだの、とんでもない話ばかりだったもんな。


「そんなに身構えないで下さいよ。実は代々木二層の土地を利用したいんですが、どこに許可を取ればいいのかと思いまして」

「土地の利用ですか? 一体何を?」
「小さな畑を作りたいんです」
「はい?」

、、、、、、、、、

世界にダンジョンが現れた当初、その所有権は各国において対応が別れた。

日本の場合は、民法第二百四十二条によって、その土地の所有者のものだと考えられた。不動産に従として付合しているとみなされたわけだ。

しかしその後、ダンジョン内部が現実の土地にあるとは言えない状態であることがわかると、不動産に従として付合しているのは入り口だけだとみなされるようになった。


そのため、ダンジョン内部の所有権は宙に浮いた。

もしもそれを日本国内だとみなせば、民法第二百三十九条の2項が適用されて国庫に帰属することになるのだが、誰にもそこが日本であると断定することは出来なかった。


無主地だとすれば、国際法に従って、他国のダンジョンでも、それを先占《せんせん》することで内部の土地の所有を主張できるのではないかという意見もあったが、それぞれのフロアが同一の領域にあるとは言い難いダンジョンに対して、その全フロアで実効的先占のための権力を設けることなど、誰にもできはしなかった。


結果として、ダンジョン内部の所有権を主張することは誰にもできなかったのだ。
それはつまり、ダンジョン内における経済活動に対して、税金を発生させることができないということを意味した。


法的な処遇に困り果てた各国は、管理機構を作って権利を譲渡することで体裁を整えた。
現在では、世界ダンジョン協会が一括してダンジョン内の権利を保有、各国のDAがその国に入り口のあるダンジョンを管理し、各入り口国に対して、利用や管理のための権利を貸与していた。


なお、入り口付近の土地に関しては、日本の場合、ほぼ国の所有になっていた。
ほとんどの土地所有者が、入り口部分の土地の売却、または収用に応じたからだ。

それは、ダンジョンからモンスターが溢れた際、入り口がある土地所有者に、無過失責任が適用されることになったためだった。


いずれにしても、「現在」代々木ダンジョン内については、概ね日本の法律が適用されている。

だから、民法第二百三十九条が、ドロップアイテムが自分のものだと主張できる法的根拠になっているわけだ。

二十年間ダンジョン内のどこかに定住すれば、その場所が自分のものになるかどうかは誰も争ったことがないので不透明だが。


ダンジョンが出来てまだ三年。月の土地同様、これから法整備が進んでいくのだろう。

、、、、、、、、、

「畑って、そんなもの作ってどうするんです?」
「実験ですね。あんまり人の来そうにない場所に、モンスターよけの柵でも作ろうと思うんですけど」


二層は天井がない。上は空なのだ。

何しろ夜には星が出る。ロケットでも飛ばしたらそのまま宇宙空間に出てしまいそうなものだが、最初に探索した自衛隊が、ドローンを上空に飛ばしたところ、ある一定の高さより上には上がれなかったそうだ。

何かにぶつかったわけではなく、空気の薄さによるドローンの能力不足でもなかった。ただ、上昇しているにも関わらず高度が変わらなかったらしい。


因みにオープン空間のフロアには、代々木の一層みたいな行き止まりの壁がない。
じゃあどこまでも広いのかと言えば、そんなことはなく、端まで行くと、別の場所の端にでるのだそうだ。たぶん反対側だろう。つまり空間的に閉じているらしい。

代々木の二層はこれのせいで、最初のマッピング時に何十キロも広さがあると勘違いされたようだ。


もしかしたら、上空もそうなっているのかもしれないが、なんにしても天井が見つかっていないことだけは確かだった。

だから、スライム対策は、なんとかビームの浅い堀《ほり》で、ゴブリン対策は丈夫な高い塀で、なんとかなるはずだ。


「許可を出せるとしたら、日本ダンジョン協会のダンジョン管理部だと思いますけど……前例がないので今すぐにはわかりません。調べておきますね」

「よろしくお願いします」
「なにか、専任管理監っぽい仕事じゃないですか? これ」

翻訳を登録していた三好が、モニタの向こうからそう言った。

「あ、そういわれればそうですね!」

いや、翻訳だって充分ダンジョン管理部の仕事っぽいけど……専任管理監ぽくはないのか。

「しかし、頼んでおいてなんだけど、ダンジョン利用に関する許可が、個人やパーティに下りるかな?」

「それは平気じゃないですか?」

俺が心配そうに言うと、三好が何でもないことのように肯定した。

「だって、先輩。これから深部に潜るパーティは、その拠点をダンジョン内に作らざるを得ないと思いますけど、その許可をいちいち書面で日本ダンジョン協会に提出してお伺いを立てないといけないなんて、ちょっと無理がありませんか?」


それはそうだ。探索中に良さそうな場所を見つけて、すぐにそれを作るだろう。
その拠点が、永続的、または充分に長い期間存在するものだとしたら、ダンジョン内の土地のパーティによる占有にあたる。

禁止したりしたら、古い刑事物の映画のごとく「事件は現場で起きているんだ!」と、なじられかねない。


「確かにそうですけど、明らかに必要性の認められない浅層の土地利用に関しては、やはり許可が必要になると思いますよ」


鳴瀬さんが難しい顔をしていった。

「許可なしで、拠点OKが前面にでちゃうと、勝手に二層に別荘を建てちゃう人がいるかも知れません」


木材や板をバラして持ち込んで、ツーバイフォーであっさり組み立てるやつが……でないとは限らないか。

放置してれば、スライムにこわされるだろうけど。

「それに、セーフエリアのこともありますし」

確かに日本ダンジョン協会だけでセーフエリアの開発を行うのは難しいだろう。ダンジョンの中だけに、探索者の協力は不可欠だし、意味的にも規模的にも企業が協賛を申し入れてくることは間違いない。

言ってみればISSみたいなものだ。あっちは大赤字らしいが、三十二層以降のセーフエリアに作られる拠点は、五十層の金を始めとする、周辺の金属資源を集積するというだけで黒字になる可能性がある。


「プロ層にある、セーフエリア以外の探索者による小さな拠点は無許可で認めるが、大規模な拠点や、アマ層の占有などは許可が必要、ってことですか」

「そのあたりに落ち着くと思います。それで、この利用というのは営利目的なんですか?」

んー? そう聞かれると難しいな。

「三好。お前この実験が成功したら、それで儲けるつもりがあるのか?」
「儲けるとしたら知的財産権とかですか? 食糧支援NPOあたりには無償で公開したいですけど、穀物メジャーあたりが真似するならガッツリいただきたいですよね」


「なんだか微妙そうだから、この際、営利目的ってことにしておいてください」
「わかりました」

「先輩。良い機会ですから、会社つくっときましょうか」
「ダンジョン攻略を活動分野にするNPO法人あたりが相応しいかと思っていたんだが」
「NPO法人は、設立まで三ヶ月以上かかりますよ?」
「マジ?」
「会社の話が出たときに、司法書士の先生に聞きましたから、間違いありません」

今時、株式会社なら十日もかからず設立できるのになぁ。

「それに、十人以上の社員と、三名以上の理事、それに一名の監事が必要です」
「なんと。株式会社も取締役が三人だっけ?」
「新会社法で、一名でもOKになったそうです。その場合取締役会はなしで、全部株主総会で決めるそうです」

「ならまあ、とりあえず、株式会社で良いか」
「了解です。発起人は私で良いですか?」
「もちろんだ。というわけで、鳴瀬さん」
「はい」
「とりあえずは、パーティか、三好の商業ライセンスで(なにせSだからね)許可を申請してみて下さい。法人格が必要だと言うことでしたら、あとで法人を用意しますから」

「分かりました、面積は小さくても?」
「そうですね。当面十坪もあれば。場所も人の来なさそうな、僻地の平地で結構です」
「了解です。申請してみます」

「この実験がうまく言ったら、世界がひっくり返りますよとハッタリをカマしておいて下さい」

三好がガッツポーズでアピールした。
苦笑する鳴瀬さんに、俺は、「まあ、ほどほどに、がんばります」と、苦笑で同意した。

しかし、ダンジョン内の土地を借りるだけで、この面倒さ。二層の奥地で、こっそり小さな畑を無断で作った方が早かったかもなぁ……

そう考えながら、ソファーに深く腰掛けたところで電話が振動した。

「ん? 御劔さん?」

おれは不思議に思いながらボタンを押して電話をつないだ。

「はい」
「あ、師匠?」

師匠? って、あ、斎藤さんか、この声。

「斎藤さん? 何だよ、師匠って。で、御劔さんの電話なんかでどうしたのさ。珍しいね」
「ちょーっと、芳村さんに謝らないといけないことがあってさ」
「謝る?」
「実はさ、私、こんど主役をやることになったんだけど――」

彼女の話によると、どうやら来年公開される映画のヒロインをやらせて貰えることになったらしい。

テレビドラマと違って、キャスティングプロデューサーや監督の意向が強く反映される映画は、知名度があまりなくても気に入られれば抜擢される可能性が高いから狙ってたんだとか。


「そりゃすごい。じゃ、件のお祝いの確認?」
「プレゼントの催促なんかするわけないでしょ! あ、いや、ちょっとは欲しいけどさ」
「んじゃなんなの?」

どうも要領を得ないな。

「あのね、その映画の製作発表会で、インタビューを受けたんだけど、そのときに最近の演技力の向上について聞かれたわけ」


彼女達のダンジョン通いは一部で知られていたから、それとの関係も聞かれたらしい。ま、ちょっとした、ヒロインの変わった趣味の話題、程度のつもりだったようだ。

しかし、まさかそこで、ダンジョンでスライムを叩き続けてましたとは言えなかったので、つい『師匠に教えを受けていた』と漏らしちゃったらしい。


「いや、みんながそれに食いついちゃってさー」
「はぁ?」

いや、食いついちゃってじゃないよ。何言ってくれちゃってんの。

「そ、それで?」
「謎の師匠は誰だって、テレビ界隈が色めき立ってるのよ」
「なぜ?!」
「自慢じゃないけど、2ヶ月くらい前までは、演技もフツーで、ほとんど無名だったんだよ、私。そんなちょっと可愛いだけだった女優の卵が、たった2ヶ月でめきめきと力を付けて、主役にまで抜擢されたら目立つに決まってるでしょ」


まあ、それは確かにその通りかもしれないけれど……

「その私の躍進の影に師匠がいたんだよ? そりゃー、その教えを受けたいって子が一杯いるに決まってるでしょ」

「決まってないから!」
「いやもう、はるちゃんにめちゃめちゃ怒られちゃってさー。今も隣で睨んでるの。で、電話したわけ、ごめんねー」


いや、悪気がないのはわかるよ。わかるんだけどね。

「そのインタビューって生?」
「んーん。テレビのは録画」
「じゃあ、カットされてることを祈ってる」
「そう? 無理だと思うけど。オンエアはね――」

そうして、斎藤さんはオンエアされるチャンネルと日時を言って、もう一度謝ると、電話を切った。



069 試作デバイス 12月
16日 (日曜日)


「こっちが、設置して使う精密計測用で、こっちが簡易版だ」

翌日俺達は、レンタカーの軽トラを借りて、みどりさんの研究所を訪れていた。
計測デバイス試作機のお披露目だ。

そこには、2種類のむき出しのデバイスが、2セット用意され、片方は梱包されていた。ソフトウェア開発用に持ち帰るから梱包しておいてくれるよう頼んでおいたらしい。


「簡易版も、もうできてるんですね」
「生理学的な値の取得がほとんど無くなったし、構造的には遥かに簡単だからな」

紙束を持ってうろうろしていた中島が、それを聞いて、立ち止まった。

「所長。簡単って言わないでくださいよ。コンパクトに纏めるのにどんだけ苦労したと思ってるんですか」

「いや、中島は優秀だからな。これくらい容易《たやす》いことだろう?」

中島は、目をぐるぐる回して空を仰いだ。見えるのは天上だったが。

「精密計測用は、この円盤の上に数秒立っているだけだ」
「え? 非接触で脳波計測とかできるんですか?」

良いことを聞いてくれましたとばかりに、中島が乗り出してきて説明をはじめた。

「それが出来るんですよ。さすがにSQUIDと同程度の感度というわけには行きませんが、今では以前とは比較にならない超高感度のMI素子も開発されていますし、TMR素子なんかも、外乱磁気ショック問題の解決と共に――」

「ちょ、待って! 待って! そんな説明、いきなりされても専門外なんでわかりませんって」
「うむ。理系の男は相手のことを考えないからな」

腕を組んでコクコクと頷きながら、みどりさんが勝手なことを言っていた。

「先輩、それはちょっと偏見入ってると思いますけど」
「その通りですよ、所長。まあそういった磁力計の出力が、脳活動の電気的特性を反映するように調整してあるわけです」

「へー。凄いんですね」

そう言うと、中島は照れたように笑った。

「ま、そんなわけですから、簡易版は、測定条件によって、結構な誤差が生じるかもしれません」

「その辺は、ソフトウェアで調整してみますけど……取得される値の厳密な精度はともかく、機器間のばらつきや、測定の揺らぎはないんですよね?」

「距離計も組み込んでありますから、そこから補正すれば揺らぎ自体は±0.05%以下だと思いますよ」


一応僕で計測したデーターで調整してありますから、と、中島がメモリカードを取り出した。

「こっちがその時の状態を記したテキスト付きの生データです。なにかあったら確認してみて下さい」

「ありがとうございます! なら、なんとかなると思います。あとは、そうですね……これひとつでおいくらなんでしょうか?」

「特殊なセンサー以外は、ありもの技術の寄せ集めですからね……精密計測用が2千万、簡易型で300万くらいでしょうか」


「あんたらの資金預託は大変助かったよ」

そう言いながら、みどりさんが、俺の腕をバンバンと叩いた。

「本当ですよ。ああ、毎回これくらい自由に予算が使えればいいのに」
「やかましい。カネがないほうが工夫するようになるんだよ」
「限度がありますよ、所長」

俺は他人事じゃなかったよなと昔を思い出して苦笑しながら、量産したときの話を中島さんに振ってみた。


「まあまあ。それで量産するとしたら?」
「そうですねぇ。試作機を運用して、適切なデータの取捨や精度がはっきりすれば、無駄を省けますから、三分の一から四分の一くらい……状況によっては十分の一くらいにはなると思いますけど……」


三分の一なら百万か。
高いような安いような、オーディオにしろパソコンにしろ自転車にしろ、趣味用品のハイエンドはそんなもんだから、一応趣味の領域にも収まるのかな。


「量産は製造委託になるんだろう? うちは一応ファブレスだからな。で、梓。一体これで何をするんだ? そろそろ教えてくれるんだろ?」

「世界的ベストセラーを狙うんですよ」
「ベストセラー?」
「しかし、距離計付きの特殊な電磁波計測用センサーを除けば、ほとんどがありもの技術の寄せ集めですから、もし売れてもすぐに真似されますよ? 特許をとれるような部分も少なそうですし」

「デバイスは単なる計測器ですからね。そこはいいんです。センサーは中島さんが?」
「ええまあ」

少しテレながら肯定した中島に、三好は賞賛の言葉をかけた後、通信/表示部分のハードウェア諸元やプロトコルについて詳しく説明し始めた。


「どうでしょう中島さん。組み込めそうですか?」
「携帯電話をくっつけるようなものですからね。大した問題はありません」
「じゃ、販促用に、精密版を3台、簡易版を8台くらい作成していただけますか?」
「了解です。ガワや組み立て用部品は3Dプリンタで出力して、あとは規格部品類を注文するだけなので……そうですね、資金に問題がなければ今週中には」

「さすが、中島さん。仕事が早いです」
「でへへ」
「順次製作なら、一台じゃ先に頂きたいので、出来たらご連絡下さいね!」
「わかりました! お任せ下さい」

そういうと中島はさっそく取り寄せる部品のリストを作成し始めた。

「梓、いつの間にそんなに男転がしが巧みに」

ダメ男の面倒を見ているからか? などと、こっちを見ながら失礼なことを言っている。
確かに最近ちょっと、三好への依存度が上がってる気はする。時々、未来から来たネコ型ロボットに見える時があるもんな。三好に聞かれたら、私はあんなに太くありません、なんて怒られそうだが。


「何言ってるんですか。みんな正当な評価に飢えてるんですよ。こないだまでいた会社なんて、一部はちょーブラックでしたからねぇ。反面教師と言うものです」

「ほー」
「で、先輩。さっき言ってた量産の事なんですが……」

三好はみどりさんに合弁会社と小規模な工場の建設について持ちかけていた。

「いや、うちにそんな金銭的な余裕はないぞ?」

説明を聞いたみどりさんは、無理だろうという顔をしている。

「そこは頭脳とコネを期待しています。人も増やす必要がありますし」
「……この有り物技術の塊が、そんなに大規模なビジネスに化けるのか?」
「みどり先輩。まだここだけの話ですけど、これ、人間の能力を数値化する器械なんです」

みどりさんは一瞬固まったが、三好の頭に手を当てて、「熱はないな」と言った。

「36度ちょっとくらいはありますよ?」

そう言って笑いながら、三好はみどりさんの手を引っ張って、会議用の小さなスペースへと誘った。


「先輩は、ちょっと飲み物でも買ってきてください。少し長い話になりますし」
「了解。自販機は――」
「お。うちのロビーにあるぞ。入ってるのは働いてるやつの趣味で入れてるドリンクだから、味は保証しないけどな」

「わかりました」

俺は手を振ると、自販機へと向かっていった。
三好はさっそく、ダンジョンがステータスに及ぼす最新の知見と、その測定概要について説明をはじめたようだ。


、、、、、、、、、

三好のやつが缶コーヒーを飲んでるところなんか見たこと無いけど、微糖か無糖の珈琲で良いよな。


自販機、自販機っと……お、あれか。

その少し古びた自販機は、全品0円で、押せば飲み物が出てくる状態だった。流石オサレ開発企業。世界的なIT企業みたいだぜ。

だがそのラインナップは少々変わっていた。

「なになに、飲むシュークリーム? なんだそれ?」

見本に小さな紙が挟んである。読むと『賞味期限は 2018年
4月21日です。でもまだ飲めるよ♪』って、飲めるかー!

くそっ。後は……ドクペにふりふりみっくちゅじゅーちゅにドリアンサイダー? たくあんコーラに、うにラムネって、なんだこれ……


「働いてるヤツの趣味って言っても限度があるだろ……」

一番まともそうなのは、ドクペ……いや、みっくちゅじゅーちゅか?
とりあえずそれを3本とりだして、会議室へと戻った。

、、、、、、、、、

会議室に戻ると、概要の説明は終わっていたようだった。
俺は、二人にジュースを渡しながら、販売機のことについてみどりさんに聞いてみた。

「ああ、そりゃ、ネタ販売機の方を見たんだな」
「なんですそれ?」
「全部タダだったろ?」
「ええ。って、福利厚生の一環ってやつじゃないんですか?」
「うちみたいな貧乏ベンチャーにそんなものあるわけないだろ。もうちょい先のロビーに、普通の自販機もあったろう?」

「ロビーまで行きませんでした……」

話によるとあれは、以前ここにあった工場で使ってた自販機らしく、せっかくだからと、旅行先で買ったネタドリンクをセットして遊んだのが始まりだったらしい。

以降、旅行に行った連中が、ネタドリンクをケースで仕入れてきては遊んでいるのだとか。ローカルジュースにはネタものが多いそうだ。

今では罰ゲーム用ドリンクとして活躍しているらしい。

ていうか、みどりさんと中島さん以外にも働いている人っていたんだ。

「当たり前だ。大体、今日は日曜日だろ。休出してんだから、ありがたく思えよ。とはいえ全部で六人だ。梓のところの仕事は、中島一人でいいんだが、一応私も立ち会ってるだけだ」


みっくちゅじゅーちゅを受け取ったみどりさんは、それを両手で弄びながらそう言った。

「で、今、梓から聞いたんだが、ダンジョン攻略を支援する会社を作るって?」
「まあ、そうですね」
「そういう活動には、NPO法人の方が向いてるだろう」
「いや、だって、設立に三ヶ月もかかるって言われましたから。なら、株式会社でいいかなって」

「ドッグならぬマウスイヤーは伝説じゃなかったんだな」

俺の言葉にみどりさんが呆れたように笑った。

ドッグイヤー・マウスイヤーはちょっと前に流行ったIT用語だ。犬は人の七倍、鼠は十八倍で成長することから、技術の進歩がそれくらい早いと言うことを意味していた。

要は、普通にやってたら置いて行かれちゃいますよと、人を脅すためのバズワードみたいなものだ。


「御社が作ったデバイスで、ダンジョン攻略はぐっと進むと思いますよ。十八倍かどうかはわかりませんが」


なにせ、何の指針もなかったところに、数値という基準が生まれるインパクトは大きい。

「試作メーカーとして、ここで一旦仕事を区切るか、提携会社としてハードウェア部分を担当するかって言われるとなぁ……」

「ありもの技術の寄せ集めなんて彼は謙遜してましたけど、核心部品は中島さんのセンサーですよね?」


三好はみどりさんを見ながらそう言った。彼女は、自分の会社の技術が誉められたことに、少し笑みを浮かべながら「まあな」とだけ言った。


「計測デバイスも医療機器みたいなものですから、そのまま社内に別部署を作って対応してもいいですし、新会社の協力企業として出向のような形にしてもいいです。また、そのほかでももちろん構いません。その辺は三好と自由に相談して下さい」

「ま、正直言って、うちもご多分に漏れず予算的に苦しいしな、ここで降りるって選択肢はないだろ」

「じゃあ」
「ああ、よろしく頼む」

差し出された右手を握ると、横から三好が言った。

「そうとなったら、買収には注意して下さいね」
「買収?」
「そうです。うちと提携したことが外に漏れたら、たぶんすぐに買収がかかりますよ」
「は? なんだそれ?」
「先輩。株はどうなってます?」
「どうなってるって、私が60%持っている。後は従業員がいくらかづつ持ってるな。んで、大学が5%か」

「投資家とかは?」
「いまのところは振られっぱなしだ。うちの父さんが少し持ってるくらいかな」

みどりさんは自嘲気味に言った。

「この話が表に出ると、振られっぱなしだった人達から、熱烈なアピールがあるかも知れませんから、気をつけて下さい」

「何の話だ?」
「とにかくすり寄ってくる組織が、わんさか増えると思いますが、とりあえず全部袖にしておいて下さいってことです。必要な融資はうちからしてもいいですから。……いいですよね、先輩?」


三好がこちらを振り返って、融資話の許可を求めてきた。俺はOKマークを指で作って、無言で答えた。


「さっぱりわからんが……わかったよ」

NDA(秘密保持契約)は最初の計測契約時に交わしてある。
詳しい話は、後日専門家を交えてするということで、今日のところは梱包した試作機を軽トラに積んで、お暇した。


、、、、、、、、、

事務所に帰った三好は、早速嬉々として調整をはじめた。

「先輩、ほらほら、測られて下さいよ」
「明日は、クールタイム明けの収納庫ハントがあるんだから、お手柔らかにな」

収納庫をゲットしたのは、十月八日だから、明日はそれを得た日から丁度七十日目にあたる。
それをどうするのかは決めていないが、クールタイムが長いオーブは、なるべくギリギリで押さえておきたかった。


「あ、ンガイのリングははずして下さいね」

俺は計測機器の前に座らせられると、まず以前計測したときの値にステータスを調整させられて計測された。以下はひたすら三好の言うとおりにステータスを調整しながら、永遠かと思うテストに付き合わされた。

途中事務所に来た鳴瀬さんは、何をやってるんですか?と興味を見せたが、三好が冗談めかして「企業秘密です!」と言うと、笑って翻訳活動に戻っていった。


「先輩。後で鳴瀬さんも測りますが、できれば芸能人二人組も呼んで、サンプル数を増やしたいんです」


なんでその三人? と思ったが、俺とパーティを組ませて、現在のステータスを確認できる人達だと言われてしまえば、なるほど、他に適任者はいない。


俺は御劔さんに電話を掛けて、留守番電話に伝言を残した。


070 データー収集 12月
21日 (
class=SpellE>fri)



「おじゃまします」
「おじゃましまーす」

ちょっと手伝って欲しいことがあるんだけどという俺達の留守電に応えて、ふたりがやってきたのは5日後の午後も遅い時間だった。

斎藤さんが、早上がりできる日だったらしく、ふたりで日時を調整して手伝いに来てくれたのだ。


「あ、師匠! 予想通りオンエアされてましたね!」
「師匠じゃないよ、まったく……まあ、まだ実害はないからいいんだけどさ」

それは、斎藤さんが口を滑らせたインタビューの件だった。
その部分は映画自体には関係なかったが、面白いネタだと思われたのか、カットされずにそのまま放送されてしまったのだ。


「会う人会う人に、紹介してくれって言われちゃって。芳村さん、ちょっとした有名人だよ?」
「勘弁して……」
「もう。ほんとに涼子ったら、うかつなんだから」
「はるちゃんのお説教は、もうお腹いっぱい。芳村さん、私あの電話の前に酷い目にあわされたんだからね」

「自業自得だ」
「ええー?! 冷たーい!」

「それで、芳村さん。今日はどんなお手伝いを?」

事務所の全ブラインドを下ろしている三好を見ながら、御劔さんが尋ねた。

「ふっふっふ。秘密の実験なのですよ」

と三好が、スマホのライトで自分の顔を下から照らして、精一杯不気味な顔をして言った。

「師匠。あれってどこのマッドなサイエンティスト?」
「富谷《とみや》小かな」

俺は苦笑しながらそう言った。富谷小は、すぐそこにある小学校だ。

「じゃ、ふたりとも。Dカードは持ってきてくれた?」
「言われたとおり持ってきたけど……これ、どうするの?」
「ちょっと貸してくれるかな?」

そういうと、御劔さんが、すぐに「はい」と差し出してきた。

ちらりと見たカードに書かれたランクは681。以前は
980番台だったはずだから、またもや3000も番手を上げていた。

どうやらスライム退治は続けているようだ。

「あれ。芳村さん、はるちゃんのランクを知ってたんだ?」

それを見て驚かない俺を見て、斎藤さんが言った。

「前に相談したことがあるの」

と御劔さんが言うと、「なーんだ私だけじゃなかったのか」と斎藤さんが頬を膨らませた。
俺はそれを横目に見ながら、御劔さんのカードを自分のカードに添えて、アドミットした。
念話については、オフにする機能が見つかったので、気にしなくてもよくなったのだ。

「あっ」

その瞬間、御劔さんが小さな声を上げた。
多分、例の『繋がった感』を感じたんだろう。

「どしたの?」

不思議そうな顔で斎藤さんが尋ねたけれど、御劔さんは、「いや、なんだか、今……」と言って、ちらりとこちらを見ただけだった。


「じゃ、次は斎藤さんね」
「ほーい」

変な返事をしながら、彼女がカードを差し出した。
特にランキングは隠していない。それどころか、「私も、なかなかのものでしょ?」なんて胸を張っていた。

彼女のランクは、1421だった。

「日本人の民間エクスプローラーのトップグループは4桁上位だそうだよ」

と俺が言うと、なら私もそうなんだねと、さらに胸を反らした。
俺はそれを笑って聞き流しながら、アドミットした。

「ん? ……んん??」

何かを感じたらしい斎藤さんがこちらを見る。

「涼子も感じた?」
「はるちゃんも?」

そこでマッドなサイエンティストが、わざとらしく咳払いをしながら割り込んだ。

「ごほん。えーっと、じゃ二人とも、順番に、ここに立って貰えますか?」

三好が指さしたのは精密版の測定位置だ。

「じゃ、私から。ただ立ってればいいの?」
「そうです。よろしくお願いします」

斎藤さんはすぐにその場所に立って正面を向いた。

「じゃ、いきまーす」

三好がそう宣言して、一連の計測を開始した。
精密版の後は、簡易版だ、距離を変えたり向きを変えたり、実に色々な角度から試しているようだった。


その間、俺は自分のデスクに陣取ると、メイキングを呼びだしていた。

、、、、、、
 ネーム 御劔 遥
 ステータスポイント 65.36
 HP 29.00
 MP 55.20

 力  (-) 10 (+)
 生命力(-) 12 (+)
 知力 (-) 28 (+)
 俊敏 (-) 22 (+)
 器用 (-) 41 (+)
 運  (-) 16 (+)
、、、、、、

、、、、、、
 ネーム 斎藤 涼子
 ステータスポイント 33.23
 HP 28.50
 MP 48.50

 力  (-) 10 (+)
 生命力(-) 12 (+)
 知力 (-) 25 (+)
 俊敏 (-) 17 (+)
 器用 (-) 34 (+)
 運  (-) 12 (+)
、、、、、、

俺は、十七日の収納庫ゲットで、丁度4900匹のモンスターを倒していたが、それまでに得た経験値は、なんと
74.492だ。
しかもこれにはエンカイが含まれている。もしそれがなかったとしたら、おそらくたった29.492といったところだろう。


それに対して御劔さんは、半分がステータスに転化されているとすると、130くらいを稼いでいる計算だ。

ポイントからすれば、6500匹近いスライムを葬っているはずだから、討伐数だけで比較すれば、俺なんかよりもずっと多く、立派なトップグループと言えるだろう。


相談を受けたときからも、週末はずっとダンジョンに通っていたんだろうけれど、俺の取得したポイントとは差がありすぎた。

忙しくなって途中でつきあえなくなった斎藤さんですら、ステータスの上がりを見る限り70以上を稼いでいそうだ。


その数値は、いかに出入り付きスライムアタックの効率が凄いのかを、如実に物語っていた。

「なにしてんの?」

ふと顔を上げると、斎藤さんが俺の机の横に立っていた。御劔さんと交代したのか。

「いや……そうだ、斎藤さん」
「なに?」
「今よりもずっと演技がよくなるとしたらどうする?」
「え?」
「演技がうまくなったり、素早く動けるようになったり、体力が増えたり、力が付いたり、そういうことが出来るとしたら、どうなりたい?」


彼女は、一体いきなり何を言い出すんだこいつといった顔をした。

「どうしたいかって言われてもなー。それって何もせずに棚ぼた的にそうなるってこと?」
「まあそうかな」

本当は、ダンジョンで頑張った成果なんだから、そういう訳ではないんだが、他に説明のしようがなかった。

斎藤さんは、探るような目つきで俺の顔をのぞき込んで言った。

「芳村さんってさー、神様と私の魂の堕落を賭けて勝負したりしてないよね?」
「お代に魂を頂いたりはしないよ」

俺は苦笑しながらそう言った。
ゲーテ版のメフィストフェレスは、ファウスト博士の魂でそれをやったのだ。

「じゃあ、劇場の地下に住んでいて、憐れなコーラスガールの私《わたくし》めに力を与えてくださるとか?」

「残念ながら、猿のオルゴールは持ってないな」

そういや、サイモンが、ザ・ファントムとか言ってたっけ。
The PHANTOM of the DUNGEON。
……ちょっと厨二心をくすぐられるな。

「白い仮面でも被ってみますか?」

どうやら、一通りの測定を終えたらしい、三好と御劔さんが二人してこちらの話に混じってきた。


「芳村さんは、異形というより、いいぎょうですよね」

御劔さんの珍しい地口に、全員が一斉に振り返る。

「……はるちゃん。オヤジギャグは、モデルの寿命を縮めるから、辞めた方が良いよ?」
「ええ!? ほんとに?」

そんなルールがあるかい。

「まあまあ。それで先輩。何の話なんです?」
「いや、もしも自由に成長できるとしたら、どんな風になりたいかって、まあ夢の話だよ、夢の」


三好のやつが、何を白々しいと言わんばかりの視線をこちらへ向けながら、「へー」とだけ言った。


「なんでも出来るとして、ですか?」

英訳が一段落したらしい鳴瀬さんも話に乗って来た。意外とこういう話が好きなのかもしれない。


「鳴瀬さんは希望があるんですか?」
「そりゃもう。力ですね。モアパワーですよ!」
「はぁ?」

鳴瀬さんが、まるでくるおしく、身をよじるように走るという古い車のオーナーみたいなことを言い出した。

俺達は予想もしなかった彼女の言葉に、驚いた。

「えー? 力なんかいります?」

大体男の人がやってくれますよ? と斎藤さん。流石だ。

「いえ、言うことを聞いてくれない探索者を、こう物理的にひねってあげたいというか……」
「ああ」

確かに、管理課の人達が注意しても、若い女の子の話なんかまともに聞かない感じの人、いそうだよな。

一所懸命にルールを説明しているのに、へらへら笑ってテキトーに聞き流しているヤツとかにあたったら、そりゃひねってやりたくもなるだろう。

切実と言えば切実だが、なんともはやイメージが……

「ダンジョン管理課って、ストレスが溜まるんですねぇ……」
「下っ端は、一般の探索者相手の管理が主体ですからね。その頃が一番泣きそうになります。結構低いんですよ、定着率」


そう言えば、管理課の若い女性職員は、代々木でもそれほど多くは見かけない。せいぜいが受け付けくらいだろうか。


「だから、Dパワーズの皆さんには、ホント感謝しています」と鳴瀬さんが笑った。

「私はちょっと体力が欲しいですね」

御劔さんが、少し考え深げに人差し指を頬にあてながらそう言った。
どうやら、モデルには体力が必要なようだ。

「ショーモデルはともかく、写真のモデルは、時間も早朝に偏りますし。服なんか季節の先取りで、寒い時期に真夏の服装だし、残暑厳しい折に真冬の服装ですから」


なるほど、体力か。

「あんなにダンジョンを出たり入ったりしてれば、すぐに体力も付くんじゃないの? 私はやっぱり演技力! それと永遠の若さと、あとは『子』じゃない名前!」


いや、永遠の若さとか名前とか、それって成長と関係ないから。

「涼子ったら」

俺達はしばらくそんな話で盛り上がった。

、、、、、、、、、

そろそろ9時になる頃、ちょうど呼んだタクシーが二台、門の前へと到着した。

「それじゃ、お休みなさい」

御劔さんがきれいな所作でお辞儀をした。

「お休み。今日はどうもありがとう」
「なんの、なんの、師匠様のお願いだからね」

こないだのインタビューで少しは反省したらしい斎藤さんが、そう言ってぽんぽんと俺の肩を叩いた。


「このお礼は、二十三日の夕食で」と三好が言った。

「明後日かー、そっちも楽しみにしてます。んじゃねー」
「失礼します」

タクシーの後部座席にささっと乗り込んだ二人が、リアガラスの向こうから手を振った。

「それじゃあ、私も一旦帰ります」

鳴瀬さんは、翻訳の英訳をほぼ終えていた。
今時はAIのバックアップがあるから、なかなか効率よく訳せるのだが、ゴーグル社の翻訳AIは時々肯定と否定をひっくり返したりするので気が抜けない。


「お疲れ様でした。二十三日は?」
「あー、残念ながら、その日は先約が。よく分からないんですが、家族会議があるとかで、実家に戻らないといけないんです」


家族会議って、みどりさんの会社のうちとの提携ネタじゃないだろうな。

「それでは仕方ありませんね。それではまた明日」
「はい、失礼します」

鳴瀬さんを乗せたタクシーが、先の角を曲がって見えなくなるまで、俺達は門のところに立っていた。


「先輩。弄りましたね?」
「あ、わかったか? まあ、弟子二人へのクリスマスプレゼントみたいなものだから」

二人の希望を聞いた俺は、ステータスをそれにあわせて修正した。

「どれくらい弄ったんです?」
「まあ希望に合わせて、こんな感じ」

、、、、、、
 ネーム 御劔 遥
 ステータスポイント 0.36
 HP 48.50
 MP 71.90

 力 (-) 10 (+)
 生命力 (-) 25 (+)
 知力 (-) 34 (+)
 俊敏 (-) 35 (+)
 器用 (-) 70 (+)
 運 (-) 20 (+)
、、、、、、
、、、、、、
 ネーム 斎藤 涼子
 ステータスポイント 0.23
 HP 34.90
 MP 60.50

 力 (-) 10 (+)
 生命力 (-) 16 (+)
 知力 (-) 30 (+)
 俊敏 (-) 25 (+)
 器用 (-) 50 (+)
 運 (-) 12 (+)
、、、、、、

事務所に戻ってから俺が書き出したパラメータを見た三好は、呆れるのを通り越して頭を抱えていた。


「どうした?」
「先輩、やり過ぎですって。こないだ三年間でトップエクスプローラーがどの程度のステータスになるのかを検証したじゃないですか?」


そうだった。大体ステータスポイント180から
200くらいがトップエンドなのではないかと予測したんだっけ。
だから、平均的なステータスだと、三十から四十くらい。少々ステータスに偏りがあっても、最大値は五十から六十くらいじゃないかって結論に到ったんだ。


「御劔さんの器用なんて、ブッチギリで世界チャンピオンですよ! あ、先輩を除いてですけど」

「ま、まあ、かなり高めだけどさ。それでも偏ってる人ならこれくらいは……」
「先輩」
「はい」
「ステータスポイントの半分は、ステータスポイントのままかもしれないって、こないだ判明したんですよ?」

「げっ」

そうだった。
よく考えてみれば、想定したのは取得ステータスポイントからの逆算だ。つまりステータスは――


「予想の半分ってことか?!」
「正解です」

それって、最大値でも30くらいってことか?

いや、ちょっと待て。トップエンドが200のステータスポイントを稼いでいたとして、実際にステータスに反映されているのが
100だとすると――

「御劔さんの方が、ステータス合計が高いって事じゃん!」
「やっと状況を分かっていただけましたか」

「じゃ、三好の知力も、斎藤さんの器用も――」
「世界チャンピオン級でしょうね。先輩を除いて」

三好の知力は50だ。斎藤さんの器用も50。


「絶対、体の使い方に違和感が出ますよ。ふたりとも大丈夫ですかね……」
「いや、しかし、注意喚起するってのも、おかしな話だしなぁ……」

すごく体が動くようになっているから注意しろなんて言ったら、怪しいことこの上ない。

「さっきの計測│擬《もど》きが、潜在能力を解き放つ鍵だとか……」
「新興宗教でも開宗されるんですか?」

呆れたようにそれを否定した三好は、ダンジョンブートキャンプを始めるときは、絶対十Pトン位で押さえてくださいよ! と念を押してから、計測結果の解析に戻った。


取り残された俺は、なんとなく居間のテレビのスイッチを入れた。

チャンネルが合っていた、スターチャンネル1では、有名だとは言えないが無名とも言えないスリラー映画の第3弾が始まったところだった。

一年に一度、殺人を含むすべての犯罪が合法化される夜があるアメリカの話だ。なんとも狂った設定だが、実際の大統領選が物語の舞台設定と被ったため結構ヒットしたらしい。

次から次へと出てくる頭がおかしいとしか形容できない悪役が、あまりに下らな面白くて、つい最後までそれを見てしまった。


そして、タイトルロールが流れはじめた頃三好に声を掛けられた。

「先輩、ちょっとこれ、見てくれませんか?」

三好が差し出してきたタブレットには、奇妙な形状をした3Dグラフが描かれていた。

「なんだこれ?」

「あの計測デバイスって、時間軸方向の情報を使って、その精度を上げているんです」
「合成開口レーダーとか、フレーム間処理を行う超解像みたいなものか?」

合成開口レーダーは、人工衛星などに搭載されるレーダーで、レーダー面が移動することを利用して、擬似的に巨大なレーダーとすることで解像度を上げるレーダーだ。

超解像のフレーム間処理は、ビデオにおける前後のコマの状態から、入力解像度以上の解像度を作り出す技術だ。


「まあそうですね。その関係で、単位時間で取得したデータをそのまま出力する機能があるんです。その出力を眺めていたら、値の変動に、どうも周期のようなものがあるみたいなんですよ」

「周期?」
「はい。それでこの図形なんですが、せっかくですから中島さんが想定した超解像による値取得とは別に、周期単位で取得したデータに対して時間軸方向の変化を畳み込んで3次元に変換したあと、視覚化ツールで出力したものです」


俺はもう一度その図形を見直した。
それは現実にはあり得そうにない、クライン体を彷彿とさせる奇妙な立体だった。

「わかるのは変な図形ってことくらいだな。詳しいことはさっぱりだ」
「まあ望みの結果を得るために、いろいろとたたみ込み方法だの係数だのを弄ったので、私にだってこれが正確に何を意味しているのか、なんてわかりません」


便宜上のモデルですねと、三好は肩をすくめながらそう言った。

「ひとつだけ言えることは、これです」

三好は画面上に、もう一つの似たような図形を呼びだして、それを最初の図形に合成した。
それは、少し歪な突起もあったが、示し合わせたかのように、ほぼぴったりと重なった。

「これは?」

「最初のは私のモデルです。で、後のは、先輩が私と同じパラメータに設定したときのモデルです」

「ほぼ同じになるのか。凄いな」
「で、これが、中島さんが測定値として出力した数値なのですが……」

そこに書かれていた数値を見ると、三好と俺のモデルには、確かに近い値だとは言え、結構な相違点が存在していた。


「±0.05%とか言ってなかったか?」
「それはデバイスとしての性能ですよ」

それにしてもこれは……

「周期を利用したかどうかの差かな?」
「それが大きいと思います」

「凄いじゃん、三好。じゃ、この奇妙な図形の特徴を解析すると、数値に戻せるのか? 具体的にはステータスに」

「多分出来るんじゃないかと思うんですが、問題はそこじゃないんです」
「え?」

デバイスから得られた情報で、ステータスを出力できるなら、それで問題は解決じゃないのか?

「これ、見て下さい」

そこには
class=SpellE>saito と書かれたモデルが表示された。

すぐに、
class=SpellE>saito
-c と書かれたモデルがそれに追加される。cは
comparisonだ。比較用ってことだろう。

目の前で重ねられたそれは、先ほどと同様きれいに重なったが、比較用の側には、一部に奇妙な突起が存在していた。


「なんだこの突起?」
「もちろんモデル化のゴミという可能性もあるんですが……」

斎藤さんのモデルだけでなく、御劔さんのモデルとも、鳴瀬さんのモデルとも、比較対象用に俺が設定したパラメータモデルとは、同様の差異があるそうだ。


「つまり、俺にあって、彼女たちにないもの?」

俺は、思わず下半身にある、時々元気になる、とある器官について想像した。なにしろ突起だけに。


「先輩。性差について考えているなら、それはたぶん誤りです」
「なんでさ?」
「最初に私のモデルとは一致したじゃないですか。私は一応女性のつもりなんですけど」

「んじゃ、これは、俺と三好にだけある特徴だってか?」
「少ないデータから考えるならその通りです」

それってつまり――

「スキルか?」
「はい。しかも、一番ありそうなのは、空間収納系のそれです」
「理由は?」
「先輩。鳴瀬さんは、異界言語理解を持ってるんですよ」

なるほど。もしもパッシブに発動するスキルが原因なら、鳴瀬さんにもこの突起が現れるはずなのか。


「斎藤さんか、御劔さんにオーブを使って貰って、差異を計測できればはっきりすると思いますけど……」


斎藤さんなら喜んでやってくれそうな気もするけれど、彼女はちょっと不注意なところがある。
師匠問題と違って、ぽろりと漏らされるとちょっと困るのだ。

「御劔さんかな?」
「どちらかと言えば、その方が無難ですね」

「丁度、先日得た『器用』がある」
「先輩。気持ちはわかりますけど、この場合『収納庫』じゃないと意味ないですって」

御劔さんに収納庫?
ううん……ばれた時に、希望と全然違う将来になっちゃう可能性が高いからなぁ……

「いっそのこと、世界に貢献しているサイモンに!」
「ばれたら自衛隊に恨まれますよ。それに比較実験としては、やはり三人の誰かがベストですよね」

「ううむ……」
「サイモンさんたちが詳細に計測させてくれれば別ですけど、きっと彼らの数値って機密扱いに……そうだ! ジャマー的なものを作れば売れそうですね!」

「あのな……」

確かに細菌兵器はワクチンとペアでないと実用にならない。
何かを暴く器械は、それを防ぐ手段とペアの方が、便利ではあるだろう。

「個人を識別する何かが、この中にあれば、覗けない人を作れるんですけどねぇ……」

そう言って、三好は、ステータスモデルをクルクルと弄っていた。

「先輩のパラメータ違いのデータから、いろんなモデルを沢山作って、それらの中で変化しない部分を抽出して、他の人と比べてみるとか、ですかねぇ……」


興味の対象が他へ移ると同時に、それまでやっていたことがどうでもよくなるのは、頭の回転が速い人間にわりと共通する資質?だ。

収納持ちの検証は、もう一度興味が戻ってくるまでオミットされることだろう。

それまでに俺は、収納庫を誰に使わせるべきか考えておこうと思った。
なにしろマイニングが控えているのだ。収納庫の価値は天井知らずになるだろう。
マイニングをどうやって配るのかも問題だ。全部で五つ。誰に配ればいいんだろう。

考えれば考えるほど、面倒な事態ばかりが思い浮かぶ現実に、俺は、思考を放棄してベッドに逃げ込むことを選択した。



071 鑑定 12月
22日 (土曜日)


「それで完徹したんですか?」
「ふぁい……」

翌朝起きて階下へ降りてみると、三好が鳴瀬さんに怒られていた。
どうやら、収集した俺の全データに対して、なにかの処理を行ったらしいのだが、全然終わらなくてダラダラしていたところを、朝来た鳴瀬さんに見つかって徹夜を怒られたらしい。

超回復って、集中することがなくなると、とたんに仕事をしなくなるんだよな……

「おはよう。なにか立て込んでんの?」
「あ! せんぱーい。パソコン遅すぎですー。スパコン買ってくださーい」
「はぁ?」

突然何を言い出すんだ、こいつは。
どうやら徹夜でハイになっているらしい。

「いまなら、一ペタフップあたり十億円くらいですかね?」

確かに今なら、来年製造が始まるらしい「京」の後継機だって作れる予算はあるけどさ。あれなら一ペタ一億三千万円くらいだ。

ただし――

「あほか。置く場所がないだろ」
「うえーん」

しょうがないヤツだな。

「確か、京が共用をやってたろ? 会社で素材の構造解析に使えないかと調べたことがあるぞ。確か一日貸し切りで三千万弱だった気が……あれじゃダメなのか?」

「いいですね、それ!」

三好は跳ね起きるようにして、HPCIのサイトを開いた。

HPCIは、High Performance Computing Infra力
class=SpellE>ucture の略で、理研のコンピューターを中心に、国内の大学や研究機関の計算機システムやストレージを利用するための、共用計算環境基盤だ。

つまりは国の補助金で作られたスーパーコンピューターを、みんなで利用できるようにしましたよという組織なのだ。


「へー。HPCIの成果非公開有償って、随時受付なんですね。お金って凄いですねー」

通常無償で利用できる研究系は、年に一回か二回申し込みがあって、審査の結果利用できるかどうかが決まる。

それに対して、産業利用で、利用料を自分達で払う場合は、優先利用が出来て、しかも申し込みは随時なのだ。


「京って、600万ノード時間まで使えるようですよ。先輩モデルの構築がはかどるなぁー」


いや、いくら自腹の産業利用だからと言って、そんなすぐに使えるはずが……
100グラムフロップくらいですむのなら、エントリー向けのFOCUS(公益財団法人計算科学振興財団)なら、三日くらいでアカウントが発行された気がする。

産業界が、気軽にスパコンを使ってくれるように慣れさせるための組織っぽいし。

「ていうか、先輩。地球シミュレーターってまだ現役なんですね! ああ、ベクトル型って格好いいですよねぇ。こっちも申し込んじゃおっと。ぽちっと」


どうやら、京とそれ以外のHPCは申し込みが異なるようだ。
しかし、三好のやつ、やたらとハイになっているけど、大丈夫か?

「三好、三好。おまえ、ちょっと寝てこい。な」
「きゃー! 日本のスーパーコンピューター使いたい放題ですよ。きゃっほー」

突然立ち上がった三好は、伸ばした両手の平を頭の上で重ねて、クルクルとまわりながら2層へと上がっていった。

それを俺と鳴瀬さんは呆然と見送っていた。

「三好さん、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ。時々ああなるんです」

会社でも高額な試薬の使用許可が出たときに似たような状態になっていたっけ。

それにしても三好のやつ、そんなに大量の計算が必要になるって、一体、何をやってたんだ?
昨日見せられた奇妙な図形を作り出すのに、そんなに計算量が必要だとしたら、デバイスからデータを受け取って計算終了までのラグで役に立たない機器になりかねないぞ。

そんな馬鹿なことをあいつがするとは思えないが。

「ところで」
「はい?」
「先輩モデルってなんです?」
「こ、コンフィデンシャルな案件ですので、三好が起きたら聞いて下さい!」

俺はそう言いながら、心の中で三好に悪態をついた。

、、、、、、、、、

「いや、ホント、お騒がせしました」

一眠りして起きてきた三好は、自分が申し込んだHPCの利用申し込みログを整理しながらそう言った。


「だけど、お前のデスクトップだって相当だろ? モデルの作成にそんなに時間がかかるなら、デバイスから受け取ったデータを計算して返すのにものすごいCPUパワーがいるんじゃないか?」


それじゃ事実上使い物にならないだろう。

「あ、いえ。一旦個々の計算式の係数群を決めてしまえば、計算自体は一瞬ですから。それはいいんですけど」


ん? モデル自体は作られていたんだから、係数はほぼ決まってるって事だ。

「じゃあ、何をやってたんだ?」
「スキルの判別と個人の識別です」
「なに?」

三好は、試作機のカバーを取った。

「流石にテスト用だけあって、試作機は、中島さんが、かなりオーバースペックに作りあげたようなんです」


例えば、超解像用のタイムスライスにしても、どのタイミングが最適か分からないから、240fpsで、全てのデータを取得できるようになっているらしい。

実際に、中島氏が各パラメータの決定のために使用しているのは、0.5秒でせいぜい8枚程度のデータだそうだ。


「オーバースペックにも程があるな」
「まったくです。彼に予算を与えたくないみどり先輩の気持ちが、ちょっと理解できますよね」

要求仕様を遥かに超える高性能を作り出すことは素晴らしいが、世の中にはコストパフォーマンスというものがある。大抵、予算は有限なのだ。


「それで?」
「とりあえずフルスペックで情報を取り出してある先輩のパラメータ違いのデータを、いろんな手法でモデル化して、変化がない部分を探してたんですよ」


パラメータが変動しても変化がない部分。
それが存在していて、かつ、個々の人間毎に異なっていれば、個人識別の可能性が生まれるってわけだ。


「それって出来そうなのか?」
「いえ、それが……」

手当たり次第にモデルを作って、目的の部分を探すコードを書いて放置したら、全然戻ってこなくなって、今朝の状況に陥ったというわけだ。


「それってバグで無限ループに陥ってるとかじゃなくてか?」
「一応進行ログは出力されていますから、それはないと思います」

「まあ何らかの理論があるわけじゃないからなぁ」
「しらみつぶしはコンピューター数学の基本ですよ」

無限の対象に対して実行した場合、それで何かが証明できるというわけではないけれど、工業的な利用なら適切な範囲の中での結果がわかりさえすればいいわけだ。


「それにしたって、計算量くらいめどを立ててから実行するだろ」
「うまいこと、O(n^3)くらいのオーダーに押し込めたと思ったんですけどねぇ……HPCIのほうは、どうせすぐにアカウントが発行されたりしないでしょうから、しばらくあのパソコンは放置しておきましょう」


よさげなモデルが見つかれば、出力してくれるはずだとのことだ。
組み合わせ爆発を説明するお姉さんみたいにならないことを祈ってる。

「それで、お話は終わりましたか?」

俺達の会話が終わるのを、ダイニングテーブルに座ってみていた鳴瀬さんが、話が終わったのを察して話しかけてきた。


「あ、はい」
「そろそろ説明していただけると、専任管理監としても助かるのですが」

腕を組んで目を細める鳴瀬さんは、なかなか冷たい迫力があった。

「先輩。出来る女って感じですよ」
「しかも女王様の風格があるぞ」

「何をごちゃごちゃ言ってるんですか?」

「「あ、はい」」

「コンフィデンシャルだそうですが、何かの計測にも協力させられたようですし、そろそろお話ししていただきたいですね」

「あー、三好?」

俺は困って三好に話を振ってみた。三好は、まあそろそろですよねと言った顔で頷いた。

「どうせ、明日の家族会議で、似たような案件が話し合われると思いますけど……」
「え? 鳴瀬家《うち》のですか? それってどういう……」

不思議そうな顔をする鳴瀬さんに、三好はデバイスの目的と、みどり先輩との協業について説明した。

鳴瀬さんは最後まで黙って聞いていたが、話が終わると同時に興奮したように聞いてきた。

「ステータスを数値化する? って、本当ですか?!」
「ええ、まあ」

身内が製作したデバイスの話をすっとばして、最初に食いつくのがそこだとは、さすがは日本ダンジョン協会職員だ。


「じゃあ、私のも?」
「昨日計測したデータでよければ」

そういって、三好はタブレット上に彼女のデータを呼びだした。

計測値を件のモデルで一致させた後、HP/MPについては、ステータスから計算した値と突き合わせて、あまりに乖離があるようなら、適当に平均を取ったりして丸めるらしい。


class=SpellE>xHP

class=SpellE>xMP 系のスキルが使われていたら、単純に計算しても値が一致しないし、かなりいい加減でも使用上は問題ないだろうと割り切ったようだ。

、、、、、、
 ネーム 鳴瀬 美晴
 HP 23
 MP 27

 力 10
 生命力 9
 知力 15
 俊敏 9
 器用 13
 運 11
、、、、、、
興奮した様子で、その数値をしばらく見ていた鳴瀬さんは、少し不安げな表情になって、顔を上げた。


「もしもこの値が正しいとすれば、このデバイスが探索者に与える恩恵は計り知れないと思います」


それはそうだろう。
例えば世界ダンジョン協会が、各ダンジョンや各層の推奨ステータスなんてのを発表したら、探索者の負傷率や死亡率は一気に下がる可能性がある。

任意のステータスを伸ばすための訓練方法なんかも、開発されるに違いない。

何かを数値化するということは、対象に対する抽象化を行っていることとほぼ同義だ。
そうしてそれは、物事をシンプルにし、客観性をもたらす。人々は、曖昧な主観から解き放たれ、共通の認識に到る道筋を見いだすのだ。

人々は呪《まじな》いの世界から解き放たれ、洗練された科学の世界へと入門を果たすだろう。実はそれが新たな呪《まじな》いへと到る道だったとしても。


試行錯誤の結果を簡単に評価できるようになった人類は、さらなる効率的なダンジョンの攻略へと向かうに違いない。


「だけど、この話はインパクトがありすぎます」
「インパクト?」
「だって、これって……人を格付けしちゃいませんか?」

まあ、そう思うよね。俺達だって、ドラゴンボールごっこを想像した。

「最初はそうかもしれませんが、いずれ、ヘルスメーターと大差ない機器になると思いますよ」

子供のオモチャにするには高価ですし、と笑ってみせた。
ヘルスメーターだって、人間のプロパティの一部を表示する機器だ。だが誰もその値で人類に序列をつけたりはしないだろう。特殊な研究者を除いて。


「体重と一緒にされても」
「実際、体脂肪率と同じようなものですから」
「え? それって一体……」

体脂肪率は、電気の流れやすさで計測されている。
しかし、人間の体の大きさには個人差があるから、単純に電気抵抗値の値だけでそれを測ると誤差がありすぎるのだ。

結局、大量の人間の数値を測って作られたデータベースで値を補正しているわけで、考えてみれば、ステータスの決定も似たようなものだ。


「いずれにしても、人間はすでにあらゆる事で序列化されていますし。長者番付だの、入試の偏差値なんかもそうでしょう?」

「しかしそれは視覚化……」
「されていますよ。入った学校で」

実際人間の序列化はあらゆるところで行われている。それを過度に行ってしまう人がいるこは問題だが、いまさらその基準が一つ増えたくらいどうってことないと言えば言えるだろう。


鳴瀬さんは、諦めたようにため息をつくと、言った。

「それで……このデバイスがステータスを出力するための理論やアルゴリズムは公開されるんですか?」


三好が静かに首を振った。

「しかし、そうしないと信憑性の検証が――」
「鳴瀬さん」

三好は彼女の言葉を遮った。
ダンジョンの中で固めた三好の覚悟が、ついに実行される時が来た。

「これはあくまでも、帰納的にステータスを調べた結果生まれた技術なんです。だから先輩が、体脂肪率に例えたんですよ」


それを聞いた鳴瀬さんは、三好が言った言葉の意味を飲み込めなくて、目を白黒させた。

「き、帰納的?」
「鳴瀬さん、私……」

三好は、鳴瀬さんから視線を外すと間をおいて、芝居っ気たっぷりに緊張感をつり上げた。
そして、テンションがピークに達したとき、視線を素早く鳴瀬さんに戻し、目力を入れて告白した。


「私、鑑定持ちなんです」

その瞬間、オーケストラが投げかけたドミナントに、ドラマティックに応えたピアノの音が響いたような気がした。

シューマンのピアノ協奏曲 Op.54 のオープニングだ。ウルトラセブンの最終回に流れる曲だと言った方が通りが良いかもしれない。

丁度九月の終わりに、リパッティ/カラヤン/フィルハーモニア管弦楽団のリマスターCDが発売されたのには驚いた。

なにしろスリーブにウルトラセブンが描かれているのだ。

「……え?」

三好があらかじめ用意してあったDカードを取り出して、今聞いたことが信じられずに呆然としている鳴瀬さんに見せた。

鑑定以外のスキルをちゃんと隠しているところが怪しいが、それは今更だ。
鳴瀬さんは、それを確認すると、三好の顔を見て、もう一度Dカードに目をやった。

ダンジョンが出来て三年。それは、世界で初めて「鑑定」が確認された瞬間だった。

同じ頃、三好のデスクのモニタに、ひとつのログが表示されたが、もちろん誰も気がつくことはなかった。


『conformity: MK2538-21/104 (1284,7743,6430-1312,6661,6434)』


072 クリスマス(イブイブ)の夜に。 12月23日 (日曜日
)


「斎藤さん達は、十五時ごろいらっしゃるそうですよ」

メールを確認した三好が、テーブルの上の芋満月をつまみながらそう言った。

「なんだか、珍しい物を食べてるな」
「スティック状のけんぴが溢れる中、スライスした芋満月は、あんまり見かけなくなっちゃいましたけど、これが中々いけるんですよ」


食べ出したらとまらないというか、なんて説明していたが、まあどうでもいい(酷)
やることもなかったので、ぼんやり聞いていたら、埼玉の島田総本家の芋せんべいにまで話が飛び火していた。


「これがまた、素朴な味というか、なんというか……」
「いや、三好。お前の芋菓子ラブは分かったから。それで何かアクションはあったのか?」

三好の鑑定は昨日日本ダンジョン協会にも報告されたはずだ。

「いいえ。すぐに呼び出しでもかかるかと思ったんですが、土日だからですかね? 意外と日本ダンジョン協会もお役所仕事ですよね」

「絶対ひとりでは行くなよ。俺も付いていくから」
「ありがとうございます、先輩。ちょっと格好いいですよ」
「そりゃどうも」

三好はずずずとお茶をすすった。日本茶とは珍しい……ああ?!

「おま、それ、俺のとっておき……」
「先輩、いい趣味してるとは思いますけど、お茶の賞味期限って、短いんですよ?」

日本茶は乾燥しているように見えても、3%くらいの水分を含んでいる。
開封したら、美味しくいただけるのは2週間というのは、一応常識だ。
普通は未開封でも三ヶ月が望ましい。

「最高の一番茶なのに、せめて夏前に飲んであげないと」
「わかってるよ」
「ま、特別なときに飲もうと思って仕舞っておいたら、飲み頃を逸しちゃったってのも、先輩ぽいですけどね」

「どうせ、俺は小心者だよ。それ、俺にも煎れてくれ」
「はいはい」

女の子も似たようなもんですよ? なんていいながら、お湯を沸かしなおしている。
大きなお世話だ。

「昨夜の話といえば……」
「ん?」
「鳴瀬さんには言いませんでしたが、本当はもっとシリアスな問題があるんですよね」
「なんだ? 三好がシリアスなんて言うのは珍しいな」
「あのデバイス、Dカードを持っている人とそうでない人を明確に区別するんです」
「区別?」
「Dカードを取得していないと、ある値が常にゼロになるんです」
「それが?」
「なんだか人類を二分しちゃいそうな気がしませんか?」

旧人類バーサス新人類の争いは、SFドラマじゃ定番ネタだ。
大抵、新人類は超人で数が少なく、迫害されることも多い。

「生まれるときは100%旧人類だし、旧人類はいつでもDカードを取得して新人類になれるわけだから、そんな争いは起きようがない気がするけどな」

「先輩、他人がお肉を食べるかどうかで、狂ったように争えるのが人間なんですよ? ステータスによる強化が広く知られれば、その是非を巡って何が起こるかわかりません」


三好は急須を保温機の上に置いた。
お茶のポリフェノールが溶け出す温度は大体60度くらいだ。アミノ酸は
50度前後から溶解するので、60度弱をずっとキープすれば、美味しいお茶を美味しくいただけると、そういうことだろう。


「しかもこの場合、新人類は、決して旧人類に戻ることが出来ません。原理主義者に言わせれば、改宗が不可能なら――」

「抹殺しちゃえってか?」
「――そんな話、歴史上にいくらでも転がってますからね」

いくらなんでも考えすぎだとは思う。
思うが、人はナチュラルが好きだからな。日本人は特に。

多分影響はスポーツ界から現れるだろう。ダンジョンがドーピングとみなされるか、Dカードの有無で階級を分けるか、はたまたそれ以外か。

今はまだ、はっきりと数値になっていないから、高地訓練と同程度の位置づけに過ぎないが、今後どうなるかは、わからない。


「そんなに心配なら、その部分は表示しなきゃいいさ」
「それができません」
「は?」
「あのデバイス、Dカードを持っていない人からは、ステータスが取得できないんです」

それは……なんというか……

「『戦闘力…たったの5か…ゴミめ…』遊びの可能性が減って良かったな」

確かにそうですね、と三好は笑った。

、、、、、、、、、

「師匠、師匠! なんだかサンタが集団でつるされてた!」

サンタツリーを見てきた、斎藤さんが、鼻息も荒くそう報告してきた。
その言い方だと、なんだか集団で処刑されたみたいだぞ。

「ちょっと、そんな感じの所もあるんだって」
「テルテルボーズが集団でつるされてると、確かにちょっと怖いですよね」

でも可愛かったですよと、御劔さんがフォローした。

俺達は、今、東京ミッドタウンのイルミネーション鑑賞ルートに来ている。
何でこんな事になったのか、話せば長くなるのだが……

ふたりが事務所を訪れたのは、丁度十五時を過ぎた頃だった。
食事は十八時三十分から予約してあるそうなので、丁度三時間ほど微妙な空きが出来たのだ。
さっきまでぱらついていた冷たい雨があがって、小康状態になっているのを見て、三好が、ミッドタウンへ行こうと言い出した。


「クリスマスのミッドタウン? 自殺行為だろ」
「食事するところまですぐですし、クリスマスっぽいですし、天気も余り良くないからきっと人も少ないでしょうし、ちょうど紹介されたことですし」

「誰に?」

どうやら、こないだアーシャへのプレゼントを買った宝石店から手紙を貰って、それに協賛としてイベントやってますみたいな話がちらっと出ていたらしかった。


「宝飾関係ってマメだな」
「やはり人的繋がりが、ひじょーに重要な業界ですからね」

それで調べてみたら、クリスマスイベントっぽいし、時間つぶしに丁度良さそうだと思ったのだそうだ。

雨も小康状態になっているし、まあちょっとくらいなら良いかとおもった俺達がバカだった、結果は――


「人また人で、イルミネーションというより、ヘルミネーションって感じだぞ?」
「おかしいですねー、十八時過ぎたら大混雑だから、夕方日が落ちた直後くらいがいいって聞いてたんですが」

「それって、二十日以前の話じゃない?」と、斎藤さんが突っ込んだ。
「え、ほんとに?」
「この状況が本当だと告げてるだろうが」
「まあまあ、人混みも楽しむのが、東京のクリスマスってものですよ」

それはクリスマスじゃなくて、クルシミマスだ。

人の流れに沿って移動していると、突然光が落ちて、広場に青い光が広がった。
わーっという歓声がまわりから上がる。確かにそれは美しかった。

「青い光が地面に広がる様子って、ちょっとポランの広場っぽいな」

俺がそう呟くと、隣でそれを聞いていた御劔さんが、戯曲の一節を口ずさんだ。

「ツメクサの花が灯す小さなあかりは、いよいよ数を増し、その香りは空気いっぱいだ」
「そうそう」

演出だろうか、流れ星のように光が駆け回っている。

「先輩、だけど、あれは夏祭りですよ?」
「ツメクサの灯りに照らされて、銀河の微光に洗われながら、愉快に歌いあかせるなら、細かいことは気にならないんだよ」

「戯曲版ですねー。謎のキャッツホヰスカアが出てくる」

三好の言葉に、斎藤さんが反応した。

「ベンソンオーケストラオブシカゴってバンドの曲だって、演劇の先生が言ってたよ。The Cats Whiskers」
「へー」

というか、斎藤さん、ちゃんと演劇の勉強とかしてるのか。いや、あたりまえだけど、なんだか新鮮だ。


「賢治はそういうの多いよな。俺は未だに、カンヤヒャウ問題が何か知らない」
「宮澤賢治語彙辞典に載ってるのでは」
「たぶんな。だけどあれ、四六判で千ページ以上あるからなぁ……ああいう本こそ電子書籍にして欲しいよ」


派手な光の演出がクライマックスを迎えて、全ての照明が落ち、もう一度、徐々に青い光が広がっていった。

もうそろそろ演出も終わりが近いのだろう。

ふと隣を見ると、御劔さんがこっちを見ていた。

「どうしたの?」
「芳村さん。一昨日、何かしたでしょう?」
「え?」

思い出すまでもなく、それはステータスポイントを振り分けた日のことだろう。
御劔さんは、じっとこちらを見つめていたが、イベントの終わりと共に、小さく呟いた。

「クリスマスプレゼントだと思っておきます。ありがとうございました」
「あ、うん」

俺は否定も肯定も出来ずに、人の流れに押されて、順路を進んでいった。

「ねえねえ、三好さん。ご飯って何処いくの?」
「今日は三田ですよ」

「三田? 三好のことだから、ダジュール・カラントサンクだと思ってたよ」

俺は、リッツカールトンを見上げながら言った。
ダジュール45(カラントサンク)は、リッツカールトンのメインダイニングだ。


「確かにロケーションは最高ですよ? この時間なら、最後の残照が闇に溶けて、都会のランドスケープが自らの光で浮かび上がります。目の前には崎宮シェフのステキドレッセ。味もムードもバッチリです!」


そこでがくっと肩を落として悲しそうな顔をする。最近ちょっと演技過剰だぞ。

「だけどね、先輩。クリスマスのダジュールに行けるのは幸せな恋人達だけなのです。それ以外はお断り! 主に精神的に」


たしかに、あの席配置で、まわり中ラブラブに囲まれたら砂糖を吐き出す自信がある。ていうか、浮いて仕方がないに違いない。

三好は芝居がかったポーズでホテルを見上げながら、舞台の上のように台詞を続けた。

「我々は楽園を追われたアダムとイブのごとく、お前等入ってくんなと正門の上で揮《ふる》われる炎の剣を見上げながら、とぼとぼと45階から手に手を取って下りていくしかないのですよ、今日のところは」


斎藤さんと御劔さんが、その有様をくすくす笑いながら見ている。

「さしずめケルビンが揮《ふる》うのは、満席のサインか?」
「そう、予約なんかとれっこありません! キャンセルも出ません! バブルは二十年以上も前に終わってるのにですよ?」


「じゃあ、ゴールデンヒル?」

斎藤さんが俺と三好の間で、両方の腕を取って、話に割り込んだ。
ゴールデンヒルは三田の老舗フレンチで、シェフは日本フレンチ界の重鎮だ。

ちっちっち、と人差し指を振りながら、三好がそれを否定した。

「いいですか? クリスマスのフレンチなんて、何処に行ってもスペシャルな雰囲気メニューで、素材は大体みんな同じ、料理も大抵似通っちゃいます(暴言)そしてお値段は日頃の大体
1.5倍!(事実)」
「だから和食! クリスマスは和食なのです! 今日は晴川《せいせん》さんです。御店主の本山さんが笑顔の凄いいい人で、この時期のとろけるようなアンキモや、蟹の炊き込みご飯は絶品ですよ!」


アーシャと行った、ないとうのも良かったですけど、少し時期が早かったですからね、と三好が舌なめずりした。


「へー。はるちゃんは蟹が大好きなんだよ。松葉ガニを食べに連れていって貰ったときは、ずっと無言で掘り続けてたもんね」

「あ、あれは若気の至りってやつですから」

斎藤さんが、一歩後ろを歩いている御劔さんを弄って言った。

「そういや、斎藤さん。どんな役なのか聞いてなかったな」
「映画? えーっとね、とある香港のホテルを舞台にした、詐欺師の三人組の話。三人のひとりが女でヒロインだよ」


詳しいストーリーは言えないけど、と彼女は言った。
そりゃ、発表前の台本は機密扱いだろう。

「詐欺師役? うん、ぴったりだな」
「なんでよー。こんなに素直で可憐なのに」

だから、そういうところが。
俺は三好と俺の腕を取って体を預けている彼女に、小さな箱を差し出して言った。

「じゃあ、これ。おめでとう」
「え? え? 主役祝い?」
「そう。これで約束は果たしたからね」
「なになに? 開けてもいい?」
「そりゃいいけども、歩きながら?」
「誰も気にしやしないって」

そういって、丁寧に包装紙を剥がした斎藤さんが、ケースの蓋をカコンと開けた。

「え、これって……」

そこにあったのは紫色をした石のついたピアスだった。
さすがにリングは贈れないし、チョーカーやペンダントは石が大きくなりそうだったから、無難に御劔さんと部位を揃えたのだ。


「なんか光の当たる角度によって、色が変わって見える石らしくって、そういうところが、斎藤さんっぽいかなって」

「え、それって、アレキサンドライト?」
「あー、なんかそんな、昔の図書館があったエジプトの都市みたいな名前の」

なんで斎藤さんが固まってるんだろうと思っていると、三好がため息をついて教えてくれた。

「先輩……アレキサンドライトの石言葉って知ってます?」

石言葉? なんだそれ。花言葉もよく知らない俺にそんなこときくなよ。

「いいや?」
「アレキサンドライトには、『秘めた想い』ってのがあるんですよ」
「はぁ?」

どこのどいつだよ、そんな意味不明な意味をくっつけたのは。

「あー、はいはい。今のでよく分かりました。まあまあ良い趣味のデザインだし? ありがたく頂きます、師匠!」

「あ、ああ。まあ、頑張ってな」

それを持ってすすすーっと御劔さんの所へ移動した斎藤さんが、こっそりと何かを耳打ちしていた。


「安心した? はるちゃん」
「え? え? 安心て、そんな……」

俺達の乗ったタクシーは、外苑東通りから飯倉片町の交差点を右折して麻布通りに入り、三の橋を左に折れた。そうしたらすぐに、晴川の灯籠が見えてくる。


アンキモも氷見ブリも確かに美味しかったが、御劔さんが一番嬉しそうだったのは、越前ガニのクリームコロッケだった。



073 情報公開 12月
24日 (月曜日)


翌日、階段を下りると、三好が頭だけ出した2頭のアルスルズを前にして、難しい顔をしていた。

何かを口に放り込んで、餌づけをしているわけでもなさそうだった。

「おはよう、三好。一体何やってるんだ?」
「あ、先輩。おはようございます。実は――」

エンカイと戦う前に話題になった、物を身につけたままの移動について研究中なのだそうだ。

「まあ見てて下さいよ」

そう言った三好は、ふたつの色違いの巨大といえる細い首輪を取り出した。

「よくそんなでかい首輪があったな、一体何処で売ってたんだ?」

トラ用かな?

「特注ですよ。だから十日もかかったんです」

それは少し強めに引っ張るだけで簡単に外れるよう工夫されていた。とっさの時邪魔にならないような配慮だろう。

首輪自体は、外に連れて行くとき、リードをつけたり、鑑札や注射済み票をつけるのにどうしても必要なのだそうだ。


外に連れて行く気なのかよ?!

「それで、赤い《・・》方を左のカヴァスに、青い《・・》方を右のアイスレムにつけます」

言葉通りに、三好は二匹に首輪を取り付けていった。
連中も、大人しくそれを受け入れていて、特に嫌がってるそぶりはみせなかった。

「はい、入れ替わって!」

二匹は影に潜ると、すぐに再び現れた……あれ?
俺の目には影に潜ったときと同じ装いの二匹が、再度現れただけに見えたのだ。

「なあ三好、これって入れ替わってるのか?」
「もちろんです」

左側で赤い首輪《・・・・》をつけているのはアイスレムで、右側で青い首輪《・・・・》をつけているのがカヴァスらしい。


「つまり中身だけが入れ替わるってことか?」
「そうなんです」

連絡するアイテムを持たせても、身につけたものはそのままに中身だけが入れ替わるのでは意味がない。


「凄く不思議だが、入れ替わるという観点からは納得できそうな結果だよな」

もくろみはうまくいかなくて残念だけど。

「ですよね。でも先輩、実はこの先があったんです」
「先?」
「はい。いいですか、見ていて下さい」

三好は、メンディングテープを取り出すと、短く切って、カヴァスの鼻背へと張りつけた。

「メンディングテープなんて、よく持ってるな」
「資料に張りつける付箋には、なかなかいいんですよ」

付箋紙だと剥がれてわからなくなったりするそうだ。なるほどね。

「じゃ、もう一度お願いね」

先ほどと同様、二匹が入れ替わると、今度は右で青い首輪をつけているアイスレムと、左で赤い首輪をつけているカヴァスに……あ、あれ?

そこには、鼻背にメンディングテープを張りつけたカヴァスが、ちょこんと顔を出していた。

「テープは入れ替わらない?」
「そうなんですよ!」

三好の説明によると、アルスルズが身につけたものは、体に触れている部分から連続した領域が、一連の物として取り扱われるそうだった。


「で、その物の質量が問題だったんです」
「質量?」
「はい。ある程度以上の質量を持ったものは、入れ替わりの時に置き去りにされるんですが、それ未満の質量ならくっついて移動するんですよ」

「じゃあ、その質量によっては連絡媒体として利用できるってわけか! で、その質量って?」
「大体一グラムでした」

いちぐらむぅ?

「そりゃ、薄紙一枚……いや、体に固定するアイテムを考えると、それも苦しいか」

そう言うと、三好は不敵な笑みを浮かべて、ちっちっちっちと右手の人差し指を振っている。

「先輩。今は2018年ですよ?」

そういって、小さなチップのような物を取り出した。

「マイクロSDカード?」
「マイクロSDカードの重さは、大体0.4グラムなんです」


え、マジで? そんなに軽いの?

「いや、だけど身につける器具が問題だろ? クリップで挟むにしても、0.5グラム級のクリップなんてあるのか?」

「ありませんでした」

「うーん。さっきみたいにメンディングテープとかで、鼻背に張りつけるか?」

それなら一グラムを切るかもしれない。

「それだと外れたときが怖いですよね」
「まあな」

身につけたものは入れ替わるだけだろうが、はずれて落ちたらいったい何処へ行くのか?
認知不可能な空間を永遠に漂ったりしてそうだ。

「それでね、先輩。釣りに使われる一号のラインって、大体200デニールなんだそうです」


なんだいきなり?

「デニールってストッキングとかの?」
「です。因みにこれが四十デニール」

多少透け感が残ってますよね、と言って、自分のタイツをつまんで持ち上げるとぱちんと放した。

ストッキングはメーカーにもよるが、大体25デニール以下なのだそうだ。


「デニールって、糸の太さの単位なんですけど、同じ直径の糸が同じデニールになるとは限りません」

「意味がわからん。なんでそれで糸の太さが表せるんだ?」

一メートル長さが、物質によって変わったりしたら単位として成立しないだろう??

「デニールは、キログラム・パー・メートルの九百万分の一で定義されてるんですよ」
「糸一メートルの重さだったのか」
「糸の直径を測る手段が無かった時代だったんでしょうね。まあそういうわけなので、200デニールの糸一メートルは、
0.02グラムちょいだってことです」

そうして三好が、透明な紐のような何かを取り出した。
それはラインで編んだ小さな籠付きの首輪だった。

「それでポシェットを作ってみました! 重さは大体0.3グラムです!」

糸よりも籠を組み立てる際に利用した接着剤の方が重いかも、だそうだ。
それにマイクロSDを詰めた三好は、早速二匹に入れ替わりを支持していた。
超軽量ポシェットを装着したアイスレムは、見事にそれを装着したままカヴァスと入れ替わった。


「凄いじゃん!」
「あとは、ポシェットと他の装着物がふれないよう注意するくらいですかね。触れてると失敗します」


そうすると、ひとつの物体とみなされるらしかった。

その時、玄関の呼び鈴が鳴った。

「おはようございます」

ロックを外すと、何かの書類を小脇に抱えた鳴瀬さんが、ドアを開けて入ってきた。

「おはようございます。早いですね」
「ええ、丁度土地の件が暫定ですが、まとまったのでご報告に」

鳴瀬さんは以前話していた、二層の土地利用に関する賃貸資料を携えて来たようだった。

、、、、、、、、、

「坪三万?!」
「はい」

だが、その内容を聞いた、三好は、憤懣やるかたないといった様子で、抗議していた。

「坪三万ったら、新宿三丁目とか六本木レベルですよ?!」
「それって高いのか?」
「先輩。先輩の前のアパート何坪ありました?」
「ん? ダイニングが六+二の奧が六畳。後は風呂とかの水回りがあるから、十坪ってところか?」

「そう。平均的な一DKなら、三二平方メートルくらいですよね。坪三万だと、家賃三十万です」

「高っ!」
「へたすりゃ銀座と変わりません。大体どういった算定根拠なんですか、それ?」

三好が鳴瀬さんに食ってかかっているが、彼女だって、言われたことを伝えてるだけだろうしなぁ。


「まあまあ、三好。ここで鳴瀬さんに食ってかかったって、仕方ないだろう」
「そりゃそうですが、いいですか、先輩。代々木の一フロアが、半径五キロの円だとしたら、その面積は、五千
x五千x三.一四平方メートルです」
「そうだな」
「つまり、その賃料で一フロアを全部貸し出したとしたら、月の家賃収入は、七千億円を超えるんですよ? いくらなんでもボリ過ぎです」


計算早いな!

「その辺はこれから例のセーフ層の話と絡めて詰められると思いますが、営利企業に貸し出す場合の暫定金額だそうです」


鳴瀬さんも申し訳なさそうに言っているが、三好はぶーたれたままだ。

「よし、なら一坪だけ借りようぜ」
「一坪、ですか?」
「そう。約3.3平方メートル。二畳とも言うな」


結局確かめたいことは、ダンジョン内の植物を切った時、復活するのかってことと、復活するなら、植えた植物はどの辺からダンジョンの中にあるものとみなされるのかという二点だけだ。

それほど大きな土地は必要ないだろう。

「わかりました。じゃあ一坪借り受けます。場所は適当に決めていいんですか?」
「はい。二層から三層に到るメインルート以外なら構わないそうです。あとで鑑札をお持ちしますので、それを使用している土地の何処かに設置して欲しいそうです」

「わかりました」

よし、これで農園のテストが出来るぞと、俺は、結構ワクワクしていた。
実に微妙で面白そ……げふんげふん。もとへ、世界を救うかも知れない実験だ、大変やりがいがある。午後にも場所を探そうと心に決めていた。


、、、、、、、、、

「と、言うわけで、Dパワーズとは一坪の賃貸契約をしました」

日本ダンジョン協会本部に戻ってきた美晴は、ダンジョン管理課の管理職用ブースで、斎賀課長に書類を提出していた。

現在Dパワーズ関連は、全て課長案件になっていた。なにしろおおっぴらに出来ないことが多すぎるのだ。


「いや、鳴瀬。それは分かったんだが……この報告書は……なにかの創作か?」
「そうだと良かったんですけど」

クリスマス前日になり情報が解禁された結果、彼女が一気に書き上げた報告書は、常軌を逸脱した内容がずらりと並んでしまったのだ。


「三好梓が、ヘルハウンドをペットにしている?」
「日本ダンジョン協会には、サモナーやテイマーに関する規定がありませんでした」
「そりゃあないだろう」

そんなスキルを持った探索者は、いままでいなかったのだ。
常に後手後手にまわらざるを得なかったダンジョン協会が、存在するかどうかもわからないスキルを想定して、あらかじめ法的な仕組みを準備しておくなんてありえなかった。そんなリソースはないのだ。


「特定動物リストにも特定外来生物等一覧にも掲載されていませんでしたので、単なる犬として処理しました」


彼女が言っていることは、きちんと法に則っていた。ただ、法の方が現実に追いついていないだけなのだ。

日本では憲法の39条で、法の不遡及が保証されている。そのペットがなにか問題を起こさない限り、いまさらヘルハウンドがNGと言うわけにはいかないだろう。


「あ、ああ。で、その犬? は、大丈夫なのか?」
「可愛いです」

美晴は、翻訳中一緒にいた彼らにすっかり骨抜きにされていた。もふもふは正義なのだ。

「そ、そうか。まあ、土佐犬みたいなものだと思えばいいのかもな」

地獄の犬だが。

「そうですね。体高は三倍くらいありますけど」
「三倍?!」

土佐犬の体高は50センチから60センチくらいだ。つまり
……

「体高が150センチもあるのか?!」
「それくらいはあるかもしれません」

体高一メートル、最大級のベンガルトラが300キロほどだ。アムールトラでも
350キロといったところだ。
馬のシャイヤー種だと考えるなら、体重が一トンを超えていてもおかしくない。それが、犬?

「それって犬なのか?」
「見た目はともかく、行動は犬でしたね」

「そ、そうか。で、その三好梓だが、鑑定持ちだというのは……」
「Dカードを確認しました。間違いありません」

そこには鑑定の機能の聞き取りも含まれていた。
曰く、ダンジョン内のドロップアイテムやオーブの詳しい説明が得られる機能らしい。

「これがあれば、未知のスキルやアイテムも、いままでよりもずっと安全に取り扱えるわけか」
「そうですね」

「ドロップ対象が、さまよえる館のアイボールとあるが……」
「はい。ダンジョン情報局にアップした動画にもある、あの館です。あれの軒先に大量にぶら下がっていた眼球ですね」

「そりゃ、採りに行くのも大変だな」
「三好さんは、この情報でさまよえる館にある、本のページめいた碑文が、数多く手にはいることを望んでいるようでした」

「なるほどな。で、そのスキルを利用して、ステータスを表示するデバイスを作ったってことか」

「はい」

そこには、ステータス表示デバイスの開発に関する概要が記されていた。
研究者の間で、あるんじゃないか程度に知られていたステータスが、はっきりとあることにも驚きだが、それを数値化して表示するデバイスと来ては、もはや他の研究者とは隔絶したレベルと言って良い。

未来から来たネコ型ロボットがバックにいてもおかしくないレベルだ。

「これに関しては、日本ダンジョン協会も噛みたがるだろうが……」
「Dパワーズには、技術も資金もありますから、噛むと申されましても……」

まったくだ、と斎賀は苦笑した。
噛むどころか、こちらが頭を下げて教えを請わなければならないことだらけなのだ。

「これを知られると、又候《またぞろ》、瑞穂常務あたりが暗躍しそうだな」
「異界言語理解の件で、随分と評判を下げたと伺っていますが」

あの局長級の会議を巡って、上の方では色々あったらしい。

「その汚名を挽回するチャンスだからな」

斎賀は迷惑そうに顔をしかめた。
日本のために、などというお為ごかしが今更通用するはずがない。相手の気分を害するだけだ。ものはアメリカに持って行ってもEUに持って行っても、はたまた中国に持って行ってもいいのだ。

本当にそう願っているのならまだしも、ただのお題目では、聞く耳を持って貰えるはずがない。ただ、嫌われるだけだ。


いずれにしても、三好梓の価値は、今回の件で跳ね上がった。
今や、日本のナンバー1VIPエクスプローラーだと言っていいだろう。イノベーションがあまりに集中しすぎていて、危険なほどだ。

事実、何処かの国が暗殺を謀った、なんて噂がまことしやかに流れていた。

「しかも、極めつけがこれか」

そこにはヒブンリークスの情報が記載されていた。

「これも冗談じゃないんだな?」
「はい。公開前のサイトを確認しました」
「誰が翻訳してるんだ?」
「そこは、わかりません」

美晴は内心課長に謝りながら、首を振った。

付帯資料として添えられた、主な碑文の抜粋には、ロシアから出たと言われる資料にあったものも、なかったものも含まれていた。

そのことが、逆に、文書の信憑性を高めていた。RU22-0012に到っては、おそらくロシアが故意に伏せたであろう情報だった。


「鉱石のドロップね……」
「マイニングは十八層で確認されました。またそれを利用して、二十層でバナジウムがドロップすることも確認されています」


斎賀は、頭を振りながらその話を聞いていた。果たして三ヶ月前に情報を伏せたロシアがそこまで進んでいるだろうか?

おまけに、発見されている碑文の全訳が、明日公開されるだと? 世界ダンジョン協会とは無関係な場所で?


「こいつら、ダンジョンの悪魔に魂でも売り渡してるんじゃないだろうな?」

先日ダンジョン内の土地の貸与についての話をまとめたばかりだというのに、こいつ等のせいで、今後一体どれだけの新しいルールが必要になるのか、見当も付かなかった。


「いっそのこと鳴瀬の頭がおかしくなって、報告書に妄想が書かれていたと言うことにした方が、丸く収まりそうだな」

「酷いです、課長」

そう言って美晴は笑ったが、実は同じ事を考えていた。

あまりの情報量に、何を何処に上げればいいのかすら悩むレベルだ。

「またまた荒れそうだなぁ……」

斎賀は背もたれに体重を掛け、のけぞりながら、窓の外を見た。しかし、昨日とは打って変わって、東京の空はきれいに晴れ渡っていた。



074 ヒブンリークス 12月
25日 (火曜日)


2018年のクリスマスイブの深夜、東京の空には地上の明るさに負けない星々が瞬いて、放射冷却による強い冷え込みが、寄り添う恋人達の気分を盛り上げていた。

子供達の枕元にプレゼントが届けられる頃、アメリカから行われた一件のアクセスが、その日世界を震撼させた物語の始まりを告げた。


2018年十二月二十五日 午前0時(日本時間)

最初にアクセスしてきたそのユーザーは、驚いたように、あちこちのページを飛び回っていた。

「きっと、モニカですよ、これ」

三好がリアルタイムのアクセス解析を眺めながらそう言った。

俺達がこのURLを教えたのは、モニカと、昨日鳴瀬さんが報告したはずの日本ダンジョン協会だけだ。

公開時間はどちらにも教えていないから、お役所仕事の日本ダンジョン協会がアクセスしてくるのは、きっと夜が明けてからだろう。


すぐに俺の携帯が震え、モニカに教えた連絡先にメールが届いた。
そこには、たった一言、"オウサム・素晴らしい
!" とだけ書かれていた。どうやら、彼女も気に入ってくれたようだ。

その数十分後には、アメリカから大量のアクセスが発生し始めた。
モニカのアクセス先を監視していたか、そうでなければ報告を受けたダンジョン攻略局あたりが活動を開始したのだろう。


向こうの時間は、まだ二十四日の昼前だ。

、、、、、、、、、

そのサイトを友人からネタとして知らされた男は、あまりの内容に、思わずredditにサブミを投稿した。

タイトルは『頭がおかしい、だが魅力的なサイトを発見した!』だ。

説明のコメントには、「製作者の苦労と想像力は並じゃないぜ! ハラルト・シュテンプケの遺稿をまとめた、
"鼻行類の構造と生活"に熱狂したやつら、必見だ!」と記されていた。

そのサブミは、一瞬で大量のUVを集め、すぐにトップページの先頭まで駆け上がった。

そんな中、ひとりの男が投稿したコメントが世界を混乱にたたき込んだ。

「おい! Dカードを持ってる友人と試しにパーティを組んでみたら……信じられるか? 俺達……テレパシーが使えたんだZEEEEE!?」


そのコメントには、一瞬で何百ものコメントがリプライされた。
もちろん肯定否定の両論があったが、実際にDカードを所有している人間は、それなりにいる。それが事実だと証明されるまで、それほどの時間は掛からなかった。


、、、、、、、、、

「なんだか、試験のカンニングに使えるなんて話になってますよ?」
「確かになぁ……合格確実のやつにリーダーをやらせて、同時に試験を受けたりしたら防ぐのが難しいだろう」

「受験番号をランダムに発行するくらいが精一杯ですかね?」

試験会場が別れる可能性がある訳か。完全とは言えないが、低コストで出来る対策はそれくらいだろう。

後は、試験中、世界ダンジョン協会に登録している人物のDカードをパーティを組んでいないか確認後、預かっておくくらいだ。携帯電話方式だ。

だが携帯よりもずっとプライバシーが問題になるだろうな、この方式は。

今のところDカードを持っているかどうかは、自己申告の部分が大きい。
偶然取得して、世界ダンジョン協会に登録していない者達を識別することは、三好の計測デバイスが普及するまでは困難だろう。


「なんだか、サイトに書かれている内容は、実は全部真実なのでは? って流れになってます」
「ダンジョンシステムのパーティ作成はインパクトがあるからな」

しかし、これのおかげで今後Dカードが頻繁に利用されるようになると、ちょっと困るのだが……


「知らない人とパーティを組まなきゃいいんじゃないですか?」
「そりゃそうか。いまさら資格試験を受けることもないだろうしな」

世界は動き始めた。
だが、俺達は、そろそろベッドで夢の世界に旅立つ頃合いだった。

、、、、、、、、、

ダンジョン省、初代長官のカーティスは焦っていた。

代々木の攻防ではダンジョン攻略局に後れを取り、Dパワーズなどと言うふざけた名前のチームに所属しているGランクのエクスプローラーに振り回されたあげく、オーブの落札でも良いところがなかったどころか、邪魔をしたと邪推されるありさまだ。

そうして今度は、そのチームの拠点を調査しようとしたエージェントが二名、東京から送り返されてきたのだ。

それなりの予算を費やした結果、証明できたことと言えば、自前の実働部隊が間抜けの集まりだということだけだった。


「それで?」
「例のロシアから公開された部分は、ほぼ一致していました」
「これが、仮に良くできたフェイクだとしても、このサイトを作ったのは、あの資料に触れられる立場にあった者だと言うことか?」

「それが、ダンジョン攻略局からの連絡によりますと、どうやら本物のようです」
「本物?」

どういうことだ?

「ロシアがこのサイトを作ったとでも言うのか?」
「いえ、それはほぼあり得ないかと」
「では、我が国が? ダンジョン攻略局の連中の暴走か、そうでなければプレジデントの命令で?」

「そうでなければ、第3の誰かが、独力で翻訳したということでしょう。なにしろ、ロシアの資料にない文章が追加されています」


男は、The Book of Wanderersと名付けられたセクションのインデックスから、ロシアから発見された一枚の碑文を示した。


「そのうち、うちにもっとも関係が深そうなのは、これでしょうか」
「RU22-0012……鉱物資源についてか」

「内務省から派生したうちにとっては、最も重要な情報ですよ」

その翻訳にざっと目を走らせたカーティスは、ここしばらくの失態を挽回できるかもしれない情報に歓喜した。


「これが本当なら、本腰を入れて下層探索に力を入れる必要があるな」
「それはそうですが、ネックは……」
「マイニング、か」
「引き続き代々木を探索させますか?」

そこには、すでにマイニングが見つかっていて、代々木の二十層でバナジウムがドロップしたことが記載されていた。


「この温さは、ジャパンの特質だな」

そう呟いたカーティスは、代々木の部隊に情報を集めさせ、マイニングを採取する命令書にサインした。


、、、、、、、、、

「それで、同志《タヴァーリシチ》クルニコフ。このサイトで翻訳された内容は?」

クルニコフは、震えそうになる手を意識の力で押さえながら、ほぼ間違いのない内容だと、そう答えるしかなかった。


ロシアで緊急に異界言語理解を使用させられたイグナートは、無学な鉱夫出身のエクスプローラーだった。

翻訳させるためには、まず、基本的な知識から教えなければならなかったため、非常に効率が悪かった。


説明を受けた男は、RU22-0012のページを見ながら、「つまり我が国のアドバンテージは、ゼロになったと言うことかね?」と質問した。

額に汗を浮かべながら頷くクルニコフに、さらなる追撃が行われた。

「すでに三ヶ月になるが、我が国におけるマイニングの採取状況は?」
「げ、現在、土属性を持っているであろうモンスターを中心に、鋭意努力中であります」

つまりは見つかっていないと言うことだ。

「代々木はパブリックダンジョンだったかな?」
「はっ」
「では、探索チームを派遣したまえ」

そのページが正確な情報を記載ししているなら、少なくとも代々木にはマイニングが存在しているのだ。

あるのか無いのかわからないダンジョンを攻略させるよりも効率的だろう。

「RUDAを介して、日本ダンジョン協会に連絡を入れます」
「急ぎたまえよ」
「はっ」

クルニコフは敬礼をして退出した。

一週間もしないうちに、ジェド・マロースがスネグーラチカと一緒にプレゼントを配って歩く。
せいぜい希望通りのものが貰えるように、手紙を書いておかなければ。

、、、、、、、、、

トラファルガー広場では、4頭の巨大なライオンを従えた海軍の英雄が、高い塔の上で帽子から冷たい雨を滴らせながら、ウェストミンスター宮殿を見透かして、フランスをねめつけていた。

その視線の先で、国防情報参謀部内に設立されたダンジョン課の男が、コートの襟を立てて道路を横切り、ダウニング街へと入っていった。

首相官邸ネズミ捕獲長のラリーが、窓際に座って、それを、流れ落ちる水滴越しに眺めていた。

「確認しました。イギリス系の文章も全て翻訳されているようです」

男はコートに付いた水滴をはたいて落としながら、そう報告した。

「アメリカが翻訳者を作ったのが今月の頭。迅速なのはいいが、外交文書ではなく、一般公開とはどういうことだ?」

「それが……アメリカは我が国とは無関係だと、外交チャンネルを使って伝えてきました」
「じゃあ、誰があれを?」
「そのドメインやそのサイトの実際の所有者は、Azusa Miyoshiのようでした」

「だれだ、それは? 名前は日本人のようだが」
「以前報告した、オーブを取り扱うオークションハウスの責任者のようです」
「なんだと? 噂のオーブハンターか?」
「はい」

報告を受けていた男はしばらく考えていたが、

「それで、内容は事実なのか?」

結局重要なのはそれだけなのだ。誰が翻訳したのかはこの際関係がなかった。

「以前ロシアが発表した部分は、ほぼ一致しています」
「アメリカはなんと?」
「確認中だそうです」

男は、チャーチルを、ダブルブレードのギロチンカッターでフラットカットすると、シガーマッチで火をつけた。

それをゆっくりと吸い込んで、優しいパンの香りのようなまろやかな煙を噛みしめた。

「トップにあった、Dカードを使ったパーティの結成は試したか?」
「試しました」
「結果は?」
「……書かれていた通りでした」

男は、灰皿にシガーを置くと、電話機を引き寄せて受話器をあげた。
モノリスのような形をした電話など、スマートとはほど遠い。男はそう考えていた。

、、、、、、、、、

『おいおい、ヨシムラ。あれはねーだろ』

その日、代々木ダンジョンのエントランスで、俺はサイモンに捕まった。

『あれ?』
『とぼけるなよ。天国から漏れてるサイトだよ』
『ああ。でも、俺達は場所を提供しているだけですから』

それを聞いたサイモンは、はっ、と鼻で笑った。

『それに、各国と連係して落札した時点で、ステイツは情報を独り占めしようとは考えてないでしょう?』


アメリカがあのオーブを手に入れた目的は、碑文の内容を対抗勢力に一方的に利用されないためだ。

その内容を秘匿して利益をむさぼろうと考えているなら、各国で連係したりするはずはないのだ。


『まあな。だから、翻訳が公開されたとしても、それに異を唱えることはないだろ。実際、俺達にとっちゃ、どうでもいいレベルの話だからな……』


表向きはな、と言って肩をすくめやがった。

『アメリカも足並みが揃ってないってことですか?』
『民主主義の国には、幅広い意見が存在できるってだけの話さ。もっとも今は、どの国もそれどころじゃないだろうぜ』


ヒブンリークスのサイトには、マイニングが代々木で確認された事実しか書かれていなかったが、今朝更新されたダンジョン情報局には、それが採取された層や、対象モンスターに関する詳細も書かれていたらしい。

充分マイニングを採取する前に、パブリックな代々木での情報を公開しちゃうところが、鳴瀬さん達の凄いところだよな。政府が口を出せない建前にはなってるんだろうが、怒らないのかな?


『日本の懐の広さには恐れ入るよ。またまた世界中からエクスプローラーがやってくるな』
『対象モンスターが公開されたんだから、自国のダンジョンでもいいんじゃ?』
『あのな』

ゲノーモスは、それが見つかっているダンジョンでも、比較的深い層に棲息しているモンスターで、二十層より上というのは、世界的にも類を見ない浅さなのだそうだ。


『へー』

エンカイ配置の関係なのかな?

『それに、もしかしたら自国のゲノーモスからはドロップしないかも知れないだろ?』

何しろオーブのドロップ率は低い。どうせなら、ドロップが確定している場所で狩りたいと思うのが人情だ。

宝くじを一等が当たった売り場で買いたいと思うのと、似たようなものなのだろうか。

『おかげで俺達も、これから十八層詣りときたもんだ』
『入り口は結構狭いので気をつけて下さいね』

それを聞いて、サイモンがしたり顔で指摘した。

『なんだ、やっぱりお前等が行ったのか?』
『あ、いや、聞いた話ですよ。聞いた話』
『ほー』

突っ込まれるのを覚悟の上で、俺には、あと一つだけ、どうしても彼に言っておかなければならないことがあった。


『それから、ゲノーモス達がいる地下がある山の頂上には、絶対に近寄らないように』
『マップで立ち入り禁止になっていたエリアのことか?』
『そうです』
『なにがあるんだ?』

俺はサイモンに近づいて、耳打ちした。

『自衛隊の報告書は要領を得ないんですが、踏み込んだ隊員は瞬殺されたそうです。そこらのボスよりも遥かに厄介な、スペシャルな何かがいるらしいです』

『それは俺達でも?』
『死にたいですか?』

自衛隊の隊員だって、それなりの探索者だ。
それが、何も出来無いどころか、何が起こったかも分からなかったのだ。その辺の意味はサイモンならきちんと汲み取るだろう。


『いや。情報感謝する』

そう言って敬礼したサイモンは、真剣な顔で、仲間達の待つ場所へと戻っていった。

、、、、、、、、、

「局のお偉いプロデューサー様が、こんなに早い時間に一体なんなの?」

時計は十二時をまわったところだ。

男は頭をぼりぼりと掻きながら、机の上からヒトコブラクダのオールドジョーが描かれたパッケージを引き寄せると、一本抜いて火をつけた。

JTに買収されたときは、トルコ葉のクセがなくなってJTのクソやろうとばかりに買わなくなったが、大分立ってから発売されたドイツ製のナチュラルボックスが多少はましだったから、またぞろ手を出してしまったのだ。

今時喫煙もどうかとは思うが、身についた悪習はなかなか直らない。最近は悪臭扱いされるからさらに困る。


電話の相手は大学の友人で、テレビ局へ就職した俊英だ。今は制作局のプロデューサーをやっている。

俺は、番組制作会社へ入ったあと、ヤツのコネもあって、どうにかディレクターまで出世はしたが、まあこの辺で打ち止めだ。


「それがさ、こないだやった映画の製作インタビューあったろ? ちょっと師匠で話題になったやつ」

「ああ、斎藤なんとかっていう、あれな。一応師匠らしき男の絵はとったぜ。ミッドタウンで何人かと仲良さそうだったが……だけど今スキャンダルにしちゃマズイだろ?」


何しろ、多少なりとも局が絡んだ映画のヒロインだ。
撮影も進んでいる矢先に、ヒロインをわざわざスキャンダルまみれにしようとする製作者はいない。


「いや、そうなんだけどさ。その時さ、小柄でショートボブの女、いなかった? 三好ってんだけど」

「んー、ちょっと待て」

男はごそごそとその時の取材資料を取り出して見た。

「ああ、いたな。なんか変な名前のパーティのリーダーらしいが……それが?」
「そいつ、ちょっと洗って欲しいのよ」
「はぁ? そう言うのは探偵社にでも頼めよ。うちは制作会社だぞ?」

「いやいや、ちゃんと番組の絵にしたいわけ」

そいつの話によると、昨夜公開された、とあるサイトが、ネット上でものすごく話題になっているらしい。

ドメインの所有者は、代理公開でマスクされていたけれど、どんな筋からはわからないが、その情報を提供したやつがいたらしい。

それがこの女ではないかということだった。

「で、そいつの話によるとさ、もしその女だとしたら、このお姉ちゃん、大したタマなんだわ」

曰く、一晩で何千億円も稼いだり、不可能と言われているスキルオーブのオークションをやったりしているらしい。


「それって報道局の社会部扱いじゃねーの?」
「いやいや、どうにも日本ダンジョン協会のガードが堅くってさ。制作でかるーく飛ばし気味に扱った方が美味しいと思うんだよね」

「大丈夫かよ、それで」
「ほら、報道と違って、あら間違ってた? ごめんねーですんじゃうから、こっちなら」

流石制作局、世の中を舐めてんな。

「だが、なんでそんなやつが話題になってないんだ? ヤベーところに関わってるんじゃないだろうな?」

「今のところそんな話は聞いてないんだけどさ……とにかく、さっきの情報をさ、ちょっと取材して裏だけでも取っておいて欲しいのよ」


こいつの裏をとれは、もしもこちらの意図と違ったら、うまいこと誤解をしろと言う意味だ。

「ああ、分かった。一応やっては見るが……ちゃんとケツは持って貰えるんだろうな?」
「まあ、なるべくね。ただ、その辺は、ほら、今コンプライアンスとかうるさいからさ」
「現場の暴走で片付けられれば、それにこしたことはないってか?」
「あはは。じゃー、まあそういうことで頼んだよ」

言質をとる前に電話を切りやがった。
男は、タバコをもみ消すと、シャワーを浴びに立ち上がった。

、、、、、、、、、

世界一の大国を率いているその男は、楕円形の部屋で、行方不明になった後発見された船の木材から作られたデスクに座り、翻訳された碑文の中に、
The RINGに関する内容が存在しないことに安堵の息を漏らした。
もしもダンジョンが、気まぐれにそのことを記したりしたら、場合によっては世界中から非難される事になりかねない。出来ることなら、それは避けたかった。


せめて、自分の任期が終わるまでは。


075 掲示板 【十八層で】代々ダン 1412【マイニング】


412:名もない探索者
おい! 日本ダンジョン協会の代々ダン情報局見たか?!

413:名もない探索者
マイニングの話? 遅いよ 》412

414:名もない探索者
ぐぬぬ 》 413
しかし二十層はバナジウムかー。

415:名もない探索者
マイニングを手に入れたら、バナジウム狩ってるだけで相当安定しそうだよな》実入り

416:名もない探索者
いや、マイニングを売り飛ばした方が金になるんじゃないの?

417:名もない探索者
確かにそうだが、ヒブンリークス見る限りじゃ、五十層は金だぜ?

418:名もない探索者
俺に五十層は無理だ
class=SpellE>orz

419:名もない探索者

class=SpellE>orz


420:名もない探索者

class=SpellE>orz


421:名もない探索者
いや、それ以前に十八層へもいけないんだが。

422:名もない探索者
ああ、やんぬるかな。

423:名もない探索者
それより食料の話ってマジ?

424:名もない探索者
それな。

425:名もない探索者
ついに……アマ層で……ドロップが!

426:名もない探索者
だけどなぁ……五億人とか、一体いつになるんだよ。

427:名もない探索者
多分一瞬。

428:名もない探索者
まじ?

429:名もない探索者
微博(中国版5ch)で話題になってたけど、なんか、成人は全員探索者登録させられる制度みたいなのが出来るかもってよ。


430:名もない探索者
昨日の今日でかよ!?

431:名もない探索者
redditから流れてきて、あっという間だったらしいぞ。


432:名もない探索者
近場にダンジョンがないときはどうするんだ?

433:名もない探索者
村単位で運んでくれるらしい。

434:名もない探索者
マジ?

435:名もない探索者
もう全部あいつ(中国)一人でいいんじゃないかな(AA略

436:名もない探索者
確かに中国だけで届きそうだよな。

437:名もない探索者
内容からすれば、インドやアフリカも追従するだろ。

438:名もない探索者
いやいやいやいや。ダンジョンって80個くらいしか見つかってないからな。

今の探索者数って、大体一億人くらいだろ? 三年で一億人登録しようと思ったら、1ダンジョン当たり毎日
1000人以上なんだぜ?

439:名もない探索者
まあ、最初の頃は凄かったからな。代々木なんて、毎日がコミケ状態よ?

440:名もない探索者
コミケは三日で50万人だからな。当時の映像とか見ると、確かに代々木もそんな感じだ。


441:名もない探索者
80ダンジョンで4億人ったら、1ダンジョン当たり
500万人だろ。毎日1万人登録しても二年近くかかるから。
中国だけでやろうと思ったら、毎日100万人登録しても、
400日かかるんだからな。10万人なら約11年かかるよ?


442:名もない探索者
確かに。分母がいても、時間が問題か。

443:名もない探索者
だからどんなに頑張っても1・2年はかかるんじゃないの?

444:名もない探索者
なるほどなぁ。ちょっと期待してたんだが。》アマ層のドロップ

445:名もない探索者
わかる

446:名もない探索者
じゃあ、しばらくはゲノーモス狩りが熱いのかな。

447:名もない探索者
だな。

448:名もない探索者
あとは、セーフ層やセーフエリアの探索かな。

449:名もない探索者
あー、見つけたら速攻拠点を作りたいよな。どのくらいの広さがあるのか知らないが。

450:名もない探索者
え、早いもの勝ちなの?

451:名もない探索者
日本ダンジョン協会が土地利用に関するルールを発表しそうだけど。

452:名もない探索者
発表まえに占有すればOKじゃね? 日本は法の遡及NGだし。

453:名もない探索者
しかし三十二層だぞ? 代々木の攻略は、まだ二十一層だろ?

454:名もない探索者
これで代々木の最下層が31層だったら泣けるな。


455:名もない探索者
世界のトップレベルが一同に集まってるから、すぐに進むんじゃね?》攻略

456:名もない探索者
その頃世界のトップレベルエクスプローラーは、全員十八層にいたというオチ。

457:名もない探索者
それな。》456

458:名もない探索者
今北3行。

459:名もない探索者
》458
ゲノーモス狩って、マイニング欲しい
五十層行きたい
でも十八層も無理

460:名もない探索者
乙。》459
なんでパーティの話じゃないのさ。テレバシーが使えるって?

461:名もない探索者
その話は、前スレまでで散々やった。
で、ヒブンリークススレッドが作られたから、今はそっちだろ。

462:名もない探索者
THX 》 461

463:名もない探索者
だけどさ。ヒブンリークスって、誰が翻訳してんだ?

464:名もない探索者
常識的に考えれば、ロシアかアメリカだが……

465:名もない探索者
それなら、govドメインだろ。世界ダンジョン協会管轄なら、
orgかな?

466:名もない探索者

class=SpellE>heavenleaks.dg
だからな。普通のダンジョンドメインだ。

467:名もない探索者
いや、それ以上はスレチだから。


076 マスコミ来りて笛を吹く 12月
26日 (水曜日)


「すみません! 失礼ですが、三好梓さん?」

門を出たところで、三好は、べたつくような視線の男に声をかけられた。
男の後ろには、やはり気持ち悪い笑顔を張りつけたような男が控えている。
影の中で、カヴァスがぴくりと反応した。アルスルズは三好に向けられた悪意にとても敏感なのだ。


だが、ただ不快だというだけで、訓練を受けた危険な組織の構成員といった感じではなさそうだった。


「はあ。どちらさまでしょう?」

そう応えた瞬間、後ろの男がカメラを構えた。

「いえね、ちょっとお伺いしたいことがございまして」
「取材でしたら日本ダンジョン協会を通してください。それに、名乗らない方とお話しすることはございません。それでは」


三好が男達を無視して移動しようとすると、「いやちょっと待って下さいよ」と、男が大股で、行き先を塞ごうと移動した。

それが三好に対する攻撃と認識されたかどうかは分からないが、カヴァスは三好の嫌悪感に敏感に反応した。

それに気がついた三好は、慌ててカヴァスを抑制しようとしたが、時すでに遅かった。

「「あっ?」」

二人の男がそう言うと同時に、後ろの男が抱えていたカメラが、がしゃんと音を立てて地面へと落ち、それに引きずられるように、二人の男が崩れ落ちた。

幸いあたりに人影はなかった。

「……カヴァスぅ」

二人は、きっととても疲れていて、突然睡魔に襲われたのだろう。
ため息をついた三好は、その高そうなビデオカメラのレンズが割れているのを確認すると、それを拾い上げ、事務所へと戻っていった。


、、、、、、、、、

「というわけなんですよ。どうしましょう?」

三好に言われて、人目を気にしつつ二人を玄関まで運び込むと、彼女が困ったように言った。

「どうしましょうって言われてもなぁ……一般の人じゃ田中さんに引き渡すって訳にもいかないし、暑気あたりで倒れたってことにして、救急車でも呼ぶしかないだろ?」

「暑気あたりって、先輩。今日の最高気温十度くらいですよ?」
「なら、冬場の高血圧ってことで。気温が低いと血圧上がるそうだぞ」
「ああ、ヒートショックとかもありますね」

三好がぽんと手を叩いていった。
こいつ等がカヴァスたちのシャドウバインドにやられたのだとしたら、過去の経験から六時間くらいは目を覚まさないことが分かっていた。


「まあ、門の前でシャドウピットを使って捕縛しなかっただけマシだと考えようぜ」
「ですねぇ……」
「で、こいつら何者なの?」

そういうと三好がすちゃっと何かを取り出した。

「外科用手袋かよ!」
「ふっふっふ。先輩。調査員御用達ですよ」

いや、そんなことをしなくても……

「おいカヴァス。お前らいつも捕まえたやつから持ち物を取り上げてるじゃん。あれってどうやってんの?」


そういうとカヴァスは、「やってもいい?」と言った感じで、三好の方を見た。
三好が頷くと、すぐに二人の体が闇の中に沈んで、持ち物がぺぺぺっと吐き出されてきた。

「凄いな、生体以外全部取り出したってことか?」

そこには、持ち物だけでなく、服や靴下までが散らばっていた。

「って、下着まではいりませんよ」と三好が顔をしかめた。

服や財布の中を確認したところ、話しかけてきた男の名前は氷室隆次。どうやら中央テレビの番組製作下請け会社のディレクターのようだった。

音声のレコーダーが2台も動いていたので、オフにして、データを消去した後戻しておいた。
もちろん、ビデオのメモリもクリアした。

結局外科用手袋は大活躍していたのだ。

察するに、三好を狙った突撃インタビューか何かだったのだろう。Dパワーズのオークションサイトか、ヒブンリークスのドメイン登録あたりから辿ってきたんじゃないだろうか。

日本ダンジョン協会内部からのリークの可能性もあるけどな。なにしろ、俺達のどちらかが欠ければ云々という情報が漏れたように見える、前科っぽいものもあるし。

ただまあ、普通の会社員みたいだから、おそらくは前者だろう。

「一応、
class=SpellE>Whois情報の公開代行サービスは使ってるんですけどね」

「そんなの、
class=SpellE>whoisで見られないってだけだろ」

「みたいです」

三好は彼らの持ち物を見ながらそう言った。

「で、カヴァス。このまま元に戻せるのか?」

カヴァスはコクコクと頷いて、散らばったアイテムをシャドウピットに落とし込んでいった。

「って、これ、すごい便利なんじゃ……収納と違って生き物も入れられるし」
「自分達以外は、重量制限も厳しいですし、入れっぱなしだと行動にも支障が出るみたいですよ?」

「そうなのか?」

カヴァスはコクコクと頷くと、ペッと二人をシャドウピットから吐き出した。
二人は身ぐるみ剥がれる前の状態になっていた。

朝起きたときの着替えとかに便利だな、とそれを見ていた俺は、ふと思った。

「こいつらに頼めば一瞬で変身とかできるんじゃないか?」
「変身してどうするんです? ザ・ファントムになるとか?」
「それな」

今のところは、なんとか三好の影に隠れているが、サイモンとか御劔さんとかすでにバレかけてそうだし、今後攻略に力を入れるにしても今のままじゃちょっとな。

とはいえGランクの気安さも捨てがたいわけで、なら、クラーク・ケントや近藤静也のごとく活躍するのも――


「悪くない」
「先輩は、そういうとこ、意外とおこちゃまですからね」
「や、やかましいわい。ヒーローは正体を隠すのが伝統というものだろ?」
「最近はそうでもないですけど」

そういやそうかもな。

「ともあれ、いつまでも今のままの状態で活動するのは難しいだろ?」
「一層、十層、十八層と、過疎地ばかりで立ち回ってましたから、今までは良かったんですけどね」

「今後は、ダンジョン攻略や、セーフ層なんかの絡みもあるしなぁ……」
「その辺はちょっと検討してみます。ほら、コスチュームなんかもあると良いじゃないですか。友達に腐の人がいますから……」

「まて。今、なにかこう聞き捨てならない単語があったぞ」
「気のせいですよ、先輩! コスプレって楽しいらしいですよ?」
「こ、コスプレかよ……」

もうすぐ俺29なんだけど、と、一気に不安が押し寄せてくるが、まあ、三好プロデュースで失敗したことはほとんど無いからな。

お前、間違ってるだろうと思うことが頻繁にあるのは問題だが。

「ま、まあ、お手柔らかにな。んじゃ、こいつら、門のところに転がして、救急車でも呼ぶよ」
「お願いします」

その後、門の前に止まる救急車に野次馬が沸いて、スマホで撮影していたのはちょっと引いた。
俺は通報しただけの他人扱いだったので、特に同乗は求められなかった。

そして、無事に彼らを救急車に乗せたところで、その事件は幕を閉じた……はずだった。

、、、、、、、、、

「申し訳ありません!」

鳴瀬さんは土下座せんばかりの勢いで頭を下げていた。

「いや、ちょっと待って下さい。そう謝られても、なんのことだか話がよく分からないのですが」


結局あの二人の事件をきっかけに、どうやら中央テレビが取材を申し入れていた局や新聞社を巻き込んで、日本ダンジョン協会に圧力を掛けたらしい。

圧力とは言っても、個人のコネを辿って、取材をさせるように申し入れたと言った程度の話ではあるのだが。


そこに登場したのが瑞穂常務だった。
それはまさに鶴の一声。あれよあれよという間に、会見の事実ができあがっていった。
しかし、流石に日時までは勝手に決められない。もしも俺達が出席できない日時だったりしたら、面目丸つぶれになるからだ。


「それで、日時を聞いてこいと?」
「……はい」

あのオッサンだけは……とも思うが、これだけわがままに振る舞われると、まあ、瑞穂常務だからね、で許されそうなところが恐ろしい。


「瑞穂常務って、総務省出身だったんですか」
「旧郵政省出身なので、業界に知己が多いそうです」
「それで、昔の知り合いに良い格好をしたと」
「おそらく」

なんだか面倒くさそうだし、俺達がスルーして、彼に恥を掻いて貰うっていう選択肢もあるんじゃないかな。


「あー、なんといいますか、根に持つタイプなのでお薦めできません」
「あー、そんな感じですよね」

いや、三好。お前、当事者だからな。

「先輩。結局マスコミの人達って、オーブ売買のことや、オークションのセンセーショナルな部分が取材したいってことですよね?」

「まあそうだろうな。一般ウケするし」

今時ダンジョンのニュースにバリューは少ない。
最近でも、エバンスのクリアが話題になったくらいで、攻略の進展や取得アイテムを利用した開発などは、ほとんどテレビでは取り上げられないのがその証拠だ。

なにしろ探索は陰惨な状況になる場合も多い。もっとも単純に絵がないから地味にならざるを得ないという事情の方が大きいのだろうが。

先日日本ダンジョン協会がアップした、さまよえる館の映像も、今頃使用許諾が集中しているらしい。アンテナもそうとう下がってるってことだろう。


そんな中、センセーショナルでわかりやすい数字にはインパクトがある。

「鳴瀬さん。日本ダンジョン協会はあくまでもDパワーズに会見を開いて欲しいということですよね?」

「ええ、そうです」

三好がそう確認すると、一気に悪い笑顔になった。

「くっくっく。先輩。ここはこの茶番を最大限に利用したいと思います」
「利用? って、一体何をするつもりなんだよ」
「そりゃあもう、盛大にうちの社の宣伝をして貰うんですよ」
「社?」

Dパワーズとだけ言われたのだから、パーティじゃなくて、株式会社Dパワーズでもいいでしょう? とシレっとしている。

ああ、憐れマスコミ諸氏は聞きたいことも聞けずに、宣伝の片棒を担がされるのだ。

「だけど、それなら、取材はしても報道しないって自由もあるだろ?」
「先輩、そこは大丈夫ですよ」

三好は自信満々の顔をして言い切った。

「何しろうちは非常識の塊だそうですから」

その台詞に、鳴瀬さんがうんうんと頷いていた。
そうして、俺達は、新年の一月一日に記者会見を開くことに決めた。

「しかし、何で正月?」
「もちろんマスコミ各社への嫌がらせですよ!」
「いや、それ、俺達も休めないだろ……」

ああ! と声を上げた三好に、お前今気がついたんかいと、呆れるしかなかった。


077 記者会見 1月
1日 (火曜日)


「三好、その化粧、気合い入ってるな」
「プロにお願いしましたからね。これで誰も私だとは分かりませんよ!」

三好はそう言って、腰まである日本人形のような髪を揺らした。

「しかし、その暑苦しい髪と伊達眼鏡はやり過ぎじゃないか?」
「先輩、明日から表を歩けなくなるなんて、お断りでしょう?」

変装して出歩くくらいなら、最初から変装してテレビに出てれば、普段は普通でいられるという魂胆らしい。

それはまあ、そうかもな。

日本ダンジョン協会の会見ルームは、結構な数のマスコミで賑わっていた。
わざわざ人を減らそうと一月一日に設定したのに、オークション関連の情報はそれほどインパクトがあったようだ。みな視聴者ウケする情報を求めて、興味本位でやってきたのだろう。


会見前の説明で、会見するDパワーズが、パーティではなく株式会社であることに驚いて不満を呈した報道機関もあったようだが、それではお帰り頂いても結構ですの一言で黙らせたらしい。

最初から対決めいた姿勢もどうかと思うが、それをうまく捌くために、日本ダンジョン協会の鳴瀬さんに仕切りもお願いしてあった。


「じゃ、先輩。そろそろ行ってきます」
「おお、下手なことは喋るなよ?」
「想定問答集にないことを聞かれないよう、祈っておいて下さい」
「あーめん」
「やる気ない祈りっ!」
「ごーめん」

そのころ会場では鳴瀬さんが、会見の開始を告げていた。

「これから、ダンジョンパワーズの設立会見を始めます。私は、司会を担当させていただく、日本ダンジョン協会の鳴瀬美晴です」

「会見前にご説明差し上げましたとおり、会社の業務に関連しない質問が出された場合、質問の変更を求めず次の質問者を指名しますので、ご了承下さい」


そこで、三好が入場した。
フラッシュが大量に焚かれ、まるで光で彼女を殴りつけているかのように見えた。
三好が一礼して席に着くと、鳴瀬さんが言った。

「それでは最初の方どうぞ」

「朝明新聞の春川です。発起人の三好さんは、Dパワーズの代表だと言うことですが、オーブをどのようにしてオークションにかけられているのですか?」

「では次の方」
「はっ? 待って下さい! 質問の答えは?!」
「その質問は、会社の業務とは無関係です」
「え?」
「株式会社ダンジョンパワーズの業務に、オーブのオークションは含まれていません」
「では、なにを?」
「先にお配りした資料に目を通されてから質問することをお薦めします。では次の方」

その発言に、プレスの間からも苦笑が漏れた。

「読読新聞の瓜田です。この会社は、ダンジョン攻略のための支援や開発を会社と言うことですが、NPOにされていないのはなぜですか?」

「NPOは作るのが大変そうだったからです」
「え? それだけ?」
「はい」
「主な活動は、ダンジョン内での訓練活動、および、探索者支援ということですが、具体的にはどんな支援を行われる予定でしょう」

「そうですね、例えばスキルオーブの貸与でしょうか」

その瞬間、部屋の喧噪が一気に消えて、会場が静けさに支配された。

「東京テレビの簑村です。スキルオーブの貸与、と申されますと、具体的にはどのようなオーブが対象になるのでしょうか」

「そうですね。マイニングとか、いかがでしょう」
「あの鉱物資源取得用の?」
「はい。二十層を越えてマイニングドロップを確認してくれるような探索者になら、それを貸与しても良いと考えています」

「しかし、貸与と仰られましても、一度使われたスキルオーブはその人間に定着してしまい、返却するような真似はできませんが」

「そうですね。決められた期間が過ぎれば、それまでダンジョンの攻略を手伝っていただいた報酬として譲渡しますよ」


またもやざわめきが広がる。

「朝明新聞の春川です。それは、御社でダンジョン探索者を雇用して攻略を進めるという意味ですか?」

「弊社はあくまでも探索者の支援を行う会社ですから、探索者を弊社の社員として雇用するわけではありません」

「あくまでも探索者のご要望に応じて、適切な対価でその活動を支援していくつもりです」
「適切な対価?」
「もちろん金銭でも構いませんが、もっとも重要視するのは、強い攻略の意思と実力の提供です」

「それが対価に?」
「攻略を進めるのが目的ですから、それを提供していただくのは充分に対価になるでしょう。それに対して、例えば、攻撃系の魔法スキルを貸与するなどという形で支援したいと思います」


もっとも、それが都合良く見つかればですけどね、と三好は躱したが、彼女が伝説のオークション主催者であることはほぼ周知の事実だったため、その言葉は非常にリアルに響いた。


「新日経済新聞の野中です。そのスキル支援ですが、はやり、御社の訓練活動――ここにはダンジョン・ブートキャンプとありますが――を受けた者を優先すると言うことでしょうか」


野中と名乗った男は、先に配られていた資料を指さしながら言った。

「そうですね。その能力を詳しく知ることができるという意味では、その傾向が強くなるかもしれません」


「朝明テレビの桜田です。もしかして、先日話題になっていた斎藤涼子さんは――」
「弊社のプログラム受講者です。もっとも会社設立前ですので、仕事として引き受けたわけではありませんが」


おお、と制作局に近い記者達の声が聞こえた。
このことについては、あらかじめ斎藤さんと口裏を合わせてある。

「ダンジョン・ブートキャンプとは、具体的にどのような活動になるのでしょうか?」
「そうですね。ダンジョン利用における効率的なステータスの取得支援と言い換えても構いません」


なんだって?

科学系の記者から、一斉に声が上がった。
彼らは、ステータスがあるだろうと言われながらも、それは存在すら証明されていない概念だということを知っている者達だった。


「ニヨニヨ動画の美川です。今ステータスと仰られましたが、それはまだ存在すら証明されていないのでは?」


それを聞いた三好は、平然と言った。

「ステータスはありますよ」

それを断定する三好に、美川は、思わず食ってかかった。

「それはあなたの思いこみなどではなく、客観的に証明された事実なのですか?」
「世間の研究はともかく、それがあることは事実です。弊社の開発ではさまざまなイノベーションを予定していますが、その第一弾はステータス計測デバイスです」

「ステータス……計測デバイス?!」

美川は呆然とそう繰り返した。

「はい」
「し、しかし、仮にそんなものがあったとしても、そのデバイスが正しい数値を示していることは、追試が出来なければ誰にも確認できないと思われますが……」

「ステータスは非SIで、言ってみれば計数量です。なにしろ暫定的に使用している単位がポイントですから。従って、正しい数値といわれましても……もっとも、この数値の妥当性は、二人目が現れたときに明らかになるでしょう」


二人目? 二人目って何だ? と記者席からざわめきが起こる。

「朝明テレビの桜田です。二人目と申されますと、何の二人目なんでしょう?」

そこで、三好は鳴瀬さんに目配せした。

「それは日本ダンジョン協会の方からご説明いたしましょう」
「彼女――三好梓さんは、知られている限りでは世界で唯一の鑑定スキル保持者です」

鑑定?
鑑定って言ったか?
なんだそれ?

記者席が一斉に騒がしくなり、キーボードを打つ音が一際大きくなった。

「毎朝新聞の津田沼です。それはつまり、あなたが誰かを鑑定すると、そこにステータスが表示されている、という認識でよろしいでしょうか」

「その通りです」

さらに大きなどよめきが上がる。

「新日経済新聞の野中です。鑑定というのは、調べた対象が理解できるスキルだという事でしょうか。例えば絵画や陶器の真贋や、産地擬装なども?」

「スキルの詳細につきましては、会社の業務とは無関係ですので、いずれ公開されるであろう日本ダンジョン協会のスキルデータベースをご覧下さい」


それに、このスキルの適用範囲は、私自身にもはっきりとはわかりませんから、と三好が笑いを誘った。


「日ノ本テレビの菊和です。では、ダンジョン・ブートキャンプとは、鑑定を利用して作り上げた、任意のステータスを伸ばすことを目的とした訓練プログラム、ということですか?」

「そう受け止めていただいても、間違いではありません」

うそだろう。
スポーツ界に激震が走るぞ。
記者達は思わず口々に感想をこぼした。

その後も次々と、発表された事への可能性に関する質問が長く続き、予定していた時間を二時間もオーバーして会見は終了した。

そうして、その日、後にワイズマンと呼ばれることになる、世界一有名な探索者が誕生した。

第5章 株式会社Dパワーズ

078 掲示板 【そして】Dパワーズ 162【法人へ…】


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-4198
突然現れたダンジョンパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。

詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレ 930 あたりで。

…………

14:名もない探索者
なあなあ、おまえら。Dパワーズの会見見たか?

15:名もない探索者
あー、なんだかちっちゃくて可愛かった。

16:名もない探索者
あの子……えっと三好さんだっけ? が、パーティのDパワーズ代表なの?

17:名もない探索者
株式会社Dパワーズの発起人。パーティの方の代表かどうかは謎。

18:名もない探索者
でも朝明新聞の春川だっけ? そんなこと聞いてたような。

19:名もない探索者
鳴瀬さんに一蹴されてたけどなw

20:名もない探索者
ランキングってどのくらいなのかね?

21:名もない探索者
それも謎、だがパーティの方の代表だとしたら、低いとは思えないな。

22:名もない探索者
まさか、ザ・ファントム?

23:名もない探索者
まて、早まるな。
だが、何かの関係はありそうな気がするな。あのオークションサイトを見る限り。

24:名もない探索者
なんだか海外のサイトじゃ、ワイズマンって呼ばれてたぞ。

25:名もない探索者
まあ、世界唯一の鑑定持ちじゃなぁ。もっとも、異界言語理解みたいに重要な情報に直結しないから、あんなことにはならないだろうけど。


26:名もない探索者
鑑定の内容によっちゃ、誘拐されてもおかしくない。

27:名もない探索者
未知のオーブやアイテムや、モンスターの内容がわかるくらいならともかく、美術品の真贋判定まで出来たりしたら、世界中の美術館から出禁を喰らったりしてなw


28:名もない探索者
食品擬装も恐々とするだろ。

29:名もない探索者
しかし盛りだくさんだったな。

30:名もない探索者
えーっとブートキャンプに、探索者支援、それからステータス計測デバイスに、鑑定だっけ?

31:名もない探索者
それで、お前等、Dパワーズのブートキャンプに申し込むのか?

32:名もない探索者
スキルオーブやポーションの支援は魅力的だけどな。

33:名もない探索者
直接攻略に関われるようなレベルじゃないしなぁ……

34:名もない探索者
スキルオーブなんか貰ったら、死ぬまで奴隷扱いじゃないの?

35:名もない探索者
サイトに書いてあったが、1・2年らしいぞ。

36:名もない探索者
マジで?

37:名もない探索者
つまり20億の水魔法なら、年収10億と同じってことか?

38:名もない探索者
ダメ元で応募してみよ。

39:名もない探索者
俺も!

40:名もない探索者
俺はステータス計測デバイスに驚いたよ。

41:名もない探索者
絶対スカウターって名前だよなw

42:名もない探索者
ゴミめって言われるのはイヤだ。

43:名もない探索者
面白そうだけどさ……けど、お高いんでしょ?

44:名もない探索者
まあ、安くはないだろうけど……それでも各国のDAや企業は購入するだろ。

45:名もない探索者
目安が出来るわけだしなぁ。いずれ、各層のステータスによる入場制限とかができるかもな。

46:名もない探索者
各層は無理じゃない? 各層毎に受付なんか置けっこないよ。

47:名もない探索者
八層には屋台があるけどな。

48:名もない探索者
ああ、豚串1000円の。

49:名もない探索者
うむ。ちょっとボリ過ぎな気もするが。

49:名もない探索者
観光地価格でしょ。

50:名もない探索者
誰が八層に観光に来るんだよw

51:名もない探索者
いや、お前等、それよりバングルだよ。気がついたか?

52:名もない探索者
は? バングル? いきなりなんだよ。

53:名もない探索者
いや、梓タンが左手に付けてたバングル。民族的文様で格好いいなと思って見てたんだよ。
どこの商品だろうと、いろいろ検索してみたんだが見つからなかったんだ。

54:名もない探索者
だからなんだよ。特注品だって言いたいのか?

55:名もない探索者
いや、それでな。3Dプリンタで似たようなのを作ってみようと思い立って、SOLIDWORKSのデータ化するのに映像を拡大して確認してみたんだ。幸い4Kの放送があったし。

そしたら――

56:名もない探索者
なんだよ引っ張るな

57:名もない探索者
氏ね。
ていうか、もう4K導入してんのかよ。放送開始したの、つい一ヶ月前じゃん。

58:名もない探索者
ごめんw 》 56
あれ、継ぎ目がないんだよ。
ふっふっふ。初めて役に立ったよ! 》 57

59:名もない探索者
は? そんなバングル普通にあるだろ。
手をすぼめて通すタイプは、普通継ぎ目なんかないぞ。

60:名もない探索者
バカ言え。
つ [画像] つ
[拡大動画]

61:名もない探索者
え、こんなにぴったりなタイプだったのか。》 60
円かとおもったら腕にフィットしてる、のか?

62:名もない探索者
どうやってはめるんだろうな?

63:名もない探索者
文様に隠れているだけでどっかに……うーん、蝶番らしきものはないか。

64:名もない探索者
実は厚みが二層になってて、そこに広がるギミックがあるかもとか思って設計してみたんだ。

65:名もない探索者
ただ、タンとか言っているだけの、キモい生き物ではなかったのか。

66:名もない探索者
ヒドっ!
だけど、縁のリングの部分はどうしようもないわけ。どう設計してもリングの何処かには必ず継ぎ目ができるんだよ。


67:名もない探索者
以前どこかで、ものすごく精密な切断加工がされていて、くっつけると継ぎ目が見えないなんてのがあったような気が。


68:名もない探索者
ワイヤーカット放電加工機な。
通常精度は0.00五ミリ。話題になった武田金型製作所は
0.003ミリくらいと言っていたけど……なにしろ輪っかだからな。

温度差で膨張・収縮が発生したとき、内径と外径のズレとかどうなるんだろう?

69:名もない探索者
銀なら膨張係数は19.7くらいだから、内径が
200ミリくらいと考えると、35度と5度で
0.1ミリ以上変化するな。

70:名もない探索者
そんなに太くないと思うがw》腕
継ぎ目を完全に隠すのは無理かもなぁ……

71:名もない探索者
子供の頃からずっと身につけたまま、大きくなった。

72:名もない探索者
どこかの原住民みたいだが、それならありうる。

73:名もない探索者
首が長くなるやつか。

74:名もない探索者


75:名もない探索者
ボトルシップよろしく腕の上で製作した。

76:名もない探索者
それでも金属のリングを通すことは出来ないだろ。

77:名もない探索者
ならさ、実は手首の方を切り落として、身につけてからポーションでつないだ!

78:名もない探索者
ナニソレ、怖い。

79:名もない探索者
なんだか大喜利と化して来たな。

80:名もない探索者
確かに探索者っぽいが、実際にそれをやってたとしたらメンヘラ確実だ。》 77

81:名もない探索者
いや、リスバンみたいにゴムなんじゃね?

82:名もない探索者
ああー

83:名もない探索者
おおー

84:名もない探索者
天才かよ

85:名もない探索者
あの縁の質感でゴム? そりゃ無理がない?

86:名もない探索者
金属的な質感で、ゴムみたいに伸びる素材なんだよ。

87:名もない探索者
最先端素材かっ! ……聞いたことないな。

88:名もない探索者
いや、もう、魔法のアイテムでいいだろ。オートアジャスト機能とかがついてるんだよ!

89:名もない探索者
プークスクスクス

90:名もない探索者
あー、そうね。夢があっていいね。


079 一坪の農園 1月
2日 (水曜日)


「どの局も、Dパワーズの話が多いですね」

鳴瀬さんが、ソファーに座ったまま、テレビ画面の右と下に、放送中の番組のサムネールを表示させて言った。


いくつかのチャンネルを切り替えながら見てみたが、地上波は大抵、うちの社と、オーブのオークションとを絡めて、おもしろおかしく妄想を発信していた。

中でも、異界言語理解については、センセーショナルな価格になったため、大々的に取り上げられていた。

正月は、正月用の録画番組を無難に流しておけと言いたい。

「そこからヒブンリークスへ進めば、鉱物や食料や、果てはテレパシーのことまで、もっとセンセーショナルなことが沢山あるだろうに」

「ワイドショー的な感覚だと、あれをどう切り取ればいいのか分からないんだと思いますよ」

主要な視聴者は非探索者だろうし、それによって、なにか事件が起きたら食いつけばいいことで、先に姿勢を表明するのは危険すぎるってことか。


「念話はそろそろ無視しようがないと思いますけどね」

日本ダンジョン協会でも何かあったのか、鳴瀬さんが諦めたように言った。

「先輩。聞いて下さいよ」

三好が疲れた顔でやってきて、俺の隣で、ソファーの上に体育座りすると、背中を俺にもたせかけてきた。珍しいな。


「オーブの値段が報道されたとたんに、実家から電話が掛かってきまして……」
「なんだって?」
「まあ、要約すると、テレビを見たんだけど大丈夫か? みたいな内容でした」

流石両親。あれで三好だってちゃんと分かるのか。

「それでなんて?」
「場所を貸しただけだから、そんなに大もうけしたわけじゃないし、こっちは大丈夫、とは言っておきましたけど……まあ、それはいいんです」


腕にもたれかけていた頭をずらすと、膝の上に頭をのせて寝転がる。いわゆる膝枕の体制だ。

「その後が問題なんですよ。会ったこともない親戚だと名乗る人達から連絡がやたらと入ってくるんです」


どうも正月だからと、実家に戻った連中のネットワークが発動したらしい。

「金でも無心されたか?」
「いや、いくら親戚でもいきなりそんなことしませんよ。というか、された方がマシですよ。遠回しに沢山儲けたのかどうか聞いてくる感じで」

「ワイズマンも、知らない親戚相手じゃ、かたなしだな」

俺は笑いながら、三好の頭をこつんと叩いた。

「オーブハンターにワイズマン。二つ名がふたつもある人は珍しいですよ」

鳴瀬さんが笑いながらそう言うと、三好はごろんと寝返りを打ってうつぶせになり、鳴瀬さんを見て言い返した。


「そういう鳴瀬さんだって、ネットじゃ、ジ・インタープリターとか呼ばれてますからね」
「え? ほんとに?」
「ヒブンリークスについて、アメリカもロシアも公式に自分の所とは関係ないことを表明しましたから、あれを翻訳したのは、謎の碑文翻訳家ですよ」


「ヘルハウンドのことが知られたら、三好にはもう一つくらい二つ名が増えそうだよな」
「もう勘弁して欲しいです」

がばっと起き上がった三好が、俺の耳元で、こっそりと囁いた。

(先輩だって、ザ・ファントムですよ)
(収納が知られたら、更に一つくらい増えるか?)
(それはお互い様ですね)

思えば遠くへきたもんだ。
この事務所はさしずめ、二つ名持ちの秘密基地だな。

「それで、先輩。今日は『農場』に行くんでしょう?」
「ああ、まあな」
「しばらくは、変装しなきゃダメっぽいですよね?」
「ええ? 俺は平気だろ?」
「先輩、意外とテレビ関係者に顔が売れてるんじゃないですか? 斎藤さん関連で」

それを聞いた鳴瀬さんが、笑いをこらえるように言った。

「それもありますけど、意外と有名ですよ、芳村さん。変な人枠ですけど」
「ええ? 変な人?」
「だって、街中みたいな軽装でダンジョンに入ってたじゃないですか。一時期話題になってましたよ? あれなんだって」

「そんなことに……」

本当は、それで悪目立ちしていたところに、サイモンや伊織に絡まれているところを目撃されたおかげでブレイク(?)したのだが、そんなことは知るよしもなかった。


「でも変装なんて面倒だよ。背景に溶け込む感じで普通の恰好してりゃバレないんじゃないか?」


初心者防具セットも買ったしな。

「私は、ばりばり化粧で別人になってテレビに出ましたからね。このままで絶対ばれませんよ!」


三好が自信ありげにそう言った。

「彼らが探すのは、腰まである日本人形ヘアのメガネ女ですからね」

「なんだかんだ言って楽しんでますよね」
「まあ、それがモットーですから。ところで鳴瀬さんはこの後どうするんです?」

ヒブンリークスの方は、新しい碑文が見つかるまで特にやることはない。

「芳村さん。私は一応、日本ダンジョン協会の職員なんですけど」
「いや、それは知ってますけど……」
「色々ありますけど、今はオーブ情報の整理と……そうだ、たった一日で、日本ダンジョン協会に鑑定依頼だの紹介依頼だのが積み上がってましたよ?」

「未知スキルやアイテムのうち危険そうなやつは引き受けますけど、それ以外は基本パスです」
「そう言うと思ってました。しばらく日本ダンジョン協会に近づかない方が良いですよ」
「なにかありましたか?」

「瑞穂常務が、三好さんは知り合いだからみたいな態度で、いろいろと安請け合いしているという噂が……」

「うわー……、先輩。しばらくダンジョンに逃げませんか? 実は、あれができあがってくるんです」

それを聞いて鳴瀬さんが、「アレ?」と首をかしげた。
それを見た三好は、「ふっふっふ。それは秘密のアイテムです!」と言って煙に巻いていた。
「はいはい」とそれをいなした鳴瀬さんは、突然真顔になって言った。

「そうだ。謎のジ・インタープリターの正体を確認するミッションが追加されていました!」

それを聞いた俺達は、思わず顔を見あわせて吹き出した。

、、、、、、、、、

松もとれていないどころか、3が日も過ぎていないから空いているだろうと思ったら、意外と人がいた。ホビー組が多いのだろう。

おかげで初心者装備をつけた俺達は、代々木ダンジョンで特に目立つこともなかった。
普段着すっぴんでウロウロしてたら、芸能人も意外と気付かれないというし、実際東京の人間は、道ですれ違う人の顔なんか、ほとんど気にしていない。


「そういや先輩。榎木さんからも連絡がありましたよ」
「榎木? 今頃なんだって?」
「素材の鑑定をやってくれって依頼でした」
「ああ、テレビを見たんだな。流石に知り合いには分かるか」
「名前が同じですからねぇ」

しかも、連中は俺達の連絡先も知っているから面倒だな。携帯替えるかな。

「君たちのせいで、元同僚が苦しんでいるんだから、力を貸すのは当然だ、みたいなノリでした」

「あのオッサンは相変わらずだな。しかし、例のプロジェクトか。まだやってたんだ」
「そりゃ、やってますよ」

ダンジョン素材の利用は、やはり可能性ですからね、と三好が言った。

「で、なんて言ったんだ?」
「要約すると、『知らんがな』と言っておきました」
「ぷっ。榎木怒ったろ?」
「先輩、私はもう部下じゃないんですよ。流石に罵倒はしませんよ」

静かな怒りは感じましたけどねと三好は肩をすくめていた。

「しかし鑑定か。日本ダンジョン協会にも依頼が積み上がってるって言ってたし、なにか社会貢献っぽいこともしておかないと、叩かれても面倒だな」

「なら、オーブやアイテムの鑑定結果を公開しますか?」
「いいけどさ。日本ダンジョン協会での公開だと、俺達が協力してるって事がまわりに伝わらないから効果がないかも知れないぞ? ダンジョン情報局に、『梓の今日のアイテム』みたいなコーナーでも作るのか?」


俺は笑いながら言った。

「そうですね、今ならyoutuberになって、アイテム鑑定情報局!とかいうチャンネルを作ったら、すごいアクセス数が稼げそうな気がします」

「で、それ、やりたいわけ?」
「七回位生まれ変わったら考えます」
「だよな」
「ただ、日本人形の恰好でやっておけば、さらにそういうイメージが定着するかなという期待はあるんですよね」

「リアルバーチャルユーチューバーか」
「もはや意味が分かりませんね、その言葉」

そんな話をしながら、二層の最外周に近づいたところで、天辺に何かが立っている低い丘が見えてきた。

あれが、俺達の農園だ。

そこを選んだ理由は色々とあったが、決め手は一本の小さな木が生えていたからだ。

俺達は、その木を含む、僅か2畳ほどの空間を高さ3メートル程の網で覆った。ゴブリンが登って乗り越える可能性もあったが、壁だと日当たりが問題だったのだ。一応ネズミ返しならぬゴブリン返しは取り付けてある。

足下にはスライム対策に、動体センサーとシャワー状の管が取り付けられていて、スライムが近づくとエイリアンのよだれが噴出するようになっていた。


網の扉を開けて、早速畑を確認した三好が、残念そうに言った。

「前回のままですね」

植物のリポップは、最初からそこに生えていた木を利用して行った実験で、その確認まではうまくいった。


試しに切り取ったその木の枝は、翌日には修復されていたのだ。
調子に乗った俺達は、その木を切り倒してみた。が、驚くべきことに、その木は翌日リポップした。

さらに根ごと掘り返して完全に除去してみると、翌日、そこには何もなかった。

「完全に除去しちゃうとリポップしないんですかね?」
「リポップするが、場所が特定されないと考えるべきじゃないかと思うんだが……証明はな」

モンスターは倒された場所でリポップするわけではない。
つまり移動可能なオブジェクトは、適当な場所でリポップすると考えるべきではないかと思うのだ。


「一フロア全てのオブジェクトを記録して比較するのはちょっと無理ですね」
「だよな」

ともかくダンジョン内の植物は、全てを取り除かれさえしなければ同じ場所にリポップするようだった。

後は、植えた植物を、ダンジョンにリポップ対象だと認識させる方法を確立すれば、この実験は成功したも同然だ。

しかし、それは、そう簡単にはいかなかった。

「やっぱり、苗から植えた植物はダメなんでしょうか?」

すぐに実験をするために、苗から育てる植物をいくつか植えて、来る度に一本づつカットしてリポップするかどうか様子を見ているのだが、一向にリポップしなかった。


「Dファクターが馴染む時間がかかるのかもな。まだ数日だし」
「でも、先輩。逆に考えると、もし数日ダンジョンの中にいただけで、それがリポップ対象って見なされるなら、数日泊まり込んだだけで死んでもリポップする人間ができあがりませんか?」

「……死ぬどころか、外へ持ち出しただけでリポップするなら、ダンジョンから出るたびに自分が増えるな」

「そういえば、ドッペルゲンガーはどこかのダンジョンにいたそうですけど、そういう出自じゃないですよね?」


三好が恐ろしいことを言う。

「さすがにそれはないと思いたいが……だが、そう考えるとすでに成長している成体は、どんだけ放置してもダンジョンがリポップ対象だと見なさないのかもしれないな」


「もしも種からでもダメだったりしたら、ダンジョン内で受精させる必要があるかもしれませんね」


三好が畝が立っている一畳の地面を見ながらそう言った。

そこには、麦の種が蒔いてあった。
一畳で、おおよそうどん大盛一杯分の小麦が育つそうだ。種を買いに行ったらJA東京みらいのお姉さんが教えてくれた。


通常、植えるための小麦の種はJAで購入する。
渋谷区には農業がない、と智恵子が言ったかどうかはさだかでないが、渋谷区管轄のJAは、なんと「なかった」。

目黒区と世田谷区は、JA東京中央とJA世田谷目黒というふたつのJA組織に引っ張りだこなのに、渋谷区はJA的にハブなのだ。


途方に暮れた我々は、フューチャーズに導かれ、わざわざJA東京みらいで柳久保小麦の種をゲットした。

「いや、だって、サイトに麦の紹介があったのはそこだけなんですもん」とは、調査した三好の弁。都心部に麦なんてあまりないようだ。

季節的には無茶苦茶だが、代々木の二層は、年を通して概ね温暖と言える。どうなるかはわからないが、とりあえず教えられたとおりに畝をたてて、条《すじ》まきしておいた。


「芽が出るのはもう少し先ですね」

これで美味く行くなら問題がないが、もしも失敗したとしたら次はダンジョン内受精か?
もしもそれで、うまく行ったとしたら……実に、実に気になる事案があるのだ。

「なあ、三好」
「なんです?」
「いや、もしも、ダンジョン内で受精させた種から育てた植物が、ダンジョンに属しているとみなされるんならさ」

「……先輩。なんだか不穏当な発言をしそうなので自粛してください」
「ええ? いや、気にならないか? ダンジョン内でセック――ごはっ!」

三好の肘が、鈍い音を立てて、俺のみぞおちに決まった。

「先輩。動物――この場合人間ですけど――の場合、ハッチングして、子宮内膜に着床するまで5日から7日かかるんですよ? そんな長期間のダンジョン行でそんな危ないことしませんって」

「ごほっ、ごほっ。お前な、肘を決める前にそう言えばいいだろ……」
「先輩は、体に教えないと、どうにも覚えが悪いみたいですからね」
「ひでぇ……どこの軍隊だよ」

とは言え思考実験としては興味深い。
着床した胚が、ダンジョンのものだとみなされた場合、その女性がダンジョンを出たら……って、仮に、胚だけがリポップしても、なんにも起こらないのと同じだな、考えてみれば。

ふと、モンスターに子宮があったとして、そこにリポップしたら……なんてことも想像したが、仮定に仮定を重ねた、まずあり得ない話なので考えるのを辞めた。


「そう言えば、先輩。軍隊で思い出しましたけど、そろそろ教官を決めないとマズいですよ」

「ああ、それな。面倒くさいから、自衛隊とか、某田中さんあたりが誰か紹介してくれないかな?」

「スパイの人が来ますよ?」
「いや、だって、募集したって来るだろ?」
「……そう言われれば、そうですね。他国のエージェントが混じらないだけマシかも知れません」

「な。どうせ俺らに見る目はないし、いっそのこと容姿ででも選ぶか?」
「イケメン&美女教官は、客ウケは良さそうですけど」
「いやいや、ここはゴリマッチョじゃないの?」
「そう言うことなら、どちらかというとたたき上げっぽい、やせで鋭いタイプの中年の方が……」

「お前の好みかよ! あ、そうだ。三好の鑑定で、実は職業も丸裸ですよ、みたいな顔をして牽制しておけば、そう言う連中は応募してこなくならないかな?」

「ええー? 二人目が現れたらピエロですよ、それ」
「いや、ほら、何もかも分かってますよ、みたいな笑顔を時々向けるだけ。仮にスパイなら結構なプレッシャーだし、そうでないなら、単なる愛想のいい人だろ?」

「……さすが先輩。陰険なことを考えさせると、右に出るものはちょっとしかいませんね」
「おい!」

丘のまわりでは、アルスルズが、元気にゴブリンを狩っているようで、時折魔物の声が聞こえていた。


、、、、、、、、、

二層からの帰り道、丘を下りながら、畑の囲いを見上げて三好が言った。

「だけど先輩って、どうしてこれが成功すると考えてるんです?」
「あのな。元のアイデアはお前が持ち込んだんだろうが」
「それはそうですけど、普通に考えたら、外から持ち込んだ何かが、ダンジョンの一部と見なされてリポップするなんてありえませんよ。もしそれが可能だとしたら、ダンジョンは万能3Dコピー機ですよ?」


確かにそれが何にでも適用されるなら、世の中の辞書からは希少性という言葉が失われることになるだろう。


「まあ、普通はありえんな」
「それにしては、確信してるっぽいんですけど」

実際、ほとんどはうまくいかないはずだ。だが食料だけは特別なのだ。

「そうだな……いいか、三好。ダンジョンはDファクターをばらまくツールなんだろ?」
「はい」
「ならさ、Dファクターをばらまく方向になら力を貸して貰えそうな気がしないか?」
「は?」

ダンジョンで育った、(たぶん)Dファクターがたっぷり詰まった食品を生産する。でもって、それを世界中にばらまいて人類に直接摂取させようというのだ、これでダンジョンが協力しないわけがない(はずだ)。

三好は複雑そうな顔をした。

「先輩と話してると、なんだかダンジョンが意思を持った存在に思えてきそうです」
「え? いや、持ってるんじゃないの?」
「ええ?」
「あ、いや。ダンジョンそのものというより、ダンジョンを作った何かの意思ってことだよ」

本当は、ダンジョン自身に意思があってもおかしくないような気がしているのだが、根拠もなくそれを主張すると痛い人になっちゃうからな。


「そういう人がいるなら、私たちからすれば、神様とどっこいどっこいの存在ですからね。何があっても今更驚きはしませんけど」


確かに。ダンジョン登場以前に比べれば、世界は今でも充分にクレイジーだ。
以前の常識で計るなら、頭が変だと思われるような現実が、そこここに溢れていた。


080 教官を探せ! 1月
3日 (木曜日)


「というわけなんですけど、どなたかいらっしゃいませんかね?」
「芳村さん。私のところは人材派遣センターではないのですが……」

電話の向こうで、某田中氏が困惑したように言った。
またぞろ、捕まえた誰かの引き渡しかと思って電話に出たのに、人を紹介してくれと言われたら困惑もするだろう。


「いえ、普通に募集すると、いろんな国の息のかかった方がいらっしゃるんじゃないかなぁと……」

「それはそうかもしれませんが……今すぐ即答はしかねます。後ほどご連絡させてください」
「わかりました。それではよろしくお願いします」

俺が電話を切ると、三好が呆れたように言った。

「先輩、図々しさに磨きがかかってきましたね。マチュピチュの恨みですか?」
「そりゃお前だけだろ」

俺は別に秘境に用はないぞ。ウユニ湖はちょっと行ってみたいけど。

「それで、先輩。次のオークションですけど、一体何を出品します?」

ああ、それもあったか。オーブ自体は結構溜まってる。

「今あるオーブは、こんなところだな」

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
収納庫×1

style='mso-spacerun:yes'>
超回復×4

style='mso-spacerun:yes'>
水魔法×6

style='mso-spacerun:yes'>
物理耐性×8

style='mso-spacerun:yes'>
促成×1

style='mso-spacerun:yes'>
危険察知×1

style='mso-spacerun:yes'>
不死×1

style='mso-spacerun:yes'>
生命探知×2

style='mso-spacerun:yes'>
魔法耐性(1)×1

style='mso-spacerun:yes'>
マイニング×5

style='mso-spacerun:yes'>
地魔法×1

style='mso-spacerun:yes'>
暗視×1

style='mso-spacerun:yes'>
器用×1
、、、、、、

「結構溜まってますね」
「ゲノーモスの時以来使ってなかったからな。なにか使いたいのとかあるか?」
「今のところ特には。それぞれ鑑定して、結果をまとめておこうとは思いますけど」
「ああ、そうだな。それもあるか」

「今後の我が社の活動を考えると、超回復はキープしておきたいですよね」
「不慮の事故があるからな。一応ポーションも(1)なら結構溜まってるぞ」
「スケルトンのおかげですね。魔結晶は、ちょっと減ってきましたが」
「アルスルズの強化に使ってるもんなぁ……って、まだスケルトンで効果があるのか?」
「直接計る方法がないのでわかりませんけど。今度聞いておきます」

「だな。で、オークションは?」
「とりあえず、マイニングを二個くらい放出しましょう」

現在数多くのパーティが、よってたかって十八層に挑んでいるはずだから、今のうちってことだろう。


「そうだな。後は……魔法や耐性や回復系は、支援物資として、ある程度の数をキープしておきたいしなぁ……」

「暇があったら、何かを狙って遠征しますか?」
「だな」

こうして自分自身に置き換えてみれば、軍産のオーブやアイテムが世の中に出まわらないわけがよくわかる。


「促成なんか、面白くないですか?」

三好がタブレットを指さしていった。
ゴブリンの十二億分の一オーブだ。三好の鑑定のおかげでその効果も判明した。なんとステータスポイント二倍だ。


「取得ステータスポイント二倍か? ただなぁ……」

ステータスポイント二倍はなかなかのチートといえる。だがそのペナルティというか反作用というか、そこに大きな問題があるのだ。


「ステータス上限が六十に制限されるってのはキツくないか?」
「先輩、今60もある人なんか、ほぼいませんよ」


うん。それは確かに。平均60ったら、ステータスポイント
360。使用50%なら720ってことだもんな。

それで何層まで行けるのかは謎だが。

「だから、結構使えると思いますよ、これ」

どのくらいの階層で苦しくなるのか、正確なところはわからない。しかし、当面は全然問題ないってことだ。その辺は注釈で記載しておけばいいか。


「あと一個は?」

そう言ったとき、呼び鈴が鳴った。
ぱたぱたとパソコンの元へ走った三好が、その画面をちらりと見て言った。

「先輩。サイモンさんです」
「は? 今頃十八層で無双してるんじゃないの?」
「何かあったんですかね?」

三好が応答して、門のロックをはずすと、すぐに玄関のドアをノックする音が聞こえた。

『こんにちは、サイモンさん。今日はどうしたんです?』
『よう、ヨシムラ。アズサのところのブートキャンプって、俺らでも受けられるのか?』

いきなりそう切り出された俺は、軍人が民間の訓練を受けるなよと突っ込んだ。心の中で。

『……軍の訓練があるでしょ?』
『いや、興味があるだろ。なにか独自のノウハウもありそうだしな』
『ええ?』

そのままリビングへと案内すると、三好がコーヒーを用意していた。

『良い豆だな。アズサの趣味か?』
『です。芳村はジャパニーズティー派なんです。それで、ブートキャンプの申し込みだそうですが?』

『まあな。俺達もエバンスでの29層から先は結構やばかったんだ。なにか底上げできる方法があるんなら、藁にもすがりたいってところなのさ』


確かに彼らなら、たっぷりとステータスポイントが溜まっているだろう。
だから、強化すること自体は簡単なのだが……面倒も多そうなんだよな。

『あの……うちのキャンプを受講すると、代々木攻略に力を貸す義務が生じるって縛りがあるんですけど』


俺は控えめに、だから無理ですよね? とお断りの電波を発してみた。

『いいぜ。今は特に急ぎの命令もないしな』

しかし、サイモンの受信機はどうやら壊れていたようだ。

『そんな簡単に言っちゃっていいんですか? アメリカのダンジョン資源を掘り起こすとか、あるんじゃないですか?』

『そっちはダンジョン省の管轄だな。ダンジョン攻略局はもともとザ・リングの救出用に組織された経緯があるから、攻略主体なんだよ』


ザ・リング。
それは米国の大型加速器実験場に発生した、おそらく世界一有名なダンジョンだ。
実験中にそれが発生したことで、稼働中の加速器が破壊され、あわや原発を巻き込んだ大惨事になりかかったらしい。

そのせいかどうかはわからないが、発生したダンジョンは加速器に沿ってリング状の構造をしていた。それで、後に ザ・リングと呼ばれるようになったそうだ。


代々木ダンジョンも、発生時に千代田線を切断して惨事になりかかったが、世界で最も大きな事故が発生したのは、ザ・リングだろう。


進退窮まった俺は、目で三好にパスを送った。なんとかしてくれ、三好!
彼女は力強く、任せておけと目で応えてきた。頼んだぞ!

『じゃあ、サイモンさん。代わりと言っては何ですけど、鬼教官を紹介してくれません?』
「は?」

俺はサイモンが返事をするよりも早く、思わず日本語で反応した。三好〜! おま、何を言い出すんだよ!!

それに気がついたサイモンが苦笑しながら言った。

『鬼教官だと? ヨシムラかアズサが教えてくれるんじゃないのか?』
『私たちが、シングル相手に模擬戦なんかしたら、一瞬であの世行きです』

冗談じゃないとばかりに、三好が肩をすくめた。

『現役でも退役でも構わないのですが、日本語が話せるグッドな人材はいませんかね?』
『ロナルド・リー・アーメイみたいなか?』
『眉が良いですよね! 惜しい人を亡くしました……』

ハートマン軍曹以来、ひたすら軍曹役をやった彼は、今年の四月の中頃亡くなった。それを最初に知らされるのが
twitter だというところが、今という時代を象徴している。

『ヤクドコロほど突き抜けて貰っても困るんですけど、厳しい感じの人が良いんです』

サイモンは、腕を組んで少し考えていたが、何かを思いついたかのように腕をほどくと、薄気味悪くなるくらい良い笑顔でこう言った。


『丁度いいヤツがいる。出身も海兵隊のサージェントだぞ』
『え、現役のですか?』
『今の所属はしらん。最初はそこからダンジョン攻略局に出向させられたはずだ』
『ならダンジョン攻略局内でチームを持ってるんじゃ? 引き抜いたりしたら恨まれませんか?』

『そこは大丈夫だ。なにしろ世界で一番怪しいパーティに堂々とスパイを送り込めるんだぜ? 上のほうだって泣いて喜ぶに決まってる』

『あのね……』
『冗談はともかく、そいつはうちのバックアップだから、特定のチームに所属してないんだ。適任さ!』


チームサイモンのバックアップったら、トップエクスプローラーの一角じゃん!
あと、スパイは絶対冗談じゃないよな……

『ダンジョン攻略局ってよそから給料を貰ってもいいんですか?』
『ああ、報酬か。そりゃ出るよな。ううーん、どうかな……まあ、教官やってる間、非常勤扱いにしときゃだいじょうぶだろ』


そんな、いい加減な……それ、その人のキャリア的に大丈夫なのかよ。合衆国の偉い人から怒られるのはイヤだよ、ほんとに。


『わかりました。その話がまとまったら、ブートキャンプの最初のメンバーにサイモンさんを入れておきます』

『いや、うちのメンバー全員でお願いしたいんだが』
『ええ? 主要メンバーは四人でしたっけ? それに教官までダンジョン攻略局関係じゃ、もう自分のところで訓練するのと変わらないんじゃ……』

『だが、プログラムは、そっちで作るんだろう?』

うーんと、悩む俺に三好がけしかけてきた。

「先輩、先輩。教官が決まってないから、まだ誰も募集していませんし。最初の受講者が世界のトップチームなんて、宣伝効果はバッチリですよ!」

「おまえな……」

サイモンは、もう話がまとまったかのように、涼しい顔で、冷めかけたコーヒーを飲み干している。


『わかりました。その話、お引き受けします』
『よし、すぐにそいつに連絡を入れさせる。直接来させればいいのか?』
『連絡をいただければ、日本ダンジョン協会の会議室で面接しますから、まずは連絡をするようにお伝え下さい』


三好がそう言って、自分のネームカードを渡した。
就労ビザとかどうするんだろうと、心配もしたが、向こうで良いようにやってくれると信じよう。

信じているぞ、サイモン! ……とても不安だ。

『いや、今日は実りのある話し合いが出来て良かった!』

そういって立ち上がったサイモンが、ふと思い出したように言った。

『そういや、イオリ達が四層分攻略して、二十五層に到達したそうだぜ? どうも、おたくらから仕入れた水魔法が活躍したみたいなことをニュースで言ってたが……もう少ししたら彼女たちも苦戦し始めるだろうから、そしたら顧客になるかもな』


へー、あの水魔法、チームIの人が使ってたのか。

『じゃあ、俺は十八層に戻るから。またな!』

そうして、いきなりやってきたサイモンは、風のように去っていった。

「十八層をすぐ近所みたいな感覚で出入りしてんのかよ……」
「トップの人達って、やっぱり凄いんですねー」

「だけど、三好。チームIが水魔法の宣伝をしてくれたようだぞ?」
「あと一個のオーブは決まりですね」

まあ、六個もあるから、一個くらいいいだろ。

応接のテーブルを片付けながら、三好が言った。

「だけど、どんな人が来るんでしょうね」
「あんまりピーキーなオッサンはイヤだな」
「サイモンさんが楽しそうにしてたから、人柄は良いんじゃないですか?」

いや、三好。あの笑顔は、面白いことになりそうだってサインだ。ただし、それはサイモンにとって、なところがミソだ。


「あいつらのバックアップなんだから、能力はあるんだろうが……ま、連絡を待つしかないだろ」

「ですね。というか、その前に、もっともらしいプログラムをでっち上げないと……」
「三好、その方面の知識って?」
「先輩と、どっこいどっこいだと思いますよ」

つまり、俺達はふたりとも、ドシロウトってことだ。

「いっそのこと一日中二層の外周をぐるぐる走らせるか」
「一周、31.4キロですよ? いくらなんでもぐるぐるは無理なんじゃ
……サイモンさん達なら平気かも知れませんが」
「じゃあ、とりあえず一周を全力だ」
「ふむふむ」
「それでな……例えば器用を伸ばしたいというヤツには、縫い針を千本くらい用意して、それに糸を通させるとかどうだ?」

「どうだって……それ、バカにされていると思われませんかね?」
「十本くらいならそう思われるかも知れないが、千本クラスなら大丈夫だと思うんだよ。あまりに作業が単純過ぎて、そのうち思考ができなくなるはずだ。ザ・修行って感じ、しないか?」

「発想がブラックですよ、それ……っていうか、それ以前に実は何の効果もないとかバレたら殺されそうです」

「プログラムを真似されたら、ものすごく笑える状況が生まれるな!」
「先輩……」

「俊敏なら死ぬほど反復横跳びさせて、ザ・ニンジャの修行を応用した、とかどうだ?」
「じゃあ、それの合間に、ヨガのポーズを取り入れましょう!」
「ダンジョン内で、そのパワーを体に吸収させる! とか言ってな。いや待て、ジャパンならゼンだろう、ゼン」

「先輩、先輩。青汁みたいなのを合間に補給させるというのはどうでしょう!」
「ナイスだ、三好。効果がありそうっぽい」

そうして俺達は、『恐怖の』ブートキャンプメニューを作り上げていった。
某田中氏へしたお願いは、すっかり忘却の彼方だった。


081 館再び(前編) 1月
4日 (金曜日)


教官候補の人が来日するまで数日かかりそうだと連絡があったので、俺達はダンジョンアタックを再開することにした。


「とは言え、なんというか目標がないんだよなぁ」
「異界言語理解も、マイニングも、必要に迫られてって感じでしたからね」

今までの探索の後始末ってことなら、「交換連金の謎を解く」とか、「極炎魔法をゲットする」とか……そうだ、「十四層のシャーマンからオーブを奪う」なんてのも考えられるな。

あとは、十八層に人が集中している間に、最深部を目指すというのもひとつの手か。

「こうして考えてみると、俺ら、なんか最近働き過ぎな気がしないか?」
「割と好き勝手してましたから、あんまり働いているって気はしないですけどねー」
「それで『やりがい』だとか『なかま』だとか言い出したら、ブラック臭が漂い始めるからな」
「国に渡航禁止を要請されている段階で、充分ブラックな香りが漂ってますけど」
「ブラックの方向が違うだろ」
「うちの方が危なそうですよ」

何度か死にそうな目にもあいましたし、と言って、三好が苦笑した。

「確かに」

実際俺も、あまり働いているって気はしなかったが、怒濤の三ヶ月だったってことだけは確かだ。


「あ、先輩!」
「なんだ?」
「一層へ行きましょう!」
「一層〜? 大体暇なときは毎日通ってるけど」

あ、俺って、もしかして働いてた? と一瞬思ったが、よく考えてみれば、暇なときだけって……そりゃ暇つぶしだ。


「違いますよ。373匹にチャレンジしませんか?」

「館か!」
「ですです。すぐに試せそうなのは一層しかないですもん」

そうだな。時間的にもすぐにいけて、すぐに帰れる。

「よし、そうするか」
「はい」
「念のために、二十三時台の後ろの方で館が出るように調整する必要があるよな」

何時間もアレに追い回される可能性を確かめる気になるのは、マゾい人だけだ。

「どうせスライムしかいないんですから、先に三七二匹倒しておいて、時間があったら、ダラダラしてればいいんじゃないですか?」

「そうだな。じゃ今から行くか?」

今丁度、お昼過ぎだ。平均一分一匹倒すと、六時間ちょいで到達できる計算だ。

「ちょっと早いような気もしますけど、じゃあ、お昼を食べて、準備したら出かけましょう」
「鳴瀬さんには?」
「さまよえる館に行ってくるって、連絡しておきます」

ああ、また彼女の心労が増えそうだな。
俺は、日本ダンジョン協会の方に向かって、両手を合わせておいた。

、、、、、、、、、

「そういや、三好。ダンジョンは久しぶりじゃないか?」

俺達はパーティを組んで一層へ下りると、いつものように、人のいない方向へと歩き出した。
人影はないが、アルスルズは影に潜ったままだ。なにしろ一層の通路は狭いところが多くて、あんなのが四匹も出てきたらまともに歩くのが難しいのだ。


「去年のエンカイ以来ですね。そういや先輩、あの椅子どうします?」
「ああ、あれなぁ……」

ンガイの椅子は、未だに保管庫の肥やしになっている。

「いっそのこと、悪趣味なインテリアとして、事務所のレストルームにでもおいておくか?」

ヒブンリークスが一段落したので、めでたく鳴瀬仮眠室はその役割を終え、元のレストルームへと姿を変えていた。


「それに座った鳴瀬さんが無事だといいですけどね」
「効能だけ見れば、マッサージチェアみたいなもんなんだけどなぁ……」

あの怪しげなフレーバーテキストのせいで、どうにも座るのが躊躇されるのだ。

「こうなったら、後でスライム様に座って頂いて、様子を見てみるか」
「動物実験ですか……いいですけど、スライムが、ンガイスライムになったりしないことを祈りましょう」

「だからお前はそう言うフラグを立てるのをヤメろっての」

スライムになんとかビームを打ち込むのにしゃがんだ三好のつむじに向かって、ビシビシとチョップを入れた。


「あ、攻撃中はやめて下さいよ! 遊んでないで先輩も下二桁を揃えておいてください!」
「分かったよ。で、今日の狙いは?」

「アイボールなら、鑑定でいいんじゃないですか? 先輩が使えば、ブートキャンプの対象を取捨するのにパーティを組んだり、デバイスで計測したりしなくてもよくなりますし」

「恐怖とか、監視ってのにも興味はあるけどな」
「そんな、使うのも売るのも難しそうなオーブのことは忘れてください」
「ガーゴイルのオーブや、バロウワイトのオーブに興味は?」
「ありますけど、バロウワイトはスケルトンの上位みたいなものですから、あんまり変わらなさそうですし、ガーゴイルは……なんでしょうね?」

「ガーゴイル、ガーゴイルねぇ……不老とか不眠不休とかか?」
「やっぱりいりませんね」

確かにブラック過ぎる。そして不老はどうせ石になったりするに違いない。

「んじゃ、基本アイボールの鑑定で」
「お願いします」

そして、三好は、アルスルズにスライムを集めさせつつ、黙々とそれを叩き続けた。
ヘルハウンドがスライムをかみ殺すより、エイリアンのよだれ攻撃の方がずっと早く倒せるようだった。


俺は俺で、ただそれを見ているだけというのもなんなので、三好とは別の場所で、下二桁を調整しつつスライム退治に精を出した。

流石に一層に危険はないだろう。アルスルズもついてるしな。

、、、、、、、、、

11時過ぎ、俺達は、休憩を兼ねて、取り出した折りたたみの椅子とテーブルで、前回の探索時に余っていた弁当を食べていた。

すでに準備は完全に整っている。
アルスルズは、今日の仕事のご褒美に、魔結晶をひとつずつ貰っていた。ちゃっかりしてるな。

「結構時間が余りましたね」
「あと一体なのか?」
「いえ、五体です」

アルスルズが間違って倒してしまうと、それがカウントされてしまう可能性が高く、余裕を持たせているそうだ。

まてよ。もしそれがカウントされるんなら、メイキングのモンスター討伐カウントにもカウントされないかな?

そしたら、召喚を取って、僕達を召喚すれば、後は座っているだけでオーブがウハウハ……

いや、だめだ。生き物の面倒を見るのは面倒だし、もしそいつらに勝手にオーブが使われたりしたら、ただ面倒を見るだけになってしまう。却下だな。


「お、来ましたね。ドゥルトウィン」

お弁当を食べ終えて、一休みしている俺達の前に、一匹の黒犬が現れた。
三好がポンポンと首を叩いて、魔結晶を与えながら、先日糸で作ったポシェットから、マイクロSDカードを取り出した。


「それは?」
「鳴瀬さんに、時間を指定して、実験をお願いしておいたんですよ」
「いや、おまえ。こんな時間を指定したら、完全に業務時間を逸脱してるだろうが」
「まあまあ。新しい実験だって言ったら、喜んで協力してくれましたよ? それに、立っている者は親でも使えって言うじゃないですか」


そう言って三好はカードをタブレットに挿入して、再生を開始した。

「緊急時でもなんでもないけどな」

俺は苦笑しながらそう言った。

『あー、あー。これでいいのかな? あ、鳴瀬です。見えますか? って、録画だから返事があるわけ無いか』


てへっとばかりに自分で頭を小突いている。

「あざといな」
「あざといですね」

『一応言われた通りにメッセージを送ります。無事ですか? まあ、無事でしょうけど。あの気持ち悪い館が出たら無理はしないで下さいね』

『えーっと、何か芸、芸……』

「何を悩んでるんだ?」
「実は何か芸をして送って下さいとお願いしておいたんです」
「はぁ? なんでまた、そんなことを……」

『じゃ、無事のおまじないっ!』

そう言って目を瞑った鳴瀬さんがキスの真似をした。
その瞬間ドゥルトウィンがひょこりと顔を出すと、ぺろりと鳴瀬さんの顔を舐めた。驚いた鳴瀬さんは、「ひゃんっ!」と変な声を上げて、はしたない恰好で転倒した。


「……先輩、これってお宝映像ですかね?」
「勝手にアップしたら殺されるぞ、たぶん」

慌てて起き上がった鳴瀬さんは、ドゥルトウィンをポカポカと叩きながら録画を停止した。
その後はカードを詰めて送り出したのだろう。

「じゃ、このお宝映像入りカードは取っておくとして、こちらからも送り返しましょう」

そう言って三好は新しいカードの入ったビデオカメラを収納から取り出した。

「じゃあ、ダンジョンの中でアルスルズにかしずかれながら、優雅にお茶をする三好お嬢様ってコンセプトで行くか」

「なんですか、そのコンセプトは」

呆れたように行った三好は、椅子に座って足を組むと、狭い通路にアルスルズを呼びだして、自分を囲むように三匹をかしずかせながら優雅っぽくカップを傾けている。中身は入ってないのだが。

そうして無事だよと言うメッセージを録画してから、それを再生してみた。

「うーん。かしずいていると言うより、襲われているように見えるな」
「空間が狭すぎて、アルスルズが大きすぎます。ちっとも優雅に見えません」

お嬢様化失敗ですねと三好が笑う。まあそんなところにこだわっても始まらない。もともとメッセージが送受信出来ることを確かめたいだけだからな。

取り出したカードをドゥルトウィンのポシェットに入れると、すぐにグレイシックと入れ替わらせた。これで、無事に鳴瀬さんの元に届けば成功だ。


「よし、じゃあ行くか」
「はい。ですけど、こんな環境でさまよえる館が出現したとして、それってどこに出るんでしょうね?」


言われてみれば、十層と違って一層には空がない。つまり高さがないのだ。しかも基本は通路と部屋の構成だ。館が出現できるような広場めいたものは存在していなかった。


「うーん……ま、考えてもわからないことは、やってみればわかるよ」
「どこの実践物理学の博士ですか」

そうして立ち上がった俺達は、残りの五匹を探し始めた。

、、、、、、、、、

「……こう来たか」

三好が373匹目を倒した瞬間、それは突然現れた。

通路の先に、まるで空間が丸ごと入れ替わったのように、館が出現したのだ。

一層との接続部分は、空間が突然切り取られたかのように、遥かな高みまで切り立った崖、というか壁が続いていた。

つまり一層の空間を四角く切り取って、そこに館のある空間をまるごとはめ込んだような、そんな構造をしていた。


「ある意味納得ですよね」
「そうだな」

昼夜があるフロアでは、ダンジョン内の時間も外の時間に連動するはずだが、一層に出現した館部分は、やや薄暗いだけで夜には見えなかった。


少しだけ軋む鉄の門も、ペルフェゴール素数が誘っている門柱も以前見たままだった。
もっとも古典ヘブライ語が読めるはずもない俺達では、書かれていることが同じかどうかまでは分からなかった。


しかし、館の様子は、随分様変わりしていた。
二階の軒先にあれほどいたアイボールは姿を見せず、屋根の上のグロテスクたちも動いたりはしなかった。

黒い鳥は数羽が枯れた木に止まっていたが、ムニンのように巨大なものはいないようだ。

その代わり――

「せ、せんぱぁい。私、幽霊はちょっと……」

三好が、俺の後ろに隠れるようにして、びびりながらそう言った。
彼女の視線の先には、青白い人型のなにかがふらふらとしていた。

よく見ると、前庭の所々に、同じような人型がふらふらと歩いている。

「なんだ、あれ?」
「まんまですよ。ゴーストだそうです……」

三好の鑑定をモンスターに使用すると、名前と相手の状態が表示されるらしい。要はアルスルズに使ったときとほぼ同じ感じだ。


「耳元でずっと、アイムエンリー、とか歌うやつ?」
「サムなら私だって大丈夫ですよ?」
「見えないからな」
「それはそうですね」

相変わらず俺達の緊張感が薄かったのは、彼ら?は特にこちらに注意を向けるわけでもなく、めいめいが勝手に動いていたからだ。


「生前の記憶のままに行動してるってやつですかね?」
「さあな。だがもし襲われたら、あいつらに鉄球は無力なんじゃないか?」
「効果があるのは聖水とかですかね? そんなものありませんけど」
「純水じゃだめか?」

クリアって意味じゃ、似たり寄ったりだが。

「聖なる何かが溶けてるんだと思いますよ」
「何が?」
「信仰心、ですかね?」

現代日本で生活しているパンピーな俺達に、それを期待するのは間違っている。
宗教との関わりと言えば、冠婚葬祭とクリスマスやハロウィンのように商業化されたイベントくらいなものなのだ。

そもそも、信仰心の化学組成すらわからない。各宗教施設のほこり《・・・》か?

「なに不敬なことを考えてるんですか、信じる心ってやつですよ、先輩」
「何故分かった!?」
「顔に書いてある……と言いたいところですが、ね・ん・わ、ですよ、先輩」

し、しまった。じゃあもう一つ考えていた候補のことは……

「ばればれです」
「げぇ……」

俺はもう一つ、候補を思いついていたのだが、あまりに下世話だったので、流石に口にはしていなかった。

某メーカーがダンジョンが出来た年に出したエナジードリンクのような真似は出来ない。念話でバレちゃ、意味ないのだが……


「ちょっと気を抜いただけでこれだ。念話が広まったりしたら、円滑な人間関係が崩壊するんじゃないか?」

「未成熟な精神が集まる学校組織は危ないかもしれませんね」
「その理屈じゃ、学校どころか、会社も危なくないか?」

俺の精神が成熟しているとはとても思えない。

「大丈夫ですよ。有効距離が二十メートルで、同時接続が8人じゃ、三百万人をつないで革命するようなことはできません」

「そういや、カスケードに接続した孫パーティとの念話ってどうなってるんだ?」

目の前を横切って、門の脇にある枯れた花壇へと向かう青白い影に注意しながら、俺は疑問を口にした。

その影の顔にはディテールがなかったが、なんとなく庭師めいて見えた。

「ううっ……や、やったことありません」

三好がそれにびびりながら答えた。
青白い影は、まるで俺達がただの置物か、そうでなければそこに存在していないように振る舞っていた。


「もしそれができたら三百万人も不可能じゃないぞ?」
「直径二十メートル以内に全員が集まれるわけないじゃないですか」

ゴーストが遠ざかることで、気を取り直した三好が、呆れたように言った。

「それに、この念話って、プライベートチャットが出来ない時点で、言ってみれば単なる放送ですからね。効果は街頭演説や政見放送と変わりませんって」

「だといいな」

時刻は二十三時二十一分だ。
碑文が前回と同じ位置に配置されているとすれば、十分もあれば充分だ。その後三十分も何かに追いかけられるのは勘弁だ。


「先輩。少しあたりを探検してみませんか?」
「そりゃ良いが、俺の下二桁は99で調整してあるし、もしも敵があいつらだったら、三好の鉄球も効果があるかどうか怪しいぞ?」

「私の水魔法と、アルスルズの闇魔法で間に合いそうになかったら、大人しく撤退するってことで」


スライム373匹は、さほど難しくなかった。そういうのもありかもしれないな。この館が一度しか現れないなんてことがないように祈ろう。


「じゃ、うかつなことは避けて、なるべく刺激しないように行くか」
「了解です」

俺達は、正門へ向かわず、屋敷の裏手に向かって歩いていった。
それを気にする様子の青白い影は、ただのひとりもいなかった。


082 館再び(後編)


館の敷地は、標準的な学校の敷地と同程度には広かった。

側面にまわった俺達は、窓から館の中を覗こうとしたが、窓の位置が高めの上、埃でガラスが白く汚れていて、いまひとつはっきりしなかった。

屋敷の中にも青白い影達は、そこここにいて、まるで使用人のように歩き回っていた。

「ひっ!」

三好が息を飲む音が聞こえたので、慌てて振り返ってみたら、窓越しに青白い影と顔を突き合わせていた。

影はまるで窓を拭いているような動作を繰り返していたが、もちろん窓の埃は落ちたりしなかった。


「さ、賽の河原で石を積んでるみたいですね」

その影は、おそらくずっとそこで、窓をきれいにしようとしているのだろう。
しかし、過ぎ去っていく年月は、窓に埃を積もらせこそすれ、それをぬぐい去ったりはしなかった。

特に外側は酷い。

俺は、妙な義憤に駆られ、収納から一枚のタオルを取り出すと、影の手の動きに合わせて窓の外側をきれいにしてやった。

窓は内側に多少埃が残っているとはいえ、見違えるようにきれいになった。

その瞬間、影の動きがぴたりと止まり俺と目があった、ような気がした。
しばらく動かずにじっとしていると、影は振り返って部屋を出て行った。

「先輩。うかつなことはせず、なるべく刺激しないんじゃありませんでしたっけ?」

息を潜めるように、その様子を見ていた三好が、囁くようにそう言った。

「すまん」
「まあ、気持ちは分からないでもないですよ。ブラックの左遷部署みたいでしたもんね」

三好にそう言われて、義憤の正体が分かったような気がした。

屋敷の裏手には、以前はおそらく、きれいに刈り込まれていた芝生だったと思われるものが広がっていた。

ところどろこには、奇妙にねじ曲がった木々が生えている。

「まるで、核戦争のしばらく後って感じですね」
「そうだが、むしろここで、ロイヤル・ビクトリア・パークみたいな庭が広がってたら、その方が怖いぞ」

「誰が管理してんのかって話ですよね」

裏庭を館沿いに歩いて、反対側の側面に回り込む頃には45分を過ぎようとしていた。
そうして俺達は、階段を数段上がった先にある、小さなドアを見つけた。

「普通のマナーハウスなら、きっと勝手口ですよ。反対側が、ドローイングルームやパーラーっぽかったですし」


ドローイングルームは応接室で、パーラーは客間だ。ってことはあの扉の先はキッチンか。
扉は、前回の正面玄関のように、近づいただけで自動的に開いたりはしなかった。

扉の向こうに何かがいる気配はない。とはいえ、生命探知にとって、ゴーストは苦手なのか、あんまり仕事をしていなかった。


「とりあえず、開くかどうか試してみましょう」

俺達は、扉の左右に分かれて、俺がドアハンドルを握った。

「先輩、なんだか私たち特殊部隊っぽいですよ」
「そういや、相手もハウス・オブ・ホラーみたいなものか」

米国陸軍の特殊部隊、デルタフォースの訓練施設の館は、House of Horror と呼ばれているのだ。


「訓練なら、大抵死なないで済むんですけどねぇ……」

俺はそれなりに力を入れて引っ張ったが、扉はがたりと音を立てただけで、まったく開く気配がなかった。

それを見た三好が残念そうに言った。

「……先輩。西洋のドアは大抵内開きですよ」
「おう……」

日本の玄関ドアは大抵外開きだから、つい引っ張っちゃったぜ……
もう一度仕切り直して、軽く押してやると、キィと小さな音を立てて、ドアは内側に開いた。

そっとのぞき込んだその部屋は、やや暗目の小さな部屋だった。正面と左にはドアがあり、右にはドアのない入り口が、闇を湛えるように口を開けていたが、他には何もなかった。


「たぶん右がバッテリーとかパントリーとかですよ」

バッテリーは、食料品貯蔵室だ。
パントリーも同じようなものだが、食器室の意味もある。

「昔は、ワインなんかの酒類も保存されていたらしいですよ」
「……三好。時間がないんだから、寄り道はNGだぞ」
「そ、そんくらい分かってますよー」

失礼だなー、もー、先輩はー、なんてプリプリしているが、その額の汗が、全てを物語ってるぞ。


「左は普通キッチンですね。どうします?」
「いろいろと興味はあるが時間がない。とりあえず直進して玄関ホールを目指そうぜ」
「了解」

俺達は、そっと足音を殺して、正面の扉へと歩み寄った。

「しかし、どこからどう見ても不法侵入の泥棒だよな、これ」

前回は正面玄関を入ったとたんに、三好がそこにある像を破壊してたし、俺達、ろくな事をしてないな。


「他人の家に入って、タンスだの樽だの調べてまわるのは、JRPGの伝統ってやつじゃないんですか?」

「小さなメダルが見つかるかな?」

そう言って、正面のドアに手をかけようとしたとき、足下に何かが落ちていることに気がついた。


「なんだこれ? 数珠か?」

それは奇妙な形をした数珠のようなアイテムだった。

「ロザリオっぽいですね」
「ロザリオ? 十字架が付いてないぞ?」
「ほら、輪から飛び出た部分に、五個の珠が連なっていますよね。両端が大きくて間の三つが小さい」

「ああ」
「それに輪っかの部分は、大きな珠に続いて小さな珠が……たぶん十個連なって一セットになっていて、それが5回繰り返されています」

「そうだな」

間の個数は、ちゃんと数えないとわからないが。

「それがロザリオの構造らしいですよ」
「じゃあ十字架は?」
「クルシフィクスは本来、その飛び出た部分の先にあるはずですが……」

そこには何もなかった。
最後の珠が終端を意味するかのように付いているだけで、特に引きちぎったような後もなかった。


「それにそのメダイ、なんだか地球に見えませんか?」

メダイというのは、飛び出た部分が輪にくっついているところにある少し大きな珠や飾りのことらしい。他の珠が全て黒い物質で出来ているのに対して、その珠はやや青みを帯びていた。


「考え過ぎじゃないか?」
「かもしれません」

ともあれ、形状はロザリオに一致している。

「きっと、あの青白い影の連中の中に、地球の宗教に詳しいやつがいるんだろ」

俺はなんとなくそれをポケットに入れて立ち上がった。
そして、後ろの入り口同様、注意深く正面の扉を開いた。

扉の先には、建物を貫いていると思われる廊下が、真っ直ぐに裏の窓沿いに続いていた。
ときおり、ゴーストが部屋へ出入りしたり、廊下を行き来しているが、やはり俺達の姿はまるで見えないかのように無視されていた。


「アタックタイムがやってきたら、あれらがみんな襲ってくるんでしょうかね?」
「うまく逃げられることを祈ろうぜ」

タイムリミットまであと十分を切る頃、俺達は、玄関ホールへの入り口に辿り着いていた。
ホールはまるで図書室のごとく壁が本棚で埋まっている。
こないだ壊したはずの四隅の像は復元されていて、正面玄関の扉は閉じていた。

「さて、バロウワイト殿は元気かな」

俺がそう言うと、三好は勝手に本棚に近づいて何かしようとしていた。

「おい、なにやってるんだ?」
「本棚を丸ごと収納しようと思ったんですけど、できませんでした。館と一体化してるんですかね?」


三好はそう言いながら、本棚から本を取り出したが、どうやらそれも収納できないようだった。
本も館だとみなされているのかな?
意識があるからってのは、怖い考えになりそうだからやめておこう。

三好は悔しそうに、中身を撮影するために開こうとした。

「せ、先輩。なんですか、この本、開くことも出来ませんよ?」
「そら、魔導書あるあるだな。無理に開こうとしたら、手を燃やしたりするものもあるらしいから気をつけろよ」

「ええー」

三好は仕方なくそれを本棚に戻すと、今度は背表紙だけでもと撮影を行っていた。
しかし、バロウワイトが出ないな。正面玄関を開けてないからか? ならどうやって、碑文を出現させるんだ?


「三好ー。ちょっと部屋の四隅の像を監視しておいてくれ。動き出しそうならすぐに攻撃して良いから」

「了解です」

三好にそうお願いした後、仕方なく俺は、部屋の中央へ向かって歩き出した。
ほぼ中央に到達したとき、足下に魔法陣が広がった。慌てて俺は部屋の隅へと飛び退る。

「来るぞ!」

と緊張したのも束の間、床下から迫り上がってきたのは、前回と同様、The Book of Wanderers のページらしきものを乗せた台座だった。

「ガーディアンみたいなのはどうしたんだ?」
「やっぱり、裏から来て、正面玄関を開けてないからですかね?」

理由はわからないが、無駄な戦闘が省けたのなら幸いだ。

「で、今度は何が書かれてるんでしょうね?」
「何か重要な情報であることは間違いないと思うけど――?!」

近づいて、それを覗き込んだ俺は絶句した。
なぜなら、俺達には読めないはずの文字で記されたそのページの最後に、読むことが出来る部分があったからだ。それは、紛う方なきアルファベットだった。


「先輩……」
「ああ」

そこには、筆記体で書かれたサインのようなものが書かれていた。そうして、少し崩れた文字は、
Theodore N. Tylor と読めた。

「先輩。タイラーって……」
「たぶんな」

セオドア=タイラー。
それは三年前ネバダで起きた、ダンジョン発生によるもっとも悲惨な事故で死んだはずの男と同じ名前だった。


「なんかの冗談ですかね、これって」
「さあな。書かれている内容がわかれば、それもわかるだろ」

俺は周囲を細かく撮影した後、その碑文を収納した。
その瞬間、廊下側から、甲高い叫びのような声が上がった。

「先輩! あれ!」

そこには、今までこちらを無視していた青白い影がひとり、こちらを向いて立っていた。
大きく開けた口からは甲高い叫び声が上がり、そうしてディテールがなかった顔の目が開いたかと思うと――


「げぇ……」

その目がずるりと抜け落ちて、こちらに向かって這い寄ってくる。

「アイボールのヤツあんなところに……」

俺はそれに向かってウォーターランスを放ち、目の前に表示されたオーブリストを素早く選択すると、三好と共に正面玄関へと走った。


「先輩! 開きませんよ、この扉!」

ドアハンドルを握って、全力で引っ張ってそれを確かめた後、ガンガンと鉄球を飛ばしながら三好が言った。

正面玄関から入らなかったからか、ガーディアンが出なかったのはよかったが、ドアが開かないとは予想外だ。

俺も鉄球を思い切りぶつけてみたが、傷一つ付かなかった。どうやらダンジョンの壁などと同じ扱いのようだ。


廊下の方からは、件の叫びがいくつも聞こえ始めていた。
アイボールが抜けたゴーストは、やたらと飛び回っているだけだったが、アイスレムがそれに触れると、ゴーストの体はアイスレムをするりとすり抜けた。


「先輩! あれに触れるとなんだか体力が削られるようです!」

ドレインってやつか?

「とにかく廊下側へ逃げるぞ!」
「了解!」

廊下側へ走り出た俺達が見たものは、ワラワラとやってくるゴーストの群れだった。
俺達を見つけると、あの甲高い叫び声を上げて、アイボールを目から生み出し、てんでバラバラに飛び回り始める。

パーラー側からもキッチン側からもやってくる群れに、俺達は、二階へと上がる階段に逃げるしかなかった。


「先輩、時間的に後数分です。いざとなったら、窓壊して飛び降りましょう!」
「いざとならなくても、そうしようぜ!」

俺は階段を上がりきったところにある、窓に向かって、全力で鉄球を投げつけた。
ガンッっと大きな音を立ててぶつかった鉄球は、そのまま跳ね返ったが、窓には傷一つつかなかった。

三好は、その窓にとりついて開けようとしたが、そちらも頑として開かなかった。

「せ、せんぱい〜っ」
「心配すんな、いざとなったら、全部倒して――」
「時間がないんですよ!」

おお、そうだった……

「あ、こっちからもなにか来ますよ!」

三好が二階のパーラー側から聞こえてくる声に反応した。
下からは、さっきの群れがはい上がってくる。

もはや何処へ逃げて良いのか分からない、いっそのことあの群れに突っ込んで……とそう考えたとき、目の前の埃だらけの床に、矢印が描かれた。


「先輩! あれ! ……でも、罠かも」
「この状況で罠もクソもあるか! ついてくぞ!」
「はいっ!」

次々と描かれる矢印を追いかけるようにして、俺達は走り出した。
不思議なことに矢印の先には、ゴーストの群れがいなかった。何度か上がり下がりした後、最後に描かれた矢印は、廊下のどん詰まりにある部屋を指しているようだった。


「下がって下がって上がって上がって上がって下がって上がって下がって下がったから、一階ですよ、ここ!」


後ろから追いかけてくる気配を感じながら、三好がそう叫んだ。

「下がって下がったから一階?! この建物二階建てじゃなかったか?!」
「うぇ……」

三好が声にならない奇妙な声を上げたが、きっと屋根裏に隠された3階があったに違いない。きっとそうだ、そうしよう!

ともかく俺達は、その部屋に向かって駆けだした。

「あの扉が開かなかったら、どん詰まりですよ?」
「死ぬには良い日か?」
「ヤですよ! 私、心残りがありまくりですからっ!」

後ろを見もせずに、ありったけのウォータランスをばらまいた俺達は、ドアハンドルを握って、それを思い切り押した。

もしかしたら開かないかも知れないと思っていた部屋のドアが、何の抵抗もなく開いたせいで、俺達二人はたたらを踏んだ。


どうにか転けずに頭を上げると、そこには一人の青白い影が立っていた。
突然のことに、一歩後ろへ下がろうとした瞬間、三好が激しくドアを閉めて施錠した。その後すぐに、なにかが激しくそのドアにぶつかる音が聞こえた。

頑丈なドアのようだが、余り長くは持ちそうになかった。

俺が警戒して影を見ると、それは、一枚の窓を指さしていた。

「先輩、あの窓って……」
「ああ」

指さされていた窓からは、一際明るい光が差し込んでいた。それはさっき俺が拭いた窓だった。
三好はその窓へ駆け寄ると、勢いよくそれを上へと引き上げた。思っていたとおり、その窓は――


「開いた!」

俺は彼女――そうたぶん彼女だ――をみて、礼を言った。

「ありがとう。助かった」
「先輩、早く!」

三好は窓枠を乗り越えながら、俺を促した。
俺はそれに頷きながら青白い彼女に近づくと、なんとなくお礼のつもりで、さっき手に入れたロザリオを彼女の首にかけた。

不思議なことに、それは彼女の体を素通りせず、決して床へとは落ちなかった。

その時、館の鐘楼が別れの歌を奏で始めた。部屋の輪郭は徐々に失われ、次第に歪んでいった。

「じゃあ、元気でな!」

聞こえているのかどうかわからないが、俺はそう言って、窓枠を乗り越えた。
その瞬間、後ろからドアにヒビの入る音が聞こえた。

僅かに振り返った俺の目には、青白い影が、歪んでいく窓を守るように立っているのが見えた。

(先輩、一応言っておきますけど)
(なんだ?)

念話のいいところは、全力失踪中でも会話ができるってところだ。

(ロザリオは普通首にかけたりしませんから)
「マジで?!」

どう見てもネックレスじゃん! と思わず足を止めそうになったが、慌ててもう一度走り始めた。


(早く教えろよ、そういうことは!)
(いえ、なんか恰好つけてたから、ニヨニヨしながら黙ってました)
(くっ……)

その後は、正面玄関側を回ってきた目玉や、でたらめに飛び回るゴーストに向かって、魔法や鉄球を撃ちまくりながら、門へ向かってひたすら疾走した。

どうにかこうにか門に辿り着いてそこを出たが、鐘はまだその歌を止めない。そして、俺達に引きずられるように、目玉の群れも門を通過していた。


「やっぱ、あいつら門を出られるんじゃん!」
「これでまた分からないことが減りましたね!」
「嬉しくねぇ!!」

とにかく逃げろと、一層の通路へ走り込んだ俺達の後ろで、何かがぶつかるような大きな音がした。

思わず振り返ると、そこには、透明な壁にぶつかったように見える目玉達がいた。

「もしかして、館のある空間からは出られないんですかね?」
「どうやらそういうことらしいな」

立ち止まって振り返っている俺達の目の前で、どんどんと壁にぶつかる目玉の数が増えていく。それはとても気味の悪い光景だった。

試しにこちらから攻撃してみたが、やはり向こうへは届かないようだった。

「一方的に攻撃できれば、早い時間に攻略して、後は狩りたい放題できそうだったのになぁ……」

「先輩、流石にそれは都合が良すぎませんか?」

透明な壁の向こうで目玉が蠢いているグロテスクな情景は、ふとした不安を誘発した。

「これ、溜まりきったところで、崩れてきたりしないだろうな?」
「先輩、フラグっぽいことを言うのはやめて下さい」

三好がそう言った瞬間、鐘の音が何かで切り落としたかのように中断され、突然夢から目覚めたように、目の前には、ただ一層の通路が延びているだけだった。

時計の針が翌日になったことを告げ、そうして、アイボールを倒したドロップだろうか、水晶のようなものがいくつか現れた。


「経験したのは二度目だが、直接見ても幻だとしか思えないよな」
「先輩、あれ……」

三好が指さした先に、なにかアイボールの水晶とは違う、淡い水色をしたものが落ちていた。
近づいて拾い上げてみると、それは、見たことのある一本のロザリオだった。

しかし、なにもなかった本来クルシフィクスがあるはずの場所には、涙滴型をした十五ミリくらいの透明感のある淡い水色の宝石が輝いていた。


「アクアマリンですかね?」
「さあな」

その時俺には、それが屋敷に囚われていた、彼女の心のように思えた。


083 掲示板 【今度は】Dパワーズ 170【マイニング!?】 1月5日
(土曜日)


一名もなき探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-2237
突然現れたダンジョンパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。

ついでに法人も立ち上げて、ダンジョン攻略の支援までするときたもんだ。
詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレ 930 あたりで。

二名もなき探索者
2げと

三名もなき探索者
マイニング、キターーーーー!!

四名もなき探索者
流石アズサたん、そこにしびれる憧れる!

五名もなき探索者
なんだ?

六名もなき探索者
あれだろ、今日からのオークション。

七名もなき探索者
またやんのかよ!

八名もなき探索者
それがな、今度の目玉は、なんとマイニングだ。しかも2個。

九名もなき探索者
じゃ、連日十八層に潜りまくっている連中に、オーブ提供者がいるってことか。

十名もなき探索者
おお、かなり絞……るのは無理か。
いまや十八層って、国外のエクスプローラーの方が多そうなんて話も聞くし。

1一名もなき探索者
過疎層があっという間に大人気だよ。

1二名もなき探索者
受け渡し前日に、引き上げたエクスプローラーをチェックすればいいんじゃね?

1三名もなき探索者
誰がやるんだよ、そんな面倒なこと。

1四名もなき探索者
こんだけエクスプローラーが集まって来るとなると、あの山頂の謎もとけるのかね?

1五名もなき探索者
立ち入り禁止のやつか?

1六名もなき探索者
マップが立ち入り禁止になってるってことは、最初の調査の時に何かあったんだと思うけど……たぶん毒性の高い何かがあるか、ボス級のなにかがいるんだろ。


1七名もなき探索者
むき出しのウラン鉱床があったとか。

1八名もなき探索者
それだ! 》 17

1九名もなき探索者
ゲノーモスは地下だからなぁ……どのみち山頂には近づかないし、関係ないだろ

20:名もなき探索者
それにしても、まだどこの国も手に入れたことのない、話題のマイニングが2個!
一体、こいつらどうなってんだ?

2一名もなき探索者
いや、バナジウムがハッキリ書かれてるんだから、持ってるやつが最低一人はいるだろ。代々木に。


2二名もなき探索者
でもさ、それって続報が出ないよね。

二十三名もなき探索者
だから?

2四名もなき探索者
いや、お前がマイニングを世界で初めてゲットしたとして、代々木は二十一層まで既知なんだぜ?

何故二十一層へ行って次を確かめない? お前、その誘惑に駆られないか?

2五名もなき探索者
そう言われれば、確かに不思議だ。二十層も二十一層も、モンスターの強さはほとんど同じなのにな。


2六名もなき探索者
二十層は雪山で、二十一層は湖沼地帯だろ? 水アレルギーなんだよ、そいつ。

2七名もなき探索者
水アレルギーw

2八名もなき探索者
生まれて来られないな、それw
何か凄く重要な金属か宝石がドロップして、公開せずに拾いまくってるとか?

2九名もなき探索者
二十層のバナジウムを公開した時点で意味ないだろ、それ。
黙ってたって、なんの抑止力にもならん。

30:名もなき探索者
マイニングはともかく、促成も聞いたことがないんだが……

3一名もなき探索者
鑑定結果が書いてあるぞ。経験値二倍だそうだ。

3二名もなき探索者
二倍! それは夢のチートアイテムでは!

3三名もなき探索者
ただし成長制限付き。

3四名もなき探索者
おう……

3五名もなき探索者
((((;゜Д゜
)))) 彡成長制限彡ヒューヒュー

3六名もなき探索者
だが、解説によると、そのキャップも、現在のトップエクスプローラー達のステータスよりもずっと上みたいだぞ。


3七名もなき探索者
え? じゃあ、今のドミトリーやサイモンくらいまでなら倍の速度で駆け上がれるアイテムってこと?


3八名もなき探索者
書いてあることを信じるならな。

3九名もなき探索者
いや、ワイズマンだぜ? そこは大丈夫だろ。》 38
しかしそれって、罠なのか?

40:名もなき探索者
心配するな、どっちにしろお前には絶対買えん。》》 39

4一名もなき探索者
おまえもなー

4二名もなき探索者
水魔法だって、チームIのおかけで価値が急上昇中じゃないの?

4三名もなき探索者
なんだそれ? 》 42

4四名もなき探索者
チームIが、代々木の攻略回数を四層増やして二十五層に到達したんだよ。
ニュースくらい見ろ。 》 43

4五名もなき探索者
へー。それと水魔法と何の関係が?

4六名もなき探索者
以前、Dパワーズが出品してた水魔法を、おそらくは防衛省が落札したんだろ。
新しく手に入れた水魔法のおかげで、一気に四層増やすことが出来たって、インタビューで君津二尉が言ってたんだよ。


4七名もなき探索者
コンバット・プルーフってやつか。

4八名もなき探索者
ローマ数字なしの魔法って、使うのが難しいとか言われてなかった?

4九名もなき探索者
使いこなすと数字付きより強くて便利らしいぞ。
数字付きは、修得が簡単だが、効果が画一的だとかなんとか。

50:名もなき探索者
数字なしは、いろんなアレンジができるそうだ。ソースは、チームI。

5一名もなき探索者
あと、水を持って行かなくて良くなったから、持って行ける荷物の幅がぐっと広がったらしいぞ。


5二名もなき探索者
水は必須だが重いからなぁ。
ってことは、水魔法の水って、飲めるのか。

5三名もなき探索者
クリエイトウォーターで作られるのは、純水らしい。

5四名もなき探索者
MPがあれば、シャワーも浴び放題だな。

5五名もなき探索者
ダンジョンの中で、い、伊織タンが……(ごくり)

5六名もなき探索者
歯を食いしばれぇ!!o(メ`皿´)○()△☆)/ ←55

5七名もなき探索者
で、二十五層までのルートって公開されたのか?

5八名もなき探索者
された。

5九名もなき探索者
なら、ますますマイニング持ってるやつの行動が謎だ。

60:名もなき探索者
自己承認欲求が、うっっすーーーーい人なのかもよ?

6一名もなき探索者
そんなやつがエクスプローラーになって、二十層まで下りるか?

6二名もなき探索者
一般で二十層ったら、渋チーくらいだが。

6三名もなき探索者
あいつら、承認欲求の塊じゃん!

6四名もなき探索者
今頃、インゴットばらまきながら凱旋してるはず。

6五名もなき探索者
やめろ……想像して、腹が……

6六名もなき探索者
死淵ーの話はスレチーだから。

6七名もなき探索者
スレチと言えば、ブートキャンプの申し込みもサイトで始まったな。

6八名もなき探索者
いや、それはスレチじゃないだろ?

6九名もなき探索者
パーティのDパワーズと、法人のDパワーズは、一緒にここで良いんじゃないの。
分けると面倒だよ。

70:名もなき探索者
どっちも三好氏だしな。

7一名もなき探索者
いいんじゃね?

7二名もなき探索者
オケ。

7三名もなき探索者
なら続けるけどさ。
募集要項の注意書きに、測定デバイスによるステータスの計測ってのがあるんだよ。

7四名もなき探索者
そりゃ、訓練結果を目に見える形で提示したほうが分かり易くていいからじゃないの?

7五名もなき探索者
まあ、そうなんだけど。受講者とDパワーズの間にはNDAが結ばれて、Dパワーズは受講者のステータスを一切外部に漏らさないことになってるわけ。


7六名もなき探索者
軍人とかが受講するかもしれないし、言ってみれば究極の個人情報だからな。
こいつが普及したら、そのうち、あなたの総合ステータスポイントは? みたいなのが合コンで言われるようになったりしてな。


7七名もなき探索者
合コンに行けるお前は敵決定。

7八名もなき探索者
中国かよ! 社会信用スコアとかあるって聞いたが?

7九名もなき探索者
芝麻信用な。アリババグループの情報を利用して、ユーザーにポイントを付与してる。
だけど、名前の由来が、オープンセサミから来てるんだとしたら、「アリババと40人の盗賊」だろ?

アリババが盗賊の宝を奪うために唱える呪文ってのは、ちょっと不思議なセンスだよな。

80:名もなき探索者
クレジットやローンの調査なんかもそうだし、与信って概念は昔からあるだろ。

8一名もなき探索者
社会信用スコアなんて言い方をすると、なんとなく怖いよな。
低いと弾かれるって事なら、なにかあって、偶然低くなったりしたら、二度と浮かび上がれなさそうだ。


8二名もなき探索者
調査する側にとっては便利だが、そういう可能性はある。一族郎党の信用スコア調査とかが一般的になったら、さらに問題になるかもね。


8三名もなき探索者
いや、おまえら。社会信用スコアとステータスポイントは同一視できないだろ。
僕の力は125です! キャー凄い! ってのは、高身長ですというのと変わらんし、前者と違って恣意的にステータスポイントを与えるのも難しいだろ。


8四名もなき探索者
芝麻じゃ、ソーシャルメディアでの言動がポイントに反映されるとかあるらしいしな。
しかし、Dパワーズが、恣意的に表示を操作するって可能性が。

8五名もなき探索者
偽のステータスじゃ、ダンジョン内で死にまくるだろうから、それは難しくないか?
低く表示することは可能だろうけどさ。

8六名もなき探索者
大体、そんなことをやってたら、二人目の鑑定持ちが生まれたときに、自滅するだろ?

8七名もなき探索者
まあそうだな。
だが、知性や器用さや素早さを表すステータスなんかは普通にありそうだが、それで差別されたりしないか? 特に知性。


8八名もなき探索者
ありうる。

8九名もなき探索者
やだ、あなたバカだったのね、みたいな……ううう。

90:75
だから、Dパワーズが受講者とNDAを結ぶんだろうなあと、そう思うわけよ。

9一名もなき探索者
人間の数値化は、いままでだってあらゆるところで行われてきただろうけど、大体大衆の目からは隠されていたからなぁ。

身長や体重と同じと見なす派と、もっとずっとプライバシーに属すると思う派で、いろいろもめそうだな。


9二名もなき探索者
いずれにしろデバイスは売れるだろ。

9三名もなき探索者
俺もそうは思うけど、なんで?

9四名もなき探索者
人は他人のプライバシーを知るのが大好きだからだよ。

9五名もなき探索者
ああ……
スマホカメラが普及し始めた頃の、盗撮問題再びってやつか。

9六名もなき探索者
そんな小さなサイズになるわけないだろw 》 95

9七名もなき探索者
いや、将来は分からないぞ?


084 探索の結果 1月
6日 (日曜日)


その石は、日本ダンジョン協会職員に急ぎで頼まれたとかいうスタッフが持ち込んだものだった。


「あら、なにそれ。ロザリオ風デザインのネックレス?」
「あ、六条さん。鑑定を頼まれたんですよ。ダンジョンから出たアイテムらしいんですけど、石を外すのはNGとかで」

「ええ〜、なにそれ? それじゃ、まともにカラットも量れませんよ?」

六条小麦は、鉱物女子と呼ばれるのが大嫌いな、筋金入りの鉱物マニアだ。
宝石鑑定を主な仕事にしている以上、そこで働いている人間は多かれ少なかれそういう傾向があったが、彼女のマニア魂は、同僚でも引きかねないところがあった。


、、、、、、、、、

あれは忘れもしない1997年の六月八日。


化石マニアの父親に手を引かれていった東京国際ミネラルフェア、そこには非常にめずらしい、テリジノサウルスの孵化直前の卵殻内の胎児の化石が展示されていたのだ。

単に父親がそれを見にいくための出しに小麦を使っていただけのような気もするが、小学校に上がったばかりの小麦は、日曜日にパパとするお出かけにテンションが上がっていた。


問題の化石は、なんだかごちゃっとした骨みたいなものが、卵形の石の中に詰まってるだけで、特段美しいわけでもなんでもなかったので、小麦はそれを見ても何も感じなかった。

それを夢中で見ていた父親を尻目に、会場をきょろきょろしていた小麦は、モロッコ産のエラスモサウルスの全身骨格にビビって、つい走り出してしまい、迷子になった。

そうして、不安にかられながら、きょろきょろと父親を捜しているときに、それに出会ったのだ。


「きれい……」

今にして思えば、それは、少し形が良いだけの特に珍しくもない水晶クラスタだった。
しかし、その時の小麦の目には、それが不思議の国にある素敵な宝物のように思えたのだ。

小麦はポケットにあったお小遣いの五百円玉を取り出して見たが、とてもそれで買えるような値段ではない。

その時、それをずっと見ていた、優しげで垂れ目のおじさんが話しかけてきた。

「嬢ちゃん。水晶が気に入ったのかい?」
「すいしょう?」
「ほら、そこのキラキラしているやつさ」

小麦はそれを見て、うんと、頷いた。

「じゃあ、これなんかどうだい? 小さいけれど形が良いから取っておいたんだ」

そう言っておじさんが取り出したのは、今まで自分が見ていた宝物をそのまま子供にしたような、百円玉に乗りそうな小さなクラスタだった。


小麦はそれが一目で気に入った。

「これで、買え……ますか?」

と、ギュッと握りしめていた五百円玉をおそるおそる見せると、おじさんはは大きく頷いて充分だよ、と言ってくれた。


「この水晶は、赤ちゃんだから壊れやすいんだ。ぶつけたりしないようにな」

おじさんはそれを、透明な蓋の付いた、マイクロマウントと呼ばれる小さなケースに固定すると、そっと小麦に手渡してくれた。

小麦が嬉しそうに、それを光にかざすと、ところどころで虹のようなものが見えた。それがまるで彼女を夢の世界へと誘う入り口のように思えた。


「気に入ったかい?」

そう聞くおじさんの言葉に、小麦は満面の笑顔を浮かべ、力強く頷いて「ありがとう!」と言った。

そうして彼女は、底のない沼へと自ら喜んで飛び込んだのだ。

その後慌てて彼女を探しに来た父親に、危ないからひとりでウロウロしちゃダメダよと怒られたが、少し理不尽だと思った。


その時のおじさんは、御徒町にある、とある鉱物ショップの経営者だった。
今では、もうお爺さんと呼べる年齢にさしかかっていたが、その時からずっと、彼女と友達のように付き合っている。


、、、、、、、、、

「あくまでも急ぎの簡易鑑定ですよ。正式な鑑定書を出すわけじゃないですから、そこは概算で。どうせ、ラボに戻らないと、ラマンも、フォトルミネッセンスもありませんし」


フォトルミネッセンス測定は組成や結晶性を測定する装置で、ラマン分光分析は光学的にいろいろなテストが出来る装置だ。

主要な用途は半導体開発への利用が多いが、石の分析にも使われている。結構お高くて、ほいほい買えたりはしない。


簡易チェックが主体のここでは、せいぜい、マイクロとダイクロ、UVマルチに屈折計ってところだ。


マイクロスコープは要するに顕微鏡で、ダイクロスコープは、複屈折性のあるカラーストーンの多色性を調べるシンプルなツールだ。

UVマルチスコープは、蛍光を見るための長短波両対応の紫外線ライトで、屈折計は、名前の通り屈折率を測定する器械だ。


「それに、その石がどうやってくっついてるのかよく分からないんです。はずしたら元に戻す自信がありません」


小麦は白い手袋をして、それを手に取り、接続部分を見てみたが、視認できる範囲では先が少しめり込んでいるだけで、これでどうやって固着しているのか確かによくわからなかった。

それから、表面に触れて、なでるように指を動かすと、満足そうなため息をついた。熟練の職人の手を感じさせるブリオレット・カットだ。


「カットがいいなー。まるでアンティークみたい」

ペアシェイプ・ブリリアントも、屈折率が計算された美しい涙滴型のカットだが、全方向に細かくファセットを刻んだブリオレットには、ひと味違うエステートジュエリーのような雰囲気がある。


「最初はアクアマリンかと思ったんですが」
「それはありませんね。屈折率がまるで違います」

小麦はルーペでその石を見ながら言った。

「屈折率は、大体コランダムと同じくらいでしたが――」
「複屈折性があります。サファイアじゃないし、シアナイトでもない……蛍光は?」
「鮮やかな青、でした」
「青?」

小麦は思わずルーペから目を離した。
残っていた可能性は、水色に発色したジルコンだが、これの蛍光は黄色やオレンジ系になるのだ。


「オレンジなら、波風が立たなかったんですけどね……」
「いままでの情報プラス、極めつけはこの派手なファイア――」

角度を変えながら、石を光に透かせる。

「――もしかして、ベニトアイト?」
「数値からは、ほぼそうなります」
「ほへー。ベニトアイトが、人工合成されたって話は聞いてませんね……」
「されてませんからね」

鑑定していた男が肩をすくめた。

「十カラットはありますよ?」

小麦は手元のケースの上に置いたその石に目をやって言った。

「スミソニアンのものよりは、確実に大きいです」

ベニトアイトには、宝石品質の大きな石が少ない。そのため一カラット(0.2グラム)でも充分に大きいとされている。

そうして、ファセットカットされた、おそらく世界最大の石は、スミソニアン博物館にあって、その大きさは七
.七カラットだった。

「ちょっとラボへ持って行きたいんですけど……」
「無理ですね。もうすぐ返却時間です」
「延長させてー」
「勘弁してくださいよ……」

顧客から預かった石を、勝手に持ち出したあげく予定日時に返却しないなんてことになったら、信用問題も甚だしい。

小麦は、ちぇっと言って、未練がましそうに、その石を見ていた。

「しかし……ダンジョンって、こんな石が出てくるわけ?」
「こないだ発表された資料には、二十層から7九層で鉱物資源が出るそうですから、あるいは」
「で、どうすれば、そこへ行けるでしょう?」
「は? ははは……」

小麦がぶっ飛んでいるのはいつものことだとは言え、流石にこれは冗談だろうと男も笑ってごまかすしかなかった。

しかし、このとき小麦は、極めて真剣だったのだ。

、、、、、、、、、

「ベニトアイト?」
「そうです。アクアマリンではないかと言うことでしたが、屈折率がまるで違っていたそうです」


鳴瀬さんは、調査結果の表示されたタブレットを見ながらそう言った。

「屈折率や分散度、それに比重、紫外線下での蛍光から、おそらく、ブリオレット・カットの、ベニトアイトだそうです」

「なんでおそらく?」
「宝石品質のベニトアイトは、以前カリフォルニアから産出していたのですが、大きな石が珍しく、一カラットで充分大きいと言えるんだそうです。で、そのトップですけど……大体十カラットあるそうです」

「はぁ」

十カラットと言われてもぴんと来なかった。何しろグラムに換算すれば二グラムだ。
気のなさそうな俺の返事に、鳴瀬さんが説明を追加した。

「いいですか、芳村さん。ベニトアイトでファセットカットされた最大のものはスミソニアンにあるんですが、それが、
7.7カラットなんですよ?」

要するに、世界最大のあり得ないと言っても良いサイズの石で、しかも透明度が高いためその価値は非常に高くなる。それを簡易鑑定で断定するのはさすがに憚られるらしい。

それで、おそらく、なんだそうだ。

「詳細な鑑定をさせて欲しいと要望がありました」
「いや、面倒だからいいですよ。石がわかれば正しい手入れ方法が分かるかなと思っただけですから」


柔らかい石とか、日光に当てると色あせする石とか、いろいろとあるみたいだからな。

「そんなことより、例のサインはどうなりました?」
「それなんですが……」

そんなことって、と呟いた後、鳴瀬さんがすまなそうな顔をして答えた。

「どうしました?」
「冗談もいい加減にしろと、最初から相手にして貰えませんでした」

うん、まあそうだろうな。
ダンジョンから産出した碑文の中に、三年前の事故で死んだ男のサインがある?
HAHAHA、どこの三文ミステリーかっての。

「一応タイラー博士についても調べてみたのですが……」

そこには一般的に公開されている彼のキャリアが書かれていた。
肩書きには、数多くの組織の肩書きが並んでいる。

AIP会員
APS会員
KLI会員
AGU会員
……

「American Institute of Physics や、
American Physical Societyはわかりますけど、KLIってのは?」
「すぐに思いつくものは、韓国労働研究院(Korea Labor Institute)でしょうか」

「物理学者が労働研究?」

「最終的には、ネバダの素粒子物理学研究所の所長をされています」
「そこで例の事故が起こったんですか?」
「余剰次元の確認実験の最中だったと記録されていました」
「それで直筆のサインは……」
「残念ながら見つかりませんでした」

もしそれが見つかるなら、碑文に書かれている文字と比較してみたかったが、仕方がないか。

「それで、結局碑文の内容は?」
「一応翻訳したのですが、後半部分はまったく分かりませんでした。と言うか、明らかに書かれている言語が異なるようで、件のアラム語の方にも見ていただいたのですが、見たことのない文字だそうです」


確かに前半と後半じゃ使われている文字が明らかに異なっている。
俺は、その写真をタブレットで確認しながら言った。

「前半の内容は?」
「そこに翻訳文を載せておきましたけど、要約すると、ダンジョン探索者に向けた激励のような文章ですね」

「激励?」
「はい。どうやらこれは、the book of wanderersの最終ページみたいなもので、いわゆる後書きとか奥付に近いんじゃないかと
……」
「じゃあ、このノンブルっぽい数字は……」
「たぶんそのものです。つまり the book of wanderers は、全
127ページの本だと思われます」

三好が、新しいお茶に差し替えながら口を挟んだ。

「因みに、十三番目のラマヌジャン素数ですよ、先輩」

またかよ……
そう思ったとき、表の呼び鈴が鳴った。

映像を確認した三好は、「あれ? 斎藤さん?」と声を上げた。

「御劔さんも一緒?」
「残念ながら、斎藤さんお一人のようですよ?」

三好が含み笑いをしながらそう言った。

、、、、、、、、、

「ちーす」
「どうしたの? 珍しいね」
「そろそろ、よだれが切れるからさ、少し時間があるときに受け取っとこうかと思って」
「ああ、了解。ちょっとその辺に座って待っててくれるかな?」
「おっけー」

そう言って、彼女は鳴瀬さんに目礼すると、向かいの椅子に腰掛けた。
机の上には、碑文が表示されたままのタブレットが放置されていたが、とくに秘密にするようなものはなかった。


しばらくして、三好が用意した半ダースのボトルを持って、戻ってくると、斎藤さんはタブレットの画像を見ながら言った。


「『地球の同胞諸君に告ぐ』って、なにこれ? 新しい遊び?」

いやもうそれを聞いたとき俺達は、全員心の中で叫んだよ?

(((な、なんだってーーーー?!)))


085 謎の言語の正体 1月
6日 (日曜日)


「『地球の同胞諸君に告ぐ』って、なにこれ? 新しい遊び?」

それを聞いた俺達は驚愕した。

「ええ?! 斎藤さん、これが読めるの?!」
「え? え? ピカドでしょ? まあちょっとだけ。一応トレッキーのはしくれだし」

は? ピカド? なんですかそれは?
トレッキー?

「……ちょっと待って。一体これって、何語なんだ?」
「え? クリンゴン語でしょ?」
「「「はぁ?!」」」

想像もしていなかった発言に、俺達は一斉に突っ込みを入れた。

「去年、ネットフリックスでディスカバリーが配信されたとき、クリンゴン語の字幕が話題になったけど、こんな文字じゃありませんでしたよ?」

「ゴーグルにもクリンゴン語のサイトがあるけど、全然違うぞ」
「ああ、それはアルファベットで発音っぽいのを表記するやつだから」

なんてこった、ラテン文字による転写以外に、文字があったのか。

「じゃあ、これはピカド?とかいうクリンゴンの文字で書かれた、クリンゴン語だってことか?」

「そだよ。誰が作ったの?」

まさかダンジョンとは言えない。
じゃあ、ダンジョンはクリンゴン人が作ったってことか? 確かに星間国家を築き上げるほど科学技術は発達しているが……って、そういう問題じゃない、そもそもあれってフィクションだろ?!


「いや、それは……まあ。で、これが翻訳できる人ってどのくらいいるんだ?」
「ネイティブ並に話せる人が20人くらいいるって、KLIの会長が言ってたのを聞いたことがあるけど」

「KLI?]

俺と鳴瀬さんは顔を見あわせた。韓国労働研究院じゃなかったのか。

「クリンゴン語学会(Klingon Language Institute)だよ」

「なるほど……」

「クリンゴン語の製作者は、マーク・オークランドさんですね。ご存命ですよ。連絡しますか?」

「翻訳するの? 簡単な翻訳だけなら、ベイング翻訳に、クリンゴン語の指定があったよ、確か」


今もあるかどうかは分からないけど、と斎藤さんが言った。
三好がすぐにアクセスして確かめると、確かにクリンゴン語がメニューに存在していた。

「さすがマイクルソフトですね」
「誰が使うんだよ、この設定」

このやりとりを聞いていた鳴瀬さんは、さりげなく立ち上がってレストルームへと移動した。
アルファベットへ転写するつもりなのだろう。

その後しばらく、斎藤さんがトレッキーになった経緯を聞いたり、ディスカバリーや、今年予定されているピカードの話などで盛り上がった後、車を呼んで彼女を見送りに出た。


「いや、斎藤さん。ホント助かったよ」
「ふふーん。ちょっとは見直したかな?」
「元から見直すようなところはないだろ?」
「うむうむ。よく分かってるようでヨカヨカ」

斎藤さんは、俺の胸をパンパンと叩いてそう言った。
俺はお礼に今回のボトルをプレゼントすることにして、呼んでおいたタクシーに積み込んだ。

「それじゃ、また、なにかったらよろしくな」
「アイアイ。次は、はるちゃんも連れてくるね」
「彼女によろしく」

そう言うと、彼女は後部座席に乗り込む前に、バルカンサリュートを決めて「長寿と繁栄を」と言って去っていった。


、、、、、、、、、

「しかし、クリンゴン語ねぇ……」

俺は事務所のドアを閉めながらそう呟いた。
ダンジョンから出た碑文にクリンゴン語が書かれていて、英語の署名がある? ますます怪しい。


「取ってきた俺ですら、誰かの悪戯だとしか思えんな……」
「取得したのがさまよえる館で、しかも最後に現れる台座の上に置かれた碑文じゃ、悪戯の可能性はゼロですよ。映像にも残ってますから幻覚でもありません。あとはダンジョンの嫌がらせって線ですかね」

「しかし、なんでわざわざそんな言語で書いたんだ?」

その時ラテン文字への転写を行っていたはずの鳴瀬さんが、バタバタと出かける準備を始めていた。

あの謎の文字の形で書かれた、あの量の文字を転写するには、いくらなんでも早過ぎる。

「用事かな?」
「碑文翻訳が終わってから、鳴瀬さん、ちょいちょい忙しそうですもんね」

資料を整理して出てきた鳴瀬さんが、俺達の会話を聞いて苦笑いした。

「今、講習に若い人達が殺到していて、急遽講習の規模や頻度を拡張しているところなんです。暇そうに見えるのか、そのお手伝いをお願いされちゃって」


殺到?

「例の食料ドロップの件ですかね?」

エクスプローラー五億人で、食料ドロップが始まる件は、各国、特に貧困地域を抱える国や人口が急増している国などで真剣に捕らえられ、国を挙げての探索者登録が進んでいるらしい。

これでドロップが発生しなかったら、元凶のうちは世界中から袋だたきにあいかねない勢いだ。

「いえ、恋人同士でパーティを組んで、テレパシーで会話をするのが目的らしいですよ」

鳴瀬さんが、ほほえましいですよねといった感じで、くすくすと笑いながらそう言った。

「なんだそれ、爆発しろ!」
「便利ですもんねー、念話。私も、今、中高生だったらきっと欲しがると思います。丁度その頃スマホが欲しかったですもん」


三好が中学に上がった頃と言えば、iPhoneが日本で発売された頃だろう。そして、ドコモが
android端末を販売し始めた頃でもある。
ガラケーはそれなりに普及していたが、いろいろできるスマホはちょっとした憧れだったのかも知れない。

電話として利用するなら、絶対二つ折りガラケーの方が使いやすいと思っていた俺は、しばらくガラケーのままだったんだけどさ。


「そうですね。中高生でも講習を受けられるのかという問い合わせも多いようですよ」

ダンジョン協会設立前は、勝手にダンジョンへ入ってDカードを取得するということもできたが、現在では未発見ダンジョンを発見するなどと言う幸運?に見舞われない限り、それはほぼ不可能になった。

ダンジョンへ入るためには、どうしても世界ダンジョン協会のライセンスが必要だってことだ。
そして、オーブ利用のためにDカード取得が必要という事情があったため、建前上、世界ダンジョン協会のライセンス取得に年齢制限は設けられていなかった。


もっとも、各国のダンジョン協会は、特例を除いて、その国の事情に併せて年齢制限を設けている。

日本だと、十八才から許可されていて、それより若い場合は保護者の同意が必要だ。全ての責任を保護者が負うなら、取得年齢に制限はない。


「そのうち、クラスLINEみたいに、クラス念話とかが出来て、試験の問題がクローズアップされそうですね」


それだけじゃない、二十メートルがネックになるとは言え、授業中でも先生にはまったく知られずにグループ会話が出来るのだ。

あてられても答えを他人に教えて貰えるし、教育現場が一体どうなるのか想像も出来ない。

「中高生へのDカード取得が制限されるかも知れませんね」

原付免許だってNGの高校は多い。Dカードが制限されない理由はないだろう。

うちの高校も、ご多分にもれずバイクの免許はNGだった。
その規制がおかしいと、それに反発した連中は、一斉に船舶免許を取得しにいったものだ。
二級小型船舶操縦士や特殊小型船舶操縦士(水上バイクだ)は原付同様十六歳から取得できるのだ。


つまり、陸上を走るバイクはダメで、水上を走るバイクはOKなのは何故か、という学校側への問いかけだったのだ。

そりゃ普通の高校に船舶免許を制限する校則はないだろう。

今にして思えば、船舶もNGと言われてしまえばそれでおしまいの短絡的な行動だったのだが、当時は結構盛り上がっていた。


「おそらく、講習を受けるために、保護者だけでなく、所属している学校長の許可が必要になるように調整されると思います」


なるほど。日本ダンジョン協会としては学校が許可したんだから、あとはそちらの責任で好きにしてくださいというわけか。


「さすが日本ダンジョン協会。あざといですね」
「組織防衛とはそういうものですから」

鳴瀬さんは、明後日の方向を見ながらそう言った。

「だけど念話は、繋がってる間、流したいメッセージと、単なる思考を区別するのにちょっとした経験がいるからなぁ……」


送信をオフにする方法が分かった今は、その危険が少し小さくなったとはいえ、初心者が接続した場合、思わぬ思考が流されて、大きなトラブルになるんじゃないかと少し心配だ。


「クラス念話なんかが、本当にできたら、殺人事件が起きないか心配だよ」

「は? 殺人事件ですか? それはさすがに考えすぎでは」

鳴瀬さんが苦笑しながらそう言った。

「念話って、会話ツールじゃなくて、個々人が放送局になるようなものでしょう?」

念話は、登録しているメンバー全員に声が届く。それは会話じゃなくて放送だ。

「もしも8人でグループを作って、そのうちふたりが、残りの六人に全然関係ない会話をずっと続けてたら、きかされる方は切れますよ、たぶん」


送信がオフに出来るんだから、受信もオフにする機能があるんじゃないかとは思うが、今のところ見つかっていない。

というかうちでは不要なので探していない。

「それに、不意に漏らした思考が、いじめや破局の原因になるかもしれませんよ。日本ダンジョン協会で念話講習とかやった方が良いんじゃないですか?」

「そうかもしれませんが、人手が……」
「よし、三好。ビジネスチャンスだぞ?」
「先輩。そんな面倒な領域に近づくのはやめて下さい。大体、ダンジョン攻略に関係ないから、うちの会社の定款から逸脱しますよ」


株式会社の定款には、その会社の事業目的が書かれている。
そこから逸脱する事業は、本来定款を変更しないと行えないのだ。ただし逸脱したからと言って法的に罰せられた事例はない(たぶん)

大抵は、事業目的を列挙した後、「上記の附帯関連する一切の事業」とつけておくものだが、学校の問題は、付帯関連ですらない可能性が高い。


「世界が突然変化すると、社会システムがそれに追いつかないなぁ……」
「それは、ホント、日々実感しています」

そこで、あんた達のせいだよという目を向けるのはやめて欲しい。

「だけど、将来はもっとヤバいかもしれないぞ?」

俺はちょっとした冗談のつもりで語り始めた。

「なんです?」
「そのうち、家族で念話を普通に使うようになったとするだろ?」
「はい」
「そこで生まれた子供は、言葉を必要とするかな?」

家庭内で全く話さずにコミュニケーションをとり続けたら、それで育った子供はどうなるだろう?


「念話でも、思考は言葉の形で行われるから、聞く方は大丈夫かも知れないけど、喋る方は訓練が足りなくなるかも知れないぞ?」


そう言うと、三好のやつが呆れたようにため息をついた。

「先輩。それ以前に、どうやって乳幼児にDカードを取得させるんですか」
「だよなー」

まったくもってその通りで、そんなシナリオはあり得ない……はずだ。
家庭内から言葉が消えて、子供が言葉を覚えないなんてことが起こらないことを祈ろう。

「芳村さん……その聞く方は大丈夫なのかもって下りですけど、もし本当にそうなったら、聞く方も危ないかも知れません」

「え? どうしてです?」
「最近SNSで見かけた情報なんですが、念話は……どうやら他国語の話者とも意思が疎通できるらしいです」

「ええ? それって、つまり――」
「念話は、ただ言葉を伝えるために音声の代わりをするだけのものじゃないってことですね」

それが福音となるか災厄となるかはわからない。外国語がダメな首脳は多い。
もしもそれが首脳同士の話に使われたりしたら? そこで、不用意に思考を漏らしたりしたら?

「やっぱり、すぐに念話の機能を調べ尽くして、訓練コースを立ち上げた方が良いんじゃありませんか? ヘタをしたら、クラス内の問題どころか、国際問題になりかねませんよ」

「上げてみます」

鳴瀬さんはそう言って、事務所を出て行った。

「……街がバベルと呼ばれる前に回帰しちゃいそうですね」
「もう一度、主が下ってくるってか?」

人間は、普通、言葉で複雑な思考をしている。
だから、英語が話せない人間に、英語の念話がやってきても内容を理解することは出来ない。そう思っていた。

なら、何故それが理解できるのか?

「もしかしたら、念話って、ダンジョンの向こう側の世界にいる誰かと、コミュニケーションを取るために用意されてるんじゃ……」


その時、三好の携帯が鳴った。
スマホに表示されていた名前は――

「中島さん?」

中島さんとは珍しいな。量産品のRC1を納めて貰って以来だが、何かトラブルでもあったのかな?


「はい、いつもお世話になっております。Dパワーズの三好です」
「はい、はい。……え? ええ、まあ、たしかに」
「……わかりました。考えておきます。はい。はい。ありがとうございました。では失礼します」


「なにかトラブルか?」
「いえ……あー、そうかもしれません」
「なんだよ?」
「ロゴとか入れる必要があるから、例のデバイスに名前をつけてください、だそうです」

名前かー……こう言っちゃなんだが、俺達にそんなセンスがあるとは思えない。
なにしろパーティ名が、ダンジョンパワーズだ。実にアホっぽい。しかもそれを気に入ってる様子まであるありさまだ。


「そりゃ、難問だな」
「ですよね」
「必殺丸投げの術は使えないのか?」
「プロモーション全体なら、広告代理店とかに丸投げできそうですけど……名前だけとなると」
「カネにならないか」

俺達は実に形而下っぽいところで、頭を抱えることになった。

その時の俺達はまだ、テレパシーを初めとするパーティ機能の検証が、ネット民の間で爆発的かつ執拗に行われ始めていることを知らなかった。



086 掲示板 【ダンジョンシステム】パーティについて語れ!
93


235:メンバーはエマノン
おい! パーティ関係で、新しいコマンドが見つかったみたいだぞ?!

236:メンバーはエマノン
うっそ。日本ダンジョン協会発表?

237:メンバーはエマノン
草の根だ。admit, dismiss, n% に告ぐ、第4のコマンドは、
find。
n%と同じ利用方法でfindを実行すると、対象キャラの横に数値が表示され、どうやらそれが、自分を基点とする相対座標っぽい値らしい。


238:メンバーはエマノン
キャラってw

239:メンバーはエマノン
スゲー。発見者はよく見つけたな。

240:メンバーはエマノン
みたみた。4chan のダンジョン板の、
”OEDの単語をDカードに試すスレ”だろ?


241:メンバーはエマノン
OEDってなに?

242:メンバーはエマノン
the Oxford English Dictionary。オックスフォード英語辞典だ。

歴史的な単語の意味の移り変わりを用例の引用で説明するスタイルで書かれた、英語圏における最も有名な辞書だな。

全20巻で、登録項目数は60万ちょっと。

243:メンバーはエマノン
なんだそれw

244:メンバーはエマノン
最初は、ネタスレだったんだよ。
パーティ機能につかうコマンドが英語だったもんだから、スレ立てしたやつが、OEDの単語をAから順番に試した結果を書き込んでたんだ。

まあ、全部「invalid」で、余りにそれが続くものだから「
class=SpellE>EwNIL」とか、しまいには「v.」とか書かれるようになったんだが。


245:メンバーはエマノン

class=SpellE>EwNIL
って?

246:メンバーはエマノン
the effect was nil.かな。「効果はゼロ」


247:メンバーはエマノン
v. って、validなら効果あるんじゃないの?


248:メンバーはエマノン
そういう揶揄を込めて、void だったらしい。


249:メンバーはエマノン
虚無w

250:メンバーはエマノン
んで、スレ主が途中で飽きてきたところに、それに賛同したガチ勢が大量に流入してな、全員で手分けして26個のスレを立てて、AからZで始まる単語をガチでチェックし始めたらしい。

お前前から、お前後ろから、じゃあ俺はANからやるぜ、みたいな感じで重複チェックもされて盛り上がってたんだ。


251:メンバーはエマノン
何故過去形。

252:メンバーはエマノン
いやそれがな、OEDじゃなくてODEをベースにするべきだ派が登場して混沌中wwww

253:メンバーはエマノン
さすが4chan民! まとまりがないw

254:メンバーはエマノン
バカだ (TT)/

255:メンバーはエマノン
OEDを見る限り、ODEは、Oxford Dictionary of English?


256:メンバーはエマノン
正解。日本語だと、オックスフォード英英辞典。
OEDと違って、こっちは現在の英語の用法にフォーカスして編纂されたらしい。単巻の英語辞典としては最大で、登録項目数は35万ちょっと。


257:メンバーはエマノン
確かに新語はODEの方が多いもんな。

258:メンバーはエマノン
いや、発見された碑文の内容を見ると歴史的な概念も多いじゃん。

259:メンバーはエマノン
》257 》258
ま、こいつらみたいな話が、向こうでも散々行われてて、今ではそれぞれ別々に検証しているという、アホな状況なわけだ。


260:メンバーはエマノン
まあ、ダブルチェックをしてると思えば……

261:メンバーはエマノン
ネット文化っぽくていいけどさ、それ、すぐに全部調べられるんじゃないの?

262:メンバーはエマノン
バカ言え、OEDなら60万語だぞ? あと、シチュエーションもあるし。

263:メンバーはエマノン
シチュエーション?

264:メンバーはエマノン
パーティ中は、メンバーの名前を押さえてコマンド発行が基本だけど、パーティを組むときはDカードを触れ合わせてコマンドを発行するだろ?

そんな風に、いろんな操作に対してコマンドを試してるって事じゃないの?

265:メンバーはエマノン
そそ。まるでスマホの操作みたいだから、もしかしたらWタップや、フリックなんかもあるかも知れないと、いろいろ試しているやつらがいるんだよ。


266:メンバーはエマノン
こういう事やらせると、redditより4chanだな。


267:メンバーはエマノン
結果だけは reddit にサブミが作られてて、みんなおもしろがって
4chan に流入してるみたいだ。

268:メンバーはエマノン
ネットの調査会社は、情報の広がるルートを特定するチャンスだから、必死で監視してそうだな。


269:メンバーはエマノン
ああ、情報発信の序盤が、確実に特定できるからか。

270:メンバーはエマノン
今はOED/ODEだけじゃなくて、操作に対してどう検証するのかのプロトコルが分裂前の元スレで話し合われている状況。


271:メンバーはエマノン
OEDだとかODEだとか、なんでそんな紛らわしいんだ。

272:メンバーはエマノン
日本人なら「古い方は、お江戸」って覚えればOK。

273:メンバーはエマノン
おお!分かり易い! 新しい方は?

274:メンバーはエマノン
ODEは、叙情詩とかいう意味があるが……

275:メンバーはエマノン
広尾のOdeは、八丁堀のCHICにいた井生シェフが「最近」開いた店だ。おもしろきれいな料理が好きなら。


276:メンバーはエマノン
宣伝かよw いくら新しい方ったって、そんな覚え方があるかい。

277:メンバーはエマノン
りあじゅー野郎は帰れ。

278:メンバーはエマノン
まあ、二つしかないんだから、お江戸とそれ以外でいいだろ。
合い言葉は「古い方は、お江戸」

279:メンバーはエマノン
おい、今 4chan 見てきたら、さらに分裂してたぞ。


280:メンバーはエマノン
何だってーーーー(AA略

281:メンバーはエマノン
今度は何だよ。俺英語読めないんだよ。

282:メンバーはエマノン
発見済みの機能についてのチェックらしい。
例えば、さっきのfindの後ろに表示される数値が、一体何を表しているのかとかから始まって、一番盛り上がってるのは、テレパシーのチェックだったな。


283:メンバーはエマノン
何か特別なことが?

284:メンバーはエマノン
どうやら、あれ、言語の壁を乗り越えるらしいぞ。

285:メンバーはエマノン
はい?

286:メンバーはエマノン
英語ネイティブとフランス語ネイティブが、お互い相手の言葉を知らないのに、テレパシーでは意思が疎通出来たってのが、発端だったらしい。


287:メンバーはエマノン
なにそれ?

288:メンバーはエマノン
あー、俺らはほとんど単一言語利用民族だから気がつかないよな……

289:メンバーはエマノン
いや、向こうでも気がつかなかったらしいぞ。
なにしろ、お互いに相手が自分のネイティブ言語を流暢に喋っているように感じてたらしい。

290:メンバーはエマノン
ずっとパーティを組みっぱなしだったのか。それで、なんで分かったわけ?

291:メンバーはエマノン
電話したら、まるで話が通じなかったんだと。

292:メンバーはエマノン
??(???*) wwww

293:メンバーはエマノン
それを切っ掛けに、パーティのカスケードはどこまで有効なのかとか、何段階下のカスケードまでテレパシーが有用なのかとか、調査項目が次々アップされて、それを主催者がモデレートしてリスト化してる状況。


294:メンバーはエマノン
主催者?

295:メンバーはエマノン
どうやら、大規模オフをやるらしい。

296:メンバーはエマノン
なるほど、チェックには人数がいるもんな、そういうのって。

297:メンバーはエマノン
オフってどこで、俺も参加したい!

298:メンバーはエマノン
残念ながらNYだ。

299:メンバーはエマノン
ああ、人種のサラダボウルだから、多言語のチェックには便利だろう。
BPTDがあるから、探索者も多いしな。

300:メンバーはエマノン
BPTD?

301:メンバーはエマノン
ブロックドパントタッチダウン?

302:メンバーはエマノン
NFLファンキター。
俺にはあのルールがさっぱりわからん。

303:メンバーはエマノン
Breezy Po知力 Tip Dungeon。
ロングアイランドの西の果てというか、ブルックリンの南側の細い島上の半島っていうか、そういう場所の端っこに出来たダンジョン。深深度らしい。

都市部近郊にできた巨大ダンジョンとしては、代々木と似てるが、ここはなにやら面倒な土地らしい。


304:メンバーはエマノン
面倒って?

305:メンバーはエマノン
公有地の中にある私有地というか、住民しか通っちゃだめな道だとか、よくわからん。私有地と公有地の綱引きが続いている場所だってさ。

ビーチはナショナルパークの一部らしいので、公共交通機関の終点から、ずっとビーチを歩いていけば当面法的な問題はないらしい。


306:メンバーはエマノン
ほー。

307:メンバーはエマノン
ストリートビュー見たら、道路の電柱にずーっと、米国国旗が翻ってて凄かった。
日本でやったら、右傾化がーとか言われそうな風景w

308:メンバーはエマノン
で、そのオフっていつなのさ?

309:メンバーはエマノン
近日で調整中とあったから、それでまたなにか新しい発見があるといいな。
そしたらこっちにも転載するぜ。

310:メンバーはエマノン
ジャパニーズオンリーな俺のためにもタノムー。


087 教官が来た 1月
8日 (火曜日)


「名前、名前ねぇ……俺達には、ネーミングセンスというものがないからな」
「失礼ですね。それは先輩だけです」

あれから二日。
すでに締め切られたはずのオークションをそっちのけで、俺達は未だに機器の名前について悩んでいた。


「んじゃ、どんな名前にするってんだよ」

堂々と、ダンジョンパワーズなんて名前をつけたやつが、何言ってんだっつーの。

「もういろいろ面倒なことはかんがえるのをやめて、簡易版は、SMD−EASYとかでいいかなって」


たしかに昨日は、機器の意味を各国の言葉にしてみたり、世界中の神話をひっくり返したりして一日を潰したが、どうにもぴんと来なかった。

そもそもペルーやコンゴあたりの神話から名前を持ってきたとして、この日本で、誰がそれを理解するんだって言う話。

プリニウスもボルヘスもブリッグズも、ぽいっ、だ。ぽいっ。

「それじゃ型番だろ。しかも Status Measure Device とか、まんまじゃないか」

「ちっちっちっ。先輩、SMDは『ステータス見えるくんです』の略ですよ」

はぁ? おまえはピース電気の健太郎か?

「……三好のネーミングセンスが大したことないってことだけはよく分かった」
「なんでですか! 可愛いじゃないですか、見えるくん!」
「まあいいけどさ。なんだかメガドラの廉価版みたいだよな」

SMDは、Sega Mega Drive の略でもあるのだ。


「確かに、ソニックが走り回りそうではあります」
「俺が生まれた頃のゲーム機なのに、よく知ってるな」
「先輩。大学生にはマニアってやつが沢山いてですね、ちょっと話を聞いてあげると、延々と付き合わされたりするんですよ」


三好がやれやれと言った様子で首を振った。

「ゲームの場合はさらにプレイさせられますからね。四:三でブラウン管の十四インチとか、まだあったのかって驚きましたよ」


やばい。うちのアパートにある四対三の二十一インチブラウン管のことが知られたりしたら、何を言われるかわからんぞ。

もっとも電源を入れたのは、限りなく昔の話だから、いまでも映るかどうかはわからないが。

「まあそこで、くるくる回るハリネズミキャラを散々走らせさせられたわけです」

マニアは侮れませんとか言いながら、目を瞑って腕を組み、うんうんと頷いている。

「じゃあ精密測定版は、SMD−PROか?」
「よく分かりましたね」

わからいでか。

「型番はそれでいいとして、あとは愛称だな。ステータス見えるくんです、だから、ステミエEASYとかか?」

「最近はもっと変なところを残しませんか?」
「なら、スタルクEASYとかスーミルEASYとか……」
「ルエミスターEASYにしましょう! なんか輝きそうですし」
「どっから出てきたんだ、それ?」
「ここです、ステ『ータス見える』くんです。逆読みは、ワードナーとトレボーの時代からの定番ですよ!」

「どんな定番だよ。大体遊んだことあるのか、お前」
「Apple II Plus で死ぬほど遊びました。死んだらフロッピーディスクを取り出してガードですっ!!」


そう言って、三好は、アップルの上に載せた、フロッピードライブのロックをはずしてディスクを取り出すポーズを取った。

当時のメディアは1Sだ。よくそんなフロッピーが残ってたもんだ。十四インチモニタどころの騒ぎじゃないだろ。マニアってすげぇな。


「レトロゲーって中毒性がハンパないですよね。これとロードランナーは悪魔のゲームでした……」

「ただ、ゲームを起動して、そのタイトル画面で『シードラゴーン・シードラゴーン・シードラゴーン』と叫ぶのを見て、それに大感動している先輩にはついて行けませんでしたが……」


たぶん、PSG音源でPCMを再現した歴史的瞬間とかなんとか、そんな感じなのだろうが、俺もついて行けそうにない。


「というか、三好って結構ゲーマーだったんだな。初めて知ったよ」
「いえいえ、その当時だけですよ。サークル勧誘で捕まっちゃって、ウィズとロドランが終わったときは、すでに逃げるに逃げられなくて……」


まあ、それなりに楽しかったですけどね、と作った笑顔が、ちょっと引きつっていた。

「あ、先輩。そろそろ出ないと、面接に間に合いませんよ?」
「オーブの受け渡しはいいのか?」
「なんか、今回は、全員受け渡し希望日まで結構時間があるんですよね」
「何か、試されてるとか?」
「対象ははっきりと十八層ですからね。それはあるかもしれません」

、、、、、、、、、

足を運んだ日本ダンジョン協会の小会議室では、先に紹介された女性が来ていた。
均整のとれた引き締まった体つきを大柄な美女で、185センチは確実にありそうだ。まさに名前通りと言えた。


『こんにちは、私がアズサ・ミヨシです。今日はご足労頂きありがとうございます』
『初めてお目にかかります。キャサリン=ミッチェルです。キャシーとおよび下さい』
『では私もアズサと』
『いえ、ボスと呼んでも?』
『え? ええまあ、構いませんけど』

二人は握手した後、席について、三好がいろいろと質問を始めた。その、受け答えもよどみなく、まさにザ・プロフェッショナルって感じだ。


俺はその間に、提出されたレジュメ(履歴書)を見ていた。
それによると、EDUCATION(学歴)も
WORK EXPERIENCE(職歴)も QUALIFICATIONS (スキル)も完璧と言えるものだった。

添付されていたダンジョン攻略局の訓練成績も大したもので、ついでに言えば容姿もとても優れていた。


どうして、こんなに完璧な人間が、サイモンチームのバックアップなんだ?
自分のチームを任されてもまるでおかしくない人材だが……

考え込んでいた俺は、三好の呼びかけに、すぐには気付かなかった。

「先輩? せんぱーい!」

それを聞いた、キャサリンが奇妙な顔をした。んん?

「あ、なんだ?」
「で、どうですか? もう完璧って感じの人材ですけど」
「あ、ああ。そうだな。いいんじゃないか?」
「ですよね。先輩はなにか聞きたいこととかありますか?」

聞きたいこと? いや、特にはないけど、自己紹介くらいはしておくか。
今後パーティを組むことは確実だしな。

『はじめまして、キャサリンさん』
『あなたは?』
『私は、ケイゴ・ヨシムラと言います』
『私の上司にあたる方ですか?』

上司? うーん。株式会社Dパワーズの役付きは三好だけだからな。そういや、俺って社員なのかな?


「そういや、俺って社員なの?」
「いえ、まだ作っただけで、誰も社員登録してないですね、そう言えば。社員はゼロです」
「だから先輩の身分は……んー、アルバイト? か契約?」

『あたらないみたいですよ。私は、Dパワーズに所属している探索者で、訓練時はあなたとパーティを組むことになると思います』

『パーティ……ランクは?』
『Gです』

そう言った瞬間、キャサリンが顔をしかめた。

『どうしました?』
『……どうやら、きちんとした上下関係を身につけさせる必要があるようね』
『はい?』

「三好。なにか、今上下関係を身につけさせるとかなんとか言ったか?」

俺は余りのことに、ヒアリングを間違えたかと三好に聞いてみた。

「言いました。どうやらパーティリーダーを争う戦いの勃発のようですよ?」

三好は楽しそうにそう言った。
ちょっと待て。お前は高みの見物かよ! まあ、こいつはボスだからな……

『ボス。今すぐダンジョンに向かってよろしいでしょうか。この男に秩序というものを教えてやる必要があります』


三好はちらりとこちらを見ると、にっこりと笑って、『是非お願いします』と言った。

『ちょ、ちょっと待ってくれ』

俺は慌てて廊下に出ると、サイモンに電話をかけた。18層に潜っていると言っても、留守番電話にくらいは繋がるだろう。

一体キャサリンってどういうやつなんだ?

『サイモンだ』

繋がった?!

『こんにちはサイモンさん。芳村です』
『ヨシムラが俺に電話? ……ああ、挑まれたか?』

電話の向こうで含み笑いをしながらサイモンが言った。

『なんだか、状況がよくおわかりのようで……サイモンさんの差し金なんですか?』
『違う違う。あいつが海兵隊のサージェントだった話はしたろ?』
『ええ』
『キャシーの家は代々軍人の家系でな、小さい頃から階級社会を骨の髄までたたき込まれて育ったらしいんだ』

『はあ』
『その結果、組織に所属する際は、必ず自分のポジションを決めなければ落ち着かないらしいぞ』

『それって、学生の時はどうしてたんです? 片っ端から喧嘩ふっかけて歩いたとか?』
『成績順』
『なるほど……』

成績が序列ってのもどうかと思うが、上に行くための目安としては確かに分かり易くはある。
軍に所属していれば、階級がその役目を果たしてくれるので問題ないが、階級が曖昧なところに所属すると、こうなるのだそうだ。


『もしかしてダンジョン攻略局への出向の時って……』
『Yeah。めっちゃ、挑まれたってわけ』

それで、あんなに実力がありそうなのにサイモンのところのバックアップなのか!

『他には御せるチームがいなかった?』
『ご明察』

実力は折り紙付きだし、学力も非常に優秀、そしてあの美貌だ。付いたあだ名がレディ・パーフェクト。

だが、本人は揶揄気味に使われるこのあだ名が大嫌いらしく、目の前で使うと後悔することになるらしい。


『最後に一つだけ忠告しておこう。キャシーは犬と一緒だからな。へたに下手に出ると見下されるぞ』


おう。だから謙譲精神に溢れた俺に、あたりが強かったのか。
ちょっと言葉遣いも見直した方が良いな、こりゃ。

『なに、心配するな。あれで一流の軍人で、訓練経験も豊富だからな。ちゃんと手加減してくれるさ』


たぶん必要ないだろうけどな。と含みのある言葉を残して、サイモンは電話を切った。
あんのやろう……

俺は仕方なく、部屋に戻った。

「おまたせ」
「で、先輩。どうするんですか? キャシーはもうダンジョンに行く気満々みたいですけど」

戦闘とかは面倒だから避けたいが……よし、平和的な勝負を提案しよう!

『なあ、キャサリン』
『なんです?』
『勝負ってなにをするんだ? ジャンケンじゃだめか?』
『ジャンケン? ってなんです?』

「三好、ジャンケンって英語で何て言うんだ?」
「Rock-Paper-Scissorsだって聞いたことがありますけど
……」
「まんまなのかよ」

俺は笑いながら、キャシーに向かっていった

『岩ー紙ー鋏、だよ。日本じゃ、ジャンケンって言うんだ』

それを聞いたキャサリンは頭を振った。

『確かに勝負には運も必要ですが、運だけのゲームでは実力は測れません』
『ミズ・ミッチェル。ジャンケンが運だけのゲームだと思っているようでは、まだまだだな』
『なんですって?』

俺はサイモンに倣って、少し上官っぽく発言してみた。

『嘘だと思うなら、俺に勝ってみたまえ。そうしたら君の言う勝負にも応じよう』
『いいでしょう! 勝負しましょう!』

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はチョキで、俺がグーだった。

『おや、どうしたんだ?』
『運だけのゲームなんですから、一度や二度の負けはありますよ』
『ほっほー。じゃ、次だ』

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はパーで、俺はチョキ。

『ぐぬぬ……次! 次です!』

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はチョキで、俺はグー。

『そんなバカな! 次!』

それから、十数回ジャンケンを繰り返したが、全部俺の勝ちだった。

俊敏-200の動体視力と反応速度を舐めてはいけない。一般人相手のジャンケンに全勝することくらいは朝飯前なのだ。

キャサリンは呆然と、自分が最後に出したチョキを見つめていた。

「先輩、それって反則じゃないですか?」
「別にインチキってわけじゃないだろ」

「何かしたんですか?!」

キャサリンはがばっと音を立てて顔を上げると、俺に迫ってきた。でかいから迫力がある。
そういや、三好が、『日本語が話せるグッドな人材』って、サイモンに頼んでたんだ。もしやこいつ日本語ペラペラかっ?!


「おま、日本語……」
「最初にボスが英語で話しかけてきたから、英語でレスポンスしました。それで一体何を?」
「別になにも? ジャンケンでどんなインチキをするって言うんだ?」
「今、ボスが反則って……」
「ああ、俺が反則級に強いって意味だ」

「も、もしや、相手の考えていることが分かるスキル持ち……だとか?」
「じゃ、別のことを考えたり、違う手を考えてれば勝てるんじゃないの?」
「くっ、もう一度です!」

なんとも負けず嫌いなやつだなぁ。でもなんだか面白くなってきたぞ。

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はパーで、俺はチョキ。

『も、もう一度!』

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はパーで、俺はチョキ。

それから、何度もジャンケンが繰り返された。しかし、勝利は全て俺のものだった。

『…………』

彼女は半分涙目で、拳を握りしめて、床を見ていた。
意外と可愛いな、こいつ。

「どうだろう、理解していただけたかな? キャシー君?」
「くっ。Sir Yes,Sir!」

そう言うと、彼女は、かかとをあわせて気をつけの姿勢をとった。
いや、極端すぎるんだよ、キミは……

ともあれ、俺達は非常に優秀かつ、客ウケしそうな鬼教官を手に入れたのだ。


088 キャサリンの報告 1月
8日 (火曜日)


西新宿パークタワーの41階では、サイモンチームの四人が優雅にアフタヌーンティーを楽しんでいた。


オーブの落札確認と受け取り準備のためにダンジョンから戻ってくるように伝えられていたが、戻ってみれば、マイニングを取得する人員の到着が遅れていた。

どうやら、ダンジョン攻略局が、人員を自分達の所から出すように強くねじ込んだせいで、人員の選定が白紙に戻ったのが原因らしい。


ダンジョン攻略局の言い分としては、資源なのだから自分達の管轄だということだが、ダンジョン攻略局としては、まだ調査段階だからうちのほうが相応しいといういうことらしい。

現場から見れば、アホじゃないの?と言いたくなるトラブルだが、管理チームはこういうところがポイントの源泉だからやむを得ないのだろう。


とはいえ、しわ寄せは現場に来る。
サイモン達は、十八層に戻るわけにも行かず、やむを得ず休暇としゃれ込むことにした。もっとも、彼らは建前上、休暇で代々木に来たはずなのだが。


ジョシュアはいかにも慣れた手つきで、カップを口元に運んでいる。
着慣れない襟や袖付きのシャツを着せられたメイソンは、窮屈そうにしながら、ティーフードをひたすら口に放り込んでいた。

フィンガーフードやプティスイーツは凄い勢いで消えていたが、すぐにトレーサービスがやってくる。

ここのアフタヌーンティーセットは、ティーはおろか、トレーサービスのティーフードも好きなだけ食べて良いのだ。流石はパークハイアット。45ドルもするだけのことはある。


「それで、ヨシムラはどうだった?」

シングルエステートのオータムナルを置いて、サイモンが聞いた。

オータムナルは通常秋に収穫されるダージリンだ。マスカットフレーバーとは無縁だが、その渋みにファンも多い。

だがサイモンは、内心大人しくコーヒーにしておけば良かったと思っていた。彼はコーヒー党なのだ。


「ヨシムラ? アズサではなくて?」

ナタリーがそれを聞いて、不思議そうに言った。

「ヨシムラだ」

キャサリンは一瞬逡巡したが、背筋をぴんと伸ばすと、すぐに上官の質問に答えた。

「非常にジャンケンの強い男でした」
「は?」
「ジャンケンというのは、所謂、ロック−ペーパー−シザーズで――」
「あ、いや、それは知っている」
「失礼しました!」
「キャシーは、彼に勝負を挑んだんじゃなかったのか? その時の彼の実力を聞きたいんだが」
「それが……」

キャサリンは、その時のことを詳しく説明した。

ダンジョンでの模擬戦を挑んだら、面倒くさいという理由でジャンケン勝負を持ちかけられたこと。

運だけの勝負では実力は測れないというと、ジャンケンが運だけだと思っているのかと、煽られたこと。

嘘だと思うなら、試しにやってみようと言われて応じたこと。
そして、驚くべきことに、一度も勝てなかったこと。

「勝てなかった? たまたまとかじゃなくてか?」
「100回は確実に挑みましたが、一度も勝てませんでした」

「一度も? アイコもなしか?」
「アイコ?」
「お互いが同じものを出すことだ」
「……そういえば、ありませんでした。不思議ですね」

一度もアイコがない以上、すべて初回でケリがついているわけだから、その確率は三分の一だ。
それが100回連続で起こる? もしも偶然だとしたら、その確率は
――

「a five-hundred-
class=SpellE>quattuordecillionth くらいね」

ざっと概算して、ナタリーが言った。

「クワトゥーオデッセリオンスなんて単語、聞いたこともないぞ」
「10の45乗って意味よ。だから分母は、5E+47くらい」
「もはや桁が多すぎて、想像も出来ん」
「大体地球上にある水分子の総数のオーダーね」
「余計に意味不明だ」

とにかくあり得ない確率だってことはよく分かった。

「なにか、トリックがありそうだったか?」
「私もそう考えました。それで、相手の思考が読めるスキルでも持っているのかと尋ねてみました」

「それで?」
「それなら、別のことを考えたり、違う手を考えてれば勝てるんじゃないかと言われました」
「やってみたのか?」
「もちろんです」

しかし全敗だったそうだ。
こんなあり得ない確率を叩き出すことは不可能だ。そこには何らかのトリック――おそらくはスキル――があると思うが、それが何かは想像も出来なかった。


「そうして、ジャンケンなら怪我もしそうにないし、いつでも挑んできていいと。負けたら他の挑戦も受けると言われました」


絶対負けない自信があるんだろうが、それはそれで好都合だ。

「キャシーはしばらく、ヨシムラの能力の秘密も探ってくれ」
「わかりました」

言われなくても、負けず嫌いのキャサリンは、芳村に挑む気で満々だった。

「それで、訓練プログラムは説明されたか?」
「いえ、それはおそらく今晩だと思いますが、しばらくプログラムについてのご報告は出来ないかもしれません」

「守秘義務契約か?」
「いえ。そうではなく、お前の上司連中は最初の顧客なんだから、報告するんならそれが終わってからにしろと」

「なにかあるのか?」
「感動が薄れるだろと言われました」

訓練に感動? 相変わらず面白いやつらだ。一体なにをやらされる事やら。

「守秘義務契約はしたか?」
「いえ。それが……」
「なんだ?」
「別に隠すことはないし、業務中に知り得たことは元の上司に話して良いから、まじめに仕事しろと」


それを聞いてサイモンは思わず吹き出した。

「すでになにもかも織り込み済みかよ!」

声を押し殺してげらげら笑うという離れ業を見せていたサイモンを華麗にスルーしたサービススタッフが、焼きたてのスコーンを運んできた。

ほくほくとしたそれに、添えられたジャムとクロテッドクリームをたっぷりとのせながら、ジョシュアがメイソンに、ジャムとクロテッドクリームのどちらを先に塗るべきなのかを力説していた。


「他にはなにかあるか?」
「……あの、報酬の件ですが」
「ああ、建前上は非常勤扱いってことにしてあるが、俸給は以前のまま支払われる。君の場合はE−6だったのが、出向で二階級上がっているからE−8だったな」

「あ、いえそうではなく……本当にDパワーズから給与を貰っていいんですか?」
「そりゃ、ボランティアじゃないんだから、貰わないわけにはいかないだろう」
「しかし……」
「なんだ? なにかあったのか?」
「……年25万ドルだったんです」

ひゅうと思わず口笛を吹いたサイモンに、一瞬まわりから視線が集まった。

「太っ腹ね。それって、O-10よりも多いわよ」


ナタリーが感心したように言う。0-10は、軍の大将に与えられるの給与等級で、その上限は、大体月2万ドル弱だ。


「仕事は、訓練教官だよな?」
「はい」
「守秘に対するボーナスが付いてるとか?」

退職金なんかにはよくある仕組みだ。

「それに関しては、先ほど申し上げたとおりです」

あいつらの考えることはよくわからん。
教官がそんなに貰えるんだとしたら、もしかして受講費用が破格なのか?

「ま、ジェネラルよりも高給取りのスタッフサージェントがいてもいいだろ。ここはUSMCじゃないんだ」


スタッフに紅茶のおかわりを頼みながら、ジョシュアが気楽に言った。

「くれるというなら貰っておけ。ダンジョン攻略局のフロントチームは、アイテムやオーブのボーナスで、もっとたっぷり稼いでいるからな、気にしなくても大丈夫だ」

「わかりました」

実際、フロントチームが賭けているのは命だ。それくらいの役得は用意されていた。
でなければオーブのオークションに参加できるはずがない。

サイモンは、目の前のマドレーヌをつつきながら、キャサリンに聞いた。

「最後に、ヨシムラってやつの印象を聞かせて貰えるか?」

その問いにキャサリンは即答した。

「非常に不思議な男でした」
「不思議?」

ただのGランクの探索者なのに、妙に物怖じしなかったり、かといって偉そうにするわけでもなく、奇妙にへりくだっていたり。

何か態度がちぐはぐで、違和感があったそうだ。

「それは、日本人の特徴だな」
「そういうものですか? あ、それに、ボス――アズサが忠誠を誓っているようなのも不思議でした」

「忠誠?」
「はい、彼女がヨシムラに、"Semper Fi!"と呼びかけていました。まさか海兵隊のモットーをここで聞くとは思いませんでした」


それを聞いたナタリーが、尋ねた。

「キャシー、それって、”せんぱーい”じゃなくて?」
「は? 確かにそのような感じでしたが」
「それは、”先輩”ね」

先輩はとても説明しにくい言葉だ。英語圏では、年齢の差が日本ほど重視されないこともあって、これにぴったりはまる言葉がなかった。

seniorでは年齢のことしか伝わらないし、
mentor だと少し遠い。実に厄介な単語で、多少日本語が出来る程度のキャシーでは誤解しても仕方がなかった。


「SEMPAI?」
「SENPAIね。なんていうか、比較的身近で、自分より長くそのキャリアを積んでいる人に対する呼称よ」

「はぁ……」

「ヨシムラは、前職で三好のチューターだったのさ」
「なあに、妙に詳しく調べてるのね?」

ナタリーが不思議そうに聞いた。

「あいつら、現代のエニグマだからな」
「たしかにアズサにはそう言うところがあると思うけど……」

オーブのオークションを始めたのも彼女だし、鑑定の所有者も彼女だ。
それを利用して、ステータス計測デバイスまで制作しているらしい。国の研究者からはすぐにひとつ買って送れとメールが来ていた。


「いいや。本当にヤバいのはヨシムラさ。賭けても良いぜ」

サイモンは、サービススタッフにコーヒーをオーダーすると、身を乗り出した。

「いいか。アズサが最初にダンジョンに潜ったのは、ダンジョンが出来た最初の年の終わりで、彼女はユニの学生だった。そこで、Dカードを取得した後、記録じゃヨシムラがライセンスを取得するまで一度も潜っちゃいないんだ」

「そしてヨシムラが、初めてダンジョンに潜ったのは、たった三ヶ月前だ。そして、それは前の会社を辞めた時期と一致している」

「いきなり会社を辞めて、ダンジョンに潜り始めたわけ?」

ナタリーが驚いたように言った。日本人には珍しい行動だったからだ。

「そうだ。何年も勤めていた会社を辞めてやることが、ダンジョンに潜る? ずっと趣味で潜っていたのならともかく、ライセンスも持っていなかったのに?」

「すこし異常ね」
「ハイスクールの生徒ならともかく、滅茶苦茶異常さ」

サイモンは肩をすくめてそう言った。ジョシュアは興味深そうに話に耳を傾け始めたが、メイソンは、われ関せずと小さなチーズケーキを口に放り込んだ。


「そうして、ヨシムラが会社を辞めるのと前後して、アズサは日本ダンジョン協会で商業ライセンスの講習を受けている」

「それが?」
「二年前に潜って以降、一度もダンジョンに興味を示さなかった女が、ダンジョンに入りもせずに、いきなり商業ライセンスをとりに行くか?」

「会社のコネで、独立して何か商売を始めようと考えたのかもよ?」
「その可能性は考えた。だがあいつらのいた会社は、ダンジョン素材に関してはまるきり後発で有力なコネといえるようなものはなさそうだったし、実際ヤツラはそんなコネを使っていない。関係している会社らしい会社は、デバイスの開発をしている医療機器のベンチャーだけだ」

「随分念入りに調べたのね」

ナタリーは呆れたように言った。

「ともかくアズサは、ヨシムラが会社を辞めるのにあわせて、商業ライセンスの取得講習を申し込んでいるんだ。どう考えても主体はヨシムラだろ?」

「結婚の約束でもして、一緒に事業を立ち上げようとしたのかもよ?」
「見通しゼロで、そんなバカをやるカップルがいないとは言わないが、あいつらがそんなタマか?」


それは全くその通りだ。
そもそも代々木の四層まではアイテムがドロップしない。初心者どうしでそんなことをやれば、あっという間に破産するだろう。無理筋にも程があった。


「で、やつはといえば、最初の一ヶ月は一層にしか潜っていなかったらしい。代々木の探索者連中に聞いたら、自殺野郎って一時期有名だったらしいぜ?」

「自殺?」
「何の防具も身につけず、一層から出たり入ったりを頻繁に繰り返して、ウロウロしてたんだとさ」

「ああ、自殺を決意したけど思い切れず、みたいな感じだったわけか」
「そう。そのとき日本ダンジョン協会の鳴瀬と出会っている」

ちょうどその時、注文していたコーヒーが届いた。
サイモンはそれを一口飲んで、やはりティーよりこっちだがアズサのところの豆の方が美味いな、あいつらどんな豆を使ってるんだ、などと思いつつ、話を続けた。


「いいか、ヨシムラは突然会社を辞めてダンジョンに潜り始め、意味不明な行動を一ヶ月ほど繰り返す」

「そして、アズサは、いきなり商業ライセンスを取得したかと思うと、一度しかダンジョンに入らず会社を辞める」

「そうしてアズサが会社を辞めて、10日も経たないうちに、突然例のオークションが開催されるんだ」


「ふーむ」

ジョシュアがなにかを考えるようにうめいた。

「結局その間、ヨシムラは一層で奇妙な行動を繰り返していただけだったし、アズサに到っては、初めてヨシムラがダンジョンに入ったときに一緒に入ったっきり、パーティが組まれるまで一度も入ダンしていない」

「そして、去年、二人で二層以降に下りたと思われる回数は、僅かに三回だ」
「あなたその情報どっから……」
「日本ダンジョン協会のセキュリティは、ちょっと甘いらしいぜ?」
「あのね……」

「だけどよ、その話を聞いているだけじゃ、あいつらがどこからオーブを都合したのか全然分からない……というより不可能だとしか思えないんだが」


それまでひたすら食べていたメイソンが、そう言った。

「そう。俺もそう思う。しかも先日、アズサは鑑定持ちだってことが明らかにされた。みんなそれで何が出来るのかに興味を集中させているが、それより問題は、どうやって手にれたのか?のほうなんだよ」

「モンスターを倒したんだろ?」
「それはそうだが、考えてもみろよ、お前ら一日373体も同じモンスターを倒す自信があるか?」

「まあ二十四時間使っていいなら、もしかしたら……いや、きついな」
「だろ? オーブの出現は偶然だとしても、一体どうやって373体も倒したんだ? 発表はゾンビだって話だが、例えそれがゴブリンだとしても、それはものすごく困難だ。つまり、あいつらには、それを成せるだけの何かがあるのは確実だってことだろ?」


キャサリンを除いた三人は一斉に頷いた。

「そしてここに、それを説明できるかもしれない仮説があるのさ」
「彼女たちが探索者の巨大な組織を作り上げてるとか?」
「それで情報が漏れないなら、CIAは頭を下げて、やつらに教えを請いに行かなきゃな。人間は群れるほど管理が難しくなる。だから情報がないってことは、関わっている人間がごく少数だってことだ」


何かを考えていたジョシュアが、腕をほどいて口を開いた。

「仮説……だよな?」
「もちろん」

午後の透明な光がハワイ産の竹を通過してジョシュアの顔に落としていた影が、微かに揺らいだ。


「ヨシムラが、突然現れた世界ナンバー1。それもおそらくぶっちぎりの」

サイモンは我が意を得たりと、手で銃の形を作って、それを祝砲よろしくジョシュアに向けて撃ち出した。


「その通り!」

だが、ナタリーはそれでも懐疑的だった。

「だけど、今のヨシムラに関する説明の、どこに1位になれるタイミングがあるっていうの?」
「みんなそう考えるだろう。だからいつまでもザ・ファントムのままでいられるのさ。方法はわからん。だがそう仮定するとあらゆる事がスムースに説明できる。ただそれだけだ」


彼女は、両手でエアクオーツを作りながら、「面白い推測ね」と言った。

「当然根拠はあるんでしょうね?」
「例えばヨシムラが会社を辞めたのは、ファントムが登場する直前だ。1位になったから辞めてダンジョンに潜り始めた可能性は高い」


サイモンは、手元のコーヒーで喉を湿らせてから続けた。

「他にも、そうした状況証拠なら山ほどあるが、俺が確信したのは代々木の探索者連中に聞いた答えかな」

「なんて?」
「エリア12のランク1位は、本当に突然、彗星のように現れただろ?」
「ええ」
「どんなヤツだろうと、それまで一緒に冒険をしていた仲間がいれば気付かれるだろうし、気付かれないまでもおかしく思われるはずだ」

「まあ、そうね」
「ってことは、そいつはソロか新人だ。しかも素材の供給市場に変動がなかった」

既存の探索者が、いきなりランクを上げた場合、彼らの売る素材に変動が起こる。
少しずつ上がっていくならともかく、突然ランクが変わったら、必ず目立つ変動になるはずだった。

仮に売るのを止めたのだとしても、それは提供素材の減少という形で現れる。

「だから対象は新人だ。しかも手に入れたであろう素材を売っていない。こいつはどうやって稼いでいるんだ?」

「それがオーブか?」
「かもな。第一何をやったにしろ、目立たないはずがない。なのに、探索者連中はおろか日本ダンジョン協会関係者に聞いても、誰も1位の予想を立てられなかった。まるでそいつが見えていないかのように、誰にも心当たりすら無かったんだ」

「だから、ザ・ファントムなんて呼ばれてるんでしょ?」
「そうだ。だが透明な人間なんているわけがない。つまり見えてはいたが、誰もそうだと認識しなかっただけなのさ」

「どういうこと?」

「ここ最近で、代々木の誰もが知っているくらい一番目立ってたのはヨシムラだったんだよ」

大体彼らには、ダンジョン攻略局の斥候チームだってダンジョン内で撒かれている。
いくらダンジョン攻略局の連中が無能だと言っても、素人に撒かれるような連中じゃないはずだ。

異界言語理解の際の九層の騒動を見れば、他国の連中も似たり寄ったりの目にあってるはずだ。

「それで、サイモン。あなた、一体何をどうしたいわけ?」
「俺達の仕事は、ダンジョンの、おそらく最終的にはザ・リングの調査と攻略だ」
「そうね」
「だが三年、いやもうすぐ4年か、やってもエバンスの三十層前後で苦労している」
「まあな」

31層のボスに、ボコボコにされたメイソンが、その時のことを思い出したのか、苦々しい顔でそう言った。


「俺は、やつらが、極々短い期間で、俺達の三年を軽く飛び越えてランク1位になった秘密が知りたいのさ」


それが自分達にもできるのなら、是非教えを乞いたかった。このまま攻略を継続したとしても、行き詰まりはすぐにやってくる。

新しいスキルオーブのおかげで、あと十層かそこらはのばせるだろうが、今までの状況を考えるとその先はわからない。


「このままじゃ、爺さんになるまでやっても、終わりが見えて来そうにない」

サイモンの疲れたような顔は珍しい。一気に老け込んだように見えるその顔に、しばしの沈黙が訪れた。

そろそろアフタヌーンティの時間は終わりだ。遥か遠くで楽しくさざめいているような人々の声が、聞き取れない音となって空間を満たしていた。


「というわけで、キャシー」
「あ、はい」

それまで黙って話を聞いているしかなかったキャサリンが、突然呼ばれてかしこまった。

「うまいことヨシムラを見極めろよ」

サイモンはにやりと笑って、そう言った。
キャサリンは、黙って頷くことしかできなかった。


089 プレ・ブートキャンプ(ダンジョンセクション)
1月11日 (金曜日
)


彼女が教官に決まってから三日。

「先輩。そろそろ準備が出来たそうですよ」
「お? 早かったな」

俺達は、ブートキャンプ用に、代々木のダンジョンゲート内にあるレンタルスペース一階の、直接表に出られる部屋を借りていた。

このスペースは、ダンジョンゲートを出ずに利用できるので、ダンジョンに出たり入ったりする我々のプログラムには丁度良かった。

なにしろゲートの出入りは、時間によっては少々面倒なのだ。

そこに、「ぼくたちがかんがえたさいきょーのぷろぐらむ」用の機器を運びこんでセッティングして貰っていた。


「んじゃ、キャシーに連絡するか」
「了解です」

、、、、、、、、、

それは、面接の日の夜、キャシーにプログラムの詳細を説明した後のことだった。

『え? プログラムを体験したい?』
『はっ! 自分が教えるプログラムを体験しておかないと、うまく教えられるか不安ですので』

「そりゃもっともですね」
「体験はいいけど、地上部分の搬入って、いつ終わるんだ?」
「日本ダンジョン協会と、代々木のゲート内施設の部屋をレンタル契約して、今各種機器を設置している最中ですから、あと数日ですかね?」

「なら、キャシーに体験させる時間もあるか」
「プレ・ブートキャンプですね!」

『というわけだから、大丈夫そうだ。たぶん次の日曜あたりに体験できると思うから、それまで資料を読み込んでおいてくれ。後は――』

『休みでいいんじゃないですか? ところでキャシーってどこに泊まってるんです?』
『今日はパークハイアットです』
『パークハイアット!? 高そうだな……』
『サイモン中尉が予約してくれたので』

「そうだ、先輩。あの人達、休暇だからって理由でパークハイアットのスイートにずっといるんですよ?! さすがに4部屋確保しようと思ったら、パークスイートしかないと思いますけど、正規料金で泊まってたら17万ちょっとですよ……」


うん。頭がおかしいんだよ。きっと。

『え? じゃあキャシーも? スイート?』
『いえ、私は、パークデラックスです。一番部屋数も多いですし』
『そうか』

「そういや、キャシーの住居ってどうするんだ?」
「それですけど、近くに良さそうな賃貸の物件を探しておきますから、当面そのままホテルにいて貰いましょう。料金はうち持ちでいいですか?」

「それはいいけどさ、物件と言えば俺の前のアパート、借りっぱなしだけど、あそこは?」
「築50年ですからねぇ……」
「だけど、ホテルじゃ狭いし、くつろげないんじゃないか?」
「先輩……」

三好が可哀想な子供を見るような目つきで俺を見た。

「な、なんだよ」
「先輩のあの部屋って、広さはいくらくらいでしたっけ?」
「えーっと、32平方メートルくらいだっけ?」

なんかそんな話を前にしたような。

「パークハイアットの、一番狭い部屋は45平方メートルですよ」

「ええ?!」
「キャシーのいる、パークデラックスは、55平方メートルですから」

「それがスイートじゃない1ベッドの部屋の広さなのかよ?!」
「ハイクラスのホテルにはシングルルームがないですからね」

いや、二人部屋にしたって広いだろ。
へたすりゃ通常の倍くらい……あ、だから値段も倍なのか。

『キャシーは済む場所や広さに希望はありますか?』
『いえ、特には。普通の物件で構いません』

アメリカ人の普通はなぁ……こちとら兎小屋の住人だから。

『では、すぐに用意します。それまでは、そのままハイアットに宿泊していてください。料金はうちで払いますから』

『わかりました。感謝します』

そうして機器の設置には特急料金が支払われ、突貫で行われることになったのだ。

、、、、、、、、、


キャシーは連絡を受け取るとすぐに、凄い勢いでやってきた。

あまりに興奮した様子に、俺達は苦笑しながら、彼女を連れて代々木でレンタルした部屋へと向かった。

そのスペースは、ダンジョン内の扱いなので、キャサリン達が使用する銃器も持ち歩ける場所にあった。


「キャシー。今日は日本語でお願い」
「わかりました、ボス」

初回はサイモン達だけど、それ以降は日本人が主体になりそうだし、練習は日本語が良いだろう。


ブートキャンプの手順は、まずステータスを計測するところから始まる。
三好が、キャシーに、設置されたSMD−PROの操作方法を説明しながら言った。

「じゃあ、実際に測定してみますから、先輩、そこに立ってください」
「うぃーっす」

俺が実験台になると言ったとき、キャシーの目が輝いたのを俺は見逃さなかった。
ふっふっふ。もちろん値はメイキングで調整してあるからな。この結果を報告して騙されてくれれば、願ったり叶ったりだ。


「じゃあ、キャシー。さっき言ったとおり、操作して」
「はい」

キャシーが手順通り操作すると、すぐに俺を計測した結果が、ミニプリンタで出力された。

、、、、、、
 HP 45.12
 MP 32.40

 力 15
 生命力 15
 知力 14
 俊敏 16
 器用 15
 運 15
、、、、、、

「名前は表示されないんですか?」
「計測しただけで名前はわからないですよ。Dカードじゃないんですから」

と三好が笑いながら、出力された結果の上に、『芳村圭吾』と書き足した。

「これは、強いのでしょうか?」
「どうかな。大体成人男子の平均が10になるくらいに設定してあるんだ」

調整って言うか、最初からその値だったんだけどな。

「ただ、女子でも8から9くらいですからね。1の差は結構ありますよ。ステータスは2も違えば実感できますから」

「じゃあ、ヨシムラはなかなかやる?」
「普通の探索者並かな。じゃあ、次はキャシーだ」
「OK」

キャサリンが、測定位置に立つと、三好が機器を操作して、測定はすぐに終わった。

「終わったぞ」
「……特に何も感じませんね」
「そりゃあ、ただ計測しただけだからな。身長や体重を測って、ぴかぴかエフェクトが飛び交ったりしたら変だろ」

「確かにそうですけど……あー、It’s quite anti-climactic.」

「そういうのは拍子抜けしたっていうんだ」
「ひょーしぬけした」

キャサリンはそう言い直すと、拍子抜け、拍子抜け、と呟いていた。
彼女の話す日本語に、おかしなところはほとんど無かったが、流石に日本語独特の表現は、やや語彙が足りなかった。


SMD−PROで計測されたキャサリンの数値は実に見事なものだった。


style='mso-spacerun:yes'>
Catherine Mitchell
、、、、、、
 HP 87.90 / MP 66.70

 力 34
 生命力 36
 知力 35
 俊敏 35
 器用 36
 運 12
、、、、、、

「流石はバックアップ。どこが欠けてもすぐにそこを埋められるようなステータス構成だな」
「スポーツなら、補欠は一芸に長じた方が有利って言われますけどね」

「私は昔から、えーっと、Jack-of-all-trades でしたから」

「なんだそれ?」
「Jack of all trades, master of none.っていう諺ですね。多芸は無芸とか器用貧乏とか」

「器用貧乏?」

いや、このパラメータは、器用貧乏なんてレベルじゃないだろ。
これを器用貧乏というなら、ものすごくレベルの高い器用貧乏だが、それはもはやオールラウンダーと言っていいんじゃないだろうか。


「いやいや、キャシー。これは器用貧乏じゃなくて、オールラウンダーって言うんだよ」
「all-rounder?」
「そう。非探索者のトップエンドはオリンピック級でも20は越えないし、
40もあったら一種の超人だから」
「先輩は、なんでもできて凄いと言っているんですよ」
「ありがと」

キャシーが少し照れたように下を向いた。
あー、色素が薄い人種は、顔の赤さがめだつって本当だよな。

「で、俺達はキャシーの戦闘スタイルを知らないんだが、どのステータスを伸ばしたいんだ?」

一応訓練成績はみたものの、すべてに渡って好成績だったため実際どんな攻撃が得意なのかわからなかったのだ。


「魔法は使ってみたいですが、オーブがありませんし、今のところは、銃とショートソードサイズのサバイバルナイフです」


主力はM4カービンかM27IARらしい。マリンコーらしいな。


「サブウェポンは、これです」

そう言って彼女がテーブルの上にごとりと置いたのは、25センチはありそうなごついリボルバーだった。

銃身には、500 S&W MAGNUMの文字が書かれている。


「4インチバレルモデルです。350GRの弾を使って、とっさの時の足止めを重視しています」

「私たちが撃ったら、手が折れるヤツですね、これ」

三好がそれを人差し指でつつきながら言った。
こんなのが二十層を越えると、あまり効かなくなっていくのか。

「魔法はなぁ……オーブは福利厚生で手にはいるけど、意外と魔法耐性のある敵も多いから……」

「お、オーブが、employee benefits?」


キャサリンは、何かを聞き違えたんじゃないかと不安げに聞き直したが、それに対する答えはにわかには信じられないものだった。


「そうだよ。個人で何十億も払えないだろ、普通」
「いや、それはそうですが……」

彼女の混乱を尻目に、説明は淡々と進んでいった。

「じゃあ、最終的に目指すのは、遠距離は銃で狙撃して、近づくと魔法で牽制しつつ、ショートソードで切り刻むタイプ?」

「まあ、そうですね」
「じゃあ、防御は受け止めるより、かわす感じで」
「はい」

俊敏・力型かな。魔法は牽制なのでそれほど重視しなくて良いだろう。

「魔法の属性は何がいいかな?」
「ぞ、属性?」
「そ。確かナタリーは火だっけ?」
「……そうです」
「水と火と土は心当たりがあるから、考えておいて」
「はぁ……」

自分の世界の常識とは違う、別の何かで動いているような会話に、彼女は、もはや何が何だかわからない様子だった。


「大体方向性は分かったから、パーティを組んだら、さっそくファーストダンジョンセクションに向かおう」


ダンジョンブートキャンプの本プログラムは、ダンジョンセクションと、地上セクションが交互に行われる。

件の効率的な経験値稼ぎのことを説明しないでなんとか取り込めないかと考えたわけだが、実際は、このしち面倒くささが、何かしているという錯覚を引き起こすだろうというもくろみもあった。


ダンジョンセクションは、ランニングだとか座禅だとか、そういうありがちな要素で、少々風変わりでも納得しやすいものが多いのだが、地上セクションは、一体これが何の役に立つんだ? というもので占められている。

それにどんな反応が返ってくるのか少し楽しみだった。

、、、、、、、、、

パーティを組んで二層に下りた俺達は、すぐに階段から少し離れた位置のスタート地点として目星をつけておいた、少し開けた場所へと移動した。


「最初のダンジョンセクションは、ランニングだ」
「はい。二層の外周、31.4キロと聞いています」

「そうだ。で、俺達は根性がないので、キャシーと一緒に走ることは出来ない。そこで、三好」

俺は、冷静に聞くと情けない発言をしながら三好を促した。三好は頷くとすぐに、「グレイシック!」と言った。

すると、三好の影から、巨大なヘルハウンドが現れる。
キャサリンは、思わず腰の後ろからM500を取り出して構えようとしたが、俺が銃身を上から押さえて、それを下げさせた。


『おちつけ。あれはペットの犬だ』
『ペット?!』

キャサリンは両手で下げた銃を構えたまま、驚いたように繰り返した。

「ちょっと大きいが、可愛いものだろ?」

そう言って俺はグレイシックの頭をなでた。
お前、三好になでられるときは、へこへこ頭を下げる癖に、俺の時は上げたままなのかよ。

「か、可愛いって……ヘルハウンドじゃないんですか?!」
「よく見ろ。目が赤くないだろ」

そういって、俺はグレイシックの目を指さした。
ヘルハウンドの目は赤い。だがアルスルズのは目は、見ようによっては金色だ。

「た、確かに……」

やっと落ち着いたのか、銃を腰の後ろに戻したキャサリンは、おそるおそるグレイシックに近寄った。


「ほらみろ。ちゃんと首輪もしてるし、渋谷区の鑑札も付いてるだろ」
「あ、かわいい」

思わず彼女が言ったとおり、渋谷区のというよりも東京都の大部分の自治体の犬鑑札は、可愛い犬の形をしている。

普通に世田谷や葛飾あたりのノーマルな形が邪魔にならなくて良いと思うのだが……
それでも杉並の鑑札よりはマシなのかも知れない。なにしろゴルゴ13に狙撃されたかのように、額に穴の開いたなみすけなのだ。


「鑑札があるからには、こいつは自治体が認めたペットで、犬だ。いいな、これは、犬だからな」

「は、はい」

キャサリンが、おそるおそる手を出すと、グレイシックはそのてをぺろりとなめた。

「ひっ。あ、味見されたわけじゃないですよね?」
「犬は、普通、人は喰わん。……たぶん」
「たぶん?!」
「先輩、話が進まないからいい加減にして下さい。大丈夫、食べませんよ。ほら、なでてあげて」

「は、はぁ……」

キャサリンは三好に引っ張られて、グレイシックの腹をなでた。

「……さらさらしてて、気持ちが良いです」
「でしょう?」

「で、こいつを見張りにつけておくから、何かあったらこいつに頼れ」
「み、みはり?」

三好が目配せすると、グレイシックは、キャサリンの影に潜り込んだ。

「へ? 一体どこへ?」

そう言ったとたん、キャサリンの影から頭だけ出したグレイシックが、ワフーと鳴いた。

「うわっ……って、なんでこんなことができるんです?」
「そりゃ、ヘルハ……ごほん。日本の犬は多芸なんだ。何しろニンジャの国だからな」
「Oh! ニンジャ!」

やはり外国人にはニンジャだって言っておけばなんでも通る……わけないよな。
納得したのかどうかはわからなかったが、キャサリンは、しばらくグレイシックと親交を深めていた。


「まあ、そういうわけで、そいつをつけておくから、安心して走れ。間違った場所へ行こうとしたときも教えるよう言ってあるから」

「分かりました」
「一周してここまで戻ってきたら、次は地上セクションだから、さっきの部屋まで戻るように」
「了解です」
「ではスタート!」

俺がそう言うと、キャサリンは結構なペースで走り出した。

「あれで31.4キロも走れるもんか?」
「ステータスが軒並み30を越えてますからね、ひょっとしたら一時間ちょっとで戻ってくるかもしれませんよ」

「そりゃダントツ世界記録だな」

国際マラソンの優勝記録の30キロ地点のタイムは一時間
26分前後だ。女子なら一時間38分くらいだろう。

悪路でもあるし、いくらなんでもそんなペースで走れるとは思えないけれど、念のために一時間くらいで見ておこう。


「で、私たちはどうします?」
「んー、一時間か……ちょっと農場を覗きに行くか?」
「そうですね。行って戻るくらいなら、大丈夫でしょう」

俺達の農園では、種から育てた麦が芽を出したのだが、カットしても、今のところリポップする様子はなかった。

しばらく様子を見るつもりだが、やはり受精が必要か?と三好と相談しているところなのだ。

俺は、三好のステータスを元に戻すと、農場に向かって走り出した。


090 プレ・ブートキャンプ(その頃の農場)



「さてさて、小麦ちゃんはどうなってますかねー」
「お前、植物に名前をつけるタイプ?」
「犬にイヌだの、猫にネコだの名前をつけるのは先輩でしょ?」

カヴァスとアイスレムが、元気に周辺の掃除に向かう中、俺達は鍵を開けて扉を開いた。

最初に植えた、小麦の芽は、すでに十センチ程に伸びていた。
正面の畝の左側には、来る度に一本づつカットしている小麦が並んでいて、今になってもリポップしていなかった。

今日の小麦を一本カットすると、定位置で状態を撮影した。

「やっぱ、リポップはしないのかな。もう結構経つよな。……って、三好?」

三好はなにか夢中で手元のタブレットを取り出して、過去の写真を引っ張り出していた。

「おい、どうした?」
「せ、先輩。そこ」

三好が指さした先は、入り口の右側にあたる場所で、木を抜いた後に植えた小麦が芽を出していた所だった。


「なんだよ?」
「ずっと左からカットしていましたから、こないだは、確かにそこをカットしたんです」
「どこ?」

その一列の畝には、カットされた小麦は何処にもなかった。

「お前の気のせいじゃなくて?」
「だから、それを確認していたんですが……ほら」

三好がタブレットに表示した写真には、確かにカットされた小麦が写っていた。

「え? それってもしかして……」
「リポップ……してますね。たぶん」

俺達は顔を見あわせると、お互いの頬をつねりあった。

「いひゃいれす、へんはい」
「いひゃいな」

あまりの衝撃に我を忘れた俺達は、夢でないことを確認すると、今更のように驚いた。

「ええ?! 向こうの小麦とこっちの小麦と何が違うんだ?」

リポップしない小麦――面倒だからNRWとしよう。Non-
class=SpellE>Repop Wheatだ。リポップする方はRWだ。
植えた時期はNRWの方が早い。RWは、植える場所がなかったため、木を引っこ抜くテストが終わるまで放置していたやつだ。


「場所と種が違いますね」
「場所はわかるが、種?」
「RWは、NRWを植えた後、余った種を柵に引っかけたまま忘れて持ち帰らなかった種なんです」

「つまり種のままダンジョン内に何日か放置されていたってことか?」
「です」

俺達は、その種を、NRWの畝の空いている場所に少しだけ植えた。
そして、保管庫の中に残っていた種を、RWのある場所に同じように植えた。

「これで、芽が出れば、場所と種のどちらが原因かがわかるだろ。だが十中八九――」
「種ですよね」
「だろうな」

種のままDファクターに触れさせておくと、発芽したときそれがダンジョン産だと見なされる。
発芽後はDファクターに触れていても、ダンジョン産だと見なされない、ってのが一番しっくり来る。

とは言え実証は今日植えた種の発芽待ちだ。

「もしそうだとすると次は、どのくらい放置しておけばダンジョン産だとみなされる種になるのか、だな」

「ですね。あと、この種もちょっと調べてみたいんです」
「種の何を?」
「ステータス計測デバイスの試作機があったじゃないですか」
「ああ、あの無駄にハイスペックな」
「そうです。あれにかけて生データを取り出せば、普通の種との違いがわかりませんかね?」
「そうか。あれがDファクターの活動を検出しているとすれば、なにか違いがあるかもな」
「ですよね!」
「よし、時間経過によって何かが失われるかもしれないから、それは保管庫に入れておこう」
「お願いします」

俺は、特になにも考えず、それを保管庫に収納した。

「こうなってくると、動物も確認したいよな」
「家畜ですか?」
「豚とか牛とか、鶏とか。リポップしたらお肉取り放題だぞ?」
「先輩。植物と違って、動物を狩ったら、次にリポップする位置はランダムですよ」
「ああ、そうか……たしかに」
「まあ、野生種みたいな扱いにはなるかもですけど。それ以前にモンスターみたく、狩られた方が黒い光になっちゃったりしませんかね?」

「それはありうるな……」

俺は保管庫から、冷たい水を取り出して、三好に渡した。
少し興奮したので、喉がカラカラだ。

「リポップが確認されたとなると、次の懸念は成長ですよね」

三好はそれを飲んで、リポップした麦を見ながらそう言った。

「成長?」
「だって、先輩。ダンジョン内の動植物は、どれも最初から成体で子供はいませんよ?」

それは確かだ。なにしろ植物は育っていない。それが三好が植物リポップに気がつく原因になったんだ。

ダンジョンの世界に子供のモンスターも見つかってない。
フィクションならゴブリンやオークにはいても良さそうなものだが、発見されたことはない。女性探索者がピーされたという話も聞かなかった。


「カヴァスの小さいのとかがいたら、もうモフモフで可愛いんですけどね。きっと、ケンケンって鳴くんですよ!」


そういや、あいつら生殖は一体どうなってるんだ? そもそも性があるのか? 今度調べて……

「先輩、何か不埒なことを考えていませんか?」
「え? いいや、そんなことはないぞ。ね、念話だって漏れてないだろ?」
「最近、使い方がうまくなりましたもんね。使うときだけ送信をオンにしてるんでしょ?」
「あー、まあ……それはともかくだな。つまり、リポップするようになったら、そのまま成長しないんじゃないか、って懸念か?」

「もしもそうなら永遠に実なんてなりませんよ」

リポップするようになったあの小麦が、その状態のまま固定されるとしたら、そりゃ実がなるはずがない。


「小麦を見る限り、ダンジョン内に持ち込んだ、ダンジョンに属さないものは、そのまま成長してるよな」

「そりゃそうでしょう。もしもそうでなかったら、ダンジョン内で暮らしてさえいれば、不老になっちゃいますよ?」

「そりゃ、世界が震撼するな」
「上層の土地の値段が上がりそうです」

俺は少し不安になって言った。

「さすがにそれはないよな?」
「あの、リポップしない小麦が、成長して実を為した後、その一生を終えるまでは安心できませんけど」


「次にダンジョンがオリジナルを生成したものは、成長せず固定されている」
「してるのかもしれませんけど、寿命の分からないモンスターの、個を識別することも出来ない状態で三年しか経ってないのでわかりません」

「リポップ時に同じものが出来るから、生殖の意味も成長の意味もないのかもしれないが……ところでリポップって、記憶の継承はどうなってるんだ?」

「されてないと思いますけど。でないと、探索者に恨みを持つ個体が大量に出そうですし、段々学習して討伐難易度が上がっていくんじゃないかと……どうしてそんなことを?」

「いや、だってさ。人間がリポップして、記憶を維持していたりしたら、世界は大混乱に陥るぞ?」

「……それは、そうですね。生体認証も、どんなに複雑なパスワードも、全然役に立ちません」
「本人は自分のものだと思ってるかも知れないけどな」
「クローンがネタのSFより酷いことになりそうです」

「まあ、それはともかく、話を戻そう。現状では草のこともあるし、成長しないと仮定しておこう」

「了解です」

「そして問題は、外から持ち込んだが、ダンジョンが自分に属すると判定するようになったものだ」

「種がそうだとすると、ちゃんと芽が出ているんですから成長するんじゃないですか?」
「あの芽の状態まで育ったときに、自分に属すると判断したのかもしれないだろ」

我ながら都合が良すぎると思うが、可能性としてはあり得るのだ。

「うーん……なら、もう少しありそうな可能性がありますよ」
「なんだ?」
「Dファクターによる種の汚染は――」
「待て。汚染はなにか語弊があるな」

表沙汰になったとき、忌避感が先に立ちそうだ。
そう言うと三好は頭を捻った。

「イメージは良くないですけど、他に適当な用語がない気がするんですけど」
「イメージは重要だろ。特に大衆向けの時は」
「まあそうですけど。作用とか影響だと何か違いますし……浸潤?」
「癌をイメージしそうだが、汚染よりはましか」
「もういっそのこと、新しい単語を作っちゃいますか。ダンジョン化を意味する。D化とか」

冗談っぽくそう言った三好の言葉に、俺は笑って応えた。

「なんだか最近Dだらけだな」

「じゃあ、ダンジョンに適応するわけですから……進化?」
「世代は越えてないけど、一応適応進化の範疇と言えるか……それで行くか」
「了解です。ランエボならぬ、ダンエボですね」
「それじゃ、コナミのゲームだよ」
「じゃ、名詞はD進化で」
「結局Dじゃん」

「ともかく、Dファクターによる種の汚……進化は、それがダンジョンの管理対象だというフラグみたいなものがオンになった状態だっていう可能性です」

「? どう違うんだ?」

「いいですか、先輩。ほとんど無数にあるダンジョン内のオブジェクトに対して、ダンジョンが常にその管理を行っているというのは、あまりに煩雑だし現実的じゃないと思うんです」

「まあ、ポーリングで全オブジェクトを処理するのはリソースの無駄遣いだし、ちょっと現実的じゃないよな」

「です。だから、きっと、イベントドリブンのような方法で管理されているんだと思うんです」

イベントドリブンは、処理対象になんらかのイベントが発生したとき(モンスターのリポップなら、倒されたときだ)に、そのイベントを管理者に通知して処理を行うテクニックだ。

現代ではリアルタイム性が必要とされていないOSは、ほぼ全てがこの技法を採用している。
誰かが画面をタップすると、タップされたというイベントがOSに通知され、そこからタップされたという情報が各アプリに送られて、それぞれ処理されているのだ。


「そして、ダンジョン内のオブジェクトに何かのイベントが発生したとき、その情報は、イベントキューみたいなものに突っ込まれるんですよ」


キューは、データ列の両端からしかデータを出し入れできない構造のことだ。
コンビニのドリンクの陳列ケースは、店員が後ろから順番に入れたボトルを、客が前から順番に取り出す。こういう構造のことをキューと呼ぶ。

ダンジョン内のオブジェクトに起こったイベントは、店員が後ろからボトルを詰めるかのごとく、このキューに入れられ、ダンジョンは客のごとく先に詰められたものから順番に取り出して、それを処理していくということだ。


「それを順番にダンジョンが処理してる?」
「そうです。Dファクターによって進化させられていると、そのイベントがキューに入れられるようになる、と考えるんです。そしておそらくD進化されたことを通知するイベントはないんですよ」


ダンジョンのオブジェクトは、通常ダンジョンが作り出す。
したがって、全てのオブジェクトは最初からD進化しているわけだから、それを通知する意味はないってことか。


「そうして、最初にそのオブジェクトのイベントがダンジョンに通知されたとき――」
「そのオブジェクトのプロパティにエラーがあると、それが修復される――つまり、成長が固定されるってことか!」

「それっぽくないですか?」

俺は大きく頷いた。

「この仮説の正しさは、あのリポップした小麦がこれ以上育たなくなることで、ある程度実証されるな」

「もしこの仮説が正しいとしたら、それはそれで難しい問題があるんですけどね」
「実がなるまで、どうやってダンジョンへの通知を防ぐか、だな」

それは、非常に難易度が高そうだった。なにしろヘタをすると虫に葉を囓られただけでアウトなのだ。ダンジョン内にそんな虫がいるかどうかはわからないが。


「だけどさ、三好」
「なんです?」
「通知されずに成長しきった麦を収穫したとするだろ」
「はい」
「そうすると、おそらくその状態にリポップする」
「それを期待しています」
「なら、そのリポップした小麦の種は、当然ダンジョンが生成したんだから、成長しないよな」
「……究極のクローン防止ですね。F1どころか、雄性不稔より確実です」

「だけど、初回に収穫された種は、絶対にD進化しているはずだけど、ダンジョンに通知はされていない」

「たぶん、種苗になりますね」
「さらにその種から作られた小麦も、初回生産分は同様だ」
「それも、種苗になりますね」
「つまり、俺達がやるのは、俺達の世界の種を最初にD進化させるだけ! 後のことは無限の初回生産連鎖でOK! つまりは楽!!」

「そういうことですか」

三好が呆れたように笑った。

「いや、永遠に種苗を作り続けなければならないかと、ちょっと焦ってたんだよ」
「世界はヒーローに厳しいですからね」
「まったくだ」

一旦常態化すると、ちょっと休んだだけでも文句を叫ばれたりするからなぁ……それでも頑張るヒーロー達って凄いよな。


「でも先輩。大量の小麦の種をダンジョン内に積み上げて、それを出荷したほうが楽で早くないですか?」

「んん?」

よく考えてみたら、種のD進化を小規模に行わなければならない理由はなにもない。
しかも、その工程に、自分が関わる必要はまったくなかった。

「確かにそうだな……いや、ちょっと待て」
「なんです?」
「もしも、小麦の種が、ダンジョンに放置しておくだけでD進化するんだとしたら、それって、植える必要なくないか?」


単にダンジョンから持ち出すだけでリポップするのでは?

「先輩、もしそうだったとしても、リポップ先はランダムですよ?」
「あ、そうか。代々木でそれを一粒ずつ拾うなんて不可能だし、実証も難しいな……」

しかもリポップした種は、仮説が正しければそのまま育たない。麦になることもないから、麦が生えることで確認することもできないだろう。


「もっとフロア面積の小さなダンジョンがあればな」
「フロア面積が小さなダンジョンはいろいろ使えそうなので探してみますけど、私はリポップしないと思うんですよね」

「その心は?」
「それだと本当に単純な3Dコピー機みたいな扱いになるからです。種を利用するものは全てコピーできることになりますし」

「ダンジョンの矜恃ってやつ?」
「そんなものがあるかどうかは分かりませんけどね」

「いずれにしても、実証が出来た段階で、D進化させるところだけ特許を出願しておきましょう」


そう言って三好は笑顔で今日の実験のメモを取り、写真を撮影した。

、、、、、、、、、

その頃、キャサリンは結構な速度で外周を走っていた。

『んぉっと!』

時折現れるゴブリンやウルフよりも、木々や密度の高い草むらの方が面倒だったが、回避したりなぎ払ったりすることで、どうにか道は開けていた。

もっとも一番の強敵は、時折現れてはじゃれるように体を寄せてくるグレイシックだったが、キャサリンは草原をペットのイヌと一緒に走っている気分になって楽しかった。

グレイシックとしては、たんにルートを外れそうなキャサリンを元のルートに戻しているだけだったのだが。


『ただ走ってるだけなのに、確かにいい訓練になるかもな』

大きな犬って良いなぁ。ボス、譲ってくれないかな。

犬?と戯れながらランニングしている彼女の姿は、時折二層の探索者によって目撃された。
そうして、彼らの目は、一様に大きく見開かれることになる。

なぜなら彼らにとってそれは、大きなモンスターに女性が襲われているかのようにしか見えなかったからだ。



091 プレ・ブートキャンプ(地上セクション)



大きく肩を上下させながら、キャサリンがレンタルスペースの扉を開けたのは、開始から90分ほどたった頃だった。

ちゃんと約30キロを走って来たとしたら、完全に世界記録ペースだ。


「お疲れ様です。では、すぐに地上セクションに入りましょう。先輩、お願いします」
「えーっと、キャシーが希望した方向性は、俊敏・力型だから、まずはこれかな」

俺がパーティションで区切られた奧の小部屋の中から、俊敏と書かれたプレートが貼られている扉を開けた。


「え? これはなんです?」
「あれ? 資料にあったと思ったけど。知らない? ビーマニ。一世を風靡した音ゲーだけど」

そこに置かれていたのは、
class=SpellE>Beatmania
II DX。通称弐寺だ。スタンドアローンで動作するようにしてもらってある。

「ああ、ニデラというのはこれでしたか」

どうやら資料には弐寺と書かれていたらしい。三好作だから……。

「まあ、筐体そのものは少し改造してあるけどね。はいこれ、つけて」

ゲーセンじゃないんだから、大音量を垂れ流すわけにはいかない。俺は彼女にヘッドフォンを手渡した。


最初は無線のスッキリしたイヤフォンを用意したのだが、遅延が問題になって使えなかった。
ブルートゥース接続だと、低レイテンシーの
class=SpellE>aptX Low Latency でも、最大 40ms 程度の遅延が生じる。それが、高俊敏の探索者にとっては結構な問題になりそうだった。


幸い弐寺は、頭が動くタイプの音ゲーではなかったので、ホールド感のあるオープンエアのヘッドフォンをいくつか用意して、適当に選択して貰う形式にした。

もちろん自前のヘッドフォンを使っても良い。他人と共用が嫌な人もいるだろうし。

「はい」

そうして俺は、彼女にプレイ方法を説明した。

「わかった?」
「ええ、落ちてくる板に合わせて、この7つの鍵盤を叩いて、ターンテーブルを回せばいいわけですね」

「まあそう。スタートはこのボタンで」

この筐体は俊敏用特訓専用なので、プレイスタイルやネームエントリーなどはすべてスキップさせてある。

スタートボタンを押せば、すぐにプレイが始まるようになっているのだ。

「最終的にはスコアランクでトリプルAを目指すんだけど、最初はとにかく最後までプレイできることを目指して」

「わかりました」
「じゃ、スタートボタンを押したら始まるから。最後までプレイできなかった場合でも、自動で繰り返しチャレンジできる設定になっていて、ゲームオーバーが表示されたら終了だ」


そう言って、俺は部屋を出ると、この後起こるはずの惨状を想像して、ニヤニヤと笑ってしまった。

なにしろ、この弐寺、穴冥専用だから。

当然のように、部屋の中からは、「え?」だの「は?」だの「ファック!!!」だのが断続的に発せられていた。


「いや、先輩。あれは無理じゃないですか? 私、一瞬で終わりましたよ?」
「探索者じゃない人が、EXスコア3800を越えてるんだぞ? 探索者なら大丈夫だろ?」


このゲームは、ある程度ぴったりのタイミングで押された場合、グレートという評価になる。そして、その中でも更にジャストタイミングで押されていれば、パーフェクトグレート、通称ピカグレと判定されるのだ。

EXスコアは、ピカグレが2ポイント、グレートを1ポイントした点数で、穴冥は2000ノート(
2000回押すタイミングがある)なので、MAX(全部ピカグレにしたとき)だとEXスコア4000になるわけだ。


とは言え、かく言う俺も一瞬で終わった口なのだが……
その時、バーンと音を立てて俊敏ブロックの扉が開いた。

「ヨシムラーーー! 誰があんなのを最後までプレイできるんですか!」
「え? できない?」
「無理! ぜーーーーったい、無理!」

仕方ないなぁ、と俺は、タブレットを取り出すと、キャシーに穴冥のプレイ動画を見せた。

class=SpellE>youtubeには、絶対コマ落としだとしか思えないような動画が沢山上がってるのだ。

キャサリンは、それを見ると、思わず「ほぇ?」と情けない声を上げた。

「それ、非探索者の一般人だからな」

大抵はダンジョンが生まれる前の動画だから、プレイヤーは非探索者で間違いない。

「う、うそ?」
「短期間で俊敏を伸ばしたいんなら、このくらいは出来なきゃダメってことだ」
「くっ」
「ともかく俊敏の地上セクションは、あれのクリアが目標だ。で、失敗したら、二層へ戻ってゴブリンを一匹倒す。それが終わったら戻ってきてもう一度、アレ」


俺は、親指で、奧の扉を指さしながらそう言った。

「それが1セット。で、8セット毎に、あそこで三好が用意してるドリンクを飲む。これで1ラウンドだ」


向こうでは、小さな紙コップに、三好が怪しげなドリンクを用意していた。

「分かったか?」
「わかりま……Rock, Paper, Scissors, Go!」


彼女はパーで、俺がチョキだった。

「ううう……わかりました」
「じゃ、行け。ゴブリン一匹だぞ」
「はっ!」

キャサリンはそう言って気をつけの姿勢を取った後、駆けだした。

「で、一体それは、なんなんだ? 青汁じゃなかったのか?」

俺は三好が用意しているドリンクを指差して言った。

「青汁って、CMのイメージが先行しているだけで、今じゃそれほどマズイって感じでもないんですよ。これはですね……飲んでみます?」

「嫌な予感がするんだけど」
「まあまあ、皆にも飲ませるんですから、味見くらいしておかないと」

そう言われて、俺はおそるおそるそれを口にした。

「ぐぇえええ……なんだこりゃ。口の中がもにょもにょするぞ」

一口飲んだ瞬間、鼻の中に異様な青臭さとツーンとした刺激が突き刺さり、思わず咳き込みそうになる。舌の上ではあまりの苦みが、これは毒だとガンガン警告を発していた。


「主成分は、アマロスエリンにスウェルチアマリンですね」
「またしても呪文かよって、こりゃ酷い」

俺は、げほげほと咳き込みながらそう言った。

「先輩。味の認知に関する感覚の専門家の間では、マズイというのは苦みであると結論づけられているんですよ」

「毒物が大体苦いというところから来てるってのは聞いたことがあるが……」

「何しろ、クミ配糖体っていうくらいですからね。ニガミと書いてクミですよ」
「苦しい味かよ……」
「普通に淹れたときは、センブリ茶って呼ばれてます。それのハイパーバージョンですね」
「センブリ茶って、こんなに苦いわけ?!」
「普通のやつは、もう少しマシですよ」
「もう少しって……だけど、瞬間的にはこの刺激臭の方がきついぞ」
「それは、数滴追加した、アリルイソチオシアネートですね」
「なんだそれ?」
「ほら、ワサビのツーンです」

あれをホットにしちゃうとこうなるのかよ……湯気を吸い込むだけで咳き込みそうだ。

「揮発性なので、そのままにしておくとすぐに消えちゃうんですけどね。アリルの追加は、ラストバージョンだけにしようと思います。最後のガツンですね」

「俺もそれが良いと思うぞ。健康的には大丈夫なんだろうな?」

俺は涙を浮かべながら言った。

「量的に全然問題ないレベルです」
「ならいいけどさ。しかし酷いな、これ……」
「これくらい効きそうなら、ステータスが伸びてもおかしくないですよね?」
「そうかぁ?」

俺は、頑張って8回も往復した後に来る、この地獄を考えて、キャシーが少し可哀想になった。

、、、、、、、、、

代々木で講習会の申し込み事務を手伝っていたとき、鳴瀬美晴の内ポケットが振動した。
スマホを取りだしてみると、彼女の上司からのコールだった。
珍しいなと感じながら、少し離れることを同僚に告げて、その場所を離れてから電話を取った。

「はい、鳴瀬です」
「斎賀だ。今大丈夫か?」
「はい。Dパワーズのみなさんは、ブートキャンプのテストらしく代々木に潜ってらっしゃいますし、こちらは講習会事務の手伝いをしているくらいです」

「そうか、それでか……」
「どうかされましたか?」
「いや、今、代々木の二層外周で、巨大なヘルハウンドのようなモンスターに女性が追いかけられているという報告が多数上がってきていてな」

「二層でヘルハウンド?」
「Dパワーズが潜っているのって……」
「あー、二層です」
「秘匿してたんじゃなかったのか?」
「それが、どういうわけか、渋谷区の鑑札が下りまして」
「はあ?」
「四匹は正式に区に登録された『犬』になったんです」
「渋谷区は何を考えてるんだ」
「犬の登録って書類の提出だけですからね。特徴に、真っ黒で金色の瞳、とだけ書いたら受理されたそうです。一応種類を書く場所があるんですが、ヘルハウンドで何も文句は言われなかったそうです」

「要注意の犬種に含まれてないって理由だろうな」
「だと思います」

斎賀は自分の組織を棚に上げて、お役所仕事もたいがいにしろよと頭を抱えた。
ダンジョン内にペットを持ち込めないというルールはない。ハンター出身の探索者が狩猟犬を持ち込むことも普通にある。

もはやヘルハウンドという種類の『犬』の持ち込みを制限するルールはどこにもなかった。

「しかし、そんなでかい犬を連れて外を歩いたら騒ぎになるだろう?」
「課長、彼らは犬とは言えモンスターですよ?」
「それは知っているが」
「アルスルズ、あ、あの四匹のことですが、アルスルズは影に潜れるんです」
「なんだと?」
「だから普段は、三好さんの影の中にいるんですよ」

美晴は、時々は私の影の中にも、と心の中で付け加えた。

「……三好梓がテロリストでなくて、本当によかったな」

それはまったく同感だ。

「ですね」
「とにかく大丈夫なんだな?」
「首輪が付いていて目が金色のヘルハウンドなら、攻撃しなければ大丈夫です」
「わかった、こっちはその線で処理しておく」
「お願いします」

電話を切った美晴は、はあとため息をひとつ付いた。
その理由が、アルスルズをなで回したいという欲求から生まれたなんてことは、その場の誰にもわからなかった。


、、、、、、、、、

「んごふぁ! What the fuck!! なんですかこれ! げほげほげほ」


俊敏8セットを終えたキャサリンが、ラウンドの仕上げのスペシャルティーを飲んで、この世の終わりが来たかのような形相でむせていた。


「それはステータスを引き出すための、秘伝のお茶だ」
「Oh! HIDDEN!」
「それじゃ隠されてるじゃないか。秘伝だ、秘伝。the
class=SpellE>ourmysteries だ。……あれ? そういや似たようなものだな、どっちも」


俺はそこで咳き込んでいるキャシーに、冷たいミネラルウォーターを渡しながらそう言った。
彼女はそれを一口飲んで落ち着いた。

「はぁ……」
「で、1ラウンドこなしたわけだが、どうだった?」
「はぁ。なんだか遊びみたいで、これで効果があるとは信じられません」
「まあそうだろうな。じゃ、それを全部飲んで5分経ったら、もう一度計測してみろ」
「え、これを全部……飲むんですか?」
「そう。それが肝要なんだよ」

キャシーは、心の底から嫌そうな顔をしてそれを一気に飲み干した。
いや、それ、まだワサビパワーが含まれてないヤツだからな。それでも大分マシなんだぞ?

俺は、お茶の余韻にげんなりしている彼女を尻目に、こっそり奧へ行くと、メイキングを起動して彼女の俊敏に3を加えた。

そして5分後。

「うそ……」

、、、、、、
 HP 87.90 -》 88.20
 MP 66.70 -》 67.00

 力 34
 生命力 36
 知力 35
 俊敏 35 -》 38
 器用 36
 運 12
、、、、、、

彼女は測定された自分のステータスを、開始時に計測した値と見比べて驚いていた。

「たった1ラウンドで3ポイント? つまり10ラウンドやればほとんど二倍になるってことですか?」

「え? ああ、まあ限度はあるけどな」

『もともとが10ポイントだとすると、ざっと
1000日で+25ポイントよね? つまり1ラウンドで
……120日分と同じ?!』

キャサリンが早口で呟いた。

「いや、まて。限度はあるんだぞ?」
「どんな?」

そこで俺は、この訓練の詳細について説明した。
この訓練は、今までダンジョンで培ってきた経験をステータスとして効率的に取り込むものであること。

この訓練自体で純粋に手に入れられる経験値は、それほど大きくはないこと。
そのため、ある程度以上の経験がないと、今ひとつ効率が良くないこと、などをだ。

「つまりこれは、私の中に眠っていた力を引き出すプログラム?」
「まあ、言ってみればそのようなものだ」
「Oh, The Moment of Truth...」


そうか、今度から潜在能力を引き出すプログラムって言おう。その方が格好いいし。

「私の中のポテンシャルは、あとどのくらいありますか?」
「え? いや、正確なところは分からないけど……キャリアから考えても20ラウンド分くらいはあると思うけど」


メイキングで見た、彼女の余剰ポイントは、123.63ある。だから3ずつ上げても
40ラウンドは大丈夫なのだが、ギリギリを伝えるのもなんだし、余裕を持たせておくべきだろう。

頑張ったらボーナスで4ポイントあがるとかあってもいいしな。

「本当ですか?!」
「え? う、うん」

キャシーが凄い勢いで食いついてくる。ええ、軍人って、みんなこうなの?
その場で目の色を変えたキャサリンは、次のセットに向かって、止める間もなく飛び出して行った。


「おい、三好。これって、いつまで付き合う必要があると思う?」
「先輩がああ言っちゃった手前、鍵を渡して放って帰るわけにもいきませんしね」

ラウンドが終わる度にステータスを確認しそうな勢いだもんな……

「諦めて、彼女が飽きるまで付き合ってあげてください」
「ええ……、彼女って、俺達の自由のために雇ったんじゃなかったっけ?」
「まあまあ先輩。帰ったら楽しい種の測定が待ってますから」
「ああ、それもあったか……俺のスローライフはいつになったら始まるんだろう?」
「私は、出勤しなくていいってだけで、なんだか随分スローな感じがしてますけど」
「ん?……そう言われりゃそうかな?」

時間に縛られないで、起きていたいときはずっと起きていて、寝たいときはずっと……寝られないこともあるが、これもまあアーバンなスローライフと言えるのかも知れない。

あ、そういや、最近は農業もやってるじゃないか!

「え? じゃあ、これってスローライフなのか?」

何かが違うと感じながら、俺達はキャシーが戻ってくるのを待っていた。


092 ラストページの波紋 1月
14日 (月曜日)


「ひー。キャシーのやつ、なんであんなに真剣なんだよ……」

先日のプレキャンプからキャサリンは、自分のステータスを上げることに味を占めて、毎日のように俺(俺達ではない。三好は裏切り者なのだ。ポットにメチャ苦茶《くちゃ》だけは作ってくれたが)を借りだした。

その結果、キャシーのステータスは、狙ったとおり俊敏・力型の結構凄い値になっていた。

、、、、、、
 HP 87.90 -》 126.00
 MP 66.70 -》 74.80

 力 34 -》 61
 生命力 36 -》 42
 知力 35 -》 38
 俊敏 35 -》 62
 器用 36 -》 39
 運 12
、、、、、、

まだ、60ポイント以上余剰があったが、三日もずっと付き合わされれば充分だ。

俊敏・力だけでなく、一応生命力や知力、それに器用のセットも体験していたから、一応教官という職業は忘れてなかったようだ。

知力の禅と、器用の糸通しだけは二度とやろうとしなかったのがおかしかった。

もはやあれはテストじゃなくて鍛錬だよ。鍛錬マニアというのは恐ろしい。

「お疲れ様です」

部屋に入ると、先に来ていた鳴瀬さんがそう言った。
ここはいつもの日本ダンジョン協会市ヶ谷の会議室だ。

今日の午前中は、オーブの受け渡しがあるからと、キャシーの魔の手から逃げ出してきたのだ。
キャシーは、じゃあ午後からと言っていたが却下だ。いや、明日が本番なんだから、一日くらい休もうよ、ホントに。


「先輩、お疲れ様です」
「あ、裏切り者がいるぞ」
「失礼ですね! 私はこれでも会社の代表ですから。先輩と違って教官の訓練に延々付き合うほど暇じゃないんですー」

「週末だったろうが」
「我が社はブラックなので、週末関係ありませーん」

従業員がいないから、どんなにブラックでも関係ないのです。あははははーと、三好が開き直っていた。


その時、会議室のドアがノックされて、四角形な人が入ってきた。確か、斎賀課長だっけ?

「みなさんもうおそろいでしたか。今日はよろしくお願いします」
「こちらこそ」

と三好がにこやかに挨拶していた。

「まだ時間ではありませんが、全員揃いましたので、取引を開始しますか?」
「お願いします」

そうして、いつも通りの形式で、オーブの取引が開始された。
なんと、今回のオーブのうち3つ。マイニングと促成と水魔法を落札したのは日本ダンジョン協会だったのだ。


「いや、会計年度の終盤に来て、凄い収入が出来てしまったので、使っておかないと税金で持って行かれるだけですからね」


と、うちが払った手数料の事を仄めかしながら斎賀課長がにこやかに言ったが、日本ダンジョン協会の税制がどうなっているか知らないし、冗談なのか本気なのかよく分からなかった。

しかし三個で、7,957,900,000円(税込)のお金を日本ダンジョン協会が払ったのだけは事実だった。


「で、次のご相談ですが」
「は?」

つつがなく取引が終了した後、斎賀課長がさらに良い笑顔で、俺達に言った。

「この三個のオーブをお預かりいただいても?」

そういや、そんな契約があったな……俺は視線で三好に是非を問うてみたが、視線で仕方ありませんねと返されただけだった。


「わかりました。ではオーブの特徴を記載した所定の契約書を――」
「こちらに」

そう言って、彼はすでに準備されていた契約書に、オーブカウントを確かめながら書き込んで差し出してきた。


「準備がよろしいようで」
「スムースな取引を心がけております」

その書類を確認した後、三好がサインして捺印した。これで契約は完了だ。

「ではお預かりいたします。引き出しは所定の手続きで行ってください」

三好はそう言いながらオーブを俺に渡した。
俺はそれを、バッグに入れ、どの角度からカメラに撮られていたとしても見えない位置で保管庫に収納した。


「ではこれで取引は本当に終了です。本日はありがとうございました」

鳴瀬さんが閉会の挨拶をして、取引は終了したが、俺は、つい斎賀課長に向かって言った。

「お預かりするのはかまいませんが、マイニングは早いうちに使われた方が良いですよ」
「なぜです?」
「それなりの個数が産出すると思われますから」
「それは、あっという間に2個を用意したチームからの助言ですか?」
「いえ、ダンジョンの意思ですかね?」
「意思?」
「鉱物採取にオーブが必要である以上、ある程度の個数が算出しないと意味が薄いと思いませんか?」

「それがダンジョンの意思だと?」
「まあ、そんな気がするだけです。Gランク冒険者の勘みたいなものですよ」

と俺は自虐気味に言って笑った。
斎賀課長は黙って俺を見ていたが、「ご助言承りました」と頭を下げて出て行った。

「先輩は、意外と余計な事しいですからね」
「いや、ゲノーモスが一日にどのくらい狩られているのかしらないけど、流石にそろそろドロップするだろ? 一万分の一のあれに30億オーバーってのは、ちょっと罪悪感が……」

「日本ダンジョン協会もうまいこと日本に売りつけるでしょうし、日本も外交に利用しそうだから、どこも損しませんよ、たぶん」


最後の1つのマイニングは、ダンジョン攻略局らしいアカウントが落札していたが、受け取りが遅れるが大丈夫かという連絡があったきり音沙汰がない。

明日サイモンに会ったら文句のひとつも言ってやろう。

「じゃ、俺達も帰るか」
「あ、私はちょっと、明日の本番のためにお買い物に行ってきます」
「あんまり酷いことはするなよ。お前、時々度を越えることがあるからなぁ……」
「こんな常識人の私に向かって失礼ですね」
「ワサビツーンは酷かったぞ?」
「……さて、じゃ、行ってきます!」

そう言って三好は出て行った。

「鳴瀬さんは?」
「えーっと。ちょっと芳村さんにご相談が」

彼女はきょろきょろしながらそう言った。
何かここでは話し辛いことなのかもしれない。

「じゃ、戻りながらお話をお聞きしましょうか」

その日は全国的に高気圧に覆われた、とても良い天気の一日だった。
それでも気温は10度を下回り、日本ダンジョン協会の建物を出ると、吐く息が白かった。

市谷八幡町の横断歩道を渡った俺達は、いつものように市ヶ谷駅方面に進まず、右へ折れて四谷方面に足を進めた。

正面に遠く、コモレ四谷の四谷タワーが伸び始めている。来年度中に完成予定で2020年に開業するらしい、四ッ谷駅前再開発の目玉のビルだ。


充分に日本ダンジョン協会のビルから離れた頃、鳴瀬さんが切り出した。

「それで、芳村さん。例のクリンゴン語なんですが……」

そういえば、あれから1週間が経っているが、ラストページはヒブンリークスに掲載されていなかった。


「どうしました?」
「それが……」

そういって、鳴瀬さんはその訳文が表示されたタブレットをバッグから取り出して差し出してきた。

俺達は、外濠公園の総合グラウンド脇の小径に入ると、グラウンドの柵に寄りかかりながら、それを読んだ。


「自動翻訳した内容があまりにあまりだったので、念のためにKLIに紹介して貰った方に翻訳を依頼したんです。もちろん固有名詞は適当に修正しましたけど」


そこに書かれていた、『地球の同胞諸君に告ぐ』で始まっている文章には、今までの碑文とはまったく別のインパクトがあった。


「ヒブンリークスが、ただ翻訳を発表するだけで、その内容には関知しないという建前なのは分かっていますけど、それって、発表しても良いものでしょうか?」


そこには、ダンジョンの出現と三年前ネバダで行われていた実験の因果関係を仄めかすような内容が書かれていた。そうして、これ以上のことが知りたければ――


「マナーハウスの書斎に来い?」

マナーハウスって、どこの? まさか……

「さまよえる館は、どうも彼の母方のマナーハウスっぽいんです。サンタクルーズの近郊で、モントレー湾を臨む場所に建っていた18世紀風の古い建物だったらしいのですが、89年の地震で被害を受けて、現在では売却され失われているようです。彼の若い頃の写真に一部写っていました」


鳴瀬さんがアルバムを立ち上げると、そこには、画質の良くない写真が何枚かサムネールで表示されていた。そのうちの一枚を開くと、どうやらタイラー博士が学生だった頃の写真のようで、友人と思われる人物と一緒に笑顔でフレームに収まっていた。


「この写真は?」
「一緒に写っている友人の方が、三年前事故が起こったことを悲しんでSNSにアップしていたものです」


その背景に写っている屋敷のエントランスには、確かに見覚えがあった。

「似てますよね?」

控えめに鳴瀬さんが聞いてくる。

「少なくとも写真に写っている部分は、とても」

と俺も控えめに答えた。

なんの裏付けもなくこれを掲載してしまえば、アメリカの強い反発を買う可能性がある。
それが異界言語で書かれていたなら、抗弁もできるだろうが、肝心な部分はクリンゴン語で書かれていたのだ。後から誰かが書き足したと主張されたとき、反論が難しかった。


もしかして、だからこんな言語で記したのか?

道の先からお爺さんが歩いてくるのが見える。
鳴瀬さんにタブレットを返すと、俺達の身の回りで、おそらく一番それについて知っている可能性がある男に電話を入れた。


、、、、、、、、、

『それで? 明日は例のキャンプだろ? 前日にいきなり来てくれって、いったい何事だ?』

三好に例のコーヒーを入れてくれと頼むと、サイモンはソファーの上で身を乗り出して聞いてきた。


『サイモンさん。タイラー博士はご存じですか?』
『タイラー? セオドア=ナナセ=タイラー博士か?』
『そうです』

サイモンは、乗りだした身を引いて、ソファーに背を預けると、足を組んだ。

『セオドア=ナナセ=タイラー博士。享年47歳。素粒子物理学の専門家』

サイモンは、何かを思い出すかのように話し始めた。

『三年前は、ネバダのエリア51を中心に作られた、グルーム・レイク素粒子原子核研究機構の所長だった男だ。身長は5フィート8インチ弱だから、アメリカ人としては少し低いな』


そこで、三好が持ってきたコーヒーを受け取ると、そのかぐわしい匂いを楽しむように香りを嗅いで、それを一口、口にすると、満足そうな笑みを浮かべた。


『研究に関しては非常に粘り強く、人によっては偏執狂的だと評したヤツもいる。全体的には穏やかな性格で、愛称はテッドだ』


彼はカップを皿に戻して、テーブルに置いた。

『それで、彼は本当に亡くなったんですか?』
『どういう意味だ? 当時の事故のことは知ってるだろ?』
『ええ、確かあの事故って、超大型加速器が稼働している真っ最中にダンジョンが出現して、施設が破壊され加速器用のトンネルが丸ごとダンジョン化したんですよね?』

『そうだ。事故直後のレスキューの映像は見たが、あれで生き残っているやつがいたとしたら、そいつはクリプトン星の出身か、ダンジョンに属するモンスターだな』


『それで、彼の遺体は確認されたんですか?』
『どうして、そんなことに興味を持つ?』

俺とサイモンはテーブル越しに、視線を戦わせた。

「三好、例のタブレットを」
「どうぞ。英訳もしてあります」

『これはまだヒブンリークスにアップされていない碑文の訳文です』

そう言って、俺はタブレットを彼に差し出した。
彼は黙ってそれを受け取ると、内容を確認した。

『これは間違いなくダンジョンから出たのか?』
『ここだけの話、さまよえる館産ですよ。もっともそこのサインが本物かどうかは、俺達には確認できませんでしたけど』


『我々はこれをサイトに掲載するべきかどうかを、とても悩んでいるのです。それでご相談を』

『アズサ。もう一杯貰えるかな』
『いいですよ。先輩は?』
『あ、じゃあ俺も』
『了解です』

そう言って三好がダイニングへと向かった。

『ここから先は、公開されていない情報になる。当然他言は無用だ』
『……わかりました』
『ヨシムラの疑問だが、タイラー博士の遺体は確認されていない。というより、コントロール室にいた全員の遺体は確認されていない』

『誰も確認に行ってないという意味ですか?』

サイモンは、軽く頭を振って話を続けた。

『事故が起こった直後、空軍の部隊が救助に突入した。エリア51は空軍基地だからな』
『コントロールへ向かうエレベータ類は完全に停止していて動かなかったため、最初はコントロールからもっとも近い、ボールド山の西側にある非常口から突入した。だが……』

『だが?』
『いきなりトロルに遭遇して、一瞬で蹴散らされたそうだ』

サイモンは肩をすくめて仕方なさそうに言った。

『そのせいで、しばらくは誰も救助に向かえなかったし、入ることすら困難だった』
『ダンジョン攻略局ってその救助が目的で設立されたんですよね?』
『そうだ。だが、短期間で組織を用意できるはずがないし、相手が何なのかハッキリしない状態では、装備も満足に選定できないだろ?』


『無理に突っ込ませても被害が増すだけだ。俺達が入ったのは、事件が起こってから2週間は経ってからだった』

『それで、コントロールルームには?』
『行ったぜ、一応な』

サイモンはその時の様子を思い出すように目を閉じた。

『ザ・リングには、メインの加速器とならんで移動用の側道が造られていて、二十メートル置きに加速器のトンネルと繋がってるんだ』

『側道は五メートル程のトンネルだから、さすがにエイブラムスは持ち込めないが、M1135ストライカーNBCRVにM2のCROWをくっつけたやつが非常口が設置されている垂直の巨大な通風口からつり下げられて搬入された』


M1135ストライカーNBC RVは、放射能・生物・化学汚染が考えられる場所で活動するために作られた、検知・観測用車両だ。

M2のCROWは、要するにM2を遠隔で操作して発射するためのシステムで、M2は12.7ミリ弾をばらまく重機関銃の傑作だ。


『もちろんUターンは不可能だが、中がどうなってるか分からない以上、環境調査用にこいつが持ち込まれたわけだ。ま、俺達にとっちゃ、M2の運搬用だな。どっかの大隊の虎の子のはずのこいつが、スムースにぶんどってこられたってことが、事態の重大さを物語ってた』

『そういや、他の装備も陸軍系だったな。牽引でM141 BDMとAT−4が多数積まれたカーゴが用意されていた。なにしろ最初にであったモンスターに、5.56ミリは、ヘの役にも立たなかったらしいからな』


『それで?』
『俺達は側道をそれほどスピードを出さずに進んだ。崩落でもしてたら事だからな』
『幸い、NBC関係の異常は検知されなかった。が、モンスターの密度は結構なもので、ハースタルの改良版とは言え、M2の銃身は結構ヤバかったぜ』

『今にして思えば、エンジン音によってきてたんだろうが、その時は必死で気がつかなかったな』


『ともかく俺達は、コントロールルームの入り口に到達した』

『電源は落ちていて真っ暗だった。ドアの鍵は開いていてが、ライトで照らされた範囲には、特に荒らされた形跡は無かった』

『2週間も経つんだ、どんな状態であれ、酷い腐臭を覚悟して室内に入ったが、少しほこり臭いくらいで、異常な匂いは感じられなかった。ただ、微かに青臭い匂いがしたな』

『青臭い匂い?』
『ああ、激しい雷の後のような、オゾン臭に似ていたかもしれん』

『とにかく俺達は注意深く各部屋を探索しながら、コントロールルームへと向かった』
『道中あれほど襲ってきていたモンスターは、どういうわけか室内にはいなかった』
『そして、そこで働いていた大勢のスタッフや、その死体も、全く見かけなかった。俺達はスタッフがまとめて何処かの部屋に非難したんだろうと考えたわけだ』


彼はカップの縁をなぞるように、記憶を辿って行った。

『そうして、どの部屋にも誰もいないことを確認した俺達は、コントロールルームへと移動した』

『コントロールルームが最奥だったんですか?』
『いや、入り口に鍵がかかってたんで、最後に回したんだ』
『鍵?』
『作戦中の入室を行わせないために内側から鍵がかかる構造なのさ』
『外からは?』
『開けられない。普通はな』
『つまり、スタッフが中で籠城していた?』
『ま、素直に考えりゃそうだな。もちろん俺達もそう考えた。残念ながらノックに返事はなかったけどな』

『それで?』
『そりゃ、ブリーチング用のライフルグレネードで吹き飛ばして開けたさ。スラッグなんかじゃどうにもならない扉だしな』

『俺達は結構悲惨な状況も想像していた。なにしろ、水も食料も満足にない状態で2週間、大勢がひとつの部屋に閉じこもってたんだ。……想像できるだろ?』

『ああ』

確かに、食人行為くらいは起こっていてもおかしくない状況だ。

『だが内部には……』

サイモンが少し言い淀むと、俺に視線を合わせていった。

『誰もいなかったんだ。まるで綺麗に空気に溶けて無くなったみたいだった。とにかく誰の遺体も見つからなかった』

『鍵は内部からしか掛けられない?』
『そうだ』
『だけど誰もいなかった』
『そうだ』
『通風口は?』
『調べたが、人が入れるようなサイズじゃないし、もちろん入り口は閉まってた』
『何かが……そう、スライムみたいなやつが通風口から入ってきて、遺体を綺麗に食べて出てったとか?』

『それなら何かの痕跡が残りそうなものだろ。何かが這った後とかな。薄く積もった埃の上には、本当に何の痕跡も無かったんだ』

『コントロールルームを出て、リングを歩いて出て行ったとか?』

内側から鍵がかかっている状態で、そんなことは不可能だと思うが、と前置きしてから、サイモンは言った。


『ザ・リングは、コントロールルーム周辺が、普通のダンジョンで言う一層にあたる。そして、反対側に行くほど下層扱いだ。俺達が下りた非常口は距離から考えればせいぜい数層ってレベルだな』


それはつまり、わずか数層でもM2やAT−4でやっとなモンスターがウロウロしているダンジョンだってことだ。代々木で言うなら、二十層より下層がスタート地点ってことだ。

訓練も受けていない科学者が、集団でそこを通過するなんてことは、考えるまでもなく不可能だろう。


そこまで考えて、俺はふと思い直した。
俺達は、タイラー博士が本当に死んでいるのかどうかを確認したかっただけで、ザ・リングで何が起こったのかは、そもそも関係のない話だった。もちろん興味はあるが。


『つまり、タイラー博士の死は確認されていないってことですよね?』
『状況的には真っ黒だが……物理的な証拠はないな』
『じゃあ、この碑文は……』
『ヨシムラはタイラー博士が、ザ・リングの何処かにある、さまよえる館か、他のダンジョンか、はたまた我々のあずかり知らないどこかの場所に繋がる出口から出て行ったと、そう言いたいのか?』

『地上だってあるでしょう?』
『それはあり得ない』

事故の時点から、エリア51は厳戒態勢らしい。
地下からの出口も限られいるし、それはダンジョンの入口でもあるため、二十四時間見張られていて、ひとりで脱出することすら難しいのに、スタッフ全員で脱出など絶対に不可能だそうだ。


『ともかく、俺には特に言いたいことなんかありませんよ。単にこの碑文を公開するにあたって、その信憑性を確認したかっただけですから』


サイモンはしばらく何かを考えていたが、唐突に行った。

『これは俺の独り言だが……』
『なんです、いきなり?』

サイモンはその質問に答えず、あくまで独り言のように言葉を続けた。

『三年前の事故は、実験中の施設にダンジョンが発生した事になっているが――当時の記録を見る限り、実験の結果ダンジョンが発生したようにも見えるんだ』

『……ええ?』

なんだそれ?!
もしもそれが本当なら、ダンジョン災害を引き起こした原因はアメリカにあるってことか?

『ま、所詮は俺の雑感だし、ただの独り言だけどな』

サイモンは目の前に俺がいることに初めて気がついたかのように、こちらを見た。

『つまり?』
『公開は控えた方が良いだろう。いままでの話も、ここ限りってことで』

『なんでそんなことを俺達に?』
『言わなきゃ公開しちゃうだろ、お前ら。それはアメリカにとっても、お前らにとっても不幸な結果になりかねない』


『俺達が義憤に駆られて、自らを省みず社会正義に身を投じる可能性は?』
『ゼロだな。そんな短絡的思考が何を招くか分からないほどのバカならこんな話はしていないし、そもそも俺はそんな話なんかしていないからな。ヨシムラの妄想じゃないか?』


彼はニヤリと悪戯っぽく笑った。

『そりゃどうも』

『しかし、上が異界言語理解の取得に異常に躍起になってたり、その後は、ヒブンリークスをやたら気にしてたわけがなんとなくわかったぜ。ヤバイ内容がダンジョン内にあるかもしれないと恐れてたのかもな』

『で、それを知ったサイモンさんは、これから?』
『そりゃ当面、お前らのプログラムを受けるさ。それが済んだら、マイニングを手に入れて、あとは機会があったら、ちょっとタイラー博士?に会いに行くことにするよ』


彼の行動原理は良くも悪くもシンプルだ。
翻って俺達と来たら、あっちふらふらこっちふらふらだからなぁ……いや、これは臨機応変で柔軟な対応って言うんだ。そうに決まってる。


『あ! マイニングで思い出しましたけど、ダンジョン攻略局、一体いつになったらオーブの受け取りに来るんです?』

『それなぁ……ダンジョン攻略局の横槍で、使用者が決まらないんだってよ』
『もう、落札権利剥奪しちゃいますよ……オーブを集めるタイミングだってあるんですから』
『残念だったな。今度から受領期間の制限を契約書に入れておけよ』

サイモンが涼しい顔をしながら言った。つまり今は入ってないって事だろう。
失敗したなぁ……受け取りに来ないと、預かってるのと同じ事になるとは。

『さて。お話のケリはつきましたか?』
『たぶんな。アズサのコーヒーは最高だった。また飲みに来ても?』
『かまいませんよ』
『サンキュー。それじゃ、俺は帰るぜ。明日はよろしくな』

そう言って立ち上がったサイモンは、俺達と握手をすると、上機嫌で事務所を出て行った。
まさか、ここを喫茶店だと認識したんじゃないだろうな。

「いやー、思ったよりもヤバそうな話でしたね」
「ヤバそう、なんてもんじゃないだろ。とりあえず最終ページにはダンジョン攻略に重要な要素は書かれてないし、公開は止めておこうぜ」

「いきなり、ヒブンリークスのアイデンティティが危機を迎えそうですけど?」
「ヒブンリークスのアイデンティティは、世界に波風が立たないように先に手当てしちゃうぜ、だろ?」


誰かに何かの判断材料を与える場合は、良くも悪くも事実を全部オープンにした方がいいとは思うけど、これは判断材料というよりも中傷材料だし、しかも反論の余地が大いにある。


なにしろクリンゴン語なのだ。
俺達がそれを付け加えてアメリカを貶めようとしているなんてストーリーが、容易に作られるのが目に見えるようだ。


じゃあ、ザ・リングで詳細な調査を、となったところで、どうやら非常に強力なモンスターが徘徊しているらしいそこを、きちんと探索できる人間は、人類の中にはいそうになかった。今のところ。


俺達に出来ることと言えば、せいぜいが口をつぐむことだけだろう。
それで利益を得る者も、不利益を被る者も、ほとんど存在しないだろうし、小市民に多くを求めるなっての。


三好は少し考えていたが、確かにと笑った。

「鳴瀬さんへの説明は任せましたよ?」
「え? 俺?」
「だって、私、聞いてない部分がありますもん」
「くっ。そう来たか」
「じゃ、このページは、とりあえずオクラってことで」

鳴瀬さんへの説明か。
彼女自身も迷ってたようだから、公開しないことに問題はないだろうけど、問題は何処まで話すかだよな。もっとも全部話さないと、アメリカの葛藤が理解できないわけで……


そうして、俺はしばらく悩むことになるのだった


093 本番! ブートキャンプ
style='mso-spacerun:yes'>
1月15日
(火曜日)


「きっと、まぬけ時空発生装置が起動したせいだな」
「先輩。あれはもともとまぬけな人には効果がないんですよ」
「やあ、なにやら空の色が変わりましたよ」
「ほんとだー」

今日は、第一回ダンジョンブートキャンプの開催日だ。

まあ、あんだけリハ?を繰り返せば、キャシー一人でもどうとでもなるだろうし、俺は最初にパーティを組んだらしばらくはお役御免のはずだ。

細かい雑務が大量に発生するようなら、アシスタントを雇えばいいだろう。

とはいえ俺がパーティを組まなきゃならないことには変わりがない。
だから開催日は不定期で、申し込んだ人物に直接連絡が行く仕組みにしようと考えていた。

なお、メイキングはカスケード先でも利用可能だったから、一度に多人数のキャンプも可能と言えば可能だし、むしろそのほうが楽なのだが、地上施設のキャパがそれほど大きくないから結局はそこで制限されることになりそうだ。


それから毎ラウンド毎の測定は、やらないことにした。
しかしそれではモチベーションが、キャシーが言うので、1ラウンド毎の上昇には個人差があるから、上がらない人のモチベが心配だと丸め込んだ。

なにしろ毎ラウンド上昇を確認するとなると、俺がずっと貼り付いていなければならないことになるからな。それじゃ本末転倒なのだ。


『よう、ヨシムラ』

代々木のエントランスを入ったところで、サイモンのやつに見つかった。

『おはようございます、サイモンさん。今日はよろしく――』

そう言いかけたとき、サイモンは馴れ馴れしく俺の肩に手を回して来た。

『何、堅いことを言ってんだ。よろしくして貰いたいのはこっちだよ』

そうして顔を近づけてくると、まじめな顔つきになって、内緒話をするように言った。

『昨日あれから帰ってみたら、部屋でメイソンとキャシーがアームレスリングをしてるんだよ』
『はあ』
『ま、昔からアイツが挑んできたとき、メイソンはアームレスリングでかわしてたわけだ。ヨシムラのジャンケンと同じだな。ところが昨日は、キャシーがメイソンに完勝してたぞ?』

『メイソンさんって、左腕を怪我してませんでしたっけ?』
『ああ、それはもうほぼ完治してる。実際十八層にも潜ってるしな』
『それは良かった』
『いや、良くねぇよ。俺だってメイソンには勝てないんだぞ? 一体どうなってるんだと驚いて彼女に聞いたら、ここのプログラムを体験したって言うじゃないか』

『あー、すごい付き合わされて参りましたよ。まあ、そのおかげで彼女の教官スキルはぐっと上がったと思いますが……』

『そこじゃねーよ。いいか、あれがこっちに戻ってきたら、俺達全員挑まれる立場なんだからな。ちゃんとあれに勝てるようにしてくれよ』


サイモンは腕をほどくと、ダンジョンゲートに向かって歩き始めた。
もうすぐ、キャンプの集合時間だ。

『いや、そう言われても……そういや、なんで四人パーティなんです? システム的には8人までOKなんだから、キャシーも入れて5人でもいいような気がするんですけど』

『一度に全滅したら、人員がいなくなって困るだろ?』
『ええ?』
『冗談だ。そうだな……ダンジョン攻略局はザ・リングの件で始まった組織だからな、管理体制はその場にあった基地に準じる部分が多かったんだ』

『だから?』
『エリア51は空軍基地なんだよ。空軍の分隊ってのは2から4人構成なのさ』

それって、単に戦闘機に乗るからなんじゃ……別に5人パーティでもいいんじゃないの?

『まあそういうわけで、ダンジョン攻略局のチームは、伝統的に四人+バックアップチームなんだ。それになんだかんだで効率が良かったのさ』


最初は六人や8人構成も試されたが、ダンジョン内では狭い場所も多く、大人数では身動きがとれない場所も多かったらしい。

結局3+3や4+4で活動する事が多くなり、広い場所で大物を相手にするときだけ協力するというフォーマットが作られていった。

それなら最小単位の分隊を四人構成にして、必要に応じて複数の分隊を投入したほうが合理的だと考えられたようだった。


『そういや、メンバーにしたんですか、昨日の話』
『いいや。館に入れるときが来たら説明するさ。それまではちょっとな。単純なヤツもいるし、逆噴射でもされたら、たまらんからな』


俺達はダンジョンゲートをくぐって、レンタルスペースの扉を開けた。

『Hi、ヨシムラ』

レンタルスペース内で、俺に気がついたキャシーが、そう言って近づいてきた。
なんだ、機嫌が良――

「Rock, Paper, Scissors, Go!」


機嫌良さそうに近づいてきた彼女は、いきなり勝負を仕掛けてきた。が結果は、彼女はチョキで、俺がグーだ。


『くっ……』
『……まあ、精進したまえ』

俺はそう言って、彼女から受け取った参加者の資料に目を通した。
ブートキャンプ参加者は、まずエントリーシートに、どのような成長をしたいのかを記述するのだ。


ふーん、サイモンは素早さと力か。

「素早さが欲しいって言う要求が多いですよね」

先に目を通していた三好がそう言った。
他の三人は、ジョシュアが素早さとテクニック、メイソンが力と体力、そしてナタリーは魔法の威力と素早さだった。


「29層以降でピンチってのはやはり物理系モンスターのスピードがネックだったのかもな」

「私も全然見えませんでした。アイスレムがいなきゃ今頃死んでましたね」

エンカイの件だろう。
俊敏-100でも目で追うのが精一杯だったあのスピードは、確かに脅威だ。


「しかし、さすがに三十層くらいであんなのは出てこないだろう」

というか、もしも出てきたりしたら、それが普通のボスキャラだったとしても攻略どころの騒ぎじゃなくなることは確実だ。


「何か強いモンスターにでも、出会ったんですか?」

俺達の話にキャサリンが興味深げに割り込んできた。

『いや、サイモン達が、エバンスの29層以降で苦労したと言っていたから、素早い敵でもいたのかなと話してたんだ』

『ああ、そうらしいです。私はバックアップですぐ上の層にいたのですが、ラストのボスは、やたらと素早いカマキリの親玉みたいなやつで、メイソンが左腕をやられました』

『やられた?』
『ちぎれかけてました。幸いポーションでつながりましたが、しばらくは動かせなかったくらいには重傷でした』


全快しなかったのか。

『カマキリなら綺麗に切断されたんじゃないのか? それならランク3でくっつくはずだろ?』

ランク3くらいなら、さすがに備蓄があるんじゃないかと思うんだが。

『頭で崩されて、食いつかれたそうです』

おおう……それじゃ欠損も結構あったはずだ。使われたポーションはランク4か5だろう。いずれにしても良くなって良かったな。


『それで、あなたたちが出品した、物理耐性が欲しかったと聞きました。結果には満足しているそうです』

『それは良かった』

そう言ったとき、部屋のドアがノックされて、最後の受講者が入室してきた。

、、、、、、、、、

今回の受講者は五名だ。

サイモンチームが参加する以上、他の探索者達じゃついて行けそうになかったので、第一回はサイモン達だけにするつもりだったのだが、終盤、鳴瀬さんが一人の女性をねじ込んできた。

どういう経緯があったのかはわからないが、どうしても断れない事情があったようだ。

「えーっと、六条小麦さん?」
「はい」

そこには20代後半の、斎藤さんと同じくらいの身長に見える女性が立っていた。


「英語は大丈夫ですか?」

『もちろんです。問題ありません』
『わかりました。今日は他の受講者が全員英語ネイティブなので、英語で進めさせていただきます。分からない言葉があったら、聞いていただければ教官は日本語もできますから』

『ありがとうございます。了解しました』

資料によると、鉱物の専門家らしいのだけれど、詳しいことはよく分からなかった。
ともあれ全部ひとつの言語で済むなら、それにこしたことはない。あまりに多数の言語が必要な場合は、念話でもいいんだが、まだお漏らしが怖いからな。

『貴様ら!やる気があるのか!(うう、はずかしいよ)』なんてことになったら台無しだ。

キャサリンが、整列している受講者の前に出た。

『諸君らは、栄えあるキャンプの1期生に選ばれた精鋭である!』
『当プログラムは、一般的に言って頭がおかしいと思えるものが含まれているが、それに対する質問は許可しない。疑問に思う前に実行するのだ!』


いや、キャサリンさん。その表現はどうなの……

『では、最初はステータス測定からだ。現在の自分の状況を知ることは重要だ』
『なお、申込書を熟読しているはずの諸君には周知の事実だろうが、申し込みを受け付けた段階でお互いにNDAが締結されている』

『我々は、参加者のステータスやその他に関する事柄に対して守秘義務があり、外部に漏らすことはない。また、参加者はプログラムの内容について守秘義務を負うことを念のために申し添えておく』


『いいから、早く測ろうぜ、キャシー』

サイモンがワクワクするようにそう言った。

その言葉を聞いたキャサリンは、サイモンの前につかつかと歩いていって正面に立った。

『サイモン! 私は発言を許可していない!』

それを見たサイモンは、彼女が教官であることを思い出したのか、気をつけの姿勢を取った。

『失礼しました!』
『いいか、お前達が発言する必要があるとき、それは、はいかYESか分かりましただ!』

"Aye, aye Ma'am." と直立姿勢でサイモンが言った。


「おおー、なんか軍隊っぽいですね!」
「いや、うちは軍隊じゃないから」

サイモンチームの残りの三人は、必死で笑いをこらえていた。

『ではこれから計測する。一人ずつ順番にその位置に立つように』

もちろんいの一番に飛び乗ったのは、サイモンだった。

『では、測定する……よし、終了だ』
『ん? これで終わり? レーザーとかビームとか、魔法陣とかは? ジャパニーズエフェクトがないと寂しいだろ?』

『サイモン?』

彼女はギロリと彼を睨んだが、自分の時のことを思い出したのか、あまり強くは突っ込まなかった。

三好は笑いながら、出力結果をプリントした小さな紙に、彼の名前を書いて渡した。

 ネーム: Simon Gershwin
、、、、、、
 HP 113.80
 MP 82.80

 力 45
 生命力 46
 知力 43
 俊敏 44
 器用 48
 運 13
、、、、、、

『へー、これがステータスね。これって高いの低いの?』

それを横から覗き込みながら、ナタリーが聞いた。

『大体、成人男子の平均が10位になるように調整してあります』
『ただ、女子でも8から9くらいなので、1の差は結構ありますよ。ステータスは2も違えば実感できますから。非探索者の場合、オリンピック級でも20には届かないでしょう。40を越えれば一種の超人ですね』


三好は、先日キャサリンにしたのと同じ説明を彼らにも行った。

『超人ね……』

サイモンはまんざらでもなさそうに、自分のステータスを眺めていた。

『じゃ、次は俺だな』と、ジョシュアが所定の位置に立つ。その後は、メイソン、ナタリー、と続けて測定した。


 ネーム: Joshua Rich
、、、、、、
 HP 97.40
 MP 76.80

 力 39
 生命力 38
 知力 38
 俊敏 52
 器用 54
 運 13
、、、、、、

 ネーム: Mason Garcia
、、、、、、
 HP 139.80
 MP 62.80

 力 55
 生命力 58
 知力 32
 俊敏 36
 器用 40
 運 12
、、、、、、

 ネーム: Natalie Stewart
、、、、、、
 HP 91.40
 MP 104.40

 力 35
 生命力 38
 知力 58
 俊敏 32
 器用 42
 運 13
、、、、、、

チームサイモンが、それぞれ値を見せ合って、色々と話し合っている間に、六条さんの測定も行った。


 ネーム: 六条 小麦
、、、、、、
 HP 21.00
 MP 27.40

 力 9
 生命力 8
 知力 15
 俊敏 8
 器用 13
 運 41
、、、、、、

「え、これって……」

それを彼女に渡すとき、三好が思わずそう口にした。
それを聞いた彼女は、不安げに「なにか、おかしいですか?」と聞いた。

「あ、いえ。運が凄い値だったので、ちょっと驚きました」
「運?」
「言ってみれば運ですね」
「はぁ……そういえば、石や化石を拾いに行くと、誰よりも沢山それらを見つけていましたが、そういうことでしょうか」

「ああ、そんな感じです」

確かに運の値は人類で最強なんじゃないかと思うくらい凄いが、他の値がぱっとしない。
これがナチュラルな状態だとしたら……

「えっと、六条さんがダンジョンに潜った経験って、もしかして……」
「はい、先日Dカード取得時に潜ったのが初めてです」

それを聞いた、俺と三好は思わず目を見あわせた。
鳴瀬さんは、どうして彼女を推薦したんだ? まさか、これも運パワーじゃないだろうな。そういや、俺も運を急激に上げたとき、御劔さんの電話を貰ったっけ。

しかし、そんな彼女に余剰のステータスポイントがあるはずがない。

「それでどうして、上級者向けのこの講習を受けようと思ったんです?」
「私は、とにかく二十層より下へ行かなければならない《・・・・》んです!」
「は?」

彼女が夢見る少女のごとく、滔々と語ったところによると、日本ダンジョン協会からの依頼で宝石の鑑定をしたのがきっかけだったそうだ。

そのときに見た宝石が、あまりに信じられないもので、そんなものが産出するダンジョンになら、今だ見たこともない凄い石があるに違いないし、それを確認しなければならないそうだ。

どんな使命感なんだ、それ……。

「ええと……二十層っていうのは、代々木のほぼ最高到達階層に当たりますから、民間だと数チームしか到達していませんし、すぐにお一人で向かうのは、いくらなんでも無理があると思いますが……」

「大丈夫です」

にっこりと六条さんが笑ってそう言いきった。何、この人天然なの? 一体何が大丈夫なんだ?

「きっとなんとかしてくれるって、鳴瀬さんが仰ってました」
「ええ?」

そのとき、キャサリンがパンパンと手を叩いて注目を集めた。

『整列!』

そう声をかけると、サイモン達はすぐにきれいにならんだ。さすがは軍人っぽい人達だ。
小麦さんは、すこしおくれて、その横へ並んだ。

『計測が終わったなら、全員でパーティを組む。ヨシムラ』
『では、皆さんとパーティを組みますので、Dカードを準備してください』

俺がカードを取り出すと、サイモンが興味深げにそれを見ていたが、俺のカードはすでにDパワーズ謹製のカードガード付きだ。

カバーが掛かっていないのは名前の所と裏面だけだなのだ。

順番に受講者のDカードを使って、アドミットした俺は、最後にキャサリンとアドミットした。

『よし、では、全員二層へと向かう。駆け足!』

そう言うと、キャサリンを先頭に全員が駆け足で部屋のドアを出て行った。

「この施設って、駆け足オッケーだっけ?」
「さあ? まあ、直接外に出られる部屋ですから問題ないでしょう。私たちも行きますよ」

俺は進んでいく彼女たちを追いかけながら、さっきの続きを三好に話した。

「んでさ、三好、どうするんだよ、あの人」
「ええ? そんなことを言われても……私みたいに召喚魔法持ちにします?」
「それにしたって、知力を上げないと数が稼げないだろ」
「15ありましたから1上げれば四匹はなんとか」
「それで二十層まで行けるか?」
「それは何とも……アルスルズなら大丈夫だと思いますけど」

こないだバナジウムを発見したときは、確かに平気だった。

「あれは大分強化されてるっぽいからなぁ。あと、犬が嫌いだったら?」
「それは困りますね」

「どっかのパーティにでもねじ込めないかな?」
「二十層へいけそうなパーティが、初心者丸出しの探索者を加入させるなんてあり得ないと思いますけど……」


加入させたとしたら、なにか他の……大抵は嫌な目的がありそうだ。

「まあなぁ……やっぱ、三ヶ月くらいはスライム叩かせないと無理じゃないか?」

三ヶ月まじめに御劔方式でスライムを相手にすれば、一日百匹平均で、180ポイントが手に入る。

それだけあればトリプルは確実だ。魔法でも持たせておけば、二十層へいけるだろう。……あれ? 二十層って結構チョロい?


「スライムで育成するにしても、一人だと、なんか危なっかしいんですけど……」
「そうだな。誰かもう一人サポートがいれば、いいんだけどな」

とにかく今日中に百匹くらい倒させて、ステータスポイントを2ポイント取得、俊敏に振って活動を支援、後はひたすらスライムと戦う日々に持ってくか? そのうち飽きてくれるかも知れないし。


その時、俺達はすっかり彼女を育成するつもりになっていた。
後にして思えば、全然そんな義務はないはずなのだが、なにしろ初回であったし、ダンジョンブートキャンプは探索者を育成するという仕事という意識が強く影響していたのだ。

もしかしたら、それは彼女の運に影響されたせいなのかもしれなかったが。

、、、、、、、、、

二層に下りると、プレ・キャンプの時と同じ場所に受講者を整列させて、キャシーがプログラムの概要を説明していた。


『それから、コムギ!』
『はい』
『お前は別メニューだそうだ。後はボスの指示に従え』
『分かりました』

なんの訓練をしたこともない彼女に、死ぬほど運動させても意味はないし、他の足を引っ張るだけだからな。

今日のところは、一層のスライム退治をさせて、少しでもステータスポイントを稼がせるしかないだろう。


『それでは、1'st ダンジョンセクション、
31.4キロ走だ! 駆け足!』

そう言って、キャシーを先頭にかなりのハイペースだと思われる駆け足で走り出した。
そして、その後を、何人かの探索者がさりげなく追いかけて行ったように見えた。

「始まりましたね」
「追いかけていったやつら、マスコミかな?」
「開催日は発表してませんから、なんともいえませんけど。マスコミでなければプログラムを知りたい誰かでしょうか」


先日ちょっと、うちの犬が通報されたような話を鳴瀬さんが言ってたし、興味がある人達も多そうだけど……


「とは言え、あれに普通の探索者がついて行けるか?」
「私には、絶対無理ですね! 自信があります!」
「なんというしょーもない自信」

彼女たちが走り出したスピードは、先日キャサリンが一人で走ったときよりも速いかも知れなかった。


「ルートは大丈夫かな?」
「一応、グレイシックをつけてあります。なんだかキャシーが、グレイシックを気に入ったみたいで」

「へー」

その時、小麦がおずおずと尋ねてきた。

「あのー、私はどうすれば?」

「あ、じゃあ、俺が案内するよ。三好はどうする?」
「私はちょっと、農園で今日のカットをしてきます」
「なら、パーティに加入しとけ。後一人分空きがあるから。話は出来なくても find が使えるだろ」


俺は三好をパーティにアドミットした。

「一応先輩に、ドゥルトウィンをつけてありますから、何かあったらそれで」
「了解。じゃ、後で。それじゃあ、六条さん、行きましょうか」」
「はい」

彼女には余剰ステータスポイントがないわけだから、訓練するとしたらガチにならざるを得ない。

ブートキャンプって、思ってたよりも面倒くさいな。


094 ブートキャンプ(超高効率なスライムの倒し方)



さて、一層でスライム狩りは確定だが、小麦さんは顔がオープンな状態だ。
御劔方式だと、非常に目立ってしまうことになる。どうしたものかな。

悩みながら歩いていると、グレイシックが、ひょいと影から尻尾だけを出してぱたぱたと振った。

こいつら最近、人の目がないと、こういう悪戯をするようになったのだ。三好が可愛いーとか言って誉めたのが原因で味をしめたらしい。

……ん? まてよ?

御劔方式は、モンスターを倒す度に、ダンジョンから出る必要がある。
だから目立つわけだが、それってもしかして……

俺はとある実験をするために、一層へと戻ると、すぐさま人のいないエリアへと小麦さんを連れて進んでいった。


「では、小麦さん」
「はい」
「これを」

そう言って俺は、彼女に、なんとかビームのボトルと、いつも使っているハンマーを取り出して渡した。


「プログラムの守秘義務については説明を受けましたか?」
「はい」
「では、この先のことも、その契約に含まれるため、同じプログラム受講者の間でも他言無用です」

「わかりました」

そう言って俺は、ドゥルトウィンを呼びだした。
彼女は、それを見てもまったく動じず、目を丸くして「うわ、大きな犬ですね」とだけ言った。

「あれ、怖くないですか?」
「え? 怖い犬なんですか?」
「いえ、そんなことはないですが……まあいいか。こいつはドゥルトウィンと言います」
「まぁ。トゥルッフ・トゥルウィスを狩れる優秀な猟犬ですね」

そう言われて俺は面食らった。
その発音出来なさそうなヤツって一体なんだ? 狩りの対象っぽいけれど……俺はこいつらの名前がアーサー王ご一行の犬の名前だってことしか知らないぞ。

FFXIに出てくるのはウサギだしな。
三好が何か言っていたような気もするが、すでに忘却の彼方だ。

しかし、その伝承って、そんなにメジャーなわけ?

「ええ、まあ……」

俺は笑ってごまかすことにした。

「で、ですね。今日のところはこいつが守ってくれますから」

そういって、ドゥルトウィンを叩くと、ドゥルトウィンは小麦さんの影へと潜り込んで、尻尾をひらひらさせた。


「まあ、可愛い!」

なんとも、物怖じしない人だな。
俺は、呆れたような安心したような体《てい》で、彼女にボトルとハンマーの使い方を教えた。

「それと、ですね」

俺はこの実験のキモになる部分を彼女に説明した。

「スライムを一匹を倒す毎に、ちょっと目の前が真っ暗になると思うんですけど、すぐに元に戻りますから気にしないでいただけますか」

「はい? ええと、わかりました」

「じゃ、試してみましょう」

彼女がスライムにボトルの中身を吹き付けると、いつも通りスライムははじけ飛んだ。

「まあ。凄いです」
「ええ、まあ。で、その転がった玉みたいなのを叩いてください」
「えーっと……あ、これですね。えいっ」

彼女のハンマー捌きは中々堂に入っていた。どうやら化石の発掘や採集で慣れているらしい。

「私は化石よりも鉱石ですけど、父が化石マニアだったので子供の頃よく連れて行かれたんです。まさかこんなところで役に立つとは思いませんでしたけど」


取得経験値をこっそりチェックすると、当然のごとく 0.02 だった。


「じゃ、ちょっと暗くなります」
「はい」

そう言うと、ドゥルトウィンに彼女をシャドウピットへと格納させた。

「きゃっ」

そして、すぐに復帰させる。

「どんな感じでした?」
「んー、なんだか少し沈み込むような感覚に驚きました。そしたら、突然真っ暗になりましたけど、すぐに元に戻りました。どうなったのかは、よくわかりませんね」


彼女自身はどうやらなにが起こったのかよく分からないようだった。穴に落ちる感覚に問題があるかとも思ったが、エレベーターみたいな感覚なのかも知れない。

問題はここからだ。

「じゃ、次のスライムで同じ事をやります。あの尻尾の指す方向へ歩いていけば、見つかりますから」


自分の足下の影からは、ドゥルトウィンの尻尾がちょっとだけ出ていて、その指示に従っていくとスライムがいるという寸法だ。

なにしろ一層はぼんやりと明るい洞窟で、光源っぽい岩というか苔というか、謎の発光物体があちこちにあるから、大抵前方へも影が出来るのだ。


「あ、いました! えいっ……えいっ!」

かけ声と共に、次のスライムをはじけ飛ばして、コアを粉砕する。
そして結果は――

俺は思わずガッツポーズを決めた。

彼女が取得したステータスポイントは、0.02。

つまり、アルスルズのシャドウピットの中は、ダンジョンの外とみなされるってわけだ。こりゃ経験値取得がはかどりそうじゃないか?

ただ、視界や攻撃がとぎれる関係で、十層や十八層のゲノーモスで使うのは無理だと思うが……それでも、時折リセットするだけで、かなり違うに違いない。


「ではそれを、ひたすら繰り返してください」
「それだけですか?」
「当面は。小麦さんの場合は基礎的な経験値がゼロなので、それを貯める必要があるのです」
「どのくらいで二十層へ行けますか?」

期待するようなきらきらした目で小麦さんがそう言った。
いきなりそう言われてもなぁ……

「毎日百匹スライムを狩れば、三ヶ月くらいでしょうか……」
「スライム9000匹ですね!」

簡単そうに彼女が言った。
9000って、凄い数字なんだけどな……

「あ、人がいるところでは、作業しないでくださいね。人が近づいたら、ドゥルトウィンが教えてくれますから」

「え? ああ、秘密でしたっけ。わかりました」

もはやダンジョン攻略のための会社まで作ったわけだし、今更秘密にする意味はあまりないとは言え、今すぐ広く知られると面倒くさいことが増えそうだからな。

影響が大きい情報を、社会に広めるタイミングとか方法とか、一体全体みんなどうやって計ってるんだろう。


「じゃ、ドゥルトウィン。頼んだぞ」
「わふー」
「もしもはぐれて迷ったりしたら、そいつに帰り道を聞いて下さい」
「わかりました!」

そう言うと、せっせと作業を開始した。
地上に戻らなくてすむ分、大体10から二十秒に一匹くらい叩いてる。こりゃすごいな。今度御劔さんにも教えてあげよう。

俺はしばらく、このプレイを感心しながら見ていた。

「あ、いたいた」

人の気配に振り返ると、三好が追いついてきていた。find で当たりをつけたんだろう。

見方はよく分かっていないが、値をゼロに近づけると近づくらしいからな。それなりに近づくと、パーティ効果で位置がわかるし。


「早いな?」
「まあ、定点撮影して、あとは今日の分をカットするだけですからね」
「それで?」
「まだ四日しか経ってないんですから、なんにもわかりませんて。発芽した種の計測のほうが先になるんじゃないですか?」


俺達が持ち帰ったD進化したと思われる種は、プロトタイプ機で計測した結果、とても面白い結果になった。

もちろん一粒では計測が難しかったため、256粒(粒数は趣味らしい)を使った計測だったのだが、結果はDファクターの存在は認められるが、いくつかの測定されると想定していた値が0だったのだ。

そこから俺達が仮定した現象は「不活性」だ。

ダンジョン内に持ち込まれた物体は、仮にDファクターによって進化できる状態になっていたとしても、そのままでは不活性なのでダンジョンへの通知が発生しないのではないかと考えたのだ。

もしもそうなら、小麦の種をダンジョンに持ち込んで、しばらく置いた後でそれを持ち出してもリポップは発生しないだろう。


そこで問題になるのは、それを活性化させるスイッチが何かということだ。
俺達はそれを、リポップするようになった個体から、発芽ではないかと考えた。

現在シャーレーの上で、件の256粒が水を与えられ発芽を待っている。もちろん比較用に別の
256個も同じ環境で水を与えずに放置してある。
発芽した種を計測して、0だったパラメータに変化があれば、活性化されたのではないかという推測が出来るわけだ。


もっともそれを実証するためには、代々木は広すぎる。
ダンジョンに持ち込んでテストしようにも、その種がリポップしたかどうかを代々木で調べるのは不可能だ。


活性化した場合、種をカットしたらモンスターよろしく消えるんじゃないかとも思って、農園の麦を掘り起こしてやってみたが、そんなことにはならなかった。

ダンジョン内の木の枝をカットしても、切り取った枝が消えないのだから、当たり前と言えば当たり前なのだが。


「それで、あれは何をしてるんです?」

三好が、スライムを一匹倒す度にシャドウピットが発動している状態を見ていった。

「どうやら、アルスルズのピットの中は、ダンジョンの外と見なされるんだ」
「え? じゃあ、あれってダンジョンの外に出たのと同じ効果なんですか?」

俺は三好の疑問に頷いた。

「メイキングで確認したから間違いない。ものすごい高効率だぞ。これで三好の特訓が捗りそうだろ?」

「それはそうですけど……」
「なんだ、そんなに特訓がイヤだったか?」
「違いますよ! 先輩、シャドウピットって魔法ですよね?」
「たぶんな……って、ああ!」

もしもそれが魔法なら、それを使ってるドゥルトウィンのMPは一体どうなってるんだ?

なにも補正がない場合、人間のMPの回復速度は、概ね一時間に知力と同じ値だ。
仮にMP消費量が1だとしても、10秒に一回つかうと、一時間で
360ポイントが消費されるわけで……さすがに知力
360はあり得ないだろうから、いつかはゼロになるはずだ。

「カヴァス」

三好はドゥルトウィンを鑑定した後、カヴァスを呼び出すと、シャドウピットに使われるMPと、自動回復するMPについていろいろと質問していた。


「なんだって?」
「細かい数字とかは聞きようがありませんけど、あれくらいのペースで使い続けたらどのくらい持つのかはわかりました」

「それで?」
「どうやら朝ご飯から晩ご飯の間くらいは大丈夫みたいですよ」

そもそも、アルスルズ達には、短い時間の単位に関する概念がなかった。
不便なので、教えている最中なのだが、どうにもうまくいっていない。だからタイマーがチンとなったらだの、時計の針がここへ来たらだのと言った指示になっている。


「それって10から14時間くらいか?」

「うちって、割とバラバラですからね。でもまあ余裕を見ても8時間くらいは平気って事じゃないでしょうか。意外と長いですね」


収納の出し入れはMPをほとんど消費しないから、あれと同じようなものなのだろう。
三好の鉄球だって、消費MPは1よりずっと少なかった。

「ステータスポイントの取得効率は滅茶苦茶良いし、何かあったときのためにもMPを枯渇寸前にするのはマズイから、最長四時間くらいに制限した方が良いかもな」

「一応、ドゥルトウィンを一時間くらい観察すれば、大体の減り具合はわかると思います」

鑑定結果が相対的とは言え、減り具合を見るだけなら問題ないからか。
しかし、そんな時間が今あるかな? 俺はふと時計を見ていった。

「そろそろ、キャシー達が地上に戻ってくる頃かな?」
「キャシーって、全コースを体験したんですよね?」
「まあな」
「なら、しばらくはまかせても大丈夫でしょうけど……」

そう言って、三好は、ドゥルトウィンの尻尾を追いかけて、ひたすらスライムを叩いている小麦さんをみた。


「そうだな。とは言え、今日はともかく、ずっとドゥルトウィンを貸し出すわけにも行かないしなぁ……」


召喚数を増やして貸し出すという方法も考えたが、冒険中の自宅警備もわざわざ入れ替わって行ってるくらい仲間はずれが嫌いな連中だし、どのみちずっと貸し出すことなど出来るはずがない。

三好の言ってたように、彼女を召喚魔法持ちにするのが最も手っ取り早い気がしてきたぞ。

「先輩」
「なんだ?」
「やたら、まじめにやってますけど。なんで小麦さんをちゃんと育成しようとしてるんです?」
「それなぁ……」

俺は自分でもよく分からない感情をもてあましていた。

「最初はさ、俺達、生活にこまらないくらい稼いで、あとは、ダンジョンにちまちま関わって好きなことをしようと思ってただけじゃないか」

「ブラックからの脱出もありましたしね。まあ、私は先輩のスキルでちょっとは儲けられるかなって思ってましたよ? 数値化はとても魅力的でしたし」


三好は、努めて明るくそう言った。

「まあな。でも実際、その程度の話だったわけよ」

俺はこの三ヶ月を振り返るようにため息をついた。

「だけど、適当かつフリーダムに、好きなことを割と行き当たりばったりで流されながらやってたら、たった三ヶ月――いいか、たった三ヶ月だぞ?」

「たった三ヶ月で、碑文の解読だの、Dファクターに基づくダンジョンの秘密だの、アメリカの隠蔽したい事件だの、さらには幽霊みたいな博士の登場だ? なんというか、盛りだくさんすぎるだろ!」


楽しい人生にある程度のイベントは必要だけど、一気にまとまってこられても困るんだよ。
もっとバラけろよ!

「富豪にもなりましたしね」
「それも実感が涌かない……」

別に特別に金のかかる趣味があるわけじゃなし、自由に好きなことが出来るようになったと言うだけだ。人間、山があればそれに気がつくが、平坦な道を歩くだけでは、そこに山があったことに気がついたりしないものだ。

せいぜいが通帳の桁が増えていることくらいだが、そもそも残高が足りているかどうかしか気にしなかった生活だったから、それすらもピンと来なかった。


「自分の人生の中でなら誰もがみんな主人公なんて言うけれど、俺達、ついこないだまでモブみたいなもんだったろ? フツーに生きてきた社会人は、こういうスケールに向いてないって……」


目先の問題を解決するのが精一杯な凡人に、国家的スケールの話をされたって、ぽかーんてなもんだよ。


「まだ、世界ダンジョン協会の匿名バリアに守られているとは言え、三好はすでにレジェンド扱いになっちゃったし」

「調子に乗って派手なことをやりまくりましたからね。ある程度は仕方ないと思いますけど」
「それだって目くらましの意味もあったじゃん。だから、後輩女子に守られてる俺、かっこわるい的な心情もある」

「もともと、そう言う約束でしたよ?」
「そうなんだけどさ! なんていうかなー、なんていうかなー、こう、もやもやするんだよ。なんていうか、こう――」


「全てにケリをつけてスッキリしたい」

三好が静かにそう言った。

「……そうだ。そんな感じだな。でケリをつけるために、今できることって言ったら――」
「ダンジョンを攻略すること?」
「――しかないよな」

とりあえずは代々木の攻略だ。
とはいえ、広い代々木を三好と二人で、ガンガン攻略していくなんてのは効率がよろしくないだろうし、いつか行き詰まる気もする。

ならどうればいい?

「それで、攻略用冒険者を育成しようと考えたわけですか?」
「言語化したのは今が初めてだけど、結局そう言うことなのかも知れないな」
「いいんじゃないですか? もともとこの会社ってそのために作ったようなものですし」
「探索者の支援か」

「今いるプロの成長支援は、そのままやるとして、まじめそうな探索者とバンバン契約して、ガンガン育成して、スキルオーブなんかもどんどん使わせて……世界最強の冒険者チーム軍団を作り上げる、なんてのも面白いかも知れませんよ?」

「そうか……そうだな!」
「ファントム様の活躍準備も進んでますし」
「は? なんだそれ?」
「まだ秘密ですー」
「ええ?」

なんだよ、その不安しかなさそうな秘密は……

「そういうことなら、先輩。やっぱり、バーゲストを倒しに行った方がいいかもしれませんね」
「あれは、クールタイムが三日だから、面倒なんだよなぁ……」

もっと短ければ、向こうに留まって集中的に狩れるし、もっと長ければ、たまに行けば良いだけだから、それほど面倒という意識も起こらない。


「週に2個も採って来れますよ!」

嬉しそうにそんなことを言う三好に、俺はジト目で応えた。

「ボス、ストを起こしてもいいですか?」
「労働時間が完全に自由裁量に任せられているとき、ストって意味あります?」
「……ただの休みと変わらない気がする」

たぶん〆切りが近づくだけですよねと三好が笑った。
そして、そのまましばらく小麦さんに付き合っていた俺達は、少し彼女が疲れてきた様子を見せた頃、作業を切り上げさせて地上へと向かった。


、、、、、、、、、

「ああ! やっとみつけました!」

ダンジョンの入り口を出て、レンタルスペースへと足を向けたところで、俺は、突然声をかけられた。

声のした方を振り返ると、そこには何処かで見たような女性が立っていた。

「んん?」

頭を捻る俺の脇腹を肘で小突いた三好が、「先輩。ほら、ポーション(5)の……」と、こっそり教えてくれた。


「ああ! あの……ええっと何て言ったっけ」

俺は保管庫から、貰った紙を取り出して、見た。

「三代……絵里さん?」

そこに立っていたのは、五層でハウンドオブヘカテに襲われて、怪我をしていた弟をかばっていた、洋弓使いの女性だった。



095 ブートキャンプ(結成!新たなるパーティ)



「三代……絵里さん?」
「そうですよ! あれっきり連絡がないし、どうしようって悩んでたら、お正月にちらりとテレビに映られたのを見かけたんです」


テレビって、三好の会見か? まあ、横っちょにいたから、角度によってはちらりと入るくらいはあったかもしれないが、よく気がついたもんだな。


「それで、たぶんDパワーズ関係の人かなって思ったんですけど、住所とかも公開されてなくて。
twitter見てたら、今日ここでブートキャンプをやってるとか言った情報が流れてたので来てみたんですよ」


おう……恐るべしSNS時代。プライバシーなどないも同然だな。

「いや、それは分かったけど、なんでここへ? なにか用でも?」

その時、レンタルスペースの扉ががちゃりと音を立てて開くと、サイモンが出てきて俺達を見つけた。


『おお? なに、ヨシムラ、もしかして修羅場?』
『修羅場ってなんですか……』

「え? もしかして、サイモン=ガーシュウィン?」

三代さんが驚いたようにそう言った。

『ワオ。お嬢さん俺のこと知ってるの?』

そういってサイモンが三代さんの手を握る。えーっと、握手だよな? それ。

「え? え?」
「俺のこと知ってるのかってさ」
「ええ! もちろんです! アイムオナードツーミーチュー」
『おお、なになに? ヨシムラ、この娘食べちゃっていいわけ?』

『良いわけないでしょ!』

ガスっと凄い音がして、サイモンの後頭部に硬いブーツのカカトが決まった。

『ごはっ!』

倒れたサイモンの後ろには、ケリを決めたポーズでナタリーが立っていた。

『ごめんなさい、ヨシムラ。こいつかっこつけてるけど、うちのチームで一番軽いから気をつけてね』

『あ、ああ、はい……』

ナタリーさん怖いです。

『そうだ、ヨシムラ! あのゲームってどうなってんの?! あんなの人間にクリアできるわけないでしょ! もしかしてバカにしてる?』

『ええ?! そんなわけ……ほら、三好』

「はいはい」

三好はため息をつきながら取り出したタブレットで、以前キャシーに見せたクリアムービーを再生した。


『なにこれ? この人、人類なの? バカじゃないの?』

『おら、ナタリーもういいだろ。さっさとゴブリン一匹狩って、再チャレンジするぞ』
『わかったわよ。じゃあ、ヨシムラ、また後でね!』

そう言うと、二人して、ダンジョンの入り口へと駆けていった。
去っていく際、三代さんにウィンクするのを忘れないところが、サイモンの凄いところだ。

「そういや、あの人、ヒスパニックですよね」
「ラテンの血が騒ぐのかね」

「あ、あのぉ……」

一連のイベントを黙ってみていた、小麦さんが、おそるおそる口を挟んだ。

「ああ、すみません。次は、最初の部屋で、スペシャルドリンクを飲んで下さい」
「わかりました」
「三好、頼んだ」
「はいはい」

そうして二人は、レンタルスペースへ戻っていった。

「あー、それで……三代さん?」

彼女は、目をハートにしながら、サイモンが去った方を見つめていた。まあやつは確かに格好いいけどさ。


「え? あ。ああ、すみません」
「いえ、それよりどういったご用件で」

そう言うと彼女は自分のバッグの中からひとつの封筒を取りだして、俺に差し出した。

「あの、これ……」
「なんです?」

俺はその結構重そうな封筒を受け取って聞いた。

「あのときは本当にありがとうございました。それ、全然足りないんですけど、まずはお渡ししようと思って」


封筒を開けると、帯封の付いた1万円の束がが二束入っていた。

「え? これって……」
「すみません。私の貯金だと今のところそれが精一杯で……残りはまた後日にしていただければ」


彼女は恐縮するようにそう言った。

えーっと、困ったな。
この件はすっかり忘却の彼方だったし、今更苦労して払って貰うのも、なんだか違う気がするし……本来、弟の借金だろ。


「……ここじゃなんですから、どうぞこちらへ」

俺はそう言って、レンタルスペース内にある談話スペースのような場所へ連れて行った。



部屋にはいると、そこは、ジョシュアのFワードが飛び交う空間だった。

『彼、良いトコの出じゃなかったっけ?』
『あれはそれくらい頭に来るゲームってことですよ』

腕を組んで、うんうんと頷きながらキャサリンが言った。
今回のキャンプでは、メイソン以外は俊敏を希望しているので、ほぼ全員が穴冥の洗礼を受けることになるのだ。合掌。


『そういや、小麦さんは?』
『彼女は、│メチャ苦茶《スペシャルドリンク》を飲んだ瞬間ひっくり返ったので、あちらに寝かせてあります』


そちらをみると、待合い用の長いすで、小麦さんがひっくり返って目を回していた。

『そんな強烈だったか?』
『強烈ですね。何度も飲みましたけど、今でも全然慣れません』
『他の連中は?』
『まだ1ラウンドが終わってませんので、洗礼はもう少し先ですね』
『了解。じゃ最後まで――』
「Rock, Paper, Scissors, Go!」


よろしくと言おうとした瞬間に、彼女が勝負を仕掛けてきた。が結果は、彼女はパーで、俺がチョキだった。


『ぐぬぬ……』
『――よろしく』

そうしてちらりと長いすに寝そべっている小麦さんを見たとき、俺の頭には(俺達にとって)素晴らしいプランが閃いたのだった。




「さて、お待たせしました」
「あ、はい」

三代さんは緊張しているように、目の前に置かれたお茶のカップをそわそわと触っている。

「で、ですね。やはりこれは受け取れません」

俺はさっき渡された二百万の入った封筒をテーブルの上に置いた。

「え?」

彼女は多分、助けて貰った事への経費の支払いだという意識でお金を持ってきたんだと思うけど、客観的に見ればこれはポーション(5)の売買だ。


自分が取得したダンジョン産のアイテムを自家消費する場合、特に届け出の義務はないし、友人に譲ったりする場合は、例えばお酒のオークションに関わる酒税法9条の解釈に近い扱いになっているようで、見逃されている。

とは言えそれも程度問題だ。

ヒールポーション(5)ともなるとNGの可能性が高いし、現金でそれをやりとりしたりすれば、ダンジョン税逃れの密売に抵触する可能性があるのだ。


「ヒールポーション(5)の相場はご存じですか?」
「あ、一応。……一億2千万くらいと聞いています」
「そうです。いくらなんでもあなたがそれを負担するのは、おかしくないですか?」
「おかしい?」
「だって、弟さん成人されてますよね?」
「え? ええ、まあ……」
「これは弟さんが払うべきお金ですよ」
「それは、そうかもしれませんが……翔太は……」
「払う気がまるでない」
「……はい」

いや、これって、俺、彼女を風呂に沈めようとか考えて追い詰めてる、(ヤ)の人っぽくないか?

いかん。ここはちょっとフレンドリーな態度に改めなければ。

「それに、これを支払いきるのは少し難しいでしょう。代わりに、ちょっとしたお仕事を頼まれてくれませんか?」


俺はフレンドリーな笑顔を作ってそう言ったが、彼女はそれを見て、びくんと肩をふるわせた。

「え、あの……お仕事ですか?」

まずい。このフレンドリーな笑顔が、なんだか益々それっぽく見えてる気がするぞ。
向こうで三好が、下を向いて肩をふるわせてやがる……あれは聞いてやがるな、あいつめ。

「え、ええ。まあ。三代さんは、今、どんなお仕事をされていますか?」
「……一応プロの探索者です」

おおお、なんと好都合な!
これはもはや神の配剤。『僕と契約して魔法少女になってよ』(????) 状態だ。オーブ
(魔法少女の素)あるしな。
Dパワーズ契約探索者第1号。行けるんじゃね?

しかも、若そうなのに200万も貯金があるってことは、それなりの腕のはずだ。
そういや、最後にヘルハウンドに打ち込んでいた洋弓の腕前はなかなかのものだった。

「実は、とある探索者と三ヶ月ほどパーティを組んで護衛して欲しいのです」
「……は? 探索者ですよね? それの護衛?」

彼女は言われたことの意味がよく分からないように、首をかしげてそう繰り返した。

うん。凄くよく分かるよ、その気持ち。
俺も頼んでおいて、なんのことやらって気分だし。

「いえ、あー、守秘義務契約せずに説明するのが難しいな……いっそのことうちと契約しませんか?」

「は?」

突然の申し出に、彼女は心の底から?マークを浮かべていた。

「えーっと、私が? Dパワーズさんの契約探索者になるってことですか?」
「ええまあ。それなら、ヒールポーション(5)は契約料と相殺するってことにできますし。NDAも結べてややこしい話もできますから」


一億2千万くらいの契約金は、スポーツ選手なら今時驚くほどのこともない額だろう。

「なにか今のパーティの契約とかがおありですか?」
「いえ、それは大丈夫ですけど……」

この間の件で、彼女のパーティはうまく行っておらず、半解散状態らしい。
まあ、身内を見捨てて逃げたやつとパーティを組み続けるのは、お互いの気持ち的に難しいだろう。


彼女はしばらく考えていたが、何かを決したように顔を上げると、「わかりました、お願いします」と言った。


「三好ー。うちの契約探索者第1号。手続きはよろー」
「先輩、そんな適当な……まあいいですかね、うちだし。それでその一億2千万は正規のやりとりに?」

「するわけないだろ。これは気持ちの領域だ」
「そちらの……三代さん? も、それでよろしいですか?」
「あ、はい。頂いたことにすると、税金がたぶん払えませんので、そうしていただけると」

契約金ってことになると、ダンジョン税にするわけにはいかないし、所得税なら最高税率だもんな。

どうせこの借金は、道義的な領域にあるんだ。
必要なのは気持ちの清算であって、物理的なものじゃない。

「じゃ、それはなしで。後は、この書類を読んでサインして下さい」
「……三好、滅茶苦茶手回しがいいな」
「そりゃ、一応会社ですからね。各種書類くらいは取りそろえてありますよ」

、、、、、、、、、

彼女がそれを読んでいる間に、俺は三好に連れられて、スタッフルームへと連れて行かれた。
一応防音になっている部屋のドアを閉じると、三好が切り出した。

「しかし先輩。まったく調査もしないでいきなり契約しちゃっていいんですか?」
「いや、わざわざ道義的な借金を返しに来るなんて、すごくまじめそうで信用できないか?」
「いや、だからこそ怪しいんですけど……」

ま、確かに普通そんな借金?を、相手を探してまで返しに来たりはしないか。

「だけど、別に彼女の方から体で返すと言い出したわけじゃないし」
「先輩が言うと、なんだか卑猥ですね」
「……いかんな、爽やかなお兄さん路線を目指さなければ」
「世の中には、ただしイケメンに限るという縛りが多いですからね」
「まったくだ」

「だけどさ、三好」
「なんです?」
「もしも彼女が何処かのスパイか何かだっとしても、困ることなんかないだろ?」

どうせ、スパイだろうがスパイで無かろうが、俺の1位とメイキングと保管庫と鳴瀬さんのスキルのことは伝えるつもりがない。


それ以外となると、アルスルズはすでにオープンになっているし、キャンプのプログラムだって別にオープンになっても困ることはない。

スライム叩きだって、バンバン探索者を育成して、ガンガンダンジョン攻略して貰おうぜプランに則れば、探索者の底上げに繋がるわけだし、うちに面倒さえ来ないなら漏れたところで困りはしないだろう。


「そう言われると……結局私たちの秘密って、面倒が起こりそうだから積極的に開示していないだけですから、バレた時に本気で困ることって、実はないのかもしれませんね」

「だろ? せいぜいが誘拐の確率が上がるくらいだ」
「いや、先輩。それ充分に困りますから」

狙撃されるという、現代日本じゃ希有の体験を持っている三好が苦笑した。

「まあそういうわけだから、彼女さ、小麦さんと組んでもらおうと思うんだよ」
「小麦さんと言えば、さっき、鳴瀬さんに携帯で聞きましたよ、彼女がここにいる理由」

「……で、なんだって?」
「彼女、日本ダンジョン協会のマイニング使用候補筆頭だそうです」
「ええ? ダンジョン素人だぞ? 国の取引用に売りつけるんじゃなかったのか?」
「それは単なる想像ですからね。鳴瀬さんは、GIJがどうのこうのと言っていましたが、半分は先輩が脅したからみたいですよ」

「脅したって……あの早く使ったほうがいいですよってやつか? で、そのGIJってのは?」
「日本ダンジョン協会の委託先で、国内のダンジョンから出た宝石のうちカラーストーンっぽいものを主に鑑定している機関みたいですけど……詳しいことは後で説明してくれるそうです」


しかし鳴瀬さんが、詳しい説明もなく職権乱用するのは珍しかったし、よっぽどバタバタしてたんだろうな。

とは言え――

「彼女を育てろと、俺のゴーストが囁いてたのは正解だったのか」
「ベニトアイトちゃんにとりつかれましたかね?」
「それはゴースト違いだ。小麦さんはとりつかれていそうだったけどな」
「確かにあのすごい執着心があれば、7九層までは喜んで攻略に参加してくれそうな気はしますけど」


7九層までは鉱物が産出するからだ。

「だろ?」

とりあえず、小麦さんと三代さんを組ませて、アルスルズを一匹貸し出しとけば時間は稼げる。

「こうなってみると、意外と面倒だった、ブートキャンプも意義があったかも知れませんね」
「どんな?」
「だって、先輩。我々が育成した探索者がメイキングのせいで異常に成長しても、それはブートキャンプのスペシャルコース出身者だからだってごまかせるからですよ」


問題は手間なんですが――と三好が続けた。

「キャシーとパーティを組んで、アルスルズを一匹おいておけば先輩の面倒も、ほぼゼロにできると思うんですよね」


パーティは距離が離れても維持されることが判明しているし、パーティにさえ所属していれば、メイキングが利用できることも分かっている。

それがカスケード先でも適用されるから、キャシーをパーティに加入させておけば、俺がその場にいなくても操作に問題は起きないのだ。


「操作するタイミングはアルスルズが教えてくれるってわけか?」
「です。地上にいれば業務連絡を入れさせてもいいんですけど」

それだとダンジョン内にいるとき対応が出来ないからな。
受講者の希望は受付時に確認しておけばいいし、変更はなしにすればいい。仮にトラブルがあれば、テキストにしてアルスルズに預ける手はずにすればいい。

ドタキャンがあれば、それはキャシーの下のパーティリストに現れるから問題ない。

最後に整列させて、メチャ苦茶を飲ませるようにしておけば、そのタイミングをアルスルズに教えて貰ってメイキングを使うだけだ。どうせ測定は5分後だから問題にならないだろう。

人数が多くなりそうなら十分後とかに設定しておいてもいいしな。

問題になりそうなのは、孫メンバーが稼いだ経験値がどうなるのかってことくらいだ。これは確認しておかなきゃな。


「ただまあ今回はタイミングがタイミングなので、一応、平行して三代さんの身元調査はしておきます」

「了解。悪いな」
「先輩のバックアップは、仕事のうちですよ。口座の桁がそう囁いています」

三好が笑いながらそう言った。

、、、、、、、、、

スタッフルームから出ると、小麦が目を覚ましていて、あまりの衝撃を洗い流すかのように、ミネラルウォーターを口にしていた。


「あ、小麦さん、目が覚めましたか」
「はひ。あれは一体何だったのでしょうか……」

彼女は、子供の頃、部屋の隅にある何か得体の知れないものが潜んでいるような気がする暗がりを見るような目で、小さな紙コップに注がれて提供されていたお茶のサーバーを見ていた。


「あれは、秘伝の薬で、自分の潜在能力を引き出す助けになるんですよ」

自分で言ってて笑いそうになるな、この台詞。

「はぁ……たしかに強烈でしたけど」

「それで、聞いておきたいんですが、小麦さんって、本当に二十層以降を目指されるんですか?」

「もちろんです! まだ見ぬ石が私を誘《いざな》うのです!」
「しかしお仕事があるでしょう? それが可能になるまで結構かかりますよ?」
「まずは9000匹でしたね。仕事は早い時間に終わらせてしまえば、午後に数時間は空けられますから」


本気なのかこの人。
宝石鑑定絡みだってのは分かったが、やはり後でちゃんと鳴瀬さんに詳しい話を聞いておかないと……


「わかりました。でも初心者が、一人でダンジョンに潜ることは推奨できませんので、弊社がパートナーをご用意します。丁度その方がいらっしゃっていますから、顔合わせをしておきましょう」

「はい。よろしくお願いします」

ミーティングスペースでは、三好が、三代さんがサインした書類を確認していた。

「あ、先輩。こちらは大体終わりましたよ。明日から三代さんは、うちの契約探索者です。流石に契約証は後日になりますけど」

「あ、三代さん。こちらが、あなたとパーティを組んでいただく、六条小麦さんです」
「六条です。よろしくお願いします」
「三代です。こちらこそ。護衛と聞いていますが?」
「彼女は完全な初心者なので、育成のためにダンジョン内に入るのに護衛というか協力というかそういう人が必要になるわけです。三代さんも一緒にプログラムをこなしますか?」

「え? いいんですか? それなら是非!」

一応彼女もブートキャンプに申し込みはしたそうだ。

「では、明日からの予定を、小麦さんと話し合って決めて下さい。決まったら行動スケジュールをメールしておいて下さいね。それでパーティリーダーは……」

「それは、三代さんにお願いします」と小麦さんが言った。
「じゃあ、三代さんは、私とパーティを組んでおいて下さい。安否確認用です」
「あ、わかりました」

そう言って三代さんはDカードを取り出すと、俺とパーティを組んだ。
三代さんはそのまま、小麦さんともパーティを組んだ。
よしよし、これで距離が離れたときの孫メンバーのステータス調整が出来るかどうかもテストできるぞ。


「それでは明日からよろしくお願いします」
「「よろしくお願いします」」

その時、後ろをジョシュアが通りかかった。

『お、ヨシムラ?! あんた達は悪魔だな! なんだあのゲームは! それに、もう縫い針なんか見たくもないぞ!! しかもあのファッキンドリンク……ちくしょう、これで効果がなかったら、毎晩化けて出て、あんたの耳元で恨み言を囁いてやるからな!』


どうやら彼は、俊敏ラウンドを終えて、器用ラウンドをこなしている最中のようだ。
器用の地上セクションは、大量の縫い針に糸を通す作業なのだ。実際にやってみたところ、本当に賽の河原で石を積んでいる気分になれるステキ修行だった。俺も二度とはやりたくない。


ひとしきり文句を言った後に、おかしな脅し文句を放ったジョシュアは、諦めたように肩を落として次のゴブリンを倒しに出て行った。


096 ブートキャンプ(終了)


混沌とした一日の終わり。
キャサリンは、整列している受講者の前に出た。

『諸君! 諸君らは、この辛く苦しい、ともすれば遊んでるだけなんじゃと思えるようなプログラムを、丸一日にわたってまじめに消化してきた』


彼女は自分の実感をダダ漏れにしながら、まじめな顔でそう言った。
いや、もうちょっとオブラートに包もうよ……

『しかし、時は来た! そう、諸君らの忍耐が報われる時、それは今だ!』
『最後に、そこにある”スペシャル”なドリンクを飲み干せ。そうしてそれに耐えられたなら、諸君らは栄光の結果を手にすることが出来るだろう。そして、確認のためのステータス計測が行われ、本日のプログラムは終了だ』


『耐えられたら?』

ジョシュアが、自分の寝床にムカデが這っているのを見つけたかのような顔で眉間にしわを寄せた。

キャサリンは、それをじろりと睨んだが、その口角は上がったままだった。

『嫌な予感が――』
『するな』と、サイモンが同意した。

そうして、受講者達は、最後だと言われたスペシャルなメチャ苦茶《くちゃ》を手に取ると、それに口をつけた。


『ぶふぉっ!』

一気に飲みこもうとしたメイソンが、湯気にむせた影響で、鼻から液体を吹き出すと、強烈なワサビフレーバーにのたうっている。

おそるおそる口をつけようとしたナタリーが、それをみて動きを止めた。

『おいおい、これ、飲んだら死ぬんじゃないだろうな?』

鼻を摘んで一気に飲みこんだ小麦が、目を回して倒れているのを見て、サイモンがそう言った。

『心配するな、私も気絶しそうになっただけだった』

キャサリンが、嬉しそうにそう言ってウンウンと頷いている。

『しゃ、洒落にならねぇ……』

人一倍美食家のジョシュアが尻込みをする。

『早く飲まないと効果が薄れるらしいぞ?』

キャサリンが、そう言って、さらに追い打ちをかけた。

それを聞いて顔を見あわせた三人は、一様に鼻を摘むと一気にそれを飲み干した。
大部分を吹き出したため、新しいコップをもらったメイソンは、子供の頃兄と喧嘩をして最初から負けを悟っていたときのような気分で、涙目になりながらそれを飲み干した。


ひとしきり盛大な咳き込みが聞こえた後、静かになった部屋の中には、ぐったりと床に座り込んだり倒れたりした5人が残されていた。


『よし、これで第一回ブートキャンプの全行程を終了する。各人は5分の休憩後、最後のステータス測定を受けるように。ご苦労だった!』


笑いをこらえながらそう宣言したキャサリンの声に、力なく、彼らはイエスマムと答えた。
それを見ながらスタッフルームへと移動した俺は、彼らのステータスをどうするかなと考えていた。


「凄いですね。あの時間で8ラウンドもこなしてますよ」

三好が訓練資料を見ながらそう言った。
各ステータス4ラウンドだと、キャサリンと同等の効果を考えれば、12ポイントくらいか。

「余剰はどのくらいあったんです?」
「全員150ポイントはあるな」
「先輩、いろいろと影響が大きい人達なんですから、御劔さん達みたいなことは――」
「しないしない、ちゃんと考えてるさ」
「頼みますよ?」

そうして俺は、各人の注文通りのステータスを、12から
13ポイントほど上げておいた。
小麦に関しては、ステータスポイントが2.97溜まっていた。つまり、今日スライムを
147匹も倒したって事だ。凄いな。
とりあえず俊敏を2ポイントアップさせて、行動が少しでも素早くできるようにしておいた。

そうして5分が経過する前に、俺達は元の部屋へと戻っていった。
するとそこでは、妙な顔をして、腕をぐるぐる回したり、ジャンプしたりしている四人がいた。

『お、ヨシムラ。なんだか突然体が軽くなったような感じがするんだが……』
『ああ、キャンプの効果が出たんじゃないですか?』
『こんな突然にか?!』
『最後のお茶を飲んだんでしょう? まあそれより、とりあえずステータスを計測してみませんか?』

『そうだな、じゃ、よろしく頼む』

そう言ってサイモンは測定位置に立った。
キャサリンが測定を開始すると、すぐに結果がプリンタから吐き出された。

 ネーム: Simon Gershwin
、、、、、、
 HP 113.80 -》 127.10
 MP 82.80
style='mso-spacerun:yes'>
-》 84.10

 力 45 -》 57 (+12)
 生命力 46
 知力 43
 俊敏 44 -》 57 (+13)
 器用 48
 運 13
、、、、、、

『はぁ?! これってマジなのか?』
『え、なにがです? 計測値は正しいと思いますけど……』
『だって、お前これ……一日で一年分近い増加じゃないか?!』

成人の平均が10だとすると(サイモン達はもっと高かっただろうが)、例えば力なら三年で
35ポイント上昇したことになる。
今日の上昇が12ポイントだとすると、確かに一年分くらいにあたる。


『うそ、ちょっと見せてよ』

ナタリーもその値を見て絶句した。

キャサリンは、うんうんわかりますと、腕組みして頷いていた。最近時々こいつが赤ベコに見えるんだよな。

そういや、彼女も最初は散々興奮してたっけ。

『おい、俺のも測ってくれよ』とジョシュアが測定位置に立った。
すぐにキャサリンが、SMD−PROを操作して値を出力する。

 ネーム: Joshua Rich
、、、、、、
 HP 97.40 -》 98.60
 MP 76.80 -》 80.40

 力 39
 生命力 38
 知力 38
 俊敏 52 -》 64 (+12)
 器用 54 -》 66 (+12)
 運 13
、、、、、、

『マジか……って、ダンジョン攻略局の連中は全員この訓練を受けるべきなんじゃないか?』

 ネーム: Natalie Stewart
 --------
 HP 91.40
style='mso-spacerun:yes'>
-》 92.70
 MP 104.40 -》 124.90

 力 35
 生命力 38
 知力 58 -》 70 (+12)
 俊敏 32 -》 45 (+13)
 器用 42
 運 13
 --------

『この結果が本当だとしたら、その通りね。それより、このプログラムって、受講料いくらなの?』


そういわれれば年始にサイモンにねじ込まれて以来、料金の話なんかしたことがなかった。
って、契約書に料金の話ってかかれてないのか?

「あー……忘れてました」

みみみ、みよしぃ〜、なんという近江商人らしからぬミス。

「いや、一応書かれてますよ? ただ、料金が決まる前だったので、それは別途で指定される料金となってるんですよ。価格改定もそのほうがスムースですし」

「つまりその別途を……」
「忘れてました。けど、料金を聞かずに商品を購入して使っちゃう方もどうかと思いますけど」
「そりゃそうだ」

『効果だけ見てると、10万ドルでも安いと思うわよ』

『そんなの一般の探索者に払えっこありませんよ。せいぜい1000ドルくらいが精一杯じゃないですか?』


三好が小首をかしげながらそう言うと、ナタリーは頭痛をこらえるように目の間をもんだ。

『一応聞かせて貰うけど、収支ってどうなってんの?』

何しろ教官に25万ドルの給料が出てるのだ、普通、料金は全体のコストから割り出すものだろう。


1000ドルでは、250人教育してやっとキャサリンの給料が払えるだけだ。

このレンタルスペースの維持費とか、各種経費とか、そういった費用もバカにならないはずだ。
それはつまり、仮に週1で開催したとしても、まるっきり赤字になりそうだということを意味していた。


「どうなってんだっけ?」
「だって、先輩。これって、もともと売り上げ還元用の道楽事業ですよ?」

さすがにここで、社会批判をかわすための、とは言えないか。

「ああ、確かそうだったっけ。そりゃ、コストは度外視しててもしょうがないな」

「あんたら、でたらめね……」

日本語の会話に割り込んだナタリーが呆れたように言った。

「いや、ほら。一応、代々木攻略に手を貸すという義務が生じるから」
「そこに、あなたたちの取り分があるわけ?」
「どうだっけ?」
「いえ、とくに設定はしていませんね。あ、碑文は日本ダンジョン協会に提出する義務がありますよ」

「バカじゃないの? それって、なにもしてないのと同じでしょ!」

まあ顧客の大部分は代々木の探索者だろうからなぁ。同じと言えば同じか。
株式会社が聞いて呆れるわよと、プリプリしてるが、株主だって俺達以外いないから、誰にも怒られようがないのだ。


『落ち着けよ、ナタリー。一体なにをもめてるんだ?』
『こいつらバカだから、訓練費用をまともに設定してなかったのよ。挙げ句の果てに1000ドルとか言ってるわけ』

『1000ドル? そりゃ不味い。やめとけ、ヨシムラ』

『なぜです? それでも普通の人にとったら充分高額ですけど』
『なら、プログラムを2種類用意して、一般と軍や警察関係は区別しとけ』
『だからなぜです?』

サイモンは呆れたようにため息をついて言った。

『お前が、数万人の訓練を行いたいっていうのなら別に止めはしないけどな』
『は?』
『もし、1000ドルなんて値段で、この効果が知られてみろ。世界中の国が日本に圧力をかけて、このプログラムに人員をねじ込んでくるぞ? 言っとくが1万ドルでも危ないからな』

『まさか』
『断言しておくが、アメリカはやる。絶対だ』

真剣な顔をしたサイモンの発言を肯定するように、今計測を終えたメイソンが言った。

『そこは間違いないな。何しろ俺達が進言するからな』

 ネーム: Mason Garcia
 --------
 HP 139.80 -》 170.00
 MP 62.80

 力 55 -》 67 (+12)
 生命力 58 -》 71 (+13)
 知力 32
 俊敏 36
 器用 40
 運 12
 --------

『よし、キャシー。昨日の再戦だ』
『いいでしょう。相手になりますよ』

ステータスアップを確認したメイソンが、キャサリンを連れて、ミーティングスペースのテーブルへと向かっていった。


『いや、でも守秘義務契約があるし、効果だってばれない――』
『わけないだろ。受けたやつがみんな活躍したらモロバレだ。しかもおまえらこれからステータス計測デバイスを売りだすんだろ? 隠しようがないっつーの』


サイモンがそこに設置されている、SMD−PROを親指で指しながら言った。

『おおう』

『なあ、アズサ。こいつ賢そうに見えて、実はバカなのか?』
『日本人は、大体こんなもんですよ。ヘタに能力があると目先の問題を今ある知識と状況だけで解決しちゃいますから、大体一貫性がなくなります』

『ロボットじゃないんだから、当たり前だろ』

そう俺が自分を擁護したとき、突然ミーティングスペースから雄叫びが上がった。
何事かと振り返ると、アームレスリングに勝ったらしいメイソンが両腕を上げてガッツポーズを取っていて、負けたらしいキャサリンが、机の上に突っ伏して震えていた。


『なにやってんです、あれ?』

そうたずねる俺にサイモンが笑いながら言った。

『今朝話したろ? 昨日散々キャシーにやられたメイソンが復権した瞬間さ』

確か現在のキャサリンの力は61だったはずだ。

開始時のメイソンは55だったから、昨日はキャサリンがメイソンをボコボコにしてたんだっけ。

それが今やメイソンの力は67になったから、今度は昔同様キャサリンが負けるようになったってことか。力比べの要素が強いだけに、ステータスが、もろ結果につながるんだな。


『ヨシムラ! 私にもう一度訓練プログラムを!』

負けず嫌いなキャサリンが、がばっと顔を上げて、俺にそう言った

『え? あ、ああ。又今度な』
『ええーっ?』

お前ら全員訓練バカばっかなのかよ……

『ともかくだ、俺達の訓練費用は5万ドルってことにしとけ』
『いや、それはいくらなんでも高すぎますよ……』
『なら三万ドルだ。これ以上はまからんぞ』
『ええ?』

って、逆だろ普通。まからんってなんだよ。

「三好ぃ……」
「仕方ありません。一般の探索者以外の方は三万ドルってことにしましょう」

「ええ? 一回三万ドルですか?!」

その話を聞いて、すでに申し込みをしているらしい三代さんが驚いたように言った。

「は、払えないかも……」

募集してから料金が決まるって、なんかの法律違反になったりしないのかな……多少混乱しても、一旦リセットしたほうがいいかもな。


「なら、一般は、一回三万円くらいでいいんじゃないか? それなら気軽に受けられるだろ。ただしこちらで抽選するけどな」

「単位が違うだけで、偉い違いですね、それ」

『じゃ、次は一般で申し込もう』

俺達のやりとりをナタリーに通訳させていたサイモンが、おどけたようにそう言った。

『コース別に結果はコントロールしますよ』

さすがに三万ドルと三万円が同じ効果だとマズイだろう。

『できるのかよ?!』

あ、あれ? もしかして、やらかした?

『どんだけ先進的なプログラムなんだよ。まったくそうとは思えないが……』

彼が部屋の奥にある、各ステータスの書かれたプレートが張りつけられているドアを見ながらそう言った。


ですよねー。

『まあいい。俺達は、また明日から十八層へ戻るから、そこで今回の結果を試してみる。その結果次第じゃ、後二十三回訓練して貰おうと考えてるから、その時はよろしくな』

『まあいいですけど。どうせ週三回以上は開催しないつもりですし』
『それがいい。それならいつでも臨時の訓練をねじ込めるしな、コネで』
『勘弁して下さいよ……』

俺達はお互い笑いあったが、冗談の範疇に収まらない圧力を感じた。まあ、ここまで来たら、たまになら仕方がないか。


帰り際に、ナタリーが、三好に何か話しかけていたが、どうやらデバイスの件のようだった。
あれの正式な価格もまだ決まっていないからな。決めなきゃいけないことがまた増えた瞬間だ。

三代さん達は、さっそく明日の午後から活動を開始するらしい。
開始前にうちの事務所に寄って貰うことを伝えて別れた。

外はもう暗くなりかかっている。

サイモンチームは、全員が結果に満足してくれたようで、第一回ブートキャンプは概ね成功と言っていいだろう。

懸案は、キャサリンの訓練したいしたい病が、再発したくらいだ。

俺達は、和やかに代々木を出たところで別れ、帰路についた。


097 ブートキャンプ(後始末)


「いやー、始めてみたのは良いけど、ブートキャンプって意外と手間だったな」
「今回はイレギュラーの小麦さんがいたから、そんな感じがしますけど、サイモンさんのチームだけならそうでも無かったんじゃないですか?」


俺達は代々木公園売店の前ではためくディッピンドッツの旗を見ながら、野外音楽堂の裏手へと歩みを進めた。

以前はNHKホールと代々木公園のあいだにあった緩衝帯のような部分は、今ではダンジョンへの通路として整備されていて、井の頭通りへと繋がっている。

おかげでうちの事務所まで、不動産屋時間(大体、八十メートルで一分換算らしい)だと十分もかからない。


「お、小麦さんと言えば……」

俺はメイキングを起動した。

「先輩、歩きメイキングはスマホと一緒で危ないですよ?」
「まだ公園内みたいなもんだし、ちょっとだけ……おお、ちゃんといじれるな」
「孫パーティかつ、距離的に離れてもってことですか?」
「そうだ。単にパーティに登録してあれば大丈夫みたいだな」
「これで、あの事業から私たちはお役御免ですね。……アルスルズの協力があれば」

そう言った俺達の正面から、黒い尻尾が生えてふるふると左右に振られた。
どいつの尻尾かはしらないが――

「あれは報酬を用意しとけよという催促か?」
「みたいですよ」と三好が苦笑した。

井の頭通りをぶらぶらと歩いて、エネオスの向こうで左に折れる。
並木で目隠しされていて、知ってないと入るのに失敗しそうなガソリンスタンドだ。

「そういや、鳴瀬さんが来られるんですよね?」
「ああ、例のラストページの話をしないといけないし、小麦さんの話もちゃんと聞いておかないといけないからな」

「丁度晩ご飯の時間ですし、どこかへ出ますか?」
「いや、話の内容がアレだから、うちで食べよう」
「へー、久々の先輩ご飯? 成城石井、寄っていきます?」
「いや、魚介だし。一応昨日買っておいたから」

このまままっすぐ行って、螺旋階段の付いた陸橋を渡ると、すぐ二十四時間営業の成城石井がある。

が、残念ながら鮮魚はみたことがなかった。

「このへん、近くに、あんまりお魚が揃ってないですからね」

八幡の近場のスーパーは、意外と魚介の品揃えがよくない。野菜やお肉の品質は良さそうなものが揃っているのだけれど。場所柄だろうか。

初台のOKや上原のマルエツもそれほどはないし、せいぜいが、上原のオダキューOXくらいだが、電車に乗るなら新宿のデパートでも手間はさほど変わらないのだ。


「魚って、なんです? この季節だと……シロ?」

ビルに挟まれて、まるでそこだけが昭和四十年代以前のように切り取られた異質な空間がある。
今でこそ、そこには当時のお店の名残を見せる廃屋のような建物が建っているだけだが、ダンジョンが出来た年には、まだ酒屋が営業していた。

丁度、その隣にある、黄魚《きお》というお店の前を通過したとき、三好がタイムリーにそう言った。因みに黄魚は、イシモチのことだ。お店の名前がそれに由来しているかどうかはしらないが。


「バッカ、うちはどこの高級店ですかっての。てか、シロアマダイが小売りされてるのって、小さいのはともかく、あんまり見たこと無いぞ」

「大きさがあれば、アカでもおなじくらい美味しいですけど、アカはどっちかというと秋から初冬といった印象が……じゃあ、ホウボウ?」

「四十センチを越えるようなのは美味しいよな。高いけど。こっちは時々デパチカの魚屋で売ってる」

「つまり違うってことですね……うーん、マナガツオ!」
「それって、夏の魚って言う印象が強いだろ。あんまり白身の魚がない時期に、いろんなお店が瀬戸内産を使うから」

「美味しいのは冬って気がしますけど」
「南の方のやつはそのとおりだけど、冬は白身のバリエーションに溢れてるから、お店であまり使われないよな」


「ええー。じゃなんです?」
「サバだ」
「サバ?」
「そう」
「女性を二人誘ってのメインディッシュにサバ? って、なにかこう、斬新ですね」
「ええ? だって三好と鳴瀬さんだぞ?」
「なにか失礼なことを言われたような気が……まあ、美味しい時期のサバが美味しいのは知ってますけど、レストランなんかだと売り上げが立たないそうですよ」

「へー」
「わざわざフレンチやイタリアンに足を運んで、メインにサバが出てくるとガッカリしちゃう人が多いらしくって」

「高価なサバは高価なんだけど、どちらかというと大衆魚ってイメージが強いからかな?」
「ですよね」

確かにコースの魚は白身、この時期なら、アマダイやキンキ、それにハタの類が多いだろう。

「実際、ご飯に塩サバなんて最強の組み合わせだと思うけど、居酒屋や定食屋以外じゃ出しにくいもんな」

「ノルウェー産とか、無駄に油がのってて美味しいですよね。焼くと、使った器具と台所がサバの匂いで汚染されて、なかなか除去できないのがあれですけど」


その先のマルマンで、いくつかの食材を買い足した俺達は、その後すぐ事務所へと着いた。



「あ、お帰りなさい」

事務所に戻ると、先に鳴瀬さんが来ていた。

「どうも、お疲れ様です。もうご飯は食べられました?」
「いえ、まだですけど」
「じゃあ、ご一緒にいかがです? 大したものは作れませんけど、簡単にイタリアンでも」
「え? 芳村さんが作られるんですか?」
「先輩は、意外と料理上手なんですよ」
「意外とってなんだよ。これでも自炊歴は長いぞ。食専《くうせん》のキミとは違うのだよ、キミとは」

「ほほう。じゃ、たまの朝食も、お茶も不要ですね」
「グフっ……いや、それはいる」

それを聞いた三好が、「ざっくり言って、先輩のギャグはわかりにくすぎますよ」と呆れていた。

お前の返しもも大差ないだろ。

鳴瀬さんは、俺達のやりとりを生暖かい目で見守っていたが、一連のやりとりが終わったのを見計らって、「じゃあご馳走になります」と言った。


事務所のダイニングにはカウンターがあって、料理をしながら話も出来る。
三好の趣味だけあって、非常に使いやすく作られていた。自分では簡単な料理しか作らないくせになぁ……


おれは水を満たした寸胴鍋をコンロにかけると、パントリーから玉葱を取り出した。

「はい、ここに取り出しましたのは新玉葱」
「先輩。新玉葱って春先ですよ? 今一月ですけど」

確かにレストランで新玉葱の料理が出るのは早くても二月。普通は三月以降だろう。

「いやいや、三好君。例えば愛媛の愛南町あたりで作られてるハートオニオンの出荷は十一月だぞ?」


俺は玉葱を、一センチくらいの幅で輪切りにしながらそう言った。

「十一月に新玉葱の料理が出てきたら驚きますね」
「だろ? 料理にはサプライズが必要だからな」
「でも、それって美味しいんですか?」
「……さて、これを耐熱皿に並べたら、一%の塩水でひたひたにして、オリーブオイルをまわしかけ、でもって、乾燥オレガノを振りかけたらオーブンへ」


俺はそれを手早く温めておいたオーブンへ突っ込んだ。

「先輩?」
「少なくともこれは美味いぞ。愛知のたま坊だ。出始めだから葉っぱ付き」

たま坊は、最初の一ヶ月くらいは葉っぱが付いた状態で出荷される。
俺は切り落とした葉っぱを持って、某ボーカロイドキャラのようにそれを振りながら言った。
そして、小皿に生で一センチくらいに切ったものを乗せて二人に差し出した。

「へぇ、甘いんですね。癖もないし」
「確かに美味しいですけど、先輩、ハートオニオンは?」
「すみません。食べたことがありません。だってこの辺で見かけないんだもん」

三好の執拗な攻撃に膝を屈した俺は、ごめんなさいとぺこぺこお辞儀をしておいた。

「イタリアの赤玉葱は小ぶりで甘みが強いから、日本だと新玉葱に置き換えると美味しくできるものが多いんだよ」


オーブンを覗くと、玉葱が透き通ってきた。火が通った証拠だ。
それをさっと取り出し、器に盛って、ゆで汁とオリーブオイルをまわしかけたらおしまい。今日はゲストが二人もいるから、イタリアンパセリも散らした。


「え、それだけ?」
「そ、それだけ。料理が出来るまで、それ喰ってろ」

「おー、なんていうか、肉なしのポトフというか……でも純粋に玉葱の味を楽しむなら、こういうのもいいですね」


三好がいそいそとセラーに向かい、中を覗き込んでいた。

俺はパスタの具と、セコンドにするつもりの鯖の下ごしらえをしながら、鳴瀬さんに言った。

「で、鳴瀬さん。例の最終ページの件ですが……」

俺は、サイモンとした話をかいつまんで説明した。
色々と考えたのだが、結局、サイモンの独り言部分を除いて、ザ・リングの探索も含め全てを話した。


彼女は、その間何も言わずに、俺の説明を聞いていたが、三好が用意した白ワイン――オーストラリア産の蜜感の強いタイプの白だった、を一口飲んでから、「そうですよね」と言った。


「さすがにあれを公開するのは、躊躇しますよね」
「ねつ造扱いされることは確実ですからねー」

三好はそう言いながら、俺のグラスにワインをついだ。
それを味見した俺は、カラスミかトビコでもあれば、その玉葱にかけてやりたいところだなと思った。


沸騰した寸胴鍋のお湯に塩を入れる。パスタを茹でるときの塩分濃度は1%が基本だ。
塩水で茹でる意味はいろいろと言われているが、結局はパスタ本体に下味をつけて、小麦の風味を引き出すのが目的だと思う。


「というわけで、ラストページの公開は控えようと、三好と話をしたんです。鳴瀬さんもそれで?」

「かまいません。というより最初に公開していいのかって、ご相談したのは私ですし」
「でしたね」

九十九里産の蛤は、他と違って美味しい時期が晩冬から初春にかけてだ。今はその走りだろう。
雪平鍋に洗った蛤を入れると、水を適量入れて火に掛けた。
コトコトと煮て、口が開いたところで、身を取り出し、半分は戻してそのまま出汁の素になっていただこう。ついでに四角く切った昆布も投入しておいた。


「そうだ。小麦さんって一体何者なんですか? GIJがどうとか言ってましたけど」

俺は、ヴォイエロの NO.103 を手にとって、そう聞いた。いや、なんとなく小麦繋がりで思い出したのだ。

ともあれ、今日のソースにブロンズダイスはやめとくか、と、ブイトーニのナンバー71に変更して湯の中へ投入した。


以前はお手軽パスタの双璧(俺的心証)は、つるつるのブイトーニ、ざらざらのディ・チェコだったのだが、ネスレ撤退以降ブイトーニの供給が不安定でこまる。

結局ディ・チェコが一番使用頻度の高いパスタになっている。ヤスウマで。

「あの方は、GIJのマニアックと呼ばれる、FGAのディプロマも、GIAのGGも取得されている鑑定士さんですよ」


GIJは、日本宝石学研究所の略称で、特にカラーストーンの鑑別で評価の高い、日本3大鑑定機関の一角らしい。

残りの二つ(CGL/中央宝石研究所とAGTジェムラボラトリー)は、主にダイア鑑定を行っている。


「マニアック?」

そらまた、酷い名称だな。
しかし、あの尋常でない二十層以降への入れ込みを見ていると、なんとなく分かる気がする。

「GIJさんは日本ダンジョン協会の委託先で、国内のダンジョンから出た宝石のうちカラーストーンっぽいものを主に鑑定していただいているのですが、実は先日通達というかお願いが届きまして……」

「はぁ」
「うちのエースが、全然仕事をしないでふらふらしていると」
「なんでそんな話が、日本ダンジョン協会に?」
「それが、ぼんやりしながら、ダンジョン……ダンジョン……と呟いているとか」

怖いな、そりゃ。まさしくホラーだ。
『怪奇! ダンジョンにとりつかれた女!』なんてテロップが目に見えるようだ。

「それで、よくよく話を聞いてみると、ダンジョンに潜って鉱石を見つけたいというか見てみたいというか、そういう強い希望があったらしいんですが、誰もその具体的な方法を教えてくれなかったとかで……」

「目的意識が暴走したと」
「そういうことのようです」

「それがどうして、マイニングの使用候補筆頭に?」

フライパンにオリーブオイルとニンニクと鷹の爪を入れて弱火にかけ、途中で鷹の爪を取り出す。


「マイニングは、ダンジョンから鉱石を取り出すアイテムですけど、所詮1つでは本格的な採掘が行えるわけでもありませんし、商業的な意味はありません」

「そうですね」
「ですから、トップエンドの探索者に渡して、ひたすら下層に向かって調査して貰おうという意見が出ました」

「尤もだと思いますけど」
「しかし、特に鉱物自体に興味のない現在のトップエンドの探索者は、高価な鉱物が出る層が発見されたら、そこから進まなかったり、安い鉱物層だと詳細な調査を行わないんじゃないかという恐れがあったりするんです」


まあ通り一遍の調査を行って、高額な鉱物が出る層で延々狩りを繰り返すというのは想像に難くない。

そもそもプロ探索者って、お金儲けが本来の目的だし。

「そこで、鉱物の専門家に渡して、より詳細な調査を行いたいという意見が出されました」

ところが、探索者に鉱物の専門家がいなかったらしい。
そんな中、タイミング良くGIJの要請が行われ、タイミング良くブートキャンプが行われたわけだ。


フライパンにひまわり油を加えて加熱し、ゆであがったパスタと別途さっと茹でた菜の花、それに煮詰めた蛤出汁と蛤をフライパンに投入し、激しくかき混ぜることで乳化させる。

ひまわり油は基本的に無味無臭だし、乳化しやすいので、エマルジョン用のオイルとしてはお薦めだ。なにしろ初心者でも乳化に失敗しない、ここ重要。テストには出ないが。

そうして、クリスマス島の塩で味を調整したら完成だ。

「それにしたって、ダンジョン経験ゼロの初心者をうちに連れてこられても……」

二人にパスタの皿を配りながら、さりげなく文句を言ってみた。

「だって、切っ掛けは、Dパワーズさんのベニトアイトですよ? そこは責任をとっていただこうかなーなんて」

「いや、責任て……」

鳴瀬さんは、クルクルとフォークで撒いたパスタを頬張ると、満足そうに微笑んだ。

「冗談はともかく、オープンな環境で探索者の育成事業なんてやってるところは、Dパワーズさんしかありませんし――」


鳴瀬さんは、ミネラルウォーターを手にとって飲んだ。
確かにさっきのオーストラリア産だと、ソースがワインに負けそうだ。

「――日本ダンジョン協会にとってみれば、小麦さんが使い物になるなら渡りに船だし、そうでなくてもGIJへの義理は果たせて万々歳と言ったところですから」


俺も自分のパスタを口に入れる。
小麦の風味に、蛤の旨味がじわりと加わって、もうすぐ来る春を先取りしていた。
菜の花と蛤は、鉄板の組み合わせだよな。

「んー、先輩。スッキリした日本酒が合いそうですねぇ」
「いや、せめてワインから選べよ」
「申し訳程度にエマルジョンしてますけど、ニンニクがなければ、どう見ても和食の椀ですよ、これ」

「さいで」

パスタもつるつるだしなぁ。味の組み合わせはまさにその通り。

「それで、彼女はどうでしたか?」
「うーん。謎のやる気だけは凄かったですよ。実際集中力は並じゃありませんでしたし」
「マニアックの面目躍如ってことでしょうか」
「一応、うちの契約探索者と一緒にしばらくの間育成することにしました」

「契約探索者?」
「ああ、実はですね」

そこで俺達は、Dパワーズが以前考えていたよりも、少し積極的にダンジョン攻略に力を入れることにしたことを鳴瀬さんに説明した。


「つまり間接的な探索者支援というよりも、直接的に探索者を育成して送り出す感じですか?」
「まあ、いい人がいれば。とはいえこれも成り行きなんですけど」
「本来なら、それも日本ダンジョン協会あたりのお仕事なんですけどねぇ……」

鳴瀬さんは、少しお酒が回ってきたのか、いつもより気楽で饒舌になっていた。
日本ダンジョン協会は日本ダンジョン協会で、いろいろな圧力や人間模様が展開しているようで、そのあたりの愚痴っぽい内容も、僅かとはいえ、こぼれだしていた。


俺は最後の皿になる、フェンネルを挟み小麦粉をまぶした鯖の身を、フライパンに入れた。
表面に火を通したら、ブラッドオレンジのジュースと赤ワインで煮るのだ。最後にオレンジマーマレードを追加して、塩胡椒で味を調えると、甘酸っぱい鯖のムニエルっぽい仕上がりになる。


「先輩、アニスだのフェンネルだのは、向こうの方はお好きですけど、日本人はどうですかねぇ……」

「イタリアで青魚の癖といえばフェンネルが定番だけどな」

「アニスやフェンネルの香りの主成分は、アネトールですよ」
「何だよ突然」
「それだけでも姉が奪われそうな名称ですけど、横文字にしたら、anethole ですからね、先輩。アネット、または姉の穴
――」

俺は、三好の頭にチョップをくらわせた。

「あうっ!」
「変なところで切って、変な翻訳をするんじゃない。そんな下品な子に育てた覚えはありませんよ!」

「酷いですね。先輩は、かーちゃんですか……」

「そう言いながらウゾなんか引っ張り出してきてどうするんだよ」
「え、トニックで割ったら、それにあわないかなーと」
「あうかな?」
「炭酸が良いですかね?」

「どっちもやってみたらどうでしょー?」と良い感じに酔いが回ってきている鳴瀬さんが陽気に言った。


そうして記念すべき第一回のダンジョンブートキャンプの夜は、和やかに過ぎていったのだ。


098 コスプレは誰がために 1月
16日 (水曜日)


『おはようございます』

「あれ、キャシー? こんな早くからどうしたんだ?」
「これからのスケジュールを立てとかないと、キャシーの仕事がなくなっちゃいますからね」

昨日小麦さんで試したところによると、メイキングはパーティに登録されたメンバの階層に在籍さえしていれば、特に制限無く登録者のステータスをいじれるようだった。

それを受けて、三好は彼女に、今後のブートキャンプのやり方について、先日決めたとおりの説明して了承を受けたところらしい。

これで、俺達はこの事業から基本的にフリーになれるはずだ。

「ああそうか……とは言っても、これからちゃんと料金を公開して、新しく希望者を募りなおして……すぐには無理じゃね?」

「まあそうなんですよ。だから、しばらくサイモンさんのところに預けることにしました」
「そりゃいいけど、出向先から出向元へ出向するってこと? ややこしいな」

「サイモンさんのところも、特に公的な探索扱いではありませんし、試験的に五人パーティにしてみるそうです。先日、メイソンさんに勝って実力を見せたことが、評価されたっぽいですよ」

「へー、キャシー、よかったじゃん」
「そうなのですが、こちらではまだ少ししか仕事らしいことをしてませんし」

まあ、自分の訓練をしてた時間のほうが長いもんな。

「気にすることはないさ。このままダンジョン攻略局に戻られたら困っちゃうけど、こっちの準備が整っていない間、キャンプで上がったはずのステータスを試してみるいい機会だと思えば?」

「ありがとうございます」

「んで、その話をするために朝から呼びだしたわけ?」
「そんなわけないじゃないですか。キャシーは、今、うちにとって必要な人材でしょ?」
「ああ、まあな」
「で、サイモンさんとの探索で死なれちゃ困るわけですよ」
「そうだな。縁起でもないが」
「なので、餞別を渡そうと思いまして」

ああ、なるほど、そういうことか。

サイモンのパーティと言えば、頑強な前衛に、火力のある後衛、スピードのある遊撃に、オールマイティなリーダーだ。

キャシーはビルドの方向としては、サイモンに近いけれど、こと力と俊敏は、今のところサイモンを上回っている。


攻撃の軸を二枚作って、状況によってジョシュアがどちらかをサポートする遊撃になるってスタイルを基本に、敵が多いときは、避け盾としてメイソンと2枚盾になったり、そうでなくても時々メイソンと入れ替わり、彼の負担を減らすこともできるだろう。

なら、後は想定しているプレイスタイルを完成させるためのピースがあれば、なお良いわけだ。残念ながら回復魔法は未だに手に入っていないけれど。


「そういや、キャシーは使う魔法の属性は決めたの?」
「迷ったんですが、ナタリーが火なので、まずは水魔法を修得しようと思います。探索の荷物も減らせますし」

「わかった」

頷いた俺は、チタンケースの保管場所へ行くと、影で水魔法を封入した。
そうしてそれを持って戻ってくると、三好へと渡した。

「じゃ、キャシー。これ私たちからのプレゼント……じゃなくて、福利厚生の一環ね」

彼女はそれを受け取ると、おそるおそるふたをはずして、目を丸くした。

「あ、あの……これ、一体どうやって?」

実はいくつかのオーブは、故意にカウントを進めてあった。
流石に全部60未満では、少し困るシチュエーションも出てきたからだ。


「まあ、細かいことはともかく」
「……細かい?」

「ともかく、これからもしばらくは代々木攻略のために力を貸してくれよな」
「わかりました」

追求を諦めたかのようにそう言うと、キャシーは、オーブに触れた。

「ああ、それから」

それを使おうとする彼女を遮って三好が言った。

「それを使うときは『俺は人間を辞めるぞ!』って言うのがルールだそうですから」
「はい?」
「I'm done with mankind! って叫びながら使うのがルールってことです」

「For reals?(マジで?)」


三好がこくりと頷いた。
おまえら、なんの儀式をしてんの、それ。いや、最初に言い出したのは確かに俺だけどもさ……

キャサリンは、オーブを握り、立ち上がって握った右手を斜め上に突き出してポーズを作り、叫んだ。


「I'm done with mankind!!!」


「おお!」と三好が喜んでいる。
いや、まて。キャシーのやつ、なぜそのポーズを知っている?

オーブの光がキャシーの体にまとわりつきながら、彼女の中へと吸い込まれていく。
そして、彼女は、「I'll rise above humanity!」と続けた。


「貴様! なぜ続きを知っている!」

キャシーは、ふっとニヒルに笑うと、『HEROESを見て、ちょっと興味があって』と言った。

英語版って、第3部しか出てないんじゃなかったっけ?……ああ、こいつ日本語もOKなんだよな、そう言えば。


「どうです?」

三好が俺達のやりとりをまるっきりスルーして聞いた。
三好さん。そこにシビれる! あこがれるゥ!

「体がスポンジで出来ていて、水がしみこんでくるような――なんだか変な感じでした」
「ナンバーなしの魔法オーブはイメージがとても重要ですから、少し低層で練習しておいた方が良いですよ」


「キャシーのMPは74くらいだから、普通の攻撃系魔法
――ウォーターランスなら七十四回くらい使えるはずだ。知力が38だから、大体一時間に
38ポイント復帰することが分かってる。二分に一回くらいの利用なら、MP枯渇を心配することもないぞ」

「さすがに詳しく調べてるんですね」
「SMDの開発中にな」

俺はさりげなく誤魔化した。

「わかりました。この後ちょっと二層か三層でゴブリン相手にいろいろ試してみます」
「それがいい」

そう言うやいなや、彼女は俺と三好に頭を下げると、オモチャを買って貰った子供のように、喜び勇んで代々木へと出かけていった。

装備は代々木のレンタルスペースのロッカーにおいてあるそうだ。

「さて、先輩」
「なんだよ、その顔。なんだか嫌な予感がするぞ」
「ふっふっふっふ。それは正解でもありハズレでもあります」

絶対ろくでもないことに違いない。

「実はですね、出来たそうです」
「え、誰に? ヤッた覚え、ないんだけど……」
「何言ってんですか! 衣装ですよ、衣装!」
「衣装?」
「ザ・ファントムのコスチュームですよ!」
「ええ?! あれ、マジで作ってたの?!」
「当たり前ですよ、こんな面白そ……ごほん。重大な案件、冗談じゃできませんよ。手間だって結構かかってるんですからね?」

「今、面白そうって言わなかったか?」
「何を言ってるんです、先輩! というわけで試着して下さい」

そうして、俺は三好の部屋へと引きずられていった。
事務所は人が来るからな。

、、、、、、、、、

「うんうん。基本的なシルエットは二十五周年記念公演版ベースですね」

どうやら、オペラ座の怪人二十五周年記念でロンドンのロイヤルアルバートホールで行われた公演に出てきた、エリックのコスチュームがベースらしい。


「黒の上着に、サテンっぽいショールラペル。ホワイト・タイベースなのに、チョッキはシングルのブラック」

「シャツの襟はウィングで、カフスはダブル。シューズは黒で総エナメルっぽい仕上げ。ポイントはシルクハットじゃなくて、中折れ帽ってところでしょうか」


「仮面は上半分全面タイプだけど、まあ先輩は口元に目立つ目印とかないですし、ボイスチェンジャーをくっつけることを考えたらいいですよね」

「そしてアクセントは赤と白と金をさりげなく、少しだけ……いいですね! FGOベースだったら、どうしようかと思ってましたよ」

「少しって……カラーの裏のクリムゾンが襟の縁から覗いてて、ホワイト・タイのドレスコードを思いっきり踏みにじってるどころか、色物になってないか?」


俺は三好の部屋の大きな姿見を見ながらそう言った。
カラーは紳士服で言うと、首を取り巻く襟の部分だ。ちなみに、そこから続く下襟の部分はラペルという。


「闇の中、微かに覗く情熱の赤! 格好いいじゃないですか」
「そうかぁ?」

「てか、仮面の時点で色物は避けられないので心配しないでください」
「ヒドいなっ!」
「着心地はどうです? これ、あちこち目立たないようタックやプリーツが入ってて、動きを阻害しないように凄く工夫されてるんですよ。遠目に見ればフォーマルですし」


たしかに思ったほど窮屈じゃない。
そういや、当時、三好がやたらと細かく採寸していったっけ。作ったヤツの腕もよさそうだ。
三好の腐な友達とか言ってたけど、こいつの交友範囲も謎だな。

「そして、最後のキメのアイテムがこれです!」

三好が取り出したのは、やたらと大きな、マットな質感の黒いマントだった。ただし裏地だけ奇妙につややかな質感があった。


「やはりファントム様は、大きく重いマントを身につけていなければ!」
「ファントム様ってなんだよ……だけどこんなマントを纏《まと》ったままで戦えるか?」
「そこは保管庫へ出し入れする訓練をしてください……それにこれは退出用のアイテムなんですよ」


退出用?

「こう、ばさっとマントの影に隠れた瞬間、闇に溶けるように姿が消えて、後にマントだけが残されるんです。その実態は、シャドウピットに落ちるだけなんですけど。格好良くないですか?」

「結構高そうなのに、使い捨てなのかよ!」
「素材は非常にありふれたものなので大丈夫です。それにマントは、彼がそこにいた証拠《あかし》なんですよ? あまり安物だと、なんかしょぼいじゃないですか」

「なんという演出過剰。もうお前がやれば?」
「ええー、そんな恥ずかしい恰好できませんって!」

待て。今何か、酷いことを言われた気がするぞ。

「このやろう……」
「私は女子でーす、やろうじゃありませーん」

マントを羽織って、軽く動いてみたが、なかなか布面積の大きなマントだった。

「しかし、これ、身につけてるときに燃えたりしたら結構悲惨じゃないか?」

全身火だるまは避けたいんだが。

「一応難燃性の素材にしてありますけど、所詮はコスプレ用の衣装ですからね。火が付いたら保管庫に入れちゃえば時間経過がないんだから大丈夫じゃないですか? あとで安全なところで取り出して、燃やすなり消火するなりすれば」

「コスプレ用の衣装を強調するってことは、防御的な役割は……」
「まあ、紙ですね」

三好が当たり前でしょといった感じで、肩をすくめる。

「がくっ……せめて、ケブラーとか炭素繊維とか……あるだろ、そういうの?」
「先端素材なんか使ったら、購入履歴ですぐに足が付きますよ?」
「そりゃそうか」
「それに、使い捨てできなくなりそうですし」
「そこかよ!」

「先輩ったら、どうせいつも普段着で潜ってるようなものじゃないですか。紙の質がちょっと変わったところで、大差ないですよ。エンカイ級でも出てこなければ大丈夫だと思いますけど」

「そう言われれば、そうかな……」

仮にエンカイ級が登場したとしてお、あの攻撃力をまともに受けて耐えられる防具なんてありそうにないしな。当たらなければどうということはないって方向で行くしかないか。


俺は鏡の前で、マントをばさっと翻してポーズを取ってみた。

「なんだか出来損ないのベラ・ルゴシみたいだな」
「魔人ドラキュラですね! あれもホワイトタイコスチュームでしたから。ちゃんとベストも正統派の白でしたし」


魔神ドラキュラは1931年の映画で、それまでブロードウェイでドラキュラを演じ続けていた、ハンガリー訛りの英語を話すベラ・ルゴシが主演だ。

これがまた、舞台っぽいガチかつ派手な演技で、今見るとちょっと笑えるのだ。マントばさーとか。


「でも先輩。さすがに格好いいキメポーズみたいなのは、練習しておかないと出来ませんよ」
「そうだなぁ。なにかそういうキメのポーズだけでも練習しておくか?」
「なんだかんだ言って、結構やる気ですね」

三好がぷぷぷと笑いながら言った。

別にそういうわけじゃないが、やるならとことんやらないとな。気恥ずかしい思いを抱えたままで、こんな恰好はできないのだ。

なりきりと思い切りが重要らしいし。

「こうなると小物も欲しいですね……ステッキとか持ってみます?」
「ただの棒を持っても意味がないだろ。この恰好なら、これを使うか」

そう言って、俺は、おもむろに報いの剣を取り出した。

「ああ、シミターにしては反りも小さいですしね、似合うかも知れません。結構な壊れ性能でしたし。でも腰に下げるなら鞘が必要ですよね?」

「直接保管庫から出しちゃえば要らないんじゃないか?」
「なるほど……マントの影から、こう、ばさっと。おお、格好いいかも!」
「だろ?」
「間違えてマントを切ったり、刃を握って手を切らないでくださいね」
「お前……いや、練習しておきます」

さすがにちょっと自信がなかった。
剣なんか振ったことがないから、今まで保管庫の肥やしだったわけだし。

「できれば盾も欲しいんだけど」

というより、盾のほうが欲しい。

「今までのやつは似合いませんよね。目立たない籠手っぽい何かを上着の下に身につけますか。基本腕でガードみたいな。先輩結構生命力ありますよね」

「当面、それでいいや。直接│肉体《からだ》で受けるのはやっぱビビるからな。なにか用意しておいてくれよ」

「了解です」

三好は俺のまわりをぐるぐると観察しながら回って、満足するとおもむろに言った。

「あとはどこでデビューするかですよね」
「デビュー?」

ちょっとまて、なにか不穏なことを言い出したぞ?

「やはりファントム様は、どこかで笑撃的なデビューを飾らないと」
「おい……何か、妙な誤字が混じってないか?」
「やはり観客が必要ですよねぇ……」
「聞けよ! 人の話を!」

まずい、このままだと何をやらされるか分かったもんじゃないぞ。
何処かでブレーキをかけなければ……

迫り来る危機をひしひしと感じながら、俺は一人で焦っていた。

第6章 ザ・ファントム

099 ザ・デビュー 1月
17日 (木曜日)


次の日の朝。事務所のダイニングに下りると、キッチンで三好が昨夜の洗い物を片付けていた。

「おはよー。ご苦労さん」
「おはようございます。今日も良い天気ですよ」
「おかげで寒そうだけどな」

ブラインドの隙間から覗く庭の寒々しい様子に、アルスルズのやつら寒くないのかな? とふと思った。

日本の童謡なら、雪が降ってくると、犬は喜んで庭を駆け回るものだが、何しろあいつら地獄の犬だから……寒いのって大丈夫なんだろうか?

まあ、寒きゃ、勝手に部屋の中に入ってくるか。

俺は、冷蔵庫から冷たい水を取り出してコップに注ぐと、それを持ってダイニングの椅子に腰を掛けた。


「先輩。キャシーが十八層から帰ってくる前に、一度十層に行っておきたいんですが」

三好が、カウンター越しにそう言って、最後の皿を食洗機にセットしてボタンを押すと、手を拭きながらこちらへとやってきた。


「なんだ? バーゲストか?」
「それもあるんですけど、ほら、昨日もそうでしたけど、小麦さんたちにしばらく一匹貸し出しちゃいますよね?」


昨日は例の衣装合わせをした後、午後の二時過ぎに三代さんと小麦さんが訪ねてきた。
その際、ボトルとハンマーを渡して、詳しい育成プログラムについて説明して、ドゥルトウィンを貸し出したのだ。


今回は二人別々のシャドウピットになるから、アルスルズ達は前回よりも忙しいだろう。長くても三・四時間くらいで切り上げるように言って、装備の保管用にDパワーズで借りてある、代々木のレンタルロッカーの鍵を渡した。


「まあ、そこは仕方ないな」
「そうすると、キャシーに一匹、これはブートキャンプの連絡用ですね。それから、事務所に一匹、先輩に一匹、私に一匹で、貸し出す余裕がないんですよ。今はキャシーの分が不要ですから足りてますけど」


俺と三好と事務所には、どうしても必要だもんな。
なにしろ狙撃された前例がある。用心しておくに如《し》くはないのだ。そういや、あのときの犯人どうなったんだろう。

俺は某田中氏の特徴のない笑顔を思う浮かべて、身を震わせた。

「だから二匹くらい追加で召喚しておこうと思いまして」

三好の知力は50に達している。数字の上からは、十二匹の召喚が可能だ。
ただ、アルスルズの強化指針としてカヴァスから聞き出した内容に「主の(たぶん)MPの増加に連動してステータスが増える」というものがあったため、多数の召喚を行うと割り振り先が増えて一頭一頭が弱くなるのではないか? という懸念があった。それで追加の召喚を控えていたのだ。

もちろんご褒美の魔結晶の消費量が上がりすぎるという、現実的な問題もあったのだが。

「それなら別に、ここで召喚したって良くないか?」
「先輩。アルスルズって、最初から結構強かったじゃないですか」
「そうだな」
「あれって、召喚場所も影響してるんじゃないかと思うんですよ。ほら、アーシャの時を覚えてます?」

「ああ、Dファクターの濃度が関係するんじゃないかって、あれな」
「あれと同じ事が、召喚にも言えるような気がするんですよ」

召喚は謎の魔法だ。

もしも対象が最初から存在している何かで、それをどこかから呼びだしているとすると、ヘルハウンドが棲んでいる場所があることになる。

もちろんそれはどこか別のダンジョンなのかもしれないが……

それよりも、召喚という名目で、それが行われた瞬間に、その個体をダンジョン、延いてはDファクターが作り出すと考えたほうが納得できるような気がするのだ。

その場合、召喚場所が影響するというのは当然のことだ。

「それならもっと深い階層で召喚してみるとか?」
「それも面白いんですけど、ほら、アルスルズって、影渡りで入れ替わるじゃないですか? だから意味はないかも知れませんけど、できるだけ条件を一致させて召喚しておきたいんです」

「条件を変えたばかりに、2頭が入れ替われないなんてことになると可哀想だもんな。じゃ、ちゃっちゃと行ってくるか。どうせ魔結晶の在庫も増やしておかないといけないし、バーゲストのオーブも欲しいしな」


、、、、、、、、、

俺達は、久々の遠征で、かつ最長五日間におよぶことを鳴瀬さんに報告してからダンジョンへと潜った。

いつもの通り八層で豚肉を食べて、午後も遅い時間に九層へと下りて行った。

そうして、あと少しで日が落ちる頃、十層の階段からかなり離れたところで、それは起こった。

「誰かが付いてきてるな」
「え? もう日が暮れますよ? その人達大丈夫なんですかね?」

この辺りの地形はアップダウンが激しくて道もグネっているから、すぐには視界に入らないだろうが、距離は数百メートルといったところだろう。


「まさか代々木初心者で、同化薬が夜の訪れと共に役に立たなくなることを知らないんじゃ……」

「そんな初心者は、普通十層へは来れませんよ。どっかの特殊部隊かなにかですかね? ダンジョンの訓練がいまいちの」


わざわざこんなところで階段と逆の方向へと移動してるんだ。俺達を追いかけてきている可能性は高いだろう。

特に関係ないと言えば言えるが、気がついてしまった以上、見捨てるってのも夢見が悪そうだしなぁ……


その時三好が、目を輝かせて言った。

「先輩! これってデビュー案件では?」
「はぁ? 十層でこっち来てるの俺らしかいないじゃん」

3秒で正体バレますよ?! 三好さん。

「そこは向こう側へ回って、いかにも階段側から助けに来た感じで」
「どうやって回り込むんだよ?」
「ドゥルトウィンに頑張ってもらえば簡単ですよ!」
「小麦さんのところじゃないのか?」
「今日はグレイシックが行ってるみたいですよ」
「ふーん」

影に物を入れるのは比較的簡単だが、大きな物をいれたまま引きずって歩くのはなかなかの重労働らしいが……


「魔結晶何個分くらいだ?」

そう言うとドゥルトウィンが出てきて、てしてしてしと三回俺の腕を叩いた。

「三個か?」
「ウォン」

足元を見られたような気もするが、しかたがない。背に腹はかえられないのだ。

、、、、、、、、、

『おい、さっきから、まわりの様子がおかしくないか?』

四マンセルで歩いている男達のうち、先頭を進んでいた男が、今まで全然こちらを気にしていなかったまわりのアンデッドが、時折立ち止まっては、こちらを見ているような様子を気にして言った。


階段を下りて以降、まわり中をうろうろしているアンデッド達の、まるで俺達が見えないかのような振る舞いに、安心して追いかけてきたが……


『こんなところで、同化薬の効果が切れるのは勘弁だぞ?』
『いや、たしか最低でも四時間は持つと聞いたが』

しかし、まわりの化け物どもは、確かに立ち止まってこちらを見ている。

『これ、やばいんじゃないか?』
『しかし、Dパワーズの連中は、この少し先にいるはずだろう。あいつらはなんで平気なんだ?』

『いや、それより引き返さないか? こいつら、なんだか……』

そこで、リームのリーダー然とした男が、自分達のモットーを口にした。

『ここは十層だ。C8で充分対応できる。危険を冒す者が勝利する。そうだろ?』

残りの男達も、それを聞いて落ち着きを取り戻し、今まで以上にまわりに警戒をしながら、前を行く連中を追いかけようとした。

そうして、最後の残照が消えたとき、突然、側の墓石の影にいたゾンビが男達に襲いかかった。
あまりの突然さに、襲われた男は思わずC8の引き金を引いた。フルオートで撃ち出されたそれは、数秒でマガジンを空にして、襲ってきたゾンビを挽肉に変えた。


『馬鹿野郎! セミ――』

セミオートで使え、と言おうとしたリーダーの台詞は、それまで立ち止まっていたモンスター達が、銃の発射された音と同時に津波のように襲ってきたことで中断された。

男達は、固まって、まわりに向かって銃弾をばらまき始めた。
しかし一本のマガジンをフルオートで撃てば、僅か二−三秒で空になる。一人数本のマガジンで、どうにかなるような状況ではなかった。


『セミオートで丁寧に始末しながら、脱出する!』
『『『了解』』』

しかし脱出と言っても、いったい何処へ?
囲まれているだけなら、その包囲網を突破すればいいだろうが、ここは何処まで行っても全てが敵だった。

階段に戻れるまで銃弾が持つことは、今沈んだ太陽がもう一度昇るくらいありえそうになかった。


くそ、ここで死ぬのか? とリーダーの男が覚悟したとき、その不気味な声は、彼らの後方、階段に近い側から聞こえてきた。


『なにかお困りかね?』

後ろを振り返ったリーダーの男は自分の頭が恐怖のあまりおかしくなって幻影を見ているのだと思った。

そこには、墓石の上に格好をつけて立っている、ホワイトタイのフォーマルを着た、仮面の男が中折れ棒に手をあてて立っていたのだ。


『誰だ! 貴様は?!』
『誰? そうだな、今は君たちの、セイヴァーかな?」

男はそう言って、右手で帽子を取って脇に仕舞うと、左足を下げて膝を曲げプリエの形をとり、腰を折ってお辞儀した。

まるでこれから宮廷でダンスでも始まるかのような挨拶だ。
男はまるでここが、オペラのステージになったような非現実感に捕らえられていた。

セイヴァーだと? こいつ救い主気取りのバカなのか?
……だが、助けが欲しいのは、間違っちゃいない。リーダーは素早く左右に目を走らせると、諦めたようにそう考えた。


、、、、、、、、、

ふー、十八世紀の挨拶なんて、なんの役に立つんだと思っていたが、さっそく使うはめになるとは。

うまく決まったとは言え、何処かから見ているに違いない三好が、腹を抱えていることは間違いなさそうだ。


装備からするとイギリスの特殊部隊っぽいが……あーあ、あんなに弾をばらまいてちゃ、すぐに弾切れで潰されるぞ?


『もう一度聞くが、なにかお困りかね?』
『た、助けてくれ!』
『承《うけたまわ》ろう』

水魔法は結構使ってるから、ここは誰にも見せたことのない極炎魔法1択だ。強力だしコスプレにも相応しいだろう。三好は充分に離れているとは言え、インフェルノはあまりに酷かったから、あれはナシで。


俺はふわりとジャンプすると、彼らの側の墓石の上へと降り立った。

そうして、イメージするべきは、自らと守るべきものを中心に広がる青き炎のリング。
それは触れたものを生まれてきた場所へと送り返す聖なる炎。青く白く、全てを無に帰《き》す超高温の恒星の炎――


俺を中心にDファクターの渦が生まれ、それに気がついたモンスター達が動きを止めて、一斉にこちらを振り返った。

俺は、レンブラントやルーベンスの受胎告知(ルーベンスハイスの1628版だ)に描かれたガブリエルのごとく、右手で天を指し示しながら、完成した魔法の名前を唱えた。


『シリウス・ノヴァ!』

その瞬間発動した青き炎のリングは、それに触れたアンデッドを全て蒸発させながら数十メートルに渡って広がっていった。

呆然とそれを見送る男達にちらりと視線を投げかけると、ちゃんと練習したネイティブっぽい発音で、「
Au revoir」と言いながらマントを翻した。

その言葉に俺を振り返った彼らの目には、翻されて作られたマントの形状が、重力によって溶け落ちていくのが映っただけだったろう。

それは、まるで今までそこにいた男が、突然溶けてなくなったかのように見えたはずだ。

『消えた? ……今のは死の間際に興奮した脳が見せる幻だったのか?』

そう呆然と呟いた男の背を、リーダーの男がバンと叩いて正気へと引き戻すと、『幻でもなんでもかまわん、道は開けた! 行くぞ!』とチームを率いて階段に向かって走り始めた。

残された弾数は少ないが、集まりきる前のモンスターを蹴散らして、行く道を切り開く位のことは出来るだろう。


しかし、幻《ファントム》だと?
リーダーの頭の中には、それまで誰にも目撃されたことすらなく、存在すら疑われていたエリア12のランク1位の二つ名が、繰り返し響いていた。まさかあれが?


、、、、、、、、、

「ぶはー」

シャドウピットから出た俺は、元の装備に着替えると深く息を吐き出した。
着替えも、一瞬で保管庫内のものと入れ替える練習をしたのだ。所謂早替えってやつだ。

「お、オゥヴァ……オウヴァあああ」

戻ってきた俺の姿を見て、三好はいきなりそう言いながら、肩をふるわせ、口を押さえ、涙を浮かべながら笑いをこらえていた。


「な・に・を・笑ってる? やれって言ったのお前だろーが?!」

俺は三好の顔をアイアンクローで握りながら、怒りの笑顔を浮かべてそう言った。

「あ、あたたたた、先輩、痛い! 先輩のステータスで握られたら頭潰れますから、やめてー」

俺が手を放すと、こめかみをすりすりとなでながら、改めて三好が言った。

「し、しかし本当にやるとは……白いバラでも咥えさせたほうが良かったですかね?」
「どうも、三好君の頭は余計なことばかり思いつくようだね。必要ないなら握りつぶしてあげないといけないかな?」


俺はにっこり笑ってボイスチェンジャーを通してそう言った。これを使うと、誰でも不気味な声になれるのだ。


「え、遠慮しておきます」

「しかし、やっぱこれ、めちゃめちゃ恥ずかしいぞ」
「それにしちゃ、なかなか 堂に入ってましたよ。ちょっとキザったらしすぎて、好みは別れそうですけど、やはり世界チャンピオンはエキセントリックかつ孤高でなければ」

「おまえの、そのイメージってどっから来てんの?」

まあ突然だったので、キャラが定まらないのは仕方がない。
今後どんなキャラで行くのか考えとかないとなぁ……無口なタイプが楽で良いんだが。

「実際、客観的に見れば、なかなか格好良かったですよ。あの人達も呆然としていましたし、あの魔法も派手で良かったです」


シリウス・ノヴァ!と言いながら、三好が俺の真似をした。

「あれなぁ……かなり最低なんだよ」
「なんでです?」
「下ふた桁がどうなってるのかわからなくなった」
「……それは最低ですね。これからバーゲスト退治だってあるというのに」
「もう一周させるしかないか。幸い敵はいくらでもいるし」

俺はさっきから目の前に出ていた、スキルオーブの選択肢に注意を向けた。
どうやら、シリウス・ノヴァの最中に、下一桁00をクリアしたらしい。

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 生命探知
style='mso-spacerun:yes'>

二千万分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ   腐敗
style='mso-spacerun:yes'>

四億分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ   感染
style='mso-spacerun:yes'>

九億分の一
、、、、、、

「三好ー、感染とか、腐敗とかいるか?」
「いりません。ていうか常時発動だったりしたら、人間辞めなきゃだめなヤツじゃないですか、それ」

「だよなぁ。使えるものは生命探知くらいしかなさそうだ」
「ならそれにして、重ね実験にでも使えばいいんじゃないですか?」
「そうだな。オーブの鑑定用にいるかと思ったんだが」
「そんな名称のオーブ、手に入れたとしても、いきなり使う人はいないでしょうから、後でいいですよ」

「じゃ、そうするか」

俺は、生命探知を取得した。
辺りはもう夜になっていて、俺達のまわりではカヴァスとドゥルトウィンがまわりのアンデッドを蹴散らしていた。


「とにかくいつもの丘のあたりでドリーを出して休もうぜ」
「了解」

そこからはいつものような割り当てで、手当たり次第にアンデッドを倒しながら、いつもの丘を目指していた。

いつもと大きく違うのは、三好が小さな鉄球を多用していることくらいだろう。コスト削減なんだとか。


しばらくすると、オーブリストが表示された。スケルトンだ。

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 生命探知
style='mso-spacerun:yes'>





二千万分の一


style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 魔法耐性(1) 七億分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ   不死
style='mso-spacerun:yes'>





十二億分の一

、、、、、、

これでやっと下一桁が分かるようになった。
俺は魔法耐性(1)を取得すると、後はきちんと数を数えながら処理していった。

しばらくして件の丘にドリーを出して陣取ると、食後に三好が、面白いことを始めた。
いつも通りカメラ越しに鉄球を撃ち出してモンスターをしとめる毎に、カヴァスのシャドウピットに入るようになったのだ。


「どうです?」

そう聞いてきたので俺はメイキングを起動してチェックした。
もちろん、一層でテストしたときと同様、経験値取得はリセットされているようだった。

おれは、箸を加えたまま、彼女にOKマークを作って見せた。
それを見た三好は、俄然やる気になったらしく、凄い勢いで俺の目の前で、消えたり出たりを繰り返していた。

見てるとなんだか目がちかちかしてきたので、いつものように、スカイルーフから外へ顔を出し、下一桁が九十九になるように調整した後は、バンクベッドへ転がって、時々顔を出すことで、まわりのアンデッド達がとぎれないように調整した。


三好は黙々とシューティングを繰り返しているが、あまり素早く繰り返すと、まるで三好が点滅しているみたいに見えて気持ち悪かった。

そしてしばらく経った頃、ついに鎖を引きずる音が聞こえてきた。

「来たか」

そう言って俺は、バンクベッドから飛び降りた。

「どっちだ、三好?」
「車の後方ですね。まだ少し距離がある感じですけど……」

後部方向のモニタに、霧の塊が映っている。

「普通のバーゲストっぽいな」
「そんなにほいほい特殊個体が出てきたら、たまりませんよ」
「時間は?」
「二十時四十七分です」
「こっから三日は辛いねぇ」
「とりあえず下に行ってみるってのもありじゃないですか?」
「それもどうかな」
「なんでです?」
「後で説明する。バーゲストのやつがこっちに近づいてきたみたいだ」
「了解」

そうして、その日の夜、俺達は待望の闇魔法(Y)をゲットしたのだった。


100 育成の真意とアルスルズ+2 1月
18日 (金曜日)


翌朝、ドリーの中で起きた俺達は、かわるがわるシャワーを使い、朝食にサンドイッチを食べていた。


これが、去年の十一月に作られたなんて、誰にも信じられないだろう。
三好が飲んでいるオレンジジュースだって、手搾りのブラジリアーノのものだ。

ブラジリアーノはシチリアのオレンジの中では、出荷開始が早く、大体十一月の中旬くらいから出まわり始める。ブラッドオレンジジュースといえば、赤いタロッコがメインだが、こちらは十二月の下旬頃から出まわる。


購入したブラジリアーノが、いまいちだったので全部絞ってジュースにしたのが十一月の後半だ。

それがまだ絞りたてみたいに飲めるのを見ていると、保管庫って凄いよなと、改めて思った。

爽やかだが、ジュースにすると少し物足りないそれを飲み干した三好が、昨日のことを尋ねてきた。


「昨日の話ですけど、なんで、下層へ行かないんですか?」
「俺達が、ふたりともマイニング持ちだからさ」
「え?」

そう聞いて三好が怪訝な顔をした。

「ほら、碑文には、五十層の金だけが決定していて、他の層は決まっていないってあったろ?」
「はい」
「しかも、ダンジョン毎に別のアイテムが出るとか」
「確かそうです」
「じゃあ、出る金属って誰が決めてるんだと思う?」
「ダンジョンじゃないんですか? 後はランダム」
「ま、そうかもしれないが、そうとも言えない気がするんだよなぁ……」
「根拠は先輩の勘?」
「……まあそうだ。実際の所、説得力のある根拠はゼロに等しいな」

俺は苦笑いして頭を掻きながら説明を始めた。

「いいか、俺達が二十層でドロップさせたのはバナジウムだったろ?」
「はい」
「鉱物は、金属も非金属もあわせれば凄い数がある。なのに、何でバナジウムの、しかもインゴットだったんだと思う?」

「え? 偶然ですよね?」

碑文に書かれていたのは、『無限の鉱物資源』だ。

鉱物資源ってのは、地下に埋蔵されている鉱物で資源となるもののことだ。
つまり、本来なら鉱石なんかがドロップするべきだと思うのだが、俺がドロップさせたのは、インゴットだった。


「そうだな。まあ、普通はそう考えるだろ。だけど、俺はあのとき、どきっとしたのさ」

一瞬ダンジョンに心臓をつかまれたような気分になったのだ。

「前の会社で俺が謝りに行かされてぶち切れた案件があったろ?」
「先輩が退社される切っ掛けになったやつですよね」

本当の切っ掛けはランキング1位だけど、それはまあいいか。

「あれが金属バナジウム関連だったんだよ」
「ええ?」

「二十層でバナジウムのインゴットがドロップしたとき、俺は、ある層でどんな鉱物資源がドロップするのかを決定するのは、最初にそれをドロップさせた人間じゃないかと思ったんだ」

「それって、波動関数の収縮みたいなものですか」
「そうだな、原子が周囲と相互作用することによってデコヒーレンスが引き起こされるように、どんな鉱物もドロップの可能性がある状態で、ダンジョンがそれを生成する際に、受け取る対象と相互作用することでデコヒーレンスを引き起こすと考えてもおかしくはないだろ?」


三好はため息をひとつ付いてから言った。

「いや、おかしいと思いますよ。普通なら」
「だよなー」

いや、三好さん容赦ない。
だけど、マジでこんなことを言われたら、俺だってそう思うだろう。

「だけど、なんとなくそれで正しいような気がするから不思議ですよね」

ゴーストが囁くってやつでしょうか、と三好が笑った。

「だけど、先輩。それであのとき二十一層に下りずに、すぐ引き返したんですね」
「ま、半分はそうだな」

後の半分はトップエンドの探索者に会いたくなかったってところだ。

「ダンジョンの当該層からは、どんな鉱物資源でもドロップする可能性がある。それを収束させるのは、最初にドロップを取得した人間だってことですか……」

「だから小麦さんにその役をやらせれば、きっとすごい鉱物が――最初は絶対宝石だろうけどさ――ドロップするフロアができあがる気がするんだよ」


彼女は宝石や鉱物全体を愛しているからな。何か凄いことをやりそうな気がするんだ。

「それが先輩が彼女の育成を始めた原因なんですね? めんどくさがりの先輩らしくなくて、おかしいと思いましたよ」

「まあそうだな。しかしこんな話、まともにしたら頭がおかしくなったと思われかねないからな」


「もしそうだとしたら、なんの素養もない人がマイニングを手にして、最初に二十一層に到達した場合、そこで産出するのは――」

「十中八九、鉄、だろうな」

一般人が、鉱物資源と聞くと、たぶん金属を思い浮かべるあろう。そうして、そういった人達が一番触れている金属は鉄だ。


「代々木の鉱物層は、最大でたった六十層しかないんだぜ? ありふれた金属を増やしてどうするよ」

「なら、日本ダンジョン協会とダンジョン攻略局が落札して、どちらもまだ使用者が決まってない現状は……」

「そう、渡りに船ってヤツだ。もしもすぐにどちらかが使われて、代々木で試そうとするやつが出てきたら、先に小麦さんに使わせて、無理矢理二十一層に運ぶつもりだったんだ」

「なるほどー」

「日本にまるで産出しない重要な鉱物資源と言えば、ニッケル、コバルト、ボーキサイトだ。あとは少量しか要らないが非常に重要な非鉄金属あたりが産出する層が作れるヤツがいれば……」

「先輩がそのことを考えながら狩るってのは、なしなんですか?」
「最終的にはそれも考えるけど、どのくらい必死で考えればダンジョンがそれを汲み取るかなんてわかんないからなぁ……失敗が許されない以上、やっぱその道の専門家がいいと思うわけよ」

「じゃあ、私たちもマイニング採掘レースに参加して、片っ端から専門家に使わせて、無理矢理下層に……って、その人が倒さないとダメなんですね」

「そこがネックなんだよ」

Dカードの取得なら、遠距離から銃で1発だろうが、対象はそれがだんだん通用しなくなる二十層以降だ。

超強力な近代武器を素人が使うのは難しいだろうし、そもそも日本じゃ手に入らない。
とどめだけ刺せば良いのなら、なんとかなるかもしれないが、経験値が分散するように、収束する元になる意識まで分散したら意味がないのだ。


「アーシャの時より難易度が高そうですね」
「まったくだ、しかも根拠が勘じゃ、日本ダンジョン協会も力を貸しちゃくれないだろうしな」
「一応鳴瀬さんにも相談してみませんか?」
「そうだな、戻ったら話してみるか」

まあ、それは先の話だ。
今は、三好の新しいペットの召喚だな。

「じゃ、そろそろ時間だろ。召喚するか」
「了解です」

三好は勢いよく立ち上がると、ドリーから出て、まわりのアンデッドを全て排除した。

「お見事。そういや、三好、すごいポイントが溜まってたぞ? 昨日だけで9ポイントとか。新方式って凄いな」

「え? 本当ですか? じゃ、召喚前に知力に振って貰おうかな」

、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 16.019
 HP 27.00
 MP 86.80 (130.2)

 力 (-) 10 (+)
 生命力 (-) 10 (+)
 知力 (-) 50 (+)
 俊敏 (-) 20 (+) (30)
 器用 (-) 19 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

「こんなだぞ? 知力でいいのか?」
「先輩、ピーキーなキャラメイクにはロマンがあるんですよ?」
「これって、現実なんだけどな、一応」

まあこんだけポイントが稼げるなら、他に振るチャンスもあるか。

「ほら、極振り。一応器用だけ以前のもくろみ通り20にしといた」

、、、、、、
 ネーム 三好 梓
 ステータスポイント 0.019
 HP 27.00
 MP 110 (166.5)

 力 (-) 10 (+)
 生命力 (-) 10 (+)
 知力 (-) 65 (+)
 俊敏 (-) 20 (+) (30)
 器用 (-) 20 (+)
 運 (-) 10 (+)
、、、、、、

「おー。MP166ですよ。またアルスルズが強く……なりましたかね?」

まわりでアンデッドを近づけないように狩っている彼らを見て三好が言ったが、すでにこの辺のモンスターは一撃で倒してるからよく分からない。


「ま、たぶんな」
「うし、それじゃパワーアップした知力で行きますよ!」

三好は天高く掌を突き上げて、叫んだ。

「サモン! グラス!」

三好は前回ととほぼ同じ位置で、前回とほぼ同じポーズを取った。
そうして前回同様、巨大な魔法陣が展開して、前回と……同様?

「ケンっ、ケンっ」
「なんじゃこりゃ?!」

俺は思わずそう言った。
そこにいたのは、ちょっと大きめのポメラニアンといったサイズの……見た目は、まるっきりスキッパーキだ。目は金色だけど。


「ヘルハウンドなのか、これ?」

三好は感極まったかのようにふるふると震えていた。

「きゃー! 可愛い!! ほんとにできた!」
「まて、今何か聞き捨てならない台詞があったぞ」

そういや、こいつ以前プレ・ブートキャンプの時の農場で……

『カヴァスの小さいのとかがいたら、もうモフモフで可愛いんですけどね。きっと、ケンケンって鳴くんですよ!』


とか、言ってなかったか?

「ほら、先輩が、ダンジョンが意思を読み取って収束させるって話をしてたじゃないですか」
「あ、ああ……」
「だから召喚も同じかなぁと、そう思ったんですよ!」
「で、子犬っぽいのを召喚してみたと」
「可愛いですよねー」

三好はデレデレしながら、そいつ――グラスを持ち上げてなでていた。

「で、そいつ、戦えたり、入れ替わったり出来るわけ?」

もしも入れ替われたら、大きなヤツラの首がちょん切れるんじゃないの? 首輪のせいで。

「もー、先輩は、つまんないこと気にしないで下さいよ、カワイイは全てに勝るんですよ?」
「いや、お前な……ここへ何しに来たか覚えてるか?」

あまりの三好の壊れように、頭を抱えながらおれは聞き正した。

その時、三好の手から、ぺいっと飛び降りたグラスが、ててててと俺のところに走ってきて、前足を俺の足にテンと乗せた。

そして、オイ見てろよと言わんばかりにガンを飛ばすと――

「おお?!」

消えるような速度で、少し先にいたスケルトンに飛びかかり、あっさりとその頭部を粉砕していた。

くるりと身を反転させて、見事な着地を決めたグラスは、「へ、見たかい?」と言わんばかりのドヤ顔を決めた。


そのすぐ脇へ、三好の放った鉄球がドスドス突き刺さる。
それに驚いてよろけたグラスは、その場所に這ってきていたゾンビがいたのを見て、悔しそうに顔をゆがめた。


「まあ、ちょっと脇が甘いですけどね。おいで、グラス」

グラスが、とぼとぼと三好の足下まで寄っていくと、三好がわしゃわしゃと耳の後ろと顎の下をなでた。

いや、君たち。まわりでは結構戦闘が起こってますけど、何やってんですか?

「そうだ! 先輩!」
「なんだよ」
「入れ替わりで良いことを考えました! サモン! グレイサット!」

そう言って三好は次のヘルハウンドを召喚した。ま、まさか……

「ケンケン!」

召喚されたのは、見事にグラスと瓜二つのグレイサットだった。

「こうなってくるとグレイシックも小さくするべきでした……」

どうやら、グラスとグレイシックとグレイサットは、三匹がひとまとめの扱いのようだ。
今度、そのマビノギオンを読んでおこう。なんだか最近、俺だけが知らないんじゃないかと不安になってきた。


予定通り2頭を召喚した三好は、思った以上に溜まるポイントに味を占め、昼間もシャドウピット方式を使い始めた。

露払いはもちろん俺と、お供の四匹だ。

夜もひたすらドリーの中からそれを繰り返していた三好を見て、俺もスカイルーフから、アンデッドの撒き餌になりながら、二匹増えたアルスルズ達にお願いしてシャドウピット方式を試してみたが、視界がとぎれるのがどうにも慣れなかった。

そうして四日が過ぎ去って、2個目の闇魔法(Y)を手に入れると、翌朝、俺達は地上へと向かって出発した。


ポイント割り振り後、三好がシャドウピット方式で稼いだポイントは、なんと三日で27ポイントだった。



101 追いかけてヨコハマ 1月
20日 (日曜日)


先日日本ダンジョン協会から、支払い調書というか、ダンジョン税の支払い証明のようなものが送られて来た。そろそろ確定申告の時期なのだ。

そこに書かれた徴収された税金の桁数を見て少し気が遠くなったことは内緒だ。

三好曰く「絶対還付はありませんけど、ダンジョン収入は特殊なので必ず申告して下さい」とのことだった。


ダンジョン税関連はシンプルだが、従来の税制に比べればとても特殊なので、ちゃんと申告しておかないと、意味不明な金額の所得税が課税されたりするのだそうだ。

「ある意味、さまよえる館よりも恐ろしいので忘れないで下さいね」と念を押された。

足りない方は、間違いを厳密に指摘してくれるが、取る方は間違ってても知らん顔で持って行く。それが税務署だ。

まあ、取るのが仕事だから、多く納めてくれる方はチェックがないんだろうけどさ。

しかたなく、確定申告のための事務処理をしていたら、めずらしく三好から電話がかかってきた。

いや、だって、すぐ下にいるんだぜ?

「はい。芳村です」
「先輩! 見つかりましたよ!」
「見つかったって、なにが?」
「実験室に使えそうな、小さなフロアのダンジョンです!」

え? マジ?

「今、事務所か?」
「はい」
「すぐ行く」

そう言って電話を切ると、作成中のデータをセーブして、それでもちゃんとシャワーを浴びてから事務所へと下りていった。

身だしなみは重要だ。特に女性と会うときは。例えそれが三好でもな。

「先輩! 遅い!」
「いや、遅いって……それで、どこにあるんだ、そのダンジョン」
「横浜です」
「横浜?」

横浜ダンジョンは、桜木町駅前の、とある大型の商業ビルの建設中に出現したダンジョンだ。
ザ・リングと同様、地下層にある既存施設がそのままダンジョン化したタイプで、そのため全9フロアだろうと考えられている。


一時はビルの建設自体が危ぶまれたが、地下部分を物理的に隔離することで二階から上を計画通り建設し、ダンジョンビルなんて愛称をつけて営業開始しちゃうところが日本の凄いところだろう。

もっとも、流石に一階は一般には開放されておらず、ダンジョンの監視施設が作られていた。

建設当時は、ダンジョン化した部分には非破壊属性が付与されるため、建物の基礎が丈夫になったと思えばいいなんて発言をした当時の横浜市長の
twitterが炎上していたっけ。

都市部にできた、僅か九層、しかも既存建築物のダンジョン化なので代々木のような広大な広さもない。

そんなダンジョンが、未だにクリアされていないのは、このダンジョンの特殊性が原因だった。

地下一階以外の、全地下駐車場フロアがボス部屋で、倒すと必ず宝箱が登場するところから付いた名前が、ガチャダン。

リポップするボスも、宝箱の中身もガチャのようにバリエーションに溢れていたからだ。

分かり易い射幸性もあって一時は盛り上がっていたのだが、すぐにそれは下火になり、今では、代々木と違って利用者のほぼいないダンジョンになっている。


このダンジョンに人がいない理由はふたつ。
ひとつは、ボスのリポップ時間が四時間と微妙な長さであることだ。つまり誰かが討伐すれば、次のチャンスは四時間後、雑魚狩りをしようにも、ボス部屋にランダムリポップの雑魚はいないのだ。


そしてもうひとつにして最大の理由は、モンスターの強さにあった。
一言で言うと、ものすごく強かったのだ。
代々木比較で言うなら、各層x八くらいの強さではないかと言われている。最初に挑んだ自衛隊のチームは三層で引き返したそうだ。


ゲートから戦車で侵入して、なんて案もあったらしいが、一般的な地下駐車場には陸上自衛隊の戦闘車両は背が高すぎて入れない。

今ではゲート側は何かが出てこないように強力な扉が何重にも作られて施錠され、入ダンはクラスB以上に制限されていた。


「いや、あそこは地下駐車場だけに、かなり広いだろ? そりゃ、代々木の広さと比べれば狭いだろうけど。あれが最小じゃ、結局なにかのテストには使えないな」

「先輩。結論を急いじゃいけません。あのダンジョン、モンスターがガチで強力じゃないですか」

「そう聞いたな。たしか、自衛隊の部隊が三層で引き返したっきり、誰もその先へ進んでないんじゃないか?」

「今では入ダンもランクで制限されてますからね。でもそれっておかしくないか? と調べた人がいるんですよ」

「おかしいって、モンスターの強さがか?」

「そうです。クナイ典弘、三十一歳。人呼んで、ガチャダンマスター・テンコーですよ」

それを聞いて俺は微妙な顔をした。

「……世の中にはいろんな二つ名の人がいるんだな」
「彼の場合は元自称ですけどね。みんながおもしろがって定着したタイプです」
「自称でそれ? つまりそういう成りきりタイプの人?」

「ともかく彼は、ダンジョンへ下りていく階段の一段一段がダンジョンのフロアなんじゃないかと言う仮説を立てたんですよ」

「おいおい、それって……」

建築基準法の規定だと屋内に作られる階段の、一段の高さは二十三センチ以下で、奥行きは十五センチ以上だ。

地下駐車場の天井は結構低いとはいえ、梁の部分や床の厚みを考えれば、ざっと一フロア三メートルはあるだろう。そして、階段の高さを二十センチとすると、おおおそ十五段か。

十五層の後に駐車場フロア、と考えると各フロアは十六層の倍数に当たるってことか?

「それだとモンスターが弱すぎるんじゃないか?」
「そこは、一フロアがあまりに狭すぎて何かの制限があるとか、二段で一フロアだとか、言ってしまえばダンジョンの特質だとか、色々考えてらっしゃるみたいですね」


「ダンジョンの特質なんて言い出したら、なんでもありだろ」
「問題はそこじゃないんです。彼は一年かけて、ついに地下フロア以外でモンスターを発見したと主張しているんです」

「それって、その狭い階段で? そいつ、そっから出ないわけ?」

一般にモンスターは、攻撃されたりしない限り、自発的に自分が発生したフロアからは移動しない。

例外が一層から外部への移動だが、それもあまり頻繁には発生しないらしかった。

「違います。流石に階段での発生は確認されていません。Dファクターが足りないんですかね? 発生したのは踊り場だそうです。彼の言葉を借りるなら『踊り場フロア』です」

「踊り場か……」
「もしもそれが本当なら、世界で一番小さなダンジョンフロアだと断言できます」

それが本当かどうかは、ここで考えていてもわからない。ここは行動あるのみか。

「まあとにかく一度行ってみるか?」
「そうくるだろうと思って、テンコー氏にアポを取っておきました」
「え、連絡先公開してる人なんだ?」
「そらもう。リアルダンジョンヨコハマってブログ書いてますよ、この人。もちろん
class=SpellE>
youtubeにチャンネルも持ってます」

三好は、そのページが表示されたタブレットを指差して言った。

「はは……」
「セルフプロデュースがうまいのは悪い事じゃないですけどね」
「ま、まあな」

俺は色々と不安に感じながらも、三好と共に桜木町へと向かった。

、、、、、、、、、

代々木八幡から新宿経由で湘南新宿ラインに乗っても、代々木公園から、明治神宮前へ出てFライナーを使っても、横浜までは同じくらいの時間で到着する。

目的地までは、そこから根岸線で3分だ。

ただし値段は、前者のほうが百円も高くつく。いまだにせこい俺達は、八幡じゃなくて、つい代々木公園駅を使ってしまうのだった。


「いっぺん、タクシー捕まえて、横浜、とか言ってみたいよな」
「先輩。電車のほうが、ずっと早いし、時間に正確ですよ。たぶん」

確かに。都市部あるあるだよなぁ……
電車の吊革につかまった三好は、腰まであるストレートの黒髪を揺らしていた。

「三好、今日はその恰好なのか」

そう、今日の彼女は、先日のテレビ出演の時の変装だ。

「仕方ないですよ。Dパワーズの三好として会うんですもん。先輩こそ素のままでいいんですか?」

「大丈夫だろ。客観的に言って、単なるオマケだし」
「カレシ同伴ってわけですね」
「お前な……ま、知らない男に会うんだし、そういうカバーでも良いか」
「よろしくお願いしまーす」

代々木公園駅から電車に揺られること約一時間。JR桜木町駅に着いた俺達は、北改札を抜けて、東口へと折れた。

建物を出ると、目の前には、なんというか閑散としたとりとめのないデザインの広場が現れた。

「なんか、あれだな。駅前広場って言うより、ただのスペースって感じだな」
「それは仕方ありませんよ、ほら、床にある四角のエリアごとに貸し出されるイベントスペースなんですから、ここ」


広場の地面には、正方形に配置された赤煉瓦が、四つ組でさらに正方形に配置されたものがいくつか、スペースを表すように並んでいた。


「その左手のビルですね。ヌーヴォ・マーレ。通称ダンジョンビルです」
「こんな近いのか」

建設中は、なんとかマーレという名前だったらしいが、ダンジョンによって計画が中断された後、新たなるマーレってことで現在の名称になったようだ。

もっとも、ダンジョンビルと言う通称のほうが有名なのだが。

「待ち合わせ場所は――ほら、その二階に見える、椿屋カフェさんです。ギリギリですから、急ぎましょう」


三好はそう言うと、少し先にあるビルの階段を上がり始めた。
本来正面玄関にあたる部分は、日本ダンジョン協会の管理事務所の入り口のようになっていて、一階と二階は内部では繋がっていないそうだ。




「あ、三好《みよっ》さん!」

俺達が椿屋の入り口をくぐると、一番奥の席にいた綺麗に日焼けした男が手を振った。

「あれが?」
「テンコーさんですね」

俺達が近づくと、男は嬉しそうに三好の手を握って握手したが、左手は自撮り棒でムービーを撮っていた。

最初っから、強烈な人だな。

「いやー、よくおいで下さいました。ワテがテンコーです」

ワ、ワテ? 今時そんな一人称使う人いたのか?

「えーっと、失礼ですけど、宮内《くない》さんって、神奈川の方ですよね?」
「自分、かったいなー。テンコー言うてや。これはやな――まあ、キャラ作りってやつですよ」
「はぁ」

スイッチがオフになったように、突然普通の関東人と化した彼の落差に、ちょっととまどった。

「ただのハマっ子が、横浜紹介しても普通でしょ? 私は湘南寄りですけど」

確かに綺麗に日焼けした感じと言い、昔、ちょっと爽やかなサーファーでしたって感じだな。

「それで、このいかにも似非な関西弁がわりと受けたんでね、以降、動画じゃそうしてるってわけ。だから気にせず――付き合ってーな、な?」

「はぁ、わかりました。じゃ、テンコーさんで?」
「よっしゃ、それで。よろしゅう頼むわ」

ちょっと古いメイドさんを彷彿とさせるコスチュームの店員が注文を取りに来た。
現代ギャルソン風の店員も、ちらほらと見かけるので、なんだか奇妙な感じだ。

オーダーが終わると、三好が早速切り出した。

「それで、メールでもお話ししましたが、『踊り場フロア』についてお聞きしたいんです」
「それそれ。自分ら信じてくれるん? あれな、上からちらっと、確かに見た思たんやけど、それ以降見えるところに出てきーへんねん」

「え、確認に行かれたんじゃ?」
「アホいいなや。ワテこれやもん」

そこで出された世界ダンジョン協会カードに書かれていたランクは――Cだった。

「ランクC?」
「せや。今のガチャダンは規制されてもて、B以上じゃなきゃ下りることもできへんからなぁ」

俺は思わず口に出した。

「え? 潜られてたんじゃ? ガチャダンマスターって……」
「ちゃんと行ってんけど? ただし、規制前はな」

彼は目を瞑るとしみじみと言った。

「行けへんようになって、ホント悲しいよ」
「いや、それで、どうやって調べたんです?」

彼の話によると、ダンジョンに下りるためには、Bランク以上が在籍するパーティじゃなければならないけれど、一階へは世界ダンジョン協会カードがあれば入れるらしかった。

そこで、下り階段の先を未練がましく見ていると、角の踊り場でちらりとモンスターを見たような気がしたそうだ。


「興奮して確認しようとするやん? そしたら、係員に制止されてな」
「そりゃされますよ」
「ワテもうくやしゅーて、くやしゅーて。世紀の大発見やん? しらんけど」

(おい、三好。これ、大丈夫なんだろうな)
(うーん。ちょっと不安になってきましたねー)

俺は今、三代さんと三好の三人でパーティを組んでいるが、三代さんが二十メートル以内にいるわけないので、三好と念話が出来るのだ。


「じゃあ、ちょっとこれから潜ってみますから、その踊り場の場所だけ教えて貰えますか?」
「え? あんたらB以上なんか?」
「え? ええまあ」

それを聞いた瞬間、テンコーさんはガバっと身を乗り出して、必死にアピールを始めた。

「発見したんはワテ! ワテやで!? ワテも連れてってんか! 後生やから! 頼むわ、三好《みよっ》さん!」

「え? だけど準備が?」
「二十……いや十五分で戻ってくるさかい、ほんっと頼むわ!」
「わ、わかりました。先にちょっと雰囲気だけ見ておきますから、三十分後に入ダン受付の前で待ち合わせましょう」

「ホンマか!? おおきに! すぐ取ってくる!」

そう言って、いきなり立ち上がると、ダッシュして店を出て行った。

「濃い人だなぁ」
「そうですね。しかも請求書置いて行かれましたよ?」
「まあ、連絡したのはこっちだし。とにかく先にちょっと見てこようぜ。何かあってもこまるしな」

「了解です」

そうして俺達は、一旦ビルを出て、一階の受付へと足を運んだ。


102 横浜ワンダバ計画? 1月
22日 (火曜日)


「これが、横浜ダンジョンか」

ダンジョンビルの一階へ入って、入ダン手続きをした俺達の前には、地下へと続く階段が薄暗い口を開けていた。

地下一階は元々食料品などを売る店舗として作られていて、それなりにスペースが区切られているらしい。そのためかどうかは分からないが、ガチャダン特有のワンフロアボス部屋層は、地下二階の駐車場フロアからだということだった。


「この階段も含めて、どっからがダンジョンなんだろうな?」
「本当に知りたければ、先輩のメイキングで、何処まで戻ったらリセットされるかを確かめてみればわかりますよ」

「そうだな。必要になったら調べてみようぜ」
「じゃ、いきますか」

三好は代々木と同じ装備で、カメラなども有効にした。
テンコーさんが戻ってくるまでは自重しなくて良いだろう。現在潜っているチームもゼロだということだ。

過疎どころか、貸し切りだよ。

階段を二十段下りたところが、階段の角に当たる踊り場だった。
おそらくテンコーさんが言っていた場所だろう。

小さなスライムでもいないかと、ざっとみまわしてみたが、特になにも見つからなかった。

「やっぱ、見間違いだったのかな」

俺は、踊り場から階段の上を見上げながらそう言った。照明がないので、かなり薄暗い。何かを見間違えても、おかしくはなかった。


「たまに訪れる探索者が、もののついでに倒していったのかもしれませんけど」

モンスターは、時折一層から出てきて、ダンジョンのまわりに出現することがある。層を移動しないモンスター唯一の例外だ。そのため、ダンジョンの入り口まわりは厳重に管理されているのだ。

やってきた探索者が、そういう類のモンスターだと思って、それを処理した可能性は確かにゼロではないだろう。

念のために、あとで受付に聞いてみよう。報告が上がってるかも知れないし。

そこからさらに14段下りたところに、地下一階への入り口があった。

「出てくるモンスターは、代々木七・八層くらいの強さらしいですから、オークとかブラッドベアクラスですね」

「やっぱ人型?」
「いえ、一番厄介なのは蜘蛛らしいですよ」
「蜘蛛?」
「ハエトリグモのでっかいヤツです。五十センチくらいあるそうで、ジャンピングスパイダーっていうらしいです」

「まんまじゃん。しかし、虫型かよ……」
「先輩、蜘蛛は虫じゃ――」
「わかった、皆までいうな。他には?」

魔物に昆虫もクソもあるもんか。

「ヒュージセンチピードに、後はクラゲがいるそうです」
「クラゲ? 水なんかないぞ?」

まさか水没している部分があるのか?

「空中に浮いてるそうですよ。その名もサイアネア」
「どっかで……ライオンのたてがみか?」
「まったくダンジョンもいろいろ考えますよね」

三好は、頷きながらそう言った。

コナン・ドイルの書いた、シャーロックホームズシリーズの中に、執筆者たるワトソン博士が登場しない作品が二つだけある。

ワトソンが結婚生活のためにホームズと別居していた際に起こったとされる事件で、それらはホームズ自身によって語られるという体裁を取っていた。


そのうちのひとつのが、ライオンのたてがみ(The Adventure of the Lion's Mane)という話なのだ。
それに登場するクラゲが、サイアネア・カピラータ。別名ライオンのたてがみと呼ばれる、猛毒を持つ巨大なクラゲだ。何しろ触手が何十メートルもある個体がいるらしい。


「流石に、あれほどデカくはないんだろ?」

六十メートルもあったら、地下の何処にいてもやられそうだ。

「触手は一メートルかそこらみたいです」
「なら大丈夫だろ。なるべく近づかないで倒そう」
「了解」

「しかし、そのノリなら、犬と蛇も居そうじゃないか?」
「ハウンド・オブ・パスカヴィルとか、スペクルド・バンドとかいう名前のですか?」

パスカヴィル家の犬も、まだらの紐も有名な作品だが、後者はオリジナルの言葉で読まないと、音の関係で、いまいちおもしろさが全部伝わらない内容になっている。

翻訳を読んでも、どうしてこれをドイルがホームズの短編の中の1位に上げたのかよくわからないだろう。


「そうそう。口笛で呼び戻せることができて、ミルクを嗜む蛇なんだよ」
「残念ながら、どちらも一層にはいませんね」

そんな軽口を叩きながら、俺達は、地下一階の扉をくぐった。

そこはよくあるデパチカといった感じの空間だった。ただし――

「暗いな」

灯りらしい灯りと言えば、フロアのあちこちに設置されている非常灯くらいだった。

「一応電気は来てるのか」
「いえ、来てないそうですよ」
「え? あの非常灯は?」
「あれ、ダンジョンのオブジェクトらしいです」

そう聞いて、驚いた俺は、近くにある非常灯を振り返った。
どう見ても本物にしか見えない。

「マジかよ。そんなものまで作れるなら、本当に3Dプリンタ化も夢じゃないのでは?」
「無機物に対して、ダンジョンの管理を活性化させるスイッチがわかれば、可能かも知れませんけど」


なにしろ現在そうだろうと思われるスイッチは発芽なのだ。無機物を発芽させるのは、流石に難易度が高すぎる。


俺達はメットのライトをオンにした。

「さて、行きますか」
「急がないと、テンコーさんとの待ち合わせもありますからね」
「……うーん。やっぱ、ちょっと面倒くさいんだけど」
「まあまあ、先輩。変身ならぬ、献身ヒーローというのも、たまにはいいものですよ」
「なにかそういうの、昔の特撮番組の特集で見たことあるぞ、あれは確か――ん? なにか素早いのが来るぞ」


正面の通路の先から近づいてくる、妙に素早く動いては止まりを繰り返す何かが、生命探知に引っかかった。


「たぶん蜘蛛でしょう。ハエトリグモっぽい動きですし」
「よし、じゃあ、最初は魔法が通用するかどうかをためしてみるか」
「じゃ、お任せします」

俺は、献身ヒーローのことを思い出しつつ、ウォーターランスを準備すると、そのヒーローの決め技?を小さく叫んだ。


「外道照身霊破光線!」
「……先輩」

三好に呆れられながら射出された三本のウォーターランスは、こちらに飛びかかってきたジャンピングスパイダーを直撃した。

そのまま、力なく床に落ちたジャンピングスパイダーは、しばらくひくひくと蠢いていたが、その動きを止めると同時に黒い光へと還元され、後には――


「み、三好さん? あれって……」

そこにころんと転がったドロップアイテムを見て動揺した俺は、思わずそう言いよどんだ。
三好はその小さな光る何かに近づくと、それを拾い上げて言った。

「見事なラウンドブリリアントカットのブルーダイアですね。二カラットはありそうです」
「汝の正体みたり! 前世魔人、コンゴーセッキ!」

俺は蜘蛛のいた場所を指差してそう言ったが、さすがの三好も「バレたかー」と突っ込んではくれなかった。


「先輩、韜晦《とうかい》してても、なんにも解決しませんよ?」

「なんでジャンピングスパイダーがそんなものをドロップするんだよ?!」
「そりゃもう、ここが二十層より下の扱いで、先輩が”ダイヤモンド・アイ”のことなんか考えながら倒したからでしょう」


ダイヤモンド・アイは、そのインパクトのある見た目と、やたらとメジャーな「外道照身霊破光線」で知られている特撮ヒーローだ。

なにしろ、決め技の名前は誰も知らないくせに、外道照身霊破光線だけは、みんなが知っているという、なんとも歪な人気を誇っている。


「良かったじゃないですか。仮説が二つも強化されて」

ここが二十層よりも下の扱いだというのなら、階段が一層扱いだという仮説は、ほぼ証明されたも同然だ。他に考えようがない。


そうして、ダイアのドロップは、最初に倒したもののイメージが鉱物資源の可能性を収束させるという仮説への、わりと強力な証拠のひとつになるだろう。

まさか二十層以降だとは思っても見なかった俺は、何の雑念もなく、ダイアの精であるヒーローのことを考えていたのだ。


「で、どうするよ?」
「テンコーさんと一緒に、ここで冒険するのは危ないですね……とくに彼の目の前で私たちが倒しちゃうのはかなり問題が。あの人絶対録画するでしょうし」

「そういやここって、普通のダンジョンと違って人間の作った施設だよな? 電波とかどうなってんだ?」


代々木が階層毎に別空間だって言うのはなんとなくわかるが、ここはもともとあった施設なのだ。録画で感じた疑問を三好に訪ねてみた。

三好はすぐに自分のスマホを取り出すと、入り口付近で電波を確認した。

「圏外ですね。見た目は以前の施設のままですけど、別空間と考えたほうがいいんじゃないでしょうか」


その時、大分先の視界の隅で、何かがかさかさと蠢いた。
それまで静止していたから気にしなかったが、どうやらそいつは光に吸い寄せられる性質があるようで、ヘッドライトの光がよぎると同時に動き始めたようだった。

それは、大人の身長くらいありそうな不気味な大ムカデだった。黄色っぽく固そうな足がぎちぎちと蠢いて、素早くこちらへと近づいてくる。


俺が何かする前に、三好が引きつった顔で二センチ鉄球を散弾風に撃ち出して頭を潰した。さすがにあれは気持ち悪かったらしく、嫌そうな顔をしていた。


「あんなのが、上から降ってきたりしたらぞっとしないな」
「やめてくださいよ!」

三好は上を見上げて天井を照らしたが、幸いそこには何も居なかった。
ヒュージセンチピードが消えると、そこには、やはり、美しくカットされた透明な宝石が残されていた。


「モンスターの死体が残らない仕様でほんと助かりました」

そう言って、三好はその宝石を拾い上げた。

「一月三日が最初に来たみたいですね。私のは普通に透明なダイアのようです。こっちは一カラットくらいですね」


ラウンドブリリアントカットされたダイアの直径は、一カラットで六.五ミリ、二カラットで八.二ミリくらいだと言われている。

僅か二ミリ未満の違いだが、実際に見るとかなり違う。

「しかし、ダイアが出ることは確定したわけだ」
「です。しかもメレじゃないサイズ」

メレダイアは、ダイアをカットする際にでる余剰部分から作られるダイアで、大抵0.2カラット以下の大きさだ。


「これって、デビアス辺りともめないか?」

デビアス社は、事実上ダイアの価格を統制している企業だ。

なにしろここは、実質ダンジョンの一層だ。
しかもドロップするのはダイアで、一カラットは僅か0.2グラムなのだ。金属のインゴットと違い、やる気になればいくらでも持ち運べる。

それに、この鉱山には所有者がいないのだ。見つけた者の物になるなら、統制そのものが難しいだろう。


マイニングが普及して人が殺到したら、世界中のダイアの価値に影響を与えるおそれすらあるかもしれない。


「小麦さんと雑談してたとき聞いたんですが、日本のダイアの輸入量は、大体年間二百万から二百五十万カラットくらいはあるらしいですよ。だから、こんな小さなダンジョンのワンフロアから、少しくらい産出したところで、さすがにそれほどの影響は――って、あれ?」


三好は何か計算しているような顔で中空を見つめていた。

「よく考えてみたら、二百万匹のモンスター討伐って、一日五千五百匹弱ですから、一時間で二百三十匹弱ですよね? それって、輸入量の
10%くらいなら先輩だけで楽勝な気がしてきました……」


もちろん全部が一カラット級だと仮定すればだが、一時間で二十三匹なら、多分狩れるだろう。
通常の運だと、さらに三倍する必要があるが、それでも十%の影響なら一時間に七十匹弱だ。十チームなら一チーム七匹。

フロアにいるモンスターの数とリポップにかかる時間次第だが、全然不可能な数字じゃない。

「紛争ダイアならぬダンジョンダイアとして、新しい規制が行われかねないな、それって」
「それは無理でしょう。紛争ダイアと違って大義名分がないですもん。価格を維持するために、なんて、分かっていても誰も口にしない名分がおおっぴらに使われるのは無理があります」


さらに産出するのは、カット済みダイアだ。キンバリープロセス認証などもそうだが、大抵、規制対象は原石なのだ。


「せいぜいが合成ダイアと同じように、カテゴリ分けしちゃうくらいでしょうけど、これって分類はおそらくナチュラルですよね? たぶん、普通の天然物と見分けがつきませんよ」

「まあ、一応天然っちゃー、天然だもんな」

俺はさっき三好が拾ったブルーダイアを手元で見ながらそう言った。

「もしも、なにか特徴があったりしたら、ダンジョン産の稀少のダイアとして、従来のダイアの上のカテゴリになっちゃうかもしれません」

「よし、その辺は、鳴瀬さんに丸投げしよう!」

困ったときは鳴瀬にお任せ。よし、いいぞ、標語になるな。
彼女の眉間のしわが増えないことを祈ろう。

「実験用に考えてた踊り場フロアも、なんというか信憑性が出てきたわけだけど、これ、どうやって利用する?」

「そうですね……横浜ダンジョンは、利用者が極小にもかかわらず、都市部だけに管理は厳重にやる必要がありますから大赤字のはずです。いっそのこと丸ごと買えませんかね?」

「は?」
「だって、今日だって入ダンしたのは私たちだけって感じですよ? きっとここは日本ダンジョン協会のお荷物でしょうし……踊り場を使うなら、一層への入り口までの通過点になっちゃいますから、いっそのこと一層丸ごと買うか借りるかできれば」


そしたら、ダイアもごまかせますよ?と三好がウィンクしていった。

「お前、凄いこと考えるなぁ……」

個人が日本ダンジョン協会にダンジョンを販売した例はそれなりにあっても、日本ダンジョン協会からダンジョンを買い取った例はないだろう。


「だが買えたとしても入り口付近の土地だけだろ? ダンジョン内は世界ダンジョン協会管轄だったはずだ」

「先輩。我々は代々木で坪三万に文句を言いながらも、すでに先例を作っているんですよ。組織は大抵先例主義ですから」


三好が悪そうな笑みを浮かべて、そう言った。

「いいですか、代々木は滅茶苦茶広いですけど、この商業ビルの敷地面積は、所詮一万千平米です。建築面積は九千四百平米。完成後に所有権が移転されたときは全体で六百六十五億でした」

「なんでそんなに詳しい?」
「大規模プロジェクトラブな人が作ったサイトに書いてありました。十五年も前に作られた個人サイトを今でもメンテナンスしてるって凄いですよねー」


ここへ来る前に横浜ダンジョンのことを調べていて見つけたようだ。

「交渉は二千八百五十坪計算だと思いますけど、例え、三三三三坪だとしても、一フロア月一億円にすぎないんですよ」


代々木二層の賃貸料は、一坪三万円だった。
三好が、新宿三丁目や六本木レベルだと憤慨した価格だが、それと同等としても九千九百九十九万。約一億円だ。


「一階を買い取っちゃえば、当面、階段と地下一階だけ占有すればいいわけですから、年十二億。百年借り切ったって千二百億です」


しかも価値が低いから値切れそうですしと三好が笑った。
代々木より高額なことは、ここの価値的にあり得ない。前回と違って今度は基準があるから交渉がしやすいだろう。


その時、三好の足下で、コツンと小さな音がして、ライトに光る小さな石が出現していた。

「ま、それがバレなきゃな」

産出するのがダイアだと先にばれたら借りられるかどうかは怪しいところだ。
もっとも俺達は、踊り場さえ借りられれば良いのだから、それでも構わないとは言えるのだが。

「アルスルズ、ですよね?」
「だろうな。なんだかあいつらをここに放流して、積極的に狩らせとけば、仕事なんかなんにもしなくてもOKな気がしてきたぞ」


召喚した魔物が倒したモンスターは、召喚主が倒したのと同じ扱いのようだった。つまり、ドロップアイテムもこうやって手にはいる。

なお、三好とアルスルズのいる層が違う場合、どうなるのかは未検証だ。

「家賃分だけで充分ですよ」
「まあそうだな。欲を掻くとろくな事にならない」

デビアス様の逆鱗に触れそうだし。

「ただ、一層だけの占有だと、地下二階以降への入ダンに踊り場を通過されちゃうぞ?」
「先輩。わざわざ踊り場以外に一層まで借り切っちゃうのは、ダイアのためというより、一層へ下りるには踊り場経由ルートしか入り口がないからですよ」

「ん?」

ちっちっちと人差し指を振った三好は、裏手を親指で指差しながら言った。

「二層へは、地上からの直通ルートがあるんですよ」

そこで俺は、三好が言いたいことに気がついた。
確かに、地下駐車場用のゲートなら二層直通だ。そっちに受付を作ってしまえば問題はないのか。


「だがそこで受付が必要になるなら、たいした経費の節約にはならんだろ?」
「そんなことないと思いますよ? 一階の賃貸料金なんかのほうが高いでしょうし、冷暖房だって、ここ、フロア毎ですからね」


三好が今度は上を指差しながらそう言った。確かに、九千四百平米の空調は、それなりにコストがかかりそうだ。


「それに、ここの一階って、もともとデパートの一階のつもりで建てられてますからインフラが整ってるんですよ、なかなかお得な気がしません? ほら、先輩の秘密基地計画的にも」

「あー、あれか」

最初に事務所を借りるとき、ビルを丸ごと買えば秘密基地みたいだなんて、言ってたっけ。
そう言われれば、距離だって代々木から一時間くらいだから、まあ許容範囲と言えば言えるか。

ダンジョンビルの一層は、本来デパートの正面玄関用に豪華に作られていた。
ダンジョン化したのは地下だけだったため、その上は普通に営業できると、当初は考えられていたのだ。


しかし、ダンジョンからモンスターが溢れた場合に適用されることになった、無過失責任がネックになり、運営会社は二階から上の営業に切り替えたのだ。

一階を日本ダンジョン協会に売却、または貸し出すことで、その責任を回避したわけだ。

そこを俺達が買い取って管理するってことか。
こんだけ階層(階段だ)があるなら、一層からモンスターが溢れるなんてことはほぼゼロに違いない。無過失責任については気にしなくて良いだろう。


「悪くないな」
「じゃあ、ちょっと会社の方から打診してみますね」

「よし、テンコーさんをちょっと案内したら、さっさと帰ろうぜ」
「そうしましょう」

俺達は、一見滅茶苦茶だと思えるようなプランに期待を膨らませながら、テンコーさんと約束した、受付の前へと戻っていった。



103 テンコーチャンネルと量産化の打ち合わせ
1月23日 (水曜日
)


『WOOOooooooo!』
『Hi、みんな。ウルフマンジャックの遠吠えっぽくスタートしてみた今回のテンコーチャンネル。え、ウルフマン知らんて? エライ有名なDJやがな!』


20世紀を代表するラジオDJとはいえ、アメリカングラフィティは7三年だし、流石に最近の人は知らなくてもおかしくないだろう。


『今日のゲストは凄いで? 超大物や。楽しみにしてぇな』
『そして、いつもの通りお送りするのは、似非関西弁のテンコー、略してエテコー……あかん、人間辞めてもた』


「初めて見たけど、なんというか、ノリのいい人ではあるよな」
「そうですねぇ。まさかCランク冒険者で、横浜ダンジョンに入れないのにチャンネルを作ってたってのには驚きましたけど」

「ガチャダンに入れない、ガチャダンマスターなんて、誰も想像してないだろうよ」
「ですね」

代々木あたりで活動して、Bランクになればいいのにと思わないでもないが、ランクを上げるのはなかなか大変らしい。

ガチャダンマスターと称するくらい横浜に潜り続けた彼でもCなのだ。三好のSが如何に異常かよく分かる。


『なんと、最近のダンジョンの話題を独り占め!――いや、ほんま、こっちにも分けて欲しいわ――あの”レジェンド”Dパワーズの三好《みよっ》さんが、来てくれはったで!』


「レジェンドとか言われてるぞ?」
「それはもう諦めました」

『え? 日本ダンジョン界のレジェンドったら、伊織ちゃんだろうて? 今日のオーディエンスは突っ込み厳しいな! 自衛隊の人なんか呼べますかいな。紹介して欲しいわ』


登場した三好の映像は、手先や頬の一部、そうして眼鏡の蔓やそれなりに主張がある胸などが映し出されていた。


『え、なんでこんなフェティッシュな映像なんかて? そらワテの趣味……や、あらへんで! ちゃんと撮るな言われたんや。外を歩けんようなるそうや、有名人はつらいわ。ワテも一遍そういうこと言うて見たいわ、ほんま』


映像では三好が世界ダンジョン協会カードを受付に提示しているところが移っている。

『嘘やん、見てこれ、みんな』

ぐぐっとカメラが三好の世界ダンジョン協会カードによるが、名前やその他は映らないようにうまく編集されていた。

そこには黒字にパール仕上げでSの字が書かれている。って、偽物作るやつが参考にしちゃうんじゃないの? 大丈夫か、これ。

三好がSランクであることは、商業IDで照会すればすぐ分かるから、隠されている情報というわけではないが、ほとんど誰も見たことが無いだろうカードの情報は貴重そうだ。


『いや〜、ワテ、Sのカードって初めて見ましたわ。ホンマにいてはるんやな』

その後はしばらく、横浜の一層で、解説しながら戦闘しているテンコーの映像が続く。
ガチャダンマスターを名乗るだけあって、相手のことをよく知っている戦いようで、その戦闘に危なげなところはなかった。


因みにこれを撮っているのは俺だ。
いつもはアクションカメラらしいのだが、今回は何もしない俺がくっついてきていたので、カメラマンをやらされたのだ。


『どうやった、みんな? ワテの勇姿を見てもらえたかな? 三好《みよっ》さんにもエエとこみせたで!』

『ほんなら最後に、今日の戦闘映像を撮ってくれた彼を紹介しとこうかな、っと思ったんやけど……なんや、シャイなヤツで、勘弁してくれと逃げられてもた』

『ダンジョンの中でなんもせーへんかったから恐縮してんのと違うかって?』
『いや、ワテもそう思って、後から聞いてみたねん。そしたら、芳村どんってGやねんて。いや、普通Gランクでガチャダン潜るか?! アホちゃう? そら何もできんわ、よう知らんけど』


「どんってなんだよ、どんって」
「関西弁の敬称序列、下から二番目らしいですよ」

関西弁の敬称は「やん、どん、はん、さん」の順で偉くなっていくという。
俺が生まれる、はるか以前の人気ドラマに、「番頭はんと丁稚どん」というのがあったそうだが、そのタイトルを見ると、なるほどなと思えないこともない。

そうすると、金田正一のカネやんは最低ってことなのか? 気楽に呼び合える友人くらいのニュアンスなんだろうけどさ。


「これがいじりってやつですかね?」
「そうなのかな。浪速の文化はディープで難しいな」
「テンコーさんは、神奈川ですけどね」

視聴終了後のコメント欄には、「なにやってんだよテンコー」だの「ちゃんと鑑定について聞けよ!」だのが並んでいて、三好への突っ込みが足りないことに対して、激しく突っ込みを入れられていた。

youtuberも大変だな。

「それで、三好は今日、どうするんだ?」
「中島さんと量産化についての打ち合わせです。その後は、鳴瀬さんに昨日の秘密基地の根回しと、もしキャシーが戻って来てればキャンプのスケジュール調整ですね」


それを聞いて、俺は今更ながらに驚いた。

「おまえ、めっちゃ働いてたんだな」
「えっへん。とはいえ、道筋を決めたらあとは専門家に丸投げしてますから、そんなに忙しすぎるってわけでもないですけど……今日はたまたま被っちゃったって感じですね」


とは言え、農場の見回りなんかも適宜やってるみたいだし、頭が上がらないな。

「先輩は?」
「そろそろ小麦さんに、召喚オーブを渡して、アルスルズを取り返してこようと思うんだが」
「そうですねぇ。彼女たちのポイントってどうなってるんです?」
「それがな……滅茶苦茶だ」
「はい?」

二人はあの翌日から、毎日潜っているらしい。
週末は休むのかと思ったら、週末こそ本番です!とばかりに、結構長い時間をダンジョン内で過ごしているようだった。ポイント増加の記録を見る限り、途中でアルスルズの交代がなければ、MPが尽きそうな勢いだ。


「二人分だから、さすがに一人の時ほど効率は上がってないようだけど、それでも一時間当たり、六十から百二十ってところだな」

「ええ? 最高三十秒に一匹ですか?」
「ぽいぞ。で、平日が平均三時間。土日は、なんと十時間くらい潜ってたみたいだぞ。トータル三十二時間で……」


俺はメイキングで二人のステータスを呼びだした。

「大体、60ポイントくらいだな」
「60?! まだ一週間ですよ?」
「斎藤さんが、74ちょいで、1421位だったから、たぶんフォースは確実だ」
「それ、一ヶ月やったら……」
「シングルは無理だが、ダブルくらいは行きそうな感じだ。キャシーが243くらいのとき48位だから」


「一ヶ月でダブルを量産したあげく、自由に方向性をエディットできるって……先輩、すぐに世界最強軍団ができますよ」

「人がいればな。それに数字だけなら確かにそうだが……俺達、メンタルが全然だからなぁ。仲間が死んだり大けがするような経験をしたことなんかないだろ?」

「ないほうがいいですけどね」
「そりゃな。だが、促成栽培でステータスだけ引き上げても、リアルな経験値が足りなくて、下層に行ったらヤバいことになりそうな気がするんだ」


「確かに、最初の館の時は、かなりビビりましたね。エンカイの時は覚悟も出来ずに死にかけましたし。先輩やアルスルズと一緒じゃなかったら今頃確実に川の向こう側ですよ。ホントに」

「他人事みたいに言ってるが、三好だってこないだの遠征のせいで、トータル99ポイントくらいあるんだからな。あれは1週間どころかたった三日だぞ?」

「ええーっと。1006位だそうです」

三好が自分のDカードを確認しながらそう言った。
ほんとシャドウピット方式は凶悪すぎる。

「ともかく、下層に行くにはリアル経験値をどうにかしなきゃならないんだが、こればっかりはどうにもなぁ。そもそも、俺らにも大してないから……」

「考えたところで解決しませんしね。それじゃ、私はとりあえずみどりさんのところに行ってきます」

「おー、気をつけてな」
「先輩も!」

三好はそう言って事務所を出て行った。
俺は三代さんに、今日、作業が終わったら二人で事務所に寄ってくれるよう連絡して、中断していた確定申告の書類を書きに、自室へと戻っていった。


、、、、、、、、、

江戸川沿いの河川敷にある、枯れた芒に囲まれた、それなりに広い土地に建っている白い倉庫のような建物の中では、三好が、中島に量産化の説明を受けていた。


「EASYの部品群は、各部をモジュール化して、製造メーカーにロット単位で納品して貰うように設計しました」


設計図を広げた中島は、各部を指で指しながら、丁寧に詳細を説明した。

「で、ここでは、そのモジュールの組み立てだけ行おうと思うわけですが、何しろ誰にでも必要なデバイスというわけではないので、自動化による大量生産はコストの割にメリットがありません」

「よーするに、そんなに売れないって予想ですね」

両手で頬杖をついて、ふてくされたようにぷっとふくれて見せながら、身も蓋もない突っ込みをする三好に、中島が苦笑して頭を掻いた。


「有り体に言えばそうです。メインターゲットはガチの探索者ですから、白物家電のようなわけにはいかないでしょう」


数万円で買えるのなら、興味本位の購入で、ハイエンドなゲーム機と同じくらいは売れるかも知れないが、SMDは安くない。

試作の段階では、EASYが三百万。PROに到っては二千万だったのだ。不要な機能の除去と量産で一月三日から一月四日くらいにはなると予想されてはいたが。


「だけら、箱だけ作って、中身は当面前時代的な人間の手による流れ作業で組み立てても良いんじゃないかと思うんです」


そう言った中島を、みどり所長が補足した。

「ほら、うちの工場の建物がまだ残ってるだろ?」

ここは、もともと彼女の祖父の街工場があった場所だ。
この研究所は、その工場の駐車場部分に建っていて、以前の工場の本体は、そのまま解体されずに残っていた。

別の言い方をすれば、解体費用をケチったわけなのだが。

「箱だけなら、あれをリフォームして使えば安く上がるだろうし、完成も早いだろう?」

例えば、鉄筋のマンションを普通に建築すると、階数x一ヶ月+三ヶ月と言われている。
今は東日本大震災やオリンピックの影響で、建設業界はキャパが一杯らしく、飛び込みで急がせるのも難しそうだった。


「リフォームなら一ヶ月くらいで可能ということでした」
「それは丁度良いですね」
「丁度良い?」

「みどり先輩、そろそろ会社のことを調整しないと……資本金はともかく扱うお金は大きくなりそうですし」

「大きくって、いくらくらいにするつもりなんだ?」
「先輩――芳村と話したら、百億くらいもってけと言われました」
「百億?!」

中島が素っ頓狂な声を上げて固まった。

「資本金は、千万未満にすれば、第一期目は免税事業者になって、消費税の免除や法人住民税の均等割なんかも最低額ですむんですけど……」

「工場を建てちゃ、それに収まらないわけか」
「です。そんな風に、先輩と二人でいろいろ考えてたんですけど、もう面倒くさいからみどり先輩のところへ百億くらいもってけと」

「なんだそりゃ?」
「先輩、面倒なのが嫌いだから」
「いや、嫌いってな……面倒で百億? あの男、どういう金銭感覚なんだ? とても金持ちには見えないが」


その失礼な言い回しに、三好がぷっと吹き出して同意した。

「見えませんね」
「しかしいきなり資本金百億円の会社を作るのか?」

日本には、資本金百億円以上の企業が、大体五百五十社前後ある。結構あるように思えるが、それは全体の僅か
0.2%に過ぎないのだ。

「違います」

三好は、真剣な顔になって言った。

「先輩は、みどり先輩のところへ、って言ったんです」
「は?」

「みどり先輩。こないだちょっと株式の比率のことを聞きましたけど、増資は可能ですか?」
「突然だな。一応、会社設立時は非公開会社のテンプレを使ったから、発行可能株式総数は十倍に設定されているが……」


「一応税制の面からも、中小企業のままでいたいので、最大で一億あたりまで増資したいんです」


法人税法上は、資本金一億円以下が中小企業扱いされていて、中小企業軽減税率が適用される。
ただし融資を引き出すには資本金が大きい方が有利なので、その辺りは運営する企業毎のバランスが重要になる。


「一気に十倍か? 議決権制限株式でもない限り、私の持ち株比率が六%になるぞ、それ?」
「何言ってるんですか、みどり先輩の自己資金で増資するんです。つまり株主はみどり先輩」
「あのな……そんな金が、あるわけないだろ」
「そこで借金ですよ!」
「借金だぁ?!」
「はい。お貸しします」
「いや、それって法律違反になるんじゃ……」
「個人間のお金の貸し借りは、実態が貸金業といえるようなやり方をすれば違法ですけど、そうじゃなければ合法ですよ? 返して貰いますから贈与でもないですし。げーのー界や政界の中の人達のそういう借金、時々ニュースになるじゃないですか」

「いや、返すったって……」

「で、増資した株の半分を元手に、投資を受けるんですよ」
「投資? 誰に?」
「エンジェルですよ、エンジェル」
「何処にいるんだよ、そんなステキな天使様が。私が探したときは、地上じゃ一人も見かけなかったぞ?」


昨年、融資や投資を求めて歩き回ったみどりが、ハハハと乾いた笑い声をあげた。

「うちに」
「はぁ?」

みどりは、呆れたように梓を見ると、非常識な物を見るような目つきで言った。

「……お前らの、そのガバガバ感はどっからくるんだ?」
「まあまあ、みどり先輩。それで、うちがエンジェルになって、株式の一部を譲り受けることで、残りの資金を投資しちゃおうと、そういうプランなんですよ」

「株式数を増やすためにも、増資が必要ってわけか」
「他の株主が、議決権が一月十日になることを怒らなければ、ですけど」
「あー、その辺は大丈夫だろ。全員身内だし。ガッコの五%だって、議決権というよりキャピタルゲインや配当目的だろうしな。資産の増加で株式価値が上がるなら万々歳だ」


再起動した中島が、壊れたロボットのような動きで言った。

「そそそ、それって、うちの研究費が百億円に!?」
「そんなワケないだろ」
「いてっ!」

再起動した中島に、みどりが容赦なくチョップを見舞った。

「あくまでもSMDの製造工場への出資ですね。ただ、SMD作るのに百億もいりませんよね?」

「何台作る必要があるのか知らないが、今の状況じゃ、いらないだろうな」
「だから、みどり先輩のところの機器に使っても良いよ、だそうです」

「キっ、キターーーーー! エンジェルキター!!」

まるで重力がないかのように不意に立ち上がった中島は、恍惚とした表情を浮かべながら、ぶつぶつと呟いている。


「ああ、あんな機能も、こんな機能も……予算の都合で諦めていた、あれやこれやが……」
「いや、落ち着け、中島。今更大がかりな仕様変更とか、ヤメロよ? な? な?」
「ふっふっふっふ……」
「四月十一日からROMMEDICAだぞ? 六月十三日からは、大阪のメディカルショージャパンだし、6月27日からはMEDICAL TAIWANもあるんだからな? おい! いい加減、正気に戻れっての!!」
「がふっ!」

グーで繰り出した攻撃が、見事に顎にヒットすると、中島はたたらを踏んでひっくり返った。

「はー……」

みどりは疲れたように、椅子に深く腰掛けなおした。

「みどり先輩って、中島さんと付き合ってるんですか?」
「……おま、いきなりなにを」

思ったよりも動揺した彼女を見て、三好は、もしかしてあたりなのかな?と思った。
コイバナは時と場合を選ばないのだ。

「いや、全然遠慮がないですから」
「そりゃ、まあ、付き合いも長いしな」

それを聞いた三好は、テーブルの下で目を回している中島を見て言った。

「中島さんって、優秀な人ですもんね。全然そうは見えませんけど」
「まあ、うちのハードにしたって、肝心な部分は全部中島が作ったようなもんだしなぁ。全然そうは見えないのは、お前のところの先輩も同じだろ」


三好はふと一見頼りなさそうな芳村の顔を思い浮かべて苦笑すると、「確かにそうですね」と答えた。


その後は、おおまかな会社の取り決めや、想定される製造原価から計算した価格の設定、それに製造スケジュールなどを話し合った。

本格的な出荷は来年度の頭からだが、数十台の商品見本は早ければ来月にも手に入りそうだった。



104 週末に向けて 1月
23日 (水曜日)


その日の夕方、江戸川から戻ってきた三好が、事務所にいた鳴瀬さんに相談していた。

「ええ? 横浜を買い取れないか、ですか?」
「なんだか、そう言う言い方をされると、カドニウム光線の発生装置を持ってウロウロしなきゃ行けないような気になりますよね」

「え? カドミウム? ……またなにかとんでもないアイテムでも?」
「転移できちゃう凄い光線なんです!」
「いい加減にしろ」
「あたっ」

三好のあたまをぽかりと叩いて悪ふざけをやめさせると、「そう言う事って可能なんですか?」と聞いてみた。


「そうですね。ダンジョンの入り口って言うのは、ご存じの通り、ほぼ100%国の土地になっていますから、横浜の立地はとても例外的なんです」


なにしろ土地にできたダンジョンではなく、建てていた建物がそのままダンジョンになった場所だ。

入り口は、土地にあいた穴などではなく、建物の地下階に降りる階段なのだ。

結局、苦肉の策で一階を日本ダンジョン協会に売却することでその場をしのいだらしい。
何しろ建物なので、一フロアだけ国家に売却すると建物の権利の関係で面倒が起きそうだったので、それよりはフットワークの軽い日本ダンジョン協会に売却したようだった。


「あそこはそういった経緯があるため、日本ダンジョン協会が転売するには、ヌーヴォ・マーレの経営会社の許可も必要になると思います」


なにしろ一階からモンスターがあふれ出した場合、上の建物が全体の価値がゼロになる可能性があるのだ。

それを賠償できる組織でなければ、転売が許されるはずがなかった。

「まあ、その点Dパワーズさんの資産は充分にありますから、大丈夫なのではないないかと思いますけど……会社名義でも構わないんですよね?」

「それはもう、どちらでも」
「日本ダンジョン協会にとっても、ほぼ開店休業状態の場所ですから、内容によっては許可されるかもしれませんけど、買い取ってどうされるんです?」


「いえ、本当は一層を借りたいんですが、その際入り口部分は専有したほうがいいかなと思いまして」

「一層って、横浜のですか?」
「ええ」
「二層ではなく?」
「二層以下は、まだ利用者もいるでしょうし、特に必要ありませんよ。ガチャを独り占めしたら恨まれそうでしょ?」


横浜の一層は、テレパシーや食糧問題の登録ラッシュにも、ほとんど関係がないフロアだ。
そういう初心者用途に利用するには、敵が強すぎるためだ。

「一体、あのフロアでなにをなさるんですか? 流石に用途がはっきりしないと許可は出ないと思いますけど……」


三好が、両手をワキワキさせながら、場をかき混ぜるように言った。

「それはもう、世界征服の準備を――」
「あほか。まあ、言ってみれば実験ですね。代々木じゃ広すぎてできない事があるんですよ」
「詳細は、いただけるんでしょうか?」

そう聞いて俺は三好を見た。
三好は、すました顔で、こう言った。

「先輩。そこは適当な理由をでっち上げておけばいいんですよ。最後に『ようしらんけど』をつけておくことで、すべての責任から解放されるって、テンコーさんが言ってました」

「あのな……」

大阪のおばちゃんかよ。
てか提出書類に「ようしらんけど」なんて書かれていたら、俺なら絶対に許可しないぞ。

「テンコーさんっていうと、横浜の宮内《くない》さんですか?」
「え? ご存じなんですか?」
「ええまあ、彼は横浜の有名人ですからね」

鳴瀬さんは苦笑しながらそう言った。

日本ダンジョン協会のダンジョン管理課の下っ端は、大抵が、現場で探索者の相手をすることが最初の仕事になる。

市ヶ谷勤務の管理課職員は、研修も兼ねて、関東近縁のダンジョンに派遣されるのだが、そこで出会った、濃い――もとへ、個性的な探索者の方々は、嫌でも管理課内で有名になるのだそうだ。


「市ヶ谷の管理課で必ず覚えられる探索者の双璧は、横浜の宮内さんと、代々木の林田さんですよ」

「林田?」
「先輩、知らないんですか? 代々木の一般探索者じゃトップグループにいる、渋谷チーム、通称『渋チー』のリーダーですよ」

「渋チーって、人の名前じゃなかったのか?!」

、、、、、、、、、

「へいっくしょん!」
「なんだー? 林田、風邪ひいてんのか? ダッセーな」

背が高く体も大きな男が、クシャミをした少しチャラそうな男をからかっていった。

「うっせーよ、喜屋武《キャン》《キャン》! どっかで美少女が素敵な俺の噂をしてるに決まってるだろ!」

「いや、そこはせめて美女と言おうよ……」

小柄で眼鏡をかけた真面目そうで地味な男が、そう突っ込んだ。

「いやー、東《あずま》よう。色気バリバリの女もやりたいときはいいんだけどよ、普段は結構疲れんだよ。やっぱカワイイほうがいいっしょ」

「カネもかかんねーしな!」
「だよなー!」

「Hey! ハヤシダ! 馬鹿な話ばっかしてないで、ちゃんと警戒しろよ!」

先行している細身のハーフっぽい男が、後ろの騒ぎに文句を言った。

「斥候はデニスにまかせときゃ大丈夫だから、馬鹿話も捗るってもんさ」
「ちっ! 一応ここは十七層なんだからな! 油断するんじゃねーよ!」
「へいへい」

「しっかし、そろそろ十八層も飽きたな」

その騒ぎを黙って後ろで見ていた、大きな剣を背負った男がそう言った。

「ダイケンもそう思うか。人も多いしな」
「だけど、今一番盛り上がってる層だよ?」

「そりゃそうだけどよー。何が気に入らないって、世界中のトップ連中がやってきたおかげで、俺達なんか雑魚扱いだぜ? ムカツクったらないぜ!」

「シングルに喧嘩を売るとか、冗談でもやめとけよ」

不満を顕わにする林田に、大建《おおだて》が釘を刺した。

「分かってるさ。だから連中より先にマイニングをゲットして鼻を明かしてやりてーのよ」
「まあ、気持ちはわかるけどね」

東がそう言った瞬間、先頭にいたデニスが鋭く注意を促した。

「右前方! 敵! おそらくカマイタチだ!」
「くそっ、面倒くせぇやつが!」

カマイタチは、素早いため回避や逃走が難しいモンスターだ。
出会ってしまえば、正面から叩き伏せたほうが損害が少ない。

渋チーは、いつも通りのフォーメーションを作り、モンスターと対峙した。
それは、喋っていた内容からは考えられないくらい洗練された、ベテランチームの行動だった。

、、、、、、、、、

用途等の概要を聞き取った鳴瀬さんが、横浜の件を市ヶ谷へ持ち帰って、しばらくした頃、三代さんと小麦さんがやってきた。


「失礼します」
「今晩はー」

どうやら平日は、午後三時頃から六時頃までが訓練?の時間になっているようだ。

「いらっしゃい。まあ、そちらへどうぞ」

俺は、事務所側の応接へと二人を案内した。

「そうだ。小麦さん。ついでで悪いんですけど、これどう思います?」

俺はポケットから、オーブ用のベルベットに挟んでおいた、三つのダイアを取り出した。
三好と横浜でドロップさせたものだ。もしかしたら偽物だったりするかも知れないし。

「うわー、凄いですね、これ」

それを見た瞬間目の色を変えた小麦さんは、どこからとも無くルーペとピンセットを取り出し、それを覗いて言った。

ルーペを固定している右手の、薬指と小指の間にピンセットを固定するポーズが、とても堂に入っていてプロっぽかった。

いや、プロなんだけど。

「カラーは、ここじゃハッキリ言えませんけど、ファンシーヴィヴィッドとインテンスの丁度境目くらいです」

「クラリティは、VVS2、カラットは……二カラットくらいでしょうか。カットは文句なくエクセレント。なんてステキな、ラウンドブリリアント」


最初にドロップしたのがブルーダイアだったのは、やはり件の献身ヒーローが、ブルーダイアの精だったからだろうなぁ……

うっとりとそれを眺めていた小麦さんは、はっと我に返ると、もう一つのダイアも確認した。

「こっちもいいですよ。VVS1のカラーグレードは……Eかな。約1カラットのエクセレントですね。同じ人がカットしたみたいに見えます」

「そう言うの分かるものですか?」
「え? ええ。なんとなく」

なんとなくかよ……鑑定士恐るべし。

「最後のやつはすこし色が付いてますね。VVS2のHくらいでしょうか。これも大体一カラット、カットはエクセレントですね。やはり同じ人みたいに見えます」


一通り見終えた小麦さんは、ルーペとピンセットを仕舞うと、真っ直ぐに俺を見て聞いた。

「それで、これはダンジョン産の石なんですか?」
「え? どうして? それも分かるものなんですか?」
「だって、芳村さんがルースを持ち込んだら、それ以外考えられないと思うんですけど」

小麦さんは笑いながら、ベルベットの上でダイアをつつきながらそう言った。
三代さんが、ええ、ダンジョンって、こんなものがドロップするの?と驚いていた。

「これって、原石をカットしたわけじゃなくて、このままドロップするんですか?」
「ええ、まあ」
「なら、カットがダンジョン産の証になるかもしれませんね」
「え?」
「ルーペで見ただけでは、ナチュラルにしかみえません。ただ、三個ともカットが微塵の狂いもなく、コピーしたみたいに同じ、完璧なラウンドブリリアントなんですよ」


ああ、イメージで作られたものだもんな。そりゃイデアルな形をしてるだろう。

「ほんらい結晶構造の方向なんかも考えるんですけど、これはきっと完全に同一なんでしょうねぇ……」


俺は、うっとりとした目で石を眺める小麦さんに、鑑定の礼を言った。

「ありがとうございました」
「はい。ああ、私も早くどこかでそういった石達に会いたいものです」

確か俺と同じくらいの年だったはずなのに、夢見る少女のような顔でそう言う小麦さんに苦笑しながら、俺は、本来の用事を切り出した。


「今日来て貰ったのは、ふたりがどういった成長をしたいかを聞いておこうと思って」
「成長、ですか?」
「そう。小麦さんは二十層以降へ行きたいんだよね?」
「はい!」
「さすがに、いきなりそれは無理だと思いますけど……」

三代さんが苦笑しながらそう言った。
何しろまだ訓練を始めてから一週間程しか経っていないのだ。

「Dカード見た?」
「え? いいえ。最初に小麦さんとパーティを組んだときに見たっきりですけど……」

そう言って、彼女は自分のカードを取り出して……固まった。

「三代さん?」
「な、なんですか、これ?! 1564位?! 私、こないだまで、36万弱でしたよ?!」

小麦さんもカードを取り出すと、それを見て嬉しそうに言った。

「私のは、3314って書いてあります! もうすぐ行けそうですか?」
「3000台?! って、彼女、ブートキャンプの時、Dカードを取得したばかりでしたよね?!」

「ほら、うちのプログラムって優秀だから」
「いや、そう言う問題じゃないと思うんですが……」

「エリア12のトップエクスプローラーって、もしも代々木にいるとしたら、1000位台だって聞いたけど」

「今は謎のザ・ファントムさんがいらっしゃいますけど、それを除けば、ランキングリストから、そんな感じだと言われてます」

「彼らが二十層へ行けるくらいらしいから、三代さんも充分行けるよ」
「ええー? なんか全然実感が無いんですけど……」

彼女は自分のDカードをまじまじと見ながらそう言った。
まだ、ステータスが少ししか割り振られ始めていないから、実感はないだろうな。

「それで、週末にスペシャルキャンプをやろうと思うんだ」
「スペシャル……ですか?」
「そう。今度は地上じゃなくて、下に潜る」
「下?」
「とりあえず十層かな。小麦さんの武器を手に入れるんだ」
「十層?!」

それを聞いて三代さんは驚いていた。
彼女と出会ったのは確か五層だ。あのときはおそらくチャーチグリムを狙っていたに違いない。だからあの後十層へ行くはずだったんだろうと思ったのだが、思ったよりも驚いていた。

取引用の同化薬取得プレイだったのかな?

「ええ? 私の武器ですか?」
「そう。小麦さんって非力そうだからお供をつけてあげようと思って」

仮に二十層以降へ行けても、相手を倒さなければ鉱物は取得できない。
自ら攻撃することが出来ないなら、他の何かにさせるしかないのだ。

「お供って、ドゥルトウィンちゃんみたいな?」
「そう。犬は大丈夫?」
「大好きです! 嬉しいですー」

それを聞いた三代さんが、焦ったように問いただした。

「ちょ、ちょっと待って下さい。あのペットって、簡単に手に入るんですか?」
「いや、簡単には無理かな」
「で、ですよね」

三代さんは安心したかのようにそう言った。

「というわけで、それにともなって、一応君たちの希望を聞いておこうと思ったんだ」

「……なんでもいいんですか?」
「そりゃ、希望だからね」

「私は今のところ弓が主体ですけど、どうしても矢の数に制約を受けるので、本当は物理的な魔法が欲しかったんです」

「物理的な魔法って、石を飛ばすとか?」
「まあ、そんな感じです。火とか水とか、なんだか信用できなくって」

気持ちは分からないでもないな。実際水は魔法抵抗が高ければ霧散するだけだったし。
そういやゲノーモスから出た地魔法のストックがあったっけな。

「ただ、小麦さんとパーティを組むと言うことは、前衛ですよね?」
「いや、将来的に前衛を加入させるということにして、今は、小麦さんのペットを前衛に、二人で後衛という形もあるよ。無理して前衛になっても気持ちがついていかないとうまく行かないし」


それを聞いて少し考えていた三代さんが言った。

「なら、万能型のスタイルで弓と魔法を使えればいいなと思います」
「矢を魔法で形成したり出来ると格好いいよね」
「いいですね! それ! って、まるでアニメの夢物語みたいですけど」

いや、意外といけるんじゃないかな。地魔法でクリエイトアローみたいなの。
そのまま射出するのとどちらが高威力かは、やってみないとわからないけど。

「私は犬さんに頑張って貰えるなら、あとは避けてればいいですか?」
「そ、そうだね」

小麦さんは、積極性がゼロの三好だな。
三好の好奇心は幅広いけれど、彼女は一点特化と言った感じだ。

「ふたりとも大体分かったから、それじゃあ、これを飲んで貰おうかな」

そう言って俺は、紙コップに例のメチャ苦茶《くちゃ》をふたつ用意して、彼女たちの前に置いた。


「そ、そ、それはぁあああ?! 先日みんなが飲んで死にかけてた……」

先日飲んだ人の様子を見ていただけで、口にしていない三代さんが、盛大に顔を引きつらせた。

「ま、また飲むんですかー……」

がっくりと肩を落としながら、仕方がないといった感じで小麦さんがカップに手を伸ばした。

「絵里ちゃん。これ、鼻をつまんで一気に飲んだほうが楽になれるよ?」

経験者の小麦さんは、そうアドバイスすると、自分の言葉通り、一気にそれを飲み干して――

バタン。

――前回と同様、盛大にソファーにひっくり返った。

「これ、永遠に楽になったりしませんよね?」
「今のところ死んだ人はいないから大丈夫」
「全然安心できないんですけど……」

三代さんはそう言って涙目になりながら、言われたとおりに一気に飲み干した。

「こっ、こはっ!っっ!!……ひ、人の飲むものとは、おも、けほっ、えませんよっ……これ。ごほっ、ごほっ」


どさりとソファーに腰掛けた彼女は、世界チャンピオンと十五ラウンドの死闘を繰り広げた後、判定を告げられる漫画のボクサーのごとく、真っ白に燃え尽きていた。


俺は笑いをかみ殺しながらそれを見届けると、自分の席に座って、彼女たちのステータスを操作した。


 --------
 ネーム 三代絵里
 ステータスポイント 60.34 -》
style='mso-spacerun:yes'>
0.34
 HP 24.10 -》 36.00
 MP 24.30 -》 72.80

 力 (-) 10 (+) -》 20
 生命力 (-)
style='mso-spacerun:yes'>
9 (+) -》 10
 知力 (-) 12 (+) -》 40
 俊敏 (-) 15 (+) -》 20
 器用 (-) 18 (+) -》 34
 運 (-) 12 (+)
 --------

 --------
 ネーム 六条 小麦
 ステータスポイント 58.13 -》
style='mso-spacerun:yes'>
0.13
 HP 21.40 -》 26.80
 MP 28.00 -》 83.60

 力 (-)
style='mso-spacerun:yes'>
9 (+) -》 10
 生命力 (-)
style='mso-spacerun:yes'>
8 (+) -》 10
 知力 (-) 15 (+) -》 48
 俊敏 (-) 12 (+) -》 28
 器用 (-) 14 (+) -》 20
 運 (-) 41 (+)
 --------

これで、週末までに実感ってやつが生まれるだろう。

そしたら、二人を連れて十層で、新たな犬たちを召喚だ。やはり召喚のメンターとして三好も連れて行かないとだめだろうが、ドリーはどうするかな……

十層日帰りはキツイだろうしなぁ……後で三好と相談してみるとしよう。


105 ダンジョンキャンプの準備 1月
24日 (木曜日)


明けて二十四日の朝、俺は事務所の台所で、朝のコーヒーを貰いながら、小麦さんに召喚を渡す件を相談していた。


「週末ですか?」
「ああ。三好にも付いてきて貰いたいんだけど」

三好は、おそらく世界で唯一の、召喚魔法のエキスパートだ。俺じゃ、アドバイスのしようがない。


「それは構いませんけど、ドリーはどうするんです? メイキングと収納系はまだ秘密ですよね?」

「いまのところはな。三代さんがいるから、二人を八層に泊まらせて、その足で十層に行けば使おうと思えば使えるけど」

「うーん」

三好が珍しく、難しい顔をして考え込んだ。

「どうした?」
「先輩。我々は、一度くらいちゃんとした探索者としてのキャンプを経験するべきだと思うんです」


「それは、こないだ言ってたリアルの経験値的なことでか?」
「もちろんそれもあるんですけど、これからは横浜みたいに、普通の探索者と交流することが増えると思うんです」

「まあ、ブートキャンプも一般に公開され始めるしな」
「その時、普通の探索者っぽいことも一度くらいは経験しておかないと、ボロがでちゃうかも知れないじゃないですか」

「それは確かに一理あるが……普通の探索ってどんな荷物を持って行けばいいんだ?」
「ほら、先輩。我々はたったその程度のことすら知らないんですよ?」

最初に保管庫を手に入れてしまったから、とにかく何でもかんでも必要そうなものは全部持ち歩いているもんなぁ……

取捨しろと言われると、なかなか難易度が高い。

「自らの無知を自覚することで、真の認識へといたろうって話?」
「真実の知への扉を開きに、買い物に行きましょうってことですね」
「買い物?」
「ダンジョンの中じゃ真実の知への扉が開かれようと開かれまいと、準備が出来てなければ死ぬことに変わりはありませんからね」


「買い物って、どこへ?」
「そりゃ、ダンジョンのことを教わるんですから、代々木のショップが妥当でしょ」

そういうわけで俺達は、代々木のダンジョンショップへと向かうことにした。

代々木のダンジョンショップは、ダンジョンのエントランスを出て、南側、渋谷区役所交差点方面へ向かう途中に並んでいる。


「今週はずっと良い天気ですね」

葉を落としきった街路樹に挟まれた、エントランスから続く石畳の道を、コートのポケットに手を突っ込んだ三好が、俺の少し前で白い息を吐きながら楽しそうに歩いている。


「寒いけどな。しかしダンジョンショップか。まともに利用するのは初心者セットを購入したとき以来か?」

「私たちの冒険の準備は、デパチカや近所のお弁当屋さんでの買い物が多かったですからねー」
「食べ物以外は、ほとんど通販だしな」

さすがに二.五センチの鉄球一万個なんてのは、ダンジョンショップには売られていない。

「今日はパックと――あとはテントですか?」
「一応、必要な物を一通り聞いてみないとな」

空から舞い降りてきた、人に慣れた鳩が、我が物顔でちょんちょんと俺達の前を横切っていった。


「いらっしゃいませ〜」

ドアを入ると、茶髪の店員が声をかけてきた。
今時珍しいように思える積極的な接客だが、ダンジョンショップは適切な装備を売るという建前で作られた日本ダンジョン協会の出先機関なので、店員もダンジョン管理課の職員が多いらしく、相談相手として積極的に接客するらしい。


「今日はどういった物をお探しですか?」
「ビッグサイズのバックパックを見たいんですけど」
「ではこちらへどうぞ」

そう言って俺達は店の奥へと案内された。

「先輩、先輩、これどうです?」

そういって三好が棚から取り出してきたのは、先月末にちょっと話題になっていた、CWFというブランドのバックパッカーズクローゼットだった。

普通のリュックサックの形状だが、高さが一メートルもある、何に使うんだかよくわからないお化け商品だ。


「なんと容量百八十リットルですよ! そこらへんの大容量バックパックなんか相手にもなりません!」

「いや、それはいいんだけどさ、なんだか、ものを沢山詰めたら壊れそうな雰囲気が……なんでダンジョンショップにこんなものが?」


それを聞いた店員が補足してくれた。

「キャニオンワークスさんは、自衛隊やレスキューのユニフォームも手がけていますから、それなりに丈夫なんですよ? さすがにダンジョン内での使用はお薦めできませんけど」


ダンジョンショップとはいえ、探索者だけが利用するわけではないため、単なる山歩き用の商品や、話題のアイテムなども多少は取りそろえてあるのだそうだ。

このお化けリュックサックは、名前の通り、ちょっと変わったクロゼットとして、インテリアに利用したりするらしい。


「容量の大きいのがいいんですか?」
「ええ、まあ」
「じゃ、少々お待ち下さい」

そう言って、店員は大きいサイズの在庫を確認に行った。

「あんまり大きいのは、体格的にどうかな?」
「そうですけど、どうせ荷物なんかまともに入れませんよね? 取り出す振りをするためのアイテムですから、ある程度大きさがないと変に思われますよ?」

「……一般の探索を経験するんじゃなかったのか?」

ジト目で見ながら俺がそう言うと、三好はフンスと鼻の穴を広げて、「それはそれ、これはこれ、ですよ!」とドヤ顔で言い切った。


「もちろん五十キロ以上の荷物を背負って長時間歩き、あげくにモンスターと戦いたいというのなら止めはしませんが……」

「私が間違っていました。是非、そのプランを採用いたしたいと思います」
「ですよね」

いくらステータスが高くなったからと言って、楽が出来るというのなら出来るだけ楽したい。それが人間なのだ。


「お待たせしました。百リットルオーバーはちょっと在庫が少ないんですが……今うちにある最大のものは、ベルガンスのアルピニスト・ラージ130ですね」


そう言って彼女は実物を見せてくれた。

「で、でかい……」
「バックパックでは最大容量と言われてるやつですね。フリチョフ・ナンセン御用達メーカーです」

「誰それ?」
「先輩……一応ノーベル平和賞受賞者なんですけど。十九世紀末に北極点を目指した探検家ですよ」

「すまん、初めて聞いた」
「昔のノルウェーのお札にも描かれていたって言うのに」
「ノルウェーの紙幣? お前見たことあるの?」
「あるわけないですよ。五十年以上昔の話ですもん。学際のクイズイベント対策でノーベル賞受賞者を覚えたときに派生トリビアとして知っただけです」

「あのな……」

しかし、これはでかい。百九十近い身長がないと辛そうだ。

「ちょっと大きすぎますね」
「では、探索者御用達、スカンジナビア三国の軍公認バックパックはいかがです?」

そう言って彼女が紹介してくれたのは、ノローナのリーコン・シンクロフレックスパックだった。


「125リットルで、さきほどのベルガンスよりは小さいですけど
……」

こいつも、後ろ向きにひっくり返りそうだ。しかもさっきのも今度のも、五キロ近くあって、パック自体がかなりの重量だ。


「やっぱ、これを背負って戦闘とか無理じゃないか?」
「え? 戦闘もされるんですか?! これらは大体、従軍か、ポーター用のものなんですけど……」


つまりは運ぶだけ用ってことだ。
レンジャーや軍だって、戦闘を行うときは、下ろすんだろう。。

「じゃあ100リットルを多少切っても構いませんから、身につけたまま戦闘もできそうなバランスの良い物はありますか?」


店員は少し考えていたが、近くの棚からひとつのパックを取り出した。

「それでしたら、これはいかがでしょう」

取り出されたのはアーロンのナチュラルバランスLだった。

「バックパックは70リットル弱ですけど、フロントにバランスポケット七リットルを二個つけられるので、全体で
80リットルくらいになります」

それはポケットのないロールトップのパックだった。

「良い感じだけど、トレッキングモデルだから、ストラップの強度なんかが心配だな」

そう言うと店員が、そう言われると思っていましたという顔で、「実は同一形状でダンジョンモデルがあります」と言った。


何故そっちを出さないのかと聞くと、値段が十倍以上違うのだそうだ。
それを見せてくれと言うと、倉庫まで取りに言ってくれるようだった。

「使い慣れているプロならともかく、120リットルでも
80リットルでも、こまこまと取り出してれば大差ないし、ばれないだろ」
「そうですね。明らかに入らないサイズとかが出てこなければ」
「そもそも、中で出現させてから取り出すとしたら、パックに入らないサイズは取り出しようがないから大丈夫だろ」


俺は笑ってそう言った。手品じゃないんだからな。

あと、このパックはポケットがないデザインなのがいい。
本来なら使いにくいと言うことになるかも知れないが、俺の場合は取り出し口がひとつのほうが擬装が楽で良いのだ。

小さいものは前面のバランスポケットに入れればいいしな。

「大きさはそれなりにごまかせそうですけど、お弁当はを数日にわたって取り出すのは、ちょっと無理ですよね」

「食べ物な。その辺は、後でちょっと考えておく必要があるよな」

美味しく楽しい食生活は重要なのだ。例えそれがダンジョンの中だとしても。

「お待たせしました。こちらが、ナチュラルバランスのダンジョンモデルとなります」

それは同じ形状をしたパックだったが、ストラップが耐刃性のある素材で丈夫に作られていた。バッグの素材も、より強度のあるものが使われ、単体で完全防水になっている。

そして、一番の違いは、色が黒だった。

「トレッキング用は、視認性を高める派手な色が多いのですが、ダンジョン内では暗い場所で目立たない色になっています」


目立ってモンスターに襲われるのは嫌だもんな。

「わかりました。これをいただけますか」
「ありがとうございます」

「それと、軽くてコンパクトなテントが欲しいのですが」
「ダンジョン用ですか?」
「はい」
「ダンジョンの中で設営するような場所は、強風が吹き荒れるわけでも豪雨がふるわけでもありませんし、立派な物でもモンスターにかかれば紙と同じですから、軽くてコンパクトで、設営が簡単なスノーピークのファル

class=SpellE>Pro.air あたりが人気ですよ」


店員が見せてくれたのは、え?これがテントなのと思わず首をかしげそうなサイズの袋だった。

「それなら二つ持って行っても平気ですね」
「ふたつ?」
「先輩、彼女たちと同じテントに泊まるというのはちょっと……」
「ああ、そうか。三好と同じ扱いじゃダメだよな」
「それはそれで、なにかムカつくんですけど」

「で、マットなんですけど」
「マット?」

おもわず聞き返した俺に、店員さんが教えてくれたところによると、設営はテントや寝袋よりもマットのほうが重要なのだそうだ。

探索者の中には、テントを使わずマットだけですませる人も多いらしい。天候が変化せず、虫の類もいないダンジョンでは、テントなしでも困らないのだそうだ。

とは言え女性がいる場合は、視線を遮ることの出来るテントも重要なのだとか。

「さすがに袋に入るタイプの寝袋は、襲われたときにすぐ行動できませんから使用する探索者はいませんね」


一通り店員の説明を聞いてみたが、マットの善し悪しなどよくわからないので、希望を言っておまかせで、モンベルのU
.L.コンフォートシステムパッドを選んで貰った。


その後、通常ダンジョンに持って行くであろう細々としたアイテムも、教えて貰いながらまとめて購入した。


いろいろとレクチャーして貰った結果、なんとか最低限のダンジョン内キャンプの知識を得ることができたような気がする。

ダンジョン内設営の手引きみたいな小冊子まで出てきたときは、さすがは日本ダンジョン協会の出先機関だけのことはあるなと、感心した。


「ふっふっふ、これでダンジョン内設営の常識はゲットですよ!」
「だと良いがな」

一応、他にもいろんな物を用意しておこう。
いざというときに自重するのはバカのやることだ。ダンジョンの中じゃ、俺達の秘密より、自分と彼女たちの命のほうが大切なのだ。


、、、、、、、、、

そのころ、日本ダンジョン協会市ヶ谷のダンジョン管理課では、美晴が新たに持ち込んできた問題に、斎賀課長が頭を抱えていた。


「今度は、横浜を借りたい?」
「できれば一階を買い取って、一層を借りたいそうですけど、あそこの一階って日本ダンジョン協会の所有でしたよね?」

「そうだ。無過失責任をおそれたビルの経営陣が、土地の所有権を主張しないという条件で一階を格安で押しつけてきたんだ」

「押しつけた?」
「まあ、そう言うのが妥当だろうな。確か一億もしなかったはずだ」

斎賀は手元の端末で横浜の情報を呼びだした。

「八千七百万だな」
「まるで賃貸価格ですね」
「以前は各種ショップなんかも入って賑わっていたんだが、今は全て閉店して、実態だけ見ればちょっとした廃墟だな」


斎賀は頭の後ろで手を組むと、椅子の背に深く体を預けた。

「Dパワーズなら法人もあるし、資産も充分だろうから、むこうの経営会社の許可も下りるとは思うが……あいつら、あんな不良債権をどうしようって言うんだ?」

「代々木では広すぎてできない、なにかの実験に使いたいそうです」
「広すぎて出来ない実験ってなんだ?」
「一応概要は聞いたんですが、ダンジョン特許の申請前なので詳細は明かせないと言われました」


斎賀は色々考えていたが、何も思いつかなかった。

「もしかして、ガチャの占有狙いか?」
「いえ、二層以降はいらないそうです」
「いらない? しかし一階を買い取りたいんだろう? なら、一般の探索者はどうやって二層へ――って、ゲートか?」

「はい、日本ダンジョン協会の受付は地下駐車場のゲート側に作って欲しいとのことです」

「一応他の部署にも話をしてみないとわからんが、財務あたりは渡りに船とばかりに、万々歳で手放しそうだな」


一般の利用者はほとんどいないし、いても二層以降が目的だ。なにしろ通称がガチャダンなのだ。

食糧ドロップやテレパシーに関連した登録ラッシュにも無縁だ。それには一層のモンスターが強すぎて危険だからだ。


管理課としても、利用者一人当たりに換算したコストが非常に大きいダンジョンだから、それが小さな受付ひとつで済むのであれば利点しかない。

利点しかないはずなのだが――

「それを提案したのがDパワーズだって言うだけで、なにかこう引っかかるものがあるんだよな」

「さすがにそれは考えすぎでは」

美晴は苦笑した。

「尻に入った傘は開けないって言うだろ」
「寡聞にして存じません。なんですか、それ?」
「トルコの諺らしいぞ。マズいことになってから後悔しても、手遅れって意味だ」

「何でトルコなんです?」
「まだ起こっていないやばそうな事態を、クソッタレな気分で言うときにぴったりの言葉だからだな」


課長も結構溜まってるな、と美晴は少し同情したが、こっちはこっちで、すでにいろんな事が後の祭りなのだ。

多少は課長にも苦労して貰わなきゃ、と、ザ・インタプリタは開き直った。

「とにかく関係各所には連絡を入れておく。おそらく通るだろうが、確実になるまで彼女たちには黙っておくように」

「わかりました」

その時、スマホの振動が、渦中のDパワーズからのメールの着信を告げた。


106 急展開 1月
24日 (木曜日)


『アズサ! ヨシムラ!』

購入してきたものを整理していたところに、今まさにダンジョンから出てきましたと言わんばかりの恰好をしたキャシーが飛び込んできた。

さすがに武器やごつい防具ははずされていたが、ファルコンインダストリーの目立つユニフォームで、ろくに着替えもせずにやってきたってことは、何か急ぐ事情があったに違いない。


『どうしたんですか? キャシー?』
『ゲットしたんですよ! とうとう!!』
『ゲットって何を?』
『オーブよ、オーブ! マイニング!!』

おお! ついにドロップしたのか! 一万分の一にしては粘った方だろう。

『そりゃ、おめでとう。だけど、着替えもパスするほど急いで、それを報告に来たのか?』
『そうだ! オーブを預かって貰おうと思って!』
『はぁ?』

突然何を言い出すんだ、こいつ。

『そっから先はこっちで説明しよう』

その声に顔を上げると、サイモンが玄関の扉を開けていた。

、、、、、、、、、

『先日、アズサの所から落札した分を含めて、これでふたつになっただろ?』

サイモンは三好が入れたコーヒーを満足げに一口飲むとそう言った。

『そうですね』
『なら、ダンジョン攻略局とダンジョン攻略局で一個ずつ分ければ、使用者選定のゴタゴタも水に流せるってわけだ』

『いいことですよね? こっちもさっさとそうして貰えると助かるんですけど』

なにしろ、受取期間を設けていなかったために、オーブを預かっているのと同じことになっているのが現状だ。


『ところが話はそううまく転がらないのさ。問題は時間だ』
『時間?』
『ダレスやJFKから羽田までは十四時間ってところだ』

『ちょっと待って下さい。使用者が日本にいないんですか?』
『そうなんだよ』

サイモンが、口をへの字に曲げながら、そう言った。

『オーブを採りに潜らせといて、受け取る人間を準備してないって、もしかしてアメリカってバカなんですか?』

『おいおい、お偉いさんの前でそんな発言をするのはやめとけよ? 中には頭の固いヤツもいるからな。しかし、この件に関しちゃ、俺も同感だ』


『横田へ軍の戦闘機か何かで飛んで来ればいいんじゃないですか?』
『戦闘機が5900NMも飛べるかよ。増槽くっつけたってその半分も無理だ』


航空機の距離で使われるマイルは、ノーティカルマイルだ。メートルになおすと、1852メートルで、普通に使われるマイル(陸上マイル)の
1609メートルちょっととは少し違う。
ワシントンD.C.と東京は、大体11000キロ弱なので、ノーティカルマイル(海里)で言うと
5900弱になるのだ。

『各地の基地で給油しながらとか』
『それだと最後のベースは、おそらく、アンカレッジのエルメンドルフ空軍基地だろうが、そこから東京ってのも遠すぎるな』


『太平洋艦隊を経由するとか』
『ヨシムラ……ダレス=羽田の最短距離は、ほとんど太平洋の上を通過しないぞ』
『え、ほんとに?』
『地球は丸いからな』

そう言ってサイモンは笑った。
いや、もちろんそれは知っているけど、太平洋の北の端っこの方を飛ぶのかと思ってたよ。
仮に北の端だとしても、太平洋艦隊をそんな場所に移動させるのには時間がかかるか。

『ともかく、軍用の一万キロ以上飛べるようなやつは、デカイし遅いから、この場合は役に立たないんだ』

『プライベートジェットは?』
『ガルフのG650あたりをチャーターしても、結局同じくらいの時間はかかるぜ? 旅客機の巡航速度は大体マッハ
0.8くらいで大差ないからな』

つまり、入国自体は横田を使ってズルするにしても、使用者が到着するまでにどうしても14時間はかかるってわけだ。


『それで、オーブカウントは?』
『今は、570ってところだな』

九時間半くらいか……って、まてよ? 十八層から九時間ちょっとで戻ってきたってことか?!

各層の階段から階段の平均距離がいくらかはしらないが、代々木の広さ的に考えて十キロ以下だとは思う。

それにしたって、一万メートルの陸上記録は、男子で二十六分台、女子で二十九分台だ。
ほとんど似たようなペースで走り続けて来たってことだ。

『それは……凄いですね』
『アズサのパーティにそれを言われてもな』

ともかく連絡を聞いてすぐに飛び立っていたとしたら、九+十四で、二十三時間だ。
ギリギリで間に合いそうだが、実際は意思決定の仕組みってやつがあるし、フライト時間だって、どこにもトラブルがなければそうなるという理論値だ。


『ま、そういうわけで、連中が無事到着しても間に合うかどうかは微妙なところなわけだ』
『もし、間に合わなかったら?』
『そりゃ、日本に来ている誰かが使うしかないだろうが……』

どうやらそこでも政治力学ってやつが働くらしい。

『というわけでな。ぶっちゃけると、上のバカどもがきちんと物事を決められるまで預かって欲しいわけだ』


いや、あんたの上ってプレジデントしかいないじゃん。
ダンジョン攻略局やダンジョン攻略局の事務方って意味なんだろうけど。

『いや、預かれって言われても、時間が来ればオーブは消えてなくなりますよ』
『ん? 日本ダンジョン協会と預かりの契約をしたんじゃないのか?』

はぁ? どうしてそれが知られてるんだ?
俺は三好を振り返ったが、首を横に振っただけだった。

『日本のなんとかって議員が、先日外遊中にうちの議員と会ったとき、それらしいことを自慢げに吹聴していたらしいぞ?』


なんで、日本の議員が、一団体の契約について知ってるんだ?
これは調査案件だな。

『その情報には、間違いがありますね』
『間違い?』
『ええ。日本ダンジョン協会との契約は預かりじゃありません。言ってみればバーターですね』
『どういう意味だ?』
『詳しく説明することはできませんが――』

俺はそう言って、日本ダンジョン協会との取引の概要を伝えた。

『つまり、預かりじゃなくて、引き取ったオーブを指定の日時までに用意する契約だってことか?』

『大雑把に言えばそうです』
『それ、預かりとどう違うんだ?』
『出せと言われても、即日引き渡すことができないってところですかね?』
『ふーむ』

サイモンは腕を組んで、目を瞑った。

『じゃそれでいいや』

目を開けたサイモンは、ちょっとコンビニまで買い物に行ってくると言うとの変わらない気楽さでそう言った。


『はい?』
『いや、その契約で良いから、うちのマイニングもなんとかしてくれ』

いや、そんなにグイグイこられても……

『……そういうごり押しは、日本ダンジョン協会に言われた方がよくないですか?』
『正式な窓口が何処になるのかわからんし、そもそも日本ダンジョン協会はそんなサービスをやってないだろう?』

『日本ダンジョン協会にオーブを売れば自動的に処理されると思いますが……』
『それは無理だな』
『ですよね』

「先輩、先輩。はいこれ」
「ん?」

三好が差し出してきたのは、ダンジョン攻略局相手のオーブ預かり契約だった。日本ダンジョン協会版の英語翻訳をダンジョン攻略局に修正したものだ。


「いいのか?」
「詳しい話は後ほど」

三好の顔を見ると、どうもこれを契約する必要があるようだった。

『サイモンさん。うちの代表がこれをどうぞ、だそうです』
『ん?』

サイモンはそれにざっと目を走らせると、バッグからオーブを取り出してカウントを記載してサインした。


『これでいいのか?』
『まあいいですけど。言っておきますけどすぐには引き出せませんよ?』
『一週間だろ? それは了解した』

一週間?

『さっそく、本国へ連絡しなきゃならないから、俺はこれで。助かったぜ』
『こういう無茶振りは、辞めて下さいよね』
『OK。控えるさ。なるべくな』

そう言ってウィンクをすると、彼は颯爽と引き上げていった。

「先輩のアレと、どっちがサマになってますかね?」

さりげなく、ザ・ファントムの隠れるポーズを取りながら三好が言った。
キャシーがいるからか控えめだな。

「その件は忘れろ。で、キャシーは一緒に帰らなくて良いのか?」
「あ、はい。一応区切りが付いたので、キャンプの打ち合わせがあるかなと思って」

『それで、楽しかったか?』
『そりゃもう! 信じられないくらい何もかもが違いました!』

彼女はそれまでと全然違う探索に、とても満足しているようだった。
水魔法も大活躍したようだ。

『それはどうしたんだと皆に聞かれたとき、福利厚生らしいですと言ったら、唖然とされました』


彼女は面白そうにクスクスと笑った。
これに味を占めて、次々と人を派遣してきたらどうしようかな。

『ま、打ち合わせをするにしろ、一旦シャワーでも浴びてさっぱりしてこいよ。着替えは持ってきたんだろ? タオルはバスルームにおいてあるから、勝手に使ってくれ』

『ありがとうございます。そうさせて貰います』

キャシーがバスルームに入っていくのを見届けた俺は、早速三好に聞いた。

「で、一週間ってなんなんだ? 日本ダンジョン協会と条件が違うだろ」

「先輩、これで、アメリカは二名のマイニング使用者を作るわけですよね」
「そうだな」
「使用した後、すぐにアメリカへ戻ると思いますか?」

そうか、彼らは高い確率で、代々木でテストをするだろうってことか。

「先輩のコムギプロジェクトに影響が出るんじゃないかなーと」
「でかした、三好! 小麦さんに連絡して、週末のキャンプが翌週まで延びても問題ないかどうか聞いてみてくれ」

「まさか、そのまま二十一層へ?」

「まさかもくそも、この週末に、彼らが潜れないところまで、一気に鉱物を確定させようって話じゃないのか?」

「いえ、流石にそこまでは……って、それ、月曜日までに戻ってこられませんよ?」
「だから、有給がとれるかどうか聞くんじゃないか」

こりゃまた、急展開ですねと三好が笑いながらメールを書き始めた。

「一応五日くらいの予定で。食事やテントはこちらで用意するから、それ以外に必要なものがあれば、明日持ってくるように伝えておいてくれ。こちらでパッケージするから」

「わかりました」

「あとは……チームIって、今何層まで行ってるんだ?」
「現在公開されているのは……二十六層ですね」
「年始から一層増えたのか」
「階段を探すのは大変みたいですけど、チームI、というか自衛隊は、基本的にエクスペディションで潜ってますし、攻略情報はまとめるまでに時間差がありますから、実際は三十層くらいまで行っててもおかしくはないですよ」

「とりあえず鳴瀬さんに、最新の公開可能なマップを貰おう」
「了解です」

さすがに新規階層を開拓してまで、出現テストを行う意味はないだろう。
できれば二十層でバナジウムのドロップを確認するだけで引き返して欲しいものだが、どんなレベルの人間が使用者になるのかわからないからな。


ダンジョン攻略局のオーブ引き渡し要求は、普通に考えれば明日行われるはずだ。
つまり、三十一日がタイムリミットってことだ。

「そうだ。さっきの議員の件も、ついでに尋ねておいて」
「了解です」

、、、、、、、、、

キャシーが、三好とブートキャンプの開催スケジュールの打ち合わせを終えて帰宅した後、少し遅い時間になってから鳴瀬さんがやってきて、開口一番謝られた。


「すみません。どうやらうちの常務の仕業なのではないかと」

またかい!
件の議員は、どうやら総務省出身の議員らしかった。

「どうやら、先日日本ダンジョン協会とオーブの預かり契約をした時の、経理で処理された書類を見た瑞穂常務が、契約内容を確認したようなんです。議員との懇談会に出席したとき、それを自慢したみたいで」

「……あの人の頭の中には守秘義務とか無いんですか?」
「いえ、つまり、そういうことが出来るようになったんだぜ的な自慢で、契約者や具体的な内容についてはもちろん触れなかったようですから、NDA的には微妙な領域ですね」

「それでその議員が外遊中に、同じようにアメリカの議員に自慢したと」
「おそらく」
「だけどそうだとしたら、誰がどうやってなんて部分はわからないはずだけど」

日本ダンジョン協会に持って行くのなら分かるが、うちに直接来るのはおかしいだろ。

「そりゃ先輩。そんなことが出来るのは、オーブのオークションなんかやらかしているうちしかないからですよ」

「……サイモンのやつに鎌をかけられたってこと?」
「見事にやられましたね」

三好が仕方なさそうにそう言った。
アイツはあんなにフレンドリーそうな顔をして、全く油断ならない男だよな。

「それで、現在のダンジョン到達深度ですけど」
「はい」
「どうやら三十層をクリアしたみたいですよ」
「ええ?! 早くないですか?」
「実質26層に到達したのは十二月の頭です。一般のニュースは大体一ヶ月遅れですね」

「それって、月に五層ずつ進んでるってことですか?!」
「今回は以前と違って、全フロア探索をやっていないようです。チームIは、魔法の類がどこまで通用するのかを確かめる目的もあったらしく、階段を発見すると、すぐに下層へと降りているようですね」


サイモン達が三十一層をクリアしてるから、それくらいまでなら行けるだろうと踏んだわけか。

「詳細はわからないのですが、三十一層はどうやら特殊なフロアのようで、攻略はそうとう難航しているようでした」

「それで、三十層までの階段位置のマップって……」
「一応用意してきました。整理ができ次第公開される情報なので、特に秘匿情報というわけではありませんから」

「助かります」
「マップに関しては、Dパワーズさんには、非常に詳細な3Dマップを提供して貰っていますからね。なんというかバーター的な部分もあるんですよ」


どうやら、三好が超音波センサーで作っていたマップのことのようだ。

「え? あれって日本ダンジョン協会に提供してたの?」
「当たり前ですよ、先輩。秘匿してどうするんですか」

三好が鳴瀬さんからメモリカードを受け取りながら、呆れたように言った。

「近江商人的には売るのかと」
「まあ、それでもいいですけど、商品じゃなくて恩を売っておけば、ほら、今回みたいに融通を利かせて貰えるわけですよ」


鳴瀬さんが苦笑いしながら、俺達のやりとりを聞いていた。

「えーっと、その話は私がいないところでして下さい」

「しかし特殊な三十一層か……」
「別になんの十三番目の数値でもありませんよ?」
「いや、十三をひっくり返してるじゃん」
「うーん。さすがにそれは考えすぎでは……」

「なんのお話ですか?」
「あ、いや。ダンジョンの数遊びですよ。そう言えば、最近モニカとメールのやりとりをしてるんですって?」


モニカはアメリカの異界言語翻訳者だ。
あの、"AWESOME!" 以降、時々連絡が来ていたが、英訳の件で紹介した鳴瀬さんと、メールのやりとりを始めるとは思わなかった。


「ほら、魔素という言葉の取り扱いとかもあったじゃないですか。そういう独特の概念の解釈について、いろいろとご意見をお聞かせいただいてます」

「へー」
「そういえば三十一層で思い出しましたけど、彼女はセーフエリアのことをタウェンだと感じているようでしたよ」

「タウェン? タウンじゃなくてですか?」

class=SpellE>towenです」

「先輩。
class=SpellE>towen

class=SpellE>towen ですよ。クラウチエンドですよ、スティーブンキング様御用達ですよ」

「なんだそれ?」

キングってところからホラーな香りが漂って、なんだか嫌な予感がするぞ。


class=SpellE>towenっていうのは、街には違いないそうですが、古いドルイド用語らしくって、ドルイド僧たちがあつまった場所のようなニュアンスですね」

「先輩、先輩。要するに、ドルイド僧達が集まって、儀式を行ったり生贄を捧げていた場所のこと、らしいですよ」

「それ、ほんとにセーフエリアなのか?」
「私のイメージだと、ダンジョンに祈りを捧げる聖なる場所なので、モンスターが侵入しないといった感じでしたが……」


祈りを捧げる聖なる場所? うーん、確か、あれが書かれていた碑文はイギリスで見つかったはずだ。

オークの森ならぬ、現代のダンジョンに作られる探索者たちの
class=SpellE>towen ね。

「さすがに生贄を捧げないと、それが維持できない、なんてことはないと信じたいな」

確かにそれは嫌ですねと三好が引きつったような顔で笑った。

「そうだ。彼女とのやりとりは、確実にダンジョン攻略局の検閲が入ってると思いますから、気をつけて下さいね」

「そこは理解しています。一応一介の碑文の研究者みたいなポジションでやりとりしてますから」

「ならいいですけど」

そして俺達は、週末のダンジョン行について鳴瀬さんに説明した。

「今回は、土曜日から五日ほど潜ります。いつものように、事務所にはアルスルズを一体おいていきますから、何か緊急の話があれば例のメモリカードで連絡して下さい」

「わかりました。お気をつけて」
「ありがとうございます」

「それで、以前仰ってた、小麦さんへのマイニングの使用ですけど」
「それについては、まだ何も聞いていませんね」

「ここだけの話、こっちで適当に使用するかもしれません」
「ええ?」
「もしそちらで本決まりになったら、その時使ったことにして貰えると助かるんですけど……」

マイニングを二個使ったら、一度にアイテムが二個落ちるとかないよな?
いや、ありそうな気がするぞ……

「わかりました。でも、もし小麦さん以外へ使うことが決まったら?」
「その時は諦めて、マイニングを契約通りお渡ししますよ」
「なら、問題ないと思います」

その後も三好と鳴瀬さんは、なにか知的所有権にかかわる細かい話をしていた。
ダンジョン絡みの知的所有権は、各国の特許庁のような機関と提携して、世界ダンジョン協会が一括して管理する事になっているそうで、それにかかわる手続きや、対応可能な特許事務所の紹介などだ。

途中までは一緒に聞いていたが、途中で理解することを諦めて大人しくお茶を入れに台所へと立った。

煎茶の入れ方なら、まだ三好には負けないのだ。たぶん。


108 ダンジョン下の話事情 1月
26日 (土曜日)


土曜日の早朝。俺達は代々木に集合していた。

三代さん達は、ステータスを弄ってから後も休まずに潜り続けていたようで、ステータスポイントが8ポイント程増えていた。


「有給、取りました!」

小麦さんが鼻息も荒くそう言った。
実はその件に関して、鳴瀬さんがGIJからクレームというか、愚痴が来てましたと苦笑していた。

どうやら、無理矢理申請して、無理矢理もぎ取ってきたらしい。

「芳村さん、その荷物重くないんですか?」

大きな荷物を背負った俺を心配するように、三代さんが聞いてきた。

いかにバランスが良いといっても、80リットル近いバックパックは結構な大きさになる。


「いやまあ、普通かな」
「意外と力があるんですね」
「まあ、それなりに」

実は中身は空洞で、三好が膨らんでいるように見せるプラスティックの枠を入れただけなので、たぶん4キロも無いはずだ。

もちろん、ステータスを最大に戻してあるので、四キロが40キロだって問題にはならないわけだが、運動エネルギーは十倍だ。

それを持った状態で激しい運動をしたりしたら、ストラップや各部にかかる負荷だってバカにならない。俺は平気でも、それらはちぎれ飛ぶかもしれないのだ。


「ほらほら、先輩。まずは十層まで一気に下りますよ」

三好が先頭で、移動のフォーメーションを指示していた。

「十層までは、私が先導しますから、先輩はしんがりで。三代さんはチャンスがあったら矢を射て下さい。矢の数は心配しなくても構いませんから」

「え? そうなんですか?」
「準備は万端ですよ」
「わかりました」

俺達は、三好を先頭に、三代さんと小麦さんを挟んで、俺がしんがりを勤める形で、探索を開始した。

とはいえ十層までは、ただ最短距離を進んでいくだけなので探索と言うよりも移動だな。

「なんだか散歩みたいですね」

初めて降りる階層を、珍しそうにきょろきょろと見回しながら小麦さんが言った。

「うちは遠距離チームだから、近づけなければ一方的だよな」
「なんだか私たちがやってた探索と違うんですが……」

時折敵を見つけては、ただ矢を射るだけの三代さんが、呆れたように言った。
なにしろ、アルスルズが影から足止めしているのだ。通路に現れるモンスターは、フォレストウルフも、ワイルドボアも、ブラッドベアも、みんな一様にただの的だった。


「絵里ちゃん。私なんか、歩いてるだけだからね?」

攻撃手段がなにもない小麦さんは、確かに歩いているだけだったが、まるで観光旅行のようにそれを楽しんでいるようだった。


ふたりとも俊敏は20を越えているため、早歩きでも結構な速度になっている。
一層平均三十分ちょい。六時間程で十層に到達したのだから、なかなか優秀なタイムだろう。

十層へと降りる階段の九層側で、俺達は昼ご飯にした。
初日だからお弁当だ。今回は、ボリュームのある洋風幕の内だ。

三代さんが白身魚のソテーにラヴィゴットソースがかかったものを頬張って言った。

ラヴィゴットソースは、お酢が基本のソースだけあって、使用する酢や香草のバリエーションで無限に広がる使い勝手の良いソースだ。

大抵は冷製に使われるからお弁当にも向いている。今回のものは、トマトの酸を中心に、バルサミコとワインビネガーを少量ずつ使って味を調えた、現代イタリア風のラヴィゴットだ。


「このお弁当、妙に豪華で美味しいですけど、出来合いですよね? 何処に売ってるんです?」
「それなぁ、三好が近所の弁当屋にわざわざ発注したやつなんだよ」
「ええ?! そんな面倒なこと、数食単位でやってくれるんですか?!」
「あー、それは……ちょっと無理じゃないかな」

発注個数は、百食単位だもんな。
小麦さんは我関せずといった様子で、夢中でうまうまとお弁当を頬張っている。

「ですよねぇ……でもお弁当屋さんにしては、ハンバーグのソースも、お魚のソースも、なんだか業務用缶詰って感じじゃないですけど……」

「お、三代さん、わかりますか?」

三好が、ハンバーグをフォークでカットして、ぱくりと食べてから言った。

「このお弁当屋さんは、元ビストロのオーナーシェフで、ソースもちゃんと自前で作られてるんですよ」

「へー。美味しいのに、どうしてお店を閉めてお弁当屋さんになったんでしょうね?」
「センスが無かったんじゃないですかね?」
「え? え? け、経営の?」

三好のあまりに実も蓋もない感想に、三代さんのほうが恐縮していた。
ナポリタン風に味付けされたペンネにフォークを突き刺した三好が、それをタクトのように振りながら言った。


「古典的なソースは、作るのにやたらと手間がかかるものが多いんですけど、センスの介在する余地があまりありません。レシピ通りに作れば大体誰にでも完成度の高いソースが作れるんです」

「例えばドゥミグラスなんか、完成度が高すぎて味が画一的になるっていう理由で使われなくなったって、エスコフィエが言ってますから。誰でも同じ味になるってことですよね。まるでふじっ子みたいです」

「なんだよ、ふじっ子って」
「しりません? 塩昆布」
「おつけものに入れても、炒飯に入れても、果てはパスターのソースまで、何でも手軽に美味しく出来ちゃうんですけど、なにしろ全てがふじっ子味になっちゃうんです。森博嗣のミステリーみたいなアイテムですよね」

「すべてがFになるのか?」
「です」

『すべてがFになる』は、森博嗣が1996に発表したミステリーだ。

もちろんFはFUJIKKOとはなんの関係もなくて、十六進数のF、つまり15の事なのだが。


「ところが現代では、流通が進歩したおかげで新鮮な素材が簡単に手に入るようになりました。素材の味を生かすような軽いソースのほうが、センスが要求されるんですよ」


超老舗とかならともかく、ちょっと気張ったときに行くような街のレストランだと、どんな素材も同じような味になってしまう古典的なソースばかり提供していては客足が遠のくだろう。

素材ドンッ、ソースドバッ、でもって、ガルニがちょぼちょぼってパターンじゃ、インスタ映えもしないしな。

もっとも最近ではそれを逆手にとって、インスタ映えしないことを売りにするようなお店も登場してきているようだが。


「とにかく、基本的に真面目な仕事ぶりですし、お弁当屋さんとしては破格の美味しさですから、きっと、こっちの道のほうが成功されると思いますよ。冷えても美味しいことが要求されるお弁当は、クラシカルなソースとも相性がいいですし」


そう言って、今度はローズマリー風味の鶏のソテーを頬張った。

「ところで先輩。ふじっ子って、もっとこまかく2ミリ角くらいにカットした、もう完全に調味料として割り切った商品を出せば、売れるんじゃないかと思うんですけど、どう思います?」

「包丁で刻めばいいだろ」
「先輩、あれは濡れてないと、そう簡単には刻めませんよ? ミキサーにかけると粉々になっちゃいますしねぇ……」


三好は美味しい物が好きなだけで、原理主義的なところがない。
だから化調を、それがただ化調というだけで毛嫌いしたりはしないし、適材適所だと考えているようだ。


そもそも、現代日本で便利に生きてりゃ、化調ゼロなんて生活が出来るはずないもんな。

「はー、ご馳走様ー」

もくもくとお弁当を食べていた小麦さんが、満足げにそう言うと、三好になにか耳打ちしていた。

なんだろう?

「先輩。先輩。ついに秘密兵器の出番ですよ」
「あー、あれか」

ダンジョン探索用アイテムの中で、『世界ダンジョン協会最大の発明品』『ダンジョンが人間の文明に及ぼした最大の功績』などと言われる、ふたつのアイテムがある。

どちらも、世界ダンジョン協会が、わざわざメーカーに頼んで開発させたといういわく付きのアイテムだ。


ひとつは、発売以来パーティ所有率ナンバー1を一度も譲ったことがないアイテムで、代々木で言えば、五層より先へ向かうパーティでの普及率は、事実上
100%以上だろう。
その機能は非常にシンプルで、ワンタッチで視界を遮る個室を作り出すこと、ただそれだけだ。その名も――


「ルーとはまた、ストレートなネーミングだよな」

俺は、そのアイテムをバックパックから取り出すようなふりで、保管庫から取り出した。
ルー(loo)は、主に女性が使う口語で、トイレを意味する英単語なのだ。


中世。まだ家にトイレが無く、皆、おまるのようなものを使っていた時代、排泄物は窓から投げ捨てられていた。

下を通っていた人がそれを被る事故を防ぐため、投げ捨てるときには、ガーディールー(gardy loo)!と叫んで警告していたらしい。意味は『水に気をつけろ!』だ。
本《もと》を正せば、フランス語の
class=SpellE>Gardez
class=SpellE>l'eau からの借用だと言うことだが、ダンジョン内のトイレ事情は中世と同じっていう、世界ダンジョン協会のブラックなジョークだと考えるのは穿《うが》ちすぎだろうか。


するすると四本の細い足を伸ばして、頂点の紐を引っ張るだけで、ああら不思議。一瞬で高さ一.六メートル、周囲が一メートル四方程度の部屋ができあがる。

トップ部分にベンチレーションファンが付いたバージョンもあるらしい。
因みに床はない。

非常に軽い分とても脆く、少し力を入れると簡単に壊れてしまう。一時的に視界を遮る以外のことは、本当に何もできないアイテムだった。

用を足している最中に、ヒョイと持ち上げる悪戯が一瞬だけ流行ったが、世界ダンジョン協会が悪質な例を取り上げて、対象者を免取りにしたことで沈静化した。

もっともそれ以前に、俺の知り合いにそんな事をしたら最後、間違いなくヤられる。

視界の問題はルーで解決したが、排泄物の処理はそうはいかない。
普通の野外なら、穴でも掘って埋めればいいのだろうが、ダンジョンの場合は、床に壁が露出している部分では、決して穴など掘れはしない。


当初は従来からある簡易トイレが、ルーと共に利用されていたが、流石に使い勝手が良いとは言えなかった。


そこで登場したのが、ルーと双璧をなす発明品、その名も『パウダー』だ。日本の探索者の間では『ふりかけ』と呼ばれている。


これこそテクノアメニティの雄、日本触媒が、日本ダンジョン協会と共同でダンジョン素材と高吸水性高分子素材から作り出した、発売以来、探索者購入率ナンバー1を一度も譲ったことがない伝説のアイテムなのである。

世界的に見ても、ダンジョン素材を利用した、もっとも成功した商品だろう。

こちらの機能も、たった一つ。
排泄物に振りかけると、それが一瞬で灰のような物質になり、粉になって消えてなくなるというものだ。

ただし紙は残る。その問題を解決すべく、この素材を利用した布や紙も開発が進んでいるらしい。


ダンジョン内で排泄してお尻を拭く。
たったそれだけのことに、人類の叡智が結集しているというのが、実に下らなくて素晴らしい。こういう研究はとても楽しそうだ。


「ふりかけは、中に置いておくから」
「ありがとうございます。じゃ、先輩は少し離れてまわりの警戒をお願いします。コロニアルワームが出たら、体を張って止めて下さいね」


ここでアルスルズですむじゃんなどと言ってはいけない。
男には近寄ってはいけない聖なる場所とタイミングがあるのだ。

「その、妙にフラグっぽい発言はやめろよな」
「終わったら呼びますから。先輩、トイレは?」
「大丈夫だ」

俺は手をひらひらと振ると、ルーから離れた。
ルーのまわりにはカヴァスとアイスレムが陣取って、こちらを見ていた。うん、この場合、最も警戒する対象は俺ですよね。わかります。



109 二人目の召喚者 1月
26日 (土曜日)


「なんか変な匂いがします」

十層へ降りたところで、小麦さんが、ふらふらと歩いているアンデッドをびくびくと眺めながらそう言った。

それはアンデッドフレーバーだな。ゾンビスメルってやつだ。

俺達も、初めて十層へ来たときは、まさかゾンビに匂いがあるなんて想像もしていなかった。
倒せば消えてなくなるくせに、ウロウロしている間はちゃんと腐臭がするなんて、無駄にリアルな設定は生理的に勘弁して貰いたかった。誰得なんだよ。


「先輩。ふたりともここでオーブを使わせるんですか?」
「そうだな。思ったより早く十層に到達できたし、いっそのこと十八層でキャンプするのもいいだろ」

「あそこは今人が多いですから、割と安全かも知れませんしね」
「というわけで、オーブを使用するあいだ、アルスルズには、まわりのアンデッド退治をお願いしようかな」

「了解です」

っと、その前に――

 --------
 ネーム 六条 小麦
 ステータスポイント 8.27
style='mso-spacerun:yes'>
->
style='mso-spacerun:yes'>
0.27
 HP 26.80 -> 27.20
 MP 83.60 -> 90.40

 STR (-) 10 (+)
 VIT (-) 10 (+)
 INT (-) 48 (+) -> 52
 AGI (-) 28 (+) -> 32
 DEX (-) 20 (+)
 LUC (-) 41 (+)
 --------
 --------
 ネーム 三代絵里
 ステータスポイント 8.26
style='mso-spacerun:yes'>
-> 0.26
 HP 36.00
 MP 72.80 -> 85.60

 STR (-) 20 (+)
 VIT (-) 10 (+)
 INT (-) 40 (+) -> 48
 AGI (-) 20 (+)
 DEX (-) 34 (+)
 LUC (-) 12 (+)
 --------

俺は、彼女たちが週末までに稼いでいたポイントを、それぞれの適切な場所へと割り振った。
その間に、三好は、オーブの使い方を彼女たちにレクチャーしていた。

「いいですか、こういう感じでオーブを掲げて、『俺は人間を辞めるぞ!』と言いながら使って下さい」


なにやってんだ、あいつ。

「じゃ、先輩。よろしくお願いします」
「ほいほい」

俺は下ろしたバックパックの中から、二つのオーブケースを取りだした。

「こっちが小麦さんで、こっちが三代さんかな」
「え? 私のもあるんですか?」

三代さんが驚いたように言うが、そりゃあるよ。

「クリエイトアローを実現するんでしょ?」
「ええ? 本気ですか?」
「違うの?」

そう言って俺は、彼女たちにオーブをケース毎渡した。
おそるおそるケースを受け取ったふたりは、それを慎重に開けると、中のオーブにそっと触れた。


「ええ!?」

そのオーブカウントに気がついた三代さんは、驚いて声を上げた。何しろその時間は、入ダンの数時間前なのだ。

流石に入ダンしてから後の時間じゃおかしすぎるので、調整しておいたのだ。

「これ、一体どこから……?」
「まあまあ、難しいことは後で考えるとして、まずは使って下さいよ」
「は、はい!」

三好に促された二人は、彼女のレクチャー通りのポーズを決めながら言った。

「「俺は人間を辞めるぞ!」」

いつもの通り、オーブは光になって、彼女たちの中に吸収されていった。
丁度その時、その叫びを耳にしたらしい、九層から降りてきた探索者のチームらしき一群が、歓談を駆け下りてきた。


「あ、あのー、大丈夫ですか? 何かトラブルとか?」

そう声をかけられて振り返った三代さんが、ひっくり返ったような声で返事をした。

「え? ええ!? 今の、聞いてました!?」
「はぁ」
「あ、あはははは、いえいえ何でもないです。別にトラブルとかじゃないですから」

いや、そのごまかし方は余計にうさんくさいよ、三代さん。何か怪しい宗教の儀式かなんかだと思われそうだよ……十層だしな。

やはり少し階段から離れておくべきだったか。

「なんでもないんならいいんですけど。何か困っていたら言ってくださいね」

探索者チームのリーダーっぽい男が、ハーレムパーティの男を見るような目つきで、俺に探るような視線を送りながらそう言った。

確かに女性三人+男一人だけど、実態は単なる荷物持ちなんですよ。

「ありがとうございます。でも、本当に大丈夫ですから」

三代さんが重ねてそう言うと、リーダーっぽい人は、「そうですか」とだけ言って、チームを率いて十一層への階段方向に、時々こちらを振り返りながら去っていった。

周りにいたアンデッドの連中は、そのチームにまったく興味を示さなかった。同化薬の効果って、こうしてみると凄いな。


「ああ、恥ずかしかった……」
「これで、もう犬ちゃんを呼べるんですか?」

マイペースな小麦さんが、今あったことを全スルーして三好に聞いた。

「大丈夫ですよ。重要なのはイメージと、あとは格好いいポーズです!」

いや、その後ろのやつ、本当に必要なのか?
三代さんは、三代さんで、ぶつぶつとクリエイトアロー、クリエイトアローと呟いていた。最初はありもんの、ストーンバレットとかを練習したほうが良いような気がするけれど、まあやる気になってるならいいか。


「それで、名前は考えてきたんですか?」
「もちろんです。それはもう、楽しみで、楽しみで、数日前から夜も眠れませんでしたよ! 会社で寝てましたけど」


いや、それ、だめなヤツだから。
GIJから愚痴来るのもわかる気がする。

「じゃあ、早速一匹目を呼びだしてみます?」
「はい!」

少し離れた位置に立った小麦さんは、三好に言われたとおり、格好いいポーズを取った。
三好とは少し違うな。

「イメージは、レンブラントのキリストの昇天です」

小麦さんは両腕を上げて、中空を睨みながら、しばらく集中するように間をおくと、気合いを入れて声を上げた。


「サモン! アヌビス!」
「はぁ?!」

ちょっと待て、アヌビスったら、黒犬の頭部を持った人型の神様だろ?!
そして広がった魔法陣が、アルスルズを呼びだしたときの倍くらいあった。

「こ、このサイズ……まさか?!」

そうして魔法陣の中央に顕現したのは――

「はー、四つ足だ。一時はどうなることかと思ったぜ」

大きさ自体はカヴァス達と同じくらいだが、少し細面の真っ黒な犬だった。直立した大きな耳にふさふさした垂れ尾、そのくせコートはやや長めのスムースだ。


「先輩。一応、ヘルハウンドの召喚魔法なんですから。いくらなんでも心配のしすぎですよ」
「そうか? グラスたちのこともあるからな、イメージは侮れないぞ?」

カヴァス達の子犬サイズをモフりたい。ただそれだけで、子犬サイズのヘルハウンド?を召喚できてしまうのだ。

召喚は、それを行うもののイメージで、かなりの部分をカスタマイズできることは三好が証明していた。

いやもう、犬頭の人型が召喚されでもしたらどうしようかと思ったぜ。

「失礼なものどもだな。我を地獄犬などと同一視しようとは」

あれ? 空耳かな?

「三好、今何か聞こえたか?」
「いいえ。少ししゃがれたような震えたような、奇妙な発音の声なんか、ちっとも聞こえませんでしたよ?」


俺達は明後日の方を見ながら、アハハハと乾いた笑い声を上げた。
それを聞いた小麦さんが、おそるおそる、召喚したモンスターに話しかけた。

「アヌビス?」
「お前が我の主か。少々頼りなさそうではあるが……仕方がない、我の顎の下をなでる権利を授けよう」


「「「喋った!?」」」

俺と三好と三代さんは、同時に驚いた。
喋る犬とは、おそらく世界初だろう。知能は高そうだが、人権ならぬ犬権《けんけん》ってあるのかな? シシシシシって笑いそうな権利だが。


「ちょっと驚きましたけど、カニド・ハイブリッドみたいなシルエットで格好いいですよね」

いや、ちょっとなのかよ。
確かにカヴァスたちも、俺達の言葉を完全に理解しているふしはあるが、流石に喋るところまではいかなかった。

もっとも三好のイメージに、犬が喋るって概念がないことも大きいだろう。何しろ子犬は、本当にケンケンって鳴いたのだ。


カニド・ハイブリッドは、犬科の種や亜種などの括りを越えて交配させて作り出された交雑種だ。

狼と犬を掛け合わせた、各種ウルフドッグや、ジャッカルとハスキーを掛け合わせたスリモヴ・ドッグあたりが有名だが、確かにシルエットは精悍で格好いいものが多い。


「ふむ。お前は見る目があるようだ。我の顎の下をなでる権利を授けよう」

そう言って、頭を三好に差し出すと、三好に顎の下をなでて貰って、満足そうな顔をした。

「いや、お前、ただなでて貰いたいだけじゃないの?」
「むっ。失敬な雄だな。貴様は失格だ。なでる権利を与えるわけにはいかんな」

失格って、なんの試験だよ。

「アヌビス。ほら、おいで」
「ほう。それは魔結晶ではないか。我が主はなかなか分かっておられるようだな」

とことこと小麦さんに近づくと、アヌビスは、出された魔結晶をぱくりと食べた。
最初に召喚したときに、食べさせて機嫌を取るといいよと、彼女にいくつか渡してあったのだ。

「ふむ。まるで骨のような、まあまあの味わいだ」
「へー、そういうのってわかるもんなのか。それってスケルトンの魔結晶なんだけど」
「無論だ。我ほどのグルマンであれば、生前の持ち主をあてることなど造作もない」

グルマンって、大食漢って意味じゃないだろうな。
しかし、ちょっと誉めただけで、妙に嬉しそうにしているな。なんだかこいつの扱い方が分かってきたぞ。


「お前の役割は、主を守ることだ。まあ、言ってみれば騎士のようなものかな」
「ほう、騎士か。いいではないか。主を守るというのは、我にとっても重要なことだからな」
「へー、やっぱりそうなのか?」
「ふ、やはり愚かで無知な雄は何も知らんようだな。我々召喚されたものは、主が生きている限りまず死ぬことはない。だが、主が死ぬと共に滅びてしまうのだ。一心同体とはこのことだな」


ああ、やはり召喚されたモンスターは死んでも再召喚できるのか。
何かのペナルティがないとは言えないから、できるだけそれは避けたいが。

小麦さんは、アヌビスの頭をなで回しながら、「じゃあ、アヌビス。これから私を守ってくれるのね」と言った。


「うむ。我に倒せぬようなものは、そうはおらんからな。安心して任せておけ」

アヌビスは、カッカッカッカと、喉に何かが詰まったような音を鳴らして笑った。……笑ったんだよな?

そもそも犬の発声器官で、人間の言葉を話してるってところがヘンなのだ。一体どうなってるんだ。


「じゃあ、小麦さん。二頭目を召喚しましょう。名前は?」
「もちろん決めてあります」

そう言って小麦さんは、レンブラントの昇天ポーズを取ると、大きくひとつ息をして言った。

「サモン! ガルム!」

今度も神話級かよ!
ガルムは北欧神話に登場する、冥界の番犬だ。ポジション的にはギリシア神話のケルベロスと同じだ。頭は1つだが。


展開された魔法陣の大きさは、アヌビスほどではないにしても、かなり大きい。
三好が召喚したときと違うのはステータスの違いだろうか。しかし子犬の時のステータスは小麦さんよりも高かった気がするし、やっぱイメージなのかな?


そうして、魔法陣の中から出てきたのは、今までのように黒一色ではなく、胸元に少し赤黒い毛が生えている大型の犬だった。


「あれが死者の乾いた血を表してるんですかね?」
「たぶんな。しかし、流石に今度は喋らないだろうな?」

「たわけ。我ほど優れたものが、そう何匹もいるはずがないだろう」

そう言ってアヌビスは、ガルムの前に歩いていった。

「ふむ。我の弟にあたるわけだな。仕方がない、我を甘噛みすることを許そう」

いや、そいつは召喚されたばかりとは言え、子犬とは言えないんじゃないのか?

ガルムは困ったように小麦さんを見たあと、おそるおそるアヌビスに近づいて、その首筋をがぶりと噛んだ。


「ぬっ、うぉおおおおおお。待て、ちょっと待て! 折れる、折れるうぅうう!」

子犬の甘噛みのうち、所謂じゃれ噛みは力の加減を間違うことも多いという。そこで反撃されて加減を学習するわけだが……

そもそもガルムは、軍神であるテュールをかみ殺した犬だぞ? 自分から噛まれに行くなんて、バカのやることなんじゃないか?


止められたガルムは、アヌビスをペッと吐き出した。

「くっ、貴様、兄に向かって良い度胸だ。いいか、甘噛みというのは、これくらいの力で――」

アヌビスは、がぶりとガルムの首に噛みつこうとしたが、ガルムはさっと身を引いて、それを躱した。


「おいおいアヌビス。もう諦めたらどうだ?」
「愚かな雄は黙っていろ。これは我々の矜恃と教育の問題なのだ!」

それを聞いたガルムは、さささと小麦さんの向こうへと移動して、彼女の後ろに隠れていた。もっともまるで隠れられてはいないのだが。


「ああいうのを見ると、カヴァス達と同じ種なんだと実感するな」
「そうですか?」
「あいつら、なにか嫌なことを頼まれそうになったり、怒られそうになったら、すぐにお前の向こう側にちょこんと座って嫌ですアピールをしてるじゃん」

「そういわれればそんな気も……」

三好は足下にいるグラスに目を向けた。
カヴァスとアイスレムは、まわりで近づいてくるアンデッドを狩りまくっているが、グラスは足下で三好の直接的なガードをしているようだ。

グラスは、そんなことありませんよ? と言わんばかりに首をふるふると振っている。

「……まあ、かわいいから良いですよね」

そう言って、三好はグラスを抱き上げた。
グラスは、ほっとしつつ、オメーは余計なことを言うんじゃねーよと、俺に向かってガンを飛ばしてきた。

ホントにこいつは俺に対する当たりが強い。他の5頭はそうでもないのになぁ。

その間も、アヌビスがガルムに色々言っているようだが、ガルムは噛まれるのが嫌らしく、小麦さんを中心にぐるぐると追いかけあっている。いずれバターになるに違いない。黒いけど。


「先輩。豚のローストにブールノワールかけて食べたい気分になってきました」
「だよな。レもいいぞ」
「エイの旬は夏ですよ」

地魔法の練習をしていた三代さんが、カヴァスとアイスレムの献身的な活躍の内側に作られた、あまりに平和な空間を見て、「ここって、十層なんですよね?」と呆れたように言った。


残念ながらバターにはならなかった二匹が落ち着いた後、小麦さんが呼びだしたのは、ライラプスだった。


ライラプスはギリシア神話に登場する犬で、どんな獲物も決して逃さないという『運命』を与えられた犬だ。

技能や力じゃなくて、運命ってところが恐ろしい。なにしろ最後は、誰にも捕まらない『運命』を持った狐を追いかけ、相反する運命の衝突を嫌った神様に石にされてしまうのだ。

神様にかかってしまえば、どんな矛盾でも、ゴッドパワーで楽々解決ってなもんだ。

小麦さんと戯れる三匹を見ながら、三好が言った。

「こうしてみると神話シリーズもいいですよね」
「召喚魔法持ちが増えたら、同じ名前の犬が大量に生まれそうだけどな」

「ああ!」
「どうした?」
「先輩! もしかして、ファリニシュを呼び出せば、水をワインに変えられるんじゃ!」
「あのな……」

ファリニシュは、トゥアハ・デ・ダナーンのルグの犬だ。毛皮に水を触れさせると、それがワインになる謎能力の持ち主なのだ。

ただ――

「それって美味いのか?」
「あー、そうか。熟成なんて概念が無かった時代のワインですもんね……いや、でも神々の飲み物ですよ?」

「向こうの食べ物を口にしたら戻って来れない、なんて話は一杯あるぞ?」
「うーん、ダンジョンと地球文化の類似性の話ですよね……やっぱ、やめときましょう」
「それがいい。フィクションには、神様が地球の食べ物でたぶらかされる話が溢れてるしな」

そうして最後に小麦さんが呼びだしたのは――

「サモン! クー!」

クー? そんな犬、神話にいたか?

「三好、知ってるか?」
「犬にかかわるクーって言ったら、クー・フーリンでしょうか?」
「いや、それって人間じゃないの?」
「他には心当たりがありませんね。中央アジアやアフリカみたいにマイナーな地域の神話だったりしたら、絶対分かりませんよ」


そうして呼び出された犬は、今までとはまるで毛色の違うタイプだった。
大きさは、大きいとは言え、ジャーマンシェパードなんかと大差ないだろう。所謂普通の大型犬だ。


「どう見ても黒ラブですよね?」
「なんだそれ?」
「黒のラブラドール・レトリバーです。ほら、垂れ耳で骨太、ショートコートでオッターテイル。まるっきり、そのものですよ」


召喚されたクーは、すぐに小麦さんの所へ行くと、彼女の側に寄り添うようにして立ち、体をこすりつけた。

小麦さんは、その犬を見て、感慨深そうにしゃがんでじゃれていた。

「小麦さん。クーって?」
「クーは、昔、うちで飼ってた黒ラブなんです」
「え、大型犬を飼ってたんですか?」
「はい。ずーっと昔ですけど」

そう言って、小麦さんは立ち上がって膝をはたくと、クーにまつわる話をしてくれた。

「私がまだ小さかった頃、父が英国人の友人から、犬の子供を分けて貰って連れて帰ってきたことがあるんです」

「その時、父はその友人にクーを貰ってくれないかとお願いされたため、それが犬の名前なんだろうと、新しく名前をつけずにそのままクーと呼んでいたんですが――」

「しばらくして、その方が家を訪ねてきたとき、犬の名前を聞いて変な顔をしたんです」

よくよく話を聞いてみると、クーというのは、ゲール語で犬を意味する単語だったらしい。
キャンベルタウン出身のその友人は、犬のことをついゲール語で表現していたのだ。

「自分があげた犬の様子を見に来てみれば、その子犬が『イヌちゃん』と呼ばれていたんですから、そりゃ、変な顔にもなりますよね」


「先輩と同じセンスの人がいましたよ」
「いや、これは偶然だろ? センスというレベルの話じゃないだろ」

全てが明らかになったとき、皆で爆笑したわけだが、すでにクーは、自分の名前がクーだと思っていたこともあって、そのままにしておくことになったのだそうだ。


「クーといって、イヌという意味だと気がつく日本人はほとんどいないだろうからななぁ」

「まあ、考えてみれば、ペスとかペロとか、クオンとかゴウなんて犬は普通にいそうですよね」
「それ全部犬なんですか?」と三代さんが聞くと、小麦さんが首をかしげながら言った。
「ペスはチェコ語で、ペロはスペイン語ですよね。クオンはポルトガル語っぽいですけど、ゴウは……なんでしょう?」

「さすがは、世界を股にかける鑑定家。因みにゴウは中国語です」
「そうだな。フランス語のシアンとか、イタリア語のカーネあたりもいてもおかしくないよな」

「クーは、私が大学へ行って、実家を離れていたときに亡くなってしまったので、あんまり死んだっていう意識がなくって……」


死に目にもあえず、死体も見ていないのだと言う。
それで、今回イヌの召喚という話を聞いたとき、一匹はクーにしようと思ったのだそうだ。

「でも、こんなにそっくりなのが出てくるなんて……」

そう言って小麦さんは複雑な顔をした。
そりゃ小麦さんのイメージだから、そっくりにもなるだろう。

「昔の飼い犬の名前をつけるのは構いませんけど、その子ばっかり可愛がってると、他の従魔が嫉妬しますから気をつけてくださいね」

「え、本当に?」
「アルスルズなんて、平等に扱わないと、すぐにすねますよ」

まあ、そのおかげで入れ替わり影渡りなんて非常識なスキルを使うようになったと思えば、決して悪いことではないのだが……


「失敬な。我はそんな安っぽい従魔ではないぞ」

そう言ったアヌビスの後ろで、ガルムとライラプスがコクコクと頷いていた。

「ま、気持ちの問題だよ」

俺はそう言って、アヌビスの頭にぽんと手を置いた。

「ぬぅ。無能な雄の癖に、気楽に触れおって……」

「そうだ。お前、俺達以外の人間がいるところでは喋るなよ?」
「どうしてだ?」
「いや、どうしてって言われても……地球の犬は、普通喋らないからだ」
「我は地球の犬じゃないぞ?」
「まあ、そこは色々と問題があるんだよ。主様からのお願いってやつだ」

それを聞いてアヌビスは、小麦さんの方を向いた。
小麦さんが頷くのを見て、アヌビスは仕方なさそうに言った。

「そういうことならやむを得んな」

そういってアヌビスは、そっぽを向いた。


110 進め! マイトレーヤ! とそのころの斎藤さん 
1月26日 (土曜日
)


三代さんのチームは、前衛にライラプスとガルムを、二人の護衛にクーを、遊撃にアヌビスを配置するようだ。

今は十一層への階段に向かって、フォーメーションの確認をしつつ進んでいる。

「同じヘルハウンドの召喚でも、出来ることは大分違うんですね」
「もっと画一的なのかと思ってたな」

ライラプスとガルムは、基本的にアルスルズ達と同じような攻撃方法だったが、アヌビスはほとんど物理的な攻撃をせず、魔法一辺倒だった。


「我に汗臭い労働は似合わんだろう?」

だそうだ。相変わらずこいつは良い性格をしているよな。

アヌビスが使っているのは、シャドウランスというよりも、黒い包帯で相手を包み込むような、どちらかというとシャドウバインドに近い魔法だ。

包まれた瞬間、対象が溶けるように消えていく。

「アヌビスは冥界の神様ですからね。ミイラにして、死者を冥界に導いているというところでしょうか」

「ふっ、そこの牝はよく分かっているではないか。我の耳を掻く権利をやろう」
「あとでね」

頭を突き出してくるアヌビスに苦笑しながら三好が言った。

主である小麦さんは、俺が渡した空のリュックをお腹側にかけて、ドロップアイテムが出る度に、それをその中へと詰めていた。

流石世界最高クラスに違いないLUCの持ち主だ。結構な頻度でアイテムがドロップしていた。
特に魔結晶は、犬たちの特別なご褒美に必要だから大事に取っておいてくださいと教えてある。

三代さんは、クリエイトアローにまがりなりにも成功していて、地魔法で作られた矢を撃ち出していた。

ただし、まだ回転が遅く。守られた状態でないと使うのは難しそうだった。

「一発当たり、0.2くらいだな」
「MP消費ですか?」

俺の呟きを三好が耳ざとく聞きつけて聞いてきた。
俺は、それに頷くと、三代さんの方を見ていった。

「彼女は一時間に48ほど回復するはずだから、一時間に
240発なら自然回復で行けるな」
「一分に四発は微妙ですね」
「まあ、これだけじゃ辛いが、それでも矢のコストをある程度押さえられるだろ」

俺は、先日ダンジョン用の矢の値段を聞いて驚いたのだ。
以前購入したときは、セットで買ったから単体の値段がわからなかったが、高価なものは一本五千円とかするのだ。

シャフトには五百円くらいの安いのもあるようだったが、それでもダンジョン探索に使ったら赤字になるんじゃないかというレベルだった。

弓使いが少ないわけだ。

「それに、威力はバカに出来ないみたいだぞ?」

三代さんが射た魔法の矢は、ゾンビもスケルトンも、一撃で頭部を吹き飛ばしていた。

「私たちの最初の頃より凄くないですか?」
「まあ、ステータスが違うからなぁ」

俺達の最初の頃のステータスは、実にしょぼかったもんな。

三代さんのドロップアイテムも、小麦さんがせっせと拾って鞄に詰めていた。
そう言えば、三代さんは契約探索者だけど、小麦さんは違う。一体彼女たちとの契約ってどうなってるんだろう?


「三好。彼女たちとの契約ってどうなってんだ?」
「三代さんはお給料+歩合給ですけど、小麦さんは厳密にはまだキャンプ中なんですよね。だから、マイトレーヤとしてまとめて契約してます」

「マイトレーヤ? なにその人類を救ってくれちゃいそうな名前?」

五十六億七千万年後に人類が存在しているかどうかは怪しいが。

「何かパーティ名をつけろと言われて、二人で考えたんですけど、三代と六条で、三六《みろく》なんですよ」


と三代さんが笑っていった。なるほど、そういうことか。
派手なパーティ名に負けないよう、このまま突き進んで言って貰おう。

とりあえずは、十八層をめざして。

、、、、、、、、、

代々木ダンジョンのすぐ裏手にある、岸記念体育会館の四階では、一人の強化委員が、机の向こう側に座っている強化部長に食ってかかっていた。


「70メートルラウンドで、705ポイントだと?」


あり得ない数値を聞かされて、強化部長は眉をしかめた。
70メートルラウンドは、70メートル先の的に向かって
72射して合計ポイントを競う競技だ。アーチェリーの的は中央が10ポイントなので、全て中央の直径十二センチ程の円の中に入れると、合計で
720ポイントになる。

言葉にすると簡単そうに思えるが、そんなことの出来る人間はいない。少なくとも今のところは。

日本記録は、男子ですら692ポイント、女子は
680ポイントだ。男子の世界記録ですら700ポイントなのだ。


「そうです。先日光が丘であったオープンな大会の――エキシビションというよりもただの撮影だったそうなんですが、そこで叩き出された記録です」

「撮影?」

、、、、、、、、、

その日、斎藤涼子は、映画のカットの撮影に光が丘弓道場を訪れていた。
丁度、小さなオープン大会が開かれていて、撮影に丁度良かったのだ。

「そういや、斎藤ちゃんって、アーチェリーもやるんだって?」
「え? ええまあ。だけど競技じゃありませんよ?」
「的に当てることに変わりはないんじゃない」
「それはそうかもしれませんけど」

ダンジョン内のハントなら、距離はせいぜい30メートルだ。もっとも、素早く動くモンスターにヘッドショットを成功させるのは、距離とは違う難しさがあるのだが。

対して、こちらは、止まっているとはいえ70メートルも先の的を狙う競技だ。


「やはり大分違うと思いますよ?」
「そっかー。ま、それはいいや。ついでと言っちゃ何だけど、神代が弓を射る画《え》も撮っておきたいんだ。使えるかどうかは分からないけどさ」

「ええ?」

神代は、彼女が演じるキャラの名前だ。
一応、アーチェリーの達人と言う設定になっていた。

「昼休みに、ちょっと射てるところを撮影させて貰うように話をつけたからさ。よろしく頼むよ」

「昼休みって、選手の人達、みんな周りで見てるんじゃ……」
「見られるのが商売の人が何言ってんの。じあがりで行きたいんだけど、終わってからだとちょっと光がね」


じあがりは自然光での撮影のことだ。
終了を待っていると、夕方になって、今と光の感じが変わってしまうと言う意味だ。

「わかりました……弓はどうするんですか?」
「そこはぬかりないって。標準的な女子用の弓って言って用意して貰ってるから」

そう言って、監督は、用意してあった弓持ってこさせて彼女に見せた。

「って、それベアボウですよ?」

その弓を見て、涼子は困ったように言った。

「ん? ダンジョン内で使ってる子が引くから、シンプルで格好いいのって頼んだんだけど」
「私が使ってるのはコンパウンドだし、今日競技でみなさんが使ってるのはリカーブですけど……」

「まあまあ、弓は弓でしょ? リカーブ?って、前に長いのとかいろいろ付いてるけど、弓の形は同じようなもんじゃん」

「んー、そうなのかなぁ」

涼子も芳村に貰ったコンパウンドボウしか使っていなかったため、詳しいことはよく知らなかったのだ。

物怖じしない彼女は、すぐそこでこちらを見ていた男性選手に、コンパウンドボウとベアボウのリリースの違いなどを簡単に尋ねた。


「へー、結構違うんですね」
「ええ、まあ。だけどリリースの所だけ気をつければ、すぐに慣れると思います」
「わかりました、ありがとうございました」

にっこりと笑う涼子に、見事に籠絡された男性選手は、顔を赤くして、いえ……と口籠もってから勇気を振り絞るようにして言った。


「あの、写真を撮って貰っても構いませんか?!」
「いいですよー。じゃ、監督シャッター押してね」
「え? 俺かよ? ってか、事務所的にいいのか?」
「ファンと……ファンですよね?」
「はひっ!」
「ありがとうございます。お世話になったファンと写真を撮るくらいいいじゃないですか」
「まあ、お前がいいんならいいけどな」
「あ、じゃ、これを」

そういって男性選手が監督にカメラアプリが立ち上がっているスマホを渡すと、涼子と一緒に並んで写真を撮ってもらった。


「あ、監督、監督。もう一枚。ちょっと固いなー、こう、オーって感じで手を挙げて」
「は?」
「ほらほら、いくよ? オー!」
「お、オー!」

できあがった写真は、楽しげに、アーチェリーしてましたよ、といった雰囲気で、なかなか決まっていた。

それをみた男性選手は、感激して礼を言った。

「相変わらず得な性格してるよな、お前」
「そうですか?」
「まあ、この世界に向いてるよ。お。そろそろ昼休みだぞ」
「了解でーす」

弓を持って、射撃場へと足を運んだ涼子は、七十メートル先にある的を見た。

「七十メートルって、ダンジョンの中じゃあんまり使わない距離だけど……まあ、一回射てみればわかるか」


彼女は、矢をつがえると、すぐに第1射を放った。放たれた矢は糸を引くように飛んで、百二十二センチの的の――


「ありゃ」

――見事に下側、的の外に命中した。Mである。
それをみていた周りのギャラリーから、クスクスと笑い声が上がった。

「うひー、恥ずかし。でも今ので大体分かったかな」

そう言って、次の矢をつがえ、今得た情報で修正して、第二射を放った。
それは、的の右、ブルーの部分に突き刺さった。5ポイントだ。

「上下はOK」

そうして射た第三射は、みごとに、的の中心を捕らえた。

「よしっ」

おおーという声が上がる。
そうして│エンド《六射》を終了して、スタッフが矢を回収する頃には、会場はざわめきで満たされていた。


「ええ? あの人が使ってるのって、ベアボウでしょ?」
「うそっ。でも最後の四射は全部10ポイントにあててるよ」

「一体何者なんだ?」

まわりの騒ぎを一向に気にしない、マイペースな涼子は、監督に向かってもういいかどうか尋ねた。


「かんとくー。も少しやりますか?」
「……あ、ああ。一応時間いっぱい、競技と同じだけ射てみてくれる?」

まわりの反応に、なにか異常なことが起きてるんじゃないかと、独特の嗅覚でかぎ取った監督は、えになるかもと言うただそれだけで継続を指示した。

それが後で大変なことになるとも知らずに。

「ええ? あと11エンドも? 時間大丈夫かな」


昼休みは四十分しかない。普通は四分で六射と聞いたが、それじゃ間に合わないのだ。

「分かりましたー。巻きで行きますね!」

そうして三十分が過ぎる頃、会場は水を打ったような静けさに支配されていた。
雑談の声ひとつ立たないその会場で、涼子が最後の矢を中央に当てた瞬間、怒濤のような声が辺りからわき上がった。


「すっ、すげぇ! 一体どうなってんだ?!」
「え? え? これって世界記録なんじゃ……」

それを聞いた監督が、側にいた選手の男に聞いた。

「なにか凄いんですか?」
「凄いなんてものじゃありませんよ! 70メートルラウンドの世界記録って
700ポイントなんですよ?!」
「700ポイント?」
「彼女は、最初の二射をはずしただけですから、トータルで705ポイントなんです」

「え、それじゃ本当に世界記録?」
「あー、それは……たぶん非公認記録になると思います」

「ですよ。私、連盟はおろか、地区のアーチェリー協会へも登録してませんし」

そう言いながら、涼子が弓を持って戻ってきた。

「でもベアボウでも結構当たるもんですね」
「いやいやいやいや、あんなの初めて見ましたから」
「そうですか? ダンジョンの中だと、あれくらい出来る人は結構いそうですけど」
「本当ですか?!」

はるちゃんも同じくらいあててたもんな。

「はい」

そう言って笑った彼女の話を聞いていたまわりの選手たちは、ダンジョンに著しい興味を抱いたようだった。


、、、、、、、、、

「その場にいた、選手のひとりが、その様子をずっと録画していたそうで、その映像を
class=SpellE>
youtubeにアップしたんです」

そう言って、男はその動画が入ったデーターを彼に渡した。

「公開されているのか?!」
「もう削除されています。たぶん映画関係者からの要請だと思いますが」

しかし一度インターネットにアップロードされたデータが消えることは考えられない。
この瞬間、どこかのサイトにアップロードされていてもおかしくはないだろう。

「とにかく、彼女は知名度もありますし、今すぐ強化選手に指定するべきですよ!」

まあ、女優選手となれば広報や普及委員は喜ぶだろう。しかも強いとなればなおさらだ。

「彼女は何処でアーチェリーを?」
「ダンジョンの中だそうです」

アーチャーというより、ハンターというわけか。
強化部長はダンジョンのスポーツ界への影響についての議論を思い出していた。

「だが、すでに去年の十一月、つま恋でナショナルチーム兼東京2020オリンピック強化指定選手は選考された後だぞ?」

「そんなことは分かってますよ」

強化委員は、もどかしげにそう言いながら、そう言う問題じゃないんだ、と考えていた。
どこの誰が、まぐれでも705ポイントなんてスコアをたたき出せるって言うんだ?


「リオの失敗を受けて、できるだけ本番に近いところで決めるっていう方針にしたんでしょう? 一番調子がいい選手を選ばないと駄目だと言っていたじゃありませんか」

「それはその通りだが……彼女は連盟にも登録されていないはずだろう? その大会だって、ただのオープンの大会だ」

「連盟の登録なんていつでも出来ますし、アーチェリーの得点に大会の大きさは関係ないでしょう」


そんなことはどうでも良いんだとばかりに、彼はその時の様子を話した。

「いいですか? 彼女は七十メートルラウンドに、使ったこともないベアボウで参加して、最初の二射こそMと5ポイントでしたが、残りの七十射は、すべて10ポイントの円の中に入れたんですよ」

「とても信じられん」
「それに彼女は、つけ矢をやってないんです。おそらく最初の二射は、つけ矢のつもりだったんだと思います」

「つまり、それがなければ満点の可能性があったということか? リカーブでも誰もやったことがないのに、初めて使ったベアボウで?」


あり得ない――そう考えるしかなかった。

「来月の、チュラビスタは無理でも、三月のつま恋でやる世界選手権の三次選考会になら間に合います」

「いきなり上位八名と一緒にするのは、他の選手の反感を買わないか? ましてや女優だぞ? 売り出しのためのごり押しに見えてもおかしくないだろう」

「ダントツの実力があれば、そんなもの」

強化部長は、選考会の枠を例外的に一つ増やすことはできるだろうと考えた。
しかし、彼女は本当に大会などに出場するだろうか?

「もし、それが可能だとしてだな、最終選考会の四月のメデジンや、六月の本番、スヘルトーヘンボスへ出場が可能なのか? ああいう世界はよくわからんのだが」


今年の世界選手権は、オランダのスヘルトーヘンボスで行われる。
世界選手権代表選手の最終選考会が行われるメデジンは、コロンビアだ。

「……わかりません」
「おい……まずはそこをはっきりさせないと、特例もクソもないだろう」
「わかりました。まずはプロダクションのほうから当たってみます!」

そう言って男は一礼すると、嵐のように去っていった。

「ふー。熱血漢なのはいいが、夢中になるとすこし周りが見えなくなるのは、なんとかして欲しいものだな」


強化部長は椅子から立ち上がると、窓から、代々木ダンジョンの方を眺めた。
ダンジョンが出来て三年、その影響力は、確かにスポーツ界へも浸透してきている。

「体力系のスポーツだけの話だと思っていたが、技術のウェイトが大きな競技にまで影響するとなると、こちらも考える必要があるか」


日本のアーチャーは、ヨーロッパやアメリカと違い、ほぼ100%が競技志向だ。

七十メートルラウンドで、720点が十人出るような世界がやってきた時、一般人のアーチャーは増えるだろうか? それとも、やる気をなくして去っていくだろうか?


結局、我々の仕事はアーチェリーという競技の振興だ。
それにダンジョンがどう影響するのかを見極めなければ。


107 センター試験への影響 1月
25日 (金曜日)


それはセンター試験が終わった二十日の深夜のことだった。

「これは、どういうことだ?」

大学入試センターで、センター試験の点数を集計している部署では、昨年までにはなかった奇妙な現象が話題になっていた。


連続する受験番号の受験生が、ほぼ同得点の高得点者で埋まっている箇所が多数見つかったのだ。

それだけならまだしも、一連の連続した受験番号群は選択科目が完全に同一で、あまつさえ誤答が同一の問題に集中していたのだ。


しかも誤答されたのは難易度が高い問題とはいえず、うっかりに近いミスだった。

しかし、隣り合う席ならともかく、何人も間にいる席でのカンニングというのは通常あり得ない。


「これは、もしかして……」
「例のテレパシーとかいうやつか?」

それが話題になったのは、昨年の十二月二十五日以降だ。
今年は一月十三日が日曜日だったため、センター試験は最も遅くなる十九日から二十日だったが、それでもその間に対策を施すなどと言うことは出来なかった。

大学入試センターにとって、それはまさに晴天の霹靂だったのだ。

「こりゃあ、平均点はでたらめな数値が出るんじゃないか?」
「調整はどうなりますかね?」
「もしも予備校あたりが組織的に行っていたとしたら、その広がりはバカにならん。対象者の選択科目は完全に同一だから、とんでもない差が出る可能性もあるな」


「情報によると、テレパシーの通じる距離は二十メートルの円の内側らしいですから、それほど大きな広がりはないと思いますが……せいぜいが百人といったところでしょう」

「同じ事をやったグループがほかにいなけりゃな」

受験番号が配置された席の情報があれば、得点と比較することでおそらくあったであろう不正を疑うことは出来る。

しかし証拠にはならないだろう。

「しかし、学校の定期テストと違って受験ですよ? 相手を蹴落とすのが目的の試験なのに、わざわざ高得点を取らせる理由がわかりませんね」

「まあ社会的な力関係や……あとは、考えたくはないが、カネだろうな」
「合格確実な学生で、医者のバカ息子を合格させたいとか……ありそうですよね」
「裏口よりもずっと確実だし、不正を疑われにくい。もっともその場合は、少人数になるだろうから、点数への影響は少ないだろう。俺達が関与するようなことじゃない」

「受験生には申し訳ないけど、不正の範囲が小規模で、こちらも何も気がつかなかった、と言うことにしたいですね」


彼らは仕事としてこの作業をしているだけで、個々の学生のことなど普段は考えていない。
できるだけ非難を浴びるような波風は立たないほうが良いに決まっているのだ。

一月二十三日には平均点の中間集計が発表される予定だ。
彼らは採点と集計を行っているシステムのモニタを見つめながら、その時の数値に大きな異常がないことを、心の底から祈っていた。


、、、、、、、、、

一月二十五日、日本ダンジョン協会市ヶ谷本部のダンジョン管理課では、課長の斎賀のところに、ひとつの問い合わせが届いていた。


「Dカード取得者を識別したい?」
「はい。大学入試センターから、試験会場で、受験生がDカードを所有しているかどうかを判断する方法があるかという問い合わせが来ています」


大学入試センターか。
時期的に考えて、絶対念話の件だろうが、センター試験はもう終わっているはずだ……ってことは、採点でなにか異常が出たってわけか。


「わかった。法務とシステム管理にも話を回して、会議室を押さえてくれ」
「分かりました」

世の中には、それこそ無数の試験が存在している。
ここできちんと食い止めておかないと、社会制度そのものが崩壊する危険性だってあるのだ。

クリスマスの公開以降、誰もが予想していた事態に、なんの対策も打てていない日本ダンジョン協会に頭を抱えそうになったが、なにしろダンジョンが社会に及ぼす影響を専門に受け持つ部署などないのだ。

せいぜいが広報部くらいだろうが、これは広報とは違う。無理矢理こじつければ一種の予防法務だが、あれは基本的に従業員の不祥事防止の意味合いが強いからな。


「最終的に、うちに回ってきそうな案件だよな……」

ダンジョン管理課は、ダンジョンの管理だけやっていたいところだが、実際は、探索者の管理も業務の範疇だ。

その延長で――というのは、充分に考えられた。

「ダンジョンが社会に及ぼす影響を事前に予測して、その影響を最低限に留めるなんてのは、ダンジョン庁の仕事だと思うんだがなぁ……」


、、、、、、、、、

三時間後、小会議室では、問い合わせがあった内容が、実現可能かどうかの会議が開かれていた。


「ある人物が世界ダンジョン協会会員かどうかは開示しても問題ないと思われます。日本ダンジョン協会以外がダンジョンの入り口を管理する場合、入ダン条件の確認にカードの提示を求められますから、それに準ずるものとして取り扱えるでしょう」


法務の職員が、手元の資料を見ながらそう言った。

「もっとも問い合わせに対応するコストをどうするのかという問題はありますが」

なにしろ、今回の問い合わせは短期間に大きな規模で行われる可能性が高い。
平常時にそんな問い合わせを捌けるだけのキャパを用意しているはずがなかった。

それを聞いた、システム管理部の職員が手を挙げた。

「ちょっといいですか」
「世の中のIDカードはすべからくそうですが、世界ダンジョン協会IDは登録された人間を管理するためのIDです。ですから、ある人間が世界ダンジョン協会IDを持っているかどうかを判断することは難しいですね」


彼は参加者の面々を見回して言った。

「おそらく名前や生年月日で検索することになるでしょうが、同じ日に生まれた同姓同名の人間がいたら当然誤動作します」


何しろ今回は対象が受験生なのだ。生年月日が同じなんて例は大量にあるだろう。
確率的に考えても、浪人を考慮しなければ、誕生日が同じ人間は千五百人以上いるのだ。

「登録住所まで一致すれば流石に本人でしょうけど、逆に言えば、登録住所と現住所が異なっていればマッチしませんし、入力ミスがあっても当然マッチしないことになります」


もちろん登録者には、自分の個人情報に変更があった場合、それを日本ダンジョン協会に通知する必要がある。

しかし、通知を忘れたところで何か罰則があるというわけではなく、単に郵便物が届かなくなるくらいの問題しかないが、日本ダンジョン協会から会員への郵便物は今のところ、最初のカードの送付以外ゼロなのだ。

住所の変更を忘れていたり、行っていなかったりする例がないはずがない。

彼は、机の上で組んだ指先を、神経質そうに動かしながら「所有の有無を証明する場合、そうとうザルになりますよ」と断言した。


「第一、現場で、かつ人力でチェックするのは相当無理がありませんか? 例えばセンター試験の受験票には、名前と性別、それに誕生日と顔写真しかありません。住所を聞き取って手作業で入力するなんて、狂気の沙汰ですよ」


会場によっては、四千五百人を越える受験生がいるのだ。手作業で確認するとなると、一人二十秒でも、のべ二十五時間かかることになる。

それを全国七百カ所に近い場所で一斉にやる? コストを考えただけでも投げ出したくなる案件だ。


「現実的には受験番号入力でしょう。それで、センターから検索に必要なキーワードを取得後、日本ダンジョン協会に問い合わせをするシステムというのが考えられます」

「それって法的に大丈夫なんですか? 少なくともうちじゃ、約款の変更なしに入試センターから直接個人情報を引き出せるようにするのは無理だと思いますけど」


法務の男は黙って議論を聞いていたが、法的な部分に話が触れると手を挙げて口を開いた。

「この場合日本ダンジョン協会は、問い合わせに対して単に世界ダンジョン協会IDを所有しているかどうかを答えるだけですので、冒頭で述べましたとおり合法です」


「いっそのこと、願書受付を締め切った段階で、まとめて問い合わせをもらって回答すれば、システムへの瞬間的な負荷もなくなって万々歳ですけど」


システム開発部の男がそう言って、諦めるように肩をすくめた。

「その後で世界ダンジョン協会カードを取得されると、意味ないですけどね」

センター試験の場合、願書受付を閉め切った後、約三ヶ月の期間があるのだ。

「もっとも問題はDカードなんですよね? 世界ダンジョン協会IDを持っていてもDカードを持っていない人はいるでしょうし、世界ダンジョン協会カードを持っていないDカードの所有者も、実は結構いるかも知れませんよ?」


我々の立場からすれば、いちゃ困るのだが、世界ダンジョン協会が設立されたのはダンジョンの出現よりも後なのだ。いないとは言い切れない。

最も入試センターも、そこまでは要求しないだろう。なにしろそんな特殊な人間が、大勢いるはずはないのだ。


「やはり、受験生の自己申告に任せるしかないのでは」
「後日の調査時に、申告に嘘がある場合は減点するなり失格にするようなルールを作って周知してもらうしかないですよ」


「結局現場での確認は難しいって事か?」

斎賀はそれまでの議論をまとめるように言った。

「そうですね。あらかじめこちらでサービスとAPIを用意して、向こうのコンピューターから直接問い合わせを勝手に実施してもらうのが、我々の対応としては現実的じゃないですか?」


窓口は用意したから。利用はそちらで工夫してね、というわけだ。

「うちで協力できる事があるとしたら、受験前の一定期間、受験生に向けた世界ダンジョン協会カード発行を停止するくらいでしょう」


事前調査の場合、試験センターからの問い合わせ以降に、世界ダンジョン協会カードを取得するという穴を塞ぐためだ。

それにしたって、浪人生の場合は年齢で弾くことが出来ないから、日本ダンジョン協会から試験センターの願書情報にアクセスできない限り取りこぼしはでるだろう。


「わかった、意見を聞かせてもらえて助かった。結果の詳細はうちの課でまとめて各部署に送らせてもらう。必要なら正式なプロジェクトを立ち上げることになるだろうからよろしくな」


そうして会議は閉会した。

参加者達は、口々に雑感を述べながら、会議室を出て行った。

「しかし、ついにこういう日が来たんだな」
「まあな。スポーツ界の方も、きな臭い感じだが、なにしろSFやファンタジーの現実化に、旧態依然の、といっちゃ可哀想か。現代の社会システムそのものが対応し切れてないんだから、過渡期にはそうとういろいろあるだろうよ」

「非探索者が、松明を持って押し寄せてくるのだけは避けたいね」
「やめろよ、火あぶりにされてるところを想像しちゃうだろ」

それを聞くともなく聞いていた斎賀は、全く同感だねと、内心相づちを打っていた。

そうして、誰もいなくなった会議室で、彼は椅子に深くもたれかかりながら、今の会議の議事録を眺めていた。


「Dパワーズのステータス計測デバイスみたいに、その場でぱっとわかる判定装置でもあればな……」


Dカードの研究はほとんど進んでいない。
というより、素材がありふれたものだと分かってからは、研究そのものが表だっては行われていなかった。

存在そのものがファンタジー過ぎて、とっかかりがなかったし、カードのそのものの利用ができない上に、代換えとして世界ダンジョン協会カードが普及した現在では研究の価値が下がっていたからだ。

もっともパーティシステムの公開で、再び復権してきてはいるようだが、それにしたってたった一月前のことなのだ。


判定装置など夢の又夢――

「まてよ?」

そう言えば鳴瀬が、以前計測デバイスの報告をしてきたときに、その欠点について何か言っていたような……


斎賀は、素早く立ち上がって会議室を出ると、ロビーでスマホを取り出して鳴瀬美晴に電話をかけた。


「はい、鳴瀬です」
「斎賀だ」
「課長?」
「お前、こないだDパワーズのステータス計測デバイスの欠点について何か言ってたよな。ほら、非探索者の計測がどうとか」

「ああ。ステータス計測デバイスは、Dカードを取得していない人間のステータスは計測できないそうです。弱点というか、Dカードを取得していない人にはステータスがないそうですよ」


「それだ!」

「は? 課長?」
「あ、いや、後で説明する。助かったよ」
「いえ、お役に立てたなら幸いです。それでは」

斎賀は自分のデスクに戻ると、問い合わせに関するレポートを書き始めた。なにしろDパワーズ案件だったため、自分でやるしかなかったのだ。

そうしてそれを書き上げたときには、すでに退勤時刻を過ぎていた。

今日は金曜日だ。
結局この情報が各部署に周り、センターやDパワーズに届くのは、週が明けてからになるだろう。



111 渋チー、そしてクマ男 1月
26日 (土曜日)


自衛隊の大規模ダンジョン攻略作戦時は、各階層をつなぐ階段の上と下に無線中継器が持ち込まれ、それらがケーブルで接続される。

NECの野通《やつう》のダンジョンバージョンだ。それで通信環境を確保するらしかった。
もちろんダンジョン内機器の大敵であるスライムを始めとするモンスターからそれらの機器を守るため、拠点防衛に数名の自衛隊員が配置されていた。


今回、三十一層までそれが繋がっているとすると、百名以上の人員が動員されているということになる。

交代要員も入れると更にその倍だ。

「やっぱ組織って凄いよな」
「数は力ですからね」

うちもアルスルズの力によって、事務所との緊急連絡手段は確保しているとは言え、ダンジョン内から外部のネットワークに接続できたりはしない。

一般にも開放して欲しいところだが、クローズドな軍用だけに混ぜるわけにはいかないだろうし、作戦時以外でも常時維持するとなるとコストが折り合わないのだろう。

将来的にセーフ層が開発されたりした場合、そこから地上への連絡手段は、コストがかかったとしても実現されるだろうが。


各階層の出入り口に自衛隊員が駐留している現状は、頼もしくもあったが、時にそれが煩わしい問題を生むこともあった。

それは、ちょうど十一層へ降りたところで起きた。そこにあった通信拠点っぽいものには、通常の倍くらいの人数が居たのだ。


十層の拠点に常駐することは、生者に寄ってくるというアンデッドの性質上難しいから、十一層にいて、機器をカメラ等で監視、問題がありそうな場合だけ十一層から派遣という運用なのだろう。

だが、通常の拠点業務に必要な倍の人員は、彼らに暇をもたらしていた。

そこで俺達は声をかけられ、思わぬ時間を取られたのだ。
原因は、俺達の恰好だった。三代さんは多少マシとは言え、俺達三人は初心者装備だったのだ。

「モロ初心者装備で深いところに潜ると目立つんだって、忘れてたよ……」
「まあ、その装備は、普通四層までですよね」と三代さんが笑った。

「俺達の体力じゃ、どうせ攻撃を受けたらアウトなんだから、紙でも板でも関係ないと思うんだけどなぁ」

「芳村さん。それはあまりに極端ですよ」

どうにかこうにか彼らを丸め込んだ俺達は、荷物の中から前に使っていたマントを取り出して装備すると、予備をマイトレーヤの二人にも渡しておいた。

十一層では少し暑いが、これで悪目立ちすることは防げるだろう。

マイトレーヤのフォーメーションは、十七層までは通用していた。

俺は、下ふた桁を調整した後は、基本的に彼女達に攻撃を任せてポーターに徹していた。
後は、時々ドリンクを渡して、水分を補給させる係をやっているくらいだ。

「やはり、小麦さんのドロップ率はなかなか凄いですね。先輩に迫りますよ」

と、三好がタブレットを見ながら言った。
こいつも、周囲はアルスルズに任せっきりで、自分はマイトレーヤの二人の統計を取ったりしているだけだった。


途中、グラスが、グレイサットと入れ替わってきたとき、あらかじめ予定していたとおりにキャシーの下にある各メンバのステータスをこっそりと調整した。

今日からブートキャンプが始まっているのだ。
これでうまくいってれば、この事業は、ほぼ完全にキャシーと2頭の子犬に任せることが出来るようになるだろう。


「何かあったら、メモリカードが届くはずですから、多分大丈夫ですよ」
「初回くらいは、かかわらないにしても近くにいたほうが安心だったんだけどな」
「事情が事情ですから、しかたありません」

そうして、十八層への入り口が見えてきたところで、小麦さんが散らばっていた犬たちを呼び戻した。


「ウストゥーラ、戻っておいで」
「ウストゥーラ?」

アーサー王の犬だったカヴァス達が、アルスルズってのはまあわかるけど、ウストゥーラってなんだろう?


「まとめて呼ぶときは、ウストゥーラって呼ぶことにしました。クー以外は、神話からの拝借ですし、
mythsというのも考えたんですが、発音が……」


まあ、
class=SpellE>th音に続いて
sだもんなぁ。しかもその前の母音が
class=SpellE>iなんて、下と唇が忙しくて仕方がない。カタカナで書いちゃえばミススだけど、言いにくいことに変わりはない。

てことは、ウストゥーラってのは、神話関係の言葉なのか。

「音は格好いいけど、何語なんです、それ?」
「アラビア語です。神話とか伝説とか寓話とか、そういう感じの意味なんです」

「アラビア語? なんとマイナーな」
「先輩。アラビア語って、母語人数で言うと、中国語、英語、ヒンディー語、スペイン語に次いで、世界第5位ですからね。日本語の倍くらいはいますよ」

「え? そうなの?」
「なにしろコーランの言語ですからね。ただ、滅茶苦茶バリエーションがあるので、私たちにはどれがなんだかさっぱりですけど」


集まってきたウストゥーラの四匹は、無事にハイディングシャドーが使えるようになったらしく、小麦さんの影へと潜っていった。

最初はこれが使えなくて焦ったのだが、アルスルズが、ウストゥーラと何か話をしているような様子を見せると、徐々にそれが出来るようになっていったのだ。


因みに、アヌビスは最初からできた。
本人は当然だとばかりに胸を張っていたが、仲間に教えるのはヘタクソのようで、アルスルズに一任していたようだ。


「あいつが人間だったら、きっと、ひょいっと影に飛びのって、すすーと潜ったらできるよ、とか言ってるに違いないな」


感性型ってやつだ。

「何か今、無能な雄にディスられたような気がしたのだが?」

小麦さんの影から、ひょいと頭だけを出したアヌビスがそう言った。

「ち、違うぞ? アヌビスは天才型だから、同じ天才にしか教えられないだろうって言ったんだよ」

「ほう。少しは分かるようになったではないか。精進しろよ、雄」

そう言って、再び影の中へと沈んでいった。

「はー」
「お疲れ様です」

三好がクスクスと笑いながらそう言った。

あいつら、影の中からでもある程度外の様子が分かるようだし、アヌビスは喋るから意思疎通もバッチリだ。

スパイでもやらせたら無敵だな。

、、、、、、、、、

十八層へおりた俺達は、そのフロアのあまりの変貌に驚いていた。

以前と同様、黒っぽい大地の上には、大きな岩がゴロゴロと転がる荒涼とした風景が広がり、鋭く切り立った崖の下には、何処までも雲海が広がっていた。

初めてここに来た二人は、その光景に唖然としていたが、俺達はその反対側に唖然としていた。

「なあ、三好。ここはいつからエベレストのベースキャンプになったんだ?」

バティアンを臨む階段の付近には、一本のポールが誇らしげに立てられ、多くのカラフルなタルチョが結ばれていた。

その数が、ここを訪れている探索者のパーティの数を想起させた。

タルチョというのは5色の旗で、チベット仏教のアイテムだが、実際はそれ以前からあるアニミズム的な宗教であるボン教時代からあったらしい。


「それぞれの色が五大を表しているそうですからね、魔法のあるダンジョンとは相性が良いのかもしれませんね」

「しかし、ここで祭壇を作って、プジャでもやってるのか?」

エベレストに登る前には、ラマ僧を呼んでプジャという山の神に祈りを捧げる儀式が行われるそうだ。


「太鼓叩いて、小麦でも撒きます?」
「呪文がわからんからパスだな。あと小麦塗れになりたくない」

「あの旗には経文が書かれていて、旗がはためく度に、それを読んだことになるそうですよ」

小麦さんがそう言って、はためく沢山のタルチョを見上げた。

「そりゃ凄い」
「マニ旗っていうんですけど、マニって宝珠とか宝石って意味ですから、マイニングの宝珠を祈願するにはぴったりなのかも知れませんね」


始めたやつはたぶん単なる登山ヲタだと思うけれど、探せばどこかにぴったりと収まる理屈があるもんだな。

俺は感心しながら、テントを張るのに良さそうな場所を探し始めた。

そうして俺達がテントを張ったのは、テントが密集している場所から少し離れた開けた場所で、身長くらいある大きな岩の影になった所だった。


「崖の側は落石が怖いし、うちはどうせアルスルズ達が頑張ってくれるから、人のいない少し開けたところの方が向いてるよな」


俺は、パックからテントを取り出すと、グランドシートの敷設予定スペースにある大きめの石ころを取り除いて、シートを広げ、その上でテントを広げた。

気温の変わらないダンジョン内で使われるダンジョンモデルは、保温性を重視した通常モデルと違って、メッシュ部分が大きくとられていて通気性も悪くないはずだ。そして何より難燃性の素材が使われているがいい。


フライシートとインナーテントは、すでに取り付けたまま収納してあるから、二本のフレームを差し込むだけで簡単にテントは立ち上がった。

流石に軽くてお手軽だと勧められただけのことはある。

しかし、そこで俺ははたと気がついた。

「ペグ、打てないじゃん!」

なにしろ岩肌がむき出しの所も多い。ダンジョンの壁じゃなかったとしても、ペグが深くは刺さらないのだ。


「そう言うときは、コンビニの袋みたいなのに石とか詰めて、テントの四隅においておくと良いですよ」


途方に暮れていると、三代さんが近づいてきてそう言った。
流石野営経験者。実際、ペグが打てない場所は沢山あるので、大抵は石や荷物で代用するそうだ。


「張り綱を石で固定したりもしますけど、ダンジョン内は、突然強風が吹いたりしないので、重しだけでも大丈夫みたいですよ」


そう言いながらも、張り綱を石に固定するための、エバンスノットという結び方を教えてくれた。

先に作った輪っかの大きさを自由に変えられるため、いろんなものに輪を通して固定するのに便利な結び方だ。


「お、先輩。早速経験値をゲットしてますね」
「ほんと、やってみないと分からない事って多いよな」
「まったくです。早く横浜もOKがでませんかね」
「そういや、お前、鳴瀬さんにダンジョン特許についての申請方法を聞いてたみたいだけど、Dファクターによる進化の件か?」


俺は二つ目のテントを張る場所の石をどけながらそう聞いた。

「はい。今のままでもいけると思うんですが……これ以上は、あの踊り場や階段がないとちょっと詰め切れませんね」

「そうだな」

俺は二つ目のテントを立ち上げると、二人から預かっていた荷物――たぶん、タオルや下着類だと思う、を取り出して、食事まで休んでいるように言った。

朝5時に出発してから1一時間。普通の倍のペースで十八層までやってきたから、初めての二人は結構疲れているはずだ。


「何かお手伝いしましょうか?」
「いや、大丈夫。今日は強行軍で疲れたろ? 今お湯を用意するから」

そう言って俺は、バックパックから、布製の洗面器を取り出すと彼女たちのテントまで言って、そこに四十六度のお湯を水魔法で作り出した。


「え? 水魔法って、お湯も作れるんですか?」
「なんかやったら出来たぞ。クリエイトウォーターって普通温度のことを考えないよな? それを考えるようにするだけだった」

「それって、結構すごいノウハウじゃないですか?」

もっとも狙った温度の水を作り出すには、訓練が必要だったし、高温や低温になるほどMPが沢山必要だったが。


「じゃあ、お湯はここに置いておくから」
「ありがとうございます」

一応ルーも組み立てて、ルーの足を石で固定しておいた。ふりかけと簡易トイレ用の便座をおいておけば完成だ。


竈の設営場所に戻ると、三好がアルスルズ達に周囲のガードの指示をしながら、魔結晶を与えていた。


「アルスルズが増えたから、魔結晶消費量も一.五倍だな」
「そこは仕方がないですねぇ。今度から私一人で十層へこもっても良いですけど」
「いや、それはまだやめとけ。いくら十層無双ができるって言っても、そのほかのトラブルが怖いしな」


主に人間とかな。

「わかりました。それで先輩、晩ご飯は何ですか?」

そろそろ薄暗くなる頃だ。手早く準備できるものがいいだろう。

「そりゃ、男のキャンプ料理ったら、カレーかBBQだろ」
「手が込んでない! 珍しいですね、先輩」
「カレーはレトルトとかいってごまかせるから、一日目の今日は、生ものを使うBBQにしとくか」


そう言って俺は五十センチくらいある鉄板を取り出した。
料理にも使うけど、これはあくまでも盾だから。だから少しくらいかさばってもしかたないんだ。うん。


「だけど先輩。匂いってモンスターを集めたりしないんですかね?」
「それな。実は平気なんじゃないかと思うんだ」

「嗅覚は、最も原始的な感覚だけに、それは食べることと生殖に直結してるだろ?」
「食べられるものと食べられないものの区別や、フェロモンの受容で発達したってことですか?」

「そうだ。で、翻ってダンジョンのモンスターにとってみれば、今のところどちらも大して重要じゃないように見える」

「ですね」
「つまり嗅覚というもの自体に依存することがあまりないんじゃないかと思うんだ。アルスルズ達だって、匂いというより別の超感覚みたいなもので索敵をしてるじゃないか」


視覚と聴覚、それに超感覚でモンスターは対象を捉えているように思える。

「丁度、それほど密度のないモンスター分布と、アルスルズ達が近づいてくるモンスターを遠距離から捉えられる広い空間と、比較的安全なポジションがあるんだ。せっかくだからそんなテストもやっておかないとな」


プレートを竈の上に置いて熱し始める。少しはみ出させて焼く場所と保温する場所を作るのがポイントだ。


「もっとも、一番の根拠は他にあるんだけどな」
「なんです?」
「だって、八層の豚串屋、一度も襲われたことがないだろ?」
「ああ!」

あれだけ一日中美味しそうな匂いを振りまいておいて、八層の拠点がそのせいで襲われたという話は聞いたことがない。

もしもそんな事態が起こっていたら、あそこの営業はとっくに終了してるはずだ。

つまりは、匂いそのものはモンスターを引き寄せないのではないかと思うわけだ。

「美味しそうな実験は歓迎ですよ。ついでに焼きそばで水増ししましょう」
「了解。ソースは?」
「そりゃ、オタフクの焼きそばソースが鉄板ですよ。ちょっと太麺で」
「マルちゃんの粉末タイプも捨てがたいぞ。あの豚肉の脂と一緒になったときの旨味にはなかなか侮れないものがある」

「単体だと素っ気ないですけどね」
「豚バラと使ってこそ至高だな」

油を引いて、お肉と野菜を並べたら、いかにもな感じでパックに入れた豚肉とキャベツと焼きそばを取り出した。


「うわー、なんだか良い匂いですね?」

どうやら体を拭き終わったらしい小麦さんがやってきた。

「そういえば、ヘルハウンドって何を食べるんですか?」と小麦さんが三好に聞いた。
「アルスルズは、人用のご飯も美味しそうに食べますけど、あくまでも嗜好品的な位置づけみたいです。Dファクターさえあれば何も食べなくても平気みたいですけど――」


と言ったところで、グラスがひょっこりと影から出てきて、悲しそうに首をフルフルとふった。

「って、具合に嗜好品として要求してきます。あんまりやり過ぎると調子に乗るから、ご褒美に上げるくらいで丁度良いですよ」

「へー、ドッグフードとかは食べないんですかね?」
「うちではやったことがないですね。というか、味がないといまいちそうですから、人間みたいな味覚だと考えていいんじゃないでしょうか。消化酵素の問題だとか、そういうのも考えなくて良さそうですし」

「不思議ですね」
「ですよね。排泄するのを見たことがないですから、たぶん食べたものは、なんでも完全に分解しちゃうんじゃないかと思います」

「ウストゥーラたちも、食べますかね?」
「食べると思いますよ。ちょっとサンドイッチでもやってみますか?」

そういうと三好は、俺に向かって手を出した。
俺は苦笑いしながら、ハムサンドのパックをバックパックから取り出したように見せると、彼女に渡した。


「どぞ」

三好がそれを小麦さんに渡すと、彼女はアヌビスを呼びだした。

「アヌビス」
「むっ。食事か? 我々は何も食べなくても平気――」

そう言いかけたアヌビスの前に、小麦さんがハムサンドを突きだしていた。

「まあ、食べることも出来る……ぬぉっ! なんと主達の食べ物というのはなかなか美味いではないか!」


そう言ってハムサンドを食べるアヌビスを、グラスがコクコクと頭を振りながら見ていた。

「順番に食べたら、アルスルズと協力して、まわりの警戒をしてくれる?」
「良いだろう。我々に任せておけ。クー、貴様はテントの前で番犬だ」
「ばうっ」
「ガルムとライラプスは我と来い」
「「わふっ」」

「周辺だけで良いぞ。あと、基本的に隠れとけよ。他の人間に見つかると、間違って攻撃されるかも知れないからな」

「野蛮な連中はこれだから困る」

アヌビスは四つ足で肩をすくめるという器用な真似をしてそう言った。

「それから、山の上には絶対に登るな」

俺は真面目な顔をして、アヌビスにそう言った。

「山の上……というと、あそこか?」

アヌビスは、バティアンの方を見上げながらそう言った。

「そうだ。分かるのか?」
「あそこはパスだ。我では相手にならんな」

ってことは、やっぱりエンカイは復活してるのか。
そういや、俺、丁度下ふた桁が九九なんだよな……いやいやいやいや、やはりそれはないな。

「なんだ、わきまえてるんだな」
「当たり前だ。相手と自分の強さも測れないバカは早死にするだけだ」
「そうだな」

順番にサンドイッチを食べてから、周辺の警戒向かった三匹を見送ったころ、三代さんも、弓の手入れを終わらせてテントから出てきた。


「はー、お腹ぺこぺこです」
「じゃ、食べようか。といってもただのBBQと焼きそばだけど」
「いや、ダンジョン内でそんなもの、普通食べられませんから」
「そうなのか」
「生ものは重いし、やはりレトルトやミリ飯が主流ですよ」

ミリ飯には、缶詰タイプもあるが、それだと重いため基本はレトルト型になるようだった。
温めは、発熱剤と発熱溶液がセットになったタイプと、加熱剤に少量の水を利用するタイプの2種類があって、いくつかの企業がしのぎを削っている分野らしい。


「もともとの開発経緯もあって、どうしても味が濃いものが多かったんですけど、最近では探索者向けミリ飯には、普通の味付けのものも登場していますよ」

「へー」
「だけど、結構高いんですよね」

まあ、それはそうだろう。
だが、ダンジョン内で泊まらなければならないような階層に到達している探索者にとっては、どうということはないのかも知れなかった。


そうして俺達は、鉄板を囲むようにして、食事を始めた。

、、、、、、、、、

「おいおい、あの大分離れたところでメシ喰ってるヤツ、ここをキャンプ場か何かと勘違いしてるんじゃないだろうな?」


今日の狩りを終えて戻ってきた、林田がそう言った。

「なんだか良い匂いがするね」と東が鼻をひくひくさせる。

確かに、肉を焼く香ばしい匂いがここまで漂ってきていた。
あれってモンスターを呼び寄せたりしないのか?

「ミリ飯も、今じゃそれなりにバリエーションがあるとは言え、さすがに飽きたよな」

大建《おおだて》がサバイバルヒーターに加熱剤といろんなレトルトを突っ込んで水を入れながらそう言った。

温まるのはいいが、これが意外と時間がかかるのだ。

「あいつら、昨日はいなかったぞ? 今日来たばっかじゃないか?」

喜屋武《キャン》が、露骨に興味を顕わにしながら、そちらを見ている。

「軍っぽくはないけど、深層で見かけたこともないな。他のダンジョンからの遠征組か?」
「十八層まで来られるのに、俺達が代々木で見たこと無いってことはそうじゃないの?」

東も自分のレトルトパックをサバイバルヒーターに入れながら、そちらを見もせず、そう言った。


「んー、なかなか可愛い子が揃ってるみたいだし、代々木のトップチームとしては、親交を深めにご挨拶に言ってきますかね」


喜屋武《キャン》は自分の食事の用意もせずに、ベースのスペースから出ようとしていた。

「おいおい、この辺はベースキャンプ化してて、かなり安全になってるとはいえ、一応十八層なんだからな。面倒を起こすんじゃねーぞ」


見た目と違って常識人のデニスが喜屋武《キャン》に釘を刺した。

「分かってるっての。俺たちゃ一応代々木の人気もんなんだからさ。向こうだってウェルカムってもんだろ?」

「なんで喜屋武《キャン》ってそんなに自信満々で能天気なの」

呆れたように東が突っ込む。

「そりゃ、イケメンだからな」
「自分で言うなよ」

喜屋武《キャン》が向こうのパーティへと向かうのを見た林田は、「ち、仕方ねぇ……」と舌打ちをすると、立ち上がってそれを追いかけた。


「林田はあのナリと言動で、意外と責任感があるからな」
「でなきゃ、うちのリーダーなんかやってないでしょ」
「ま、そうだな」

大建《おおだて》と東は、我関せずといった態度で、二人の後ろ姿を見送っていた。
デニスは、「ああもう、勘弁してくれよ……」と言いながら、二人の後を追うために立ち上がった。


、、、、、、、、、

「へんはい」

三好が、椎茸を口にくわえながら、俺に注意を促した。
向こうのキャンプが密集している場所から、二人……いや、三人か。男達が、こちらに向かって歩いてきていた。


「アルスルズやウストゥーラに、いきなり襲ったりしないように言っておいてくれよな」

小麦さんは、もぐもぐと牛肉を頬張りながら、コクコクと頷いた。

「ハイ、君たちどっから来たの?」

近づいてきた大柄な男は、開口一番そう言った。
なに? もしかしてナンパなの? ダンジョンの十八層で?

「どっからって、上からですけど?」
「はーい、ざんねーん。君には聞いていなーい」

は? なに言ってんだ、こいつ?

「てか、君って何? 可愛い子三人連れちゃってさ。ハーレム王かなんか?」

それを聞いて、小麦さんが、ぷぷっと吹き出した。

「お。面白かった? なんだ、君もカワイイねぇ」

そう言って、大柄な男が小麦さんに近づいていく。
後ろで、少し日本人離れした顔をしている男が、あちゃーとばかりに、右手で顔を覆っていた。

「俺、喜屋武《キャン》っていうんだ。渋チーって知ってる? そこのフロント」

そうして彼が、小麦さんの肩に手をかけようとした瞬間、まわりからピリっとした空気が流れてきた。

日本人離れした顔の男が、はっと顔を上げると、チャラそうな男と顔を見あわせて辺りを見回した。


「先輩。まずくないですか?」

三好がこっそりと俺に囁いた。
アルスルズは、三好にちょっかいをかける人間で結構訓練されているが、ウストゥーラは召喚されたばかりで、そのあたりの機微に疎い。


「そうは言っても、どうするんだよ。そのままだと死にますよ、って言うのか?」
「喧嘩を売ってるだけにしか聞こえませんね、それ」
「だろ?」
「まあ、相手は渋チーのフロントだそうですから、それなりにVITもあるでしょうし、多分いきなり死んだりはしないと思いますけど」


いや、お前たぶんってな……
その会話が聞こえたのか、チャラそうな男が、目を剥いてこちらを見た。

大柄なイケメンは、その辺鈍感なのか、相変わらず小麦さんにちょっかいをかけている。
三代さんは、介入して良い物かどうかわからなくて、アワアワしていた。

「おい、喜屋武《キャン》!」

俺達の会話の断片が聞こえたらしいチャラ目の男が、大柄な男に向かって警告した。

「なんだよ。今、親交を深めてるところだろ? ねえ、君、名前なんて言うの?」

そういって小麦さんの隣に座り、その腰を抱こうとした瞬間、足下から黒い何かが吹き出して、彼の体に巻き付いた。

まずい。人前で喋るなとは言ったけど、殺すなって言ったっけ?

「――殺すな!」

その瞬間に俺が発した、殺気というか、覇気というか、闘気というか、おそらくはそう言うものが、まるで物理的な力を持っているかのように、顔が半分埋まったところで暗黒の包帯を押しとどめた。


「我が主に手を出すようなものは、死んでも仕方がないだろう?」

俺の耳の後ろにできた影からアヌビスが小さな声で囁いた。

アヌビスは喋る。
だから極端なことを言っているように思えるが、これは召喚された従魔に共通する思考だと考えた方がトラブルを避けられそうだ。


アルスルズも、三好のお願いをかなえる形で、シャドウバインドやシャドウピットを使い始めた。

もしも、最初から三好が丁寧に教えていなければ、襲ってきた奴らは今頃全員死体になっていたはずだ。


「俺達の世界でそんなことをすると、お前の主が困ることになるんだよ」
「面倒なものだな。では後は任せたぞ、雄。無能を返上して見せろ」

アヌビスがそう言うと同時に、黒い包帯は霧散して、包まれていた男が仰向けに倒れた。
外傷はなさそうだが、中身はどうなってるかわからない。何しろゾンビやスケルトンは、溶けるように消えて無くなっていたのだ。


「ちっ」

俺は舌打ちすると、バランスポケットに手を突っ込んで、保管庫からポーションをひとつ取り出した。

尖端のポッチを折りながら、倒れている男に近づくと、それをむりやり口に突っ込み、中身を流し込んだ。

男の体は、一瞬、微かに淡い青に包まれた。たぶんこれで大丈夫だろう。

「い、今のはなんだ?」

唖然として固まっていたチャラい男が、青い光で目を覚ましたように尋ねてきた。

「今の? ヒールポーションのことか?」
「ちげーよ! 今、喜屋武《キャン》のやつをなにか黒いものが――」

『こっちの方から、すごい気配がしたんだが、何かもめ事かな?』

そう言って、チャラい男の言葉を遮りながら現れた男は、一言で言うと熊だった。

太い手足にがっちりした体つき。二m近くありそうな身長に、ビューティフル・デイに出た時の、ホアキン・フェニックスによく似た頭がくっついていた。

熊といえばホアキンは、ブラザー・ベアで、キナイの声もやってるからぴったり……いや、どうでもいいか。


「なんだ、おっさん?」

言葉を遮られた林田が、突然現れたクマ男に食ってかかるのを見て、日本人離れした男が「げっ」と声を上げた。


「なんだ、デニス、知ってんのか?」
「むしろお前は何で知らないんだよ!」

有名人なのか? 実は俺にも彼が誰だか分からなかった。
方向を相当絞ったつもりの気合いを捕らえて顔を出すからには、かなりの実力者であることは間違いないが……


「三好、知ってるか?」
「そらもう。超有名人ですよ。代々木に来てたんですね……」

三好はそういうと、現れたクマ男を見上げていた。


112 クマ男の正体 1月
26日 (土曜日)


『ミヨシ? もしかしてあんた、アズサか?』

クマ男は、自分を見上げる女性の名前を聞いて、確かめるようにそう聞いた。
三好は軽く頷くと、右手を差し出した。

『初めまして、Mr.マルソン。でもどうして私のことを?』

マルソンは、その手を握りかえしながら言った。

『そりゃ、わざわざ代々木までやってくる外国の探索者で、現代のレジェンドを知らないやつはいないさ。こんな可愛らしいお嬢さんだとは思わなかったが』


それを聞いた俺は、思わず吹き出した。

『彼は?』
『あー、その失礼な男は、ケイゴ=ヨシムラ。私のパーティメンバーです』
『ヨシムラ?! 彼がか?』
『え、ご存じなんですか?』
『私はこれでも、結構アメリカに貢献していてね。彼のことはサイモンから聞いたぞ。”侮るな”って』


マルソンは、下手なウィンクをしながら、三好に向かってそう言った。
サイモンのやつ、何を言ってくれちゃってんの。

『芳村です。侮るもなにも、単なるGランク冒険者ですから』
『ランサム=マルソンだ。ランスと呼んでくれ』

彼は自分に向かって差し出された俺の右手を力強く握りながら笑った。

『Gランクが十八層にいたら、それは異常な奴だから侮れるはずがないよ』

「先輩。彼があのキングサーモンさんですよ」
「「マジで?!」」

俺と同時に声を上げたのは、憮然として立っていたチャラい男だった。
いや、何でお前が驚くんだよ。

『彼は? 君たちの知り合いか?』
『あ、いやー、そういうわけでは。会ったのは今日が初めてですね』
『ふうん』

チャラい男は、自分の方を指しながら行われた会話に、なにか自分が話題になっているようだと感じて尋ねた。


「おい、なにを話してるんだよ?」
「いや、あなたが誰なのかって」
「おう。それで?」
「今日初めてあった人で、誰だか知らないと」
「おまっ、俺を知らないわけ?!」

あれ? なにか有名な人だった?
そういや、あの大男が渋チーのフロントとか言ってたから、彼も関係者なのかな。

『そう言えば、アズサのパーティメンバーは彼以外にも?』
『いえ、彼だけですけど、なにか?』
『じゃあ、彼のことだな。印欧の社交界じゃ、魔法使いって言われてるぞ、君』
『はい?』

いきなりそう言われて、俺は面食らった。
海外渡航禁止を要請されている俺達が、なんで海外で有名なわけ?

『先輩。三十歳まで純潔を守れば――あたっ!』

言うだろうと警戒していたら、こいつ、本当に言いやがった! 俺はとりあえず三好の頭にチョップをカマして、彼女を黙らせた。


『アーメッド氏の娘に何かしたんだろう? 向こうじゃ魔法使いに救ってもらったって話が広がってて、怪我で一線を退いたやつらや、その雇用主、果ては若さを取り戻したい連中なんかが、虎視眈々と日本の魔法使いと知り合うチャンスを窺っているらしいぞ』

『ええ?』
『事故で回復不能だと噂された娘が、すっかり美貌を取り戻して社交界にデビューしたんだ、何かあったことだけは隠しようがない。それについて聞かれても、アーメッド氏は、魔法使いに会って助けてもらったという以外、何も口外しようとしないんだ。それで、逆に噂話が大きくなったきらいはあるな』


そういえば、以前モニカに似たようなことを言われたことがあったっけ。あのときは何のことだか分からなかったが、このことだったのか!


『アーシャ、元気そうで良かったですね』
『確かにそれは良かったけど……まさかそんなことになってるとはなぁ。だけど、なんでそれだけでうちだと分かったんです?』

『そりゃ、鎌をかけたからさ』
『はへっ?!』

ランスが笑いながら説明してくれたところによると、向こうではそれが大きな噂になっていることは確かだし、魔法使いとコンタクトを取りたがっているというのも事実だそうだ。

そして、アーメッド氏が訪日中にあった事件として、二回目のオーブオークションが行われたことと、そこに「超回復」というオーブが出品されたことまでは知られているらしい。


『だが、彼女が事故にあったのは、ダンジョンが誕生する遥か以前の話だ。娘にDカードを取得させて欲しいという彼の願いが、各国の軍にも匙を投げられていたことは、一部じゃ有名な話なんだ』


まあ、あのオッサンじゃ、所構わず偉い人に直訴して歩きそうだしな。
ある程度目立つのは仕方がないだろう。

『だから、皆、超回復が使われたのではないかと疑いながらも、決定的な証拠は握れないでいたわけだ。だが、やはりそうだと分かってスッキリしたよ』


サイモンと言い、ランスと言い、どいつもこいつも油断ならないやつらばっかりだな……探索者のトップエンドって、こんなやつらばっかなわけ?


『あー、その話は、余り広めないでいただけると助かるんですが……』
『もちろん、アズサ達を敵に回したりはしないさ。それはバカのやることだ。だが――』

彼は少しだけ言いよどんだが、結局その先を続けた。

『ここだけの話だが、その依頼は私のところにも来た。それでアーメッド氏と知り合ったわけだがね』


まあ、軍に振られたら一般の上位に話を持っていくのは必然だろう。藁にもすがるってやつだ。

『だが、両腕と片足がなく、何年も車いすの上で過ごした人間に、独力でモンスターを倒させる? 誰がどう考えても不可能だ。少なくとも私には不可能に思えた――』


ランスは、突然真剣な顔で尋ねてきた。

『一体、どうやったんだ?』

まさかストローと足の裏で、と正直に言うわけにもいかず、『それは企業秘密です』としか答えるしかなかった。


そう言えば、あのとき俺達の後を追ってきたのはイギリスだった。十層で、ファントムデビューしたときも追いかけてきていたのはおそらくイギリスだ。

もしかしたら、あのとき以来、俺達イギリスにマークされちゃってるんじゃないだろうな?

『まあ、そうだろうな』

つまらないことを言って悪かったなと、ランスは俺達に謝った。

「芳村さん。焦げちゃいますよー」

その時、三代さんの声が聞こえてきた。

『あー、食事中だったんですけど、よかったらランスも一緒にいかがです?』
『おお。それはありがたいな』

ランスは、ちょっとビールをとってくる、と、一旦自分のキャンプへと戻っていった。
って、ダンジョン内に酒を持ち込むとは……

「先輩。うちもドリーの中にありますよ」
「いや、うちと違って、ビールのパックとか、重いだろう」
「まあ、あの体格ですし、今の十八層なら誰かの依頼でしょうから、ポーターもいると思いますよ」


三好が去っていく彼の背中を目で追いながらそう言った。

それにしても、いつの間にか、三代さんが調理役をやってくれてたのか。

「渋チーが来たと思ったら、今度はキングサーモンさんですよ? もう展開について行けなくって。料理でもしてたほうが落ち着くので任せて下さい!」

「そう? じゃあ、よろしくね」

そう言って、俺は、お肉と焼きそばを増量した。

「だけど、なんでキングサーモンなんだ? どっちかというと、グリズリーだよな」
「確かにぎりぎり生息域ですね、バンクーバー」

そう言って、三好が笑った。

「彼が初めて有名になったとき、
class=SpellE>Lansom
Malson の姓と名を見て、どちらもアナグラムで、salmon になるって気がついた人がいたんですよ。で、ダブルサーモンとかミスターサーモンとか呼ばれ始めたわけです」

「本当だ。面白いな」
「その後は、みんなが知っているとおり、めきめきとランキングを上げて、一般の探索者の中では事実上ずっと首位にいるようになったためキングと言われるようになったんですが、それまでの名前と、バンクーバー周辺の出身だったことも手伝って、自然とキングサーモンと呼ばれるようになったそうです」


「へぇ、そうだったのか」

そう言ったのは、さっきまで呆然としていたチャラ夫君だった。ええっと――

「林田だ。林田│康生《こうせい》。渋チーのリーダーをやってる」

そう言えば、鳴瀬さんが、テンコーさんと並んで、市ヶ谷の管理課で必ず覚えられる探索者の双璧だとか言ってたな。彼がそうなのか。


「どうも。芳村です。って、なんで、まだ、ここにいるんです?」
「いいだろ。せっかく世界のトップエクスプローラーが来てるんだぞ? ここで、帰れるかよ」
「でも、言葉は?」
「こいつが居るから平気だ」

林田は、さっきの日本人離れした顔の男をヘッドロックしながら言った。

「ちーす。半分リトアニア人の、デニス=タカオカっす。以後お見知りおきを」

デニス=タカオカは、渋チーの斥候らしい。
お母さんがリトアニア人で、スタートアップの現場で恋愛して結婚、今は日本の支社にいるとかなんとか。

そういや、バルト三国は、今やIT先進国だよな。だけど――

「それって、ソ連崩壊してすぐの頃じゃないの?」

彼がいくつか知らないが、二十は過ぎてるだろう。なら確実にソ連が崩壊して十年以内だ。

「まあ、そっすね。うちの親父も独立を回復したばっかの国によく行ったもんですよ」
「バルト三国の美人に引かれたとか?」
「あー、多いって言いますけど、普通ですよ? 日本だっておしゃれな場所に行けば、美人”っぽい”人一杯いるでしょ。あんな感じです」

「へー……って、バルト三国って、英語じゃないよね?」
「それぞれの国の言葉ですけど、リトアニアじゃ若い世代は英語も話しますね」

彼の話によると、バルト三国では、若い世代で英語を学ぶ者が増えた分、ロシア語を学ぶものが減っているらしい。

とくに北側のエストニアとラトビアは、ロシア語が母語のロシア系住民の数が多いにもかかわらず、それぞれの母国語話者がロシア語を学ばなくなったため、住民間のコミュニケーションに支障が出始めているのだとか。

そう言ったロシア語話者の問題は、一種の社会問題になっているそうだ。どの国にもいろいろあるんだな。


「ソ連時代の外国語って言うとドイツ語だったらしくって、上の世代は英語がだめでドイツ語が話せる人が多いっすね」

「というわけで、こいつはうちのチームの外国語担当なんだ」

そこで三代さんが、お肉や焼きそばをのせた皿を持ってきた。

「焼けましたよ、どうぞ」
「あー、俺達も喰って?」

ダンジョン内の食料は貴重だ。深層では特に。
だから当たり前のようにそれを受け取ったりはしない。遠慮のなさそうな渋チーですら、一応確認してくるくらいだ。


「貸しですよ」

俺は笑いながらそう言った。

「悪いな。ミリ飯はちょっと飽きたところだったんだ」
「残してきた連中が文句を言いそうっすね」

二人は嬉しそうに三代さんから皿を受け取ると、早速それにかぶりついた。

『いや、お待たせ、お待たせ』

丁度その時、ランスが六缶一パックのビールを二パック持ってやってきた。

『夜は長いよ。一緒に楽しもう!』

そう言って彼は、350ミリリットル缶を皆に配りながら、料理の皿を受け取り、あたりまえのようにプルタブを引いた。

一応断っておくが、ここは十八層だ。世界って広いんだなぁ……

、、、、、、、、、

俺達は、三代さんと小麦さんを、うちの契約探索者だとランスに紹介してから、彼の語る探索譚を聞かせて貰った。

もちろん多少は盛っているだろうが、探索者歴が長く、世界中のいろんなダンジョンに潜ってきた彼の話は面白かった。


『だけど、どうしてアメリカに貢献してるんです? バンクーバーってカナダですよね?』
『ああ、私は、ザ・ポイントの出身だから。国籍はアメリカなんだよ』

ザ・ポイント?
どこなんだそれって感じのまぬけな顔をしている俺に向かって、彼は詳しく説明してくれた。

『ザ・ポイントっていうのは、その昔、アメリカとイギリスが国境を決めたときのいい加減さで生まれた飛び地なんだ』


その昔、北アメリカ大陸でイギリスが北から南へ、アメリカは東から西へと開発を進めていたころ、いずれぶつかる国境をどこで区切るのかという問題が持ち上がった。

その時、アメリカは北緯四九度線をイギリスとの境界線にしようと提案したが、バンクーバー島がとても重要だったイギリスは、バンクーバー島を横切るその案には賛成できず物別れに終わったのだ。


とにかくバンクーバー島に固執していたイギリスは、その後しばらくして、んじゃバンクーバー島を全部くれるなら、大陸は四九度線でいいよという話をまとめてしまう。

その時は、まさかその線が、デルタの南側にある半島を微かに横切るなんてことを、誰も想像すらしていなかったのだ。


かくして、両国のバンクーバー島を巡る綱引きに隠されたうっかりで、ザ・ポイント――正式名称ポイント・ロバーツ――は誕生した。


『しかも、全然重要じゃない土地なんだな、これが』

ランスが笑いながらそう言った。

『いや、本当に何もないんだ。エレメンタリースクールの三年生までは学校があるんだが、四年生からは近くのアメリカの街までスクールバスで通うんだよ?』


きっと私は世界で一番国境を越えた男の一人だね、と彼は笑った。

なにしろ学校へ通うのに、カナダに入国してから、アメリカに出国する。都合、毎日四回国境を越えるのだ。

カナダに税金を払っていない彼らは、カナダの公共サービスを受けることができない。公立の学校もそのひとつにあたるわけだ。


『そういえばランスさんは、故郷に病院を建てたとかニュースを見たような……それが、ザ・ポイントだったんですね』


三好が思い出すようにそう言うと、彼はよく知っているなと驚いたような顔をした。

『ああ、せめてそのくらいはね』

彼が子供の頃、ポイント・ロバーツには病院がなかったそうだ。
ま、一応故郷だから、と笑った顔が赤かったのは、テレのせいかビールのせいかは分からなかった。


『しかし、各国のトップチームはともかく、キングサーモンさんが来日しているとは知りませんでした。やはりマイニングが目的で?』


とデニスが聞いた。
それは俺も興味があるな。

『そうだよ。詳しいことは言えないが、短期の契約で、マイニングの発掘を依頼されたんだ』
『トップエクスプローラーが期間契約するのは珍しいですね』

雇用主や、雇用主が指定したものに同行するタイプの探索行は、最高ランクの冒険者は余り引き受けない。

もちろん勝手に冒険した方が高額の収入を得られるというのもあるが、一般人なのに高ランクという人間は、大抵自由なタイプが多く、なにかに縛られるのを嫌がるからだ。

高額を支払う雇用主には、なにかと偉そうな人も多く、合わないという単純な理由もあるようだった。


『丁度代々木に来ようと思っていたからね。行ってみれば、川を渡ろうとしたときに船を見つけたようなものだよ』

『なぜ、代々木に?』

アメリカ、特に西海岸には、有名なダンジョンがいくつかある。
わざわざ極東の島国までやって来なくても、探索ダンジョンには事欠かないはずだ。

『そりゃ、興味深い事件がいくつも起こっているからさ。しかも完全にパブリック? これで来ないやつは探索者じゃないね』

『ってことは、他にも来てる一般探索者がいるんですか?』

軍関連は、ランキング上位を占めている主要国家のほぼ全てが、何らかのチームを送ってきていると聞いた。

きっと、あっちのキャンプのどこかに、ベースがあるんだろう。
キャンプの間を散策すれば、世界中の言葉が聞こえるはずだ。なんてインターナショナルな。

『一般の探索者? そうだな……昨日エラに会ったぞ。政府の依頼だとか言ってたな』
『エラ?』
『エラ=アルコット。キャンベルの魔女さんですよ』と三好が補足した。

「エラがどうしたって?」と林田がデニスに聞いた。
「キャンベルの魔女も代々木に来てるってよ」
「マジか?! 東が喜びそうだな」

ここから、ほかのベースキャンプまでは二十メートル以上離れている。念話の範囲外だから東とやらには伝わっていないんだな。


『元は、キャンベルタウンの魔女だっんだが、いつの間にか短くなっちゃったんだ』

ランスが笑って教えてくれた。

『キャンベルタウンって、クーをくれた小麦さんの友人の?』
『あれはイギリスのキャンベルタウンですね。こっちはオーストラリアのキャンベルタウンですよ』

『ややこしいな』

北海道に、広島だの伊達だのがあったのと同じかな。

『愛妻家のせいで、オーストラリアにはキャンベルタウンが溢れてるんだよ』

ランスが、口の中の肉を、ビールで流し込みながら笑った。
昔の総督が、自分の妻の姓だったキャンベルを街の名前に付けたことは有名なエピソードらしい。


「先輩の好きな、某メイド漫画の子爵家とは関係ありませんよ」
「あのな……」

全部が全部、その影響なのかどうかはわからないが、オーストラリアにはキャンベルタウンと名前の付いた場所がいくつもあるのだそうだ。


『彼女のは、アデレードのカウンシルだ。住んでる場所、というか出身地だな』

まあ、どんな人か知らないので、すれ違っても分からないだろうけど。
そう言うと、戦闘中ピカピカ光ってる女がいたら彼女だと、ランスが教えてくれた。
なんだそれ?

『いずれにしろ代々木はとても面白い。君たちのブートキャンプにも興味があるしね。エラもそうなんじゃないかな?』

『光栄です』

三好が少しテレながらそう言った。実態を知っている俺達としちゃ、あれを積極的に語るのはちょっと抵抗があるのだ。

その内容をデニスから聞いた林田が、思わず声を上げていた。

「は? お前ら、Dパワーズの関係者なの?!」

今頃何を言ってんだ、こいつ。
って、アーシャの話をしていたときは、近くにデニスがいなかったのか。

「まあ、そうだけど……」
「なら、聞きたいんだけどさ、ブートキャンプってどのくらい効果があるんだ?」
「効果には個人差があります、としか」
「なんだその、テレビ通販の健康食品みたいな台詞は」

しかし、他に言いようがないからな。

「じゃあ、俺達も申し込んで……って、おい? デニス?」

ふと見ると、眠そうに通訳をしていたデニスがひっくり返っていびきをかき始めていた。

「あちゃー、こいつ二本目を飲んだのかよ……」

デニスはアルコールに弱い体質で、ビールを二缶も飲むとすぐに寝てしまうらしい。

「ちっ、通訳が先に潰れてどうするんだよ。仕方ねぇ、撤収するか。あー、まあ、今日は悪かったよ。飯の借りはいずれ。それじゃまたな」

「明日も気をつけて」
「お互いにな」

そういって、林田はデニスを抱えて自分のキャンプへと戻っていった。
ああ見えて流石にトリプルのケツにいるだけのことはある。軽々とデニスを抱えているのを見ると、結構力もありそうだった。


彼らを見送った後、ランスは少し真剣な顔つきになって言った。

『まあ、私の話はこれくらいにして、今度は私の方で聞きたいことがあるんだが』
『なんです? 俺達はキャリアが浅いので、話せることはあんまり無いと思いますけど』
『異界言語理解は、何からドロップしたんだ?』

いきなりの質問に、俺と三好は顔を見あわせた。

『あー、申し訳ないですけど、そういう話は日本ダンジョン協会にでも聞いて頂かないと。俺達にはなんとも言えませんね』

『……ふむ。まあ、そうか』

こういう情報が、完全にオープンにされないことはままある。
特にプロ探索者は、個々の探索で様々な契約に縛られるから余計にそうだ。そのことをよく知っている彼はそれ以上追求してこなかった。


『しかし、Dパワーズにはやられっぱなしだな』

彼はそう言って座り直すと、人差し指を立てて言った。

『アーメッドの件にしても、異界言語理解の件にしても、マイニングもどうせ君たちなんだろう?』

『ここ2ヶ月は、世界中のプロ探索者が、アズサ一人にやられていると言っていい状況だ。面白くないと思っているやつらも多いだろう』


不穏な発言をしたことに気がついた彼は、すぐ、おどけるように、それをフォローした。

『ま、さすがに上位にいる連中に、そんな嫉妬するようなやつはいないと思いたいけどね』

『いずれにしても、そんなアズサの活躍を支えている代々木には、みんな興味があるわけさ。さて、私もそろそろお暇するかな』


そういって立ち上がりかけた彼は、ふと動きを止めて言った。

『ああ、そうだ。最後に、ひとつだけお願いをしても良いかな』

そう言って彼は、ポケットから布に包まれた何かを取り出した。

『アズサは鑑定持ちだと聞いた。料金がいくらなのかは知らないが、このアイテムを見て欲しいんだ』


三好はそれを受け取ると、慎重に布を開いた。
そこには、特別な装飾はなにもない、鉄のように見える素材で作られた鈍い銀色のリングが置かれていた。


『致死の指輪、ですか』

それを聞いたランスは驚いたように目を開いた。

『鑑定持ちだというのは本当だったのか。そうだ、一年ほど前に手に入れたときの名称は、致死の指輪だった。あまりの名称に自分で付けるわけにも、他人でテストするわけにも行かなかったんだ』

『そういうことならいいですよ』

そう言った三好は、俺から受け取った筆記用具で、紙の上にさらさらと鑑定結果を書き出した。

 --------
 致死の指輪
style='mso-spacerun:yes'>
Deadly Ring

 Damage +十%
 Max (user SP / target SP)% chance to kill on hit.
 VIT -3

 研鑽を怠らぬものには、底知れぬ穴を開く鍵が与えられる。
 呪われたものは、悪魔とその使い達のために用意された永遠の闇に囚われることになるだろう。

 --------

『一番下の2行はフレーバーテキストです。鑑定は、基本的に持ち主がネイティブに使っている言葉で表示されるので日本語です。あくまでも雰囲気だと思うのですが、気になりますか?』

『一応簡単に訳してもらっても?』
『努力を怠らない人には、底知れぬ穴を開く鍵が与えられる。呪われたものは、悪魔とその使い達のために用意された永遠の闇に囚われる、です』

『底知れぬ穴……黙示録の9章だな』

第5のラッパが吹き鳴らされ、悪魔率いるイナゴが大量に出てくる穴のことだろう。

『効果は、少し体力が減りますが、相手に与えるダメージが10%増えます』

『このステータスポイントというのは?』
『私たちはそれをステータスポイントと呼んでいます。言ってみれば経験値みたいなものですね』

『なるほど。同じくらい努力したものに対しては、最大1%の確率で即死効果ってことか』
『そうですね。なかなかの逸品ですよ』

上手《うわて》の何かと闘って絶体絶命に陥ったとしても、運によっては敵を即死させることができるかもしれないのだ。

それに賭けるのはバカのやることだろうが、最後の希望としては悪くない。

『ありがとう。とても助かった。代金は?』
『私たちは今のところ鑑定を商売にしていません。きりがないので』
『まあ、そうだろうな』
『ただ、今回のように、利用者に取り返しの付かない効果を与えるかも知れないアイテムやオーブのそれだけは引き受けるようにしています。ま、義務みたいなものですね』

『それで?』
『だから料金は不要です。あえて言うなら――貸しですかね?』

三好が笑うと、ランスは『そりゃ、高く付いたな』と目を回しながら言った。

『ランスは、契約が終了した後も、しばらく代々木で?』
『もちろんそのつもりだ。また会うこともあるだろうから、その時はよろしく頼むよ』
『こちらこそ』

そう言って俺達四人は、彼と別れの握手をした。

『機会があったら、うちの事務所にも遊びに来てください。美味しいコーヒーをご馳走しますよ』

『サイモンに聞いてるよ。是非寄らせてもらう』

三好の誘いを快諾した彼は、ゆっくりと歩いて自分のキャンプへと帰っていった。


113 掲示板 【ダンジョン攻略局との】Dパワーズ
189【関係は?】


1:名もない探索者 ID:P12xx-xxxx-xxxx-2699
突然現れたダンジョンパワーズとかいうふざけた名前のパーティが、オーブのオークションを始めたもよう。

詐欺師か、はたまた世界の救世主か?
次スレは 930 あたりで。

…………

118:名もない探索者
キャッホー! Dパワーズのブートキャンプ受けてきたぜ!

119:名もない探索者
いや、お前、まだ受講者人数が少ないんだから身バレするぞ。

120:118
そこは大丈夫! 別に隠してないから。

121:名もない探索者
あっそ。能天気なヤツ。

122:118
何でも質問に答えちゃうよ。ただしプログラムの具体的な内容についてはNG。NDA違反になっちゃうからな。


123:名もない探索者
ああ、やっぱりそういうのあるんだ。

124:118
ある。んだけど、あのNDA、変なんだよ。

125:名もない探索者
変って?

126:118
申し込みが受理された段階でNDAが締結されたことになるんだけど、
開催側は、参加者のプライバシー――ステータスや受講時の様子等の情報だな、を個人を特定できる形で外部に漏らせない。

参加者は、プログラムの具体的な内容について守秘義務を追うって事になってるんだ。

127:名もない探索者
普通じゃん。

128:118
まあね。でも文面を詳細に見ると、参加者が守秘義務を負ってるのは、Dパワーズが行っているプログラムの内容について第3者に話せないって所だけなんだよ。


129:名もない探索者
! つまり手紙に書いて渡せば!

130:名もない探索者
いやいや、どこのトンチ小僧だよ。

131:名もない探索者
そういう漫画見たことあるぞ。
エロいやつ。

132:名もない探索者
第3者にプログラムの内容を話すことはNDA違反だけど、自分でそのプログラムをパクって新しい事業を始めたり、自分で同じプログラムを行って鍛えても、Dパワーズがそれをやってることさえ話さなければNDA違反じゃないって事か?


133:118
そうそう、そんな感じ

134:名もない探索者
そんな、ガバガバな……

135:名もない探索者
いや、それ、訴えられたら普通に負けるだろ……

136:118
それが、奇妙なんだよ。
友人に司法修習生がいるんだけど、そいつがそれを見て、なんだかパズルみたいに穴が作ってあって、まるでNDAに違反しないでパクれそうな気分に誘導されている気がするって言うんだ。

いや、ただの印象なんだけどさ。

137:名もない探索者
司法修習生の友人……上級国民だったのか > 118

138:名もない探索者
毎年2000人くらいしかいないからなぁ。


139:118
おいおい。俺はただのビンボー人だぞ?

140:名もない探索者
三万ドルが払えるのに?

141:名もない探索者
そりゃ、軍や警察なんかの組織関係の人間達だぞ。一般人は三万「円」だ。

142:名もない探索者
え、マジで? ……ほんとだ!! 三万ドルかと思って申し込んでないよ!
てかそれ、違いすぎないか?

143:名もない探索者
同じプログラムだと誰が言った > 142

144:名もない探索者
違うのかよ?

145:名もない探索者
それを知るためには、両方受けてみないとわからんな。

146:名もない探索者
誰か、金持ち
class=SpellE>plz

147:名もない探索者
金があっても、一般人は、組織用プログラムを申し込めないから。> 146

148:名もない探索者
まてまて、脱線するな。
つまりDパワーズが、故意にプログラムをパクらせようと誘導しているように感じたってことか。
> 118

149:名もない探索者
どんな陰謀論だよwww
第一、そんな面倒なことをやって、Dパワーズになんの得があるんだ?
最初からプログラムを公開しちゃうほうが早いだろ。

150:名もない探索者
いや、あいつら、損得とかいうレベルで行動してるか?
表に出てくる情報だけ見てると、行動原理が「なんだか面白そう」って感じに見えるんだが。

151:名もない探索者
Dパワーズがやったことと言えば‥‥

オーブをオークションにかけて、世間を驚かせ、
世界中が探していた異界言語理解をゲットして、世間を驚かせ、
ヒブンリークスを作って?、世間を驚かせ、
ステータス計測器を作って、世間を驚かせ、
今度はブートキャンプの結果で世間を驚かせそう、かな?

152:名もない探索者
びっくり箱かよwww > 151

153:名もない探索者
こんだけの情報、損得っていうレベルだと、オープンにしないで国と独自に繋がったほうが絶対有利だと思うんだがなぁ。

今のところ儲かってんのって、オーブのオークションだけじゃん。あれだって、本当に儲かってるかどうかはわかんないし。


154:名もない探索者
いや、すごい大金で落札されてるじゃん。

155:名もない探索者
あれを実現するためにかかるコストがわからないから、大金で売れている=儲かっているかどうかはわからない。


156:名もない探索者
高額納税者公示制度は廃止されたしな。

157:名もない探索者
Dパワーズの役員報酬を見れば!

158:名もない探索者
株式公開も店頭登録もしてないし、有価証券届出書提出会社ですらない。
有価証券報告書は提出されないな。> 157

159:118
まあ、そういう感じ > 148
まるでそうするんならしてもいいよ、みたいなNDAなんだってことだ。

160:名もない探索者
マルパクじゃ辛いだろ。
アレンジするとか?

161:118
いや、それがな。
正直受けたプログラムのどこにこんな効果があるのか、全然分からなかったから、どうアレンジして良いのかすらわかんねぇのよ。


162:名もない探索者
そんな目に見える効果があったのか? あれって、一日だろ?

163:118
いや、効果があるのないのって、もうほんとすげぇんだよ。三万ドル? うん、おかしくないわ、これ。って感じ。

最初と最後にステータス計測があって、数値で伸びが確認できるわけ。

164:名もない探索者
118は三万円だけどなw
ステータス計測って、もう実用化されてるのか。

165:118
ああ、すごい面白かったぞ。

166:名もない探索者
だけど、ステータス計測だってDパワーズの製品なんだから、適当に値をいじれるんじゃないの?


167:118
そう思うだろ? 俺だってそれくらいは疑うさ。
だから実測してみた。

168:名もない探索者
実測?

169:118
俺の希望は力アップだったんだよ。

170:名もない探索者
ああ、握力とか計ったわけ?

171:118
正解 > 170
70キロだった握力は、110キロになった。

210キロだった背筋力は、なんと320キロだよ?

172:名もない探索者
ふわっ?!

173:名もない探索者
118の正体が分かった。タイムマシンでやってきた全盛時代の室伏だ。


174:名もない探索者
全盛時代はもっとあったろ。130の390くらいだったと聞いたぞ。


175:名もない探索者
いや、それはどうでもいいから。
それが一日で伸びた数字なわけ? ずっと計ってなかったとかじゃなくて?

176:118
いやいや、こんなキャンプを受講するなら、効果を自分で確かめたいと思うだろ?
元の数値は前日に計ったやつ。

177:名もない探索者
信じられん……
もしかして118って宣伝マンか?

178:名もない探索者
それにしたって、盛りすぎだろ。

179:名もない探索者
たった一日で50%以上アップするってのは、ちょっとなぁ。

だが、予約が抽選でほとんど当選しない状況で、今更宣伝もないだろ > 177

180:名もない探索者
確か教官はダンジョン攻略局の出身だろ?
向こうのノウハウとかあるんじゃないの?

181:名もない探索者
第一回のキャンプ利用者はサイモンチームだったしな。

182:名もない探索者
何故知ってる?

183:名もない探索者
前スレの終わりの方にあった。だからこのスレのタイトルになってるんだろ。
あと、ブートキャンプのサイトのblogみたいなのの、第二回の記事に書いてあるぞ。

因みに第一回はキャサリン教官の紹介。

184:名もない探索者
それが本当だとしたら、ダンジョン攻略局が黙っちゃいないだろう。

185:118
いやー、あれがダンジョン攻略局のノウハウだとはとても思えないな。
もしもそうだとしたら、ダンジョン攻略局は頭がおかしい。

186:名もない探索者
つまり頭がおかしいプログラムだったわけか。

187:118
それは言えない。
ただ、キャサリン教官は、めっちゃかわいかった。すげーでかいけど。

188:名もない探索者
メロンか? メロンなのか?!

189:118
背が高いって意味だよ!

190:名もない探索者
ああ、サイトに写真があるな。これって未修正?

191:118
看板に偽りなし。

192:名もない探索者
おおー。

193:118
訓練中は、スゲー厳しいんだけど、時々素でかわいいぞ。日本語のせいかな。

194:名もない探索者
日本語話せるの?

195:118
ぺらぺら。時々変な言い回しがあるけど、だがそこがイイ。
「諸君らは、この辛く苦しい、ともすれば遊んでるだけなんじゃと思えるようなプログラムを真面目に消化してきた」

とか言われて吹いた。

196:名もない探索者
遊んでるだけなんじゃって……

197:118
俊敏の訓練は、特にそう見える。ホント遊んでるだけ……なのかな、あれ。
最初は滅茶苦茶怒号が上がってたけど。

198:名もない探索者
うわー、知りてー!!

199:名もない探索者
なにか特別な運動とか、薬みたいなものの摂取とか、そういうのはなかったのか?

200:118
ええっと……あった。
だが、詳しいことは言えない。ただ、これから受講するヤツに一言言っておく。『死ぬな』

201:名もない探索者
なんぞ、その意味深な台詞はwww

202:名もない探索者
キャサリンてんてーに踏まれたい。

203:名もない探索者
へんなのが涌いたぞ

204:名もない探索者
しかし、118の言う結果が事実だとしたらすげぇな。
確か、斎藤涼子もここの出身だろ?

205:名もない探索者
斎藤涼子?

206:名もない探索者
今、話題の新人女優。
こないだアーチェリーの七十メートルラウンドで世界記録をマークした……らしい。

207:名もない探索者
はぁ? なんだそれ?! 女優なんだろ?

208:名もない探索者
あ、動画みた! あれって、マジなの?

209:名もない探索者

class=SpellE>youtubeにアップされたやつは速攻で消されたけど、当時大会が開かれてたから、現場にいたやつがいろんなところで本物だと証言している。

もっとも彼女は、連盟どころか地区のアーチェリー協会への登録もしてなくて、完全に非公認記録だそうだ。


2十:名もない探索者
一緒に写真を撮ってもらったやつが、SNSに書いてたぞ。
なんでもコンパウンドボウとベアボウの使い方の違いについて聞かれて、リリースの違いを説明したんだそうだ。

すごい気さくでカワイイ人だったって。

211:元アチャ
いや、ちょっとまて。
70メートルラウンドなんだろ? なんでそんな説明をしたんだ?
> 210

212:名もない探索者
見てきた。写真、凄い楽しそうで、うらやましす。

213:名もない探索者
斎藤って、アーチャーはアーチャーなんだけどコンパウンドボウ使いなんだってよ。
それで、初めてベアボウを使うから、その場いたその男に聞いたそうだ。

214:名もない探索者
初めて?!

215:元アチャ
確かにそこも驚くところだが > 214
ベアボウ?! もはや意味がわからん。

216:名もない探索者
動画は消されたけど、静止画はいくつか残ってるぞ。
ほれ )つ
class=SpellE>url...

217:元アチャ
ええ?! マジでベアボウ? これ七十メートルラウンドなんだよな?

218:名もない探索者
七十メートルラウンドでベアボウってマズいのか?

219:元アチャ
マズいというか、無茶苦茶だよ!
普通70メートルラウンドで使う弓は、リカーブボウっていう、的を狙うためのいろんな補助パーツがついた弓を使うんだよ。

ベアボウなんかだと精度がダダ下がりで、まともに……いや、あたってるんだよな。おかしいだろ?!


220:名もない探索者
元アチャが発狂した。

221:名もない探索者
だけどさ、例えば柔道選手がこのプログラムに参加したら、118みたいに一日でパワーが1.5倍になるってこと?

地道な筋トレとか、バカらしくてやってられないな。

222:名もない探索者
ごくり……

223:名もない探索者
陸上選手が参加したら、足の速さが1.5倍に……って、そりゃないか。

224:名もない探索者
いや、Dパワーズとは関係ないだろうが、今年の箱根の記録も、なんだか物議を醸してたみたいだし。

もしかしたら、冗談じゃすまないのかも。

225:名もない探索者
スポーツ医学の常識が消し飛びそうだが、それって、ドーピング……じゃないよな?

226:名もない探索者
さっきの『死ぬな』がどんなものか分からないからなんとも言えないけど、継続的に投与されるわけでもなく、たった一日のキャンプだろ?

高地トレーニングみたいなものだと考えるなら、ドーピング扱いするのはちょっと無理があるだろう。


227:名もない探索者
スポーツ界にダンジョン旋風クルーー?

...


114 魔王爆誕? 1月
26日 (土曜日)


その日の夜。みんなが寝静まった頃、俺はごそごそと起きだした。

「夜ばいですか? 先輩」
「なんだ三好、起きてたのか」
「まだ二十三時前ですからね。今日は歩いてただけで、ほとんど何もしてませんし」

三好はカバーを掛けて光が広がらないように調整したLEDランタンをつけて身を起こした。

「ま、ちょっと仕入れに」
「夜のエンカイですか? もしかしたらオラパがいるかも知れませんよ」
「いや、それはない」
「ちぇっ」

オラパの椅子があったら、コンプリートなのに、とかぶつぶつ言っているの、ちゃんと聞こえてるからな。


「さすがに十八層にまで見張りがくっついて来てるとは思えませんけど、向こうのキャンプには当然夜番が沢山いるでしょうし、ばれないように気をつけて下さいよ」

「わかってるって。少し先までドゥルトウィンに送ってもらうよ。明日はすぐに二十一層だろ? とくに欲しいオーブもないし、地魔法も補充しておきたいしな。暗視、使っていいか?」

「灯りつけると目立ちますもんね。よかったらそれも補充しておいて下さい」
「了解」

俺は暗視のオーブを取り出すと、すぐにそれを使用した。

「俺は人間をやめそうだぞ」

それを聞いた三好が、ぷっと吹き出して、私もそんな感じです、と言った。

「なら、ついでに辞めるかどうか試してみるか」

そう言って俺は、さらに五つのオーブを取り出した。
生命探知×2と危険察知と魔法耐性(1)×2だ。

「危険察知は先輩の方が良くないですか?」
「ウルフで二十日に一回だからもうリセットされてるし、俺はとりあえず生命探知の二重取りをしたらどうなるか試してみるから。耐性は一個ずつな」

「わかりました。でもそれ全部使ったら九種類ですよ? どこまで使えるんですかね、オーブって」

「さあな。俺は九種類で十個だ。Dカードの表示ってスクロールするのかな?」

そう言って俺は、魔法耐性(1)と生命探知を使用した。
三好は、生命探知と魔法耐性(1)と危険察知を、おかしな台詞を言いながら使用していた。

「俺は人間をやややめめめるるるぞぞぞーーー」
「なんだそれ」
「三個連続使用バージョンです」

俺は呆れながら、自分の体に光の粒が浸透するのを見届けてから言った。

「どうやら今回も、頭バーンは避けられたようだな」
「助かりました。もしそうなったら、どう見ても私が犯人ですよ、この状況」
「逆なら、俺だったな、犯人……」

「で、どうです? 生命探知の二重取り」

そう言われて、いろいろ辺りの気配を探ってみたりしたが、とくに大きな変化は感じられなかった。


「うーん……特にぴんと来ないな」
「同一オーブの取得って意味無いんですかね?」
「どうかな。生命探知があんまり仕事をしない、ゴーストとか、アンデッドを相手にすると違うのかも知れないし、その時がきたら確かめてみるさ」

「じゃ、帰りの十層ですね」
「だな」

これだけ使っても、生命探知はあと四個もある。ろくなものを落とさない、ゾンビとスケルトンのせいだ。

物理耐性も九個あるから、効果があるなら、これも二重で使ってみたい。とりあえず、明日、マイトレーヤの二人に使わせておこうかな。あいつらVITないから。


「で、先輩」
「なんだ?」
「今夜の狩りは、ファントムで?」
「そこかよ……うーん、確かに派手な狩りになりそうだもんな、そうするのもありか。だけど俺達が十八層に来た瞬間登場とか、怪しすぎないか?」

「しかも、去ったとたんに居なくなりますからね」
「一応、自前で行って、誰かに見つかりそうになったら、仕方ないからファントム化することにするか」

「それって最初からファントムでも、結果は同じじゃないですか?」

三好は呆れたように行った。
誰も見ていないなら、素だろうがファントムだろうが関係ないのだ。

「そう言われればそうだな」
「ま、どっちでもいいですけど、一応、スペアが三着に増えてますから、渡しておきますね」
「量産してんの?!」
「だってただの服ですからね。攻撃でも受けたらすぐダメになりますよ? あとは友達への支援という意味合いも」

「支援?」

ファントムコスチュームの製作者は、ひたすら好きなことをやり続けた結果、生活費が大ピンチだったのだとか。


「腕はいいんですけどねぇ……」
「そいつ、もしかして海月マニアでタコクラゲとか飼ってたりしてない?」
「先輩、守備範囲広いですね」

因みにDカードのスキル欄は、下部にページ数分ドットが表示されて、スワイプでページの切り替えができた。

これ、好きなページに配置できるなら、スキル欄が擬装できるのになぁとちょっと思った。

「んじゃ、ドゥルトウィンを借りていく。こっちは大丈夫か?」
「アヌビス達もいるから過剰なくらいですよ。そっちは、ほら、オウヴァに必要でしょ」

三好がクスクスと笑いながらそう言った。

「アレなぁ……なんというか、こう、設定をちゃんとやっとかないとキャラがブレブレになりそうっていうか」

「素と違いすぎますからね。先輩はどうしたいんです?」
「できれば無口な方が。きざったらしく喋るの結構照れるし」
「そうですねぇ……とりあえず上から目線は鉄板だと思うんですけど、それでいて嫌みでないキャラクターってことになると」

「難しいよな」
「まったくです。今度ヅカ見て研究しておきます」
「その路線で行くのかよ!」

俺は諦めて、ファントムのコスチュームに入れ替えた。

「先輩、早替え、上手くなりましたねー」
「一応練習したからな」
「猿之助《えんのすけ》の名前を継げそうですよ。先輩って、そういうところが真面目ですよね」


三代目猿之助は早替わりや宙乗りなどのケレンを多用した舞台を作り上げた歌舞伎役者だ。
賛否はあるが、歌舞伎をエンターティンメントにしようと頑張った人なのだ。

「いやだってお前、着替えだよ? 失敗して恥をかくのは嫌だろう」
「下半身がストンしたら面白いですよね」
「どんなギャグキャラだよ、それ。んじゃま、行ってくるわ」
「お気をつけて」

俺がサムズアップすると、体全体が、足下の影にすとんと落ちた。
一瞬闇に包まれた視界が、すぐに壮大な風景を映し出す。

星降る夜空とは、まさにこのことだ。

「ダンジョンの中だってのにねぇ」

俺は灯りもつけずに、ほとんど真っ暗な世界を、散歩するような足取りで歩き始めた。
暗視は、光量増幅などではなく、全く光が無くてもものが見えた。ただし世界はモノトーン、白黒映画のようだった。

まるで赤外線や超音波を発してものを見ているような気分だが、さすがにそれはないだろう。いずれにしても、可視光の世界と、暗視で認識できる世界が重なって、とても不思議な感覚だった。


その時ふと、この夜空って、どこの空なんだろうと思った。もしかしたら、星の位置と時間で、場所が分かるんじゃないだろうか?

ただの思いつきだったが、スマホで何枚かに分けて空全体の写真を撮影してみた。最近のスマホの感度は馬鹿にならない。ちゃんと星も写っているようだった。


星あかりの下、まるで幽霊のごとく歩く俺は、誰の目にも触れることなく、以前来た小さな洞窟の入り口から地下の世界へと足を踏み入れた。

ここを選んだのは、単にここ以外の場所をよく知らなかったことと、入り口から神殿前の広場までは、それなりに距離があるため、後ろから誰かが来てもすぐにそれとわかるからだ。


そうして再び訪れた神殿前、いくつかのぼんやりと輝く地衣類の光は健在で、表よりもよほど明るかった。

地下神殿は、以前と変わらず荘厳な姿でそこにあった。もしかして、ここは探索者達に知られていないのだろうか。

もしも知られていたとしたら、あの神殿の中を調べるやつが必ず出るはずだ。そうして最後のトラップを踏むことは間違いない。


「鳴瀬さんにもらったマップに、入り口は書かれていたはずなんだけどな?」

不思議に思いながらも、俺は、時間を確認すると、大きく息を吸い込んで神殿前の広場へと進み出た。


頭の中で、パイプオルガンのペダルが奏でる重低音の第1主題が大音量で流れ始める。コープマン奏でるところのパッサカリア ハ短調 BWV582だ。
丁度第1主題が反復したところで、前回と同様、神殿の向こうからワラワラとゲノーモスたちが現れた。


そうしてその夜、神殿前の広場はファントムの独壇場と化した。
前回の探索で、ゲノーモスで館は発生しないことがはっきりしている。広大な神殿前にいる探索者は俺一人。どこにもまったく遠慮する必要がなかったのだ。


ストーンレインとも言うべき石つぶては、そもそも動いていればそれほど大きな脅威にならなかった。

以前はそれに誘導されたあげくに囲まれてやばかったが、今回はシリウス・ノヴァの大安売りだ。群れは溶けるように削れていった。

集団で現れる雑魚敵に、範囲魔法は実に効果的だった。

最初の二発で、マイニングと地魔法を手に入れると、次の二発で暗視をゲットした。
シリウス・ノヴァの消費MPは大体20弱のようだ。欠点は下二桁が分からなくなることだけだ。


俺はあまりの効率と、自分の魔法の威力に酔っていた。そして力を使えば使うほど、何かが体に馴染んでいくような気がした。


誰かが遠くで狂気じみた笑い声を上げている。
それが、解放される力の快感に酔いしれた自分の声だと気がついたとき、もしかして、俺、ヤベーやつじゃないの? と、笑う自分を客観的に見つめる自分を感じながら、それでも快楽じみた開放感にはあらがえなかった。


その洞窟の天井には細かい隙間が外まで続いている場所が無数にあった。
俺が放つ派手な魔法の光が、外からどう見えているのか、俺の上げる笑い声や魔法の発射音がどう聞こえているのか――そんなことは気にも留められるはずがなかった。


、、、、、、、、、

「お、おい。あれ、何だ?」

始まりは、最初の夜番をしている男が、バティアンの方を指差しながら言ったその一言だった。
そこでは、満天の星の光を塗りつぶすことでその存在を主張していた暗黒の山に、無数に点滅する光のヒビが走っていた。

まるで山の内部に閉じこめられた何かが、大きな怒りを顕わにしているような、そんな風にすら見えた。


「な……おい、全員たたき起こせ! 何かあってからじゃ遅い!」

各国のトップチームは、すぐに二マンセルからなる臨時の斥候チームを編成して送り出した。
まるで決死隊のような覚悟でバティアンに近づく彼らは、等しく英雄といえた。

、、、、、、、、、

最初に行動を開始した、イギリスの斥候チームは、すぐにバティアンの側までやってきていた。
空気には微かなオゾン臭が混じり、まるで落雷が荒れ狂った後のようだった。

時折爆発音が聞こえ、光が漏れ出す怒れる山を見上げながら、先頭を歩いていた男が言った。

『おい、何か聞こえないか?』

後ろを歩く男は、そう言われて耳を澄ませた。
何かが爆発するように響く音と音の合間に――

『……笑い声?』
『嘘だろう?』

――それは確かに笑い声だった。何かが高らかに笑う、狂気じみたそれだ。
その声は、洞窟内で反響し、まさに山が笑っているかのように聞こえた。

『何かあったのか?』

不自然に立ち止まっている彼らに、日本の斥候チームが追いついて尋ねた。
イギリスの後ろにいた男が日本のチームに振り返ると、口元に人差し指をあて、その後、耳の後ろに手を当てて音を聞けとサインを送ってきた。


「おい、これ……」

そこで日本の二人も、その異様な声に気がついた。

「……バティアンの地下ったら、あれだろ?」
「ああ、立ち入り禁止の……たしかこの先に小さな入り口があったはずだ」
「最初の部隊が、二度とだれも立ち入るなって言って封印したって噂のやつか」
「まさか、こいつが原因じゃないだろうな?」

二人がそう話していると、前にいたイギリスの男がそれを聞いて尋ねた。

『何か知っているのか?』
『俺達自衛隊が最初にここを調査したとき、酷い被害を出して、立ち入り禁止にした場所があるんだ』

『ああ、それは確認している』
『こいつはたぶん、そこから聞こえてきてるんだよ』

微かに聞こえ続ける笑い声は、そこに何かが居ることを雄弁に物語っていた。
そして、それと出会うことが死を意味することも、男達は日本ダンジョン協会から提供された資料を見てよく知っていたのだ。


そこにドイツとアメリカから派遣されたチームが合流した。

『一体、この声は何だ?』
『わからん』
『わからん?』
『わからんが……たぶん恐ろしい何かだ』

そう言って、イギリスの男が未だにちらちらと光を漏らしている山を見上げた。

『どうする?』
『どうするって、まさか確認しに行くって言うのか? あれを?』

尋ねた相棒にドイツの男が指し示した山の中腹では、内部から凄い音と共に青白い光が吹き出したところだった。


『俺には無理だ』

先頭を進んでいた男がそう呟いた。

『安全マージンをゼロにしても、あそこに行って、生きて帰る自信がない』

それには他の男達も同感だった。
探索者は、基本的に自己責任だ。行くというやつを止めもしないが、行かないというやつを無理に連れていくこともない。


ただし軍は別だ。行けと言われれば、どんなに嫌でも行かざるを得ない。
状況不明の状態で、装備もなしに、そんな馬鹿な命令を下す上官がいなかったことを、彼らは神に感謝した。


『だが、こいつの正体をどう報告する?』

アメリカチームの男は、未だに爆発らしい音が続く山を見上げると言った。

『そりゃ、見たままを報告するしかないだろう』

そう言って、バディの男が肩をすくめた。

、、、、、、、、、

何かを放出してやれば、いずれは賢者タイムがやってくる。

「ん?」

ふと気がつくと、出口から少し離れた場所に、何人かの探索者の反応を感じた。
生命探知x2の効果か、少し探知範囲が広がっているような気もした。

「何かあったのかな? しかし、どっちみち、そろそろ切り上げないとマズいか」

最後のつもりで、シリウス・ノヴァを発動すると、入り口付近へと撤退して、布団バリアで、ウォーターランス射出に切り替えた。下二桁あわせだ。

程なく、最後のオーブを取得すると、俺はすぐに撤退を開始した。これで下二桁は00のはずだ。


洞窟の入り口付近まで引き上げると、入り口からは少し離れた場所にある十近い気配が動き始めていた。

ここからドゥルトウィンに運んでもらうこともできるだろうが、やや距離がある。外は真っ暗だし、ま、少しくらいなら平気だろう。

俺はそう考えて入り口を出ると、ヒョイと向こう側にある岩の上に飛び乗って、気配の方を一別すると、それを迂回するように走り出した。


途中、いくつかモンスターの気配を感じたが、この辺りのモンスターの密度は低いので、すべて迂回して遭遇を避け、テントの側でドゥルトウィンに頼んで寝床まで運んでもらった。

早替えで元の姿に戻った俺は、マットに倒れ込むと、そのまま朝まで目覚めなかった。

、、、、、、、、、

『まて。静かになったぞ』

引き上げようとしていた探索チームは、アメリカの男が発したその言葉に、思わず山を見上げた。そこには、笑い声はおろか、音も光も全てが消えて、星明かりを遮る闇が静かに鎮座しているだけだった。

しばらく耳を澄ませていても、聞こえてくるのは、風が辺りの草を揺らす微かな音くらいのものだ。


慎重に周囲を伺っていたイギリスの男が、問題の洞窟への入り口があると言われる場所の側の岩の上に、星の光を遮って浮かび上がる、人の形をしたようなシルエットがあることに気がついた。


『あれは……』

彼はそのシルエットに見覚えがあった。
こんな場所で、中折れ帽を被っているようなやつは、そうはいない。

『……ファントム?』
『なんだと?』

ドイツ語訛りの英語を話している男が、クイーンズイングリッシュを話す男に聞いた。

『あ、いや。今そこに、以前見たことのあるやつが立っていたみたいに見えたものだから、つい』

『以前見た? あんた、ファントムを知っているのか?』
『ファントム? 謎の1位の?』

日本の男が、その話に割り込んだ。

『いや、確実にそうとは言い切れないんだ。以前、それらしい男と十層で出会ったことがあるだけだ』


男は簡単にイカれた恰好をした男に出会った話をした。もちろん事実の大部分は伏せたままだが。


『その時見た男によく似た影が、あの岩の上に居たような気がしたんだ』

そうして再びそこに目を向けたとき、その場所にはすでに何もなかった。
そこにいたはずの男は、あのときと同様、まるで空気に溶けて消えてしまったかのようにいなくなっていた。


、、、、、、、、、

その後、キャンプ地へ戻ったとき、斥候チームは質問の嵐にさらされたが、誰も山中にいたのが何なのか、まともに答えることができなかった。


『それが何だったのか俺達には確認できなかった。それは進入禁止エリアにいて、とても生きたまま近づけるとは思えなかったんだ。だが、強いて言うなら――』


やむを得ず、一人の男が言いよどんだ後に呟いた台詞が、その後、大きな波紋を生むことなった。


『まるで魔王のようだった』


115 ドミトリー 1月
27日 (日曜日)


翌朝目覚めると、三好はすでに起きていて、荷物の整理を始めていた。

「んあー。おはよ」

寝ぼけ眼を擦りながら上半身を起こすと、開口一番、彼女は、呆れたような、おもしろがっているような微妙な口調で言った。


「おはようございます。って、先輩。昨夜はやらかしたそうじゃないですか」
「昨夜?」
「キャンプじゃ魔王の噂で持ちきりですよ?」
「まおう?」

要領を得ない会話に、クエスチョンマークを浮かべた俺は、三好に詳細を聞いて青くなった。
どうやらあの洞窟は、隙間だらけで外と繋がっていたようだ。

「まぢかよ?」
「それはもう。それからあの神殿のあった場所ですけど。あそこ、立ち入り禁止区域だったみたいですよ」

「ええ? 山頂だけじゃなかったのか?」

考えてみればバティアンのほぼ真下に当たるのだ。地図は平面なんだから含まれていてもおかしくはない。

二回も来ていながら俺達はそのことにまったく気が付いていなかった。山頂って聞いていたんだから誤解をしても仕方がないだろう。


「それで誰もいないし、事故のニュースもなかったのか」
「あの神殿を見たら、普通は探索したくなりますからね」
「そして結局、最後の部屋のトラップにかかって、エンカイのところへ自動的に運ばれるわけだな」


「各国は、あのアンタッチャブルなエリアに触れるかどうかで意見が分かれているみたいですよ」

「サイモン達に警告もしたし、それ以上俺達に出来ることはないさ」
「あれ? 意外とドライですね。誰か死ぬかも知れませんよ?」

サイモン達から判断すれば、実際にエンカイにエンカウントして生き残れるやつはいないだろう。

よほど運に恵まれでもしなければ、逃げることすら敵わないはずだ。

「自衛隊の資料を読んだ上で、各国が自分の責任でそれを望むのなら、一介の探索者にできることはないだろ」

「まあ、それはそうですけど」

それに俺達は正義の味方ってわけじゃない。
自分の手の届く範囲をどうにかするのだけで精一杯の凡人だ。

「見ず知らずの誰かを助けるために、自分や知り合いの命を危険にさらすなんて英雄的行為は、俺には無理」


それを聞いた三好が、ニヤニヤしながら言った。

「そう言いながら先輩は、時々やらかしますからねぇ」
「うっせ」

「それで首尾はどうでした?」

マットを小さく丸め終わった三好が、それを袋に詰めながら聞いた。

「一応、マイニング二個と、あとは地魔法・暗視・器用を一個ずつだな」
「おー、フルセットですね。一体何体倒したんです?」
「最後に下二桁を調整したのも含めて401だ」
「凄いですね! あんな短時間に」
「範囲魔法は凄い使えるぞ。まあ、神殿前限定だろうけど」
「十層でも使えそうですけど、ろくなオーブがないですからね、あそこ」
「そうだな。ただなぁ……」
「なんです?」

「なんかちょっとヤバかったんだよ」
「ヤバかった?」

俺は三好に、力を全力で解放すると、どうなるのかを説明した。

「何かが体に馴染んでいくような感覚に囚われて、力を解放するとそれが快感に感じる、ですか?」

「まあ、そうだ」

三好はマットを詰めた袋の上に、ポスンと腰掛けた。

「圧倒的な力をふるう快感ってのは、それが物理的な力であれ、権力のようなものであれ、多かれ少なかれあるとは思いますけど。

「しかし、それに囚われちゃヤバいだろ」
「先輩はそんな風に内省的だから、大丈夫じゃないですか?」
「うーん……」
「それに、あんまり調子こいてたら、私が後頭部をぶん殴ってあげますよ。鉄球で」

掌の上に八センチの鉄球を取り出して、ぐっとそれを突き出しながらそう言った。

「いや、それで殴られたら死んじゃうから……だが悪くないな、ちょっと頼んどこうかな」
「任せて下さい」

俺は、気分が少し軽くなったような気がした。

「で、みんなもう起きてるのか?」
「です。朝食どうします?」
「めんどくさいからサンドイッチで誤魔化そうぜ。二日目の朝だから、まだ生鮮食料品が出ても、そんなもんかと思うくらいだろ」

「了解。じゃ、ここでドレッセして運びましょう」

俺は昨日の鉄板に、ラップを敷いて、サンドイッチとフルーツを綺麗に並べておいた。

「コーヒーも入れたことにするか?」
「いえ、そっちは真面目に入れます。先輩、お湯下さい」
「OK」

俺はそう言うと、鉄板を持ってテントを出た。
丁度7時になるころで、向こうのキャンプではすでに活動が開始された後だった。やや閑散としてはいたが、キャンプを維持する人員が結構な人数が滞在しているようだった。


「「おはようございます」」

小麦さんと三代さんはすでに準備をすませていた。

「テントはまとめておきましたから」

と綺麗に分解されて丸められたマットとテントが並べておいてあった。

「ありがとう。じゃ、これ朝食ね。先に食べてていいから」

そう言って俺は、鉄板を石の上に置いた。

それを見た三代さんが、「すごいですねー。Dパワーズさんって、ダンジョン飯に命賭けてますよね……」と呆れたように言った。

俺は、「まあ、うちは水がいらないから、食材も多く持てるしね」と笑って誤魔化した。

彼女たちが食事をしているのを横目にまとめられていた荷物をバックパックに仕舞うふりをした。

テントをたたんだ三好が、俺達の荷物も持ってきたので、それも同様だ。代わりに、一.五リットルのケトルを取り出した俺は、それを百度のお湯で満たして彼女に渡した。


「ありがとうございます」

そういって三好は、サーバー代わりの魔法瓶にドリップを始めた。香ばしいコーヒーの香りがあたりに漂いはじめる。

小麦さんは、昨夜の見張りをねぎらいながら、陰から口だけ出したウストゥーラに魔結晶を与えていた。


こうしてみると――

「優雅なもんだな」
「林田さん?」

そこには渋チーの林田が、フル装備の探索スタイルで立っていた。

「向こうじゃ昨夜の事件で大騒ぎだってのに、ここはまるで別世界だ」
「ああ、魔王がどうとかいう?」
「そうだ。知ってるにしちゃ、やたら落ち着いてんな、お前ら」
「だって、俺達じゃ何も出来ませんし。それにすぐ十八層から出ますから」
「出る? マイニングを取りに来たんじゃなかったのか?」
「まさか。それは皆さんにお任せしますよ」

林田は訝しげに眉をひそめた。
こいつら一体何しにここまで来たんだとか思っていそうだ。

「それで、なにか御用で?」
「あ、いや。昨夜の騒ぎがあったら、大丈夫かなと思って」
「ああ、心配してくれたんですね。大丈夫ですよ。ありがとうございます」
「い、いや、そんならいいんだよ」

少し照れたような林田に、少し先から仲間が声をかけた。

「林田!」
「お。今行く!」

「じゃあ、何処へ行くのか知らないが、気をつけてな」
「そちらこそ。魔王に踏みつぶされないで下さいよ」
「言ってろ」

そうして、林田は、振り返らずに手を振って去っていった。

「意外といい人なのかも知れませんね」
「そうだな。チャラいけど」

一応あれでも、代々木のトップチームの一角だ。また会うこともあるだろう。
俺達は、颯爽と歩いていく渋チーを見送った。

、、、、、、、、、

俺達は十八層を離れるべく、下りの階段へ向かって移動し始めた。
その時、異様な緊張感を纏った男が、バティアンを凄い目でにらみつけていた。

(三好、あれ、誰だか知ってるか?)

今回初めて使った念話での会話に、マイトレーヤの二人が思わず反応して、その男を見た。
男はそれに気がついて、一瞬こちらを見たが、すぐにバティアンの方へと視線を戻した。

(たぶん、ドミトリーさんですね)
(どっかで……)
(先輩……ドミトリー=ネルニコフ。世界2位の人ですよ。ロシアの)
(ああ、彼が。しかし、あいつやばくないか。なにか求道者っぽいぞ。今にもエンカイに向かって突撃しそうな雰囲気が……)

(確かにそういう感じですね)
(三好、ここは鑑定持ちのワイズマンっぽく止めてやれよ。今のあなたじゃ無駄死にですよ、みたいな感じで)


それを聞いた三代さんが思わず割り込んできた。

(ええ? それって煽ってません?)

まあ、そう言われればそうなのだが……

(だって、このままにしといたら、絶対あそこへ行きそうだぞ? 見殺しにしたら夢見が悪いだろ。俺じゃネームバリューが足りないから、な、三好! 頼む!!)


三好はワイズマンなメイクじゃないけど、どうせドミトリーなんかと会うのはこれが最初で最後に違いない。

多分大丈夫なはずだ。

(ほら、先輩ったら。やっぱり)

三好は今朝のやりとりを思い出して、薄く笑うと、ドミトリーとすれ違いざまに声をかけた。

「ガスパージン ネルニコフ」

ドミトリーは聞こえていないのか、三好の方を振り返りもしなかった。

『ワイズマンから忠告しておきます。今のあなたでは死にに行くだけですよ』

それを聞いたドミトリーは、全くの無表情で振り向くと、三好の目を見つめた。

『ステータスがまるで足りません。おそらく死んだことにも気がつかないでしょう。肘は近くにあっても噛めないものですよ』


結構煽っているようにも聞こえたが、彼の表情は、風のないバイカル湖の水面のように波ひとつ立たなかった。

そうして一言だけ『行ったのか?』と口を開いた。

三好はそれに答えず、肩をすくめた。

『忠告はしました。私はただ、あなたに死んで欲しくないだけです』

そう言って、下層への階段へと向かう三好から、ドミトリーはいつまでも目を離さなかった。

、、、、、、、、、

十九層への階段を下りながら、三代さんが、「なんだか、映画みたいで格好いいシーンでした!」と興奮していた。


「それに、ドミトリーさんって、なにかこう硬質な感じがするイケメンでしたね。サイモンさんとはまた違う良さが……」


代々木で再開したときも思ったけれど、三代さんは結構ミーハーだ。
そのうち、ドミトリー×サイモンとか言い出しそうな気がして、ちょっとヤバい。三好の友人とは会わせないようにしよう。


十九層へ下りる階段を抜けると、夜の底が白くなった。

氷雪層と言われる十九層と二十層は、雪の降るエリアと降らないエリアに別れていて、積雪はエリア毎に決まった深さになっている。

階段から階段へのルートは、なるべく雪の降らない積雪のないエリアをつないで作られていた。

「直線で結ぶと、途中に二.八メートルの新雪エリアがあるらしいですよ」
「そりゃ、つぼ足じゃ無理だな」
「いやいや先輩。スノーシューでも、絶対無理だと思います」

雪山装備は重いものも多い。わずか二層のためにそんなものを持ち込む探索者が居るはずもなく、ここもルート間以外はほぼ無視されることが多い層だ。

そもそもここまで来れる探索者が少ないという現実もあるのだが。

「これからは増えるといいけどな」
「キャシーに期待しましょう」

その時小麦さんが、浅く雪が積もっている平原のような場所に、時折、ぽこんと出来ている小山を指差して言った。


「あれはなんです?」
「モンスターらしいですよ」

下調べしてきたらしい三代さんが言った。

「モンスター? あれが?」
「スノーアルミーラージは、ああやってじっとして雪に埋もれている個体が居るらしいです。不用意に近づくと――」


そのひとつにガルムが近づいて、クンクンと小山を嗅ごうとした瞬間、中から八十センチ近い兎が跳びだしてきて、その角でガルムに突撃した。


「ああなるそうです」
「ほへー」

ガルムはその攻撃を軽やかに躱して、逆にアルミラージの首筋に噛みついていた。
やはり、ただのヘルハウンドよりもずっと強いよな、こいつら。

この氷雪層で登場するモンスターのうち、階段間のルートで登場するのは、ほぼスノーアルミラージだけだった。

人型の、イエティやアボミナブルは、雪の降る視界の悪いエリアに、アイスクロウラーは、一メートル近い積雪のエリアに登場するらしい。

俺達は、大した障害もなく、氷雪層を通過していった。

、、、、、、、、、

「さて、マイトレーヤの諸君」

二十一層へ降りる階段まで後少しのところで、俺は彼女たちを集めた。
階段の側には、多分自衛隊の通信部隊が居るはずだからだ。

「なんです、芳村さん。改まって」

三代さんが不思議な顔をして聞いた。

「今回の探索はここからが本番です」
「え? 私たちにオーブを使用させるのが目的だったんじゃないんですか?」
「最初はそうだったんだけど、ちょっと状況がね」
「状況?」

俺は、暖かい飲み物を魔法瓶っぽい入れものから注いで全員に渡すと、鉱石ドロップの決定に意識がかかわる可能性を、彼女たちに説明した。


「え、それって本当なんですか?」

小麦さんが震えながらそう聞いた。

「え? まあ、今のところ、そうとしか考えられない現象が――」
「きゃっほー! それって、好きな石選び放題ってことですよね!?」

俺の台詞は、彼女の爆発した喜びで遮られた。
彼女は、クーと一緒に、雪の上を、まるでウサギのようにびょんぴょんと飛び跳ねて喜んでいる。


「ま、まあそうだけど……全フロア宝石はちょっと……ね、聞いてる?」
「先輩、私たちもしかして人選を誤ったんじゃ」
「いや、ちょっと、俺もそんな気が……まあ、喜び方は三好と似てるけどな」
「ええー?」

こいつのは更にくるくる回るドリルダンスが付いてくる。

俺は仕方なく、バランスパックから、二つのオーブケースを取り出した。
それを見た三代さんが、まさかと顔を引きつらせた。

「というわけで、はいこれ」
「……なんですこれ?」
「これがないと、鉱石はドロップしないんだよ」
「まさか、マイニング?! ええ? 何、この時間?!」

それに触れて確認した三代さんが、驚きの声を上げた。
オーブカウントを信じるなら、それは昨夜ドロップしたばかりだった。とれたてのほやほやだ。

「たぶん、マイトレーヤはこれからしばらく鉱物の探索が主要業務になるから……」
「ええ? 二十層以降で活動するってことですか?」

彼女は不安そうにそう言った。
今回十分通用しているとは言え、つい最近までは五から九層で活動していたパーティの一員だ。不安にもなるだろう。

その点、三層以降は初体験の小麦さんのほうが落ち着いていた。

「さすがにテント生活は二人だと厳しいだろうし、ちゃんと安全な拠点は用意するつもりだから」


今年の頭に、できたと三好が言っていた「アレ」。それはスライム対策が施された簡易拠点用施設なのだ。

間に合わせで用意したドリーと違って、ちゃんと家として設計された施設で、その名もDPハウス。

ダンジョンパワーズハウスなのかと聞いたら、どこでもプロバイドハウスなんだとか。いや、お前、どう考えてもそれ、絶対後付けのこじつけだろう。


ともあれ、ひとつ二億五千万円もする逸品だ。今は三好の収納庫の中に二軒が収納されていた。
それ以上はちょっと重さに不安があったのだ。なお収納庫の限界は未だに分かっていない。
今回はDPハウスの建設予定地も視察するつもりだったのだ。

小麦さんは、「段々、人間を辞めるのが楽しくなってきました!」と言いながら、嬉々としてマイニングを使った。

三代さんは、「私は、人間を辞めるのはちょっと怖いですけど」と言って、おそるおそるマイニングを使った。


それが落ち着いたのを見て、俺は、さらに二つのオーブケースをバランスパックから取り出した。


「まだ、何か使うんですか?!」

もう、驚き疲れたかのように、三代さんがげっそりしながらそう言った。

「そうは言っても、ふたりともVITが普通の人並みで危ないからさ」

使用オーブは、物理耐性だ。

「実は芳村さん、スキルオーブを好きに作れるスキルとか持ってません?」

三代さんがジト目でオーブを受け取りながらそう言った。

「いや、そんな便利なスキルがあるんなら、もっと派手なスキルを作るよ」
「それはそうですが……なにか制限があるとか」

ぶつぶつ言っている彼女を尻目に、小麦さんはオーブを使ってポーズを決めていた。
そうして俺達はついに二十一層へと到達した。


116 小麦マジック 1月
27日 (日曜日)


二十一層は湿地帯だ。

とは言え、全体が水に覆われていて、足を踏み入れると草から水がにじんでくるような場所ばかりではなく、湖沼地帯のような場所も含まれるらしい。

二十一層に出た場所は、所謂ボグのような場所で、足下は貧弱な草やシダ類に覆われていた。

そそくさと自衛隊の通信拠点から離れた俺たちは、なるべく足下がひらけている場所を選びながら、魔物に絡まれないようなルートを選んで移動していた。


「二十一層の湿地部分に出る主な魔物は、ラブドフィスパイソンとウォーターリーパーとウィッチニードルですね」


ラブドフィスパイソンは二メートルから最大で五メートルにもなる、水辺の蛇だ。言ってみれば、でっかいヤマカガシだ。

ウォーターリーパーは五十センチくらいあるヒキガエルだが手足が無くて、変わりに羽根のようなひれと尖った尻尾を持っている。見方を変えれば蛙の顔をした小さなドラゴンと言えるかも知れない。


「パイソンとリーパーは、蛇と蛙だってわかるけど、ウィッチニードルってなんだ?」
「一言で言うと五十センチくらいあるトンボですね」
「トンボ?」
「でも羽根はカミソリのように鋭いそうですし、顎は人間の指くらいなら食いちぎるらしいですよ」

「うぇ……」

そんな俺達のやりとりを全く聞いていない小麦さんは、ぶつぶつと何かを呟いていた。

「どれかな、どれかな……ああ、どうしよう!? コ、コランダム系は鉄板だし、石英シリーズはコンプリートしたいし、ベリルもクリソベリルもガーネット系もあるし、ああ、決められません!」


彼女は、頭を抱えて目をクルクルと回していた。これが、ここまで来た最大の目的を目前にして、魔物に絡まれないようなルートを選んでいる理由だった。


通信拠点から離れてすぐ、魔物を見つけて近づこうとした時、突然、彼女が待ったをかけたのだ。

どんな不都合が起こったのかと驚いたが、二十層であれだけ喜んでいた彼女が、まさか何をドロップさせるのかに悩んだあげく目をクルクルさせているなどと、誰が想像しただろうか。


生命探知は、魔物の位置を捉えることが出来ても、周囲の環境まではわからない。
なにしろここは湿地帯だ。後ろから来る魔物から逃げているうちに、水に囲まれた細い首のような場所に迷い込んだ。

折り悪しく、生命探知に大きめの反応が、正面の少し離れた位置に現れた。二十一層でこのサイズはパイソンだろう。

両側は沼地、後ろは魔物。これは躱《かわ》しようがない。

「えーっと、小麦さん? そろそろエンカウントしちゃうみたいだけど……」
「ああー、待って、待って、待って! んんー、あ、そうだ!」
「おお、決まった?」
「ダイヤなんかは単元素だ! ああ、また候補が……オパールみたいなアモルファス系もあるんだった」


決まったのかと思ったら、単に候補が増えただけだった。
正面のパイソンが、がっくりと肩を落とす小麦さんを慮《おもんばか》るはずもなく、それは容易く最終防衛ラインともいうべき距離を踏み越えた。

それまでじっと我慢していたライラプスが、仕方なくその首筋を踏みつけると、そのままラブドフィスパイソンの頭をかみつぶした。四メートルはある大物だ。


「ああっ!」

その瞬間、小麦さんの足下に何かがドロップした。
彼女は、それをそっと拾い上げて言った。

「水晶クラスター、ですね……」

掌の上には、水晶の結晶がいくつかくっついた塊が乗っていた。

「マグメルのお父さんみたい」
「マグメル?」
「私が小さい頃初めて手に入れた石につけた名前です。父に連れて行かれたミネラルフェアで、迷子になったときに見つけた小さな小さな水晶クラスタで、鉱物商のおじさんに五百円で譲って貰ったんですよ」


彼女はそれに、ケルト神話の喜びが溢れる島の名前をつけた。「マイクロマウントに乗っかった様子が島みたいに見えたので」と彼女は言った。

そうして、「もちろん今でも、一番仲良しなんですよ」と、嬉しそうに笑った。

「先輩。もしかして彼女のLUCが異常に高いのって……」
「いや、パワーストーンなんて発想は、科学的にも抵抗があるんだが」
「そうは言っても、運なんて曖昧なものを、今の科学で説明できると思います?」
「無理」

運なんてものは、あくまでも受け取り手のとらえ方次第だ。事象自体は偶然に過ぎない。
同じ事柄が起こったとしても、ある人は運が良いと感じ、ある人は運が悪いと感じるだろう。実際その程度のもののはずだ。

はずなのだが――

「LUCっていうステータスは厳然とあるしなぁ……」

LUCの解釈は難しい。
運が良い悪いが主観である以上、LUCは、運の良い悪いにかかわらず、単に起こりにくい事象が起こりやすくする力なのかもしれない。言ってみれば、ある確率空間のエントロピーを増大させる方向に働く力だ。

LUCが無限大になったとき、全ての事象は等確率で発生するようになる、そんな力を想像したわけだ。


「そんな世界になったら、何もかもが混沌の中に溶けちゃいますよ」
「やっぱ、ただのダンジョン計算におけるパラメータのひとつに過ぎないのかな」
「ダンジョン計算って……」

それならそれは、現実の運には作用しないはずだ。例えば宝くじに当たるとか、雷に打たれるとか。

御劔さんの電話の件だって、単なる偶然と言われれば否定のしようがない。というよりむしろその方が妥当な解釈だろう。

どんな事象だって、起こってしまえば、運が良い悪いにかかわらず、たんなる偶然であることを否定することは出来ないのだ。


「今度、カードでも使って計測してみるかな」

例えば、二を一枚、三を二枚、四を三枚、五を四枚使って、一枚を引く実験をすれば、ある程度、LUCが現実の確率をねじ曲げているかどうかわかるかもしれまない。


「先輩。信じる心は力になるんですよ。鰯の頭だって役に立つんですから、水晶ならその百倍は効果があるに違いありません」


『科学的』の『か』の字もないその台詞が、思った以上に響くのは、科学と宗教がいずれはひとつになるってことの現れだろうか……絶対違うな。


小麦さんは、拾った水晶クラスタをそっとリュックに入れながら、申し訳なさそうにしょんぼりして言った。


「期待してもらったのに、すみません。水晶は安いんです。あんまり価値はありませんでしたね」

「そんなに気にすることないですよ」

なにしろ、俺達が漠然と収束させてれば、鉄をドロップさせる自信があるからな。

「もう、私も攻撃していいんですよね?」

三代さんが後ろを見ながらそう言った。
そう言えば、後ろから追いかけて来ていた、リーパーがいたな。

「大丈夫。思いっきりやって良いよ」
「了解です」

そう言って、三代さんが素早く弓を射ると、ほどなく彼女の足下にも、小さな何かが転がった気配がした。

それを拾い上げた彼女は不思議そうな顔をして言った。

「えーっと、こんなの出ましたけど、これも水晶なんですか?」

それは、一センチにも満たない、等軸晶系正八面体の結晶だった。ちなみに水晶は通常六角柱に近い形をしている。

それを見た小麦さんは、驚いたような声を上げた。

「え? それって、ソーアブルですよ?!」
「ソーアブル?」
「正八面体をしたダイアの原石です。sawで切るだけで形が整うので、
class=SpellE>sawableって言うんです」
「ダイア?」

俺はまぬけな顔で聞き返した。どういう事だ? 水晶クラスタのフロアじゃなかったのか?
このフロアを収束させた小麦さんは、最後まで何をドロップさせるべきなのか、滅茶苦茶悩んで決められなかった。


「まさか……」

俺は、すぐに生命探知で最も近くにいたウィッチニードルを見つけると、それを水魔法で打ち落とした。

そうして手元にドロップしたのは――

「宝石の……原石?!」

アイテムに触れるとその名称がわかる。
にもかかわらず、三代さんは、そのアイテムが水晶なのかどうかが分からなかった。おかしいとは思っていたが、それも当然だったのだ。


なぜなら、ドロップしたアイテムには「宝石の原石」と表示されていたのだから。

「青紫で多色性、しかも脆そう……たぶんタンザナイトの原石ですよ、それ」
「って、このフロア……『宝石の原石』がドロップするのか?!」

小麦さんが悩みまくったあげく、どれにも絞れなかったせいで、それらを包括して『宝石の原石』がドロップするようになったってこと?

いや、しかし……

「一フロア一種類じゃなかったのかよ、こんなことってありなのか?」
「アリもナシもないですよ。現実にドロップしてるんですから。『宝石の原石』も一種類としてカウントされるって事じゃないですか」

「なら、『金属』がドロップするフロアだって作れるってこと?」
「小麦さんの宝石に匹敵するくらい金属ラブで、全金属を愛している人なら可能かも知れません」

「……無理だな」

そもそも何がドロップするのか分からないフロアは、鉱山としての魅力が著しく低い。
対象の種類が多ければ多いほど、何かを探したい人にとって、その価値は減じると言っていいだろう。なにしろ狙って狩るのが難しい。そこにはガチャで特定の何かを狙うような辛さがあった。


「ニッケルとコバルトとマグネシウム、みたいな括りならどうだ?」
「おそらく一種類だとみなされないと思いますよ」
「なんらかの概念的な括りが必要か……『ぼくのひつようなきんぞく』、じゃだめかな?」
「本当に必要なら可能なのかも知れませんけど、いい加減な内容で、そのイメージを汲み取って貰えますかね?」


確かに、『宝石の原石』と違って、人類の共通概念ってわけじゃないからなぁ……

「うーん、じゃ、元素群ならどうだ?」

ランタノイドとかアクチノイド、アルカリ金属や、貴金属、遷移金属、卑金属なんて括りなら――


「言いたいことはわかりますけど、何処に何が属しているのか、全部明確に言えませんよ、私」
「俺も怪しい」
「そういう人間には、多分無理だと思います」
「だよなぁ……」

少し前まで落ち込んでいた小麦さんは、次々とウストゥーラ達がドロップさせる原石を、興奮しながら拾っていた。

今も濃いピンクの菱形の結晶を、嬉しそうに見ている。

「ものすごく素敵なフロアですよ!」

まあ、小麦さんにとっては天国だろうな。

「ドロップ率は相当高いです。ほとんど常にドロップしてますから八から九割くらいですね、彼女」

「なら、鉱石はLUC50くらいで一〇〇%ドロップになる計算なのかな」
「もうちょっと上かも知れませんが、大体そんな感じです」

原石はカット済みの宝石に比べればそれなりに重いとはいえ、金属に比べれば軽いものだ。モンスターの数が倒せるなら、二十一層は、結構な稼ぎ場所になるだろう。

ただ、ドロップするものの価値のばらつきは、非常に大きいようだった。

「鉱山としては微妙かも知れないが、娯楽層としては超一級層だな」

問題は二十一層まで多くの人が来られるようになるのかってことだが、ここがモチベーションになって深層まで来る人の数は増えるような気もする。

なんと言っても楽しいし――

そう考えたとき、三好の足下に、緑色の原石がドロップした。アルスルズも狩ってたのか。

「エメラルド?」

緑の石と言えば、それくらいしか知らない俺が、それを拾って言った。
小麦さんはその原石を覗き込むと、「クロムやバナジウムで緑色になるところは同じですけど、これはツァボライトですね。グリーンのガーネットです」と答えた。


へー。緑にも色々あるんだな。

「エメラルドの原石にはブルーが入りますから、比べれば色だけでも見分けが付くようになりますけど、ガーネットは単屈折でエメラルドは複屈折ですからそこで区別できます。あと、大抵ツァボライトの方がギラギラしてますよ」


ルーペも使わずに彼女はそれを見て言った。

「あー、でもこのツァボライトはカワイイですね」
「カワイイ? 価値があるの?」
「お値段ですか? うーん。デマントイドじゃないガーネットは、なんというか、少しお求めやすい価格になっています。でもでも、ほらこの右側」


彼女は、その部分を見ろと、ルーペを取り出して俺に渡した。

「それが、なんか顔みたいでカワイイですよね!」

俺は不慣れな手つきで、ルーペの方を動かしてピントをあわせた。拡大されたその石にあったインクルージョンは、確かにとぼけたミッフィーの顔のように見えた。

天然の原石はひとつひとつにいろんな顔があって楽しいのだそうだ。それを生かすか切り捨てるかは、デザイナーやカッター次第。


俺が横浜で収束させたダイアは全てイデアルな形をしていた。インゴットも画一的なドロップだ。

だが、彼女が収束させた原石は、すべて最高品質とは言え、それぞれに個性があるようだ。

「イメージの力って、凄いですねぇ……」

このフロアの原石は、小麦さんがそういうものを求めていたからそうなったに違いない。
俺と同様、そのことに気がついた三好は、感心したようにそう呟いた。

「全くだな」

そのイメージの力にあわせて、より自然で複雑なものを作り上げてしまうダンジョンの力も凄いなと、今更ながらに実感していた。


、、、、、、、、、

その後も順調に探索と収束を進めていた俺たちだったが、二十四層でパラジウムの百gインゴットがドロップしたとき、それを拾った小麦さんが言った。


「あの、芳村さん」
「ん?」
「私、今回はこの辺でやめておこうと思うんです」
「どうして?」
「今のイメージだと、少し彫金に偏りすぎてるかなと思いますし」

小麦さんがドロップさせたのは、二十一層の宝石の原石を皮切りに、二十二層はプラチナ、二十三層は銀、そうして二十四層はパラジウムだった。

二十三層の銀は言うに及ばず、二十四層のパラジウムも触媒としての利用の方が多いとはいえ、貴金属に偏っていることは確かだった。


金属は全て一〇〇グラムのインゴットだ。バナジウムが一キロのインゴットだったのは、俺と彼女のイメージの違いなのだろうか。

それにしても、プラチナの一〇〇グラムインゴットは三十万以上するが、銀の一〇〇グラムインゴットでは1万円にも届かないから、隣り合わせのフロアとしては二十三層が少し不憫だった。

いずれにしても、マイニングが普及したら、湿地帯は大人気になりそうだ。

「それに、ウストゥーラたちも、トロルには苦戦するようですし」

二十一−二十二層は湿地帯だったが、二十三−二十五層はジャングルよりの森層だ。その植生や状況から、たぶんいずれはジュラシックパークと呼ばれるに違いない。

ラプトルみたいなやつもいるし、まさにああいう雰囲気だからだ。

そして、二十四層からはトロルが登場した。ウストゥーラは、今のところこの辺りが限界と言った感じだ。


その話を聞いて、アヌビスが言った。

「負けることは無いだろうが、あのデブどもは、再生が厄介だからな」

どうも、ウストゥーラのあたえるダメージが、トロルの再生によって大分減じられていて、単体だと倒すのに時間がかかるようだった。

そのとき他の個体が参戦してきたりしたらやっかいだ。

「わかりました。で、どうでした? 実際に来てみて」
「夢のようでした!」

小麦さんは、目をきらきらさせてすっかり乙女になっていた。

「本当にあんな凄い石たちが、ころころドロップするなんて!」
「では、弊社のキャンプは、ご満足いただけましたか?」
「はい!」

その返事をもって、小麦さんのブートキャンプは終了だ。思ったよりも大変だったが、思っていたよりもずっと短い期間だったな。

何かの区切りが付いたような雰囲気を感じて、三代さんが心配そうに言った。

「あのー。そしたらマイトレーヤはどうなるんです? 解散ですか?」
「え? 絵里ちゃん、やめちゃうんですか?」

それを聞いた小麦さんが、不思議そうに首をかしげた。

「ええ? 小麦さんがやめちゃうから、どうしようかって話ですよね?」
「私ですか? やめませんよ?」

小麦さんは、当たり前のようにそう答えた。

「確かにブートキャンプは終わりましたけど、私の育成に何十億円もかかってますよ? どう考えてもそんなの払えっこありません」

「いや、それは――」

別に気にしなくても、と言いかけた俺は、三好に服の裾を引っ張られて思いとどまった。

「それに、絵里ちゃんとの探索も、仕事と同じくらい楽しかったですし、今度は日本で必要な金属の勉強をしてから下層に挑みます!」

「それまではもうちょっと、自分やウストゥーラの実力も上げなきゃですけど、もし絵里ちゃんが嫌なら――」

「嫌じゃないから!」

そう言って三代さんは、小麦さんの手を取った。

「よかったー。小麦さんがやめちゃったら、一人でどうしようかと困ってたんだ」

二人はお互いに笑って親交を深めていた。

「じゃ、ちゃんとした探索者契約もしなきゃいけませんね」
「そうだな」

だとすると、次は拠点の問題だな。毎回俺たちが一緒に付いてくるわけには行かないからな。
俺は、今後もこの辺へやってくるはずの三代さんに聞いてみた。

「ダンジョンの移動はどうだった? 一日でどの辺りまで下りられそう?」
「そうですねぇ……十八層に到達した時間と、氷雪層の感じからすれば、本当に移動だけに集中すれば、一日で二十一層までこられそうに思えました」


通常のペースなら十層を越えると二日がかりになるのが普通だが、サイモン達も十八層まで一日で行ったり来たりしてたもんな。

彼女たちのステータスだって、キャンプ前の彼らになら、そう劣ったものでもないのだ。

「んじゃ、うちの拠点は二十一層に作ろうか?」
「え? 二十一層? お休みの日に、原石取り放題ですか?」

小麦さんが嬉しそうな声を上げる。

「でも先輩。二十一層って基本的に、湿地帯ですよ?」
「さすがに水位が変わったりはしないんだろ?」
「たぶんそうだはと思うんですが」
「湿地帯とはいっても、湖沼部分もあるみたいだし、ちょっとした湖の畔にある丘っぽい場所とかもありそうじゃん」


二十一層以降の代々木は、下り階段発見までの調査しか行われていないため、完全なマップが作られていない。

最深到達層だった時の二十一層は、入り口付近で引き返していたため、その辺りの調査しか行われていないし、今回のチームIの探索は、モンスターの強さの確認的な意味合いが強いこともあって、下層への探索を優先していたため、やはり詳細な調査は行われていなかった。

従来なら、他のチームがその層の探索を受け持つのだろうが、今回は十八層に人がとられていて上位探索者不足になっていることと、下層探索の速度が速すぎて、調査層が広がりすぎていることが原因で、こちらも行われていなかったのだ


というわけで、未踏部分に、そんな場所が見つかってもおかしくはなかった。

「綺麗な別荘地みたいな場所が、本当にあるといいんですけどね」

ウストゥーラの探索力もあって、視界の開けている湿地層では充分に活躍できていた三代さんが、なかなか余裕のある発言をした。

少しは自信も付いてきているようだ。

時計を見ると、丁度時間は、十四時を過ぎたところだった。

「じゃあ、今回は二十一層へ戻って、拠点に相応しい場所でも探そうか」
「「「了解」」」

そうして俺達は、上り階段へと歩いていった。


117 危機 1月
27日 (日曜日)


「うわーっ!」

三代さんは、ライラプスと一緒に低い丘を駆け上がると、そのてっぺんから丘の向こう側の景色を見て、感嘆の声を上げた。

なだらかな丘を下ったところには、鏡のような水面の湖が広がっていて、湖面には周囲の風景が綺麗に映り込んでいた。


二十一層の階段ルートから、一キロほど湿地を回り込むように移動した、まだ誰にも知られていないはずの場所では、いくつかの小さな丘の先で、オレンジの木が小径を彩っていた。

それほど高くない木からは木漏れ日が降り注ぎ、その陽射しの結晶のような実がたわわにぶら下がっていた。


「ダンジョンの中で、食べられそうな実がなっている植物って、初めてのケースじゃないか?」
「先輩、これ、無限作物収穫のモデルケースじゃありませんか?」

三好がその実をひとつもぎながらそう言った。とは言え、流石にもいだ瞬間、同じ場所にリポップしたりはしなかった。

三好は最初にもいだ場所にリボンをくくりつけると、マジックでそれに何かを書き込んだ。多分今の日時だろう。


小麦さんは、ウストゥーラが周辺をクリーンにしている過程でドロップする原石を、宝物のように拾い集めながら、満面の笑顔でそれを眺めていた。


三好が持ってきた実は、何というか、オレンジというより――

「せとか?」
「っぽいですよね」

そういって三好が剥いた実を半分もらった。
食べて大丈夫なのだろうかとも思ったが、三好の鑑定によると名称はオレンジで食用だそうだった。鑑定最強だな。


口に入れると、酸が少なく糖度が高い味わいが、爆発的な香りと共に広がっていった。

「まんま、せとかだな」

ファンタジー世界でせとか? 今更だけど、なにかこう違和感が……。

せとかは、清見タンゴールとアンコールを掛け合わせた品種に、マーコットを掛け合わせて作られた比較的新しい品種だ。

市場に出てきた時は一個百円くらいだったが、翌年から値段がぐんぐん上がり、今では三百円くらいなら普通になっていて、高価なものは五百円を軽く超える。

それでも売れてしまうくらいには美味しいのだが……ただ、大トロに例えるというのは、ちょっとどうかと思う。


「良い香りですよね」
「アンコールに使われている、キングマンダリン由来の香りって言われるけど、俺、キングマンダリン食べたことがないんだよ」

「売ってるの見たことないですもんね。カラマンダリンと違うんですかね?」
「さあなあ……だけど、これ、取り放題だな」

俺は小径の周りを見回して言った。
三代さんが駆け上がった丘の中腹から、後ろの丘の中腹まで、適当に広がっているオレンジの林が二つの丘を結ぶ小径を作り出していた。


「リポップ時間にもよりますけど、先にアルスルズ達にモンスターを排除してもらえば、年中せとか三昧ですよ」

「試しにいくつか収穫して収納しておこうぜ。DNAも調べてみたいし」

三好は頭の上で両手で丸を作ると、収納から、ごつい料理用鋏とリュックを取り出して、せっせと低い場所から収穫をはじめた。


「だけどさ、それをバレンシアオレンジが大好きな人間に食べさせて、そいつがバレンシアオレンジだって言ったら怖いよな」

「どういう意味です?」
「ほら、それって、Dファクターがたっぷりのはずだろ? しかも名称はオレンジ」
「ですね」
「ダンジョンが俺達にDファクターを摂取させるために、食べたやつが美味しいと感じる記憶に作用してその味になってる、なんて事になってたら怖くないか?」


直接記憶に作用する何か。うん怖いな。
最後には、すべての感覚がDファクターに支配されている、なんて話になったらマトリックスも真っ青だ。


「先輩……私たちダンジョン産の小麦を育てようとしてるんですから、その手の怖い冗談は止めて下さいよ」


三好は、オレンジを収穫する手を止めてこちらを振り返り、一睨みすると、再び収穫に戻った。

「それに、もしもそうだとしたら、収穫時点で収穫者が美味しいと感じている味に収束しているってほうが、ダンジョンっぽくないですか? むしろ発見時かもしれませんけど」

「鉱石と同じように?」

「大切なのがイメージなんだとしたら、もしかしたら環境のディテールそのものさえ、最初にその風景を見た人が収束させているのかもしれませんよ?」

「つまり丘の向こうにある湖が美しいのは、三代さんがそれをイメージしたから、的な話?」
「そうです。ほら、代々木の環境って、ものすごく多様性があるじゃないですか」
「そうだな」
「それって、探索にかかわった人間が、ものすごく多かったから、なんてのはどうですかね?」

それは仮説と言うよりも、ただの思いつきだ。だが――

「バティアンとか見てると、ありそうな話だよな、だが、そうだとしたら、十層をイメージしたやつは何を考えていたんだろうな」


永遠かと思われるほどに続く洋風の墓地を彷徨うアンデッド。

「ペットセマタリーでも読んだ後だったんじゃないですか?」
「何かを埋めたらよみがえってくるのかよ」
「ダンジョンの地面だけに、固くて掘れないんですよ」
「……十層ってマップ完成してたよな?」
「たしか。どうしてです?」
「いや、このまま十層の未知の領域へ行ったら、なんだか本当にミクマク族の秘密の墓地を発見してしまいそうな気がしたんだ。完全に知られているなら安心だ」

「初期に探索した誰かが、今の私たちと同じ事を考えていないといいですね」
「やめろよ」

ただでさえリアルとフィクションの境界があいまいになってきている今、それは、ちょっと嫌な汗がでそうな話題だった。

十層でゾンビドッグやゾンビキャットが見つかったら要注意だ。

俺達は丘の頂上まで登って、三代さんに追いついた。
そこは二十メートル四方くらいの平坦な場所だった。キャンプにはぴったりだろう。

丘の上から見下ろす湖面は、まさに絵画のごとく周囲の風景を映しながら、静かに水を湛《たた》えていた。


「モンスターさえいなければ、ちょっと泳ぎたくなるようなシチュエーションですよね」
「そうだな。実際にやったら、ウォーターリーパーに集《たか》られると思うけど」
「見た目は良い感じの湖なんですけど。パイクやマスのたぐいが沢山いそうな――」

そう三代さんが言ったとき、湖面で何かが跳ねて波紋を作った。

「ほら、なにかライズしてますよ?」

ライズは、魚が、主に水面近くにいる餌を捕食するために行う行為で、水面から飛び出すことを言う。

そろそろ夕方が近い。普通の湖なら、羽虫の類を捕食するためにライズが起こったとしても、まったく不思議はなかっただろう。


今のところ代々木ダンジョン内に明確な生態系は存在していない。魔物ではない虫もいないし、食物連鎖も存在しないと考えられている。

実際アルスルズの連中は、嗜好品としてしかものを食べない。

だが、それらは単に、環境を収束させたやつが、そこにいる生き物について考えていなかったからだとしたら?

もしかしたら世界中のダンジョンの中には、コオロギが鳴いていたり、魚が棲息する湖があるダンジョンがあるのかもしれなかった。俺達が知らないだけで。


ナントカダンジョンでコオロギが鳴いてました、なんて情報は、ダンジョン情報としては上がってこないのだ。


「今度忘れずにランスやサイモンあたりに聞いてみないとな」
「なにをです?」

三代さんが不思議そうにそう言った。
俺はそれに直接答えず、曖昧に笑って彼女に聞いてみた。

「三代さん、初めて丘の向こうの風景を見たとき、何を考えてました?」
「え? ええっと、ちょっとスコットランドやロシアの丘や湖みたいだなと。昔、夢中で読んでた、ビアンキ動物記の水の新聞のことを考えてましたけど……」


「三好、どう思う?」

普通は周りを注意しながら、突然現れるかも知れないモンスターや、危険ななにかについて考えながら探索を行っているはずだ。

風光明媚な風景や、そこに住んでいるはずの生物に思いをはせるのは、ある程度安全が確保されていると分かっている時に限るだろう。

つまり未知の領域を歩いている探索者に、そんな余裕は、普通ないのだ。

「さっきの思いつきの通りだとしたら、その湖、魚がいるはずですよね。しかも北欧周辺の」

動物文学で知られるヴィタリー=ビアンキは、イタリア風の姓だがロシア人だ。
彼が生まれたサンクトペテルブルクは、フィンランドにほど近い位置にあるのだ。

「ま、その確認も次回だな。釣り竿でももってこよう」

魚だって資源だ。もしも海の層なんてものがあるとしたら、最初の探索者のイメージ次第じゃ、丘の中腹にあるせとかの森のように、取り放題の漁業が出来るかも知れないのだ。

もっとも、せとかは収穫できたが、魚も収獲できるとは限らない。もしかしたら、死ぬと同時にモンスターと同様、光になって消えてしまうかも知れないからだ。


「ダンジョン漁業ってのは、なかなか斬新ですよね」
「まったくだ、普通は考えないよな」
「二層あたりに養殖池を作って、受精させてやればダンジョンマスとか出来ちゃうかも知れませんよ?」


なんだか丸虫の肉の味がしそうなマスだな。
しかし、仮にそれが可能だったとしても、そいつらが、お互いのひれをつつき合ったりしたら、そこから成長しなくなるんだろうか?

もしも生み出せたとしても、成長させるのは植物以上に難易度が高そうだ。

もっともあまり成功して欲しくはない気もしていた。
なぜなら、それが成功してしまうと、この先出来るであろうセーフ層における人間の営みに不安が生まれるからだ。

そこで妊娠した女性の子供はどうなるんだろう?

「Dファクターによる進化の特許取得が終わったら、セーフ層が見つかる前に、論文かなにかでちょっと警鐘をならしたほうがいいかもなぁ……」

「先輩が何を考えているかは分かりますけど……たぶん最終的には宇宙ステーションと同じような扱いになるんじゃないかと思いますよ」

「宇宙空間での妊娠もいろいろいわれてるもんな。ダンジョンはリポップと非成長の問題があるから余計に複雑だけど。ま、それは先の話だ。まずは横浜あたりに水槽を置いてテストしてみようぜ」

「ですね」

そう言って、そろそろ野営の準備をしようとしたとき、三好の影から突然グレイシックが飛び出してきた。


「わっと! どうしたの、急に?」

三好は、グレイシックの首にかかっているメモリカードに気がつくと、すぐにそれを回収した。

「メモリカード?」
「事務所で何かあったんですかね?」

カードをタブレットに挿入して、中のファイルを確認すると、そこにはいくつかのpdfと、動画ファイルが含まれていた。

早速動画を再生すると、真剣な顔をした鳴瀬さんが、緊張感のこもった声でしゃべり始めた。

『三好さん、芳村さん。これは私の独断でお送りする情報です』

「……一体どういう事だ?」
「さあ。ともかく先を見てみましょう」

動画では鳴瀬さんが、十分ほど前に三十一層で起こった事件について語っていた。

「三十一層で、チームIがエリアボスらしいモンスターに襲われた?」

チームIは、分断されたのか瓦解したのか、混乱していてはっきりしないが、とにかく拙い事態に陥っているらしかった。

そして、同盟に基づいてサイモン達にも救援が要請されたらしい。本人達は十八層へ向かっていて不在だったそうだが、途中のどこかの階段部分で、その要請を受け取っているはずだということだ。


「同盟ってなんだ? そんなことまで規定があるのか?」
「各国のダンジョン行政に関わる同盟でしょう。トップチームの人員の損失は、どの国でも大問題でしょうから」


スキル持ちが死んだりしたら、何もかもがそれっきりだ。すぐに次を育成ってわけにはいかないのだ。

各国が協力して保険をかけていてもおかしくはなかった。

「その点マイニングのおかけで、世界のトップチームが代々木に集まっているのはラッキーだったのかもしれませんね」

「んじゃ、救出はそいつらに任せとけばいいよな。きっと、大丈……」

そう言って、資料をめくっていた俺の手が止まった。

「エバンスのボスが、ボスの取り巻き?」

資料によるとボスは、馬に乗った異形の騎士のようなモンスターだったらしい。
それにある程度ダメージを与えたとき、いろいろな動物が混じりあった、ドラゴンのような本物の異形へと変貌を遂げたということだ。

そうして、その取り巻きに四体のデスマンティスが召喚されたとあった。

一匹でもサイモンチームが崩壊しかかったデスマンティスが4体。しかもそれが単なる取り巻きなのだ。

相手の力を客観的に見れば、サイモン達でも難しいと言わざるを得ない。

「こいつは、ヤバそうだな」

さっきはラッキーだと思ったが、この意味不明な難易度のモンスターのおかげで、実は非常にアンラッキーな状況かもしれなかった。


なにしろ、サイモンチームが4つあっても、取り巻きに対応するのが精一杯の可能性がある。
下手をすると、世界のトップチームがまとめて犠牲になりかねず、それが日本の要請によって行われたのだとしたら、国際的にも批判を免れないだろう。


「だけど、なんでそんな情報が俺達の所へ?」
「先輩。鳴瀬さんにはいい加減ばれてると思いますよ」

三好が今更何を言ってるんですかって顔でそう言った。……まあ、心当たりがないとは言わない。

それでも知らない振りをしてくれていたのだとしたら、今回はそれができないくらいの緊急事態だってことなんだろう。


確かに、チームIを失うことは、日本のダンジョン攻略にとって大きな損失だ。
俺達がてれてれしていても攻略が勝手に進んでいくのは、自衛隊のダンジョン攻略群の力が大きいことは間違いない。


「それだけが理由じゃないと思いますよ」
「わかってる」

それに彼女は独断だと言った。つまりこの連絡のことは、彼女と我々以外、誰も知らないわけだ。


俺はちらりと、マイトレーヤの二人の方を見た。
彼女たちは、丘の上に座って、湖の方を眺めながら二人で何かを話しているようだった。

「しかし、俺たちはマイトレーヤの二人に責任があるだろう。今更おいていくわけにも連れていくわけにも……くそっ」


チームIを助けた結果、彼女たち二人が死んでしまいましたじゃ、話にもならないのだ。

三好は、髪を掻き上げながら、俺の顔を横から覗き込んだ。

「先輩。DPハウスの使いどころでは?」
「……次回来たときに、いつの間にか建ってたって事にしたかったんだがなぁ」

結局収納庫のことは、ばらさざるを得ないのか。そう思った俺に、三好は笑って言った。

「大丈夫です。こんなこともあろうかと、次善の策を用意しておきました!」
「真田さんか、お前は」
「今時なんですから、せめて、國中教授って言ってくださいよ」

そうして三好が取り出したのは、直径三センチ、長さが七センチ程のカプセル状の物体の尖端にボタンのようなものがついたアイテムだった。


「なんだこれ? バイ――」

そこまで言った時、三好が目を閉じて俺の横腹に肘を打ち込んだ。

「――ブホォ!」
「先輩は、デリカシーというものを、以下略ですよ」

いかに高ステータスと言っても、力を抜いているときの一撃はなかなかに堪えるのだ。
体をくの字に曲げた俺は、ヒーヒー言いながら「さーせん」と言うのが精一杯だった。

「これは……そうですね、言うなれば、ホイポイカプセルですかね」
「はぁ?」

ホイポイカプセル。
それはドラゴンボールに登場する、カプセルコーポレーションが作りあげた、何かを持ち歩くためのカプセルだ。

よーするに、ひとつだけものを入れておけるマジックボックス風のアイテムだと思えば、大体あっている。


「実は我々は、ダンジョンのとある場所から、この魔法のカプセルをゲットしたんですよ」
「はあ」
「そうして、DPハウスはこのカプセルの中に封じられているのです!」
「……で、それを誰が信じるんだ?」
「誰でも信じますよ。目の前で取り出してみせれば」

収納系スキルの場合、外から見たときその実態がわからない。
だから、所有者は犯罪を疑われたり迫害されたりするのであって、収納を可能にしているものがアイテムで、しかも一種類のみの機能限定品なら、単にうらやまれるだけで済むだろうという発想だ。


「収納系のスキルに比べれば、この方が多少はマシでしょう? 隠しきれなくなったときは、これで誤魔化そうと思って、前から作ってたんですよ」

「それ、公になったら世界中から調べさせろと言われるぞ。そしたらどうするんだよ」
「拒否ですよ、拒否。一応私財なんですから。壊れたらどうするんだって拒否します。どうしても無理だったら、仕方なく渡して、動かないと言われるでしょうから、壊したなと強気で賠償を――請求するのはやり過ぎですね」

「まあな。だが、調べられたらただのカプセルだってすぐにバレるだろ」
「先輩。これはオーブケース以上に怪しげな魔法陣がですね」
「わかった、皆まで言うな」
「Dカードだって、ちょっと調べてみただけじゃ、ただのありふれた素材でできたカードだったんですよ? 未だにその原理は不明です」

「そうだな」
「だから、謎カプセルだって大丈夫……だといいんですけどねぇ」

いや、ちゃんと最後まで強気で言い切れよ。

「まあ、ここは日本だ。大抵は最初の拒否で済む話だろ。文句を言われたり叩かれたりするかも知れないが、欲しかったら自分で発見しろで問題ない。それに、人類のためになんて、おおっぴらに言い出すやつは大抵自分の事しか考えてないからスルーで構わないだろ」

「言いたいことはわかりますし、先輩らしいと思いますけど、それおおっぴらに言っちゃだめですからね」

「いや、一応俺も大人だし、それくらいは分かってるよ」

三好は疑わしそうな視線を向けた。信用無いな。

「いままでにやってきたことを、胸に手を当てて思い出してくださいよ」

「し、しかし、スキルならともかく、魔道具となると泥棒は増えそうだよなぁ」

露骨に話題を変えた俺に向かって、はぁとため息をつきながら、三好が言った。

「いいんですよ、盗まれたって。どうせ全部オモチャなんですから」
「盗んだ方は、偽物を掴まされたと勝手に思うしかないのか」
「そういうことです」

そうと決まれば、さっそく彼女たちをDPハウスに押し込もう。時間が経てば経つほど、チームIの生存確率が落ちていく。

俺はマイトレーヤの二人を呼んで、トラブルが起こったことを説明した。

「何か問題が起こったことは分かりましたけど、私は何をすれば?」
「二人は、ここで待機していて欲しい」
「え? 二人で? 二十一層で野営ですか?」

突然の話に、三代さんは慌てたようだった。
いくらウストゥーラがいても、不安は不安だろう。

「そこは考えてある」

俺は一拍おいて、二人に向かっていった。

「じゃあ、目を瞑って」
「は?」
「先輩。その言い方だと、まるでキスするみたいに聞こえちゃいますよ」
「ええ?! いや、違うから!」
「高校生なら可愛げもあるリアクションですが、これがもうすぐ三十のオッサンですからね?」
「やかましい!」

マイトレーヤの二人は、くすくす笑いながら、目を閉じた。いや、なんで君たち少し上向くのさ。

俺はそこから目をそらして、三好に向かって頷いた。

すると、ズンという重い音と共に、それはその場に現れた。
直径が十メートル近くある、円筒形の建物で、屋根部分は半球状になっている。言ってみれば巨大なR2
-D2のボディが直立しているようなデザインだ。
各所から塩化ベンゼトニウムを噴出するスライムガードの都合上、こういったデザインになったのだ。


「はい、もういいですよ」
「え? ……えええ!!!!」

目を開けた三代さんは、目の前にいきなり登場した大きな建物に驚愕した。

「あ、あの……ど、どうやって、こんなものを?」

三好は、彼女たちの目の前でカプセルを取り出すと、「これです!」と言った。

「え、そ、それは?」
「カプセルコーポレーション製、最新のホイポイカプセルテクノロジーを利用した家――あたっ」


俺はペシンと三好の頭をはたいて、調子に乗りすぎている三好を止めた。

「あー、隠していたが、実はこれはひとつのものを収納するためのマジックアイテムなんだ」
「ええ?! なんですそれ?!」
「ほれ、三好、やって見せて」
「仕方ありませんね」

そう言って三好は、いかにもカプセルを使っていますというポーズで、家を収納した。
目の前から消えた家を見て、三代さんは呆然としていた。

「……うそ」
「そんなものがあるなんて、ダンジョンって凄いですねぇ」と小麦さんは暢気なものだ。

そして、今度は、ボタンをカチリとおして、ぽいっとそのカプセルを投げると、元の位置にDPハウスが出現した。

ボンとか言う音と、煙が欲しいな。

「というわけだ」

俺はカプセルを拾いながらそういうと、それを三好に渡した。

「なんですか、なんなんですか、それ?! いったい何処で――」
「それは秘密だ。あと、一応内緒で頼む。政府に巻き上げられたりしたら困るから」
「はぁ……わかりました」

そこで三好が俺に耳打ちした

「先輩。冷蔵庫の中身がないんですよ。収納って時間が止まりませんから。先に入って詰めといてもらえませんか?」

「了解」

三好が、鍵や扉について説明している間に、ロックをはずして先に室内へ入った俺は、電源を入れると、冷蔵庫の中にたっぷりと食料と詰め込んだ。

保存食と水の類はストッカーに入ってるし、生活用水も……あ、水魔法所有者がいないのか。

「もうここまでやったら、何を追加しても同じだよな」

俺はオーブケースを取り出して、水魔法を入れた。クリエイトウォーターならすぐに使えるようになるだろう。

二人のうちどちらが使うのかは、彼女たちが決めるだろう。

外に出ると、三好がマニュアルの入ったタブレットを渡していた。外部モニタや銃眼の使い方を始めとする、各種設備の使い方が書かれたものだ。


DPハウスは、中央に居間のような空間があり、その周囲にリング状に、シャワーやトイレや台所が並んでいる。外壁はモンスターの攻撃を想定しているため、頑丈に作ってある。

内壁にはぐるりと外の様子を映し出すモニタが並んでいて、好きな部分を手元のモニタに表示させることができるらしい。

寝室は二階で、その上は、上からの攻撃スペースになっている。屋根の上に出ることもできるようだ。


小麦さんが一緒なら中にいるまま宝石が出る度に、シャドウピットへ落ちることで、三好の十層然とした、効果的な経験値稼ぎもできるだろう。

そういうノウハウが書かれた小冊子もあるようだった。

「じゃあ、俺達は行くところがあるから、しばらくここで待機していて下さい。モンスター自体は油断しなければ問題じゃないと思いますから、周辺で狩りでもしながら」

「はい! もう原石採取しまくりです!」
「あとこれ」

俺はオーブケースを三代さんに渡した。

「ええ? またですか?」
「DPハウスの生活用水は充分に補充してあるけど、足りなくなったらクリエイトウォーターで追加して。方法はマニュアルを見て。二人のうちどちらが使うのかは、話し合って決めて」

「わかりました」

「アヌビス」
「なんだ、雄」

基本遊撃のアヌビスは、平常時は大抵小麦さんの影にいて、呼べば出てくる。

「二人のことをよろしくな」
「任せておけ。この辺りなら問題ないだろう」
「後、お前ら入れ替わりの影渡りはマスターしたのか?」
「ぬうっ、あれは難しすぎる。まだしばらくはかかるだろう」
「そうか。仕方がないな」

出来ていれば、なにかを1頭借りていけば連絡が取れたんだが……
アルスルズは割と簡単に使ってたみたいだが、あいつらクローンみたいにそっくりだったからな。こいつらは一頭一頭がサイズも違うし、余計に難しいのかもしれない。


「ともかく俺達が帰るまで、お前達で二人を守るんだ」
「くどい。さっさと行け」

しっしと追い払うように、尻尾を振ったアヌビスに苦笑すると、俺達は二人に手を振って駆けだした。

もうじき太陽はその姿を地平線の向こうへと隠すだろう。夜はすぐそこにまで近づいてきていた。



118 救出(前編) 1月
27日 (日曜日)


「三十一層までの述べ距離は、ざっと20キロちょっとってところですね」

三好が、タブレットのマップソフトで、階段間の距離を計測していった。フロア平均二キロと言ったところか。


「意外と近いな」
「でも、世界記録で走っても、五十六分弱かかりますよ」
「三十分で行っても、トラブルが起きてから一時間弱か。無事だと良いけどな……」
「世界記録の倍で走りますって宣言しているようなものですよ、それ」
「そりゃ、走ってるの三好じゃないからな」

三好はカヴァスの上に乗っているのだ。
どうやらシャドウバインドのアレンジで落っこちないようになっているらしい。まるでケンタウロスだ。俺も乗れないかとドゥルトウィンを見たら露骨に目をそらして、俺の影の中へと潜って逃げやがった。こいつら……


「てへへ。走りながら資料に目を通したりできませんからね。これなら大丈夫です」
「俺も真似したいよ。それはともかく、三好、一緒に行くなら、これ使っとけ」

俺は走りながら三好に、昨夜取得した暗視のオーブを渡した。
もう夜になるし、三十一層は闇の神殿と呼ばれているらしい。必ず必要になるはずだ。

「了解です。昨夜取りにいっておいて良かったですね」
「まあな。おっと、検問だ」

二十一層を出た後、かなりの速度で階層を下りていく俺達にとって、自衛隊の通信部隊は非常に面倒な存在だった。


まず、時間を調べられていれば、階段間の移動時間がバレる。
それだけならまだしも、通過した人間を記録されていれば、三十一層で登場する予定のファントムの正体がバレるおそれがあった。


彼は何処にでも現れる。
そう言いたいところなのだが、現時点でそう主張するのは、いくらなんでも無理がある。なにしろ十層でイギリスっぽいチームを救ったっきり、人前に出てないのだ。


「私だけが降りてる感じで擬装しましょう。ほら、私一応Sですし、助けに言ってもおかしくないですよね?」


三好がSのところで苦笑しながらそう言った。

「んじゃ俺は、シャドウピットかなにかで、見つからないように降りるわけか?」
「ですです。通過した人は全員いるにも関わらず、いるはずのないファントム様が颯爽と現れるわけですよ。なにかこう、ダークヒーローっぽいですよね?」

「あのな……」

アルスルズのシャドウピットで移動するスキルは、それに入った空間Aと、シャドウピット内の空間Bをつなぐ通路のようなものだ。無関係の空間Cにシャドウピット内から出ることは出来なかった。

つまりそのままでは階層を越えられないのだ。階層どうしは違う空間とみなされているからだろう。

八幡の事務所と入れ替わるあれは、アヌビスによればハイディングシャドーの応用技らしい。

だから、もしもそれを使って移動するなら、上層の通信部隊に見つからない位置から階層の境界まで移動し、ピットから出て空間をまたいだ後、もう一度ピットに落ちて、下層の通信部隊に見つからない位置まで移動することになる。

これが結構な手間で、あとで連中にご褒美をたっぷり要求されそうだったが、ことここに至っては仕方がない。


俺はシャドウピットを利用して移動し、三好は呼び止められた場合、ランクSの権威を振りかざして通過した。


「権威って……もうすこし言い方というものが、ですね」
「しかし、効果はてきめんだったぞ。みんな敬礼して見送ってくれてたじゃん」
「吃驚ですよね」

世の中では世界ダンジョン協会ランクを強さの象徴のように捉える風潮がある。
実際のところ、それは世界ダンジョン協会への貢献度を意味しているだけなのだが、強者の方が貢献度が高いという相関は確かにあるだろうし、強さのランクだと勘違いされても不思議はなかった。

もちろん各種フィクションの影響も大きいだろう。Sランク冒険者。それはみんなの憧れなのだ。俺たちは探索者だけど。


このタイミングでSが下層に向かうとなれば、救出関係だと思われても仕方がなかった。敬礼はその事への期待でもあるのだろう。


「だけどこれで、三十一層に三好がいて、俺がいないことは公然の事実となったわけだ」
「なにしろ、私が一人で下りていたってことを証言してくれるのは、現場の自衛隊員の人達ですからね」


これほど真実味のある証言もないだろう。これで多少やらかしても安心だ。

「それより、先輩どうするんです?」
「なにが?」
「先輩が倒すと、鉱石が収束するでしょう?」
「ああ――」

そうだよ! それでわざわざ小麦さん達を連れてきてたんだよ!
何でこんなことになっちゃってんの?

「――忘れてた」
「先輩……」

「うーん。三十一層は避けられないが、二十五層から三十層は倒さずに駆け抜け……られないかな?」


三好はタブレットでルートを確認しながら、どうですかねぇと頭を捻った。

「やってはみますけど、私が倒してもダメですからね」
「こんなことなら、どっちかはマイニングを取らずにおくべきだったな」
「後の祭りって奴です」
「三好がダメだと、アルスルズもNGってことだろ」
「ですね」
「先が思いやられるよ」

この先の階層へ進んでいこうとした時、マイニングを持った誰かの後でなければ自分で鉱石を収束させなければならなくなる。

全フロア鉄をドロップさせかねない大ピンチだ。
マイニングをオフにするか、ドロップさせたい金属のリストを誰かに作ってもらって、それを充分に意識した上でモンスターを倒すか、そうでなければまったく倒さず進んでいくか。

なにか手当を考えておかなければ、勝手に進むことも出来やしない。

「アーシャの超回復が一時的に使用不可みたいな表記になってたろ?」
「ありましたね」
「だから、なにかスキルをオフにする方法がありそうな気がしないか?」
「あれは、一時的に体内のDファクターが大量に消費されて、それが枯渇した結果という気もするんですけど」


まあ、確かにその可能性は高い。今の彼女のDカードが調べられない以上はっきりしたことはわからないが。

俺はDカードを取り出すと、マイニングに指を添えて言ってみた。

「stop!」
「break!」
「halt!」
「disable!」

「なにやってんですか」
「いや、何とかならないかと思って」
「多分一単語のコマンドは、例のサイトでほとんどチェックされていると思いますよ」
「ああ、なんとかの単語をDカードに試すってやつな。だが、スキル項目に試してるやつは少ないだろ? 何しろ保有者がいない」


世界中を見回しても、スキル保有者は多くても三桁のはずだ。
それに、大体
class=SpellE>xHP,xMP系が四割くらいを占めているし、戦闘系のスキルは、確か年間二十個もドロップしないと聞いた。魔法になると更に稀少なはずだ。

水魔法が二十億以上で売れていく原因だ。

「それはそうですね。何かあっても不思議はないかも知れません。だけど一人で探すのは茨の道ですよ?」

「だよなぁ……」

「仕方がありません。どうしても戦闘が避けられなかったときのために、なにかイメージを固めておきませんか?」

「ドロップする鉱物のか? まあ、やらないよりマシか」

全階層鉄の洗礼だけは避けなければいけないのだ。

「石油天然ガス・金属鉱物資源機構が備蓄しているのは、バナジウム、クロム、マンガン、コバルト、ニッケル、モリブデン、タングステンの七元素らしいですよ」

「輸入量が多いやつってことだろ、それ。ダンジョンから産出しても、量的にどうかな……重要な資源だけれど必要量が少量で、かつ、ひとまとめに出来そうなものって言えば……ランタノイドとかか?」

「レアアースってやつですね。でも15元素をイメージするのは、ちょっと難易度が……」

ランタンを具体的にイメージしろと言われても、確かにピンと来ない。
ネオジムあたりなら、磁石をイメージすればいいんだろうか? いや、磁石をイメージしたりしたら、やっぱり鉄を引きそうだ。


ランタノイドねぇ……確か、4f軌道に電子が順番に増えていく元素群だよな。

……4f軌道?

「そうだ三好! いっそのこと物理量でイメージしてみないか?」
「はい?」

結局、それを決定する何かに、自分のイメージを伝えることが重要なわけだ。
単に伝えることだけが目的だというのなら、そこらのイメージなんかよりもずっと正確に伝わるはずだ。

なにしろアレシボ・メッセージにだって、DNAの構成元素を記述するのに、原子番号が使われたのだ。よっぽどのことがない限り宇宙共通と考えていいだろう。


「今までは、それが勝手に俺達の抱くイメージを読み取っているという感じだったろ?」
「そうですね」
「今度は、それに対して情報を積極的に伝達しようという試みだよ」

「それが対象の抽象化だったり、模式化だったりするってことですか?」
「そうだ。ほら、ランタンそのものをイメージしろといっても俺達には難しいじゃないか。だが、陽子数が五十七個の原子なら模式的に明確なイメージができあがる」

「仮にダンジョンが物理量を理解したとしても、それだけじゃ同位体が混じりませんか?」
「質量数や原子量を追加するのも悪くはないが、そうしなくても、同位体の存在率がそのまま適用されそうな気がしないか?」


イメージなんかで物事が完璧に伝わるはずがない。つまり、欠損部分はダンジョンが補っているってことなのだ。

なら、その元データは、地球の自然そのものである可能性は高いんじゃないだろうか。

「陽子数が五十七個の原子のうち、もっとも自然界での存在率が高いやつが選ばれるって意味ですか?」

「そんな感じだ。そうでなきゃ物質が生成されるとき、自然界の存在率と同じになるよう構成される、かな」


俺達の付け焼き刃なイメージでは、ダンジョンに満足に金属の種類を伝えられない可能性が著しく高い。

どうしても戦闘が避けられないなら、やってみる価値はあるだろう。

「ダンジョンが物理量を理解するってのは斬新なアイデアだと思いますけど……そう言われてみれば曖昧なイメージよりもマシな気がしてきました」

「な」
「陽子数が57から71までの原子それぞれで構成される物質を、ランタノイドとしてイメージする
……まあ、やってみますか。ダメ元ですし」
「絶対回避できない戦闘を、無理に回避しようとして怪我するよりはマシだからな」

もっとも俺たちにはそれについての愛もなければ、強い必要性や執着があるわけでもない。
ただこれをドロップしてくれとダンジョンに頼んでみるだけなのだ。うまく行くかどうかはまったくわからなかった。


「効率的なダンジョンへの伝達方法ね……」

いずれはそんな方法が見つかるといいな。


その後は、うまく進路上にあるモンスターの気配を迂回しながら進み、後少しで三十一層への入り口が見えてくるところまでやってきた。


「それで、三十一層はどうなってるって?」
「三十層から下りたところは、直径が百メートル以上ある、円形に近い広場です。中央よりややずれた位置に立っている、高い塔の麓に出るんだそうです」

「つまり、三十層へと続く階段は、その塔の中にあるってことか」
「みたいですね。で、その広場の周囲には、ちょうどあのバティアンの下にあったような、大きな神殿の入り口みたいなのが七つあるそうです」


三好は、鳴瀬さんから送られてきた資料を確認しながら言った。

「……全部が神様の処に続いてたりしないだろうな?」
「三十一層ですよ? それは流石に酷すぎません?」

ダンジョンに良識を期待するのもどうかと思うが、これまでのところ、人類を殺しに来ているわけじゃなさそうだった。

そうしたいのなら、もっと直接的な方法がいくらでもあるからだ。

「で、それぞれの入り口前には件のフェニキア文字のような模様が描かれているそうです」
「フェニキア文字? 例の館の?」
「これですね」

style='mso-spacerun:yes'>
(*G1)
俺は立ち止まって、タブレットを受け取った。そこには鳴瀬さんがメモしたと思われる文字が、手書きで添えられていた。


「アルファベットに転写すると、MICSEIEだそうです。塔に一番近い入り口にMが、以降反時計回りに、MICSEIEと順番に描かれていたそうです」


その時、モンスターの気配が近づいてきた。俺は、タブレットを三好に返すと、再びそれを避けるコースで走り始めた。


「で、チームIがやられたっていう神殿は?」
「塔に近い側のI。つまりMのすぐ側のIだそうです」

、、、、、、、、、

三十一層へ下りる場所に陣取っていた自衛隊の通信部隊の二名は、非常に不安そうな顔で階下を覗いたり、通信機器を弄ったりしていた。


「どうしたんです?」
「うわっ!?」

三好が声をかけると、彼らは飛び上がって驚いた。
三好は世界ダンジョン協会カードを提示して、現状について彼らに尋ねた。

「一時間ほど前から通信機器が不調で、ここから外への連絡は出来ますが、三十一層の部隊へは直接繋がらないんです」

「え? もしかして、すでに全滅……」
「いえ、まだ持ちこたえているようです。下は真っ暗闇なのですが、どうも電波を阻害する何かがあるのではないかということです。あなたは下へ?」

「え? ええ、探索者の義務、でしょうか」
「ご武運をお祈りします!」

二人は揃って、三好に向かって敬礼した。

「ありがとう。すぐに他の救援の皆さんもやってくると思います。大丈夫ですよ」

そう言って、三好は階段を下りていった。

「あれが噂のワイズマンか? 以前テレビで見たのとは随分違うようだったが」
「俺、Sのカードって初めて見たよ。凄く若いんだな」
「俺だって初めてだ。それに、結構可愛いかったな」
「考えてみれば、今の代々木には世界中の凄い探索者達が大勢いるんだ」
「ああ、何とかなるのかもな」

彼らは暗黒の三十一層に、希望の光を見たような気がしていた。

、、、、、、、、、

「そういや、あいつ、ワイズマンメイクじゃないじゃん」

三十一層への階段の途中へシャドウピットで移動すると、そこは漆黒に塗りつぶされた闇そのものだった。暗視なしでは、自分の手足を見ることすら出来そうにない。

そのまま上の話に耳をそばだてていると、先に進んだ三好が、念話で三十一層の状況を伝えてきた。


(オッケーです、先輩。誰もいません)

階段を下りて三十一層へ出ると、そこは階段同様、まるで闇そのものに粘度があるような気すらしそうな暗黒の空間だった。

そして周囲には、三好の言うとおり誰もいなかった。

通信部隊をここに置いても、こんな闇の中では精神も電池の消耗も激しいだろうし、他の部隊と一緒にいるんだろう。


「目を閉じているのとは、全然違うな。まるで圧力があるみたいな闇だ」
「ああ、暗視がないとそんな感じですよね」
「まるでカタカケフウチョウの羽根に包まれてるみたいな気分だな」
「何ですその例え」

俺はきょろきょろと周りを見回したが、魔物の類もいなければ、何の物音も聞こえてはこなかった。


「で、問題の神殿ってどこだ? そもそも塔の入り口って、どっち向いてんだ?」
「分かりませんね。ちょっと周囲のマップを作ってみます」

百メートルの広場を走り回って、地面に書かれた大きなフェニキア文字を確認して回るよりも、先に全体マップを作った方が有意義だし、もしかしたら早い。

塔の外壁を登って辺りを見回すという手もありそうだが、見上げた塔は、蔦のようなものがびっしりとからみつき、とても登れそうには思えなかった。

蔦はほとんどが枯れているようで、少し触れただけで、ぼろりと崩れる部分が多かった。

三好は大き目のドローンを取り出すと、五メートルくらいの高度で周囲を順番にスキャンし始めた。それ以上高度を上げると、ドローンのライトでは明るさが足りないようだった。


「カメラ越しの映像に暗視は役に立たないんだな」
「そりゃ、モニタの画像は再構成されたものですからね。もし、役に立ったりしたら怖いですよ。一体どんな原理なんですか」


スキルが電子機器にまで影響を与える? そりゃ確かに恐ろしい。

「よくある設定だと、電子使いみたいな超能力者だとかか?」

二人しかいないことが分かっていても、あまりに静かな空間では、つい小さな声で話をしてしまう。

俺たちは小声で話しながら、広場のマップが完成するのを待っていた。

一分も経たないうちに完成したそれは、タブレットの上に、奇妙な図形を描いていた。

「なんだこの模様? 足が6本ある、顎の突き出た人の顔をしたフタコブラクダみたいだな」
「そう言われれば右側は人の顔っぽいですね……って、これ、どっかで」

はたと気がついたような様子で、三好は自分のノートパソコンを取り出すと、ブックリーダーを立ち上げて、何かを検索し始めた。

俺は作られたマップを見ながら、塔の位置に近いIの文字を探した。フェニキア文字なのでぱっと見つけることが難しいのだ。上下すらよくわからない。

そうして十秒ほど経ったとき、三好が予想もしていなかったことを言った。

「先輩。正体不明だった今度の相手、どうやら悪霊っぽいですよ」
「悪霊ぉ?」

俺がタブレットから顔を上げると、彼女は、何かの細かな図形の一覧表のようなものを、画面に表示していた。


「それは?」
「レメゲトンの初めに、ソロモン王が使役した悪霊について書かれた部分があるんです」
「ゴエティアってやつだろ」

非常に有名な書物だけに、漫画・ゲーム業界では御用達だ。情報の断片を都合よく利用している。


「って、お前レメゲトンなんてDLしてんの?」
「地球の文化が関係しているって言ったのは先輩じゃないですか。とりあえずその手の資料でデジタルデータになっている有名どころは大体DLしてざっと目は通しました。何が出てくるかわかりませんし――」


相変わらずものすごく勤勉な奴だ。
俺のサポートと役割を決めてから、ちょっと頑張りすぎなんじゃないかと心配になるくらいだ。

「――で、これです、先輩」

そこには、さっきの模式図によく似たデザインのシジル――魔術で使われる図形や紋章――が拡大されていた。


「序列六十六番目、地獄の二十の軍団を率いる、マイティな大侯爵キメイエスのシジルだそうです」


いきなり提示された結構な大物に、俺は思わずため息をついた。

「いや、このフロアがキメイエスをモチーフにしてるだけとか……」
「だけど、黒い馬にまたがった戦士っぽいモンスターって、まるっきりそのものですよ?」
「……ダンジョン気張りすぎだろ」

「避けられないルートだとしたら、意外と現実的な強さなのかも知れませんけど」
「現実的ってどんなんだよ……まあ、ソロモン王に使役されていたってくらいだから、なんとかなるかもな。ゴエティアにその方法は?」

「一応。だけど、火曜日か土曜日の0時に、未使用の羊皮紙に童貞の黒い雄鳥の血で書く魔法陣とか用意できませんよ」

「聞くだけで厨二病を患いそうだな、それ……」

強大で倒せないような敵が出てくCoCみたいなTRPGならきっと、そういったアイテムを集めて道具を揃えることで敵を封印できたりするんだろうが、いまさらどうにもならない。しかもそれが効くかどうかもわからないと来ている。

俺は頭をぼりぼりと掻いて言った。

「ってことは、やっぱり、十字架とかを用意した方が良いのかな?」

「どうでしょう。悪霊と悪魔って結構存在は被ってますけど……レメゲトンだとみんなSpirit表記なんですよ」

「まあ、同じと見なしても良いだろ。キリスト教の悪魔って、大抵元天使だから、もう悪霊=悪魔=天使で」


とあるギリシア人のローマ教皇が、天使信仰が行き過ぎているという理由で、ローマ教会会議で豪腕をふるった。その結果、ほとんどの天使は、なんだかんだと難癖をつけられて堕天させられたのだ。

「力無き者が王であるより、力有る者が王であるべき」なんてことを平気で言った人なので、宗教家と言うよりも政治家だったんだろうな。


「無茶苦茶ですね。でも先輩、十字架は効果ないと思いますよ?」
「フィクションの悪魔も、強力なやつは平気で十字架握りつぶしたり、恐れるふりして相手をおちょくったりしてるもんなぁ……」

「違いますよ。そもそも先輩には信仰がないんですから、十字架を持ったところでそれはただの物だと思いますよ」

「敬虔なる科学の使徒に向かってなんてことを」
「神は自然の諸効果の中に、すぐれてそのお姿を現わしたまうのであるってやつですね」
「昔の科学者は、みな自然哲学者って自称してたくらいだからなぁ。まあどっちみち十字架は用意がない」


ロザリオだと思われるものはあるが、先に付いているのはベニトアイトだ。

今後は一応持っておくべきだろうかと考えながら、レメゲトンの当該箇所を見ると、画像の説明には、CIMEIESと書かれていた。

鳴瀬さんが送ってよこした、MICSEIEは、自衛隊が探索した順番にメモしたものだ。時計回りに読めば同じ文字列が現れる。

どうやらビンゴらしい。

「侯爵ってのは強そうだが、序列六十六番目というのは強いのか弱いのか微妙だな」

俺は三好にノートを返しながらそう言った。

「エンカイは、仮にもアフリカの太陽神ですからね。キメイエスは、アフリカの全悪霊を従えている悪霊ですから、あれよりは大分劣ると思いますけど……」

「ど?」

三好がマップと周囲を照らし合わせて、目標の神殿を探しながらした話によると、レメゲトンは写本や引用が多いぶん内容もいい加減で、キメイエスの描写にしても、
godly《敬虔》な戦士だったり、乗っている馬がgoodly《大き》な馬だったり、単語もそれが係る場所もバラバラで、何が本物なのかよく分からないそうだ。

何のレギオンなのかを記述するところが、Internal ってなんですかと憤慨している。
Legions of Internals。うん、意味が分からない。たぶん、Legions of
class=SpellE>InfernalsのTYPOだろう。それに、悪霊の記述に
godlyはないだろう。

「大英図書館にオリジナルがあるんですけど、まだ電子化プロジェクトの対象になってませんでした」


MSNブックサーチの目玉として始まった、マイクルソフトと大英図書館のコラボレーション事業は、いまでも一応存続している。


「地獄と言えばプランシーは?」
「一八一八年版には登場しません。CHIROMANCIE《手相占い》の次の項目は、
CLなんです。いろいろと追加された一八六三年版には出てきますけど、レメゲトンからの引用ですね」


地獄の大侯爵キメイエス。
アフリカの悪霊を従え、人に文法や論理やレトリックを教える悪霊。隠された何かや財宝を暴く力を備え、さらには、部下の俊敏を強化するようなことも出来る奴ってところか。


「他にも、闇の中に住んでいる戦闘民族のキメリアンに由来しているのではないかなんてことが書かれた本もあるんですが、眉唾ですね」

「文化的なイメージの反映なんだから、ダンジョンにとっちゃ、ヨタかどうかはどうでもいいんだろ。闇の中に住んでいる戦闘民族なんていかにも三十一層っぽいしな」


俺が周りの闇を腕で示しながらそう言ったところで、三好が問題の神殿を特定して指差した。

「あれですね」

俺たちはその神殿に向かって歩き出した。周囲には、相も変わらず何の気配もなかった。

「ま、そういうわけで、内容はほんとうに色々なんですけど、いずれにしても、黒い馬にまたがった戦士だというのは共通の記述でした。ただ――」

「第2形態は寄せ集めのドラゴンだって言ってたもんな」

「それって、たぶんキマイラなんじゃないですかね」
「何か関係が?」
「ある、と言われています」

正確なところははっきりしませんけど、と三好が続けた。
まあ、音は似ているな。

「ギリシア神話のキマイラなら、口に鉛を突っ込めば勝手に窒息死するんだっけ?」

鉛無いけどな。

「それもに複数の説があります。いずれにしてもファイヤーブレスはあるかもしれないので、それには気をつけてください」

「了解」

エンカイと違って情報があるぶん、それぞれが曖昧で、いまいち弱点めいたものははっきりしない。だが、得体の知れない相手と闘うよりも、名前が分かっている相手の方がずっと気楽だ。

人は、ものに名前をつけることで、混沌から世界を取り戻したのだ。

「ともかくエンカイよりも弱いなら、なんとかなりそうな気もするな。お供はデスマンティス4体か」

「とにかく素早いそうです」
「キメイエスの能力で俊敏マシマシになってたりするとか?」
「どうでしょう。ただ、エバンスのボスキャラと同等だとしたら、全力の先輩なら楽勝ですね」
「油断は禁物だ。囓られたら痛そうだし」

俺は、サイモンチームのメイソンのことを思い出しながらそう言った。

「後は、チームIの救出だが――」
「ポーション(5)でも、超回復でも。先輩が必要だと思うものを使っちゃって構いませんよ」
「悪いな」

Dパワーズで使うなら、後から請求も出来るだろうが、ザ・ファントムが使った場合は請求のしようがない。

三好は、「ま、必要経費ですかね」と笑った。

当該神殿の前まで来ても、一向に雑魚キャラの気配も自衛隊の気配もなかった。

「本当に、ここなのか?」
「Mの側のIならここで間違いありません。ガーゴイルの例もありますから、油断は禁物なんでしょう? 先輩」


さまよえる館に最初に登場したガーゴイルは、動き出すまで生命探知に引っかからなかった。
だが、三好の危険察知にも、アルスルズにも反応はなさそうだし、大丈夫だとは思うが……

「しかし、何でこんなに静かなんだ?」

約一時間前には、この奧でボス戦が行われていたはずだ。なのに現在は微かな銃撃の音一つ聞こえない。まさかもう全滅した後とか言うんじゃないだろうな……


「上の人達は、まだ持ちこたえているようだって言ってましたけど」

俺達は注意深く、指定された神殿の門をくぐった。

その瞬間、世界からは静寂が失われ、闇の奧から断続的に響く銃撃の音と、怒号が聞こえてきた。

俺たちは思わず、姿勢を低くして身構えた。

「どうやら、ここも別空間っぽいですね」

三好が今入ってきた神殿の入り口を振り返りながらそう言った。

「それで、通信が上まで届かなかったのか」

階段の下と同様、神殿の内と外を中継しなければダメなんだろう。
表の器械を、ここまで引っ張ってきてやろうかと一瞬思ったが、奧は一刻を争いそうな勢いだ。ケーブルの長さも足りなさそうだし。

通信の回復は諦めて、俺たちは足早に奧へと向かった。

「自衛隊に、生命探知持ちっているのかな?」
「公開されていません。いても、私たちだってばれなきゃいいんですよ。後で聞かれても、私の側には誰もいませんでしたよとしらを切りますから」

「ファントムは見えない探索者だもんな」

生命探知では、せいぜいが、マークしてそれを認識している間追いかけることが出来るだけだ。一旦探知から外れてしまうと、同一人物かどうかを判断するのは、何か大きな特徴でもない限り非常に難しかった。


俺たちはすぐに神殿の最奥に行き着いたが、そこにも誰もいなかった。
音はさらにその先にある、自然洞窟のような通路から漏れてきているようだった。

「神殿の奧に自然の洞窟なんて、なんらかの脅威が外に出てこられないように、入り口に神殿を造りましたと言わんばかりだな」


その先の通路は、それまでの人工的な構造物とは大きく様変わりしていて、自然の洞窟が緩やかなカーブを描いていた。


しばらくすると、闇の向こうから微かな光が見え始め、銃撃の音はますます大きくなっていった。

そうして、その先に広がっていた広場のような空間で、自衛隊が掲げる頼りないライトの先に、そいつは姿を現した。


「こいつは……」
「確かにキマイラと言えば言えますね。ボディは巨大な馬でしょうけど、上に乗ってるのは――」

「グロいな」

それは内側から爆ぜた人間に爬虫類を混ぜたような酷い造形だった。そこから鶏の足やドラゴンの尻尾、あとはなんだかよく分からない泡の塊のようなものがくっついていた。

俺たちがいるのは、通路が広場にぶつかった場所で、広場の床から3・4メートル上に離れた場所だった。

おそらく自衛隊が下りるのに使ったのだろうロープや縄梯子が入り口に掛かっていた。

壊されたライトが一つ倒れていて、その周辺には、バッテリーを初めとするいくつかの物資が積まれていた。

そして、床の色が他と異なって見えた。

腹ばいになって下を覗くと、自衛隊の部隊は、左側の少し離れた位置で簡易陣地を構築して、防御に徹しているようだった。

そうして洞窟の真下には――

「先輩?」
「三好は見ない方がいいぞ」

白黒の視界が、そのショックを和らげてくれていなければ、俺はきっと派手に戻していただろう。そこには、おそらく二人の人間がバラバラになって散らばっていた。

荒い息をつきながら、俺は仰向けに転がると、心臓の上で右手を握って落ち着こうとした。

「先輩?」

近づこうとする三好を左手で制して「大丈夫だ」とだけ言った。
人の死が、すぐ耳元で囁いているような気がした。うつろな瞳をした首だけの姿で。

「ふぅ……」

俺は上半身を起こして三好に言った。

「いいか、三好、入り口付近で灯りを漏らすな。モニタでなにかするなら、なるべく光が漏れないようにして、必ず広間との間にアルスルズを入れろ」

「……」
「どうやら、そこのライトは、それをつけようとした奴にデスマンティスが飛び込んできたときに壊れたみたいだ。連中、光に過敏に反応するようだ」

「わかりました」
「あと、真下は覗くな」

三好は何かを察したような表情で、こくりと頷いた。

キマイラは、時折蜥蜴のような口から、予想通りブレスを吐いていたが、自衛隊が展開している簡易陣地と盾で防げていたようなので、それほど大きな威力というわけでもなさそうだった。

それよりも、突然現れたように見えるデスマンティスの方が圧倒的に脅威になっているようだ。

「デスマンティスは、かなり早そうですよ。私なら避けるのが精一杯ですね、あれ」

デスマンティスの移動と、鎌の振り降ろしを見ながら三好が言った。確かに大したスピードだが――


「エンカイの十倍くらいは遅そうだから、なんとかなりそうだ」

〇.一秒も〇.〇一秒も知覚できないなら同じだが、知覚できるならまるで違う。
一分と十分がまるで違うようなものだ。

「おお、先輩。なんだか頼もしいです」

「だけどあのポジションなら、壁沿いにここまで撤退も出来そうじゃないか? なんで一時間もあそこで粘ってる?」

「どこかに要救助者がいるというのが、一番可能性が高いですね」

三好はそういうと、ドリーで使っていた、マットな黒の小さなドローンを取り出して飛ばし始めた。


「いいか、三好。くれぐれも――」
「光は出しませんよ。こっからモニタ越しにドリー方式で援護しますから」
「よし。周りはアルスルズでがっちり固めとけよ」
「先輩こそ気をつけ下さいよ。で、どうするんです? いきなり参戦しちゃうんですか?」
「まずは直接聞いてみるかな」
「え?」
「なにかお困りかね? って聞けばいいだろ? イギリスの時みたいに」
「ファントム様の自衛隊デビューですね! じゃあ、バッチリ録画しておきます!」

調子の戻ってきた三好の雰囲気が、俺の気分から死の気配をぬぐい去る。

「いや、それはいいから」

俺は慌ててそういうと、ドゥルトウィンのピットに落ちた。


119 救出(後編)1月
27日 (日曜日)


「鋼一曹! 弾薬が!」
「上からの補給はどうなってる?」
「連絡したのが一時間前ですからね、地上からだと、どんなに急いでも二十四時間はかかるでしょう。十八層には結構な備蓄がありますが、それでも六時間半は……」

「おいおい、絶体絶命ってやつか? こんなピンチは沖縄以来だな」
「そういや、要救助者も同じですね」

海馬三曹が気楽な様子でそう言った。

「あのときは、死を覚悟しましたけど、今度は、逃げようと思えば逃げられそうですよ?」

なにしろ出口は敵とは反対方向なのだ。もっとも縄梯子を登っている隙を、あのクソカマキリが見逃してくれるとは思えなかったが。


「あと5時間は?」
「絶対に維持できません。大体君津二尉が――」
「ポーション(1)は二本あるはずだ。バイタルは安定してるんだろ?」
「一応」

隊員のバイタルは、腕と足に取り付けたデバイスでモニターされていた。
どういうわけか、右腕のモニターは反応がないが、壊れたか外れたかしたんだろう。

「なら、ただあそこから動けないだけだと信じろ」

あの馬鹿、無茶ばかりしやがって……
鋼はこうなった状況を思い返していた。

、、、、、、、、、

二時間ほど前、三十一層に下りたチームIは、光量増幅タイプの暗視装置が全く役に立たないことに驚いていた。

地下に潜っていくのだから、光がゼロの世界があってもおかしくはない。だが、ここまでダンジョンにそういう場所はなかったのだ。

やむを得ず、周囲の調査には小さなトーチを利用した。

その広場然とした場所には、何もいなかった。周囲には、まるで神殿のように見える、よく似た建物が七つあって、入り口の前の地面には奇妙な記号が描かれていた。

通信部隊の二人は、チームIが収集してくる情報をまとめると、地上に向けて送信していた。

「しかし、不思議だよな」
「何が?」

データをアーカイブしていた痩せた男が、機器の状態を調整していたがっちりしている男に向かっていった。


「ダンジョンの層って別空間だと言われているだろ?」
「ああ」
「つなぎ目は何処にあるんだと思う?」
「階段……じゃない場所もあるか。層をつなぐ通路の途中じゃないのか」
「だけど、通路の中は連続しているように感じるじゃないか」
「そうだな」
「なら、どこにつなぎ目があったとしても、可視光は通過してるってことだろ? ここはともかく」


痩せた男は、三十一層の入り口を親指で指差して言った。

「それで、なんで電波が通過しない?」
「同じ構造が二つの空間にあって、途中でワープさせられてるのかもよ?」
「なら、なんで物理的なケーブルは引っ張れて、接続を維持できるんだ? ケーブルの中を通過している光や電気はどうなってる?」


二つの空間がくっついているのだとしても、そこを特定の通信用の電波だけが通過できないというのは、どうにも不自然だ。


「きっと、通信用の電波だけを通さない、マックスウェルの悪魔みたいなゲートキーパーがいるんだろうぜ」


、、、、、、、、、

その後、一通り広場のデータを地上へと転送した彼らは、通信機器を放置したまま、チームIに同行していた。

三十一層では、まだ一度もモンスターに遭遇していなかったとは言え、何かがトーチに引き寄せられて現れたときに、通信部隊の二人で対応できるかどうか分からなかったためだ。

分散して、バッテリーの消費量を二倍にすることを避ける意味もあった。

チームは、あちこちにケミカルライトをばらまきながら進んでいた。

「せめてうちにも、サーマルイメージャーが融合された暗視ゴーグルがあればな」

米軍が利用しているサーマルイメージャー付きの、AN/PSQ-20 や
36 は、自衛隊では導入されていない。

「L3のF−Panoが欲しいですね」
「まだ正式発表もされてないだろ。春頃じゃないのか?」
「ダンジョン内ですし、いっそのことアクティブタイプはどうです?」
「ダツみたいな走行性のあるモンスターがいたら的だぞ?」
「ものがたっぷりと持ち込めるなら、ガードされた大光源で照らしまくるんですけどね」
「電池も発電機も重いからな。自走式のポーターが実践投入されるまでは、ケミカルライトで済むところはそれで済ませたいってところだろう」


「米軍じゃ、パワーアシスト付きの外骨格が導入されたという話も聞きますが」
「ダンジョン攻略局が試験的に導入したって話を聞いたが、動きにしても使用時間にしても、実用化には時間が掛かりそうだという話だ」


「なら、やはり頼みの綱はポーターですか。ポーターはいつ投入されるんですかね?」
「さあな、多足歩行と履帯でしのぎを削っているそうだが……まあ、セーフ層なんて話が出てから一気に開発が進んでいるようだから、すぐに投入されてくるんじゃないか?」

「問題は、やはり使用時間でしょうか」
「そうだな。インバーター発電機もかなり静かになったが、それでも40dB台だからな」

ダンジョン内でエンジン音を響かせるのは問題があるため、おそらくバッテリー駆動になるだろうが、長時間の活動を支えるだけのバッテリーは高価で重い。


「しかし凄いっすよね、ここ」

海馬三曹が、ライトで天井を照らしながら言った。
そこには精緻な文様が描かれた梁や天井が広がっていた。

「資料を見てると、十八層にもあるらしいですけど、俺見たこと無いんですよ」
「あそこは、発見時に立ち入り禁止になったからな」
「何があったんです?」

バティアンを巡る初期探索時の情報は、最終的な遺体が山頂付近で発見されたこともあって、洞窟の部分の話は余り知られていなかった。


「最初に入ったチームは誰も戻ってこなかった。最後の通信は、『山頂に』だったそうだ」

鋼一曹は、重そうな口を開いて、そう言った。

「そして山頂に行ったチームがどうなったのかは、公開されている報告書にまとまっているから知っているだろう」

「助けには?」
「行ったさ。だがすぐに地下へと駆けつけたチームは無数のゲノーモスの前に、進入もままならなかったそうだ。結局遺体は山頂付近で見つかっているし、それ以上の探索は行われていない」


伊織は黙って彼らの話を聞きながら歩いていた。

「隊長!」

その時、先行していた士長が最奥の神殿の後ろにある洞窟を見つけて、伊織に報告した。
伊織は最奥の部屋から続く洞窟の中を、入り口から覗き込みながら言った。

「ひとつめの神殿には、こんな洞窟はなかったが……」

現在探索している洞窟はふたつ目だ。ひとつ目は、塔に最も近い神殿だったが、内部には特に何もなく、最奥の間で行き止まりになっていた。

それに並ぶと、鋼がさっきの話の続きを呟いた。

「件の十八層の神殿も、最奥に細い通路があってな」
「一曹?」
「どうやらその先に罠があったらしい」

伊織はその洞窟を見た。
それはかなり大きな自然洞窟で、鋼が言った最奥の細い通路などと言うものではなかった。

「なんだか、この先あるものが出てこないように神殿を造ったみたいな構造ですよね」

海馬三曹が不穏なことを言った時、最奥の間を調べていた、三名の一士が他には何もないという報告を持って戻ってきた。


「進むしかないわね……行くぞ! 今まで以上に注意しろ!」

伊織のかけ声で、チームはフォーメーションを組んで移動しはじめた。

しかし、緩やかにカーブして続く洞窟の終端はすぐにやってきた。
先行していた三名は、切り取られたようになっている洞窟の終端で、ハンディライトをあちこちに向けていた。


「どうやら大きな部屋の壁に繋がっているようです。下までは約四メートル。水などはありません。上はライトが届きません」

「縄梯子を。荷物はロープで下ろす。いくつか予備のロープもぶら下げておけ」
「了解」

ダンジョンの床にピトンを打ち込む穴は開けられない。縄梯子は崖にかけるタイプの大きな爪を持っていた。


「ライトで照らした範囲には、特になにもありません、がらんどうの空間に見えます」

士長が一士をつかって荷物を送り込んでいる間、周辺を警戒していた海馬が言った。

荷物を下ろしている隊員達を除いて、全員がその部屋にはいると、伊織は壁に沿って通路と反対の壁まで、鋼と一緒に歩いていた。


「思わせぶりなだけで、何もないな」
「そうですね」

壁はあちこちが避けていて、体が押し込めそうな場所もいくつかあったが、ライトで中を照らしても、ほとんどがただの行き止まりだった。


「そういや、バティアンの地下の初期報告には、山頂で見つかった遺体の残したメモが遺稿として添付してあってな」

「あの罠があったってやつですか?」
「そうだ。それによると、神殿の最奥にある通路は産道だと」
「参道? お参りの?」
「いや、子供を産む産道だ」
「じゃあ、その先にある部屋って……」

伊織は辺りを見回した。ほとんどが闇に覆われていたが、隊員達が作業をしている場所が、まばらに明るかった。

こんな巨大な子宮で生まれる何かについて、ちらりとそれが頭をよぎった瞬間、中央付近にいた海馬が大きな声を上げた。


「隊長!!」

、、、、、、、、、

「あ、あれ?」
「どうした?」

通信隊員の上げた声に、チームIの沢渡二曹が気がついて声をかけた。

「現状報告を上げようとしたのですが、上と繋がらないようです」
「故障か?」
「いえ、予備も同様に電波を拾ってないようですので、電波が遮断されているように思えます」

その言葉の意味に不穏な物を感じた沢渡は、ふと後ろに広がっている闇の空間を振り返った。
手前には荷物を下ろす隊員が、中央付近には海馬が、向こう側の壁の付近には、隊長と鋼一曹がつくる灯りが見えた。


「やむを得ん。君たち二人で連絡に戻ってくれ」
「「了解です」」

ふたりが縄梯子を上まで上がりきったとき、部屋の中央で海馬の叫ぶ声が聞こえた。

「隊長!!」

そうして二人は洞窟の入り口から、部屋の中央に広がる大きく奇妙な形の魔法陣を見た。
それが、キメイエスのシジルだったことは、二人には分からなかった。

、、、、、、、、、

海馬三曹がこちらに向かって走ってくる。
その向こう側には、なにかの形をした広がる光の筋が地面に広がっていった。

「こりゃあ……」
「何かが産まれそうね」

子宮の話をしていた伊織はそう答えると、肩のベルトから、自分専用の弾頭をひとつ取り出した。

それは、彼女のスキルを生かすために作られた弾頭だった。

人間が直接使用する弾頭という制約上、劣化ウランの使用は見送られ、弾芯には超硬合金が使用された。

それを強磁性の物質でくるんだ弾だ。伊織としては、強磁性で質量があればなんでも良い気がしていたが、そこはメーカーにも意地があるのだろう。

そのせいでコストが嵩んで、おいそれと使えなくなってしまうのは本末転倒だと思うのだが……

「いきなり全力は止めとけよ」

彼女のスキルは磁界操作だ。MPさえつぎ込めばどこまでも強力な磁束を作り上げられる。初めてそのスキルを見たとき、彼女は全力でそれを撃ち出して、その後は気を失っていた。

以来、オーバーキルで使用する傾向が強いのだ。こんなところで気絶されたらたまらない。

「分かってますよ。いつまでも子供じゃないんですから」
「確かに、上官様だけどな」

鋼は故意に茶化していった。
部屋の中央からは、何かがせり上がり始めていた。

「セーフ!」

海馬が滑り込みながらこちらまでやってきて、立ち上がると後ろを振り返った。
地面の下から産まれてきたのは、巨大な騎馬戦士だった。

「なんですか? あれは?」
「なんだろうと、荷下ろしをしていた隊員の方を向かせるのは拙い、何もいなかったのが災いして、あっちはまるっきり無防備だ。こちらに注意を惹きつけるぞ!」


伊織がそう言った瞬間、二人は訓練通り89式小銃の安全装置の切り替えレバーを一八〇度まわしバーストモードで射撃した。


「沖縄を思い出しますね、これ」

海馬三曹が、引き金を引きながら苦笑いする。
あのとき同様、相手は、五.五六ミリを何発喰らおうと、なんの痛痒も感じていない様子だった。


「こっちもあのときのままじゃないだろ」

鋼はそう言って、ウォーターランスと呼ばれる、太い槍状の水魔法を発動した。海馬三曹もそれに続いて同じ魔法を発動する。

二本の槍は、狙い違わず戦士の体に命中してはじけた。

「効いてんですかね?」
「さあな。だがこっちを向いただけで目的は達成しただろ」
「ゲームみたいにHPバーでも見えるようになればいいんですが」
「話題のDパワーズにでも頼んでみるか?」

攻撃を受けた戦士は、ゆっくりとこちらを振り返ると、右手をブンと振り下ろした。

「うぉ?!」

慌てて右に飛んだ三人がいた場所に、土埃が上がり、なにか黒いものがいくつかたたきつけられ、その振動が伝わってきた。


「何だ今の?!」
「盾なしであんなのを喰らったら、死んじゃいますよ!」

チームIのフロントガードは、向こうで残された連中の指揮を執っている沢渡二曹だ。

「準備はいいぞ! 撃つ!」
「了解」

周囲の磁性体が巻き上がるのと同時に、伊織が手にしていた弾頭が亜音速で轟音を立てて戦士にぶつかり、その体を貫いた。


「もうひとつ!」

同じ衝撃で、今度は下半身の馬部分が貫かれた。

伊織の世界ランキングは18位だが、強大な敵が一体というシチュエーションでは、おそらく世界最強の一人だ。

チームIのメンバーがこの状況であまり焦っていないのは、全員がそれを熟知していたからだった。


馬の前足が折れて膝を突く。
馬上の戦士もがっくりとうなだれ動きを止めていた。

「やったか?」
「一曹、そういうのフラグって言うんですよ」

そう言った瞬間、戦士の体が内側からはじけた。

「はぁ?!」

そこから、巨大な蜥蜴のような頭がずるりと顔を出す。
下半身は馬野からだと融合して、鶏の足のようなものが次々と飛び出してきた。

「こいつはやばくないですか?」

しゅるしゅると長い尻尾が伸びていく。背中にはなにかぶくぶくとした泡のようなものが盛り上がっていて、そこから何かが飛び出したような気がした。


「二人は、向こうのチームと合流して、脱出の準備だ」
「隊長は?」
「もう一発かまして、しばらくこちらでひきつける。なに、デカブツ一匹だ、一番我々に向いてる相手だろ?」

「いや、しかし……」
「急げ! 時間がないぞ」
「「了解」」

向こうへ向かって、壁沿いに走っていく彼らを見ながら、伊織は再度、今度は音速を超える速度になるだろう強度の磁束を準備した。

そうしてそれを撃ち出そうと、右手を挙げたとき――

「え?」

腕に何かが触れたような感触が伝わり、ちくりとした痛みを感じて見ると、そこには手前に尽きだしていたはずの右腕がなかった。

いまこの瞬間まで、なにもいなかったはずの右前に二メートル以上ある大きな影が現れ、三角形の無表情な顔が、伊織の顔を覗き込むようにかしげられた。


、、、、、、、、、

伊織があげた悲鳴を聞いて、鋼と海馬が振り返った。

「あれは?」
「デスマンティスか?!」

伊織の隣で死の鎌を振り上げていたのは、エバンスのボスで一躍有名になったモンスターだった。

思わず、救援に向かおうとした鋼は、横から何かに突き飛ばされてもんどり打った。そうして空いた空間を死の鎌が横切っていった。


「くっ、もう一匹いるのかよ!」

体当たりで鋼を突き飛ばしたのは沢渡だった。チームIのフロントガードが、そこで大きな縦を構えてシールドバッシュで、デスマンティスを押し返していた。

海馬がよろけたデスマンティスに、五.五六ミリをフルオートでたたき込む。それを嫌がったのか、まるで瞬間移動をするような速度で、後ろへと下がっていった。


「あそこへ飛び込め!」

沢渡が指差した先には、俺たちが闘っている間に組み上げられた簡易陣地の中にチームのメンバーたちがいた。

伊織は、どうやら転がって、自ら壁の割れ目へと逃げ込んだようだ。彼女の被っていたヘルメットが飛んで、そのライトがそのあたりをぼんやりと照らしていた。


、、、、、、、、、

洞窟の入り口の上で報告に向かおうとしていた二人は、中央に登場した巨大なモンスターとの戦闘を眺めていた。

一度報告に向かってしまえば、数分間は経過する。状況を見極めてからと考えたのだ。

チームIの磁界砲が発射され、さしものの巨大なモンスターも膝を突いたのを見て、ほっとしたように力を抜いて、報告に向かおうとした男を、もう一人の男が呼び止めた。


「ちょっと待て。あれは……」

そこでは、倒したと思ったモンスターがグロテスクな姿に変態を始めていた。

「ダメージを喰らったら変態するって、どこのゲームのボスキャラだよ……」

その背中から、何かが飛び出したと思ったら、君津二尉の悲鳴が聞こえて、部屋は修羅場へと変貌を遂げていた。


「拙い! すぐに救援を要請して、階段のところの補給物資を持って戻ってくるぞ!」
「わかった!」

その場で作成した画像データ類を納めたメディアを胸のポケットに入れてボタンをかけると、二人は全力で階段へと走り始めた。


、、、、、、、、、

そして、現在。

中央にいるデカブツの向こう側、伊織がいるはずの壁の裂け目の前に1体のデスマンティスが陣取っていた。

そこにはライトの付いたヘルメットが転がっていて、それがモンスターを浮かび上がらせていた。


「しかし、あの位置、君津二尉ならカマキリ野郎を吹き飛ばせるのでは?」
「気を失ってるかもしれないし、手元に弾がないのかも知れないだろう。無線も通じないんだ、メットも外に転がってるし、敵の攻撃を躱したとき荷物を失った可能性が高い」


希望的観測だ。それを聞いていた、士長はそう思ったが、口には出さなかった。
確かにバイタルは確認されているのだ。

「向こうが安定しているのなら、一旦引いて装備を調えてから戻ってきては?」

サポートに抜擢されていた、一人の一士がそう言った。

「ここで俺達が注意を引くのを止めてみろ、あのデカブツが向こうを向いて、ブレスでも吐けばそれで終わるぞ?」


壁の隙間が、デスマンティスの侵入を阻んでいたとしても、デカブツのファイヤーブレスは通過するだろう。そうしたら中の人間は、石窯で蒸し焼きだ。


「しかし、このままでは部隊全体が――」

このままあの割れ目まで部隊を移動させるのは無理だろう。

鋼は沖縄の時と同じ事を考えていた。
部隊を二つに分けて、片方の部隊で敵を引きつけ、もう片方の部隊で伊織を救出する方法だ。幸い部屋の横幅は充分にある。


しかし、あの時とは大きく違うのは、彼女もまた救う側の人間だと言うことだ。一民間人を助けるために部隊が全滅するのは許容されるかも知れないが、一隊員を助けるため部隊を全滅させるのは本末転倒だ。

ダンジョン攻略群にとって、伊織はその価値のある女だったが、まさかそれを口にするわけにはいかなかった。


「何かお困りかね?」

突然後ろから聞こえてきた場違いな台詞に、鋼は思わず振り返った。
自分たちの部隊にそんなことを言うヤツがいるとは信じられなかったのだ。

そこには白い仮面が浮かんでいた。

「誰だ?!」

救援部隊にしては到着が早過ぎる。考えられるのは、世界ダンジョン協会の条約に基づく探索者の救援だが――

鋼はその男?を見て、知らない男だと断定した。少なくとも世界のトップ探索者にこんなやつはいない。


「何かお困りかね?」

男はもう一度同じ台詞を繰り返した。

「馬鹿野郎! ここは遊び場じゃないんだ! 危険だから下がってろ!!」

鋼がそう言った瞬間、男の前にデスマンティスが現れて、仮面の男を値踏みするように三角形の頭をかしげた。


「だから!」

そう言って鋼が簡易拠点から飛び出そうとした瞬間、デスマンティスは死の鎌を振り下ろした。
次の瞬間、真っ二つにされた男の死体を覚悟したが、それが振り切られた後も、男はそこに立っていた。


「何かお困りかね?」

三度同じ台詞を繰り返す男の前で、デスマンティスの鎌は地面へと落ちて、光へと変わった。

鋼は自分が見ているものが信じられなかった。
自分たちは拠点と盾を利用した、面の防衛でしか対応することができなかったデスマンティスの攻撃を、そいつは見切るどころか逆に攻撃したのだ。

左腕が無くなっていることに気がついたデスマンティスは、ギチギチと怒りの声を上げると、その男に近づいて噛みつこうとした――のだと思う。何しろ動きが見えないほど早いのだ。

男に覆い被さろうとしたデスマンティスは、そのまま男の向かって右側を抜けると、地面に倒れて光へと還元され、なにか鈍い銀色をしたものを残したかと思ったが、すぐにそれは消えていた。


なんだ、この男は? 一体、何をしたんだ??

、、、、、、、、、

(流石先輩。デスマンティスは雑魚ですね)
(み、三好〜! やっちまった……)
(どうしたんです?)
(かっこつけるのに忙しくて、咄嗟に、陽子数五十七個をイメージできなかった……)
(まさか)
(なんとも見事に「鉄」でした……)
(ま、まあ、三十一層は雑魚もいませんし? 鉱山としてはハテナがつくフロアですから、ここは不幸中の幸いって事で)

(ううう……)

俺は、襲ってきたデスマンティスの首を報いの剣で切り飛ばして、瞬時に多分鉄の一キロインゴットを格納しながら、さっさと助けて欲しい内容を言えよと、焦っていた。

何処かに取り残されている隊員については、どうやら無事らしいことを彼らの会話を集音していた三好が教えてくれたが、何処にいるのかはわからなかったのだ。


(同じことを四回も言うのはなぁ。だけど他に何て言えばいいと思う?)
(はっはっは。我こそは大魔王。世界ランキング一位のザ・ファントムだ! とか、どうです?)

(あほか。しかし、同じ台詞を繰り返すのって、相手に反応がないと恥ずかしいんだよな)
(昔は壊れたレコードという言葉があったそうですよ)

「お、お前は一体……」

もう、いたたまれないから帰りたいデス。

「用がないなら帰るが」

(締まりませんね)
(うっせ)

「いや、ちょっと待ってくれ! あんたは、その……俺達を救援に来た探索者なのか?」

俺は鷹揚に頷いた。やはり基本は寡黙キャラだな。

「なら、頼む! 部屋の向こう側にいるデスマンティスの前の裂け目に、うちの隊員が一人いるんだ。それを助け出せるか?」

「救助対象は一人だけか?」
「そうだ。囮は俺たちが引き受ける!」

(だってよ)

キマイラと二体のデスマンティスは、相変わらず交互に自衛隊の部隊を削っていた。
ガードに徹した部隊は、なんとかそれを持ちこたえていたが、どうにも時間の問題のようにも思えた。


(ちょっと遠いので途中で念話の範囲から出ますね。適当に支援しますから気をつけて下さい)
(了解)

、、、、、、、、、

仮面の男は、鋼の話を聞いて軽く頷くと、無造作に向こう側に向かって歩き始めた。

「お、おい!!」

囮も策もなしで、いきなりそこへ向かって歩き始めた男を見て、鋼は思わず声をかけた。それではまるで自殺志願者だ。

案の定、途中でデカブツに気付かれたらしく、太いドラゴンの尾が目にもとまらない速度でその男を薙いだ。

鋼は思わず惨状を予測して顔をしかめたが、男は、なにごともなかったかのように、平気で歩き続けていた。それはまるで、男が尻尾をすり抜けたように見えた。


「は、鋼一曹……あれは?!」

いつもはおちゃらけている海馬三曹が、真剣な顔で聞いてきた。

「わからん。どうやら救援に来てくれた探索者のようだが……デスマンティスを一瞬で倒して、あのデカブツがいないみたいに歩いてやがる」

「デスマンティスって、エバンスのボスでしたよね? サイモンチームが苦戦した」
「そうだな」

俺達だって結構な被害を出している。そもそも素早すぎて、魔法を使ってもなかなか捕らえることができないのだ。

隊員達は、まるで信じられない物を見るような眼差しで男の背中を追っていた。

「まるで相手の攻撃が素通りしているようです。そこに実体がないかのような……」
「……ザ・ファントム?」

士長の男が思わず口にした言葉に、それが聞こえた男達は、全員が振り返った。

「まさか、あれが?」
「だとしたら、なんとも趣味的な」

その男は、入り口に陣取ったデスマンティスが、まるで見えないかのように、割れ目に近づくとその中へと体を滑り込ませた。


「ああやって、堂々と行けば見逃してくれるんですかね?」

調子が戻ってきた海馬三曹が、目を丸くしながらそう言った。

「デスマンティスも、何が起こったのか分からなかったんじゃないのか?」
「いや、俺達にも分かりませんよ。彼奴《あいつ》が実はこのダンジョンのマスターか何かで、モンスターを操っているといわれても納得しそうです」


、、、、、、、、、

あれからどのくらいの時間が経っただろう。

割れ目の中に光源はなく、外に落ちたヘルメットに付いたライトが、割れ目から弱々しい光を投げかけているだけだった。

なにもかもがぼんやりしているけれど、まだ戦闘の音は聞こえているから、生きてはいるようだ。


腕の傷を押さえて逃げようとしたとき、振り下ろされた鎌を躱したはいいが、ヘルメットとショルダーベルトを着られて装備がばらまかれた。

それでもかろうじて割れ目に体を押し込むと、腰のベルトからポーションを取り出して、腕の傷を止血した。


一息ついたところで、割れ目に鎌を突っ込んで振り回され、足に引っかけられて入り口まで引きずられ、どうやら右足首に噛みつかれたようだった。

私は必死で、コック&ロックされているUSPを左手で抜くと、.40S&W弾十四発を全弾、足に噛みついている大きな目玉をめがけて撃ち込んだ。


足が自由になったところで、割れ目の一番奥まで移動して縮こまり、最後のポーションを服用して、足の応急処置を済ませた。

その後の記憶はとぎれとぎれだ。

割れ目の奧で救援を待っていた伊織は、何かが侵入してきたことに気がついて、なんとか体を起こそうとしたが、うまくいかなかった。

右手は肘の先から無くなっているし、右足が自由になったのは、足首から先が無くなったからのようだった。

とりあえず使った二本のポーションで、止血もできたし、痛みも――少ししかない。だが、すでにUSPの弾も使い果たしている。


伊織は侵入者がモンスターだった時に備えて、MK3の割ピンをいつでも押しつぶせるよう、それに左手の指をかけた。


「大丈夫か?」

そう言って現れたシルエットの、あまりのそぐわなさに、彼女は一瞬、それがダンジョンの見せる幻だとさえ思った。

それはまるで、サントリーホールで見た、ホールオペラの登場人物のようだった。

その男は、無遠慮に私の体を見回すと、腕と足は何処かにあるかと、身も蓋もないことを聞いた。


「足は多分表のモンスターのお腹の中。腕は何処かにあるかも知れないけれど、わからないわね」


あまりのストレートな物言いに、ついそんな答え方をしてしまった。

、、、、、、、、、

割れ目に入ると、一人の女性が横たわっているのが見えた。

って、君津二尉じゃん!
そういや、チームIなのに、向こうにいなかったような気がするな。要救助者って彼女だったのかよ。

い、いや、ちょっとしか話してないし、ばれたりしないよな?

俺は彼女の無事を確認すると、その手足がないことに気がついた。
彼女が取り残されるくらいだ。なにか大きなトラブルがあったんだとは思うが……何度見ても慣れそうにないな、こういうの。


俺は胃袋をはい上がるってくるムカムカを無理矢理押さえつけると、クールにその行方を尋ねた。

切断されただけで、どこかに落ちてれば、ランクの低いポーションでも治る可能性があるからだ。


「足は多分表のモンスターのお腹の中。腕は何処かにあるかも知れないけれど、わからないわね」


なんというクールな返事。意識だって、クリアじゃないだろうに凄いな。
しかしそうなると欠損か……必要なのは、ランク7のポーションだっけ。
キュアポーションならあるんだけどなぁ、ランク7。

「ランク7のポーションの備蓄はあるか?」

その問いに、彼女は力なく首を横に振った。
なら仕方がない。アーシャよろしく超回復先生に仕事をしてもらうしかないか。

、、、、、、、、、

「ランク7のポーションの備蓄はあるか?」

男がそう聞いたのは、欠損の復元が出来るかどうかを確認したのだろう。
残念ながら、ダンジョン攻略群に、ヒールポーションのランク7は存在しない。私の知る限り5が最高品質だ。


そうか、私はこのままなんだ。
そう思うと少し悲しくて、力なく首を横に振るしかなかった。

男が一歩こちらへ近づいてきたとき、表のデスマンティスが鋭く鳴いた。
男の立っている位置へは、鎌が届くはずだ。

「危ない!!」

声を振り絞って注意を促したが、それはほとんど鎌が振り下ろされるのと同時だった。
割れ目の中で、大きな影が、覆い被さるように蠢いた。

男は、まるでそれを知っていたかのように、体を少し横にするだけで攻撃を躱すと、地面を叩いた鎌を何事もなく上から踏みつけた。そうして、マントの中から微かな光が閃いたかと思うと、デスマンティスの腕は主の体から切り離されていた。


「え?」

男が踏みつけていた鎌が、光の粒になって消えていく。
彼がデスマンティスの腕を切り落としたのはわかる。だがどうやったのかは、まるでわからなかった。


「ここまで届くのか」

男はそう呟くと、割れ目の奧まで入ってきて、ヒョイと私を抱き上げた。
お姫様だっこという奴だ。こんな時だというのに、顔に血が上るのがわかる気がした。

「え? あ……」

近づいた彼の優しげな輪郭には、どこか見覚えがあるような気がした。
そのまま、男は最奥まで歩を進めると、私の胸の上にどこからともなく虹色に光るオーブを取り出した。


「ええ?」

男は、それを使えとばかりに、私の目を見て軽く頷いた。
おそるおそる左手でオーブに触れると、それは――

「超……回復?」

それは、以前、例の非常識なオークションで販売されたことのあるオーブだった。
使用結果が、虚実様々な噂となって世界を駆けめぐっていた、あれだ。噂だけは聞いたことがある。

だけど五十億円くらいしたはず……

「いいか。元の自分の腕と足を強くイメージして使え。そうしたら――」
「そうしたら?」

私はついその先を促した。

「きっと美しい体に戻れる」

私はそれを聞いて顔から火が噴き出すような気がした。なに、このキザ男。
他に、もっと言いようがあるだろう。元の体に戻れる、とか。

私はそれを誤魔化すように、オーブに触れて集中すると、それを使用した。

、、、、、、、、、

使われたオーブは、光となって彼女に降り注ぎ、彼女にアーシャの時と同じ反応を引き起こしていた。

腕や足が作られる過程で、彼女は大きく喘いで、男女の営みを感じさせる声を上げた。

俺は自分の腕の中で、そういった声を上げる女を見ながら、顔に血が上るのを感じていた。
やっばいよな、これ。自衛隊の方まで聞こえてなきゃいいんだけど……

、、、、、、、、、

「鋼一曹、この声……」

部屋の向こうを監視していた士長が双眼鏡を下ろして言った。
壁の隙間に陣取っていたデスマンディスが不意によろけて、左腕をなくしたかと思うと、すぐにこの声だ。一体何が起こっているのか?

伊織のバイタルは、心拍数が一気に二〇〇に迫る値に跳ね上がったことを示していた。

「……あいつら、まさか、あそこでやってんのか?!」

海馬がデスマンティスの攻撃を大きい盾でそらした後、呆れたように言った。

「いや、流石にそれは……」

鋼は顔を引きつらせながらそう答えたが、声はしばらく続いた後、やがて静かになった。

「仮面のヤツ。ソーローだな」

海馬がにやりと笑いながらそう呟いたが、他の隊員はそれを聞いて、等しく顔を引きつらせただけだった。


、、、、、、、、、

自分の体を強く意識したままオーブを使うと、そこから先はよく分からなかった。
突然凄い熱さと……あれは多分快感だろう……が襲ってきたのだ。
あふれ出る声と涙を意識しながら、トイレを使っておいて良かったと失禁の心配をしていたのだから馬鹿みたいだ。


混沌と快楽の時間が終わると、体はぐったりとしていたが、右手は――

「ちゃんと、ある」

自分の目の前で、右手を握ったり開いたりしていると、その実感がわいてきた。

仮面の男は、それに頷くと、私を下ろして立たせてくれた。すこしふらついたが、右足の先もきちんと存在しているようだった。

男はどこからともなく、右足用の靴を取り出すと、それを履かせて結んでくれた。
自分の前に跪くマントの男を見ながら、姫にかしずく騎士のようだと少しだけ思ったことは秘密だ。


靴は少し大きかったが、自然洞窟然とした場所だけに、裸足よりはずっとましだった。

「あのデカブツを倒したいか?」

男は立ち上がって私を見るとそう言った。

、、、、、、、、、

「あのデカブツを倒したいか?」

俺は彼女に聞いてみた。
確か彼女は、磁界を操る能力者だ。その強烈な一撃はまさにレールガンのようなものだと聞いている。

俺たちがちまちま削るより、一発カマしてもらった方がずっとはやそうだ。

「それは、もちろん。でもどうやって……」

おれは彼女に八センチの鉄球を数個渡した。

「足りるか?」
「これ……」
「足りるか?」

俺がもう一度聞くと、彼女は力強く頷いた。

「じゃあ、準備をしてろ。そしてしばらくして俺が合図をしたら撃て」
「どうして? すぐに倒した方が?」

なんと言おうか迷ったが、面倒になったので、ストレートに答えておいた。

「俺にも都合があるんだ。いいか、発射は俺の合図を待て」
「合図って?」
「光の柱が上がったら、撃て」
「それって一体……」

それに答えず割れ目から出た俺は、そこにいたデスマンティスを、一刀のもとに切り倒した。

(先輩! 大丈夫ですか?!)

どうやら、念話の範囲に入ったようだ。

(問題ない。それで、三好、こいつら、何匹くらい召喚されると思う?)

デスマンティスは、いつの間にかまた四匹になっていた。そうしてどうやら、俺にヘイトが移ったのか、こちらへ襲いかかってきていた。

最初に襲ってきた奴の頭を切り落とす。それでも即死はしなかった。しばらくでたらめに鎌を振り回した後、倒れて光へと還元される。


(え? 先輩、まさか下二桁……)
(今のところ八二、あ、いまので三か)
(……先輩、なめぷは拙いですよ。そのうち痛い目にあいますよ?)

念話でもため息っぽいニュアンスって、ちゃんと伝わってくるのか。こりゃ新発見だ。
エンカイの時は、とてもそんな余裕がなかったが、今回はそうでもない。キマイラは伊織さんに任せればいいし、あのときに比べれば気楽なもんだ。


(さっきから見てると、デスマンティスは、召喚っていうか、キマイラの背中にくっついてる卵鞘《らんしょう》みたいなのから常時四匹が外に出てくるようです)


三好は呆れながらも、必要な情報を話し始めた。

(卵鞘《らんしょう》? あのちっこいカマキリがワラワラ出てくる、あれ?)
(そうです)
(最初っから成虫の大きさで?)

今度は上下に分かれ、一度に二匹が襲ってきた。
下の個体の懐にはいって、両方の鎌を切り落とし、胴体を二つにして上を見上げると、上から来たやつは後頭部に何発か鉄球を喰らってバランスを崩していた。

その隙を逃さず頭を落とす。

(サンキュー。で、実はこいつら、幼生だったりするの? このサイズで?)
(そこはわかりません。とにかく、普通のカマキリの卵鞘と同じなら、二百匹くらいは出てくると思います)

(そんだけ出てくるなら充分だ)

(後、先輩)
(なんだ?)
(影に潜れるのがアルスルズ達だけとは限りませんよ)
(闇の国の住人がどうとか言ってたあれか)
(そうです。はっきりしませんけど)
(悪魔学はホント行き当たりばったりで難儀だな)
(人が悪魔のことを完全に知ることは出来ないってことじゃないですか)
(まあ、気をつけるよ)
(絶対ですよ。先輩、神ならぬ、紙なんですからね)

、、、、、、、、、

その時、後ろにいたアイスレムが、鼻でつついて注意を促してきた。
どうしたの? と振り返ったところで、声がかけられた。

『アズサ?』
「へ?」

後ろの通路から、数人の人影が現れた。先頭に居たのはサイモンだ。

『そのでっかい犬は、やっぱりアズサか! チームIは?』

どうやら十八層にいたトップチームが一緒にここまでやってきたようだった。

『えーっと、すぐそこですけど』
『なんだって? 状況は?』

その時、洞窟の出口から表を見たメイソンが、ワニが二本足で走り出したのを見たような顔で言った。


『おい、あれ、本当にデスマンティスなのかよ?!』

その厄介さを誰よりもよく知っているメイソンには、その光景が信じられなかった。

『カマキリの着ぐるみを着たゴブリンなんじゃない?』

ナタリーも同様に信じられないものを見たような顔で唖然としながらそう答えた。

そこには確かに、エバンスの最下層で出会ったデスマンティス達がいた。
そのすばやさも当時と同じか、もしかしたらもっと速いかも知れない速度で飛び回り、敵に向かって神速の鎌を振り下ろしていた。だが――


『あいつは一体何だ?』

ジョシュアが怒ったようにそう言った。

――そこで襲われている男には、まったく掠りもしなかった。それどころか交差する度に、デスマンティスは片っ端から光に還元されていたのだ。


『こりゃあ、凄い』

横からクマのような体の男が割り込んでくる。隣にいる小柄な女性が、エラなのだろう。

『ランスさん?』
『やあ、アズサ。あれは誰だ? 知り合いか?』
『いえ、そういうわけでは』

その活躍を、苦虫をかみつぶしたような顔で見ているイギリスチームの一員と、獲物を前に恍惚とした表情を浮かべているドミトリーが印象的だった。


、、、、、、、、、

(よし、あと三体だ)
(先輩、派手に決めましょう。みんな見てますから)

みんな見てるって何だ? と一瞬思ったが、ここを逃すと面倒だ。
すぐに頭を切り換えた俺は、向かってきた2体のデスマンティスを置き去りにして、キマイラの頭の上に駆け上がると、置き去りにした2体が振り返るのと同時に極炎魔法を発動した。

それは白く輝く高熱の、光と見まごう炎の柱――

「インフェルナル・ピラー!」

オーケストラの指揮をとるように、両手を挙げて言った俺の言葉と同時に、2体デスマンティスは、立ち上がった二本の巨大な白い炎の柱に巻き込まれた。そうして部屋はその光で明るく輝き、光の柱の間には、君津二尉が立っていた。


「今だ!」

俺の声が聞こえたのかどうかはわからなかったが、君津二尉はその瞬間、溜めに溜めていた力を解放した。

いくつかの八センチの鉄球は、爆発的なソニックブームを発生させて、キマイラの体をずたずたに貫いた。

満足げな顔で、君津二尉が倒れていく。全力ったって限度があるだろう、まったく。

そうしてその瞬間、それでも最後にブレスを吐こうとしていたキマイラの体を、俺は縦に切り裂いていた。


巨大な体が地面に崩れ落ち、膨大なDファクターが黒い光となって、実体があるかのような闇を巻き込み空中に溶けていく。そうして、辺りの風景が目に見えるようになっていった。

天井かと思われた場所には、満天の星空が顔を覗かせ、その星明かりだけで、まるで夜明けが訪れたかのように感じられた。


俺は素早くドロップしたアイテムを回収すると、開いたオーブの一覧を一旦無視して、倒れた彼女の元へと駆け寄った。

そうして、朦朧としている伊織に、とあるアイテムを握らせた。

「これは君のものだ」

彼女はそれを抵抗なく受け取ると胸の前に引き寄せて、祈るようなポーズで気を失った。たぶんMPの使いすぎってやつだ。いくつかの足音が、チームIの連中がほんの十メートル先くらいまで駆け寄ってきていることを教えてくれた。


俺は素早く立ち上がると、思っていたよりもずっと明るい星明かりの中、落ちているヘルメットのライトをスポット代わりに、中折れ帽に手を当てて、彼らに向かって「
Au revoir tout le monde」と言いながらマントを翻した。


120 魂の器 1月
27日 (日曜日)


「消……えた?」

ヘルメットの光の中で男がマントを翻し、その影に隠れたかと思うと、翻ったマントはそのまま重力に従って伊織を包むように落ちて、他には何も残されていなかった。

駆け寄った隊員は周囲を入念に探したが、そこにいたはずの男はどこにも見つからなかった。マントが残されていなければ、幻だと思いこんでしまいそうな状況だ。


「鋼一曹、今のは……」
「さあな、どこかの探索者なんだろうが……」
「どこかのって、あんな事の出来る探索者がいるんですか?」
「お前も見たろ? それが全てだ。それより伊織を運ぶぞ。担架もってこい」
「君津二尉、大丈夫でしょうか」
「いつもの『やりすぎ』だ。心配ない」

鋼は、そう言いながら横たわっている伊織を見た。

服の右袖部分はきれいに切り落とされており、その周囲には出血の後もある。
普通に考えれば、デスマンティスに切り落とされているように見えるが、右腕は健在だ。ポーションでくっつけたにしては、右手首のバイタル確認用の腕輪がない。傷一つ無いそれは、まるで新しく生えてきたようだった。

右足の先も似たようなもので、しかも履いている靴は隊の装備品ではなさそうだ。

心配ないとはとても言い難い状況だが、すでにその全ては修復されているように見えた。
伊織に聞いてみなければわからないが、もし失われた部位を再生したのだとしたら、最低でもランク7のヒールポーションが必要だ。


「ランク7を常備している組織なんか聞いたこともないぞ……」

欠損を復元してしまうランク7以上のポーションは、その存在そのものが秘匿される傾向にあった。政府でも軍でも、そのことが知られると、有力者の働きかけが増えるからだ。

だから値段など付けようがないが、機械的なポーションの価格決定式(ひとつ前のランクの価格xそのランク)を適用しただけで五十億を超える。

名前も告げずに消えたってことは、それを請求する気がないってことなのだろうか。もはや意味が分からなかった。


「ま、請求されたところで、年度末も近いこの時期に、そんなカネが右から左へぽんと出てくるわけ……ん?」


伊織を担架へと乗せようとしたとき、胸の上で固く握られている手の中に何かがあることに気がついた鋼は、それを調べようと、伊織の手に触れた。


「ん……鋼さん?」

それが切っ掛けになったのか、気がついた伊織が目を開けて彼の名前を呼んだ。

「隊長。大丈夫ですか?」
「え? あ、ああ。大丈夫です。鋼一曹、状況は?」

伊織は、上半身を起こして辺りを確認した後、担架を断って立ち上がると、そう言った。

「隊長と、あの仮面の男のおかげでなんとかなりましたよ」
「損害は?」

それを聞いて、沢渡二層が報告した。

「死亡二名。通信兵のふたりが、救援を頼んだ後物資を持って戻ってきたとき、洞窟の入り口にライトを設置しようとして、デスマンティスに……」

「そう」

ダンジョン攻略群は、現在自衛隊でもっとも損耗率が高い部隊だ。
とはいえ、こればかりは、何度経験しても慣れなかった。

「簡易陣地に籠もった後の犠牲者はいません。もっともポーションの在庫はほぼゼロになりましたけどね」

「また、補給の連中に文句を言われそうだな」

「それで、あの方は?」
「あの方?」
「ほら、オペラのタイトルロールみたいな人」

鋼は伊織の言い方に驚いて復唱したのだが、彼女はそれが誰のことなのかと聞かれたものと解釈した。


「ああ……わかりません」
「わからない?」
「隊長と二人であのデカブツを倒した後、その……消えたんです」
「消えた?」
「ええ、文字通り」

そう言って、鋼は、伊織が倒れた後何があったのかを話した。
伊織は、残されていたマントに触れながらそれを聞いていた。

「そう」
「それで、何があったんです?」
「それは後ほど文書で報告します。それより、今は……これね」

そう言って、伊織は、仮面の男に渡されたアイテムを皆の目の前にかざした。それは、細長い六角柱の形をした十五センチくらいの棒だった。


「それは?」
「あの方が残していったアイテムね。おそらくあのデカいのからドロップしたんでしょう」

伊織はそれを鋼に渡した。

「門の鍵(三十二)?」
「俺にも見せてくださいよ」

興味深そうにそれを覗き込んだ、海馬がそれを受け取ると、くるくると回した。

「三十二層への鍵みたいですけど、何処で使うんでしょうね?」

どこかに差し込むようなデザインだが、なにしろ直径は一センチもない。これが嵌りそうな場所を三十一層全体から探すとなると相当な手間になるだろう。


「どっかに門みたいなものがあるんですかね?」
「門と言っても、魔法陣みたいなものの可能性もあるから、一概には言えないわね」

三十一層はまだ神殿二つ分しか探索が行われていない。塔にもっとも近い神殿と、その隣のここだ。他の神殿のどこかにこれを使うような場所があるのだろうか?


「しかし、これを使う場所を探すのは――」
「ちょうどいい人がいるわ。彼女に見てもらいましょう」

難しいと、鋼が言おうとしたとき、伊織が洞窟の入り口の方を見ながら言った。
チームIの三人は、彼女の視線を追って振り返ると、ああ、と納得した顔をした。

、、、、、、、、、

洞窟の入り口では、集まった探索者たちが、目の前で起こった光景について口々に話していた。

『終わったのか?』

巨大なモンスターが派手に倒されて、覆われていた闇が消えて無くなった。
高速で飛び回っていたデスマンティスも、もういない。

『たぶんな』
『なんとまあ』
『駆けつけてきた俺たちって、いい面の皮?』
『ま、一応義務は果たしたってことで、各国の面子は立ったし、損害もなくて万々歳だろ』

なにしろ取り巻きに、エバンスのボスキャラが四体いることが分かっていたのだ。
条約に基づいて救援に駆けつけてきた探索者たちは、口では色々と言いながらも、全員何らかの損害を覚悟していた。ただ、それが自分の身に起こると考えている者はひとりもいなかった。

さすがはトップエンドの探索者たちだ。もっとも、眼下で起こっていた戦いを直接見ていただけに、安堵の色も濃かった。


『あの男は何だ?』

ドミトリーが目をギラギラさせながら、隣に立っていたサイモンに聞いた。
いや、そこは「誰だ」じゃねーの、と考えながら、サイモンは、ドミトリーがこれほど激しい興味を他人に見せたことに驚いていた。彼はよく言えばクール、悪く言えば人に興味がない男なのだ。


『見ただろ? たぶんあれが、あんたから1位の座を奪った男さ。他には考えようがない』

サイモンが、煽るようにそういうと、ドミトリーは異様な目の輝きをそのままに『そうか』とだけ答えた。

そのあと『やはり代々木にいたのか』と続けられた言葉は、ロシア語だったためサイモンにははっきりと聞き取れなかった。


『で、アズサは一人なのか? ヨシムラは?』
『先輩ですか? 二十一層ですよ。そろそろ晩ご飯でも食べてるんじゃないですかね』
『二十一層?』
『うちの契約探索者の引率ですよ』

それを聞いてサイモンは変な顔をした。
もちろん彼は、つい今しがたまでそこで大暴れしていたのが芳村だと確信していたのだ。

『なら、あんたはなんでここへ?』
『え? えーっと……ほら、私は仮にもSランクですからね。義務を果たしにですよ!』

三好はこれ見よがしに胸を張って答えた。

『ほう』

軍属ならともかく、Sランク探索者といえど一般人にそんな義務はない。

それに、自分達は十七層の通信所で救出の依頼を受けた。
十八層にいた連中も十八層の通信部隊からそれを伝えられて、陣容を整えた後、すぐに三十一層に向かったはずだ。

アズサはどうやって我々の誰よりも速くこの状況を知って、三十一層へやってきたんだ?

サイモンは、うっすらと笑いながら言葉を継ごうとした。それがちょっと捕食者の顔っぽくて、ヤバいかなと三好が思ったとき、救世主が現れた。


「失礼ですが、三好梓さん?」

その時縄梯子を上がってきた男が、三好の名前を呼んだのだ。

「はい、そうですけど」
「少しよろしいですか。うちの隊長が呼んでいます」
「私を?」
「ええ」

『なんだ? 何かあったのか?』
『いえ、なんだか私が呼ばれてるみたいで』
『イオリにか? そりゃご愁傷様』
『なんです、それ?』
『あの堅物はゴーゴンみたいなやつなんだ。見つめられたら最後、セッキョウされて石になるんだぜ?』


くわばらくばわらと、サイモンは奧へ引っ込んだ。

「ゴーゴンって」

三好は苦笑した。

「三好さん?」
「あ、今行きます」

三好はノートをリュックにしまうと、男の後を追って縄梯子を下りた。

、、、、、、、、、

「なあ、ドゥルトウィン」
「くぅーん?」
「俺たちどうしたら良いんだと思う?」

俺は、ピットの闇の中で仰向けになって、頭の上から覗いているドゥルトウィンと鼻面を付き合わせていた。

みんなの前から消えたはいいが、シャドウピットの移動は空間を越えられない。
つまりこの神殿内以外に移動することは出来ないのだ。現在、外は探索者だらけだ。十層と違ってどこにも行く場所がなかった。


「上の連中がいなくなるまで、ここで待機なのか?」

ドゥルトウィンが、しょうがねぇなあという顔をして、俺の額をてしてしと二回叩いた。

「それって、魔結晶二個で手を打つよってこと?」
「がうっ」
「さいですか」

とはいえ、外の連中って、いついなくなるんだよ? 状況が状況だし、しばらくは無理かなと、俺はため息をついた。


腹も減ったけど、何かを食べるのもためらわれた。
なにしろいつまでここにいる必要があるのかわからないのだ。願わくば尿意や便意に襲われませんことを……


、、、、、、、、、

「よく来てくれました。三好梓さん」

三好は伊織と軽く握手をして挨拶を交わすと、すぐに用件を聞いた。

「はい。それでどういったご用件でしょう?」

三好は伊織の右足を見て、あれは先輩の靴だと気がついた。
それを買った場所と靴の希少性について、一瞬思いを巡らせたが、特に問題はないはずだと結論を出した。


「実はこれを鑑定していただきたいんです」

そう言って伊織が取り出したのは、細長い六角柱の形をした15センチくらいの棒だった。

 --------
 門の鍵(32) The key to the 32nd floor.

 三十二層へと到る道をつくる鍵。
 入口と出口は表裏一体。門と鍵は分かちがたく結びついている、探索する者にはすぐにそれと知れるだろう。


 尋ねよ、さらば与えられん。探せよ、さらば見いだされん。叩けよ、さらば開かれん。
 --------

「門の鍵ですね。三十二層へ下りるときに使うようですよ」

三好はそれをちらりと見て答えた。
芳村ならここで、そういった個別の依頼はお断りさせていただいていますなどと原則論を振りかざすところだが、自衛隊に現場で逆らっても良いことはない。近江商人は柔軟なのだ。


「触れる必要もないのか……」

伊織の隣で、鋼が驚いたようにそう呟いた。
鑑定の詳細は未だに明らかにされていない。ごく簡単な説明だけが日本ダンジョン協会のデータベースに書かれていた。


「それで、扉は何処にあるかわかりますか?」

三好は筆記用具を借りると、鑑定結果を書き出して彼女に渡した。

「マタイ伝?」

伊織は、アイテムの説明にマタイ伝が引用されていることに驚いたような顔をした。

「つまり神に祈れと言いたいの?」

有名な7:7は、要約すれば神に祈りなさいという意味だとされている。

「フレーバーテキスト部分はいつもそんな感じです。意味があるのか、ただの雰囲気なのかもわかりませんから」

「言葉通りの意味かもってこと?」
「はい。そういうわけですから、場所はたぶん最初の入り口のあたりでしょう。鍵を持っていけばすぐにわかると、そういうことだと思います」


たぶん、それで、そう大きく間違ってはいないだろう。
その答えを聞いた伊織は、チームの一員らしい少しチャラそうな男に目配せした。男はすぐに縄梯子を上がり始めたから、きっと確認に行かせたのだろう。


「えーっと。じゃあ、私はこれで」
「え? お代は?」
「私たちは今のところ鑑定を商売にしていません。きりがないので」

三好は肩をすくめて、ランスに言ったのと同じ台詞を繰り返した。

「そう。じゃあ借りておきます」

そう言って彼女は微笑んだ。
なんだ、良さそうな人じゃんと三好は思った。ゴーゴンだなんて、サイモンさんも大げさ――

「ときに、三好さん」
「はい?」
「あなた、三十一層になんて格好で来てるの?」
「はひ?」

三好は、その後、海馬が鍵穴らしきものを発見したと報告にくるまで石にされていた。

、、、、、、、、、

「隊長。ほら、ここに……」

海馬が指し示した場所には、ちょど門の鍵が差し込めそうな穴があった。
それは塔の出口の横に位置していて、鍵を持って近づくと、柔らかい光につつまれた。

周囲には救援に来た探索者たちが勢揃いしていた。時間的にはもう夜だ、今から戻るのも面倒だし、ついでに自衛隊の情報なども収集しようと考えているのだろう。


「入れてみた?」
「いや、それが……」
「なんだ? 歯切れが悪いな」

鋼が訝しげに言うと、海馬は困ったように答えた。

「いや、これ、どっちが前なんでしょうね?」
「どっちって。入れてみればいいだろ」
「それが……」

海馬がその穴に鍵を差し込んだが、鍵はどこまでも深く刺さっていく。最後に一センチ程度を残してみたが、さらに奧まで入りそうだった。


「これ以上押し込んで、もし逆で開かなかったりしたら、取り出せなくなりそうなんですよ」
「ふむ」

穴は、まさにあつらえたかのようにぴったりとその鍵の大きさだった。確かにこのまま最後まで押し込んで、掴むところがなくなったら、取り出すのは容易ではなさそうだ。

いくらお調子者の海馬でも、仕事となると慎重になるらしい。しかし前後を知る手段がない以上、入れてみなければ正解かどうかは判断できなかった。


「確率は五〇%なんでしょう?」

そういうと、伊織はドンと拳でそれを押し込んだ。

「「ああ?!」」

意外と雑な伊織の行動に、ふたりは思わず声を上げた。

「あれ? 何も起こらない?」

逆だったのかと伊織が額に汗を浮かべたとき、地の底から響くような、ゴゴゴゴゴという音が聞こえてきた。

チームIの面々は、すぐに塔から離れ、戦闘フォーメーションをとって辺りを警戒した。当然周囲の探索者チームも同様だ。

その音は地下深くから近づいていくるように、徐々に大きさを増して、最後は塔の入り口の横に亀裂を入れた。


「なんだ?!」

塔の壁が後ろから叩かれたように、手前に崩れると、そこにはぽっかりと穴が開いていた。
その瞬間、なにかが吠えるような声が微かに聞こえて、広場の周囲にあった、
(*G1)
の文字が淡く緑に輝いた。

それを見回した探索者たちは、一カ所だけその文字が赤いことに気がついた。
それはさっき全員がそこから出てきた神殿の前の文字だった。

、、、、、、、、、

「ん? どした?」

ピットの中のドゥルトウィンが、上を見上げると、きょろきょろし始めた。
そうして、突然、ぺっと俺を元の空間に吐き出した。

「いて」
「あ、いた! 先輩!」

ピットの中と外では空間が違うからか、念話は繋がらないが、ピットに小さな穴でも開けておけば同一空間とみなされる。制限は普通の空間と同じだ。

ピットを作ったアルスルズは、それが作られた空間の情報をピットの中から察知することができるようで、ピットに潜ったまま移動も可能だ。

また、アルスルズと三好の間は、念話とは別の、召喚魔法によるつながりがあるらしく、ピットの中にいても何かを感じるらしかった。


「お、三好。もう誰もいないのか?」
「全員、階段のある広場へ移動していきましたよ。先輩でしょ、あの鍵を渡したの」
「鍵? ああ。だって俺たちが持ってても仕方ないだろ? ここはメインの人達に頑張ってもらうって事で」


どうやら、連中、鍵穴を探して、その鍵を利用するために、広場へと移動したらしい。
探索者たちは、これを見逃してなるものかと、それに付いていったそうだ。

「で、お前は?」
「やだなあ、先輩。先輩のことが心配だったんじゃないですか」

三好は、わざとらしく棒読みでそう宣《のたま》った。

「その心は?」
「アルスルズのピットの中を、なにかで汚されたらやだなと」

小さいのとか大きいのとかある、所を嫌わないアレだな。
俺は笑いながら、「実は、ちょっとヤバかった」と言って、急いで君津二尉が閉じこめられていた割れ目の奧に飛び込むと、奧を向いてじょじょーっと川を作った。

もちろんふりかけは、ふりかけましたよ。

「はー」

水魔法で作った水球で手を洗うと、タオルを出して手を拭いた。
割れ目から出ると、展開してしまった簡易陣地のパーツなどはそのままだったが、死体やそのほかの装備などはきれいに片付けられているようだった。


「腹減ったな」
「もうすぐ二十一時ですからね」

イベントてんこ盛りで、随分経ったような気がしていたけれど、実際は二十一層を出てから三時間くらいしか経っていない。

見上げれば十八層で見たような、壮大な星空が広がっている。粘り着くような真の闇だったのが嘘のようだ。


「ところで、三好。ここ大丈夫かな?」
「キメイエスのリポップですか?」
「そそ」
「どうですかねぇ……三十二層への鍵をドロップしたってことは、ユニークなボスキャラって気もしますけど……」


一応、特殊なユニークボスは、リポップしないと言われている。
もしかしたら、リポップに何年もかかるだけなのかも知れないが、そこはよく分かっていない。なにしろ倒された数が少ないのだ。


「万が一もありますから、ちょっと洞窟の入り口まで下がっておきますか」
「だな」

そこにあった縄梯子は、すでに片付けられていたが、四メートルくらいなら――

「よっと」

俺は三好を、ひょいと小脇に抱えるとジャンプして洞窟の入り口へと飛び上がった。

「御苑の時も思いましたけど、凄いですよね」
「ステータスさまさまだよな。あのときと比べても、力や素早さは倍になってるし、余計だな」
「それで、御苑の時もいいましたけど、なんで荷物扱いなんですか」
「いや、緊急事態やファントムじゃないときにお姫様だっことか絶対ムリ」
「むむむ、そう言われれば確かに恥ずかしい気がします」

アーシャの時は緊急だったからああしたが、その後、三好達に散々突っ込まれまくった。

「それで、先輩。オーブはどうでした?」
「ああ、それな」

俺はキメイエスが持っていた、たった二つのスキルを書き出した。

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ  異界言語理解   六分の一

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ  支援 キメイエス 六分の一
、、、、、、

「一月六日? 完全に採らせに来てるって感じですね」
「ユニークだしなぁ。もっとも運 100なのにどっちもドロップしなかったのは解せぬ」

「それで、どちらを?」
「異界言語理解は当面いらないだろ?」
「ヒブンリークスありますしね。今ばらまいたら、逆に碑文が集まらなくなりそうです」
「だよな。で、これなんだ」

俺は支援、キメイエスを取り出して、三好に見せた。
三好は、それを鑑定すると、さらさらと内容を書き出した。

、、、、、、

style='mso-spacerun:yes'>
スキルオーブ 支援 キメイエス

style='mso-spacerun:yes'>


style='mso-spacerun:yes'>
自分の俊敏-1%毎に、パーティメンバの俊敏を十%増加する。最大一〇〇%。


style='mso-spacerun:yes'>
パッシブ。

style='mso-spacerun:yes'>


style='mso-spacerun:yes'>
輝ける喉を持った針の尾の力が、仕えるものたちに与えられる。

style='mso-spacerun:yes'>
技巧を捧げれば、配下に使える者達にもその力が与えられる。
、、、、、、

「これはキメイエスの説明にあった、従者が素早く海や川を渡れるようにする、ってやつですかね?」

「たぶんな。しかし序列66位とはいえ、最大一〇〇%は凄いな」
「従者が人間なら、一〇が二〇になるだけですよ」

そう言われると大したことがなさそうだが、一〇〇が二〇〇になるのは脅威だろう。

「んで、輝ける喉を持った針の尾の力ってなんだ? 深海魚にサソリの尻尾でもくっつけた生き物か?」

「それ、素早いんですか?」
「とてもそうは思えんな……」
「まあそれは後で調べておきます。いずれにしろ、先輩向けのオーブですよね」
「うーん」
「どうしました?」
「子パーティへの影響がなぁ」
「ああ」

俺のパーティメンバは、三好とキャシーと三代さんだ。
そうして、孫メンバには、ブートキャンプの面々と、小麦さんがいる。

問題は、ブートキャンプの面々なのだ。ブーストが子パーティにも影響するとブートキャンプ参加時にいくばくかの増加が行われてしまう。

もしそうだとしたら、訓練終了時に俊敏の上昇を感じることが出来ないんじゃないだろうか。
場合によっては、訓練中に比べて遅くなったような気すらするかも知れない。

「フレーバーテキストを見る感じ、器用を捧げなきゃ子には影響がない気もするんだがなあ。無理矢理持ってかれたらどうにもならん」


まあ、後で具体的に検証してみるしかないか。

「もしだめだったら、開始時に訓練を効果的に行うためのブースト薬だとか言って、水でも飲ませておくしかないですね」

「そうだな。コップの底に魔法陣でも描いておくか?」
「いいですね! 今度各種ステータス用のシジルを作っちゃいましょう」
「どこの秘密結社だよ」

18世紀のイギリスには、こういった子供の作った秘密基地と精神的には変わらないような上流階級の社交クラブが結構あったらしい。違いはカネのかけ方くらいだ。

有名なヘルファイアクラブなんかもそうだが、悪魔主義の標榜は、大抵エロエロな儀式を行うための雰囲気作りのようなものなのだ。


「そのうち、東方聖堂騎士団だの、ゴールデンドーンだの言われそうだな」
「さしずめ先輩は、世界で最も邪悪な男ですね?」

何しろまおーですし、と三好が腕を組んで、うんうんと頷いている。

「麻薬と淫行に耽るのはちょっとな。第一それって、現状ならお前の役所だろ」
「そうでした! 傀儡を仕立てて影から暗躍する男。うーん、ますますそれっぽくなってきましたね」

「あのな……」

俺はそのいいぐさに苦笑しながら、オーブを保管庫に仕舞った。どうしても今すぐに必要な力というわけでもないから、使用は保留したのだ。

今日やらなくても良いことは、今日やる必要はない。先送り万歳。

「で、アイテムはこれ」

 --------
 キメイエスの指輪
style='mso-spacerun:yes'>
Ring of
class=SpellE>Cimeies

 利用者はトリビウムを完全にマスターする。
 Auto Adjust

 --------

「トリビウム?」
「キメイエスの説明にあった、文法と論理学と修辞学のことでしょう」

ヨーロッパ中世の学問分類は、全体を七つの科目に分けていたらしい。
うち言葉に関する三つをトリビウムと言って、文法と論理学と修辞学を意味していた。
そして、数に関する四つをクアドリビウムと言って、算術と幾何、それに天文学と音楽がそれにあたるそうだ。音楽は数学だったのだ。


「文法って何語のかな?」
「時代を考えれば、ラテン語ですよね。もしかしたら、ヘブライ語やギリシア語かもしれませんけど」

「言葉の指定がないってことは、もしかしたら全ての言語なのかもしれないぞ?」
「ソロモン王の指輪なら、動物とだって話せたっていいますけどね」

あれは、天使だって悪魔だって使役できちゃう、チートリングだからな。

「ま、これは俺が持ってても意味がなさそうだし。三好が使えばいいだろ」
「どんな言語でも理解できる機能が付いてれば欲しいですけどねー。理解できる言語にだけ有効なんて機能なら、鳴瀬さん向きじゃないですかね」

「そうだな。ま、とりあえず持っといて、使い勝手を見ながら誰が使うか決めてくれ」

別に使用者にバインドされたりしなさそうだし、色々とテストしてみればいいだろう。

「わかりました」

そう言って三好は指輪を受け取ると、自分の指にははめずに収納した。

最後はあれか。しかし、あれなぁ……

「んで、最後はこれなんだが……」

俺が取り出したそれは、小さな壺のような形をしたアイテムだった。
壺の口の部分には、何の変哲もない丸い穴が開いていた。

三好はそれを見て一瞬唖然としたが、すぐに内容を書き出した。

、、、、、、
 魂の器
style='mso-spacerun:yes'>
the Soul Vessel

 魂を入れよ、さすれば扉は開かれん。
、、、、、、

「えーっと、三好さん?」
「なんですかな、芳村どん」
「魂って、何?」
「それはまた、哲学的な問いですなぁ……」

って、なんだよ、このアイテムは?! しかも説明なしかよ?! 超怪しいわ!!

「魂を込めたら扉が開くって、死んだら天国へ行けるってことか?」
「試してみます?」
「あと八十年くらい後で、一回だけなら試してもいいぞ」
「先輩、百年以上生きるつもりなんですか?」
「俺は、子孫に囲まれて、やっと逝ってくれるのかとうれし涙を流されながら大往生するのが夢だ」

「長生きはともかく、そりゃ、難しそうですね」
「なんで?」
「だって、まずは子供――あたっ!」

俺は三好のつむじに拳固を落とした。

「い、今のグーでしたよ!」
「くっくっく。口は禍の門で、舌は身を斬る刀だというぞ?」
「もー」
「牛か。んで、これどうする?」
「どうするもなにも使い方がわかりませんよ」

うーん。魂。魂ねぇ……俺は、なにか引っかかるものを感じていたが、それが何かはよくわからなかった。


「相手に向けて、そいつの名前を呼ぶとか?」
「どこのひょうたんですか」

その時、地の底から響くようなゴゴゴゴという音が聞こえてきた。

「なんだ?!」

俺たちは立ち上がって身構えたが、特にキメイエスがリポップするわけでもなかったし、微かな振動と音だけで、それもすぐに消えて無くなった。


「今のは一体?」
「タイミング的に、広場の方で何かあったんじゃないですか」
「え? あっちとこっちじゃ別空間のはずだろ?」
「とにかく行ってみましょう」
「それはいいけど、俺が三十一層にいちゃ拙いだろ。誰かと会いそうになったら、すぐにピットに落ちるから。頼むぞドゥルトウィン」

「がう」

ふたりと三匹は、辿ってきた道を引き返し始めた。


121 隠された扉 1月
27日 (日曜日)


「そういや、三好」
「なんです?」
「結果を鳴瀬さんに送らなくて良いのか?」

俺は洞窟を引き返しながら聞いた。

「そんなのとっくに送りましたよ。先輩が格好つけて消えた後すぐに」
「え? 映像を送ったわけ?」
「いえ、一応結果だけ簡単に。もちろん。非公開案件って書いておきました」
「結果ったってなぁ……俺、次にどんな顔をして会えば良いわけ?」

いくらばれてるだろうと言われても、それとこれとは別問題だ。

「きっと、シランプリをしてくれますよ」と三好は気楽に言うが、俺は部屋に隠してあったエロ本が、きれいに机の上に積まれていたのを見た男子高校生の気分だった。


洞窟も半ばを過ぎた頃、カヴァスが三好の影から出てきて、神殿の方に向かって警戒を顕わにした。

生命探知にもいくつかの反応がある。

「おい、三好。洞窟を出たところに何かいるぞ」
「何かって、探索者ですか?」
「危険察知に反応はないのか?」
「えーっと。特には」

この危険察知ってやつだが、アルスルズや俺が側にいると敵がいてもあまり反応しないらしい。
つまり危険じゃないって事なのか。何を基準にしているのかは分からないが、優秀なんだかダメなんだかよくわからないスキルだ。


生命探知に引っかかった反応は、どう見ても人とは思えないものだった。
それが洞窟の先にある神殿の間で、ごちゃっと固まっている。大きな反応が3つと、小さな反応が沢山だ。


「キメイエスが倒されたからか、さっきのゴゴゴゴゴのせいかは分からないが、その辺がトリガになって、神殿に祭られていた何かか、それを守っていた何かが復活したってところかな」

「キメイエスを作るのにフロア中のDファクターが使われていて、他になにも作れなかったのかもしれませんね」


横浜の階段にはモンスターが発生していない。
つまりはフロアにおけるDファクターの総量のようなものがそれに関係しているのではないかと、いまのところ考えているのだ。


「それが解放されて本来のモンスタークリエイトが行われた、みたいな話か」

星空が広がっていた場所と違って、洞窟の中は真っ暗だった。
そのせいで、洞窟の先にある神殿が、ぼんやりと明るくなっているのがよく見えた。

「なんだあれ?」

その先にいたのは、3体の人間サイズのアカウアカリにガビアルの口と蝙蝠の羽根をくっつけたようなモンスターだった。

その周りを、多数のグリーンイグアナサイズのジャイアント・リーフテイルド・ゲッコーが固めていた。


「あ、あれ、私説博物誌で見たことがありますよ。名前はイーヴィルレッサーだそうです」
「それって、日本語で言うと、小悪魔か?」
「それだと先輩じゃ勝ち目がなさそうですね」
「……小悪党にしとくか」

三好の危険察知はいまだに沈黙しているようた。少々気楽に過ぎる気もするが、大した相手じゃないのかも知れない。


「それで、あのでっかいヤモリみたいなのが――」

三好がそう言いかけたとき。大きなヤモリの不気味な目にスターボウのような輝きが現れて、突然こちらに向かって走り始めた。


「なんだ?!」
「――先輩! あれヤバい! カヴァス!」

三好がそう言った瞬間、走ってくるヤモリの足音にいくつかの穴が開いて、すとんとその中に落ちた。そして――


「うぉおおお!?」

ズドーンという大きな音と共に、その穴から火柱が連続して上がる。

「自爆兵器なのかよ?!」
「スーサイドリーフテイルだそうです! 近くで爆発されたら、ちょっと痛そうですよ?」

俺はイーヴィルレッサーと、周囲にいるリーフテイルに水魔法の槍を大量に撃ち込んだ。誘爆させようと思ったのだ。

だが、イーヴィルレッサーに向かった矢はバリアのようなものに威力を相当減衰され、リーフテイルに撃ち込まれた方は、なんと効果がなかった。


「目がキュイーンってなるまでは、無敵っぽいですよ、あれ」
「反則だろ!」

三匹のイーヴィルレッサーは、つぎつぎとリーフテイルを召喚している。
つまり本体はイーヴィルレッサーで、リーフテイルはそいつらの攻撃手段のようなものなのだろう。


「こりゃきりがない、なっ!」

俺は八センチ鉄球を思いっきりワニ顔のアカウアカリに向かって投げつけた。
レッサーは、それを正面斜めに作り出したシールドのようなもので受け流した。シールドは吹き飛んでいたが、一発なら本体は無事のようだ。


「流石は悪魔。レッサーの癖に魔法耐性はバッチリっぽいぞ。物理の方もなかなか頭が良さそうだ。ま、でも二連発でなんとかなるか」


近づいて切り飛ばしてもいいのだが、周りに一杯控えているリーフテイルが一斉に爆発したりしたら、酷い目にあいそうだ。できれば遠距離で済ませたかった。

その時三好が奇妙なことを言い出した。

「先輩。ちょっとウォーターランス作ってくれません?」
「んん? あんまり効果がなかったぞ?」
「いいですから」

数メートル先では、つぎつぎと突っ込んでくるリーフテイルの火柱が、所構わず上がっていた。
今のところアルスルズのガードは完璧だ。

俺はそれを見て、言われたままに一本のウォーターランスを作り出した。

「で、どうするんだ?」
「じゃーん! これです!」

三好は収納から一本の奇妙な形のボトルを取り出して、中身を少しウォーターランスに振りかけた。

その液体は、ウォーターランスの水ときれいに混ざり合っていた。

「なんだそれ?」
「良いからこれを撃ち出してください!」
「へいへい」

言われたとおりに俺はそれをレッサーに向けて撃ち出した――

「はぁ?!」
「ええ?!」

――その矢は軽々とシールドのようなものと同時にレッサーを貫いて、ワニ口のアカウアカリを光の粒に還元した。


「ちょっと待て、三好。提案したお前が、どうして一緒に驚く?!」

「いや、だってこれ……」
「?」

三好はその、ガラスでできた女の人の像のようなボトルを取り出した。

「先輩知ってました? 聖水ってサマゾン通販で買えるんですよ」
「は? お嬢様じゃないやつ?」
「あたりまえですよ」

世界最古の自販機で売られていたのは聖水だという話だし、現地に参ったものが、お土産にその水を汲んで帰るというのは昔からあったそうで、まあそれはわからないでもないが、サマゾン通販って……いいのかそれで。


「そんなのが本当に効くと思います?」
「全然」
「ですよね。中身なんか適当な水道水でもおかしくないですよ」
「それじゃ詐欺だろ」
「だからキメイエスみたいなシリアスなシチュエーションでは、とても言い出せなかったんですけど……鰯の頭って凄いですねぇ」

「いや、お前。信じてない時点で信仰成分ゼロだろ」

俺は呆れた。
とはいえ、それが何故効くのかなんてことは、この際全くどうでもいい。プラシーボだろうがなんだろうが、効果があるというのなら、それは立派なソリューションだ。


「まあ、効くんならなんでもいいや」

そう言って、後二本のウォーターランスを顕現させた。

「ほれ。振りかけて」
「はいはい」

それを見たレッサーたちが、全リーフテイルを一斉に起動した。
床の上に大量にいたリーフテイルの瞳にスターボウが描かれる。

「やべっ!」

俺は急いでその二本を残っていたレッサーに向けて撃ち出した。ウォーターランスは先ほどと同様、何の抵抗もなくレッサーを打ち抜き、それを光へと還元したが――


「一緒に消えないのかよ!」

わらわらと走ってくるそれは、ひとつひとつピットに落とすには数が多すぎた。
そこに三好が一インチ弾をばらまいた。件の二.五センチの鉄球だ。

「ば、馬鹿野郎!」

俺は慌てて三好を抱えると、洞窟の奧へとダッシュした。

思った通り、いくつかのリーフテイルが弾に当たって爆発すると、次々と近くのリーフテイルを誘爆させる。


「どわぁああああ!!」

一気に百体近いリーフテイルが爆発するその威力はすさまじく、爆風は瞬時に神殿を満たし、洞窟の中を吹き抜けた。俺たちはそれに押されるように吹き飛ばされて、床をゴロゴロと転がる羽目になった。

数瞬の後、激しかった爆発はその余韻を洞窟内に響かせながら、終息していた。

「あー、三好。生きてるか?」
「耳がキーンってしてますけど。まあ無事みたいですよ」
「アルスルズは?」

にょっと影の中から顔を出した四頭は、無事だぜといわんばかりに頷いた。
若干1頭は俺の顔の上で仁王立ちしていたが。

「今更だけど、奧に逃げずにピットに落ちればよかったかもな」

俺は顔の上のグラスをつまみ上げると、上半身を起こして、洞窟の壁に寄りかかった。

「あのヤモリみたいなのの目がキューンてなった瞬間、危険察知が大騒ぎでしたよ。直接的な危険が迫らないと反応しないのって、役に立つんだか立たないんだか……」

「しかし普通召喚主が死んだら、召喚モンスターって消えるものなんじゃないの?」
「あのキューンってなる前なら消えてたみたいでしたよ。最初の一匹が死んだとき」
「ああ、発射されたら召喚モンスターじゃなくて、弾みたいな扱いになるのか」

いくらステータスが高くても、こういう攻撃は結構ビビる。もしかしたら、当たっても平気なのかも知れないが、進んで試す気にはなれなかった。

なにかこう、防御手段を考えないと、今後は、ちょーっとやばそうだな。

「生存本能は、ステータスと関係ないですからねぇ」
「だよなー。怖いものは怖いよな」
「もういっそのこと、出会った瞬間に有無を言わさず首をはねますか?」

三好がもぞもぞと起き上がりながら物騒なことを言い出した。

「首がないやつはどうするんだよ。とは言え、悠長に出方を見たりしないほうが安全なのかもなぁ」


もっとも、未知の相手に突っ込んでいくのは、それはそれで問題が多い。それに、どんなモンスターでしたかって聞かれたときに、出会い頭に首を落としたのでわかりませんでしたと答えるしかなくなって、情報が蓄積できずに困るかもしれない。


「ところで先輩。あれ、どうします?」

三好が指差した先には、大量のインゴットが散らばっていた。鉄の。

「はぁ……まあ、拾わないわけにはいかないだろうけど。日本ダンジョン協会に売れるのか、これ?」

「1枚1キロですよね? スクラップ扱いだと、へたすれば二十円とかですよ」

十キロで二百円。重さから考えて、絶賛放置はほぼ確定だろうが、これって、放置しておくとどうなるんだろう?


「放置しておくと消えると思うか?」
「いままで、ドロップしたアイテムを故意に拾わなかった例ってありませんからね……そこはなんとも」

「なら、とりあえず放置してみるか」

俺たちは立ち上がって、パンパンと土埃をはたくと、神殿の入り口へと向かった。

、、、、、、、、、

神殿の入り口では扉が閉まっていた。確か入ってきたときは、扉なんかなかったはずだ。

「なんだこれ? こんなものあったっけ?」

扉の横の柱部分には、赤く光るフェニキア文字が浮かんでいた。

「I、ですねこの文字」
「表の床に書いてあったやつか」
「です」

扉は、押しても引いても、うんともすんとも言わなかった。
その文字周辺にもいろいろとアプローチしてみたが、扉は一向に開かなかった。

開かない扉。
突然ポップしていた、ボスキャラっぽいレッサー軍団。
相変わらずいない雑魚。
そして、赤く光るフェニキア文字。

「なあ、三好。これ、もしかしてボス部屋なんじゃないか? 横浜みたいな、入ったら閉じこめられるタイプの」

「……本来は広場側から入るはずが、最初から私たちがいたからこんな変なことになってるってわけですか。ならこの扉は――」

「戦闘が終わると開く、ってのが定番だが……」
「じゃあ、まだどこかにモンスターが?」
「いや、それはなさそうだ」

生命探知で神殿の隅々まで注意深く探してみたが、そういう対象はみつけられなかった。

「じゃ、まさか、あの散らばってる……」
「アイテム……かな?」

俺たちは仕方なく、あちこちに散らばっている鉄のインゴットを拾い始めた。
純粋な鉄の比重は、7.874だ。つまりインゴットの体積は百二十七立方センチメートルってところだ。そのインゴットの大きさを計測してみると、九.六センチ
×六センチくらいの大きさだった。
厚みが熱延鋼板や敷鉄板の規格にあわせて二十二ミリになっていたのだ。凄いぞ俺の想像力。はぁ……


鉄板は薄暗い神殿内のあちこちに散らばっていた。特に最後の爆発のおかげで、いろんな場所へと吹き飛ばされいた。

つまりは探すのが大変なのである。

洞窟の向こう側から探し始めてから、かれこれ一時間。
くまなく神殿内を探し尽くした俺は、最後の一個だと思われるインゴットを拾うと三好に声をかけた。


「三好ー、どうだー?」
「うーん、赤いまんまですね」
「ええー? ……君津二尉の磁界操作が欲しいな」

その時グラスが、ケンケンと神殿の上の方を見て吠えた。

「なんだよ、グラス。上に何か――おお?!」

その時不安定に神殿の上部に引っかかっていたインゴットが、ゆらりと揺れて、俺の上へと落ちてきた。

それを間一髪で躱した俺は、グラスに礼を言ってそれを拾い上げた。

グラスはしばらく胸を張って仁王立ちしていたが、何も貰えないとわかると、ケッとヤサぐれて、三好の所へトコトコと歩いていった。


「変わりませーん」
「まだどこかにあるのか――」

そう言ったとき、神殿の前、イーヴィルたちが集まっていたところに魔法陣が描かれた。

「おい!」

俺は、そう叫んで飛びずさった。
三好は、アルスルズを影から出して身構えた。

そうして俺たちが見たのは――

「宝箱?」
「おー! 始めてみました!」

ガチャダンと呼ばれる横浜では、戦闘終了後に現れると聞いていたが、俺たちは二層以降へ下りたことがない。

こんな風に現れるのか。

「やっぱりここはボス部屋ってことなのかな」
「だけど、アイテムを全部拾わないと登場しないって、酷くないですか? 知らずに帰っちゃいますよ?」

「入り口が開かないんだから大丈夫だろ」
「あ、そうか」
「で、どうする?」

俺は宝箱を親指で指差しながら言った。

「どうするって、開けますよね? 中身にLUCが関係している可能性もありますし。ここは先輩1択でしょう」

「いや、ほら、罠とかあるかもしれないだろ?」
「先輩、ゲームじゃないんですから。ダンジョンで罠って、今まで一度も見つかってませんよ」
「そうは言ってもな……」

一度も見つかっていないのは、ないと言うのとは違うのだ。
フロアは平気で歩いていたとしても、流石に宝箱には気を使う。用心に越したことはないのだ。

俺はへっぴり腰で、宝箱に近づきながら、登山用のストックで静かに箱の蓋を開けた。
その瞬間――

「わっ!」
「うわっ!!」

三好が耳元で大きな声を上げた。
俺は、慌てて飛び退いた。

「先輩、びびり過ぎですよ」

三好は、お腹をおさえてケラケラと笑っている。

「三好ぃ、このタイミングはちょっと悪趣味だぞ。はぁ……」

なんてことしやがる、ふんとにもう。とプンスカしながら、俺は宝箱の中を確認した。
そこには、赤いヒールポーションがひとつ鎮座していた。

「おお!」
「なんでした?」
「ヒールポーションだ。ランクはなんと5」
「ランク5? すごいじゃないですか」
「三十一層のボス部屋だと思えば、このくらいは当然って気もするけどな」

俺がそれを取り出すと、宝箱が消えて、入り口のフェニキア文字の色が緑に変わった。
俺は慌てて、扉の影に身を潜めた。

「あ、先輩! 開くみたいですよ」
「はぁ……やっとかよ」
「先に私が出て、あたりを窺ってみますから」
「ああ、よろしく頼む。あれから一時間は経ってるもんな、どうなってるのかさっぱりだ……」

そんな話をしているうちに、扉は音もなく内向きに開いた。
潰されるかと思って移動しようとしたら、百度ほど開いたところでそれは停止した。

扉と壁の隙間から見える範囲では、広場の闇はきれいに払われていて、明るい星空が広がっていた。


「先輩。誰もいないんですけど」
「え? 通信部隊もか?」
「はい」

そのまま生命探知で辺りを探って、本当に誰もいないことを確認してから、俺も表へと出た。
その瞬間、門は音もなく閉じて、目の前の地面に描かれていた文字が、赤から緑に変わった。

「あれが、再利用可能になったってマークですかね?」
「たぶんな。もう一度入って、今すぐ確かめるのは勘弁だけど」
「聖水があればちょろいですよ?」
「横浜と同じなら、同じやつが出てくるかどうかわからないだろ」
「そう言われればそうですね」

辺りは暗いとは言え、普通の夜だった。星明かりや淡く輝く入り口の記号などのせいで、目が慣れれば充分見えるくらいの明るさはあるようだった。

俺は、誰かが出てきたとき、直視されないように、塔の裏側へと回っていった。

「もう闇の神殿とは言えないかもな」
「朝が来たら、多分明るくなりそうですもんね」

塔の周囲を調べていた三好が、入り口の横が拡張されて、下りの階段が出来ているのを見つけた。


「連中、これを下りてったわけか」
「たぶん。でも一時間くらい経ってますし、どうしてここに誰もいないんでしょう? 下でなにかあったんですかね?」

「さあな。確かめに行っても良いが……ちょっと塔の後ろ側でテントでも張って野営の準備をしとこうぜ。ここには障害物もないし、アルスルズの監視も行き届くだろうし」


テントの中なら、突然誰かに見られたりしないしな。

「そうですね。あと、お腹も減りましたー」

、、、、、、、、、

俺たちは入り口の反対側の塔の麓にテントを張った。
誰かが他の階層からやってきても、塔から出た段階では視認できない位置だ。俺たちにはわかるから、誰かが来たら、その時点でピットに隠れれば問題ないだろう。

で、今はその中で、絶賛お食事中だ。

「マイトレーヤの二人は、ちゃんとメシ喰ってるかな」
「小麦さんだけだと心配ですけど、三代さんがいますから、きっと大丈夫でしょう」

小麦さんは生活力ゼロっぽいもんな。実際のところは知らないが、たぶん大きくはずしてはないだろう。


「小麦さんっていつまで大丈夫なんだっけ?」
「一応五日でOKをもらってますから、最低でも水曜日までは大丈夫だと思いますけど」
「なら平気か。しかし、まだ日曜日の夜なんだぜ? もうずっとダンジョンの中にいる気分だ」
「│ほひはふはん《盛りだくさん》│へひは《でした》│ははへぇ《からねぇ》」

三好は熱々のクリームシチューを頬張りながらそう言った。自分の家で煮込んだストックだ。
嫌いな人があまりいない割に、クリームシチューは洋食屋さんにオンリストされていない。なんと言っても仕込みが面倒で日持ちがしないからだそうだ。おいておくと煮くずれて色が汚くなるのもNGな理由だ。


別茹でして加えた、きれいな緑色のブロッコリーを飲み込んで、俺が聞いた。

「なあ、あの自爆したリーフテイルって、カウントされてると思う?」
「下二桁ですか?」

俺はVIRONのレトロドールを囓りながら頷いた。
五十センチ程の長さながら、数が少なめのクープは反り返るように大きく開いていて、クラムに弾力があるバゲットだ。そしてとても香り高い。焼きたてから二時間程の食べ頃に収納された逸品で、言うまでもないが三好の趣味だ。

湿度の高い日本では、焼き上がりからどんどん変化していくから、焼きたてを保管庫に入れといて下さいと土下座せんばかりに頼まれた。

そこまで必死になるものかと思ったが、比べてみれば確かに違う。もっとも俺としてはリベイクすればいいじゃんとも思うのだが、ぱさつくからヤダとのこと。


「鉄がドロップしてますから、一応カウントされてるとは思いますけど」
「誘爆で凄い数を倒したけど、あれは三好扱いだよな?」
「最初の水魔法での攻撃分がはわかりませんね、ほら、無敵状態だったときの。後から召喚された個体は大丈夫でしょうけど。メイキングが発動してないんですから100は越えてないはずですし」

「うーん。次が出るまで諦めるしかないか。後はリーフテイルで館が出るかどうかだけど……」
「さすがにそれはないと思いますけど……って先輩」

三好が突然真面目な顔をして、スプーンを前後にフリフリして言った。

「館で思い出したんですけど、私たち、魂っぽいアイテムを持ってませんか?」
「もしかして……ベニトアイトか?」

確かにあれは、あのメイドの女の子の魂だと言われても納得できる展開だった。

俺は魂の器と、ロザリオを取り出した。

「確かに入りそうではあるが……これ、挿入したら、壺がメイドになるってか?」

お帰りなさいませ、ご主人様とか言いながら頭を下げる、というか傾く壺。
こいつはシュールだ。

「いくらなんでもそれはないと思いますけど」と三好が苦笑した。

「まあ、試してみるだけならタダか」

俺は、壺を床の上に置くと、ロザリオの先をその穴に差し込んだ。

「せ、先輩?」

その壺は薄く発光していた。
何が起こったのかは分からないが、何かが起こっていることは確かだった。

緩やかに輝度を変化させていたその光は、まるで何かを計算するかのように徐々にあわただしく明滅し始め、そうして突然強く輝き始めた。


「オイ! これまさか爆発したり――」

俺が台詞を言い終わる前に、それは突然世界を真っ白に染めた。
俺は三好と自分の頭を下げると、目の前に盾を取りだして、次に来る衝撃に耐えるように身構えていた。


が、聞こえてきたのは――

"Cheerily, cheer up, cheer up, cheerily, cheer up!"

「な、なんだ?」

おそるおそる顔を上げると、そこには、縁に白いラインの入ったグレーの羽根の、くちばしと腹がきれいなオレンジ色をした小さな鳥が鳴いていた。目が黒ではなく、深い藍色をしているのが印象的だった。

その鳥は、呆然としている俺たちの所にやってきて、ちょんちょんとくちばしで散らばっていたクラストのカケラをついばむと、そのままテントの外へ出たそうに、入り口の前でこちらを振り返った。


「出たいのか?」

そう言って、テントの入り口を開けてやると、その鳥は夜だというのに外へと飛び立った。

それを追いかけて外へ出ると、その鳥は、塔の蔦に捕まって揺られながら、まるでそこを見に来いと言わんばかりに愛らしいトリルを奏でた。

俺たちはそれに惹きつけられるように、彼女が歌う塔の下へと近寄った。
すると彼女は、ちょんちょんと蔦を辿り、腰の辺りまで下りてくると、そこをくちばしでつついてから、こちらを振り返りぱっと飛び立つと――


「なんで俺の頭の上にとまるんだよ!」

三好は俺の頭の上の小鳥を見て、思わず吹き出した。

「せめて肩だと格好良かったんですけどね」

そう言って三好は、彼女がつついた場所を調べた。
そこには、隠されるように覆われた蔦の隙間から、僅かにドアノブのようなものが覗いていた。

「先輩……私、蔦に覆われた城壁に隠されたドアを、コマドリの導きで見つけるって話、どっかで聞いたことがあるんですけど」

「奇遇だな、俺もある。だけどあれはアメリカンロビンだから、コマツグミだぞ」
「だから先輩は、それがモテない原因なんですって」
「久々に聞いたな、それ」

俺は笑いながらそのノブを指して言った。

「で、どうする?」
「そりゃ、行くでしょう? ここで行かない人は探索者じゃないですよ」
「だよな」

俺はテントを片付け始めた。その間、三好はドアを調べていた。
そして、小鳥は蔦で遊んでいた。

「そういえば先輩」
「あー?」
「キメイエスの能力で、人に与える力ってあったじゃないですか」
「トリビウムがどうとかいうやつ?」
「そうです。指輪がトリビウム、オーブが速度アップでしたけど、実は、もうひとつあったことを思い出しました」

「なんだっけ?」
「隠されたものや宝物を見つける力、です」

俺たちは納得したように、遊んでいる彼女を見上げた。

「それでその小鳥さんの名前、どうするんです?」

いつまでも、小鳥だの彼女だのでは、どうにもすわりが悪いのだろう。三好が彼女を見上げたままで、そう尋ねた。


「そりゃ、最初から決まってるさ」
「え? ドアを見つける話では、最後まで名前は付かなかった覚えがありますけど。……もしかして、ロビン?」

「それじゃ男の子だろう」

俺は苦笑しながら言った。
現代では女性の名前にも使われるが、やはりロバートの印象が強いし、彼女に相応しいとは思えなかった。


「ま、まさか……先輩お得意のセンスで、小鳥?」
「あのな。お前は俺をなんだと思ってるんだ。……まあそれも悪くはないが」
「悪くないんだ」
「可愛いだろ、小鳥」
「そうじゃないなら、なんなんです?」

「そりゃ、もちろん――ロザリオさ」

それを聞いた彼女は、軽やかにトリルを奏でた。
どうやら気に入ったらしかった。


122 邂逅 1月
27日 (日曜日)


一時間と少し前、三十一層の入り口がある広場では、地の底から何かが近づいてくるような振動の後、吠えるような声と、地面に描かれた文字の発光を目にした探索者たちが、それぞれ警戒してあたりに目を配っていた。


『今のって』

ナタリーが周囲の輝く文字を見ながら、サイモンに聞いた。

『さあな。自衛隊の連中が鍵を突っ込んだ瞬間、なにかのパラダイムがシフトしたんだろ』

何しろここから先は、エバンスの三十一層を越えて、世界でも前人未踏の領域だ。
実際、何が起こってもおかしくはない。

『どうしてあそこだけ赤なんだ?』

ジョシュアが目敏く赤い文字の場所を見つけてそう言った。
あそこは今しがたまで俺たちがいた場所だ。メイソンが素早くそこに近づいて、神殿の中へと入ろうとしたが――


『いつの間にかドアが閉まっていやがる。どうにも開きそうにないな』

近づいてきたジョシュアに向かってメイソンが聞いた。

『ブリーチするか?』
『やめとけ。相手がダンジョン内の構造物じゃ無駄だろう』
『いったい中でなにが?』

心配そうなナタリーを余所に、サイモンは、何でもないと言った様子で言った。

『さあな。後でアズサにでも聞けばいいだろう』

『アズサ?』
『だって、あいつ絶対中だぜ? こっちへ来るとき付いてこなかったからな』
『それって、大丈夫なのか?』とメイソン。
『あいつらが大丈夫じゃないんなら、大丈夫な奴なんていやしないさ。心配するだけ無駄だな。それより連中が見てるぞ』


ふと振り返ると、各国の探索者チーム達がこちらを注視していた。
サイモンは、なんでもないと言ったていで手を振って見せた。

チームIが、通信ケーブルを引っ張って、下層へと下りようとしているところへ、イギリスとロシアのチームが何か話しかけている。

他国のチームもそれに加わって、何か協議を始めたようだ。

『参加しなくて良いのか?』
『よせよ。誰が最初に三十二層に行くのか何て話、ばかばかしくて付き合ってられるか』

サイモンは合理的で頼りになるリーダーだが、盲目的な国家への忠誠ってやつとは無縁だからなとジョシュアが苦笑した。

ドイツのエドガーのところと、中国のファンのところが、他の神殿に興味津々の様子だが、流石に突撃する様子はなかった。


なにしろ全員さっきの戦闘を見ているのだ。そして、今しがた開かなくなった扉も見た。
流石に、閉じこめられたあげく、あんなのと正面からやり合うのは躊躇するだろう。
民間人のキングサーモンと魔女の二人は、流石に無謀なことはしようとせず、それでも虎視眈々と自衛隊と各国のやりとりを側で聞いていた。


『期せずして、世界の縮図ってやつを見ることになるとはな』

サイモンは面白そうにそう呟いた。

しばらく話し合っていた探索者たちは、その後、連れだって三十二層へと下りていった。
もちろん全員がそれに付いていった。

、、、、、、、、、

そうして現在、コマツグミに誘われて、隠された扉を見つけたDパワーズの面々は、蔦を払い、ドアノブを回してその扉を力一杯押していた。


「んぐぅー! って結構力がいるな、これ」

芳村が力を入れると、扉は石がこすれるような音を立てて、奧へと開いていった。

「先輩。なんだか廊下がずっと先まで続いてますよ」

ドアの先は廊下だった。それが塔の外壁を沿うように緩やかにカーブしながら続いていた。

「続いてるって、三好。これ、どう見ても塔より廊下の曲率の方が小さく見えるんだが……」
「ダンジョン内の空間モザイク構造って凄いですよね。解析できたらどこでもドアが作れそうなんですけど」

「あんなものが実用化されたら最後、禁止する技術がない限りあっというまにディストピアがやってくるぞ?」


なにしろどこにでも通路を開けるのだ。
秘密も機密もあったものじゃないし、破壊工作だってやりたい放題、国家の転覆なんてちょろいちょろいってなもんだ。

それを禁止できない以上、人間に個を識別するチップか何かの埋め込みを義務づけて、人間側を管理するしか方法がない。


「そうかもしれませんけどー。でも何処かが研究してると思いませんか?」
「階層間で繋がってることは明らかだもんな。そりゃやってるかもな。いろんな計測器を持ち込んで……って、一体何を計測するんだ?」

「ステータス以上にとっかかりが無くて困難そうですねぇ……まずは空間がくっついている位置を同定することからスタートでしょうか」

「一層で、電波が届かなくなる場所を探せば、そこが境目……とは限らないか」
「それで確かなのは、そこに電波をシャットアウトするスクリーンがあるってことだけですね」
「空間がくっついている場所ったって、面ですらない可能性だってあるもんなぁ」
「しばらくディストピアはやってきそうにありませんね」
「そりゃ、今日一番の朗報だ」

俺は苦笑しながらそう言った。

仮にどこでもドアが作られたとしても、その結果は隠蔽されるだろう。軍事利用もさることながら、現在の流通に与えるインパクトが大きすぎる。

運輸・物流業界の株は、軒並み暴落。大混乱になることは目に見えている。

その時ロザリオが羽ばたいて、先へと飛んでいった。

「あ、おい!」
「さっさとついて来いってことですかね」
「仕方ないな」

俺たちは、その扉をくぐって、注意深く廊下を歩き始めた。

廊下の突き当たりにあったのは、壁に囲まれた庭のような空間だった。

「先輩。ここ……」
「荒れ果てた庭って感じだな」

以前はきっと美しい花が咲き誇っていたのだろう。
つるバラのゲートや、野趣あふれていたであろう、枯れた泉の後も見える。

そして、中央には、小さな八角形のガゼボが建っていた。
今は、ひび割れた柱が枯れた蔓に覆われ、壊れかけた椅子とテーブルが置かれているだけだったが、以前はきれいに手入れされ、愛らしい姿をその庭の景観に加えていたのだろう。


俺たちは、そのガゼボの屋根の下に入ると、辺りを見回した。

「それは誰のものでもないの。誰もそれを欲しがらないし、誰もそれをかまってくれない。たぶんその中のものは、もうみんな死んでいるんでしょう」


突然聞こえてきた意味深な言葉に、ぎょっとして振り返ると、そこには白い帽子を被って白いワンピース姿の小さな女の子が、向こうを向いて、土に小さな鍬を振り下ろしていた。

枯れ果てた庭の、その位置にだけ、数株の植物が生きているようだった。

(先輩、今のって……)
(バーネットだな。ダンジョンは何を考えてこんなものを……)

フランシス=ホジソン=バーネットが一九一〇年から一九一一年に渡って書いた『秘密の花園』は、大人向けの雑誌に連載された児童文学という、奇妙なスタイルで発表された物語だ。

ヒロインのメアリー・レノックスは、コマツグミの誘いによって、鍵を見つけ、そうして、その隠された庭への扉を見つけるのだ。


俺たちは、一心に鍬を振り下ろしているようにみえる、メアリー・レノックス(仮)の後ろ姿を見ていた。


(だが、生命探知に反応がない。幻影なのかもな)
(先輩。実は、さっきから周りにアルスルズの反応がないんです)
(はぁ?)

あのアルスルズが三好について来られない場所?

(一体ここは、どこなんだ?)

そう思った瞬間、目の前にいた小さな女の子が黒い光に還元され、それがテーブルの横へと移動すると、その場で椅子に座る男が構成された。


「ここは、私たちの記憶から作られた、言ってみれば心象風景だよ」

「先輩、あの人!」
「まじかよ……」

そこに座っていたのは、何度も資料で見た顔だった。

セオドア=ナナセ=タイラー博士。

それは、かの最終ページのサインの主で、さまよえる館の書斎で待っているはずの、まさにその人だった。


「もしかして、タイラー博士……ですか?」
「その質問に答えるのは難しいな」

彼は、神経質そうに手の指を何度か組み直した後、アメリカ人らしい腕を広げるジェスチャーで答えた。


「そうであり、かつ、そうではないと答えるしかないな」
「哲学的ですね」
「科学というのは、そういうものだからね」

(三好〜、彼にも生命探知が仕事をしないぞ?)
(でも先輩。私たち同じものを見てるっぽいですよ? 幻覚じゃなければ、自己主張の激しい幽霊さんですかね?)


「大丈夫。幻でも幽霊でもないよ。ヒトとも言えないがね」
「え?」

彼は笑いながら、ここじゃ、言葉も念話も区別がないのだと言った。

「え? それじゃ思考も?」
「もちろん可能だ。君たちにも私の話がネイティブ言語で認識されているだろう?」

そう言えば、彼は英語圏の人なのに、彼が話しているのは完全に俺にとってのネイティブな言葉のようだった。以前考えたとおり、これが念話の本来の姿なのかもしれない。

恐ろしいのは、彼の口の動きが発せられた言葉にぴったり合って見えることだ。もはや意味が分からない。

こんな風に感覚や思考に直接アクセスできるのなら、それを読み取れない理由はないだろう。技術的には。


「これが、向こうの人達の基本的なコミュニケーション方法だとすると、ネイティブって言うのは、ある地域というよりも、個人に近い概念のようですね」


個人の思考にアクセスして、意味のある言葉を形成するために使われるデータベースは、その個人の語彙がもっとも適切だろう。


「ああ。それで、俺たちのカードや説明には英語と日本語が混じるのか」

そして、固有名詞に英語の表記があるのは、おそらく対象を同定するためのキーだ。

しかし、音として発せられた言語を解析して翻訳機が動作するのならまだしも、脳の言語野そのものに直接アクセスして意思を疎通する? それを、洗練されていると感じるか、野蛮だと感じるかはともかく――


「人間というものの生態も構造も分からないだろうに、そんなことが出来るものなのか?」
「あちらさんも、類似の有機生命体なのかもしれませんよ」
「しかし脳の神経細胞だぞ? 類似じゃ無理が……ありそうに思えるけど、俺たちの常識じゃ測れないからなぁ」


何気なく発した俺の疑問に、彼は一瞬目を落としたが、すぐに笑みを浮かべて言った。

「三年と少し前、我々がネバダでやったことは知っているか?」
「マイクロブラックホールを作り出すことで、余剰次元の存在を証明する実験だったと言うことくらいは」

「そうだ。そうして、マイクロブラックホールは作られた。ただ――」
「ただ?」
「――消えなかった」

「そんな馬鹿な。質量が足りなさすぎて、一瞬で蒸発するはずでは?」
「君は量子力学を?」
「教養の範囲ですけど」

彼は軽く頷きながら、話を続けた。

「そう、本来ならその通りだ。しかし運命の悪戯か、ごくごく一瞬、それこそフェムトセカントのオーダーの間だけ開いたゲートが、この世界を作り出す切っ掛けになったんだ」


俺は彼が発する言葉が、遠い世界のおとぎ話のように聞こえた。
もちろん、この状況そのものが、そう言ったおとぎ話の類と大差ないのだが。

「ゲートって……どこかのゲームの設定ですか?」
「繋がったのが地獄じゃなかったのは幸いだったね」

彼も遊んだ口なのだろう、面白そうにそう言った。

「ともかくゲートの向こう側の存在は、こちらの世界で、なにかの活動を行っていると見られる電気信号を見つけたんだ」

「電気信号?」
「そう。そうしてそれを、文字通り喰らった。分解して解析したんだ」
「まさか――」
「別に痛くはなかったよ」

彼はおどけたようにそう言った。
サイモンによると、彼らの痕跡はどこにも残されていなかったと言う。それがまさか、その何かが人類を知るための素材になっていたなんて――


「そう、それがあの日あそこにいた二十七人の行方ってやつだ」
「それじゃ、ダンジョンがやたらと地球のゲーム然としていることや、その文化を踏襲しているのは――」

「我々のせい、というのはいささか語弊があるが、最初はそこが切っ掛けだったのは間違いないね」


ダンジョンの固有名詞が英語なのはそのせいなのか……

「もちろん今では、多数のエクスプローラーから情報を得ているはずだから、その人達が望んだり想像したりする姿を利用しているのだろう」


でなければ多様性が保てないからね、と彼は笑った。

「多数のエクスプローラーが分解されたらニュースになりそうなものですが……」
「そこは、私たちの犠牲も無駄ではなかったということかな」

人類の構造を熟知したそれは、分解しなくても我々の思考そのものにリーチ出来るようになったということか。

そうでなきゃ、念話とかあり得ないだろうしな。

「先輩。このことって、サイモンさん達に伝えてもいいんでしょうか?」
「不可抗力だったのかも知れないが、アメリカに取ってみれば、まるっきり敵性体の行動だからなぁ……」


それを聞いたタイラー博士は、首を横に振った。

「あれは、事故だよ」
「まあそうでしょうけど」

言ってみれば、旅客機とUFOがぶつかったみたいなものだ。
人類にとって見れば、まさに晴天の霹靂というやつだ。

しかも、アメリカに取っては、現在発生している世界的な変革の引き金を引いたようなものなのだ。

それが知られれば、国際的な責任を追求されかねない。

俺は、サイモンから聞いた話を思い出して言った。

「それに、三年前の事実が世界に知られると、アメリカ的にも拙いのでは?」
「現実ではどんな話になってるんだ?」

どうやら、Dファクターで収集した記憶の全てを共有しているわけではないようで、彼はそれについて知らなかった。

俺は現在一般的に知られている、三年前にザ・リングで起こった事故の話を聞かせた。

「なるほどな。じゃ、まずかったかな……」
「もしかして、最終ページの話ですか?」

それを聞いた彼は驚いたような顔をしていった。

「流石だ。もうあれを見つけていたのか」
「ここがさまよえる館の書斎だとは、とても思えませんけど」
「クリンゴン語には参りましたよね」

三好が、苦笑いしながらそう言った。

「ははは。科学者っていうのは、時々馬鹿なことをやりたくなるものさ。では最終ページは?」
「アメリカの友人のアドバイスをもらって、公開を止めてあります」
「真実は、いつかその姿を現すものだとは言え、君たちの安全を考えれば仕方のないことか……」


彼はしばし考えるそぶりを見せたが、すぐに頭を振って言った。

「その件は、君に預けるよ。自由にしていい」
「ええ?!」
「我々としてはそれが公開されようとされまいと、今となってはどうでもいいことだし、それに――」

「なんです?」
「科学者は政治的な駆け引きが大嫌いなのさ」

そう言って彼はにやりと笑った。
そこはまったく同意だが、預けられたからといってどうしろって言うんだ? 政治的な駆け引きも、諜報活動の対象になるのもまっぴら御免なんだけど。


「しかし、こんな大げさなことをする目的ってなんなんです? ゲートの向こう側の存在って――」

「先輩。名前を付けませんか? 名前がないと実体が曖昧で」
「――そうだな。タイラー博士、それらに名前はあるんですか?」
「固有名詞は存在するが、発音は不可能だ。また、我々の語彙では置換も難しいだろう」
「ダンジョンを実体化したのはそいつですよね?」
「そうだ」

我々の思考や意識を読み取って、それを設計図にダンジョンを作成したもの――

「デミウルゴスってのは?」
「プラトンか。いいかもしれないな」

タイラー博士が意を得たりとばかりに頷いた。

英語にするとデミアージ《demiurge》だ。

彼は、プラトンが著作の中で言及した存在で、イデアを範型にして物質世界を作り出した創造主だとされている。言ってみれば設計図をみながらそれを実際に作成する技術者だ。

我々の知識や意識をイデアとして取り出し、現実に反映させるものには相応しいだろう。

「先輩にしては珍しくマトモですよね」
「お前にまかせると、ダンジョン作るくんとか言い出しそうだからな」
「だんつくちゃんですよ! やっぱり世界の創造は女性の仕事でしょ」
「はいはい」

「それで、そのダンツクちゃんの目的かね?」
「え? ああ、そうですけど……」

ダンツクちゃんって……

「そうだな」

彼は右手の人差し指と親指の間に顎を挟んで、再び考えるようなそぶりを見せた。

「さっき、君たちが見たとおり、私は君たちが言うDファクター――うまいこと言ったもんだね――で再構成された情報に過ぎない」

「情報?」
「そうだ。記憶や魂などと言うものが人間のハードウェアのどこかに存在しているのなら、量子レベルで完全に同一なハードウェアを構成してやれば自動的に記憶や精神活動も再現される。そう思わないか?」


宗教家は否定するだろうが、俺としてはそれが妥当な考えに思えた。実現困難性はともかく。

「目の前に実例があるみたいですから」

彼は確かにそうだと面白そうに言った。

「そうだとしたら、コピーも出来るってことですか?」
「それは可能だろうが、ダンツクちゃんはインスタンスを1つに限定しているようだよ。先に作られた方を私とするなら、コピーが作られた瞬間から、その私ダッシュは、私ではない別の何かになるだろうしね」

「シングルトンってやつですね」

インスタンスとは設計図から作られた実体と言ったような意味だ。
この場合は、記録されているタイラー博士の量子的な状態が設計図で、そこから作られる目の前のタイラー博士がそれのインスタンスと言える。

シングルトンは、ソフトウェア開発におけるノウハウから産まれた用語で、どこでインスタンスを作成しても、それが単一なものとなる仕組みのことだ。


そうしなければ、パラレルに置かれた状況によって、当然体を構成している量子の状態も別の状態になってしまう。記憶が異なるのだから当然そうなるだろう。


「記憶の統合をやれば――」
「ハードウェアとして再構成しているという現在の手法で、そんなことが出来るとは思えないが、やったとしたら立派な多重人格者が産まれるかもね」


同時に複数の場所にいて、複数の体験の記憶がある個人。……確かに多重人格者と言えるのかもしれない。


「神様みたいですよね」
「それは、面白い見解だな。後で考えてみよう」

世界にあまねく偏在する神様ってやつはそういう存在だと言われれば確かにそうだ。神様は無限の多重人格者だったのか。

そういや、そんな性格かも知れない。

「そういうわけで、私はダンツクちゃんの一部とも言える。彼女から見れば私のことは精神活動も含めて量子レベルで把握されているが、私から彼女の考えを知ることは不可能だ」


まあ、創造主の御心を測れと言っているようなものだもんな。

「だが、起こった事象から、それを想像をすることはできる」

相手は創造主だ。
それが起こした事象から、その真意を想像して伝える? 彼は、もはやダンジョン時代の巫女――いや巫覡《ふげき》か――だな。


「我々を素材として分解、調査、再構成する過程で、君の言うデミウルゴスは、それが知的活動をしている生命体だということに気付いた。そうして、この世界には、その個体が
75億体も存在することを、我々の知識から知って狂喜したんだ」
「狂喜?」
「そう。それは、他には表現しようのない刺激だった」

人が沢山いるからって狂うほど喜ぶ? 一体どんな理由で?
例えば、向こうは吸血鬼の王国で、地球は大量の食料庫だとでも?

「なぜです?」
「あれが望んでいるのは、おそらく奉仕だ」

いきなり吸血鬼王国と大差ない話が飛び出してきて、俺は思わず息を呑んだ。

「奉仕って……つまり、人類を奴隷に?」

突然降ってわいた侵略ものSFのストーリー。何という急展開! ってそれどころじゃないだろ、これ。


「違う。逆だよ」
「え?」
「ダンツクちゃんは、奉仕させたがってるんじゃなくて、それを捧げたいのさ」
「はいー?」

一体何を言ってるんだ?
彼はガゼボの柱の間から見える空を見上げて、遠い目をして言った。

「私には、ダンツクちゃんが、人類に困難を押しつけ、それによって自分を利用させる手段を身につけさせようとしている。そう思えるんだ」


それを聞いた三好が、興奮したように言った。

「言葉は違いますけど、それって先輩の推測の通りじゃないですか」
「依存させようとしているように思えるってやつか?」
「そうです」

しかし、あろうことかその目的が奉仕したいからだと?
依存させて向こうさんになんの得があるのかと訝しんでいたんだが、まさか手段だと思っていたものが目的だったなんて、誰が想像する?


「奉仕を捧げること自体が、利益になるってことか?」
「先輩。世の中には利益とは無関係に、働くのが好きな人もいるんですよ」
「そういう問題か?」

確かに充分以上の資産があって、放蕩の限りを尽くしたものが、それに飽きたら次に求めるのは名誉だろう。

でもそういうのとは少しニュアンスが違う気がする。

「ダンツクちゃんが、どんな利益を得るためにそんな行為に及んでいるのかは私にもわからない。もしかしたら理解しようとすること自体が間違っているのかも知れないしね」

「神の御心のままにってやつですね」

三好が分かったようにそう言った。

「お前はその台詞が言いたかっただけだろ」
「てへっ」

三好のあざとい舌出しを横目に見ながら、俺は疑問を口にした。

「しかし、仮にそうだとして、なぜこんな迂遠な方法を?」

奉仕がしたいだけなら、ダンジョンなんか作り出す必要はないだろう?

「私は地球人だ。今となっては元と言うべきかも知れないが。そして科学者でもある」

タイラー博士が改まってそう話し始めた。

「三年前の地球上に、現代科学を超越した謎のテクノロジーが突然登場したら、世界はどうなっていたと思うね?」


おそらくそれの奪い合いになることは確実だ。そうしてそれを利用した、より進んだ兵器が開発されただろう。

それが導入されれば、民族紛争や宗教紛争の規模が大きく拡大したかも知れない。実際アルスルズ達がいれば、要人暗殺くらいやりたい放題だ。おそらく防ぎようがない。

魔法を使う探索者たちだって同じことだ。ひいては第3次世界大戦なんて可能性も――

「まあろくなことにはならなかったでしょうね」
「我々の知識を得たデミウルゴスは、それなりに考えたはずだ。もしかしたら似たような経験があったのかも知れない」

「そういう世界をまとめるには、共通した脅威が効果的だと?」
「そう判断して、ダンツクちゃんになったとしても、私は驚かないな」

実際世界は驚くほど短期間に世界ダンジョン協会を立ち上げて状況を管理しようとした。
ダンジョン産のテクノロジーとも言うべきスキルや素材は、曲がりなりにもその管理下に置かれている。

しかも人類は、その現代科学を超越した謎のテクノロジーをスキルオーブやポーションという、分かり易い概念の下に、あっさりと受け入れているのだ。


「だけど、こんな話を俺たちが持ち帰ったら、それぞれの国家が自国のダンジョンを囲い込んで、どのみち奪い合いになりませんか?」

「それが分かっているから、君たちはここへ来られたのさ」

彼は当然のようにそう言った。

そうして、自分達の存在や目指すものを少しずつ伝えるために、さまよえる館やタイラー博士を遣わせたってことなのだろう。

好奇心を原動力に自分で調べていったような気にさせる素材として、ゲームを使用するのは上手い方法ではある。その過程で幾ばくかの損害が出ても、彼女にとっては、7五億分の幾ばくに過ぎないわけだろうし。


「それに、そんなことになったら、ダンツクちゃんはダンジョンを消去して別のアプローチをとるかも知れないな」

「別のアプローチ?」
「奉仕を受ける者は、別に地球上にいる必要はないし、地球人である必要すらないってことさ」

拉致監禁して自分の世界に取り込んでもいいし、その不思議な力で地球上に特区のようなものを作ってもいいし、ダンジョンに依存した地球からダンジョンを撤去してさようならしてもいいってことか。

そうして人類は、昔話に出てくる欲を掻いたイジワル爺さんよろしく、千載一遇のチャンスかもしれないものを棒に振るってわけだ。


俺は大きくため息をついた。

「話が大きすぎて、一民間人の俺たちには背負いきれませんね」

それを聞いたタイラー博士は、意味深に笑った。

そう言えば、彼はここが心象風景だと言った。

『秘密の花園』は、保護者に放任された結果、孤独で気むずかしく育ってしまった少女が、隠されていた庭の復活を通して人間性を取り戻し、そうして奇跡が起きる物語だ。

それに惹かれるデミウルゴス? それって一体何なんだ?

「だが、ここに来られたと言うことは、あそこでなにかをやったんだろう?」
「やったというか……」

なんだかブラックな仕事と重なって、義憤に駆られただけだったような……
その話をすると、彼は嬉しそうに言った。

「永遠の繰り返しから解き放たれた彼女の心は君に捧げられ、そうして救われたのさ」
「どういう意味です?」
「我々にはみな役割がある」

彼は俺の質問に直接答えず、そう言った後、しばしの間瞑目した。
すさびれたガゼボの中を風が渡り、テーブルの端に留まっていたロザリオの羽毛を揺らした。

「そうして君たちはここに来る資格を得た」

しばらくしてそう言った彼は、話し合いが終わったかのように、ゆっくりと目を開けた。
かれはそれ以上何かを言うつもりはなさそうだった。

「なんだかよくわかりませんが、いろいろとよくわかりました」
「ほとんど推測に過ぎない事ばかりだがね。ともかくダンツクちゃんは、情報を開示する権利を君たち二人に与えたようだ。良いようにしてくれたまえ」


良いようにったってなぁ……俺と三好は顔を見あわせた。

「そうして君たちは、とても重要な判断を委ねられるだろう」

タイラー博士は、突然、威厳とも言うべきものをにじませながらそう言った。

「……予言ですか?」
「予測さ。君は、コルヌコピアを受け取ったんだろう?」
「コルヌコピア?」

そう聞いたところで、周囲の空間が崩れ始めた。
それはまるで、さまよえる館で鐘が鳴り響いた後のようだった。

「残念ながら、そろそろお別れの時間のようだ。この場所の維持や私の行動には、とても沢山のDファクターが必要なんだよ」


ここは世界が育つ場所だ。
刻一刻と変化していくそれを記録しているとしたら、そこに割かれるリソースが膨大なものであろうことは容易に想像できた。


「ここはとても孤独な場所だ」

そう言うと、彼は解《ほど》けて小さな少女の姿に戻った。

"Where you tend a rose, my lads, A Thistle cannot grow."

良きものの手入れを欠かさなければ、悪いものは育たない。そんな詩の一節が聞こえたかと思うと、視界が虹色ににじんでいく。

聴覚と視覚と触覚が入れ替わったり混じり合ったり、離散集合を繰り返し、そうして一つになったとき――


「って、ここは?」

――俺たちは見慣れた洞窟然とした場所に立っていた。

その洞窟然とした風景には見覚えがあった。
しかしそれは、キメイエスがいたあの洞窟でもなければ、十八層の地下の洞窟でもなかった。

まさかと思った俺たちの考えを肯定するように、道の向こうで、丸いぽよんとした生き物が、ふよふよと蠢いていた。


「先輩。ここって……一層みたいですよ」

俺は慌てて時間を確認した。時計が正しいなら、まだ二十七日だった。

「いままで三十一層にいたよな?」
「いましたね」
「それが一瞬で一層?」
「ダンツクちゃんにとっては、層の移動くらいお茶の子って事ですかね?」
「せっかくデミウルゴスって格好いい名前を付けたのに……」
「タイラー博士は、ダンツクちゃんがお気に入りみたいでしたよ?」

せめて二十一層にしてくれれば良かったのにと文句を言う俺の隣で、三好はタブレットで何かを確認しているようだった。


「それで、三好。この話、どうするよ」
「どうするって、公開するかどうかってことですか?」
「ああ」
「そりゃ無理ですよ。三年前の事件の被害者は、みんなダンツクちゃんに量子レベルに分解されて調査され、スキャンされた知識を利用してダンジョンができたなんて誰が信じるんです?」

「うーむ」
「ダンジョンの中でタイラー博士にあって話したってだけでも、誰も信じてくれません。ヘタをしたらのーみそくーるくるな人扱いですよ」

「お前のことだから録画してたんだろ?」
「もちろんです。でもですね――」

三好はタブレットをふりふりと振った。

「――なーんにも映ってないんですよね、これが」

あの隠された扉を入るまでは、ちゃんと記録されているが、それ以降は何にも記録されていないそうだ。


「第3者を連れてあの扉をくぐるとか?」
「あの扉、まだあそこにあると思います?」
「……なさそうだよなぁ」

館と同じ現象だと考えれば、まだそこにあると考える方がどうかしている。
第一塔の周りは、チームIの連中だって詳細に調べたはずだ。いかに蔦に隠されていたからと言って、ドアノブを見逃すはずがなかった。


「あれって、なんというか、私たちの共通意識の中というか、観念の世界だったような気がしませんか?」

「もしもそうだとしたら、アルスルズが入ってこられないのも、録画や録音が出来ないのも当然か。って、アルスルズは?」


俺がそういうと、四匹がひょっこりと顔を出した。
どうやら無事だったようだ。おれはドゥルトウィンの首筋をポンポンと叩いた。

「今から二十一層を目指すのもどうかと思いますし、とにかく一旦帰って情報をまとめませんか。映像がないですから忘れないうちに。なんだか意味深な話も一杯されたような気がしますし」

「だな」

それにしても大変な夜だったなと、しみじみ感じながら、俺たちは、一旦ダンジョンを出て、事務所へと向かうことにした。



123 それさえもおそらくは平穏な日々 1月29日 (火曜日
)


典型的な冬型の気圧配置になった火曜日。
横浜ダンジョンへ、日課のパトロールにやってきたテンコーは、受付にあった張り紙を見て目が飛び出るほど驚いていた。


「なんやて?! 嘘でっしゃろ?!」
「いえ、本当ですよ。横浜ダンジョンは、利用者の減少もありまして、本施設は一月一杯で閉鎖されます」

「ほな、横浜ダンジョンはどうなるのん? 立ち入り禁止に?」
「いえ、そうでは無くて――」

テンコーは受付から、二月から、地下駐車場の入り口側に簡易の入場ゲートが作られることを聞いた。

閉鎖されるのは、あくまでもダンジョンビルの一階と一層だけのようだった。

「そんなん、中が見えへんや無いか!」
「そう仰られましても」
「ここはどうなるんです?」
「詳しい話は、私どもにも……あ! あの人に聞くと良いですよ! 日本ダンジョン協会側の窓口みたいで、最近こちらにもよくいらっしゃってますから」


受付が指差す先には、テンコーもよく知っている女性職員が歩いていた。

「鳴瀬はん!」
「え?」

管理事務所からの帰り、駅前で横浜ダンジョンの受付から声をかけられた美晴は、そちらを振り返った。

受付前では、テンコーが両手を振っていた。
美晴はそれを見て、久しぶりだなと思いながら、ぺこりと挨拶すると、そのまま駅に向かって歩き出した。


「ちょ、ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待ってーな!」

それを見たテンコーは慌てて美晴に向かって必死で走り出した。
驚いた美晴は立ち止まってそれを見ていた。

「お久しぶりです、テンコーさん。どうしたんですか?」
「いや、どうしたもこうしたも……あれへんがな」

テンコーははぁはぁと息を荒げながら、言った。

「横浜ダンジョンって、どうなりますのん?」

、、、、、、、、、

その日の夕方、地上へと戻ってきたDパワーズの面々は、ちょっと早い夕食を外で済ませると、そのまま事務所へと移動した。

現在、事務所のレストルームでは、今回の探索でゲットしてきた原石やアイテムを広げながら、三好がマイトレーヤのふたりに、欲しいものを選んでおくようにと言っていた。


「え? 私たち契約探索者だから、アイテムは契約企業のものじゃないんですか?」
「あれ? そうなのか、三好?」
「うちは、基本的に折半ですよ」
「折半?!」

三代さんが驚いたように言った。

「あれ? 全部とってきた人のものにしようとか言ってなかったっけ?」
「はあああ?」

ダミーのバックパックを片付けながら、そんな話を聞いたようなと言ったレベルで口を挟んだら、三代さんが目を剥いた。


「それ、ダメなんだそうです」
「ダメ?」
「企業間の協定があって」

つまり、そんな訳の分からない分配率の企業が登場すると、高レベルの探索人員が全部奪われてしまうわけで、要はダンピングなんかと同じに扱いになるんだとか。


「それで探索者への分配は、最大で利益の五〇%だと決まってるそうなんです」
「なるほどねぇ。いろいろと難しいんだな」
「だからうちではまず、評価額から経費を引いて、残りを折半ってことにしてあります」

小麦さんが不思議そうな顔で、首をかしげた。

「え? でも利益のってことになると、一生ゼロじゃないですか? だってオーブが……」
「えーっとですね。オーブというのは、支配可能性が不完全なので、法的には動産にあたらないんです。だからその無償使用は贈与や譲渡とはみなされません」

「はい?」
「よーするにオーブってやつは、対価を受け取りさえしなければ、それを供与する側の胸先三寸で、価値をゼロにできるってことだよ」

「はあ?」

聞いたこともない話に、目が点になる三代さん。
まあ、普通はゼロ円で譲渡したりしないからな。でも本当なのだ。

「DPハウスは備品ですし、今回の探索の経費はご飯を初めとする消耗品代くらいですかね?」

もう、何をいってんのこの人達という視線で三代さんがこっちを見ているが、知らんがなってなもんだ。

彼女にしても、自分の利益が増えることに異存はないだろう。

「というわけで、なんだか今回は凄い数の原石があるので、欲しいのがあったら選んでおいてくださいね」


三代さんは呆れながら、小麦さんは喜びながら、欲しいアイテムを選択し始めた。

、、、、、、、、、

あの日、日曜日の夜に事務所に戻った俺たちは、庭園であった出来事を思い出せる限り書き出した。ポンチ絵でその場の状況もできるだけ描いてみた。

細かな検討は後回しにして、記憶が新しいうちに情報として残せるだけ残したら、一眠りして二十一層へと引き返したのだ。


そこでは徹夜で原石をゲットし続けて、ハイになった小麦さんと、それに付き合ってテーブルに突っ伏していた三代さんがいた。

散らばるカップ麺の残骸が、小麦さんの、何かに集中したときの特異な優秀さと人間としてのダメさを同時に浮き彫りにしていた。

一般人がそれによりそうのは並大抵の話ではないのだ。それを、三代さんが見事に体現していた。


俺たちはふたりを寝かせると、しばらくオレンジを採取したり、下二桁を揃えようと躍起になったりして時間を潰した。

因みに、00にヒットしたのはラブドフィスパイソンだった。

 --------
 スキルオーブ 熱感知  二百万分の一
 スキルオーブ 振動感知 八百万分の一
 スキルオーブ 猛毒   千二百万分の一
 --------

実に蛇らしい構成で、最後のやつはラブドフィス由来だろう。日本で言えばヤマカガシなんかがそうだ。

どうにも使い勝手の悪いスキル群だが、パッシブの赤外線感知に近いと思われる熱感知をゲットしておいた。


そうしてふたりが起きた後、俺たちは三代さんに聞いた。

「で、これ、どうする?」
「どうするって、どういうことです?」
「いや、また三代さんたちが来るんなら、建てたまんまにしておくけど」

それを聞いた三代さんは、小麦さんと一緒に、何かを相談していた。
フンスと言った感じで小麦さんが拳を握ると、仕方ないなぁと言った感じで三代さんが頬を掻いた。


「ここを拠点にレベルを上げて、二十五層以降にもチャレンジしてみることにしました」
「ならおいとくか。三好、電源はどうなってんだ?」
「常時利用する維持電力――スライム対策やセキュリティ関連ですね――は、エタノールベースの燃料電池です。出力一〇〇Wくらいで一〇リットルで一万Whくらいの電力量になる性能ですね」

「それって危険物系の規制は大丈夫なのか?」
「アルコールの場合は四〇〇リットルを越えると消防法の適用を受けるんですけど、ダンジョン内に定期点検に来れるはずがないので、適用がどうなってるのかさっぱりなんですよ」


そのあたりはどうもはっきりしなかったらしい。
一応代々木の中は日本の法律が適用されているとはいえ、銃の使用など特例も数多くある。
問い合わせても、すぐに返事がなかったそうだ。燃料や、高圧ガスについては、セーフエリアのせいで特例になる可能性が高いのではないかと三好は言った。つまり現時点では具体的な規制がないのだろう。


「なので、一応タンクとしては2万リットル近くあるんですけど、現在は予備タンクの三九九.九リットルのみ利用してます。それでも、電力量換算で約四十万Whくらいあるわけですから
――」
「一〇〇Wで、五ヶ月は持つわけか」
「ですね」
「どっちにしても、鳴瀬さん相談案件だな」

いずれにしても、燃料補給は月に一回くらいで充分そうだ。

「消費した保存食や物資だけメモしておいてもらえば、月に一回くらい補充にくるよ」
「わかりました」

どうやら、使用時の大きな電力は、水素発電のようだが、こちらもたまに水素ボンベを交換する必要があるようだ。

水素ボンベの場合、高圧ガス保安法が中心になるのだが、一般消費者の場合は、蓄えている量が三百立方メートル未満だと届け出もいらないそうだ。


「この辺も速やかに決めてもらわないと、困るよな」
「セーフエリアは、たぶんLNGあたりを利用した、マイクロ発電所になるんじゃないかと思いますけど」

「え? 発電機って、下で組み立てるのか?」

コジェネレーションとか、ハイブリッド発電とか、ヤンマーやトヨタあたりが研究や商品化を行っているらしいが、さすがに一気に持ち込めるようなサイズではないだろう。


「高層ビルのクレーンと同じで、最初は小さいものを持ち込んで、それを利用しながら大きなものをつくって交換していくんじゃないですか?」


それを聞いていた三代さんが、不思議そうな顔をしていった。

「上で組み立ててから、ホイポイカプセルで運んであげればいいんじゃないですか?」
「うーん。あれはなぁ……一応内緒だし」

そもそも苦し紛れのマイトレーヤ対策だからなぁ……どうしたものか。

「まあそうなんでしょうけど……って、日本ダンジョン協会にもですか?」
「報告は三好の申告時だから、今のところは、ね」

ダンジョン内から産出したオーブやアイテムについては、世界ダンジョン協会への報告義務がある。

ただし、商業ライセンスを持っている人物へ売却したり譲渡したりした場合、その報告は商業ライセンス持ちによる、年に一度の申告と共に行うことが出来るのだ。

全探索者に毎日バラバラに報告されたら、事務処理の規模がそれなりに爆発して手に負えないからなのかもしれない。


「それに、あれに入るサイズかどうかも分からないし、その時が来たら考えよう」
「そうですね。わかりました」

そんな感じで、三代さんを誤魔化しつつ、拠点を残したまま、俺たちは地上へと帰還した。

、、、、、、、、、

「さて先輩。次はこれなんですが――どうすればいいと思います?」

マイトレーヤの二人をおいて、レストルームから出てきた三好は、Dパワーズの仕事用メールボックスを見てため息をつきながら言った。

そこには、たった四日、というよりは正味月曜と火曜の二日で二千件に迫る未読が溜まっていた。しかも全てが
spamではないようだった。

「それで内容は?」
「さあ? というかメールの利用者はサブジェクトくらいまともに書いてほしいですよね!」

そこにあるメールの五〇%は意味のないサブジェクトが――「初めまして」だの「こんにちは」だの、多少はましだが意味のないことではどっこいの「お問い合わせ」などと――書かれていた。

三好はやさぐれた視線で、「サブジェクトを本文の一行目だと思ってる人って、頭が悪いんですかね」なんて言い出す始末だ。


「おいおい。そういう物議を醸しそうな発言はやめろよ」

俺は苦笑しながらそう言ったが、大量のメールがある時に、そういうサブジェクトを見るとゴミ箱に捨ててやろうかと気分になるのは非常によく分かる。


スマホ用のメーラーは、そもそもちゃんとサブジェクトを書くように出来ていないものが多い。いきなり本文への入力画面になるのだ。

メールの訓練なしでいきなり使わされたら、サブジェクトを飛ばしてしまっても仕方がないのかもしれなかった。


なにしろ、さらに二〇%はサブジェクトが空で、五%に到っては「Re:」と書かれているのだ。メーラーの返信ボタンを押してメールを書いたのだろうが、意味分かってんですかー!と三好が発狂していた。


数通くらいなら我慢というか、うるさく言わずに無視する部分ではあるのだが、流石に千通を越えるような状況では、発狂しても仕方がない。少なくとも処理を後回しにされることは覚悟するべきだろう。


そのうちの何通かを手早く開きながら、「メールに長たらしい時候の挨拶を入れる奴はクソ」なんてぶつぶつと呟いている。キテるなぁ。

まあそこはビジネスのマナーという謎領域があるからいたしかたないのだとしても、意味段落で括って読み飛ばせるようにして欲しいのは確かだ。


何通かメールを読んだ後、三好は顔を上げていった。

「結局、大部分は、Dカードを取得している人とそうでない人を見分けるデバイスに関する問い合わせですね」

「おいおい、まさかクリスマスに話してた、世界分断の話か?」

Dカード取得者、または未取得者を差別するためのツールとか、嫌だからな。

「Fromが、大学入試センターだの各大学の入試事務室だのですから、どうやら、入学試験と関係があるみたいですよ」

「入試って……」

「おお。今の東大総長って、五神《ごのかみ》真《まこと》さんって仰るんですね。まるで芸名みたいで、格好いい名前ですねぇ」

「その人、光量子科学の専門家だぞ。タイラー博士と話が合うかもな。って、総長名義で来てんの? 問い合わせのメールが?」


「センター試験でなにかあったみたいですね。どうやら例のテレパシーカンニングを本当にやった人達がいるようです。もちろん証拠は答案以外ないみたいですけど」

「ああ、それで焦ったってことか。だけどどうして、そんな話がうちに直接来るんだ?」
「どうやら見えるくんがDカードを取得していない人に効果がない話が出まわっているみたいです。みどり先輩のところはあり得ないでしょうから、日本ダンジョン協会経由でしょうね」


「えー? それって鳴瀬さん? 守秘義務違反じゃないの?」
「そこは微妙なラインですけど……たぶん本人にその意識はないと思いますよ」
「何でわかる?」
「だって、戻ってきて連絡したとき、いつも通りでフツーでしたもん。昼は横浜にいるそうです」

「横浜って、例の件か?」
「ですね。遅くなるけど帰りに一度寄られるそうです」

「じゃ、詳しい話はその時に聞けばいいか。だけど、二次試験って、二月の二十五日くらいだろ?」

「国立は大体そうです。でも、私立はもっと早いですよ。早いところでは二月の頭、多いのは二月十日から二十日くらいでしょうか」

「もう一月も終わるんだぞ? そんなに急なことを言われても数が揃うはずないだろ」

「Dカードの所有の可否だけなら、センサーの値がゼロを返すかどうかだけ見ればいいですから、通信も不要ですし、相当簡単な構造にできるとは思いますけど……いきなり今年度、全部の学校をフォローするのは無理でしょうね」


工場が出来るのを待ってたら入試が終わってしまうことは確実だ。大体外装なんか、金型発注を行ってたら間に合うはずがない。


「出来ているEASYを貸し出すにしても、数が全然足りませんし」
「不正をしてでも入りたいと思うような大学だけに絞るしかないだろうな」

そういう区別もどうかとは思うが、現実的にはやむを得ないだろう。

「とにかくみどりさんのところの体制がどうなってるのかわからないと、返答のしようがないな。中島さんに聞いてみたら?」

「ですね」

三好がメールを書いている間に、俺も協力してメールの仕分けを始めた。

「しかし、これで、地球を侵略に来た異星人を見つけ出すための機器みたいな印象がつくのは、ちょっと嫌だよな」

「髪の毛引っこ抜いて調べる的な?」
「サングラスをかけたら見える的な」

俺たちは顔を見あわせて笑った。奇しくもどちらも一九八八年の作品だった。

、、、、、、、、、

その様子をレストルームから見ていた絵里が言った。

「あの二人、仲良いよね」
「そりゃ、絵里ちゃん。同じパーティなんだし、悪いわけないでしょ」
「そうなんだけどさー。あんなに仲が良いのに、なんつーか、男と女の匂いがしないんだよね」

絵里が腕を組んで頭を捻っている。大きなお世話なのだが、そういうものに興味のある年頃?だ。


「何言ってんの。そういう絵里ちゃんは、彼氏いるわけ?」
「ぶー。いたら小麦さんに付き合って、毎日毎日ダンジョンに潜ったりするかい。って、小麦さん、それ全部持って帰るの?!」

「だってだってー。みんな可愛いよ?」
「そういう問題じゃないと思うんだけど……」

とりあえず原石を全部集めた後、諦めたものが僅かに寄せてあった。もっとも瑕疵がなく、最高品質の中でも高額そうなものは全部そちらに含まれていたのだが。

それらを除いても多すぎるので、今はさらにそれを、泣く泣く仕分けしているところだった。

「絵里ちゃんは、全然持ってかないんだね」
「二十一層以降へ行くって言ったら、知り合いにお願いされたアイテムくらいかな。カットされた石ならともかく、宝石の原石なんかもらっても使い道なさそうだし。どうせ売るならお金でもらった方が簡単だし」

「じゃあ、そんな絵里ちゃんにはこれだね!」

小麦が手に取ったのは、六角柱に近い形をした、ピンク色の石だった。

「なにその、お刺身みたいな色の石」
「あー、そう言われれば、ビンナガマグロのトロ部分にちょっと似てるかも。厚みのない原石だと、まさにそんな感じのやつがあるよ」


小麦は笑ってそう言った。

「これはね、ローズクオーツ。ピンク色の水晶だよ」
「へー。高いの?」
「んーん。宝石品質には足りない原石だと何百グラムもあるやつが2千円くらいで売ってるかな。でもこれは、ルチルの針状結晶がバッチリ入ってるから、きれいなスター効果がありそうだし。ちょっとだけするかも」

「ふーん。で、なんでローズクオーツ?」
「そりゃ、石言葉が、『恋愛』だからね」
「……はぁ。先に自分の心配をしなさいよ」
「え? 私付き合ってる人いるけど」
「ウソ!?」

その声に反応したのか、芳村がこちらを見て、「どうかした?」と言った。

「あ、いえー。なんでもないです。お騒がせしました!」
「もう、絵里ちゃんったらがさつなんだから。ほらほら、これで恋愛運をパワーアップして!」
「カップ麺すすって、ピットに出たり入ったりしながら、延々モンスターを刈り続ける女子に、がさつとか言われたくない……小麦さんの彼って、石だったり犬だったり、実はスマホの中にいたりするんじゃないの?」

「そんな人間いないでしょ」
「あああ、本当に3次元の人間なのかぁ……」

、、、、、、、、、

「なにやってんだ、あいつら?」
「まあまあ先輩。コイバナは女子トークの基本ですから。先輩もそろそろ連絡しないと振られますよ?」

「だ、誰にだよ」
「先輩が今思い浮かべた人にですよー」
「ちっ」

冗談はともかく、みどりさんの所にも相談したし、日本ダンジョン協会と横浜関連は鳴瀬さん待ちだ。

忙中閑ありってやつか。

「んじゃ、お茶でも入れますか」
「そうだな」

三好は台所に立つと、お湯をわかしつつ、俺の日本茶コレクションのなかから、かりがねを取り出した。

玉露の茎や葉脈から作られるお茶で、爽やかつ独特の風味と甘みが楽しめる素敵なお茶だ。しかも比較的安い。ただし一番茶以外はスカスカになるのでそこはご愛敬という奴だ。

雁が体を休めるために止まる、海上に浮かぶ小枝に似ているという理由でついた雅な名前なのだが、それって雁じゃなくてもいいんじゃないの?なんて考えてはいけない。

風情というのはそういうものなのだ。たぶん。

お茶を待つ間、ソファに座り直した俺の目の前のテーブルに、上からコマツグミが飛んで来て、テーブルの上をちょんちょんと移動した。


「結局ついてきたんだよな、こいつ」
「元メイドさんですからね。糞《ふん》もしないでしょうし、そこらのネコにも負けそうにありませんし。どっか上の方に止まり木でもつくってあげましょう」

「そうだな」

「先輩の隠されたお宝を見つけてくれるかも知れませんし」と三好が笑う。
「そんなものはない」

お茶の準備を終えた三好が、それらをお盆にのせて戻ってきた。

お茶請けは、大泉学園にある大吾の爾比久良《にいくら》だ。渋いな。
包み紙に包まれた卵焼きにも見えるその和菓子は、言ってみれば餡で栗を包んだお菓子だ。
外側の黄味羽二重時雨《きみはぶたえしぐれ》を口に含んで茶を飲めば、解けてゆく様がなかなかに官能を刺激する。なお、一個四八〇円。


そうして、お茶とお茶請けを置くと、さらには一緒にタブレットを差し出した。

「そういや、斎藤さん。結構大変なことになってるみたいですよ」
「え?」

三好はマイトレーヤ用のお茶をレストルームへと持っていった。
俺は爾比久良を口に入れて、かりがね茶をすすりながら、そこに表示されているニュースサイトのヘッドラインを読んだ。


『全日本アーチェリー連盟、斎藤涼子をオリンピック強化指定選手に特別招集か?』

「オリンピック?……あいつ何やってんだ?」
「先輩、先輩。その下。続報も見て」
「続報?」

それは、どうやら関連記事を集めた、スクラップ作成用のサービスだったようで、関連ニュースがまとまっていた。

そうして画面をスクロールさせた先には――

『全部師匠のおかげです? 斎藤涼子師匠を語る』

「ブーーーー?!!! なんじゃこりゃあ?!」


124 それさえもおそらくは平穏な日々!
1月29日 (火曜日
)


「ごめーん」

電話の向こうから、全然悪びてなさそうな弾んだ声が聞こえてきた。

「勘弁してよ、斎藤さん」
「いや、言っとくけど、今回のは、私、不可抗力だからね?」

彼女の話によると、映画の撮影で寄った光が丘の大会で、昼休みを利用して監督が矢を射ているエも欲しいからと、余興とばかりに
70メートルラウンドをやらされたのだそうだ。

「師匠にもらったのは、コンパウンドボウじゃん? 使ったことがないベアボウとか持ってこられて大変だったんだから」


もらったってか、君が勝手にジャイアンしたんだけどね。

「それで、なんだか凄い記録を出したんだって?」
「いや、だって、止まってる的だよ? ウルフやゴブリンに比べたらチョロイって。はるちゃんだって出来るよ、絶対」

「いや、斎藤さん。それ選手の前で言っちゃだめだよ」
「わかってるって。あ……」

スマホの向こうから不穏な言葉が聞こえてきた。

「待て、『あ』ってなに? 『あ』って」
「てへっ。会場で凄いって言われたとき、ダンジョンの中にはこれくらい出来る人、他にもいますよって言っちゃった」

「あー……」
「だってウソじゃないもん。はるちゃん私より上手いじゃん」

器用が超人級だからなぁ……斎藤さんだって、アーチェリーの世界チャンピオンのおそらく倍はあるはずだ。何しろジョシュアに負けるとは言え、サイモンよりも高器用なのだ。普通の人類に対抗できるはずがない。

彼女に悪気がないのは確かだ。言ってみればただ素直なだけってのは、わかる。星の巡りが悪いってだけで。


「そのくらいなら大丈夫だと思うけど……でさ、あの師匠云々ってのはなんなの」
「いや、だってさー、急にオリンピック強化指定選手とかだよ? みんなの手前、どっかで特訓でもしたことにしないと格好つかないでしょ?」


それまで、弓が使えるなんて言っても、有名人の少し変わった趣味くらいに捉えられていたのが、実はオリンピック級の腕前でした、なんてことになったあげく、練習なんてしたことないですよとは確かに言いづらい。

というか、世間が納得しないだろう。

「それにしたって、オフの時にどっかの練習場で、みたいな話でもよくない?」
「そんなの3秒でバレるって。まだそんなに詳しくないけど、この世界、すんごい狭そうなんだから」


確かに日本のアーチェリー業界は、練習場やプレイヤーの数的にも大きいとは思えない。
田舎の村落と同じで、よそ者は一発で見抜かれるのだ。

「ぬう」
「それに、師匠のところで特訓したって話は、一応みんな知ってるし、本当じゃない?」

スライム叩いてただけだけどな。

「あとさー。大問題なのがね……」
「なに?」

まだ何かあるのか?

「みんな、私が去年の十月まではダンジョンなんか潜ってなかったってことを知ってるし、弓なんか触ったこともなかったってことは、調べれば分かるんだよねぇ」


Dカードの取得時期は通常分からないだろうが、世界ダンジョン協会ライセンスの取得時期は明確に記録されている。

それに学校の同級生あたりに聞けば、そういう趣味があったかどうかなんて一目瞭然だ。なにしろ大がかりな道具を使うスポーツは隠すのが難しい。

しかも、ほぼ一〇〇%が狩りをしない日本のアーチェリー環境では、各地の協会に所属していないプレイヤーなんかいないのだ。


つまり彼女は、最長で去年の十月からアーチェリーを始めて、僅か三ヶ月ほどでオリンピック強化指定選手扱いされているということは、調べればすぐにわかるってわけだ。


「その原因が、ダンジョンでの特訓以外考えられると思う?」
「ぐぬぬ」

「一応お正月の時打ち合わせしたとおり、ブートキャンプの前身っぽいのでウルフ相手に特訓したって事にしてあるから」

「してあるからってね。……で、どうすんの? 強化指定選手、受けるわけ?」
「しばらくは撮影があるから無理だと思うんだけど、事務所が乗り気になっちゃっててさ」
「ふーん」

まあ、今をときめく新人女優ってことは、イコール可愛いわけだ。そして実力はオリンピック強化選手級。

そりゃ芸能事務所側にも、アーチェリー連盟側にも利点はあるだろう。

「私、公認の記録とか全然持ってないから、三月に内々の選考会みたいなのをやって、それをクリアしたら、四月にコロンビアだって」

「コロンビア?」
「世界選手権代表選手の最終選考会を兼ねた大会がメデジンであるんだって」

「え、それって他の仕事、大丈夫なの?」
「その頃には大体終わってると思うんだけどねー。何かみんなが調整に走り回ってて、悪いことしてる気分だよ」

「まあ、腰を低くしておけば?」
「そしたらまた、あいつは人をバカにしてるって言い出す方がいらっしゃるわけよー。あー、めんどい世界だねぇ」


「なに? 斎藤さんとしては乗り気じゃないわけ?」
「まだ選考がそれほど進んでなかったとはいえ、ぽっと出が、一所懸命頑張ってる選手に割り込むってのもどうかと思って。そりゃ、やれって言われればやりますけど」

「ミュージシャンが適当に自伝っぽい本を書いたら、芥川賞にノミネートされちゃったみたいな?」

「そうそう。それに、そういう色がついちゃうと、どこに言ってもそればっかりやらされそうで、ヤなんだよね」


それはそうだろう。野球で有名になったからって、何処に行ってもスイングばっかさせられるタレントは、しばらくなら我慢も出来るだろうけど、やっぱりちょっと辛いんじゃないかと思う。勝手な想像だけど。


「番組に呼ばれて、広くもないスタジオで矢を射させられて見せ物にされたあげくに、はいサヨウナラなんて、勘弁して欲しいよね、ホント。リハで誤射してやろうかな」


こいつの性格はものすごくこの仕事に向いてると思うけど、口の悪さは全っ然向いてないよな。
ほんと、こっちの方が心配だよ。

「それでさ、師匠」
「なんだよ」
「指定強化選手のお祝いに、リカーブボウ頂戴!」
「あのな」
「ほらほら、Dパワーズの広告つけるから」

そういうのって普通メーカーが提供するんじゃないのか?
ああ、これって斎藤さん流の恩返しのつもりなのか。そう気がついて、俺は思わず苦笑した。

「斎藤さん。オリンピックはアマチュアの祭典だよ」
「あり? 広告入りのユニフォームとかダメだった?」
「ダメダメ。今だと去年出たオリンピック憲章の規則五〇で、もう超ガチガチに決められてるから。メーカーのロゴだって数と大きさがきまってるんだよ」


オリンピック憲章って、大会は4年に一回しかないのに、ほとんど毎年改訂されてるんだよな。暇なのかな。


「だけど公式スポンサーとかいるじゃない?」
「あれは、宣伝にオリンピックのロゴとかが使えますよってだけだから」
「へー。めんどくさいんだね」

「まあ、弓はプレゼントするよ。乗りかかった船だし」
「んー、流石師匠! はるちゃんが帰ってきたら、一度顔を出すから!」
「御劔さん、いないの?」
「今NYだよ」
「NY? なんで?」
「なんでって、来月の七日からNYで二〇一九秋冬のファッションウィークだから」
「ファッションウィーク? いや、だからなんでそんなことになってんの? どっかの専属だったよね?」

「いやー、それがさ」

なんでもレッスンを見ていた先生が、何をとち狂ったのか、お前ちょっと箔を付けてこいって、コネでどっかのブランドに送り出したんだとか。


「いやだって、御劔さんじゃ身長が足りないだろ?」

ああいうコレクションに出るモデルは大抵が一七〇センチ台後半で、一八〇センチも珍しくない。


「最近は質が変わってて、そうでもないんだってさ。まあさすがに一七一センチは低いんだけど、女優なんかから引っ張ってきたりするから、一七三センチくらいの人は結構いるみたいだよ」

「質が変わってる?」
「そう。ポリコレだの痩せすぎ非難だのの悪影響っぽいよ」
「あー」

そりゃそういう選び方をすれば、選ばなきゃいけないプロパティがモデルと関係ないところまで広がって、結果として質が変わったと言われても仕方がないのかもなぁ……


「ジゼル・ブンチェンが最後のスーパーモデルなんて言う人もいるし」

「まあ、いい経験にはなるだろうし、めでたいことか」
「んだんだ。がんばれってメールしてやって」
「了解。で、いつ戻ってくるって?」
「全部回ってきたとしたら、ロンドンが十五日から十九日、ミラノが十九日から二十五日、でもって、パリが二十五日から三月五日。だから、そんくらいじゃない? スポットならもっと早いと思うけど」

「はー、すげーな」
「だよねぇ」

いや、斎藤さんも充分凄いから。調子に乗るから言わないけど。

「じゃ、またその頃」
「了解でーす。ボウは買わずに待ってるから」
「はいはい」

電話を切ると、三代さんが話しかけてきた。

「芳村さん、ファッションウィークに出るような人と知り合いなんですか?」

興味津々と言った様子だ。そういや彼女、ミーハーだった!

「あれ? 三代さん会ったことなかったっけ?」
「あー、かもしれませんね。三代さんと契約したの今年からですし。御劔さんと最後にあったのは、年末でしょう?」


小麦さんにお茶を渡して戻ってきた三好が、そう言った。

「御劔さん? って誰なんです?」

三代さん目が好奇心に輝いているぞ。凄く楽しそうだ。弟君を抱えて真摯にしていたあの姿は何処へ行った?


「先輩の彼女さん候補一号ですよ」
「えええええ?!」
「いや、お前ら、ちょっと待て」
「しかも候補二号は、インドの大富豪の娘で、ボリウッド女優顔負けの美人さんですし」
「はああああ?!」
「あのな……」

「一体、芳村さんのどこにそんな魅力が……あ、すごくいい人なのは知ってますけど」

いや、それフォローになってないからね。
三好はそれを聞いて、シシシシとどっかの犬張りの笑いを見せているし、どうしろって言うの、これ。


「候補三号は、斎藤さんかなぁ。女優さんですよ。あ、もしかしたら鳴瀬さんかもしれませんけど」

「いい加減にしろ」
「あたっ」

「え? Dパワーズ関連で、女優の斎藤さんって、斎藤涼子さんですか?」
「知ってるの?」
「知ってますよ! もうネットで大騒ぎじゃないですか。女神様《アルテミス》とか言われてますよ」

「ぶふっ! なんだそれ。もっと早く教えてくれればネタにしたのに」

どうやら、ダンジョンでゴブリンやウルフを射て腕を磨いた弓の名手ってところが、アルテミスと呼ばれるようになった原因らしい。

彼女は森で野生の獣を射て練習したと言われているのだ。

「え、今の電話の斎藤さんって……」
「ご本人ですよ」
「ええー?! 芳村さんって、すごかったんですねぇ」
「いや、知り合いが凄いからって、俺が凄いわけじゃないからね。どこの狐さんだよ、それ」

三好がガオーと、トラの真似をした。
そういやこいつも、ワイズマンとか言われてて、結構なポジションにいるんだっけ。

「それで、この有様だったんですね」
「何かあったのか?」

三好が差し出してきたタブレットに、何かの一覧表が表示されていた。

「なにこれ?」
「ブートキャンプの参加申請者の一覧です」

それを見ると、世界ダンジョン協会カードの取得日が極々最近の人達がずらーっと並んでいた。

「それ、多分、どこかのスポーツ選手や、その卵ですよ。時々知った名前も入ってますし」
「なんだか女性が多くないか?」

ブートキャンプの参加男女比は、通常なら男性の方がずっと多い。大体7:3かそれよりも男性寄りくらいの印象だ。

探索者の男女比がそれくらいなのかもしれない。

「そりゃ、斎藤・御劔効果で、そっち方面の卵の人達じゃないですか? ハニトラには気をつけて下さいよ?」

「いや、俺を懐柔したって仕方ないだろ。……しかし、ダンジョンの中って、危険なんだけどなぁ、一応」


「でも、私、ここへ来てから一度も危険な目にあったことがありませんよ。以前の探索とあまりに違ってて、麻痺しちゃいそうです」と、三代さんが言った。

「それはそれで問題だな」
「だけど、危険な目にあうよりも、あわない方が良いですよ」

確かにそれはそうなんだけど。

その後、三好が、小麦さんに渋谷区におけるウストゥーラの登録に関するアドバイスをしたりしていたが、やがて、彼女たちは帰路についた。

ここしばらくは、適当にやるそうだ。

二十一層より下層で取得したアイテムは、無理に持って帰ろうとせず、二十一層のストッカーに入れておいてくれれば回収すると言ってある。

カードキーも渡しておいたし、行動計画はダンジョンに入る前に必ずメールさせるようにしてあるから大丈夫だろう。


、、、、、、、、、

「はぁ。やっと落ち着いたな」

三好がシャワーをすませて、パジャマみたいな室内着で出てくると、そのまま、ぽすんとソファーの向こう側に座って言った。


「で、先輩どうします?」
「なにを?」
「これですよ」

そう言って、三好が収納から日曜日の夜中に書いたデータをどさどさと取り出しててテーブルの上に置いた。


「これかぁ」

俺は、腕を組み、んーっと目を瞑って天井を見上げた。

「どうしました?」
「どうしたって?」

俺は腕をほどいて三好と向かい合うと、興奮したように言った。

「いや、だってお前。タイラー博士だぞ? タイラー博士。最終ページが出てきた時点で予想はしてたけど、冷静に考えたら無茶苦茶だろ?」


あっさりそれを受け入れている自分が、自分でも信じられないような状況だ。
こうしてみると、フィクションで鍛えられている日本人って、こういう場合のシミュレーションをし続けているようなものなのかもしれない。


「人間の再構成ですよ。しかも完全な記憶の再現つき。ある意味不老不死じゃないですか」
「ある時点を繰り返し再現するならその通りだけど、あれはインスタンス化された時点で、時間は経過していくだろうからな。状態が上書きで保持されているとしたら、年は取るんじゃないか? ま、そういう問題じゃないんだけどな」

「ですよねぇ……」

「結局俺たちは、ダンジョンが出来た原因についても、ダンジョンの向こう側の連中の目的についても、今回の探索で知ったわけだ」

「でもそれって、一方的な宣言みたいなものですよね」
「そう。もちろんウソかも知れない。ま、それを踏まえてだな、俺たちには考えなきゃいけないことが、少なくとも4つあるわけだ」


三好がソファーの上で、胡坐をかいた。

「まずは、アメリカに三年前の真相を伝えるかどうかってことですよね。話の流れもありますし、鳴瀬さんには伝えておく必要がありそうですけど」

「そうだな。だが、アメリカはなぁ……こないだの話もあるし、サイモンには話をしておかなきゃとも思うんだが……」

「どうしたんですか?」
「ダンジョン攻略局は大統領直轄の機関だから、上に伝わるとヤバイだろ」
「CIAあたりに抹殺指令が出かねません」
「暗殺は、禁止になったはずだったんだけどなぁ」

七〇年代に、二度暗殺され掛かった大統領によって禁止されたが、その後撤回されて、今では可能になっている。

俺は苦笑しながら頭を掻いた。

「ま、それ以前に、ダンジョンの中でタイラー博士にあって教えてもらった? 信じるか、それ?」

「今度ばかりは、証拠も記録も何にもありませんからね……」
「賭けても良いが、三十一層のドアも、すでにないと思うぞ」

三好は少し考えてから言った。

「一応間接的な証拠っぽいものはあるんですけど」
「どんな?」
「私たち、三十一層から一層へ飛ばされましたよね?」
「ああ」
「だから、あの時、もしも自衛隊がそのまま各層に残っていたとしたら、通過した記録がないはずなんですよ」

「そうか。なら退出時間も――」
「そうです。あのときの時間って、たぶん最後にサイモンさんたちと会ってから4・5時間後ですよね」

「――きちんと調べたら時間的な整合性が、まるでとれていないってわかるわけか」

いくらなんでも、三十一層から5時間で地上に出るのは無理だ。
しかしそれは転移魔法っぽいと思われはしても、タイラー博士と会って云々という証拠にはなり得ない。


「まあ、私は、先輩が言えば、サイモンさんは信じそうな気がするんですけどね」
「うーん……。保留!」

俺は何かを横に放るようなポーズをとりながらそう言った。

「んで次が……デミウルゴスの目的を伝えるかどうか、か?」
「誰にです?」
「そこなんだよ……日本ダンジョン協会とか日本政府? あとは社会?」
「社会って、曖昧ですよねぇ……マスコミは一時的に食いつくかも知れませんけど使い捨てのネタ扱いでしょうね」


まあ、まともに取り上げるマスコミがあるはずないか。
ワイドなショーに到っては、専門違いのコメンテーターと呼ばれる人達が、適当に自分の感想風に局の意向を述べてそれでおしまいだろう。


「匿名掲示板にでも書くか?」
「それこそ頭のおかしな人扱いされて、おしまいですね」
「だよなぁ」

「それに、誰に向かってでもいいですけど、ダンジョンの向こう側にいる何かの目的は、人類に奉仕することだって主張するんですよ?」

「どこの新興宗教だって話だよな。もしも俺がそれを玄関先で聞いたなら、にっこり笑ってドアを閉めるよ、確実に」

「直接的には検証不可能なダンジョンの目的を堂々と語っている時点で、お前、何者だよって感じです」

「うーん……。保留!」

俺は何かを、さっきとは逆の方向に放るようなポーズをとりながらそう言った。

「次は、判断の件か?」
「私たちが強いられる、重要な判断ってなんでしょうね?」
「それな」
「とは言え、今までの二つだって、充分重要な判断を要求されているような気がしますけど」
「わざわざ意味深に言うからには、もっと別の何かなんだろうなぁ……」
「それって、その時が来ないとわかりませんよ」
「うーん……。保留!」

俺は何かを、今度は上に放るようなポーズをとりながらそう言った。

「三連続保留で、結局何にも解決してませんよ?」
「言うな……わかってる。つか、状況の方が異常なんだよ!」

俺は目の前に散らばっている、俺たちが書いた資料の山をバンバンと叩きながら言った。

「先輩。私たちって、ほんの小さな一個人に過ぎませんよね?」

突然三好が改まって、妙な言い回しで話を始めた。
こういう時のこいつは、大抵ろくな事を考えていないのだ。

「あ? ああ、まあそうだな」
「そんな私たちに、こんな人類全体でどーすんだよ級の話をされても困るわけですよ」
「だよな」
「だから、人類全体を考えられる組織の人に丸投げするってのはどうです? つまりそれを信じようと信じまいと、後はあなたたちの勝手でーすって」


こいつ……さすが最近はコンサルを使いまくってるだけのことはある。丸投げは確かに魅力的だ。なにしろ自分でゼロから考えたり悩んだりする必要がない。


しかも今回は、何かをして貰うわけではないから、結果が不要。つまり失敗も成功も我々とは無縁。よーするに今回の丸投げとは、ただの社会に対する責任のなすりつけにすぎないのだ。

我々はそれを社会に伝えようという努力義務は果たした。後は野となれ山となれなのだ。

「とはいえ、あまりに無責任な気も……」
「先輩、大きすぎる責任は、大勢の人間の肩に載せて曖昧にしちゃうのが人類の知恵ってものなんですよ。公務員メソッドってやつです」

「おまえ、最近言動がきわどいぞ」
「これでも結構ストレスがあるのですよ。うんうん」

パジャマ姿で腕を組み、こくこくと頷きながら、ソファーの上であぐらを掻く女。
ストレスとは無縁に見えるのは気のせいだろうか。

「じゃ、アメリカ問題はサイモンに丸投げして、あとは知らんと」
「そうそう。目的問題は、鳴瀬さんあたりに丸投げして、あとは知らんと」

「証拠もなにもないけど、とりあえず体験談という形で話したら、我々の義務はそこで終了。後は信じるなり信じないなり好きにしやがれってことで」

「暗殺の危険は?」
「話の裏付けが私たちの体験だけで、社会がそれを信じる要素がゼロですからね。積極的な発信を行っていなければ、そんな面倒なことはしないと思いますよ、普通」


Dパワーズにはオーブオークションや三好の鑑定がある。
脅威と有用性を比較して、有用性が脅威を上回っていれば、お目こぼしがいただけるのはフィクションの世界でも定番だ。ただし――


「最終ページが世に出たらわからないけどな」
「話が一気に信憑性を帯びますからね」

仮に丸投げしたとしても、どうせこの話には証拠がない。
サイモンにしても鳴瀬さんにしても、この話を何処かに持っていくのは、ほぼ不可能だ。せいぜいがヨタ話として酒宴の肴がせいぜいってところだろう。

だから口をつぐむ以外にないのだ。

だが、俺たちはその責任から解放されて、らくーになれる……かも?

「いいな、関係者総道連れプラン」
「プロジェクト・パブリックサーバーントですよ!」

公務員計畫かよ……

「三つ目の重要な判断も、同じ方法が使えるといいな」
「行けそうな気もします!」

「そして最後が、コルヌコピアの謎、か?」

そう言ったところで、玄関の呼び鈴が鳴って、来客を告げた。


125 それさえもおそらくは平穏な日々?
1月29日 (火曜日
)


「遅くなってすみません。宮内《くない》さんに捕まっちゃって」
「テンコーさん? 元気でした?」
「ええまあ」

事務所に入ってきた鳴瀬さんは、曖昧に笑いながら、上着を脱ぐと早速鞄から書類を取り出して三好に渡した。


「横浜の件、書類が揃いました。これにサインをいただければ、二月から利用できます」
「ありがとうございます」

この時代になっても、重要な書類は紙なのが面白いな。三好がその書類にサインをすると契約は完了らしい。


「こちらが一階の売買契約書になります」
「あ、転売許可って下りたんですか」
「はい。資産状況も充分ですので、無過失責任も十分対応できるとの判断です」
「で、こちらが地下一層の賃貸借契約書です。こっちはホント大変でしたよ」

なにしろまだ俺たちが一坪借りただけで、ダンジョン内の賃貸借契約は、事実上はっきり決まっていない状態だったのだ。


「法務が夜っぴて作業してましたけど、最後は感謝してましたよ」
「感謝?」
「ええ、おかげでセーフエリアの発見までに詳細が詰められたわけですから」

「セーフエリア?」
「あれ? 一緒にいらっしゃんたんじゃないんですか? 先日三十二層へ下りた場所で発見されたんですけど」

「あー、なるほど、それで」

下りた場所でそんなものが発見されていれば、三十一層に誰もいなかったはずだ。

「え?」
「いえ。まあ、不幸中の幸いというか、渇して井を穿つようなことにならなくて幸いでしたね」
「ええ、まあ」

そこで、少し気まずい沈黙が訪れた。聞こえるのは、書類にサインしている三好がペンを滑らせる音だけだ。


「それで、あの……ありがとうございました」

鳴瀬さんがあらたまってお礼を言った。
三十一層へのヘルプの件だろう。それは分かっていたけれど、そこはお約束だ。

「なんのことです?」
「いえ。なんとなくお礼を言いたかっただけです」
「ああ、そういうこともありますよね」

そうして俺たちは、白々しい笑い声を上げた。
それを横目で見ていた三好が、ちょっと肩をすくめると、1枚のメモリカードを取り出して、鳴瀬さんに渡した。


「これは?」
「必ず一人で見てください。そして見終わったらカードを燃やしちゃうことをお薦めします」
「え?」
「じゃ、これ。これで、契約は完了ですよね?」

三好は、サインした書類に判を押して、印鑑証明を添えると、鳴瀬さんに渡した。

「あ、はい……はい。大丈夫です。ありがとうございました」

「さて、先輩。これでまた忙しくなりますね!」

「いや、お前、その前にDカード識別問題があるだろうが」
「あ! それで思い出しました! 鳴瀬さん、ステータス計測デバイスがDカードを取得していない人からステータスを計測できない話、誰かにしました?」

「え? ……そう言えば、週末、うちの上司から電話が掛かってきて聞かれましたけど。あれ、なにか拙かったんですか?」


情報が日本ダンジョン協会内に留まっている場合はなにも問題がない。問題はそれが外へ流れちゃってるという部分だ。


「三好。これはあれだな。日本ダンジョン協会に大学入試センターから問い合わせがあって、何か対応をしなきゃってところで、鳴瀬さんの報告を思い出した……ええと、斎賀さんだっけ? の仕業臭いぞ」

「え? なんの話です?」

きょとんとしている鳴瀬さんに、俺たちは、この二日間で届いていた大量のメールと、その内容について説明した。


「で、ですね。これってこちらで個別対応すると、いろいろと拙いんじゃないかと思うんですよ」


なにしろ本来は日本ダンジョン協会に来た問い合わせだ。こちらから返事をするのもおかしな話だろう。


まだ発表されたばかりで市販もされていない機器の話だし、一ヶ月でそれが満足に用意できるはずがないことは、問い合わせる側もよく分かっているはずだ。

担当者が、フライングをしても早い者勝ちで注文してしまいたいという考え自体はわからないでもない。


ここで俺たちが直接大学にコンタクトを取ったりすると、大学毎の連絡やサポートが発生して、とても二人で回せるような問題じゃなくなることは明らかだ。

やる側は相手先が1カ所だから執拗に連絡をしてこられるが、受ける側が多数から同じことをされたりしたら、それこそDoS攻撃みたいなもので、何も出来なくなることは請け合いだ。


「わかりました。明日にでも斎賀に問い合わせてみます。こちらに問い合わせがあったのが金曜の遅い時間でしたから、おそらく昨日上に上げて、今日辺りに何かの結論が出てるはずですから、こちらに下りてくるのは明日くらいなんだとおもいます」

「期日がないって案件なのに、相変わらずフットワークが悪いですよねぇ」
「お役所みたいなものだからな。じゃあ、その前に、資料を見た各所が先に動いちゃったというわけですね」

「すみません」
「いえ。それで、一番知りたいでしょうキャパについてなんですが、さっきメーカーに問い合わせたところです。明朝には分かるんじゃないかと思いますから、分かったら連絡します」

「ありがとうございます」

「それでですね。調べてみたら、日本には、国立が八十六、国公立合わせると二百ちょっとですか。それに私立が六百ちょっとあるんですよ、大学」

「はい」
「それら全てに行き渡らせるのは無理ですね。そもそも各校に1台くらいじゃどうしようもないでしょうし」


それは分かりますと鳴瀬さんが頷いた。

「ですから個別に販売しないで、用意できる台数が日別に明らかになった段階で、入試日を確認してそちらでスケジュールを立てて頂き、使い回すなりなんなりすることで、最大限フォローできるようにした方が良いと思いますよ」

「なるほど、わかりました。そちらも明日上申してみます。それじゃあ、私はこれで」

暇乞いをする彼女を見て、俺と三好は顔を見あわせた後、鳴瀬さんを引き留めた。

「あ、ちょっと待って下さい」
「え?」
「横浜の一層ですけど、さっきの契約で十年間はDパワーズのものですよね?」
「はい」
「それでですね。ちょーっと面倒なご相談があるんですが……」
「はい?」

いきなりの三好の発言に、鳴瀬さんが眉間にしわを寄せた。

「ま、コーヒーでも入れますか」

そう言って三好が席を立った。

すぐに終わりそうにない話なのを感じた鳴瀬さんは、上げかけた腰を下ろして、ソファに座り直した。

三好からバトンを投げつけられた俺は、仕方なく話し始めた。

「結構面倒くさい話と、頭を抱えそうな話と、信じられないくらい困るに違いない話があるんですが、どれから聞きたいですか?」


それを聞いた鳴瀬さんが、額に汗を浮かべつつ口角をあげた。

「えと……全部聞かないで帰ってもいいですか?」
「それは日本ダンジョン協会職員としても、Dパワーズの専任としても、あまりお薦めできませんね。いずれ何かがあったときに困るというか……知っておいた方が良いと思いますよ」

「なんだか脅されてるみたいですね……ではショックの小さい順番でお願いします」

「じゃ、まずは横浜の話から」
「はい」

「横浜の一層ですけど、あれ、実は一層じゃないんです」
「え?」

鳴瀬さんは、何かを聞き間違えたかのように首をかしげた。

「契約の文言ですけど、『現在の一層』って書いてありますよね」
「ええ、ちょっと変な表現だなとは思ったんですが……」
「実は、現在一層だと信じられている層は、ダンジョン的には二十層よりも下層の扱いなんです」

「……え?」

何を言っているのかしら、この人って顔で、クエスチョンマークを浮かべた鳴瀬さんに、俺は、階段の1段が一層である仮説について説明した。


「踊り場がダンジョンのフロアではないかという仮説は、宮内《くない》さんのチャンネルで見たことがありますけど……」

「そう。一見荒唐無稽に聞こえるあの話なんですけど、実は真実だったんです。正確に何層なのかは、今後調査してみないと分からないんですけど」

「どうして分かったんです?」

そう、そこがこの話のミソなのだ。

「実は、ドロップしたんですよ」
「ドロップ? あ、まさか鉱石が?」

俺は黙って頷き、脱線気味に彼女にマイニングの鉱物選択仮説を説明した。
いずれは説明しておく必要があるし、丁度良い機会だと思ったのだ。横浜でドロップするものの説明にもなるしな。


「それって、自由にドロップする鉱物を選べるってことですか?」

鳴瀬さんは驚いたようにそう聞いた。

「その可能性はあります。さらにもっと大きな可能性もあるんですが、それがなんというか……滅茶苦茶難しいんですよ」


そうして、今回の探索の目的だった、小麦さんによる新規階層のドロップ鉱物について話をした。


「仮説の検証に、二十一層から二十四層まで、小麦さんにお願いしてみたんです。彼女がドロップさせるとしたらなんだと思います?」

「それは、宝石か、宝飾関連、ありていに言えば貴金属でしょうね」
「実際、その通りでした」

俺は各フロアのドロップ鉱石について説明した。

「二十一層に宝石の原石、二十二層にプラチナ、二十三層が銀、二十四層がパラジウム、ですか」


鳴瀬さんはその結果を聞いて、驚いていた。

「でも、宝石の原石って、なんの原石なんです?」
「それがですね――」

俺は彼女をレストルームに連れていき、未だにそこに並べられたままになっている鉱物を見せた。


「え、これが全部一フロアでドロップするんですか?!」
「そうです。これが新たな可能性ですね」

俺は元の席へと戻ると、彼女が「宝石の原石」をドロップさせた経緯を話した。

「あらゆる原石を思い浮かべたあげく決められなかったから、宝石の原石という括りでドロップが確定した?」

「我々はそう考えています」
「じゃあ、ニッケルとコバルトとマグネシウムって考えていれば、その三種類がドロップするフロアになると?」

「そこなんですよ」

俺は、どうもそれらを上手くまとめる概念がないと難しいことや、仮にそうでもそのことを相当深く考えられる人がチャレンジしないと失敗することを説明した。


「そういうわけなので、フロアの新規開拓は、ドロップさせたい金属について非常に詳しく、かつ愛情というか偏執的な方にやらせると上手く行く、というよりそうしないと拙いことになるんですよ」

「拙いこと?」
「えーっと、我々に一番身近な金属ってなんだと思います?」
「それは、鉄でしょうね」
「そうなんです。おそらくダントツで鉄なんですよ」

そのせいで、何も考えず鉱石をドロップさせると、高確率で鉄になる話をした。

「え? 全フロア別の鉱物になるんじゃないんですか?」
「と思うでしょう? 実際俺たちもそうだと勘違いしていたんですが、そんなことは碑文のどこにも書かれていないんです」

「じゃあ、下手をすると――」
「全フロア鉄がドロップするという、恐ろしい結果になりかねません」

実際三十一層で、注意していたにもかかわらず鉄をドロップさせてしまった話をしておいた。

「お話は分かりましたけど、しかし、そんな方に二十五層以降のモンスターを倒せというのはちょっと」

「ま、それが問題ですよね」

これがDカードなら、アーシャ方式で何とかなるだろうが、マイニングはそうはいかない。
小麦さんを育てるのだって、かなりの苦労を強いられているのだ。

「一応しばらくは小麦さんが、金属の勉強もして二十五層以降にもチャレンジしてくれることになっているんですが、マイニングが普及しはじめたとき、テストのつもりで無計画にドロップさせられると後で困るかも知れません」


「普通の探索者ですと、今マイニングを手に入れたとしても、二十一から二十四層の小麦フロアで稼ぐ方を優先してくれるんじゃないかとの期待があるんですが――」

「海外から、マイニングを目的に参加しているチームの人達ですね」
「そうです。代々木でテストする可能性が高いですからね」

しかし二十五層以降の敵を倒せる探索者で、金属類のエキスパートはおそらくいないだろう。
適当に若くて有望な探索者にマイニングを使わせる可能性が充分以上にあるはずだ。なにしろ大部分の人間はドロップする鉱石はランダムに決定されると思っているはずだからだ。

そして、人生経験が少ない優秀な探索者が触れる金属? ますます鉄がドロップする確率が高まるような気がしてならなかった。


「わかりました。でもこの情報が広まると、他国のパブリックダンジョンで練習してから自国のダンジョンで本番を行うなんてことも考えられますよね」

「可能性は充分にあります。世界ダンジョン協会で規制するなら今のうちでしょう」
「こちらも上申してみます」

メモを取り終えた鳴瀬さんが、ファイルを閉じて言った。

「それにしても、小麦フロアですか? プロの探索者にとっては、垂涎のフロアになりそうですね」

「それが、二十一層なんかは相当楽しいんですが、経済的にはものすごく価値がばらつくので安定しません。取捨しようにも、どの原石がいくらになるのかを判断できる探索者は今のところ少ないでしょうね」

「ガイドを作成する必要がありますね。今回のドロップ品は撮影させていただいても?」

おそらくガイドのサンプルに使用するのだろう。

「いいよな、三好?」

台所でドリップを行っていた三好が、頭の上で丸を作った。

「それから、二十三層の銀は他と比べると安いですし、二十二層と二十四層は非常に良い稼ぎになりそうですけど、金属はなんだかんだ言って重いですからね」


沢山持って帰るのは難しいだろう。
とはいえ、今までとは桁違いの稼ぎになるはずだ。ただし、マイニングがあるならば、という条件付きだが。


「ところで、この話自体は非常に有用な情報でありがたいのですが、それと横浜の一層にどんな関係が?」


そこで三好がコーヒーを持ってきた。

「お、サンキュー」

俺はそれを一口啜ってから言った。

「それなんですが、実はドロップしたものを販売するにあたって、鳴瀬さんというか、日本ダンジョン協会ですかね? には、将来的にデビアスあたりと折衝してもらう必要があるかも知れないんです」


ダイアモンドカルテルは二〇〇〇年に正式に終了し、中央販売機構は、DTC(Diamond Trading Company)として活動するだけになっているとは言え、数量によってはどこからチャチャが入るか分からない。

ブレグジットの影響で、規制が緩むだろうとも言われているが、それにしてもだ。

「それってつまり?」
「横浜の一層でドロップするのはダイアなんです」
「はい?」

鳴瀬さんが狐に摘まれたような顔をした。
俺は、横浜からドロップした三個のダイアを取り出して彼女の前に置いた。

「え? け、結構な質のものに見えるんですけど。しかも原石じゃなく、カット済みなんですか?!」

「小麦さんに見て貰ったところ、その通りでした。カットはラウンドブリリアントで、非常によいそうです」

「なんでこんなものが?」

「それをドロップさせたとき、俺たちその場所を単なる一層だと思っていて、たまたま話していたダイアの話以外なにも考えてなかったんです」

「その結果が――」
「それです」

俺は三個のダイアを指差した。

「小麦さんが言うには、それらはカットがほぼ同じで、それでダンジョン産かどうかを判断できるかも知れないとのことです」

「そんなことが」
「まあ、鳴瀬さんもご存じの通り、あの人、このジャンルでは超能力者みたいな所がありますから、小麦さん限定なのかも知れませんけど」


俺は笑いながら言ったが、鳴瀬さんは至極真面目な顔で頷いていた。

「まあそれが、さっきの鉱石を選択的にドロップさせる可能性に繋がったんですけどね」
「なるほど」

「日本ダンジョン協会に販売するのが面倒が無くていいんですが、そちらとしても個数が増えたとき、どこから何を言われるか分からないでしょうから、一応お話をしているわけです」


場合によっては世界ダンジョン協会がロンダリングに使われているような難癖だって、付けようと思えば付けられるのだ。

鳴瀬さんは、そのダイアをペンの先で転がしながら、「しかし、これ、賃貸金額の件で問題になるかもしれませんよ」と言った。


ダイアがドロップすることが分かっていたから一層を借りきったんだと思われると問題があるのは確かだ。

だがそれが目的だったわけじゃないのだ。今となっては誰も信じてくれないだろうが。

それを聞いた三好は、コーヒーカップをソーサーの上に置くと、すました顔で言った。

「それをドロップさせるのは、二月に入ってからだから問題ありませんよ。なんともラッキーでしたね、私たち」

「え?」
「だって、一層から鉱物が出るなんて、誰も思いませんよ?」
「三好……」
「ま、そういうことですよ。いまさら無意味な波風を立てたりすることは、誰も望みませんよね?」


鳴瀬さんはそれを聞いて苦笑した。

「……まあ、そうですけど。だけどこれが一番ショックの小さな話題なんですか?」
「結構面倒くさい話、ってやつですね」

「わかりました。この件は、来月これが売りだされるまで、私は聞いたことがありません。ダイアが売りだされたらきっと驚くでしょうね、私も。その後、他企業との間で問題が起きそうなら相談します」

「お願いします。世界的にだぶついているのは、低品質の原石と人工ダイアなので、大きな問題はないと信じたいですけど、もしかしたらライトボックスみたいな別カテゴリが産まれるかも知れませんし」


デビアスは、去年の九月に人造ダイアのブランドをつくって売りだした。それがライトボックスだ。

天然ダイアの十分の一程度の価格で、ピンク・ブルー・ホワイトの三種類を揃えてファッション・ジュエリーとして売りだしたのだ。

ダンジョンブランドの石も、特殊なブランドにカテゴライズしてしまう可能性はあるだろう。区別が出来るのなら、だが。


「わかりました」

「で、次が、頭を抱えそうな話なんですが」
「はい」
「実は、ここだけの話、ダンジョンでタイラー博士に会いました」
「……はい?」

それを聞いた鳴瀬さんは、眉をひそめて、今聞いた話の内容が理解できないように首をかしげた。


「タイラー博士って、あの最終ページの?」
「はい」
「三年前ネバダで死んだことになってる?」
「そうです」
「つまり、タイラー博士は、ザ・リングからどうにかして脱出して、生きていたってことですか?!」


鳴瀬さんは、驚いて、思わず身を乗り出した。

「うーん。それはどうだろう」
「は……い?」

そこで、俺は、彼に会ったときの状況を説明した。
鳴瀬さんは、きょとんとして、理解できているのか出来ていないのか、全く分からない表情でそれを聞いていた。


「つまり、ダンジョンが? 博士を? 作り出したってことですか??」
「まあ、それが一番正確な表現だと思います」
「芳村さん……ダンジョンから帰ったばかりですし、お疲れですよね」

鳴瀬さんが可哀想なものを見るような眼差しでそう言った。
いやいやいやいや、モルダー違うし。俺は慌てて、冗談でも妄言でもないことを強調した。

「じゃあ、本当に?」

俺は、こくりと頷いた。

「って、それ、もしかして映像があるんですか?!」
「ありません。録画していたはずなんですが、なんにも映ってなかったんです」
「ええ?」

鳴瀬さんがあからさまに落胆した。
つまりは他者を説得するための証拠は何もないってことだ。

「どにかく、俺たちはそこで、三年前にネバダで起こった事件の顛末を本人から聞いたんです」

その、SF小説もかくやと言わんばかりのストーリーを、彼女は呆然としながら聞いていた。

「……ネバダで行われた実験の結果、どこともわからない世界と繋がって、その世界の何かが実験場にいた二十七人を分解して調査して人類について学んだ結果、ダンジョンができたってことですか?」

「要約すればその通りです」

二十七。それは奇しくも新約聖書を構成する書と同じ数だ。もちろん偶然だろうけれど、ダンジョンが何かそれに意味を持たせようとするかもしれない。


「で、それは旅客機とUFOが衝突したようなもので、不幸な事故だったと」
「はい」
「そして、この事実を公表するかどうかは、君たちに任せるよと言って、丸投げされた?」
「政治的な駆け引きが大嫌いなんだそうです」
「はぁ……」
「で、これってアメリカとか日本ダンジョン協会とか、日本政府とか? まあそういったどっかの組織に伝えるべきでしょうか? というご相談でもあるんです」


鳴瀬さんは疲れたように眼球を揉むと、「いえ、伝えるとか伝えないとか言う以前の話ですよね、これって」と言った。


「だって、当然どうやって知ったのかを聞かれるはずですけど、その時、ダンジョンの中で死んだ人に出会って聞いたって言うんですか?」

「まあ、そうなんですよね」
「伝えられるわけありませんよ。そもそも証拠が皆無です。ただの中傷ととられてもおかしくありませんし、少なくとも私の立ち位置からは無理ですね」

「まあそこは仕方がないと俺たちも思います。だからこれはサイモンに丸投げしようと思うんです」

「本来、あちらさんの問題ですもんね」

鳴瀬さんは疲れたように深い息を吐いてそう言った。
そして、顔を上げると、諦めたよう聞いた。

「確かに頭を抱えましたよ。それで、最後の、信じられないくらい困るに違いない話ってなんです?」

「今のタイラー博士にあった話と、関係するんですが」

そう切り出すと、鳴瀬さんはあからさまに嫌そうな顔で、眉をしかめた。

「まず、俺たちは、ダンジョンの向こう側にいる何かにデミウルゴスという名前を付けました。俺たちの意識からダンジョンを作り出しているからです」

「イデアを現実に再構築する存在ですね。プラトンでしたっけ?」
「そうです」
「もしくは、ダンツクちゃんでもOKですよ。タイラー博士はこっちがお好みっぽかったです」

三好の話に笑みを浮かべた彼女は、すぐにそれを引っ込めて聞いた。

「それって、向こう側にいる何かとコンタクトした……ってことですか?」

うーん。あれをコンタクトと言っていいのかどうか……心象風景という言いぐさを信用するなら、コンタクトといえるの、か?


「それはなんとも言えないんですが、とにかく俺たちは、そこで、デミウルゴスの目的を聞きました」

「この世界にダンジョンを作った理由、ってことですか?」

俺は黙って頷いた。

「デミウルゴスの目的は――」
「目的は?」
「――人類に奉仕したいんだそうです」
「……はい?」

一体お前は何を言っているんだ? と目を点にした鳴瀬さんが聞き返した。

「人類に奉仕したい?」
「まあ、大体そんな感じです」
「意味が分かりませんけど」
「意味はまあ……言葉通りなんじゃないかと思いますが」

「人類に奉仕したい何かが、二十七人の人間を分解しちゃうんですか?」
「いや、それは順序が逆でして……」
「こんな魔法みたいな世界を瞬時に作り上げる何かが、人類に望むことが『奉仕させろ』? って、やっぱり意味が分からないのですけど」


うーん、それを言われると、俺にもわからん。

「でも、意図を聞けていると言うことは、コミュニケーションがとれたと言うことですか?」
「それもどうかなぁ……」
「ええ?」

鳴瀬さんは、益々訳が分からないという顔をして、眉をハの字に曲げている。

「ううーん。もうぶっちゃけちゃうとですね、彼女――じゃないかもしれないか――それは寂しがり屋で、構ってちゃんで、人類に奉仕したくてたまらないM体質のメイドさんみたいな存在なんです」

「先輩が説明を放棄した!」

三好が目をグルグルさせて、ボスンとソファに倒れ込んだ。

「ええー?」
「信じようと信じまいと、構いませんけど、俺たちはそういう情報を受け取った。だから日本ダンジョン協会に報告した。あとは好きにして下さい、と、そう言うわけです」

「あの、状況が全然わからないんですけど」
「だから、さっきから説明している通りなんですよ。いいですか、鳴瀬さん!」
「はい!」
「この際、常識は捨てて下さい」
「はい」
「俺たちは、ダンジョンの中で、ダンジョンが再構成した三年前に死んだはずのタイラー博士に会って、その時の状況と、彼が考えるダンジョンの向こう側にいる存在――つまり彼の創造主ですね――についての話を聞いたわけです」

「ええと……」
「それが俺たちがダンジョン内で見た幻だろうが、現実だろうが、この際そんなことはどうでもいいんです。俺たちにとってはリアルだとしか思えませんでしたけどね」

「はぁ」
「で、俺たちとしては、あまりに重要そうなその内容を、探索者の義務として報告したと、ただそれだけのことです。だからそれをどうするのかは鳴瀬さんなり、日本ダンジョン協会の判断なんですよ」

「ええー?」

三好がソファから上半身を起こすと、鳴瀬さんに向かってアドバイスをひとつした。

「鳴瀬さん、日本ダンジョン協会って自衛隊に連絡できますよね?」
「え? ええ、まあ」
「チームIでも、そうでなければ、アメリカのサイモンさんたちでもいいんですけど、私に三十一層で最後に会った時間を聞いてみるといいですよ。まあ、セーフエリアが発見される少し前だからみんな覚えていると思いますけど」

「どういう意味です?」

三好はそれに直接答えずに言葉を続けた。

「そして、その日、私が代々木を退出した時間を調べてみて下さい。そうしたら、わかります」
「……なんだかよく分かりませんけど、とにかくそうしてみます」

そう言って鳴瀬さんは疲れたようにソファに沈みこんだ。

「どうです? 信じられないくらい困りそうでしょう」
「何を勝ち誇ってるんですか。というか、Dパワーズさんの悪ふざけにしか思えませんね、今のところ」


そうでしょう、そうでしょうと三好が頷きながら、彼女にせとかをひとつ渡した。

「まあまあ、これでも食べて、スッキリして下さい」
「ありがとうございます。せとかですか? そういえば、そろそろシーズンですね」

彼女はそれを剥きながらそう言った。
皮に爪を立てた瞬間、柑橘特有の爽やかな香りが部屋に広がって、それまでのどんよりした空気を追い払うかのようだった。


「そうですね。ただし、そのせとかみたいな果物、ダンジョン産なんです」
「え? せとかみたいな果物? ダンジョン産? って、代々木に果物があったんですか?!」

興奮して、半分腰を上げた鳴瀬さんの話によると、ダンジョン内で食用と思われる果物が見つかったのは、ヨーロッパにあるダンジョンの浅いフロアで木イチゴが見つかっているのが唯一の例らしい。

したがって、これがダンジョン産だとすると、世界で2例目のことなのだそうだ。

「しかもせとかって高級果実ですよ。これが流通したら、農家への影響が心配ですけど」
「まあそこは、一月から三月はダンジョン産は出荷しないとか、なにか工夫をするしかないですよね。因みに発見したのは二十一層の未踏エリアです」


三好が、マップデータ等の資料をまとめたものを鳴瀬さんに渡した。

「ありがとうございます」

貰ったデータを早速タブレットで確認しながら、開いたマップを見て、鳴瀬さんが言った。

「って、この×印ってなんですか?」
「その×印のある丘の麓が、果樹園なんですけど。その×印の位置に、うちの拠点が建っているんですよ」

「拠点?」

キョトンとしながら言葉を繰り返す。

「ええ、探索のためのキャンプみたいなものですね」
「それが二十一層の未踏エリアに?」
「現状では充分深い層ですし、ダンジョン内の土地のパーティによる占有にあたりますけど、十二月の中頃お話ししたとおり、禁止できない領域かなと」

「え、ええ、まあそう言うことになると思いますけど、これ、どうやってどのくらいの規模のものを建てられたのかお聞きしても?」

「いいですよ。大きさは確か、直径が十メートルくらいで、高さが……いくつだったかな。十メートルはありません。あ、映像ありますよ」


三好がすぐにテレビに接続して再生したデータは、果樹園の小径から、件の丘、そしてその向こうに広がる湖の美しい風景を映し出していた。

そこに建っている円筒形にドームがついた建物には、流石の鳴瀬さんも驚いていた。

「これ……どうやって持ち込んだんですか?」

そこで、三好が胸を張って、ホイポイカプセルの話を始めた。
三代さんにはああ言ったが、拠点を残してきてしまった以上、日本ダンジョン協会への報告は必須になる。下手に隠し立てをすると、後々そのほうが面倒になるのだ。

ただ、これ偽アイテムだから、触られても名前が表示されないんだよな。そこをどうするかだな。


「はぁ?! なんですかそのアイテムは?!」
「おそらく取得報告は、次の申告に含まれると思いますけど」
「それって、何でも入るってことですか? ま、マジックボックスのように?」
「いえ、流石にそれは……単体しか入りませんし。大きさもその家くらいが限度じゃないかと。限界を試したことはありませんが」

「そ、それで……これって報告していいんですか?」
「どうせ申告で知られるとは思いますけど、セーフエリアが見つかった今、あんまり隠してはおけない気もしますから。ただまあ今のところはダンジョン管理課内で留めておいていただければ」


Dカードの取得チェックデバイスでもあれだけのことがありましたし、とさりげなく日本ダンジョン協会の罪悪感によりかかる三好。

流石だ、黒いぜ。

セーフエリアの開発初期時に発電機や重機類が持ち込めるのと持ち込めないのでは開発の速度が違う。もちろんダンジョン内の地面が何処までも掘れるはずがないので、実際にどのような開発を行うのかは一通り調査が終わってからだろうが。

その時協力の要請が来るとは思うが、鳴瀬さん達ならほいほい便利に使われるということもないだろう。


「わ、わかりました。……それにしても、凄いですねぇ。とてもダンジョンの中だとは思えませんね」


再生されている映像を見ながら鳴瀬さんがしみじみと言った。

「えーっと。補給とかありますから、よければ一度行ってみますか?」
「本当ですか?! 是非、お願いします!」

その勢いに苦笑しながら俺は、せとかを指差していった。

「まあそういうわけで、この柑橘が一体何者なのかをDNA鑑定で調べて欲しいわけです」
「そうですね……農業・食品産業技術総合研究機構の果樹茶業研究部門が、二〇一六年に温州みかんの親を同定していますから、柑橘類のDNA情報を多数持っているはずです。こちらで頼んでおきますね」

「よろしくお願いします。じゃサンプルは半ダースくらいでいいですかね」
「充分です」

三好はそれを袋に詰めに、台所へと向かった。

「それにしても、Dパワーズさんが、ダンジョンから戻られる度に、仕事が増えて行く気がするんですけど……」

「まあまあ、じゃ、最後に一つだけアドバイスを」
「ええ、まだ何かあるんですか?」

「セーフエリアが、三十二層で見つかりましたよね」
「はい」
「だけど、重要なのは三十一層ですよ」
「え?」

そう、三好とも検討したのだが、三十一層は割と奇跡のような層なのだ。
なにしろ7つの神殿が、おそらくは横浜のボス部屋のようなものだろうと想像できる。そして、あのフロアの凄いところは、リポップ時間が横浜に比べて圧倒的に短いことだ。

詳しいことはわからないが、おそらく代々木と横浜のキャパの差が、Dファクターの濃度に関連しているんじゃないかと思う。


そしてもしもガチャダンよろしく、登場キャラが変化したりすると、ずっとフレッシュな状態で経験値が入り続ける(かもしれない)

別空間とは言えダンジョンの中扱いだろうから、流石にリセットはないと思うが、宝箱のポーション(5)も実に美味しい。

もちろん一度入れば出られない構造上、大きなリスクはあるが、流石にキメイエスのようなモンスターはもう登場しないだろう。


登場モンスターと、攻略法が確立されれば、ものすごく有用な育成向きのフロアになるはずなのだ。


そしてあの中央の広場には、いまだに雑魚がポップしていない。つまりはスライムを気にせず機器がおいておけるかもしれないということだ。

もちろんダンジョン外の建造物をおくことで、どこからともなくやってくる可能性も皆無ではないが……

そうでなければ、小さな砲などの大きな戦力も持ち込んでおける可能性があるわけだ。

「できれば三十一層にも拠点を置かせて貰いたいくらいです」

そうしたら、高レベル帯のガチなブートキャンプに使えるだろう。

「おそらく最初の申請群は、ほぼ三十二層へ出るでしょうから、申請すれば通りそうな気もしますけど……申請しておきましょうか?」


俺は三好と顔を見あわせて頷いた。
三十二層ならともかく三十一層で坪三万はないだろう。もしそうだとしても、正方形なら約三十坪の占有だから、年間千二百万と言ったところだ。押さえられるものなら押さえておきたい。


「じゃ、それもお願いします。二十一層と同じ扱いなら、タダなんですけどねぇ」と三好が笑った。

「それは上げてみないとわかりませんね」と鳴瀬さんが笑顔で応戦する。

いや、君たち、ビジネススマイルが怖《こえ》えよ。

そんなやりとりを終えて、鳴瀬さんが玄関を出たとき、三好がなにかの封筒を渡していた。
俺はそれを横目に見ながら、御劔さんにメールを送信した。向こうはまだ朝だな。

「最後の封筒、例のあれか?」
「そうです。そろそろオークションも再開しますよね。お金は還元しませんと」

そう言って、ウィンクしながらカップを片付け始めた。

「それにしても、無事、押しつけられて良かったですね」
「まあな。しかし、この件を報告するのは難しいだろう」
「鳴瀬さんなら、レポートにまとめて上司に丸投げしますよ、きっと」

元会社員の立場から言わせてもらえれば、上司の使い道は、実際それくらいしかない。自分の手に負えないことは上司に丸投げで正しいのだ。


この報告がどんな波紋を引き起こすのかはわからないが、なにしろ根拠も証拠もないも同然だ。どこかでファイルキャビネットの奧に放り込まれて永遠の眠りにつくだろう。

報告者がDパワーズだというそのことは、俺たちが考える以上に大きな影響力を持っていたのだが、このとき俺たちは、そんなことは露程も考えていなかった。


「そして、最後はコルヌコピアですね」

時刻は10時を過ぎていた。
盛りだくさんすぎていい加減集中力が無くなってきた俺は、タブレットを掴んで、ソファにごろんと横になった。


コルヌコピアは、豊穣の角だ。
ゼウスの育ての親であるアマルテイアに捧げられた山羊だか羊だかの角で、彼女に望みのものを与える力を持っていたらしい。そして、巨大な富の象徴でもある。


「先輩が取得したアイテムで、角っぽいものって――」
「ハウンドオブヘカテの角くらいだな」
「なんかイメージじゃないですよね」

ソファの上で胡座をかいた三好は、肘掛けに肘をついて、顎の下に手の甲の指の付け根をあてた。


「山羊でも羊でもないし、果物や花でみたされてもいない」
「それに、お金持ちになれる感じがしませんし、それ」

感謝祭や収獲と関連づけられるアイテム。
望みのものを与える力――

「俺たちはスキルオーブを取得して、言ってみれば富を得たわけだ」

俺は寝ころんだまま、天井を指差しつつそう言った。

「そうですね」
「なら、スキルオーブを得る力が、望みのものを与える力と言えるのかな」
「つまりメイキングってことですか?」
「他に思い当たる節がない」

俺は、胸の上に置いてあったタブレットを取り上げると、コルヌコピアの説明を、ネットから探してもう一度読んだ。

豊かさの象徴。望みのものを与える力。
デュオニソスを育て、後にハデスの象徴に――

――ハデスの象徴?

「三好」
「なんです?」

俺はがばっと跳ね起きると、ソファに座り直して、三好の方を向いた。

「ネイティブ言語での表示って、実は個人的なものだと判明したじゃないか」
「はい」
「メイキングって、最初は五月の王だと思ってたよな」
「まあ、普通に国語審議会の答申に従えばそうなりますから。メーンはどうかと思いますが」
「だがそれは、製造の、メーキングのことだったと、後で判明した」
「文化審議会国語分科会激怒案件でしたね」
「だが、どうやらそれは、間違いのようだぞ」
「え?」
「これはたぶん――」

俺は天を仰いでいった。

「――冥王だ」

三好はそれを聞くと、半開きの口でまぬけな顔をした。ポカーンってやつだ。

「冥王?」
「そうだ」
「だから、冥キング?」
「たぶんな」
「個人ネイティブ表示にも程がありますね」

彼女が顔を左右に振りながらそう感想を漏らした。確かに俺もそう思う。

確かにトランプの十三の例を取り上げるまでもなく、俺は王よりキングを使う事の方が多いと思う。そして、冥には対応する適当な英単語は、実はないのだ。

何故漢字じゃないのかはわからないが、冥キングという表記はネイティブとして使わないからだろうか。王が優先され、全体がそれに引きずられた結果なのかもしれない。


「地下世界であるダンジョンは、冥王が支配する場所ってことですかね?」

冥王ハデスは、冥府が地下にあるとされていたため、地下の神ともされている。

「もしかしたら本当に冥界と言えるのかもしれないぞ? なにしろ、俺たちは、そこで死者と話をしただろう?」

「その死者さんは、それをコルヌコピアだと言いました」
「そうだな」

「つまりそれって、最終的には、望みのものを与える力――つまりDファクターを自由に操作するスキルになったりするんじゃないですか?」

「意志の力で?」
「意志の力で」
「なんでも自由に作れるわけ?」
「なんでも自由に作れるんです」

俺たちは、辿り着いたあまりの結論に呆然となった。
それが正しいかどうかはわからない。しかしそれはまるで厳然たる事実のように、圧倒的なリアリティを持って、俺たちの前に鎮座していた。

next3